作家でごはん!鍛練場
群青ニブンノイチ

サルの唯物論

 ファンヒーターのタンクに灯油を入れるときに、ちゅくちゅくするアレ。実家でアレをやるたびに何だか、ものすごくダメなことをしている気分になる。極端に言うなら、木や石を道具として使うことをとりあえず覚えたサルみたいの気分、とでもいったところだろうか。アレの正しい機能というか、用い方を理解していれば、ちゅくちゅくをひたすらに繰り返すような、つまりサルみたいな単純行動を繰り返すことはしないはずなのだけれど、あたしの実家は昔からちゅくちゅくを繰り返す家系。灯油のタンクをファンヒーターのタンクよりやや高い位置に置く。ただそれだけのことにサイフォンの原理という名前があることを知ったのはわりと近頃のことだったりする。名前は知らなかったけれど、やり方は随分前から知っていた。知っていたけれど、その仕組みや理論的なことは未だによくわかっていない。わかっていないけれど、高い位置に置くだけで、ちゅくちゅくを繰り返す必要がなくなることは知っていて、知りながらそれをやらずにいるということだ。サルの家系。違う、知っているのにやらない、というのはもしかしたらある意味サル並み以下の知性がさせることなのかもしれない。
 やっぱりダメなのではないか。違う、あたしがダメなのではなく、灯油のタンクが重いのがいけないのだ。ただでさえ重いものを、わずかでも余分に高い位置に置くことが面倒くさい。重いから。重いものを余分に持ち上げるより、ちゅくちゅくを繰り返すことを選択することで人間はサルになる。面倒を惜しむと、サルになる。もしくはサル並み以下に。しかしながら問題なのは、ちゅくちゅくもちゅくちゅくでそこそこ面倒くさい、ということだ。そうしてようやくあたしは、自分がサル並み以下の何かにみすみす成り下がらんとしていることに気付いたのではなかったのか。
「電動のやつ買うたらええやん。めっちゃ楽やで」
「高いやん。電動のちゅくちゅく一つ分で手動ちゅくちゅく十五か二十は買えるで」
「十五はいらんな、さすがに」
「それがな、よく出来てるんやなあんなんでも。シーズンに一個はちゃんと壊れるねん。ちゅくちゅくするとこ、じきに破れてきよんねん。大体いつも春先ぴたりやもん、すごいで」
「そしたら十五年分買うたと思といたらええやん」
「ちゅくちゅく十五個も装備してる実家はいややなあ」
「ちゅくちゅく何回言うの」
 年末年始、たったの三日実家に帰省していただけなのに、竿留の顔が心持ち懐かしく見える。目の前にいるものを懐かしいと表現するのは、おかしなことだろうか。いや、少しもおかしなことなんてない。目の当たりにしたタイミングで突如思いつかされる当惑の感情、おや? とか、あれ? なんてそんな戸惑いを含んだ積極的な確認、そんな覚束なさこそを”懐かしい”と、人々は口々に叫ぶものではなかったか。例年通りだ。たったの三日分、目の前にいる竿留の顔が懐かしい。
 両親と仲が良くない竿留が毎年の如く帰省をNGワード設定することにかこつけて、今年も猫の世話を頼んでしまった。食べ放題飲み放題好き放題昼寝付き、エアコン、WiFi、アマゾンプライム、入浴は半身浴まで、食べたら洗う、寝たら起きる、キッチンと部屋の電気を同時に点けない、小なのに大でトイレを流さない、面白くても大きな声で笑わない、気持ちよくても大きな声で悦ばない、吐くほど飲まない。おかしなものを連れ込まない。
 毎年のことなのだけれど、たぶん竿留は何一つ約束を守っていない。帰省から戻っても部屋の空気はまだ去年を引き摺ったままみたいな気配だし、お風呂はぴかぴか、お皿は使った形跡なし、布団は床に引っ張り出して、ひたすらふて寝らしく雑魚寝していたっぽいし、どうやら風邪っぽいらしい。唯一、猫のエサは大体見当通りの量が減っていたし、本人の毛艶もいい感じ。トイレの猫砂も本人が都度まき散らす程度の量が散らばっていただけだったから、案外ちゃんとやってくれていたらしい。すべては例年通りといった感じだ。
 竿留はどちらかと言えばわりと自分のことを大切にしないタイプなのかもしれないけれど、人のうちの猫のことはやけに親身に思いやってくれるので便利がいい。だからと言って、決まりのキャットフードと鰹節と塩分無添加の煮干し、たまにじゃこ、くらいしか与えないと決めているのに、思い付きでちゅーるみたいなやつをあれこれ買い与えるのは普通に迷惑だし、猫の食欲が生意気になるのでやめてほしいけれど、どうせ三日間のうちによからぬものを授けていることも例年通りほぼ間違いない。
「お土産、食べへんの?」
「明日食べる」
「何やわかるん?」
「点天」
「そう。つまらん?」
「持って帰る。土産やし」
「ウチも食べたいやん」
「土産ちゃうの。食うなや、あたしのやろ」
「まあ、せやけど。なら、あんたの好きにしたらええわ」
 持って帰って、どうせくそ馬鹿と食べるのに決まっている。そのつもりで大きい方の箱を二つ買ってしまう自分も何だか意味がわからない。それを察して、竿留も余分に不機嫌になるのかもしれない。それも例年通りと言えば例年通りのことだ。繰り返してしまう。だからと言って、一体どうしろと言うのか。具合のいい手筈など、年が改まったくらいではあたしにはわからない。
 例年通り、とは言っても所詮馬鹿馬鹿しい。まったくよく続くものだ。不倫の道を選んだのは自分の勝手なのに、どうして猫の世話を押しつけられた人が恩着せがましく不機嫌を装う体で、ちっとも感心しない不倫関係の年末年始というやるせなさにフタをする、なんて小芝居に付き合わされなければならないのか。竿留とつるむようになって四年、不倫は五年、寝取ってから二年。結局のところ誰が一番執念深いのか、もはや全然わからない。
「風邪っぽいんやろ。クスリ買うてきたるわ」
「いらんいらん、もう帰るし。感染してまうわ」
「ええよ、感染したら。そしたら治るかもやんか。まだ休みやし余裕や」
「怖ぁ。本気で言いよるそれ」
「ごっつ本気やん。いちゃいちゃしたらんかい」
「いやや、ダルいわ」
「そしたら優しく寄り添ったらんかいウチ、なんてな」
 正月は寂しい。いや、年末年始まるごとか。猫と竿留を置き去りにして帰省するのは寂しい。家族や地元の友だちと会って、普通に楽しんでいる自分の薄情が寂しい。たったの三日程度で家族や友だちに「ほなな」なんて言うのは寂しい。お墓参りもろくにしないくせに、帰りの電車の中でじいちゃんのこととか思い出してしまって寂しい。
 竿留の三日分の寂しいを想像するのだ。あたしが「ほなな。ごめんな。たのむで」と執念深いようなことを言って玄関のドアを閉めたところから始まる三日間。付き添いは猫。あたしが竿留だったら、いきなりお風呂に入るとか、そんな感じかもしれない。子どもの頃はもちろん、大人になった今でも友だちの家に遊びに行くのはあまり得意ではないけれど、ごはんよりお酒より、お風呂に入らせてもらうと何だかその家の一員になったような気がしたものだ。大人になってからはそれが何だかいやらしことの入り口みたいにもなってしまったせいで、お風呂というものはむしろ落ち着きのない場所になってしまった気がしないでもない。竿留とはお互いに大人になってから知り合った。だから竿留も独りぼっちではあたしの部屋のお風呂に入ろうとしないのか。三日ぶりに顔を合わせるのに、不機嫌のふりに付き合わなければならないし、すぐに帰るなんて言われてしまうのは寂しい。
「寒かった? この部屋」
「エアコンガンガン上げたったら汗掻いたわ。今月電気代えらいで」
「かまへんそんなん。ごはんは? ちゃんと食べた?」
「親か。母か。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」
「春巻きとか美味しそうやったやんか、どやった」
「パクチーあかんねん。剥いて食べたわ」
「うっそ、あんたパクチーあかんの知らんかったわ。何年一緒におるんやろアホや」
 清々しくらいへりくだっている。自分でも気味が悪いし、鬱陶しがられていることは完全に明らかだ。竿留が膝を抱いて座るときは、それで足の指をパタパタさせるときは興味がなかったり居心地が悪いときと決まっている。それをあたしにちゃんと察してほしいくせに、直接触れると余計に不機嫌になる。わかっている。だんだんと集中力が高まっていくみたいで楽しい。三日間寂しかった、と素直に告白されているようなものだから、単純に気持ちがいい。例年通り、こんな空気が待ち構えていることくらい承知の上で、余分にお土産を買ったりするのだ。母親が余分に持たせてくれる余計なあれやこれやなんてものこそ、竿留には見せてはいけない。あたしはどれほど独りぼっちらしく、やるせなく家族に触れるばかりで、友だちとはすれ違い、どれほど足早に引き上げてきたかったものか。そんなことを想像させたがっているなんてことは、ほんの少しだって思わせてはいけない。
「行かへんのやろ」
「はあ?」
「はあ? やないわ、しらこい」
「何がやて」
「いやらしいおっさんとこ行かへんのやろって、言わすなやきしょい」
「うるっさい」
「点天持って」
「ええやん、あたしのやんか。勝手やんか」
「そうや、勝手にしたらええ。そのつもりで買ってきたんやし」
「ムカつく、ほなそんなんいらんわ」
「そしたら一緒に食べたらええやん」
「いらん。騙しよって」
「アホやこいつ。今年も竿留はアホな一年やな」
 どうしたって心の隅のどこかでは、気持ち悪いとどうせ思っているのだ。図抜けた美人がそんなことさえしてしまうのは何だか、生物として万能感があるし、何だか単純に格好いい。そういうことが似合いそうで、平気そうに見えたから、あたしはけっこう遠慮がなかったのかもしれない。妙な期待と、確信があった。実際、竿留はあたしとのことをアトラクションか何かみたいなつもりで楽しんでくれているはずだし、そうでなければ、こんな顔をするはずがない。
 気持ち悪い、というのはきっととても優れた感覚で、それを嫌うことで人は洗練されるのだし、不便や失敗を遠ざけてきたはずなのだ。あたしはたまたま、そういう感覚に興味がないだけ。勝手にそう思っている。いや、たぶん面倒くさいとか、もっとすごく雑な感じの、あまり積極的には知りたがらないような、けっこう無責任な感じにこそ助けられている気がしている。
「今度、いつ会える?」
「今聞くそれ」
「ええやん、先に決めておきたい」
「わからん」
「わからんことあるか、えげつない言い方せんといて。早く会いたいだけやん」
「ほんまにわからんの」
「会いたい」
「何やろこの子、きしょいわ」
「ええやんか、三日ぶりなんやし。なあ、今日は行かんとって。一緒にいてや」
 妻子持ちのくそ馬鹿が正月の三日から不倫相手になんか会うはずがない。そんなやつは本当にくそ馬鹿すぎると思う。不倫する才能も資格もないと思う。そんな奴に竿留がホレるわけがない。だからこそ、わかり切ったようなこんなジレンマは本当に楽しい。どうしたら竿留の格好がつくのか、体よくご機嫌を直す筋に誘ってあげられるのか。もう半分じゃれあっているのと変わらない。こうやってだんだんと竿留をその気にさせていったあの頃の感じは、今も少しも忘れていない。
「風邪感染してまうやんか」
「せやから感染したらええって。ウチけっこう頑丈やし罹らんかもわからん」
「いややわそんなん、めんどい」
「めんどいって何やの腹立つ」
「病気はあかんの」
「いやん、めっちゃ優しい」
「きしょい声出すな。当たり前のこと言うただけやん」
「当たり前違うわ。めっちゃ好きやたまらん」
 それをしたらダメ、と言われると人一倍それをやりたがるクセの悪い子どもだった。スカートめくりをする男の子のズボンを全力で片っ端から下げて回ったのはあたしで、友だちの好きな子を知らされると、名代を気取って勝手に告白しまくって顰蹙を買ったのもあたしだ。気持ちや答えがわかっているのに、もじもじうじうじしている他人の気持ちに攻撃的なほど疎かったこともある。でももっと率直な気持ちとしては、ただ単にじれったかっただけのような気がする。
 ちゅくちゅくは、案外ダルい。サイフォンの原理で勝手に流れるのはけっこうなことなのだけれど、そののどかすぎる流れっぷりがあたしの期待した便利さにはどうにもそぐわなかったのかもしれない。あるいはその間ボーっと眺めていることが、単純にダルかっただけなのかもしれない。実は一度だけ、サイフォンの原理を試したことがある。落ち着きのないあたしが油断してその場を離れているうちに、灯油はタンクから呆気なく溢れた。のどかなくせに、あたしが目を離したすきにまんまと溢れたのだ。不愉快すぎて、その始末が精神的にも肉体的にも恐ろしくダルかった。ものすごく馬鹿馬鹿しかったのだ。思いもよらぬ結果をいとも簡単に仕出かしてしまう自分のまぬけさ、手に負えない灯油の匂い。すべてが純粋にダルくて、猛烈に馬鹿馬鹿しかった。
 つまり、サルの家系に育ったあたしがちゅくちゅくを終始忙しなくちゅくちゅくしたがるのは、当然とされる便利らしい原理なんかより、さっさと終わらせたいサル並み以下の知性がさせるただのせっかちのほうがまるきり当然の如く理に適っていて、単純にフィットしてしまった結果でしかないのだと思う。
「初詣でも行こか」
「風邪ひきやて」
「ああ、せやった。ごめんアホや。すぐ勝手に盛り上がるやんなあたし」
「違う。この後会うねん、あの人と」
 妻子持ちのくそ馬鹿みたいなおっさんとも、あたしみたいな馬鹿でサルみたいな女ともセックス出来る竿留は、生物の基本性能をまるまると飲み込んでしまう地球外生物みたいで格好いい。存在として超越している。あたしがすることを邪道と笑いながら、でも本来のモノとは違うものと認めて、楽しんでくれる大らかさがいい。「完全に間違ってるけど、これはこれで何かいい」と言ってくれる。
 重くて面倒くさいばかりに、便利さすらも待ちきれないばかりに妙な感じになってしまうのは、所詮生まれつきのようなことでしかない気がしている。合っているということも、どうせそういうことに違いないはずだから、あたしは原理も便利も関係なく、ただ性分に任せて竿留に興奮してしまう。
「まだ正月の三日やんっ。どんな家庭やのアホちゃう、見損なうわ竿留も」
「正月だって三日もすれば飽きるんちゃうの」
「それで家族放り出してエロいこと考えんの? アホかっ、動物かっ」
「アホならそっちもやんか。あんただっていちゃいちゃが何や言うてたやんか、さっき」
「あたしは初日やっ、元旦やっ、三日ぶりやんか一緒にすんなボケ」
「うるっさいわ、近所に聞こえる」
「うるっさいことない、いやや。行かんとってお願い」
 でも、たぶん竿留は電動式のちゅくちゅくで、サイフォンの原理も、サル並み以下の知性がさせるせっかちも、どっちもただの時代遅れでしかない供給的快感でしかないのかもしれない。便利で、放っておいてもちゃんと止まる。現象に留まることも、溢れて手を焼くこともない。だからってあたしは、そんなことは全然信じたくないし、信じるつもりもない。信じたら、簡単に絶滅してしまうことくらい知っているからだ。
 万能生物みたいな竿留が、あたしのせいでびくびくとしなって力尽きる瞬間こそが文明をサルが打ち負かす瞬間で、あたしは原理に従うばかりののどかなくそ馬鹿によるセックスなんかよりもよほどせっかちで加速的な快感をちゅくちゅくとけしかけて、打ち負かす。立派なサルになる。竿留の電源をすっぽりと抜いてしまえる程度には知性のある、サルになる。そんなものどうでもいいと、そんな程度のことは当たり前に言えるくらいには知性のあるサルに、いつかはなりたいといつも思っている。
「でも、正直に言ってくれてありがと。信用しとくわ、やっぱ」
「何やの急に、しおらしい」
「嫌われたくないやん、そっちのがいやや。選べへんやん、あたしみたいんの」
「もっと怒ってええよ、たまらんわ」
「じゃあ行かんといて、いややもんそんなん。でも無理なんやろ、会いたいんやろ?」
「わからん。いやかもわからん」
「ひどいわ、そんなん言うの」
 こんな風にちっとも万能らしくない竿留を見てしまうと、いろいろなものが引っ込んでしまう。引っ込んでしまうというよりは、出っ張らせて許されるものなどそもそもないような気にいよいよさせられてしまう。だからといって、そんなことは今さら知るようなことではなく、物心がついたころから自分でも案外気付いていた気はするのだ。適当なものが見つからないということはけっこうなストレスで、あたしはスカートをめくる男の子が単純に気持ち悪いだけの敵にしか見えなかったのかもしれないし、普通に恋する女の子に早く自分がおかしな様子であることに気付いてほしいと願っていただけなのかもしれない。ちゅくちゅくとひたすらに繰り返してしまうやり方は、本来の仕組みからすると間違ったやり方なのかもしれないけれど、比較するものがなかったし、比較する必要もなくそれがただ当たり前だったから、ずっとそういうものだと信じて疑わずにいただけだ。そのうちに正しいやり方やその名前さえも知ったけれど、知っただけで、どうということはない気がずっとしていた。
「でもええわ、好きやからどうにもなれへん。帰ってきてくれたらそれでええわ」
「何なんそれ堪忍や、行かれへん。そんなん言われたら行かれへんやん」
「嘘やそんなん。そんなシメシメな感じあるか。いやらしいことしてきたらええやん。相手の奥さんや子どもら悲しい寂しい思いさせるんやんか、あんたら。でも会いたいんやんか」
「ヒドい言われようやな、ほんまやけど」
「でもそういうしょうもない竿留もあたし、全部たまらんし。サルやし」
「なんて? サル?」
 この部屋には灯油なんてまったく必要がない。こんな狭い部屋はエアコンだけで充分に暖かいし、灯油なんてくさいから使いたくない。原理も便利もどうでもいい。そんなことはとっくにどうでもよくなって、あってもなくても快適に過ごせる場所がだんだんと増え始めてきているということに違いないはずなのだ。実家を離れてから、灯油の匂いも、こたつに包まる暮らしもあっという間に昔話みたいになってしまった。そのうちにどんなことにも慣れてしまう。それが一体どういう仕組みで原理で、便利なことなのか、そんなことはやっぱりどうでもいいような気がしてしまう。
「待っててくれてありがと。行きいや。待ってるから」


    了

サルの唯物論

執筆の狙い

作者 群青ニブンノイチ

本文中「感染して」は、「うつして」と読みます。
竿留は「さおとめ」です。

誰もが知っていて想像出来て当たり前のようなことを、大層丹念にあるいはひねたらしく文学的であったりなかったり書いたり書くべきでなかったりといった忖度やら魂胆をひけらかすことをここでは”小説”と呼ぶらしいのですが、そういった意味での”小説”のようなものは書いたつもりは少しもないです。

コメント

中野サル信長

タイトルと書き出しはまずまずだと思うけどだれて全読できなかった
展開いちいち
プロじゃないんで
ちゃんと金払ってプロの意見も聞かないととんでもないことに

\(^o^)/

>極端に言うなら、木や石を道具として使うことをとりあえず覚えたサルみたいの気分、とでもいったところだろうか。
 ↓
 木や石を道具として使うことをとりあえず覚えたサルみたいな気分、いったところだ。

「電動のやつ買うたらええやん。めっちゃ楽やで」から始まる一連の会話が誰と誰の会話なのかがわからないままなので、読者はイライラします。

>年末年始、たったの三日実家に帰省していただけなのに、竿留の顔が心持ち懐かしく見える。

 難読名は初回だけでも竿留(さおとめ)と読みがなをふりましょう。「感染(うつ)して」も同じく。

>目の当たりにしたタイミングで突如思いつかされる当惑の感情、おや? とか、あれ? なんてそんな戸惑いを含んだ積極的な確認、そんな覚束なさこそを”懐かしい”と、人々は口々に叫ぶものではなかったか。
 ↓
 目の当たりにしたタイミングで突如思いつかされる当惑の感情、『おや?』とか『あれ?』なんてそんな戸惑いを含んだ積極的な確認。そんな覚束なさこそを「懐かしい」と人々は口々に叫ぶものではなかったか。

 通常、日本語の文章では”懐かしい”とダブルクォーテーションを使いません。「 」や『 』を使います。どうしても”懐かしい”とするなら、”懐かしい”ではなくて、“懐かしい”とします。左右の記号はそれぞれ別物なので、兼用すべきではありません。

> 持って帰って、どうせくそ馬鹿と食べるのに決まっている。
 ↓
 持って帰って、どうせあのくそ馬鹿と食べるのに決まっている。

>例年通り、とは言っても所詮馬鹿馬鹿しい。
 ↓
 例年通りと言っても、所詮は馬鹿馬鹿しいことなのだ。

>竿留とつるむようになって四年、不倫は五年、寝取ってから二年。

 誰の不倫歴が五年なのか、誰が誰を寝取ってから二年なのかを明確にしましょう。ぼかす必要性はないと思います。
 もしくはタイトルを「つるんで四年、不倫は五年、寝取ってから二年」とすれば、意味不明なタイトルに釣られて読んでくれる人がいるかもしれません。その場合は、ちょっとしたミステリーっぽい感じで、本文もこのままにしておけば良いのです。読者はこの謎の文章の意味を解こうと必死で読みます。ただし、竿留の性別は、会話文の前に明記してください。より読者のミスリードを誘えます。

>「そしたら優しく寄り添ったらんかいウチ、なんてな」
 セルフツッコミと気付くまで時間がかかりました。地の文では一人称が「あたし」だったからです。地の文では関西弁を使ってないから「ウチ」ではなく「あたし」にしたんですね。わかりにくいので、セリフも「ウチ」ではなく「あたし」にする方が良いかと。もしくは、
「そしたら優しく寄り添ったらんかい、ウチ。なんてな」でどうでしょう?

>あたしが「ほなな。ごめんな。たのむで」と執念深いようなことを言って玄関のドアを閉めたところから始まる三日間。
 
「執念深いようなこと」が妙な感じです。

>「親か。母か。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」

「親か。母か。」はツッコミだったんですね。多くの読者にはわかりにくいでしょう。
「親か! 母か!」ならツッコミだとわかりますが、語調が激しすぎます。かと言って「親か? 母か?」でもニュアンスが変わってしまいます。そこで、「オカンか。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」ではどうでしょう? このセリフのあと、地の文としてヒロインが竿留のためにいろいろと用意して冷蔵庫に入れておいたことを書くとわかりやすくなります。

>「点天持って」

 点天を知らない読者も多くいると思うので、このセリフの次に地の文として
「あたしはパッケージに「点天」と印刷された一口餃子を指さした。
 などさり気なく説明することをおすすめします。

>「今聞くそれ」
「ええやん、先に決めておきたい」
 ↓
「今聞く? それ」
「ええやん、先に決めときたい」

「わからん」
「わからんことあるか、えげつない言い方せんといて。早く会いたいだけやん」
 ↓
 別に「えげつない言い方」ではないと思います。「でたらめなこと言わんといて」でどうでしょう?

>「わからんことあるか、えげつない言い方せんといて。早く会いたいだけやん」
「ほんまにわからんの」
 ↓ 
「ほんまにわからんねん」あるいは「ほんまにわからんのよ」の方がナチュラルです。

>「ええやんか、三日ぶりなんやし。なあ、今日は行かんとって。一緒にいてや」
 ↓
「一緒にいてえな(依頼と強意)」がナチュラルですが、江戸っ子の「いてえな」が「いたいな(願望)」の意味になので、「一緒におってえな」が良いかと。

>「嫌われたくないやん、そっちのがいやや。選べへんやん、あたしみたいんの」
 ↓
「嫌われたくないやん。そっちのほうがいやや。誰も選ばへんやん、あたしみたいなん」

 会話のシーンにも適宜地の文を入れて状況をわかりやすく描写しましょう。芝居の演出家が演者に演技指導するイメージで。どんな表情、どんな口調、どんな仕草なのか、など。

群青ニブンノイチ

いえ、書き出しからミスタイプがあります。

>サルみたいの気分 → サルみたいな気分

すみません。




ちゃんと作品を投稿した上で参加することは、どの程度の人が何を言っているのか、一目瞭然でとても有意義じゃないですか。
あなたもれっきとした参加者に違いないです。
それ以上でも以下でもありません。
読み切れなかったとは残念なことでした。
ご興味にそぐわない有り様で申し訳ありません。


お金で手に入れられる、ノウハウでどうにかしたい、ということでしたらそのようにされてください。
目的と欲求は必ずしも一致するわけでもない気がしているので、そういうのは大丈夫です。


ありがとうございました。

\(^o^)/

 訂正があります。

>「親か。母か。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」
 ↓
「あんたオカンか。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」

 これでよりツッコミである事がわかりやすくなります。

中野サル信長

一言再訪して警告しときますが
お金でないアドバイスは痛い目を見ますよ
お金でプロのアドバイスを聞きましょう
無料でもプロかどうかが大事です。

群青ニブンノイチ

絵文字の方

細かな添削をありがとうございました。
参考までにとどめさせていただきたい、というのが率直な返答となります。


例えば、

>くそ馬鹿とするか、あのくそ馬鹿とするか

といった点については”あの”には確実に距離があって、心象として別物であることは明らかと感じるのが作者としての認識です。
作者として、この語り手をそこまで冷静な人物、あるいは客観に自惚れた調子にはしたくなかったというのは明白な意思で、短絡的でありたかったことがくみ取っていただけなかったのはこちらの至らなさとしてとても残念に思います。
文章や技法といった話ではなく、もっぱら”女”という心理の話です。すみません。

セリフについてのご指摘はすみません、新喜劇みたいなので完全にイヤです。可愛くないです。すみません。
これもやはり、正確性や語彙などといった範疇以外の、”女”という心理を優先したいばかりのものでした。
語り手であるちょっと変わった彼女が持つ生来の心細さには、「わからん」なんて言い方は、かなしくなるほど”えげつない”んです。
「でたらめ」なんて、そんな自信のあるような言い方なんて出来るはずもない、そう信じ切っている彼女を、ちゃんと伝わるように書いてあげられなくてとても残念です。
感情を優先したのは、間違いだったでしょうか、関西弁としての汎用性より、キャラクターを優先したくなってしまいます。


何を書こうとして、書くべきと思うのか。
その興味や欲求についてそもそも食い違いが多いようなので、あまり有意義なお返事が出来なくてすみません。
上の中野さんと似通った趣旨でいらっしゃる方とお見受けします。
大変申し訳ありません。

お読みいただいてありがとうございました。

\(^o^)/

>上の中野さんと似通った趣旨でいらっしゃる方とお見受けします。

 なぜそのような激しい勘違いができてしまうのか、不思議で仕方ありません。もし私が中野さんと同じような考えの持ち主なら、感想を書くだけにとどめてアドバイスなんかしませんよ? 

>くそ馬鹿とするか、あのくそ馬鹿とするかといった点については”あの”には確実に距離があって、心象として別物であることは明らかと感じるのが作者としての認識です。
作者として、この語り手をそこまで冷静な人物、あるいは客観に自惚れた調子にはしたくなかった

「あのくそ馬鹿」なら「冷静な人物あるいは客観に自惚れた調子」で、単に「くそ馬鹿」なら冷静ではなく客観に自惚れていない調子なわけですね。理解不能です。
 
>セリフについてのご指摘はすみません、新喜劇みたいなので完全にイヤです。可愛くないです。

 以下があなたの書いたセリフです。あなたはこれなら新喜劇みたいではなくて「可愛い」と思ってらっしゃるわけです。
「そしたら優しく寄り添ったらんか
いウチ、なんてな」
「親か。母か。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」
「今聞くそれ」
「ええやん、先に決めておきたい」
「わからん」
「わからんことあるか、えげつない言い方せんといて。早く会いたいだけやん」
「ほんまにわからんの」
「ええやんか、三日ぶりなんやし。なあ、今日は行かんとって。一緒にいてや」
「嫌われたくないやん、そっちのがいやや。選べへんやん、あたしみたいんの」

 確かに、新喜劇ではこんな不自然な関西弁を使うことはないでしょう。しかも意味が不明瞭てすし。これら不自然で意味不明瞭なセリフのどこが可愛いんでしょうか? 私は大阪弁ネイティブスピーカーですが、まったく可愛さを感じません。もしかして言葉が不自由なところが子供っぽくて可愛いということですか? いい大人が自分の地元の言葉もろくに話せないなんて、馬鹿っぽいだけで可愛くなんかありませんよ。
 一方、私の改善案は以下です。
「そしたら優しく寄り添ったらんかい、ウチ。なんてな」
「あんたオカンか。惣菜とか生もの多すぎやんか、腐らせたらあかん思て必死でやっつけたわ」
「今聞く? それ」
「ええやん、先に決めときたい」
「わからん」
「わからんことあるか、でたらめなこと言わんといて。早く会いたいだけやん」
「ほんまにわからんのよ」
「ええやんか、三日ぶりなんやし。なあ、今日は行かんとって。一緒におってえな」
「嫌われたくないやん。そっちのほうがいやや。誰も選ばへんやん、あたしみたいなん」
 自然な大阪弁で、意味もわかりやすくなっています。馬鹿っぽさもなくなりました。ちなみにセリフにツッコミやセルフツッコミを入れたのはあなた自身です。だけどこの改善案は「新喜劇みたいだから完全にイヤ」とあなたは言うわけです。理解不能です。
 
>感情を優先したのは、間違いだったでしょうか

 登場人物の感情を描くことは大切なことです。しかしそれは作者の個人的感情を優先させることと同義ではありません。

>関西弁としての汎用性より、キャラクターを優先したくなってしまいます。

 ヒロインが「関西弁が不自由で、意味不明なことを言いがちで、馬鹿っぽい」というキャラ設定ならこのままでOKです。

 それから、”あの””えげつない”と頑迷に記号を誤用し続けるのにも何か理由があるのでしょうか? 
“あの”“えげつない”と正しく記号を使い分けない合理的な理由があるなら教えてください。どうかお願い申し上げます。

 論旨不明瞭な文章で作品を投稿し続けても、読者はイヤになったらすぐに読むのをやめてしまいます。人様に読んでいただきたいのなら、まともな文章、一読して理解できる文章を書きましょう。それが書き手の最低限の礼儀だと思います。
 それがイヤならチラシの裏に書くことをおすすめします。

読み専

群青ニブンノイチ様

いやー、素晴らしい。センスを感じます。
最初はこんな駄文をどうしてここへ載せるのかと、訝しく思いました。しかしこれは、落ちの部分だったのですね。

劇場型小説とでも言うのでしょうか? まさかこれまでの上から目線の発言が、この落ちのための振りだとは思いませんでした。

久しぶりに腹を抱えて、笑わせていただきました。ただ、もう少しまともに書いたほうが、リアリティーを出せたように思います。

それとこの手法は、夏間釣さんが前に使っていました。二番煎じですよ。中身のなさをごまかすように、意味不明な単語を羅列するところもそっくりです。
まさか、同一人物ではないですよね?

いずれにしても、楽しませていただきました。また私を笑わせてくださいね。

\(^o^)/

読み専さんへ

>これは、落ちの部分だったのですね。

 ちょっとどういうことがわかりませんでしたが……。

>劇場型小説とでも言うのでしょうか? まさかこれまでの上から目線の発言が、この落ちのための振りだとは思いませんでした。

 そういうことだったんですね! すっかり群青さんの掌の上で踊らされてました!(恥)

>ただ、もう少しまともに書いたほうが、リアリティーを出せたように思います。

 私も同意します。ツッコミどころが多過ぎかと。もう少しボケの数を減らして、ボケの質を上げると良いですね。微妙なボケを連発するよりも、数は減っても良いので確実に笑いを取れるボケを考えるべきでしたね。もっとあからさまなセリフの間違いなど。
「今聞く? それまんがな」
「ええやん、先に決めときたいまんがな」
「わからんまんがな」

 特にオチは肝心です。ネタの最中に大ウケしても、オチが弱いと読み終わってからの『ああ、面白かったなぁ!』という印象が薄れてしまいますので、オチ部分は要再考ですね。

>この手法は、夏間釣さんが前に使っていました。二番煎じですよ。

 先人がいましたか……。オリジナリティーがないのはいただけませんね。
 ですが、私は全力で騙されてました。不快感はありません。『してやられたぁ!』という妙な嬉しさがあります。事実、今笑ってます。でもまあ、次はひっかかりませんよ(笑)インフルエンザで退屈してたんで、良い退屈しのぎになりました。

スカイ画廊の父

群青ニブンノイチさん
サルの唯物論
読みました。

全体を通して、何か本質的に読解を拒むような、大げさに言うと通約不能でアナーキーなものが息づいていて、文字が意味を壊して文字から肉声が聞こえるようにしている、とそんな印象を受けました。
ただ作品としてうまくいっているのかというと、素直にそうだとは言えないです。ここに投稿されるもののなかでは珍しくつまらなくないものではあったけど、決して面白くはない。私には指摘できる力もないし、どうすれば良くなるのかもわかりません。

群青ニブンノイチ

読み専という参加の仕方を否定するつもりは毛頭ありませんが、参加目的の一つを放棄して許されるにはそれなりの品性と人格を当然のごとく要求したいので、個人的にあなたは失格です。

二番煎じではなく、わたしにしか書けないことを書いているのですから当たり前ですし、出来ない人がへらへらと逃れ回れる理由には組しません。
まぬけな戯言なら他所でやってください。
あなたに適当そうなスレはいくらでもありますよね。

目的を満たしてまともに対峙する解消も度胸もないなら諦めること。
見苦しいので二度とかかわらないでください。
迷惑です。

群青ニブンノイチ

スカイ画廊の父さん、わざわざお立ち寄り頂いてすみません。
ありがとうございました。

>全体を通して、何か本質的に読解を拒むような

意外なご感想でした。
確かに手癖の強い筆筋であることは自覚がありますし、努めてそうしたいという馬鹿げた魂胆も未だに尽きませんが、読解を拒む、といった印象を与えているらしい意識は恐らく少しもありませんでした。
直截的な表現は出来ることなら避けたいですし、いちいち文章にしたがる以上は何らかの表現は企みたいものですからつまり、個人的には”表現のすり替えごっこ”のようなつもりでしかないのが正直なところではあると思います。

すり替えが、ズレている。ということかもしれないですね。

言葉というのは意味ばかりではなく、音、という認識で扱いたい部分もあるもので、例えば同じ言葉でもそれを発する人によってまったく別の意味やら意識として届く、みたいなことに意識を持って行かれがちなところが個人的には結構あります。
むしろ、言葉が絵みたいに見えたりするのかもしれません。
わたしはそういうことも含めて”キャラ”と呼びたがるようなかなり頓珍漢なところがあります。
たぶん、そういったわけのわからなさが 

>全体を通して、何か本質的に読解を拒むような

といった悪しき印象を与えてしまうのかもしれませんね。
わたしは何よりもエロい感じが好きなので、そのタチの悪さは尚更なのかもしれません。


わざわざお付き合いいただいてありがとうございました。
面白いと言っていただけるものが書けるように、凝らしてみます。

群青ニブンノイチ

すみません。


読み専宛

解消 → 甲斐性



馬鹿な人だと思うので一応です。

\(^o^)/

 あ、まだ続いてるんですね? 劇場型小説。

>>全体を通して、何か本質的に読解を拒むような

>意外なご感想でした。

 ここはナイスボケです! 御作で初めて大笑いできました。これくらいのクオリティーのボケを本編にいくつか散りばめておくことをおすすめします。

>わたしは何よりもエロい感じが好きなので、そのタチの悪さは尚更なのかもしれません。

 このボケはイマイチです。このボケをボケとして成立させるためには、本編にエロいシーンとして書いたつもりだったのにまるでエロティシズムを感じさせないシーンを挿入する必要があります。
 御作には、
①エロいシーン
②エロいシーンとして書いたつもりだったのにまるでエロティシズムを感じさせないシーン
 このどちらもありませんでした。だからこの渾身のボケが効いてこないのです。

\(^o^)/

>>この手法は、夏間釣さんが前に使っていました。二番煎じですよ。

>二番煎じではなく、わたしにしか書けないことを書いているのですから当たり前ですし、出来ない人がへらへらと逃れ回れる理由には組しません。

 ここもなかなかのナイスボケなんですが、文章が冗長です。この部分のボケは

>二番煎じではなく、わたしにしか書けないことを書いているのです

 と短く切る方が効果的です。真実とは真逆なことを断言するというボケですね。M-1グランプリファイナリストかまいたちさんのネタをリスペクトされたんでしょうね。

>二番煎じではなく、わたしにしか書けないことを書いているのです

 ここから以下の

>から当たり前ですし、出来ない人がへらへらと逃れ回れる理由には組しません。

 この部分は冗長ですし意味不明ですから、このボケの面白さを殺してしまっています。ですからばっさりカットしましょう。

\(^o^)/

>まともに対峙する【解消】も度胸もないなら諦めること。見苦しいので二度とかかわらないでください。迷惑です。

 ここで敢えての誤字を書き、次に

>解消 → 甲斐性
馬鹿な人だと思うので一応です。

 と訂正しながら瞬時に自分の馬鹿さ加減を相手におっかぶせるという瞬間芸。これは秀逸です! 得意技ですか? お家芸でしょうか? 流派は何流ですか? もしかしてご自分で編み出した技ですか? ここに素晴らしいセンスを感じました。コント作家を目指してらっしゃったんですね。この瞬間芸は毎回入れることをおすすめします。

 でも思い起こしてみると、これもかまいたちさんのネタにありましたね。「USJをUFJ」と自分が言い間違えたのに相手が間違えたということにするという卑怯ネタ。あれと同じ要領ですね。自分が馬鹿で書き間違えたのに、相手が馬鹿ということにしてしまうという卑怯ネタ。
 ですが、二番煎じとは言いません。リスペクトですよね。今後も面白いコントを発表してくださいね。でも次からは群青ニブンノイチさんの掌では踊らされませんよ?

群青ニブンノイチ

絵文字の方

他への返信ですが、同じことなので引用しておきます。

>読み専という参加の仕方を否定するつもりは毛頭ありませんが、参加目的の一つを放棄して許されるにはそれなりの品性と人格を当然のごとく要求したいので、個人的にあなたは失格です。


あと、これも他の方への返信なのですが、引用します。

>むしろやはり性悪なことに、わかるはずもないこの程度のくそ馬鹿風情に、くらいのことは常に思っているような気がします。

どういった文脈における発言かは粘着質のあなたのことですからわかるでしょうし、割愛します。
ちなみに”この程度のくそ馬鹿風情”というのは、例えばあなたのような人のことを言っています。誤解のないようにお伝えしておきます。


何だかあちこちで小説の話をしているらしいのですが、正直なところ、わたしはそもそもあなた自身から小説的なものを感じないので、興味がないのです。
お説に熱心なのは結構ですが、個人的にはどんな人が言っているのかということの方が当たり前に気になってしまうので、申し訳ないですがあなたとは小説の話を少しもしたくありません。
あなたが小説と呼ぶらしいものを、わたしは小説とは少しも思わないので、つまらないのです。
ああ、この人馬鹿なんだ、としか思っていません。
同じ種類でも、もちろんながら中野さんよりレベルが低いと思っています。


迷惑なので関わらないでください。
おつかれさまでした。

\(^o^)/

>読み専という参加の仕方を否定するつもりは毛頭ありませんが、参加目的の一つを放棄して許されるにはそれなりの品性と人格を当然のごとく要求したいので、個人的にあなたは失格です。
 ↓
 読み専にはそれなりの品性と人格を要求します。あなたは失格です!

 ボケのキレが悪いですね。冗長なので、論旨を明確に。そしてこのボケに対するツッコミは、

「どの口が言(ゆ)うとんねん!」
 または、
「お前が言(ゆ)うな!」

 辺りが相当かと思いますが、いかがでしょうか?

 このボケの面白さは、まず壮大なネタ振りとしてあちこちの感想欄で暴言を繰り返しすことにより自らの品性の下劣さと最悪な人格であることを強く印象付け、そんな自分を棚上げして、他者には「それなりの品性と人格を要求」するところにあります。
 ところがこのボケはあまり有効ではありません。このボケは、ボケ役である群青ニブンノイチさんがこれまで演じてきたキャラクターと同様の品性下劣な最悪の人格を持つ人物に対して発するときに最も効果を上げるからです。残念ながら私はそのような人物ではないので、せっかくのボケがボケとして成立していないのです。
 ですからこの部分のボケは全面的にカットされる事をおすすめします。

スカイ画廊の父

群青ニブンノイチさん
再訪お許しください。

全体を通して、何か本質的に読解を拒むようなというさきの感想、これは褒めたつもりなんですが、すみません私の書き方が雑でわかりにくかったようです。一部を抜き出して、説明してみたいと思います。返信は不要です。

>あたしはたまたま、そういう感覚に興味がないだけ。勝手にそう思っている。いや、たぶん面倒くさいとか、もっとすごく雑な感じの、あまり積極的には知りたがらないような、けっこう無責任な感じにこそ助けられている気がしている。

「あたし」の考え方の一端をのぞかせる箇所ですが、「あたし」の気持ち悪いことに対する考察よりも、「あたし」の性格というか性分が際立っています。これを完全に読解することは不可能で、なぜなら「あたし」自身の感覚が鋭いなかでも良い意味でゆるいというか隙があるからで、読者としての私は文字からの意味ではなく、「あたし」の肉声を聞かされているようでした。

群青ニブンノイチ

こんばんは。
わざわざありがとうございます。
返信不要とのことでしたが、お互いに成果には恵まれていないようですし、せっかくなのでお付き合いいただけたら嬉しいです。


けっきょくのところ、構造的なことなのだと思っています。
全然自信などないけれど、従うしかない事情に従うしかない、そういう自分サイズの肯定がクセみたいになってしまった逞しい女の子の話です。
灯油のポンプのことを考えていたら、書き進めるうちにこういう話になりました。
上手く言えなくてすみません。


個人的には、そちらの感想で言いました”パロディ”ということにも通底する、やはり構造的な意識のようなことなのだと思っています。
わたしはあの作品を、作品世界の話ではなく単に作者という心象の話だと思っているフシがあって、というかそうとしか思っていないのですが、つまり例えば創作における構造的な、それはほとんど品性とか、客観とか、あくまでも創作における最低水準、然るべき態度とか、そんなことを言いたいはずなのですが、わからなかったらすみません。
要は、書くべきか書かずにはいられないものなのかといったそれぞれのフィルターのことのような、とても単純な態度のようなつもりのことを言っています。
当たり前に通過するべき構造ということなんですけど、残念ながらそういったフィルターを透過させたものとは思えないものがここには多いというか、それをそもそもそんなことすらも意識されていないらしいものがほとんどだと個人的には思っているので、”パロディ”とあえて呼ばせてもらったものでした。
当たり前のことだとは思っていますが、それにしてもという意味において、他の人がどう見受けるものか気になる、と言いました。
そうして結果、成果に恵まれずにいるということであれば、差し出すばかりの者としてはやはり、自ら決定して受け入れるしかない、と思うよりほかにない、といった前進も後退もない至極当然のようなことを思わされる、ということです。


>私には指摘できる力もないし、どうすれば良くなるのかもわかりません。

とおっしゃられていますが、そんなことこそでまかせに尽きるというものでしょう。
あの作品のようなことがちゃんとわかっているなら、こんなところで目にするのは疑わしいような不可解さばかりであることは明らかのように思います。
わたしのこの度のものについてのことでしたら、ご理解には及びません。
わたしも常に基本的な構造のようなことは意識しているつもりですから、あれは単純な二軸構造で彼女にポンプとしての彼女を告白させたかったばかりのものでしかありません。
ですが、重要なのはたぶん、そういった写し鏡のような構想をいやが上にも思いつける最低水準のような欲求を満たさなければ、小説なんてことは名乗るべきではないと個人的には思っています。
そういった信用を思いつかせてくれる程度のものに、ここではそう頻繁には出会えません。

わたしは正しい文章を書きたいようなことは爪の先ほども思ったことはなく、読むだけでセックスしたくなるようなくだらなく正直な感じとか、そんな湿り気のようなことばかり欲しがっているような気がします。
そのために、たまたま言葉が必要になってしまう気がしているだけです。

すみません、酔っぱらっているので何だか関係ないことを話し始めてしまいます。
すみませんでした。
わざわざありがとうございました。

\(^o^)/

>お互いに成果には恵まれていないようですし、せっかくなのでお付き合いいただけたら嬉しいです。

 このボケは、「感想を数多く書いてもらえない人と、感想は数多く書いてもらっているのものの称賛する感想が一切ない自分を同格とみなし、傷を舐め合いたがる」というボケです。ボケとしてはあまり面白さのないボケですが、次に続くボケを展開するために必要な導入部分として許容できます。

>自分サイズの肯定がクセみたいになってしまった逞しい女の子の話です。灯油のポンプのことを考えていたら、書き進めるうちにこういう話になりました。

 要約すると、「灯油ポンプについて考えながら書いていると、今回のような駄作になってしまった」という告白文です。つまり「プロットを考えずに書き始め、思い浮かんでくるストーリーをそのまま書いたらこうなった」というわけです。そしてこれを駄作になってしまった言い訳として使っています。
 このボケの主旨は、「本当は私だってプロットを考えてから筆を取れば名作が書けるのに、今回こんな駄作になってしまったのはプロットを考えなかったから」です。強烈な負け惜しみを言うというボケなわけです。喧嘩でボコボコにやられて負けた池乃めだかが言う「よっしゃ、今日はこれくらいにしといたるわ」をリスペクトされたんでしょうか?
 ですが冗長過ぎて面白さがかなり薄まってしまっています。簡潔にまとめましょう。

>個人的には、そちらの感想で(中略)要は、(中略)つもりのことを言っています。

 この二十数行にも及ぶ文章は、自らを利口であるかのように見せかけるための回りくどい文、中身のない話なのにいかにも中身があるかのように見せかけようとする思わせぶりな口調に満ちています。作者はここで、「主人公はこのように品性が下劣なんですよ」と読者に強く印象付けようとしています。次のボケへのネタ振りでしょう。

>当たり前のことだとは思っていますが、(中略)ということです。

 十行にも及ぶ長文を要約すると、「感想がほしいのに誰も書いてくれなかった。諦めるしかない」です。作者はここでも主人公である作者は簡潔な文章を書く能力がないということを読者に強く印象付けています。
 また主人公が嘘つきであることも明らかにしています。なぜなら、主人公へはたくさんの感想が寄せられているからです。その中に主人公が渇望してやまない称賛の言葉がなかったから、主人公は「感想がほしいのに誰も書いてくれなかった」と虚偽の主張をしています。

>>私には指摘できる力もないし、(中略)とおっしゃられていますが、(中略)彼女にポンプとしての彼女を告白させたかったばかりのものでしかありません。

 この二十数行にも及ぶ文章では、滅茶苦茶な敬語を敢えて使うことにより、主人公の非常識具合や知性の低さを読者に強く印象付けています。
 そして「この駄作はヒロインにポンプとしての自己を告白させたかっただけのもの」というあまりにもくだらない意図で書かれた作品であるという告白をしています。道理で駄作にしかならないわけですね。ここで軽くひと笑い来るでしょう。この軽いボケは次のボケへの前奏ですね。

>わたしは正しい文章を書きたいようなことは爪の先ほども思ったことはなく、

 作者はここで、主人公である作者が悪文しか書けない言い訳を始めます。「そもそも私は正しい文章を書きたいなんて思ってない」と。「書けないのではなく、書きたいなんて思ってない」と強弁するという池乃めだか系強烈な負け惜しみネタです。

>読むだけでセックスしたくなるようなくだらなく正直な感じとか、そんな湿り気のようなことばかり欲しがっているような気がします。

 作者はここで主人公は「読者を欲情させたい」という強い願望があることを告白させます。つまりこの主人公は、エロ小説家志望だったわけです。これまで主人公はコント作家志望だと思っていた読者は驚かされます。しかも主人公は作中で、読者を欲情させられるような文章を一行も書いていないのです。読者は驚きのあまり笑えません。戸惑います。
さあ、オチに期待しましょう。

>すみません、酔っぱらっているので何だか関係ないことを話し始めてしまいます。

 これまで書き綴ってきた悪文の理由を酔っ払っているせいにして責任転嫁する。これはお得意の瞬間芸ですね。お見事です!

 全体的に冗長なので、コンパクトにまとめましょう。前振りは多少長くても構いませんが、ボケは短くわかりやすいフレーズで。

群青ニブンノイチ

何ですか? こじきですか?
あなたのここへの書き込みは二つ目から何一つ読んでいないですけど、魂胆はわかるので十分ですよね。
所詮そんな人間だとわたしはわかっていたから遠慮なく馬鹿と、その程度のやつだと、二度目にハッキリ言ったわけです。
わかりませんか、絵文字馬鹿。

差し出すものを惜しんで、目的を逃れてただご託だけで何かをこしらえたいようなことばかりに拘泥するからそうやってみっともなくイラつくし、自分の言質にこそ自信が持てないんです。
自分が正しいと思っているつもりなら泰然として引きなさい愚か者。卑怯者。


わたしの言っていることはただの事実です。
わたしのモノや、スカイ画廊の父さんの作品は、ちゃんと自らの創作意思に対して端正にこしらえられたものだから、あなたみたいな見栄だけを理由にふざけたようなことを言う態度では自分の馬鹿を晒すだけですし、まともな人は真面目に望む態度があればあるほど自分の言葉こそを慮って下手なことは言えないんです。
言わないんです。
事実、下手を踏んだあなたはここまで恥を晒す憂き目にあっているじゃないですか? もちろんただの自殺なんですけれど、それにしても見苦しいですよね。
わからない人間に適当なことなんて言えるはずもない、それを証明しているということをわたしは”成果に恵まれない”と言っているんです。
所詮捨てハンの短文ゴミが湧くか、あなたみたいな性悪乞食が自殺を晒すのが関の山です。
自分のコントロールも利かない馬鹿ばかり、ということですね。
普通の人は普通にわきまえます。
何しろ、小説が好きなんですから。
わたしも好きですから、言いたいことを言います。
どの程度のものがそんなことを言っているのか、その基準を刺し差出すべく作品を差し出すだけです。
失礼でしょう? わたしみたいな言質の持ち主がただ言うだけだなんて。
その結果、わたしはたぶん圧倒的に”小説”をしているということなんです。
もちろん、こんな適度の場所でしかないと自覚した上で受け止めています。
それ以上でも以下でもないとかねてから言っていますし、あなたはそれがわからないからクソくだらない見栄のためにヒステリックな恥を晒してしまうんです。
だから馬鹿だと言ってるんです。
みっともないですね。


遠慮なく上から言っています。
事実、スカイ画廊の父さんの目線や鼻の利きはとても優れたものです。
誰よりわたしが認める。
所詮ここでのことでしかないですから、ここに限ってその価値はとても大きい。
何しろわたしが言っているんです。
あなたが悔しくて仕方がないものを当たり前に振舞うわたしが、です。
悔しいですか? 当たり前です、わざと言ってます。
馬鹿には十分すぎる計らいです。感謝してください。


ただの臆病馬鹿のあなたには出来ないこと、ここのすべての目的を満たした上で圧倒的であるわたしだから言えること、明らかなことで、あなたはただの卑怯でヒステリックなだけのゴミクズ、わたしは完全に圧倒的にやり抜いているということなんです。
カッコいいでしょう?
あなたの持ち得ないコトに、あなたは事実猛烈に情けなく嫉妬しているんです。
イライラして仕方がないんです、所詮屁理屈しかないから。
何しろ、そんなことしか能がない。
能とは言わないですね、ただの卑屈な根性でした。失礼しました。
自由間接話法? カッコいいですね、馬鹿なだけなのに。
腹が立ちますか? 当たり前です、馬鹿にしてます。
あなたは何を言おうが仕出かそうが、わたし程度のことすらも適わないんです。
だって、馬鹿なんですから望みようもありませんよね。


だから、中野さんと同類だと言ったんです。
わたしはそんなお勉強で書きたいような興味はこれっぽちもないと言っているでしょう?
屁理屈でどうにかしたあなたは、蓋を開ければ結局こんなみっともなさでしかないでしょう?
ですが、中野さんはままならないなりにも作品を投稿して、曲がりなりにも戦っています。
わたしはああいうの嫌いですが、あなたの腐った性根よりは余程マシだと言っているんです。

それは、こうしてあなた自身がまんまと証明して見せた事実でしかありませんから、よくもまあ一年の終わりにこんなみっともないことをさせるなあ、吹きかけられるものだなあと、よくよくその人間性の貧しさに呆れさせられます。


もう一度言っておきます。
あなたからは小説的なものを何一つ感じません。
これは小説のことではなく、あなた自身へのれっきとした見下しと侮蔑の表明ですから、やはり小説の話なんかではありません。


どんどん恥を塗り重ねてください。
あちこちであなたにおべっかを吐かされる可哀そうな馬鹿を量産してください。
あなたの感想、本当に馬鹿みたいですよ。
古臭いです全部。



お疲れさまでした馬鹿。

群青ニブンノイチ

言い忘れた。

わたしは今回のやつ、半日で書きました。
それで、一文字ミスタイプを見逃してしまいました。


あなたが馬鹿みたいにここに張り付いてる時間を考えると、わずかな時間ですね。
わからないでしょうからハッキリ言っておきますが、その程度の手間すらも払えずあなたはクサい見栄を晒すことばかりに執着して、卑怯ばかりを晒す恥を惜しまずにいるということです。
惜しむものが違いますよ、やっぱり馬鹿ですよね。



ただの根性ナシの空っぽ馬鹿ということ。



ここで一番言われたくない 『書けないヤツ』 ということですね。
まあ、読むことこそ出来ないんですけど。

わたしは端からそれを知っているので、遠慮なく馬鹿にしています。



お疲れさまでした。

あのにます

灯油のちゅくちゅくするアレ。
が、今まで私の身近になかったからイメージが沸かなかったけどちゅくちゅくという音で性に関する何かだ、と構えて読みました。
「性欲」という幹に「日常」とか「偶然」とか「偏見」とか「恥」とかそういう枝を付け足して一つのツリーが出来ている。
群青さんの作品って基本、そういうツリーそのものだと私は読んでます。

最初、竿留さんの性別を男として読んでいました。
不倫って書いてあるから男なんだろうと。
けどレズカップルだったんですね。
道理で、竿留さんから全く男っぽさが感じられないなと。
その竿留さんに主人公が惹かれている理由が妻子持ちのサルみたいなおっさんともやれてあたしみたいなサルみたいな女ともやれる。
それを“生物の基本性能をまるまると飲み込んでしまう地球外生物みたいで格好いい。存在として超越している”
と表現している。あこがれているんですね
主人公が竿留さんに万能さを感じるのは性の貪欲さであって作中にそれ以外の要素で竿留さんに惹かれた描写は出てこない。
もしそれ以外で万能さを感じる場面を作るとしたら、不倫相手のおっさんから電話が来たりしたら面白かったのかなとか考えました。
修羅場でもないけど、観察したい。
いろんな比喩をラストまで楽しみながら読めました。

\(^o^)/

>こじきですか? 

 意味不明な質問。これで掴みはOKです。ですが差別表現として削除される可能性もあるので、何か別の意味不明な質問を考えましょう。「新入社員ですか?」など。

>あなたのここへの書き込みは二つ目から何一つ読んでいないですけど、魂胆はわかるので十分ですよね。

 この前フリが後々効いてきます。

>差し出すものを惜しんで、目的を逃れてただご託だけで何かをこしらえたいようなことばかりに拘泥するからそうやってみっともなくイラつくし、自分の言質にこそ自信が持てないんです。

 このボケは、意味不明な主張を繰り広げることによって「とうとう主人公は発狂したのか?」と思わせる大事な部分です。ここからどんどん笑わせてください。

>わたしの言っていることはただの事実です。

 出ました! 素晴らしい大ボケです。ここで爆笑がわき起こります。 

>わたしのモノや、スカイ画廊の父さんの作品は、ちゃんと自らの創作意思に対して端正にこしらえられたものだから、

 このボケは、他人の作品と自分の駄作を同格とみなして称賛することにより、自画自賛しているという所におかしみがありますね。

>あなたみたいな見栄だけを理由にふざけたようなことを言う態度では自分の馬鹿を晒すだけですし、

「見栄」という謎のワードが登場します。主人公は脇役である\(^o^)/という人物を「見栄だけを理由にふざけたことを言う」人物であると思い込んで怒り心頭のようです。謎の怒りというボケですね。

>まともな人は真面目に【望む】態度があればあるほど自分の言葉こそを慮って下手なことは言えないんです。

 ここで敢えての誤字を書くことによって、知性の低さを印象付けています。

>事実、下手を踏んだあなたはここまで恥を晒す憂き目にあっているじゃないですか? 

 ここで最もふさわしいツッコミは、頭を上から思い切り叩き付けてからの「お前がな!」ですね。カミナリのツッコミ方が適当でしょう。

>わからない人間に適当なことなんて言えるはずもない、それを証明しているということをわたしは”成果に恵まれない”と言っているんです。

 必死で言い訳するという卑怯ネタですね。もはや言い訳内容が意味不明なところからも、主人公の知性の低さと必死具合が伝わってきてなかなかのボケです。M1グランプリで健闘したかまいたちさんの必死の言い訳ネタを彷彿させます。続きが楽しみです。

>所詮捨てハンの短文ゴミが湧くか、あなたみたいな性悪乞食が自殺を晒すのが関の山です。
自分のコントロールも利かない馬鹿ばかり、ということですね。

 誰も自分の駄作を称賛してくれない事への怒りをぶちまけています。駄作しか書けない自分を棚上げし、それを全部人のせいにするという卑怯ネタですね。

>どの程度のものがそんなことを言っているのか、その基準を【刺し差出す】べく作品を差し出すだけです。

 ここでも敢えての誤字を書くことによって、知性の低さを印象付けています。

>その結果、わたしはたぶん圧倒的に”小説”をしているということなんです。

 頑迷に記号を誤用し続けることによって学習能力がないことも強く印象付けています。

>もちろん、こんな適度の場所でしかないと自覚した上で受け止めています。(中略)みっともないですね。

 ここは意味不明ですし、重複しているのでカットしましょう。

>遠慮なく上から言っています。
事実、スカイ画廊の父さんの目線や鼻の利きはとても優れたものです。
誰よりわたしが認める。(中略)何しろわたしが言っているんです。

 ここで主人公の強い自惚れと尊大さを印象付けています。この後に来るはずのボケへの前ふりでしょう。

>あなたが悔しくて仕方がないものを当たり前に振舞うわたしが、です。悔しいですか?

 主人公はどうしても相手に悔しがってほしいことがわかります。

>あなたには出来ないこと、ここのすべての目的を満たした上で圧倒的であるわたしだから言えること、明らかなことで、あなたはただの卑怯でヒステリックなだけのゴミクズ、わたしは完全に圧倒的にやり抜いているということなんです。カッコいいでしょう?

 主人公は『自分はカッコいい!』という誇大妄想を抱いているということが明らかになりました。勘違いネタですね。声を上げて笑えましたよ。

>あなたの持ち得ないコトに、あなたは事実猛烈に情けなく嫉妬しているんです。イライラして仕方がないんです、所詮屁理屈しかないから。
何しろ、そんなことしか能がない。
能とは言わないですね、ただの卑屈な根性でした。

 ここで主人公は、自分の真実の姿を脇役に投影させ、激しく侮辱します。ここは痛々しくて笑えません。あまりにも主人公が哀れでみじめです。笑いとしてあまり上質ではありません。改善の余地があります。

>自由間接話法? カッコいいですね、馬鹿なだけなのに。

 脇役\(^o^)/が他の人の感想欄に書いた「自由間接話法」というワードに激しく反応し侮辱しています。おそらく主人公はこの概念を知らなかったため、劣等感が刺激されてしまったのでしょう。その結果、不当な怒りが侮辱となって表出したというわけです。なかなか巧みな描写です。

>あなたは何を言おうが仕出かそうが、わたし程度のことすらも適わないんです。だから、中野さんと同類だと言ったんです。

 意味不明なことを言いながらの見苦しい言い訳ネタですね。ちょっとしつこい感じです。

>わたしはそんなお勉強で書きたいような興味はこれっぽちもないと言っているでしょう?

 前フリでは「あなたの書き込みは何一つ読んでいない」と書いてますので、ツッコむところですね。
「お前、しっかり全部読んどるやんけ!」ツッコミ方はブラマヨの吉田さん風に。

続きます。

\(^o^)/

続きです。

>屁理屈でどうにかしたあなたは、蓋を開ければ結局こんなみっともなさでしかないでしょう?

 正しいツッコミは「お前がな!」ですが、このボケ自体が重複してますし、カットしたほうが良いですね。

>(略)よくもまあ一年の終わりにこんなみっともないことをさせるなあ、吹きかけられるものだなあと、よくよくその人間性の貧しさに呆れさせられます。

 ここをオチに持ってきましょう。一番笑いが取れるボケですから。ツッコミは同じくブラマヨ吉田さん風に、「年末に駄作晒しとるお前が言(ゆ)うな!」。

>あなたからは小説的なものを何一つ感じません。

「私の感想文は小説的なのである!」と一切主張していない相手に対して反論することにより、あたかもその相手が「私の感想文は小説的なのである!」と主張しているかのように読者に印象付けようとする卑怯ネタですね。使うならもっと前に。

>あちこちであなたにおべっかを吐かされる可哀そうな馬鹿を量産してください。

 このボケは、誰に対しても一切忖度せず、一切おべっかなど言わない相手に対して言いがかりを付けるという卑怯ネタです。使うならもっと前に。

 この回のお話は卑怯ネタが多すぎて退屈です。ボケの種類を工夫しましょう。お正月のお笑い番組を見て研究してください。

\(^o^)/

>言い忘れた。

 何か大事なことだろうか?と期待させ、

>わたしは今回のやつ、半日で書きました。

 というしょうもない自慢をするというボケ。とほほ笑い(失笑)がわき起こります。

>一文字ミスタイプを見逃してしまいました。

 誤字は一文字しかないと思い込んでいるという勘違いネタ。小笑い程度は取れるでしょう。

>あなたが馬鹿みたいに(中略)、お疲れさまでした。

 この無駄に長い約三十行は、一見全部不要に見えます。根拠のない罵詈雑言に過ぎないからです。しかし、この三十行は大事なポイントです。この三十行で主人公の精神状態がかなり危ういことになっていることを表現しているからです。
 この作品のこれまでの文章からも明らかなように、主人公は論理的に物事を考えることができません。ですがそれは単なる知能の低さと捉えることができました。ところがいよいよここで、それは単なる知能の低さとではなくて主人公の精神状態に問題があるということがわかってきました。
 もしかしてここから本領を発揮されるんでしょうか? あ、だけど精神錯乱状態に陥った主人公による手記って、何かの二番煎じですよね? 二番煎じばかりせず、オリジナリティーに富んだ作品を手掛けてみてはどうでしょう? 

 それでは良いお年を。

ラピス

なんだか非常に書き込みづらいのですが、せっかくなので。
灯油を入れるのは面倒くさいですね。私も、ちゅくちゅくしつつ、冬を過ごしてます。

あなたの作品は読んでいて人間の映像が浮かびます。これ、人によっては漫画絵になるんですよ。
人間が思い浮かぶのは、リアルな人間を描かれているからだと思います。
ずっと先の方が肉声と表現されましたが、私にも肉声が聞こえてきそうでした。
中盤、少し飽きてきて中弛みしましたが。

群青ニブンノイチ
softbank221022130005.bbtec.net

あのにますさん


こじきが一人でゴミ撒いてるのかと思っていました。
遅くなってすみません。


彼女の性欲は確かにたくましいものかもしれませんが、作者的には純粋に恋しているだけのつもりで書いています。
所詮引け目を感じているからいろいろと厄介な感じになりがちなのですが、竿留だから好き、という前提はあります。
あなたの作品の語り手がサイコパスらしくあることに具体的な説明が必要なかったことと一緒と言えばわかりやすいかもしれませんね。

微妙なところなんですけど、やっぱり情報ってセンスだと思いますし、それは書く側にも読む側にも言えることで、ダメな人は世界はおろか構造も理解できないし、案内できなければ所詮作者の未熟でしかないのだし、何のために書くのか、読むのか、甚だ疑わしい気分で一杯なのですが、少なくとも作者としてその構造や動機、つまりは作為といったいいかたが個人的には一番しっくりくる気がしているのですが、つまりこれって、わたしはチカラ技のつもりで書いています。
もちろん、上手くねじ込んだつもりでいます。

ちゅくちゅくと、電動式と、サルの知恵。

それは結果でしかなくて、始まりはただの道具の話。
結果として偶然に生まれる彼女と竿留、エロいおっさん。

わたしはそういう書き方が好きだし、そうでなければ小説だとは思えない人間です。
テーマも、プロットも、歴史も社会も古典も未来も学校もセミナーもプロもアマもしらねえそんなことただの下手糞ばっかがアホか、と普通に思っています。

ダサい出足になってしまうのにも関わらず踏み入っていただいてありがとうございました。勇者ですね。
お役に立てなかったみたいですみませんでした。

群青ニブンノイチ
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ラピスさん、遅くなってすみません。
荒らすこじきのせいなのでわたしの性分とは別の話です。
すみませんでした。


中弛み、とのこと。
退屈させてすみませんでした。
この度は個人的にはセリフに重きを置いていたので、つまらなかったと言われてしまうともうやる気しないですね。残念。
彼女には、喋れば喋るほどセックスしたい人みたいにへなへなと優しくいてほしくて、かなりだらしない人になってもらって可愛くおしゃべりしてほしかった。
下手糞ということで残念です。
個人的にはただただ”愛”ばかりのつもりでした。
こういう人大好き。


つまらなくてすみませんでした。

中野サル信長
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おまえさあ
でしょで夏祭りだろう
もうごはん禁止な
向いてないよ

カリフラワーの存在価値について考える人
dhcp.nipne.ro

 一人称視点の物語は、一人称視点であるために、「語りかける」という業から逃げることができない。それゆえに、それがどこに向けて発信されたものなのか、読者はどうしても考えずにはいられないものである。宛先が自分自身だったり、自分宛に見せかけつつその実読者に宛てるなんていうまわりくどい言葉だったりと、まあ、一人称にもいろいろあるのだが、すっかり郵便配達員に仕立て上げられてしまった読者は、その声の届く先に神経を尖らせ、注意深く追いすがる読み方をしてしまうわけである。端的に、言葉の意味と語ることの意義を知りたくなるのである。しかし、ここに一つの事実がある、すなわち、言葉は言葉であって言葉でしかないということ。ところが、一人称視点だと、この事実は幾分違ったニュアンスになる。声は声であって声でしかない。ここに至って、発せられる言葉に意味があろうがなかろうが、声は声としてすでに実体であるわけで、語る相手が不在のくせに距離をとるようなところがあったり、言っていることが支離滅裂にぶれたりするのだけれども、声としてはなんらぶれてはおらず自立した存在にように感ぜられる。一緒に暮らしているのだかなんだかわからない、あの厄介な同居人の猫のようですらある。さて、やや迂遠な書き方をしたが、この小説の語る言葉の6割ぐらいは確認で、あとの4割ぐらいは心理的な牽制のような何かであるように思える上、発せられた言葉が語り部自身にすら届くかどうかはわからないし、届くときは届くのだろうし、届かないときは届かない、というより、届くとか届かないとかに興味はないといった風情で、ただめんどくさい声がそこにあるだけです、と言い切ってしまうのが正しいのかもしれない。それゆえ、この手の小説の感想を書くのは困難を極める。だみ声だろうが、かなきり声だろうが、そういう声であるとしか、言えないからである。以上のことを、少しこの小説に寄せた書き方で換言するならば、文体が主人公の女の性質そのものであって、言葉がねじれているのはそういう女だからだし、細かく距離をとりたがるのはそういう女だからだし、やたらと確認したがるのはそういう女だからだし、スレている割にどこか素直に見えるのもその逆もそういう女だからだし、めんどくさいのはめんどくさい女なのだから仕方がないといった具合なのである。
 あえて指摘するならば、「そういう女である」というところで小説が閉じているところに、この小説の最大の問題があるように思える。例えば、ある異世界を描く物語があって、異世界の説明をして終わりだった場合、つまり極論を言えば、それがいかに面白い人物であっても、プロフィール画面だけ見ていても沸き立つものが少ないので退屈さを感じるのであるとでも書けば幾分は伝わるだろうか。なんの工夫もない書き方をすれば、この個性的な小説をどう動かすかということこそが課題なのである。ここで「動かす」と言う言葉を使ったが、小説には必ずしも物語性は必要なく、ここでの「動かす」という言葉は少し広い意味で使っているのだが、きっと察してくれるように思う。最後に、重箱の隅をつつけば、冒頭の一行だけ劇場型一人称の様相を呈していて、他の部分の一人称とは少し色が異なる気がするが、気のせいかもしれない。

群青ニブンノイチ
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遅くなってすみませんカリフラ以下略さん。
近頃馬鹿みたいに読書ばかりしていてなかなかこちらに興味が向く感じではありませんでした。
今日もどうせそんな感じだぞ、とばかりに朝のうちにいろいろルーティンをやっつけているところです。


一人称というものは、矛盾だらけの告白形態なんだと思っています。
言うなれば、未完成の視点であることは明らかで、完成したらたぶん、ただの独り言になってしまうことさえ正確に予感しながら、そうならない独り言のようなことばかりを許したくてウロウロしているようなものだと思っています。

単純な話、一人称で背景や描写や顛末を語るような景色が、個人的には気が狂った人のことのように感じさせられなくもない性分なのですが、現時点でそれを避けては読者に通ずる物語としての語り部とはなり得ないことも残念ながら理解してはいるつもりなので、そういった自己矛盾のようなことは意欲をわりと奪います。

馬鹿みたいに読書を続けていて思うのは、案外プロの作品でもおかしな文章表現であったり時制が曖昧に見える気がしないでもないことも案外少なくなくて、この前は本谷さんの作品の中でめずらしく脱字を発見してしまったりして少し面白かったりしました。
それは表現とは関係ないですかね。

わたしは来年からプロになるので、近頃に至っては単純に文章としての機能性とか、表現としての正確性のようなことにはむしろ穏やかな感覚というか、それほど重要なこととは思えない感じがしてきていて、もっぱら気になるのは、所詮大切なような気がするのは、何を書こうとして書けるのか、それをいかに的確に頑丈に物語として構成して支えられるのか、根拠になれるのか、存在できるのか、出来れば欲のある文章表現にこそ化かしたくもある、そんなことばかりを理由にして、考えて、筆を弱らせてばかりいます。


この度の書き物は、設計のあらましのようなことを露骨に展開しただけのつもりでいるので、

>あえて指摘するならば、「そういう女である」というところで小説が閉じているところに、この小説の最大の問題があるように思える。例えば、ある異世界を描く物語があって、異世界の説明をして終わりだった場合、つまり極論を言えば、それがいかに面白い人物であっても、プロフィール画面だけ見ていても沸き立つものが少ないので退屈さを感じるのであるとでも書けば幾分は伝わるだろうか。なんの工夫もない書き方をすれば、この個性的な小説をどう動かすかということこそが課題なのである。

といったことにはむしろ意識的に関わらなかった自覚がありますし、そうまでのことに手を掛けるべき場所でもないつもりで投稿しているので、ご指摘には及びません。
ありがとうございます。


物語、というよりはあくまでも“小説”という単位として、最低限の感覚的な設計のようなことは単純に“読書”という体験やそのダイナミクスのような感覚に向けて、絶対に必要なものだと個人的には思っています。
それを端的に露骨に紐図けることにだけ特化してみたつもりであるのがこの度の書き物で、雑ではありますが、要するに何気なく書き出してみたところで、行き当たりばったりでもこの程度の構造は最低水準として見通せなければ、当然として扱えなければ“小説”なんて恐ろしくて指一本触れられたものではない気が個人的にはしていて、つまりこれは単純に魔除けとか、ただのクセとか力業とか、その訓練のようなもの、どうとでも出来ることを書き殴ったものに過ぎません。
もちろん、それがわからないという人くらいは見捨てて意に介さないといった強い態度や覚悟くらい今のうちはまだ待つべきで、そうでもなければ話にならない程度のことだとも思っていますし、否定されることばかりをむしろ自分であってこそのような根拠に置き換えられる理由とすら考えることにしています。
そういった作為でこそいるということです。
エサがなさ過ぎて、すでに懲りごりといった心持ちでもあるのかもしれないのですが。


プロの作品、大好きな尊敬して止まない作家さんの文章に触れると、途端に何も書けなくなります。
完全に怖気づいて、つまりその言い訳のごとくむしろ馬鹿みたいな勢いで読書を重ねている、といったところです。
今さらにして、自分には何もなくて本当に参っているのですが、今のところはまだ諦めてしまうことの方がよほど怖いと思えるつもりらしいので、何とか必死にしがみついている感じです。


何かしらその意図にそぐわないような返信ですみません。
文章などと言うものに、一体何をどうしてその見境を付けられようものなのか、圧倒的のような、些細なことのような、案外どうでもいいことのような、偶然のような、所詮身の程が知れないような、曖昧な気分で猛烈に欲している感じがふらふらと身に重いです。
何よりのことだと、懸命に思うことにしています。

気難しいようなことになんか少しもなりたくなくて、下手な意地を逃がすことばかりに必死でいます。

中野サル信長
M014009196000.v4.enabler.ne.jp

Kindleダイレクトパブリッシングでプロご苦労
もうごはんに帰ってくるな

群青ニブンノイチ
softbank221022130005.bbtec.net

そう思えば気が楽でいられるならそうしていたらいいんじゃないですか。
ずっと閉じこもって税金で小説講座通って素人批評見下げながらうじうじ執着する人生頑張ってください。

あなたみたいにはしていられないだけなので、関係ないです。

中野サル信長
M014009196000.v4.enabler.ne.jp

とにかくその攻撃的な感想はやめてもらえないか。
これはごはんの誰もが思ってるはず
おまえがしょぼいプロになろうが信州大学を中退しようが
知らないが嵐の感想は皆嫌気がさしてる

nekot-a
bb121-6-158-213.singnet.com.sg

 このちいさな物語は、おもうに同性愛者への“理解”をもとめているでもなければ、物理学を疎んじる女性をこき下ろすのを主眼に書かれたものでもないだろう。文字列を目で追うぼく達の意識には、路傍の石ころよろしく“疎外された者の現実”が形づくられるだけだ。形づくられた現実はしかし、物語ほどちいさくはない。つまりぼくの覚え書きに、作品以上の色彩は認められないということだ。

      *

 先だって用をたした際に、流した水が勢いあまって大便器から“ほとばしる”ことがあった。いうまでもなく、あの窮屈な個室での出来事である。なけなしの貯金をはたいて行った海外の旅行先で、それは起きた。不運としかいいようのないこうしたトイレの不具合にまつわる出来事は、身をもって経験した人が、ほかにもいるかもしれない。改善の余地がありそうなものだが、実物を目の当たりにしても、直接の原因が便器の設計ミスなのか排水の加減なのかは素人目には判りそうにない。海外に暮らす知人の一人は、こうした環境を前向きに受け容れるために、トイレの定義を“快適な排便を可能にする設備”から“見知らぬ人の善意からなるもの”に、意識的に置き換える必要があったという。新参者がその土地の暮らしにとけ込む方法は受け身であることが多い。
 これと類ているのが、作中で主人公が苦手としていた“灯油ポンプ”ではないだろうか。そんなことをいえば、異を唱える向きも出てくるだろう。たしかに商品には逆流を防ぐ弁がついているし、流れを断ち切る際につまみをまわすだけで済むのだし、二百円でおつりが来る価格を考慮すれば、コスパにすぐれているのは明白だ。それにプラスチックの特性や、物理学の原理をたくみに活かしている。開発者目線での評価だって最上級に違いない。けれどもぼくがいいたいのは画期的であるかとか、値段や機能云々の話ではない。とりあげようとしているのは開発者が“誰の為にあの商品を製品化したか”、という始点と終点をともなう線の問題であり、簡単にいえば、“始点と終点とがしっかりと一本の線で繫がっているか”、ということになる。始点である制作者のお歴々は、子供や主婦、さらにはお年寄りが日常で使っているポンプを、その制作過程で一度でも想像しただろうか。原理や仕組みに夢中になってはいなかったろうか。そこに心得違いがなかったとはいえまい。物理全般に興味の持てない人びとの、いったい誰が初見であの仕組みを理解しうるというのか。しくじったら床だろうがカーペットだろうが足許が油にまみれるのは避けられず、したがって開発者が想定しえなかった消費者層(終点)は、甘んじてあの気のすすまないチュクチュクに時間を費やすことになるのだ。ちょうど作中に見られる主人公のように。
 トイレのケースと通底しているのは、誰かのことばを借りるならば、制作者サイドによる利用者への“関心の欠如”と、終始自分達の成功を“うたがわなかった”慢心だ。欠如も慢心もあまり意識せずにいると、その存在に気付く機会すらうしなう。
 アフリカ出身の某閨秀作家がジョーク交じりにいうことには、母国では彼女がホテルやレストランでチップを渡すたびに、受け取ったボーイが連れの男性にだけ恭しく礼をするらしい。彼女が彼の目の前で、自分の財布から現金を取り出したにもかかわらず、だ。また彼女はあるホテルで娼婦扱いされたことが一度ならずあったといった。彼女の性が女性であることが、その理由だった。四年ほど前、フランスかどこかで買春した男性が法でさばかれるようになったのは、時期として早すぎるのか。
 以前住んでいた地域にはコンサート会場になるような施設があった。何かしらのイヴェントが開催されるたび、最寄り駅の改札内にはトイレの順番を待つ人びとの、長蛇の列が見られた。殊に女性の列の長さは異様だった。十もない個室に対し、多いときで七八十もの人がトイレの外で待っていた。急を要するでもないが今のうちにといった利用者がほとんどだろうが、もしも尿意をもよおしている人がいたら、あの行列のどこかで駅長や建築士を呪ったに違いない。その一方で男性側の便器は大小合わせて十五ほどあったためもあろうが、入り口からあふれ出ているのはせいぜい三十人ほどで、それより長い列は見たことがない。

 灯油ポンプと道具を使いこなせない主人公との関係は、女性が日々の暮らしのなかで味わう“疎外感”を象徴的にとらえていて、ぼく達男性にあたらしい視点をもたらす。主人公がサルと自嘲するのも、偏見にとらわれた男性からないがしろにされてきた、現実の反映と解釈するのが妥当だろう。現実とは男性主導の、今ぼく達が暮らしている社会だ。
 秩序や倫理に重きをおくことを潔しとしない竿留の、あの放埒な生活態度は見た目にも鮮やかで、主人公に“日常からの解放”を実感させる。彼女とすごす時間は、男性主導のこの世界からの脱却を意味し、同時にあたらしい世界を構築する時間でもあるのだ。あたらしい世界で女性は自由を得る。女性が自らの基準ですべてを決めることが出来るし、誰かに蔑まされることもない。しかしあたらしい世界は竿留という存在があってこそ成立するのであって、彼女が不倫相手の許へ行ってしまえばたちどころに霧消する。ここでも存続は“男”に左右されるのだ。
 ぼく達はこのちいさな物語を読みすすめながら、出口の見えない疎外感をかかえたままの、彼女の孤独のありように同情をよせる。竿留が出て行ったあとの部屋のしずけさと、彼女の内面の空虚を、自らの記憶から似通ったのをかきあつめて想像する。彼女は飼い猫にことばをかけて、自分をなぐさめているだろうか。散らかった部屋の整理や、洗い物にとりかかっているだろうか。それとも枕に顔をうずめ、残されたにおいを嗅いでいるだろうか。いつのまにか、読者の心はつめたく疼いている。

nekot-a
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すみません、誤字の修正です。

× 蔑まされる → ○ 蔑まれる

群青ニブンノイチ
softbank221022130005.bbtec.net

感想をありがとうございました。
すっかり興味が薄れてしまって、気付くのが遅くなりました。
何ならこんなお返事すらも、もう書かなくていいかな申し訳ないけど、とも思ったのですが、ラッキーなことに一面に馬鹿がいてぶん殴っておかないと終われないかなと思って、そんな馬鹿を晒しながら、せっかく真面目な感想をくださっている方を見捨ててしまうのはもちろん違うだろうと、朝からテンションを入れ替えています。


やはり結局のところ思わされるのは、感想を書けない人は作品なんて書けるはずもない、ということでした。
それはつまりやはり、“読む力”ということに違いないわけで、そうして照らして言語化できる語彙力と感性とセンス、何よりも言葉を愛する可愛げのようなことこそが文章にはれっきとして生えるものだとあたしなんかは勝手に考えていて、そうであるか、そうでないか、目の前にある言葉を見分けることはつまり、こんな場所における人間同士というコミュニケーション以外の何ものでもなかったように思います。
その印象を平気で裏切るような心の弱さにある人もいるし、先に立つ優しさゆえに言葉が生えない人もいるけれど、結局のところ何よりも打ち勝ちたがる憧れのような感情にこそ負けない意地がなければ、諦めも優しさも決して自分の為になどならないのだと個人的には思っています。

これまであたし自身が仕出かしてきたことも含めて、ここには“小説”として適うものはありません。

たぶんそれは文章の話ではないつもりなので、わかる人にしかわからないことだと思っています。
どうしてあたしたちは“小説”あるいは“文章”といったまるきり能率の悪いようなことに、こんなにまで気持ちを惹かれてしまうものなのか、個人的にはそんな気持ちに付き従うことが、苦しいですけど諦めるよりはましだと、それに従えることこそがこれまで“小説”とか“文章”といったものからたくさんもらったものに対する恩返しというか、そのための態度のような気がするので、やはりちゃんとしたそれぞれの場面にこそ付き合うべきだと思うものです。


久々にお見受けする名前がどういった都合によるものなのか、それに触れることはあえてするまでもなさそうなのですが、こんな場所でも近い一部の人たちにはとても便利なことだったような気がしますし、それはこんな場所でこその面白さでもあったような気がします。


構造的な、基本的なお話が出来ることは嬉しく安心な思いです。
交わして適切であり得るのは、そんなことしかありませんでした。
とても貴重なことです。

わざわざお手間を頂いてすみませんでした。
ありがとうございました。

しまるこ
KD106180005220.au-net.ne.jp

群青さん。

こんにちは。知らない誰かの投稿でお返事するのもどうかと思いましたので、こちらにお返事させていただきます。

群青さんの感想はとても素晴らしいと思います。いつも楽しく拝読させていただいております。このサイトを元気にしているのは、群青さんのおかげだと思います。そのせいか、群青さんが現れないと、このサイトは少し寂しくなってしまいますね。

プロになられる?とかでお忙しいと思いますが、たまに遊びにきて元気づけてやって欲しいなと思います。

私は群青さんが大好きです。群青さんがお元気にご活躍されているところを祈っております。

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