作家でごはん!鍛練場
あずむらぁ

亡失

 生を受けて以来、師範の言葉ばかり信じていた。いや、ただ信じていただけなら救いがあった。何よりの誤認は、師範の考えを受け、俺自身が受け取った共感・違和感が世の理である、と誇らしげであったことだ。
 心に留めてはいたが浮かんだのだ。わずかな反抗心と、優位性に囚われた陳腐な感受性によって。無闇矢鱈に批判してやりたい、と。
 その留めた行為自体が、指摘からの忌避であり、愚か蜘蛛であったことに気付かせずにいた。



 師範の趣向により、俺は人間の住居に住んでいる。
「人の住居へ住むなら、風呂場を薦める。普通の部屋では人間だけでなく、別のリスクが待ち構えているかもしれないからだ。」
 霧状の毒物らしきものを噴射された経験も踏まえられていた様だ。それに、楽に生きやすい、というのも挙げられていた。局所的な強い光がある為、そこに群がる同居人を食せばいいと。
 これだけ師範が称賛し、安寧の地としていたにも関わらず、リスクに圧砕された。この風呂場にて。
 この風呂場を唯一出入りする家主に。
 余りに衝撃的な最期であったが妥当とも言えた。何故なら、俺と師範は生物的に全く異なる存在だったからだ。
 師範は、人間ないし別のリスクにつなぎとめられ、彼らから延命を奪取するか、命を剥奪されるかの二択である。その後者がもっともらしく表れた。
 師範は蚊であった。
 栄養補給をしてくる、と言って光線状の湯浴びをしている家主の元へ向かった。俺はそれを何となく眺めていた。
 そう、特になにも考えずに。師範が戻ってきたら何を話してくれるのだろう、と予測していた程度。最早師範のことを考えていなかったも同然。
 そんな状態で今生の別れを迎えるなんて。
 師範が俺の視界・世界から何もかも残したまま消失するなど、考慮するに値しない杞憂だと考えていた。
文字の通り俺は師範に盲目になり、崇拝・狂信していた。
 しかし、師範はそれを所望し、崇拝を強いて尊師と呼ばれることに快感を覚える方でなかった。寧ろそんな尊師とは似ても似つかぬ利他主義者だった。
 実際そうでなければ生物の違う俺に関わろう、など浮かびもしないはずだ。自分の生だけを考えようとする奴は、大概利己的で、いつまでも自立できないのだ。また厄介なことに、その当事者は「自分についてここまで考えられ、自愛に満ちている私は偉大だ。」と豪語したがる。
 今になって、師範を自分の考えにある不安・誤りに対する真偽を問う為の指標としてしか意識していなかったことが露になった。
 それでも師範は俺に何かを求めようとはしなかった。
 生きる術を教えた、などと大義名分を振りかざし見返りを求めたことは一度たりともなかった。故に師範が求めるべく「俺の在り方」を告げられたこともなく、漫然たる仕上がりとなった。
 師範が幸せだったのか、など今となっては測り知れないし、何も与えることのできなかった無力さに悔恨だけが打ち込まれる。
 あぁ、やはり貴方は俺と会うべきではなかった……
 
 師範は言っていた。
「課されたことを成すだけでは、いずれ誰からも評価されなくなる退屈が待ち受けている。またその退屈は、非情なまでに気付き難い」
 もう、生きているだけで評価はされない。
 失ってから何が大切か気付く。これを師範の死によって知らされたことは、我が人生において最高に汚い美学である。
 退屈とは何か、蜘蛛はまさに気付けずにいた。



 いつまでも憂うことはあの方の望むことではないだろう。そう思い、この住居における我が城の建設を行おうと決心した。
 現在は、まばゆく魅惑的な光源のそばの銀色の管の上にすんでいる。確かに食べることに困窮はしないが、照り輝く光は、気を失ってしまう程暑い。
 ならば光源が輝く時のみ距離をとればいい、と安直な発想が散らつくが、それでは城ではない。可能な限り動かずに、楽に生きたい。少し動くことすら煩わしい煩わしいと思ってしまう無精なのだ。そんな性分でよくこの住居まで足を運んだものだ。
 俺としては城予定地に、風呂場の隅を提案、している。そこは光源に程よい距離、かつ家主が出入りする扉の真上で、目につきにくいはずだ。
 無精だが、選択肢は他にない為、即行動に出た。
 城を築きながら辺りを見渡した。少し寒気がした。
 俺の直下には扉があるのだが、扉は死角に入ってしまい、確認できるのは銀色の変な形をした突起物だけだ。その先に映ったものが恐ろしかった。
 師範を最後に見失った場所、終末の穴が待機していた。
 そこは、家主の浴びた湯が吸い込まれていく仕組みで、穴より大きいか、糸のように長いものが絡みつかなければ、真に存在を失う。
 師範が家主の手のひらに潰された後、湯と共に流れ着いたのは、あの終末の地であった。
 ここに城を築くことの不安といえば、城の直下に忌まわしき穴がある、それくらいだ。
 後は家主がここを訪れた際、何が起こるか。脆弱さは指摘されて初めて明るみに晒されるのだ。
 天井・壁・壁の三点設置を基に築かれた城を達観・眺望した蜘蛛は、心底誇らしげで、挑戦に受動的だった。



 完全にはが暮れてしまうと、起きているのかも分からない程の暗闇に包囲される。外の世界にも光源はあるが、太陽とは異形の光が差し込む。それは風呂場を照らすには見合わず、寧ろ暗い場所を更なる深淵に誘うまやかしに過ぎない。
 けれど、日没後一度だけ橙色がまやかしを払拭するかの如く風呂場を染める。
 家主が現れた。さぁ、俺の城の精巧さを試す時が来た。
 しかし、先の満足感は大いに傷つけられ、死を意識させるまでの陥没を残した。
 風だ。家主が扉を開閉するときの風により、城は俺を薙ぎ落すように揺れた。予見可能な事態だったが為に、己に失望し、城にしがみつくことしか許されなかった。
 その後、俺の不安を煽るようなことはなく、家主は湯浴びを済ませ、退室した。その時の風は先程より弱々しく城を振った。
 用心するべきは家主の機嫌だ。扉を威勢よく開閉されようものなら、終末の地への失墜は免れられない。しかし、こればかりは俺に致せることはなく、家主の不機嫌が身を潜め続けるのを祈るのみだ。この場に城を築いた宿命だ。背負わねばならない。それにあの風を耐えられれば、次の日没後の家主再来まで安全が確約される。
 筆舌に尽くし難い幸福だ。
 そんな頃、同居人たちが姿を現しだした。同居人、と聞こえはいいが、実情は紛れもない敵だ。弱肉強食の外の世界と遜色ない。
 しかし俺からすれば、あの混沌とした下界よりリスクが減った具合だ。仮に俺を食す生物が、この暗闇の中、風呂場の隅という辺境地に赴くなど、有益な行動ではないことが明白だからだ。
 城下で展開されるのは殺し合いだ。互いに何の思いもなく、無意味と思える程の。そこに無礼・卑怯・粗末といった類の概念は存せず、須らくして「生きるために殺す。」のだ。無駄死がない正に有益的な世界だ。
 狂乱と化した城下であったが、それは我が身にも及んだ。小バエが来訪し城と心を揺さぶった。
小バエは俺と同等の大きさで、身動きが取れないことに困惑していた。俺が視界に入った途端、勘づいた様相で語りだした。
「幽閉からの脱出叶わず、最後は似非網戸。狂おしいぞ、運命とやらよ! 」
 哀愁を漂わせたかと思えば、自愛に満ちた捨て台詞。まして我が城を網戸扱いとは、憤慨に値する。
 小バエは付け加え言った。
「巣を張って待ち伏せるだけの等閑な奴め」
 こればかりは生物的性質に則っているだけなので、文句垂れないでほしい。
 少し、彼の発言ぶりが俺の生への抑止力となった。「幽閉」といった表現には如何なる意味が含まれているのか、急を要していない俺は詰問した。
「外へ出たいのか? ならその理由を教えてくれないか、事によっては……」
 言いかけた所に噛みつくように反応した小バエ。
「余裕な態度が癪に障るな。何の交わりがあって、僕を食すであろう貴様に、夢を語らねばならない。命を愚弄する外道! 交尾もできず退廃するなんて、世界一の不幸者だ、僕は」
 何故こうも一々俺を批判するのだ。彼の罵詈雑言は滅入ってしまいそうだが、一抹の滑稽さが抽出された。矢継ぎ早に浴びせられる罵倒は、勢い任せのようで、恐ろしい程に状況への理解を示していた。この理解力の高さは師範にも匹敵しうるのでは、と直感的に判断した。
 状況・思考・言動が異なるだけでこうも変貌してしまうのか。
 師範亡き今、退屈しのぎとしておあつらえ向きだ。そう思うと、俺は小バエに絡みついた糸をほどいていた。
「これは罠でも何でもない。お前に希望を散らつかせ、全てを略奪しようなんて気は毛頭ない。どうか許してほしい」
「僕を助けたと言って恩を売ろうたって無駄だぞ、尊大野郎」
「その減らず口をなんとかしろ、煩雑で仕方ない」
「随分と酔ってるな、僕が弱いからって」
 彼の正直が解き放たれると同時に城から飛び立って行った。
 すると一目散に小バエは網戸へ向かうではないか。呆然の最中、また余計な言葉を吐いていった。
「僕を逃したことを後悔したって知らないぞ」
 羽か口に細工でもしておくべきだったか。
 勝手に我が城に侵入しておきながらあの言い草、先の家主の入室より強大な嵐であった。

 後悔、と言っていたな。断言しよう、俺は過ぎ去ったことから学ぼうとする意欲はあるが、後悔はしない。あれほど愚かしいことなど。断言しよう。
 もし小バエの幸せそうな姿を見聞したとて、俺が餓死しそうでも、一切の責任は自分で取るつもりだ。それが命を愚弄した罪だと告げられようと、身じろぎも、嘆きもしない。
 何より、小バエを食ったから死なない、空腹を満たしたから死なない、というのは生の惰性によって生まれし幻想だ。
 そして、彼を見ていて、俺は自身を幼稚だと自覚した。
 彼を煩雑と扱ったにも関わらず、師範と比較した。彼の言動から根拠なしに断定した上で、無知かつ偏狭な天秤を乱用し、双方を同価値とまでみなした。
 何より幼稚なのは、俺の中に天秤が存在していることだ。
 そう銘打った蜘蛛だったが、にじみ溢れ出る愚鈍さには、釈明・抵抗もせず、呑まれていることにすら気付けていなかった。



「なぁ小バエ、お前には恨みはおろか記憶機関はないのか?」
 そんな疑念浮かばないはずがない。なんせあの「侵入恫喝事件」以来、帰宅するように俺の元を訪れるのだ。
 何をしにくるかといえば、辟易としてしまう程軽薄な自分語りだ。
 網戸の隙間が少し広がった、とか、家主の頭上を三度回ってきた、とか。
 下界への憧れも、リスクの自作自演による生の謳歌も、俺からすれば不毛である。
 そんな不毛な憧憬を聞いていて脳裏をよぎる懐疑。
 俺は小バエの話を聞く為に生きているのではないか?
 退屈に勝るものはあるが、鼻につく点もある。どうも彼は自身を演出するのに凝っているようだ。格段に話を盛る虚言癖の片鱗はないが、「失意」を麗しく悲哀な薔薇に見せようとする傾向がある。
 即ち、一見自愛に満ち満ちており、割れ物を扱うように丁寧だ。しかし、実態は己の脆さを露わにすることにより、心配を求める自己顕示欲の権化だ。
 慈悲深い人を欺こうと目論む阿漕な輩だ。
 そんな信頼性に欠如した彼と彼の話故、性格及び考えの基盤をざっくばらんに破砕できるのだ。
 大抵の自律式物体は、すべて自分が正しいと信じている。また俺も然り。
誤り、として指摘されても、実際に行動していた時は「この方法が正攻法だ」と信じてやまなかったのだ。基の理論が緻密な程に。
 その為、俺と小バエの意見の相違は、総じて小バエの誤りである、と根拠の無い強さに相当なまでの自信があった。
 小バエは、そこはかとなく無知蒙昧だからだ。
 彼は如何にも偉大な発見したかのように全てを語る為、邪険に扱い難い。だから、意見をするように彼の誤りを闇討ちするのだ。これがまた嘲笑に相応しい小バエの愚鈍さを披露するのだ。取り繕うように新しい意見を述べ、根も葉もない理論をのたまい、抗弁する。その抗弁は、俺の指摘に対するものではなく、彼の過敏な感情の起伏によるものだ。
 それが俺の優越感を極上にまで至らしめる。
 後述は、つい先の出来事だ。



「蜘蛛、君はなんで外へ出たがらない、あんな素敵な場所なのに」
「ここに居る皆が皆、外の世界に憧憬のまなざしを向け、恍惚としている訳ではないからだろう。少なくとも俺はその側だ」
「外の世界に嫌な思いでもあるのか? 」
「外を嫌う点はないな、風呂場の方が好ましいから、ここにいるだけだ」
「風呂場に好ましい点なんてあるか? 不便で退屈なここに定住しようだなんて、君の意向は全く理解できないね」
「その場所を好くかどうかなど、生物ないし価値観によりけりだ。お前にとって住み心地のいい場所が外なら、俺は風呂場であった。不思議なことではない。言わせてもらうが、敵が縦横無尽に混在した世界から、蜃気楼にも等しい交尾の相手に巡り会おうなど無謀だ。ならば、のうのうと楽に生きて、やさしく過ごすべきなのだ」
 小バエは沈黙した。しかし、その沈黙は猛獣に豹変し、俺に鋭利な牙を見せつけた。
「全力で生きずに、何がしたい? 延命への傾倒は、いずれ自己嫌悪といった形で表れ、逃奔叶わず心身もろとも張り裂けてしまうぞ」
「それは後悔というものによるものか? なら俺はそんな目に合わない。今お前に向けられた事柄に対しても、己に非があり、責任として確立させ、転嫁することなく真摯に受け止めている。そして、同じ過ちを回避する為省みてもいる」
「そうじゃない。教訓になりもしない過去の咀嚼を後悔と言いたいのだ。君のその生き方では過去すら作られないぞ」
「では粉骨砕身の覚悟で雌の尻を追って儚く散りゆくのがお前の美学か? 本能も抑えられない浅薄な奴だな。」
 さすがに、彼を否定しすぎた。いや、彼自身を。目前は総じて敵だ、と識別した色眼鏡は、行動までも攻撃的に染めていた。
「何もしてない奴が、他者の行動を踏みにじっていいものか! 」
 激昂した小バエは涙ぐみながら叫んだ。そしていつものように、網戸へ飛んで向かった。余りに覚束ない飛び方だった。
 城に残された涙は、彼よりも感情を物語っていた。



 目覚めの違和感は、何に依るものか推測することを遮る如く、山積みになっていた。
 浴び慣れてない直射日光、直近には脱出の手立て網戸、身体の自由を奪う鈍痛、毅然とした様子で真横に佇立している小バエ。力説できるのは、俺が混乱の窮地に立たされているということだけだ。
 最早何も理解したくなかったが、それを理解しようともせず小バエは開口一番言い放つ。
「いくら僕を打ち負かしたからって、朝になるなり床で仰向けになって唯我独尊を誇示することはないだろう? 」
 一つ判明、この鈍痛は白から落下した時の衝撃によるもの。
「君とて家主に踏み潰されたり、終末の地? へ流刑されれば、その饒舌も使い物にならないんだぞ。昨日の一件の後、家主が襲来しなかったから良かったものの」
「何故わざわざ助けた。お前からすれば俺は憎悪の対象なのだろ? 」
「即座に僕の否定にかからないってことは、よっぽど昨日の結果に満足したのか」
 もっと俺を貶したがっているようだったが、何かに囚われているかのように静止した。
 昨日の不毛な議論とは打って変わって、会話がかみ合わない。というより互いの思惑の一方通行といった心地だ。
 それに、彼の言葉には情も籠っておらず、無慈悲に鋭い痛みを突き刺すだけだった。
 そこで、だんまりな俺を案じたのか、俺を巣に帰らせようとする小バエ。手足を二本残して掴み、空輸を始めた。
 混乱は悪化の一途を辿るが、構わず小バエはしゃべる。
「速度は目をつむってくれ。落っことさないよう細心の注意を払って飛ぶからさ。」
 彼は誇らしげにはにかんだ。
 昨日あれだけの難癖をつけられ、さぞ不快感を覚えたに違いないのにこの佇まい。あたかも清廉潔白の権化のようであった。
 初めて羞恥心なるものを抱き、この状況と同じく、手放してはいけないものだと感じた。
 そしてまた、唐突に理路整然とした自分語りを始めた。
 心理状態に依るものか、彼が偉大なる不世出な正直者に思えた。
俺を助けた理由を今一度問うと、雲を抱えて飛んだなんて一生自慢できるじゃないか。語り継がれるべき神話にもなりえるぞ、と告白した。
 なんだかむず痒い気分になった。俺が倒れていたから助けた訳ではなく、自身の名誉のためであった。なんとも彼らしいではないか。
 俺を巣に運び終えるなり、屈託のない笑顔で、また後でな! と言い去っていった。向かう先は当然網戸だった。
 彼に諦念というものはないのか? 今まで垣間見ることもなければ、今後も姿を現しそうにないとすら感じさせた。



 俺は今まで生かされていただけだった。そんな自嘲が辻褄合わせに最適で、耽溺性に富んでいた。
 師範や小バエに何を教わった。そこから何を還元した。何も成さず、自分本位に生きてきただけではないか!
 これを後悔というのか、気味が悪い。何度吐き出そうと、生命を脅かす不安として蝕み続ける毒のようだ。
 悠悠自適は錯覚で、実態は怠惰だった。



 斜陽の中、日没は平和の剥奪する予感させた。
 風呂場の静寂を打ち砕いたのは、家主だ。普段と格好が異なっているが、あの風貌は家主に違いない。
 肌は、薄い緑色の布に覆われ、仰々しい量の道具が持ち込まれた。用途は不明だ。
 すると、道具と家主は結託し、凄惨なる大虐殺を披露してみせるのだった。
 最初、同居人達に害を及ぼすようなことはせず、家主は黙々と湯の留め場を磨いていた。持ち込んだ道具を手に取り、泡を吹きつけ、伸縮性に特化した箱らしきもので様々な場所をこすりつけ。
 家主はいたって沈着だったが、昏迷を起こしたのは同居人達だ。事例の無い事態だったようで、何を血迷ったのか、家主の前に飛び出す奴すら現れた。無論、呆気なく鎮静されたが、それほどどう対処するべきか     判断し難いな緊急事態なのだろう。
 奇行に走る奴はごくわずかだったが、ほかの同居人達は震えが止まらず、迂闊に動けずにいた。家主の目につく場所にいた彼らは逃げる間もなく終末の地へ送られた。
 同居人の半数近くは、この短時間の内に粛清された。直視するに耐え難い阿鼻叫喚であった。
 そんな中、ひとりの友人の身を案じた。小バエ、小バエ、どこにいるのだ、小バエ。
 真っ先に網戸へ視線を向けた。凝視すると網戸にへばりついているのを確認した。
 安堵よりも先に祈念が沸いた。どうか友を見逃してくれまいか。
 安寧の地に身を納め、祈ることしかできない無力さを痛感した。
 しかし、祈りは網戸に遮断され、友は意気揚々と飛び回った。そう、網戸の向こう側にて。
 ついに網戸をくぐり抜けたようだ。もう外の世界は間近だ。本来網戸をくぐり抜けた先にはもう一枚押し出し式の窓があるが、それは既に開いている。
 祈りは喜ばしく拒絶されたのだ。さぁ、飛べ! お前という奴が、この惨状に出演する必要はない、飛べ! 
「うわぁぁぁぁぁ! 」
 突如響き渡る家主の叫び、蒼ざめた形相、床にて体を離散させた風呂場の主ゴキブリ。何もかもが最悪だった。
 尋常でない生命力を持つといわれていた主の死は、正に終末を感じさせ、離散した最期の残骸は、見る者全てにこの上ない忌まわしさを与えた。何よりの最悪は、小バエが家主の叫びに振り向くと共に、俺の存在を確認してしまったことだ。そして、どういう訳か、家主までもが俺の姿を確認してしまった。
 家主とのにらみ合いは、今までのいかなる時より退屈で、恒久に続くとすら思われた。万事休すか。
 しかし家主は視線を逸らした。が、一難去ってまた一難。友が網戸をくぐり、こちらに呼びかけた。
「ついにだ、ついに外に出られるぞ! 今そっちに行くから待ってろ! 」
 あの様子では、何も知らないようだ。家主と同居人による一連の顛末など。
 こちらの悲痛なまでの制止は、飛び立つ彼と裏腹に沈んでいった。
 すると飛び立つ小バエを待ち構えていたかの如く、家主の威勢のいい合掌の中に埋まった。
 一瞬、彼のこざかしさに期待したが、覆水盆に返らず。
 小バエは家主の掌で、最期を迎えた。内臓は飛び散り、部位はあらぬ形となり蓋然的に存在していた。
 その姿に驚きや失意の念はなく、友を失った、それ以上の思考は構築されなかった。
 家主はバラバラになった小バエの亡骸を大事そうに指先にのせ、俺の元へ近づけた。
 かつての友は、指に騎乗しながら逃げ惑う俺を追跡してきた。城は、城主が家主にすり替わったように、俺をひっ捕らえた。
 新城主は、俺に直接攻撃をしないものの、ひどい恥辱を与え浸食していった。苦役に追いやられたにも関わらず、恨むことしかできない。
 徐々に巣は崩落し、自身が半歩も動けない程に改修された。これ以上新城主もとい家主の悦楽に加担するのは犠牲者への冒涜だ。もう辛抱ならない。
 覚悟の上、初めて自主的に動いた。
 友の遺体を強奪し、向かった。巣の直下の終末の地へ。
 落下の最中、これ以上の延命は無駄だ、と英断したのに、友を食した。生の欲にそそのかされ、小バエをなぶるように食い荒らした。最後の食事は憎らしくも美味であった。
 俺は友との遭遇を嘆いた。友の残忍な死は、俺が決定づけたといっても同然だ。
 結局俺は何も変わらず、他者の運命をいたずらに変革しただけだった。
 あの時小バエを逃したことについて、今、後悔してしまった。

亡失

執筆の狙い

作者 あずむらぁ
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再掲
数年前にあげたもの且つ、初めて書いた作品です。
とても読みづらいかと…
何か汲み取れるものがあれば幸いです。

コメント

i114-185-207-178.s42.a027.ap.plala.or.jp

誤字が目立つ。
狭い浴室を舞台に繰り広げられた生死。
短編小説だが読み応えは充分。

群青ニブンノイチ
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これは要するに落語のようなものだと勝手に思っているのですが、

>再掲
数年前にあげたもの且つ、初めて書いた作品です。

とのことですが、改稿されたということですか。
その後、現在に至るまでにどんなことを書かれていますか。
個人的には書き終えてしまったものに過去を眺めることはあっても蒸し返す趣味はないタチなので、そういった執念のようなものには案外理解を思いつけないのかもしれません。

例えば小説らしいものを書きたがる上で思いつくべき“ネタ”のようなことは必要なのかもしれませんが、この場合は同じく“ネタ”という言葉を用いるにしてもそれはまた意味の違う“ネタ”のような気が何となくしているわけで、つまりはガイドに手を引かれることを基にした“ネタ”は半分自力を必要としない準備体操のような手加減を感じさせなくもない、という個人的で勝手な思い込みにおいて、例えば“擬人化”なるジャンルあるいは表現方法のようなものをややも作為としての貧弱のように見損ないがちな性格なものですから単純に、その後、人間のことを人の世で思いつけましたか、と言った意味においては落語とするにも創作としてのスケールはあまり感じさせられないなあ、ということなのかもしれません。

小さな虫に人の皮を被せることは小さなことなのか、大きく化かすことなのかはわかりかねるのですが、少なくとも”被せる”という感触について個人的にはもっぱら退屈のような手抜きのような態度を思いつかないでもないところがあるものですからつまり、クモと小バエの関係をどういった景色に変換して眺めたくさせられるのかのようなことにはあえて触れたくないように思わされなくもないのだし、それもまた何かしらに”被せる”ような窮屈さを感じさせられなくもないことにこそ、最低限達者であるらしい語彙の操りだとか単純に言葉の多さのようなことは認めつつも、所詮面白いとも好みとも属せない読書体験というものは、とっくの昔に覚えがあってもはや棚に仕舞われたきりのような気がするなあ、というのがこの作品のみならずアイデアあるいは手法のようなことに思わされがちなあえて好むほどでもない感じ、のような気にさせられたということでした。

誤字が多すぎることもそんな疑わしさに追い打ちを掛ける気がするので、再掲ということならそれも殊更に、ということなのだと思うのですが、どうなのでしょうか。

あずむらぁ
pw126035229197.25.panda-world.ne.jp

群青ニブンノイチさん
感想、ご指摘ありがとうございます。

・落語のようなもの
言われてみるとそういった見方もできますね。これを書き上げた頃は落語を少しばかり聞いていたので、作品に影響しているのかもしれませんね。

・再掲の理由
としましては、また新たに書き始めたいから、というだけです。
それにあたり、身の周りの方に読んで欲しい為、こちらにあげさせて頂きました。
私的かつ身勝手なサイトの使い方なのは自覚しています。
そういった利用、再掲などは今後行うつもりはありません。

・誤字の多さ
言い訳、弁論の余地はなく、単純に僕の確認不足です。
この作品を書き上げたのが、2年前ほど…
何か直すために、手をつけた覚えはありません。

あずむらぁ
pw126035229197.25.panda-world.ne.jp

夜さん
感想、ご意見ありがとうございます

・誤字について
は僕の確認不足です。
2年ほど前に書き上げてから、何かを訂正などした覚えはありません。
読みづらかったと思われます。
ごめんなさい。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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