作家でごはん!鍛練場
賢者見習

朝の支度

 ブザーが響き、その煩さに目を覚ました。
 再生コンクリートでできた部屋が目に入る。
 市民階級第5級の私には壁紙も絨毯も許されない。冷たい鼠色、再生プラスチックで作られた最低限の家具の面々。
 私は立ち上がり、洗面台へ向かう。蛇口をひねり、水で口と顔を洗い、タオルで顔を拭く。タオルは洗面台の端にかけた。
 今日は火曜日、仕事の日。日曜日のみが私の休み。
 さあ、いざゆかん。最低限のクローゼットから着替えを取り出し、寝間着を脱ぎ、服を着た。洗濯機に寝間着を入れ、スイッチを入れた、が、動かない。
 沈黙した機械を叩く。お前の声を聞かせてくれ、私には寝間着が一つしかない。
 しかし機械は沈黙を守った。仕方がない、取っておいた配給チケットを使おう。
 私は固定電話を手に取り、業者へこの件を伝えた。
「了解しました。お帰りになるまでに修理しておきます」業者は愛想のよい声で会話を冷徹に終わらせた。連続する機械音が会話の終了を告げる。
 私は受話器の口を見つめた。声は見えないはずなのに、私はなぜこんなことをしたのか。私は見つめた、しかし、返事はない。
 私は受話器を下ろし、玄関に向かう、仕事に向かう。
 今日も一日、1人暮らし。

 第5級アパートから外へ出た。
 夏の暑い日、空には見飽きた太陽。白い入道雲、遠い空に大きく佇む。黒いアスファルトの上で陽炎が踊る。
 天気予報は一日晴れ、今の所は正解。
 明日の日は晴れか、それとも雨か、曇りか、雪か…いや、この季節に雪は無いか。
 私は汗にまみれ、足を動かす。
 前方50mにバス停が現れた。すでにバスが停まっている、これを逃せば30分待たねばならない。私は叫び、バスへと走った。同時にバスは動き出し、逃げるように走り去った。後に残るは鼠色の砂ぼこり。
 呆然と立ち尽くした。目でバスの背中を追った。その姿は陽炎でゆらゆら揺れ、ロウソクの火のようにフッと消えた。
 これから30分間、耐久が試される。バス停にベンチという甘えはない、灼熱の中でただ立ち尽くさねばならない。
 太陽が私を焼き殺そうと企む。ああ、苦痛。
 私はバス停の看板と肩を並べ、案山子のように突っ立った。
 太陽はまだ照っている。

朝の支度

執筆の狙い

作者 賢者見習

小説は深淵に奥が深い、ので、新規開拓を目指しました。
内容的にはとても短いです、書き方を少々特殊にしてあります。
意見・感想をコメントしていただけると、とてもありがたいです。
本作品を非難する場合は、欠点について詳しく述べて頂けると作者としては助かります。
頂いた意見・感想は今後の作品に役立てます。

コメント

大丘 忍

短いのですぐに読めました。それは良いのですが、底辺クラスの人物が朝起きて出勤途中までが書かれております。ただそれだけで、作者は何を読者に伝えたかったのでしょう?
登場人物は男か女か、年齢も分からない。ただ何となく文章を書いただけという印象でした。短くてもやはり小説を書くべきでしょうね。

賢者見習

大丘忍さん、コメントありがとうございます
小説で何かを伝える、というのは、必ずしも小説の内容で何かを伝える必要があるわけではない、と自分は思っています。
つまり、詩のように文章と情景を駆使することにより主人公の心の動きを味わう、というのもある種の小説なのではないかと。今回はそれに重点を置きました。
しかし、内容がある方が味が上がるのは確かなので、次回以降はきっちりします

はるか

 賢者見習さま

 拝読しました。
 内省的な朝。いいですね。小説のなんたるかがわかってなければこうは書けない、と思います。

 かわりばえのしない朝、独りの朝、いつものように仕事に出なきゃならない私、私は誰でもいい、君でも彼でもネズミでも。

 いざやゆかん、と気合いをいれたのに、でばなをくじくかのような洗濯機の故障。愛想のよい冷徹さに晒されて。そこで私は、

>声は見えないはずなのに、私はなぜこんなことをしたのか。

 というような。この一文、効いてますね。

 なんだかな、って感じですみかから這い出たら灼熱の太陽、バスに乗り遅れて、バス停の横、案山子のようにたたずむ私。

 ほんと、いいと思います。無駄がない。要らないことを書いていない。田舎の平屋だてみたいに、わけのわかんないものがごちゃごちゃ収納されてるような作品じゃない。過不足のない描写、小説の条件を為す要のひとつですよね。

 絵が浮かぶように描けてるとか描けてないとか、そんなことをいう人がいるけど、小説を、絵が浮かぶように書くとはどういうことかというと、シーンをことこまかに映像みたいに描くことじゃなくて、読み手が絵を「想像できるような」端緒を、最低限のテキストで提示してさしあげることですよね。読み手に想像のための余白を与えてあげる。これ、なんでも映っちゃう映像じゃできない表現ですよね。なのに、これを勘違いして、無駄な情報を書き散らかして、読み手の想像力が働くだけの余地をせばめちゃって、小説という、せっかくのテキスト表現を、映像化されたドラマのレベルにまで落としてしまう、そんな変なことを推奨してる場面に出くわすことがあり、なんだかな、とか思っちゃいます。マスキングして、あるいは、そもそも書かないで、想像してもらえるだけの空白を見せる、これがテキスト表現の醍醐味だと思われます。絵的な描写であれ、人物造形であれ。優れたパーカッショニストは一番大事な音を叩かない、って村上春樹さんも書かれてました。

 その点で、御作は、模様をしっかり描いているけど、逆に、具象は削れるだけ削っている。地上一階はミニマルな部屋だけど、地下に豊かな応接間を備えてる、そんな造りだな、とか、私は感じました。いろんなふうに想像して、角度や配置を味わう余地がある。言葉がきちんと配置されてないと、こういう表現は成り立たないですよね。

 文章、読みやすく、嫌みでない程度に配置の確かなレトリックが効いていて好感が持てると感じましたが、鍛練場なので、駄目だしもするなら、個性が弱い、かも。独特な書き方に応じた、癖が、文章にも、もう少しあったほうが、それでいくらか読みにくくなったとしても、読み手に存在を主張できる、読み流されて忘れられちゃうことがない、という意味でベターかも、だなんて思いもしましたが、それは書き手の好きなように、でよいかとも思います。作風に味がありますからね、文章にまで味付けしちゃうとしつこいかもしれないし。

 ともあれ、よい掌編だと感じました。ポエムの見せ方で表された小説、ありがとうございました。

賢者見習

はるかさん、コメントありがとうございます
短い文章で情景を表現し、その余白を読者の空想に任せる―――それはとても大切なことであり、小説の大きな利点です。
 ですが、逆を言うと、小説は余白をなくすことができないんです。小説はどれだけ文章を積み重ねても、作者の見ている世界を完全に読者へ伝えることができません。
 なので読者の想像にある程度任せるしかないのです。しかし作者と全く別の世界を見てもらっても困る上に、文章が多ければ多いほど読みにくい。
 結果、必要最低限の文章で、読者にできるだけ世界を共有してもらわならないことになります。
そこでいろいろな工夫が必要になります。詩的な表現も、読者に伝える工夫の一つです。
これからも色々工夫を凝らしていきますので、今後も意見を頂けるとありがたいです。

u

賢者見習さま よみました

冒頭3行目から「市民階級第5級」というワード
あたしなんかはそれだけで(デストピア的SF)かな? と思ってしまう

だから↑>短くてもやはり小説を書くべきでしょうね。
というようなコメントはいるのもやむ得ないのでは

作者様のかきたいこと こういった設定にする必然があったのかどうか?

どうなのでしょうあたしにはわかりませぬが

御健筆を

賢者見習

uさん、コメントありがとうございます。
次回は今回よりも長く、内容のガッチリした物語を投稿しますので、ご期待ください。

跳ね鳥

モノトーンのグレートーンが、気品漂う作品です。貴方は、グレートーンの文体の神様ですね。文章でのデッサンの緻密さを尊敬します。魑魅魍魎も書くといいかもですね?心の。

賢者見習

跳ね鳥さん、コメントありがとうございます。
今後の作品に役立てるため、一つお尋ねしたい事があります。あなたから見て心の魑魅魍魎が表されている作品は何ですか?
その作品は小説でなくてもかまいません、音楽、絵、写真。心の魑魅魍魎だと思う作品を教えてください。もちろん、言葉で言い表してもらってもかまいません。
質問が上から目線になってしまい申し訳ありません。
回答してもらえると有難いです。

跳ね鳥

ドグラ・マグラと、ダ・ヴィンチコードですかね?

どう足掻いても凡人

ダ・ヴィンチコードは映画の方ですか?

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