作家でごはん!鍛練場
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愛ターン 友ターン 

東京―夏


メールの着信があった。
―今晩、新橋の何時もの居酒屋で会えませんか? 端月先輩の退職慰労も兼ねて―
文末には発信主の池波さんにしては珍しく絵文字が添えてあった。Lineは交換しているのだが、いつもメールだ。飾り文字のチャットってガキっぽいでしょと、いつか言っていた。
 絵文字に関しても、五十を過ぎてそれはないだろうと、常に言っている池波さんだ。その彼が絵文字を添付するということは、いつもの茶目っ気たっぷりの悪だくみを思いついたか。無論、彼はそれをサプライズですと満面の笑みで茶化すのだが。それとも純粋に、哀れな早期退職者の私を労ってくれるつもりなのか。
 早々に仕事を切り上げ、社を出た。得意先への挨拶回り、後任部長への引継ぎ等もあらかた終えた今、仕事らしい仕事はほとんどない。後は退職を待つのみの日々である。社内での送別会も今日までに二回ほど開いてくれていた。

 ウイークエンドの新橋はいつもどおり込み合っていた。四時過ぎに勢いよく降った雨も今はあがっているが、夕方とはいえ夏の気温は未だ下がらず、焼けたアスファルトは湿気を伴った雨の匂いを放出し、容赦なく道行く人に投げつけていた。
 家路を急ぐのか、疲労の滲んだスーツ姿の男達。声高に話しながら先を急ぐ若者のグループ。雑踏は沈んだような、浮ついたような、週末独特の雰囲気の中にあった。
 池波さん指定の居酒屋の暖簾をくぐる。ほぼ満席。店内を見回す。二人掛けのテーブル席の一番奥で池波さんが大きく手を上げ、こっちこっちと招く。
 悪ガキがそのまま齢を喰ったような笑顔で「先輩、ご苦労さんです。いつものように生ビールからいきますか。私は先にやっていました」ほぼ空になったジョッキを持ち上げ、私の返事も待たず「生中二つ。フィッシュカツにスダチ添えて二皿。それと竹チッカもスダチつけてね」勝手に注文する。
 この居酒屋は「阿波屋」といい、オーナーが徳島県出身で、私や池波さんにとっては懐かしいメニューが揃っている。
 フィッシュカツは徳島県民のソールフードといってもいいもので、白身魚のすり身をカレー粉などの香辛料で味付けし、薄く延ばしパン粉をつけて揚げたもの。竹チッカとは竹輪のことで、青竹に魚のすり身を巻き付けて焼いたもの。ほんのりと青竹の香りがし、何とも郷愁を誘うのだ。オーダーもこの店ではチッカで通る。現にお品書きには竹輪と書いた横に括弧で括って竹チッカとある。
 これらの品にスダチとくればもう何も言うことはない。
 若い頃にはスダチなどどこの店にもなく、レモンかカボスだったし、スダチという名前も知らない人が大半だった。

 この店は池波さんが若いころ開拓した。
「端月さん。徳島のフィッシュカツ食える店見つけました。スダチもありました。今晩空いていたら御一緒にどうですか。蕎麦米汁も食べられますよ」
 営業で来社していた池波さんは私をつかまえて、さも世界的な大発見でもしたかのように言った。
 池波さんと最初に顔を会せたのは私が入社四年目の夏だった。
 そのころ私は企画部設計課に席を置いていた。会社は主にマンション等の集合住宅の企画開発を行う上場企業だった。
 池波さんは徳島県に本社工場を持つ中小企業の、東京営業所の若手であった。
 八幡金属工業という池波さんの会社は、マンション、アパート等の防火玄関扉、ホテルの客室用防火扉を得意としており、大手総合サッシメーカーと競合していたが、集合住宅用玄関ドアのシェア拡大を狙っていた。
 私も池波さんの会社は以前から知っていた。故郷徳島の実家の近くに在ったからだ。ただ、その頃は大手建材メーカーの下請け企業だろう、くらいの認識しかなかった。
「御社へは初めてお伺いしたのですが、提案営業の一環として企画・設計段階から弊社のドアを織り込んで頂ければと思い、お伺いいたしました」こういう試みは今回が初めてなのですがと、彼は言った。
 今までは商社、ゼネコン、デベロッパーなどの購買部を通した販売ルートだった。自分の提案が営業会議で採り上げられ、ひとりで設計事務所等に営業をかけているのだという。
 池波さん曰く、以前は製品のほとんどがOEM(相手先ブランド名による製造)だったのだが、今では製品の八十パーセント強が自社ブランドで、今後その割合を高めていく会社方針だという。
 その時は「一応、上司には話を上げておきます。余り期待されても困るのですが」と、遠回しにお断りしたのだが、池波さんはそれからちょくちょく顔を見せるようになった。いつの間にか彼の窓口は私ということになった。
 やはり、月に一回顔を会せる人よりも、頻繁に顔を見せる営業マンのほうに情が湧くというものである。
 小さな物件で二回ほど、大手サッシメーカーの下請けという形ではあったが、八幡金属工業を使ってみた。評判は悪くはなかった。
「池波君っていうの? 八幡金属の営業マン」ある日、課長に言われた。
「彼、若いけどなかなか熱心じゃない。それに八幡金属工業、最近評判が良いみたい。シェア伸ばしている。ゼネコンの購買部に知り合いがいて聞いたのだけれど、田舎の小さな会社だが、商品の企画力が良い。それと、大手と比べ小回りが利くそうだ」
 少し大きな物件で使ってみてはどうだろう。もちろん大手の下請けではなく八幡金属のナショナルブランドで。企画会議にあげてみたら。購買部には私が話を通しておく。もちろん君が担当ということでと、最後に念を押すのは忘れなかったが、課長は私の肩を叩いた。
 八幡金属工業の評判は上々だった。特に施工現場からの評判が良かった。
 物件の施工は一〇〇パーセント出資の関連建設会社が九割がたを行っていたのだが、現場の所長からの信頼は絶大で「とにかく小回りが利く。大手ではああはいかない。これからもどんどん使って欲しい」そんな声が連絡会議の席上で上がっていた。
 また企画部企画課からは、商品のデザインが優れているし、こちらの要望も出来るだけ形にしてくれる。田舎の中小企業と馬鹿に出来ないレベルだ。そんな意見が上っていた。
 購買部は購買部でコストパフォーマンスに優れている。これからもっと使えばとの意見だった。当然、購買部のコストパフォーマンス云々という話は叩きに叩いての値段のことだろうから、話半分と聞き置くべきだろうが。

 池波さんとの関係が密になった頃、彼に聞かれた。
「前から聞こうと思っていたのですが、端月さんって出身は関西ですか」
「どうして?」
「図星ですか。イントネーション。僕は徳島出身ですから。徳島弁って関西弁に近いでしょう。時々、君、大阪出身って聞かれます。僕も大学は東京なので標準語を喋っているつもりなのですけど」
 大学時代四年間、入社して四年強、都合八年間。私自身、ほとんど完璧な標準語を操っているつもりだったのだが、聞く人が聞けば分かるらしい。
「残念ながら図星ではない。私も君と同じ徳島出身なのだよ」
「そうなんですか!」びっくりしましたと、大げさな顔で言う。
「それじゃー、僕たち二人は運命の赤い糸で結ばれていたのですね。端月さんと僕は最初から結ばれる運命だったのだ!」悪童顔が笑った。

              2
「あの若い頃とかバブルの頃とかは、忙しかったけど面白かった」池波さんは思い出をなぞるような目をして私の顔を見た。
「バブルの頃、六日間連続で会社に寝泊まりしたことがある。徹夜なんて当たり前。帰れるのは日曜日の朝。そんな日が一年以上続いたかなー。今にして思えば、若かったとはいえ、よく身体がもったものですよ。妻や子供には迷惑をかけたし」私はビールジョッキを持ち上げる。
「私なんか現場事務所に監禁されましたから」池波さんが思い出し笑いをする。
 彼には有名な武勇伝がある。
 あるホテルの建設物件で扉の搬入が間に合わなくなった。搬入予定日に現場事務所へ謝りに行った。相手が悪かった。下請けだか孫請けだかの工事業者はヤクザ系の業者だった。平身低頭して謝ったが許してくれるわけもなく「お前さんはドアが搬入されるまで人質だ」そう、親方に言われた。
 慌てて電話を借り本社工場に連絡を入れた。「早くても明後日の到着になる。申し訳ない」工程課長の返事は無情だった。腹を括るしかなかった。
 現場事務所では親方を含め人相の悪い面々がたむろしていた。親方以外の五人は奥の三畳ほどの畳を敷いた部屋で花札に興じていた。親方は夏の甲子園大会の野球中継を見ていた。ドアが届くまでは仕事ができないのだから、これはこれでいたし方ない。
「八幡金属工業って徳島県の会社なんだろう。兄ちゃんも徳島出身かい?」テレビを見ていた親方が聞く。
「そうです。僕、Ⅰ高校の出身なんです」
 当時、高校野球では全国的に勇名を馳せていた県西部の高校名をあげた。嘘である。
 親方が熱心に中継を見ていたので少しでも場が和めばとの思いだった。
「ほおー、Ⅰ高校。あんた良い体しているけど、まさか野球部だったとか」親方が言う。
「判りますかぁー。僕〝さわやかイレブン〟の後輩なんですぅー」
 口から出まかせ。何年か前にⅠ高校は僅か十一人の部員で準優勝をしてしまったのだ。個性的な監督のキャラもあいまって、これで一躍有名になった。
 親方は余程の高校野球ファンらしく話が弾んだ。池波さんは面白おかしく虚実取り混ぜて話をした。
「誰それはコーチの娘を妊娠させたのでレギュラーを外された。これは地元では有名な話です」「ジャイアンツに行ったあのピッチャーの兄貴は、地元新聞の運動部の記者をやっている」「ホークスにスカウトされたあの子の実家は団子屋で、地元では美味いと評判です」「優勝した時のあのピッチャーはリトルリーグの時から剛腕で、何でも小学校五年の時、県内一の高校野球のスラッガーを.三回続けて三振に打ち取ったそうです」「ホームランを何本も打って恐れられたあの驚異の九番バッターは中学校ではサッカーをやっていた」
 話の半分は地元で仕入れたネタで、おおかたは真とも嘘とも判断しかねる話だったが、親方はそういう話を喜んだ。野球中継の第三試合が終わる頃にはすっかり打ち解けていた。
「人質なので今晩はここに泊まってもらうけど、俺と焼肉でも食いに行こう。あんた酒は飲むかい」親方は相好を崩した。
 翌日の夕方に解放された。本社へ電話をかけ、親方に電話を代わってもらい、トラックの出発を確認した。
「また何処かの現場で会うかも知れんな。あんた度胸座っとる。本来なら損害賠償を請求するところだが、あんたの面白い話と度胸に免じて今回は目をつむる。さすがⅠ高野球部。いやー面白かった。うちへ来ないか。給料、今の倍出すぞ」親方は笑った。

「まあ、そうゆう苦労をいっぱいしてきて今があるわけですから。お互い出世もしたし」池波さんが言う。
「石の上にも三十数年ですからね。でも私なんかもうじき部長でもなんでもなくなるわけだから。サラリーマンなんて会社から離れればただの人」
「でも端月さん希望退職でしょう」
「そうなのですけど―。今回は管理職対象の早期退職募集でね。体の良いリストラですよ。取締役もかなりの人数が退陣してね。そうゆうムード充満って雰囲気だったからね」
 私の声が湿り気味だったのか、池波さんが気をきかし話を若い頃の出来事に振った。ひとしきり思い出話で盛り上がった。
 飲み物がビールから焼酎の湯割に代わった。二杯目を注文し、池波さんが改まった口調で言った。
「ところで今後どうなさるのですか」
「当分は失業保険。自己都合の退職じゃないからすぐに貰える。その間に考えようと思っています。今の会社からも、関連会社への再就職を望めばやってくれるらしい。ただ……」言いよどんだ。
 今回の退職を機に、妻のかねてからの夢を実現させてやっても良いのではと思っているのだ。
 妻の和美はかなり以前から田舎暮らしに憧れている。
 東京生まれで東京育ちの和美が、どういった経緯でそういった考えに至ったかは、おぼろげながら分からなくもない。多分、自家農園で野菜を作りたいのだ。今でも自宅マンションのベランダで色々な野菜やハーブをプランター栽培している。
 和美は料理が得意だった。別に料理教室へ通ったわけでもなく、レシピ本を買い込むわけでもなかった。彼女が本来持ち合わせたセンスのようなものがあるのだろうと思う。
 ベランダ栽培で最初にトマトと胡瓜を収穫した時、彼女は言ったものだ。「全然味が違う。スーパーの胡瓜なんて農薬臭くてもう食べられない。トマトだって完熟だよ。凄く美味しい」     
 私にはその微妙な違いは分からなかった。和美のような味覚もセンスも持ち合わせがなかった。
 ある時、和美から東京近郊の貸農園の話が出た。交通の便もあり結果的には断念したのだが、彼女は借りたがっていた。
 そういったことを考えると、東京近郊で土地付きの古い一軒家を借りるか、買うか。そういう選択肢もあるのではないか。
 私自身はまだご隠居を決め込むには早すぎるし、あと数年は働きたい。自分の再就職も視野に入れれば、通勤時間は長くなるかもしれないが、それもひとつの方法ではないかと思う。
「この前うちの営業所へ挨拶にいらっしゃった時、そういったこと言っていましたよね」池波さんは天麩羅の盛り合わせの皿から徳島産のハモを箸で摘み口に運ぶ。
 八幡金属工業東京営業所を後任の部長を伴って訪れたのは一か月前であった。その時、池波さんにそういったことを少しだけ話したのを覚えている。
「端月さん出身はうちの本社工場があるP市でしたよね」
「ええ、中心部からは少し外れますが、八幡金属とは近い所です。親父が生きていた頃は酒屋を営んでいたのですが、弟が跡をとって今はコンビニに衣替えしている」
「ご母堂は?」池波さん、顔に似合わず古風な言い方をする。
「母は元気ですよ。老人会やら旅行やらで余生を楽しんでいるみたい」私は鳴門金時を使ったイモの天麩羅を小皿に取る。
 少しの沈黙が二人の間に流れた。ややあって池波さんが口を開いた。
「ところでね先輩。今日のサプライズなんですけど―」言葉を切り焼酎の湯割りを一口飲んだ。
 やはりきた。彼の得意技。本日のサプライズだ。サプライズされないように心を引き締めなければ。
「端月さん。八幡金属工業へ来る気ありません?」さらりと言う。「設計部次長の椅子が用意できます。大企業の部長をやった人に、片田舎の会社の次長職というのも甚だ失礼かとは思ったのですが―」言葉を切り私の顔を窺う。「勤務は徳島県P市になります。もちろん田舎の中小企業ですから給料は今のようには出せませんが」
 設計部は営業部門に属するそうで、彼の職責の範疇なのだと言う。池波さん、こう見えても八幡金属工業株式会社取締役営業本部長兼東京営業所長なのだ。齢をとっても悪ガキみたいな顔をしてはいるが。その悪ガキが言う。
「端月さん私と知り合った頃、設計やっていましたよね。それを思い出しました。それと前にちらっと聞いた奥さんの田舎に住んでお百姓をしたいという希望。両方クリアできる。家を買うにしても土地を買うにしても、東京と比べれば徳島は、特にP市はただみたいな値ですから。気になったのは奥さんの意向なのです。東京生まれで東京育ちの人は東京近郊がやはり良いのかなーとは思ったのですが。それと奥さんの親戚の関係とか」
 やはりサプライズだ。本日のサプライズはでかい。
「まさか池波さんがそこまで気にかけていてくださるとは」私は大真面目に頭を下げた。
「妻に聞いてみなければわかりませんが、多分、今迄の言動から推測すると東京近郊でなけりゃあというこだわりはないと思います。それと妻の両親は既に亡くなっていましてね。縁者も居ないし。弟がひとりいるのですが、アメリカで暮していて向こうで結婚しています。今のところ日本へ帰る気はないみたいだし。早速妻に話してみます」
「息子さんは?」私にはひとり子供がいる。
「神戸の会社に就職しています。転勤のない会社なので徳島からだと今よりも近くなります」     
 私の言い終わるのを待ち、池波さんはいたずらっぽい顔になり少し声を落とした。
「それとこのお誘いには少々含むところがありまして―」柄にもなく遠慮がちに言う。
「皆まで言わないでください」私は顔の前で手を振る。池波さんの言わんとすることは容易に想像できた。
「わかっています。私に、御社と弊社のパイプ役になれということでしょう」
 ここらへんは阿吽の呼吸というやつである。二人とも伊達に齢は喰っていない。
「事が事だけに、直ぐには結論は出ないと思いますが、奥さんとも相談なさってじっくり考えてください。私も我が社も大歓迎ですから」
「有難うございます」私は頭を下げる。
「ひとつ前向きに善処願います」池波さんも笑いながら頭を下げる。
「可及的速やかに検討させていただきます」私は笑顔でもう一度頭を下げた。
「いやいや、急がなくていいですから。じっくり考えてください」
 私と池波本部長は声を揃えて笑った。

          3
 妻の和美はいちもにもなく了承した。念願の田舎暮らしができるとあって、私よりも入れ込んでいるくらいだ。
 グーグルMAPのストリートビュウでP市周辺を調べたり、徳島県の不動産情報を収集したりしている。
 徳島弁の練習だと称して「何でやねん!」「そんな阿保な」「君とはやっとれんわ」「儲かりまっか。ぼちぼちでんなー」「ほな、さいなら」「堪忍どすえ」などと、掃除機をかけながら、料理を作りながらひとりで騒いでいる。厳密にいえばそれは徳島弁じゃないのだが。

 八月三十一日が最後の出勤日だった。八月に入ってから、後任者への引継ぎが終わった時点で、お盆休みを挟んで有給休暇をとっていた。久し振りの出社だった。
 後任部長と多分に儀礼的な引継式を行い、その後女子社員から花束を渡され、部員全員からだという記念品を貰った。それだけだった。あっけなく私の最後の出社は終了した。
 多少の悲哀と名残惜しさは胸に去来した。でもまあ、こんなものだろうなあー。そう思った。

 次の職場、八幡金属工業へは九月第二週からの出社と決まっていた。
 池波部長が本社総務部に指示し、会社に近く、比較的築年数の若いアパートを手配してくれていた。私が運転免許を持っていないので、徒歩か自転車で通勤できる距離に絞ったのだという。
 池波さんの話では、公共交通機関を利用するにしてもJRか路線バスしかなく、通勤通学時間帯を除けば、どちらも運行は一時間に上下便合わせて二本程しかないらしい。
 私もかつて高校へ通学していた時はJRを利用していた。その頃はもっと本数が多かったように思う。
「東京のように三、四分待てば電車が来るという環境じゃないですから。田舎はマイカーがないとね、かなり不便なんです。P市を車で走ったら気づきますが、何とかマークを付けたお年寄りの軽自動車がやたら目につく。九十近い婆ちゃんでも運転していますから」
 市の中心部にはもっと良いマンションもあるそうだが、取り敢えずはそのアパートで辛抱して、落ち着いたら一戸建てなり畑なり、奥さんの条件に合うところ探してくださいとのことだった。
「アパートからはJRの最寄り駅へも五分ほどですし、会社へも端月さんの実家のコンビニ店にも歩いて行ける距離だと総務の者から聞いています」池波さんは言った。
「有難うございます。何から何までお手数かけて」私は頭を下げた。
「いえいえ、お安いご用ですよ。私とあなたの仲じゃあないですか。私も今月末には本社へ行きます。ちょうど三ヶ月に一回の役員会議でね。飛行機での日帰りですが」
「私は最小限の引っ越し荷物を纏め、一週間前には徳島に入ろうと思っています」
「奥さんはどうされるのですか」
「妻はしばらく残り色々と残務整理ですね。自宅マンションを売りに出したりとか。それまでに徳島で目ぼしい物件をあたってくれとは言われているのですが。まあ家とか土地の件は弟にも頼んではあるのですがね。地元だから私よりは詳しいし」
「早く良い所が見つかるといいですね」池波部長が笑った。
          
              徳島―秋
               1
 入社して一か月が過ぎた。会社にはすぐに溶け込むことが出来た。
 製造部門も間接部門も県内採用者がほとんどで、都会のようなシビアな、悪く言えばギスギスした人間関係はなく、田舎的な穏やかさがあった。その分、人間個々の関係も当然濃くなるのは仕方がないところだろうが。
 東京から、しかも一部上場企業の元部長が入社したということで、最初は大きな好奇心と、若干の警戒心をみせていた上司の田畑設計部長とその部下達も、私が徳島県出身、それも当地、P市出身だと知ると、好奇心は親密感に、警戒心は安心感に変わったようだ。
 更に、自分たちが会社の行帰りに時々利用している近くのコンビニが私の実家であると知るに至っては、もはや何十年来の旧知の友のような扱いになった。
 田畑部長に「お近づきの印に」と、強引に飲み屋に誘われた。
「早急に端月さんの歓迎会をやらんといかん。明日、課長に段取りさせますけん」彼は帰り際に私の肩を抱き嬉しそうに言った。

 私が農地付きの家を探しているという情報は、入社一か月を過ぎる頃には部内はもちろんその他の部署の一部の人間などには周知のこととなった。
 初めて参加した部長会議の終わった後に「家を探しとんやって。知り合いの不動産屋、紹介しょうか」と、西島社長にまで声をかけられる始末である。ここらへんが田舎独特の温かさ、人間関係の濃さなのであろうが。
 西島社長とは初見ではなかった。前の会社の時、西島さんが社長就任の挨拶にみえた。かなり昔のことだ。池波さんが同道してきたので、窓口だった私も上司と同席し名刺を交換したのを覚えている。西島社長は多分忘れているとは思うが。
「畑付きの家が欲しいらしいなあ。奥さんが百姓したいとか言いよんだろ。まあここらへん田舎やけん、探せばなんぼでもあると思うわ。不動産屋に聞いといたげる」西島社長は制服の下の茶色のネクタイを両手で緩めながら言った。
「そうそう端月はん。おまはんと初めて会(お)うたんて、わしが社長になった時だったかいなあ」覚えていた。
「あの時、我が社(うちんく)の池波、自分が提案した営業方式を初めておまはんが認めて採用してくれたって、すごう喜んどったなあ」ネクタイを結び直しながら、昔を手繰り寄せるように目を細めて、私の顔を見た。
「ほな、仕事の方も頑張ってよ。給料安いけんど」私の肩を叩き、ワッハハハと豪快に笑った。

        2
 妻の和美が来県した。
 気にかかっていた自宅マンションも不動産会社の話ではそうは待たずに、しかも思っていたよりは良い値で買い手がつくだろうとのことだった。
 私が以前いた会社が手掛けた物件で、売れ残っていた部屋を社員価格で購入したのだが、交通アクセスの良いのが幸いしたみたいだ。
 和美は量販店で安いママチャリを購入して、早速周辺の探訪にのりだしていた。コンビニ店主の弟夫婦や私の母親の所にも再三出かけている。
 弟夫婦とはコンビニという商売柄、何時でも会って話すというわけにはいかないのだが、そんな時にはコンビニ店の裏にある実家へ行き私の母と話して帰る。
 母からは昔話とかこの周辺のご近所のこととかを聞いているそうだ。
「この辺で家とか土地とかを買うとなると、ご近所情報も大事だからね。都会と違って田舎はご近所付き合いが大切だというし」母や弟の話は大いに参考になるのだという。
「ほれとな、お義母さん昔の阿波弁使いよんでえ。それが私の徳島弁の勉強になるんよ」覚えたての徳島弁で言う。
 浪速金融伝ミナミの帝王の竹内力の関西弁のセリフ『わし、ミナミで金貸しやっとる萬田銀次郎いいます』のように、イントネーションは標準語のマンマなのだが。
 それに今じゃ、母ぐらいの齢の人間でないと「あるでないで」とか「あばばい」とか「おばやん」とか「あずる」とか「いけるで」などはあまり使わない。それらの言葉はたとえ徳島県人でも若い人には通じない場合もある。だから果たして母が和美の徳島弁の勉強の師匠になるとは思えないのだが。
 和美は一等最初に覚えた「せこい」を最近連発する。
 標準語にも、昔、何とかゆうタレントが流行らせた「セコイ」という言葉があるので覚えやすかったのだろうが。
 しかし徳島弁の「せこい」は標準語の「セコイ」とは全然意味が違うのだ。徳島弁の「せこい」には苦しいとか、疲れたとか、しんどいという意味がある。
 私も上京したての頃「せこいんと違うん?」と級友に言って「俺そんなにセコイ人間に見えるのかよ」と、睨まれたことがある。
 和美の「せこい」はイントネーションが関東のものなので、使っていて自分でも分からなくなるのか、そこ使うところと違うだろうと、つっこみたくなるような場面でもしばしば登場する。
 まあ何はともあれ、妻の「田舎で土地付き家屋を買い、お百姓をする計画」は順調に動き出していた。

        3
 その物件の話は弟の忠孝からもたらされた。十月の末のことである。
 それまでにも西島社長が口をきいてくれた不動産会社のセールスマンから五回程電話があり、その中でもこれぞと思う物件はセールスマンの運転する車で現地を見に行ったこともあった。
 家屋と畑が隣接し広さも手頃であり、そういった部分の条件はクリアしたのだが、なにぶん会社や実家からは遠かった。P市の隣町ではあったのだが、JRの最寄り駅からもかなり離れていた。車があれば十分とかからぬ通勤圏内ではあろう。この土地の人に言わせれば、いわば御近所なのだろうが、車を持たぬ我が家にとってその点は承服しかねる部分であった。以前、池波部長が言っていたように、田舎暮らしではやはり車は必需品なのかもしれない。
 その他にも田畑設計部長とか、部下、他の部署の人など何人かが「こんな物件がありますよ」と、親切に教えてくれたのだが、何れも帯に短したすきに長しで、こちらのニーズに合致するものはなかなか見つからなかった。
 ただ、この地では空き家とか売りたい耕作地がかなりの数あるらしいことは分かった。じっくり時間をかけて探せば、いずれ私達の条件にぴったりの物件が見つかるだろうことは容易に想像できた。

 徳島県P市は合併特例法による「平成の大合併」で一市、三町、一村が合併した人口五万弱の街である。
 人口の割には領域面積がかなり広い。市内を横断するJRの駅も十二駅を数えた。街といえるのは中央部を占める旧市のみで、商業施設、公官庁等はここに集中していた。領域の北側には一級河川が流れ、南は四国山脈が迫った東西に長い市である。
 私が勤める八幡金属工業は市の西南部に位置し、JRの線路と平行するように走る国道から少し入った所にあった。私の実家であるコンビニもこの国道沿いにある。工場の周りを田畑が取り囲み、民家がぽつりポツリと点在していた。
 更に南へ進むと四国山脈の山並みが青々と迫り、県道が山中へ分け入っている。一山超えると四つの山村が点在する。ここもP市の一部なのだが、時代の流れというべきか、その人口減は惨憺たるもので、私が高校生の頃と比べると五分の一以下になっているそうだ。
 ある時、その山村から通勤している年配の従業員が私のことを聞きつけ「次長。我が家(うちんく)の隣の家買いまへんか。隣いうても二キロ以上離れとるけんど」と、声をかけてくれた。
 この人は製造部の課長で、名を美郷さんと言った。会議で顔を会せたことがある。
 物件はかなり前から空き家になっていて売りに出ているのだが、買い手が付かない。値段はただ同然だという。
 家は古いが入母屋造りの立派なものでかなり大きい。畑も段々畑だが合わせれば一反(約千㎡=三百坪)はあるし、裏山もついている。「柿とか栗の木もあるし、春には筍や山菜が採れるけん、良(ええ)でよ」熱心に勧めてくれた。
 非常にありがたい話だったのだが、いかんせん山である。車の所有者には何でもない距離であろうが、私達にとっては地球から月へ行くほど遠いのだ。 
 私は山の課長に頭を下げた。
「有難うございます。せっかくの良いお話ですが、私、運転免許持ってないんですよ。通勤が……」私がそう口ごもると「あ痛ぁー!」と、三郷課長は髪の毛が後退した自分の額を掌でペチッと叩き「そういやあ、端月さんって東京から転勤してきたんでしたねえ。東京に住んどったら、ほらまあ車やいらんけんど、田舎ではなかったらほんま不便ですわ」気の毒そうに苦笑いし「他の良い(ええ)所(とこ)探しときますわ。なんぼでもありますけん」と、言った。

         4
 弟の忠孝が持ってきた話は取引銀行の行員からもたらされたものだった。
 父親の酒屋時代から取引がある第一地銀で、コンビニに変わってからも取引は続いている。
 月に二度程外回りでやってくる行員の話では、その家屋と畑の持ち主は大阪在住なのだが、歳もとり、距離も離れているので、メンテナンスに帰って来るのが億劫になった。買い手があればすぐにでも売りたい。親戚とか知り合いとか、方々に声をかけているのだという。
「この近くにある。仁義(ひとよし)兄貴も多分、若い頃に見たことある筈や。俺も道から見ただけやけんど、家は古そうだが入母屋風の平屋建てで、南側に小さな庭園が付いているみたいやわ。その庭の南側が畑で、この前、車で通った時に見たけんど、ちゃんと白菜とか大根とかほうれん草を作付しとったわ。大阪から百姓しに戻(も)んてきよんやろか。ほらまあ歳とったら大変やろうなあ」弟の忠孝が言う。
 私と忠孝。妻の和美と忠孝の奥さんの玲香さん。妻と携帯で連絡を取り、仕事が引けてから実家にお邪魔している。母親は老人会の旅行とかで今夜は外泊だという。
「お義母さんの話だと、今の持ち主のお父さんという人が県内の大きな会社の社長さんだったとかで、リタイアしてからひとりで住んで野菜なんかを作っていたそうよ」玲香さんが言う。
 玲香さんは徳島生まれなのだが、ほぼ正確な標準語を喋る。大学は関東の外語大学で、卒業後は東京で語学力を生かし外資系の会社へ就職し、トム・クルーズのようなイケメンのアメリカ人と結婚するのが夢だったらしい。
「それをコイツに騙されて」と、いつものパターンなのだが忠孝の頭を小突いてこう言うのだ。「ああ! 私の青春を、私の夢を返して!」「そんな阿保な!」忠孝が負けずにツッコミを入れる。「わしら相思相愛だったやろう」したり顔で言う。すかさず玲香さんが続ける。「そうそう、ソウソウ!相思相愛。涙(なだ)そうそう!」「何のこっちゃ。お前とはやっとれんわ!」と、なるのだが。
 この弟夫婦にも、現在や未来や子供たちに対する悩みや心配事もあるのだろうが、いつもこの調子である。
 子供は娘が二人。母親の都会へ出たいという遺伝子が忠孝の遺伝子に勝ったのか、ひとりは大阪へ嫁ぎ、下の娘は大阪の大学に通っている。
「ほんで、その家ってここからは近いんえ」妻の和美が徳島弁で聞く。イントネーションは標準語のマンマなのだが。
「近いわよ。義姉さんの足でも十分かからないくらいかな」玲香さんは全員の湯呑に急須からお茶を注ぎながら、今日はお天気もいいし、帰りに回り道して見てみたらと言う。
「ほうやなあ。あんた、帰りに見てみるで」妻は私の顔を見る。やっぱり彼女の徳島弁は変だが。
「駅にも近いし兄貴の会社にも我が家にも近い。便利は良(ええ)んと違(ちゃあ)うん。もし気にいったら銀行に連絡するけんど、まあ家の中も見せてもらわんことには。外から見る限りでは古いけど立派な家みたいやわ」弟が口をはさむ。
 銀行員の話では持ち主は四ケ月に一回くらいの割合で帰って来ているそうで、次回の予定は十一月の頭くらいに帰省するらしい。もし良かったら銀行に話を通し、その時に見せて貰ったらどうだろうかと言う。

 帰りにコンビニの賞味期限が過ぎた弁当を貰った。料理上手の和美は余り好まないのだが、今日は料理をする時間がないのでしょうがない。和美はこれまでにも何回か貰って帰ったことがある。
 自転車での市内探訪が終わった頃から、本当にたまになのだが、従業員やバイトのシフトに穴があいた時に限って、玲香さんに乞われコンビニを手伝っているのだ。
「お義姉さん商売向いているのじゃない。美人だし明るいしさあ。チョット天然なところがお年寄りに受けが良いのよ。若いバイトの娘なんかつっけんどんだからね。それにあの変な徳島弁」玲香さんはフフフと笑った。

 昔は若者の溜まり場みたいな観があったコンビニだが、最近は昔と違って年寄りの客が増えているのだという。近くに商店はない。スーパーに買い物に行くには、市の中心部まで出なければならない。コンビニならおおよその物は揃っている。近所に在るコンビニは年配者にとってはすこぶる利便性が良いのだ。それに伴って少しではあるが、ジャガイモや玉葱などの日持ちのする野菜。油揚げ、こんにゃく、卵のような商品も増えている。開店当時では考えられない商品のラインアップだという。

 私は徒歩で、和美は自転車を押して教えられた道に回った。かなり暗くなってはいたが、幸いなことに満月に近い太り過ぎたラグビーボールのような月が頼りなげに浮かんでいた。
 薄闇を通して目的の家屋は眺めることが出来た。
 狭い道路から奥まった宅地部分は三方を槇囲いで囲まれていた。薄闇でハッキリとは確認が出来ないものの、入母屋風の平屋造りであるようだった。
 宅地部内の南側が弟の言っていた日本庭園なのだろうが、槇垣に囲まれていて中までは見えない。名前は分からないが、一本だけ背の高い樹木が背伸びをするように薄闇の中に立っている。
 細い道路から、宅地の入り口の門扉に続く飛び石を敷いた長さ六メートル、幅三メートルほどの小路があり、門扉の上には門かぶりの松というのだろうか、斜めに傾いだ松の木が見えていた。
 土地は北を上にして見れば左右が逆のL字型で、逆L字の上部分が宅地、下部分が農地。
 その農地の西側部分と、門扉へと続く宅地への進入アプローチが、南北に走る狭い道路に接している。道路に接した農地の一部にコンクリートを打った部分があり、農地を切り取っていた。駐車場だろう。普通車なら四台くらい駐車可能だろうか。
 畑は宅地部分の倍位はあるだろうか、かなり広い。月明かりに透かし見ると、弟が言っていたように大根、白菜、ほうれん草、葱等の冬野菜が作付けられているようだった。
 明日の朝、通勤途中、回り道をして明るい時に見ることにした。和美はママチャリで昼に見に来ると言う。

           5
 家の持ち主の蒲池健二さんと奥様の浪子さんと対面したのは、十一月に入った土曜日のことだった。
 御主人の蒲池さんは細身で、半白の髪の毛は齢からいえば豊富だった。どちらかといえばシャープと表現できる皺の少ない引き締まった顔をしていたが、眼鏡の奥の大きな目は柔和な光をたたえ、喋り口もゆっくりと丁寧に話す人で、何処かのんびりといった印象のある七十がらみの老人だった。 
 上下揃いの紺のジャージ姿で「こんな格好で失礼します」と、最初に頭を下げた。
 奥さんの浪子さんは御主人よりは幾分年下であろう。ご主人とは対照的に、コートでも羽織ればそのまま外出できそうな黒を基調にしたニットの上下で決めている。ワンポイントで胸元に着けた銀色のブローチが都会的なセンスを垣間見せていた。
 シックな装いとは対照的に喋りだしたら止まらないという感じで、機関銃のようにポンポンと早口で言葉が飛び出す。ご主人が一言しゃべる間に奥さんが三言四言喋る感じである。
 聞くところでは大阪生まれの大阪育ちだという。私のイメージにある大阪のおばちゃんという感じだった。もちろん悪い意味ではなく。

 十月末の実家からの帰り道、薄闇の中でこの屋敷を垣間見たあくる日、私は回り道をして出勤した。
 夜には判らなかったのだが、三方を回る槇囲いも丁寧に刈り込まれている。道から見える門扉の上に上品に被さる松も、枝垂れ梅だろうか背の高い木も、慎重に人の手が入っているようだった。
 家屋の屋根は和瓦で葺かれ、西向きの玄関部分には小さな古い木製の引き戸が嵌まっているようだ。全容は槇囲いで見えないものの、庭に面する南側一面の窓には一枚ガラスのアルミサッシが嵌まっていた。建物の築年数から考えるとこれは後年改装したものだろう。
 妻の和美も同じ日、自転車で見学に出かけた。素敵だという。
「私が理想としていた田舎の日本家屋。しかも屋敷に付属した日本庭園もあるし、地続きで畑もあるし、条件にぴったりやわ。駅にも近いし。あたりは静かやし。申し分ない。早く家の中を見たい」
 妻は三回程見に行った後、私の了解を取り、弟を経由して銀行に頼み、持ち主の蒲池さんとのアポを取ったのだった。

 簡単な挨拶を済ませ、浪子夫人の案内で一通り家の中と庭、隣接する畑を見て回った。奥さんの機関銃を連射するような解説付きで。
 今は客間と蒲池さんが称する床の間のある八畳間に通され、四人が和机を挟んで向かい合っている。
 一間(約百八十センチ)はあろうかと思われる広縁というのだろうか―外廊下が南側、東側をぐるりと取り囲み一枚ガラスのアルミサッシがはめ込まれ、座敷と廊下は障子で仕切られているのだが、今はその座敷と廊下を隔てる障子は全て開け放たれているので、良く手入れされた和風の庭園が見渡せる。はるか遠くに晩秋の四国山脈が遠望でき、周りに民家は見えないので、丁度良い借景となっている。
 廊下は東外廊下の北端で内廊下と継がり、内廊下を境に北側に風呂、トイレ、ダイニングキッチン。南側に六畳間の寝室、同じくらいの広さの和室のリビングがあり、その二間の間に玄関に出る中廊下が南北に設えられている。
「この座敷はいわば客間でして、普段は使っていないんですね」奥さんの浪子さんが持ってきた日本茶を飲んで、蒲池さんが口をきった。
「京間ですよね。マンションサイズと比べると可成り広いですね」私は今しがた奥さんが入って来た、中廊下とこの部屋を隔てる襖の上の凝った細工の欄間を見上げながら言った。
 建築のこととなれば元マンションの企画者である。京間に使われる畳の大きさは約三尺(九一センチ)×六尺(一八二センチ)。それに比べ江戸間サイズでは二尺九寸×五尺八寸と小さくなり、マンション等でよく使う公団サイズと呼ばれるモジュールは、一番小さく二尺八寸×五尺六寸になる。
「私の親父が母親、つまり私の祖母のために建てた隠居部屋みたいなものです。現に親父も晩年はここで暮していましたが」
「県内企業の社長さんをされていたとか」
「社長といってもオーナーではなく、雇われ社長でして」蒲池さんはかねて私も知っていた県内の製紙会社の名を告げた。
 その名も今はない。大手の製紙会社と何年か前に合併したのだ。
「うちの家族は満州からの引揚者でね。私はその時三歳になったばかりで、当時の記憶といってもほとんどなくて」私と和美の顔を半々に見まわした。
 先程まではよく喋っていた奥さんは、この話には口を挟むつもりはないようで、黙ってお茶をすすっている。
       6
 蒲池さんの祖父と祖母は満州で大きな料亭を経営していた。
 母親は料亭を手伝い、父親は商社の社員として軍に出入りしていたのだという。
 子供は蒲池さんの上に四歳違いの兄。二歳上の姉がいた。
 日本の敗戦が決定的となり、明日にも露助が攻めてくるとの情報は父親がもたらした。 
 当時、満州でも大方の若い男は軍に現地召集されて、女子供と年寄りしか残っていなかったのだというが、何故か蒲池さんの父親は地方人(民間人)のままであった。
「どうして、親父が予備役のまま召集されなかったのかは分かりません。親父も戦時中のことは、後になっても余り喋りたがらなかった。商社員として軍に出入りしていたことが関係するのかもしれません」蒲池さんは昔を思い出すように、考え考えゆっくりと喋る。
「ひとつだけ親父の言葉で記憶に残っていることがあるのですが……。あれは私が中学校に入った頃だったかなあ、何かの折にぽつんと言ったんですよ」
 その時、蒲池さんの父親はこんなことを言ったのだそうだ。
『俺は兵隊としては人を殺さなかった。しかし、商社の社員として軍へ軍事物資を納めていたのだから、間接的にはやはり人を殺したことになる。自分は戦場へは出ずに戦争に加担していたのだから、かえってたちが悪い』そう言ったのだという。
 軍に出入りしていた関係で、日本が戦争に負けること、ソ連が攻めて来るとの情報は速かったらしい。
「当時、私は三歳でその時のことは全く覚えてはいないのですが、後になって人から聞いたり、本を読んだりして知りました」蒲池さんは言う。
 ソ連が日本との条約を破り、満州に侵攻したのが昭和二十年八月九日。終戦の玉音放送が八月十五日だった。
 蒲池さんの父親がこの情報を入手したのは終戦前―おそらく九日から十四日の間ではなかったろうか。―というのも、蒲池さんたち家族が満州から脱出したのは終戦前だったか、終戦直後だったろうとのことである。軍が第一次の帰還列車を準備したのであった。
 祖父と祖母、父親と母親は、その情報を地域の邦人会を通じ知らせた。その時、祖父は邦人会の世話人をしていたのだった。
 しかし、祖父や父親の説得にもかかわらず、邦人会は紛糾した。「神国日本が負けるわけがない。この非国民が!」そう息巻く者まで現れた。結局、邦人会としての意見はまとまらず、第一次帰還に応じた民間人は少数であった。
 したがって、第一次の帰還列車に乗り込んだのは軍人軍属の家族が大半で、一般住民は数少なかった。
 蒲池さん一家はこの一次帰還列車に乗り込んだのであった。ただし、祖父だけを残し。
 祖父は「邦人会を説得しなければいけないし、少し残って残務整理をしてから後を追う。お前たちは先に逃げろ」と、言った。
 家族は、危ない、心配だ。一緒に逃げようと言った。
 祖父は「大丈夫だ。日本軍もまだ残っている。私は絶対に故国に帰る。心配するな」そう言った。
 家族は後ろ髪挽かれる思いで祖父を残した。
 父親と祖母は持てる限りの荷物を持ち、母親は姉の手を取り、蒲池さんは兄に背負われて命からがら脱出をした。
 徒歩と列車を乗り継ぎ、やっと船に乗ることが出来た。しかし、兄はその船の中で亡くなったのだという。
「兄が船の中で亡くなったのは、おぼろげながら記憶にあります。死体を海に流したのかなあ。そんな記憶が残っています。私が大きくなっても、父母も祖母も姉もその時のことは一切、喋ってはくれませんでしたが」沈んだ声で言う。
 身一つで帰還した家族五人は親戚を頼った。本家筋の家だった。
 土地を借り、バラックのような小屋を建て、五人は身を寄せ合った。借りた土地で農作物を育て、戦後の食糧難をかろうじて凌いだ。
 その後、知人の伝手で父は後年社長となる製紙会社に就職をした。当時その会社は県南部にあったので、最初は父親だけの、今でいう単身赴任だった。
 蒲池さんが小学校入学前に、父は会社近くの一戸建てを借り家族を呼び寄せた。ただ、祖母は頑なに動こうとはしなかった。
「お爺ちゃんが還って来るかも知れない。ここだと本家の近くなので帰ってきたらすぐに分かるし、一番に訪ねて来る筈だ。私はここで爺ちゃんを待つよ」
 バラックを取り壊し小さな家を建てた。しかし祖父は還ってこなかった。何処でどうなったのか未だに分からないそうだ。

        7
 後年、蒲池さんの父親は今のこの家に建て直した。お婆ちゃんの要望を出来る限り取り入れこのような建物になった。土地も買った。農地も買い足した。
 祖母は一人暮らしでも元気だった。亡くなる間際まで農業をしていたのだという。
「本当に元気で可愛らしいお婆ちゃんでした」待ち構えたように奥さんの浪子さんは話に入ってきた。
「私たちは結婚してずっと大阪暮らしなんですけど、盆とか正月には徳島へ帰ってきていました。主人と義父が色々あって、お義父さんの所へはあまり行きませんでしたが、お婆ちゃんの所へはしょっちゅう―。お婆ちゃん、戦前、料亭の女将をやっていたくらいの人ですから料理なんかはセンスが良くてね。自分で育てた野菜を使って料亭みたいなご馳走を出してくれたものです。スイカひとつ切り分けるにしてもね、そりゃあ綺麗な形に切ってね」浪子さんは昔を思い出して目を細める。
「素敵なお婆ちゃんだったんですね」和美が口を挟む。今日は和美独特の徳島弁は封印している。前もって私が釘を刺しておいたのだ。
「料理だけじゃあなくてね。着物を着ても洋服を着ても、そりゃあセンスが良かった。ホント、全般的に様子が良いとでも言いますか。品があってね」浪子さんが言う。
「あら、奥様だってお洋服のセンスとても素晴らしいですわ」和美が浪子さんの黒いニットを見て、たぶん御世辞ではなく褒める。
「私、趣味で洋裁と編み物をやっていまして、この服も手作りなのですよ」
「まあ!すごい。本当に素敵です」
女性たちのお喋りはそのままにして、私は蒲池さんに聞いた。
「築年数はどのくらいになりますか」
「そうですねえ。五十年以上にはなりますかね。耐震性能は保証できませんが、昔の建物なのでがっちりしています。それと親父が亡くなる前に全面的に改装しましてね。屋根瓦はその時葺き替えていますし、この一枚ガラスのアルミサッシも―」と、外に目をやる。「それまでは、昔風の木の雨戸と障子だったのですが。まあ内装の襖とか障子は当初の儘なのですがね。キッチンとかトイレ、風呂なんかの水回りもその時に」
「古いですがなかなか立派な建具ですね。でも玄関が少し狭いですね」
「昔風の家ですからねえ。祖母も父親もここでは独り暮らしだったので―私の母親は早くに亡くなりまして―その点は不便を感じなかったのでしょうね。改装したのも私たち夫婦がリタイアした後、田舎で暮らせるようにとのことだったのです。玄関が狭いと思ったらお前たちが好きなように改装してくれと生前言っていました」
「それで蒲池さん、ここに住む気は?」私は尋ねた。
「それがね……」蒲池さんは言いよどみ、暫し考える風をする。
「実は私と父は一時期、かなり折り合いの悪い時期があったのです。あれは父が社長になる前後からですかね。私が高校の時ぐらいから結婚してから十数年ぐらいまで。そんな状況だったので大阪で就職し、結婚し、大阪に家を建てた。父は自分が社長をする会社へ私を就職させたがっていたのですが。まあ、若かった私にも父に対する反撥があったのでしょうな」蒲池さんは若かりし頃を思い出すように、ひとり頷く。
「失礼ですが、お父さんとはどういった……」私は遠慮がちに聞く。
「母は私が中学生の頃から病気がちでね。入退院を繰り返していました。結局、私が高校に入学した年に亡くなったのですが。まあ、父も寂しかったのでしょうね……」言いよどむ。
 和美と話していた浪子さんがここぞとばかり口を挟む。「お義父さん、それはそれは艶福家だったらしいんですのよ」
 艶福家と上品な言い方はしたものの、少なからず軽蔑っぽい、嫌味っぽい、皮肉っぽい、そんなニュアンスがあった。
 蒲池さんは小さく頷きながら言う。「私の姉などはそれを酷く嫌がりましてね。そういった女(ひと)が何人いたのかは分かりません。これはその当時姉から聞いたのですが、その内のひとりに姉とやたら齢の違わない女性もいたらしい」蒲池さんは昔を思い出してか、小さくため息をつく。
「後年、親父とは和解しましたがね」
 和美と話に興じている浪子さんを見て言う。「親父の残した家だし、三歳から小学校入学前まで暮らした土地なので愛着はあります。ですから、今までも保全のため年数回帰って来ていたのです。家って風を通さないとすぐに痛みますから。それに庭の木の手入れもありますし」
「綺麗にメンテナンスされていますよね」私は口を挟む。
「妻がね、大阪生まれの大阪育ちでして。、完全な都会っ子なもので―田舎暮らしは嫌だと言うのです。大阪に家も持っていますし。スーパーで買物するにしても車が必要な距離でしょう。付近には商店もありませんしね。私は免許持っていますけど、妻は持っていませんので」
 ここを訪れた時、畑の一角に設えた駐車場に大阪ナンバーのハイブリッド車が止まっているのを見た。いつも車で帰省しているのだという。
「それと近所付き合いに自信がないと。都会っ子ですから田舎の濃い付き合いはどうも。私も大学進学以来ずっと大阪暮らしですから、妻の言うことも分かるんです」
 蒲池さんは話を切り、息を継ぐ。
「子育てなどには田舎の一戸建ては良いと思いますよ。自然も豊富ですし。幸いここは畑も付いていますので新鮮な野菜も食べられますしね。息子にも相談したのですが、息子夫婦も大阪でマンションを買っていますし、それに今の仕事を辞めてまで、徳島に引っ越すなんてどだい無理な話ですからね」
「田舎は働き場所がねえ……」
「息子は売れるものなら売ってしまったらと言うんですね。これから齢をとれば帰るのもだんだん大変になると。事実、最近では大阪から運転して帰るのも少し疲れます。齢なのでしょうね」若干顔をしかめ苦笑する。
「そういえば銀行の人から聞いたのですが、端月さんは東京から引っ越してこられたとか。奥さんは東京の方なのによく決心されましたなあ」
「運よくこの近くの会社に再就職できたわけですが、ひとつには妻の田舎暮らし願望があったのですよ。私よりは積極的でした」私は浪子さんと話している妻を見やった。
「うちの妻とは正反対ですな」蒲池さんも浪子さんを見て笑った。
 
 付属する農地の話題へと移った。
 面積は七畝半(約七百五十㎡)程だという。綺麗に作付けされているのは話を聞けば道理で、本家のお婆ちゃんに作って貰っているとのことだ。
「農地は家を建てた時、宅地と同時に親父が本家から買い受けたのです」
 かつてここら辺一帯は本家の田畑だったという。
「かなりの土地を所有していたらしいんですけど、農地改革で取られてしまって、屋敷周辺だけが残ったそうです」
 蒲池邸から北へ五十メートル行った所を東西に旧県道が走っている。蒲池邸へはその県道からの細い道路を南へ入るのだが、県道と進入路の角にある大きな入母屋造りの家が本家なのだそうだ。
 本家の婆さんはもう八十過ぎかなあ。あの大きな家に独りで住んでいましてね、と蒲池さんは言う。
 蒲池さんの宅地部分は西側と北側、東側を田んぼで囲まれている。夏場だけ稲を作っているそうだ。現に西側と北側の田は、稲株が刈り取った儘で残っているのが道から見えていた。毎年五月頃に田植えをするのだと言う。本家にはあと五反ほど畑があるのだが小作に貸しているのだそうだ。
「本家の婆ちゃんも、齢なので何時までも百姓は出来ない。考えてくれと言われているんですよ。この屋敷の南側の畑は、親父が死んでからずっと作ってもらっています」お蔭様で今は草林にならずにすんでいるという。
「妻が野菜を作りたいと言っています。少し広すぎるとは思うのですが、私も手伝えば何とかなる広さだとは思います」私は言った。
「トラクターまでは要らないとは思いますが、小さな耕耘機ぐらいは必要かも知れませんね」まあ私、百姓は一回もやったことがないので偉そうには言えませんけどと、蒲池さんは笑った。
 蒲池さん宅を辞した帰り道。和美は元気な声で言った。
「良(ええ)なあ。ええなあ。私気に入ったわ。あんた、どう思いよんえ? 考えてみてもええんと違(ちゃあ)うん。ほんま良い(ええ)家でよ」テンションが上がっていた。和美流徳島弁は復活していた。

           8
 銀行を通し、買う意思があることを蒲池さんに伝えて貰った。蒲池さんの電話番号は伺っていたのだが、まずは紹介者である銀行の顔をたてた。折り返し銀行から電話があった。「先方さんも前向きに考えたいとおっしゃっているので、今後は当事者同士でお話ください」
 翌日の昼間、和美が電話をした。
 先ずは私たちにしても売り手の蒲池さんにしても、売買金額が最も重要な事項だろう。総額六百万でどうだろうとの返答であった。
 和美はインターネットで路線価格、公示価格、調査価格などのホームページとかP市の不動産情報のページを検索し、価格情報を得て彼女なりに分析していた。
 この辺の畑地はかなり安いのだという。場所にもよるが一反あたり百万から二百万円くらい。宅地は路線価格から推測すると一㎡あたり一万円くらいとの和美の分析だ。ただし路線価格と実勢価格には差があり、高い場合もあり低い場合もありうる。その点をどう考慮するかなのだが、まずは大雑把に計算してみたという。
 蒲池さんから聞いていた面積から推測すると、宅地部分が四百五十㎡なので四百五十万円。農地が七百五十㎡あるので、一㎡を二千円として百五十万円。トータルで六百万。これが和美の分析だった。但し建物と庭園は評価に入れていない。
「建物の価値をどう評価するかが難しいんよね。築五十年以上になるしね。税制上からいえばほとんど無価値だろうし」和美が思案顔になる。
 東京近郊の地価等と比較すると考えられない安さである。ただ東京とP市の不動産価格を比較すること自体意味がないとは思うが。
 P市での実勢価格からいうと安いともいえないし、べらぼうに高いともいえない。ただ今迄の色々な人から紹介してもらったり話を聞いたりした中で、売り物件はかなりあるのだが、実際には売れないというのがこのP市での実情のようなのだ。
 国道沿いとか県道沿いには売り物件、貸物件と書いた立看板がやたら目に付く。購読している地元新聞の掲載広告、折り込み広告にも物件情報が山ほどある。毎週金、土曜日の掲載が多いのだが、同じ物件がいつも載っている。
 物の売り買いはシーズとニーズの合致が大前提だ。だからオークションなどで有名人が書いた手紙とか色紙に何十万とか何百万の値が付く。色紙とか手紙自体の値段なんてせいぜい数百円だろう。興味がない人にとっては「何でそんなものがウン百万円もするのよ」ということになる。
 売りたい人がいて、欲しい人がいる。そこで両者が納得した金額が適正な価格なのだろう。
 私達の場合はどうだろう。シーズとニーズは合致している。和美はいたく気にいっているようだし、蒲池さんも売りたがっている。しかし実際の売買に進展していくと、そこには売買価格というものが夾雑物として両者を隔てようとする。売り手は当然高く売りたい。買い手はその逆。
「建物の評価は別におくとして、私達がどうしても欲しいと思うかどうかだろう。和美の条件は完全にクリアしている。畑は地続きだから耕作はしやすいし。家自体も気にいっているのだろう?」私は和美に言う。「築五十年以上なので耐震性能はしょうがないが、しっかりとした昔の木造建築だとは思う。玄関が狭いけど二人で住む分には余り支障はないだろう。住んでみて必要なら改装してもいい。君が気にいっているのなら私は構わない。それが一番だと思う。故郷へ帰ったのだって、君の田舎暮らしをしたいという長年の夢を叶える為もある。そして、それが私の喜びでもあるわけだ。私は君が幸せならそれが一番だと思う」
「ありがとう、あなた。久し振りにあなたの優しさを実感したわ」標準語で言った。心持目が潤んでいるようだ。
「久し振りはないだろう。私はいつも和美には優しいよ」茶化した。

        9
 会社の休憩時間を利用し蒲池さんに連絡を入れた。売買契約を結びたいというこちらの申し出に対し「お値段のほうは?」と、少し遠慮がちに蒲池さんは聞いた。
「そちらの言い値の六百万で」
「そうですか。有難うございます」蒲池さんの電話を通した声が明るく響いた―。

 蒲池邸を訪問してから、二週間かけて和美と二人であれやこれやと検討を加えた。最終的には弟夫婦にも相談した。
 昨夜、和美と実家を訪ね、母も含めて弟夫婦と話し合った。三人とも概ね賛成の意向であった。 
 ここでも家の評価をどのようにするかが問題になった。
「蒲池さんとこのあの家やろう。古いけんど、そりゃあ立派な家でよ。お金かけとると思うわ。庭も綺麗やろう。お分限者の家みたいでえ。最初は小さな家やったらしいけんど、大きいんに建て変えて綺麗なお婆ちゃんが住んどったんよ」私に顔を向けて母が言う。「あれは仁義が生まれた頃かいなあ。その頃、若い娘さんが一緒に居った。お手伝いさんだろうけんど―。その子も暫くしておらんようになって、そのあとはずっと婆ちゃんひとり。その婆ちゃんが死んだあと、社長さんやんりょった蒲池さんが引っ越してきたんよ。ビールが好きでなあ。うちの爺ちゃんがよう配達に行きょった。社長さんにな、わしが作った野菜ですけんちゅうて、よう畑の作物貰うてきよったんでよ」                     
 母の昔話をひとしきり聞いた後、弟の忠孝が口を開いた。
「相手さんの言う値段が適正かどうかは判断するのは難しいんやけど。仁義兄貴はどう思おうとん」土地だけの価格としては通り相場ではないだろうか。それ程安くもないと、弟は付け足す。
「忠孝。お前の言うとおりだ。ただ、家の評価をどうするか和美とも話し合ったのだが―」
「あの家気にいっとおけん、蒲池さんの言い値でええと私思いよんよ。お百姓も出来るし私の理想の田舎の民家やもん」私の言葉を引き取って和美が嬉しそうに言う。
「そうだよね。お義姉さんが気に入っているのだったらそれが一番よね。家だけ買って、農地は別の所を買うか小作で借りるという方法もあるらしいけど、農地が地続きというのは魅力的よね」横合いから玲香さんが口を挟む。
「ただ古い家なので白蟻の検査と雨漏り、上下水道の水漏れ検査。ここらへんを条件に入れようと思っている」私が言う。
「雨漏りなんか住んでみなきゃわかんないものね」玲香さんが頷く。
「これで義姉さんも念願の野菜作りが出来るわけや。すぐに契約したら、ジャガイモとかキャベツとかレタスとかの春野菜作れるんと違うん。俺も百姓やったことないけんど、年明けくらいが春野菜の植え時期だろう」
「私も何を作ろうかって、今から楽しみなんよ」和美が微笑む。
「上手く話が纏まれば私も嬉しい」玲香さんが言う。「私、今だから言うけどね。仁義義兄さんが徳島へ帰ってくるって聞いた時、ちょっと複雑な心境だったのよ」
 いったい何の為に今更帰ると言い出したのか。実家は弟夫婦に任せた。私はずっと東京暮らしをする。そう公言していた人が何でまた―。色々、良からぬ想像が頭に浮かぶ。疑心暗鬼というやつである。
「そりゃあ、お義兄さんと忠孝は黙っていても分かり合える、何ていうの……、血を……ええっと」言いよどむ。
「血沸き肉躍る!」和美がここぞとばかり助け船を出す。
「そう、それ。血沸き肉躍る兄弟……ん? 違う! 違うでしょう義姉さん!」玲香さん英語を喋らせたらネイティブスピーカーなのだが、こと日本語のボキャブラリーには多少難がある。和美もどっこいどっこいなのだが。
「血肉を分けた―」弟が言う。
「そう、それ。血肉を分けた兄弟だから、何も言わなくても何も聞かなくても、相手の思っていることが分かる。でも私は所詮他人だから」ひょっとしたらこの実家に居座るつもりではなかろうか。永らく家を出ていたとしてもこの家の長男なのだ。それに未だ定年まで間があるというのに退職したというではないか。長年かけて築き上げた私の立位置がぐらつくのではないか。
「私だって嫁姑の問題を簡単にクリアしたわけじゃあないのだからね。ねえお婆ちゃん」玲香さんは笑顔を母に向ける。母はこれまた笑顔で「まあ昔の話じゃけん。頭ボケてしもうて忘っせとるけん。がいな嫁が来たなと最初は思うたけんどな。ほだけんど玲香さんええ嫁でよ」ふむふむと頷く。
 絶対に惚けてはいない。ここらが永年、恩讐を超えて築き上げてきた、嫁姑の阿吽の呼吸というやつか。この二人、当然、かつては言うに言われぬドロドロバトルもあったのだろうが、嫁姑問題など今は完全にクリアしているようだ。
「まあタイムフライズライクアンアローで昔の話だけど。最初から順風……」
「順風満帆!」和美が今度こそはと張り切って言う。合っていた。
「ザッツライト。そうゆうことなのよ。最初からそうゆうわけにはいかなかったの。今じゃあこうやってお義母さんと笑って話せる仲ではあるんだけどね。まあそれはそれとして、私と和美義姉さんは昔から気が合う間柄だから、無茶苦茶心配したってことでもないのだけど」
「帰る前にはっきりと理由を説明しておけば良かった。玲香さんには要らぬ心配をさせたわけだ」私は軽く頭を下げた。
「いやいや。お義兄さんだって長年勤めた会社をクビになったのでしょ」
 あっ、いや、決してクビではないのだけれど。でも、まあ同じようなものかなあ。
「でもお義姉さんから事情を聴いて私のもやもやは直ぐ解消した。お義姉さんが近くに居てくれれば私も楽しいしね」和美に微笑む。「でもお義兄さん、和美さんの為によく決心したわよね」私に顔を向ける。
「ずっと仕事一筋だったろう。子育てだって任せっぱなし。苦労かけた。しかし数十年家族を犠牲にして勤めてきたって、今度のように会社都合のリストラだよね。これからは私が和美の夢を叶えてやらなければ―そう思った。和美の夢を叶えるのが私の夢。そう思った」ちょっと言葉が湿ったかもしれない。
「もうすぐ二人の夢が叶うわけだ」弟が私と和美の顔を半々に見て言った。

        10
 ―受話器を通した蒲池さんの声が心持弾んで聞こえる。
 私が白蟻、雨漏り、上下水の水漏れ検査などと農作物の開始時期等のこちらの条件を提示し、蒲池さんが「わかりました」と確約した後、今後の段取りをどうするかの話になった。
「売買金額も確定いたしましたし、後は契約を結び権利の移転ということになろうかと思いますが、これは司法書士さんにお願いしたいと思います。いかがでしょう」
 私に異存のあろう筈もなく、勿論、了承した。
「私の父が土地を買った時にお世話になった司法書士さんがいます。電話帳で調べたのですが、代は変わっているかもしれませんが、今も事務所はあるみたいです。端月さんがお住いの町からJRで二駅の所です。二人で行くのが筋なのですが、前もってあなたの方で当たっていただければ有難い。地の利ということで―無理を言いますが。私の方からも電話は入れておきます」
「分かりました。善は急げです。明日にでも妻に行かせます。私も今の会社に移ってから間もないので有給休暇はまだありませんし、そうそう休むというわけにも参りませんので」 司法書士さんの電話番号と住所氏名を聞いて受話器を置いた。

 次の日の夜、和美の話に愕然とした。
 買えないのだという。
 和美は昼間、蒲池さんから紹介のあった上村司法書士事務所へ行ってきた。
 上村書士は和美の話を聞き、首を捻ったのだという。
「農地が付属しているのですね。宅地の売り買いに問題は全くないのですが、農地がねえ……」上村司法書士は思案顔で言う。
「どういうことですか」和美は訊いた。
「端月さん。他に農地をお持ちでしょうか?」
 農地を農地として買うには三反(三千㎡=三十アール)所有していなければ買うことが出来ないのだという。書士はすまなそうに言った。
「農地法という法律がありましてね。この場合だと付属する農地が七畝半(七百五十㎡)ありますので、あと二反二畝半(二千二百五十㎡)お持ちなら何の支障も有りません。購入面積を含めて三反(三千㎡)以上でないと農地は農地として買うことが出来ないのです。P市では三反ですが、他の自治体では五反、つまり五十アールが下限面積になっている所が多いです。北海道などはこの下限面積がもっと広くなります。まあ農業でもしていない限り、それと不動産屋さんでもない限り、一般の方は係わりのない法律だとは思いますが」
 
 農地は簡単には転用できない。権利の移転も容易ではない。
所有者なり購入者が勝手に農地を宅地などに転用してしまえば、国内の農地はなくなってしまう。
 農地法の趣旨は国民の食糧の安定供給が目的であり、その為に高いハードルを設け農地は保護されている。
「古い法律なのですが」と、上村司法書士は言った。
「私、野菜を作りたいんです。お百姓をしたいんです。この農地部分を農地として使うつもりなんやけど、それでも駄目なんですか」
「先程も申し上げたように下限面積というのがありまして。全ての農地は農業委員会という所が管理しています。売り買い、転用、全て農業委員会を通して許可を得るというシステムなのです」
「農業委員会―ですか」
「市役所に農業委員会事務局という部署があります。そこへ行って、職員に詳しい話をされることをお勧めします」上村書士は続けた。「それと農業委員会関連の書類提出とか代行手続きなんかは私の仕事の範疇から外れます。行政書士さんの職務となります」もちろん知り合いの行政書士をご紹介は出来ますが、先ずは事務局で話を聞いて来て下さい。それからです。と、上村司法書士は言ったのだった。

 和美は関連ホームページをプリントアウトしたA4用紙を広げる。書士事務所から帰った後、ググッたそうだ。
 妻の説明によると権利移転、農地転用に関しては農地法の三つの条文が絡んでくるのだという。
 第三条が所有権の移転、小作件の設定などで農業委員会の許可がいる。第四条と第五条が農地の転用。この場合は県知事の許可を要するという。四条は自分の農地を宅地などに転用する場合だが、例えば自分の持っている農地に息子の家を建てるなど。五条はこれに権利の移転が伴う。他人が買って家を建てる場合などだ。
 しかし、これも一筋縄ではいかず、他の条文とか法律とか条令が複雑に絡んでくる。
 農振区域など自治体が計画した区域にあれば売買、転用などに制限がかかる。また転用する場合は除外申請というものをするそうだが、知事の転用許可を得るためには一年、長ければ二年もかかる上に、必ずしも許可が下りるとは限らないのだという。
「それじゃあ農地付きの家は買えないということになる。三十アール以上の畑が付いていれば別だが」和美の解説を聞いて考え込んでしまった。
「三反もの土地は要らんわ。広すぎる。それこそトラクターとか大きな農機具が必要になってくるし」和美が思案顔で言った。「とりあえず明日、農業委員会に行こうと思う。話を聞いてくる」
「私も行こう」
「あなた、お休みとれるん?」
「午後なら多分とれると思う。朝、上司に聞いてみる」
「あなたと一緒なら私も心強いわ」和美は少し泣くような顔で笑った。

         11
 三時から早退することが出来た。和美と連絡を取った。和美の話では玲香さんが車で市役所まで送ってくれるという。国道を隔てて市役所の北側にある大きなスーパーに買い物に行く予定だそうだ。
 自宅のコンビニ商品で大方のものは間に合うのだが、こと生鮮食品、鮮魚とか精肉、それと野菜などは週何回かスーパーへ買い出しに行くのだ。
「コンビニの賞味期限切れのお弁当ばかりじゃ飽きちゃうし、味付けが家庭料理に比べるとやはり濃いでしょ。美味しいのは美味しいんだけれどね、毎日は食べられない。それに、ほんとは賞味期限切れの食品は全て廃棄処分しなきゃなんない規定があるのだけれどね。でもねえ、勿体ないじゃない」玲香さんはハンドルを握りながら助手席の和美に話しかける。
「この前、お義姉さんに教わったコンビニ弁当のアレンジ料理。あれ美味しかった。ちょっと手を加えれば家庭の味になる。お義姉さん料理の天才じゃない」
 玲香さんの賞賛に和美はぎこちなく微笑む。これから行く農業委員会のことで頭が一杯なのだろう。
「それにしても農地付きの家は買えないなんてややこしい話だよね。農地は農家でないと買えないということだよね。新しくお百姓をしたいという人なんかどうするんだろう」  
 和美からあらかたの経緯は聞いているらしく、ルームミラー越しに後部座席に座った私の顔を見る。
「司法書士さんの話だと、この地区では三十アールが農業をする場合の最低条件らしい」
「じゃあ義姉さんのように少し大規模な家庭菜園をやりたい人なんかは、土地を持つことも出来ないわけだよねえ。なんか矛盾している」
 玲香さんは憤懣というのでもないだろうが、腑に落ちないという口調だ。私自身も和美も同じ思いなのだ。玲香さんの言うように矛盾を感じるし、腑に落ちない。

 農地法という法律の高尚な趣旨は分かる。日本の食を守るという意義も大いに認める。
 しかし和美は農地を手に入れ、そこで百姓をしたいと言っているのだ。たとえ小規模でも、収穫物が家族、親戚、知り合い、ご近所だけにしか供給できないとしても。だけどそれはごく小さな貢献でしかないが、日本の食を守るという趣旨には合致しているのではないか。
 それとも、穿ち過ぎかもしれないがこうも考えられる。法律は私達を信用してはいないのだ。いくら和美が百姓をします、野菜を作りますと言っても、本当にそれを実行するかどうかを信じていないということなのだ。だから小さな農地に関しては最初から門前払いを喰らわせる。行政にとってもその方が監理しやすい。小さな農地が沢山増えても煩雑さが増すだけだと考えているのか。そこには純粋に百姓をしたいと願う者への労りなど微塵も感じられない。
 昔、ビール醸造に関して聞いたことがある。日本のビールメーカーは大手四社、沖縄を含めれば五社に限定されていた。醸造量に下限値があり、それ以下の醸造量では認可が下りないのだという。対象が少なければ税金も取りやすいし、事務も煩雑さを回避できるわけだ。もちろん現在ではかなり緩和され地ビールなどのメーカーが各地に誕生してはいるが。外国などでは個人が自由にビールを作ることが出来るそうだ。地ビールならぬ自ビールだ。
 農地に関してもこれと同じことがいえるのではないか。大規模農家だけに限定すれば税金もかけやすいし、事務面でも効率化が可能だ。だから三十アール以上というくくりを設ける。それ以下の農地は「駄目ですよ。あなたは農業する資格がありません」と、なる。
 しかし現状はどうだろう。田舎に帰ってよく分かったのだが、P市内でも少し郊外部に行けば耕作放棄地がやたら目につく。
 作物を全く作っていなくても、年何回か除草の為に耕している土地はまだいい。
 下草が生え放題で、大人の身長程になっている畑がいたるところにあるのだ。酷い土地になると雑草ばかりか、灌木が生え放題という畑すら見受けられるのだ。
 そんなことを考え、そんなことを三人で喋っているうちに、車は市庁舎の来客用駐車場に滑り込んだ。
「すみませんでした。助かりました」私は運転席の玲香さんに頭を下げた。JRを利用すれば僅か二駅だが、待ち時間等を考慮するとこんなに短時間で来ることは難しい。
「ユアウエルカム、ノウプロブレム」チッチッと舌を鳴らしながら、左手の人差し指を立て顔の前で振る。普通の、しかも、もう若くはない女性がこれをやれば何かのギャグかと思って吹き出すところなのだが、玲香さんがやると様になっている。
「一階のエントランスに案内嬢が居るはず。私の買い物が早く終われば、この駐車場で待っているから」言い残し車を発進させた。

        12
 農業委員会事務局は四階建ての庁舎本館ではなく、駐車場を挟んだ東側の二階建ての別館にあった。本庁舎とは二階部分からの渡り廊下で繋がっている。
 南側半分が議会棟となっており、北側は農業振興課、林業課、商工観光課、上下水道課などが同居している。農業委員会は一階だと案内嬢は教えてくれた。
 玄関を入った正面が農業振興課。左側が林業課。右が農業委員会。それぞれプラスチック製の看板が天井から吊り下げられている。農業振興課と農業委員会の執務室はパーテーションで仕切られている。
 委員会の執務室は奥に向かって、向かい合わせに事務机が四つ並べられ、全ての机上にはパソコン端末が見える。
 一番奥まった所に大きな机があり、その机では年配の男が後ろの窓を背景にカウンターに顔を向ける位置で座っている。机の上には事務局長と書かれたプレートが見える。
 カウンターに一番近い席に眼鏡をかけた丸顔の若い男が座って端末のキーボードを叩いていた。
 若い女性がひとり、奥のコピー機の横に立ち、何やら書類を作りながら年配の男の指示を仰いでいるようだ。
 カウンターの前にはパイプ椅子が五脚程置かれているが、先客はないようで、今はその椅子の全てが空いていた。
 来意を告げると、若い眼鏡の男はキャスター付きの事務椅子に乗ったまま、「ピューー」という感じでスピードに乗って、器用に椅子をカウンター前まで転がしてきた。スゴク速い。停止も見事だ。
 パイプ椅子を右手で示し、お掛け下さいと私達を促す。
 経緯を説明すると、私が持参した蒲池さんの土地の住所番地と面積を書いたメモを摘み上げ首を捻る。
「宅地部分が約四百五十㎡、農地が七百五十㎡。で、両方を一括で購入したいということですね」私の顔を見る。
「農地を農地としては買うことが出来ないと書士さんの事務所で言われました」私が言うと「そうなんですよね。農地法では下限面積というのがありまして、各自治体で違うのですが、この市では三反、三十アール、つまり三千㎡になっているのです」
「私野菜を作りたいんです。前々からの夢だったんよ」和美が横から口を挟む。「やっと昔からの夢が実現すると思うとったのに……」
「家庭菜園ですか。それにしちゃー広すぎる」若い男は和美に視線を移す。
「丁度いい広さなんよ。一部には果樹を植えます。残った土地を交代で半分ずつ使います」和美の声が思わず大きくなる。
 奥まった机の局長がこちらに目を向ける。
「無農薬、有機栽培がしたいんよ。ほなけん、一回使用した部分は一年間休耕する。土地本来の力で野菜を育てたいんよ」昔からの夢なので妻は妻なりに勉強・研究をしていたのだろう。声に力が入る。また局長がこちらを見た。首を傾げている。
「私買った農地で農業をしたいと思いよんやけど、それでも農地として買えんのえ?」和美の声が更に大きくなる。局長が顔をあげこちらを窺う。
「私たちは農地付きの家という事で、魅力を感じて購入を考えたのですが……」私は言う。
「ほんまに気に入っとうけん。なんか良い方法無いんえ?」和美が言葉をかぶせる。声が更に高くなる。局長がマジ見をしている。
「そういわれましても……」和美の迫力に、若い職員は困った顔をする。
 局長も和美の声にこちらを凝視している。
「当市では農地法にのっとりましてですね、下限面積が決まっていまして……」
「ほなけん、方法ないんえってきいてるんです!」和美の声はさらに高くなる。
 局長は暫し考える仕草をし、やがて意を決したという風情で椅子からおもむろに立ち上がる。私達の方に歩み寄る。
 全体的にずんぐりとした体形で、齢は私と変わらないだろう。カウンター越しに私の顔を見下ろしながら言う。
「端月さんと違う?」立ったままで上から私を見下ろす。言葉を続ける。
「ああ、やっぱり端月さんでしょう。私サネダイラです。高校で同級だったサネダイラリョウイチです」首からぶら下げたネームカードを指で摘み上げ、私の目の前に翳す。
 ネームカードには實平良一と書かれ「實平」の部分に「さねだいら」と小さな活字でルビが振られていた。「えっとぶりやけん覚えてないかなあ」實平局長は丸い顔に唇の端を吊り上げるような笑みを浮かべる。
 私は「……はあ?」と、曖昧な返事を返し相手の顔を見る。
 大急ぎで記憶のポケットの中に手を突っ込み、目当てのものを取り出そうとする。だが、指先には何も引っかからない。必死で思い出そうとする。
 この「實平」という比較的珍しい名には何かしら記憶があるようには思ったのだが。しかし、この實平良一局長の顔は高校時代と繋がらないのだ。
「三十年以上前ですから無理もないかなあ。端月さん大学時代からずっと東京だったしねえ」實平局長は残念そうに言い「汽車通学でも一緒でした。覚えていません? 私は端月さんよりひと駅手前でしたけれど」
 徳島県では電車通学とは言わない。電車は走っていない。鉄道はJRがあるのだが電化されていない。沖縄と並んで電車が走っていない県なのだ。もっとも今は沖縄にはモノレールがある。これを電車だとすると、徳島県は日本で唯一、電車のない県となるのだ。
 實平さんにそう言われても思い出せなかった。その当時親しければ、この時点で記憶の糸口なり見つかる筈なのだが。
「そうそう、あのこと覚えていませんかねえ。九人ぐらいだったかなあ。三年生の夏休みに高校最後の思い出にと一泊二日で剣山へ登ったでしょう」言葉を切り私の顔を窺う。
 高校三年の夏休み。仲間と剣山登山をしたことは覚えていた。―と、いうか實平局長の言葉で遠い記憶が頭に甦った。ただ、今一度、實平さんの顔を見返しても彼は当時と繋がらないのだ。
 黙って私の返答を待っていた實平局長は、ややあってしびれを切らしたように口を開く。
「これ言っていいのかなあ。この名を出せば絶対思い出すと思うのですが」と、言いながら和美の顔に視線を移す。
 言っていいのかなあと言っておいて、和美の顔に視線をおいたま、薄い笑いを口元に浮かべ、躊躇するでもなく女性の名前を大きな声で言う。「中倉涼子覚えてない?」
 その名は直ぐに私の脳裏に浮かんだ。当時の中倉涼子の顔も甦る。甘さと苦さが混ざり合った遠い記憶が私の胸に去来する。私はそれらの思いを振り払い言葉を発する。
「ああ、確か……」私は暫し時間をおき、首を捻りながら實平さんを見る。「中倉さんと中学校の時から同級だった實平さん……?」
 そうは言ったものの、未だに實平さんの記憶は頭の中に薄霧がかかったように曖昧模糊としている。しかし、ここで昔話に花を咲かせるつもりもないし、そんな余裕もない。局長が発した中倉涼子という名前と汽車通学の乗降駅から連想し思い出した振りをした。
 今晩にでも実家へ行って当時の卒業アルバムを繰ってみるつもりだ。そうすればあやふやな實平さんに関する記憶もなんとか蘇えるかもしれない。實平さんが言った剣山登山の懐かしい写真も探せばある筈だ。
 横の和美が両目に?マークを張り付けたような顔で私を見る。このクエッションマークが實平局長に向けたものか、彼の口から出た「中倉涼子」という女性の名前に対するものかは分からなかったが。
 實平局長は私の言葉にやっと納得したのか「彼は私の高校の同級生でね。この場は私が―。君さっきのあれやっといて」眼鏡の若い職員に言う。若い職員は事務椅子に乗ったまま、すごいスピードで、器用に自分の机へ移動する。
 少しは歩かなきゃあ運動不足になるのじゃないかと、他人ごとながら心配するほど彼のテレポーテーションは職人技の域に達している。

 實平局長に変わった。また一から説明しなければならない。若い職員と先程したのと同じやりとりを重ねた。
 實平局長は私が持参したメモを手に取る。「えっ、蒲池邸―」一瞬、眼球が左右に動いた―ような気がした。
「ん? ご存知ですか」私は聞いた。
「いえ、……あの……。知りません。持ち主の名前は蒲池さんですね」慌てたように言う。
 實平局長は先程コピー機の前で書類を作っていた女性職員にメモの住所を読み上げ「図面出して」と指示する。
 図面を一目見て「端月君―」と言う。さんが君になっていた。「やはり三条では無理だなあ」
「何か方法はないんえ?」和美が聞く。
「奥さんですか?」私と和美の顔を半々に見て言う。言わずもがなだろう。唇の端を吊り上げる妙な笑い。「綺麗な奥さんですね。端月君」それはこの際関係ないだろう。世辞は要らん。
「市内には同じ様な物件はいっぱいありますからね。他の物件を見つけ、農地は他の所を借りるという方法もあるのですが」實平局長はニヤニヤ笑いを浮かべた顔で、和美の顔を窺いながら、考え考え言う。
「私ここが気に入ったんよ。地続きの畑も附(つ)いとうし、私の理想の田舎の家やけん」和美は声を大きくして言う。
「そうですか―」實平局長は何故か残念そうな顔で首を捻る。ややあって言う。「この物件でなければというなら五条申請するしかないでしょうね。つまり地目変更及び権利移転です」
「その場合、県知事の許可が必要で、期間も一年以上かかると聞いたのですが。それに許可が下りるかどうかも分からないって―」和美が不安げな顔をする。
「大丈夫です」實平局長は先程、女性職員がプリントアウトした図面をチラッと見て「この地区なら農業委員会の許可で済みます。約一か月、長くて二か月です。受け付けは随時やっていますし、委員会も毎月月末に開催していますが、今月受付分は来月末の審査になります。申し込み時期によっては最長で二か月かかります」
「本当に大丈夫なのですか」私も心配顔で聞く。
「ええ勿論。事務局が―私が、書類を通せば先ず間違いはない」實平局長は「私が」という部分を強調して言った。「私が書類を通して農業委員さんが反対だったことは今までありませんから」ズボンのポケットに左手を突っ込み大きく頷く。
「農業委員さんって、どうゆう方なんえ。市の職員さん?」和美が尋ねる。
「いや。一般の方です。農業をやられている方、農地を所有されている方なのですが、各地区におられましてね。報酬は出ていますが半分はボランティアみたいなものです。まあ、バブルの頃なんかは利権がらみで美味しい話もあったそうですが……。今は土地が動きませんからねえ。ええーっと端月君の地区は……?」暫し首を捻り考え、最後に諦めて、さっきの女子職員に私の地区の農業委員さんの名前を聞き、私に告げる。
 さらに、これは高校の同級生のよしみでアドバイスをするのだがというようなニュアンスを言葉の隅に含ませて局長は言ったのだった。
 農業委員会への手続きは個人でも出来るのだという。
「行政書士さんに頼むのも一つの方法ですが、申請自体は簡単ですから。書士さんに頼めばかなりお金もかかりますしね。端月君ならできますよ」實平局長は気楽な感じで言った。
 ただし、五条申請の場合は農地を宅地とか雑種地に地目変更するわけだから、購入目的として倉庫、駐車場、家族の居宅などとしなければならない。その場合、建物の図面、資金証明などの添付書類が必要だと言う。
「余った土地で奥さんが家庭菜園をする。これ以外に方法はないかと思います。あと今の持ち主―蒲池さんですか―に四条申請をして貰う」
「三条申請は無理だと。農地を農地として買うことは出来ないと」
「そうなりますね」わざとらしく難しい表情を作って尊大に頷く。
「売主さんともよく相談してください。端月君」局長は最初から最後まで立ったままの応対だった。
 私達は今一度、五条申請をした場合の許可が下りる期間が一か月、長くても二か月であるということを確認して農業委員会を出た。
      
         13
 駐車場まで歩く。私は大きく伸びをし、首を回す。和美も疲労の滲んだ顔をして黙って歩く。
 風が強く吹いていた。西空は雲量を増し、雲の隙間からはほとんど沈んだ夕陽の名残りが漏れていた。天気予報通り明日は雨になるのだろうか。
 アパートで和美だけを降ろして貰い、私は玲香さんの車で実家へ行った。
 玲香さんには道すがらあらかたの経緯は話したのだが、弟と母にも話しておこうと思った。今後どうするか彼らの意見も聞きたい。
 それともうひとつの目的は、アルバムにより實平局長を確定すること。
 彼が言っていた高校最後の夏の登山。一緒に登った人数は實平さんが言ったように、中倉涼子を含めた女四人、私を含め男が五人だったことは覚えている。―というか、彼の言葉で記憶が甦った。受験勉強の息抜きに仲の良い仲間で剣山登山しようということになった。中倉涼子が企画して私に持ちかけた。
「高校生活最後の夏だからね。ジン君、男の子四、五人集めてよ。私は女子を集めるから」涼子は私を当時のニックネームで呼び、そう言った。
 剣山は徳島県西南部の四国山脈中にあり、標高千九百五十五メートルの徳島県最高峰で、西日本では一番高い愛媛県の石鎚山に続く高さなのだが、比較的登りやすい山として知られている。
 涼子からの提案を受け、確か私は気心の知れた男の子数人を誘ったのだった。だから記憶を手繰り寄せればその時のメンバーの名前と顔は今も甦るのだ。
 ただ、實平さんは私の親しい友人ではなかった。ということは涼子の方のメンバーで登山に参加したのだろう。
 實平さんの口から「剣山登山」「中倉涼子」という言葉が出た時『中倉さんと中学校の時から同級だった實平さん』と私が彼に言ったのは、それらの話と汽車通学の乗降駅などの彼が発した情報から推測したのだった。中倉涼子も汽車通学だった。そして乗降駅は實平さんが言った駅だった。
 中倉涼子と付き合うようになってから、十数分だったが列車の中で話したり、ある時はふざけ合ったり、時には喧嘩もしたり、そんな通学時間を二年生の夏から高校卒業まで過ごしたのだった。
 卒業アルバムと高校時代の写真はすぐに見つけることが出来た。私が高校卒業まで使っていた二階の部屋に、弟夫婦の二人の娘の残していった物と一緒に綺麗に整頓されていた。
 先ず卒業アルバムを開く。見開きに校舎のカラー写真を背景に達筆の筆文字で書かれた校歌が印刷されている。
 高校時代はほとんど歌ったことはなかったのだが、今でもメロディーは覚えていた。
 頭の中に校歌が流れる。メロディーと一緒になって四十年近く昔の数々の思い出も流れる。
 實平さんの顔を確認するという当初の目的も何処へやら、私は懐かしさに浸りながらゆっくりとアルバムを繰っていた。
 三年一組から、あいうえお順に胸から上のモノクロームの顔写真が並んでいる。
 当時親しかった顔がある。部活の仲間。遊び仲間。そして少しだけ憧れを抱いた女の子。告白(こく)られた女の子。記憶が次から次へと甦る。
 クラスは一学年十クラス。私は二年生の時から十組だった。
 この高校では二年生の時に受験を目的としたクラス編成を行った。成績優秀者で理科系が十組。文科系が九組という編成だった。勿論、本人の希望優先。このクラスに入りたくない者は入らなくても良かったのだが。
 私は工学部を目指していたので十組に入った。
 中倉涼子と同じクラスになった。当時は今と違って理科系を選ぶ女性は多くはなかった。
 彼女のことは入学当初から知っていた。話したことなどなかったが、通学途上でよく見かけたし、だいいち美人だった。
 その一点だけを採っても美人だといえる透き通るような色白の肌。肩口まで伸ばした艶やかな黒髪。華奢といっていい位ほっそりした小柄な体。かといって、おとなしいとか頼りないという言葉は当たらない。どちらかというと明るくて活発な印象が勝っていた。少し上がり気味の目尻が物事に対しはっきりと対処する。そんなキリッとした佇まいを垣間見せる娘だった。
 ただ、時おり見せる何処か遠くを見るような焦点の定まらぬ眼差しが、その美しさと相まって、私は彼女に対しミステリアスな印象すら抱いていた。
「兄貴、何やっとん?」弟が入って来た。今しがたコンビニの仕事を上がったのか制服のままだ。
私の横に座り込み、私が広げたアルバムを覗き込む。
「あっ、これ兄貴の高校の時の彼女。涼子ちゃん」彼女の顔写真を見て言う。
 弟も私が彼女と付き合っていた頃、数回顔を会せたことがある。彼が中学生の時だ。
「可愛かったよなあ。俺兄貴が羨ましかった。俺もこんな彼女欲しいなーって思った。それを三年足らずで振られてしもうて」少し複雑な表情で彼女の写真を懐かしげに見る。
 涼子が涙を流しながら私に別れを告げたあの時のシーンが甦る。
 涼子と付き合った三年弱。
 涼子の言葉が、彼女の美しい顔が、彼女の肌の温もりが、彼女の匂いが、全てのことが懐かしく、そして遠い痛みとともに心の片隅に甦る。

 弟が口を開く「それはそうと、なんか土地のことややこしい話になっとんやってなあ」玲香さんに聞いたらしい。「俺すぐに買えるもんと思うとった。ほだけんど農地はなかなか買えんのやってなあ。そんなん知らんかった。ほんま面倒くさいこっちゃ」
「いや、それで農業委員会へ行ってきたのだが、事務局長が言うには、農地を農地として買うのはどうも無理らしい」
「ほんで、古いアルバム引っ張り出して、何しよん。それと何か関係あるん」
 先程の農業委員会での出来事を話した。
 急いで本来の目的遂行のためアルバムのページを十組から逆に繰る。
 實平良一の写真は七組のページにあった。昼間の顔を思い出す。確かに面影は残っていた。ただ自分と實平のその当時のエピソードは思い浮かばない。
 三年間を通じクラスは一回も一緒にならなかった。部活も違う。何回か話した記憶は甦る。でもそんな込み入った話などすることもなかった。通りいっぺんの薄っぺらいどうでもいい会話だったのだろう。そんなことを思い出した。彼とは多分、中倉涼子を接点にしたものだったのだろう。

 母親と弟に今日の経緯を話し、考えておいてと言い残し、卒業アルバムと高校時代のスナップ写真を纏めたアルバムを持ち実家を辞した。
 北風は強くなり、かなり冷え込んできた。足を速めた。

愛ターン 友ターン 

執筆の狙い

作者 u

以前書いた300枚中編エンタメです。字数の関係で第一章と第二章の一部up。
今回読み直してみて、つたない部分・書き癖などが目立ちます。
基本――主人公視点1人称。ところどころ3人称的。こういう特殊な描きかた読みにくくないかどうか?
文は下手です。ご意見いただければ幸いです。よろ

コメント

ちょびひげ

途中までの掲載とのことなので、あくまでここまでを読んでの感想です。
終盤になってようやく物語が動き出す気配になりますが、前半部分が謎です。
伏線らしき部分もないので、果たして必要だったのかと疑問です。
池波さんは後半、がっつり絡んでくるのでしょうか。
結構な字数を割いて、彼の性格付けを行なっているのでたぶんそうなんだと思いますが、
徳島に来させる為だけの役回りだったとしたら長すぎる。
掲載された分だけでは、いい人達しか出てこない退屈な物語という感想です(スミマセン)

上松 煌

uさま、こんにちは
 
 拝見しました。
あなたの、これとほとんど同内容の作品を、おれはごはんに来た当初読んだ印象があります。
たしか、妻の希望で故郷に戻った主人公の、今は市やクソの職員となった元友人が恋敵であったため、農地の移譲手続きがなかなか進まない、といった内容だった記憶があります。
このテーマは「端月」さん、あなたの見果てぬ夢なのですね。

 では、先ず「題名」から見て行きましょう。
これはエンタメということでしたので、印象に残る好題名でした。
また、なんとなくほっこりする内容を彷彿としますね。
絵で言えば「水彩画」。
善人ばかりが登場する、こういう人生なら生きてみたい、と思わせる善性に満ちたいい作品です。

 ただ、エンタメにしては盛り上がりがなく、徳島の風土・風景・人柄、またそれに付随する人間関係等、全体に平板すぎるのです。
せっかくのいいキャラ「池波」の人となりを紹介する、大いにリキ入れて描かなくてはいけない現場の親方との絡み。
営業らしい口八兆手八兆の魅惑な関西弁を駆使して、大胆不敵に親方を煙に巻き、味方に引き込む素晴らしいエンタティメント場面なのに、会話が堅過ぎて楽しくない。

 また、後半。
宅建の教科書のような記述が続き、「う~ん」と頭を抱えてしまう。
法規的・事務的な部分はできるだけ簡略にすべきで、それに紙面を割いてはいけません。
読者は不動産屋の事務員ではないのです。
農地取得の困難さを描くなら、それらしいエピや会話で話を進めないと、漢字だらけのクソ難しい「お堅い文章」の羅列ではページをめくるのはもはや困難です。

 あなたは真面目で理屈に強い、頭のいい人なのでしょう。
しかしながら、いや、それだからこそ、今のままではエンタメには向いていない。
風景や人の気持ちに事細かに触れた、抒情的でもの柔らかな作品こそあなたの真骨頂と思えます。
あなたの心に残る徳島の風土を紹介する文章を書いてみてはいかがでしょう?

 小説は自分自身から抗いようもなく噴出する自分自身です。
その抑えがたい衝動を文字にしてこそ、人様の琴線に触れるのです。
あなたにしかないものの見方、感じ方、解釈を文字にして欲しい。
 

はるか

 uさま

 拝読しました。
 出だしのところで突っかかりました。

> 絵文字に関しても、五十を過ぎてそれはないだろうと、常に言っている池波さんだ。その彼が絵文字を添付するということは、いつもの茶目っ気たっぷりの悪だくみを思いついたか。無論、彼はそれをサプライズですと満面の笑みで茶化すのだが。それとも純粋に、哀れな早期退職者の私を労ってくれるつもりなのか。←A
 早々に仕事を切り上げ、社を出た。得意先への挨拶回り、後任部長への引継ぎ等もあらかた終えた今、仕事らしい仕事はほとんどない。後は退職を待つのみの日々である。【社内での送別会も今日までに二回ほど開いてくれていた。】←B

 Aでは、池波さんについて書かれています。Bでは、語り手について書かれています。しかし、Bの最後の一文だけ、語り手についてではなく、池波さん等送り出す側について書かれているようです。なので、つまづいてしまいました。行替えの切り分けが、適切でないように感じた次第です。最後の一文を、

 社内での送別会も今日までに二回ほど開いてもらっていた。

 と、語り手サイドの表記に訂正すれば済む話だと思われます。下読みさんや編集さん、その他の読者の気力を削がないためにも、冒頭には十分な注意を払われるとよいかと思われます。

>四時過ぎに勢いよく降った雨も今はあがっているが、夕方とはいえ夏の気温は未だ下がらず、焼けたアスファルトは湿気を伴った雨の匂いを放出し、容赦なく道行く人に投げつけていた。

 一文に情報を詰め込みすぎて、それが処理しきれていない印象を受けます。雨が、という主語と、気温は、という主語と、アスファルトは、という主語が登場しますが、それは問題ないと思います、各単文としての主述はきちんと整合しているので。このセンテンスを読みづらくしているのは不要な情報です。例えば、四時過ぎに、ですが、この情報ってインテグラルでしょうか、勢いよく降った雨も今はあがっているが、だけじゃ駄目でしょうか? 湿気を伴った雨の匂いを、っていかがなものでしょうか、雨が湿気を帯びているのは当たり前なので、雨の匂いを、だけでよいのでは? あるいは、雨がもたらした湿気を、とするなら、それもありかと思われます。文体とは、と、かもみーさんが語っておられました。軽重やリズムの選択のみならず、何を書き、何を書かないか、という選択でもあると。無駄を省くと読みやすい文章になるかと思われます。

 勢いよく降っていた雨も今はあがっているが、夕方とはいえ、夏の気温は未だに下がらず、焼けたアスファルトは雨のもたらした湿気をふわりと放ち、道行く人を不快な気持ちにさせていた。

 とか、そんなふうに。これで読みやすくなるし、意味合いも特に損ねていないのでは?

 というような、文章に関する指摘はこのくらいにしておきましょう、長くなってしまいそうなので。とはいえ、感想欄における互いの指摘は、互いのためのみならず、感想欄に目を通されるすべての方のためのものでもあり、uさんからのご要望ないしはお許しがあれば、後日また改めて、テキストを細かく検証してゆくこともやぶさかではありません。エンタメには、純文学に比べて、なおよりいっそうの「読みやすさ」が要求されると思うので、わかりやすい文章を紡ぐことは必須であるかと思われます。美文を目指さないまでも、読みやすい文章を、エンタメも、いえ、エンタメこそ目指さなくてはいけないと思います。ともあれ今回は、文章以外の点、アイディアやストーリーや構成やテーマについての感想を述べるべく、読みづらさは我慢して、話そのものを追ってみたいと思います。

 メインな登場人物のもの以外にも、たくさん人名が出てくるのですが、誰がだれやらよくわからなくなってしまいます、各人に、印象的なエピソードが、ニックネームのごとき端的さで、歯切れよく冠せられているとよいかと思われました。
 いっぽうで、人ではない、地域だとか、説明で事足りる部分の筆は見事であるな、と感嘆いたしました。例えば、このあたり。

> 徳島県P市は合併特例法による「平成の大合併」で一市、三町、一村が合併した人口五万弱の街である。
 人口の割には領域面積がかなり広い。市内を横断するJRの駅も十二駅を数えた。街といえるのは中央部を占める旧市のみで、商業施設、公官庁等はここに集中していた。領域の北側には一級河川が流れ、南は四国山脈が迫った東西に長い市である。

 端的で、しかし十分にわかりやすく、しかも読みやすい文章であります、美しくさえあります。

 さらに、このあたり。

> 細い道路から、宅地の入り口の門扉に続く飛び石を敷いた長さ六メートル、幅三メートルほどの小路があり、門扉の上には門かぶりの松というのだろうか、斜めに傾いだ松の木が見えていた。
 土地は北を上にして見れば左右が逆のL字型で、逆L字の上部分が宅地、下部分が農地。
 その農地の西側部分と、門扉へと続く宅地への進入アプローチが、南北に走る狭い道路に接している。道路に接した農地の一部にコンクリートを打った部分があり、農地を切り取っていた。駐車場だろう。普通車なら四台くらい駐車可能だろうか。
 畑は宅地部分の倍位はあるだろうか、かなり広い。月明かりに透かし見ると、弟が言っていたように大根、白菜、ほうれん草、葱等の冬野菜が作付けられているようだった。

 美文ですよね、相当な。こんな文章が書けるのに、なぜ違う箇所ではよろしくない文章になってしまうのか理解に苦しみます。地形のあらましとか、宅地のあらましとか、そういった図面的なものの書き方が非常に卓越していると感じました。

 つづきます。

はるか

 uさま

 つづきました。

 また、以下の箇所、史実を織り混ぜた硬質な文章。引用が長くなってしまいますが、

>『俺は兵隊としては人を殺さなかった。しかし、商社の社員として軍へ軍事物資を納めていたのだから、間接的にはやはり人を殺したことになる。自分は戦場へは出ずに戦争に加担していたのだから、かえってたちが悪い』そう言ったのだという。
 軍に出入りしていた関係で、日本が戦争に負けること、ソ連が攻めて来るとの情報は速かったらしい。
「当時、私は三歳でその時のことは全く覚えてはいないのですが、後になって人から聞いたり、本を読んだりして知りました」蒲池さんは言う。
 ソ連が日本との条約を破り、満州に侵攻したのが昭和二十年八月九日。終戦の玉音放送が八月十五日だった。
 蒲池さんの父親がこの情報を入手したのは終戦前―おそらく九日から十四日の間ではなかったろうか。―というのも、蒲池さんたち家族が満州から脱出したのは終戦前だったか、終戦直後だったろうとのことである。軍が第一次の帰還列車を準備したのであった。

 というのも、蒲池さんたち家族が満州から脱出したのは終戦前だったか、終戦直後だったろうとのことである、と、そこだけ少しひっかかりましたが、全般を通して、素晴らしい文章であるな、と感じました。硬質な文章がお得意なのでありましょうか、このタイプの筆で一作書き下ろしてしまう、という手もあるでしょうか。この文章なら、長くても私、一気に読んでしまいそうです。すみません、また文章についての感想になってしまいました。

>「そりゃあ、お義兄さんと忠孝は黙っていても分かり合える、何ていうの……、血を……ええっと」言いよどむ。
「血沸き肉躍る!」和美がここぞとばかり助け船を出す。
「そう、それ。血沸き肉躍る兄弟……ん? 違う! 違うでしょう義姉さん!」玲香さん英語を喋らせたらネイティブスピーカーなのだが、こと日本語のボキャブラリーには多少難がある。和美もどっこいどっこいなのだが。
「血肉を分けた―」弟が言う。
「そう、それ。血肉を分けた兄弟だから

 ここ、笑えました。これだけの文字数を費やして、丁寧に、こういうボケ、すごいですね、独特な面白さが滲み出て、センスいいな、と感じました。

 さて、テーマですが、これはわかりません。三百枚の冒頭部分だけですから。けれども今回のこの感じで話が進むなら、三百枚はちょっと読めないかもしれません。冗長だし、散漫に思えるのです、話が。例えば、前半の食べ物についてのくだりも、半ばの方言をめぐるくだりも、冗長かと、しつこいかと。退屈だ、という印象を読み手に与えてしまいそうです。エンタメは、はらはらでも、どきどきでも、わくわくでも、いらいらでも、むずむずでも、なんでもいいけど、なんらかの刺激を読み手に与えてページを「めくらせて」ゆかなくてはなりません。先を「むさぼらせ」てナンボかと思われます。読み手に努力や忍耐を強いるエンタメっていかがなものか、と。情報を八割カットしちゃいましょう。二割じゃないです、八割です、八割カットしてそれで三百枚です。その塩梅を意識するくらいでむしろ妥当です、この筆なら、たぶんそうです。そして、情報をまびいたのちに、それらを整理しましょう、整理してこそ伏線とかの活きる余地が生まれてくるのです。少ない情報を、もっとうねらしましょう。うねうねと、ひっくりかえしたり、もんどりうたせたりしましょう。そうすると読み手は、はらはらしますし、わくわくするかもしれませんし、あるいは、やきもきするかもしれませんが、少なくとも退屈にはなりません。

 アイディア、これについてもピンと来ませんでした。ストーリーについていうと散漫な印象。重層的なストーリーというよりも、五月雨式なストーリー、という印象でした。構成も、全体像が掴めないので現状では断言できませんが、やはり印象としては、散漫かと。

 一人称のパートと三人称よりのパート、これは、しっかり切り分けられている範囲においては効果的かと。
 三人称、で、思ったのですが、直観ですが、書き手さんは、構造的なものを書く筆に光るものをお持ちのようなので、あるいは、向いているのは、三人称神視点客観型なのではないか、と思いました。憑依型の書き手さんではないように感じるので、一人称や、三人称一元視点ではなく、神視点、しかも、雲の上に書き手さんが鎮座ましますところの、神視点での客観型こそ、書き手さんの真価を発揮しうる執筆法なのではないかと推考いたしました、間違っているかもしれませんが。

 あるいはですよ、今書きたいと思われているそれをですね、十枚におさめる練習をされる、っていうのも得策なのではないかと。シェイプされた表現を身に付けるためにも、敢えて短い枚数に制限した執筆を己に課す、みたいなことが、あるいは効果的なのでは、なんていうふうにも感じました。十枚で書ききったものを、百枚に、あるいは三百枚に太らせてゆく、というやり方、ありなんじゃないでしょうか。

 以上、なんだか上目線な感じの、わかったような感想を失礼いたしました。

九丸(ひさまる)

拝読しました。

時折入る、主人公のやわらかいツッコミや、キャラの掛け合いが好きです。

徳島県には思い入れがあります。よく行ったし、最近も行きました。余談ですが、徳島には良いバーがある。
それに加え、僕の仕事が農地関係なので、話が徳島に入ってからは、分かる、分かると頷くばかりでした。

個人的になのですが、それぞれキャラが立っていて、登場人物も多いので、一見流れ的には関係ないのかなと思いながらも片隅に残しておかなければならず、その数が多いと、読み進めるうちに僕の頭ではキャパオーバーになってしまいました。でも、これからの展開で驚きがあるのだろうとの期待感もあります。

まだ話の序盤なので、メインがつかめていませんが、徳島から始めても、なんて思ったりもしました。いきなりではなくても、もう少し早くとか。

わがままですが、もうちょい見えるところまで投稿してくれると、いろいろ腑に落ちるのかなと。要は続きが気になります。

下調べは前作も含めて、感心するばかりです。これからも農地が絡むとは思いますが、裏技使うのか正攻法でいくのか。これは仕事がら大変興味あります。鶴の一声でどうにでもなる場合があるんですよねえ。時々不条理を感じるのです。
最後は愚痴です笑

それでは失礼します。

u

ちょびひげ様 お読みいただきありがとうございます。

>池波さんは後半、がっつり絡んでくるのでしょうか。
スミマセン。池波さんあくまでもサブキャラです。ほとんど絡みません。
イントロ部分のナビゲーターとして登場していただきました。勿論ラス前に再登場はします。

本作、夏→秋→冬→春(春)→夏という全6章の構成にしています。
第2章秋からのナビは農業委員会若手職員が努めます。

>前半部分が謎です。伏線らしき部分もないので、果たして必要だったのかと疑問です。
確かに。このイントロ部分少し冗長だったかもしれませんww。

>掲載された分だけでは、いい人達しか出てこない退屈な物語という感想です
全体で約10万文字。掲載分は3千600文字くらいです。
話はこれから動きます。良い人ばかりの話じゃないですけどネ(笑
退屈な物語スミマセンww。

ちょびひげ様 感想いただきありがとうございました。
続きあげるかもしんないので、またお読みくだされば幸甚です。

u

上松煌さま およみいただきありがとうございます。

>あなたの、これとほとんど同内容の作品を、おれはごはんに来た当初読んだ印象があります。
あたしの記憶が正しければ一昨年の夏頃にUPした『彼女が死んだ夏』約50枚のミステリー。端月名義じゃなく卯月名義だったと思いますwww。
公募用に書いたもの(プロトタイプ)をあげました。本作の設定をそのまま使用して短いものを書けないかと思い、ミステリイー仕立てにしました。
従いまして『彼女が死んだ夏』と本作では結末、登場人物の役割も違います。

タイトルお褒め頂きありがとうございます。
最初「Uターン・Iターン+サブタイトル」ってな感じだったんですが、変更いたしました。

>善人ばかりが登場する、こういう人生なら生きてみたい、と思わせる善性に満ちたいい作品です。
マア、本作良い人ばかりではないのですが、その悪者も根っからのワルじゃなく、ある事情から……ミタイナ設定です。本来は彼も仰せの通り善人ww。

>エンタメにしては盛り上がりがなく平たん過ぎる
>法規的・事務的な部分はできるだけ簡略にすべきで、それに紙面を割いてはいけません。読者は不動産屋の事務員ではないのです。農地取得の困難さを描くなら、それらしいエピや会話で話を進めないと、漢字だらけのクソ難しい「お堅い文章」の羅列ではページをめくるのはもはや困難です。
プロローグ部分だらだら書き過ぎましたでしょうか?
法規的事務的――あたしの知ってること・調べたことetc半分ほど使いました。これでも読者様わかってくれるだろーか? なんて思っていましたが、上松さんのご指摘のように違ったアプローチがあったかもネ。教科書じゃないんだから(笑。
>風景や人の気持ちに事細かに触れた、抒情的でもの柔らかな作品こそあなたの真骨頂と思えます。>あなたの心に残る徳島の風土を紹介する文章を書いてみてはいかがでしょう?
エンタメ向いてないんかなー? 大好きなんですけどね。
ハイ仰せのような抒情的でもの柔らかな作品も描いてみたいと思います。

ありがとうございました。

u

ちょびひげ様 スミマセン。訂正です。
>全体で約10万文字。掲載分は3千600文字くらいです
訂正3万6千文字。多分原稿用紙100枚弱くらいですねん。
ゴメンナサイ。

u

はるか様 お読みいただきありがとうございます。

>社内での送別会も今日までに二回ほど開いてくれていた。→社内での送別会も今日までに二回ほど開いてもらっていた。
小さな部分ではありますが、なるほど納得です。

四時過ぎに勢いよく降った雨も今はあがっているが、夕方とはいえ~~
↑ハイ仰せの通り詰め込み過ぎかもです。
ホンマにはるかさんのこういった指摘はあたしにとって為になるのです。

>何を書き、何を書かないか、という選択でもあると。無駄を省くと読みやすい文章になるかと思われます。
そうですよね。はるかさんのように添削文まであげていただきますと、いかなアホのあたしでも良くわかりますし、勉強になります。

おっしゃる通り冒頭部分は大事ですよね。

メインキャスト以外にもサブキャラ多すぎますかね?
ほとんどの人物は登場済みなのですがメインキャストがあと2名。サブがあと2名登場します。うーん?多すぎるか(笑。

お褒め頂いた部分も(疑心暗鬼!ゴメン)チョット安心www。

P市の説明文はともかく、主人公が購入しようとしている「蒲池邸」――宅地と畑、進入路、市道との位置関係などは話がすすむにつれ重要なファクターになるので、かなり気合を入れて描いたのですが、読者様にわかるだろうか? 絵が浮かぶだろうか? ナンテ心配していました。

蒲池さんの家族が満州から脱出するエピ。実は本作では蒲池氏の父親が過去話で絡んでくる設定となっています。

余談ですが過去にこの部分を使って50枚ほどの短編をかいています。(全く違う話なんですが)


ギャグ笑っていただいてありがとうございます。

>三百枚はちょっと読めないかもしれません。冗長だし、散漫に思える
うーん、そうかもしれませんね。構成力もマダマダかも。削るということも大事かもです。

>三人称神視点客観型
1人称3人称どちらも書きますが、3人称で神視点―俯瞰した視点。これはかいたことないなー。

>十枚で書ききったものを、百枚に、あるいは三百枚に太らせてゆく、というやり方、ありなんじゃないでしょうか。
実はあたしシナリオも書いていまして、その場合自作のショートショート(10枚~30枚)を原作に使って、二時間ほどのドラマに太らせています。

あと
>後日また改めて、テキストを細かく検証してゆくこともやぶさかではありません
↑ぜひぜひ、お手数でなければお願いいたします。とても勉強になりますので。

次回続きをUPするかもしれません。読めねーよ!とかいわずにどうかよろしく(笑

はるか様ありがとうございました。

u

九丸(ひさまる)様 お読みいただきありがとうございます。

>徳島には良いバーがある←ぜひ教えてください(笑

>主人公のやわらかいツッコミや、キャラの掛け合いが好きです
うん。全編にわたってこんな感じでツッコミ・ギャグ柔らかく入れていまーす。

上でもはるか様からご指摘いただいていますが、やはり登場人物多いかもです。流れ的に(本筋に)関係ない人もいますが、最終的には回収しています。
ほんでもって、メインキャストまだ2名これから登場しますし。サブも何名か。
蒲池さんの父親なんかも過去話で、かなり重要なポジションで絡んでくるんです。

>徳島から始めても、なんて思ったりもしました
そうですね。第一章の池波さんサブだし、メインストーリーには絡まないし(笑。

>もうちょい見えるところまで投稿してくれると、いろいろ腑に落ちるのかな
一挙に掲載したかったのですが。(読んでいただけるかどうかは別として)。4万文字がリミットみたいです。それとワードとかワードパッドで投稿フォームに張り付けているのですが、なんかスペースとかがぐちゃぐちゃになってしまい、フォーム上で直さなければならない。手間かかっちゃって。皆さん長いものどうやって投稿しているのか? 方法があればお教え願います。

>農地が絡むとは思いますが、裏技使うのか正攻法でいくのか。これは仕事がら大変興味あります。鶴の一声でどうにでもなる場合があるんですよねえ。時々不条理を感じるのです。
本作は裏技を使います。ウルトラ裏技も考えたのですが、このお話、殺人とか起こらないホームドラマなので(笑 ごくごく普通の誰でも知っている裏技。
九丸(ひさまる)様 にはお仕事の関係上拍子抜けかもしれませんが。

次回続きをあげるかもです。引き続きお読みいただき感想などいただければ幸いです。
ありがとうございました。

千才森 万葉

 2面『愛ターン 友ターン』 へお邪魔します。
 こっちですいません。

 ここまでの感想は、上の皆様とほぼ同じですかね~。
 メインのシナリオは實平さんが絡んでくるのでしょうか? 長編だとしても、この文章量のせめて半分ぐらい、100枚ぐらいからメインのシナリオがちらちらと見え隠れしてもらわないと、読者に逃げられそうな気がします。
 もしくは、冒頭に一つシナリオを差し込むか。他の方も仰ってますが、池波さんとの絡みなんかで1本のショートストーリーを書いちゃってもいいのかなと。いずれにせよ、序盤の弱さが残念でした。
 うーん、極論を言えば、普通の人が普通の土地に普通に引っ越してきただけのように感じられるんですよね。もう少し、尖った要素で読者を引っかけて欲しかったかなと。

 題名は、物凄く素敵です。これは、かなり印象的です。技ありの一本。

 さて。
 文章ですが、かなり読みやすかったです。徳島の風土は、まあ書ける方もいるかもしれませんけど、会社の説明や土地売買なんかの堅苦しい話題を最後まで読ませる力は、強力な武器だと思います。上手な文を書くだけでなく、全体像を把握した上で伝わりやすくてイメージしやすい文章力がないと、なかなか読んでもらえるような仕上がりにはならないかと。慣れていない人が書いた文章だと、途中で読むのがしんどくなりますし。
 仕事だから仕方が無く書いたという雰囲気は感じられなくて、書きたいから書いたという思いが感じられたのも好ましかったです。読みやすかった。

 うーん、これらの文章を削除してしまうのも、一つの手だとは思いますけど、捨ててしまうのもな~と。ただ、この説明文がメインの読み物になっているのは、やっぱりいかがなものかってところですね。
 個人的には、読ませる力を生かす道を考えるのも面白いんじゃないかなと思うのです。徳島県をPRしている人達と手を組んで、徳島の情景や主要な産業、移住する際の注意点なんかを交えた小説を書く。紹介文ではなくて、しっかりとした小説。そんな形もあるのかな~なんて考えちゃいますね。ここまで読んだ限りでは、大衆に向けて発信するよりも徳島県に縁や興味のある人に向けて発信した方が、手にとってもらいやすい気がします。
 万人向けで出してしまうと、序盤の刺激が薄いので、『徳島フィッシュカツ系殺人事件』『すだち嬢不倫紀行~徳島~』『異世界転生したはずなんだが、ギルドの看板に徳島県P市って書いてる件を問いただしたい』みたいな安っぽくてもキャッチャーな小説に負けそうなんですよ。この後の展開しだいで変わるのかもしれませんけど。
 逆に徳島県をアピールするという目的であれば、変な刺激を抑えてあるハートフルな内容が好まれる……気がする。予想。

 がっつり現代物は普段あまり読まないのですが、この作品はするすると読めましたし、興味を引かれる作品でした。ただ、楽しみは少なかったかな。
 続きも、もしかしたら読ませてもらうかもしれません。
 では。

u

千才森 万葉さま  お読みいただきありがとうございます

>100枚ぐらいからメインのシナリオがちらちらと見え隠れしてもらわないと、読者に逃げられそうな気がします。
スイマセン あたしとしてはかなり伏線を張っているんです
本作夏に始まり翌年の夏で終る6章で構成しています
全ての伏線 最終章で回収しています

他の方の感想も考えると イントロ部分が長すぎたのかもしれません
それと、あたしの徳島愛(笑 ゆえの阿波弁・徳島フードetc饒舌過ぎたのかも

>池波さんとの絡みなんかで1本のショートストーリーを書いちゃってもいいのかな
そうですね 
池波さんは書いていないのですが、本作ベースで50枚を2本かいています
短い話ならもう2~3本かけるかもしれません
要するに本作は詰め込み過ぎているかもしれない

>徳島県をPRしている人達と手を組んで、徳島の情景や主要な産業、移住する際の注意点なんかを交えた小説を書く。紹介文ではなくて、しっかりとした小説。そんな形もあるのかな~なんて考えちゃいますね。ここまで読んだ限りでは、大衆に向けて発信するよりも徳島県に縁や興味のある人に向けて発信した方が、手にとってもらいやすい気がします。
ありがとうございます それも一つの手ですね
ホダケンド徳島あかんわ(泣 
千才森 万葉さま もしよろしければ(YouTube)で『VS東京』検索してください
多分かなりお金かけた映像 税金 県がやっています

ちょっと前には県知事肝いりのクラッシック事業、30億 税金
東京の音楽事務所脱税で逮捕

何がVS東京なんやら?

スミマセン(泣 ムチャぐちってしもた 徳島愛するゆえ お許しください

お読みいただきありがとうございました
徳島より愛をこめてww

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