作家でごはん!鍛練場
あでゅー

20191204-少女と出会った夏 156枚

(一)

 二〇〇〇年代、六月中旬。梅雨の曇り空の午後に、僕は地図も持たず、田舎道で背の低いワゴン車を走らせていた。清水足柄市のどこかだと思うが、今となっては定かではない。決して、金太郎の生地などというにぎやかなところではなく、寂しい場所だったので、たぶんどこかの峠道だと思う。
 知らない街へ就職して三年目。ついに、車を買った。中古で、それなりの性能だったが、はじめて自分の働いたお金で買ったので、うれしかった。ひまさえあれば、あちこちの道を探検していた。
 そのワゴン車に乗って、清水足柄市の峠道を走っていると、突然自転車に乗った少女が目に入った。あわててハンドルを切るが、驚いた少女の自転車は倒れてしまう。僕は車を止めて、駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
 少女は、怒った顔で僕をにらむ。ひざ丈の長いセーラー服を着て、田舎臭い身なりをしているが、百五十センチほどの華奢な身体に、長い髪をたらした美しい顔が座っている。僕は、見とれてしまった。
 彼女は、その美しい顔で、怒ったように言った。
「大丈夫そうに見える?」
「……いいえ。すいません」
「手を、かして」
「はい」
 威圧的な態度に一瞬ひるむが、少女に手をかして助け起こす。
 少女は、スカートのホコリを手ではらっていたが、突然、イタと声をあげた。急いで、スカートをめくってひざ頭を見ると、わずかに血がにじんでいる。
「あーあ……。キズバンは、持ってる?」
「持ってません」
「それじゃ、この道を五キロくらい行くと、雑貨屋があるから、そこで買って」
 少女は、そう言って、さも当然のように助手席に乗り込んだ。僕は、あわてて後部座席を折りたたみ、自転車をのせて運転席に座った。
 車の中はクーラーが効いていて、肌寒いほど涼しい。その風に乗って、少女の甘い香りがして、頭がくらくらする。僕は、自転車を気にしながら、ゆっくりと車を出した。
「いい車ね。幾らくらいするの?」
「中古で、百万くらいです」
「そんなにするの。ところで、あなたはなぜ敬語なの?」
「いや、加害者と被害者の関係だから」
「オーバーだよ。普通に話して」
「わかりました。あ」
 少女は、このときはじめて、声を上げて笑った。子供らしく、アハハハと。
「ところで、あなたは一流企業の人?」
「一流じゃないけど、一応大学出て、研究で就職したから」
「へー、そうなんだ。それで、仕事は楽しい?」
「うーん、難しいな。楽しいか、楽しくないの二択だとしたら、楽しくないのかな?」
「好きな職業に就職したのに、楽しくないの?」
「研究だってピンキリだよ。僕の仕事は、その最低の部類だね」
「難しいのね、好きな仕事につくのって」
「偏差値が、あと十ほどよくて、勤勉ならね」
「それって、七十くらい」
「そうだね。その上、高い倍率を突破しなきゃいけなんだけどね」
「大変なんだね」
「ねえ、あの店でいいの?」
「うん。駐車場は、向こうにあるから」
 商店街の駐車場に車を止めた。少女について雑貨屋に入ると、僕はカゴを持って、消毒液とガーゼ、それとキズバンを入れてレジに立った。レジのおばさんは、バーコードを読み取ると、コンドームはいらないかいと笑いながら言ったが、ふたりして苦笑いで断った。あきらかに、僕たちを冷かしている。気まずくて、ふたりして無言で店を出た。
 車まで来ると、僕は少女にたずねた。
「手当は、車の中でする?」
「うん」
 彼女は助手席に座ると、スカートをめくった。太ももの白い肌が、あらわになる。僕は、あわてて目をそらした。
「ねえ、なにやってるの? 早く手当てをして」
「え? 僕がやるの?」
「だって、自分ですると、怖いじゃない?」
「わかりました。失礼します」
 消毒液をひざにたらすと、一瞬ビクッとしたが、そのあとは傷口をふいても、我慢していた。最後に、キズバンをはって処置は終了した。ケガをさせたおわびに、ついでに買ってきたソフトクリームをあげると、美味しそうになめた。その横顔は、まだ大人になり入れていない少女だった。
 僕は、みずきがシートベルトをするのを確認すると、商店街の駐車場から、車をゆっくりと出した。
「ねえ、お兄さん。名前、なんて言うの?」
「大崎太一だけど」
「太一さんか。わたしは、坂木みずき。よろしくね?」
 なにが、よろしくなのかわからないが、僕もよろしくね、みずきちゃんと言った。
「みずきちゃんの家は、どこかな? 送って行くよ?」
「それは、やめた方がいいと思うよ。知らない男の車に乗ったなんて知ったら、お父さまに殺されちゃうから」
 冗談交じりではなく、真剣に言った。僕は、寒気がした。万が一、僕が少女に悪さをしたら、きっと追い詰められて痛い目に合うだろう。そう思わせるのは十分だった。
「バス停までで、いいから」
「わかった」
「ところで、わたしに勉強教えてくれないかなあ?」
 不意に言われたので、とまどった。みずきの顔を見ると、真剣だった。
「それって、もしかして、ただで?」
「そう。だめ?」
 みずきは、おずおずと遠慮深げに、そう言った。
 僕が、怪我をさせた手前、断りづらい。そして、僕がみずきに対して悪さをしないということは、みずきがさっき言った『お父さまに殺されちゃう』の言葉が抑止力になっている。
 この子は、思った以上に頭がいいのだ。
「それで、みずきちゃんは何年生なの?」
「高校二年生」
「それじゃ、余裕で大学入試に間に合うね」
「それって、オーケーってこと?」
「うん」
「ありがとう、大崎先生」
 そう言って、みずきはほほ笑んだ。ああ、この笑顔に弱いだなと、僕は自覚した。
 平日の昼間に、こんなところを車で流しているなんて、よほど暇人に見えたのか――実のところ、久々の代休だったのだが――僕はみずきの家庭教師を引き受けた。
「ところで、携帯は?」
「お父さまが、持たせてくれません」
「そうなんだ。じゃ、どこかで待ち合わせないと」
「それじゃ、家の近くのバス停で」
「バス停だと、人に見られるじゃないの?」
「本数が少ないし、めったに、人は利用しませんから」
「了解。それで図書館が、午前九時から午後七時だけど?」
「それじゃ、バス停に午前九時から午後六時まで、おねがいします」
「オーケー」
 彼女の家の近くの神奈中のバス停に、みずきと自転車を降ろすと、僕は足柄山を下って帰って行った。


(二)

 その週の、六月中旬の土曜日、午前九時。いまにも降りそうな暗い雲が空一面にただよっている。僕が、みずきを彼女の家の近くのバスの停留場にひろいに行くと、長そでのワンピースを着て、カーキ色のカバンを背負って待っていた。その姿は、この世の者とは思えぬほど、きれいだった。
「おはよう。待った?」
「九時十分前に着いたから、十分待ったわ。時間通りね」
 みずきは、そう言いながら助手席にまわると、ドアを開いて乗り込んだ。
「シートベルトは?」
「はい」
 みずきが、シートベルトをするのを確認すると、僕は車を出して、峠を下って行った。
「ところで、家の人になんて言って来たの?」
「近所の友達んちで、一日中勉強してくるって」
「そうなんだ。でも、家に人は、友達の家にお礼を言ってくるんじゃんない?」
「大丈夫。仲悪くて、めったに口をきかないから」
 峠を下ると、みずきはそう言って、細い道に立ち並ぶ街並みを見つめていた。古い建物ばかりが、せめぎ合って建っている。みな一様に、色合いが暗いのだ。僕の車は、その細い道をとおって、国道二四六号に乗った。
「二四六も、結構せまいところがあるんだね?」
 みずきは、昔の街道をそのまま国道にしたような箇所を総じてそう言った。この辺は、反対派が頑固で、買収に失敗したのだろう。
 僕は、おどけて言った。
「みずき殿。そうでござるよ。拙者、この界隈の家の者を、なんど説得したかわからんでござるよ。されど、きゃつら頑として動かなかったでござる。しかたなく、このようなしみったれた国道が、できてしまったのござそうろう」
「よく、わかったでござる」
 バカな掛け合い漫才をしている間に、目的地に近づいて来た。僕が、左にハンドルを切るとほどなくして、巨大な建物が見えて来た。
「わあー。大きいね」
「図書館は、その奥だよ。その大きな建物は、文化会館」
「へー、あれか。文化会館よりも小さいけど、なんか現代的な造りだね?」
 みずきは、フロントガラスから図書館を眺めると、つぶやいた。
「誰の設計か知らないけどね。さあ、中に入ったら、小さい声で話してね。それと、僕のことは、お兄さんと呼んでね」
 僕は、そう言って百台は収容できる駐車場に車を止めると、みずきとともに車を降りて歩いた。
 そして、図書館前まで来ると、その横にあるロッカーを指さして言った、
「カバンから勉強道具を出して、このロッカーにカバンを入れて」
「ずいぶん、めんどう臭いんだね?」
「書物の盗難防止だよ」
 百円玉を入れてカギをかけると、ふたりで勉強道具をかかえて図書館の扉を開けた。中に入ると、二階まで吹き抜けていて、外から見たよりも広く見える。館内は、本棚群がいくつも重なり、その間を歩いてゆくと、五人は座れる大きなテーブルが五つほどと、外壁に向いてひとりがけの机が二十ほどある。みずきを、その中のひとりがけの机に座らせて、僕は立って話した。
「ここなら、気が散らないでしょ?」
「うん。でも、人の顔が見えないから、寂しいね」
「みずきちゃんは、なにをしに来たのかな?」
「勉強?」
「わかればいいんだ。さて、勉強のしかただけど、全教科共通なのは、まず教科書を読んで練習問題をやる。それも、一冊が終わるまでできるだけつづけてね。そうすれば、記憶がつながるし、頭がその教科に適応する。一冊が終わったら、違う科目を同様にやる。全教科を三回やったら応用問題に入るけど、難しいから答えを見て書いて覚える。これは、僕が買ってくるからね」
「大変なんだね?」
「教科書なんて薄いから、やっていくと早く終わるようになるよ。教科ごとのコツは、そのつど、教えるから」
 僕は、そう言うと、勉強のしかたをまとめたプリントをみずきに差し出した。
「すごいね。まるで、先生みたい」
「先生は、勝手に教科書やれなんて、言わないけどね。それじゃ、まずやってみて」
「はい」
 まず、一年の数学の教科書を読んで、練習問題を解いてもらった。なんと左ききで、書いた文字が読みづらそうに思えた。しかし、本人は気にしてないようだった。十分ほどで、なんなく解けたのを確認すると、僕はみずきに言った。
「この調子で、教科書を終わらせて」
「はい」
「それじゃあ、英単語帳と、英会話のDVDと、科目ごとの応用問題集を、買ってくる。あ、三年の教科書も買ってこないとね。それじゃ」
 僕はそう言って、水分補給用に百円玉を十枚あずけると、車をとばし本屋に走った。必要なものをかごに入れたついでに、歴史の年表と豆本を押し込んだ。レジに行くと、相当な金額になってしまった。しかし、へんな所へ遊びに行くよりも、有効な使い道だと思うと、おしくはない。助手席に買った物を置くと、車を出した。
 図書館に戻ると、みずきは頭に手を当てて問題を解いていた。顔を見ると、少し赤らんでいるように見える。
「みずきちゃん、ちょっといい」
 みずきの額に手を当てると、少し熱っぽいように感じた。
「忘れていた。ちえ熱が出るんだった」
「ちえ熱?」
「若者が、急に頭を使ったら、慣れていない回路が使われて、発熱するんだ。僕も、かかったよ」
「道理で頭、痛いと思った」
「勉強は中断して、近くの店で、ごはん食べようか。僕は、カゼ薬買ってくるから」
 僕は、みずきの勉強道具をロッカーに入れると、彼女を車に乗せて国道沿いのファミレスへ向かった。この図書館は、不便な所にあると思った。歩いて行ける本屋も、スーパーも、ファミレスも、薬屋もない。あるのは、弁当屋と、飲み物の自動販売機だけだと。それでも、ドクターペッパーが置いてあるのが、うれしいが。
 ファミレスに着くと、みずきを降ろして、近くの薬屋へ自分の足で走った。ひさしぶりに、走ったので息が苦しい。ゼーゼー言いながら、カゼ薬を買っ来ると、涼しい冷房の下で、みずきはまだ食べていた。
「お兄さんの分。勝手に、注文しちゃった。カツ丼は好きだよね?」
 みずきは、カツ丼をほおばって、僕に言った。
「うん。大好きだよ」
「私も、大好き。あれ? 愛の告白みたい」
 みずきは、そう言って無邪気にほほ笑むと、カツ丼を食べつくした。
「はー、満足。ごちそうさま」
「いい食べっぷりだ」
 みずきは、ウフフと笑うと、カゼ薬を三粒飲んで、注意深く熱さまシートを自分のひたいにはった。
「ああ、ひんやりする」
 僕は、さっきのみずきの言葉を反すうして、カツ丼に舌鼓を打った。いつにもまして、美味いと感じた。
 食べ終わって、僕はレシートを持って席を立つと、みずきも席を立った。だが、なにかにつまずいて、倒れそうになる。僕は、みずきの腕をつかんでささえた。きゃしゃな腕だった。
「おっと、足元がふらついてるね。大丈夫?」
「なんとか」
 僕の肩につかまり外に出ると、とたんに汗が吹き出る。これじゃ、体調をくずしたら、なかなか治らないよなと思った。
 再び図書館に戻ると、少し休憩をとって様子を見ることにした。みずきは、イスに座って仰向けになってうたた寝をしている。長い髪が床に向かって、きれいな直線を作っている。誰もいなかったら、触れてしまうだろう。絵画集を広げて気を紛らわした。
 図書館の柱時計の針が午後三時をさすころ、みずきはようやく目を覚ました。思いっきり伸びをして、目をこする。まるで、猫が毛づくろいするように。
「おはよう、太一お兄さん」
「よく眠っていたね」
「ゆうべは、遅くまで小説を読んでいたから」
「そう。でも、睡眠不足で勉強しても、頭に入らないから気をつけて」
「うそよ。本当は、へんな所へ連れて行かれないか心配で、眠れなかったの」
 みずきのいたずらっぽい表情に、一瞬ドキリとする。これくらいの年頃だったら、そういう恐れを感じることはあるだろう。やはり、こういうことはしない方がいいのではと、思った。
 しかし、みずきの何者かになりたいという思いが、その恐れを凌駕したのであろう。彼女の気がすむまで、付き合うことにした。
「きょうは、もうやめして、ふとんで寝た方がいい」
 こう言うと、みずきは悲しそうな顔をする。もしかして、家にいたくない、わけがあるのかもしれない。しかたなく、図書館で勉強を続けさせた。
 午後六時に図書館が閉館するまで、みずきは勉強をつづけた。そして、クマができている目で、満足そうにわらった。
「きょうは、おりこうになった気がする。これを続けたら、きっとなんにでもなれるんだね?」
「そうだといいね。それよりも、必ず理解できるって思って勉強すると、能率が上がるよ」
「本当? それじゃ、今度からそうする」
 帰りの車の中で、無防備でみずきは眠ってしまった。僕は、みずきを彼女の家の近くの神奈中のバス停で降ろすと、テールランプを三度点滅させて『マタネ』とサインをして、帰路についた。


(三)

 翌日の、六月中旬の日曜日。この日は、前日と打って変わって、太陽が強く降りそそぎ、とても暑く感じた。みずきは、麦わら帽子に、半そでのピンクのワンピース姿で現れた。麦わら帽子が、いやおうなしに夏の到来を告げる。
「どうしたの?」
「いや、夏だなと思って」
 みずきは、シートベルトをしめて、不思議そうに僕を見つめる。僕は、なんでもなさそうにゆっくりと車を出した。
 みずきは無邪気にラジオのスイッチを入れて、FMの放送局のボタンを押した。雑音交じりにコルトレーンの枯れたサックスが流れる。みずきの身体は、それに合わせてゆれた。
「体調は、よくなった?」
「うん。たっぷり寝てから。それよりも、これ、なんて言う曲?」
「ジョン・コルトレーンのマイ・フェイバリット・シングス。もう、三十年も前の曲だよ」
「ふーん、いいな。こんなに格好よく楽器できるなんて。太一兄さんは、なにかできるの?」
「いや。聴くの専門だよ」
 本当は、いろいろ楽器をやったのだが、下手なのでうそをついた。コルトレーンは、サックスを弾いていて、気持ちいだろうが、僕はどんな楽器を弾いても気持ちよかったことなど、一度としてなかった。むしろ苦しかった。それでも、いい演奏を聞きわける耳を少なからず持っていることは、唯一の救いだ。
「あー、私もなにかひとつ、誰にも負けないくらい楽器ができたらいいのに」
「それ、僕も思うよ。なにかきっかけがあって楽器を弾いて、それが他人に聴かせるくらいの腕で、それがレコード会社の人の目にとまらないにしても、食える程度の楽器の先生になれたら幸せだよね」
「他人に聴かせるくらいの腕になるのは、簡単じゃないって言いたいんでしょ?。わかってるって。だから、勉強しようと思ったんでしょ。まったく、いじわるなんだからー」
「わるかったね。ところで、サックス興味あるの?」
「え? まさか吹けるの?」
「いや、僕は吹けないけど」
「そうか。残念」
 ラジオは、コルトレーンを二曲流した。僕たちは、この会話以降、だまって耳を傾けた。図書館までの距離は、短く感じた。
 大きな駐車場に車を止めると、図書館までの短い距離を歩いた。
「ねえ、あのポスター。太一兄さんに似ているね?」
 みずきは、文化会館の前にある掲示板を指さし、言った。
「そうか?」
 僕は、関心なさそうに、そう言った。サングラスをかけた四人の男を、下からあおっているポスター。そこには、JCカルテットが九月の第一土曜日に大磯のクラブで、千円でコンサートをやると書いてある。
「もしかして、JCって、ジョン・コルトレーンのイニシャル?」
「そうだね。素人が、コルトレーンのまね事をするんだろう」
「ふーん、下手そうだね?」
 僕は、その問いには答えずに、ほほ笑んで図書館に入って行った。机は、昨日使った物が空いていた。みずきは、その席に座ると、勉強道具を広げて、首や手足のストレッチをはじめた。
「お、いいね」
 僕がそう言うと、みずきは笑みをうかべ、「そうでしょう?」と言った。
「きょうは、なにをするの?」
「昨日の続き。一年の数学を、今日中に終わらせるから」
「それが終わったら?」
「二年と三年の数学を平日もやる。みっちりと」
「いいね。半端な時間は、どうする?」
「半端な時間は、英単語を覚える。文法は数学が終わったらはじめる。英会話はそれが終わってからする」
「数学を終わったら、英語、そして化学と物理だね。うん。それで、いいんじゃない」
「ところで、いくら考えてもわからない時は?」
「人に聞く。もちろん、僕も含めてね。わからないのに、ほっとくのはよくなくから。ほかに、質問がなかったら、はじめて」
「はい。お兄さん」
 みずきは、そう言うと、勉強をはじめた。僕は、みずきが勉強している間、小説を読んで時間を潰すことにした。
 小説を物色すると、新しい物は少なくて、読みたい本は、なかった。しかたなく、きのうとは違う絵画集を探すと、最近、テレビ番組で取り上げられたヨハネス・フェルメールの絵を見つける。やわらかいタッチで女性が描かれており、とくに真珠の耳飾りの少女は、四百年も前に描かれた作品なのに、今にも動き出しそうに、みずみずしい。みずきに少し似ていると思った。
「あれ? 大崎さん」
 一年年上の事務、清水弥生が、小さい子供の手を引いて、近づいてくる。僕は、悪いことでもしているように、あわてて絵画集を閉じた。
「こんにちは、清水さん」
「暑いから、ここで遊ばせにきたんだ。でも、珍しいですね。大崎さんが図書館で調べ物なんて?」
「いや、親戚に子供の勉強見てくれって頼まれたんだ」
 みずきは、急に自分に話題をふられて、あわてて頭を下げる。その拍子に、かわいい消しゴムが、机の上から転げ落ちた。それを、清水弥生が、ひろいあげて、みずきの手に渡した。清水弥生の大きな胸が、ゆれる。
「ありがとうございます。みずきです」
「いいえ、こちらこそごめんなさいね、みずきちゃん。ねえ、大崎さん。ずいぶん、きれいな子ね。もしかして、不純異性交遊?」
 清水さんは、いたずらっぽく僕を、にらむ。
「まさか。こんな不純異性交遊があるかい」
「そうよね。どう見ても、勉強しているよね」
「そんなことよりも、清水さん、子供いたんだ。ショックだな」
 そう言って、僕はアハハと笑った。
「ちがうー。お姉ちゃんの子供だよ」
「へー。かわいいから、てっきり清水さんの子供だと思った」
「またー、口がうまいんだから。それじゃ、あんまり話していたら、いけないから、行くね」
「それじゃ」
 清水弥生は、上機嫌に絵本が置いてあるコーナーに向かった。僕の、緊張はつづくことは、目に見えている。昼食をおごって、懐柔することにした。
「ねえ、みずきちゃん。少し早いけど昼食にしようか?」
「うん。いいよ」
「それで、清水さん、さそっていい?」
「いいですけど」
 みずきは、僕のあとに着いて来た。僕は、清水弥生のいるコーナーに行って、声をかけた。
「僕たちはこれから、国道沿いのファミレスへ行くけど、清水さんたちも一緒にどう? よかったら、おごらせてよ」
「え。それって、買収? やだよ。共犯になるのは」
「なーんだ。めずらしくおごろうと思ったのに」
「うそうそ。ゴチになります」
「カズキ。おじさんが、おごってくれるって」
「おじさん、ありがと」
「えらいね、僕。ちゃんと、ありがとうが言えて」
 子供は、清水弥生と一緒になって満面の笑顔をうかべた。本当に、親子みたいだ。僕は、一瞬自分が子供のもう片方の手を引いて、歩いているところを想像してみた。悪くなかった。
 僕の車に乗って、ファミレスヘ向かうと、清水弥生はみずきに話しかけた。
「ねえ、本当に大崎さんの親戚?」
「そうです。従兄の子供だったっけ?」
「いいや、違う。従兄の奥さんの姪だよ」
「……それって、血がつながっていないじゃない?」
「そうだね」
「きゃー、えっち」
「なに言ってるんだ、この人?」
「大崎さん、この子。高校何年生?」
「二年です」
「まずいよ、やっぱり。……ねえ、私にしたら?」
 僕は、驚いてルームミラーに映った清水弥生を見ると、うるんだ目で僕をみつめている。
「やだな清水さん、からかっちゃ。それに、みずきちゃんだって、こんなおじさんは嫌だって」
 そう言って笑い飛ばした。
「それに、みずきちゃん、これから偏差値七十目指すから」
「まさかー」
「まあ、それくらい目標にすれば、大体無難な偏差値に落ち着くから」
 僕の失敗は、入試をなめて模試中心に問題をやって、それからもれた基礎的な問題が解けなかったことにある。数学で言えば微積・行列・確率がなんなく解けて、統計・そのたの問題が苦手だったのだ。手抜きで、高い偏差値を保っていたむくいだ。だから、みずきには教科書に書いてある全分野をおさえて、それから応用問題をやろうと思った。
「みずきちゃん、本当?」
「はい。偏差値七十を目指してます」
「それなら、大崎さんに教えてもらうより、プロにまかせる方がいいんじゃない? そう、予備校へ行くとか?」
「私の親は偏屈で、お金は出してくれません」
「そうなんだ。大変だね……」
 僕は、このときおかしなことを考えていた。日替わりのかわいいワンピース、新しいカバン、いつも整った髪。父親は、決してネグレクトではない。むしろ、溺愛している。だが、決して外界との交わりを許してはいない。もしかして、みずきを手元に置いていたいのではないのか。それが、いつか埋めきれないミゾにならなければいいだがと、僕は危惧した。
 それ以降、皆は黙って、車はファミレスに着いた。車を降りて店に入ると、ウエイトレスに席に案内される。メニューを見ながらも、横目でみずきを見ると、いづらそうにしている。清水弥生を誘わなければよかったと思った。
 そのとき、ふいに清水弥生のほうを見た。彼女が怖い目でみずきのほうをにらんでいたのだ。
 僕は、しまったと思った。清水弥生は、真剣に僕のことが好きだ。それなのに、話の中心をみずきばかりにしてきた。あんなに、人なつっこい清水弥生なのに。そう思うと、彼女に話題を振っていた。
「ねえ、清水さん。どれが、おいしいの?」
「え? 和風ハンバーグとか、美味しいんだよね」
「じゃ、それにしようかな。飲み物は、どうする?」
「私は、紅茶がいいけど?」
「それじゃ、清水さんと同じでいいや」
 それから、ウエイトレスを呼ぶと、和風ハンバーグと紅茶を注文した。清水弥生とみずきも、同じものを注文した。僕は、それからも、なるべく清水弥生に話しかけるように、気をつけた。
 食事が終わって、図書館に戻ると、清水弥生は再び絵本コーナーへささって、子供に絵本を読んで聴かせた。僕は、なるべくみずきに話しかけないように気をつけた。
 清水弥生は、二時間ほどたつと、子供と手をつないで、上機嫌に帰って行った。僕は、ホッとした。みずきの勉強が終わるまで、探しあてた小説を読んだ。


(四)

 翌日の、六月中旬の月曜日。僕は、半そでの制服を着て朝の体操に駐車場に出ると、ミニスカートの制服を着た清水弥生に近づいて行った。
「おはよう、清水さん」
「おはようございます、大崎さん。昨日は、ごちそうさまでした」
「いいえ。こちらこそ、楽しい食事をありがとう」
「……それって、いやみ?」
「そんな。違うよ。それで、会社終わったら、話があるんだけど」
「……うん。わかった」
 午後六時に仕事を終わらせると、中庭の鯉をながめて待っていた清水弥生に声をかけた。
「清水さん。まった?」
「ううん。私も、さっき終わったとこだけど」
「それじゃ、僕の車で行く?」
「どうしようかな……。車取りに戻るの大変だから、二台で行こう?」
「オーケー」
 清水弥生は、僕のあとにおとなしい走りで着いて来た。彼女の車は、僕の車にくらべて、馬力が高くて吹け上りがいい。僕のあとに着いてくるのは、いらだたしいと思うが、それをまったく出さずに着いてくる。
 しばらくすると、車は細く急な坂道を上りはじめた。右に左にハンドルをきって忙しい。その上、対向車に出会う。なれない僕には、けっこうきつかった。
 ようやく、頂上近くの展望台に着くと、駐車場に車をとめて降り立った。そこからでも、十分に夜景は見えるが、展望台にのぼってながめると、下界一面に色とりどりの光が輝いている。
「きれいだね?」
「うん」
「ねえ、清水さん」
「……うん?」
「僕と付き合ってよ」
 僕が、そう言ったとたん、清水弥生は泣き出してしまう。
「断われると思って、覚悟してたんだ」
 そう言って、清水弥生は顔をおおって、大声を出して涙を流した。僕は、彼女の肩を抱いて、泣き止むまでそうしていた。三、四組のカップルが、心配そうに僕らを眺めていた。
 僕が、清水弥生と付き合うわけ。それは、彼女の思いが僕に伝わったからであり、いい身体をしていたからであり、なによりも、僕とみずきの関係を破滅させる臭いがあったからだ。
「ねえ、清水さん」
「やよいって、呼んで」
「弥生。なんだか、てれるね」
「うれしい」
 清水弥生は、そう言って僕のほおにキスしてきた。僕は、彼女の腰を抱きよせると、唇にキスした。彼女の舌が僕の前歯を押しひろげ、舌にからみ着く。頭がしびれるように心地よい。僕は、彼女のあまい唾液を飲み込んだ。
 下半身を彼女のお腹に強く押し当てられ、僕の興奮はさらに登って行く。すぐに、抱きたいと思ったのだが、その前に食事をとらないと、ガス欠になる。
「弥生さん。これから、どこかで、ごはんたべない? どこが、美味しい?」
「この前のファミレスでもいいけど、いやじゃなかったら、安くて美味しい店があるんだ?」
「うん。そこに行こう」
 あのファミレスに行くと、この前のやり取りを思い出してしまうと思ったのだろう。僕は、清水弥生の車に着いて、峠を下って行った。
 隣り町の商店街の一角にある焼き肉屋。そののれんをくぐると、いせいのいい声がした。
「いらっしゃい。あれ? 弥生」
「ただいま、おかあちゃん」
「それで、こちらの方は?」
 清水弥生の母親は、うれしそうにそう言った。
「会社の一年後輩で、大崎太一さん」
「どうも、弥生さんには、いつもお世話になっています」
「いいえ、こちらこそ、こんな娘ですみませんね。きょうは、なんでも、食べてくださいね。ごちそうしますから」
「どうも、すみません」
 どう見ても、だまし討ち。しかし、彼氏と紹介しなかったのは、恋のルールに反すると思ったのだろ。僕は、少しの緊張をしいられたが、清水弥生の母親の優しい言葉に、ホッとした。
「ねえ、適当に頼んじゃていい?」
「メニューあるんでしょ?」
「うん。あるけど……」
 清水弥生は、少し躊躇してメニューを差し出す。そこには、”韓国焼肉”と書いている。下を見ると、カルビ、サムギョプサルなどの、見慣れぬ文字が。
 僕は、選択を迫られている。ここは、韓国系のお店。当然、主人も韓国系だろう。そして、その娘もそうだろう。もしも、韓国系と付き合うのがいやだったら、ここでゴメンと言って、あのトビラから出ていく。OKだったら、メニューから食べたい物を選んで、ビールをいただく。しごく、簡単なことだ。
 僕は、後者を選んだ。当時は、韓国系に対して深く考えたことがなかった。知り合いと言えば、大学の先輩にひとりいたぐらいだ。よく、麻雀をやったのだが、いつもニコニコして、決して声をあらげて怒らなかった人だ。その人から、韓国人は優しい人たちだと、印象が刻まれている。だから、この選択は僕にとっては、ハードルがとても低かったのだ。
「カルビって、アバラなんだ。サムギョプサルは豚肉なんだね。僕は、こういう店は来たことがないから、やっぱりどれを頼んでいいかわからないよ。弥生、選んで?」
 僕がそう言うと、清水弥生はなき笑顔で、わかったと言った。まず、ビールをふたつ頼むと、カルビ、プルコギ(味付き牛肉)をそれぞれ三皿ずつ頼んだ。
「カンパーイ」
 喉を鳴らして飲む。最初のひと口が、美味しいんだ。顔を見合わせて、にっこりとほほ笑んだ。焼肉は美味しくて、ついビールが進んでしまう。酒に弱い僕は、いつのまにか眠ってしまった。
 気がつくと、僕は知らない布団の中で、裸で寝ていた。そして、隣には肩を出した清水弥生がスースーと寝息を立ててる。腕時計を見ると、真夜中の一時半だった。
 僕は、そーっと布団を抜け出して、床にたたまれた中からパンツをひろいあげると、はこうとした。
「あれ、起きちゃったんだね。行くの?」
 清水弥生が、眠そうに目をこすって言った。
「うん。帰ってシャワーあびないと、このままじゃ会社、行けないから」
「うちのシャワー使えばいいでしょう。それよりも、もう一度、抱いて」
「えー、ご両親に聞こえるよ」
「大丈夫。下の部屋で寝てるから」
 清水弥生は、そう言うと、布団を広げて入って来いという。僕は、清水弥生の大きくて形のよい胸に、ゴクリとツバを飲み込むと、布団の中に戻って行った。

 翌日、僕はいつわりの仮面をかぶって、研究室を徘徊していた。昨夜、清水弥生を抱いたのだが、目をつむるとみずきを抱いているような錯覚におちいった。何度、『みずき』と呼んでしまいそうになったか、わからない。清水弥生を抱いたら、すべてが丸く収まると思ったのに、こんなに、みずきを好きになっていたのかと、困惑する。
 しかし、清水弥生を抱くことによって、心のバランスをとっているのは明らかだった。
「先輩。顔色が悪いですね?」
 新人の武田やすしが、話しかけてきた。
「なにか、あったんですか?」
 この男は、さも心配するようなふりをして、人の秘密をだれかれかまわず、言いふらす。一度なぐろうとしたが、先輩に止めれらた過去がある。それ以来、適当にあしらっている。
「武田くん。じつは、大きな隕石が、落ちてくるらしいよ」
「まさか……?」
「あと、数時間で大気圏に突入すると、NASAが発表した」
 僕が、力なくそう言うと、後輩は研究所の窓から、上空を見上げて、何度も『まさか……』とつぶやいた。僕は、後輩をほったらかしにして、NMR――核磁気共鳴装置――の測定室へ入って行った。 
 一日の仕事が終わると、僕はむしょうに清水弥生を抱きたくなった。人のいない研究室のテーブルの上に、事務の清水弥生をおさえつけて、名前を間違えないように明るい電灯の下、彼女の身体を犯した。
「ねえ、コンドームしないけど、子供ができたらどうするの?」
 三日目になって、清水弥生は僕にたずねた。さすがに、心配になったのだろう。
「子供ができたら、結婚しよう」
「うれしい」
 清水弥生は、そう言って、ザーメン臭い唇で、キスしてきた。僕は、なるようになれ。そう、心の中でつぶやいた。
「あれま。なにやってるの!」
 見ると、会社の寮のおばさんが、怖い顔をして、立っている。
「すみません」
「まったく、若いんだから。でも、ここでするのは、やめてね。私が、責任取らされちゃうから」
「はい」
 僕たちは、服を急いで着ると、研究室のカギをかけた。その晩は、僕のアパートで、電灯は消さないでつづきをやった。


(五)

 次の六月下旬の土曜日は、土砂降りだった。みずきを迎えに行くと、白いレインコートを着て、赤い色の長靴をはいて、赤い傘をさして待っていた。
「早く乗って」
 僕が、そう言うよりも早く、みずきは車のドアを開けて、助手席に乗り込んだ。髪から、しずくがしたたり落ちる。僕は、洗いたてのタオルを頭にかけた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
 みずきは、髪をふきながらそう言った。僕の呼び方が、お兄さんから、お兄ちゃんに変わった。
「すごい雨だね」
「台風が、低気圧を刺激しているからね」
 自分の声が、うれしくて震えているのが、わかる。しかし、みずきは気づいてないようだった。僕は、ひそかに息を吐いて車を出した。
「えー、進路からずれているんでしょ? それで、これ?」
「きょうは、やめる?」
「いや! 絶対勉強つづける」
「よく言った」
「でも、覚えた先から忘れるの。私って、おバカなのかな?」
「数学もそうだけど、三周くらいすると、だいたい覚えられるから、気にせずにつづけたらいいよ」
「わかった。つづけるよ」
 話してみると、平日の授業時間もかくれて教科書のつづきをやっていたらしい。数学の1、2、3は終わって、これから英語の文法に入ると言った。僕は、みずきの集中力に満足した。
 図書館に着くと、雨は小降りになって、雲間から太陽がさしてきた。もうすぐ七月になろうとしている。あと少しで、梅雨が明ける。みずきは、レインコートを脱いで傘をささずに歩いた。
「うあ! 太陽が、まぶしい」
「雨が降ると、空中のちりを洗い流してしまうからだろうね」
「そうなの?」
 みずきは、そう言って、水たまりの上を飛び越えて行った。かろやかに。本当に、かろやかに。
 図書館に入ると、みずきはいつものように、勉強を始める。勉強のしかたにもなれて、ちえ熱で頭が痛くなるようなことはなかった。僕は、本だなの中の読みかけの小説を探し当て、つづきを読んだ。
「お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃん?」
 気づくと、みずきが僕の肩をゆらして、小さな声でささやいている。
「あれ? 僕、寝てたのか?」
「そうだよ。大きなイビキかいて」
「うそ?」
「冗談だよ」
「よかった。ところで、今は……」
 柱時計を見ると、午後の二時すぎだった。無理もない。連日のように、清水弥生を遅くまで抱いている。
「ごめんね。すぐ食べに行こう」
「うん」
 外へ出ると、雨は小降りになったが、あいかわらず降っていた。僕は、ひとり傘をさして車に乗り込むと、図書館の前に車を止めた。それを待っていたみずきは、傘を差さずに走って来た。
「ぬれたでしょう?」
「たいしたこと、ないわ。それよりも、きょうはファストフードのお店がいいな」
「わかった」
 ファストフードのお店へ着くと、みずきは、うれしそうに店の中に走って行った。僕が、遅れて中に入ると、夢中でメニューから選んでいた。よほど、食べたかったのだろう。子供のように感じた。僕は、普段食べないので同じものを選んで、みずきが取ってくれた席に座って待っていた。
 そう言えば、みずきに話さないといけないことがある。僕は、言いずらそうに、口を開いた。
「ところで、……僕のことだけど」
「なに?」
「この前、図書館にきていた清水さんと、付き合うことにしたから」
 そう言うと、みずきの表情は見る見るうちに青ざめていった。
「みずきちゃん、心配しないで。みずきちゃんの勉強は、僕が見つづけるから」
「本当?」
「本当だよ」
「よかった」
 みずきは、心から安心しているようだった。そのことに、僕は少なからず落胆した。予想していたことではあるが、僕はみずきの兄のような存在であるのだ。決して、恋人として僕を見ていたわけではない。僕は、笑顔を作って言った。
「もう、この間みたいなことは、ないから」
「もしかして、そのために付き合うの?」
「いや、前からいいなーと思っていたんだ」
「そうなんだ……。おめでとう、そしてありがとう、お兄ちゃん」
 そのとき、ちょうどウエイトレスが来て、オーダーしたメニューを持ってきてくれた。僕たちは、ありがとうと言うと、笑顔でハンバーグにかぶりついた。ひさしぶりに食べたハンバーグは美味くて、夢中で食べた。そして、もう一つ頼もうかとメニューをながめていた。
 そのとき、僕の肩を叩く奴がいた。
「え?」
「やっぱり、大崎や」
「えーと、江波?」
 なつかしい顔――と言っても、二年と半年ぶりではあるが――の江波圭太が、笑っている。その後ろには、東伸一と、長船五郎が笑っている。彼らは、大学時代に、神楽坂のジャズクラブで意気投合して、JCカルテットを組んでつるんでいた。しかし、大学を終わると同時に、僕は音信を絶ったのだ。
「まだ、仲良くつるんでいるのか?」
「おう、そうや。俺ら、九月の第一土曜日に、セッションやるんやぞ?」
「知ってるよ。近くの文化会館にポスターはってあるの、見たから」
「どうよ? 格好よく写っていたやろ?」
「ああ。サングラスがよく似合ってたな」
「そうだろう?」
 僕たちの乾いた笑い声がひびく。サングラスは、夜店で買った安物で、自嘲的な意味合いでかけていたのだ。
「ところで、このお嬢ちゃんは、誰なのかな?」
 そう言って、ぞろぞろとトレーを持ってこちらのテーブルに移動してきた。まるで、白状しないと、帰さないぞと言っているように。
「しょうがないなー。一応、大学出て恥ずかしくない職業についている奴らだけど、紹介していい?」
「……うん」
 多少の動揺はあるようだが、みずきは作り笑顔でそう言った。
「親戚の子で、坂木みずきちゃん。高校二年生。家庭教師を頼まれたんだ」
 僕が、そう紹介すると、奴らは我先に自己紹介をする。言葉が、かぶってなにを言っているのかわからない。それでも、みずきは彼らの名前を言い当てた。
「みずきちゃんは、すごいね。まるで、聖徳太子や」
 江波の関西弁は、どこかおかしい。彼の言い分では、小学校低学年まで関西に住んでいたからしい。僕の父親の広島弁も、正式な広島弁とかけ離れているので、そういうもんだと思っている。
「で、本題にはいるけど」
「なんだよ。急にかしこまって?」
「実は、ピアノ頼んでた奴が、出張でインド行っちゃったんだ」
「そりゃ、ついてないね」
「そうなのよ。それで、来月の第三土曜日。ピアノ、弾いてくれへんか?」
「やだよ。下手だし、もう、二年も触ってないから」
「頼むよー。ごしょうだ」
 江波は、そう言って、おがむ真似をする。
「だめだよ」
「そうか。しかたないな」
「なんだよ?」
「お前、みずきちゃんとは、どういう親戚なんや?」
「従兄の奥さんの姪だよ」
「おかしいなー。そんなに離れた親戚に、こんなかわいい子をあずけるなんて。俺だったら、警戒してふたりきりでは、絶対に合わせへんよ」
 僕は、失敗したと思った。もし、近い親戚だと嘘をつけば、すぐにバレる。そう思って、遠い親戚としたのだが、親の気持ちを考えなかった。
 しかし、ここは、言い張るしかない。
「その子の親に、もしも悪さしたら、殺すって言われているから」
「それでも、あずけないね、親だったら」
 僕は、ぐうの音も出なかった。確かにそうだ。僕は、みずきと一緒にいたくて、心の中でごまかしていたのかもしれない。
「なあ、頼むよ。弾いてくれよ」
「……負けたよ」
 完全に敗北したのだった。江波たちは、喜んで僕に握手を求めた。僕は、苦虫を噛み潰したような顔で応じた。
「あのー、本当ですか?」
 みずきは、半信半疑の顔で、江波にたずねた。
「ん、なにが?」
「お兄ちゃんが、ピアノ弾けるなんて?」
「なんや、知らんのか? 大学時代は、その腕で、次々と女をとっかえひっかえ……」
「こら、江波。いい加減にしろよ」
「と言うのは嘘で、聡子一筋……。あ、わるい」
 今井聡子は、大学時代の恋人だったが、卒業とともに別れを言われた。田舎に就職が決まると、とたんに将来が見えなくなったと言われたのだ。
「ところで、お前ら、なんでこんなとこで、俺を待ち伏せていたの?」
 東伸一が、頭をかいて口を開いた。
「いや、お前の実家から住所と携帯電話の番号聞いたんだけど、電話したら絶対逃げるって、長船が言うし……。それで、地図見ながらきたんだけど、わかりづらいし……。雨は、激しいし……。疲れて、腹減ったし……。そしたら、見な慣れた看板が」
 そう言って、東伸一は自分のトレーからポテトをつまむと、口に入れた。
「お前ら、小学生か?」
「すみません……」
 三人は、そろって頭を下げた。そのあとは、食べる暇がないほど、みずきを質問攻めだった。かわいいけど、スカウトされない? お姉さんはいるの? 将来スターになったときのために、サインいい? 大崎といると、タレントとマネージャーだと見られない? など。まったく困ったものだ。
 慣れない質問攻めに閉口したのか、みずきがトイレに立つと、三人は僕にたずねた。
「おい、いくら高校生とはいえ、あんなかわいい子に手を出せないなんて、地獄だな?」
「そうだな。自分の心をごまかすのは、つらいよ」
「やっぱり。で、本当は手を出したんかい?」
「いいや、出してないよ」
「つらいなー」
「つらいから、会社の先輩に手を出して、今、付き合ってる」
 僕がそう言うと、三人はだまってポテトの残りを、僕にくれた。
 食事が終わると、三人は電話番号を置いて、おとなしく帰って行った。僕は、みずきを車に乗せて、図書館に向かった。
「お兄ちゃん」
「はい?」
「ひどいよ。楽器弾けるじゃん」
「ごめんね。でも、他人にいばれるほど、うまくないから」
「それで、ピアノだけ?」
「いいえ。ギターも少し」
「今度、聴かせてね?」
「今は、ピアノは、持っていない」
「じゃー、今度練習するとき、連れてって」
「……はい。わかりました」
 この日は、図書館に清水弥生は来なかった。おねえさんの子供をあずかるのは、たまになのか、それとも、気をつかって来なかったのかわからないが、いずれにしても、ホッとした。


(六)

 翌日の、六月下旬の日曜日。僕は、いつものようにみずきを迎えに行った。だが、今日連れて行くところは、いつもと違う。大磯の貸しスタジオに向かった。
 大磯に近づいて行くと、夏の湿った風に乗って海の香りがする。僕は、大きく息を吸い込んだ。
「潮の香りがするね?」
「ほんと?」
 みずきは、そう言うと、窓をあけて思い切り風を吸い込む。彼女の髪が軽やかにゆれた。
「ああ。これが、海の匂いなんだね?」
「なんだ。行ったことないのか?」
「そうなんだよね。ちょっと行ったら湘清水なのに」
「それじゃ、練習を早めにきりあげて、海で泳ぐか?」
「えー。私、水着を持ってないし、女の子は準備することが、いろいろあるのよ」
「ムダ毛の処理とか?」
「……えっち」
「わるかったね。でも、海に足をつけるくらいだったら、できるよね?」
「それだったら、行くー」
 みずきはそう言うと、窓をしめずに、風を受けていた。僕は、エアコンをあきらめて、窓を半分開けて、車のスピードを下げた。その後、車はT字路にぶち当たって、それを左折していく。右手には、人をさそうように湘清水の青い海が広がっている。みずきは、その風景をこれで最後であるかのように、目に焼き付けていた。
 大磯の町に入ると、江波が教えてくれた目印を頼りに、貸しスタジオを探した。
「あった。ここだ」
 その貸しスタジオは、コンビニのとなりに建っていた。窓が、極端に小さい。きっと、防音のためだろう。誰かの高級車の隣りに車を止めると、重い扉をあけて、僕とみずきは中へと入った。
「すみません」
 僕が、カウンターで声をあげると、奥の部屋からアフロ頭のゴツイ男があらわれた。その男は、身長が百八十センチほどあり、半そでのデニム生地のジャケットを身に着けている。表に止めてあるチョッパータイプのいかついバイクは、きっと彼のだろう。
「あの、JCカルテットは、入ってますか?」
「ああ、入っているよ。あそこの三番の部屋だ」
 アフロ頭は、不愛想に指さした。その男には、それが似合っていた。『はいそうです。あちらの部屋になってます』とか言われたら、きっと吹き出してしまっただろう。
 僕は、「どうも」と言って、No3と書いてある部屋の扉を、重いノブをまわして開けた。
「よう。きたか!」
「なんだ。江波だけか?」
「そう言うなよ。みんな大変なんだよ」
「わかってるって。それで、ピアノは、これ?」
「ああ、そうみたいだ」
 そこには、アップライトのピアノが置かれていた。キーをたたくと、一応調律してある。僕は、指を鳴らすと、イスに座ってコルトレーンのマイ・フェイバリット・シングスを弾きはじめた。しかし、コード進行だけでいつまでたっても、サックスは加わってこない。江波を見ると、だまって聞いている。
「おい、入って来いよ?」
「まあ、まってろ。腕が衰えていないか、聴いているから」
「ちぇ。えらそうに」
 僕が、そう言うと、江波はニンマリとほほ笑んだ。
 僕の音が、揃っていないのはわかっている。それに、音量が出てないない。
 小さきころピアノを習いはじめ、中学でやめてしまったが、気が向いたら時々練習曲や歌謡曲を弾いていた。大学でジャズに出会いジャズ・ピアノをはじめて、大学卒業とともにあきらめてしまった。夢の残骸が、今、下手な音を鳴らしている。
 四分ほど弾くと、江波のソプラノ・サックスが加わってきた。それほど、悪くはない。ただ、時々僕がキーを外すが。
 そこに、東伸一と長船五郎が、ベースとドラムをかかえてやっと到着した。急いで、準備をする。まず、ベースが加わり、大分遅れて、ドラムが加わった。本物には見劣りするが、JCカルテットの完成だ。
 一曲13分。ひさしぶりの演奏で非常に疲れた。肩を息をしていると、みずきが江波にかけよった。
「すごいです!」
「いや、そんなたいしたことないよ」
「そんなことないです。かっこういいです」
 僕は、このとき思った。サックスが、みずきの中では一番カッコウいいのだと。ほかは、目に入らない。サックスに、ほれたんだと。
 江波たちも、気づいたらしい。みずきは、楽器を弾く僕たちにほれたのではなく、楽器にほれたと。
「教えてください!」
 必死で江波に頼み込むみずきは、はっきりいってこわかった。と言うのは、大げさであるが、みずきにサックスを教えてと言われる江波を、僕を含め三人は、羨望と嫉妬のまなざしで見ていた。
「わかった。よろこんで教えるよ」
 そう江波がこたえると、みずきは奴に抱きついた。その時間があまりに長いので、しびれを切らした僕は声をかけた。
「それで、今までは土日で午前九時から午後六時まで勉強していたけど、その最後の二時間だけ、サックスの練習にあてるってのは、どう?」
「はい。それでいいです」と、みずきはうるんだ目で言った。
「俺も、オーケー。そうすると、JCカルテットの練習は、土日の遅くだな?」江波は、うれしそうにそう言った。
「俺も、いいよ」東伸一と長船五郎は、声を合わせてそう言った。
「それじゃ、そういうことで、よろしく」僕は、最後にそう言った。
 それからが、早かった。すぐに、めいめいの高級車で楽器店に乗りつけると、江波はアルト・サックスをみずきに選んでいた。いきなりソプラノ・サックスは、オーボエみたくていややろうと言って。
 ここで、みずきが左ききだとわかり、みんな驚く。しかし、サックスでは左きき用はなくて、左ききでも、右ききと同じように弾くらしい。みずきも、それで納得した。
 購入したアルト・サックスは、値段六万円。はじめ三十万円の奴をみんなで買おうとして、みずきに止められていた。恥かしくない職業につとめる江波たちには、なんでもない金額だろうが、僕やみずきの貨幣価値では、おそれ多かった。
 そして、購入したサックスだが、僕があずかることに決まった。みずきの送り迎えをする僕には、適任だろうと。
 最後に、大磯のビーチをみんなでワーワー言って、遊んだ。みずきは、はじめてのことで感激していたが、僕たちは子供のころに戻ったようにはしゃいでいた。
 そして、お別れを言って、僕はみずきを車に乗せて、帰路についた。ふと、気づくと、みずきは眠っていた。やはり、彼女にとって信頼できるのは僕あって、その信頼を裏切ってはならないと、心に刻んだ。


(七)

 翌日の、七月初旬の月曜日。太陽がサンサンとかがやき、アスファルトを焼いている。もう、梅雨が明けたみたいだ。クーラーのきいている食堂で、仕出し弁当を食べていると、清水弥生と仲間の女性が三人、同じく仕出し弁当をもってとなりの席に座った。
「へへへ。来ちゃった」
 清水弥生は、そう言ってニコニコする。
「いつも仲良さそうですね、女性陣は?」
 男どもは、マージャンをするときくらいだ、仲がいいのは。
「でも、きれいな女性ばかり、こんなに集まったら、後ろから刺されそうで怖いよ」
「あら? そんなにきれい?」
 三十代の既婚の女性が、そう言って笑う。歳わりには、きれいだ。そして、胸も驚くほど大きい。
「でも、そんな口きいたら、勘違いしてしまうでしょ?」
 なるほど、これは清水弥生に対する後押しだ。しかし、彼女たちは知っているのだろうか。清水弥生が、韓国系だと。それでも、僕はそれほど気にしてないのだが。
「わかりました。そう言うことは、弥生さんにだけ言いますから」
 僕がそう言うと、食堂は祝福ムードになった。それは、別の見方をすると、どうでもいい男女がくっついたと思われたのだ。むなしい。
 食事が終わって、事務の女性陣とわかれて研究棟に向かって歩いていると、突然、ごつい男に身体ごとかつがれて、研究棟の裏に連れて行かれた。
「チクショー! なんで、お前なんだよー」
 名前も知らないその工場棟の男は、きっと清水弥生を好きだったのだろう。そんなに好きだったら、なぜ、思いのたけをぶつけなかったのか。しかし、そう言う僕も、みずきに告発できずに、手近の女で満足している。そう思と、僕は彼の気がすむまで、心の叫びを聞いた。
 彼は、最後に悪かったなと言って、去って行った。あの叫びは、きっと自分に対する怒りだと思った。少しは、怒りが収まることを願った。
「おい、大崎。どうした?」
 先輩の永田修が、駆け寄ってきた。口をぬぐうと、血が出ている。
「なにか、あったのか?」
「いいえ。これは、そこで転んだんですよ」
「嘘つくなよ。本当か?」
「はい」
「わかったから、すぐに医務室に行け」
 研究棟の表にまわると、すでに彼はいなかった。僕はほっとして事務所の二階に行くと、医務室の扉をたたいた。
「すみません?」
「はい。どうしました? あら? 大崎さん。どうしました?」
「ちょっと、口の中を切っちゃって」
 僕はそう言って、三十すぎの独身、竹田順子先生の前においてある丸イスに座った。彼女は、白いワイシャツと黒いミニスカートの上に白衣をはおって、タバコを吹かしていたが、それをもみ消した。
「どれ? 見せて見なさい?」
 先生は、胸のポケットからペンライトを出すと、スイッチを押して口の中を覗いた。香水と共にタバコの香りがする。先生は、傷口の深さを確かめるように、ヘラで押した。
「いはい!」
「ごめんね。もうしないから」
 涙目になって、口をもごもごする。
「ちょっと、口の中を切っただけね。ほっとけば、なおる」
「永田さんに言われたから、見せに来ただけなんです」
「それだったら、一応写真撮らせてもらうね?」
「その必要は、ないと思うけど」
「ねんのためよ。ハイ。チーズ」
 口を開けて思わず笑顔を作るが、撮ったのは口の中だった。
「それって、あとでもめた時用にですか?」
「そう言うこと」
「それは、ないと思うけど?」
「万が一よ」
 そのあと、コーヒーを入れるわと言われたが、丁寧に断った。あまりに暇で、話し相手を必要としていたのだろう。お礼を言うと、医務室の扉を開けて、一階に降りて行った。
 そのとき、事務所で働く清水弥生と目が合った。彼女は、作り笑顔をするが、きっと竹田順子先生になにか用事だろうかと思ったに違いない。最悪、医務室の密室で、乳繰り合っていたと思われかれない。僕は、そう思って事務所の受け付けの扉をたたくと、事務所の所長、加藤久に声をかけた。
「加藤さん。聞いてくださいよ」
「えーと、大崎くんだっけ? なんだ? 面倒ごとか?」
 加藤事務所所長は、老眼鏡を使って読んでいた新聞から目を離すと、迷惑そうにそう言った。
「さっき、ちょっとつまずいて、ドアに横っ面をぶつけたですよ。そしたら、口の中から血が出ているんですよ。ほっとけば、なおるって思ったんですけど、先輩に勤務時間内の怪我だから、一応、医務室で見てもらえって。そう言うもんですかね?」
「大崎くん。それは、そうだよ。万が一、そのあと、急死したりなんかしたら、警察呼んだり、労災使わなくっちゃいけないし」
「急死って……。上の人は、いろいろ大変ですね……」
「そうなんだよ。だから、ほら。はげちゃった」
 加藤事務所所長は、そう言って、はげ頭をたたいて、豪快に笑った。自分をネタに笑いを取る。年の功だと思った。僕は、清水弥生と目を合わせてほほ笑むと、事務所をあとにした。
 午後六時に仕事を終わらせて、スーツに着がえて研究棟のロビーへ降りて行くと、清水弥生がキャミソールに着がえてソファーに座って待っていた。そのキャミソールは、細い肩ひもで胸をつっている、反則ぎみの服である。
「清水さん。お疲れさま」
「お疲れさま。大崎さん」
「きょうは、夜食、食べていないんだ。どこかで、食べない?」
「うん。いいよ」
 僕と清水弥生は、二台の車で、近くの居酒屋に乗りつけた。「いらっしゃい!」の威勢のいい掛け声を聞いて、テーブルに座ると、ビールを頼み、食べたい物をそれぞれ頼んだ。
「帰りは、タクシーだね?」
「まじめね?」 
「いや。一人だったら、運転しちゃうけど、清水さんがいると、捕まると思うから」
「それって、どういう意味?」
 清水弥生は、頬をふくらませてそう言った。そのとき、ビールが二杯、ジョッキで届いた。僕たちは、とりあえずカンパイをして、ビールに口をつけた。
「あー、うまいねー」
「ほんとよね」
「それで、さっきの話だけど。僕、スピード違反も飲酒運手も、まだ捕まったことないんだよね。一度も」
「あー、いるよね、そういう人。でも、一度捕まったら、止まらないのよ。これが」
「えー、びびるなー」
「それで、あっというまに違反点数がたまって、免停だよ」
「えー、怖い。ねえ、怖いよー」
 お腹がふくれて、ビールが三杯目に突入した時だった。
「私、聞いちゃったんだよね」
「なにを聞いたのさ?」
「私を抱いているとき、みずきって私を呼んだのよ! このロリコン!」
 そう叫んで、清水弥生は大声で泣いた。今まで言わずに我慢していたのだろう。それが、酒に酔って、あふれてしまったのだろう。
 僕は、清水弥生を抱きしめると、言った。
「ごめん、弥生ちゃん。でも、僕が抱くのは弥生ちゃんだけだよ。そして、心から安心できるのも弥生ちゃんだけだよ」
「ほんと?」
「本当だよ。でも、今はみずきをいい大学に入れることをに、命かけているから、結婚はそれが終わってからでいい?」
「ひっく、ひっく。それじゃ、あと二年待たないといけないじゃん」
「ごめん。でも、愛してるのは、弥生だけだよ」
 そう言って、僕は清水弥生を抱きしめ、口づけをした。
 まわりの酔っ払いが、拍手やら、ガンバレヨーだとか、オーと言う雄たけびをあげる。
 僕は、彼らにアリガトーと言うと、店員にタクシーを呼んでもらった。僕のアパートに着くと、待ちきれないように清水弥生と愛し合った。
 みずきのもう一つの夢。サックスのことは、話さなかった。


(八)

 七月最初の土曜日。天気はあいかわらずの好天で、地上は蜃気楼が立っている。だが、峠の頂上はいくぶん涼しかった。みずきは、麦わら帽子に白いワンピースを着て、待っていた。ゆるやかな風が、みずきの髪をなびかせる。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、みずきちゃん」
 そう言って、みずきは助手席に座った。
「サックスは?」
「ちゃんと、つんでいるよ」
 ワゴン車のラゲッジスペース(荷物を収納するスペース)に、ネットをかけて固定しているサックスのハードケース。その存在を、みずきに見せた。
「ちゃんと、あるね。それにしても、後ろは暗いね?」
「それは、盗難防止に、後ろの方は外から見えないように、スモークフィルムを張ったからね」
「なんか、えっちだね?」
 そう言って、みずきは顔を赤らめる。
「なんだよ。みずきのために一生懸命張ったのに」
「ごめん、ごめん」
「まったく」
 怒ったふりをして車を出した。スモークフィルムは、僕が挑戦したくて張ったのだが、それは内緒だ。所々、フィルムが重なって、シワになってしまった。
「ところで、もうすぐ夏休みなんだけど?」
「あ、そうだった。いつから?」
「七月二十日からだよ」
「すぐじゃないか。どうしよう?」
「こっちが、聞きたいんだけど……」
「僕らは、あいかわらず、土日しか休みじゃないんだ。だから、平日は家で一日中勉強するしかないね?」
「やっぱり、そうなる?」
「みずきは、どうしたいの?」
「なるべく、家にいたくない」
「そうなのか……」
 僕は、すこしの間、考えたが、いい考えは浮かばなかった。いったんん、あずかって対策を考えることにした。
 みずきが、なるべく家にいたくない。その理由は、怖くて聞けなかった。たんに、反抗期における、親をいとましく思う気持ちなのか。それとも、なにか重大な問題を内包しているのか。そのことを、みずきが話してくれるのを待つのか、僕がみずきに聞くのか、いずれかを選択しなくてはならない。僕は、悩んだ。
 みずきは、その日の午後四時まで勉強して、大磯の貸しスタジオに連れて行った。待ちきれないように、江波圭太、東伸一、長船五郎の三人が待っていた。
「なんで、みんないるんだ?」
「いやあ、江波だけにまかせると、危ないから」
「なんだよ。せっかく、ふたりきりで手取り足取り教えようと思ったのに」
 それは、冗談だろうが、みんなみずきと一緒にいたかったのだ。
「みずき、本気にとるなよ。だいたい、江波はホモだから」
「えー!」
「あら? ビックリした? だから、安心してね?」
 江波は、そう言って、みずきにウインクした。
「さて、冗談はこれくらいにして、はじめようか?」
「え? え?」
 みずきは、首をひねって考えていたが、アルト・サックスをハードケースから出すと、顔つきが変わった。
 僕と東、長船は、音を立てず、だまって練習風景を見ていた。熱心にサックスの仕組みを聴くみずきは、ほかのことは耳に入らないくらい、集中していた。もしかしたら、僕たちは名サックス奏者を発掘したのではないのかと、思うほどだ。僕たちも、みずきに触発されて、十分をすぎるころ、そーと部屋を抜け出すと、別の部屋を借りて、九月の第一土曜日に演奏する曲を、一つずつ合わせて行った。
 サックスを車に乗せ、午後六時半ごろに、みずきをつれて帰路に着いた。
「疲れたよ」
「そうだろう?」
「でも、楽しかった」
「よかったね」
 返事がないので、助手席を見ると、みずきは舟をこいで眠っていた。僕は、そっとみずきの首をヘッドレストにつけると、ラジオのボリュームさげた。みずきは、足柄山のバス停に着くまで、起きなかった。
「みずき。着いたよ」
「ん? うーーん、着いたのか」
「忘れものない?」
 不意に、みずきの顔が近づいてきた。よける暇もなく、僕の頬にキスした。
「それじゃ、また明日」
 みずきは、いたずっらぽくほほ笑んで、車を降りると駆けて行った。唖然と見送る僕。なにを考えているのかわからず、おじいちゃんに孫が、プレゼントのお礼として、頬にキスしたんだと思うことにした。
 気を取り直して、僕はふたたび大磯にむかって車を飛ばした。そして、二時間ほど江波たちと合わせると、自分のアパートへ帰って行った。眠りについたのは、午前零時をすぎていた。


(九)

 翌日の、七月最初の日曜日は雨だった。だが、風がおだやかでレインコートと長靴は必要なかった。みずきは、ワンピースを着て、赤い傘をクルクル回して待っていたが、僕の車に気づくと、駆けてきた。そして、助手席のドアを開けると、乗り込んだ。
「おはよう。みずきちゃん」
「おはよう。お兄ちゃん」
 みずきは、そう言って、僕の用意したタオルで髪をふいた。僕は、みずきにシートベルトを注意すると、車を出した。
「あ、サックスは?」
「ちゃんと、つんでいるよ」
「よかった。ありがとう、お兄ちゃん」
「ところで、夏休みのことだけどね。いい考えは、浮かばなかった。悪いけど、家で勉強してね?」
「そう言うと、思った。どこかのアパートを借りるって言っても、そこで変なことしてるんじゃないかって、疑われると面倒だしね」
「ごめんね、みずきちゃん」
「しょうがないよ」
 みずきは、しばらく間、ウィンドーにあたって落ちる雨を眺めていたが、息をはいて言った。
「お兄ちゃん、私のことを話すね。本当は、最初に言えばよかったのに、怖くてできなかったの。でも、お兄ちゃんが、私が考えたよりも、ずっと紳士的で私のしあわせを考えてくれるのがわかったの。ありがとう、お兄ちゃん」
 そう言って、みずきは頭を下げた。紳士的だという、みずきの言葉に少し戸惑った。本当は、もっとドロドロした膿を隠しているのだが。そう口に出かかったが、話の腰を折るようで、やめた。
「よしてくれよ。それで?」
「はい……。私の家では代々、女は十八歳で本家の嫁になることに決まっています。それが、いやで、私は父たちがそう言えないように、いい大学へ進もうと考えました。それで、あなたを利用して勉強をはじめたんです。本当に、すみませんでした」
「いや、そのことはいいんだ。僕も、リベンジの意味で、よろこんで教えているから」
「そう言っていただけると、うれしいです。でも、少しずつ考えが変わったんです。……私は、あなたのとこが好きなりました」
 みずきは、涙目になって言った。 
 僕が、みずきを好きなことは、僕がみずきのためにしてきたことから、きっとわかっていただろう。それでも、幼いみずきが告白するのは、勇気のいることだったろう。
「いや、そう言ってもらうのはうれしいよ。だけどね、君は歳が若すぎるし、きれいだし、どう考えても、不釣り合いだよ」
「でも、私がサックス奏者になったら、どうです? そして、一緒に演奏できたら、きっとあなたは私と、離れなくなる。ねえ、そうでしょ?」
「……そうかな……。十年後も、同じことを言うかな……。もし、かりに、そうだったとしても、それまで僕は高校生の君に、手を出さないとは、とうてい考えられない」
「それだったら……」
「抱いていいと?」
「……はい」
 僕は、ここで笑い出してしまった。みずきは、顔をまっかにして、怒ってしまった。
「ごめん、ごめん。でも、大人の恋愛は汚いから、それを知ったら、みずきちゃん、きっと幻滅するよ。それに、僕は清水弥生と付き合っているから」
「それだったら、私が十八歳になったときに……」
「できないね。そんな酷いことは」
 僕たちは、黙ってしまった。車のワイパーの音がやけに、耳につく。
「さあ、この話は、おしまい。きょうも、元気に勉強しよう」
「ごめんなさい、わがまま言って」
「いや、うれしいよ。こんな若い子に、そう言ってもらえて。ところで、サックスはやめないよね?」
「はい。絶対にやめません」
「安心したよ。僕も、それに江波たちも、がっかりすると思うから」
 あくまでも、大人の対応で、話した。心の中では、みずきを抱きたいと思うが、その一方では、純真なままでいてほしいのだ。
 そして、十八で本家の嫁にということが、引っかかった。果たして、そんな家が、まだあるのかと思ってしまう。
「あ、それから、頬にキスはやめてほしい。うれしいけど、歯止めがなくなりそうで怖いから」
「わかりました。すみませんでした」
 重い空気を変えようと、僕はラジオのスイッチを入れた。FMから、ルイ・アームストロングの『この素晴らしきこの世界』が流れていた。ベトナム戦争(一九五五年から一九七五年)当時の一九六七年に発売されたこの曲は、反戦のために書かれた曲だという。決して、戦争反対と歌っているのではなく、『花や木々が君のために咲いている、なんて素晴らしい世界なんだろう』と歌っている。六十六歳のだみ声だが暖かい声が、身体全体にしみわたる。
 ふたりして、この曲を聴いた。
「いい曲だろう?」
「はい。心が暖かくなります」
「そうか。趣味が同じだね? って言いすぎか。一回りも違うのに」 
「十一です」
「え? なんで僕の歳、知ってるの?」
「江波さんに教えてもらいました」
「そうか。ところで、みずきの部屋にCDプレーヤーはある?」
「ありますよ。中学入学のお祝いで買ってもらいましたから」
「だったら、こんど、貸すよ?」
「うれしい」
 よかった。みずきの機嫌がなおって。
 車は、二四六を左折して、文化会館が見えて来た。雨の中、僕はみずきを図書館の前に降ろすと、駐車場に車をとめて、図書館に走った。
 午後四時に、ひとり図書館を出て、駐車場にとめてある車に走った。雨は、激しくなって、水しぶきが白くたっている。僕が、車を図書館前につけると、みずきは急いで乗ってきた。
「なに、この雨? 台風じゃないよね?」
「強い勢力の低気圧だって」
 そう言って僕は、、タオルを渡した。
「ありがと。あー下着まで、ビジョビジョだよ」
「……行くのやめとく?」
「やだ。絶対行く」
「そう言うと、思った」
 僕は、大磯方面に車を出した。視界が悪いので、ライトをつけた。
「でも、みずきはいつも、ワンピースだね?」
「これは、小さいころから、着ていて、そう、決して強制されてません。変ですか?」
「いいや。似合っているよ。とっても」
「そうでしょ?」
「でも、ほかの洋服も、着せたいな」
「いいですよ。連れてってください」
「でも、家の人が誰に買ってもらったって、聞いたらどうする?」
「それじゃ、お兄ちゃんの家で、着がえます」
「却下」
「えー、どうして?」
「だめだよ。男の部屋に、そんなに簡単に入っちゃ」
 みずきは、このあと、いじけて口をきかなかった。しかし、大磯の貸しスタジオに着くと、忘れたようにサックスをかかえて、傘を広げると駆けて行った。
 僕は、江波圭太に一言だけことわって、別の部屋へ行こうとした。しかし、そこには、タオルで身体をふいているみずきと共に、東伸一、長船五郎がいたのだが、彼らとは別に、知らないヒゲの男が腕を組んで待っていた。僕は、足をとめた。
「お、大崎。ちょっと待てよ」
「なんだ、江波?」
「この人が、お前のピアノ、聴いてみたいって」
「突然、すみません」
 ヒゲの男は、そう言って、名刺を差し出した。よくわからないが、音楽系のプロデューサーらしい。
「あなたたちの、録音した音源を聴いて、そのなかであなたの演奏が耳残って。それで、ぜひ会ってみたくなりました」
「僕は、プロにはなるつもりは、ありません」
「そんな、固くならないで。私のバンドのピアノを休みの日に録音してもらえばいいから」
「あいにく、休みの日は、つねに予定が入っていますから」
「そうですか、残念だな」
「それじゃ、練習があるので」
「気が変わったら、いつでも電話してきてください」
 僕のあとを追って、東伸一と長船五郎が駆け寄ってきた。そして、なぜかカウンターのアフロ頭が、頭をさげる。
「すみません。余計なことしちゃって」
「そうか、あなたでしたか」
「でも、なんでプロにならないんですか?」
「たとえ、いっとき小銭を稼げても、すぐにだめになるんだよ。だいたい、いまどき、オールドジャズなんて、みんな興味ないさ。だから、僕たちは趣味でやっているのさ」
 僕たちは、みんなわかりきっていた。だから、江波圭太は某省のキャリア、東伸一は弁護士、長船五郎は医者とそれぞれ仕事を持って、休日に夢を見ている、一九六〇年代のオールドジャズに取りつかれた奴らだ。


(十)

 七月二十日。みずきは、夏休みに入った。予定どおり、迫りくる十八歳に向けて、勉強をつづけているだろう。焦りが、みずきの勉強意欲にマイナスにならないとよいが。
 そして、七月下旬の月曜日。雨はあいかわらず、しとしとと降っていた。天気予報では、もうじき晴れると言った。
「梅雨が終わったのに、今日も雨だねえ……」
 声に気づいて目を覚ますと、竹田順子先生が白衣を着て、窓にあたる雨を見つめていた。
「え? ここは?」
「あら。やっと、おめざめ? 医務室よ」
「僕、もしかして、倒れた?」
「ええ、そうよ」
「……」
「ただし、大いびきをかいてね。それに、あなた、お酒臭かったわ」
 そうだった、あれからみずきを送ったあとに、江波圭太たちと練習もせずに、一晩中飲んでいた。そのあと、ずる休みするはずだったのに、惰性で出社してしまった。そこまで、思い出してボーとしていた。
「思い出した?」
「……はい」
「きょうは、もう休みにして、家に帰りなさい」
「わかりました」
「じゃ、私が送って行くわね?」
 先生は、そう言って、車のキーをポケットに入れると、僕の腕をだいて、連れて行こうとした。先生の大きな胸が、僕の腕に当たって、気持ちがいい。
「ちょ、ちょっと、待って。タクシーで帰るから」
「遠慮しなくていいのよ。さあ、行きましょ?」
 そのとき、医務室の扉が静かに開いて、清水弥生が現れた。
「なにしてるんですか?」
 清水弥生の冷たい声がひびく。
「いいところに、来たねえ、清水さん。送ってくださいよ?」
「わかりました。先生、余計なことまで、ありがとうございました」
「いいえ……」
 清水弥生は、僕の腕をつかんで、下の事務室に行くと、加藤久事務所所長の前に立って言った。
「今から、大崎さんを送って行きます。それから、私は早退します」
 清水弥生は、タイムカードを乱暴に押すと、僕の腕をつかんで玄関に歩いて行った。
「あの、」
「なにも言わないで!」
「はい……」
 清水弥生の車に乗って、アパートへ向かった。清水弥生の横顔を見ると、あきらかに怒っている。どうして、僕なんかを好きになったのだろうか。ほかに、ずっと顔がよくて、お金持ちはいるのに。
「ねえ、弥生?」
「なによ?」
「もしも、僕が売れないミュージシャンだったら、好きになっていた?」
「難しいわね。でも、私に笑って話しかけてくれるなら、好きになっていたかも」
 そうか、たったそれだけのことか。人に好かれるということは。僕は、ごく自然に顔がほころび言った。
「愛しているよ、弥生」
「やだ、急になに言ってるのよ。本当に」
 そう言えば、付き合ってと言ったが、愛しているとは言ってなかった。そう考えている間に、清水弥生の両眼から、大粒の涙が流れた。
「ああ、もうやんなっちゃう」
 そう言って、清水弥生は非常灯を点滅させると、道のわきに車を止めて泣きつづけた。
「私も、愛しているわ」
 僕は、清水弥生を抱きしめた。後ろの車のクラクションがうるさくて、清水弥生はすぐに涙をティッシュでふくと、車を出した。
 そして、僕のアパートに着くと、僕の腕を抱いて、階段をのぼった。
「カギは?」
「は、はい」
「今、布団しくね」
 清水弥生は、僕を布団に寝かせると、エプロンをしてトントントンと音を立てている。その音を、子守歌代わりに眠った。
 僕が目覚めると、清水弥生が子供を寝かしつけるように添い寝して、僕の髪をなでていた。部屋の中は、すでに薄暗くなっている。彼女は、僕の指に自分の指をからめると、口づけした。
「おはよう」
「やっと、起きたわね」
「おなか、減った」
「できてるわよ」
 清水弥生は、そう言って立ち上がると、蛍光灯のひもを引っ張った。薄暗いところから、急に電灯をともされたので、僕はまぶしくて目を細めた。それでも、急いで立ち上がって言った。
「トイレ行ってくる」
 小便を、勢いよく音を立てて放出すると、ほっと一息する。トイレから出ると、台所で顔を洗い、うがいをした。
「ふー、さっぱりした」
 僕が、顔をふいてテーブルに着くと、美味しそうなオカズと、湯気のたっているみそ汁が、それぞれふたつずつ。ゴクリと、ツバを飲み込む。
「はい、ごはん」
「ありがとう」
 僕には茶わん一杯に、彼女はこころもち少なくよそおった。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
 みそ汁をひと口飲むと、よく出汁のきいたなんともいえない風味がする。この味は、アサリだろう。
「美味しい!」
 そう言って、僕はオカズにハシを伸ばす。どれも、おいしくてハシがとまらず、すぐにお代わりをした。
「よかった。口に合って」
 そう言って、清水弥生はうれしそうに笑った。
 僕は、こんな光景をずっと望んでいた。それが、簡単に手に入ったのだ。ただひとこと、愛していると言っただけで。
 うれしいと思う反面、この幸せを離したくないと感じたし、その責任をおもく感じた。
 僕は、はじめて結婚を意識した。しかし、自由になる時間も金が少なくなる。みずきを教えている僕には、向いてない。しかも、大学への学費などを出さなくてはいけなくなると、なおさら考えられない。清水弥生には申し訳ないが、みずきとの約束が、僕には最優先なのだ。
 その晩は、立たなかった。ごめんと言うと、「いいのよ。そんな日もあるわ」と言ってくれた。余計、申し訳なく思って、腕枕をして眠った。


*つづきは、ホームページで。https://slib.net/a/18416/

20191204-少女と出会った夏 156枚

執筆の狙い

作者 あでゅー
KD111239160090.au-net.ne.jp

田舎道で少女にプラトニック。その結末は。

コメント

あでゅー
KD111239160090.au-net.ne.jp

清水足柄山 → 南足柄山

コウ
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あでゅーさん
読ませていただきました。まずは、ご苦労様でした。最後まで楽しんで一気に読めましたよ。ただ執筆の狙いでは「田舎道で少女にプラトニック。その結末は」となっていますが、その結末が書かれていませんね。物語があまり動かず、中途半端な終わり方に思えましした。

短編ならいざ知らず、一人称の長編は難しいですよね。私も書いたので、実感としてわかります。どうしても登場人物が少なくなるし、展開しづらくなる。そんな非常に難しいことに挑戦したわけです。書き切ったことに、敬意を表します。

これだけ150枚を越えて書けるということは、公募にも挑戦するつもりと察します。そう考えて、少し厳しい感想を書かせていただきます。もしそんなつもりがなければ、ここから先は読み飛ばしてください。

一人称では、その視点が一つしかありません。よって主語を書こうとするとどうしても「僕は」「僕が」が多くなる。私も、同様の失敗をしました。書き上げた後に読み直して驚いたし、推敲に時間をかけて2/3程度に減らしました。
御作も、「僕」の数をもっと少なくする必要があります。一人称ですから、「僕が」と書かなくてもほとんどの場合読者は理解できますよね。

>僕が目覚めると、清水弥生が子供を寝かしつけるように添い寝して、僕の髪をなでていた。
>僕は、驚いてルームミラーに映った清水弥生を見ると、うるんだ目で僕をみつめている。
一文に僕が二つあるのは野暮ったいし、前の「僕が」は何の問題もなく消せます。このように単純に消せるものも散見しています。

同様に、僕以外の名称も多く感じます。続けて名称を出さなければならないときには、「彼女」「彼」と言うような人称代名詞の使用も考えてみてはどうでしょうか。あと清水弥生とすべてフルネームで表記する理由も、理解できませんでした。

また書き癖を直すもしくは、推敲で直す必要があります。
例を挙げれば、下の短い文章には句読点の前に(~と、)が4つも出てきます。他の文章も読み直してみてください。異様に多いのに気づくはずです。また建物の中に入ったわけですから、次の(館内は、)は必要ありません。(机に座らせて)も意味はわかりますが適切ではありません。(ひとりがけの机)の重複にも、異なり形態の心がけた方が良いでしょう。

百円玉を入れてカギを(かけると、)ふたりで勉強道具をかかえて図書館の扉を開けた。中に(入ると、)二階まで吹き抜けていて、外から見たよりも広く見える。(館内は、)本棚群がいくつも重なり、その間を歩いて(ゆくと、)五人は座れる大きなテーブルが五つ(ほどと、)外壁に向いて(ひとりがけの机)が二十ほどある。みずきを、その中のひとりがけの(机に座らせて)、僕は立って話した。

僭越ですが、一例として少し直してみます。
百円玉を入れてカギを掛けると、ふたりで勉強道具をかかえて図書館の扉を開けた。中は二階まで吹き抜けで、外から見たよりも広く見える。僕らはいくつも重なる本棚群を抜けて、奥へと歩いていった。そこにはいくつかの五人は座れる大きなテーブルの周りに、外壁に向いた一人がけの席が二十ほどある。その一つにみずきを座らせて、僕は立って話した。

これはあくまで私の私見です。取捨選択のうえで参考になれば幸いです。お互いに頑張りましょう。

あでゅー
KD111239252241.au-net.ne.jp

コウさま。コメントありがとうございます。

>その結末が書かれていませんね。物語があまり動かず、中途半端な終わり方に思えましした。

それは、40000文字しばりで、エラーが出たので、星空文庫で全部読んでもらえるように、10章が終わったところに
『*つづきは、ホームページで。https://slib.net/a/18416/』
と書きました。どうでしょう?


『僕』と名前の連呼は、たしかに見苦しいです。直してみます。

『~と、』が何度も使われていること、気が付きませんでした。直してみます。

勉強になりました。ありがとうございました。

あでゅー
KD111239253085.au-net.ne.jp

10枚増量しました。16、17章です。
https://slib.net/a/18416/

さかもとクレオパトラ
sp49-104-34-153.msf.spmode.ne.jp

ちょっとしか読んでないですが
びっくりしました。
くろうしたんですねww
ソーナンス!
めっちゃ面白いですね!
がん面崩壊してました!
ねようかな

あでゅー
KD111239253225.au-net.ne.jp

さかもとクレオパトラさま

読んでくださってありがとうございます。
めっちゃ面白かったそうで、なによりです。
でも、最後の章は読んでほしかったなー。
星空文庫 https://slib.net/96833

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