作家でごはん!鍛練場
水野

断食以後【原稿用紙9枚】

 断食芸人が行方をくらましてから一〇余年の時が経った。今では本名はおろか、その通り名を記憶する者も数少ない。彼のことを崇拝してやまない私だってそんなことは承知している。表立って彼の話題を出すわけではない。
 ただ不意に、その手の話題を持ち出してみたくなる。ともに街を闊歩するさなか、劇場の前を通りがかることがある。こんな時、私は思わず喋りかけてしまうのだ。突飛な印象を与えないよう、慎重かつ大胆に。
「そういえば、断食芸人って聞いたことあるか?」
 振り向いたのは同じ大学の友人だ。以前は地方に住んでいたが、入学の時期に合わせて安アパートを借りた。
 聞き慣れない言葉だったのか、友人は首を傾け、憐れむかのように唇を歪ませた。
「だんじきげいにん? 新作映画のタイトルか何か?」
 一〇年前は昼夜を問わず、劇団やサーカスの催しでにぎわっていたものだが、今もかろうじて生き残っているのは、目の前の大劇場一つになってしまった。もう少しすれば収益が立たなくなり、有能な劇団員は離れていき、動物は殺処分され、人々の興味はより映画という新たな娯楽へと移っていくことだろう。断食芸人が人々の興味を惹かなくなったのも、時代の流れの一環だったというわけだ。
 新たな人間関係ができあがるたび、私は断食芸人のことを知っている同志を探し求めた。けれど今までにそんな人間に出くわしたことはなかったし、今回も駄目そうだった。私は友人の本気で戸惑う様子に微笑み、いつもより力を込めて、彼の肩に手を置く。
「いや、俺の勘違いだったのかもしれない。そんな馬鹿、いるわけがないものな」
「さっきから、何の話をしてるんだ?」
「なんでもない。さ、とっとと飯にしよう」

 それでも諦めるつもりなどなかったし、今も断食芸人がどこかで生存しており、あの驚くべき断食を継続しているはずだという希望を捨てるつもりもなかった。大学生活のかたわら、私は断食芸人が好んで行きそうな場所をめぐり彼の痕跡を追い続けた。
 ある時は、東洋の修行者が好みそうな断崖絶壁。ある時は、各地で細々と営業を続ける興行団体。あるいは本当に、映画に出演している可能性もある。あの男のことだ、自分の芸を世間に知らしめるためであれば、手段は選ばないはずである。世界で一番有名な芸人になるか、世界で一番哀れな生活をまっとうするか。あの人には極端な道しかない。
 断食芸人を始めて観に行ったあの日を思い出す。その時は確か、断食を始めてからちょうど四〇日が経過していた。雇い主の命により、断食はそれ以上は行なわれない。それ以上続けたら観客の興味が失われるからという話だったが、理屈は今もよくわからない。
 魚の小骨を束ねたに等しい体つきだった。そしてだいぶ年を召していた。格子つきの、ぎりぎり一人分の生活スペースが確保された小さな檻の中。断食芸人は布一枚の姿で地べたに尻を落ち着けて、すっかり窪んでしまった眼を斜め下に向けていた。就寝用のベッドは背もたれとして使われていた。テーブルにはグラス、その下には大量の水。断食って聞いてきたのに水を飲んでいるじゃないかと、当時の私は両親に文句を言ったものだ。
 今は異国の地で幸せな結婚生活を営んでいる姉が、とある仕事を任されていた。四〇日間の断食を終えた断食芸人を、檻の外へと連れ出す大役だ。姉とは別のもう一人の女も、この仕事を任されていたのだが、二人は見ず知らずの赤の他人で、時間になるまで一切口を利かず、互いにぎこちない視線ばかり交わしていた。特に父親からは、大変誉れ高い名誉ある仕事だと聞かされており、意気揚々と現場まで駆けつけたはいいものの、当の本人を目の前にして、戸惑いを隠せないでいる。断食芸人は風呂にも入っておらず、何匹かの蠅が周囲をうるさく飛び回っていたので、それに対する嫌悪感もあったのだろう。
 楽隊のファンファーレと共に檻の鍵が開けられ、断食芸人が外へと連れ出される。彼をおぶったのが私の姉だ。もう一人の女は、芸人の細い指先を、隣でそっと押さえつけていた。芸人の顔が触れないよう、姉は必死の形相で首を伸ばしていた。たぶん重たくはないので、運ぶこと自体、さほど苦労はしなかっただろう。だが、広場の中央まで断食芸人を運ぶのに、時間にしておよそ八〇分はかかったに違いなかった。その間もずっと、前を歩く興行主の話し声と大げさなファンファーレの音は鳴り止むことがなかった。
 中央の台上までやってくると、姉は断食芸人を下ろし、彼を一人で立たせる。もう一人の女が、今まで大事に握りしめていた指を、マイクスタンドの方へと導いてやる。楽隊の音が止み、興行主のけたけた声もしなくなる。「この日をもちまして、私は断食生活を終えたいと思います」芸人のかぼそい声が響きわたると、堰を切ったようにして、観客が叫び声を上げた。多くは称賛の声だったが、中には本気で芸人の安否を心配する人もいた。私はそのどちらでもなく、ただただ、彼のその唯一無二の神業に惚れ惚れしていた。

 一時期は弟子入りを志願したほどだったが、断食芸人は決して許してはくれなかったし、断食自体、頑なに禁止した。「君が断食を始めてしまえば、いよいよ私の出る幕がなくなってしまうからね」と冗談めかしていたが、真意は謎に包まれている。断食そのものが目的だったのか、断食をすることで得られる褒美が欲しかっただけなのか。あるいは人々が大勢見守る中で悲劇的な死を遂げたいという夢を、あの年になっても持ち続けていたのか。

 大学卒業を控えた数日前、断食芸人のことを知っているという人間と、ついにコンタクトを取ることができた。手紙によれば、彼もまた、一〇余年前に断食芸人を見知って以来、その才能に心を打ちぬかれた一人だそうだ。私より二〇ほども年上だが、文面だけ見ると気さくで、人懐っこい人物に思えた。
 男は現在、郊外のサナトリウムで療養中だった。彼もまた、断食しているのではないかと疑ってしまうくらいやせ細った体をしていた。背が高く、しゃきっとしているところは芸人とは違っていたが。
 部屋に入ると、私とそう年の変わらない若い女がこちらに軽く一礼してきた。ベッドに横たわったままの男と握手を交わした後で、彼女のことを紹介される。結婚はしていないが、自分の最愛の女性であるとのことだった。
「あのひとは今、どこにいるのでしょうか」
 質問すると、彼は太い眉を持ち上げ、眉間にしわを寄せた。
「それは私が聞きたいくらいですよ」
 我々の会話はあまり弾まず、静かに微笑み合う時間の方が長かった。その間ずっと、女はまるでそこにいないかのように黙りこくったままだったのが印象的だった。
 ようやく出会えた同志に対し、もっと感動を示すこともできたのだと思う。しかし、予期していたほどの衝撃はなく、むしろ目の前のこの男にこそ、興味を惹かれていた。彼がどういう人生を歩んできたのか、なぜ療養生活を送っているのか? 意識していたわけではないが、その手の話題には一切触れられなかった。ただ、ひさびさに誰かと対話をすることのできた歓びに満ちあふれていたことだけははっきりしている。
 気がつくと、外は日が暮れようとしていた。断食芸人のことを覚えているのは我々だけかもしれませんねと、去りぎわに男に話しかけると、彼は女に何かを言いつける。女が差し出してきたのは、クリップでまとめられた七、八枚ほどの原稿用紙だった。
「断食芸人が今も生きているのかどうか、もはや誰にもわからなくなってしまいました。かろうじて彼のことを憶えている我々でさえ、行方を辿れなくなってしまっています。ですが一〇数年前に彼が達しえた偉業だけは、文章として残しておかなくてはならない。これはそうした一心で書かれたものです。どうぞ受け取ってください」
「あなたは、一体」私の声を遮って、彼は話を続ける。
「ご心配には及びませんよ。原本はきちんととってありますから」

断食以後【原稿用紙9枚】

執筆の狙い

作者 水野
223.218.198.156

フランツ・カフカの『断食芸人』という短い作品を題材に取った小説です。
とある方向に沿って小説を書きたいという思いが最近浮上してきまして、本作もその一環で書かれました。

断食芸人本人の声をあまり収録できなかったことが、数ある後悔のうちの一つです。

コメント

hir
210.133.222.101

 なにがなにやらわからない話でした。
 姉はリポーターか、医療関係の人だったのでしょうか。
 断食生活を終えたい。と本人が宣言しているのに断食を継続していると思っている理由は。
「私」が四十日間の断食を見届けたとすれば、そっちのほうが偉業のような気がします。

水野
223.218.198.156

hirさま、感想ありがとうございます。

物語の舞台は漠然と、20世紀初頭のヨーロッパをイメージしています。その辺りの描写が現状では不足していますね。
断食芸人がもてはやされていたのは十数年前。主人公の姉の当時の年齢は十代半ばを想定しています。

「断食」という行為は、本作では「芸」と捉えられていて、断食芸人はいわば雇われの身です。「終えよう」と宣言しているのは、これ以上続けても儲けが出ないという興行主に従ってのことであって、断食芸人自身はもっと、この芸当を続けたいと願っている。
自分一人で満足のいくまで続ければいいじゃないかとツッコミが入りそうですが、「芸」というのはお客さんがいなければ成り立たない、一種のコミュニケーション手段です。その辺り、原作の『断食芸人』でも隠れた論点になっています。というか私(水野)だけが問題視しています。

終盤に出てくる謎の男はともかく、主人公の方は、ラスト40日目に初めて断食芸人を目の当たりにしたという感じです。
当時は少年でしたが、十余年が経過し、大学生になった今の主人公であれば、断食芸人の反対を押し切って、共に断食を敢行するかもしれませんね(芸人が生きていればの話ですが)。

朱漣
211.15.239.113

 水野様

 拝読しました。
 僕にはなかなかに難解な作品でした^^;
 カフカの『断食芸人』を知らないので、本作を完全に理解するのは難しいのかもしれません。

 因みに本作のテーマは何だったのでしょうか?
 執筆の狙いに書いてらっしゃる、「とある方向」とはどういうものなのかも気になりました。

 僕には書けないタイプの作品なので羨ましいです。

吉岡ニッケル
126.224.142.174

拝読しました。やはりあなた、プロ級ですなあ。
フランツ・カフカは「変身」と「審判」しか読んだこたねえけどね。

断食芸人。実際に絶食してたかも知れませんが、メリケンのそれは「眠り芸人」。でも、服の中に食いもんを忍び込ませたり、チューブで流動食をすすったりのハッタリ芸人。

そんで、今回俺が書いた芸人は「ギーク」。ニワトリを食いちぎったり、芸がなくとも根性さえあれば見世物として可能なボンクラ笑。メリケンではサーカス興行師P・T・バーナムが有名。

ま、芸人じゃなくとも我が日本には「即身仏」、断食してミイラとなって、見世物となる坊主がいたしね。

吉岡ニッケル
126.224.151.92

一部を抜粋すらば:

かの伝説のサーカス興行師フイニアス・テイラー・バーナムの眼に止まり見世物もとい団員として参加、〈二しゃく五十年あまりの眠りから醒めたチンカン・ザ・マンチユリアン・ギーク!〉との触れ込みで、生きたウサギやニワトリにシチメンチヨウを喰いちぎったり、目隠し投げナイフの的となり総て命中で虫の息となったり、グリズリーと素手で闘わされ血みどろになったり人間大砲の弾丸になったりと、奴隷以下の扱いをされます。

とマア、アホです。

水野
223.218.198.156

朱漣さま、ありがとうございます。

「とある方向」を他の方に説明することは、今のところは難しいです。それは【声】の一言に集約されるかと思うのですが、世間一般で通用しているものとは別の意味を、私はこの一語に託しています。テーマも同様です。

水野
223.218.198.156

吉岡ニッケルさま、ありがとうございます。

我々の世界で40日も断食できる人間が実際にいるかどうかはわかりませんが、『断食芸人』という作品の世界では、断食芸人は本当に40日間の断食を完遂しているようなので、私もその摂理に従って『断食以後』を書きました。
二人の女が断食芸人の体を支えるシーンがあるのですが、そのシーンが妙にコミカルで面白かったので、そのうちの一人を主人公の姉としたわけです。

ちなみに40日という区切りには、どうも聖書が関連しているようです。『断食芸人』を島田雅彦あたりが書けば、1日目から40日目までのそれぞれを、聖書の記述をオマージュしつつ、芸人自身の日記調で仕立て上げてくるのかもしれません。

吉岡ニッケル
126.224.137.85

そうさね。俺はアンチ・クライストやから、って、聖書の知識はちっくとある。

俺の大好きなブルーズ・メン、マディー・ウォーターズの曲に「40 days, 40 nights」って曲が確かあったはず。歌詞の内容は忘れてもうた。

なんやったかなあ。40日間苦しみなんとやら、って内容だったと思う。

けどね、今の聖書の記述:

下女・下男・疫病

と記されておるんやけど、昔の聖書はちごうたんや。つまり:

下女=売春婦
下男=奴隷
疫病=らい病(ハンセン氏病)

と、書かれてたんや。現在では「差別につながるので自主規制」云々で通っておるけどな、そういった売春婦・奴隷・らい病患者たち。要は社会的弱者たちや。それを言葉の言い換えで後世に残しちゃ、なしてキリスト教が支持されたかの本質が理解できんし、されへんと思う。極論で言えば、イエス・キリストが唱えたのは、ユダヤのみが救済されるのではあらず、万民が救済されるべきなのだ、っちゅう「ユダヤ原理主義」だったと、俺は思うておる。せやからパレスチナかイスラエルかは忘れたが一地域のローカル宗教やったのが、世界的な宗教になったんや。もっとも、ローマ法皇が「信条的」支配に利用したって側面もあるけどな。

関係ない話でスンマセン。

そうげん
58.190.242.78

『断食芸人』という作品を知りませんでした。青空文庫にある翻訳で読んできました。わたしの印象ではこの断食芸人はプログラムに組み込まれるパーツの一部であり、文芸誌や文壇や文学界という集合体のなかに、そのときどきに応じて華をうけもち、やがて堕ちもする、そんな過去の書き手の姿のようにも受け取れました。

芸に誇りをもっている、物を口にしないこと自体にかれの満足感も達成感も存在する、なのに、見ていない隙にこっそり食べているのだろうという周囲の疑念が、断食芸人の誇りを苦しめる。小説を書く人も作品として見せる表の面と、その背後に抱いているものとの格差によって、断食芸人同様の苦しみがあるはずです。カフカの作品を読みながら、自分もそうだし、それぞれ他の書き手も異なる事情のうえに、それ(苦しみ)はあるはずと考えさせられました。

ここ(ごはん)でも感想を書いています。だけど、読み逃し、読み間違い、とちり、誤認数多くあります。ただ作品を読んだものとして、読みました、自分はこう受け止めました、を形にしておきたい。だから拙さをわきへおいても、感想が書けそうだと思えれば積極的に文章をつづるようにしています。つたない一石でも作品のそばへおいて、なにがしかの合図にしておきたい、そんな気持ちがあります。

語る人がいなければ過去の人になり、さらに時がすぎれば、その人がいたことすら忘れさられる。いまではもういたことすら確認されない過去の無数の中にも、凄絶なほどの信念をもって、身を処していた人もあったのでしょうが、いまはその痕跡も残っていない。そもそも痕跡を残そうとした意志すらなかったかもしれない。だからこそ、これはということを、言葉で、文字で取り上げることに意味が生じてくる。

>文章として残しておかなくてはならない。これはそうした一心で書かれたものです。

わたしはなぜ小説を書こうと試みるのか、と読み返しました。形になるものを残したいという気持ちがあるために書くことから離れられません。書くことに意味があるし、書こうとすること自体にも自分なりの意味があるし、それが誰かにとどくことは、わたしにとってさらに意味のあることだと思うから、なにをしていても表現のことが頭から離れません。

この小説をどう受け止めるべきか、わたしにはまだ難しいですが、自分が書きたい事、書こうとしている事にも当てはめながら、励みにしたいと思います。ありがとうございました!

水野
223.218.198.156

そうげんさま、感想ありがとうございます。

『断食以後』という小説は、断食芸人が本当に生きている世界を軸にしています。
「大学卒業を控えた数日前~」から、主人公はとある男とコンタクトを取ることになりますが、この男は我々のよく知るフランツ・カフカその人をモデルにしています。
ひょろっとした体、療養生活、年の離れた最愛の女性。伝記ではないので、正確な年代に沿っているというわけではないようですが、我々の世界でフランツが『断食芸人』を執筆した時期の彼の状況と、だいたい一致しています。

ただ、『断食以後』の世界では決して、男=フランツではありません。フランツはいわば自らの力で断食芸人という存在を生みだしましたが、男の場合、最初に断食芸人という実在の人物があって、彼に心惹かれ、その偉業に関する「文章」を書いた。
彼らと断食芸人のそれぞれの関係性には似たものがありますが、男あるいはフランツを「作家」と見た場合、芸人に対するアプローチの仕方がやや異なっています。『断食以後』の男が書いた文章は、伝記小説に近いものです。

作家としてのフランツが断食芸人を生みだしたのではなく、断食芸人が、かの男という作家を生みだしてしまった。今回、作家/登場人物 の関係性を覆してみたらどうなるかという企みがあったことは確かかもしれません(以上のことは、そうげんさまの感想を頂いて、私という他者が『断食以後』を批評した際に、浮かび上がってきたことなのですが)。

きさと
118.1.250.197

「周辺の景色」がさほどないのが不可解でした。
御作における主たる人物とは、断食芸人でも「私」でも断食芸人を知っている男でもなく、むしろ断食芸人を知らなかった同じ大学の友人、断食芸人の話題に興味を示さなかった男の最愛の女性、そしてより広く、断食芸人を忘れ去りつつある人々全体なのではないでしょうか。ブームという一過性の現象のむごさに飲み込まれていく断食芸人を未だ知る者たちの、それでも忘れ去られまいとする些細な反抗、そういうものが結末の、コピーをとったことで一部から二部に増えた原稿用紙に集約されているのではないか、とも考えました。
もしそうであるならば、断食芸人などはじめからいなかったかのようにしれっとした社会全体、断食芸人の名残すら見受けられないほど鮮やかに圧倒してくる周辺の景色(情景描写もその一部ですが、もっと身の回りの細かいものに対する視線も含みます)がより書き込まれてあれば、そこに「私」の無力さがあらわれてくるとともに、読者も断食芸人を「知らない」ことで優位に立てるのではないでしょうか。

水野
223.218.198.156

「断食芸人」のような一過性の存在を、この主人公兼語り手はそれでも大事にしていきたいと思っている。そうした願いのもと、彼がそのつど語らなければならないのだとすれば、どういう方法が考えられるでしょうか。
彼の願いに含まれているものの中に、たとえば断食芸人という偉大な存在を忘れ去った社会全体に対する不満不平を公表したいだとか、身元不明の不特定多数の読者に向かって断食芸人という人間を知らしめたいだとか、そういうものがあったのだとすれば、彼は語りの方法を、現状とは違ったものにしたかもしれません。
けれど本文に書かれてあるように、この主人公兼語り手の目的が「断食芸人のことを知っている同志を探し求め」ることだけだとしたらどうか。あとは推して知るべしといったところでしょうが、「私」は周囲がどうあろうが格別気にすることはないでしょうし、自分と周囲を見比べて、一方を優位に立たせたり他方を足蹴にする興味も持ち合わせていないのだろうと、私という他者が本作を読んださいに思いました。

私(水野)も、『断食芸人』を読んでいない他の方に対してこれを無理やり薦めるつもりは毛頭なく、むしろ積極的に忘却されてしかるべき作品だとすら思っています。既存の凝り固まった解釈から離れた新世代の読者が、この作品を初めて読んだ際にどういう感想を浮かべ、どんな文法・語彙・形式で表現するかが、私のさしあたっての興味です。それが【声】という、私自身の創作の中心に置かれるべき観念と直結してくるはずです。

きさと
118.1.250.197

「私」は当然自分の語りをなにかしらの恣意的な道具としては思っていないでしょうし、「私」の方から露骨に語りにバイアスをかけ自分の本心をねじ曲げることはしてはいけませんが、作者の方はあえて小説として書き取る以上、「私」の無自覚な部分が自然と立ち上がってくるよう、「私」の見たもののうちから適当なところを繊細に抽出する必要があると思います。多分御作における「私」は、文章として綴られている以上のものを無意識に見ていると思います。それらをむしろ作者様の恣意によってほとんど取っ払ってしまうのは「私」に対して失礼です。

水野
223.218.198.156

できるかぎり作者という立場から離れた、単なる一読者(ただし誰よりもその小説を読んでいるマニア的存在)として感想への返信を行なうよう努めていますが、甘い部分があったようです。場所が場所なので、ある程度作者という立場を保持しつつ、作品の背景にあるものだとか、登場人物のモデルだとかを小出しにしているところはあります。ただ、そうした特権的立場を暗に誇示し、読者の自由な解釈の妨げになっていたことは反省すべき点です。

「私という他者が本作を読んださいに思いました」という文章表現が一つ前の返信のところにみられます。他の方への返信に際してもそのような表現を取らせてもらうことがありますが、わざわざそのような予防線を張って、こちらから意見を出しているのは、一つの作品を軸にして、さまざまな方と対話というものをやってみたいからです。
ある程度交流のある方(私の思い込みでなければ!)に対しては、多少とも本気で、私自身の言葉をぶつけています。そういうことができるのは、彼らが私の言葉を悪意と受け止めることなく、真摯に対応して下さると全面的に信頼しているからです。
作者という立場を忘れることなく、その作品に寄せられた感想を何もかも吸収していく方法もあります。ただ私個人としましては、そういうやり方はつまらないと感じてしまいますし、ある程度の「おべっか」や「ごまかし」も使わざるを得ません。それは作品に対して、なにより自分自身に対して失礼にあたる行為になるのではないかと思われます。

今晩屋
119.63.156.183

 時間を有効に使って下さい。古より、言霊ってあるんだが、欠片も無い。
 物質の記憶? カフカ? 
 水野の小説書けよ、三島風に言えば、気取るな。

水野
223.218.198.156

私などの小説に気を払うより、貴方様ご自身の小説を書き、「作家でごはん」に提出することに集中してください、という意味です。ここはそういう場所だと思いますよ。

水野の小説を書かないのは、登場人物を介して自分自身を紹介することだったり、自分の中のもやもや、あるいは主張したいことを物語形式で表現することに対して、ほとんど興味がないからです。仮に自分のことを書こうとすれば、私は小説や批評ではなく、別の形式を選択するのだと思います。
逆に言えば、水野以外の人間・作品を対象に選ぶことが、私にとっての小説・批評の定義になります。『「物質と記憶」精神記』『断食以後』を書いたことで得られた考え方であり、次の作品を書くことで、また変わってくるのかもしれませんが。

今晩屋
119.63.156.183

 物質より、先ず精神の記憶をたどったほうがいい。
 
『頑張れ!応援してる』と。
『お前には無理だ』の、境界線は。
 たったこれだけで、人の人生は変わるって事。
 殺人者にもなるし、牧師にもなる。無論、あんたも私も。それが小説だろ。ひでぇニュースばっかで、そう思わないかね。根が何処にあるのか?
あんたを晒せとは言ってないし、主張を述べろとも言ってない。
 
 
 
 
 
 

  

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