作家でごはん!鍛練場
しまる

狂気

みなさんにこの話をしても面白いかわからないけど、人が正直に感じたことを正直に話すのであれば、大概は面白くなるから、遠慮なく話させてもらおう。

最近は小説投稿サイトに出入りして遊んでいる。暇だからだ。

小説家志望者ほどこの世で純粋な人間はない。小説は既に過去の産物で、オワコンと言われて久しい。これほど流した汗が報われない分野はないだろう。

漫画も読まれなくなってきているし、映画ですらAmazonプライムでゴミ山のように堆く積まれているけど、人々はもう2時間も画面の前に居座ることができなくなってしまっている。YouTubeで5分のコンテンツを呆けた顔で垂れ流すしかできなくなってしまった。

だから何かが間違って、その上にまた間違いが重ならなければ、小説が手に取られることはない。

わざわざここに人生をかけようという変態たちがいる。仕事から帰ってきて、飲みの誘いも断って、血を一滴一滴落とすように文字を走らせる人がいる。結婚もせず、親戚の子供に切ない笑顔でお年玉をあげながら、書く。

小説投稿サイトというのは狂っている。俺はこれほど狂った世界を見たことがない。当たり前かもしれない。終焉にすがりつくのだから。自分の全運命をかけて終焉にすがりつくのだから、狂うのも当たり前かもしれない。

ここでは信じられないくらいの罵詈雑言が蔓延っている。TwitterやYouTubeの炎上とは比較にならない。無駄にたくさん本を読んで引き出しが多いせいか、人を傷つける材料が豊富なのである。同じ人種なのだから仲良くやればいいのに、決してそうはならない。お互いの夢に向かって励まし合うことはなく、足を引っ張りあう。引っ張るどころか切り落としてしまう。

さて、では小説投稿サイトでは、どんな作品が投稿されているか、一作品だけ例にとって見てみよう。


長らくサボってしまった。別にこのブログに目的はない。小説家になりたいわけでもない。神人冥合を目指す上で文章を書くことは欠かせないと勝手に思って書いてるだけだ。

いつもここでは小粒の記事ばかり書いていて、一度くらい大掛かりなことにも挑戦してみたいと思っていた。今年ももう間もなく終えるから、この一年の総まとめ的なものを書いてみたくなった。そのため、過去記事の引用が多い。このブログをこよなく愛読している読者さんからすると、「これ見たよ……」と思わされる文章が散見されるはずだ。

20日間にわたって取り組んだ。3万文字。原稿用紙約80枚。いつもの記事のちょうど10倍ぐらいの長さである。と言ってもまだ完成していない。むしろここからが重要というところで終わってしまう。大きいことはやらないことがいいことがわかった。疲れた。面倒臭いからもう続きも書かない。だから読まなくて大丈夫。

この『街コンADHD戦争』は七割ノンフィクション。三割フィクションといった具合で、ほぼ実話に基づいている。世の中にはこんな人間がいるんだという社会勉強になるかもしれない。しかし、長いし、本当に糞な作品だから読まなくていい。変に張り切って頑張ろうとすると、かえって糞作品になるという見本としての研究材料にはなるかもしれない。もう大作は書かない。こんなの大作ですらないけど。大作を作ろうとするとただ無駄にエネルギーを消費するということがよくわかった。それが一番の収穫だった。

もっと短くて面白いものをすぐにでも書こうと思う。

こんなのもう見たくもないけど、せっかく作ったから、一応のせておく。

一 二人のブス

 この女の特徴は、感情的な顔だった。いつも鼻頭に赤提灯をぶら下げて泣いていそうな顔である。顔は大きいが、目鼻口のパーツが小さい。それぞれのパーツが不思議なくらい中心に寄っていた。そのせいか、肛門がキュッと締まって力んだような、便が詰まったような顔に見えた。なぜこういう顔になったかというと、感情が前のめりだからである。いつもカッとなってばかりいるからである。感情にも体重があるのだ。漫画でしか見たことのない、金色の丸型のフレームの眼鏡をしていた。なぜこんな眼鏡をしているのか? 尋ねはしなかったが、「お婆ちゃんから貰ったんです」とか、ふざけた答えが返ってきただろう。肌は病的に白く、ニキビや吹き出物が多かった。不安やイライラをエネルギー源にして萌芽したような、感情的な腫瘍に見えた。総じて、槍の一突きのような顔だ。

 もう一人の女の特徴は、デブだった。ポンプで空気を注入したような病的な太りようで、太いけど、ひ弱そうだった。松ぼっくりのような少年のような髪型をしていた。デブ特有のどうでもよさ、人生ゲームで借金を抱え過ぎて適当にルーレットを回すプレーヤーのような顔をしていた。確かにこの体型で生きていたら、真面目に生きる気力も肉の中に埋もれてしまうだろう。太ったから人生がどうでもよくなったのか、人生がどうでもよくなったから太ったのか、その問いすら彼女は食べてしまったように見えた。口元が特に不満そうで、自分が生きていることにすらイライラしているようだった。苦しそうだった。風船が苦しみの果てに破裂するように、彼女もまた死に近いところにいるように見えた。

 初めましてと、俺たち4人は簡単な挨拶を済ませた。

「クリスマス前に彼女作るのは間に合いませんでしたか?」と、一番はじめに口火を切ったのは丸眼鏡だった。

「間に合いませんでしたねぇ」

 と俺は答えた。友達も「クリスマス当日に街コンって凄いですよね」と笑いながら言った。

「年齢はおいくつなんですか?」

 と友達が二人に聞いた。

「私たちは二人とも26歳です」

 と丸眼鏡が答えた。

「お仕事は何されてるんですか?」と続けて友達が聞いた。

「その……私、今休職中なんですよ。今は単発で、工場で日雇いの仕事をしたりです」と丸眼鏡が答えて、「私はすき家でバイトしています」とデブが言った。

「そうなんですか」と俺は答えた。

 もう話すことは終わった。男という生き物は、どうしたってブスを前にすると頭が働かないのである。いい女を狩猟しないと朽ちるように造られているせいだ。俺たちが彼女たちの名前を聞かなかったのは、彼女たちがブスだったからである。俺は、後は天から降ってくる言葉だけを話すことにした。目を閉じて、静かに瞑想に入った。

「私、その、働けないわけがあって、その、障害持ち……なんです。ADHD、アスペルガー、鬱病の三つです」と丸眼鏡が言った。

 ダスキンのお買い得三点セットみたいに言う。

「私は鬱病の一つです」とすき家が言った。

 俺はピタッと目を開いた。出会ってすぐに障害者と打ち明けられたことにびっくりした。おそらく、昨晩電話で打ち合わせをしたんだろう。私たちのようなものに時間をとらせてしまっては申し訳ないから先に言っておきます、という謙虚さらしきものを感じた。私たちはケーキとチキンを食べていますから、どうぞ素晴らしい女性と素晴らしい夜をお過ごしくださいと、弱者の美徳を押し付けられた気分だった。

「そうですか」と俺は答えた。

「そうですかとは?」と丸眼鏡が聞き返してきた。

 俺はまた驚かされた。聞き返されると思わなかったからだ。この辺りの間の詰め方に怖いものを感じた。ちゃんと発達障害者の感想を言うまでは逃してくれないらしい。

「正直何とも思わないです」

「お優しいんですね」

 と丸眼鏡は言った。

「その日の生活を生き抜くのに必死な人間がいるんですよ?」

「そうですか」

「私たちは今ど真ん中にいますよ? 結構ひくレベルですか?」

「一生懸命生きているが故に、かえって異性にひかれてしまうなんて、そんな悲しいことはあってほしくないなとは思います」

「お優しいんですね」

「大変ですよ? こういう病気になってしまうと?」

 俺は丸眼鏡の話す内容にもイライラしたけど、最後に語尾を持ち上げる話し方に一番イライラした。友達も同じように感じているらしく、丸眼鏡が語尾を持ち上げるたびに、身体から湯気を立たせていた。

「そちらは今どんなお仕事を?」

 丸眼鏡は俺たちに向かって言った。

 俺は、俺たちが理学療法士であること。俺が自営業で訪問マッサージを行なっていること、友達は病院で勤務していることを伝えた。

「へー! 自営業! すごい!」

「自営業! いいですね! 誰にも干渉されないですもんね!」

 二人は持ち上げてくれた。

「といっても、月の売上は8万円ですけどね」

「8万……? それだと他にアルバイトしなきゃいけませんね?」と丸眼鏡は言った。

「いいえ、月に8万円以内で生活すればいいだけです」

「月に8万円で生活できるんですか?」

 すき家が言った。

「家賃を3万。食費を1万以内に抑えれば簡単です」

「食費1万って無理がありません?」

「そんなことありませんよ。先月の食費は3000円です。りんごしか食べませんでした。5キロ980円のりんごを3箱買ったので3000円です。それしか食べませんでした。少し前までは毎日納豆パスタを食べてました」

「りんごだけ……!?」

 すき家は信じられないという顔をした。

「身体おかしくならないんですか……!?」

「平気ですよ」

 太っている人間ほどこの手の心配をする。

「僕はですね、一日の仕事の収入が2万円なんです。月に4回働くので、8万円の収入になります。収入はそれだけです。週に一回しか働かないんです。だから週に6日お休みがあるんです」

「へえ……、その6日は何してるんですか?」

 と丸眼鏡が聞いた。

「YouTube見て寝てます」

「えっ!」とすき家が驚いて言った。

「本当に、週に6日もお休みがあるんですか?」

「はい」

「いいなぁ、私も働きたくないなぁ……」

「働かなきゃいいじゃないですか」

「いや……あなたは自営業で訪問理学療法でしたっけ? そういう資格があるからいいかもしれませんけど、私たちには何もないですよ?」と丸眼鏡が言った。

「確かにマッサージや個別トレーニングは時給単価は高いです。一日って言ったけど、一日も働いてないんです。4時間だけ働いて2万円になるんです」

「いいなぁ」すき家は何度も羨ましそうに言った。「私なんて時給860円ですよ」

 と、すき家はもう座ってるの疲れたという顔をして、背もたれに全体重をかけた。

「時給の高いアルバイトに移ったらどうですか? 1万円の日給で、週に2日働けば月給8万になるでしょう。8万円以内で過ごせばいいんです」

「こいつ、誰にでもこの話するんですよ」と友達が言った。

「熱心なんですね。でも、それができる人は限られますよね?」と丸眼鏡が言った。

「でも、今いるみたいですよね? ミニマリストですか? 生活を切り詰めて、自分の好きなことをやって生きていくみたいな?」

「こいつはYouTube見て寝てるだけですけどね」

「別に、節約すれば誰だってこんなことは可能です」

「でも、もし病気したらどうするんですか?」とすき家が言った。

「病気になったら精神的パワーで何とかします。ちなみに、すき家はどうかと思いますよ。あそこ注文したら15秒ぐらいで牛丼届きますよね。異常ですよ。逆にそこまでやられると引くっていうか、ブラック企業が透けて見えて気持ち悪くなります。漫画喫茶で働いた方がよくないですか? 深夜の漫画喫茶は楽だし時給も高いですよ」

「深夜の漫喫って怖くないですか?」

「怖くないです」

「ええー! あたし怖いんです! 個室とか変な人が来そうだし!」

「深夜のすき家も変わらないじゃないですか」と言って俺は笑った。

「できるだけ楽して、時給が高いところで週に2回働く。そして節約して、後の5日はゆっくり寝てればいいんです」

「あの、ちょっといいですか?」丸眼鏡が少し怒ったような顔で言った。「それはあなたの場合ですよね? すべての人がそれに当てはまるとは思えませんが?」

「そうですよ!」

 すき家も便乗した。

「お二人の立場になって考えてみたつもりです」

「いや、だから言ってるじゃないですか? 私たちには病気があるんですよ? 人間関係とか、いろいろ苦労が絶えなくて、あなたみたいにそんなにスタイリッシュに生きれないんですよ? 私たちみたいな人間がいることはわかってください!」

 丸眼鏡はやっぱり怒っていた。

「病気ですか」

 俺は再び瞑想に入り、内側が語りかけてくる声に、静かに耳を傾けた。

二 鬱病について

「その病気ってやつがくせ者ですよ」

 これ以上丸眼鏡を怒らせるわけにはいかないので、しっかり言葉を選びつつ話さなければならなかった。

「そもそも、この世に病気というものがあるかどうかすら怪しいんです。病気というのは、症状を分かりやすく整理する為に、便宜上、後付けで名付けをされただけに過ぎない。だけどそれが今じゃあアベコベになってる。〇〇だから〇〇症なのか、それとも〇〇症だから〇〇なのか。肝臓が悪いから肝硬変なのか。肝硬変だから肝臓が悪いのか。これが逆さまになっているんです。そして、ありがたく命名してもらった病人は、もったいぶった仰々しい物言いで、〇〇症……〇〇症……と一日中、念仏のように唱え続けるようになります。現代は西洋文明に浸かりっぱなしで、科学的に証明されたものは、肉体的なものであれ精神的なものであれ、我々はすべて鵜呑みにしてしまいます。みんなが病気を病気だと信じて病まない理由は、医者が病気だと太鼓判を押しているからです。

 来人が深いため息をついて、あまりにも切なそう顔でやってくるから、医者も、空気を読んで判を押すしかないんです。『あなたは鬱病ではない』と、合格発表を楽しみにやってきた受験生みたいな人を追い返す勇気がないんです。病気が増え、病人が増えることは、医者の経済にとっても好ましいことです。だから医者は、口に葉っぱを咥えた白いタンクトップを着たガキ以外は、すべて鬱病にしちゃってるんです。

 病気と診断された彼らの顔ほど嬉しそうな顔はありません。『やっぱり病気だったんだ!』『これで胸を張って立派な欠陥品だと言える!』と間違った方向に自信をつけていってしまいます。医者にとっても患者にとっても得するようにできている。まるで金持ちと家出少女のような関係です。これがこの病気らしきものの悪質なところです。これほど世界の破滅をもたらすものはありません。

 鬱病と診断された患者は、大海を得た魚のように息を吹き返して、さらなる深海へと潜っていきます。肉体の病気と違って、病気だから治していこうではなく、病気だから仕方がないという方向へ進んでいってしまいます。自分の心は他人と違う構造でできているから仕方ない。曲がったり、凹んだり、変形してしまっているから、会社を休むしかないって思うわけです。

 人間は不安を作り出す天才で、今現在の問題に苦しんでいる人は実はいなくて、将来の不安に悩んでいるんです。例えばブラック企業で働いて苦しんでいる人も、決して目の前の過酷な労働環境に苦しんでいるわけではない。会社を辞めて、再就職しても、どうせ同じような会社で同じような轍を踏むに違いないと踏んでいるんです。そもそも働くということは、誰かの面倒事を引き受けることです。自分の時間を奪われることです。自分の時間を奪われることは死んでいるのと同じです。死人にとっちゃどこの墓に埋められようが同じです。眠ってしまえば、公園のベンチもシモンズのベッドも変わりません。今より多少の楽を求めて転職しても、五十歩百歩なんです。例えば、すき家と漫画喫茶を同じだと思ってしまうように。だから面倒になって、そのままその会社に居続ける。鬱病といわれる病気の原因は大体このパターンです。現状の不安じゃない。将来の不安なんです。出口が見つからないんです。出口が見つからないときにだけ発症します。

 将来への不安が長期間にわたって固定されている状態、それを格式高そうに、鬱病と名称付けているんです。つまり、将来が不安な状態が長く続いたら、誰でも鬱病になれるわけです。

 まあ、昨今では、あまり調子にのって生きていると矢面に立たされてしまうし、何かと辛い顔をして生きているほうが都合がいい。あまり楽しい気分に照準を合わせていると後も怖い。だから現代では多少鬱気がある方が正常と言えるかもしれません。私は今、幸せでいっぱいです! という顔は周りが許さないし、それ以上に自分の目が気になってしまいます。幸せが逃げていくのではなく、自分が幸せから逃げてしまうんです。それに憂鬱というものは案外気持ちがいいんですよ。右下の辺りにいつも漂っていて、それに意識を合わせるとすぐに一体化できます。スマホよりずっと手軽です。深く意識が沈んで集中状態になり、ゲームやスポーツに熱中しているような充実感があります。特に日本人は真面目だから、この解きがいのあるパズルに挑戦してしまいたくなるんです。

 こうして鬱が板についてくると、非常に厄介なことが起こってきます。人生で考えられる最も厄介なことです。基本的に人間の考えていることはすべて現実世界に具現化されます。残念なことばかり考えていると、その通りのことが起こるようになります。いつも鬱状態をニュートラルにしていると、ハゲるし、臭くなるし、背も小さくなるし、悪いことしか起こらなくなってしまいます。

 だけど、ここからが重要なんですが、この世界に不安なんてものはないんです。この世界に不安はありません。そもそも心というものすらこの世界には存在しないんです。いつも激しく動き回っているこれはなんでしょう? これは本当にあなたでしょうか? これをよく見てみてください。内側にあるのか、外側にあるのか、くっついているのか、切り離せるのか。

 最近では、『自分探し』と言うと、笑われるどころか、アレルギーを感じる人も多く、最も人を不快にさせる言葉のひとつです。しかし、あなた方は自分が誰なのかわかってないから苦しむんです。不安でないと落ち着かなくて寂しいから、自分から不安を誘いにいくんです。不安や心を外的物質だと知らない哲学的無知が不幸をもたらします。自分の正体を不安の塊だと思っているから苦しむんです。あなた方が心と呼んでいるものは、外側の何かに結びついて発生したエネルギーです。あなた方は鋳型なんです。あなた方はコーヒーカップであって、コーヒーではない。

 不安が自分自身だと思っているから、鬱病と称される何かになってしまうんです。それは病気でもなければ、わざわざ親切に名前を作ってやるものでもない。汚れは汚れ以上の何者でもないんです。この世には何もないんだから、心に去来するすべてのものに取り合わなければいいんです。不安は、お菓子やタバコと一緒で、癖になってやめられない生活習慣です。長年の習慣に渡ってこびりついた、風呂場の根付いた汚れ、ホコリやカスのようなものです。あなた方自身は病気ではないのです。それは、着てる服が汚れているのと変わりません。決してあなた自身は、汚れることも、傷つくことも、病気になることもありません」

 すき家はぼーっとした顔で俺を見ていた。

 丸眼鏡も不思議そうな顔をしていた。

「寂聴さんですか?」

「ご高説をありがとうございますと言いたいところなんですけど、それは、あなたがそう思ってるだけですよね?」と丸眼鏡が言った。

「アドバイスというのは、その人の可能なレベルに合わせて、勧めなければ意味がないと思うのですが」とすき家が言った。

「靴だって、どんなに良いものが出来上がっても、その人のサイズに合わせて提供しなければいけませんよ?」と丸眼鏡が言った。

「病気が存在しないと言いましたが……、じゃあ、あのニュースの、車のフロントガラスを割ってきた人は、 病気じゃなかったら何だっていうんですか?」

 とすき家が聞いてきた。

「ああ、あれか」俺はあの狂った映像を思い出して、思わず笑ってしまった。

「あれが病人の顔つきに見えましたか? 人間の誰にしたって、自分の中の狂気と結びつけば、あんな顔になりますよ。ドライバーが高齢女性だということをしっかり見極めてから犯行に及んでますから、なかなか用意周到ですよ彼は。彼は、ただ忍耐がなかったんです。人間は、人間らしく生きなければならない義務があるんですが、彼はその仕事を放棄したんです。人間の皮を被って生きるのが面倒になったのです。自分の好きなゲーム一つでさえ、満足にクリアできない人間がいますが、彼もそんな人間の一人でしょう。我々から忍耐を取り除いたら、十中八九あれに成り果てます。あれを障害っていってしまったら、彼の思うツボです。ネットで罵詈雑言吐いてる人だって同じですよ。忍耐がないんです。より物質的になったのがあの男です。種類の違いはありません」

「でも、脳が小さくなったとか、てんかんとか、あるじゃないですか?」とすき家が言った。

「解剖学的器質変化に伴う認知力低下や知覚鈍麻はありますが、これも単純な問題です。アイドルが自己イメージで綺麗になっていくように、想念で人間は創り変えられていくんです。良いことを考えてる人は良い顔になるし、悪いことばかり考えている人は悪い顔になります。思い込みや感情が激しい人は、顔面の中心に目鼻口のパーツが集まって、目も小さくなって、便が詰まったような顔になります。内側と外側はひとつで繋がってるんです。内側の原因を取り除いてあげれば、外も解決します。つまり、病気は想念の力で治ります。小さくなった脳も大きな脳に戻ります。脳についた黒い斑点も除去されます。肝臓や大腸や精神も、同じことが言えます」

三 ADHDの病理

「でも、その、あなたの言ってることもわからないでもないけど、私の場合は本当にダメなんです。仕事ができないんです!」丸眼鏡は言った。「私の存在が証拠ですよ? 職場に行くと、自分が十分の一になってしまったような感じになるんです。部屋にいる時の自分とはまるで違う人間になってしまうんです。私は一人暮らしをしているのですが、料理だったり掃除だったり買い物だったり、一応はこなせるんですけど、会社に行くとそれができなくなるんです。まるで水中にいるような気分で、身体が重くて、息が続かなくて、怖くて、まともに人と話せなくなってしまうんです。最初はみんな優しくしてくれるんですけど、だんだん冷たくされ、迫害されてしまうんです……! いつも、どこでも、そうでした。前の会社は六ヶ月で退職しました……」

「なるほど、確かにそれは大変です」俺は言った。「仕事ができない人の99%は、自分のことをADHDだと思っています。今では、ADHDはバーゲンセールみたいになってて、どこにでも売られていますから。

 ADHDの人たちの仕事ぶりって大体一致してるんですよ。大体、いつも下を向いています。会議中も仕事中もお昼休みも、下を向いてるんです。周りは、あれにはイライラさせられるんですよ。いつも話を聞いてないから何をしていいかわからないようで、まるで外国で迷子になってしまったかのように、ずっと突っ立ってるんです。わからないならわからないで聞いてくれればいいのに、聞いてこないんです。だから、みんな、一つ一つお母さんみたいに次にやることを教えてあげなければいけない。みんな、その人の三倍の仕事があるんですけどね。一切、外に注意が向いていないんですよ。気づかない。気づかないし気づこうとしない。いつも自分の頭の中のおしゃべりに夢中なんです。これは一緒に仕事する人間からすると我慢ならない。 いくら上司から、〇〇さんは発達障害だから優しくしてあげてって言われても、限度があるんです。 なんでこれと同じ給料なの? ってなるんです。

 しかしですね、本当に彼らが気づかないで下を向いているかというと、そうじゃないんです。気づいているんです。本当は外の世界と軸がずれているような違和感があることに気づいているんですが、それでも下を向き続けるんです。彼らは選択しているんです。世界とひとつになるか、自分の中にとどまるか、どっちの方がエネルギーの負担が少ないか見極めた上でADHDの道を選択してるんです。彼らは仕事が終わると上を向いて帰っていくんです。仕事中は、目を瞑って運転しているかのように事故ばかり起こすんですけど、仕事から離れると、ちゃんと車を避けて帰っていきます。

 多くの人がなぜADHDの人たちを迫害するか……でしたっけ? それは、正体がバレてるからです。その点は、本人よりも周囲の方がわかってしまう。例えば、いくらその人が、ダメです……できません……できません……と言ったって、周りは、その人がそれをできることがわかってしまうんですよ。直感で。その人の実行可能力というものは、どうしたってわかってしまう。誰だって犬や猫に損益計算書の作成を頼んだりしないでしょう? 同僚が風邪で休んでるか仮病で休んでるか、だいたい当てられることができるように、人間にはそういう超能力があるんです。もしこれが本当に気づけない人だったら、怒るという気持ちは生まれないんです。犬や猫に本気で怒ってる人を見た事ありますか? 本当にダメな人は一ヶ月で消えていきます。六ヶ月というのは本当にダメな人の数字じゃないんです。自分だけの世界に閉じこもって、まるで出てこようとしないから迫害されるんです。病気だから出てこられないってことになってるけど、本当はそこから出てこられるってことが、バレてしまっているんです。

 若い十代の子が携帯ショップで契約している時、自分が月々支払うローンのことなのに、誘導されるがままに返事してしまっているのを見たことありませんか? 勇気を出して会話を止められないんです。発達障害とはよく言ったもので、あの辺りで成長が止まっているんです。

 ADHDの人は、『はい』と『すいません』しか言いません。名前を呼んだだけで、すいませんって言うんです。あんまり不安そうにしてるから、少しお話してリラックスしてもらおうと思って名前を呼んだだけなのに、すいませんっていうんです。いつも話しかけられる時は、怒られる時って相場が決まっているからなんです。とにかく一刻も早く会話を終わらせたい。そんな想いが伝わってきます。『はい』という一言に、そんな強烈な想いが込められています。水中から顔を上げて、息継ぎをするように、『はい』って言うんです。『はい』と言って、一番最初に目に止まったものに飛びついてしまうんです。目の前に壁があっても迂回せず、スコップで無理やり掘り進んでいってしまいます。周りはそれを見て、固唾を飲んで唖然とするしかありません。あれは狂気です。ずっと、スコップで壁を叩いてるんですから」

 俺はそのとき、下を向いてとうとうと話していたのだが、目の前の空間に亀裂のようなものがあるのを感じた。この亀裂は何だろう? 何やら、ここから、凄まじい禍々しいオーラが流れ出ている気がする。怖くて顔を上げられなかった。今顔を上げたら、どうにかなってしまいそうな気がした。このまま下を向いていたかったが、そろそろ顔を上げなければならなかった。恐る恐る顔を上げてみると、なんと、漫画の集中線みたいな顔から、大量の便が、盛れだしていた…………!

 丸眼鏡は、まっすぐに俺を見ていた。俺はその視線を直視できなくて、すぐに下を向いた。つまり、上を向く必要はなかった。丸眼鏡はまったく動かなかった。それが不気味だった。死体でもここまで停止できるものじゃない。それでいて、火葬されたばかりの白骨のように、これ以上考えられないほどの熱をもっていた……! すき家は隣りで震えていた。友達は自分じゃなくてよかったという顔をしていた。

「これまで私が経験してきたすべての怒りを結集させても、今日の怒りにはかないません」

 どうしよう。怖い。

「本当に理学療法の専門学校に行ったんですか!? 悪口の専門学校に行ったんじゃないですか!?」

「あなたの人生に何があったのかわかりません! そんなこと知りたくもありませんし、丸めてゴミ箱に捨てるだけです! その専門学校で習った悪口は、卒業したら周りの人を傷つけるために使いなさいって言われたんですか!? こんな小さな地域の街コンで、辻斬りみたいな真似をして……恥ずかしくないんですか!? そんなに発達障害の血に飢えてるんですか!? 善良な市民を斬りつけて……! 病んでるのはあなたの方じゃないですか!」

 まるで全国の理学療法の専門学校を放火して回りかねない形相だった。

「店長ッ! 店長を呼んでくださいッ!!」すき家が叫んだ。

「あなたはいいですよ! あなたはお金持ちですから、なんにも困らないんでしょう! でも、私たちはそんな風には生きられないんです! そういう人達がいることぐらいはわかってください! 私にはお金がないんです!」

 今度は金持ちか。やはりその丸いレンズは何色にも色を重ねて映すようだ。

「男の人にはわからないんです! 女は一日に使う神経の量が男とは比較にならないんです! 女は、その辺の大学生に自らならなければいけないんです! それは絶えず……自分を殺す悲しみと向き合うことなんです! 私はそれができないんです! やりたくないんです! どうしてみんなで手を繋いでトイレに行かなきゃならないんですか!? どうしてそれをやらなかっただけで、仲間外れにされなきゃならないんですか!?」

 まるで張り詰めた糸のようだった。それは筋肉と違って、緊張を与えれば与えるほど強くなるものではなさそうだった。ギターの弦のように、ただ消耗だけがあり、いつかはち切れてしまいそうだった。

 俺は何も言わなかった。そして、それがよかった。

 丸眼鏡は勝手に怒って、勝手に疲れて、勝手に静かに語り始めた。

「朝仕事に行くことに、それに一日のすべてのエネルギーを使ってしまうんです。だからもうスッカラカンなんです。何も残ってないんです。明日も単発の仕事があるんです。さっきから、それがずっと憂鬱で頭から離れないんです。将来の不安? 明日ですよ明日! 明日、単発の仕事があるんです! それで頭がおかしくなりそうなんです。明日行けるのか、それすら私にはわからないんです。単発の仕事って変な人が多いですよ? ずっと顎をカックンカックンしたり、変な喋り方や仕草をする人ばっかりで……」

 丸眼鏡はそう言って、顎をカックンカックンした。

「こんな生活抜け出してやるんだって、頑張ろうとするんですけど、寝ちゃうんです。だらだらスマホ見たりして、あれだけ求めていた自由時間が……砂城のようになくなってしまうんです。今、始まったとばかりに思っていたら、もう終わってるんです。仕事はあんなに長かったのに。

 いや、本当は楽しむ気にだってなれないですよ? 同じことで二度も三度も怒られたくないから、何が悪かったのか、家に持ち帰って考えてみるんです。やっと仕事から解放されて、待ちに待った私の本当の時間……。ドラえもんだって、こんな素晴らしいものを出してくれませんよ? なのに、私はずっと反省しているんです。私はこの時間のために生きているのに、仕事は、この時間まで奪っていくんです」

 丸眼鏡は虚ろな目をして言った。

「甘いもの、辛いもの、ずっとつまんでいられるもの……それらを用意してテレビの前に座ります。それだけが楽しみなんです。だけど、急にゾッとするんです。私は誰だろう? こんなのと結婚する男なんているはずがない。将来の不安? そうですよ。一人じゃ死にたい夜を越えていけないとき、男の人が側にいてくれたらいいですよ? でも、男の人の、私たちを見る目が怖いんです。

 お菓子を食べながらアニメを見るのもつらいんです。部屋の景色を見るだけで精一杯なんです。そんな状態で会社に行くから、今日だけは、大目に見てもらいたいんですけど、そういうわけにはいきません。今日は耐えられそうにないから、今日は怒らないでほしいって思うんですけど、そうはいきません。いつも誰からも必要とされてないはずなのに、なぜか必要とされてるんです。

 こんな欠陥品を誰が愛してくれるって言うんですか? 私たちは出涸らしなんです。私たちが愛される予定だった分は、別の誰かに持ってかれてしまったんです! 別に盗まれたわけじゃありません、最初からその人の持ち物だったんですから! 今回の人生は、そういうことになってるんです! 人が愛される量は、ポテトチップスみたいに均一に入っているわけではなく、宝くじみたいにゼロか一億なんです。愛される人は、私たちが払ったくじ券代の上に成り立っているんです!

 朝、失敗したら、その日はもうダメです。その日はもう捨てるしかありません。明日の朝にすべてを託すのですが、明日の朝は、今朝より辛いんです。だからまた捨てます。そして、一日……また一日⋯⋯捨てていきます。その、捨てられた今日が、二日……三日……一週間……六ヶ月……。私は六ヶ月……、今日を捨ててきたんです」

 それは、他人の今日まで奪いそうな告白だった。俺は少し目を離して会場の様子を見た。女はアナとエルサみたいな顔をして、男はクリストフとハンス王子みたいな顔をしていた。すき家は目に涙を浮かべていた。肉屋で肉と戯れてきた手を痛いくらい叩いて、丸眼鏡を祝福した。この白い美しい日に降り立った真の聖女は、彼女なのだと。このパーティーは、彼女のために開かれているのだと。手の平から七色のテープが飛び出してきそうだった。俺は丸眼鏡が話している間、彼女の目を見ていた。目が小さいと視野が小さくなるのか。それとも、視野が小さいから目が小さくなるのか。考えていた。



「私は道は覚えられないし、いつかガスの元栓も閉め忘れて火事を起こしそうだし、買い物に夢中で炎天下の車中に子供を置き去りにしてしまうんじゃないかって……、怖くて結婚も考えられません。もう恋愛も諦めています」

 丸眼鏡は言った。

 じゃあ、なんでここに来たんだよ、と俺と友達は思ったけど言わなかった。

「あなたは、病気が認められたことで世の中が悪くなったと考えてるようですけど、多くの人が救われましたよ? 周囲の理解も得られ、生活保護を受けられるようになった人もいますよ?」

「そうかもしれませんね。そういえばマクドナルドでは、異物混入の返金対応を行ったという報道がされると、便乗クレームの電話が四万件かかってくるようになるらしいです」

「ADHDもそれと一緒だっていいたいんですか?」

「ははは、まさか」

「また……! あなたという人は……! いい加減にしないと警察を呼びますよ!」

「なんでそんなこと知ってるんですか?」

 とすき家が聞いてきた。

「まあそういうのが趣味でして」

「趣味……! 趣味だったらやめてもらえませんか!? こっちは専門的に困ってるんです!」

「俺たち、先程も言いましたが、理学療法士でして、そういう患者さんの病理については一応、学んできてるんです」

 と、友達が助け舟を出してくれた。

「おや、そうでしたか」

 丸眼鏡は簡単に引き下がった。俺は、それだよそれと思った。権威だから信じる。さっき言ったばかりだろ。ホントは理学療法士も専門外だけどな! 理学療法士が想念で病気が治るなんて言うかよばーか。

「ところで、ADHDとアスペルガーと鬱病の違いはわかって言ってるんですよね?」

 とすき家が俺に向かって言った。

 俺は、「いや」と言ったら、彼女たちは、ねえ、聞いた? といった風に、キューピー人形みたいな笑い方をした。

「ナスとピーマンとネギのように、色と形は異なるけど、同じ畑で採れたものだとは思っています」と言ったら、彼女たちは、ねえ、聞いた聞いた? といった風に、またキューピー人形のような笑い方をした。

「あなたはいつもそうなんですか?」

「そんなに強情だと女性にモテませんよ?」

 ついさっき、自分は女失格だと泣いてたくせによく言いやがる。お互いが自分の意見を譲らずに膠着してるんだから、強情はお互いさまだろ。

「さっきからずっと言いたかったんですけど、いいですか?」

 とすき家は俺を見て言った。

「はい」

「あなたが言ってることって、ぜんぶあなたの想像ですよね?」

「はい」

「もう一ついいですか?(今、はいって言った?)すごくその、決めつけた言い方されますよね? です、なのです、みたいな。それ、すごく不快です。あなたは神様か仙人ですか? それともADHDの生みの親ですか? 理学療法士さんですよね? 理学療法士さんは学校で、ADHDは仮病だって教えられるんですか?」

 確かに、こうした断定口調ほど嫌われるものはない。とくに女は、断定口調をされると、泥だらけの手でオッパイをベタベタ触られたような、強烈な不快感をあらわにする。

「人はそれぞれですよ?」

 と丸眼鏡が言った。

四 人それぞれ

 人それぞれ。この『人それぞれ』という言葉がやっかいなのである。蜂が巣を作るように、寄せ集めの暇な市民たちが江戸城を建てるように、現代では、誰もがこの言葉に向かって汗を流している。

 現に、隣に座ってる、この世で俺の次に頭のいい友達までもが、「人それぞれか……」と、この甘ったるい響きを砂糖代わりにして、コーヒーを飲み出す始末だ。

 俺から言わせれば、断定口調をできない自分を恥じろと言いたい。物事のたったひとつの真実を見いだせないから、人それぞれなんて椅子にもたれ掛かってしまう。こんなものは、真理の途中にある休憩椅子でしかない。断定口調ができないから、出来の悪い作家みたいに消したり書いたり忙しい。いつまでも落書きばかりして本文に取り掛かれないのだ。

「AもあればBもある」「CもあればDもある」「人の数だけ解釈はある」「世知辛い世の中だ」「難しい」

 みんな、本当にこういったセリフが好きである。誰と会話をしても、5分に1回はこの言葉を聞かされて、俺は耳を引きちぎりたくなる。

 AもあればBもあるような言い方をしていれば、賢く見えるだろう。自分は多角的な視点を持っていると頭が良くなった気分になるだろう。いつもその先にあるのはただの広漠した荒野なのに、彼らはペンペン草ひとつ生えないその土地を、愛でるように水をくれて歩いている。

 昨今では、良い意見よりも、悪い意見よりも、断定口調を言う人が一番嫌われる。これ以上嫌われる方法を探すのが難しいくらいだ。特に女性は、決めつけられた物言いをされると、子宮にうんこを塗りたくられたように苦しそうに嗚咽して、自分の性別的優位を逆手に取り、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! と連呼するようになる。女は男を気持ち悪いと言えば無双できると思っている。それだけではない。昨今は、女に嫌われることを恐れるあまり、女と同じメガネをかけている男ばかりなので、俺は男にも嫌われてしまう!

『人それぞれ』が、民衆のもっとも大事な宝物である。座右の銘である。命綱である。彼らの数少ない引き出しの中で一番輝いているものである。棺桶に入っても掴んで離そうとしない。とりあえずそこに篭っていれば安全だ。比叡山の僧たちみたいに信長を笑っている。もし、これを否定されたり、奪われてしまったら、為す術がなくなる。海賊でいえば、海賊旗を取られることだ。

 これまで出会ってきた人の中で、断定口調で話す人はいなかった。最も頭のいい人間のひとりですら、「難しいね」とか、「そうしなきゃやっていけない」とか、「これは個人的な見解です」「あくまで私がそう思うだけです」と、語尾に鉄アレイをぶら下げる。

『大学の授業に価値がないというのは一部では正しくあり、また一部では間違ってもいる』だって? うるせーーーんだよ! ばーーーか!

 どいつもこいつも……! 相手の意見を尊重しながら、その上で自分の意見を言うことができたら、この世で一番素晴らしい仕事を果たしたみたいな顔しやがって! 気持ちわりーーんだよ! ばーーーーか!

 これを、忍耐と卑屈を混同させた弱者の道徳という。人それぞれ信者が役に立つのは、指を突っ込んで吐きたがってる酔っ払いを前にしたときだけだ。コイツらの気持ちよくなってる顔ほど、催吐薬の代わりになるものはない。

五 狂気のノートと自殺未遂

「そんなにお金がないんですか?」

と友達が聞いた。

「ないなんてもんじゃないですよ。戦争ですよ! 戦争は経済戦争となって、今も続いているんです!」そう言って丸眼鏡は、目の前の理学療法士を睨んだ。

 彼女たちはこう見えて、なかなか一般女性よりしゃべりが達者だ。それは、彼女たちの頭の中にいつも活字が流れているからだろう。悪書とは言え、それを読み貪ることは、論理的遊戯をたしなむ習慣を与えた。

「どれくらいお金がないんですか?」

 と友達が聞いた。なかなかこの男もメスの入れ方が雑だった。

 丸眼鏡は何も答えず、いそいそとカバンの中から何かを探しはじめた。何かを取り出そうとしていた。何かわからないが、何かその行動から不気味な気配を感じた。丸眼鏡は一冊のノートを取り出した。そして何も言わず、ページを広げて、俺たちの元へ差し出してきた。

 俺と友達は、思わず顔を見合った。この席に着いて、俺たちがちゃんと互いの顔を見たのはこれが初めてである。こんなことがあるのか? こんなことがあっていいのか。空いた口が塞がらなかった。このノートには、考えられる限り、最も街コンに相応しくないものが書かれていたからである。

家賃 58000円      

水道光熱費 8120円

食費 32564円

交際費 1570円

娯楽費 19194円

衣類 3240円

日用品 6892円

通信費 10040円

交通費 5180円

保険料 15080円

薬 20287円

カウンセリング 3410円

 字はとても綺麗だった。項目と金額で色分けされてあったり、わざわざ定規を使って囲ってあったり、枠の制約をきちんと守って綺麗に誂えられていた。

「わかりました! わかりましたから! このノートをしまってください!」

 友達が叫んだ。

「服代が3千円なんですか?」

「お前も……!」と制すように友達が言った。

「服はあまりお金をかけません。綺麗な店員さんの前で買うのが恥ずかしいんです。向こうだって笑いをこらえるのが大変だろうから、負担を減らしてあげているんです」

 狂ってやがる。

 しかし、26歳の女が紙のノートに家計簿を書くか? 手書きなんて、うちの母親ですらやらない。まぁそれより、何で持ち歩いてるのかってところの方が大問題だけど。

 すき家もこれには目を点にしていた。でかい風景と化していた。

 こいつらがなんで街コンに来たのか、やっとわかった。金欠だったのだ。でも、クリスマスだし、ケーキもチキンも食べたい。それでやってきた。

「薬代が2万!?」俺はノートを見ながら言った。

「いくらなんでも高過ぎませんか?」

「Amazonで色々買って試しているんです」

「薬にこんなにかけてたら、そりゃ破綻しますよ!」

「でも薬飲まなきゃ死んじゃいますよ!」

 丸眼鏡は大声で怒鳴った。

「反対ですよ! 薬で金欠になって死にかけてるじゃないですか!」

 俺も負けない勢いで返した。

「薬は何を飲んでるんですか?」

「知りませんよ!!」

「知らないで飲んでるんですか!?」

「それ以上は本当にやめてください。この子には誰にも言えない秘密があるんです!」

 すき家はそう叫ぶと、丸眼鏡に向かって、「ねぇ、きいちゃん、あのこと言ってもいい?」と言った。

「ううん、それは自分で言うよ」丸眼鏡はそう言うと、風車を前にしたドン・キホーテみたいな顔をした。

 誰にも言えない秘密? 出会って30分の人間に話す誰にも言えない秘密か。世の中にはそんなスーパーの試食品みたいな秘密があるらしい。

 今のところ、俺たちは理学療法士ということぐらいしかこの人たちに話してないのだが、この人たちは、頼んでもないのに、道に落ちてる石や砂を投げつけるかのように、個人情報をぶつけてくる。

「私、実は二ヶ月前に自殺未遂をしたばかりなんです」丸眼鏡は話し始めた。「私には本当に居場所がありませんでした。みんな私を病人のような目で見てきます。仕事の要件と、旅行に行った時のお土産をくれるときにしか話しかけられませんでした。男のADHDは可愛がってもらえるかもしれないけど、女のADHDはただ幽霊のように扱われます。机の上はいつも付箋だらけでした。私が書いた付箋ではありませんよ? 私がちゃんと話を聞けないのと、みんな、私と直接話したくないから、付箋でのやり取りが多かったんです。私がお返しの付箋を書くよりも早く、机の付箋は増えていきました。私がこれを見て、どういう気持ちになったか、あの人たちには分からないんです。私が何も話さないから、私には心がないと思ったんでしょう。考えたり、感じたり、感情がない生き物だと思ったんでしょう。泣いたり暴れたりすれば、人として扱われたでしょうか? 一度、男性社員たちが、私の噂をしているのを聞いてしまったことがあるんです。

『一度も使われたことがない水道管みたいに、錆びた茶色の液体が出てくるんじゃね?』って、みんなで爆笑してたんです」

 俺と友達はコーヒーを吹き出してしまった。

「孤独って一人でいる時よりも、集団の中にいるときの方が強く感じるんですね? 黙ってじっとして、帰ったら何をしようかなとか考えたり、三分に一回は時計を見たり、そんな時間の中で、なんだか眠くなってきてしまったんです。わざとじゃないですよ? 疲れてたのもあると思います。一人でいる方が絶対に疲れるんです。お昼も食べて、午後のお日様のうららかな陽光にあてられて、うとうとしてきてしまったんです。

 そうしたら、すごく怒られたんです……!

『今まで多めに見てきてあげたのに寝るってどういうこと? あなたにはこれだけの仕事しか渡してないんだよ? 病気はしょうがないかもしれない。だけど、寝るのは違うでしょう? 寝るのも病気なんですか? だったら新しい診断書を持ってきてください! しかしそんな病気が認められたら、会社は寝る人にまで給料を支払わなければならなくなってしまいますね! 難しかったんですか? この仕事はできないんですか? できないならできないって言ってください! そしたらこちらで振り分けし直しますから! どっちですか? できますか? できませんか?』

 ……気づいたら、私は会社の屋上に立っていました。だって、しょうがないじゃないですか! 誰も話しかけてこないし、暇だったんです! こんな刺激がない状態にしておいて、私が悪いんですか? ADHDだって食べたら眠くなりますよ! 私が働いていたところは、貿易事務の会社ですから、外人さんも一緒に働いていたんです。クラウディオさんっていうイタリア人の男性がいて、太くて毛深い腕で、私を抱きかかえて、イタリア語で何か騒いでました。私はひたすら虚空に向かって吼え続けました。『離してください! あなたに私の幸せを奪う権利があるんですか!? 明日が来るのが怖いんです! 寝たってダメなんです! 寝たって明日が来てしまう! 離してください! 今しかない! 今、すべての扉が開かれている……! はやくここから飛び降りないと、明日に追いつかれてしまう!』」 

六 ヤンマー兄弟

「六ヶ月で辞めたって言いましたけど、本当はこの件のせいで解雇されたんです」

「今はもう大丈夫なんですか?」

 友達が聞いた。

「わかりません。今もどうにかなってしまいそうです。この二ヶ月はなにもする気になれませんでした」

「二ヶ月。ずいぶんありましたね。その間……、…………。いや、なんでもありません」

 俺は自分で言おうとしたことに青くなり、小さく咳払いした。それがよくなかったのだろうか。全員にその含みが伝わってしまった。

 ウソ……! というようにすき家が俺の方を見た。

「おい」と、友達が言った。

「その間……? その間なぜのうのうと生きていたかって!? じゃあ、今すぐ死んでやりましょうか!? このナイフで今……あなたの目の前でノドを掻っ切ってあげましょうか!? 忘れられない聖夜の思い出にしてあげますよ! 血の雪を降らしてあげます! どうぞ私の生首にローソクを灯してください! 錆びた茶色の液体が入ったグラスを掲げて、みなさんカンパイしてください! 『メリークリスマス……!』」

「コーヒーのおかわりはいかがですか?」

 綺麗な女性スタッフだった。あまりにもこのテーブルに相応しくない容姿と声で、長いこと時間が止まった。はじめて女を見たとき、俺はこんな気持ちだったのだろうか? 俺たちはこの正常な風にあてられて、急に恥ずかしくなり、天井を見たり、咳払いをしたり、尻を浮かせて座り直した。丸眼鏡に至っては、急にロケットに乗せられて宇宙に飛ばされたようなびっくりした顔をしていた。

 美しい女は美の分け前を独り占めしているようにしか見えないが、この女性スタッフもそれに漏れず、目の前の二人の女の最後の一滴の長所さえも舐め尽くした存在に見えた。

「これは……! 最後のお米なんです! 持っていかないでください! 今年最後のお米なんです!」農民の姿をした丸眼鏡とすき家が一瞬浮かんだ。

 どうして街コンのイベントスタッフというのは、こういう綺麗な人を用意するんだろう? 女性参加者からしたら立つ瀬がない。手の込んだ嫌がらせか? それとも、ろくなのしか集まらないから、見栄えの為に花を添えたか? どちらにせよ、女性参加者からのクレームは一度や二度じゃないはずだ。クレームがなかったとしても、やめてほしいと顔に書いてある。女性参加者たちに、もしこのスタッフの顔面をズタズタに切り裂いてもいい権利が与えられたら、迷わず行使するだろう……! 女性参加者たちが、もしこのイベントで誰も男をひっかけられなかったら、その凶刃は、男にではなく、この女性スタッフに向けられるに違いない……! せいぜい夜道に気をつけることだ。

 俺はそんなことを考えながらこの女性スタッフを見ていたが、女性スタッフは、(どうしてここのテーブルだけ、料理がひと口も食べられた形跡がないんだろう?)という顔をして去っていった。



「あなたを迫害した人たちだって、前へ前へと前進せずにはいられなかったんです」俺は言った。「つまり、世の中の人たちだって、みんな不幸なんです」

「世の中の人はみんな不幸なんですか?」

 すき家が言った。

「俺は不幸だと思います」

「えっ!?」

 俺のこの言葉に、彼女たちは信じられないほどの驚きを見せた。まるでこの会場で、奈良の大仏が参加者たちを踏み潰して歩いているのを目撃したような顔だった。

「せ、世界中の人達ですよ……!?」

「はい」

「私のお母さんもお父さんもみんな不幸なんですか!?」

「あなたのお母さんもお父さんも不幸なんですか!?」

「この会場にいる人たちもみんな不幸なんですか!?」

 ヤン坊! マー坊! 天気予報! のようなリズムで言われた。

 俺はゆっくり両腕を組んで、静かに口を開いた。

「今挙げられた人物ですと、僕以外は全員不幸になりますね」

「へーーーーー!!」と二人は目を顔より大きく開かせて、互いの顔にある嬉々としたものを見つめ合った。そして、ADHDとは思えない楽しそうな顔で「ぜひ! 理由を教えてください!」と言った。

「理由を聞いても、辛くなるだけだと思いますけど」

「いいですいいですっ! ぜひ聞かせて下さいっ!」

 不幸は自分たちだけの特権だと思っていたらしい。自分の不幸と、世界の不幸を、推し量れる機会を得て嬉しそうだった。

「では、ここにいる会場の人たちについて考えてみましょうか。いいですか? こうした婚活パーティーにくる連中は、結婚しかすることがないからやって来るんです。ここにいる人たちに、家で何してるの? と聞くと、うーん……って、難しい顔で唸ります。やりたいことがない人間は暇で仕方がないんです。いくら昼夜働き通しだとしても、暇で仕方ないんです。みんな顔に暇だって書いてあります。やりたいことは自分自身なんです。やりたいことを投げ出してしまうことは、自分を投げ出してしまうことなんです。自分を投げ出してしまったから、自分の楽しみもよくわかっていない。フェスに行ったり、ディズニーに行ったり、なんとなく楽しかった感じがするけど、楽しかった感じがするだけで、本当はよくわかってないんです。金を支払ったから、それに等しい対価を受けた気分になってるだけなんです。無料だったら、果たしてどうなることやら。ただ目の前に流れてくるものに飛びつくことしかできない。ひな鳥のように、エサが運ばれてくるのを口を開けて待ってるんです。彼らにとって、地人の欲望が自分の欲望なんです。自分がないから、いつの間にか他人の欲望が自分の欲望になっている。他人の設計図で空中に城を築いているんです。どれもこれも、少し親に呼ばれたら、放っぽりだしてしまう類いのものなんです。せめて、楽しいという感情だけは偽物であってほしくはないんですけどね。自分を投げ出してしまった人間は、その空いた穴を他人で埋めようとします。ここにいる人たちは、今日、その穴を埋めにやってきたんです。サンタクロースも、こればかりはプレゼントしてくれないですから」

 楽しそうにしていた彼女たちの顔はどこかにいってしまった。

「えっらそーに。とりあえず週5で働けよ」と友達が言った。

「働かねーーーよ! ばーーーか!」

「じゃあ、あのうつ伏せになってるのは?」

と、友達が言った。

 俺は友達の指した方向を見た。なんと、少し離れた席で、一人でテーブルに突っ伏して寝てしまったような格好をしている男がいた……! 

「なんですか? アレ」

「わざわざ街コンに来て」

「男性は会費が8000円かかるんですよね?」

「かっこ悪いですね〜!」

 彼女たちは俺の高説よりも、はっきり視覚できる不幸の方が得心がいったようだった。飛んでいった楽しそうな顔が帰ってきた。

「恥ずかしくないんですかね?」

「逆に度胸がすごいと思いますけどね?」

「なんで帰らないんですかね?」

「あれくらい私にだってわかりますよ! 声をかけられるのを待っているんでしょう?」

「声をかけたら、めちゃくちゃ嬉しく反応しますよ!」

「まさか、大間違いです」

 俺は言った。

七 テーブルに突っ伏す男

 俺はテーブルに突っ伏してしまった男を見ながら言った。

「可愛い女の子がいたとします。自分のタイプの子です。いつも夢に出たり、理想として崇めていた女の子です。そんな子が好意を持って自分に近寄ってきてくれたら、さて、人はどうするでしょうか? 実は結構な人が、逃げてしまうと思うんです。その女の子は申し分ないですよ? 運命の人だと言ってもいい。いい笑顔で、若くて可愛くて、細身なのにおっぱいも大きくて、髪も肌も綺麗で、どの表情や行動をとっても申し分ない。もう、一目見てから好きになっています。なぜかわかりません、なぜだかわからないけど、そんな女の子が、なんと、自分に好意を寄せてきてくれるんです。根暗でグズグズしている自分なのに、好意的に話しかけてきてくれるんです。

 そういうとき、本当は嬉しいはずなのに、人はどうして無視してしまうんでしょう?

欲しいゲームや漫画は躊躇せずすぐに食いつくのに、どうして人間相手だと、異性相手だと、無視してしまうのか? 不思議なことに、その女の子よりはるかにブサイクで頭のおかしい女を追いかけてしまうんです。どうしてでしょう? もう二度とこんな可愛い子に好かれることなんてないかもしれません。

 男は女ほど欲しいものはありません。可愛くてエッチな女の子より欲しいものなんてないんですよ。男はみんな、可愛くてエッチな女の子がこの世にいるというだけで気がおかしくなって夜寝れないんですよ。愛が欲しいんです。それも、強烈な愛が。どれだけ傷つけても、無視をし続けても、それでも自分を追いかけてきてくれる愛が欲しいんです。遠ざけて、遠ざけて、それでも自分を追いかけてきてくれる女の子を欲しているんです。

 自分がこれまでモテなかった分を、しっかり補填してもらわないと気が済まない。その分を女が努力して帳尻を合わせないといけないと思ってるんです。それでやっとイーブンだと考えているんです。そのために彼は逃げまくるんです。そんじゃそこらの女だったら、こういう気分にはならないんです。でも、本当にいい女に出会うと、こんな心持ちになってしまうんですよ。運命を試してみたくなるんです。

 こんな男と誰が付き合いたいのか? そんなことはテーブルの男も百も承知です。まだ彼はいい方ですよ。机に突っ伏しちゃって可愛いじゃないですか。あんまりひどいのになると、間に合ってますって顔をするんです。もっと酷いのになると、彼女がいるから付き合えませんなんて言うんです(もちろんいません)。気違いですよ。こんな気違いがいますか? あなたのことはどうしたって通行人と同じ価値しか見出せませんという空気を出すことに、すべての才能を賭けるんです。

 もう二度とこんなチャンスは巡ってこないというチャンスほど、棒に振りたくなるんです。それなら尚更素晴らしいと言わんばかりに、これ以上ない痛みへ、自ら飛び込んでいくんです。

 もちろん、家に帰って猛烈に吐きながら、壁に頭を叩きつけ、枯れ死してしまいそうなくらい泣き続けます。

 どうしてこんなことをするんでしょう?

 楽しいからです。これが彼の最高の精神活動だからです。感情の業火に身を焼かれ、骨のカスまで残らないほどの白い灰となって、終焉に溶けてしまいたいんです。自分がこの世で一番求めているものを自分の手で徹底的に破壊し尽くす。どうにかなってしまいたいのか!? どうにかなってしまいたいんです!」

 丸眼鏡とすき家はビクッとした。

「しかし自分を傷つけるにも程がある……。

 愛だけは、愛だけは、どこまでも自分と共にあってほしい。人間が愛を究極に欲しがると、こういうことになるんです。玩具を買ってあげると言ってくれているのに、いらない! と言ってしまう少年が、再び目覚めるんです。

 彼は永遠にこのまま傷つき続けるしかないののか? やっぱり、まだ期待しているのか? まだ自分を愛してくれることを願っているのか? そうだとしたら、彼はどうしたら応じるようになるのか?」

「どうしたら応じると思います?」

 俺は二人に向かって言った。

「知りませんよ!」

「私たちに聞かないでください!」

 俺はこの恋愛偏差値の低いブスどもに言ってやった。

「謝罪です」

「謝罪?」

「お前さぁ」オレは友達に話しかけた。「小学生の頃、毎年バレンタインのチョコを家まで届けにきてくれた女の子がいたけど、6年間ずっと無視したじゃん? 目の前でチョコを差し出されたのに、素通りして家の中に入ったじゃん? お前が引っ越すときも、お別れを言いにきてくれたのに、そのときも素通りしたじゃん?」

「3年間だよ」友達は言った。

「変わんねーだろ。お前にチョコを渡してきた女の子も、謝罪すれば、お前はちゃんと受け取ったんだ。謝罪もないのにそんなことしたから、お前は素通りしたんだ」

 そして俺はまた彼女たちに話しかけた。

「モテない男はこう思ってるんです。学ランの下にパーカー着てるような男と手をつないで下校しておきながら、今更ノコノコやってきやがって……! 謝罪がないのはどういうことだ? 好きといわれて好きになるのは簡単だけど、謝罪がないと先に進めねーだろ! 俺はそんな簡単な男じゃない! ヤリマンみたいな犬だと思うなよ? もっと俺のことを四六時中考えて、いっぱい苦労しろ! どうしたら俺に振り向いてもらえるか一生懸命考えろ! チョコを6年間渡してこい! 引っ越したらお前も引越して来い! あらゆる可能性を試してみろ! 自分に魅力がないのかと自己嫌悪しろ! でも、諦めるな! 追いかけて追いかけて俺を追いかけ続けろ! そしたら俺は振って振って振り抜いてやる!」

「ゲェッ! クソキモくて吐きそう……!」すき家がこの世で最も不味いものを口にしたように言った。

「恋愛評論家たちは、恋愛から逃げる人は傷つくのが怖いからだというけど、違うんです。欲しくて拗ねてるから逃げるんです」

 俺は続けて言った。

「『るろうに剣心』という漫画を知ってますか? その漫画の登場人物の瀬田宗次郎が、その典型的なタイプです。宗次郎が本当に困っている時、助けてくれたのは剣心じゃなくて志々雄だった。時が経ち、剣心に出会った宗次郎は『何なんですか! 今さら優しくしないでください! あのときあなたは助けてくれなかったじゃないですか! あなたを見てるとイライラする!』と言って、狂ったように剣心を斬りつけたんです」

「そのシーン知ってます!」すき家は身体を乗り出して言った。丸眼鏡も当然と言わんばかりに眼鏡を光らせていた。

「お二人なら絶対に知っていると思いました」

 そう俺が言うと、二人は互いの顔を見合い、得意のキューピー人形みたいな笑顔をした。

「では、あちらの宗次郎さんは、謝罪されるのを待っているのですか?」と丸眼鏡が言った。

「そうです」俺は言った。「彼は今、大事な仕事の真っ最中なんです」

八 トイレ

 トイレに入るなり、友達に言われた。

「お前さぁ、街コン代払ってもらっていい?」

「なんで?」

「なんでじゃねーよ」

「なんであんなに太ってんだよ!」と言って、友達は鏡に向かってパンチした。

 その後も、もう一度小さい声で、「太り過ぎだろ」と言った。

「なんだよあいつら? あんなに元気ならどこでもやってけるだろ!」

「違いない」

「わけわかんねーのに付き合わせやがって。わかってる? 街コンだぜ? クリスマスだぜ?」

「クリスマスにダイ・ハードはつきものだ」と言ったら、ダイ・ハードが大好きな友達は嬉しそうに笑った。 

 それだけ言うと、俺たちは黙って小便をした。

「ああいうのはデリケートな問題なんだから放っとけよ。お前も適当な勘で話してるだけだろ?」再び友達が口を開いた。

「まあな」俺は一考して言った。「そもそも俺は、この問題をデリケートだと思ってないんだな」

「ふーん」と、友達はイライラしながら言った。デリケートじゃなかったら何? とは聞いてこなかった。この目障りな論客の発言を一言でも多く封殺するためである。

「目的は、ないんだ」俺は言った。「しいて言うなら、俺は何も話すつもりはないんだけど、ゆるぎない自信が俺の口を勝手に開かせている」俺はトイレの壁を見ながら言った。「俺だって、受け身な気分なんだ」

「狂ってやがる」友達はそう言うと、すたすたと扉まで歩いていき、「8000円払えよ」と言って、先に出ていった。

九 街コンの男と女

 男も女も婚活戦争で疲れ切っている。

 基本的に女から見たら、男は全員怪しいだろう。男は街コンだと余計に怪しくなる。いつも調子ばかりよくて、タバコを吸う酒は飲むパチンコはやる、怒られるのはわかりきってるのに提出物をまともに出せない。ちなみに今、先にトイレから出ていった友達は、「高さがちょうどいい」という理由で台所の流しでおしっこをする。

 基本的に女から見たら、男なんてどれもこれも同じに見えるだろう。道路の信号機と変わらない。黒縁メガネをかけて、髪のサイドを刈り上げて、コンビニ弁当を食べて、臭い息を吐くだけだ。

 街コンの男が街コンで口にする言葉は以下の通りである。

「仕事とプライベートは大変充実している」「順調に出世していて上司と部下の信頼が厚い」「仕事に励んでいたら婚期を逃してしまった」「ジムに行っているから大学時代と変わらない身体をしている」「週末は新しいカフェ開拓に余念がない」「休日はパエリアにミントをのせて食べている」「年収は600万」

 冬なのに浅黒い肌をした男もいれば、秋葉原に外付けハードディスクを買いにきたような男もいる。身体目的の男もいる。身体目的の男を嫌がる女に同調してまで身体を求める男もいる。この先毎日コンビニ弁当になるのが怖いから新しいお母さんを探しに来た男もいる。何にせよ、この会場にいるすべての男たちに共通して言えることは、今日は自分でさえよくわかってない自分の良さを女性が見出してくれる日に違いないと信じていることだ。

 街コンの男はみんな積極的だ。一度きりの出会いなら男は肉食になる。職場だと、毎日上司に怒られている姿を見られているから、恥ずかしくて女と話せない。街コンでしか腰をあげないから、慣れないことをして、不自然なテンションになる。まっすぐ普通に余計なことを言わずに会話できる男は街コンには少ない。

 男はいつもかっこよさを履き違えている。子供みたいだ。生理がないから成長しないんだろう。男と結婚することは、小さな子供と結婚するのと同じだ。女が結婚するとでかい顔をするようになるのは、夫が子供のように感じるからである。

 女から見たら、男は全員不潔に見えるだろう。ポマード? なぜ髪が濡れているのか。女は男のパンツを広げると、不思議そうな顔をしてぼーっと眺めているときがある。

 男は女に生まれつき負けている。美しいというのはそれだけ神に近いことだ。結局は髪の量ですべてが決まる。

 女という生き物は、男の月給が20万だろうが50万だろうが8万だろうが、自由に独身生活を満喫している男を見ると嫌味をこぼさずにいられない。「カップラーメンを食べ過ぎてはやく身体を壊せばいい」「掃除をサボってハウスダストで死ねばいい」とブツブツ言っている。同じ独身でも自分の方がよっぽど憐憫の目に晒されることに納得がいかない。なぜ自分の方が10年早く焦らなければならないのか? 男がこの10年にあぐらをかいているのが許せない。自分と結婚する運命にない男だとしても恨まずにはいられない。すべての男が自分に結婚願望を持っていなければならないと思っている。彼女たちの唯一無二の喜びは、そんな独身どもに、子供を抱っこしながら「え! 〇〇さんまだ結婚されてないんですか!?」ということだ。

 街コンの女は受け身だ。化粧して高い服を着れば、自分の仕事は終わりだと思っている。後は牡蠣のように黙っている。自分でも自分が大した人間でないことはわかっているが、あなたにとって価値があると思うなら、私と結婚するまでの障壁をすべて乗り越えてみせてください。まずは上手い具合にテンポよく、私に面倒くさい思いをさせることなく、このパーティーを進行させることができたら、一次審査を合格にしてあげますという態度である。

 女は絶対に自分から声をかけない。声をかけたら負けだと思っている。声をかけるくらいなら、声をかけてきたしまむらのパンツを履いた男を選ぶ。恐ろしいことに、彼女たちはしまむらの男と結婚することまでできてしまう。拗ねてる自分が一番向かいやすいエネルギーのままに、高校時代は見向きもしなかった男と結婚することができてしまう。後になって、いくらいい男がやってきたって、どこかの宗次郎のように、狂ったように斬りつける。女はタイミングを間違えられることを何よりも嫌う。

「なぜ俺たちの身体はこんなに臭いんだ? いつも穴という穴から汚泥が出てくる。たまに鏡に映った自分の顔にゾッとする。人間はここまで酸化するものなのか? しかし女も変わらんだろう。菓子パンとチョコレートで構成された情けない身体をしやがって。背脂を被ったような灰色の肌をしてやがる。性器もビニール袋のような感触がするに違いない。プーさんのはちみつの壺に突っ込んだ方がよっぽど気持ちいいだろう……! お前らががっつく男がイヤだと言うから、わざわざ死んだ魚の顔をしてやってるんだろうが。優しい人が好き? 優しくしてるじゃねーかよ! 同性の先輩にはヘコヘコ媚びを売るのに、男の前では舐め腐りやがる。生足しをちらつかせとけば、頭に人参ぶら下げた馬のように俺らが駆けてくると思ってるんだろう? 走ってるフリをしてるんだよ! フリを! 仕事と一緒だよ。これは仕事だ。しかしいつまで走らせる気だ? いったいゴールはどこなんだ? 死ぬ思いでメッセージを続けて、会ったときも心を砕いて、結婚まで続けたとしても、結婚後も続けなきゃダメなんだろ? これはいつ終わるんだ? 途中で力尽きたら俺が悪くなるんだろ? 人にそこまでさせておいて自分のことが嫌にならないのか? 乃木坂がやるんだったらわかる。だが、乃木坂はそんなことしないんだな! こんなゴミの掃き溜めのようなところまで来てガラクタ漁りか……」

「昔はあんなに気持ち悪くてしょうがなかった男が、今では私の人生において重要な価値を持っている。しかし話しかけてきても、当たり障りのない会話しかしてこない。どうでもいい会話をしてくる。変に笑わせてくる。そしてわたしも女子なので楽しそうに笑う。こんな茶番がいつまでも続く。そして、どいつもこいつも途中で力尽きる。私がどっちでもいいみたいな態度とっていると、大概が途中でやめてしまう。イライラする。だったら初めから口説いてくるな! 始めっからどうだっていいんだから! 私には時間がないの! 面倒臭いことさせないで! ふざけるな、40で結婚すればいいやだと? なんでもっと焦んないのよ! 焦んなさいよ! 私ばっかり焦らせないでよ! 夜更かしした後の朝や、脇毛処理をしてないときは、いったい誰が私を抱きたいのか激しく謎だけど、倒れるわけにはいかない! 女は若くないだけで馬鹿にされる。ラパンを運転しているだけで馬鹿にされる。部屋で音楽を絶えず流していると夢遊病患者だと言われる。やりたいことがないことはそんなに悪いことなの? 暇していることはそんなに悪いことなの? 仕事して家に帰ってお母さんとテレビを見て笑っちゃいけないの? そんなふうに時間が過ぎていくことはそんなに悪いことなの……!?」

 街コンでは飢えと渇きの激しい戦争がいつも繰り広げられている。


 長くなり過ぎたので、ここまでにします。

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何を言ってるかわからないだろう。俺も何を言ってるかわからない。しかし、この何を言っているかわからないことに、彼らは全てを捧げている。別の人が投稿する作品も、この作品と似たようなものである。

雪をどうこう言っているけど、この小説自体が氷山である。氷山を登るように、アイスピッケルを一回一回引っ掛けながらでないと読み進められるものではない。やっと登り切っても、頂にあるのは空っぽの宝箱だ。この人たちは本気でこれで食べていこうと考えている。

好きにしたらいいし、非難する気もない。このブログも雪の下に埋まっているようなものだし、俺も、誰も読みやしない竹内まりやとか馬場ふみかの記事を書いたりと似たようなことをやっている。この記事だって誰が読むんでしょうね……!

俺は文芸の方はよくわからないし、この作品が出版されることはないから無用の心配だけど、人々は仕事で忙しいし、小説は人を楽しませるためにあるのに、かえって苦痛になるのはどういうことだろう。多くの人は生活が精一杯で、本を読む時間などないのに、たまたま読む機会が訪れて、さて……と本を手に取って、その本が苦痛ってどういうことだろうと思ってしまった。

しかし……。肝心なのはここからだ。この作品に対するコメントが凄いのだ。

『自己完結型であり、開けても何も出てこない宝箱に何重にも鍵をかけたような作品です』

『いくら自分に対して繊細なものを追い求めても、それを他人に読ませようと投稿すれば、その行為の中に確かなガサツさが存在するというパラドックスがあると思います』

『物書きにとって作品は子供です。産んだはかりの赤子を人様の前に出すべきではありません。胎脂や母親の血液や母親の大小便にまみれたままだからです。きちんと産湯できれいにしてから人様の前に出すべきです』

『言葉の隙間に雪が詰まってるみたいなザマばっかなんですよ。セックス下手糞みたいなオーラが臭いばっかなんですよ』

『わたしがこの景色を文章としてもっともその欲求を叶えてくれるカタチとして、親切に、贅沢に、客観をもって、内包させて通用するものとして差し出すべく思いつきたくなるような文章は、【ああ、くそさみい】程度のものだったりします』

『自己の可能性を信じすぎた人間の成れの果ての姿を体を張って示してくれてありがとうございます』

『思いついたものを何でも描写する自分を許してしまっているように感じました。自分の言葉はすべて価値があるという思い込み、自己愛からきているのではないでしょうか』

『読み手が問題意識を共有していないから伝わらない? そうではなくて、しがないフリーターでありながら、社会の暗部に気づいている特別な存在である故の苦悩を皆に見てほしくて筆を執っているから伝わらないのではないでしょうか?』

『身の程を知りなさい。駄文しか書けない自分を恥じなさい。あなたの文章からは卑しい品性が滲み出ているから、人を不快にさせるのです。あなたは身の程もわきまえず、思い上がりが強くて鼻持ちになりません。どんなに自分が間違ってても決して自分の非を認めない。感謝すべき相手に逆切れする。だからいつまでたっても駄文しか書けないのです。素直に自分の非を認めなさい。謙虚になって学びなさい。そうすれば少しはまともな文章を書けるようになるでしょう。少なくとも、鼻持ちにならない傲慢さが文章から透けて見えることはなくなるでしょう』

『コメントした人達に対して殊勝なお返事をされていますが、軽いお返事に感じます。あまり響いていないように見えます。悪く言われて糞という想いはあっても、根本から直そうと思ってないでしょう? テクニックやら文学観やら色々とたくさんの荷物を抱えておられるようですが、すべて捨ててしまっていいように思えます』

物書きとしての品格を保とうとして敬語で中傷するから、全員フリーザみたいな口調になっている。

本当のところを言えば、ただ、つまんねーという感想しか覚えないのだが、凝った言い回しで、血と汗の結晶を一つ一つ丁寧に崩壊させていく手法をとる。

馬鹿だの死ねだの言うことは決してない。丁寧に、上品に、史上最大の悪口を言うために文学的頭脳をフル回転させる。

人間がその人の悪口を言うとき、その人の悪口を言うことは稀だ。だいたい、自分の悪口を言う。

相手を過去の自分に置き換えて、その時の自分が言われると最も嫌だったことを一生懸命に思い出して言おうとする。

その痛みは自分が一番よく知っている。なぜならその人も作家志望であり、誰よりも小説について考えてきたからである。だから、その人が何を言われたら一番傷つくか、痛いほど知っているのだ。

作者が見たくはないけど見なくてはならない現実を、無理やり眼をこじ開けて見せようとする。それが異常に盛り上がる。現実以上の恐ろしい悪口はないから当然かもしれないが。まだカレーを入れられた方がマシだろう。

彼らが仕事で直接対面したら、決してこんなことにはならなかった。むしろ仲良くなっただろう。しかしここだと、変な薬を注入されたマウスたちが一つのケージに詰め込まれたような事態となってしまう。文学という極めて偉大な精神を追求しようとする彼らが、暴力から一番遠いところにあるはずの彼らが、荒れ狂うネズミと化す。

一体何のための読書だったのだろう? 本を手にとってポカポカ殴り合っているようにしか見えないが。

中には、女性投稿者からの好意的なコメントもある。

『上手な描き方だなあ、と思いました。そして文体、いいですね、独自性があります、降雪の、陰気な、日本海側の、閉ざされた冬、そこで交わる、人間的な、というより、真実の交接が描かれている。冷たく、あまりにも冷たく、非人間的なまでに冷たい中に、ぽっと灯る電燈のぬくもり、しかし、そのぬくもりは、ささやかで、なんと、それもある意味、人間的ではないので、語り手にとってはかなり人間的なのだと思いました』

と、わけのわからないことを言っているのだが、作者は、

『コメントありがとうございます。しまるこ様から返ってきます反応は、夜の湖面にうける星明り、月明かりのようなもので、まるで鏡のように澄んだものを感じさせます。無音の夜の静けさのなかに、ほのかな反射光のみが、皓々と輝いて、今、私に積まれた雪を溶かしました』

と返す。すると、

『ヒューヒュー! オメエら結婚しろよッ! 文学ぼっち同士、お似合いじゃねーか! 夢も二人で食った方が安上がりだろうッ! ホコリかぶったカビ臭い古本みたいな性器でせいぜい子作り頑張れや!』と汚い野次が飛ぶ。こういう時だけはあえて言葉を崩すのである。

一生懸命悪口を言ってる彼らも、作品となると静かになる。静か過ぎで書いてあるのかわからないくらいだ。あれだけ現実を見ろと諭していたのに、上記の雪の作品とまったく同じものを書く。そして周りから叩かれる。次の人もまた、朝起きたら窓の外で犬が吠えていたということを数万字にわたって書いて投稿する。それを皆に馬鹿にされて、精神を破壊して、別の投稿者の精神を破壊する。

ずっとこれを繰り返している。



この雪の小説の文章から伝わってくるのは、一文一文死ぬ思いで書いたということだ。決して流暢に書けたわけではない。一文書くたびに振り返って、また書いて振り返っての繰り返しだ。色あせた本が詰まった本棚に囲まれ、悲しみが窓から出たがっている締め切られた部屋で、文学とは何か、小説とは何か、10年も20年も苦悩してきた。文章を自分の手先のように、あるいは脈打つ血液のように、自分と一体させることを目的としてきた。痺れを切らしてベッドにダイブして、数日経ってまた戻ってきて、そうやって書いた。完成に3ヶ月はかかった。俺にはわかるし、投稿サイトの人間ならみんなわかることだ。

おそらくこの作者は、小説を書くのが楽しいかというと、楽しいどころか、大変苦痛だった。そんな苦痛なことを仕事にしようとしている。彼らにとって小説を書くことは素潜りと同じである。おっかなびっくり潜っていくけど、すぐに空気を欲しがって顔を出してしまう。

テレビに浅田真央が映っていた。一日に練習を6時間やるらしい。引退した後も毎日6時間滑るらしい。俺はなんだ? 妻も子もない。やることはわかりきっている。あとは書くだけだ。時間は十分にある。でも書かない。俺はこのために人生を捧げたんじゃないのか? なぜ書かないんだ? 机に向かい続けることがどう頑張ってもできない。30分ももたない。おかしい。俺はこのために生きているはずなのに。木が全身全霊で木であるように、石が全身全霊で石であるように、俺はいつだって書いていなければおかしいはず……。

果たして小説が彼を裏切っているのか。彼が小説を裏切っているのか。

純文学を食べて構成された血肉ほど美味しい餌はない。この処女のように美しく儚い中年を犯したら、どんな風に喘ぐだろう? 夢を追いかけた時間ほど、でかい声を出すだろうか。

ハイエナたちは、この作品が苦悩の果てに書かれた遺書のようなものだと知りながら、待ってましたぁ〜〜♪ と言わんばかりに、彼らもまた磨いてきた語彙や比喩を手に、骨片も残らぬほど喰らい尽くすのである。10年も20年も自分の生命活動の全てを費やしてきて、朝起きたら犬が吠えてたってどういうことですか〜〜?? とゲラゲラ笑いながらナイフとフォークを突き刺す。

それに対して作者は、

『わたしたちは商業ベースにのっている存在ではありません。そもそもデビュー未満の存在であるのに、読者獲得のために、うわべを取り繕って書くことに習熟することに、なんの益があるのでしょう。実質的な成果が得られたにせよ、書き手の魂はたぶん死ぬでしょう。読者のためを第一義において、書くことこそわが信念という人にとってであれば、それはたぶん「嘘」ではなくなるでしょう。しかしわたしにとってはそれは嘘にあたる。だから、人によってちがった意味をもって扱われている言葉なのです』

と返す。すると、他の奴が、

『むしろ、積極的に世界としての嘘を構築しなくて、それを楽しんで楽しませられなくて何が小説なんですか。創作なんですか。作品に込めるものに嘘のない態度で臨むことはわたしも当然と考えるタチのものですが、その意思を作品そのものの性格として、あるいは目的として落とし込みたがる、さも自己実現か何かのために小説というものに仮託しているかのような言質を知ってか知らずか自らのうのうと標榜して言明して憚らない態度、しかもそれを爪の先ほども自覚する意思がないようなことを反論の如く魂胆と手段において表明出来てしまう辺り、やはり所詮濁った何かでしかありません。そんな有り様を嘆くのも汚らわしと嫌うのも個人の自由に違いありませんが、所詮ケチ臭いような美徳を貫いてみたところで相手にされなければ、価値を認められなければ存在しないことと気づきなさい。結果以前の美徳なんて臆病なだけ。自分に嘘をついてでも誰かの役に立って、価値を認められて、そうして初めて主張出来るものこそが美徳としてふさわしいもののはずで、あなたが言っているようなことは投票にも行かないくせに国や政治を嘆く古ぼけたような老人と同じです。文章だけでなく人間も古臭い』

と凄まじい勢いで文学喧嘩が始まっていく。共食いだ。いやセックスか。彼らは文字を使ってセックスする。

この雪の小説の作者も、罵詈雑言や誹謗中傷であればいくらでも話すことができた。あれほど書けなかった文章が泉のように湧き出てくるのである。

数ヶ月かけて書き上げた作品より、2分や3分で書いたコメントの方がよっぽど面白いというのは皮肉だ。あれだけもったいぶって遠回しでこんがらがったテレビのザーッと流れる砂嵐のような文章が、見る影もなく読みやすく生命力に溢れている。それでいて文学的な営みも残している。なぜこれを作品の方でやらないのか不思議でならない。

瞬間芸。コメントでは、彼らの瞬間芸が働いている。瞬間が持つ生命力に、無機物の寄せ集めがかなうはずもない。

いつも作品よりもコメント欄の方が賑わっている。おそらく俺の他にもコメント欄の荒れ模様を楽しみにやってくる人がいるからだろう。誰も作品なんて読まない。俺も読まない。読まないけど、火種に投げ込むと、よく燃えるのだ。この炎の美しさを本人達だけが知らないでいる。

狂気

執筆の狙い

作者 しまる
118-106-54-89.shizuoka1.commufa.jp

しまるこさいこう
しまるこさいこうしまるこ

コメント

群青ニブンノイチ
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論点ズレてますよ。
誤魔化してはダメです。

作品より感想が面白いのではなく、感想すら面白いから作品が書けるんです。
創作する力、ってそういうことです。


あなたみたいに目に付くものだけをエサにして屁理屈らしく所詮甘ったれたようなことしか仕出かせない人には、創作のためにあって然るべき倦怠など理解出来ないし快くも思えないし立ち向かうことこそ出来ないから、“瞬間芸”などと自分自身の鈍らな魂胆を白状するような馬鹿を晒してしまうんです。

何しろ、あなたのような人はただの嫌われ者です。
鼻つまみ者。
わたしとは、似ても似つかない意味でただの嫌われ者。

人気がない、というのはあなたが仕出かしているようなことこそが明らかにする醜さ、性根の悪さのことです。
屁理屈で何かが出来るつもりなら、いくらでも卑怯を振舞ったらいいです。
あたしのことがキライで苦手な馬鹿だけが薄暗く集ってくれるでしょう。

情けない有り様であることには少しも違いありません。

偏差値45
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冒頭の内容は、私も小説らしいものを書くので興味深く読めるのですが、
>一 二人のブス
ここからは問題がありますね。
正直、ブスの特徴には関心がないわけです。
ここで挫折する人も多いのではないでしょうか。
おそらく情報の提供の仕方がまずいかな、とは思います。

とりあえず、主人公は誰であるとか、目的とか、物語の世界観を先に描いた方が
読者にとっては伝わりやすい気がします。

気になった点としては……、
四人の登場人物があるわけですが、
折角なので名前を示した方が親切かもしれません。
それから一人一人のキャラクターを馴染ませながら、ストーリー展開をした方が
読者のメモリー負担が軽減できると思います。
個人的には直ぐにメモリーオーバーしてしまうので最後まで読んでいません。
悪しからずです。
そして複数人の会話なのですが、これを流れるように読者に伝えるには、
ある程度のテクニックは必要なのかな、とは思いましたね。
その意味ではハードルが高いです。
「言った。」という言葉の繰り返しは出来るだけ避けたいところですからね。

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