作家でごはん!鍛練場
早起ハヤネ

図鑑動物園

第1話 図鑑動物園


「なぁ。今話題の、図鑑動物園へ行ってみないか?」
 あれ、俺、気になっているんだよな、と若澤佑二は言った。
「図鑑動物園? なにそれ。まったく流行ってなさそうなところね」
 恋人の道原東湖は小猿のように首をかしげる。
「いや、そんな流行っていないテーマパークなんてありふれていて今さら大きな話題にもなりやしないよ」
「じゃあ、なんなのさ」
「図鑑動物園は、動物とか昆虫とか魚とかあるじゃん。そういう生き物たちをまとめて見ることのできる図鑑の図鑑だよ」
「意味わかんない」
「図鑑の意味はわかるだろ?」
「当たり前だろ。バカにすんな。私はこう見えても、古生物学を学ぶ学者の卵なんだぞ」
「知ってる。こう見えても、って、どう見えてるか言ってほしいの?」
「言うな。どうせ中学生とか言うに決まってる」
「いや、違うね。それは正確じゃない。一見すると高校生にも見えるけれど実は中学三年生で受験が終わって一息ついた頃に友達とみんなでディズニーランドへ行こう、っていうときの中学三年生かな」
「長い! ふざけんな! どっちみち中学生じゃんか」
「でも、頭脳は、大学院生? だろ? いいじゃん、別に。今中学生ってことは、あと十年したら、ちょうど今くらいの年齢になるんだぜ? 若さを保てるってことだ」
「そういう計算にはならん!」
「それより、行くのか? 行かないのか?」若澤は話を打ち切る態勢に入った。
「行くわよ。もちろん。デートでしょ?」
「まぁ、そういうことになる。でも、俺一人でも、絶対に行ってるけどね」
「余計な一言が多い」
「じゃあ、週末の土曜、九時に現地集合で」



 札幌市は、中央区、円山公園の麓にある図鑑動物園。
 その日は、きのうまでの猛暑日が少し和らいだものの、体感、気温三十度越えは必至だった。
「その昔、ここには円山動物園っていう本物の動物を飼育している動物園があったの、知ってる?」道原東湖が聞いた。
「ああ、知ってる」若澤佑二は答える。「今はもう絶滅していないライオンとかトラとかホッキョクグマなんかもいたんだろ?」
「タイリクオオカミやゴリラやチンパンジーもいたらしいよ。いやぁ残念。この目で本物を見てみたかったなー」
「そうなのか。今はもう絶滅した動物たちが。なんだか切ない話だよな…。かつてこの世にいた種が絶滅する、っていうのは。進化の過程で淘汰されたとか、気候変動でやむなく絶滅したとか、別の種に収斂された、っていうならまだしも、それらの絶滅の主因は人間だって言われてるからな」
「それより、佑二のその格好……」道原は、アゴにピストルの形を作った左手を添えている。恋人を値踏みしているようだ。「まるで近くのコンビニへ行くみたいな服装だ…」
 ロックバンドのシンボルマークのついたプリントTシャツに、下は使い古して色の剥げかかったジーンズというファッションだった。
「別にいいんだよ」若澤は心底からイヤそうに眉根を寄せた。「別に誰も見てないって。みんな自意識過剰すぎるんだって! 芸能人じゃあるまいし。誰もが振り返るようなイケメンとかいうんだったら、もっとファッションにも検討の余地があるだろうけれど俺は平凡な男だし」
「私が見てるじゃん…」道原は若澤のTシャツの裾を引っ張った。普段は研究一筋であまり表情を見せないがこういったカワイイところもある。だが、若澤は人前で恋人らしくふるまうことは好きではない。
「見なくていいよ、別に」若澤はつっけんどんに言った。
 それより、早く行こうか。
 二人は、図鑑動物園のゲートへ入っていった。


第2話 入場


 どうやら想像していたものと違ったらしいと若澤は思った。
「図鑑動物園というから、各国から集めた希少種を飼育しているのかと思ったけど…」
「まさか自分たちがVRで動物になって楽しむテーマパークだとはね」道原は肩に鷹でも止まらせたかのように肩を持ち上げるオーバーアクションをした。「でもちょっと面白そうじゃん」
 受付でどの動物になりたいか問われた。
 なることのできる動物一覧が提示された。かなりの種類がある。道原の話ではほとんどが絶滅した種のようだ。
「ねぇねぇ、麻衣〜あたしこのホッキョクグマっていうのがいいんだけど〜カラダが大きくて一番強そうだしぃ〜大物感スゲェ」
「一番強そうというなら、トラでしょ」もう一人の女の子が答える。どうやら高校生同士の友達のようだ。どこかで見たことのある制服だ。若澤自身が通っていた高校だった。あそこは、スペシャルな高校で、専門性の高いコースがいくつもある。大喜利恋愛学とか四次元建築学とか。若澤は、実践的実利哲学コースだった。
「ほら、見なさい、一木。この縞模様、どっからどう見ても威圧的でしょ」
「じゃあ、そのトラにする〜?」
「いや、やっぱよそう。トラはちょっと強すぎてNGな気がする。格ゲーで最強キャラを使って強くても、ズルいっしょ」
「じゃあ、このライオンは?」
「模様がないだけで、トラとほぼ一緒じゃん。ダメだよ〜」
「タイリクオオカミは?」
「タイリクオオカミはいいね。バランスが良さそう」
「じゃあタイリクオオカミにしよう。決定」
 若澤たちと道原の番がきた。
「どうする?」若澤が聞いた。
「私は、モチ、ライオン」
「ライオンはズルいって彼女たちが言っていたぞ? いいのか?」
「ライオンは太古の昔、ヨーロッパ大陸のあちこちにホラアナライオンっていう種がいたのよ。でも、彼らは、その頃の現生人類やネアンデルタール人と獲物をめぐって競争関係にあってね、競争圧力に負けて絶滅しちゃった。亜種のライオンが生き残ったけれど、それも生息域の縮小や人間の介入によって絶滅しちゃった。だから、私はライオンにする。ライオンになってみたい」
「お姉ちゃん、動物に詳しいね」後ろから少年が話しかけてきた。
「一応、大学院生ですから」道原は胸をドンと叩いた。
「ぼく長田理っていうんですけど、学校では昆虫博士って言われています。一番好きな昆虫は、アリです」
「いいねぇ、アリ」
 道原は口に両手を持ってきて器用にアリのキバの真似をした。それからベストフレンド、アリ……とボクシングのファイティングポーズをとるとふざけて出会ったばかりの小学生男子と、イェーイ! みたいなノリでグーでこぶしとこぶしを突き合わせようとしたが、少年はノッてくれなかった。
 スベったと思ったのか困り顔で若澤を見つめてから、あらためて少年に問いかけた。
「昆虫博士くんは、なんの動物にすんの?」
「ぼくはシマウマですね」
「え! マジ! 小学生なのに地味なところ持ってくるね〜。マジ、サイコー。ていうか、私ライオンになるつもりだから、食っちゃうぞ〜」
 道原は、少年の頭をバスケットボールみたいに掴むと、「ガオー」と大きく口を開けるアクションをした。
「マジ、そういうのやめて下さい」
 ガチでイヤがられたので、道原は両手を合わせて謝った。
「ごめんね。でも、シマウマって自然淘汰っていう長い時間を経て、あの縞模様にたどりついたからね、決してハデな生き物じゃないし、ライオンの獲物になりうる、っていう視点でしか見られていないこと多いけれどやっぱり動物はぜんぶ尊い存在だよね」
 利発そうな少年に、道原は難しい問いかけをした。
「ところで、人間はどうして草食動物よりも肉食動物の方により関心が高いのか、考えたことある? 昔の動物園でもさ、やっぱライオンとかトラとかシロクマとか猛禽が子供達にとくに人気あったらしいよ。映像作品にしても、シカとかシマウマとか、彼らには何の罪もないから申し訳ないけれどホント地味だからね。それよりも、ライオンとかトラとかチーターとかの捕食シーンの方がずっと人目を釘づけにしやすい」
 ナゼ? とホームドラマの外国人みたいな陳腐なアクションをした。
「やっぱりハデだからですよ」長田はきっぱり言った。「人間は、血湧き肉躍るシーンが好きなんです」
「それはどうしてかしら?」
「退屈しないからです」
「そりゃそうね」道原はアゴに人差し指を添えた。「どっかの誰かさんが研究している実践的実利哲学も、非常に退屈な学問だものね。それよりかは、私のやっている学問の方がずっとエキサイティングだわ」
「おいおい、そこで俺のことを引き合いに出すのか? 実践的実利哲学は、以前と比べて、実際的になったっていう将来性が認められて、昔に比べて研究費も降りるようになったんだぜ。哲学暗黒時代はもう終わったんだ」
 おい、とわざと低い声で言いながらバレーボールでも握りしめるみたいに右手を道原の小ぶりの頭に乗せた。軽く力を入れる。すぐに手放すと話題を戻した。
「…まぁ、確かにさ、映画でもアクションシーンは退屈しないよな」
 若澤も話に乗った。
「つまり?」
 道原は両者を悪ガキ二人に言い諭す小学校の教諭みたいな目で交互に見た。
「つまり、人間もまたライオンやトラのように捕食者だから、ってことだろう」
 若澤は答えた。
「ちょっと! この子に答えさせてあげようと思ったのに…。まったく大人気ないなぁ」
「そりゃないだろ。東湖いま、俺の目をちらっと見たじゃん。つまり、俺にも解答権がありますよってフリだろ」
「待って下さい」長田がぴしゃりと言った。
「なに?」と道原。
「それだけじゃないと思います。ちょっと考えたんですが、大昔まだ道具も持たない頃の人類は自分たちより体重の重い大型捕食者を恐れる暮らしを送っていましたよね。人間も捕食者でしたが人間たち自身をも脅かす猛獣はそこらへんにごろごろいましたから。彼らはとくに、夜行性で夜にハンティングをします。人が闇を怖がるのは、この本能のためですよね。月が出ると安心するのはこの逆の心理です。つまり、人がより強い猛獣に興味を引かれるのは、常に興味を抱く、すなわち警戒していないと生き延びられなかったためだと思います」
「なるほど。やっぱり君は賢いね」
 道原がわしゃわしゃと頭を撫でたら、心底からイヤがる表情をして離れた。
「なんだー。こんな美人のお姉さんによい子よい子されて嬉しくないのかー」
「やめろって。頭を撫でられることが生理的にイヤな人っているんだよ」
「佑介は?」
「俺もイヤだ」
「あーもー。つまんないカレシ」
「ちなみに、カレシっていう呼び方もキライだ」
「なんでー?」
「幼稚くさいからだ。中学生高校生カップルがカレシとかカノジョというのはまだわかる。だが、大学生にもなってカレシカノジョは、ない」
「じゃー、なんていうの? メンドくさい若澤さん的に」
「恋人だ」
「えー! なんか照れるね〜恋人かぁ。でもいいね〜大人の恋愛ってカンジがするよ〜」
 そうこうしているうちに列の後ろが詰まっていた。抗議の声と怒号が飛び交っている。
 長田理は迷った末トラを選んだ。


第3話 まずは猛獣ゾーンへ



 入場した者から先に係員からリストバンドをつけられた。遊べるブースがいくつかあり、チームプレイらしく、若澤と道原、長田の三人は、Aステージに分けられた。他にも、先ほど前に並んでいた女子高校生二人組もいる。彼女たちもAチームのようだ。他に信楽焼のたぬきみたいな恰幅の良い中年のおっさん。
 おっさんは名乗った。
「わしは、江部裕之だ。仕事は、コンビニのシステム管理者をやってる」
 あいさつもそこそこにAステージ班は、遊ぶための機器を身につけるとさっそく専用のブースに入った。
 安っぽいタイトル画面とともに始まった。
 気がつくと若澤はサバンナの真ん中の草地でシマウマになっていた。なんだかとても視野が広く、耳も鋭敏である。隣で草を食むデフォルトらしきシマウマの草を食む音や、消化する音まで聞こえてくるようである。
 ただ、脈が速く、いつもどこか怯えていて、警戒心を解ける安らぎという瞬間がまるでなかった。つまりリラックスできない。常に緊張している。
 若澤の耳が、ある音を捉えた。風上の方にある茂みから、サラサラ…と音が聞こえる。そよ風が起こしている葉ずれの音かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 そうではない可能性って、じゃ、なんだ?


 気がつくと道原東湖はサバンナの茂みで、メスライオンになっていた。周りにも他のライオンたちがいて、デフォルトかもしれないし、他のプレイヤーかもしれない。
 どちらかわからないが道原は物音を立ててはいけない、という強迫観念みたいなものにとらわれていた。これは鉄則だった。何をつけてもこれだけは優先させねばならない。物音を立てるな。これは法律よりも絶対である。今の自分にとっての絶対的価値観である。本能と言い換えてもいい。
 視界がいやに狭い。前方のある一点だけしか見ていない。普段はひなたぼっこして静かな心が今は興奮でドキドキしている。
 目の前に、のんきに草を食んでいるシマウマがいた。
 こいつを襲わなきゃと脳の一部から指令が下った。あるいは食欲の刺激である。ゲームにもかかわらずお腹も減っているような感じさえしてくる。
 飛び出すタイミングを見計らった。ちょうど短距離走の選手がスタートの合図を待っているように。



 若澤は反射的に駆け出した。理屈ではない反射だった。危険を知らせるアラームが理性ではないどこかで警告している。慌てて身を翻したときにライオンが視界に映った。そこからはスローモーションだった。若澤の駆け出しを合図に他のシマウマたちも一斉に逃げ出した。
 なぜ俺が標的に? 他にもいっぱいいるのに。
 絶望的な理不尽を感じながら若澤は逃げ続けた。茂みという茂みが全て恐怖だった。この茂みにもう何頭かのライオンが息を潜めて待っている可能性もあるからだ。ライオンはそういう連携プレイをするという話を前に東湖から聞いたことがある。
 幸いにも今回それはなかったが若澤は致命的なミスを犯した。逃げ込めるブッシュの密集地帯まで来たはいいが、低木に足を取られて転倒してしまったのだ。
 その瞬間、ほとんど間を置かずにライオンが喉元に喰らいついてきた。ゲームなのでとくに痛いということもないが心臓がバクバク脈打っている。捕食される側にとってあまり心臓にいいゲームではない。




 BGMとともに安っぽいコンピューターの音声が聞こえてきたかと思うと道原は次の瞬間サバンナの真ん中でクロウサギになっていた。
 イヤホンから若澤の声が聞こえてくる。
「おい、東湖。今俺を襲っただろ?」
「やっぱりあのシマウマ、佑介だったの? めっちゃ楽勝な狩りだったよん。だって自分からすっ転んじゃうんだもん。野生じゃ真っ先に命落とすツキのないタイプだね」
「まぁそうだな。それは認める。一番の標的にされたところもツキがない。それはそれとしてどうして今度はクロウサギになってるんだ?」
「わかんない。そういうルールなんじゃないの?」
 心拍数がいやに速い。視野が広い。シマウマの比ではなかった。真後ろ以外はほとんどカバーしているといってもよい視界。まるでパノラマ写真だった。その視界に、のっしのっしと歩くホッキョクグマの姿が映った。
「マジかよ。サバンナにホッキョクグマか。ずいぶんユニークだなあ。とにかく逃げろ! ダッシュだ!」
 若澤が叫んだ。どうやら捕食された側と捕食した側は、プレイヤーとして共有するらしい。
「大丈夫だよきっと。今の私は俊足俊敏なウサギだからね。あの巨体に襲われて捕まるほど鈍くはないと思うから」
 その言葉通り、道原は跳ねるように二つ飛びでブッシュの中へ隠れると少しだけ身を潜めてから、できるだけ遠くまで逃げた。
 穴だった。穴を探さないといけなかった。


第4話 トリセツ


「どうやら草食動物が肉食動物に捕食されたら、別の動物に変わるっていうシステムらしいな」
 若澤の声がイヤホンからきこえてくる。
「そうみたいね」
 道原はどんな状況でも受けて立つといった凛とした声である。
「まぁ、たしかにそうだよな。最初からライオンとかトラになったら、そいつらが最後まで生き残るもんな」
「でもこれって、生き残りゲームなのかしら」
「言われてみると違うと思う」
「だよね。ただ動物になってみて楽しむゲームだと思う。というか、そうであってほしい。いずれにしてもクロウサギとはね。スキル自体はかなり弱くなったね。毛色も目立つし」
「頼むぜ、師匠。俺はなあにもできねぇ。しゃべるくらいしか、な」
「しゃべりすぎて私の集中力を乱さないでね。あまり有利な状況とは言えないけれどこの俊敏さで最後まで生き残るわよ」
 ようやく見つけた穴の中に隠れているからか視界はだいぶ暗い。その時イヤホンからブーンブーンと警告音が鳴り今度は視界が赤くなった。
「な、なに? まさかハンターが来たの?」
 だとしたら袋のネズミだった。ところがいくら警戒して待っていてもそのハンターは現れなかった。
「もしかして…これはいわゆる空腹アラームなんじゃない?」
 道原が言うと若澤の声が返ってくる。
「そうだ。そうにちがいない。このままじっと穴にこもっていたら最後まで生き残れるかもしれないけどそんなんじゃゲームとしてつまらない。早くここから出ろってことだ。そして一定時間経過するとたぶんゲームオーバーになる」
「クロウサギの主食というとやっぱり草花よね。昆虫も食べるんだったっけ? 下草はサバンナにまばらに生えていたけど…辺りを警戒しながら食べないといけないわね」
「クロウサギの天敵といえば、猛禽とかキツネとかヘビか?」
「空と地上の両方を注意しないといけないのね。佑介、あんた空の方を警戒頼むわよ」
「オッケー」
「じゃあ、いっせーので、出るわよ! いっせー、の」
「で!」
 クロウサギは穴から飛び出した。巨大な鳥が上空に旋回している。
「めっちゃやばい! 逃げろ! あれタカじゃん!」
 若澤が叫ぶと道原は鼻をピクピクさせた。
「ハゲワシね。だいじょうぶ。ハゲワシは腐肉食動物だから」
「なるほど。そういう話きいたことある」若澤はそれでも警戒をゆるめない。「でもさ、たとえ腐肉専門だろうが、空腹を感じたらこんなちっぽけなウサギを襲おうこともあるんじゃないか?」
「そういうこともあると思う。当たり前だけど自然界では空腹になったらなにが起きるかわからないからね。臨機応変に食料を変えることで進化してきた種もいるし」
「だろ? だから逃げよう」
「それは自然界の話。これはゲームだから、ちゃんとハゲワシのデフォルトは忠実に生態を再現されていると思うからだいじょうぶ」
 ほら見て、と道原は言う。「さっきからぐるぐる回っているだけで降りてこない」
「じゃあ、クロウサちゃん、サバンナをめぐる冒険の旅に出よう」
 若澤は右こぶしを突き上げた。



第5話 サバンナでデート




 道原は若澤のガイダンスに従ってサバンナを疾走していた。
「前方にアカシアの木がある。ウサギだからそこには登れない! 左にはヘビがいる! 右だ! 右に直角カーブだ!」
「ウサギだから木には登れないってフレーズいらないわよ! その余計な一言でだいぶ時間をロスしたわ!」
 道原はタイリクオオカミに追われていた。
 サバンナになぜオオカミ? という問いかけはもはやナンセンスとさえ言える。ホッキョクグマさえ出現したのだから。
 とりあえずオオカミである。しつこく付け狙われて初めてわかる。一匹しかいないのだがその底なしの持久力。しかも、デカい。イヌの比ではない。大物感がある。気高さもあった。群れで追われていたら、もっと状況は厳しかっただろう。
 元々、気性のおとなしいタイリクオオカミを飼い慣らして、ヒトになついたタイプの温和なオオカミとオオカミを繁殖させて、イヌ、というヒトに忠実な全く別の動物を生み出したと言われている。
 鋭い眼光、突き出した鼻、唸りを上げる牙、なによりその執念と追われる者の感じる圧。今ここにいる個体はイヌになれるタイプのオオカミではない。
 どのくらい逃げただろうか。始めはスタートダッシュで俊足を飛ばして距離を突き放したものの逃げ込める巣穴がいっこうに見つからず、今はもうバテて足が動かなくなってきている。
 ブッシュに隠れて身を潜めても嗅覚に優れ、賢いオオカミには通用しないだろう。後ろからは、「ハッ、ハッ、ハッ」とオオカミの息継ぎの音がきこえてくる。
 なまじ耳がよくきこえるだけに恐怖心が募るばかりだ。
 心拍数も上がってきている。
「東湖! 心拍数三百を超えた! 人間だったら異常な数値だ! なんかよくわからんが数値が見えるようになってる! リストバンドと連動しているみたいだ! 少し休んで息を整えろ!」
「そんなわけできるわけないでしょ! 後ろからオオカミが来てるんだから!」
 言い合いをしているうちにオオカミの前足に引っかけられて転んだ。すぐに首根っこに牙を食い込まれる。
「ピーッ!」断末魔が上がった。
「あ、食われる」まるで緊張感のない若澤。
「ゲームオーバーになっちゃう!」とこちらも緊張感に乏しい。



「次はなんだ?」と若澤。
「サル?」と知らない女性の声がした。若そうな声である。
「いえ。これはチンパンジーよ」道原の声が応じる。
「チンパンジーってサルに似ているんですね」また知らない女性の声である。
「サルよりも賢い生き物だったのよ。私たちヒト属と非常に近い種だったの」
 道原の声が弾んでいる。絶滅種に出会えたからだろう。
「ところであなたたちはオオカミだった人たち?」
「そうです。オオカミです」最初の女性の声が返事をする。「どうして知らない人の声がきこえるの?」
「そういうシステムなのよ」道原は先輩風を吹かせるように得意げに答える。「捕食したものは、捕食された者と視覚や音声データを共有する。つまり私たちはあなたたちに取り込まれたってこと」
 そういうことでよろしくと道原はとくに悔しそうでもなく気さくである。これが対面した状況であれば運命共同体として握手の運びとなっていただろうか。
「私は道原東湖よ。H大の院生で、一応、研究者の卵なの」
「へぇ、院生なんですから。道原さん頭イイんですね。あたし、K高に通っている小飼一木って言います」
「わたしも同じくK高の大西里后です。よろしくお願いします」
「俺は道原と同じくH大で実際的実利哲学を研究している若澤佑介です。よろしく二人とも」
「あーなんかイケメンっぽい声ですねー」小飼が友人の大西に話を振る。
「声を聞けば、たしかにそうだね。名前もイケメン風です」
「見てくれは別に大したことないよ。名前はよくイジられるけどね」
 若澤は冷静である。
「私はイケメンだと思ってるよん」恋人同士にしか通用しない傍目から見るとイタい道原の甘え声である。高校生のバカップルじゃあるまいし。こういう配慮に欠ける発言を公の場でされると困る。
 案の定「えー!」と二人の女子高生のそろった声。
「お二人って付き合ってるんですか!」小飼の甲高い声。
「そうとは知らず、クロウサデートを楽しんでいたところを襲って食べてしまいすみません」大西である。
 まったくもってふざけている。今度はこの若い子たちと一緒にプレイしなければいけないのか。若澤は内心で悪態をついたがゲームとしてはなかなか面白くなってきたと感じている。



第6話 四人で回ろう



「チンパンジーって元々森に住んでいたんだよな?」
 若澤が問いかけると道原のウキウキした声が返ってくる。
「そうよ。アフリカのジャングルに住んでた」
「じゃあなんで俺たち…というかキミたちか。俺と道原はもうゲームオーバーだしな。ジャングルに暮らしてたんなら、なぜサバンナを動き回ってるんだ。…これじゃ、どんな敵が襲ってくるのか知らんけど相手の土俵で相撲を取ってるみたいなめちゃくちゃ不利なフィールドにいるじゃん」
「ジャングル探しますか?」小飼一木はマジメな口調だった。
「それよりチンパンジーってなにを食べていたんですか?」大西理后である。
「私たちヒトと同じ霊長目で雑食よ。なんでも食べた。基本は木の実やハチミツや昆虫だけど他の霊長目の幼獣を襲って脳を食べてたらしいわ」
「脳を食べてたんですか!」と大西。
「脳は栄養豊富な上においしいのよ。ヒトも狩猟をしていたときは、頭蓋骨を割って脳を食べていたらしいわ。もちろん今でも珍味として食べられているわね」
「なんで絶滅したんですか?」と小飼。
「アフリカのジャングルがぜんぶ平原や砂漠に変わってしまったからだと言われてるわ」
「なるほど…。じゃあ、次はジャングルへ行って、他の霊長目をメインに狩りをすればいいんですね。…でも、脳を食べるのはイヤだなぁ」
 どちらかというと大西よりも小飼の方がチンパンジーの主導権を握っている。
「待って」と大西。「ジャングルに戻ったらあたしたちはそこにいる捕食者に襲われることはないの? 申し訳ないけどチンパンジーは雑食の捕食者ではあっても、ジャングルの頂点捕食者とは思えない」
「ジャングルには彼らの天敵がいると思うわ」道原である。
「ヒョウか!」
 若澤は左手のひらにこぶしをポンと置く。ヒョウは旧石器時代にいたサーベルタイガーやホラアナライオンが滅びていった中で、現在に至るまで生きている適応能力の高い優秀なハンターである。サバンナにもいるし、ジャングルにもいるし、山にもいる。生息地は自由自在だ。
「でも、あたし、簡単にはヒョウにやられない自信があるわ」と小飼。「ね? 理后。そう思わない? なんていうか非常に頭がクリアというかさ」
「わかるそれ! 知能的にはヒトよりも劣るかもしれないけどうまく立ち回れる気がするんです!」
「まーチンパンジーだからねー彼らは知能が非常に優れていたと言われていたからかもしれないわ」
 道原が洞察を加える。ピンク色の唇を真一文字に結んで得意げにマユ毛を下げている表情が若澤の目に浮かぶかのようだ。
「それなら安全策をとってジャングルへ引きこもろう」若澤が言った。「ヒョウが現れたら要警戒だ」
 チンパンジー四人部隊は、地平線の彼方に見える緑地帯へとナックルウォークで向かった。地上でのカレは決して速いとは言えなかった。賭けだった。このあいだに足の速い捕食者に狙われたらゲームオーバーは必至である。
「ジャングルへ逃げ込んだら、まず木の上に逃げましょう」
 道原のアドバイスで樹上に避難する前だった。



 突然茂みからなにかが飛び出してきた。
 トラだった。
 まるで交通事故だった。いきなり右から車が突っ込んできたみたいに。
 回避する間もなかった。
 狩られる動物というのはこうやって突然の事故のように一瞬にして命が奪われてしまうのだろう。
「思い出にひたる時間もなかったですね」
 小飼がわざとらしくシュンとして言った。
「そうだね」と大西。「まーうちらの本当の命が奪われたわけじゃないけどね」
「でも感情はリアルだったよ」
「そういうふうに設計されているみたいね」と道原。
「それはそれとして、キミたちもゲームオーバーになってしまったな。ザンネンザンネン」
「その言い方超ムカつきますね」と小飼。
「そうなのよ〜わかってくれる〜? ムカつくときけっこうあんのよ〜」言いながら道原の表情がキッと引き締まる。「てゆうか、まさかサバンナのジャングルにトラとはね。恐れ入ったわ。これが本当のライガーね。樹上に逃げる前にまんまとやられたわ。ヒョウに警戒しすぎた」
「この展開だと次に起こることは…」
 若澤がまばらに生えた無精ヒゲに触れている。
「何が起きるんですか?」と小飼。
「ちょっと前にあなたたちオオカミにクロウサギだった私たちが襲われてチンパンジーになったように、このトラのプレイヤーがいったい誰で、そして次はまたどんな動物になるのかってことね」
「あれ? どうやら大所帯のようだね」少年らしい高い声がした。「ぼくは大人数でつるむのはキライなんだけど」
「子供か」と若澤と道原が同時に言う。
「男の子かしら」と小飼。
「え? いったい何人いるの?」少年は少し戸惑っているようだ。
「ぜんぶで四人よ」大西である。
「ほんとうにうんざりするくらい多いね」どこか物事を達観したような生意気そうな声である。「でもまーいいや。次はホッキョクグマじゃん。サバンナにホッキョクグマってめちゃくちゃだけど。陸上最強の動物といってもいいんじゃん。これでぼくがトップでクリアーほぼ決定かな。…いーやまだか」
 ひとまず動き出す前にみんなで自己紹介をした。
 少年は長田理と名乗った。ゲートの入り口で昆虫博士と名乗った少年だった。
「ところでぼく、小耳にはさんだ耳寄りな情報があるんだけど」
「どんな情報だい?」と若澤。
「ぼく、あなたたちを襲う前にシマウマだったんですがトラに食べられてね。そのとき、トラだった人が……もうゲームからエスケープしていないんだけどそしたらその人がめっちゃすごい合体技を教えてくれたんだ」
「めっちゃすごい合体技?」
 道原が前のめりになる。もともとゲームといった娯楽が非常に好きで、とくに頭脳を使うパズルとか脳トレとかの成績が抜群に優れている。なに? となおも食いつく。
 ところで、今の話で誰も気づいていないようだがどうやら同時プレイ中に仲間がエスケープして自身のプレイヤーしか残らなくなると食った肉食動物のまま残るようだ。…トラがシマウマを食べて変身するところを、トラが脱退して食われた方がトラのまま残った。
「ねえちゃん、その前にまずゴリラを探さないと」
 長田は合体技というキーワードをわざとらしくかわした。もったいぶっているようだ。
「ホッキョクグマの姿でゴリラを狩るの?」
「すごい戦いになりそうだな」と若澤。
「どうやって決着がつくのか見ものね。もともと出会うはずのない動物だっただけに」
「東湖、けっこう好きか、こういうの」
「ゲームだからね。実際にはこんなことできないっしょ。妄想みたいなモンよ。たとえばヒグマの檻にジャガーやヒョウを放つとかさ。古代ローマのコロシアムじゃあるまいし、マジでやったら動物愛護団体はもとよりふつうの良識ある人々からも苦情が殺到して炎上必至」
「そろそろ行こうぜ」と長田。「ところで、おねえちゃんゴリラってどこにいるの?」
「高地にあるジャングルね」



第7話 五人で回ろう




 サバンナをのっしのっし歩くホッキョクグマに挑みかかってくる者は誰ひとりいなかった。
 ひなたぼっこ中のライオンも木陰でちらりと見ただけですぐに目を逸らした。行く先々で見かけるシマウマやガゼルも蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「気持ちいい」長田が言った。「まさに最強だ。サバンナにいるのは違和感あるけどライオンですら手が出せないこの巨体。百獣の王も子供に見えるね」
 ユキライオンっていう種はいなかったのかなぁと若澤が呟くと、
「それはいなかったわね」道原が残念そうに肩をすくめる。「でも大昔にはホラアナライオンっていう動物がユーラシア大陸にいたからね。ホラアナグマもいたし。ライオンとクマが出会うこともあったんじゃないかな」
 ホッキョクグマというからには暑さは根っから苦手なのだろう。サバンナの暑さにホッキョクグマはへたばっていた。アラームが鳴っている。放っておくとゲームオーバーになってしまうだろう。
 長田は川を見つけるとそこで水浴びをして体温を下げた。川辺にいたワニやヌーといった大型の動物たちでも逃げていった。ヌーを狙って茂みに潜んでいたライオンですらも。
 そろそろ空腹を感じていた。狩りをしようかと思ったがサバンナにおいてはお世辞にも上手なハンターとはいえずそもそもカラダが大きすぎてすべての動物に逃げられてしまう。
 道原さんのお話ではホッキョクグマのおもな獲物はアザラシやシロイルカらしく、ここのサバンナにはアザラシはいなかった。
 シマウマの死骸があった。まだ肉が残っていた。ブチハイエナやハゲワシ、カラスや小型の鳥が群がっていた。少し離れたところではコウノトリもいる。
 ホッキョクグマはそこへ突撃した。鳥たちは驚いて逃げていった。むさぼるように食べた。残ったのは肋骨や骨盤だけだった。しかし空腹は満たされなかった。
「あそこ! あそこに見える山にゴリラがいそう!」道原が目的地を見つけた。



 高地をめざしてジャングルに入った。樹上でサルと鳥の鳴き声がまるで恐竜の世界のように響いていたが恐竜の時代にはまだサルも鳥もいなかっただろう。
 厳密にいうと恐竜の一部が進化して鳥類になっているので鳥の原型になるような生き物はいただろうがさすがにサルはまだいなかった。
 哺乳類が繁栄してくるのはまだだいぶ先である。恐竜の時代の森はむしろ昆虫の天下だったろう。
 なにせ森を賑やかにする鳥やサルといった生き物がまだいなかったのだから。だから、夏であればセミとかキリギリスの仲間が鳴いていたら、賑やかだったと推測される。トンボの翅音だって聞こえていたかもしれない。どこかで水滴が落ちる音なども。
 長田理は足元に珍しいバッタを見つけて興奮する。
 長田の好きな昆虫はなんといってもこの地球の真の主役だった。昔に比べたら絶滅によって相当な数の種を減らしたというがそれでも哺乳類や鳥類、爬虫類などに比べるとまだまだ圧倒的に種や数は多い。さすがにもう新種は見当たらなくなったけれど。どれもこれも人間のせいだ。
 いずれにしてもホッキョクグマでは、樹上にいる動物には手が出せなかった。キツネザルのような原始的な哺乳類はたくさん見つけのだけれど。
 やはりゴリラという動物を探さないといけない。ジャングルというだけあって足の踏み場もないほどブッシュでいっぱいだった。草には露がついている。ところどころぬかるみもあった。高地だけあって雨が多いのだろう。
 そう思うとグッと暑さが増した。まるで着ぐるみを着ているみたいだった。
「あ! あれはなんですか!」と大西。
 一同の視線がそちらへ向かう。
 サル、ではない。サルよりはずっとカラダが大きい。ナックルウォークをしている。こちらを見るとある種の威嚇のように胸をポコポコ叩いた。
「ゴリラね」道原が断言した。「間違いない。絶滅した霊長目の一種よ」
 さぁ少年、となにかのアナウンスをするような言い方をする。どちらか一方の口角を上げてどんな状況でも楽しむ心を忘れない好奇心旺盛な笑みが若澤の目に浮かぶようだ。
「ゴリラがめちゃくちゃすごい組み合わせになるって言ったわよね?」
「はい、言いました。このまま襲っちゃいますよ」
「任せたわ」
「どんな動物になるのか楽しみですね」と小飼。女子高生らしくなんの憚りもなくウキウキはしゃいでいる様子が伝わってくる。
「やっぱりホッキョクグマとゴリラの組み合わせだから、とんでもなくすごいヤツになるんじゃない?」今度は大西。
「なんだろう…」
 若澤は考えるもののとんでもないすごいヤツがなかなか出てこない。
 なんかいるか?



第8話 レストハウス




 江部裕之は、目の前のシロクマに対してドラミングを行ったもののまったく逃げていかずピンチだった。
 今まではタイリクオオカミやヒョウといった動物があらわれたときには、ドラミングをしたらたいがいは逃げていったのに。今はなにか明確な意図があって自分をターゲットにしているとしか思えない。
 だがこのゴリラという動物。極太の腕を見るかぎり、腕力はありそうだ。犬歯も戦闘用に使われるものだろう、相手の首根っこに噛みつけば即死させられるように鋭く尖っている。なによりこのアドレナリンの高まり。
 江部ゴリラも戦闘態勢に入っていると言える。迎え撃てば、もしかしたら、もしかするかもしれない。
 さいごにもう一度ドラミングをすると吠えた。樹上にいた小鳥たちがいっせいに羽ばたいていった。


 シロクマ長田は、外野の声に辟易していた。
「長田くん! 右からフックをかませ!」と若澤。
「あー! 決まった!」道原。
「さすが鋭いツメね!」と小飼。
「ツメを立てるなんて反則じゃん!」大西。
「うっさいなーあんたたち。ボクシングじゃないんだからさー」
「ほら、怒ったじゃん、ベストフレンド、アリ」と道原。「佑介あんたが右フックなんて言うからさー」
「ていうか、おまえもノっただろ」
「ノることにはなんの罪もないわ」
「いやある。あると思う。俺のセリフを肯定しているわけだから。肯定していないとノることはない。イジメでも、イジメてるヤツに振られたセリフにノるってことは、そいつにとって直接加害する明確な意図に欠けるってだけで、間接的にイジメを促しているのと同様だ。だからそういうヤツはズルいな」
「あんた、あいかわらず細かいわね」
「理屈っぽいのは職業病みたいなものだ。実践的実利哲学専攻なもんで。そういうキミもけっこう理屈っぽいと思うぞ」
「理屈っぽいのは悪いことではないわ。物事ってのはミルフィーユみたいに何層にも重なって存在しているのだから。AだからBとか、そんなシンプルなものじゃない。恐竜のブラキオサウルスみたいに脳がちっぽけだったら別だけれど、理屈っぽい考え方をできるのは人間だからこそだわ」
「じゃあいいじゃんか。俺に絡むなよ」
「言ってみたかっただけよ。細かいわねって。私たちってあまりそういうことを言うことがないから」
 たしかに、ない。お互いカンカン照りの日に外干ししたようなドライな性格なので、細かいことはいちいち指摘しない。それが良好な関係を築くに当たって一番大事なことだと思う。
「なんでそれを今言う?」
「他の方々もいらっしゃるからよ」
 ツンとした道原の澄まし顔が目に浮かぶようだ。
「…仲がよろしいんですね」と小飼。
「まったくもってマイナーな恋人関係ですね」と大西。
「仲がいいっていうよりウマが合うって言い方が近いね」と若澤。
「どう違うんですか? それ」
 小飼が興味津々といった体でたずねた。それに大西も乗っかってくる。ぜんぜん違うよーと若澤はふたたび語り始める。
「仲がいいっていうのは言い換えてみれば、外から見て幸せそうなカップルに見えるとかそういう上澄みだけをすくって評価されることだ。だから、外から見て仲よさそうに見えても、実際はそうではないかもしれない。一方ウマが合うというのは、外から見ても内から見てももっと本格的でコミュニケーションとしては高等なものだ」
「やっぱり理屈っぽいですね」と大西。「あたしには同じ意味に聞こえます」
「道原さん」と今度は小飼。「ものすごい口説き文句ですね。高等なコミュニケーションですって」
「あ、あああんたたち大人をからかうもんじゃないわ」
 こういう冷やかしには動揺しやすい道原である。いつもは無表情な顔面をわかりやすく紅潮させているに違いない。女子高生たちに言えるほど大人という大人でもないだろうに。
「皆さん、ぼくが苦戦しているときに、なにをベラベラくっちゃべってるんですかー」長田はイライラを募らせている。
「あまりイライラすると老けるぜ?」若澤が小学生に言ったが誰も笑わない。
 長田シロクマは、白い体毛に血しぶきを浴びながらも、ようやくゴリラをその足元に屈服させていた。



第9話 もう一周しよう




「なんで?」「どうして?」「マジで?」「弱体化?」「振り出しに戻っただけじゃん」
 口々に不満の声が上がった。その中で道原だけがあっけらかんとしている。
「私の方こそなんで? よ。いいじゃん、べつに。ノウマだってりっぱな動物じゃんか。肉食動物好きなんて子供だよー草食動物にも敬意を表するようでなきゃ、人間としてなにか肝心なところが足りないわ」
 そういうことで、ホッキョクグマとゴリラの組み合わせで、なぜかウマになった一同だった。
「もしかして、一度最強になったら、今度は狩られる側である草食動物になるっていうシステムなんじゃないですか?」小飼である。
「いや、違う。ぼくがエスケープした人から聞いたのは、そんな単純なことじゃなかった。いくつかある組み合わせの中からそれを選択すると、まったく新しい展開へと進むみたいなんだ」
「次の展開って?」大西。
「うん。そのためにはまずこの中からひとりいったん分離して、ホラアナライオンになってもらう必要がある」
「分離ってなんだ?」若澤がたずねる。「そんなことできんのか?」
「分離は、この集団からひとりだけゲームオーバーでエスケープして、あらためて違う動物で参加することだよ」
「なるほどね。それなら私が一抜けしてホラアナライオンをやるわ」道原である。こういうときには率先して手を挙げる彼女である。「ライオンになってノウマであるあなたを襲えばいいのね?」
「さすが道原さんですね」と長田。「ぼくが説明する前からすでに…。まさにその通りです」
 それからすぐに道原は音声ガイダンスに従って、いったんゲームオーバー扱いになった。ほどなくたてがみのないライオンとして現れた。初めに道原が選んだライオンよりもやや体格が大きい。
「では、ぼくたちを襲って下さい!」
 そう言うか言わないかのうちに、ホラアナライオンが喉元に食らいついてきた。
「…リアルじゃないってわかってるんだけど、あまり気持ちの良いものではないな、これ」
 若澤の感想にみんな一様にうなずいた。



「ウソでしょ?」「マジで?」「こんなのアリか?」「すげぇ飛躍」
 あちこちで飛び交う驚きの声のオンパレード。
 それもそのはず。
 ライオンが、数々の組み合わせを経て生まれたノウマを食らったあとサバンナに現れたのは、恐竜。それも地上最強の肉食動物と言われるティラノサウルス=レックスだった。
「これがレアな組み合わせなんだな! めっちゃカッコイイ!」若澤は二十代というより十代みたいな感情を爆発させた盛り上がり方をした。「道原さん道原さん、応答願う」
「応答願わんでもちゃんときこえているわよ。それにしてもTレックスとはね。バカみたいと言えばバカみたいだけど、捕食者としてのホッキョクグマのポテンシャルを上回る地上の肉食動物と言えばたしかに人気実力ともに、Tレックスくらいしか思い浮かばないわね。これでももうゲームはこれで終わりじゃない? 最強になったら、もうゲームを続けるモチベーションなくなるでしょ」
「フッフッフ、それが終わりじゃないんですよ」長田がもったいつけるように言う。「フッフッフ、じゃねぇよ」若澤が言う。「その悪だくみを企んでるみたいなわざとらしい笑い声の装飾はいいから、早く言えよ、ぼっちゃん」
「ぼっちゃん…」
「ああ待て。そこでわかりやすく反発するのも時間のムダだ。結論だけ言え」
「ひとまずまた何人かゲームオーバーになってこのTレックスから離脱しないといけません」
「ん? っていうことは、誰かがこのバカデカい動物の犠牲になるってことかね?」宇部がたずねると「いえ、次はまた違います」と長田。こうやって話しているとずいぶん大人びた少年だということがよくわかる。そもそも昆虫博士と呼ばれるような小学生に、大人びていない子どもなんて多分いない。
 長田は大人びていない、むしろ子供っぽく命令調で告げた。
「とりあえず小飼さんと大西さんは一度ゲームをリセットしてチンパンジーとしてふたたび参加してもらいます。それから若澤さんにも同じことを。若澤さんはノウマでお願いします」
「ノウマ? ところで、不思議に思ったんだがどうしてウマがいるんだ? このアトラクションって絶滅動物たちが中心のものだろ? ウマってどこにでもいるじゃん。競走馬だってそうだし、乗馬の馬だっているし」
「それは私が説明しましょう」道原である。「い〜い? 今いる馬っていうのは、すべて野生の馬をいくつも掛け合わせて生まれたワケ。昔から馬は人間の戦争とか移動に使われていたからね。だから純粋な意味での野生の馬は、もうかなり昔に絶滅していたってワケ」
「そうなんですか」若澤はすっかり生徒になっている。
「その話はぼくも知っていましたが、とにかく若澤さん! 小飼さん! 大西さん! さーそろそろ行って下さい!」
 名指しされた三名は言われたとおりにした。
 サバンナにチンパンジーと野生のウマが同時に出現した。競走馬と違うからか、だいぶ不恰好というか鈍重そうである。これが本来の自然のすがたなのだろうけれど。
 Tレックスが両者を見下ろすカタチになる。文字通り、ひとひねり、できる状況である。が、Tレックス長田道原江部は、まったく動かない。襲うことが目的ではない、と言っていたからだ。長田の声でチンパンジーに指令が発せられた。
「小飼さん、大西さん。ウマを襲って下さい!」
「え? マジで?」とは若澤である。
「わかったわ」
 チンパンジーは二匹がかりでウマに襲いかかった。反射的にウマ若澤はきびすを返して逃げた。
「若澤さん逃げないで下さい!」と長田。
「いやこれ、逃げるだろ」
「チンパンジーにはウマを殺せるだけの能力はありませんよ! 現時点ではね!」
 長田は例の、フッフッフという笑い方をした。
「小飼さん! 大西さん! そこに転がっているおっきな石を拾って、ウマの脳天に一発ガツンッ! とやってやって下さい!」
「了解!」と声をそろえる。
 若澤ウマは身をひるがえしたがその先に誰かほかのプレイヤーかデフォルトだろう、ライオンが潜んでいてライオンにやられたらもっとまずいだろうと踏みとどまった。棹立ちになった。
 元の姿勢に戻った瞬間、隙を見逃さず小飼大西チンパンジーが手にした大きい石にガツンとやられる。若澤はその場に崩れ落ちる。その次のときだった。
 チンパンジーのすがたが、変わった。



第10話 シークレット・ゾーン




 チンパンジーは、みるみるすがたを変えていった。それまでの動物から他の動物へと姿形を変えてゆく変化とはどうも違う。ずっと手が込んでいた。
 よく人類の系統図で見るようなヒトの進化の変遷。
 その図で見られるかつて現生人類と競合していたが絶滅してしまったネアンデルタール人のすがただった。背は低いが肩幅が広く、がっちりした骨太な筋肉質の体型である。二足歩行で立っている。
 しかも、二人いる。どうやら小飼、大西の女子高生チームらしい。二人の手にはそれぞれ棒の先端に石器をつけた槍らしきものがある。
 そういう若澤もネアンデルタール人のすがたである。手には例の石器もある。
 若澤が途方に暮れているとTレックスが襲いかかってきた。この中にいるのは、長田と道原と江部だった。
「長田くん! どうして俺たちを襲ってくるんだ!」
「ここからが本番ですよ!」
 歴史上リアルに実現することのなかった恐竜とヒトのサバイバル。
「理后! とりあえず逃げましょ!」
 小飼の声を合図に、二人はいっせいに駆け始める。「若澤さん! もしよろしければ、そこで囮になってくれません?」
「それはいい考えだ。囮になろう。つまりこうだ。三人全員が全滅するよりも、俺が囮になって犠牲を払い、二人生き残った方が合理的ってヤツだな」
 ひとりカッコつけてブツブツ呟いていた若澤だったが、Tレックスの顔が近づいてくるにつれて気が変わった。
「やっぱダメだ! アトラクションとはいえ俺はそこまでオトコになれない!」
 若澤は手近にあった石ころを拾うとそれを恐竜に向かって投げた。当たり前だがまったく抵抗にすらならなかった。ちょっとかゆいなという程度だろうか。
 ネアンデルタール人は意外にも走るのが遅かった。これは致命的だった。
 苦肉の策として三人は散り散りに逃げた。このヒト属には賢さがあった。散り散りに逃げたら、Tレックスも狙いが定まらないだろうと思ったのだが相手は本物ではなく知恵を持った長田と道原と宇部というネアンデルタール人絶滅の起因のひとつとも言われている最強の侵入種《インベーダー》現生人類どもである。
「佑介を狙え!」という道原の嫌がらせというかむしろ彼女なりの好意によってTレックスは若澤に狙いを定めた。
 若澤は人類誕生の地らしきサバンナをひたすら駆ける。これでどこからか別のTレックスが現れていきなり共食いを始めたら壮観だろうと思ったがそうはならなかった。
 散り散りになった二人が横からTレックスに石つぶてを投げてフォローしてくれるが硬いウロコと羽毛に守られている。崖の上から巨大な岩を落とすくらいじゃないと効果はないだろう。
 若澤は素早くマップを呼び出した。大地溝帯《グレートリフトバレー》があった。
 大地溝帯とはアフリカを南北に縦断する想像を絶するほどの巨大な谷で、いつか若澤も生で見に行ってみたいと思っていたスケールの大きな絶景ポイントだ。
「大地溝帯へ行こう!」と叫ぶ。「ここから近いみたいだ」
 それと、ネアンデルタール人の身体能力を十分に生かそう、と言って提案したのは、Tレックスの身体によじ登って牙から遠ざかるというなんとなくアクション映画っぽいやり方だった。
 通信システムで二人と連絡し合い、軽く打ち合わせする。
 まずは、Tレックスが若澤と大西を追いかけているあいだ小飼が急に方向転換をしてジャンプ。
 実際にやってみると思ったとおり屈強なネアンデルタール人は身体能力が高かった。当時の現生人類よりも大型であったと言われており、トラのように待ち伏せ型のハンターであった彼らは、案の定俊敏でもあった。
 小飼はしかし、羽毛につかまりなんとかよじ登ったものの飛びつく場所を間違った。
 首に近い方だったので邪魔者が取りついたことに気づいたTレックスは首を激しく振り小飼を落とした。地面に激しく叩きつけられた小飼は悲鳴をあげることなくその場にうずくまった。
 すると大西が手にしていた槍を遠くから投げたが届かなかった。へにゃへにゃ…とTレックスの手前の地面に落ちた。
 その様子を、Tレックスは今にも笑い出しそうな顔で見下ろしている。今が襲うチャンスのはずなのに。
「アイツら、ちくしょう。馬鹿にしやがって」若澤は注意を呼びかける。「大西さん! 槍は投げちゃだめだ。使うことがあったら、突き刺した方が効果はあるだろう。あの硬いウロコと強靭な足には効かないかもしれないがね」
 ネアンデルタール人の狩猟の成功率は、現生人類とそれほど違わなかったと言われている。だが、投擲能力だけは現生人類の方が優れていた。
 現生人類の狩りは、おもに投げ槍で遠くから大型の草食動物を串刺しにするやり方である。そのことを証明するように今でも野球選手は速球を投げられるし、遠投もできる。そして、投擲能力に優れた動物は現生人類以外には存在しない。
 そして、どちらかというとネアンデルタール人は身体を張る近接戦闘の方が得意だ。
「背中だ! 背骨に取りつくんだ!」若澤が見本を見せると言わんばかりに方向転換をすると小飼と同じように跳躍して今度は背骨に生えた羽毛に取りついた。今度は振り落とされなかった。小飼を助け起こした大西とその小飼も次々とジャンプして羽毛に取りつく。
 目標を失ったTレックスは走るのをやめキョロキョロと辺りを見渡した。さすがにこの巨体を転がして落とす気にはならないようだ。
 それから、全員で首元に槍を突き刺した。硬いが首ならなんとかなりそうだ。噴き出す鮮血。きっと、Tレックスの中にいる二人には警告のアラーム音が響いているだろう。もっと焦ればいい。
「この調子でしばらく続けよう!」
「佑介! それで助かったと思うなよ!」
 道原はだいぶ熱がこもっている。もともとゲームをやると自分が勝つまでぜったいにやめない負けず嫌いなタチの悪さである。
「ベストフレンドアリ! そこにアカシアの木があるだろう。枝に体をこすりつけろ!」
 長田はすぐに意味を察したのかTレックスはアカシアの枝に背中をこすりつけた。
「イテッ!」
「マジか!」
「ヒドい仕打ち!」
 三人はアカシアの枝のトゲに刺されて地面に転がり落ちた。
「…バーチャルなのに、イタいって感じるの怖ぇな」
 呟いた若澤の眼前にTレックスの恐ろしげな顔が迫ってくる。幼獣だったらワニみたいに多少はカワイイのだろうけれど成獣のあの縦に走る針みたいな目だけは本能的に好きになれない。それが好きという好事家もいるだろうけれど。
 すぐに襲ってこないのは、道原のおフザけだろう。
 ムカッとした若澤は砂を握りしめるとそれを振りかけた。襲いもせずに無防備に顔を近づけたからだ。さぞかし強力な一撃になっただろう。もたついているあいだに、三人は逃走を再開して大地溝帯をめざした。
 地平線の先がめざすところだった。しかし砂かけ時間稼ぎは十分ではなかった。後ろを振り返るとTレックスがふたたび走り出している。
「めっちゃこえー」
 昔、こういう映画があった気がした。まさに映画の中のリアル体験である。
 途中、のんきに草を食んでいるデフォルトのノウマの集団を見つけてそのうちの一頭に飛び乗った。小飼、大西もそれに続いた。
 グンッとスピードアップした。もちろんサラブレッドには及ばないものの。
 ところが、それにも増してストライドの長いTレックスの足の速さといったら、なにか策を打たなければいずれ必ず追いつかれるだろう。
 絶滅したヒト属対恐竜という歴史上はありえなかったサバイバルだった。
 大地溝帯が目前まで迫ると若澤はノウマから飛び降りた。ノウマは非情にも崖の下へと落下していった。同じように小飼と大西も飛び降りた。
 三人でTレックスを取り囲み、槍を構えながら隙をうかがった。隙が見当たらない。体高が高すぎる。獣脚類というだけあって、殺人的な鋭いかぎ爪もある。近づきすぎるのも禁物だろう。
 ネアンデルタール人には頭脳と簡単には諦めない忍耐と度胸があると言いたいところだが、その頭脳もこの窮地には回転が追いつかない。
 崖の近くにいる若澤はちらりと下を見た。頭脳を使ったとは言いがたい策だが、これしかない。なにか映画とか漫画とかアニメで見たことのあるシーンがよぎる。使い古されたやり方だが今はこれしか思いつかない。
「キミたち、なにか方法はあるかい?」
「たぶん、若澤さんや一木《かずき》の考えていることと同じだと思います」
 大西が崖の方へ徐々に後退してゆく。
「じゃ、それで行こうぜ」
 若澤は地面に落ちていた石を手に取るとTレックスの顔に投げつけて挑発した。
「佑介。あんたたちがやろうとしていることが私にわからないと思って?」道原が逆に挑発してくる。「そろそろ決着をつけようじゃないの」
 気がつけばTレックスの周りには若澤、小飼、大西とは違うヒト属がどこからともなく集まっていた。別のプレイヤーだろう。Tレックスを倒すというアトラクションにおける共通の目的でもあるのかもしれない。
 彼らはどこから集めたのか、それとも作ったのか、手にそれぞれ石器ではなく鉄器を携えている。鉄器ということは現生人類ホモ=サピエンスなのか。
 彼らはそれをTレックスに向かって投げつけた。その一部は硬いウロコに突き刺さった。一部は、弾かれて地面に落ちた。
 若澤は地面に落ちた鉄器を拾うとTレックスの背にふたたび飛び乗り、目に突き立てた。若澤は崖の側に飛び降りる。
「佑介ぇぇぇぇ! よくもやったわねぇぇぇぇ!」
 道原は興奮している。リアルでもないのに、自分の片目を抑えて怒り心頭に達しているすがたが目に浮かぶようだ。
「おねえちゃんダメだ!」
 長田が諌めるもののすでに彼女に声は届かない。
 Tレックスは崖スレスレにいる若澤に襲いかかった。
 若澤にはもはやネアンデルタール人そのものの魂が降りてきたと言っても過言ではなかった。
「俺たちにはたとえ滅びるとしても危険をおかしてでもやらなくちゃいけない度胸があるんだァァァァ!」
 若澤は雄叫びをあげタイミングを見計らうと崖に降りた。もちろん崖の突端にあるちょっとした岩のヘリを手でつかまりぶら下がった。
 その彼の上を、Tレックスが駆け出したまま大地溝帯に落ちていった。
「やったぜ!」
 安堵したのもつかの間、崖の一部が崩れ落ちた。Tレックスの重さに耐えられなくなったのだろうか。あの体重を支えられるほど頑丈な地面であることにまで考えが及ばなかった自分のミスだった。彼もまた落下していった。
 大地溝帯が逆さまに見える。この絶景を見られただけで落下する価値があるものだった。
 ゲームオーバーと無情にも音声が告げる。



最終話 閉園時間




「子供だましかと思ったけどなかなか面白かったわね」
 レストハウスで道原東湖はカフェラテのストローをいじりながらニコニコ笑っている。
「俺は絶滅動物ってあんなにいたのかってことに驚いた」
「あれはあくまで哺乳類だけに限った話でしょう? 鳥類とか魚類、昆虫とか爬虫類、両生類やバクテリアにまで範囲を広げたらもっと絶滅しているわよ」
 ちらりと横目にした彼女の視線の先には、『こちら鳥類ブース』と案内があった。
「これからもまだ絶滅する種は増えていくだろうな」
「ねぇ、佑二。昔さ、ある学者がいろんなデータからシミュレーションして、人間が絶滅する可能性のある年数を割り出したんだけど何年くらい先かわかる?」
「わからん。五千万年くらいか? 恐竜より長く繁栄するのは難しそうだってことはなんとなくわかるけどその頃には別の進化を遂げているかもしれないし、がんばれば一億年くらいは行けそうだけど。まぁ、想像もできない未来だよな」
「七百万年」道原はストローを抜いて指揮棒を振るように言った。
「七百万年? たったそれだけの年数で人類は滅びるのか?」
「七百万年とはいえ、途方もない未来の話だけどね」
「どういう理由で滅びるんだ?」
「さぁ。そこまでは知らないわ」
「じゃあ、現生人類が誕生してから、ほとんどなにも変わらない未来で絶滅しちまう可能性があるってことだな」
「昔、人類の社会では、三つの産業革命があったって言われているのはもちろん知っているわよね?」
「もちろんだ。高校までの常識だろう。第一は、稲作だ。稲作を始めたことで、人類は食料を蓄え、命を落とす危険のある冬を越え、危険な狩猟をしなくても生きていけるようになった。第二は、産業革命だ。石炭をエネルギーにして物を大量生産できるようになり、人々の暮らしは便利になった。第三は、情報革命だ。インターネットの世界的普及とスマホ、機械学習の発達。ビッグデータ。いちばん大きいのは、AIの発達で人類が働かなくも暮らしができるベーシックインカムが広がったってことと、ほとんどすべての国が電子国家になった、ってことだよな?」
「そうね。そこは大きいわよね。それからもう一回きくけれどレッドリストの評価基準には、どういう区分があるかわかる?」
「待ってくれ。いや思い出す…。なんか昔講義でやったな。まず上から『絶滅』だろ。えっと、それから、『野生絶滅』それから、『絶滅危惧』、えっと次は、『絶滅寸前』、次に『絶滅危機』あとは、なんだっけ? 次にくるのは、なんか昔勉強したような気がする」
 道原はカップの底に残ったカフェラテをストローで一口残らず吸い込んだ。
「ズズズズズズズ、次にくるのは、『危急』」
「そうだった! だいぶゴールが近づいてきたな。危急の次だから、『低リスク』だ。で、次は『準絶滅危惧』ときて、さいごにくるのは『低懸念』だったか。けっこう難しいなあ」
「そう。ちょっと抜けてはいるけれどだいたいその通り。昔ね、情報革命があった頃には、ホモ=サピエンスの絶滅可能性は、『低懸念』だったの。当分、絶滅する危険は少ないっていうね。で、今はどれくらいかわかる?」
「いや、今も低懸念なんじゃないの?」
「甘い。今の人類の絶滅リスクは、『危急』よ」


                                                           (了)

図鑑動物園

執筆の狙い

作者 早起ハヤネ
KD106163241082.ppp-bb.dion.ne.jp

動物に興味あるので(ペットという意味ではなく)なんとか動物を取り上げたいと思いましたが、
動物が主人公だけだと面白くないと思い、試行錯誤の末、人間が動物を体感するという形にしてみました。

コメント

そうげん
121-83-151-235f1.shg1.eonet.ne.jp

面白かったです! VRを利用して、さまざまな絶滅動物になりきる体験をする。それを文章で表現されていて、読んでいるなかに臨場感がありました。

ただし初めは脈拍であったり、視界であったりが細かく描写されている印象でしたが、途中からは、どんどん動物が変わっていくだけに感じられました。でもそれは取り込まれてしまった側だからその描写を行うのが難しかったということになるのでしょうか。

御作を読みながら、去年一部で大ヒットした中国のSF小説『三体』のことを思い出していました。VRゲームでどれだけその世界の文明を発達させてゆけるかということを挑戦するシーンがあったのですが、この『図鑑動物園』も、このゲームのシステム上、どこまでの動物のデータが入力されていて、組み合わせの加減によって、もっと驚きの展開もあるかもしれないという想像が膨らみました。

また若澤くんと道原さんの、二人の距離感も若やいだ感じがして、とてもよかったです。とても楽しめました。ありがとうございました。

松岡修子
249.253.149.210.rev.vmobile.jp

 冒頭の余計なおしゃべりが不要に思います。結局、彼女がリアル中三なのか、そう見えるほど幼い外見なのか判然としないのでイライラします。「○○の卵」って、子供が勝手に自称している可能性もありますし。
 ようやく本編が始まったかと思ったら、余計なおしゃべりが多くてストーリーが前に進まずイライラします。

>そうこうしているうちに列の後ろが詰まっていた。抗議の声と怒号が飛び交っている。
 読者もイライラしてます。恋人同士の会話は現地集合してからの会話ではなく、一緒に行く道中の会話にすると良いと思います。現地ではそこで出会った小学生との会話を中心に。もしこの小学生が本筋と関係ないのなら、カットした方が良いです。

 VRの動物園という発想は良いと思いましたが、第四話の途中から斜め読みになって第五話以降は読めませんでした。描写力の問題かと思います。臨場感と緊迫感を感じられれば集中して読めたと思います。緊張感のない説明調だから世界観に入り込めなかったのだと思います。
 改稿して良い作品に仕上げてください。アイデアは良いですし、文章を書ける人なので、後は読者に読み続けさせる(飽きさせない)工夫をすれば多分、良くなります。

早起ハヤネ
KD106163241082.ppp-bb.dion.ne.jp

松岡修子様。
コメントありがとうございました。
最後まで読んでいただけなくて残念ですが、ご指摘により自分の欠点が明るく見えてきて、改稿しようという意欲に火が点きました。
実は現地で登場する小学生は物語と関係があるのですが、最後まで読み進めていただけなければ、意味がないですね。改稿します。ありがとうございました。

早起ハヤネ
KD106163241082.ppp-bb.dion.ne.jp

そうげん様。
貴重なお時間を割いて、最後まで読んでいただき感謝いたします。物語後半の描写につきましては自分では気づかずあらためて読み直してみることにします。
中国のSF小説『三体』につきましては存じ上げませんでしたが、調べてみたら、かなり著名な作品と知り、そのような作品を引き合いに出していただき恐縮する次第です。
ありがとうございました。

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