作家でごはん!鍛練場
日野ヒカリ

昨日食べたうな重が美味かった

 人の感覚を思い出そうとしている。身体がそれを拒絶して、上手く馴染めない。頭がぼんやりして、誰にも触れないようになってしまう。思考がだんだんと離れていく。頭に浮かんだワードを適当にひろっているようだった。
 原因というもの考えた。明らかに昨日食べたうなぎのせいだった。腹を空かせた俺には最高級の食事だった。腹は満たされたが、僕が存在している頭の中はひどく痛かった。
 きっと席の場所が悪かった。自分は一番厨房が近いところだった。その目の前には水槽があった。鰻屋だから、そこにはうなぎが泳いでいた。そんな場所で俺はうなぎを食べている。腹は満たされても、僕の気分が悪くのは当然だった。
 水槽のうなぎと目が合う。丸い目は俺に殺意を向けていた。腹に入ったうなぎは彼にとって親友だったのだろうか。生まれた時から一緒だったのだろうか。網が投げられた時、庇おうとしたけど、結局どっちも捕まってしまった。あの職人のような顔をした店主によって友人の腹が切られたとき、泣き叫んでいた。
 抵抗した友人をイメージしてしまうと、吐いてしまいそうになる。厨房からタレを焦がしたようないい匂いがする。獣の雄叫びのような腹を空かした音が店内に響いた。まだ足りないようだった。手を挙げて、あの店主を呼び注文をしようとした。だけど、俺は手が動かせなくて声すらも出なかった。ただ、俺は目の前にある水槽を眺めていることしかできなかった。そして、あることに気付いた。
 その水槽のガラスに映るのはまるい目をした僕だった。

昨日食べたうな重が美味かった

執筆の狙い

作者 日野ヒカリ

意識が空に浮かんでいるような状態で書きました。

コメント

はるか

 日野ヒカリさま

 拝読しました。

>腹を空かせた「俺」には最高級の食事だった。腹は満たされたが、「僕」が存在している頭の中はひどく痛かった。

 多重人格? 乖離? 意識の多層性? 自我と自己? イドとエゴ? いえ、単純に、意識と無意識? それはないか……などなど、まずはこの箇所を読んでいろんなことを思いました。

 以下、コトバンクより引用します。イドについて。
(引用開始)
イドは本能的衝動 (リビドー) の貯蔵所で,快感原則に従って快を求め不快を避ける機能を有するとされる。したがって自我や超自我と葛藤を起す。
(引用終了)

>そんな場所で「俺」はうなぎを食べている。腹は満たされても、「僕」の気分が悪く(なる)のは当然だった。

 やはり、誤字ではないですね。俺と僕がいる。コトバンク的なものさしで計ると、食欲に突き動かされている俺がイド(ないしはエス)で、僕がたぶん自我(エゴ)ないしは超自我(スーパーエゴ)ですね。

 イドはエゴないしはスーパーエゴと葛藤する。そのとおり。私たちのイドは、ほとんど毎日、エゴやらスーパーエゴやらと葛藤している。

 近代文学の多くは、良心の呵責、みたいな描き方で、エゴとスーパーエゴとの葛藤を描いてきたように私には思えます。中には、作家名は出しませんけれども、イドに殉じるような作品を書く者もおりましたね。それもまた文学。

 ちょっと変な書き方をしちゃいますが、スーパーエゴは三階で、エゴは二階で、イドは一階……みたいな意識構造を教養課程で習いましたけど、だとすると近代文学っていうのは、地上階の階層の違いを扱ってた、ってことでしょうかね。

 とするならば、御作は、一見わかりづらい(たぶん、そういう感想がついたであろうと予見できます)けど、実は、クラシックな、正統派の文学の亜流であったと、いえ、亜流は失礼ですね、そのまんま正調な文学そのものであったと、そのように捉えられてもよろしいような、そんなテキストであったのかもしれません、扱っているもの、という側面からのみすると。

 意識の階層、というもの、その階層どうしの葛藤というものを扱った作品であるとお見受けしたのでありますが、勝手な妄想であったら失礼しました。

 ともあれ、嘘のない作品であったと感じました。面白かった、と、素直に感想できます。ありがとうございました。

偏差値45

文章は短いですが、狙っている筋は見えているので
悪くはないと思います。

ぷーでる

水槽に映った、丸い目はウナギではなくて、僕という主人公の丸い目だったというオチでしたか。

名前はどうでもいい

視点、人称、描写、そういった諸々の技術云々は書いていけば上手くなるし、私の周りにもたくさんうまい人はいる。しかし彼らはなぜプロになれないのか?
ここでは、書くことに対する考え方、といいきってしまう。彼らの根本的な部分、書く行為の動機がつまらない。プロになった人は少なからず、自分の書くものに対する絶対的かつ独創的な動機があり、それだけでひとつの論文が出来上がるほどである。

日野ヒカリ

はるかさん

感想ありがとうございます。
返信遅くなり申し訳ありません。

>やはり、誤字ではないですね。俺と僕がいる。コトバンク的なものさしで計ると、食欲に突き動かされている俺がイド(ないしはエス)で、僕がたぶん自我(エゴ)ないしは超自我(スーパーエゴ)ですね。

はるかさんがご指摘しているとおり、僕と俺とうなぎがこの物語のネックとなっております。あくまでも、登場人物はひとりなのですが、視点は3つとなっております。

>実は、クラシックな、正統派の文学の亜流であったと、いえ、亜流は失礼ですね、そのまんま正調な文学そのものであったと、そのように捉えられてもよろしいような、そんなテキストであったのかもしれません、扱っているもの、という側面からのみすると。

この作品はコルサタルの『山椒魚』と村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を意識して作りました。ですので、正統派の文学の亜流と言ってもいいと思います。

日野ヒカリ

偏差値45さん

感想ありがとうございます
返信遅くなって申し訳ありません

確かに文章が短過ぎましたね。次回は長めの作品を出そうと思います。

日野ヒカリ

ぷーでるさん

感想ありがとうございます
返信遅くなって申し訳ありません


最後のシーンですが、水槽に映ったのはうなぎではあるのですが、僕でもあります。

日野ヒカリ

名前はどうでもいいさん

感想ありがとうございます
返信遅くなって申し訳ありません

自分は頭が悪いのでコメントの意味は汲み取れなかったのですが、確かに自分は圧倒的に技術不足であることは分かります。自分が伝えたいことを上手く作品で表現することができません。日々精進いたしますので、今後ともよろしくお願いします。

日野ヒカリ

はるかさん

作者と作品の名前を間違えておりました。

コルサタル✖️→コルタサル○
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド✖️→世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド○

日乃万里永

 拝読させていただきました。

 お久しぶり……でしょうか?

 ユーチューブでウナギの捌き方を見たのですが、頭と尾の部分を少し切り、神経を抜くのですね。
 きちんと下拵えしたウナギは本当に絶品だとか。
 
 私自身、ウナギは好きですが、高くて買えません。
 
 御作は、水槽のウナギが主人公に憑依してしまったということでしょうか。
 間違っていたらすみません。
 読解力が著しく乏しいもので……。
 
 自分が、いつか友人のように殺されるという恐怖と、友人を食した者に対するこの上ない恨み。
 それは食した人間の魂を乗っとるほどの……。
 意図したものなのか、気が付いたら……なのか。
 友人のウナギを食した人は、罪悪感を感じた隙に半分体を取られてしまったのでしょうか。
 

 友人が裁かれる姿をも覗ける力があるなら、可能なのかもしれないですね。

 魚の痛点は弱いといいますが、実際はどうなのでしょうか。

 鷹匠はかつて、殿様の前で、血の一滴も出さずに獲物をさばいたと言いますし、漁師が魚をしめる時も、血が回らないよう的確に一瞬で急所をしめると言いますし、人間の処刑法でも、ギロチンなどはスパッと切れるので、しばらく会話が出来るなどと言います。
 このウナギももう少し、友人の声が聞けたらよかったのに……と思いました。
 
 痛くない……と思うのですが。どうなのでしょう。

 とても興味深く読ませていただきました。

 読ませていただきまして、ありがとうございました。

見習いさんH

僕の殺意によって俺の意識がついに支配されてしまったという事ですか。

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