作家でごはん!鍛練場
そうげん

2020年

 フランベされて揺らめく焔はしだいに勢いを収めていった。カップルで占められる店内に、男二人という取り合わせのこのテーブルだけが、周囲に比して異色を放っている。皿に盛られた料理を、ナイフフォークを用いて上品に味わっていた。
 サービスが減ってきた互いのワイングラスに追加を注ぎ入れて立ち去ったあとで、待ちかねたようにテーブルでは会話がもちあがった。
「リヨンで過ごした日々はずいぶんと前だけど――」背の低い方が口を開いた。「あれから、俺らはこっちでずっと料理をしてるわけだけど。どうだ。なにか感じることはあるか」
 もう一人は言いたいことを我慢していたように言葉の堰をきった。「あるなんてものじゃない。不満だらけさ。ある程度、覚悟はしてたよ。俺はこの国で生まれてこの国で育った。やがて料理をなりわいにすることになった。人の口に入るものを毎日つくってる。なのに、いまここで起こってることの意味がわからないよ。素材とか、ハーモニーとか、マリアージュとか、まがりなりにも、人の口に入れるに最適なものを、手を替え品を替え、これでもかといわんほどに、俺らは習ってきたはずじゃないか。なのに、この国で流行ってるなにもかもが、正気の沙汰とは思えない」
「悲観的になりすぎてるよ。この国にだっていいものはあるだろう。それに一般の生活がいいものを口にしないのは仕方のないことだよ。俺らが特殊だっただけだよ」
「でも、それでもだよ。化学の実験室で作られるもののように、なにかの対象に似せた味が世間に満足に通用してしまってる。でたらめで、うそっぱちのものが、普通に通用して、味わわれて、それなりの評価を受けている。そんな世間を相手に商売してることの不毛を感じないわけにはいかないよ」
「それが世間だよ。そういう味に馴れてしまって、それが普通だと思ってる人たちが多すぎる。いいものの味を知らないから、その人たちにとっての最適なものが、そんな化学製品になってしまったってだけの話しさ」
「そのレベルで成り立ってるのが世間なんだな」
「世間てもともとそういうものだよ」
 対話はとぎれて、二人はしばらく皿の上の料理を口に運んだ。
 ブルゴーニュワインに合う、ボリュームのあるステーキ肉に、コクのあるソースがかけられてあった。古典的なロッシーニ風の皿である。トリュフの風味が、味の濃いソースとうまく絡んでいる。
 グリオット・シャンベルタンの余韻を楽しみながら、二人は会話を再開した。
「先月の事件、知ってるか。訪日中のフランス人女性が行方不明になったっていう」
「ニュースでやってたな。俺らみたいな留学経験者は、フランスという国に特殊な感情を持ってるよな。なにげなく生活していても、フランスという単語が耳に入ってくると、つい聞き耳を立ててしまう。そのニュースは俺も気になってたよ。もう一カ月以上、音信不通になんだってな」
「俺も驚いた。それこそアジア圏の人間がそういう憂き目にあう話はよく聞くけど、それがフランス人女性だっていう報道を耳にして、俺は不安になったんだ」
「どういうことだ」
「来年にはこの国でオリンピックが開かれるだろう。きっと大勢の外国人が訪日することになるはずだよ。スマホ全盛のいまの時代だよ。きっと全国津々浦々、オリンピック観戦にきたついでに足を運ぶ海外の人間が増えると思うんだ。普通世間で海外の人たちを迎える都市部だけだったらいいよ。でも、検索でどこへなりと調べられるいまだからこそ、少数しか関心を持たないような土地に関心をもつ外国人もあらわれると思うんだ。いつもなら人がいかないようなところへ足を向ける人もあらわれることだろう。この国は治安のいいところだけじゃない。たまたま治安のよくないところに一人きりでふらふら足を踏み入れる外国人がいたさいに、不測の事態に陥らないとも限らないだろう。これまでに見たことのない事件が発生することだって考えられるよな」
「日本にかぎってそんなこと……」
「なぜ言い切れる。俺はほんとに不安だよ。俺はフランスにいたとき、自分が不正なことをしなければきっと、あっちの人も自分に危害を加えることはないだろうと、ほとんど無条件に信じきっていた。信じきっていればこそ、一人で遠出もしたし、深夜の一時や二時に街中を徘徊だってしていた。酔っ払いがちらほら歩く脇を突き進んで、秋の夜を心地よく過ごしもしたよ。でもな。いまの日本の状況ははずかしいよ。俺ですらが、隣人を信頼することができないでいる。白昼堂々、無差別殺傷事件が発生する。近所のどこかの部屋に、世間と一切交流をもたずに、鬱屈のみを抱えている大人が、何年もこじらせて蟄居している。この状況で来年を迎えるんだろう。何が起こるかわかったもんじゃない」
「考え過ぎだよ。それでなくとも、この国は治安がいいとされてるし、窃盗や置き引きの発生確率も低いっていわれてる。過ぎてみればなんとかなったって、そうなるはずだよ」
「そうだといいけどな。俺はとても安閑としてられないよ。だって、俺、いってなかったけど、かつて、グルノーブルで、手違いで泊るところもなくなって、冬の二月に、電話ボックスに入って、一晩過ごしたことがあるんだよ。あのときですら、なんとかなるって、ほんとにあの国に信頼して、不安なんて感じることなく、辺りから飛んでくる酔っ払いの声も心地よいバックコーラスのように感じながら、うつらうつらバッグをまくらに眠りもしたんだからさ。あんな信頼は、自分自身の世間知らずがなさせたことかしれないけど、日本のどこかの僻地で、おなじように外国人がやってのけて、安全でいられるだろうかって不安でならないよ。悪いことをしてやろうとか、へこましてやろうとか、だましてやろうとか、そんなことをたくらむやつがやっぱりそこらの街にうろうろしているようにいまの俺は思ってしまうよな。それは考え過ぎだと思うか?」
「どうだろう、でも、女性だけの遠出であれば、悪い気を起こすようなやからがいないとも限らない。世間に鬱屈を抱えているやつなら、日本人だ海外の人だ関係なく、これまでのようにろくでもない犯行に及ぶ奴もいるかもしれない。やっぱり、他者への無条件の信頼関係ってのが崩れているいまの社会に対して怖さがないわけじゃない」
「俺は話してなかったけど、この問題について、本気で恐さを感じていたんだ。少し前に、防災に関してのアンケートが県庁の名前で来たことがあった。それは地震防災についてだったけど、それ以外についても普段思っていることを伝えてほしいと明記されてあったから、今回にかぎって電話を入れたんだ。内容はこうさ。こんどオリンピックが開かれることになるけど、日本はすべての地域が治安がいいとはいえないでしょう。2020年のオリンピック開催前後に、日本として、地域の治安を守ることは現状の警察組織だけで本当に間に合うのですかと。電話口では、しっかりと対応する旨、明言してくれたよ。でも俺は不安だね。もう来年のことだけど、来年がすぎればこの国はどうなっているだろうって思うんだ」
「なんとかなってるって思いたいけどね」
「ことはいま話したことだけじゃない。訪日する外国人のなかには、来たっきり、国に帰らずに不法滞在するやつも出てくるだろう。すると、本国と連絡をとりあって、不法行為を働くやつらもでてくるはずさ」
「ああ」
「いまでも不法行為を働く海外人はいるだろう。でも、オリンピック後にはこれが不特定多数の国の人種を相手取ることになるかもしれない。それについても、俺は不安に駆られてるよ。フランス滞在中は、一度ならず、薬物をすすめられたこともあった。そういう心配もしなければならないだろう。昨今のグローバル化は低水準の平均化という気がしてしまう。もとよりこの国が治安がいいというのなら、その治安を維持することは何によって担保されるのかって話だろう。拠り所となる部分がどんどんへずられてる気がするんだ。ないがしろにされて、骨抜きにされて、形骸化してしまっている。このくらいなら大丈夫だろうと、規制緩和だけを盛んにして、内規の方をないがしろにしてしまう。結果、悪平等みたいなものになって、ろくでもない状況だけが残って行く。いまですら反吐がでそうなのに、これ以上になってしまうとしたら、俺は耐えられないよ。この国がこれ以上、悪くなっていくのを観たくない。見るに堪えない」
「食べ物しかり」
「そう。化学物質づけの食べ物に舌鼓をうつという転倒状況に、我が身を顧みる空気すら見られない」
「金さえだせば、こうして旨いものは食えるけど」
 二人はいまはソースだけになった皿の中身をみた。
「その金の使い道が、この国では迷走している」
「そもそも金もない」
「旨いものも食えない。旨いもののあることを知らずに生きている」
「それが世間」
「終わってる」
「スマホの充電が切れたとき、すべての外国人は、日本人の親切に行き当たるだろうか」
「不安だな」
「俺が一人で行動したとき、こちらがたどたどしいフランス語で話しかけたとき、ぞんざいな扱いをしてのけた現地の人はひとりもいなかった。地方の日本のおじいさん、おばあさん、おいちゃん、おばちゃん、そういう人たちを思うとき、ぞんざいな対応をする人はきっといると思うんだ。そういうとき、海外の人が感じる違和感とか嫌悪感を思うと、かつての自分の海外通行の心地よさに較べて、居心地の悪さを感じるよ。この国ほんとに大丈夫だろうかって、自分の事を棚にあげても、全旅行者の安全な通行を心配したくなる、そんな気分がさ」
「考え過ぎなんだろうけど、でもそれだけ、おまえが歩いた海外は、誰もがサポートをしてくれて、うまくいってたってことなんだろうな」
「相手の梯子を外さないでくれることだけを祈ってる」
「どうだろう。来年になってみないとわからないな」
「とにかく悪いことが起こらないように。いいエピソードがたくさん生まれるようにと、そんな風に俺は願ってる」

2020年

執筆の狙い

作者 そうげん
58.190.242.78

去年からずっと思っていることを二人の会話に仕立てました。
小説というよりは問題提起です。

コメント

日乃万里永
106.160.80.219

 拝読させていただきました。

 昔、祖母の家で食べた野菜は、形は悪かったですがトマトはみずみずしく肉厚で、きゅうりやニンジンは今スーパーで買えるものとは香りが全く違っていました。
 今そのような野菜を求めようとすれば、かなり家計が圧迫されてしまいます。
 
 手作りのパンはコストも時間もかかりますが、何日経っても暖めれば焼きたてのような風味が戻りますが、スーパーで安く手に入る大量生産のパンはともかく、パン屋で売っているパンでさえも今は、ショートニングが多く使われているせいで焼きたてはまだ違いを感じられても、翌日にはあまり大量生産されたものと違わなくなってしまいました。

 少しでも安い物に消費が移るのは仕方のないことですが、余り過ぎて廃棄しているというのがなんとも言えません……。

 私の両親は高齢ですが健在で、義母も八十を越えていますが皆、薬が手放せない生活を送っています。
 日本は割合、平均寿命が高いといわれていますが、健康寿命が短いということは注目されていません。
 病気は薬で押さえれば当分の間はなんとかなるので、化学物質たっぷりの食生活でも、安ければ大概の人がそれで満足なのだと思います。

 それは人間が長年にわたって選択してきた結果であり、それが耐えられない人は他国へ移住したり、自給自足の生活を選ぶのではないかと思います。

 私自身はというと、かなりのぐうたらなので、調味料などは少し成分にこだわったり産地にこだわったりすることもありますが、だいたいにおいて現状に甘んじてしまっています……。

 犯罪に関しては、表に出ないだけで陰ではかなり悲惨な現実があって、テレビも情報操作するので、日本にとって不都合なことはかなり覆い隠しているのではないでしょうか。
 なのでオリンピックなども、もし外国人になにかがあったとしても、日本にとって不利にならないような報道がされるような気がします。

 ですがそうやって覆い隠したものや外国人の不法滞在などがどんどん身近に起こるようになって、誰もが不安を抱える世の中になった時にどうするのか。
 私が以前住んでいたところは、日中でも網戸一枚で過ごすのは怖くて出来ませんでしたが、今住んでいるところは割合のんびりと生活できるところで日中は網戸でも生活できます。

 ですがこの先、外国人もどんどん増えていくというので、こんな田舎でも、もう安心できなくなるかもしれません。
 そうなったらどうしましょう、山の上にでも籠らないとならないのでしょうか。

 人間は楽なものを追い求めすぎて、かえって自分の首をしめているのかもしれないですね。勿論自分しかり。

 読ませていただきまして、ありがとうございました。 

夜の雨
114.184.205.149

「2020年」読みました。
たしかに小説ではなくて意見を二人が述べているだけですね。
導入部は小説のような書き出しで雰囲気もあり、期待しましたが。

その意見を二人の男が述べているわけですが、二人の人物の意見の部分だけしか書いていないので、面白味がありません。興味が持てないということです。

「執筆の狙い」には「去年からずっと思っていることを二人の会話に仕立てました。」「小説というよりは問題提起です。」と、たしかに書いてあるわけですが、問題提起にしても「人物の背景なりも書いたほうが入り込みやすい」ですね。

ということで、御作は入り込みにくい作品でした。

内容についてふれない感想を書くのは、たぶん、いままでになかったと思います。

九丸(ひさまる)
126.179.133.83

拝読しました。

読み易い文章でした。

気になった点を。
冒頭の視点ですが、どこからの画なのか結びつきませんでした。
フランベの炎はどこから?
オープンキッチンでテーブル席から見えたのか? それともデザートのクレープシュゼットなんかをテーブルで作っているのか?
男性二人は一流?の料理人みたいですが、言ってることがまったくそうは聞こえない。料理は化学であり、実験ありき。これは僕の主張なので流してくれて構わないのですが、ワインを継ぎ足す場面に「サービス」これはギャルソンかソムリエでは?ワインの銘柄「グリオット・シャンベルタン」のヴィンテージは?ステーキ肉の部位は?ロッシーニ風ならフィレとか。
それなりのお高い店に一流の料理人二人が食事をしている画と繋がりませんでした。二人の会話もにわか修行にちょっと行って来ました感が拭えません。いっそのこと料理人設定いらない気がします。
化学調味料にかんしては一部同意。
本題についてです。日韓ワールドカップを肌で経験されてるかは分かりませんが、あの時も相当な数の外国の方が訪日しました。オリンピックと違い東京近辺だけでなく、地方都市にも。二人の男性はその時には何も感じなかったのでしょうか?さらに言えば、今年はラグビーワールドカップもあります。それについては?
読み易い文章でしたが、個人的にいろいろ気になった次第です。
拙い感想失礼しました。

そうげん
58.190.242.78

日乃万里永さまへ

コメントをありがとうございます。伝えたいメッセージの核があるのでそれを書くためだけに物語の体裁をとったという創作動機でした。一問一答形式で答えてゆきたいと思います。

>昔、祖母の家で食べた野菜は、形は悪かったですがトマトはみずみずしく肉厚で、きゅうりやニンジンは今スーパーで買えるものとは香りが全く違っていました。

たしかに自分の家で作られる野菜は、市販のものとは味も香りも異なります。しかしいまではホームセンターや種苗店にいけば売られている野菜の苗や種。これにも多少のからくりがあります。F1品種、雑種第一代という種別のものばかりになって、市販の種苗のものから成熟させて種をとっても、次の代は、ちゃんとした作物として育たないということになってます。つまり、原種の流れをただしく引いた種はもはや市販ベースで売られないということです。むかしは農家であれば、毎年、種を残して、ひとつひとつの種を大切に育て続けてきたものです。この伝統が崩れてしまっている。ネギにしても、種をとって二代目をつくろうとすると、雑草をかんだ時のようなひどい味のものが生まれてきます。野菜の形もおかしなものができあがります。そういう面からいっても、食糧事情は根元から終わってきていると感じています。すこしまえに主要農産物に関連する「種子法」の改正がありました。「人にって食べ物とは何か」という哲学が制度を設計する人間たちと、わたしとでは、あきらかに考え方がちがってしまってると考えている昨今です。

>手作りのパンはコストも時間もかかりますが、

焼き立てパンのイースト菌の香りのただようのも好きなものでした。古典的なつくりの酸味のあるパンも食べたことがありました。外はかりかり、中はふわふわのフランスパンとか、もう何年もいいものを食べてません。生命維持のために食べるものと、リラックスするための、気分転換に食するものとは、ちがうものを食べていたいと思います。

>犯罪に関しては、表に出ないだけで陰ではかなり悲惨な現実があって、

犯罪の発生事由にしても、そうじゃないだろうという箇所が問題として論われていたりして、問題を解析する能力がないのか、それを表立って解説するだけのポーズすらとりずらい世上になってるのか、どっちだろうと考えてしまいます。家庭や地域や社会の問題として全体として語って行ける問題にしても、誰かが悪いという人のせいにすることで、問題を論じ深めるパートにはいっていかない。問題から目を背ける文化になれてしまっています。このところ思っているのですが現役世代の、それこそ、年配の方にしても、ほとんどが仲間内としか話せない、コミュニケート能力になんのある人が増えている気がしています。余裕がなくなってるのかなと思いますが、初対面の人と話してゆくスキルが諸外国の人にくらべて、日本人は極端に低い人が多いように思います。女性はそれほどでないけど、男性にはとくにこの傾向が強い気がします。(偏見かな)

さいきん、「奴隷労働」という書籍を読みました。身近にも外国人労働者がいるので、わたしも他人ごとではありません。たぶん、働きに来ている外国の人にとって、現状のままでは、帰国後、日本は最低の国だったという評価を得ることになるかと思います。もしくは、日本人が思ってるほどいい国だったと思われないという可能性が高い。それこそ治安だったり、表向きの礼儀はわきまえている国民性です。しかし腹を割って話しあおうとする姿勢が見られない。よそよそしい、フレンドリーとはおもえない。そういうところに、違和感を抱かれる可能性は多分にあると思ってます。

と、不平不満に近いレスポンスでごめんなさい。たくさんのことについて反応をくださって、とてもうれしかったです。ありがとう!

そうげん
58.190.242.78

夜の雨さまへ


問題提起として記した側面がありました。この二人の会話のやりとりのなかで、読者様の頭にも反論なり、別の問題点なり、批評の方向性なりが兆すことがあるのではないかと思いました。この短編はひとつの当て馬であって、これを皮切りに、関連する事項について、物を書いたり読んだりされる他の方の意見を募りたいという気持ちがあったのが本心でした。

わたしははじめの就職を中途でやめてからは、ことごとく非正規雇用に甘んじています。現在もです。だからこそ、海外の肉体労働従事者とも肩を並べて働いてもいました。多様な労働環境も見てきていますし、実地に体験もしてきています。そのなかで、令和に改元されて、今後の時代がどうなるだろうかという予測について、ひとかたならぬ関心と不安をもっています。

たいへんな目に遇ってこそ、書くべきことにも精彩が加わるもなので、最低限、死なない限りの生命維持のポイントが抑えられていることを前提に、苦労は買ってでもしようと思っています。なので、この短編にえがいていることの幾分かについて、なにか読み手の方の卓見を得たいという心があったというのが正直なところです。

手法について入りにくいとことがありましたか。期待に副うことが出来なくて残念に思います。
お読みくださりありがとうございました。

そうげん
58.190.242.78

九丸(ひさまる)さまへ

この書き物はまず伝えたい事、示したいことが一番にありました。道具立てとして、レストランの風景、肉料理を食べているというところから、小説冒頭の観客をひきつけるセオリーのために、むりから、「フランベ」の派手さをひっぱってきてしまったのは、作り手の安易な気持ちのゆえでした。ですので、あとから読み返せば、最初の段落の末尾が、冒頭の時制からほとんど時間のたっていない時点を描いているために、わたしが意図した風には伝わらないようになっていて、つまり、推敲不足ということになります。また、ロッシーニ風としてしまっては、フランベの動作を、皿だしの直前に行っているというパフォーマンスとの兼ね合いもおかしくなってしまいます。ソースの味もある程度固定している料理ですので、独自色としてその皿にさらにアルコールをかけてうんぬんというのは、おかしな描写であると、いま振り返れば反省しています。

どこまで専門的なものを描くかという場合、たとえばグランクリュワインのビンテージに関して、その評価をいうならば、ドメーヌやネゴシアンレベルであるていど批判のない部分までつきつめなくてはならず、実際、最新の事情にまではわたしは通じていないので書けない部分が多いのです。ただし、グリオット・シャンベルタンといったん書いた場合、ジュブレシャンベルタン村のなかでも、この畑だけが持つ味わいの特質はある程度イメージされますし、これをレストランで飲もうとする人たちの地位的なものもある程度確定されます。ただし、それ以上踏み込むと、オタク的な、知識開陳式のうるささになってしまうのと、わたし自身も、細かな部分に立ち入りすぎてへまを踏みたくないから、ある程度一般的な部分で記述を押しとどめておくという風にしました。グリオットシャンベルタンは過去に三本を飲んだことがあります。それぞれちがうドメーヌでした。ほかのシャンベルタンの畑ともちがうし、コードドールのほかの村のものともあきらかに風味が異なるのはわきまえていても、これを特定の言葉で描くとなると、自分自身、ブルゴーニュワインに関してはほかに譲れない味覚に対するエゴがあるので、全身全霊を籠めたものでなくば、細部に立ち入るべきでない。今回は2020年について書くことが主眼であるから、あくまで料理に関しては従の立場においておかざるを得ませんでした。

かつて料理を学んだときには、有名ホテルのメートルドテル経験者の方の指導を受けたことがあり、そのときにも料理途中にワインを注ぐのは、ソムリエだけにかぎらないということだったので、より広い意味をカバーすることの出来る「サービス」という職種全般についての呼称を用いることにしました。メニューを持ってきたソムリエ自身がつぎにきてくれたとしてもよかったかもしれません。ただし、ほんとうに厳密な職場では、客席のワイングラスの管理については、ソムリエだけが担当している例のほうが一般的なのでしょうか。わたしの経験したところでは、新人でもつぎには行ってましたので、その範囲での表記になってしまいました。

化学反応については、わたしも料理は愛情というよりは、厳密に、作り手が行う操作が、ダイレクトに鍋の中の反応となってあらわれる。勉強の好きだった人で、料理はあんまり得意じゃなかったという人には、わたしはよく、「料理は理科の実験と一緒ですよ」といっていました。製菓だとそのままずばりですが、きまった分量で、適切なタイミングで適切な処理をおこなえば、仕上がりはほぼ一定するということ。それは科学的(≒化学的)であると思ってますが、この小説に記した「化学の実験室」というのは、試液を用いて実験しながらあれこれ試すような、薬品を作り出すような、○○酸△△ウムとか、□□塩××リンみたいなそういうものが列挙されてる原材料の既製品、パウチ、レトルト、あるいは店屋物のストックみたいのをイメージしていました。たしかに安価に通用させることが出来る形態です。これと作中のグローバル化という平準化について、並べてみたくて同じ作中に示しましたが、距離も遠いですし、思ったほどの効果もないものでした(失敗ですね)。

日韓ワールドカップのあった時期は、ちょうどオンラインゲーム(MMORPG)にだだはまりしていた時期で、ニュースなどはほぼ見ないでいました。ただ韓国系のものだったので、直接に、韓国人ユーザーとのやりとりもありました。あのころは、社会の動きには無関心に近かったため、あまり覚えていません。ただバッシングが以上に悪目立ちしていたのが気になってました。ラグビーのワールドカップも今年ですね。たしかにこのことを念頭に入れていませんでした。ただ規模として、オリンピックはほかの世界大会に較べてスポンサー料も莫大ですので、ことさら特別視したがる気持ちがわたしのなかにあったのかもしれません。

スマホ検索による単独旅、もしくは二人旅というのもこれまで以上にありえるかと思って、そこで起きるかもしれない危惧について言表したかったということがありました。

こうして書いていただくと、至らない注意不足だった点がいくつも浮かび上がってきます。
軽はずみに書き過ぎた面があったと思います。ご指摘、ありがとうございました。
これからもこつこつ頑張ってまいります。

はるか
106.154.130.116

 拝読しました。
 おっしゃるとおり、問題提起というか、考え、みたいなものが書かれていて、かなり社会的、というか、カッチリした内容なので、私はあまり社会的じゃないので(オリンピックについても、あまり思うところがないんです)、というか、私の個人的な世界のことにしか、もしかしたら興味を持てないくらい視野の狭い人間なので、だから、主張については、すみません、ちょっと難しいなあと思いました。
 が!
 なのに、するりと読めたのはなんでかというと、会話の文章がとても自然というか、長い台詞なのに、本当に人がしゃべってるみたいで、よどみなく、テンポよく、流れが気持ちよくて、目が追いかけやすいっていうか、つまり読みやすかったからです。これは才能ですね。
 プロの作家さんの文章なんかでも、会話文がなんだかウソっぽくて自然じゃないのとかあるけれど、まあそれはそれで小説の味わいなのかもしれないけれど、自然な会話文がするする書けるっていうのはすごいことなんじゃないかと思いました。
 考え、の中身についての感想じゃなくて、すみません、なんか、的はずれなこと書いちゃうかもなんで、読んで一番感じたことを感想とさせていただきました。
 中身のないような感想、失礼いたしました。

そうげん
58.190.242.78

はるかさまへ

読んでくださって、ありがとうございました。内容についてである必要はなくって、はるかさんのおっしゃるとおり、読んで一番感じたことを感想としていただくのは、それ以上のことはないほどふさわしいことと思いました。

するりと読めたといっていただけたのは、わたしにはうれしい言葉です。わたしは(おそらくほかにもたくさんいらっしゃるでしょうが)中学のころから、けっこうなラジオリスナーでした。NHKFMの、中島みゆきとか松任谷由実とか谷村有美、など夜の9時台のものをよく聴いていて、あれはたぶん台本というかシナリオもあるかと思うのですが、一人の語りでえんえんテーマごとにいろんな話をされてゆく。それを聴き逃がしのないようにじっくり聞くのが楽しくて、毎夜、いろんな番組を聴いてました。昨日、仕事の休憩時間に、過去に録音したラジオ番組を聴き直していたのですが、そのときに、MCさんの語りのテンポのつけ方に注意していたところ、「~してたんだけど」「それってどういうことかっていうとね」というリズムの刻み方が、その人の放送をずっと聴いていたから、ずいぶんと自分の血肉になっている。かつて、ある人にこの逆接の「が」が多いですねとここ(作家でごはん!)で指摘されました。~けど、~が、を非常に多用する。なので、一時期、これを減らすようにしてきました。今回の台詞ではそれなりに使っています。自分が語るように、ふだんの自分の言い方を開放したので、無意識のうちにこのようになりました。

ただするりと読めるというのも、わたしにはひとつ、この作品に物足りないものがあって、それはスムーズとは反対に、ときおり、行って、戻って、倒置させて、誤認から、訂正してというのを、会話の中で行うのが活きた会話だということです。ふだんのわたしの会話は舌足らずで、言葉が足りなくて、誤解も多いので、ひとつ話せば、そこに補足として無数の言葉をおぎなって、話が長くなります。聴いているほうは疲れます(笑) なので、会話文も、たぶん、もっと自然な形にしてゆくことはできるんだと思います。

文字を音声に変換してゆっくり読んでくださる方には、ピントがあいやすいようになってるといいなと思ってます。感想コメントをくださってありがとうございました。

今晩屋
119.63.156.183

 問題提起から、の先ですね。確かに日本の食品添加物はEUや北米比10倍以上。
 東南海首都地震は30年以内に7割で来る。
 ただ、生活は変えられない。1万/1日を明日も過ごす。
 原発もです。事が起きればギャーギャー騒ぐ事が問題です。でも。
 起きる前にギャーギャー出来ないのが、もっと問題です。
 
 その先は小説家にしか出来ない事かも知れない。そこを期待しますね。

 偉そうにすんませんw

ARAKI
126.224.78.121

読ませていただきました。

文章が読みやすかったですし、会話もスムーズに感じました。
実際に留学経験おありですか??

内容として特に共感したのは前半の食品についてです。

テレビのスポンサーで食品関係がある以上悪く言えない風潮と、そういう食品のCMの垂れ流しでイメージが良くなるのでしょうね。

カップ麺や、加工肉、マーガリンやショートニングの入ったパンやお菓子(発がん性物質の含まれたもの)が規制なく販売されています。

ショートニングの規制などは日本は先進国でありながら遅れているという記事を見たことがあります。

有害なものは目くじらを立てて騒ぎ立てますが、数十年かけて体を蝕む弱い毒は世間はあまり気にしません。
それらは簡単に美味しくなったり、見栄えがよかったり、お手軽だったり、値段が安かったりします。

お菓子やパンなんかも、バターではなく安価なマーガリンが使われています。
体に及ぼす影響よりも数十円のコストしか消費者は気にしません。

食品に対して気にする人と、気にしない人が二極化しているのかなとも思います。

気にしていると、自分で育てた物や作ったもの以外、高額な気をつかった食品を除いて、何も食べられないような世の中になっているとも思います。

話逸れましたが、色々ところがありました。
ありがとうございました。

月戸井
126.161.167.225

そうげんさん。
作品を読ませて頂きました。
ここにあったことに気付いていませんでした。
基本、自分の作品を読んで頂いた方の作品しか読まないので……。(自滅!)

正直、最初は興味のない世界で読み辛かったのですが、中頃から入り込めたので筆力には全く問題ないですね。
どんな落ちがあるのかと思っていたら、そのまま終わってしまった感じでした。でも、狙いのところに「小説というよりは問題提起です。」とあったので、やっぱりそうなのかと。
犯罪被害に遭うかどうかは“運”も大きく関係していますね。

そうげん
58.190.242.78

今晩屋さまへ

食品添加物の量は詳細なデータはわたしはもってないないので諸外国と比較することはできません。卑近なことをいえば、カロリー摂取をきらって、わたし自身、コーラを飲みたいときは、ゼロカロリーのものを求めますし、普段ののむアルコールも、醸造アルコール添加のものを飲まざるを得ないし、料理に用いる調味料の類にしても、ちょこちょこ細工がなされて、表向き悪い部分の見えないように工夫されてます。世界人口が100億人にいたるであろう今世紀に、理屈では(廃棄問題を解消したりすれば)すべての人の腹を満たすだけの食糧は作れるでしょうが、環境汚染だったり、遺伝子操作だったり、添加物、農薬の補助を駆りて、粗悪品もコミで確保される見積もりだと思ってます。

事が起こって誰かと誰かが対面してなにかを語るという行いについて。街で飛び交う会話にしても、気に入らなければつむじをまげて、弾みがつけば調子がとまらず、じっと黙っているとなれば貝のように押し黙る、会話をするというか、そもそもの話好きで、話すことが好きで、人の意見を聞くことも好きという人が、ほかの国よりも日本は少ないように思います。黙って人の話を聞くだけか、自分の意見を口にしたいだけか。さらによりよい一歩を踏み出すために自分でも考えてゆきたいし、人様の意見も拝聴したい、それを糧にまだ思いつかなかったことに考えをめぐらせたい。そういった欲求が薄いのだろうと感じます。もちろんそれの出来ている人もいますが、市井のなかにふんだんに存在しきれていない社会だと思ってます。

いったん決まれば、いったん動き出せば、一個人の意見ではどうにもできない、すでに動いていて、止めれば大きな迷惑が掛かるからといういいわけで、すべてが惰性で動いてゆきます。だから、変化を好まない人が多いのでしょう。わたしはこう思います。よく話し、よく考え、善いと思えば推し進め、悪いと思えば軌道修正することにもやぶさかでない、そういう国民性であれば、変化しながら新たなことを試すという事にもなんら悪弊は付きまとわないと思います。現状を言えば、滑り出してしまえば、誰に止められない(ことになっている)という前提が独り歩きしてしまう。無反省のきわみだなと思います。

ただ今作では、登場人物2人を等価に扱っていて、語りを行う主体は、天の声のようになってます。2人には見えていない、語ることのできていない局面がたくさんあります。実は、フランスじたい、日本に較べて安全交通ができるということではありません。スマホもなくて、交通手段が公共機関であるということで、そこでいける範囲の話です。僻地であればその限りではありません。日本の話もそのことを暗に示しています。

わたしもまかりまちがって、おかしなところに立ち入っていれば、ろくでもないことになっていたと思います。ですから、長い時間をへて、レストランでこんな会話をすることのできている2人は幸せ者なのです。世を嘆く老人となんらかわりません。

ちなみに県庁に電話は、実話にちかいです。別の内容も含みますが、あることで尋ねたいことがあって、電話しました。読んでくださってありがとうございました!

そうげん
58.190.242.78

ひとつまえの感想かえしの内容があまり拙いので直しを入れました(そのまえに見直せよという話ですね)。

今晩屋さまへ

食品添加物の量についてはわたしは詳細なデータを持っていませんので、諸外国と比較することはできません。卑近なことをいえば、カロリー摂取をきらって、わたし自身、コーラを飲みたいときはゼロカロリーのものを求めますし、普段飲むアルコールも醸造アルコール添加のものを飲まざるを得ないし、料理に用いる調味料にしても、表向き悪い部分の見えないように工夫されているものを使わざるを得ません。今世紀のうちに世界人口が100億人にいたるといわれています。理屈のうえでは(廃棄問題を解消したりすれば)すべての人の腹を満たすだけの食糧は作れるでしょうが、環境汚染を問題視せず、遺伝子操作を繰返し、添加物、農薬の補助を駆りて生み出される粗悪品も計上したうえで確保される見積もりだと思ってます。

事が起こったときに、誰かと誰かが対面してなにかを語るという営みについて。街に行われる会話でも、気に入らなければつむじをまげて、弾みがつけば勢いがとまらず、黙るとなれば貝のように押し黙る、そもそも話すことが好きで、しかも人の意見を聞くことも好きという人が、日本には少ないように思えます。黙って人の話を聞くだけか、自分の意見を口にしたいだけの人が多い。よりよい一歩を踏み出すために自分でも考えたいし、人様の意見も拝聴したい、まだ思いつかなかったことに考えをめぐらせたい、そういった欲求が薄いのだろうと感じます。もちろん出来ている人もいますが、そういった人士が市井にふんだんに存在しきれていない社会だと思ってます。

いったん動き出せば、一個人の意見ではどうにもできない。止めれば大きな迷惑が掛かるからといった申し分を梃に、すべては惰性で動いてゆきます。変化を好まない人が多いのでしょう。わたしはこう思います。よく話し、よく考え、善いと思えば推し進め、悪いと思えば軌道修正することにやぶさかでない、そういう国民性であれば、変化を受け入れつつ、新たなことを試す事にも、なんら支障はないと考えます。現状、滑り出せば止まらない。無反省のきわみだと感じます。

ただ今作は文芸作です。登場人物2人を等価に扱っていて、語りを行う主体は天の声のようになってます。2人には見えていない、語ることのできていない局面がたくさんあります。実はフランスじたい、日本に較べて安全交通ができるということではありません。スマホもなくて交通手段が公共機関であったなら、そこでいける範囲の話です。僻地であればその限りではありません。日本の話もそのことを暗に示してます。

わたしもまかりまちがって、おかしなところに立ち入っていれば、ろくでもないことになっていたと思います。ですから、長い時間をへて、レストランでこんな会話をすることのできている2人は幸せ者なのです。世を嘆く老人となんらかわりません。

ちなみに県庁に電話は、実話にちかいです。別の内容も含みますが、あることで尋ねたいことがあって、電話しました。読んでくださってありがとうございました!

そうげん
58.190.242.78

ARAKIさまへ

海外経験は一年間のフランスのみでした。休みのたびにいろんな場所に出かけるのは自分も含めごく少数だけでした。調理の勉強でいったのですが、料理だけをしたいのでなく、これまでにしたことのない経験をしてみたくて、ひとりでいろんな店をひやかしたり、遠くの街に足を運んだりしました。そのときどきの印象的な場所で撮影した写真が手元に残っていることから、当時の記憶を思い出しながら、いつかこの体験をもとに何かを書きたいと思いつつ、もう二十年以上が経ってしまいました。物を書き始めたころに、いつかこれを書きたいと思って、記憶の鮮明なうちにと、日記の体裁をとって、各地を訪れたときに感じたいろんな概観なり、印象なり、個人的なこだわりなりを形にしておきました。2003年に書いたものです。書くという行為は、書き手の記憶にしっかりとした印象を刻み込んでくれるもので、いったん文章として書き出すために呻吟すれば、その苦労によって、何年経っても印象の古びることがないようです。当時感じていたことと、いま反省すること、そして今現在の生活と、比較しながら別の手法でなにかの作品に仕立てられればよいのですけど、これもタイミングでしょうか。

食品の話。わたしは1970年代生まれです。子供の頃は、駄菓子をよく買って食べてました。(10円とか20円の)ガムに、(コーラアップとかの)グミに、(5円チョコレートなんかの)チョコレートといった、まさしく工業製品といえる駄菓子です。じつはいまもこれは秘かに好きなんですが(!?)、もうわたしの世代は、生まれたときからこういう商品にならされてしまってる。だからどんなふうに賢しらにいってのけても、逃れられない業の連鎖のなかにある。そう思わないといけないよなと思ってます。

ふだんマーガリンはつかいませんし、無塩バターをつかってますが、そのバターにしても、疑いだしたらきりがない。ただちかくで外食しても、どれもしょっぱいか、あますぎるか、なにかが過剰か、トータルで見たときに味がごまかされている(良い店が近くにありませんので)。水だけで生きられる生物になりたいと思うことがあります。

さいきんは、家でとれる野菜を、単純な調味料で炒めるだけで、よいごはんのおかずになってます。野菜も種を代々残して作り続けるというのが、F1交雑種の影響で難しくなっています。むかしはどの農家も自分の家がまもってきた種があったものですけどね。これが消し去られつつあります。

もう調理を離れてずいぶんたちます。いまは自分が美味しいものを食べたいから、仕上がりがベストになるように自分のためだけにつくってる感じです。でも、おいしいものが少ないなと感じてしまっています。ただ料理は環境に左右されるので、気の置けない友人と、わずかに選んだ二三品をつつきながら、酒でも飲みつつ、会話していれば、おのずと最高の料理にしあがるのでしょうね。レストランの原義のように、わたしもレスト(休息)したいものです^^

ゴイクン
121.92.248.76

そうげん さま

はじめまして、ですね。拝読しました。

だらだら書いて一回で収まらないので、二回に分けました。すみません。

御作、ですが、小説の形じゃないですね。意見表明という感じで読んでみて真っ先に感じたのは、やっぱり多くの日本人の目は西欧にしか向いていないのだな、ということでした。

昨日もテレビのコメンテーターがいっていました。何の話だったか、思いだせないのですが、こんなダメなことは世界でも日本だけですよ、と。いってから気づいたのか、ヨーロッパではね、みたいに言い直していました。

同じことでしょうが、御作では、日本の話の場合も、東京当たりしか目がいっていません。
 私のいる県なんかは、安全ですよ。私は毎年、数か月この場所を離れますが、その間、家の施錠はしません。というか、とっくに鍵が壊れてしまって、しようがないのです。

 泥棒の心配は全くしませんし、入っても、食う物も金目の物も何もないです。古い餅つき機みたいなのはありますが、もし泥棒が持って行ってくれたら感謝みたいな感じです。もっとも通帳だけは、持って行きますけど、念のために。
心配なのは、不在の間に家の中がゴキブリやムカデや蛇などの巣窟になっていないかということだけです。

日本が安全でなく、世界が安全、いや、フランスが安全で、電話ボックスで寝ていても問題なかった、というのはあまりに小さな情報で、それでフランスを称えるのは、少々不満でもあります。
どの国でも、安全であるためには、それなりの心得をする必要がありますね。
その上での自由な動きです。

外国で日本風に生きようとするのは、危ないです。
ウエストポーチなんて、ひったくりにあえば最悪です。バイクのひったくりなら、引きずられますね。怪我をします。

ヤクはどこでもありますよ。試しにアジアのやばそうな所を歩いてみてください。あちこちから声がかかります。
日本人の気軽さで、仲良くなったと思ってお茶などをおごられると、中に睡眠薬が入っていたりします。アホな観光客がそれで被害をうけますが、私に同乗は湧きません。

世界はどこも危険です。だって、人間がいるのですから。

この作品には、日本人がよくいうダメダメ日本の考えが基本にあります。
日本の文句はいいやすい。なぜなら情報がたくさんあ入るからです。でも、そうげんさんは、おそらくアフリカのことはあまりご存じない。私も詳しくないですよ。となれば、アフリカ批判はできないから、何となくよい国のように思ってしまう。そして日本を最悪の国にしてしまう。思考の手抜きですね。

あくまで比較の問題ですよ。世界のスタンダード、あるのかな、まあ、そんなものと比較しての話ですよ。
実際は、どこもいいし、どこも悪いです。
なので、同じ目線での批判なら納得しますが、情報がかたよっている場合の批判はいかがなものか、と思うのです。

日本人の女の子も、外国で殺されていますよ。フランスだけでもあったようですが、いくら安全な日本でも外国人の若い女性が一人で未開地のような場所に行けば、当然犯罪の対象になってしまいます。日本はひょっとしたら少ないのじゃないでしょうか。

 話があちこち飛びますが、昔ね、君が代を卒業式に流すかどうかの職員会議で、女性教師がこんなことをいったそうです。先生をやっている私のお友だちから聞きました。小学校の実際の話です。いった人の顔も知っています。

君が代や国旗を押し付けるようなひどい国は、日本だけだ。世界にはない、と。そんな趣旨の発言だったそうで、その知りあいもさすがにこれにはあきれたそうです。

でも、それが統計的にきちんとした話ならいいのですが、そんなバカなですね。
アフリカやアジアの国でやっているところはないのか、と普通はすぐに思いますが、その女性教師の場合は信仰の一種なので、まあ、聞いて、ありうる話に思いました。

実際、韓国のソウルで何度も映画に行ったのですが、上映前に全員起立で、国家斉唱でしたよ。もちろん強制的です。私はわからないので、うううう~いってましたけど。今はなくなりましたけどね。でも、ついこの前まで。
香港もそうでした。私は外国旅行での行先は、映画館と競馬場がメインなので、そういうのはわかります。
その小学校の先生は、児童にどのように教えていたのでしょうね。ランドセルを背負って授業を受けに行ってみたいと思いました。

ゴイクン
121.92.248.76

食べ物、もちろんどこでも農薬をばんばん使っていますよ。
よくないです、誰でもそう思います。
人間も青虫のような食事にすればいいだけで、でも、これは御作に冒頭で、北朝鮮の多くの人にはありつけない優雅な食事の場面を入れていますね。

私はアジアをちょこちょこ回ったのですが、といって、中国はいっていない、
そのアジアはいずこも、農薬、すごいですよ。テレビで農薬のCMが延々と続きます。

また、エビ。今は違うでしょうが、儲かるというので、田んぼでエビを養殖することが流行りました。
科学肥料をばんばん入れて、数年で田んぼはヘドロ状態になりました。
その田んぼ見ましたが、マジ、ヘドロ。一生エビは食わないと誓ったほどです。代わりに、蛙を食べていました。でも、よく考えたら、蛙もヘドロの中にいたかもしれないですね。

そういう食ってはいけない毒のようなものは、エビでも何でも皮に集まりますから、エビも果物も本当は皮は食ってはいけないのですけど、皮は栄養によいという話で。栄養も集まれば、毒も集まりますね。

私は農薬を使っていません。あくまで小規模なので。
で、スーパーに売っている果物、野菜、農薬ばんばんかましていますよ。
もし農薬を打買わなければ、キャベツや白菜、すぐに虫に食われてぼろぼろです。
私は自分用に、今年キャベツと白菜を10数個植えたのですが、農薬を使わないので、青虫に食われてしまいました。ほんと、筋だけ残して葉の部分は何もない、空洞なのです。もう芸術品ですね。筋だけのキャベツって、かっこいいですよ。インスタで宣伝したいほど^^

で、農薬を使わない場合は、ピンセットで青虫を一匹ずつ取って潰すしかないのです。家庭菜園風な人は、それをやっていますが、見ているだけで気が遠くなる。
いっそ、キャベツより、青虫を揚げものにして食べたほうがおいしかったりして・笑

なお、私は農薬を拒否しているわけじゃないですよ。あれって、農薬をかけるの、機材がないとかなり面倒なのでやっていないだけです。柿も梅も、桃も、とにかく木になるもの一切に私は怠惰なので農薬を使っていませんが、もしボタン一つでできるのなら、即使用します。
アジアを巡った結論として、人間って、それほどヤワじゃない、と思っているので。
まあ、農薬でもいろいろですが。

というわけで、農薬も仕方ない派なので、エビの話も気にしていません。食べなきゃいいだけのことで。そしたら、田んぼをヘドロにしてまで作る人はいないはずです。

何を書いているかといえば、御作で感じた、世界を西欧中心に見る見方、それと知っているものだけを批判し、知らない者を褒める姿勢がちょっと気になっただけです。まあ、みんなそうですけどね。
確かに自分の奥さんより、隣の奥さんのほうがよく見える、そういうことなのかもしれないですね。
という脈絡も何もないことを感想として書いて、すみませんでした。
御作を読んでこんなことを感じましたので、一応書いておきます。
板を汚してすみませんでした。それでは。

ゴイクン
121.92.248.76

私の基本方針は一回訪問のはずなのに、ばたばたとすみません。
コピペする際に消えてしまいました。補足です。


人間も青虫のような食事にすればいいだけで、でも、これは御作に冒頭で、北朝鮮の多くの人にはありつけない優雅な食事の場面を入れていますね。

←そして、それで客観性を保とうとされているのはわかります。


ということで、冒頭を批判しているわけではないです。むしろ逆でした。
それがあってこそ、御作が生きると思っています。
ホント、そそっかしくてすみませんでした。

ゴイクン
121.92.248.188

おはようございます。
一度で充分といいながら、またものこのこやって来ました。
今回はごめんなさいをいうために、恥を忍んできました。

昨日は、一度読んだきりで長々と関係ないことばかり書いて、そうげんさんも困惑されたことと思います。

あれは、感想としてはたわごと染みていましたね。申し訳ありません。当然返信は結構です。

御作は二人の会話、というかい一人が喋って、もう一人相槌を打つだけなので、事実上は意見表明の作品と思いますので、まあ、そこに3人目として加えて頂ければ、と思っています、というか、思うしかないですね。削除もできませんので。ほんと、すみません。恥ずかしいです。最近は、早とちりで恥ずかしいことだらけです。

御作に書かれた日本への不安、特に2020年への不安、その気持ちは私もわかります。無事でありますように、ですね。

お詫びとともに、御健筆をお祈りいたしております。

そうげん
58.190.242.78

順番を飛ばしまして、ゴイクンさまへ取り急ぎ。

今日はひさしぶりのオフなので、するべきタスクがいくつかあります。コメントをくださった方への返信もしたいと思ってます。ただゴイクンさまへ一刻も早くメッセージをお伝えしたく、書いております。

さきに下さったコメント、拝見させていただきました。ゴイクンさまの書いてくださった意見もよくわかりますので、わたしも自分で思うことをコメント返信してみたいと思ってました。わたしは非正規雇用ですので、職場に、ベトナムの方もきてらっしゃいます。さいきん出版された『奴隷労働』という書籍も一読しまして、働き方改革も含めて、技能実習生制度について、たくさんの疑問点を自分でも持っています。技術というとき、わたしのイメージは、職人のわざを想うのです。本音と建て前が透けて見える現状です。

>スマホの充電が切れたとき、すべての外国人は、日本人の親切に行き当たるだろうか

この言葉。「日本人の親切」という言葉ですが、困ってる人がいるとき、話しかけられても面倒で聞こえないふりしたり、何もわからないふりして、スルーする人がそれなりにいるんじゃないかと思うのです。海外に向けてというより、話しかけられたら、親身になって聴いてあげようとする余裕のある人が、ほかの先進国に比べて、割合が少ない気がするのです。これはわたしの思い込みかもしれません。ただ、日々のストレスでいっぱいになっていて、他の人まで気を回せない人がいるんじゃないかという、そんな危惧があったりします。

これもわたしの狭い世界での意見かもしれません。ただもうすこし話すということに対して、胸襟を広げてくれてる人が多い感じでした。日本人だとわかると、90年代後半だったので、プレイステーションを送ってきてくれないかと紙に住所を書いてわたしてきた人が、一年間で三人もいました(駅で待っていたり、道を歩いてたりしていてです^^;)。話したこともない人です。とてもおどろきました。

ただ、わたしは甘い世界しか見ていないはずです。もっと黒い、暗い部分に足を踏み入れる可能性だってありました。日本で働いているときもグレーゾーンに入りかけたこともあります。あやしいと感じてすっぱり抜けました。ゴイクンさまへの返信はあらためて行います。

まずいいたいのは、コメントをくださってありがとうございました、ということです。ほかの方の意見を聞きたいし、知らないことを知りたいですし、反応をくださったことがうれしいのです。ではまたあらためて。

そうげん
58.190.242.78

月戸井さま、コメントをくださり、ありがとうございます。

いったん書いてみてからなんども読み返していると、もっとうまく書けたかもしれないと思われてきます。オチというか、なにかシメになるようなことを書ければよかったのでしょうが、いいっぱなしにおわりました。

表向きの事をなぞっただけでありますので、ふだん物事を深刻に考える人からすれば、まだまだ甘い書き方だったでしょう。

どんなに用心していても、遭うときは遭う、遭わないときは遭わない。運はたしかにかかわってくるでしょうね。こんなことを書いていますが、逆に訪日する外国の方が増えて、非日常の雰囲気につつまれるオリンピックの期間が楽しみである気持ちも一方にあったりします。矛盾してますよね^^;

感想をくださり、ありがとうございました!

そうげん
58.190.242.78

ゴイクンさまへ

あらためて、コメントをくださって、ありがとうございました!

日本と海外を比較するにしても、その比較の仕方がフェアでなかったし、限定されたものの見方によるもの、つまりバイアスがかかっていたということを想わせられました。なんだかんだいっても、日本のほうが安全というのはあるように感じます。というか、わたしも海外では自分のバッグをわきに置くことはせず、いつも、持ち手を手に引っかけたり、ぐるっと腕に抱き込んだりしてました。

うちも家は鍵をあけっぱなしで出ていても平気なところでした。ただ、現在は訪問販売などもあると困るので、鍵を閉めるようにはなりました。

アジアのやばそうなところだと、どんどん声がかかるでしょうね。屋台でものを食べるというのも、警戒する必要があるところがたくさんありそうです。

君が代、国旗のことは、ある程度の人が言い出すと、それが本当かウソかを抜きにして、そのことが事実として独り歩きしてしまう面がありますね。あの人たちがいっていたから、というのがリッパな理由としてなりたってしまって、言葉が拡大されていく。わたしの書き方にもそういった面があったかと思いました。

エビはかつては人糞なども与えられていたという話を聞いたことがあります。ただ安価なエビはわたしもときおり口にしていますし、気にしていては何も食べられなくなるなと思ってます。

筋だけのキャベツ、ちょっと見てみたいかもです。アジアやアフリカへの訪問もわたしはむずかしいですね。収入も限られてますので、資金的に日本を出られそうにありません。機会と資金さえあればいくらでも外へ出てみたいのですけど。

西欧中心ということは、ふだん読む海外文学も英、仏、独語圏のものになってくるので、そうならざるを得ません。アジアのものは中国古典くらいになるので、最新のものを入れている暇もなくて、おろそかになっています。もっとアンテナを広げるべきなのでしょうけれど。

ゴイクンさまのベトナムの小説も拝見させていただきますね。
では、ありがとうございました。

ゴイクン
121.92.248.188

一応ご返事ということで書かせてもらいます。sおれと、私のは単なるエンタメですから、ご無理なさらないように。
で、

>スマホの充電が切れたとき、すべての外国人は、日本人の親切に行き当たるだろうか

というそうげんさんの問いかけですが、私はこう直して考えたいと思います。

>スマホの充電が切れたとき、すべての日本人は、外国で外国人の親切に行き当たるだろうか。

これもその日本人がどんな感じの人とかでいろいろですから、一般的な話はしにくいと思うのですが、

>話しかけられたら、親身になって聴いてあげようとする余裕のある人が、ほかの先進国に比べて、割合が少ない気がするのです。

という結論にはならないのじゃないかと、というのが私の考えです。すみません。
確かに英語ができないので、臆するという人は多いでしょうが、うちの村なら、村中で充電だけじゃなく、メシも食わせますね、まず確実に。
そういう特殊なのを抜きしても、私は日本人は親切なほうだと思いますけど。あくまで比較上のことですが。

私はアジアをよく歩きますが、みんな親切でしたね。
でも、その親切の底に、たいていお金がくっついていることも多かったですけど。なので親切のあとに口論というのも多かったです。Go to hellとスリランカの寺院関係者にいわれたことがあります。50円渡さなかったからです^^
なんせ、日本人といえばお金持ちのイメージだから。だって、飛行機に乗って異国に来ているのだから、飛行機に乗れない人から見れば、ロケットに乗る、立派な前園社長ですね。

で、ベトナムの例を出しますが、ちょっと前のことですが、いかにも旅行者風な日本人が立ち止まって、地図を広げて、顎に片手を当てていたと思ってください。すると、わらわらと親切をしたい人が寄ってきます。あそこは、言葉がわかるわからないは関係ないです。とにかく親切にしたくて、一緒に地図を覗きこみます。歩き方によく書かれています。
で、ある人は、地図を見て、お探しの動物園は右の道がいいわね、別の人は、左がいいじゃないか、別の人はこっちといいます。つまり、ほとんど誰もわかっていないのです。でも何か親切したい。なので、親切を受けたあとは、こっちが途方に暮れるのです。何度もありました。だから毎回迷子です。

で、後で気づいたら、多くのベトナム人は最近まで地図が読めなかったのですね。アホだからじゃないです。見たことがなかったのです、きっと。今はグーグルだってあるし、全く違いますが、ちょい前までは、です。なので、ベトナム人をいじめたかったら、地図を開いて場所を聞けばいいのです。まさに目はシロクロ。私は大家の生意気な娘に、よくこれをやってからかっていました。

太宰治の「津軽」にこういう記述があります。上梓されたのは太平洋戦争のさなかですね。

>現在のこの辺の風景に就いては、この際、あまり具体的に書かぬほうがよいと思われる。

 確か二か所で同じことが書かれていたと思います。
 つまり、地図は軍事機密ですから、無闇に人民に開陳すべきものではない、ということなんですね。津軽半島の小さな町に敵軍が攻めてくるとは到底思えないにしても、戦時下なので、太宰はそこまで神経を使ったわけです。
なので、私の住まいは、雑な地図にはなくホーチミン市の化外の地でした。

 と言うことで、ベトナム人は親切をすることに重点を置いて、その中身は適当だったわけです。
 つまりみんな仕事もなくて、暇だったのですね。だから親切も楽しみ、娯楽のうちだったのかもしれない。うちの村もそんな感じかな。ホント娯楽がないから。
 
でも、ベトナムもだんだん近代国家のようになってきました。殺伐としてきました。今は、充電を頼んでも無視する人も多くなっているのじゃないでしょうか。私がいたときから、その予感はありました。
(続きます)

ゴイクン
121.92.248.188

(続きです)
今日、私は畑で出会ったスモモとかくれる90歳の老婆と、ええ天気ですな、といったのが唯一の会話。私はこの7文字しか喋っていません。なので、切っ掛けをもらったら、もう止まらないのです。だから、高崎山のサルと同じで、最初から触らないほうがいいですね。口は全く疲れていないので。すみません。もうちょっと行きます。長いので、無視してください。でも、さっきからうるさいごきぶりに話すよりは、こういうひとり言の方がまだましです。

つまり日本人が、外国人にクールになったのは、もともとの精神性を横に置いても、やはり単純に忙しくなったからじゃないでしょうか。
そういう忙しい日々をみんなで選んでしまったわけですね。
となれば、先進国であっても、日本のように忙しい国は、なかなか充電してくれないと思います。パリではどうでしょうか。ブルゴーニュとかはどうでしょうか。
暇な先進国があれば可能かもしれませんが、きっとギリシャはそうかも、でも、そうなれば充電に金を取りますね。法外な金を。

私がベトナムで学んだことは、人間は本来群れているものということです。
なので、いわゆるムラの姿が本来の姿かもしれないと思います。でも、誰もが村を出て行く。
他の村人がメンドくさい。親切すぎる。世話焼きすぎる。陰で文句いう。
で、生きる形を縮小して、核家族、夫婦子供だけの生活を選ぶ。
それで、子育てが大変になる。外国人の携帯の充電どころじゃないかもしれないですね。
なので、せっかく脱出したのに、別の場所にムラを作ろうとする。

でも、脱出を選んでしまったのだから、仕方ないです。つまり進化、いや退化かな、そんなのが始まったようなものです。動物の場合もそうですが、進化は始まればとまりません。進化論の基礎です。国の経済発展を肯定すれば、そうなるしかないです。だって、目を向けるのは人間じゃなく、物。金を含めた物になりますからね。両方を求めるのは欲張りかも。

となれば、やっぱり、これは何も日本だけが特別ひどいわけじゃない、という結論でいかがでしょうか。ダメかな。でも、他の先進国もひどいはずです。知らないだけです、きっと。そのために映画、文学がある、といえばおおげさでしょうか。

この前ちらっとどっかに書いたスエーデンの介護の映画。老人の孤独、ひどいですよ。タイトルがきっと「嫌なジジババ(nasty old people)」というのですから。でも、一応ハッピーエンドになっています。北欧はユートピアじゃないわけで。なおその映画のラストは、ジイサンとバアサンが改心して良い老人になって結婚するんです。そのとき、ネオナチの介護士の女の子がいいます。
To a long life with plenty of sex and love。と。
いかにもスエーデンらしいですが。ユーチューブで見られます。
私たちは、実際にウエーデンにいたとしてもこのようなナスティーな老人たちには会えません。なので、やっぱり映画や小説が必要なのでしょうね。

なんて、やっぱり、アホのような結論しか出せないですね。きちんとした資料を基に議論しないのであれば、こんな感じになるのかもしれないですが、私は一番単純なことが一番大事じゃないかと思っています。

以下は、別の場所に書いた文です。調子に乗って、くっつけておきます。

●私が五年間暮らした家は、ホーチミン市の貧民街にあった。広い通りから、道幅が三メートルに満たない、薄汚れた路地に潜りこんでどんどん進んで行くと、ウナギの寝床といわれる貧相な家屋が両側に並ぶ。救急車も消防車も入れない狭い路地。昼と言わず夜と言わず、バイクがけたたましい排気音を響かせて走りまわっていた。
外国人が住むセンターと違って、貧しい地域は週に何度も停電になる。予告はなく、たいてい朝の六時半頃から始まるが、電気がもどるのは日暮れてからのことが多い。トイレも使えないし、せっかく買った日立の冷蔵庫も氷が解けて水浸しだ。
夕闇が落ちても光がもどらないとき、路地裏の住民たちはランプを灯して、家の前の椅子で夕涼みする。扇風機が動かないから、暑い室内にいる理由はない。子供たちは、バイクの警笛に弾かれながら薄暗い路地を走りまわる。オヤジたちは生ぬるいビールを飲み飲み、大声で井戸端会議に精を出す。それにオバサンが加わる。若い娘たちがギターを爪弾き、星空の下でベトナム歌謡を歌い出す。
日本でも大昔にあった光景である。なつかしいと思う人も多いだろう。今の日本人に、あの日に戻れといっても無理な話である。いや、肝心のベトナム人たちも、ランプの生活を歓迎しているわけではない。貧しい路地を抜けだして、センターにギンギラギンの豪邸を建てることを一様に夢見ていた。それは老人一家も同じだった。
滞在していた頃の私は、ランプが灯る夜の光景に惹かれていた。テレビやラジオもなく、携帯もネットも使えない停電の夜。人たちはお互いに体をくっつけて話し合うしかない。夫婦も親子も、そして隣近所の人たちとも。
そういう路地裏が今もベトナムにはある。後進国の姿なのか、それとも百年進んだ未来の望ましい姿なのか、私には判断できないでいる。●

ARAKI
126.199.8.142

再訪失礼します。

料理の留学で一年間フランスに行かれたのですね。
若い時に自分にそんな勇気は持てないと思いますが、羨ましいですしとてもよい経験をされていますね。
料理以外にも色々なことを挑戦されているみたいで、それを小説として残しているのは財産ですね。
それを見て、自分も覚えておきたいことや、今しか書けないこともあると思うのでそういうものも書きたいと思いました。
学生時代オーストリアに一週間ほどホームステイしたのですが、その時見た雄大な自然をずっと心に留めていつか小説に使いたいなんて思っていたのですが、実行に移さずに風化してしまいました。


食品は某ハンバーガーショップがハッピーセットなるものを宣伝しまくって、魅力的なオモチャで釣って子供のうちからハンバーガーを食べさせて、大人になっても食べる習慣をつけされていますね。子供の頃に食べたものっておふくろの味っていうくらいまた繰り返し食べたくなりますよね。
自分はチョコレートとか、炭酸飲料とかがそれに当てはまる気がします。

普段は水を飲むようにしていますが、夏場の炭酸飲料とかビールは格別でどうしてもたまに呑んでしまいます。
結局食べたいものを食べて反省して、摂生して、の繰り返しのような食生活を続けているような気がします。

またおっしゃられたように、家族や仲間なんかと盛り上がって食事をすると料理以上に美味しく感じますね。
ホットプレートやたこ焼き機、バーベキューなんかもそうでした。

雰囲気に左右されるので、高級なお店はそのようなところにお金をかけているのでしょうね。

そうげん
58.190.242.78

ゴイクンさまへ

返信をくださってありがとうございました。
わたしもふだん口を開く機会がすくないので、書き出すと止まらない面があります。そもそもふだんからお喋りの気質の人は好きこのんで文章を書く必要も薄く、物書きという手段を取ることもないかもしれませんね。

ベトナムの街の描写がふんだんに施されている文章は読みごたえがありました。少し前に読んだことのあった、賀川豊彦さんの『死線を越えて』の第二部に出てきた貧民窟を思い出しました。

充電はどうでしょうか。ふだん観光客の来るところなら対応も慣れたものでしょう。牧歌的な田舎であればやはりそこでも充電は貸してくれるでしょうし、お茶やお菓子も出てきそうです。うちの野菜ももっていかんか、になりそうです。

スマホがあることから、どこでも地図が出てきますし、見慣れない土地に向かうこともあれば、ふらふら彷徨う人も、時代的にあるんじゃないかという想定から、いまのこの時代特有のものとしての不安をもってました。いくら検索すればたくさんの情報が出てくるにせよ、スマホがあれば、見たことのないところをうろうろしてみようと思う冒険家も多少はあらわれるんじゃないかと思いました。

うちの近所も、大学の生物の生態調査で中年男性がひとり調査に訪れただけで、誰だ誰だと目の色をかえる人がいたりします。人馴れしていない。見知った顔しか行き来しないそんなところです。土地にはその場所場所に個性があって、一概にいえませんが、想定よりも優れたところもあれば、まさかそんなことがというところもあって、こちらはじっと見守ることしかできない。

人は本来群れているもの。と。そうですね。原野の中に村が点在しているような形であればちがうのでしょうが、日本の場合、どこにいってもそれなりに家々が存在していて、のっぺりと、家屋と店舗と農地と自然が混然となってます。どこにいても人の気配があって、ひとりで落ち着いていたい時間がなかなかとれない。ひとりの時間と場所が確保されてこそ、誰かと仲良くもやっていけるというのがわたしの持論なのですが。

バブル崩壊後、価値という物がさまがわりした気がします。デフレの現象がおきました。なんでも安ければ正義という感じで、後進国の物価にものを合わせようとしていった。高いもの、高価なものは、ぜいたくだから切っていった。結果、物を作る人の価値がさがっていき、職人が減って、勤め人が増えた。いいものを作ることの意義が失われ、安くてそれなりのもので満足せざるをえなくなった。忙しいことをえらんだというのはこのことかと思います。

安価なものをたくさん作ることに目的をシフトしたから、自然と作業量は増えて、忙しくなり、しかも利益はあがりにくい。ひとつのヒット商品が出れば、類似の企業が追随して、利益のパイをうばいにくる。オリジナルで勝負をすることの意義も喪われて、仕事に誇りの在処も見いだせない。なんていうのが、この数十年の国内の主要産業だと見ています。

スウェーデンの介護老人の映画の話。わたしたちが北欧の社会保障ときけば、優れているものとしてあげたくなるもののひとつです。でもそこにはその社会に特有の問題がちゃんと存在している。隣の芝生は青いっていうあれですね。わたしはわたしで、二十歳のころにみたトランアンユン監督のベトナム作品で、イメージの大半がつくられました。雨季の雨にあたってみたいと思う私は、そのエキゾチズム、抒情性の面において、この国に対するあこがれがあったりします。住めば都なのかもしれませんね。わたしも文句を言いながらも日本にはいい面もわるい面もあって、そのどちらもが、またいい、というわけですが。

では、失礼いたします。

そうげん
58.190.242.78

ARAKIさまへ

再訪してくださり、ありがとうございました。

海外にいたのはもう二十年前のことで、いまその痕跡として残っているのは舌の記憶のみです。どこのどの店がどんな味付けだったかとか、トータルでみたときに、普通の店舗だとどんな風味の肉を出していたかとか、そういうのがある程度概念的に頭に入ってます。また、セルビス(サービス)であったり、内装であったり、照明のバランスであったり、そういうのに着目していたので、その感覚だけは自分の財産になってます(いまはまったく活かせてませんけれども)。

一週間ほど前に知り合いと話していて、自然に放牧していて、飼料などもちゃんとしたものを毎食食べさせていたら、私達が食べる皿の上に載って出てくる肉一切れだけでも、かなりの値段になって当然だよね、という流れになりました。わたしは安月給なのであまりいいものは食べられませんが、普通に理想的な育て方をされた肉ならば、とてもふだんに手の出る値段では調達できないはずだよなと思ってしまいます。

チョコレート、炭酸飲料、わたしも根がジャンキーなので、よく飲み、よく食べてしまいます。車に乗りませんので、外食の昼食時にアルコール付きということもよくあります。アルコールがはいると、ふだんより口が回って、明るくなるので、よく飲んでおります。

あと、関西の端くれですので、ソースものがあると、それだけで喜ばされてしまいます。たこ焼きもよいですね。こんど、祇園祭の山鉾巡行を見に行く予定をしていて、その途中に、地元では食べられないものを食べられればと思って予定しています。

わたしは料理でしたが、ふだん言葉にしないもの、たとえば、ワインの味であったり、料理の味のバランスの事であったり、国内海外の差のこまかな気づいた点であったり、そういうのを自分の言葉で残しておくと、あんがい記憶が定着するようです。読書ノートの有効なのも、この点があるからかもしれません。オーストリアということは、芸術関連でしょうか。わたしはよく電車に乗ってました。週末のたびに電車でどこかの土地に出かけて徘徊してました。マクドナルドにはビールが出てたりもしました。セットは1000円近かったですね。いまはもっと高いでしょうか。

円が安くなったので、海外からすれば日本のものは安く、日本からすれば先進国のものは高く感じられるでしょうね。

とりとめない話になってしまいました。ARAKIさまの作品へのコメント返信もありがとうございました。またよろしくお願いします!

ARAKI
126.224.81.179

再び失礼します。

その土地でしか食べれないもの、名物など、旅行や出張の醍醐味ですね。
僕もそういう機会があればなるべくそういうものを食べるようにしています。
祇園祭、もうすぐあるんですね。行ったことはないですが面白そうですね。

ホームステイはオーストリアではなく、オーストラリアでした。失礼しました。
一応語学留学です。ほとんど、身にはなっていませんが。


短いですが、これにて。

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