作家でごはん!鍛練場
遊花

ルールのはなし

 ぼくはけっして悪い子ではない。
 授業中や読書の時間に突然さわいだり、アッキーみたいに手の中のゲコゲコ言わせながらカエルのニガテな子をおいかけ回したりしないし、お母さんに言われたことも、しぶしぶではあっても、かならず聞くようにしているぐらいだから、むしろ良い子なはずである。
 それじゃあなんで、ぼくが竹村先生にしかられたかと言うと、うまくは言えないけれど、あれはあくまで大きなまちがいが起きただけなのである。
 勇太兄ちゃんみたいに「ルールなんてクソ食らえ!」と叫んでギターをジャラジャラかき鳴らしてみたいものだけれど、そんなことをぼくが言ったなら、きっとお母さんが「なんてヒドいこと言うの⁉」とショックを受けるから、グッとこらえるしかない。
 なにがあったかと言うと、話は二日前までさかのぼる――

「大塚くん、ちょっとおいで」
 休み時間になると、中庭で日向ぼっこでもしようと思っていたぼくに、竹村先生はそう声をかけた。
 竹村先生は、ぷくぷくと太ったおばさんで、ぼくのクラスの担任の先生である。怒ると金魚みたいに顔を真っ赤にするから、クラスのみんなから、かげで『竹村金魚』なんて呼ばれ方をしている。ちなみに、その名づけ親はアッキーだ。
竹村先生はぼくを黒板の前に立たせると、まん丸の顔をしかめさせて僕をじっと見た。教室に残ったクラスメイトたちは、横目でちらちらとこちらの様子をうかがっている。
「大塚くん。なんで呼ばれたと思う?」
「さあ? さっぱりわかりません」
 きちょうな休み時間を取られることが面白くなくて、ぼくは少しばかりひねくれたような態度をとった。
「昨日の宿題のことよ。どうして分数の問題を解くのに、定規を使わなかったの?」
 竹村先生はそう大声で言いながら、一冊のノートをぼくの目の前にかかげた。
「ぼくのノート?」
「分数の線は、ちゃんと全部定規で書くようにって、授業で言ったでしょう? 大塚くんは約束を守らなかったから、赤でペケしたところを解き直してもらいます」
「赤でペケしたところって、全部じゃないですか」
「それは大塚くんが一回も定規を使わなかったからでしょう?」
 ごていねいにも、一問一問にバツ印のついたノートにぼくは顔をしかめてしまう。
十五問もあるのに、全部解き直すなんてあんまりだ。どうにかやり直さずにすむ方法はないだろうか?
「いい? わかったわね?」
「でも先生、計算の答えはあっているはずですよ」
 ぼくはペケだらけのノートをもう一度見た。ちゃんと答え合わせまでして提出したのだから、計算の結果は合っている。だったら、やり直す必要なんてないはずだ。
「そんなことは関係ないのよ。大塚くんが、『分数の線はちゃんと定規で引く』というルールを守れなかったから解き直すの」
 当たり前のことを言うみたいな口ぶりで、竹村先生は言った。首の周りについたお肉が、話す調子に合わせてユサユサゆれている。
 ルールだなんて言葉を持ち出すのは、とてもずるいことのような気がする。まるでぼくがとんでもなく悪いことをしていると言われているみたいで、ものすごく納得がいかない。
「大塚くん? なによその顔は」
「定規を使うのがそんなに大切なことなんですか?」
「もちろん。分数の線をちゃんと定規で引いた方が、正解率も高くなるのよ」
「でもそれは、先生が定規をつかわないとバツにするからでしょ?」
 ぼくがそう言った途端、竹村先生はふくらんだ顔をカーッと真っ赤にさせて、あっという間に竹村金魚に変身した。
「へりくつ言わないの!」
 がしゃん! と思い切りシンバルを叩いたみたいな竹村金魚の怒鳴り声に、がやがやしていた休み時間の教室は一瞬にして静まりかえった。
「いいですか! ルールをちゃんと守らないと、周りの人が嫌な思いをするの! だからルールを破った大塚くんは、今度からルールを守れるように問題を解き直さなきゃいけないのよ!」
大きくて真っ赤な丸顔に責められると、心臓のあたりがきゅーっとちぢんで、わけもなく泣きそうになってくる。
 クラスのみんなが見ている中だから、絶対に涙なんて流さないけれど。
「ちゃんとやり直して、お昼休みまでに提出するように!」
 竹村金魚はそう言いながら、ぼくにペケだらけのノートを押し付けると、ドタドタと足音を立てながら教室を出て行った。
 ――ルールをちゃんと守らないと、周りの人が嫌な思いをするの!
 誰もいない黒板の前で、ぼくは竹村金魚の言った言葉を思い出していた。その言葉は、ぼくの胸をドキリとさせ、細い針でそうするみたいに全身をちくちくと刺した。
 でも、不思議に思う。
 ぼくが定規を使わないからといって、いったい誰が嫌な思いをするのだろう?


 お昼休みまでに宿題のすべてを解き直して提出し直すためには、今すぐにでも始めなければならない。
ぼくは仕方なく日向ぼっこをあきらめて、すぐについさっきまで座っていた席についた。
休み時間にまで勉強をしなくちゃならないだなんて、あまりにもひどい仕打ちだ。
「どうして定規をつかわなかったの?」
机にかじりついていると、そうぼくに話しかける声が聞こえた。顔を上げると、そこには「あなたはバカね」と言いたげなようなクボタさんの顔があった。
「授業中に竹村先生が何回も使うように言っていたのに」
「使わなくたって、計算はできる」
「でも怒られた」
ふん、とクボタさんは鼻で笑った。なんで彼女にそんな言われ方をしなくちゃならないのだろうか。あまり良い気はしないけれど、クボタさんは、その小さな顔とか、大きな目とか、どことなく上品な感じが、他の女子とくらべて、ちょっとだけ、本当にちょっとだけカワイイから、なんだか言い返そうとすると声が詰まってしまう。
そのとき廊下をドタドタと走る何人かの足音が聞こえてきた。
「廊下は走っちゃダメなんだよ!」
「うっせーブス!」
注意した女の子を口汚くののしるのは、先頭を走るアッキーだった。そのまま彼が走り去っていく様子をぼーっと眺めていると、それを見ていたクボタさんは「はやく謝ればいいのに」と、あきれたように言った。
「ぼくは悪くない。だから謝らない」
「素直じゃないんだから」
小さく息を吐きながら話すクボタさんは、ぼくと同い年のくせに、なぜだか少しだけオトナっぽいフンイキを出すときがある。
「ねえ。クボタさんは、ぼくが定規を使わないことが理由で嫌な思いをする人がいると思う?」
ぼくは思い切って聞いてみた。
ぼくには分からないことも、同じクラスの中でクボタさんだけは知っていても不思議じゃない気がした。
「そんな人いないでしょ」
「やっぱりそう思う?」
「少なくとも私はどっちでもいいよ。でも、竹村先生は嫌な思いをしているかも。だって、顔を真っ赤にしていたじゃない」
クボタさんはそう言ってクスクス笑った。
「やっぱりルールは絶対に守らなくちゃいけないんだね」
「そうかな?」
ぼくのつぶやきに、クボタさんは首をかしげた。
「この前、みんなで鬼ごっこをしたでしょう?」
ぼくはうなずいた。一週間ぐらい前、放課後の校庭でのことだ。そのときその場にいたみんなで、下校のチャイムが鳴るまで夢中になって遊んだ。
そのときはまだケンカをしていなかったので、そこにはアッキーもいた。
「最初のうちはオニが交代するふつうのルールでやっていたけど、途中からオニが増えていくように変えたでしょう?」
「そうだったね」
その時にオニだった子が誰もつかまえることが出来ず、なかなかオニを交代できなかったから、みんなで話してルールを変えたんだった。
「私たちは最初のルールを守らなかったけど、それでも楽しかったでしょう?」
「うん。楽しかった」
「だからきっと、ルールはなにがあっても絶対に守らなくちゃいけないものじゃないんだよ」
クボタさんはどこか楽しそうな口ぶりだった。
「早くアッキーと仲直りしなよ。そうじゃないとみんなで遊べないから」
クボタさんは「やり直しがんばってね」とどこかニクたらしく言うと、ぼくの席から離れていった。
ぼくは、クボタさんの言ったことがよくわからなかった。
たしかにあのときの鬼ごっこは楽しかった。だからルールは絶対に守らなくちゃいけないものではないとクボタさんは言うけれど、守らなかったぼくは今こうして宿題のやり直しをさせられている。
ちゃんと守る必要がないならルールとは言えないんじゃないのだろうか。
そもそも、ルールってなんのためにあるのだろう。


ルールがなんなのか、ぼくはよく分からなくなってしまった。だから身近なおとなに聞いてみたいのに、ぼくのお母さんはあまりにも忙しそうにしているので声をかけるヒマもない。
「隼人! 夕飯の支度を手伝って!」
コンロの前でフライパンを振るお母さんが、「一秒でも早く!」と付け足してきそうな声でそう言った。
テレビを見ながら電話したり、お菓子をつまみながら掃除してみたり、ぼくのお母さんはいつもせかせかと動いている。まるでこのまえ読んだ「不思議のアリス」に出てくる白ウサギみたいだ。ためしにお父さんにそう言ってみると「お母さんに言ったらきっと怒られるよ」と笑われてしまった。きっとお父さんも同じことを思っていたんだろう。
ぼくはお米をお茶碗に盛りつけたり、テーブルに箸を並べたりして、夜のごはんがすぐに食べられるように準備をした。
時おり、テレビを見ている妹の栞がキャッキャと笑う声が聞こえてきて「どうしてぼくだけが手伝いをしなくちゃいけないんだ!」と不満にも思ったけれど、ぼくはお兄ちゃんだし、  栞はすぐに泣く困ったやつで一緒に手伝いをしても足手まといになるだけだから、仕方なく一人で準備をする。
お母さんが料理を終えると、すぐに夕飯がはじまる。
今日のメニューはホイコーローだ。生野菜はそんなに好きじゃないけど、ホイコーローにするとぼくも栞も、いつもよりたくさんお米を食べる。
「それで隼人、さっきの話を聞かせてくれる?」
ついさっきは「そんなことより夕飯の支度!」と言われてしまったが、食卓につくと、お母さんはいつもゆっくりとぼくの話を、ごちゃごちゃとよくわからない話をする栞の言葉にでさえ、じっくりと耳を傾けてくれる。
「きっと竹村先生は、ルールや決まりを守る練習をしてほしいのよ。大人になってから、ルールを破ることがないように」
ぼくが昼間の出来事を説明すると、お母さんはすぐにそう言った。
「それは、ルールを守らないと嫌な思いをする人がいるから?」
「うん、そうよ」
「それじゃあルールって、なんのためにあるの?」
「え?」
「さっきクボタさんと話をしたんだ。そしたらクボタさんは『ルールは絶対に守らなくちゃいけないものじゃない』って言うんだ。ルールを守らないと嫌な思いをする人がいるのに」
ぼくがそう言うと、お母さんは少しだけ困った顔をした。
「ルールを決める時にはね、みんなが良い気持ちでいられるように、ということを考えるのよ」
お母さんは箸を置くと、そう話し出した。
「だからね、もしもルールを守らない方がいいって感じたら、自分一人で判断しないで、そこにいる全員で相談しなくちゃいけないの」
「ぜんいん?」
「うん。関係がある人は全員。そして全員が同じ気持ちなら、ルールを守らなくてもいい。クボタさんが言っているのは、たぶんそういうことだと思う」
ぼくはみんなで鬼ごっこをした時のことを思い出した。たしかにあの時は、みんなで話し合ってルールを変えることを決めたんだった。文句を言う人など一人もいなかった。
ルールは、みんなが良い気持ちでいられるようにするためにある。
ぼくだってもう十歳なんだ。お母さんが言うことは理解できる。
だけど、なんだか上手く言えないけれど、それでもまだ気持ち悪さがある。
だって、勝手に変えていいのなら、そんなものはルールって言えないじゃないか。


 その日も勇太兄ちゃんは古びたギターをやみくもにジャラジャラ鳴らしていた。
 ぼくは時々、学校帰りにいとこの勇太兄ちゃんが一人暮らしをしているアパートに遊び行くことがある。
ぼくがいつ遊びに行っても、大学生の勇太兄ちゃんはアパートでギターを弾いていて、勇太兄ちゃんのカノジョのミサキさんがそれを楽しそうに聞きながら、よく冷えた炭酸の缶ジュースをぼくにくれる。
炭酸ジュースを飲むとお母さんが「虫歯ができるからすぐにハミガキをしなさい!」としかるけれど、勇太兄ちゃんの部屋ではハミガキなんて絶対にしないし、炭酸ジュースだけじゃなくて、ポテトチップスや砂糖だらけのドーナツをおかまいなしに食べている。
「いいか隼人。ルールは破るためにあるんだ」
 ぼくの話を聞いていた勇太兄ちゃんは、急にギターを弾くのを止めて、得意げにそう言った。
「破ってもいい」でも、「絶対に守らなくちゃいけないわけではない」でもなく、「破るためにある」
 これまで誰もそんなことを言わなかったから、ぼくは勇太兄ちゃんの言葉の意味がよくわからなかった。
「こら勇太。テキトーなこと言うな」
「いてえ!」
 ミサキさんが勇太兄ちゃんの頭をこづくと、勇太兄ちゃんは大げさに頭を押さえてみせた。
「暴力だ! 見たか隼人! この女、暴力をふるったぞ!」
「うるさいなぁ、もう」
 ミサキさんはあきれたような顔で腕組みをした。
 ミサキさんは美人だと思う。クボタさんはオトナっぽいけれど、ミサキさんは本当のオトナで、ミサキさんに会うといつも、やっぱりクボタさんはまだまだ子どもなんだなぁと思う。
クボタさんがもっと成長して、いまのミサキさんと同い年になったら、どっちの方がオトナなのか見比べてみたいけれど。その時にはミサキさんはもっとオトナになっているだろうから、それは叶わない願いというやつである。
「隼人くんが聞いているんだから、ちゃんと答えてあげなよ」
 ミサキさんにそう言われた勇太兄ちゃんは、「わかってるよ」とちょっとだけ真剣な顔になった。勇太兄ちゃんはいつもヘラヘラしている気の良い人だけど、ときどき真面目な顔をする時があって、ぼくはその顔をけっこうカッコいいんじゃないかと思っている。
「じゃあ例えば隼人、立ち入り禁止の場所があるとするだろ? ルールで禁止されているから、もちろん勝手にそこに入るのは悪いことだよな?」
ぼくは「うん」と首をうなずかせた。
「だけど、その立ち入り禁止の場所の中で人が倒れていたらどうする? その中に入ってその人を助けたいと思うのは、悪いことだと思うか?」
 ぼくは実際にその場面を想像してみた。
クサリで囲われた場所の先で、コンクリートの上に見たこともないオトナの女性がうつ伏せで倒れている。その人がどうして倒れているのかはわからないけれど、ぼく以外にはそこに誰もいなくて、ぼくがすぐにでも助けてあげなくちゃいけない気がした。
「悪くないことだと思う」
「それでいいんだ。ルールは、破ってもいい時があるんだよ」
 勇太兄ちゃんは、まるで飼い犬にそうするみたいに、ちょっと乱暴にぼくの頭をなでた。
「でもさ、破ってもいい時があるなら、それってルールって言えないんじゃないかな?」
「まあ、たしかにそうかも……」
 勇太兄ちゃんがちょっと苦しそうな顔でそう言うと、話を聞いていたミサキさんが「ふふっ」と急にふきだした。
「賢いけど、ちょっと頑固なのが隼人くんのもったいないところだね」
 ミサキさんはそう笑いながらぼくのほっぺたを長い指でつついた。その途端にぼくの顔はサウナに入ったみたいに熱くなってきたものだから、ぼくは竹村金魚みたいに顔が真っ赤になってやしないかと、少しだけあせってしまった。
「勇太が言いたかったのはね、ルールは守らなくちゃいけないけれど、それよりももっと大事なこともあるっていうことなのよ」
 ミサキさんは楽しそうに笑った顔のままそう言った。
 ぼくはこのときはじめて、クボタさんの言っていた「ルールは絶対に守らなくちゃいけないものではない」という言葉の意味がわかった気がした。
 あのときぼくらは、鬼ごっこのルールよりも、全員で楽しく遊べることのほうが、もっと大事だと思ったから、みんなで話しあってルールを変えたのだ。
 勇太兄ちゃんとミサキさんの言うことはよくわかる。
 だけど、その「もっと大事なこと」ってなんなんだろう。
 例えば、大好きなアニメが放送するから学校をサボるなんて言ったら、それがどれだけぼくにとって重要で何にも代えられないものだとしても、ぼくはきっとお母さんに怒られるし、竹村金魚は顔を真っ赤にすると思う。
 ぼくにとっての「大事なこと」は、他の人から見たらルールを破ってもいい理由にはならないかもしれないのである。
 それなら、ルールを破ってもいいかどうかは、どうやって判断したらいいのだろう。


 水曜日は特別な日だ。
 いっつも夜遅くに帰ってきて、時々、休みの日にでさえ家でパソコンをいじっているお父さんが、なぜか帰りが早いのである。
 夕飯を食べて、リビングのソファーでくつろいでいたお父さんに、ぼくは昨日からの出来事を全部話した。例えば自動車の仕組みとか、上手に自転車を乗る方法とか、ぼくのお父さんはいっぱい色んなことを知っていて、なにを聞いてもちゃんと答えを返してくれる。
 だからぼくは、ぼくがこれまで不思議に思ったルールのことを順番に説明していった。
 竹村先生は、ルールを守らないと嫌な思いをする人がいると言う。
 クボタさんは、ルールは絶対に守らなくちゃいけないものではないと言う。
 お母さんは、ルールはみんなが気持ちよくいられるためにあって、もしも変えるならみんなで話し合わなくちゃいけないと言うし。
勇太兄ちゃんとミサキさんは、ルールよりももっと大事なことがあるときは、ルールを破ってもいいと言う。
 ぼくはルールがなんなのか、すっかりわからなくなっていた。
 破っちゃいけないはずのものなのに、破ってもいいときがある。
 お父さんはひどく真剣で、それでいてどこかユカイそうな顔でぼくの話を聞いていた。
「いっぱい考えたんだな」
 話を聞き終えたお父さんは、第一声でそう言った。少し経ってから、ぼくは自分がほめられたのだということに気づいて、背中のあたりが妙にくすぐったくなった。
「ルールはたしかに大切なものだ。だけど、そのルールがいつも正しいとは限らない」
「どういうこと?」
「例えば、野球とかサッカーのようなスポーツのルールは、選手がよりプレーをしやすくなるように、毎年少しずつ変化していくんだ」
 お父さんは落ち着いた声でそう言った。一日働いてきたはずなのに、着ているシャツはちっともシワでよれていなかった。
「ルールは誰かが勝手に破ったり、変えたりしていいものじゃない。だけど、ルールが変わってしまうこともある。一番大切なのは、自分や周りのみんなが、そのルールに納得しているということだよ」
「なっとく?」
「そうだ。ルールを変えたり破ったりすることで、みんながより良く過ごせるなら、それはきっと正しいことなんだ」
 お父さんがそう言った途端に、ヘンな風に引っかかってジャンバーのチャックがうまく動くようになったみたいに、ぼくはものすごくスッキリした気分になった。
 やっぱりお父さんはなんでも知っている。
ぼくが疑問に思っていたことの答えを、お父さんはまるで簡単なかけ算の問題でも解くみたいにすらすらと教えてくれた。
一番大切なのは、全員がそのルールに納得しているということ。
ルールを破ることが時には必要になるかもしれないけれど、その時はぼくの理由だけじゃなくって、みんながどう思うかを考えなくちゃいけないのだろう。
だって、ルールは誰か一人のためにあるんじゃなくて、みんなのためにあるから。
 だとしたら今のぼくには、守るべきルールと、破った方がいいルールがある。


 ぼくはけっして悪い子ではない。
授業中や読書の時間に突然さわいだり、アッキーみたいに手の中のゲコゲコ言わせながらカエルのニガテな子をおいかけ回したりしないし、お母さんに言われたことも、しぶしぶではあっても、かならず聞くようにしているぐらいだから、むしろ良い子なはずである。
それでも竹村先生にしかられたのは、うまくは言えないけれど、しかられても仕方がない理由があったからだ。
この二日間、ルールのことを考えていたぼくは、ちょっとだけそんな風に思うようになった。
今日提出する算数の宿題は、ちゃんとすべて分数の線を引くのに定規を使った。
このルールが破っちゃいけないものなのか、やっぱりぼくにはまだわからないけれど、とりあえずルールにしたがって、それが守るべきものなのか、納得のいくものなのか考えるべきなのだと思う。
それからもう一つ。これは破った方がいいルールの話だ。
悪いことをした人が謝るのは、きっと学校だけじゃなくて世の中のルールなんだと思う。
ぼくがカエルをニガテなことを知っていながら、それを見せびらかして追いかけてきたアッキーは、やっぱり悪いヤツだと思う。でも、ぼくはアッキーが謝ってくればすぐにでも許してやるつもりである。
クボタさんたちと一緒に鬼ごっこをしていたあの日、悪ふざけをしだしたアッキーは、ぼくを追いかけている途中で、ぼくが投げた石で足をすべらせて思いっきり転んでしまった。
そこで鬼ごっこは終了して、それ以来ぼくとアッキーが口を利かないものだから、鬼ごっこ自体、もうやらなくなってしまっている。だからクボタさんは、ぼくに早く仲直りをしろと言ってきたのだろう。
 悪いことをしたアッキーが謝るのは当然のことだと思うけれど、この場合はきっと、ルールを守らない方がいいんだと思う。
 黒板の前に立つ竹村先生に宿題を提出すると。ぼくはそのままアッキーの席に向かって歩いた。アッキーはちょっとたじろいでいたけれど、すぐにムッツリした顔でぼくをにらみだした。途中でクボタさんの席を横切ると、彼女はぼくを後押ししてくれているみたいにうれしそうに笑っていた。
 アッキーは目の前にやってきたぼくをフキゲンそうにジッと見ている。
「な、なんだよ」
「ごめん」
 たった一言。それだけでアッキーのしかめ面はすぐにゆるんだ。
 悪いことをした人が謝るのは当然のルールだと思うけれど、素直じゃないアッキーはいつまで経っても謝ってこないから、嫌がらせを受けたぼくの方から謝ってやることにした。それに、よく考えたら、ぼくも石を投げたから、まるっきり悪くないわけでもないだろうし。
 ルールは変わることがある。
 本当はアッキーが謝るべきだったけれど、ぼくはすぐにでも仲直りがしたかった。だからぼくの方から謝った。
 少なくともぼくはそれで納得しているし、きっとみんなも同じ風に思うはずだ。

ルールのはなし

執筆の狙い

作者 遊花
106.154.125.186

こどもの主観が練習したくて書いてみました。
約9千字の短編です。
タイトルはまだ検討中です。

コメント

五月公英
61.112.186.89

子供には、まず<発見する喜び>を発見してもらいたい。
この父親はその機会を奪ってしまった。
残念です。

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