作家でごはん!鍛練場
のべたん。

深谷さんは○○が言えない

 どこからともなく焼き鳥の香ばしい匂いが漂ってくる昼下がり。校舎の裏に植えられた、古い林檎の木の下に、あたし、深谷花《ふかたに はな》は立っている。花びらがひらひらと粉雪のように舞う視線の先には、黄色いリュックサックを背負った同じクラスの島田くん。さっきからせわしなく身体を小刻みに動かしているけれど、いったいどうしたのだろう。この昼休み、なにか急ぐ用事でもあったのだろうか。だとすれば、すこし悪い気がする。校門近くで挙動不審な動きをしていた島田くんをなかば強引に連れてきたことに胸が痛む。それにしても焼き鳥の匂いがすごい。

「はやくしてくれよー、焼き鳥冷めちまうよー」
「お前かい!」思わず突っ込む。
「焼き鳥の移動販売車から、大量に買い込んでんだよ」
「え、リュックに入れてんの? 焼き鳥を? 正気なの?」
「なんだ? お前も欲しいのか? 食べるか? 一本200円な」
 そう言うと、リュックをがさごそと漁りはじめる。
「食べないよ。てか、転売する気か」島田くんが買ってきた焼き鳥。あぁ、正直食べたい。一瞬にベンチ座って、あーんしてほしい。
「あ、ネギマは勘弁な」にっこりと笑った。前歯にネギがくっついていた。
「うるさいよ。いらないよ」あたしはプイ、と顔をそむける。
「島田くん。あの、さあ」うつむき加減に島田くんを見つめる。
「なに?」
「す」 
「酢?」島田くんは、小首を傾げる。
 気づけよ、馬鹿。純朴乙女が林檎の木の下に男を呼び出してすることって言えば、選択肢一個しかねーだろが。と、心のなかで毒づく。
「ちがうよ。す、す」
「スキマスイッチ?」
 長いな。マスイッチを取れよ!
「すき……」
「ん?」
「す、好きな人とか、いるの?」
 ああ、やってしまった。そうじゃないのに。あたしは言いたいことが正直に言えない、とんでもなく厄介な性格の持ち主なのだ。
 あたしの質問に、島田くんの顔はものすごい勢いで真っ赤に染まり、顔を隠すように下を向き、もじもじし始めた。指先をくるくる回し、靴先で地面におそらく無意味であろう象形文字ぽい模様を描いては消し、描いては消しを繰り返し、なにやらボソボソ呟いている。何て分かりやすい奴だ! 
「だ、だれが! 俺は女になんか、きょーみねーし」
 はい、でた。でました中二病。私たち、もう高二だよ。華のセブンティーンだよ。なのに、まだ女に興味ないとか言っちゃってるんだ。そんでそれが格好いいとかおもっちゃってるんだ。ああ、可愛いなぁ。頭とかナデナデしたいなぁ。
「ふーん」
 あたしは、考える。どこのクラスかを聞き出せればあとは、だいたい絞られてくるんだけどな。
「同じクラス?」あえて率直に聞いてみる。
 島田くんは宙に視線を泳がせる。黙秘か。でも否定しないということは、肯定の意味でもあるわけで、おそらく同じクラスと考えていいだろう。
「イニシャル。イニシャルだけ」
 彼とは小中高の長い付き合いだ。経験上、両手を合わせて深々と、頭を垂れてお願いすれば、基本的に頼みごとは断れない性格だということをよく知っている。
「Sだよ。S」頭をぽりぽり掻きながら、困ったように島田くんは、そう告げた。
 いや、うちのクラスにあんたと隅田さんしかいないし。素直な馬鹿で、ますます愛しくなる。胸が苦しくなっちゃうよ。
「えー、あんた。隅田さんのこと」
「お、おい。ヤメテクレヨー。あいつは、野球で忙しいからよー」
 あたしが言い終わる前に、島田くんは否定の意味を込めて手をばたつかせ、女子のようにクネクネし始めた。クネクネすんな。
「ゼッタイ、ユーナヨー」
 おいおい、本気で惚れてるのか。しゃべり方、壊れかけのターミネーターみたいになってるよ。ああー、聞かなきゃよかったー。そのときふいに、脳内ランプがパチッと灯る。ひとつの選択肢を思いつき、それは口からポロリとこぼれる。
「じゃあ、隅田さんが死んだらどうする?」
「お前、マジで言ってる?」島田くんは引きつった表情を見せた。ドン引きしているみたいだ。
「冗談冗談。あ、用事思い出したから、帰るね。バイバイ」
 あたしはさっそく図書室で松本清張『点と線』を借りて大学ノートに犯行メモを書き記していると、本作の完璧なアリバイ工作に感動して我に返る。

 いかんいかん、落ち着けアタシ。前科持ちになっちまうぞ。そうか、バレなきゃいいんだ。いやいやそうじゃない。そうじゃないぞー。

 そうだ!

 島田くんをうしろからぶん殴って気絶させよう。そんで目が覚めたら記憶喪失だと大仰に嘘ついて、あたし、覚えてる? 同じクラスの。うん、そうだよ。ハナだよ。深谷花。それじゃあ、あたしに告白したことは覚えてるよね? え、覚えてない? バカ、男に二言はないって言ったじゃない! 意気地無し! 責任取りなさいよ! みたいな。ないか。『花とアリス』じゃねーんだから。
 ひとりごちると、ため息を吐き、窓ガラスの向こう。ゆっくりのんびり伸びゆく飛行機雲を眺めながら、島田くん、あれを見て。そう言って指差した先の青空には、飛行機雲で描かれた『LOVE』の文字。「あたしの気持ち、だぞ!」「ありがとう、俺も深谷のこと」そんな都合のよいことを夢想する。
 ぐてっと、長机に身体を投げ出し、妄想で疲れた脳みそを癒やすため、深呼吸をして、なにも考えないように努める。三秒後、島田くんの顔が浮かぶ。
 あー、アタマ痛い。保健室行こう。
 むくりと身体を起こすと同時に、午後からの始業を告げる甲高いチャイム音が、柱に備え付けられたオンボロスピーカーから鳴り響いた。

 保健室の壇先生は、縁のない眼鏡をかけた秋田出身の色白美人。清潔そうな白衣の下には黒のカットソー。はだけた胸元からワインレッドのブラジャーが見えていますよ。
 担任の山田先生は、壇先生のことを超タイプ、マジ好き。と常々公言しており、保健室に行くには、必ず山田先生の良いところをさりげなく言うことを条件に許可されている。
 あたしは山田先生のいいところ(声が無駄に大きいし、吐息がドブの臭いがする)を壇先生に伝え、体温計を貰い、安っぽい丸椅子に座る。
 体温計を脇に挟み、保健室をぐるりと見渡す。三つあるベッドはすべて丸見えで、あたしと先生以外には誰もいないみたい。漂う消毒液の匂い。漂白された世界。古いアルミの身長計。鈍重そうな戸棚に並んだ茶色い硝子の薬瓶。壁にはアイドルが献血を呼びかけるポスターが貼られ、レースのカーテンが淡い光と共に、さわさわと春風になびいている。壇先生は窓辺のデスクで、座り心地の良さそうな黒いレザーのオフィスチェアに腰を下ろし、長い脚を組み、頬杖をつきながら週刊プレイボーイを読んでいる。楽な商売だな、と思う。
 ピピと、体温計が鳴る。液晶画面を見る。
 36.6。平熱。平熱かよ。
 体温計を壇先生に見せる。すこし考える仕草をしたあと、あたしの額に手を当てる。先生の手はさらさらしていて冷たくて、妄想で疲れきった脳漿がクールダウンして心地よかった。
「恋煩いね」壇先生は開口一番、眼鏡を下げ、優しそうな目を細めて言った。図星だ。でもあたしは、まるで幼い子どもが自らのしでかしを隠すかのように、その言葉を否定する。
「受験勉強による疲れです。バファリンください」
「ダメよ。間違った処方は体に毒なの」
「すみません、嘘つきました。昨日から風邪気味なのです。バファリンください」
「バファリンはあげないわ。そのかわり、良いこと教えてア、ゲ、ル」
 赤いリップがぷるん、と揺れる。やらしく濡れた口元に、細長い人差し指を押し当てて、あたしの耳元で甘く囁いた。
「女はね、恋をして、美しくなるの」
「は、なに言ってんすか。アタマわいてるんじゃありませんか?」
「可愛い」壇先生はくすり、と笑う。
「失礼しました」ガラピシャッと、ドアを締める。廊下を早足ですたすた歩きながら、だんだん頭が熱を帯びていき、あたしの思考は再び暴走をはじめる。

 あ、あああああああ
 いやー、なにこれー。わたしめっちゃ見透かされてんじゃーん。あたし、いままでクールビューティー気取ってたけど、壇先生真実すべてお見通しじゃーん。あいつコナンじゃん。恥ずいわー。穴があったら入りたいわー。

「なにやってんの?」
「!」廊下の途中で島田くんと鉢合わせた。あれ、たしかいま、授業中だよね。
「なんで、いんの?」あたしは怪訝そうな顔をして彼を見る。
「トイレ」シャツで手を拭きながら、島田くんは答えた。
「来て」あたしは咄嗟にそう言うと、島田くんのシャツの裾を乱暴に引っ張り、屋上へ続く階段をずんずん進んだ。我ながら大胆。ドア前の踊り場まで着くと、錆びた重いドアを開ける。隙間から、あたたかな春の光が射し込む。あたしと島田くんは陽光溢れる屋上に出る。
 みんなは授業中。机に座ってカリカリしてる。あたしと島田くん二人きり、他にだれもいない屋上。青空に雲が流れている。風が気持ちいい。これ、最高のシチュエーションじゃあないですか。
 いける。いけるぞハナ。あたしは自分を鼓舞する。
「なんだよ。さっきは勝手にどっか行くしよ」島田くんは不満そうにこっちを見ている。
「ごめん。ちょっと用事を思い出して」
「あ、もしかして、俺のこと……」含んだような言い方をされて、あたしの天の邪鬼が顔を出す。
「は? 誰があんたなんかと」
 舌打ちして、島田くんを睨んでしまう。
「いや、なんか妙に突っかかってくるから」
「べつに、あんたのことなんて好きじゃないし」
「じゃあ、なんで連れてきたんだよ」島田くんは、何がなんだかわからないといった表情で、ため息をついた。
「それは、あんたが勘違いしてるんじゃないかと思ってね。あんたは勘違いで自意識過剰の大馬鹿豚野郎なんだからね」
 ぽかん、とした島田くんの口からは、なにも出てこなかった。まさか、これを言うために屋上まで連れてきたの? みたいな顔してる。いや、確実にそう思ってる。
「じゃ、そういうことだから」
 あたしはつかつかと開けっぱなしの出口へと向かい、後ろ手にバタンとドアを閉め、ぶっはぁと息を吐く。
 ち、ちがーう。ちがうんです!ちがうんです!大好きなの!ホントは大好きなの!なんで、なんでわかんないかなー。察しろよー。察してくれよーばか。ばかばかばかばか。

 だだだだだっと、階段を駆け降りる。
 顔から火が出ちゃいそうだ。業火に焼かれてしまえばいい、私なんか。島田くん。絶対私のこと、頭のおかしい女だと思っているよね。ごめんねー。

 あたしはついに、第三者委員会を設置することにした。
 放課後、教科書を鞄にしまっている有栖川さんを手招きし、二人して駅前の喫茶店へ行き、小さな木のテーブルに向かい合って座った。あたしはアイスコーヒーをオーダー。有栖川さんはいちごパフェ。
 秘密主義で、どこか大人びた雰囲気を纏った彼女は、長い髪の毛先を細い指で弄びながら、スマホを眺めている。
「ねぇ、深谷さん。話ってなーに?」
 フェミニンな表情で、有栖川さんはあたしを見る。彼女のクラスでの通り名は『恋愛マスター』。恋に迷える乙女たちを導く自由の女神。いままで受けた相談の数は三桁では足りない。なんて噂もある。大学生の彼氏が二人と、一緒にご飯を食べるだけでお小遣いをくれる『パパ』と呼ばれるパトロンが一人いるらしい。これもあくまで噂だけれど。でも確かに有栖川さんからは、現状すべてに満足しているリア充特有のゆるい余裕すら感じさせた。モテんだろうな、この女。舌打ち、心のなかで。
 あたしは聞いた。修行中の弟子が師匠に教えを乞うかのように。現在進行形で好きな人がいること、告白できないこと。素直になれなくて、ついつい罵詈雑言を浴びせてしまうこと。
「えー、島田くんのことー?」
 どこかわざとらしく、有栖川さんは言った。唐突に島田くんの名を挙げられ、あたしは不意をつかれる。言葉に詰まる。
「もしかして、好きなのー?」追い討ちをかけるように彼女は身を乗り出して、あたしの目を見つめる。何もかもお見通しよ、とでも云いたげな瞳だ。
「いや、いやいやいやいや違うよ。あんな社会のゴミ、公序良俗に反するわー。公害よ。公害怪獣よ。ヘドラ。そう、ヘドラね。あいつは」
「なに? ヘドラって」
「いや、ゴジラの……」
「なにそれ」
「ヘド」
「よかったー。じつは、誰にも言っていないんだけど、私、島田くんのこと、狙ってんだよねー」


 どきん。


 軽く鈍器で殴られたような衝撃。
 胸がざわざわ。殺してしまおうかしら。
「応援してるわ」あたしは殺意を笑顔で隠すように、有栖川さんに向かって、ニコっとした。もちろん嘘だ。
「嘘つき」
 間髪いれず、突き放すような、冷たさを感じる声で有栖川さんは言った。
「ほえ」思っていたことを口にされてつい、惚けたような声が出てしまう。
「みーんな、深谷さんが島田くんのこと好きなの知ってるんだから。知らないのは一部の男子と当の本人。島田くん、地味で目立たないし、頭も真ん中より下だし、馬鹿だし。サイドビジネスしてるし、なによりすっごく鈍感」彼女は意地悪そうに笑ってみせた。
 あたしはどうしたらいいのか、よくわからなくなって、俯いて、膝の上でぎゅうと両手を握りしめた。つめたい汗が頬を伝い、だらりとこぼれていくのを感じた。
「でも、いい奴だよね。島田くんって」
 有栖川さんはちいさく笑った。
「だから、みんなで決めたんだよ。深谷さんが告白するまで、島田くんに深谷さんの気持ちは伝えない。あ、言っておくけど、これは最近話題のいじめとかじゃないよ。だって嫌じゃない? 誰かから自分の好きな人に、あなたのこと、何々さんが好きらしいよ。なんて言われるの」
 あたしはなにか言わなければと、口を動かしてみるけれど、酸欠の金魚みたいにパクパク空気を飲み込むだけで、言葉がなんにも出てこない。
 否定しないと、否定しなければ。アタマの中でガンガンと、もう一人のあたしが叫び、悶え、呻いている。
 そのとき、オーダーしたアイスコーヒーが目の前に差し出された。
 有栖川さんはパフェを食べながら、なにやらアドバイスをしてくれているようだったけれど、そんなのぜんぜんまったく頭に入ってこなかった。

「頑張ってね」あたしたちは喫茶店を出て、反対方向に歩み出す。手を振る有栖川さんに、ちいさく手を振りかえし、路地を左に曲がる。十メートルくらい進んで、後ろを振り返る。有栖川さんの姿が見えないことを確認して、心の中で絶叫する。

 あああああああああー。
 なんでー。なんでなのー。そうなっちゃう?
 バレてるの?
 バレてるよね、これ絶対。
 恥ずい。死にたい。だれか殺して。
 てことは、クラスのみんなのほとんどは、あたしが島田くんのこと好きなの知っているってこと? あたしはピエロか! なんだあいつら、貴族の遊びかよ。見世物じゃねーぞ。
 イラついたあたしは道の真ん中に転がっていた空き缶を思い切り蹴飛ばした。ふと視線を感じ、道路を挟んだ向こう側に目を向けると、スーパーのレジ袋を両手に抱えたおばちゃんが、驚いた様子でこちらを見ていたので、軽く会釈して小走りで空き缶を拾いに行き、自販機横のゴミ箱に捨てた。

 悶々としながら家路につく。鍵を開けて玄関のドアを開けると、掃除機をかける音が止み、ママの澄んだ声がリビングから聞こえてきた。
「おかえりー」
「ただいま」あたしはリビングに入るなり、ソファに鞄を放り、だらりと身体を預けたまま、冷蔵庫から麦茶を取り出しているママに顔を向ける。
「ママ、バファリンない?」
「パブロンならあるけど」
「パブロンでもいいや」
「ちょっと、風邪なの?」
「頭いたくて」
「大変。病院行きましょ」
「いいよ。面倒くさい」
 麦茶をテーブルに運んできたママは心配そうに、あたしの顔を覗き込む。
 冷たい麦茶を飲みながら、ぼんやり島田くんのことを考えていると、ママが突然ぽん、と手を叩く。
「ふふん。恋ね」
 あたしの身体が固まる。恐ろしいものをみるような目で、ママを見る。
「最近、あなた嬉しそうだもの」
「べ、べつに、そんなんじゃないんだから」
 あたしは乱暴にグラスを置き、鞄を引っ掴み、逃げるような足どりでリビングを出る。「うふふ」という、機嫌よく弾んだママの声を背に受けて。

 階段を昇り、自分の部屋に戻る。暗くなるまで電気はつけない。薄暗い方が落ち着くから。夕刻の、静かさを含んだ光が窓ガラスを抜け、部屋のなかを満たしている。ベッドの白いシーツにぼんやりとした陰影を落とし、光に照らされた部分だけ、きらきらした埃が宙に舞っているのが見える。あたしはベッドの傍の姿見鏡のまえで、制服とニーソを脱いで下着姿になった。肩まで伸びた髪。胸はないけど、顔は、悪くはないと思う。よくママに似ていると言われるから。元ミスコンのママは、すごく綺麗だから。性格は、すこし変わっていると言われる。他人からすこし変わっていると言われるということは、おそらく、相当変わっているんだろう。ニコっ、と作り笑顔をしてみるけれど、虚しくなって、ふっ、と口角が下がる。阿呆らしくなる。部屋着(白いTシャツにネイビーのショーパン)に着替えながら、思考がぐるんぐるんと回転するのを感じる。


 こわい。
 なにが?
 この想いを伝えることが。

 もし、失敗したら?
 もし、島田くんに嫌われたら?
 いままでとおんなじように、笑いあって、馬鹿やって、何もなかったかのように過ごしていける?
 おんなじように?
 無理だよ。そんなの。

 あたしは、こわいんだ。
 いままでを失うことが。
 これからを変えることが。



 下に降りて夕食の準備を手伝う。あたしはママに髪を後ろ手をゴムで束ねてもらい、お野菜を切ってちょうだい。と言われ、菜包丁を渡された。本日のメインディッシュは鶏の唐揚げ。なんだけど、ママは絶対に揚げ物をあたしにまかせてくれない。油が跳ねてシミになったりしたら嫌だから、とのこと。優しいママ。
 包丁でトマトとレタスを切っていると、「ただいまー」という声が聞こえた。パパだ。スーツ姿のパパは、お土産のプリンが入った紙箱をテーブルに置くと、クローゼットのあるリビングへ行き、上着とネクタイを脱いでハンガーにぶら下げ、シャツのいちばん上のボタンを外し、首をこきこきと鳴らした。
「ご飯は?」
「もうすぐ出来るよ」と、ママ。
「今日は唐揚げだよ」と、あたし。
「手伝うよ」と、パパ。
 パパは食器の並ぶガラス棚を開け、テーブルにグラスとお箸を並べ始めた。それから頂き物のドイツの瓶ビールを冷蔵庫のチルド室から取り出して、子供みたいに微笑んだ。
『アマリリス』のメロディーが鳴った。ご飯が炊けたのだ。あたしはわくわくしながらジャーを開ける。むわっと蒸気で目の前が白くなる。視界が晴れると、つやつやの白ごはんがほわほわーんと現れる。あたしは炊きたてごはんの匂いを鼻から吸いこむ。鼻腔を蕩かす。ああ幸せ。
 杓文字でごはんをかき混ぜ空気を入れ、茶碗によそい、「はい」と言ってパパに渡す。
 ママは唐揚げの油を切ると、手早く大皿に盛りつける。あたしはトマトとレタスにシーザードレッシングをどばどば注ぐ。それから昨日作ったパパの好きな甘辛い南瓜の煮物を冷蔵庫から取り出して小鉢に取り分ける。
 夕食の準備が整った。おのおのテーブルの椅子に腰かける。三人で手を合わせて「いただきます」。ビール瓶の蓋を栓抜きで開ける。ぽしゅ、という炭酸の抜ける音が食卓に響く。
 あたしはマヨネーズをむにっと、皿の端に絞り出す。
「お塩とって」パパがそう言うと、ママは「はい」と、手元の塩の入った容器を手渡す。パパは、きつね色の唐揚げにパラパラ振りかけ、一口に頬張る。
「あつぅ」
「美味しい?」ママが聞く。
「おいひい」パパは笑った。
 それからみんなで今日の朝ドラのこと、近所のアイドル猫のこと、あしたの天気のことを話した。何気ない会話の一つ一つに見えない花が咲いていた。にこにこ幸せそうに笑っている二人を眺めているだけで、こっちまで幸福になってくる。
 パパとママは二人とも、あたしと同じ学校の出身で、同じ大学に行き、職場は違えど共に住み、お互い二十六のときに結婚し、それからすぐに、あたしが生まれた。
 あたしは生まれたときからずっと、幸せな二人を見て暮らしてきたのだ。そんな二人をぼんやりと眺めながら、あたしは大人になった自分と島田くんの姿を無意識に重ねていた。
 気づくと話題はいつの間にか、恋バナになっていた。そういえば、二人の馴れ初めなんて聞いたことがなかった。もしかしたら娘の初恋を知ったママが気を利かせたのかもしれない。あたしは、色恋沙汰なぞ興味ありませんよ。といった表情で、皿に盛られたあつあつの唐揚げをつまみながら耳をそばだてる。
「私がね、思い切って告白したの。校舎裏の林檎の木の下でね」遠い目をして、ママは天井で光るシーリングライトの明かりを見つめる。
 校舎裏の林檎の木。そこは、わが校に代々伝わる恋愛成就の告白スポットなのである。その木の傍に呼び出されたということはつまり、そういうことなのだ。だというのに、あいつときたら……。鈍感。バカ。
「ふ、ふーん。で、そのあとどうしたの?」
 あたしは思わず聞いてしまう。
 パパとママは互いに、にやにやと見つめ合う。
「パパもママのこと、好きだったんだ。だから、嬉しかったよ。すごく。もちろん即オッケーさ」パパはその時のことを思い出したように顔を綻ばせながらビールを呑んだ。

 そのとき、不意にあたしの頭の中で、シャッターが切られた。

 テーブルの上の、白い皿に盛られた唐揚げ。ビールのしゅわしゅわした泡。シーザーサラダ。南瓜の煮物。きれいなママと、優しいパパ。テーブルを照らすシーリングライトの柔らかな輝き。
 それは、いつも見ていた当たり前の風景が、一枚のスナップ写真として、あたしの目の前に突き出されたような、不思議な感覚だった。
 ああ、この人たちは幸福なのだ。あのとき林檎の木の下で、愛の告白を交わしたときから、学生服姿のときからずうっと変わっていないのだ。
 こんな素敵な二人から、どうしてわたしのような天の邪鬼が生まれてきたのだろう。
 どうして、私は自分の思ったことを素直に相手にぶつけることが出来ないのだろう。なんだか情けなくなってきて、涙が溢れてきた。パパとママはおろおろと、お互いに顔を見合わせながら、あわあわしている。
「プリン食べる? タピオカが入っているの。ねぇ、美味しいのよー」
 こらえきれない涙を抑えながら、二階へ上がる階段をドタドタ駆け上がり、部屋のドアを開けるなりベッドに飛び込んで、ごろごろごろごろごろごろ。枕元においたピンクのうさぎのぬいぐるみが、こっちを向いて嘲笑っているように見えたので、長い耳をむんず、と掴んで壁に放り投げた。うさちゃんは壁にダイレクトにぶつかり、弾んだ拍子に、床に積まれた『101回目のプロポーズ』のDVDがバラバラと崩れた。パッケージの武田鉄矢と目が合う。
「このバカちんが!」そう言われてる気がした。
 その時、枕元に置かれたスマホが光る。LINEの通知を知らせるメロディが鳴り、画面を見る。女性が男に足蹴にされている金色夜叉のアイコンは、恋愛マスターの有栖川さんだ。
「なによ?」あたしはつぶやき、仰向けになってスマホの画面を見る。
「後悔しないでね」という、短くて重いメッセージが胸に突き刺さる。
 むう、余計なことを。
 でも、ありがと。

 しとしとと雨の降る音が、カーテンの向こうから聞こえてくる。時計の秒針の動く音がいつもより大きい。このままでいいのか。そんなことを考えていたら、ドアの向こうから軽くノック音がした。
「ハナちゃん。デザート、置いておくから食べてね」ママはそう言い、しばらくすると気配は遠ざかり、階段を降りる音が聞こえた。 
 あたしはゆっくりドアを開ける。床に目線を下げると、上から白い麻布が掛けられたトレイがあった。そっと捲ると、そこにはパパが買って来たタピオカ入りのプリン。それから白い小皿の上に、くし切りのリンゴが二つ並んでいた。もちろん、リンゴが美味しいから食べてね。という意味でないことくらい、あたしにもわかった。ママがあたしに伝えたいこと、それは。


 あたしは、心を決めた。
 明日、あたしは想いを伝える。






 次の日、校門付近で不審な動きをしていた島田くんを、無理やり林檎の木の下に連れ出した。ちいさな貝殻のような花びらが、ひらひら舞っている。
 林檎の花は昨日より、すこし散っていて、湿った地面に茶色く変色した花びらが不恰好に張りついていた。汚れきった花弁は、きれいだったあの頃と比べて見る影もなく、過ぎ去った時間は戻らないのだという当たり前のことをあたしに思い出させた。

「なんだよ。お前がオレのこと嫌いだってのは、わかったから」リュックサックから焼鳥の匂いを漂わせている島田くんは、頭をぽりぽり掻いた。
「ち、ちがうの……」あたしはつい、下を向いてしまう。やばい、泣きそう。彼を見れない。言えない。言えないよ。そんな、あんなに心に決めたのに。あたしは意気地なしだ。
「はっはーん。わかったぞ」突然島田くんは、不敵な笑みを浮かべた。
 え、もしかして、察してくれた? 
 あたしが島田くんのこと、大好きだってこと、察してくれた?
「お前も、焼き鳥のサイドビジネスに興味があるんだな。まあ、お前とは長い付き合いだから、考えてやらんこともないぞ」

 こいつ、馬鹿だ。 

 いや、馬鹿なのは前から知ってるし、むしろ今までその馬鹿さ加減も含めて愛しかったのだけれども。でも何故か今日は、その鈍感さに腹立った。こっちから行かないと、こいつは一生気がつかないんだ。ああ、ちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょう。そのとき、ぷっちん。と、頭の中でなにかが弾ける音がして、好意と怒りのごちゃ混ぜになった感情が、津波のように暴れ出た。


「この鈍感! ばかやろうくそやろう。あ、もしかして、あんたもあたしの気持ち知ってて、からかってるんじゃないでしょうね。いや、そりゃないか、あんたは馬鹿がつくほど正直者だから、それはないな。うん。てか、あたしだって別にこんなこと言いたくないし、むしろなんで気がつかないの、この馬鹿は。みたいに思っているし。ああもう、イライラするの。すっごいイライラするの。あんたに? 違うよ。あたし自身にだよ。いつまでグダグタやってんの。島田くんのこと、馬鹿馬鹿云ってるけど、あたしの方が、すっごい馬鹿だよ。そりゃ、ペーパーテストの成績は抜群にいいよ。勉強してるもん。でもさ、そんなことじゃないじゃん。そんなことじゃないもん。そういう意味の馬鹿とか賢いとかじゃないじゃん。関係ないじゃん。そういうの。するかしないかの、やるかやらないかの問題じゃん。え、あ、はっきり言えって? ひとの気持ちも知らないでぇ。よくそんな事が言えるよね、バカ。えーい、ままょー。いいか、いっかいしか言わないから、よく耳の穴かっぽじってよーく聞けよ、この童○! ふー(深呼吸)、あたしはあたしはあんたのことが、すっごいすっごい死ぬほどだいす」

深谷さんは○○が言えない

執筆の狙い

作者 のべたん。
49.104.38.63

試験的にオチも中身もない話を書いてみました。

何故、こんな作品を作ったのかと云いますと、『オチも中身もない話は面白いのか?』ということです。

感想いただければ嬉しいです。

よろしくお願いいたします。


ちなみに、『花とアリス』は、蒼井優ちゃんが抜群に可愛い映画です。

コメント

そうげん
58.190.242.78

読みました。とってもよかった。のめり込みました。
一人称の主人公の語りのキュートなことといったらもう。素直になれなくって、反対の行動をとってしまうって、好きな子には石を投げちゃうのは、男の子の専売特許かと思ってたら、ちゃんと女の子サイドにもこういうフクザツな心理はあったんだって、再確認出来て、わたしはほっとしているのです。わたしも実際、石を投げちゃった人なので、この主人公の気持ちのあまのじゃくの本質が、心にずきんときてしまって、読んでいて、とても懐かしい気持ちになりました。

読みながら、どうしてわたしはこの小説をどんどん楽しみながら、読んでしまうのだろうと、一歩引いた所から眺めるような視点もありました。語り口はもちろん、ぜんぜん違うんだけど、どことなく、落語を面白いと思って、聴くときの心理に似たものがあるきがしました。その場面、場面における、主人公がどういう行動をとって、その行動にはどんな心理が付随していて、相手が取った行動に対して、どんなふうに反応したかっていうのを、一人称の語りで、細かに解説していくスタイル(文体)。饒舌というのとはちがっていて、その都度、自分の周辺を細かに説明していくことによって、読み手であるわたしは、そのとき、その場面で、主人公はどんなことを感じていて、ほんとはどういうことをしたいのに、あえてちがった行動を執ってしまうというその二律背反のサガ(性質)みたいなものに、わたしもそういう側面、がっつりあるんだよなあ、って考えさせられてしまって、そこに親近感がわいてくるというような感じです。

とても楽しかった。オチも中身もない話って、オチは必要ないけど、ちゃんと話に流れがあって、その先を予感させるシメになっていてよかったですし、中身はないことはないですよ。この小説の中身に接して、わたしは若かりし頃の未熟な自分の行動と重ね合わせて、たくさんの思い出を彷彿しましたし、人物の葛藤をちゃんと描こうとされる作者さまのまじめな部分にも触れえた気がします。

林檎の木の下で告白するということの、伝統的な言い伝えとか、サイドビジネスにくびったけの男の子とか、オリジナルの側面をちゃんと活かされるストーリーになっていたと思います。また夫婦間がうまくいっている家庭に育った主人公は、きっと自身も理想的な家庭を築くことの出来る素地を持ってるんだろうなと思いました。

楽しんで読み終えることができました。ありがとうございます。

のべたん。
49.104.42.48

そうげん さま

感想ありがとうございます。

楽しんで読んでいただいたみたいで、ホッとしました。

落語はたまに聞く程度ですが、表現方法を多少参考にしているところはあります。 

深谷さんの葛藤を評価してもらって、嬉しいです。

ありがとうございました。

九丸(ひさまる)
126.212.173.46

はじめまして。
九丸(ひさまる)と申します。
すごく面白かったです。
中身もちゃんとあるのでねらい詐欺では笑
終わり方も好きです。心地よい引きと余韻を残してます。
要素の絡め方が上手いですね。とても自然で違和感ないです。
サイドビジネスは気になりましたが笑
高校生女子とはズレた単語を使ってキャラ立ちさせているのも良かったです。
松本清張、砂の器、ゴジラ、ヘドラ、101回目のプロポーズ笑等
一点。鈍感バカ扱いの島田君が屋上で、うっかり気持ちに気がつきそうになります。このままでも面白いのですが、島田君は良い人だけど相当な扱いなので、濁しても良いような。でも、島田君の心情のメリハリきいてるしなあ。一回蓋をする効果もあるしなあ。と勝手になやんでおりました笑
言いたくて言えない言葉一つ。微笑ましさと淡い?葛藤が刺さりました。
とにかく面白かったのです。
拙い感想失礼しました。

のべたん。
49.104.8.74

九丸さま

感想ありがとうございます。


面白いと言っていただいて、嬉しいです。

ただ単に、ツンデレ美少女の話を書きたかったので、中身もオチもなくても、物語って面白くなるのかな? という疑問はありました。

中身のない話ではなかったようなので、疑問はいまだ謎のままです(てか中身のない話って、なに? みたいな話になってきそうですけど)



ありがとうございました。

hir
210.133.221.115

 前作の続きなのか、相手がバレンタイン男だとしたら報われない話。島田くんは○○で区切れない。
 内容は、ラブコメのありとあらゆるシチュエーションを盛り込んだ印象です。
 片思いがキャラ付けの特効薬であることがわかります。
 部屋とYシャツと私、バーティカルクライムロール、いろいろネタを仕込んでもいそうだけど、なんで焼き鳥なんだろう。
 この文量をハイテンションのままで進むのは、少しばかり疲れます。

のべたん。
49.106.214.1

hir さん、本作は前作『野球部の隅田』の続きものとして書きました。

気が付いてくれて、ホッとしました。

自分で書いた小説を自分で解説するのは、かなり恥ずいのですが、解説させていただくと、

 まずはじめに、前作に出てきた主人公の名前と本作に出てくる男の子の名前は違います。

野球部隅田 阿久津
深谷さん  島田
 
 これはあえて違うようにしました。同じにしてしまうと、完全な続き物になってしまうと感じたので。
 それと、前作を投稿してから本作の投稿までに1ヶ月くらい空いているので、前作ラストに出てきた主人公の名前なんて覚えていないだろうと思ったからです。
 ですが、阿久津と島田は同じと捉えてもかまいませんし、別人と思っても構いません。それは、読んだ方が決めることだと思います。

 執筆の狙いに書きましたが、深谷さんの話単体にオチはありません。
 ですが、前作の『野球部の隅田』を読んでくださった方には、小さいながらオチが用意していますよ。という仕掛け?でした。
 ※島田=阿久津だと思った人限定ですが。
 
 
 以上、解説おわります。
 以前は自分の作品を解説しまくって、読んでくれた方の捉え方を否定したりしていたのですが、ここのサイトで、そういのは野暮だということ学ばせてもらいました。よい勉強をさせてもらいました。

 あと、
〉この文量をハイテンションのままで進むのは、少しばかり疲れます

 私もそう思い、途中に落ち着いた?情景描写を入れてみたりしたのですが、上手くいっていなかったみたいです……。


 感想ありがとうございました!



 
 

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