作家でごはん!鍛練場
孤独 惑星

そしてまた、不幸の欠片を凌辱する。欠落は欠落で埋める。

 スライド式のドアを開け、個室の病室に入ると、親友である舞は力なくリクライニングベッドに横たわっていた。
「舞。身体の調子は──」
「…………あぁ、リムちゃん……おはよう」
 そう言ってわたしの方を向いた舞の目の下には、濃い隈がくっきりとできていた。
「また……眠れなかったの? 一睡も……」
「…………うん。ダメだった……眠剤も、効かない」
「そっか……」
 舞は自分の胸の位置に置いてあった、多量の黒いシミで彩られた熊のぬいぐるみを両手に持つと、わたしに言った。
「……ごめんね、リムちゃん。もうこれだけじゃあ、足りないみたいなの」
 光のない瞳。あまりにも痛々しく、儚いそれを見ていられず、わたしは衝動的に、以前から考えていたことを口に出していた。
「……舞、わたし、探してくるよ」
「………………えっ?」
「それの代わりになるものを、わたしが探してきてあげる」


 舞は、自身の余命があと二年と少ししかないということを医者に告げられてからこの調子だった。目から光は消え、話しかけても返事に間があり、会話の齟齬が生まれることが増えた。
 でも、ある時期においては、彼女は従来の元気を取り戻していたのだ。
 その証拠に少し前までは、まだもう少し元気があった。日がたつほどに彼女の元気は薄れ、今の状態に戻ってしまったけれど。
 一月前にまで遡ると、元気どころか絶好調だったというのに。
 一月前のとある日。舞が精神的なエネルギーを一時的にとはいえ回復する原因となった、重大な出来事があったのだ。
 あの日わたしは、いつも通りに何もやる気が起きない舞の気分転換にと、彼女の車椅子を押して散歩に出掛けていた。その道中、わたしたちが歩いていた近くの交差点の横断歩道で事故が起こった。居眠り運転か酒気帯び運転か定かではないが、大型トラックが信号無視で突っ込んできたようだった。
 偶然目の前で起きた交通事故。牽かれてぐちゃぐちゃになった、熊のぬいぐるみを抱いていた女の子と、泣き崩れるその母親らしき人物。女の子の手から離れた熊のぬいぐるみは血を浴びながら路面を滑り、わたしたちの足元で止まった。
 一瞬で、交差点の周辺は血と悲鳴と混沌に染まった。
 そのとき舞は、目の前で巻き起こった他人の不幸に狂喜していた。自分の現状を遥かに上回るそれに、涙を流しながら陶酔していた。まるで水を得た魚のように、生き生きと。瑞々しく。
「わたし今、すっごく生きてるって感じがする」
「わたしにはもうあまり時間がないんだから、その分たっくさん楽しまないと!」
「リムちゃん、今日はどこに連れてってくれるの!?」
 そんな具合に。
 舞は、こっそりと事故現場から持ち去った血塗れのぬいぐるみをいつも抱きながら、無邪気に、はしゃぐように。以前にも増して楽しそうに生きていた。
 事故があった日から一月ほどの間、彼女の元気はそのままずっと継続していて、そして最近、有効期限が切れたようにまた消沈し始めた。
 また舞を元気付けたい。その一心で、わたしは他人の不幸の欠片を探すことにした。
 不幸の欠片。それは生の欠片と言い替えることもできる。生前、何の問題もなく生きていた幸せな人が、ふとした不幸をきっかけにそれを落とすのだ。
 きっと死んだように生きる舞は、自身の欠落した心に、他人が落とした生の欠片を当てはめないと自分を維持できないんだ。




 お墓や、お葬式の会場──。その日のわたしは、人の不幸の置場所を巡って不幸の欠片を求め続けた。それも、できるだけ酷い死に方をした人のものを。
 とはいえ。
『突然すみません。亡くなった息子さんの形見をいただけないでしょうか?』
 こんなお願いをし続けたところで、首を縦に降ってくれるような遺族がいるはずもなく、今までの数時間分のわたしの行動はただの徒労に終わろうとしていた。
 罪悪感と、疲労感と、生温い不安のようなものだけが胃の奥に滴っていく。
 女子中学生の財力では交通費に使えるお金も早々に底をついてしまい、わたしは途方に暮れて寂れた住宅街をさ迷うこととなり。やがて歩き疲れ、気付くと公園のベンチに呆然と座っていた。どれくらいの間そこにいたのかよく分からない。意識はあったはずだが、居眠りでもしていたように、時間感覚が判然としなかった。
 そこは住宅街の中にポツンと食い込むようにある、つまらない公園だった。広さはテニスコート一面分くらいで、遊具もブランコや滑り台、ジャングルジムに鉄棒など当たり障りないものばかり。少々変わった点と言えば鉄棒の脇にT字型の銅像のようなものが二体並んでいるのが目についたが、そこまで気になるようなものでもなかった。
「…………」
 時刻は夕暮れ時、夕焼けチャイムが耳に届く。
 茜空を見ながら、舞のことを考えていた。
 昔から、わたしには舞しかいなかった。彼女とは所謂幼馴染で、幼少期から大半の時間を共有してきた。彼女と過ごす時間が楽しくて、他の人と接してもそれ以上の楽しさを見出だせる気がしなくて。だから舞以外との人間関係を悉くおろそかにしてきた結果、自然とわたしの中には彼女しかいなくなっていたのだ。
 でも、舞はあと二年でいなくなってしまう。しかも、今の彼女はまるで脱け殻のようになってしまっている。
 限られた残り時間、舞と今まで通りの日々を送るためにも、そして、彼女がいなくなってからわたしが拠り所にするであろう彼女の欠片──所謂思い出というもの──を、少しでも増やすためにも、彼女には元気になってもらわなければならないのだ。
 ……と。ぼんやりとした心地で焦点をさ迷わせながら思考を遊ばせていると、ふと公園の端に目が留まった。
 隣接する民家の堀に沿ってに生えていた細長いケヤキの木。その根本では男の子がわたしの側に背を向けた状態でしゃがんでいて、何か作業をしているようだった。
 わたしは何故か、いそいそと手を動かす彼の後ろ姿の、その雰囲気に何か引っ掛かりのようなものを覚え、しばらくそこから焦点を外すことができなかった。
 風が吹き、僅かに木の葉が揺れる。
 彼我の距離は五メートル前後。
 ──不思議と、ほんの少しだけ鼓動が速くなるのを感じた。
「ねえ、何をしているの?」
 わたしは、条件反射のように男の子に話しかけていた。彼はわたしを振り返ると、少し睨むように目をすがめてから、言葉を返してくれた。
「墓を……整えてるんだ」
 男の子は声も表情もまるで無愛想だったが、その顔立ちは、わたしにはとても可愛らしく見えた。
 彼と木の間には土の膨らみがあり、その上をグシャグシャに散った花びらが無作為に覆っていた。まるで誰かに荒らされたように。
「大切な人のお墓なの?」
「……そうだよ」
 肯定する男の子は涙を流していて、けれど彼の瞳は泣いてなどいなかった。
「まあ、人ではないんだけどね。可愛がってた猫で……別に飼ってたわけじゃなくて、野良だったんだけど、よくこの辺で一緒に遊んだりエサあげたりしてたんだ」
 男の子は前に向き直って作業を続けながら、きちんと説明をしてくれた。素直な子だと、わたしは勝手に好感を持った。
 彼はそれから無言で、散らばった花びらをごみ袋に入れる作業を右手で続けていた。左腕には新しい菊の花束が抱えられている。
 わたしは何だか、その姿がとてもいたたまれないような気がして、気付くと、口走るように言ってしまっていた。
「──ねえ、手伝おうか?」
「いや、いいよ」
 間を置かず、男の子に却下される。
 わたしが少しの間言葉を失っていると、彼は続けた。
「だってお姉さん、別にこの猫のこと知らないだろ?」
「…………あっ、」
 そう返されて、わたしは物凄く軽率な提案をしたのだと思った。
 この子は、純粋に死んだ猫のことを想ってお墓を整えているのだ。そこに、その猫のことをまったく知らないわたしが、中途半端な同情とか、自己満足の善意とかいうもので手を貸すのは、何というか、違うのではないだろうか。
 簡単に踏みいっていいような領域ではなかったのではないだろうか。
「ご、ごめんねっ」
「いや、別に謝ることはないと思うけど……」
 彼はやがて花びらを片付け終えると、新しい花束を土の膨らみの上に、木に立て掛けるようにして置き、土の上を優しく撫でた。
 わたしはベンチから立ち上がり、男の子に少し近付く。すると、彼もこちらを向いてくれた。
「お墓、荒らされちゃったの?」
「うん。……やったのは多分、ミケを殺したのと同じ奴らだ。…………下らない奴らだよ」
 言いながら、男の子の瞳に怒りの色が混じる。そこからはもう涙は流れていなかった。
 わたしは、彼に訊かなければならないことがあった。
 とても重要で、残酷なことを。
 わたしは、訊かなければならなかった。
「──ねえ、その猫が……っ、」
 彼と目が合うと同時に、息が詰まった。そこから先の言葉が躊躇に塞き止められている。だが舞の顔が脳裏を過ったことで、どうにか言い切ることができた。
「……猫が死んだときのこと……聞かせてくれない? できるだけ、詳しく…………」
 男の子の目が一瞬、見開かれて、元に戻る。
 厭なことを訊いている自覚はあった。でも、わたしには、わたしたちにはその話がどうしても必要だったのだ。
 彼は少し困ったような顔をしていたが、わたしの表情が一応真剣なものだったからか、猫の死について話し始めてくれた。
「あの日、公園に来たら、ミケがこの木から降りられなくなってて、それを同じ学校の二人組がエアガンで狙って撃ちまくってたんだ。『やめろ』って言っても聞かなくて、捕まえようとしてもアイツら足速くて追い付けないから……おれ、仕方なく木を登って、ミケを下ろしてやろうと思ったんだ。でも、おれが木に登ってもアイツら全然お構いなしでエアガン撃ちまくってきて……おれたち木から落ちたんだ。
 めちゃめちゃ怖くて、すっげぇ痛かったんだけど、おれは打撲くらいで大した怪我はなかった。ミケが……おれの身体のクッションになるみたいにして落ちたから」
 胸が、静かに締め付けられる心地がした。
「おれたちが落ちたとき、アイツらすっげぇビックリしてた。まるで自分たちのしたことがこんな結果に繋がるなんて全く予想してなかった、とでもいうような顔してさ……。
 アイツらが人呼んできて、おれは一応ってことで、病院に連れてかれた。おれとアイツらの親も飛んできたよ。それで、アイツらの内の一人の母親が……あぁ、今思い出しても、本当にムカつく…………おれの母親に言うんだよ、『慰謝料は払います。でも、大きな怪我がなくて本当に良かったです。今後はこういうことないように、うちの子にはよく言い聞かせますので……』って。おれのことなんてどうでも良いのに。
 いてもたってもいられなくなって、おれはソイツに……その母親に、ミケのことを話したんだ。そうしたらソイツ、ミケがおれの飼い猫だと勘違いしたのか……こう言ったんだ。『ごめんなさい、弁償しますから』って」
 胸に、冷たい痛みが走った。
「それは…………酷い、ね」
 酷い……そう表現するのはあまりに簡単だが、彼が味わった気持ちはそう単純ではないだろう。
 大人の社会性を取り繕うための冷酷さと子どもの純粋さの間で生まれる、痛ましいほどの齟齬。それは一体どれほどの暴力となって、この子を襲ったのだろうか。
「うん。おれ、あったまきてさ。何が何だか分からなくなって、自分の中の勢いに身を任せるみたいな気持ちで……気付いたらソイツの顔面、思いっきりぶん殴ってたんだ。すぐに看護師に止められて、色んな人にさんざん怒られたんだけど……多分、今だにミケの墓が荒らされるのは、そのときことをアイツらの一人が引きずってるからだと思う。
 人を殴ったのなんて、生まれて初めてだった。物凄く後味が悪くて、最悪の気分だった。あのときは本当、ミケが死んだ悲しみとか喪失感とか、そういうのもあったのに、それに加えてまだ厭な気持ちを相手にしなきゃいけないのかって、どうにかなりそうだったよ」
 男の子は少しそこで間を置いて、目を伏せるようにした。悲しみの色は見えない。彼が抱く感情が何なのか、わたしには読み取れない。
「しばらくして気付いたんだ。おれたちがこんな目に遭ったのは、おれが力の使い方を間違えたからなんだ、って。おれは子どもだけど、人を殴って傷つけるくらいの力はあったんだ。でも、それをあの母親に向けてもどうしようもないことだった。おれがもっと前に、アイツらをもっと全力で、それこそぶん殴ってでも止めていれば、ミケは死ななかったかもしれない。
 ミケが死んだのはアイツらのせいだけど、それを止められなかったのはおれのせいなんだ。おれが、もっと強ければ良かったんだ……!」
 そんなことない、君は全然悪くなんかない──わたしは、そう言ってあげたかった。でも、無理だった。だって彼の目はあまりにも強くて、わたしの自己満足でその強さを否定することなんて、とてもできなかった。
 彼は過去を悔いていて、けれど猫の死から目を逸らしていない。向き合っている。その責任感が間違ったものだとしても、それはとても凄いことだった。舞の確約された死から少しでも目を逸らそうとしているわたしたちとは、まるで違う。
 羨ましいほどの強さ。
「おれ、木から落ちてるときに、物凄い力強さを感じたんだ。何というか、重力とか空気の抵抗とか、そういうのだけじゃなくて……この世界の、乱暴で、こっちの事情なんて何にも気にしない、すごく無機質で冷酷な力強さみたいなのを。多分、アイツらはそれに驚いて、きっと怯えてたんだと思う。おれだってそうだった。
 アイツら自身は大したものじゃない。悪意なんて大したものじゃなかった。本当に怖いのはきっと、アイツらが撃ったBB弾とか、木の上から地面にたは叩きつけられる力とか、そういう、悪意のコントロール下から離れても、問答無用で、無機質で無責任で無関心に襲ってくる、そういうもののことなんだと思う。おれはそういうものに成す術もなく負けてしまったんだ。
 ……なあ、おれ、悔しいよ。あんな冷たい『力』に振り回されて、適当に捨てられるみたいに……ミケも、全然報われない。だからおれ、負けたくないんだ、あんな冷たいものに。曖昧で、それがどういうものなのかまだよく分からないけど……あの『力』に抗えるような力が欲しい。そしてそれをきちんと使いこなせるような人間になりたい。もっと強くなりたいんだ。そう決めたんだ」
 そう言い切った彼の瞳は、変わらず力強かった。
 君は今のままでも充分強い。──そう言ってあげたかった。でもそんな言葉彼は必要としてなくて、それは彼の前進する強さを否定してしまうものに他ならなかった。
 わたしは飲み込んだ言葉と共に抑えねばならなかった。この、彼に対するどうしようもない気持ちを……これは何なのだろう? この、行き場を失った熱が胸の内を跳ね回っているような、落ち着かない、少し触れただけで弾けてしまいそうな感覚は。
「──えっ、ちょっ…………!?」
 抑えることはできなかった。気付いたときには、わたしは彼を抱き締めてしまっていた。
 それはとても非常識な行いだった。でも弱いわたしは、それこそ今彼が話した『力強さ』のようなものに押され、衝動的にこんなことをしてしまったのだった。おそらくそうではないが、そんな気がした。
 温もりを感じる。この小さな身体で、重くて大切で、でもとても痛々しいものを背負った彼に、何かしてあげたくて仕方なかった。でも、わたしにできることなんて何もなかった。
 密着していると、彼の痛みがわたしに流れてくるように、胸が苦しくなる。頬を伝う熱い涙が、必死に彼の熱を外に追い出そうとしているように感じられる。
「大丈夫、君はきっと強くなれるよ……!」
 自分の熱が徐々に冷めていく気がする。
「きっと、もう何も失わなくて良いくらい、強くなれる! わたしが、保証するからっ…………!」
 言ってしまった。無責任に、わたしの自己満足で。そんなことを。彼にはそんな言葉は必要ないのに。
 自分の弱さが身に染みしみてくる。
「うん。……ありがとう」
 けれど彼は、そんな風にわたしにお礼を言ってくれた。本当に良い子だと思った。
 わたしは男の子を離し、涙を拭う。彼はゆっくり、数歩分、お墓を避けながらわたしとの距離を取った。
「ごめんね、急に……変なことして」
「いや……別に…………」
 そう曖昧に返す彼の頬は少し赤くなっていて、とても申し訳ない気持ちになった。自分は一体年下の男の子に何をしているのだろう、と。
 気まずさを拭うのと照れ隠しのために、一つ咳払いをしてみる。男の子はもうわたしの目を見てくれていない。
「わたしも、強くなりたいな…………ならなきゃな……」
 そう言うと、男の子は「そうだね」とだけ返した。
 そしてわたしは彼の顔を見て、切り出した。途方もない罪悪感を覚悟して。
「あのさ、その猫……ミケちゃんの形見とかって、ある?」
 言った途端、心臓を直接縫われるように鋭い緊張が胸から広がった。
 男の子は少し不思議そうな顔をするも、すぐに「あるよ」と言って、ズボンのポケットから何かを取り出す。
 猫の首輪だった。
「野良猫だったんじゃないの?」
「そうだけど……保健所とかに連れてかれないように、着けてやってたんだ」
 あそうなんだ、と平坦な相づちを打つ。
 そして、次の言葉を切り出さなきゃと自分を急かす。罪悪感を覚悟しながらも、もう後戻りもできないだろうと、自分に言い聞かせて。
「それ……わたしにくれない?」
 彼は一体どんな顔をするだろうと、強烈な不安が脳裏を掠めて。
 けれど、
 男の子は少しだけ迷うように目を泳がせた後、あっさりと、
「良いよ」
 と言った。
「えっ?」
「これをずっと持ってると、何だか前に進めないような気がしてたんだ。ずっと過去に捕らわれ続けてる感じ。ミケのこと忘れるつもりはないけど、それと過去に縛られ続けてるのは違うでしょ? だから──」
 と。一旦言葉を区切って、
「──おれがちゃんと強くなれるまで、お姉さんが預かっててよ。それまでちゃんと大事に持ってるって約束してくれるなら」
 初めてそこで、彼は笑顔を見せてくれたのだった。それは直視を躊躇させられるような、後ろめたさを感じてしまうような。純粋で、清潔で、真っ直ぐな笑顔だった。
 わたしはしばらく彼の笑顔に見とれていて、その表情が不思議そうなものに変わった辺りで我に返った。そして、あまり気になってもいないような質問を、その場しのぎのようにした。
「こんな、初めて遭ったような人に、そんな大事なもの預けて良いの?」
「知らない猫のために泣けるような人が、約束破るとは思えないから」
 彼はどうということもないように答えた。
 ……違う。わたしが泣いたのは、別に『誰かのため』なんかじゃない。わたしはそんな人間じゃない。
 そう思っても、口には出せなかった。
「──それじゃあ、」


 そうして。わたしと男の子は別れ、反対方向に歩き出した。




 舞の病室に戻ると、わたしは彼女に、あの名前も知らない男の子と猫の物語を聞かせた。そうして、猫の首輪を手渡した。
 舞は首輪を握り締めながら、カタルシスに打ち震えていた。あの男の子たちの不幸を吸って、エネルギーに変えていた。
「その子たち、どんな気持ちだったんだろうね……!」
 舞は目をキラキラさせながら、自分の中で、彼らの物語を、かけがえのない不幸の欠片を踏み荒らす。凌辱し続ける。
「ありがとうリムちゃん、素敵なお話と形見を。わたしまた、もう少しだけ頑張れるかも」
「そう。それは、良かった」
 わたしは崩れ落ちるように、舞に抱きついた。心地の良い、涼やかな感触。あの男の子を抱いたときのような熱はまるで感じない。
 この世界から加えられる『力』に、懸命に抗っていた彼と、同じはずがない。彼女は抗おうとすらしていない。
 舞の感触は、すっぽりと収まるように優しく、落ち着いた、心地の良いものだ。彼女とならどこまでも堕ちていけると思えるような。
 ──わたしたちは、自分の欠落を互いの欠落で埋め合おうとしている。
「わたし、あと二年で死んじゃうんだよね」
「……そうだね」
「だから、その間に、楽しい思い出をたくさん作らないとねっ」
「そうだね。……次は、どこに遊びに行こうか?」
「うーん…………行きたい場所、思い付かないや」
「そっか。じゃあまた、二人でゆっくり考えれば良いよ」
「うんっ!」


 舞は、自身を淡々と犯す、無機質で無責任で無関心な病魔に、その『力』に勝てない。それは誰だってそうだ。
 でもあの男の子なら、勝てなくても、きっと目を逸らすことはしないのだろうと、そんな風に思った。
 とても、わたしたちに真似できるようなことじゃないけれど。


 あの猫は報われるだろうか?
 わたしたちは許されるだろうか?
 ……どちらも、そんなわけがなかった。

そしてまた、不幸の欠片を凌辱する。欠落は欠落で埋める。

執筆の狙い

作者 孤独 惑星
1.75.5.92

『人それぞれの理不尽に対する向き合い方』をテーマに書きました。

コメント

u
183.176.51.134

孤独 惑星さま
アタマだけ少し読ませていただきました。
文章も悪くないし、なんかおもろそうなんで、じっくりよんで、あとで感想入れさせていただきます。
好意的な感想になるかどうかはわかりません笑。

孤独 惑星
1.75.5.92

uさま
ありがとうございます。
感想、楽しみにお待ちしています。

のべたん。
49.104.31.151

読ませていただきました。
病気の親友のために、不幸を探すという設定は面白いと思います。

乙一を思い出しました。

孤独 惑星
1.75.8.42

のべたん。さま
感想ありがとうございます。
乙一さんは好きで昔読んでいたので影響を受けているのかもしれませんね

u
183.176.51.134

読みました。
2人の少女が徹底的に(自己中)という設定自体が良かったと思います。というか…主人公リムちゃん、唯一の友達である「舞」の余命までも自分のためにもてあそぶという? イヤラシイほどの自分本位が。
主人公は舞のためというか、自身のために不幸のかけらを探し求めます。猫を殺された少年に出会い、彼から不幸のかけらを貰います。
この部分で、少年の話に感動(感化)? し、王道的なお話になるのかと思いきや、落ちは、まったくその逆。ここんとこすごいです(笑)。
しかし、この部分はなんだかモタモタしているように読めました。もう少し徹底して少年VS主人公を描けば(若干デフォルメでもいいと思う)良かったのに。主人公の行動と心情がぐらぐらしているように思いました。

あと、3点ほど。
舞ちゃんの気持ちと病気の経過を説明するパートが前半にありますが、これでもわかるのですが、ここもモタツキが。もう少し推敲をしてすっきりした文章で書けば良いのにと思いました。

リムちゃんと小学生が遭遇する小さな公園の描写。「T字型の(銅像)」というのが私にはイメージできなかった。しかも狭い公園に(2体)も! これってメタファーなの? すぐ後で主人公小学生の男の子と遭遇するのだから。

小学生の男の子のエピ。ほとんどを彼の台詞で説明しています。彼すごく頭がいい。理路整然としています。かなり難しい言葉・言い回ししていますし。小学生とは思えない。ここで作者さん自身が顔を出している感がします。このシーンはもう一工夫が必要かと思いますがいかがでしょうか?
ということで、面白かったです。御健筆を。 

大丘 忍
220.219.181.62

どんな病気かわからないけれども、余命があと二年と宣告されている病気の少女が、交通事故で幼女が死んだことを聞いて喜ぶという設定は、いかにも不自然ですね。その子供が死んだところで自分の寿命が延びる訳ではないので、無理矢理に作ったような設定です。
公園で猫の墓を作っていた少年。歳が何歳かわかりませんが彼女より年下でしょう。この少年の言葉も全く子供らしさがなく大人の言葉ですね。

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