作家でごはん!鍛練場
ガヤ・マエデール

Colorful・monochrome

彼女との出会いは、偶然だった。


パリにほど近い町で働く僕の身の上を話せば長くなる。

僕は両親の顔を知らない。
僕は外の世界を知らない。
僕に自由などはない。
そんなことは、もうずっと前から変わらぬ事実だ。

物思いに耽れば耽るほど悲観的になるのは、僕の悪い癖なのかもしれない。
しかし、やたらめったらにペシミストなわけではない。

まだ二十歳にも満たないうちから厭世的な考えを巡らす僕ーーアランは、実の名前すら知らない。
と言うか、僕ですら僕のことはよくわからない。

ただひとつ言えることがあるとするなら、僕は普通の人間ではないということだ。

僕は雪よりも白い手で首に繋がれた鎖をなぞると、とっくの昔にくすんでモヤがかかった鏡の前に立つ。

ーー"アルビノ"。

人は僕をそう呼ぶ。

じゃらりと音を立てた鎖は、長い歳月を物語るように黒い擦れ跡を残しては非常な冷たさで、僕をつなぎとめるようにこの見世物小屋縛り付ける。

その昔、僕はこの小屋に売られた。
ご覧の通り頭の先からつま先まで真っ白な肌、色素が薄いおかげで金色の瞳をした僕はとても珍しいようで、きっとそれなりの銭と引き換えにこの小屋に捨てられたのだ。

それからずっと、僕はここの"商品"として、くる日もくる日もステージの上に立ち続けている。
僕がステージの上で披露するのは、実に簡単な芸だ。

服を脱ぐ。

たったそれだけで観客は喜ぶのだ。

真っ白な身体を持った僕はもはや"人間"ではなく、ただの"鑑賞動物"なのだ。

でも、そんな生活にも慣れてしまった。

もう何十年と繰り返してることだし、今更どうとも思っていない。

ゆうなれば、僕は自分の境遇を諦めてしまった。

ーーどうせこの先も恵まれることなどないだろう。

ずっとそう思っていた。
たった一人、誰よりも純真な彼女に出会うまでは。


「なんでここにいるの?」
ショーが終わり、澱みきった空気から逃れるように外へ出ると、僕より少しばかり幼いないであろう少女が目に入る。
突然話しかけた彼女の声はとても愛らしく、まるで小鳥がさえずるような綺麗な声色だった。

僕は息を呑んだ。

束縛的で傲慢な小屋主と、その他、ここに縛り付けられている普通じゃない人以外とはめったに話すことのない僕は、あまりの緊張に何度か目を瞬く。

ーー普通の、しかも相手が同世代の少女だなんて。

僕の心は少なからず舞い上がっていた。

しかし、何の返答もしない僕に不安を感じたのか、彼女は腰ほどまである美しい赤毛の髪を揺らして「あのぅ……」とペリドットのような明るめの黄緑色の瞳を潤ませた。

「えっと……、売られたから、かな」
あまりの美しさに見惚れた僕は、頭の片隅に残っていた理性を駆使してたどたどしく答えた。
「売られた?いったい、なぜ?」
僕の大雑把すぎる情報では理解しきれなかった彼女は不思議そうに聞き返すと、小さく薄紅色の唇を尖らせる。

「ほら、僕、アルビノだから」
「アルビノ?」
"アルビノ"という言葉を知らないのか、彼女はどこそこの探偵のごとく眉をひそめると、考え込むように右の人差し指を尖らせていた唇に軽く当てた。

「だから……ほら、僕、真っ白でしょ?」
僕は納得しきれない彼女にもわかるように自分の左頬を摘まんで伸ばすと、反対の手でその頬を指差した。

「……白?」
しかし、彼女はさらに険しい表情をする。

ーーなんでわからないのだろう?

僕の育ちがあまりよろしくないせいで伝わらないのか、それとも僕の言語すら通じていないのか。

どうやって説明してもわかってくれない彼女に、僕は一抹の悲しみを覚えた。

「私は……、あなたは普通の人だと思います。だって、こんなにも美しいのだから」

彼女は困惑しながらもそう告げた。

絵に書いたように美しい彼女は、真っ白な僕に胸が熱くなるほど鮮やかな色を落とした。
今までに感じたことのない、眩しいぐらいの色を。


彼女は次の日も、また次の日も行ってきた。
それからというもの、僕は僕の出番が終わってからショーが終わるまでの20分という短い時間だけ会うこともできる彼女とのひと時を、とても楽しみにするようになった。

その間、彼女は少しずつ自分について話してくれた。

彼女の名前はリリーと言うらしい。
リリーはこの辺りのそこそこ裕福な家庭に生まれた少女で、歳は16だ。
美しい赤毛の髪、双眼は薄黄緑色を呈し、桜色の唇とは対照的な桃色の頬が印象的な彼女は、色に溢れていた。

しかし、彼女は''色''を知らない。

リリーは世に言うところの「色弱」で、生まれた頃から色覚が鈍く、彼女の世界には白と黒、その間のグレーにしか見えていないらしい。

つまり、彼女からすれば色のない僕ですらも、''普通の人間''の一人であるのだ。

僕は初めて''普通の人間''になれたことに、この上ない喜びを感じた。
他の誰でもない彼女が、僕を認めてくれたことが嬉しかったのは言うまでもないが。

「ねぇリリー、リリーはとっても綺麗な色を沢山持っているんだよ」
「そう……かな?私には、自分よりもアランの方が綺麗に見える」

今まで見たことないほど純粋な瞳をした彼女は、曇り一つ見当たらないその目を僕に向けた。

「……そんなことないよ」

その眼差しに射抜かれたように顔がカッと熱くなった僕は、たまらず彼女から目を逸らす。

ーーこの気持ちはなんだろう?

生まれてから一度も体験したことのないスピードで脈打つ僕の心臓は、今にも壊れてしまいそうなほど強く僕の耳の中でバクバクと音を立てる。

「どうしたの?具合、悪い?」
きっと真っ赤になっている顔の色すら識別できない彼女は、心配げな表情で僕の顔を覗き込むと、女性らしい細くてすべすべとした右手を僕の額にくっつけた。
僕のものではない少し冷たいその手は、遠慮がちに僕の額に触れるとふにゃりとした柔らかい感触が伝わってくる。

「熱いよ。熱、ある?」
「……大丈夫」
「本当に?」
「うん」

薄々原因に気付いている僕は優しく彼女の手に自らの手を重ねると、「ありがとう」と礼を述べて彼女へ帰るように促した。


10月のパリには、早くも木枯らしが吹き始めていた。

出会ったあの日からずっと顔を出してくれてるリリーは、日々に寒さが増していくにつれて雪だるまのように着ぶくれてゆく。

どうやら彼女は極度の寒がりのようだ。

これも、僕が最近知った彼女の一面である。


そんな彼女は僕を見るなりにっこりと笑うと、両手に抱えるほどの袋を差し出した。

「アラン!これ……」
「何?」
差し出された袋は丁寧に梱包され、彼女の髪の色とよく似たリボンが大きく結ばれている。

「アランが少しでも喜んでくれたらなって」

そう言って微笑んだ彼女は、とても美しかった。

「ありがとう」
戸惑いながら受け取った袋は軽く、触った感じは柔らかい。
「ねぇ、開けてみてよ」
キラキラとした瞳で見つめる彼女は僕をそう言ってせっつくと、桃色の口角を品よく上げた。
「うん」
急かされた僕は慌てて大きなリボンの端を引っ張ると、リボンはシュルッと軽快な音を立てで解ける。

「うわぁ……、すごい」
中身を見た僕は、反射的に声を上げた。

そこに収められていたのは、雪のように真っ白な毛糸で丁寧に編み上げられたマフラーだった。

「どう?気に入ってくれた?……これ、私が作ったの!」
サプライズを見事に成功させたリリーは満足げな表情で子供のように悪戯っぽい笑みを浮かべると、今にも踊りだしそうな勢いで僕にピースサインを向ける。
彼女の言うとおり手作り感あふれるマフラーは、少し歪な形を保ちつつもふんわりとした肌触りと暖かさが心地よく、僕はそのマフラーを可憐な彼女の代わりに抱きしめた。

「うん、ありがとう。すごく素敵だよ」
「よかった!アランの首の跡が少しでも隠せたらって……色も他にあったんだけど、私に同じようにしか見えないからいっそ白にしようと思って……」

僕は首枷のおかげでできた黒っぽい跡を気にかけて悲しそうに笑った優しい彼女の頭に手を置いて、そっと撫でた。

「心配してくれてありがとう。色なんて関係ないよ、リリーが見ている色が正しいんだから」

ーー例えリリーが色を分別できなくても、僕の色は変わらないよ。

気配りができる心優しい彼女を愛おしく思いつつ、彼女の中で唯一色を変えることのない真っ白な自分を、僕は初めて誇りに思った。

「ありがとう、アラン。そう言ってくれたのは、あなたが初めてよ」

おとなしく僕に撫でられていた彼女は大きな瞳を細めると、それはそれは満足げに微笑んだ。


「おいアラン!そんなもの、どこで手に入れたんだ?」
どケチで有名な小屋主は、白いマフラーをぐるぐると巻いた僕を見るなり開口一番に尋ねた。
「貰ったんです、お客さんに」
「貰った、だと?」
「はい」
僕の返答が面白くなかったのか、小屋主は眉間に深い皺を刻んで僕をギロリと睨みつけると、「分不相応だ」と鼻で笑う。

「人間以下の家畜にも及ばないお前が、マフラーだと?それもなかなか上質なものじゃないか。そんなもの、そこら辺に住んでいる商人達ですら持ってないぞ」
「でも……」
「お前にはもったいなさすぎる。さっさと外すんだ」
「嫌です!これは僕が貰ったものですから」

冷酷な小屋主は冷たい視線のまま僕を見下ろすと、いつも持ち歩いている猛獣用の鞭を振り上げた。

「俺に逆らうのか?!」

僕は叩かれる覚悟を決めてぎゅっと目を瞑ると、ビュンッと空気を切る音を立てた鞭は僕の鼻先でピタリと止まる。

「ガッハハハハ!!叩かれると思ってビビってやがる……ッ!お前はうちの大事な商品だからなぁ、傷をつけるわけにはいかんだろ?」
「……ッ」

挑発的な物言いに怒りを覚えたものの、僕はその怒りいつものように飲み下して黙り込んだ。

「本ッ当、大金をかけてお前を買ってやったんだ、俺に逆らうなんて許さんからな。……いいか、それをくれぐれも忘れんじゃないぞ」
小屋主はぐいっと僕の顎を掴むと、小声でありながらもドスの効いた声で囁いた。

「馬鹿なことなんざ、考えないのが身のためだ」

その一言で、僕はぞわりと身の毛がよだつ思いがした。


今夜も繰り広げられるショーの直前、僕は誰にも教えずに保管している宝物が詰まった箱を開けた。
しかしその宝物は、''宝物''とは名ばかりの、他の人から見れば全く価値のないガラクタが丁寧に並べられたブリキの缶である。

僕はそれを夢中で漁った。

古びた銅色の貨幣。
肩腕がもげた小さなクマの人形。
膨らませる前の風船。
錆びた車のおもちゃのミラー。

全部、観客たちを落としていたものばかりで、リリーにあげたとしても喜んでくれるものなんて見当たりやしない。

ーーその中の、たった一つを除いては。

ブリキの缶の奥の奥、小さな布袋の中に大事にしまっておいたソレを取り出した僕は、周りに誰もいないことを確認してから急いでポケットにしまい込んだ。
こんな綺麗なものを他の連中に、ましてや小屋主に見つかろうものなら、たちまちに取り上げられて彼女に渡すことなんてできないだろう。

「アラン、出番だ!!」
突然聞こえてきた大声に肩をビクつかせた僕は急いで宝箱のふたを閉めると、「今行く!」と返事をした。


いつものようにストリッパーよろしく披露した真っ白な体は、大きな拍手と歓声に包まれた。

しかし、今の僕は最早そんなことなどどうでもよかった。

急いで脱いだ服を身に纏った僕は勢いよく外へ飛び出すと、彼女が待つあの場所へと向かう。

ーーその途中に、何度もポケットに隠したソレがあることを確認しながら。


「リリー!」
だが、お目当ての彼女はいなかった。
いつもならとっくの昔にやってきている時間であるのに、影も形もないなんて。

僕は彼女を待ち続けた。
ショーが終わる最後の最後まで。

しかし、彼女はとうとう姿を現すことはなかった。
翌日も、そのまた翌日も。

無力な僕は愕然とした。
なぜこんなにも彼女のいない日々は長く感じるのだろう。
毎日が今までにないほどのろのろとしたスピードで過ぎてゆくという事は、待つことしかできない僕をひどく苦しめた。

「私は、あなたは普通の人だと思います。だって、こんなにも美しいのだから」
「ありがとう、アラン。そう言ってくれたのは、あなたが初めてよ」
「私には自分よりもアランの方がきれいに見える」

時が過ぎれば過ぎるほど、思い出すのはいつも笑っていた彼女の顔だった。

ーーねぇリリー。
今、君は、何を見ているの?

僕は彼女がくれたマフラーを抱きしめて顔を埋めると、深く息を吸い込んだ。


ーーその頃、巷ではどこからともなく風の噂が流れていた。
何でも、ブルジョワ階級の娘、リリー・シュナイザーが、自ら志願してノートルダムの扉を叩いては修道女として生きることを選んだらしい、とーー。


ある日、彼女は突然現れた。
毎日やってこないと知りながら足を運ばずにはいられない僕は、聖夜も近づいてきた今日も彼女のいないあの場所に赴く。

「アラン!」

何時からか舞い出した白い雪達に紛れて、彼女の声が聞こえた気がした。

「リリー?」

僕は半信半疑でゆっくり振り返ると、そこには深い紺色の礼服に身を包んだ彼女が立っていた。
「ごめんなさい、アラン。あなたに何も言わずに来なくなってしまって」
「僕のことは気にしないで。……また会えて嬉しいよ」
申し訳なさそうに頭を下げた少しやつれたような彼女の肩を、僕は優しく抱き寄せた。
細くて弱々しい彼女の体は冷え切っており、僕はリリーが凍えてしまわないようにと必死に体を抱きしめる。

「本当にアランは暖かいのね」

そう言って笑った彼女は僕の顔を見上げると、静かに薄紅色の唇を重ねた。

「?!」
「私ね、本当はシスターになんてなりたくなかったの。でも、両親は私のことを厄介者としてしか思ってないし、世間体としても聞こえがいいからノートルダムへ私を連れて行ったの。……ずっと、ずっとアランに会いたかった!」

一瞬交わった二人の体温に驚いた僕は、頭の中まで真っ白だった。

ーーこれは罪だ。
普通の人と、しかも修道女である彼女と愛し合っているなんて。

「ありがとう。でも、リリー、……これ以上、僕らは一緒にいてはいけないんだ、きっと」
「そんなの関係ないわ!……2人で逃げましょう、全てを捨てて。私もアランも、この世界に居場所なんてないでしょう?」
「君にはあるさ。……僕は君を罪人になんて出来ない」
僕は力なく呟いた。

ーーどうかこの世界に神とやらがいるのなら、この無垢で純真な彼女を裁かないでください。
それがたとえ罪だというのなら、全て僕に与えてください。

彼女は悪くないんだ。
悪いのは、全てこの歪んだ世界なんだーー。

「アラン……ねぇ、知ってた?色のないこの世界を色付けたのは、あなたなんだよ。退屈で、意味すらも分からない毎日を鮮やかに彩ってくれたのは、アランなの」

リリーは僕を見つめた。
大きな宝石のように美しい瞳は潤み、次第にダイヤモンドのような雫が溢れる。

ーー笑ってよ、いつものように。
僕の輝かしい女神。
泣かないでよリリー。
どうか、永遠に輝いて。

「僕も……。リリー、生まれ変わったら、今度は一緒になろう」
「うん。……でも、わかるかな?」
「きっとわかるよ」

僕は涙目で伺う彼女の左手を取ると、ずっと渡そうと思ってポケットにしまっていたソレを取り出した。
「これは?」
僕が取り出したのは、金色の細い指輪だった。

もうかれこれ10年近く経つ遠い昔、見世物小屋にやってきた美しい御婦人からもらったものだ。

ショーが終わってから客席を片付けていた時、まだ幼かった僕を哀れに思ったのか、彼女は自らがつけていた金色の指輪をくれたのだ。

ーー『あなたの人生に、幸の多からんこと』

そんな一言を残して。

それからずっと大事にしまっておいた宝物を、僕はリリーの細い薬指に通すと、彼女の顔を見た。

「昔、お客さんにもらったんだ。『あなたの人生に、幸の多からんことを』ってね。……リリー、僕はこのリングと同じ瞳の色をしていて、肌は今舞っっている雪と同じ、唇はリリーと同じ色。覚えた?」
「覚えたよ、ちゃんと。絶対忘れない」

そして僕らは、再び唇を重ねた。
慣れないキスは双方ともにたどたどしかった。

「ねぇアラン、私、この温度も忘れない」

彼女は笑った。

「僕も」

それ以上は何も言わなかった。

もうこれ以上、交わす言葉など、いらなかった。


雪は少しずつ強くなってきた。
僕は遠くなる彼女の後姿が見えなくなるまで見送ると、急いで元来た見世物小屋へと走る。

ーーそう、これでいいんだ。

意気地なしの僕は、無理矢理そう自分に言い聞かせて涙を拭った。


ーー「彼女との出会いは偶然だった」。

いや、必然だったんだ。
僕らは、出会うべくして出会ったのだ。

まだ唇に残る柔らかい感触を思い出しながら、僕は自らの唇を指でなぞる。
暗くて寒い僕の檻は、隙間から入ってくる風の音がシューシューと息巻いていた。

僕は耳を塞ぐ。
風の音すらも気にならなくなった僕の世界には、心臓がゆっくりと動く音だけが鳴り響く。
僕は目を瞑る。
瞼の裏に、リリーの笑顔だけが焼き付いていた。

ーー本当に、これで良かったのだろうか? 
これが、正解だったのだろうか?

「もし」という言葉が許されて、僕と彼女が遠い世界まで逃げ出していたらーー。

もちろん、本来ならば彼女は彼女に与えられた運命を、僕は僕に与えられた生き方をするのなら多少のことは有ったとしても、大きく何かが変わるわけではないのだろうけども。

その「運命」とやらに抗ってまで、彼女とどこまでも歩めるのなら。

ーー僕の本当の気持ちはーー。

僕は目を開けた。

もう怖がるのは、やめよう。
自由を押さえつけては、僕を縛り付けるすべてに怖がるのは。
もう逃げるのは、やめよう。
自分の思いを押し殺して、正直な気持ちから逃げるのは。
もう取り繕うことは、やめよう。
人の顔色を伺っては、自分に嘘をついて取り繕うのは。
もう目を逸らすことは、やめよう。
諦めたふりをして、自分の臆病さから目を逸らすのは。

ーー今からでも、遅くないよな。

僕は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと肺に溜めた空気を吐き出した。

自分の弱さも。
自分の意思も。
自分の境遇も。
自分の生き方も。

すべてを受け入れよう。

ーーそして、進もう。

僕は逃げるんじゃないんだ。
正々堂々と、ここから出て彼女を迎えに行くんだ。

今度は僕が、勇気を出す番なんだ。

静かに覚悟を決めた僕は首の鎖を忌々しく引っ張ると、氷のように硬くて冷たい寝床に寝転がった。

明日の朝、小屋主に直談判する。

例えなんと言われようと、どうなろうと、僕は彼女の元へと進むんだ。

ーー「馬鹿なことなんざ、考えないのが身のためだ」

耳に染み付いた小屋主の重々しい言葉にいささかの恐怖を抱きながら、僕は強く目を瞑った。


そして、翌朝が訪れた。
天気は僕の心境を表すかのような吹雪で、ろくに前が見えないほどの真っ白だった。

「で、話とは何だ?」
小屋主の部屋には暖炉があり、その暖炉の左側で入り口に向かって正面に置いてある大きな机は金や銀のど派手な装飾が施され、その机一つとっても小屋主の趣味の悪さが窺える。
その机とお揃いの、これまた趣味の悪い椅子にふんぞり返るように座った小屋主は、威圧的な眼差しで僕を見据えた。
僕はリリーからもらったマフラーをお守りのようにきつく巻き直すと、暖かい暖炉の熱気に微睡みたい気持ちを抑えつつ、空気が凍りそうなぐらい冷たい声の小屋主を窺った。

「……ここから出たいです」

なんと切り出せばいいのか分からず、僕は精一杯の思いの丈を彼にぶつけた。
パチパチと音を立てる暖炉の薪が一際大きくバチッと鳴ると、小屋主は「そうか」と一言答えて立ち上がる。
昨日僕が割った薪は暖炉の隣に積み上げられており、彼はその薪に手を伸ばすとつかつかと僕に歩み寄った。

ゴンッ……!
一瞬、何が起こったのか分からなかった。

情けなく吹っ飛ばされた僕は、恨めしくさっきまで自分のいた場所を見つめると、鬼のような形相の小屋主は怒り心頭といった様子で床に倒れている僕を蹴り上げる。
「ぐは……ッ!」
ものの見事に鳩尾入った小屋主のブーツのつま先に押し出されるように声が漏れると、息が止まるような感覚に咳き込んだ。

「前に教えてやったろ?なんで俺がお前に手をあげないのかって」
まるで蟻を踏み潰すように気持ちの籠もっていない声で語る彼は、さも当たり前のように薪を振り下ろす。
木特有のゴツゴツとした表面と、断面から不規則に飛び出している繊維が無慈悲にも僕の体を痛めつけた。
しかし、それに飽き足らず小屋主はいつも持ち歩いている鞭を何度も打ち付ける。
「……ッ!」
僕は声にもならない声をあげては、なされるがままに床に這いつくばった。

「なぁ、アラン。お前は、うちの、大事な、商品だって、言ったよな?」
力なく横たわる僕の前髪を鷲掴みにして顔を起こさせた小屋主は、子供を諭すように言葉を噛み砕いて笑うと、白いマフラーを取り上げて火の粉が舞う暖炉にくべた。

「商品じゃないお前に、一体何の価値があるんだ?」

僕は、遅がけながら悟った。
今まで一度も手を出されなかったから、僕は彼の非道さをどこかで疑っていた。
本当は、心のどこかで甘えていたのかもしれない。

ーーでも、違った。

彼は、いや、世界は、そんな甘いものじゃない。
箱庭で生きてきた僕は、現実の厳しさを見くびっていたんだ。

凶暴な火に消された彼女のマフラーは、瞬く間に赤い炎が飲み込んでしまった。
皮肉な話、僕の真っ白い体は、体の至る所から溢れ出した血の赤と、青とも赤とも取れない痣に染め上げられている。
まるで、まっさらな紙に絵の具を落としたような、そんな色。

ーーこれはきっと、神の定めに逆らった僕の罰なんだ。

僕は心の中で笑った。

ーー僕の命で、二人分の罪は償えるのでしょうか?
僕の世界に色をくれた彼女の分も、背負えたのでしょうか?

薄れゆく意識の中、遠くでノートルダムに吊るされた、あの大きな大きな鐘の音が聞こえたような気がした。

ーーごめんね、リリー。

彼女に伝えたかった本当の言葉は、きっと届かないのだろうけども。

「あーぁ、もう使いもんになんねーな。……そうだなぁ、せめてライオンの一日分の餌にでもするか」

呆れた声でそう呟いた彼の言葉を最後に、僕の記憶は呆気なく途絶えた。



※※※

ねぇ聞いた、あの骨のこと。
えっ、知らないって?
今日は一年に一度の聖夜で、もう今年も暮れるってのに、本当にひどい話だよね。
何でも、近くのあの見世物小屋の坊っちゃんが、ライオンに餌を与えようとして食べられちまったんだって。
そうそう、あの真っ白な子だよ。
それも恐ろしいことに骨までしゃぶったらしくてさ、もう焼かなくても、埋めなくても、まっさらの白骨だったんだってね。
その小屋の旦那が「身寄りもないから」ってこのノートルダムに持ってきたらしいのよ。

でもね、それだけじゃないの!
驚いたのは、その後のことなのよ。

神聖な降誕祭を終えて、骨になった少年の名と共に祈りを捧げようとした途端、一人の見習いシスターが崩れるように泣き出したの!

こんなことってある?!

確かその子は黄緑色の目をしていて、なかなか整った顔立ちの子だったわねぇ。
さらに驚いたのは、その子、金の細い指輪をしていたのよ?!
ほら、シスターって"貞潔"じゃなきゃいけないでしょ?
本当、最近の若い子は躾がなっちゃいないんだから……。



ーーそんな噂話が駆け巡ったのも、何十年前の話。

あれから長い長い月日を経た今、私はパリで一番有名なこのノートルダムの司祭になった。

皺々の手を固く結んで、私は今日も彼を思い浮かべる。

ーー「リリー、生まれ変わったら、今度は一緒になろう」。

この約束は、まだ有効かしら?

私は静かにポケットをまさぐって、あの日アランが「自分の瞳の色」だと教えてくれたリングを取り出すと、彼がつけてくれた指にゆっくりと通す。

ーーあぁ私に許された歳月で、二人分の罪は償えるのでしょうか?
私に色を教えてくれた彼の分も、背負えるのでしょうか?

いつまでも乾いてくれない涙を拭った私は、静謐な空気に包まれた悲しい世界で、薬指にぴたりとはまった指輪に口づけをした。



            ーfinー

Colorful・monochrome

執筆の狙い

作者 ガヤ・マエデール
SSJfx-07p8-22.ppp11.odn.ad.jp

少し長めですが、読んで頂けたら幸いです。

この作品で、何か読者様の心に残せるものが有りましたら。

コメント

水素カフェ
108.21.232.153.ap.dti.ne.jp

拝読させて頂きました。
感想を書くのは不慣れですので、まとまりのないコメントになってしまうかもしれませんが、感じたままに書かせて頂きます。

一切無駄な寄り道をしないストーリー展開で、とても読みやすかったです。
最後まで一気に読み進めることができました。
澄んだ冬の冷たさが伝わってくるような、厳しくも清冽な世界が印象的でした。

主人公がアルビノで、ヒロインのリリーが色弱である、という設定はまさしく小説だからこそできる、あまりにもできすぎた設定に感じました。ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思う反面、いっそ作者様の趣味がありのままに出ていて清々しいくらいだ、とも思い直しました。

主人公は、ずっと見世物小屋から出たことがない、とのことですが、そのわりには高貴な家の娘であろうリリーとの間に対等な会話が成立していることに違和感がありました。
おそらく両者にはかなりの教養レベルの差があってしかるべきであり、それを描くか、今回のように全く描かないのであれば、主人公がどのレベルの教養を持っているのか、納得できる説明が欲しかったです。

主人公の死は痛ましく、ひたすら哀しいものでした。この世界の非情さや、哀感を主題とするならこれも正解かもしれませんが、私は主人公がこの逆境をどうはね返していくのか期待して読んでいたので一読者として、裏切られたな、と感じたのが正直なところです。二人が生まれ変わってからの展開へと最後の期待も残しましたが、それもエピローグでは描かれませんでした。
読み終えて心に残ったのは、リリーの胸の中に残った想い出の美しさです。これだけは否定することができません。この作品の最も素晴らしいところだと思います。

まとめになりますが、文章は流れるように読みやすく、また読み手の感情を揺さぶる描写に長けていると思います。テンポもよく、冗長なところはほとんど感じられません。登場人物も必要最低限に抑えられていて、人物設定に無駄がないと思います。ただ、その一方で、あまりに無駄を削ぎすぎて、全てのキャラクターが一面的にしか描かれていない嫌いはあるように思います。リリーのようにひたすら心の美しい人が実在するでしょうか。見世物小屋の主人のように、絵に描いたような悪党が実在するでしょうか。小さなアクセントでもいいので、キャラ設定から少しはみ出るような人間らしい泥臭さが垣間見れたら、もっと本物の人間のように見えて親しみが持てたような気がします。そのうえで、主人公とリリーが最後にたとえほんの小さな希望でもいいので、この世界に光を見出せるような結末を描いて欲しかったです。

終わりに…。
コメント主は、作者であられますガヤ・マエデール様より遥かに未熟者であるにも関わらず、調子に乗って書きたい放題に偉そうなことを書きつけてしまい、大変恐縮しております。
こういった鍛錬場でのコメントということで、どうかご容赦下さいませ。
私もこの感想コメントを書くことで、大変勉強させて頂き、作者様に感謝致しております。
今後のご活躍を期待しております。

ガヤ・マエデール
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水素カフェ様、コメントありがとうございます!

学歴差!
確かにこれは盲点でした!

貴重なご意見、嬉しく思います。

わいの駄作にわかりやすいご指摘と、心温まる感想をありがとうございました^ ^
これからの作品作りに生かしていきたいと思います!

重ね重ね、本当にありがとうございました!

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