作家でごはん!鍛練場
れむあないむ

喫茶シュガー

 待ち合わせの時間は14時だったはずだが、10分経ってもジロウは現れない。お冷とおしぼりを前にしていつまでも注文しないのは気が引けるので、ミツヒサは卓上の呼び出しベルを押した。
「はい、ご注文をお伺いします」
 はつらつとした声の若い女性店員がすぐに現れた。ミツヒサはメニューを開き、すぐに目に付いたブレンド珈琲を注文した。大学の休講日に呼び出されたけだるさが、いささか口調に出てしまったのは否めない。
 店員が立ち去ると、ミツヒサは改めて店内を見回した。この喫茶店を待ち合わせ場所に指定したのはジロウだった。二人が通う大学からは少し離れていたが、ジロウのアルバイト先のすぐそばだった。ミツヒサはアパートから自転車に乗ってきていた。初めての場所だったので少し迷ったが、待ち合わせ時間の少し前には到着できた。
 ジロウはアルバイトが終わったらすぐに向かうと言っていた。何か急ぎの要件なのだろうかと、ミツヒサは大学の授業スケジュールなどを思い返してみたが、特にそれといったものは思いつかなかった。 

 店内に流れるジャズが店内の客たちの話し声と入り交じり、一定のBGMとなって耳に届く。ステンドグラスのカサを通した電球色の明かりは、木目調にあしらわれた店内の壁やテーブルをやわらかく照らしていた。
 ミツヒサはソファに腰掛け直して姿勢を正すと、さりげなく店内を見回してみた。
 十席ほどの狭い店内には、客がまばらに座っていた。すぐそばの席には、落ち着かない様子の中年男性が座っていた。ミツヒサと同じように、待ち合わせ相手が現れないのだろうか。何気なくそんな想像をしていると、珈琲が運ばれてきた。
「おまたせしました。ブレンド珈琲になります。そちらの砂糖はお好みでお使いください」
「あっ、えーと。ありがとう」
 珈琲を運んできたのは、先ほどの若い女性店員ではなく、スーツ姿の身なりの整った年配の男性だった。ミツヒサが返事に多少言いよどんだのは、その男性の名札の肩書きを見たからだった。
(シュガーコンシェルジュ)
 実は、この店にやってきてテーブル席に案内されてから、ミツヒサにはずっと気になっていることがあった。
 それは、テーブルに置かれた陶器製のシュガーケースだった。三つのケースが連なった作りになっており、それぞれに蓋が付いていた。ミツヒサが蓋を開けてみると、見た目の違う砂糖がそれぞれ入っていた。
 一つ目のケースには、真っ白な角砂糖が入っていた。普通の喫茶店によく置いてあるような大きさだが、この店のそれはキラキラと表面が輝いていた。正確には、固められた大きめな粒のひとつひとつが照明に当たって輝いていた。
 二つ目のケースには薄茶色の角砂糖が入っていた。こちらは粒が細かく、ケース内で他の砂糖と擦れ合ったのか、角が取れてうっすらと粉をまとっていた。
 三つ目は、赤い色をした粉砂糖だった。シュガートングの代わりに小さなスプーンが添えられている。本当にこれは砂糖なのだろうかと、ミツヒサは思った。
 独特な砂糖たちとシュガーコンシェルジュの存在に、普段は珈琲をブラックで飲むミツヒサも、自然と今日は砂糖を入れてみようかと思うようになっていた。
 だが、どれを選んだら良いものか。珈琲が冷めないうちに決めなくてはならない。

 カラン、と喫茶店のドアが開く音がした。
 ジロウが来たのかとミツヒサは顔を向けたが、入ってきたのは一人の中年女性だった。その女性は、ミツヒサのそばの席に座っていた男性の正面に腰掛けると、鞄から封筒を取り出して中身を男性の前に広げた。
「なんだよ、おもむろに。もうすこし、その、話をしよう」
 男性の声が、終わりの方で小さくなっていく。無言で男性を睨み付ける女性の形相が、たいそうな圧迫感を与えているようだった。
 ミツヒサの席からでも、女性が広げた紙が離婚届であることはわかった。この男女にどんないきさつがあったのかわからないが、まだ学生のミツヒサには大人の事情は計り知れない。
 目的が済んだのか、女性は何も注文することも無く店を出て行ってしまった。若い女性店員はきょとんとした表情をしていたが、カウンターの奥にいるマスターらしき男性と、例のシュガーコンシェルジュは素知らぬ顔をしていた。
 きっと、大人の世界は複雑なのだろう。ミツヒサが当事者の男性を見やると、女性が立ち去った方向を名残惜しそうに見つめて、うなだれながらコーヒーを飲んでいた。そして、おもむろに茶色い角砂糖を選んで珈琲に入れると、一気に飲み干し、苦々しく顔をしかめて五秒ほど強く目をつぶった。砂糖一個入れても、さぞかし苦く感じる出来事だったなのだろう。ミツヒサは、その痛たたましい姿からそっと視線をはずした。
 目の前の砂糖入れに視線を戻す。男が選んだ茶色い角砂糖は止めておこうと思った。

 再び、カランとドアの開く音がした。入ってきたのは、小学生らしい女の子を連れた女性だった。「おかあさん」と女の子が呼びかけるが、母親らしき女性は無言だった。女の子がわがままでも言ったのだろうか。母親の機嫌は悪そうだ。
 ミツヒサはちらりと親子を見やると、すぐに自分の珈琲に入れる砂糖選びに集中した。他人のことを気にしている場合ではない。珈琲が冷めてしまう。
 茶色い角砂糖は候補から外れた。残るのは、キラキラ輝く白い角砂糖と赤い粉砂糖だ。見た目から言えば白い角砂糖を無難に選ぶところだが、赤い砂糖にも興味が沸く。珍しい色のように味も独特なのだろうか。
 珈琲が冷める。
 ジロウを待つ時間よりも、珈琲が冷めてしまう時間の方が気になっていく。じわじわとミツヒサの心を占めていく、砂糖の存在。
 そう、こんな大事なことを安易に決めていいはずない。ミツヒサがシュガーコンシェルジュを目で探すと、ちょうど先ほどの親子に珈琲とオレンジジュースを運んでいるところだった。
 呼び出しベルに手を伸ばしたミツヒサだったが、シュガーコンシェルジュが母親に何か言った後、母親が赤い粉砂糖を珈琲に入れたのを見て、ベルを押すのをやめた。
 赤い粉砂糖。シュガーコンシェルジュが勧めたのだろうか。
 その後、ミツヒサが見た光景は、まるで魔法のようだった。赤い粉砂糖を入れた珈琲を飲んだ途端に母親の表情が明るくなり、その後に運ばれてきた大きなパフェ。喜ぶ女の子。
 全く事情もなにもわからなかったが、シュガーコンシェルジュが何らかの影響を与えたのは確かだった。ミツヒサは迷うことなく呼び出しベルを押した。
「はい、お呼びでしょうか」
「はい、砂糖を選んでほしいんです」
 自分で言っておいて、砂糖を選んで貰うなん妙な気持ちもしたが、それ以上にシュガーコンシェルジュの存在に興味が沸いた。
「私が行うのは、今のお客様にもっとも適した砂糖を選んで差し上げることです。それには、お客様のことをすこしばかり教えていただく必要がありますが」
 シュガーコンシェルジュは、右手を胸元に添えて微笑んだ。
「僕のこと?」
「はい、今のあなたのことです」
「ぼくのことといっても、ただ、友達を待っているだけです。なかなか来ないけど」
「ありがとうございます。それでは、残りの珈琲で友達を待たれる時間をくつろげるように、砂糖を選びましょう」
 シュガーコンシェルジュは、キラキラ光る角砂糖をシュガートングで掴むと、そっとミツヒサの珈琲の中に入れた。
 茶色い角砂糖でも赤い粉砂糖でもない、白く輝く角砂糖。ぼくにどんなことを感じさせてくれるのだろう。
 ミツヒサがそんな気持ちで見つめていると、角砂糖は沈むことなく珈琲の中で浮かび、頭上の照明の光を受け、珈琲そのものを輝かせてみせた。
「では、ごゆっくり」
 シュガーコンシェルジュが立ち去ると、ミツヒサはそっと珈琲を口に含んだ。多少冷めてはいるものの、角砂糖はゆっくりと溶けながら珈琲の苦みの中へまろやかに溶け込んでいくようだった。 ミツヒサは、一口飲んではカップを揺らし、きらめく表面を眺めては、また口に運び、冷めても変わらない味わいを堪能しながら、ゆっくりとした時間の中でくつろいだ。

 しばらくして、ジロウが申し訳なさそうに現れたとき、ミツヒサは自分がほどほどに待たされていたことに気がついた。でも、その時間は待たされて無駄にしたものではなく、心満ちる至福の時間だった。
「で、話ってなに?」
 ミツヒサがたずねると、ジロウはいつでも話せるような内容をつらつらと話して楽しそうに笑ったのだった。

喫茶シュガー

執筆の狙い

作者 れむあないむ
60.69.206.14

シュガーコンシェルジュという謎。選択肢(三種類の砂糖)を設けることで主人公の葛藤を表現し、タイムリミット(コーヒーが冷める)を設けることで、ストーリーにメリハリを与えました。

実際に喫茶店で書き上げました。

コメント

そうげん
121.83.151.235

三つの砂糖の選択肢のあるお話。アイデアが面白いですね。

実際に喫茶店で書かれたというのも、れむあないむさんがコーヒーをのみながら
そのアイデアを考えつかれたシーンを思ってみるのも面白そうでした。

喫茶店でコーヒー、は昔よりは、頻繁に入るようになりました。でも、チェーン店が多くて、しかもテーブルに据え置きのシュガーポット出なくて、砂糖を頼むと、小分けにされたものが出されてきて、これじゃないんだよねと思う方です。

エスプレッソに、この小説に出てきた茶色い砂糖。小粒のものを一さじか二さじ分いれて、あらくかき混ぜて、ゆっくりのむ。底の方に細かく溜まっている溶け残りの砂糖を最後に一緒に飲み込んで、甘くがりっとかじりながら、蜜を味わうように飲み終わるのが個人的には最高です。

と、白い砂糖――コーヒーの表面に浮かんで溶けていくという情景が、いいなと感じました。きらきら光る角砂糖という情景に夢があるようでした。そして主人公は待ち合わせの相手がこないことも苦にならないくらいに、その一杯のコーヒーをたしなむ時間を十分にあじわった。

シュガーコンシェルジュさん。さすがですね。と、その赤い砂糖の正体はなんだったんでしょう。明るく陽気にさせてくれる風味のもの。ワンアイデアで、ワンストーリーのもので、これで連作は難しいかもしれませんが、作者様が書かれたほかの作品も読んでみたいなと思いました。

リンク先の作品も読んでみます。ありがとうございました。
それでは失礼いたします。

れむあないむ
126.233.138.132

そうげんさん
作中のシーンのところどころに共感していただきありがとうございます。
砂糖が入っている入れ物は、シュガーポットというのですね。言葉が出てきませんでした。

九丸(ひさまる)
126.179.174.4

拝読しました。
良かったです。
面白い。
そして、文章の雰囲気が柔らかくて心地好い。

僕は昔ながらの喫茶店が好きです。こんな店があるなら行ってみたいですね。
このお話の喫茶店は、できればサイフォンかネルだったらいいなあ。なんて思ってしまいました。

赤い砂糖は気分をあげて、白い角砂糖は心に余裕を。そして、薄茶色は回想?
とか思って読み進めてみました。
シュガーコンシェルジュなんて発想も言葉の響きも良いですね。

気になった点を。

『店員が立ち去ると、ミツヒサは改めて店内を見回した。』
の後に、店内描写ではなく理由がきます。理由のまえに、
 『店内に流れるジャズが店内の客たちの話し声と入り交じり、一定のBGMとなって耳に届く。ステンドグラスのカサを通した電球色の明かりは、木目調にあしらわれた店内の壁やテーブルをやわらかく照らしていた。』
を入れた方が視点的にはスムーズかなと思いました。

 『ミツヒサはソファに腰掛け直して姿勢を正すと、さりげなく店内を見回してみた。』
これもだぶるので、どうにか上手く。

砂糖の描写はすごく良かったです。
なんか、いろいろためになりました。

拙い感想、失礼しました。

れむあないむ
60.69.206.14

九丸さん
昔ながらの喫茶店は私も好きです。何か、その店の特別なものを一つでも見つけられると、うれしくなりますよね。
ご指摘の箇所は、改めて読み返すと、九丸さんの言われる通りだと思いました。ありがとうございます。

ゴイクン
121.92.248.63

拝読しました。
シュガーコンシェルジュというアイデアはとても素敵でした。
なるほど、です。
そしてそれぞれの色の砂糖がそれぞれの働きをして、人を元気にしたりする。
という仕掛けはよかったと思います。
面白く読みませた。

ただ、ちょっといらないことを書けば、砂糖に限らず、この話の場合、飴玉でもかまわないわけで、もちろんそういわれないためにコンセルジュを設定したのでしょうが、砂糖の働きが小さいせいか、ちょっとこじんまりした印象でした。掌編なので仕方ないですけどね。

喫茶店でコーヒーといえば、コーヒーが冷えるまえに、という映画を思い出します。それはコーヒーというより場所が問題にされていたように記憶していますが、それでも、一杯のコーヒーで、行きたかった過去にタイムスリップするという、スケールの大きな話でした。

というようなのを思い出してから、もう一度読むと、主人公がどんな人かよくわからないまま、ただ待っているだけ、という設定はドラマの発生を否定してしまっているような気がしてもったいないかな、と思いました。
主人公にも、何か心に葛藤があって、選びたいのを選ぶのが怖くて、今回は選ばなかった別の砂糖をまた来て選んでみたい、とか。
何でもいいですが、そういう葛藤部分があったほうが、また盛り上がるかと。
でも、これは無理筋の注文ですね。
これはこれでいいと思います。

関係ないですが、私はずいぶん前からコーヒーはブラックで、何も入れません。なので、この喫茶店で砂糖を入れたら、甘すぎて困ってしまうかもしれないですね。心の高揚どころか、戸惑いが生じるかも。

拙い感想ですが、それでは。

れむあないむ
126.233.138.132

ゴイクンさん。
主人公の特徴は大学生というくらいで、確かに浅かったです。個性がはっきりすれば、砂糖を選んでいる時の葛藤も深みが出たのでは思いました。ありがとうございました。
私も、喫茶店ではブラックにしています。美味しいですよね。

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