作家でごはん!鍛練場
角田 考

刑事もの(前半)

 事件現場は半世紀前に建てられた家屋の一室だった。そこは広さ8畳の個室で、古びたフローリングと土壁で成り立っていた。中にある家具も年季の入った物ばかりだったが、シミや埃は一つもなかった。
 現場では十数名の警察関係者が捜査を行っていた。彼らは犯人の痕跡を慎重に探していた。

 午前8時40分、部屋に一人の刑事が入って来た。彼は身長180cmと長身で、肩幅は平均並みだがガタイはがっしりとしていた。彼の顎には無精ひげが生えており、それがいかつい顔を一層際立てていた。服はグレーのスーツで、長い間手入れしていないらしくシワが入っていた。
 彼が部屋に入ると、部屋にいた男の一人が挨拶をした。
「おはようございます、浜崎巡査部長」
「ああ、おはよう」
 浜崎は部屋を見回した。今挨拶をした男を除いて、この部屋には青い服装の男達―――つまり鑑識課員しかいないようだった。鑑識は現在進行形で犯人の痕跡をさぐっていたが、男はただ突っ立っているだけだった。
 浜崎は男に目をやる。
 男は身長170cm後半のスラッとした体形で、見たところ年齢は20代前半のようだった。堀の浅い顔に灰色のジャケットがよく似合っていた。
 浜崎は男に尋ねた。
「きさらぎ署から派遣された刑事って言うのはお前か?」
「はい。この度あなたと共に捜査をすることになりました、中村良太です。」
 浜崎は中村を観察した。彼は部長から所轄の天才刑事がサポートにつくと言われていた。しかし中村を見る限りそれが本当かどうか怪しいものだった。浜崎の目には彼が生まれたてのヒヨコのように見えた。
 浜崎は心の中でため息をつくと、中村に言った。
「わかった、よろしく頼む。…ああそうだ。お前から事件の概要を聞くよう言われている。現在分かっている情報を教えてくれ」
「わかりました」
 そう言うと中村は手帳を取り出し、概要を話し始めた。
 それによると被害者は佐藤信行72歳。佐藤は昨晩自室のDボックスで寝たまま窒息死してしまったようで、これは窒息死特有の死斑の強さによって裏付けられている。死後硬直の状態から見て死亡推定時刻は午前0時。死体の第一発見者は佐藤の娘で、朝食を食べに来ない父親を呼びに行ったところ死体を発見したという事だった。
「それは娘さんが気の毒だな」
 そう言いながら浜崎は『俺も気の毒だがな』と心の中で呟いた。
 Dボックスを製造しているブラックラック社は警察上層部と癒着があるため、Dボックス関連の事件はD案件と呼ばれ迅速な処理が求められた。そのため伝説の刑事と名高い浜崎は非番であるにもかかわらず出動を命じられたのだった。
 その時、浜崎の頭にふと疑問が浮かんだ。
「この事件は他殺なのか?今の話を聞く限り自殺としか思えないんだが」
「その点については他殺とみて間違いないです。窒息死はDボックス内蔵の換気装置が切除されていたことが原因なのですが、切除により生まれた穴を塞ぐように犯人からのメッセージが張られていました」
「見せてくれ」
 すると中村は申し訳なさそうな顔をした。
「ここにはありません。僕が来た時には既に鑑識に回されていました。メッセージを回収した鑑識は今ここに居ないらしく、お伝えしようにも僕もメッセージの内容を知らない状態です」
「そうか…」
 浜崎は落胆した。おそらく事件解決を急ぐあまり捜査員に見せる前に鑑識へ送ってしまったのだろう。
 その時、二人の後ろで声がした。
「もしもし」
 浜崎と中村は後ろを向いた。するとそこには老年の男が立っていた。男は身長170cm前後で、しわの多い顔と白髪の混じった髪、そして骨と皮しかなさそうな痩せこけた肉体が特徴的だった。男は青い服装をしており、二人は一目で彼が鑑識課員だと分かった。
 浜崎は男を見て驚いた。
「辻(つじ)さんじゃないか!相変わらず元気そうでなによりだ」
 辻はニカッと笑顔を見せた。
「君も元気そうだな。会うのはギロチン事件以来かな?」
 その言葉に浜崎は顔を曇らせた。
「辻さん、その話は…」
「おっと失敬、君にあの事件の話はタブーだったな。まあ、これをやるから許してくれ」
 そう言うと辻は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「これが君らの話していた犯人のメッセージだ。実物はついさっき分析に回して来たばかりだから写真で我慢してくれ」
「十分だ、ありがとう辻さん」
 浜崎は写真を受け取った。彼は中村と共に写真を凝視した。犯人のメッセージは段ボールに新聞の文字の切り抜きをはって作られていた。メッセージは『さつじんじけん』と読めた。中村は首をかしげた。
「どういう意味でしょう」
 その言葉は場に沈黙を生み出した。そして15秒後、浜崎が沈黙を破った。
「中村、一つ教えてくれ。ガイシャ(被害者)は生命保険に入っていたか?」
「はい、娘さんの話によると千二百万円の生命保険に入っていました」
「そうか。そうなれば、少し捜査の方針を変える必要があるな」
 すると中村が言った。
「デカ長(巡査部長)はこの事件を他殺に見せかけた自殺だと考えているんじゃないですか?その場合、このメッセージもガイシャが自殺を殺人に見せかけるために用いたトリックだと考えれば説明がつきます」
 浜崎は驚いた。
「よくわかったな」
「生命保険を下ろすために自殺を他殺に見せかけるのは刑事ドラマでよく目にしますから」
 中村はとても得意気だった。浜崎は中村の知識が刑事ドラマに根ざしていることに少なからぬ危機感を抱き、そんな人物が天才刑事と呼ばれる警察の現状に多大なる危機感を抱いた。
 それはさておいて、浜崎は辻に尋ねた。
「現場に残っていた犯人の痕跡を教えてくれ」
 辻は頭をかき、大した情報は無いと断りを入れて話し始めた。
 その話によると犯人の指紋は全て拭きとられており、拭き取った跡があったのは玄関のドアノブとこの部屋のドアノブ、そしてDボックス周辺だけだったらしい。拭き取りに使われたのは市販のティッシュだったため、そこから犯人を突き止めるのは不可能に近かった。
 拭き取った跡以外の犯人の痕跡は先ほど見せた犯人からのメッセージだけだ、と辻は最後に付け加えた。
 浜崎は顎に手をやった。
「相当少ないな」
 辻はため息をついた。
「科学捜査が大衆に知れ渡りすぎたせいだ。今じゃ脳味噌を少し使えば証拠を残さず犯罪をするなんて造作もないだろうよ」
「確かにそうだな」
 刑事ドラマや推理小説が警察の科学捜査を盛んに書きたてるせいで、指紋照合やDNA鑑定などは一般常識と呼ばれてもおかしくないほど知られてしまった。それは警察にとって迷惑な話だった。
「それじゃ、そろそろ失礼しようかね。他にも調べなけりゃならない場所がある」
 辻はそう言って中村と浜崎に軽くお辞儀をすると、二人に背を向けた。そして彼は部屋を出ようとしたが、ドアノブを手にかけると「あ」と言って二人の方を振り返った。
「そうだ、一つ言い忘れていたことがあった」
「いい忘れていた事?」と中村。
 辻は頷く。
「ドアノブには犯人が指紋を拭き取った後に被害者の指紋が付いていた。つまり犯人が換気装置を外した後に被害者はドアを使ったことになる。犯人が細工したのは被害者が寝る前だ」
「辻さん、貴重な情報ありがとう」と浜崎。
「いやいや、礼には及ばないよ。そっちも頑張れよ!」
 そう言うと辻は部屋を後にした。

 辻が部屋を去ったあと、二人はDボックスに視線を向けた。
 中村は浜崎に言った。
「デカ長、一つお願いがあります」
「なんだ?」
「Dボックスの使い方を教えてもらえませんか」
 浜崎はあっけにとられた。このご時世にDボックスの使い方を知らないのはスマートフォンの使い方を知らないのと同じぐらい不思議なことだった。
「…本気か?」
「はい、両親が『Dボックスは麻薬だ、あんな物を使ってはならん』としきりに言っていたもので」
「まあ、間違ってはいないな」
 そう言うと浜崎はDボックスの前にかがみこみ、説明を始めた。

 Dボックスは鋼鉄製の直方体の箱で、高さは50cm、底面は一畳分、箱の厚さは3cmある。表面の色は黒、白、グレーが一般的で、ボックスの上面が蓋になっており、それを外すことで中に入って眠ることができる。鋼鉄の棺桶を想像してもらえれば分かりやすいだろう。
 Dボックスの中には特殊な電波が充満しており、ボックス内で眠ることによって使用者は好みの夢を見ることができるようになっていた。
 今回犯人が切除した換気装置はDボックスに内蔵されており、装置は使用者がボックス内で窒息しないよう換気を行うための物だ。

 浜崎の説明が終わると、中村は彼に感謝した。
「なるほど…そうですか。ありがとうございます」
 そして中村は近くにいた鑑識からプラスドライバーを借りた。
 浜崎は尋ねた。
「おい、何をする気だ」
「換気装置の切除跡を見ようと思っただけです」
 そう言うと中村はDボックスの傍にしゃがんだ。彼はドライバーでボックスのネジをいくつか取り外し、側面についていた縦横30cmほどの板を外した。
 するとボックスの中があらわになり、そこには多くの回線と電子部品が張り巡らされていた。その中に穴が一つ開いていた。これが換気装置を切除した後なのだろう。
 中村はしばらく穴を眺めた後、その場を離れた。浜崎は興味をそそられ、しゃがんで穴を観察した。穴の所々に工具で切られたとおぼしき導線や金属の突起があった。上から見るとそれらの切断面は全て左下から右上に向けてできていた。
 中村は疑問を示した。
「奇妙な切断面ですね。一体なぜこんな形になったのでしょうか」
 浜崎は穴を観察しながら返答した。
「犯人は切除にニッパーを使ったんだろう。あれは刃の部分が斜めになっているから切断面も斜めになるわけだ」
 中村は感心したようにうなずいた。浜崎は心の中で『ニッパーの知識は刑事ドラマでは知れないだろう』とほくそ笑んだ。

 浜崎はスマホを取り出すと、切除後を写真に収めた。そして彼はその場で立ち上がり、背伸びをした。
「さてと、この部屋を調べるとしようか」
 中村は異議を唱えた。
「ここは鑑識に任せて地取り(聞き込み)をした方がいいと思われますが」
 浜崎は否定する。
「いや、地取りの前にはっきりさせておきたいことがある」
「"はっきりさせたいこと"とは?」
「この事件が自殺か他殺か、だ。」
 その言葉に中村は同意した。
「確かにそれははっきりさせておきたいですね。わかりました、調べましょう」
「ありがとう。よし、じゃあ5分ほど別々に調べて回ろう」
 そして二人は部屋を調べ始めた。


 中村は部屋の中を調べた。部屋の家具や小物は綺麗に整えられ、埃や染みは全く存在しなかった。被害者は几帳面だったようだ、と中村は思った。
 彼は部屋を一通り調べたが、特に気になる点はなかった。ふと浜崎の方に目をやると、彼はテレビ鑑賞をしていた。中村は呆れ果てた。
 中村は浜崎に良い印象を抱いていなかった。表には出さないが、彼は浜崎のことを自惚れと頑固が同居した典型的な老害だと考えていた。老害は捜査で足を引っ張るため早々に退職させた方が良い、というのが彼の持論だった。

 部屋を調べ始めてから5分後、中村は浜崎に歩み寄った。浜崎はまだテレビを見ていた。
「デカ長、気になる点はありませんでした。」
「そうか」
 そう言うと浜崎は中村の方を向いた。
「それで、なにか気づいたことはあったか」
「気になる点は無いと先程―――」
 すると浜崎は中村の言葉を遮った。
「”気になる点”じゃない。”気づいたこと”だ。いいか、事件というのは一つのパズルだ。俺達刑事はそのパズルを埋めていき、犯人のピースを探し当てるのが仕事だ。そのためには気づいたことを掻き集めてパズルを埋めていくのが定石だろう」
「なるほど」
 とは言ったものの、中村の心に浜崎の言葉は響かなかった。中村は殺人事件を一つの物語だと考えており、登場人物の心情を追うことで犯人を探し出すのを得意としていた。
 しかし中村はそれを口に出さなかった。浜崎は県警から派遣された男であり、所轄の中村が逆らえる身分ではなかったからだ。
 中村は”自分の感想ですが”と断わった上で気づいたことを話し始めた。彼は浜崎に被害者が几帳面だったことを説明した。
 浜崎は満足げにうなずいた。
「そうか、それはよかった」
 中村は首を傾げた。
「どういうことです?」
「ああ、これを見てもらえれば分かる」
 そう言うと浜崎はテレビのリモコンを操作した。画面が切り替わり、録画一覧が表示される。
 録画されている番組は『連続テレビ映画 機甲騎士~最終回』の一つだけだった。番組は今日の午前1時から1時間半の間に放送されていた。
 浜崎は言った。
「最終回の予約をした人間がおいそれと自殺するとは思えない。それに―――」
 浜崎は壁のカレンダーを指さした。
「―――ガイシャはあのカレンダーに放送日程を全部書き込むほど『機甲騎士』が好きだったようだ…お前の言う通り、かなり几帳面だったんだな。ま、これで自殺の線は消えるだろう」
「…なるほど」
 中村は同意した。彼の中での浜崎の評価は”頑固な自惚れ”から”頑固な腕利き”に上がった。
 浜崎はテレビの電源を切った。
「さて、聞き込みに回るか」
 彼は部屋を後にした。中村はその後に続いた。

 二人が家を出ると、玄関前に大勢の野次馬が押しかけていた。野次馬は一様にスマートフォンのカメラを被害者宅に向け、集まった警官達がそれを必死に押しとどめていた。浜崎はため息をついた。
「俺がここに来た時から全く変わってないな。まるで砂糖に群がる蟻だ」
 中村も同意した。
「僕が来た時も既にこの状態でした。SNSで事件情報が一気に広がるのは捜査関係者にとって頭が痛いですね」
「全くだ」
 そして浜崎は中村に尋ねた。
「それで、出入り口はここしかないのか?他にあるならそっちを使いたいんだが」
「ここしかありません」
「そうか…」
 彼は諦めたように言うと、野次馬の中に突っ込んだ。彼は人をかき分けながら前へ前へと進んだ。
 人々はスマホのカメラを浜崎に向け、次々にシャッターを切った。
 浜崎は野次馬の群れから脱出すると、中村にこっちに来いと手で示した。中村は内心嫌だったものの、しかたなく野次馬の中に身を投じた。
 
 野次馬から抜け出した中村は、待っていた浜崎と合流した。
 彼らが最初に聞き込みをするのは被害者の隣人の予定だった。そこに到着するまでに2.3分の時間があったので、浜崎は中村にいくつか質問をした。質問は犯人の目星をつけるためだった。
「ガイシャの人間関係を教えてくれ」
 中村は手帳を取り出し答えた。
「佐藤信之は唯一の血縁者である娘夫婦と同棲していました。娘夫婦には子供がなく、佐藤は妻を半年前に亡くしています。娘の話によると佐藤は妻を亡くしてから暗くなり、娘婿との仲も険悪になったということです。人付き合いはほとんどなく、あるといえば散歩で会う人と少し交流があるくらい。そのため恨みや復讐の標的になるような事は思い当たらない、という話でした」
 動機から崩せるのは今のところ娘婿だけか、と浜崎は思った。彼は別の質問をした。
「ガイシャのDボックスの使用頻度はどのくらいだ」
「娘の話では毎晩就寝時に使っていたそうです」
「それ以外に使うことはあったか?」
「なかったと聞いています」
「そうか」
 そう言うと浜崎は顎に手をやり考えた。―――被害者が毎日就寝時にDボックスを使うとすれば、犯人がボックスに細工をした時間は昨日の被害者の起床から就寝の間に限られる。犯人も被害者の在宅中に細工しようなどとは考えないだろうから、細工をしたのは被害者が外出している間だ。そうなると時間的にかなり絞れるな。
 彼は思考を終え、中村に尋ねた。
「昨日被害者が家にいなかった時間は分かるか?」
「はい。毎日午前8時から1時間の散歩をするということでした。彼は外出をあまり好まなかったらしく、散歩以外に外に出ることはほとんど無かったようです」
「ガイシャの外出時間を知っている者は多い、ということか。そうなると、ガイシャが散歩している間のアリバイを調べていくことになりそうだな」
 浜崎は荒っぽく頭を掻いた。面倒な捜査になりそうだ、と彼は思った。


 中村が腕時計を見ると、時刻は午後0時だった。太陽は一日で最も高くなっており、影は最も短くなっていた。
 聞き込みから開始3時間経過か、と中村は思った。彼は浜崎に言った。
「デカ長、これ以上聞き込みをしても何か出てくるとは思えません。一旦昼食にしてはどうでしょうか」
 聞き込みでは被害者の娘の証言以上の情報は得られなかった。浜崎はうなずいた。
「確かにその通りだ。まあ、ガイシャの娘の証言が裏付けられただけでもよしとしよう―――中村、お前の昼食は決まってるか?」
「いいえ、決まっていませんが」
「なら近くに良い店がある。そこで飯にしよう」
 その言葉に中村は驚いた。県警勤めの浜崎がこの町の地理を知っていることが意外だったのだ。
 するとそれが表情に出たのだろう、浜崎は苦笑いして言った。
「この町では前に別の事件で捜査していてな…その時に良く行った店なんだよ」
「なるほど」
 中村は納得した。前の事件とはおそらくギロチン事件の事だろう。この町で起きたギロチン連続殺人事件に終止符を打ったのは浜崎だった。しかし彼はそれを口にしなかった。辻がタブーと言っていたからだ。
 浜崎はさっさと歩き始めた。
「店はここから5分で着く。さっさと行って飯にしよう」
 二人は牛丼屋へ向かった。

 牛丼屋は木造の小さな店だった。
 店の外壁は細長い木の板で作られており、それらは一様に表面を黒く塗られていた。入口の上には大きな木の板が掛けられており、そこには『野比屋』と書かれていた。建物は老朽化が進んでおり、なんとも”老舗”といった雰囲気だった。
 二人は横スライド式の入り口を開け、店内に足を踏み入れた。
 店内には2人用テーブルが2.3個とカウンター席が6つほどあり、カウンターの奥では店主と思われる男が立っていた。
 店主は40代中ごろで、少し脂肪のついたガタイのいい体はプロレスラーのようだった。彼は店のロゴが入った黒いシャツを着ており、頭には白い鉢巻を巻いていた。
 店主は来客に目をやり、浜崎の存在に気づいた。彼は親し気な笑みを浮かべた。
「おお、浜崎さん!久しぶりだね、今回も仕事かい?」
「そうだ」
 浜崎はカウンター席に座った。中村も彼の隣に座った。
 店主は中村に目をやった。
「そっちの青年は浜崎さんの相棒かな。随分若いけど、新人教育かい」
「まあ、そんなもんだ」
「浜崎さんも大変だねぇ」
 中村は店主に非難の視線を向けた。彼には天才刑事としてのプライドがあった。店主は視線に気づいた。
「おっとごめん、新米扱いは言いすぎだね」
「大丈夫です、いつもの事ですから」
 中村は冷たく言い放つと、テーブルにあったメニューを開いた。そして彼は少し驚いた。
「この店にはビールがあるんですね」
 現在日本では『禁酒推進委員会』と『飲酒推進委員会』という大きな二つの組織が戦っていた。ここ数カ月は『禁酒推進委員会』が優勢のため、酒類を出す飲食店は少なくなっていた。
 店主はうなずいた。
「禁酒も飲酒も、決めるのはお客さんであって店じゃないと思ってるからね」
「なるほど」
 中村は少し感心し、どれを注文しようか考え始めた。その間に浜崎は牛丼特盛を注文していた。
 中村はメニューに気になる表記を見つけた。彼は店主に尋ねた。
「酒類の欄にビールと生ビールの2種類があるんですが、何が違うんでしょうか」
 店主は牛丼を作りながらニヤッと笑った。
「その違いを気にするとは、君は若いながらも一流の刑事だね。ビールっていうのは酵母菌による発酵で造られるんだけど、酵母菌を放置しておくとドンドン味が落ちるんだ。だから昔は加熱処理をしていた」
 そう言うと店主は空の丼ぶりに白米と甘辛く煮た牛肉を載せ、浜崎の前に置いた。浜崎は近くの小箱から箸を取り出し、牛丼を食べ始めた。店主は言葉を続けた。
「まあ今は技術が高いから、わざわざ加熱処理をする必要はないみたいだけどね。それで加熱処理したビールのことをビール、処理してないビールを生ビールと呼ぶことになったんだよ」
「なるほど。それで、味にはどんな違いがあるんですか?メニューの画像はどちらも同じように見えますが」
 店主は悩ましそうに言った。
「そうだね、加熱処理した方が美味いとは聞くけど、あいにく僕は下戸なんでね、自分では飲んだことがないな。それで、ビール飲むの?」
「いえ、勤務中なので」
 店主は少し残念そうな顔をした。
「ああ、そうだったね。で、そろそろメニューは決まった?」
 中村はメニューから昼食を選んだ。
「卵牛丼の大盛をお願いします」
「あいよ!」
 店主は元気よく返事すると牛丼作りに取り掛かった。
 中村が横を見ると、浜崎の丼ぶりは既に空になっていた。


 二人は昼食を食べ終わると、代金を支払って外へ出た。
 中村は浜崎に尋ねた。
「これからどこへ行きますか。個人的には、被害者の娘夫婦のアリバイを確かめたいところですが」
「いや、その前に向かうところがある」
 中村は少し驚いた。他に行き先候補があるとは思えない。
「それはどこですか?」
「蛇の道は蛇、と言うだろ」
 浜崎は意味ありげな笑みを浮かべた。
 中村は彼が何を言いたいのか分からなかった。
「まあ、ともかく付いて来い」
 浜崎は再び歩きだした。彼はしばらくすると思い出したように中村に尋ねた。
「ああそうだ。中村、お前は現場に来るとき何を使った」
「何も使っていません、徒歩です。署から近かったので」
「よし、丁度いい。移動時は俺の車に同車しろ。車はガイシャの家の近くに着けてるからそこまで戻るぞ」
 浜崎は被害者宅へと足を向けた。中村も共に歩いた。
 
 被害者宅のすぐ横に、2車線道路が走っていた。道路には人や車が全くおらず、真新しいアスファルトで造られていた。
 浜崎の車は道路の端に停めてあった。銀色のアクセラだった。
 浜崎は道路を見て言った。
「お、あの邪魔な車が居なくなってるな。ありがたい」
 中村は浜崎の言葉が気にかかった。
「邪魔な車、ですか」
「俺が来た時には車が一台止まってたんだよ。抹茶色の軽自動車だったな。おおかたSNSに釣られてやってきたんだろうが、こっちにとっては迷惑な話だ」
「なるほど」
 中村はうなずいた。
 浜崎はアクセラに歩み寄ると、キーでロックを解除し車に乗り込んだ。中村は助手席に座った。
 浜崎は電源ボタンを押した。エンジンの音が鳴り始めた。
「さて、行くか」
 彼はアクセルを踏み込んだ。

 10分後、浜崎は車を停めた。
 彼が電源を切ると、二人は車から降りた。
 中村の視界に小さなレンタルショップが映った。白いコンクリート造りの店で、入口の横に『レンタルゴーダ』という看板が置いてあった。
 店の入り口は押しボタン式の自動ドアで、鉄製のため店内の様子は見えなかった。
 浜崎がボタンを押すと、入店音と共に扉が開いた。二人は店内へ足を踏み入れた。

 店に入った中村は目を見張った。レンタルショップといえば店内に映像や音楽系のディスクを大量に並べているものだが、それが全くなかったのだ。その上店内は公衆トイレのように狭く、いくつかの座席とカウンターがあるだけだった。
 店内では店員とおぼしき男がカウンターを挟んで女性と会話していた。
 男はガタイのがっしりした中年の小男で、その凶悪そうな顔は盗賊を連想させた。男は鼠色のスーツを着ており、胸には『レンタルゴーダ店長:剛田乾』というプレートが付けてあった。
 剛田は浜崎の姿を見ると驚いた顔をした。彼はすぐさま襟元に挟んだ小型マイクに話しかけた。いかにも悪事を働いていそうな動作だった。
 中村は反射的に飛び掛かろうとしたが、浜崎がそれを制した。
 浜崎は小声で言った。
「そう急(せ)くな。あいつはなにも企んじゃいないよ」
「なんでそう言い切れるんです」
「旧友だからさ」
 その言葉に中村は何も言い返せなかった。彼は大人しく浜崎の横に突っ立った。
 しばらくするとカウンターの奥の扉から一人の青年が現れた。青年はのっぺりとした顔立ちが特徴的で、ヒョロッと背が高かった。
 剛田は女性の話し相手を青年に任せると、浜崎に歩み寄った。
 彼は小声で言った。
「浜崎の旦那、何か用かい?」
「お前の知恵を借りたい」
「なるほど、では職員用休憩室の方で伺いましょう。ちょうど今そこには人がいませんし、ここで話すと他の方の迷惑になるので」
 そう言うと剛田はカウンター奥にある扉を示した。浜崎はうなずいた。
「わかった」
「では、ついて来てください」
 そう言うと剛田は扉へ向かった。浜崎と中村はその後に続いた。

 職員用休憩室は3畳の和室だった。部屋には小さなちゃぶ台があり、その上には積み上げられた紙コップと麦茶の入ったペットボトルが置いてあった。部屋の隅には座布団が4つ重ねられていた。
 剛田は二人に座布団を奨めると、二人の前に紙コップを置き、それにペットボトルの麦茶を注いだ。
 二人は礼を述べ、麦茶を口にした。
 剛田は自分の座布団を置くと、そこに座った。彼は口を開いた。
「それで、知恵を借りたいとはどういうことですかな」
「こういうことはお前の専門分野だと思ってな。意見を聞きたい」
 浜崎は空になった紙コップをちゃぶ台に置き、スマートフォンを取り出した。そして換気装置切除跡の画像を剛田に見せた。
 剛田は感嘆の声を出した。
「はーっ、なるほど。いやはや、まさかこんな面倒をする輩(やから)がいるとは」
 その言葉に浜崎は疑問を抱いた。
「面倒?」
「ええ、面倒ですとも。見たところそれはDボックスの換気装置を切除した跡のようだ。Dボックスの換気装置は様々な警報装置が取り付けてあるんで上手く切除するのがとっても面倒で。達人でも30分は必要でしょう」
 浜崎と中村は驚いた。浜崎は尋ねた。
「そんなにかかるものなのか」
「ええ、そりゃあもう。マニュアルを読みながらやれば誰でもできるっちゃできますが、1時間半はかかる。まあ、一二回練習すれば45分ぐらいで終わらせられますが」
 剛田はそう言うと浜崎に尋ねた。
「それで、他に聞きたいことは?」
「いや、特にない」
「そうですか、ではこれをどうぞ」
 そう言うと大堂は二人に名刺を渡した。名刺には『レンタルゴーダ店長:剛田勉』と書いてあり、電話番号と住所が記載されていた。
 名刺を見た浜崎は笑みを浮かべた。
「解体屋だったお前が今ではレンタルショップの店長か。頑張ったんだな」
 解体屋とは盗品をパーツに分解して売りさばく犯罪者のことだ。
 剛田はヘコヘコと頭を下げた。
「旦那方にはご迷惑をおかけしました。解体屋の果てに強盗で逮捕―――一時はどうなるかと思いましたが、出所後はこの店を立ててなんとかやっております」
 するとその時、浜崎の目が光った。獲物を見つけた狼の目だった。
「そういえば、ここはレンタルショップなのに商品が全く置いていないな。いったいどういう訳だ?」
 剛田の顔が一瞬凍り付いた。彼は困ったように言った。
「どうしても言わなければならんのでしょうか」
「言わなくてもかまわないが、監視の目がつくかもな」
「そうですか…」
 剛田はしばらく悩んだ後、口を開けた。
「ここからの話はオフレコで頼みますよ」
「内容によるな。犯罪であれば見逃せん」
「いえ、滅相もない!…そうですね、言うなればこの店は信頼をレンタルしてるんですよ」
 浜崎は言葉の意味が理解できなかった。彼は尋ねた。
「信頼を?」
「そう、信頼ですよ。愛の信頼です。百聞は一見に如かず、これをご覧ください」
 そう言うと剛田はポケットから黒い箱を取り出した。箱は消しゴムほどの大きさで、プラスチック製だった。
 剛田は箱をちゃぶ台に置くと、二人に尋ねた。
「これは何だと思います?」
 すると中村がスラスラと話し始めた。
「最新型のGPS発信機ですね。見た所電池入れ替え無しで一か月は使える型です。確か、この型は位置情報がスマートフォンに送られてくるシステムだったはずです」
 剛田は驚いた顔をした。
「ほーっ、よくご存じで。いったいどこでその知識を?」
「刑事ドラマです」
「なるほど、最近の刑事ドラマはそんなことまで説明するんですな」
 浜崎はこのまま二人に会話させると長話になると感じた。そこで彼は口を挟んだ。
「帰るぞ。聞きたいことは聞いた」
 浜崎は立ち上がり、剛田に顔を向けた。
「捜査協力感謝する。レンタルについては外部に漏らさないから安心しろ」
「そりゃありがたい。お二方、愛の信頼が必要になったらぜひ我が店を訪ねてください。お二方なら2割引きでお貸ししますよ」
 そう言うと剛田は二人を出入り口まで送った。

 店を出た二人は車に向かった。
 背後で自動ドアが閉まると、浜崎は小声でつぶやいた。
「愛の信頼―――か。俺にはもう関係のない話だ」
 中村は首をひねった。
「どういう意味です?」
「…なんでもない。さあ、娘夫婦のアリバイ調べだ」
 浜崎は車に乗り込んだ。
 中村は浜崎の言葉の意味を知りたかったが、教えてもらえそうにないので黙って助手席に座った。



 浜崎は車を発進させようと思ったが、行き先が決まっていないことに気が付いた。
 娘夫婦のアリバイ確認をするのはいいが、そもそも彼はアリバイを知らなかったのだ。
 彼は中村に尋ねた。
「娘夫婦のアリバイを教えてくれ」
 中村は手帳を取り出した。
「娘は広本真奈美46歳。平日の午前中はいつもスーパーのパートに充てており、昨日も同じだと証言しています。夫の方は広本康太50歳。娘の話では昨日は一日中会社にいたそうです」
「スーパーと会社の名前は?」
「スーパーの名前はヤスイで、会社の名前はフナコシビールきさらぎ支店です」
「わかった。じゃあスーパーから行くとしよう、あっちの方が近い」
 そう言うと浜崎はアクセルを踏み、ハンドルをきった。

 スーパーに着いた二人は店内を見回した。
 現在時刻は午後1時20分。丁度人の少ない時間帯だった。
 浜崎は並んでいないレジを見つけると、そこの店員に話しかけた。
「警察の者です。店長と話がしたいのですが」
 浜崎は警察手帳を見せた。
 店員は少し驚いた様子だったが、「わかりました、ちょっと待って下さい」と言ってどこか駆けて行った。

 数分後、一人の男がやって来た。
 男はエプロンを着ており、それは右半分がオレンジ、左半分が緑色だった。エプロンのど真ん中には『スーパーヤスイ』と印刷されていた。
 彼は見た所40代と思われ、中肉中背の体型をしていた。ぽっちゃりとした顔には丸い眼鏡をかけていた。
 男は浜崎に話しかけた。
「私がこの店の店長の八鹿重正(ようかしげまさ)です。それで…あの、どういった要件でしょうか」
 気の弱そうな男だった。
 浜崎は言った。
「大した用じゃありません。昨日の午前中に広本真奈美さんがここで働いていたと聞きまして。我々はそのことについて話を聞きに来たという訳です」
「あの、広本に何か?」
 八鹿のようなタイプの人間は相手を警戒しやすい。浜崎はプレッシャーを与えないよう常套句を口にした。
「彼女の父親が今朝亡くなりました。事件性は低いのですが、形式上裏付けを行うことになりまして」
 店長は安堵の笑みを浮かべた。どうやら広本に容疑がかかっていないと早とちりしたらしい。
「そういうことでしたか。それで、何をお知りになりたいんですか。もちろん、できる限り協力しますよ」
「広本さんの昨日の勤務時間を知りたいのですが」
「ああ、それなら覚えています。彼女は昨日の朝、7時半から10時半まで働いていました。間違いありません」
「その間、広本さんの姿が見えない時間帯はありませんでしたか」
「無いと言ったら嘘になります、仕事の合間に彼女の姿が見えただけですから。ですが、もしここを離れていたとしても15分より長いことは無いはずです。そんなに長かったら私が気づきます」
「そうですか、わかりました。ご協力ありがとうございました」
 浜崎はそう言うと、中村と共にその場を後にした。

 車に乗り込むと中村は言った。
「15分ですか、細工をするにはあまりにも時間が足りません。彼女はシロのようですね」
「そうだな。ここからガイシャの家までは車を使っても5分はかかる。往復なら10分だ。とても犯行はできない」
「ということは、犯人は広本康太でしょうか」
「それをこれから確かめに行くんだ」
 浜崎はフナコシビールへ車を進めた。

 フナコシビールきさらぎ店は5階建ての新築ビルだった。ビルと言っても小柄なもので、支店として新たに建てられたのだと容易に想像がついた。
 二人は道端に車を停めると、会社の受付へ向かった。
 ガラス製の自動ドアをくぐると、石製の小さなロビーがあった。
 ロビーでは2台の監視カメラが入口を見張っており、受付カウンターには女性スタッフが座っていた。
 浜崎はスタッフに警察手帳を見せた。
「警察の者です。広本康太さんにお会いしたいのですが」
 スタッフは警察手帳をじっと眺め、静かにうなずいた。
「少しお待ちください。本人に連絡しますので」
 スタッフはカウンターにあった固定電話を取り、ボタンを押して内線をかけた。
 内線が繋がると、彼女は警察が来たことを相手に告げた。彼女はしばらく会話した後、「はい、伝えておきます」と言って受話器を置いた。
「広本と話をつけました。仕事が忙しいので自分の所まで来てもらいたいとのことです」
「自分の所とは?」
「広報部飲酒推進課です。エレベーターを3階で降りてすぐ左手にあります」
「わかりました」
 浜崎と中村はロビーを後にし、エレベーターへ向かった。

 広報部飲酒推進課はオフィスの片隅にポツンとあった。そこでは5名の人員がデスク業務に忙殺されており、電話をするかパソコンをするか、もしくはその両方をしていた。
 浜崎はこういう場所で過労死が生まれるんだろうなと思った。

 部屋には向かい合わせのデスクが2セット、そして奥に他よりわずかに大きなデスクが一つあった。
 壁はほとんどが資料を収めた棚に制圧されており、わずかに残った隙間も飲酒推進委員会のポスターで埋め尽くされていた。
 浜崎は近くにいた男に話しかけた。
「警察の者ですが、広本康太さんはどの方ですか」
 その男はデスク業務を行っており、ディスプレイを睨みつけながら猛スピードでキーボードを叩いていた。彼は一瞬浜崎を睨みつけた後、一番奥のデスクを指さした。

 奥のデスクでは広本康太が仕事をしていた。
 彼は身長180㎝前半の筋肉質な男だった。太い眉と短い髭が印象的で、元ボクサーと言われても全く違和感のない見た目をしていた。
 広本はパソコンを操作しながら電話をしていた。浜崎は広本に歩み寄ったが、彼の鬼気迫る表情を見て話しかけるのをためらった。結局彼は警察手帳を提示するに留めた。
 広本は警察手帳にチラリと視線を向けると、「急用ができましたので、話の続きはまた後日」と言って電話を切った。
 浜崎と中村は自己紹介を始めた。
「時間をとって下さりありがとうございます、捜査一課の浜崎です」
「きさらぎ署から派遣されました、中村です」
 広本はデスクの上で手を組み、口を開いた。
「広報部飲酒推進課課長の広本です。捜査一課の方が私に何の用でしょう。思い当たる節がないのですが」
 どうやら義父親が死んだことは知らされていないようだった。D案件のため警察が情報を出し渋っているのだろう。それにしても親族に伝えないのはやりすぎだと浜崎は思った。
 浜崎は重々しい声で言った。
「佐藤信之さんが亡くなられました」
 広本の目が大きく見開いた。彼は大きく息を吸い込むと、大きくため息をついた。
 それにより彼は落ち着きを取り戻した。
「刑事さん、一体どういうことですか」
「今朝、佐藤信之さんが窒息死体で発見されました。我々は現在自殺と他殺の両方で捜査をしています」
 広本は腕を組んだ。彼は口をすぼめて勢いよく息を吐き出し、思考を整理した。
「そうですか…それで、なぜ刑事さん達が私の元に?事件を伝えるだけなら電話で済むでしょう」
 どうやらこの男、かなり頭が切れるようだった。こういう男にごまかしは通用しない。
 浜崎は直球で言った。
「あなたに殺人容疑がかかっています」
「ほう」
 広本は意外そうに言った。少しウキウキしているようだった。
「なるほど、当然でしょうね。義父とは仲が悪かったですから。それで、何か証拠でも見せにいらしたんですか?」
 浜崎は否定した。
「いえ、違います。あなたが昨日の午前中どうしていたのか、それを聞きに来ました」
「アリバイ確認ですか、いいでしょう。昨日の午前中はずっとここで仕事をしていました。嘘だと思うなら昨日の勤務状況一覧表を見てみてください。ロビーの監視カメラは社員の顔認証システムと連携していましてね、いつ誰が会社にいたのかを一覧化してくれてるんですよ」
 ここで中村が口を挟んだ。
「そんなシステムがあるんですか。しかし、一体何のためです?」
 広本はため息をついた。
「見てわかる通り、広報(うち)はかなり重労働でしてね。一昔前は一日15時間労働なんてざらでした。そのせいで数年前に過労死が起きまして、それ以降残業を制限するために社内の勤務状況を一覧化することになったんですよ。まあ、残業が制限されたのに仕事の量は変化有りませんでしたから、結果仕事のスピードを上げる羽目になりましたが」
 中村は同情した。
「そうですか、では仕事の邪魔にならぬよう私達は早々に退却します。それで最後に一つ聞きたいのですが、勤務状況一覧を入手するにはどなたに伺えばいいのでしょうか」
「それなら、ロビーの傍の警備室に行けば貰えると思いますよ」
 浜崎は二人の会話をただ見ることしかできなかった。彼は新米に役目を奪われるのが気に食わなかった。
 中村は広本に礼を述べた。
「ありがとうございます、では我々はこれで失礼します」
 中村はさっさとその場を後にした。浜崎はその背中を睨みつけ、苛立ちを抑え後に続いた。


 中村は警備室で昨日の社員勤務状況一覧を受け取ると、浜崎と共に会社を後にし、車に乗り込んだ。
 浜崎はシートベルトを締めたが、車を発進させなかった。アリバイ確認が終わった今、特に行く場所はなかった。
 浜崎は中村に言った。
「中村、でしゃばりすぎだ」
 彼はアリバイ確認に水を差されて腹を立てていた。
 中村は浜崎に冷ややかな視線を向けた。
「申し訳ございませんでした」
 謝罪はまるでアイスのように冷たく、滑らかだった。
 浜崎は誠意のない挨拶が気に入らなかったが、一応謝ったので許してやることにした。
「わかればいい。それで、資料の内容はどうだ」
 社員勤務状況一覧は6枚の紙で構成されており、一枚につき4時間分の勤務状況が記されていた。
 中村は資料にざっと目を通した。
「どうやら、広本の言葉は本当のようです。彼が会社を出たという情報はありません」
「そうか…」
 警備室にいた警備員は、この会社に正面以外の出入り口はないと断言していた。つまりロビーのカメラに隠れて出入りすることはできないということだ。警備員は仕事が楽だと言って喜んでいたが、浜崎は容疑者が全員アリバイを持っていることに頭を痛めた。
 浜崎は思わず頭を抱えた。
「これで捜査はふりだしか…。動機が見つからない以上、捜査難航は確定だな」
 浜崎が意気消沈する中、中村は反対にイキイキしていた。
「これは中々興味深い展開です。まさに刑事ドラマによくある”アリバイ崩し”ですよ。アリバイトリックを暴き、犯人を特定するんです」
 刑事ドラマ好きもここまでくると清々するな、と浜崎は思った。
 するとその時、浜崎のスマホが着信を告げた。
 彼は発信者を見た。一課長からだった。浜崎は通話開始のボタンを押した。
「もしもし、こちら浜崎」
『浜崎、残念な知らせがある』
「残念な知らせ?なんです」
 すると一課長は言いにくそうに言った。
『気を落とさずに聞いてくれ―――捜査は中止になった』
 浜崎は絶句した。そんな彼をよそに一課長は言葉を続けた。
『事件は保険金目当ての自殺と断定した。今すぐ捜査を終了してくれ。これは決定事項だ』
 浜崎は腹の奥で怒りが煮えたぎっているのを感じた。
「一課長、このヤマは他殺です。間違いありません!」
『そうは言うがな、証拠でもあるのか』
 浜崎は何も言い返せなかった。現場のテレビに入っていた録画やカレンダーの予定も、他殺に偽装するための細工だと言われればそれまでだった。
 浜崎が黙り込むと、一課長は言った。
『残念だが、証拠がないならそれまでだ。捜査は終わりだ、早く帰って休め』
 一課長は通話を終了した。無機質な話中音が浜崎の耳にこだました。
 中村は浜崎の様子を見て、何か尋常でない事態が起きたのだと察した。
「デカ長、どうしました」
 浜崎はスマホをしまうと、背もたれに体重を預けた。彼の口から力ない言葉が漏れた。
「上はこのヤマを自殺で処理した。捜査は終わりだ」
 中村は口を開け、呆然とした。驚きのあまり脳の機能が停止していた。
 驚きの波が去ると、彼の中で怒りが煮えくり返った。
 中村は怒鳴った。
「ありえません!この事件は殺人です!自殺で処理するなんて、犯人を見逃せと言ってるようなものです!」
 浜崎は疲れ果てた声で言った。
「D案件だからだろうな、上はできるだけ事を荒立てたくないんだろう。もしかしたら最初からこうするつもりだったのかもしれない」
「許せません!部長に抗議してきます。こんなことが許されていいはずがありません!」
 浜崎は中村に視線を向けた。その目には絶望が宿っていた。
「そうか、なら県警まで送ろう。だが、俺は抗議しない」
「なぜです!デカ長も同じ気持ちでしょう!?」
「いや、俺は怒っちゃいない…ただ、疲れた」
 浜崎は斜め下を向いた。その様子は燃え尽きた炭のようだった。
 中村は浜崎の気持ちを理解した。浜崎は何をしても状況が変わらないことを知っているのだ。
 中村は勢い良くため息をついた。
「では、県警までお願いします」
「ああ、分かった」
 浜崎はアクセルを踏み込んだ。

刑事もの(前半)

執筆の狙い

作者 角田 考
210.146.167.133

刑事もの難しい。半分ほど書きましたが、なんか、面白くないような、気がします。序盤は結構うまくいったのだが…。
アドバイスと指摘がたくさん必要だと思うのでお願いします。
必要なだと思ったことは盛り込もうと思います。

コメント

hir
210.133.222.216

 死因はDボックスの不具合で、ブラックラック社が事態の隠蔽を警察上層部に働きかけ、他殺に見せかける偽装工作をした。と推理してみました。
 伏線のつもりかもしれませんが、場面がころころ変わり、状況が把握しづらい。事故か事件かわかっていないのに、犯人捜しをしているようです。
 娘が発見したとき、Dボックスは開いていたのかな。

アフリカ
49.104.37.248

拝読しました

刑事もの僕も好きなのですが

なんだろう。なにが好きって別に謎を解いていくのが面白い訳じゃなくて(そんなのはコナンにやらせとけ!)渦中に巻き込まれて刑事がもがいて足掻いて苦しむ姿が好きなのかも?

だから。現場みて「よし!お前が犯人だ!」となるならそれこそ少年探偵に好き勝手にやらせとけばいい。

御作のテイスト的に少年探偵や火曜のサスペンスの臭いを感じたのは多分好き好きなのだろうけど、伝説のと出た時点で僕的には、ん〰️となってじいました。

読みやすいし、くどくないからスラスラいけるのはとても好感でした。

ありがとうございました

角田 考
210.146.167.133

hirさん指摘ありがとうございます。
場面がころころ変わることについては、移動して捜査するのが基本なのでどうしようもない…ですので移動してもわかりやすい書き方が見つかればそちらを取り入れようと思います。
自殺か殺人かはっきりしない点は、すみません。書き方の都合上カットした部分があるせいです。カット部分を入れる方法を思いつき次第直しておきます。
発見時にDボックスが開いていたかどうかについては、閉まっていました。説明が必要かどうか、悩むところです。

アフリカさん指摘ありがとうございます。
”伝説の刑事”というのも一応伏線なのですが、ちゃちく感じられてしまうようですね…代案が浮かんだらそちらに変えておきます。

126.140.193.128

やっぱり<伝説の刑事>はやめたほうがいいよ。
<凄腕>とかなんとかして。実際の<伝説の刑事>は、昇進試験を受けることなく警視だか警視正に
昇進した平塚八兵衛くらいだから。

126.140.206.135

あのね。捜査はまず、所轄なの。捜査員不足なら本庁が出張るけどね。
デカ長、て云うのはフィクションです。それでもええけど

角田 考
210.146.167.133

・さん、指摘ありがとうございます。”伝説の刑事”は変更しておきます。
最初は所轄が担当ということに関しては、D案件だから有能な二人が組まされたという設定になっております。

角田 考
210.146.167.133

上の補足。D案件のために事件の早期解決が要請され、所轄と県警の有能な刑事二人が組まされた、という設定になっています。

警察マニア
49.98.164.54

合同捜査本部も設立させ登場させなきゃ。

角田 考
210.146.167.133

合同捜査本部か…当初の予定では登場させるつもりはないのですが、検討してみます。

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