作家でごはん!鍛練場
TK

スカイグロウ

 こんな色の夜空を見たことがなかった。
 宝石で例えればアメジスト。深夜一時過ぎだがかすかに明るい。闇の奥にささやかな光をぎりぎりのところで留めているような空だった。
 終電を逃し、隣町の駅へと歩いていた。周囲には住宅団地が広がり、ぽつぽつと街灯が道に沿って続いている。光のあるところから光のあるところへと足を進める。明るいところに出るたび、羽虫の影が目の中にひらひらとはためく。
 右手には白い金網があり、その向こう側に線路が伸びている。もう電車は走っていない。
 この街のなかに思いがけず現れた空洞。線路が伸びるその方向にはビルの明かりが幾つも重なっている。
「ずいぶん丁寧に仕立てられているね」
 人の気配など無いのに、声だけが僕の耳に届く。
 足を止めた。
 だれ、という声を待たず、居場所を教えるかのような口笛が聞こえた。その音に誘われて、僕の視線は線路のうえを滑る。
 誰か立っている。
 鉄道信号機の電柱に背中を預けるようにして、人間のような姿が見える。
 空気のなかに滲んだような赤信号の灯りで、黒い影の動きを捉えることができた。
「そのスーツ」
 声の主は顎を動かして、僕が着ている服を指し示した。長い髪が揺れた。正体は分からないが、女であるらしい。
 その女らしき存在の言うとおり、僕は上等な燕尾服を着ている。もっとも美しい角度の襟元に、蝶ネクタイを付けている。僕みたいな年齢の人間には似つかわしくないほどの高級品だ。両親に頭を下げてお金を半分以上出して手に入れたものだった。
「キミのようなジェントルマンが、なぜこんなところで一人なんだい? そんな黒い服で夜道を歩くなんてーーここから居なくなってしまいたいの?」
「仕事着なんですよ、これでも」
 無視して通り過ぎることもできたはずなのに、口を開いていた。するりと、吸った息を吐くかのように、そのまま余計なことまで口に出してしまいそうになるほどに。
「へえ」
 ふと、小さな光が輝いた。女の人差し指に火が点る。その指を口元の煙草にゆっくりと押し当てる。手慣れた動きだった。そういうものなのだろう、と思った。
「私がなぜここに居るのか、尋ねてみたくならないのかい?」
「貴方のほうから話しかけてきたので」
「うわ、そんな返事? 素直に驚いてくれる人間が、この頃めっきり減ってしまったものだね」
 少しふてくされたような声。確かに、何を見ても頑なに驚こうとしない人間は一定数居る。僕自身も、今までの仕事で幾度もそいつらに悩まされてきた。
「まあ、個人の自由とか言うじゃないですか、ここ最近は特に。貴方がそこに居るのも、貴方自身がそこに居たいと思ったからですよね」
 不躾な物言いだと解っているのに、僕の口は突き放すような口調のまま変わらない。個人の自由。便利な言葉だ。僕が今の生き方を選んだとき、ありとあらゆる人間から聞かされてきた言葉。
「それで他人の自由を尊重しているつもりかい? 他人の存在を認めてやるのは誰にでもできるだろうさ。口だけで認めるだけならね」
 まぶしい。
 煙草を持っていないもう片方の手から新たに光が放たれ、女の全身を照らし出した。
 ベティちゃんの黄色いTシャツにジーパン。
 僕の想像を裏切ってきたかのようなラフな出で立ち。
 そして燕尾服の僕は一体何者なのだろう、と自分で自分がわからなくなる。
「変な人、ですね」
 そんなことしか口に出せない。
「その仕事着とやら。キミも一般市民とは程遠い存在のように見えるけど。変わり者どうし、ここで少しおしゃべりでもしようじゃないか」
「あの、僕、急いでいるので」
「急いだところで、着いた先で眠るだけだろう?」
 その通りだった。僕は眠りたいだけで、何も急いでなどいなかった。そして目覚めることもないのだから、いつ眠りにつこうが、もう関係のないことだった。
「手品を、ご覧になられたりしますか」
「私の得意分野だよ」
「空がへんに明るいのは、貴方が仕掛けたものですか」
「キミならタネを見抜けるだろう。手品師なら」
「案外、意地の悪い人ですね。そんな台詞、一度でいいから口にしてみたかったですよ」
 女の冗談に思わず苦笑いを浮かべてしまう。女の方も控えめに笑みをこぼしているようだ。男と女でなにか秘密を共有しあったかのようで胸の奥がくすぐったい。
 女は口笛を吹き始めた。『オリーブの首飾り』だった。その音色を耳にするのは僕だけ。女は僕のためだけに、その澄んだ音をはかなく漂う闇に遊ばせた。手品ごっこに励んだ僕を茶化しているような響きが妙に心地よくしみわたる。小馬鹿にされているようでありながら、憤りの感情が衝いて出てこないのが不思議だ。
「どうすれば、貴方のようになれたのでしょうね」
 気がつけば、そんなことを尋ねていた。たった今出会ったばかりの、不法侵入しているこの女性に。
「どうした? 全てを擲ったかのような質問だね。キミが私になれるはずがないだろう。私がどう足掻いても、キミになれないのと同様にね」
「そんなこと、知ってます。解ってます。だから解らなくなったんですよ。一人で、どうにかしていかなければならなかったんです。僕のことは、僕自身でなければ分からないはずで」
 咳き込んだ。思いも寄らない身体の部分から言葉が突き抜けた。誰にも見られたくない部分を見られたような気がした。電子レンジで加熱して脱気したあとの食品包装のように、
僕の感情はある部分だけが火傷しそうなほど熱いくせに、くちゃくちゃに萎びていた。
 こんなとき、大抵の人間が見せる曖昧な微笑みというものを、この女性はしなかった。彼女は僕に冷厳な視線を向け、僕の心のなかに見つかった甘えや弱さを刺し貫いてくる。
「キミは私になりたいわけじゃないね。キミという存在そのものを辞めたがっているだけだよ。自分自身に期待を寄せることができなければ、この『眩象』を招き入れることはできない」
 あらゆる物事は起こるべくして起こる。
 少なくとも、ターフグリーンのテーブルの上で起きる出来事はすべて必然。
 僕の掌の中で起きる「奇跡」とやらも、ただ観客たちが真実を知らないだけ。
 そんな必然を、この女性はいとも容易く毀してくる。今まで知らずに来た真実を、僕の目にありありと映し出して見せる。
 煙草が最後の朱い光を放つ。二本の指で挟んで口から離し、前方に投げ捨てたと同時に一気に燃え上がって消失した。
「この世で可能なかたちで、可能な限りで、夢を観るがいい。こんな色の夜空があったのだということを、心の中にしまい込んでおくがいいさ」
 そして、彼女も姿を消した。
 なにか言い残したことがあったような気がするのに。
 息を吐いた。僕もなんだか喫いたい気分になった。

 駅前のドン・キホーテでトランプを買った。黄色のレジ袋を手に提げて店を出た。まだ始発電車が来る時間には早すぎる。
 人通りの少ない市街地の歩道。アニメのコスプレをしていると思われる白人の男が、バス停の側にあるベンチに座って、スマートフォンを片手に電話している。車道の上をタクシーが走り抜けるエンジン音が後を引くように消えていき、静まり返る。自分の靴底が立てる音だけに集中する。
 僕は梶井基次郎の『檸檬』を思い出した。洋書店の棚にレモンを置いて、爆弾を仕掛けたつもりで店を出るという有名な下りがある。僕ならこの街のどこにレモンを仕掛けるだろう。そして、そいつが爆発したとき、この社会はどんな合理的な説明を重ねて僕に有罪判決を言い渡そうとするのだろうか。
 モーニング無料と書かれたのぼり旗が置かれているのを目にしたので、雑居ビルのなかにあるマンガ喫茶へ入った。
 無料なのはフライドポテトだけだった。メロンソーダをパソコンデスクに置き、燕尾服の上着をハンガーにかけて、リクライニングチェアに腰を下ろす。ぐぐ、という寝息が隣の個室から聞こえてきた。蛍光灯の照明で、僕の影がパーテーションに映り込んだ。
 買ってきたトランプを取り出す。
 オーバーラップされた無地のフィルムを剥がし取る。
 紙箱のフタを開けてデッキを手に取る。五十四枚の厚みは僕の指に馴染み深いものだ。
 大きなスペードのAがあり、Kまで順に並んでいる。クローバーへ、ハートへ、ダイヤへとスートが順に並び、最後にジョーカーが二枚。
 その二枚を抜き取って、テーブルの上に置いた。
 髪の長い魔女の、微笑する横顔が相対する。
 あれはそういうことだったのさ、と僕はひとりで納得した。
 スマートフォンで時計を見ると5時だった。そろそろ駅に向かって歩き出せば始発に乗って帰れそうだ。
 僕は一枚のジョーカーを手に取り、黒いメカニカルキーボードのスペースキーとV,B,Nのキーとの隙間に挿し込んだ。そしてもう一枚のジョーカーを、燕尾服の胸ポケットの中に入れた。
 心臓のすぐ側にこのジョーカーを忍ばせておけば、僕に新たな夢を観る力を与えてくれるような気がした。
 マンガ喫茶を出て、駅を目指す。
 外は白みがかっていた。
 街が正気を取り戻していくなかで、僕の足はひたすら前へと進んでいた。

スカイグロウ

執筆の狙い

作者 TK
124.145.24.105

どうもこんにちは。拙作をお読みいただきましてありがとうございます。
かなり前に別名義でこちらに投下しておりました。

小説を書く、という行為以外でやり甲斐を持てるものを見つけたのですが
ときどき自分のなかで、あまり現実的ではないが心惹かれる言葉を見つけることがあり、そんなときに小説らしきものを書いてみたりしております。職業的なやり方ではないので、作家になれる見込みはないと思われますが……

小説を書くという行為を、真摯な気持ちで続けていれば、現実がいい方向に転がっていく。
ずいぶんと気持ちを楽にして書くことができるようになりました。

こちらの作品も、あまり深刻ぶらず、等身大の言葉で書くことを心がけたつもりです。
技術的なことで言いますと、単文での改行を連ねて書いた点などがあります。
小説など普段読まないような人に対して「あ、小説って良いかも」と思ってもらえるような作品になってると嬉しいかなあ。

なにか思うところがございましたら、感想をいただけますと幸いです。

コメント

からから
49.98.141.35

会話がずっと一人で話しているみたいで、書き分けが甘いかなと感じます。

「彼女」の存在が「僕」の妄想であるという線も考えましたが、もっとも、御作の中心となる会話とか語られるものが、意味ありげなようでさほど印象に残らないので、「彼女」が実在していようがしていまいが関係なく、根本のところに問題があるのかもしれません。

>ずいぶんと気持ちを楽にして書くことができるようになりました。

これは良いことですね。

偏差値45
219.182.80.182

うーん、完読はしたものの残念ながら普通に理解にできないかな。
もう少し分かりやすく書いてもらえると助かりますね。

>小説など普段読まないような人に対して
「あ、小説って良いかも」と思ってもらえるような作品

費用対効果で大きくプラスにすることだと思います。
もっと簡単に言えば、満足度でしょうか。

103.5.142.235

読みました。うん、すごく良い小説ですね。

現実に無いものをまるであるように見せかける(夢を見せる)のが手品師の仕事ですが、その彼はというと常に夢想家ではなく徹底したリアリストでなくてはいけない。この矛盾は小説家にも当てはまると思います。でもどこかで日常を抜け出る体験もやっぱり必要で、それがこの、これ以上ないくらい散文的な世界を生きるエネルギーになる。そうやって灰色が別の色に変わる。

素敵な作品でした。ありがとうございました。

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