作家でごはん!鍛練場
篁綴

ひまわり

 ジワジワと、カナカナと、ミンミンと。
 それは酷く酷く虫の泣き喚く、夏の、暑い。
 あついひだった。

「パパ、今日はどこにいくの?」
 7つになった可愛い一人娘にせがまれては断れるわけもなく、私は田舎の、辺鄙と言っても差し支えないほどの山奥に来ていた。
 世間は夏休み。勿論娘も例外なく、学生に与えられる長期の休みに歓喜し、休みに入る数週間前には私に「遠くに行きたい」と漠然とした約束をしてきていたのだ。
 というのも、学校では友達がやれ祖母の家は九州だ、祖父に会いに東北だと話していたのが原因らしい。
 娘に田舎はない。
 私も妻も都会育ちで、所謂夏休みの一大イベントとも言える帰省は、どちらも車で数十分で済んでしまう。地方の土産売り場で友達への土産を選んだ経験もなく、山や川で遊んだこともなく。ただコンクリートの照り返しと利便性だけがやたらといい都心で生まれ育った。
 土を掘り返すこともなく、火を自分で起こしたこともない。自然の虫に苦戦することもなければ、山をかけまわることも川の水で息をつくこともない。
 だからこそ、今回の遠出は娘にとって、毎日が輝いているらしかった。
 少し奮発して貸別荘を借りたのがよかったのかもしれない、とも思う。
 リビングにあたる広い空間に、昨日妻が一度街の花屋に行って買ってきたひまわりが瑞々しく活けられている。大輪のそれは数えたことは無いが、確か七本だったか。妻のこだわりらしいが、数えたことは無い。自宅でも見る見慣れた光景。それが、この土地でも変わらずにあることが酷く心地良かった。
 泊まるのは数日だけだが、旅館やホテルの他人の視線に晒されるのは苦手なのだ。何もしていなくても、何か監視されているような気持ちになってしまう。被害妄想がすぎると笑われそうだが、こればかりは昔から直らない。大学生の頃から、だろうか。妻とあった時には、もうこの漠然とした不安を抱えていたことは確かだ。
 そんなことを考えながら、私は娘のキラキラとした眼差しに問いかけた。
「どこに行きたい?」
「うーん、山!」
「山?」
 なんだってそんな疲れるところに。
 聞いてみればどうやら、クラスの男子が山登りをするのだと話していたらしい。仕方ない、と、私は近隣に一つ心当たりがあり頷いた。
 妻にその事を話すと、彼女は
「あら、あなたここら辺に詳しいのね」
 と意外そうに笑った。
 少し調べたんだよ、と答えれば、そうなの、とだけ返される。
「君はどうする? 行くかい?」
「遠慮するわ」
 土で汚れるもの、とブランドのスカートを翻し、昨日とはいつの間にかデザインの変わった爪を陽に光らせる。そんなことだろうと思っていた私は、それなら仕方ないね、と笑った。
 彼女は気立てもよく穏やかだが、根っからの都会育ちで、幼い娘と砂場にも行かないような人だった。土をいじったことはないのではないかと言うほど。事実、何が埋まってるかわからないでしょ、と私は何度かバトンを渡されていた。
 ただ遊んでいるのをママ友、という友人と話しながら見ているだけ。それが普通なのだと言う。
 大学時代に出会い、何となく意気投合し、何となく付き合い、結婚し、子供を授かったが、彼女が私のどこに惹かれたのかは聞いたことがない。
 彼女から声をかけてくれたのは覚えているが、何がきっかけだったか。
 彼女が何を好きで、何が趣味なのか。
 唯一、好きな作家がいるけれど、と昔に小さく言ったのだけが強く印象に残っているが、その他は印象に薄い。
 控えめで、私の行動にも娘の行動にも多く口を挟まない、そんな人だった。
 彼女は娘の鞄にウェットティッシュやハンカチ、水筒を入れ、熱中症対策に帽子をかぶせた。
「あなた、この子をよろしくね」
「勿論。任せてくれ」
 私は予備のお茶とタオル、汗をかくだろうから一応と替えの服と傘をカバンに詰める。山の天気は移ろいやすいと言う。
 雨は、厄介なのだ。
「ああ、そうだ」
持ち物を確認しながら、妻に訊ねる。
「軍手あるかい」
「見かけたけれど、何に使うの?」
 山でしょう? と首を傾げる彼女に、山道で葉っぱや枝で怪我をしても大変だからね、と告げる。すぐに納得したようで、彼女は二つの軍手を持ってきてくれた。流石に娘の小さなサイズはないらしい。それでもいいか、とカバンに詰める。
「何時くらいに帰るの?」
「そう高い山じゃない。往復でも四時間くらいだよ」
「あら、じゃあその間少し街の方に行って、ショッピングしていてもいいかしら」
 勿論さ、と答えて車のキーを渡す。昔からついている鈴が、ちりん、と鳴った。彼女はそれを受け取ると、玄関先まで見送りに来てくれる。
「あれ、」
 そこでふと気付く。妻の靴がないのだ。
 私がそれに気付いたことを察すると、ヒールが折れちゃったのよ、と。だから靴を買いに行くのだという。備品のつっかけに近い靴はあるが、彼女のお気には召さなかったようだ。
 気を付けて、と告げるとあなたもね、と返される。
「じゃあ行くか」
「うんっ」
 早くもそわそわとしている娘を軽く帽子の上から撫で、私は暑い暑い真夏の外に出た。




 娘は存外に頑張り、山と呼ぶには低いが丘と言うには高すぎるその緑の中を小さな足で登っていた。
 人が登るようにはなっていない無法地帯の小高いそこは、しかし獣道はしっかりとあり、苦戦するほどではなかった。動物の足跡なのか、所々にあく小さな穴を辿るゲームを勝手に始めながら、娘は大人の足の半分程度のスピードで登っている。楽しそうではあるが、疲労は気を付けなければならない。後ろを振り向いて娘を見やる。
「大丈夫か?疲れてないか?」
「だいじょうぶ!」
 娘は大きな軍手に包まれた小さな手で花を摘み、木の実を拾い、虫や鳥を指さしてははしゃいでいた。
「……パパなら、どんなふうに書くの?」
 それは、ごく普通の質問だった。
 作家と一応名乗っている私は、けれど娘に本を読み聞かせたことはなかった。それは内容が童話的ではない、というのもあったが、私がそもそも絶賛スランプなのであった。
 一応、と言ったのはスランプでここ数年書いていないことと、売れた本が一冊しかないことが原因だ。作家、と名乗っていいのか。
 一発屋の芸人が見なくなってからも芸人と言えるのかと近い問答だ。あの本は大学生の時に売れたものだから、もう何年書いていないのか。それでも無様に作家という肩書きにしがみついている。
 車のキーにつけた鈴も、その時はまだ恋人だった妻と、初めての印税でお揃いで買ったものだ。彼女もまた、財布の端につけてくれているのを知っている。
「うーん、どうだろうね」
 思考が逸れた事に気付き、苦笑を浮かべるも答えられず、私は少し歩を進める。
 ぐにり、と柔らかな土の感覚が気持ち悪い。
 体に当たる葉っぱがおぞましい。
 音を立ててざわめく木々に落ち着かなくなる。
 けれど、
 私は、頂上に行かなくてはならなかった。
「パパまってえ」
 後ろから声がして、私はハッとして振り返る。
 娘は掌にたくさんの木の実を持ちながら、えっちらおっちらと登ってきている。
「もうすぐ」
 頂上だから、と言う言葉は途中で消えた。娘が足をとられ転んだのだ。
「大丈夫か?!」
 私が駆け寄ると、娘は柔らかな土に守られ怪我はしていなかったようだ。ただ、咄嗟に体をかばうように出した手の中で、赤い木の実が潰れていた。
「ママに見せたかったのに……」
 しょんぼりとする娘に、帰り道にもう一度探そう、と告げる。けれど、私は半泣きであろう娘の顔よりも、赤く濡れた軍手から目が離せなかった。


   ◇


 じきに頂上につき、娘は、はぁー、とやりきったと言わんばかりの息を吐いた。私も思わず息を吐く。
 くるりと軽く見渡せど、それなりの広さが山火事なのか焼け野原になっているくらいで、珍しいものは見当たらなかった。
 苦労して登った娘のことを考えれば素晴らしい景色でも見せられたのならば良かったのだろうが、私にはこれで充分だった。充分すぎた。
「ここで宿題していい?」
 いいよ、と答えると、娘は自分で入れたらしい色鉛筆と画用紙を取り出して風景を描き始めた。
 私が充分満足したとはいえ、少し高いだけ、しかも禁止はされていないけれど人も入らないようなここでは、なにも描くものは無いだろう。娘はちゃんと楽しかったのだろうか。
 一体何を書いているのかと興味本位で娘の画用紙を見ると、緑の中にぽつんと真っ黄色が塗られている。
 娘の視線の先を見れば、その先には、
 一輪のひまわりが置いてあった。
 誰も来ない山の中に。
 誰も来るはずのない山の中に。
 誰も来るべきではない山の中に。
 誰も、
 私はそのひまわりにふらりと近付いた。
 耳元で、チリチリと鈴が鳴り響くような気がする。
 まだ瑞々しく咲き誇るひまわり。
 その傍に膝をつくと、ひまわりのすぐ傍の土から白く短いものがいくつか突き出ているのが見えた。
「─────…!」
 私が思わず後ずさると、娘はこちらに興味を移したのか近寄ってきて、それを掴んだ。
「やめ、」
 制止も間に合わないまま、それが力任せに引き抜かれる。
 息が止まる。
 ああ、と声にならない声が頭の中を反響する。
 私のせいなのか。
 元来性分ではなかったのだ。
 魔が差したのだ。
 ぐるぐると乱れた思考は、しかし娘の嬉しそうな声にその負の連鎖を止めた。
「きのこだ!」
「………え?」
 嬉しそうな声にそれを見れば、なるほど確かに真っ白なきのこだった。
 私は喉でも詰まったかのように、出口を探し熱く溜まってしまっていた息を吐き出す。
「パパ?」
 娘が不思議そうにしながら画用紙に白い小さな突起を五つ描き加える。
「いや、なんでもないよ」
 それは、土から這い出ようとする人の、指先のようだった。


  ◇


 結局時間の通りに四時間で帰途につき、くったりとリビングのソファに寝転ぶ。
「パパだらしない!」
 娘にやいやいと言われるが、疲れたのだ。このまま眠ってしまいたいほど。
 とにかく、何も考えたくはなかった。
 はー、と息を大きく吐くと、カツ、と妻の帰ってきた音がする。恐らくあれは新しいヒールの音だ。
「あら、帰ってたのね。お疲れ様」
 彼女はそう言うと、一本のひまわりを包んでいた新聞紙から出すと、花瓶に追加でいけた。何気なく本数を数えると、やはり七本だった。
 そんな妻に、娘は早速採ってきたキノコや木の実、花を見せて興奮気味に話している。
「あとね、ひまわりあったの!」
 娘の一言だった。
 ぴし、と、空気が固まった、というのはこのような時に使うのだと思った。
「…そう、綺麗だった?」
「うん!」
 無邪気に笑う娘を撫で、妻は笑みを浮かべていたが、ふと私に視線をやった。しかしそれは一瞬で、娘が持つ木苺を受け取り、ジャムにしましょう、と笑った。

 部屋に甘い香りが広がる。
 木苺が溶け、赤い液状になっていく。
 ひまわりが活けられた部屋はとても暑い。
「作品の刺激にはなった?」
 その鍋をかき混ぜながら、妻はぽつりと呟いた。私は何も返せずに黙る。
 遊び疲れた娘は木苺を渡した後眠気に襲われ、今は与えられた部屋で眠っている。
 部屋には私と妻と、木苺の香り。
「あなたの小説、とても楽しみにしているのよ」
 彼女はそう言うと、振り向いてニッコリと微笑んだ。穏やかな笑顔。控えめで柔らかな笑顔。
 それから一言。
「あなたの『向日葵の下』は、一番好きな本なの。あれだけ作風が違って、まるで別人が書いたみたい」

 向日葵の下。
 私の、唯一売れ続けている小説。
 名作とうたわれたそれ。
「期待、しているのよ」
 目を閉じれば、赤と、汚れた紙原稿、山の上のボロ屋の燃える風景が浮かぶ。

 あの日、向日葵の下の本当の作者を埋めながら感じたのは、
 ジワジワと、カナカナと、ミンミンと。
 それは酷く酷く虫の泣き喚く、夏の、暑い。
 熱い火だった。

 その本は、皮肉のように、未だ売れ続けている。

ひまわり

執筆の狙い

作者 篁綴
39.110.213.101

淡々とした、幽霊も血も出ないホラーを書いてみたかったのです。

コメント

上松 煌
153.203.103.215

 拝見しました。
面白かったですよ。
「私」は「向日葵の下」の作者になり済ましていたのですね。
でも、指の描写なんかで見ると、作者は女性。
主人公は男性ですから、女性にうまくなり済ませるでしょうかね?
感性とかやっぱ違ってるんで、読者にばれないかなぁ?

 このお話はもっといろいろ、盛り込めますよね。
主人公の奥さんも何か知っているようで、そうとう怪しいしw
おれは奥さんが「向日葵の下」の本物の作者の怨念が化けたもので、今にも本性を現すのでは?と期待したのですが…。


 それから娘さんは小学生(児童)ですよね。

  >>勿論娘も例外なく、学生に与えられる長期の休みに歓喜し<<

学生は大学生の呼称ですから、ちょっと違和感がありました。
ちなみに中高は生徒。

  >>それは酷く酷く虫の泣き喚く、夏の、暑い。熱い火だった<<

「虫の泣き喚く」と「熱い火だった」はワザと????
普通、鳴き喚くで、暑い日だった、じゃね?
ちなみに鳥は「啼き」を使うことも可。

ホラーと銘打つにはあんまり怖くなかったけど、これから手を入れればいい作品になると思います。

篁綴
39.110.213.101

まずは、読んでいただきまして誠にありがとうございます。
淡々としたホラーをと思い書いたものですので、上松様の思うような怨念が、幽霊が、というようなものではございません。いつか、そういう物も書いては見たくありますが。

さて、妻が何をどこまで知るか、本来の作者がどうであるかは想像におまかせすることとして(あまり明確な答えを提示するのが好きではないので、皆々様の読み方を知りたいというのも理由です。設定自体はきちんとありますが)、ご指摘に関しまして。


【学生は大学生の呼称ですから、ちょっと違和感がありました。
ちなみに中高は生徒。】
これに関しては完全に失念しておりました。たしかに、学生とするのはおかしいですね、ご指摘のほど、ありがとうございます。

【「虫の泣き喚く」と「熱い火だった」はワザと????
普通、鳴き喚くで、暑い日だった、じゃね?
ちなみに鳥は「啼き」を使うことも可。】
無論わざとです。物語をちゃんと読めば
「あついひ」「熱い火」は自然と変換の意図がわかるものかと思っておりましたが、分かりにくかったでしょうか?
鳴き喚く、ではなく泣き喚くにしたのも意図しておりますので、最初の文章に対して、ではなく、最後の文章に対してその指摘が来るとは思っておりませんでした。

未熟なせいかとも思いますが、ほかの方がどう読むかも知りたくありますね。
この度は、誠にありがとうございました。

コウ
203.112.61.151

篁綴さん

凝った作品で、最後まで読んでからまた始めに戻って読み返したくなりました。

暑い、あついひ、七本のひまわり、妻が言った「唯一、好きな作家がいる」「何が埋まっているかわからないでしょ」、赤い木の実、赤く濡れた軍手等々。
ちりばめられたキーワードは、謎を残したままのものも含めて楽しませてくれました。

私の淺読みかもしれませんが難を言えば、娘を連れてそこへ行くことの意味をそれとなく語って欲しかった。

>「……パパなら、どんなふうに書くの?」
ごく普通の質問のわりに唐突で、前後と繋がっていないように思えました。

次回の作品も読ませていただきます。

u
183.176.51.134

篁綴さま。読みました。
作品としてはなかなかまとまったものです。

冒頭。上松様ご指摘ですが7歳は学生じゃない! わたしもこれはウンです(笑)。頭は大事チャンと書いてほしい。

落ちは分かったのですが、も少し明瞭にした方がいいのでは?

あと、作者様♂♀ヤングオールド判らないのですが、なんだか父も母も子供に対する愛情希薄?
ママは靴の買い替えが大事らしいし、パパは山登自分が先頭、子供後ろに従えるんかい? チョットあり得ん?
しかも因縁の山へ七歳児引率するんかい?(笑)。

面白かったんですよ。ここら辺調整すれば。
御健筆を。

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