作家でごはん!鍛練場
とうま

※無題

 父が「来週、蛍を見にいかないか?」と言ったのは、祖父の葬式が終わって三日が経った土曜日の昼間だった。僕がうん、と言うと父は、カヤちゃんも誘っとけ、とニヤつきながら言った。それにも僕は適当な相槌を打つだけで、相手にしなかった。
 僕が家に遊びに行くと、祖父は決まって、僕の額をその細い指で弾き、ケラケラと笑った。これを見た祖母がよく僕の耳元で、これはおじいちゃんなりの愛情表現なのよ、と言った。だから僕はその時の額の痛みから、疎ましさと、確かな温かみを感じていた。祖父が死んだのは、彼の膵臓に癌が見つかって一年も経たない頃だった。元々細身だった祖父は、たくさんのチューブに繋がれて、真っ白なシーツに同化するほど白く細くなっていた。ある日家族でお見舞いに行くと、祖父は微かに濁った瞳で、しかしまっすぐ僕を見つめ、「今日はシュート決めたか?」と言った。僕が首を横に振ると、そうか、と言ってそれでもまっすぐ僕を見続けた。すると父がこういう時は決めたって言うんだよ、と小さな声て耳打ちした。しかし僕は首を横に振った。祖父はそれを望んでないように思えたからだ。
 祖父は、その死が何を意味するのか、僕が理解する間もなく、いくらかの粉になった。火葬場の職員は、祖父の骨を砕く時、とても丈夫な骨ですね、と言った。僕は不思議と悲しいという気持ちは現れなかった。これで本当に祖父は消えてしまったのだなと悟っただけだ。それは、冷房の効いた畳間で棺に横たわっていた祖父に対しては感じなかったことだった。焼却炉の鐘がごーん、となる前と後、その短い間で祖父はこの世に存在しないものになったのだ。辺りに重苦しい空気と鼻をすする音が満ちている中、僕はたった今目の当たりにした死と生の境界線にひたすら怯え、それがいつか僕自身を捉えるという、覆されることのない真実に、僕の涙は重く冷たい蓋をされてしまった。最後まで涙を流すことができなかったのだ。
 蛍を見に行く約束をした翌日、僕は父の言いつけに従って、学校でカヤちゃんに会ったときに今度の土曜日に蛍を見に行こうと誘った。カヤちゃんは「蛍が見れるの?」と嬉しそうに言って、もちろん行くと返事をした。
 カヤちゃんは小学三年生のときに僕の家の近くに引っ越してきた。水泳を習っているという彼女は髪の先の方が茶色く脱色していて、よく日焼けした女の子だった。身長が当時の僕よりも高く、小さな顔にバランスよく目や鼻が並べられていて、絶えず笑顔を浮かべていたから、彼女を見た大人は必ず可愛い女の子だねと言った。父もその一人だ。一度父の提案で、カヤちゃんの家族を家へ招いてバーベキューをしたことがある。その間も父はカヤちゃんのことを可愛いとしきりに言って、終いには僕とカヤちゃんが結婚してくれればいいのになんてことを言い出した。僕が赤くなって俯いているとカヤちゃんがこっそり僕の太ももをつついてきた。振り向いてみると彼女は僕に笑いかけ、やれやれと言う具合に首をすくめてみせた。その時の彼女をよく覚えている。僕は彼女の真似をして、ときどきやれやれとやってみたけど、彼女ほど上手くやることはできなかった。彼女のそれは見る人を優しく抱擁し安心させるようなとても素敵なやれやれだったのだ。
 一週間が経ち、土曜日になった。日中の空はまるで水色の絵の具を溶かした水をぶちまけたみたいに晴れていて、夜になるとその名残がこもるような熱になった。僕と父は白のトヨタのミニバンに乗ってカヤちゃんを迎えた。その時、僕は助手席から一つ後ろの席に移った。カヤちゃんの隣に座るためだ。彼女は鼠色のぴったりとしたTシャツにジーンズ生地のショートパンツという恰好だった。どこか緊張している様子で車内をきょろきょろ見回すと、僕を手招きし耳元で楽しみだねと囁いた。
 道中、父が「蛍はな、昔はどこにでもいたんだよ」と、いつになく静かな口調で言った。「そのときは蛍を見たって特になんも感じなかったんだよ。なんでもいなくなったときに騒ぎ出すんだ、人間は」
 車はアスファルトを少し走った後、砂利道に入った。車内はカーラジオから流れる音楽と砂利道に入ってから始まった揺れの音で満ちていた。僕たちはしばらくの間沈黙を守って、各々の世界に入り込んでいた。いつもは饒舌の父ですら、今はただ黙々とハンドルを握っていた。僕は隣に座る女の子を見た。彼女はドアにもたれて窓の外を眺めていた。なにを考えているのだろう?これから見る蛍のことだろうか。それとも昔のこと?僕はそのとき、彼女の口から転校前の話を一度も聞いたことがないことに気がついた。
「ねぇ、転校するのってどんな感じ?」
 僕が訊くと、彼女はハッとして振り向いた。
「ごめん、聞いてなかった」
 彼女は言った。僕は「なんでもない」と言って手を振った。すると彼女は楽しみ、と笑みを浮かべながら言って窓の外に目をやり、また意識を空中に放った。僕も仕方なく考え事を始めた。僕はその日の午前中、前日に図書館で借りてきた昆虫図鑑で読んだ蛍について考えた。
 蛍、コンチュウ目ホタル科、幼虫時代を水中で過ごす水生ホタルと陸上の湿地で過ごす陸生ホタルがいる。僕が中でも気になったのはその成虫期間だ。卵から孵化するのに一ヶ月、水中で九ヶ月かわになを食べて、その後約40日間サナギとして過ごす。そして夏になると成虫になる。しかし彼らが空中で光を放つことができるのはたったの二週間。
 彼らは一体なんのために生まれてくるのだろう。約一年の準備期間を経て、残された地上での二週間をどんな気持ちでおくるのだろうか。
 そんなことを考えていると車は小さな丘の入り口に止まった。辺りは暗く、街灯もない。車から降りると地面から気持ちのいい細かな砂利が擦れる音がした。土の匂いがし、どこからか川の流れる音が聞こえた。
 車の中から懐中電灯を二本持った父が出てきた。そしてそのうちの一本を僕に渡した。「これはおまえとカヤちゃんの。一緒に離れないように歩け」と父は言った。「これから少し歩く。車で行くより歩いた方がオモムキが出るからね」
 当時の僕にはオモムキという言葉の意味はわからなかったが、僕自身なんとなく歩いて行った方がいい気がして文句は言わなかった。カヤちゃんは「カントリーロード」の口笛を吹きながら僕の右手を軽く握って先頭を歩いた。父は僕たちを後ろから見守っていた。道が途中で別れることが無かったので、迷いようはなかったがそれでも僕は一生懸命左手に持った懐中電灯で道を照らした。
 突然あっ、とカヤちゃんが声を出した。そして道の脇に生えた草むらを指差して小さな声で蛍、と言った。見ると道の脇の藪の中に一つ光るものがあった。僕たちは息を潜めて近づいた。蛍はそこで弱々しく点滅していた。カヤちゃんが手を伸ばす。それは柔らかく壊れやすい、例えば卵の黄身のようなものにそっと触れるみたいな優しい手つきだった。
 しかし、蛍は飛び立つ。
 彼女の手のひらから逃れるようにして浮かんだ蛍は、空中に淡い緑色の光を残し、道にそって丘の奥へと向かう。
 突然、カヤちゃんが走り出した。
「追いかけなきゃ」
 彼女自身に投げかけられたようなその言葉ははっきりと僕のもとまで届いた。すでに蛍はずっと向こうへ行っていた。僕たちが追いかけているのは彼が残していった光だ。「追いかけなきゃ」という彼女の気持ちが汗ばんだ手のひらから僕に伝わり、共振する。二人分の荒れた呼吸の音と足音。しかしそれらはすぐに静寂な暗闇の中に吸い込まれていく。その暗闇は僕たちに語りかけてくる。僕たちはどうしようもない程、無力だった。
 光は消えて無くなった。
 僕たちは肩で息をしながら、俯いた。カヤちゃんはひどく落胆した様子で今度は逆に、僕が彼女の前を行くことになった。僕はもう懐中電灯で道を照らすことすらやめていた。頼りなく、まるで自分の体重の倍くらいの重りを背負っているような足取りで、ただ暗いだけの砂利道を歩いた。
 後ろから父が小走りで追いついた。僕はすぐに、叱られると思った。勝手に駆け出して、迷子にでもなったらどうするんだ、と。しかしそうではなかった。父は僕の肩を叩いて、見てみろ、と言った。僕はゆっくりと顔をあげた。
 まず目に入ってきたのはぼうぼうに生い茂った藪だった。僕たちはいつのまにか丘の頂上に着いていたのだ。藪の緑色がとても鮮やかに見えた。きっと月の明かりに照らされているからだと、僕は思った。しかしそれが間違いであるということにすぐに気がついた。
「カヤちゃん!」
 僕は彼女の肩を叩いた。カヤちゃんは空中を見上げると大きく目を見開いた。彼女の瞳には藪を照らす無数の蛍たちが映っていた。
 僕たちを照らす、命の光。その中には先程追いかけた弱々しい光も混じっているはずだ。僕は暗闇の中でカヤちゃんの手のひらを探して握った。その手はかすかに震えているようだった。この景色を忘れないように、手を繋ごう、そうしておけばきっと忘れない、なぜかそんな気がした。静寂な暗闇の中の蛍を、僕はこの手のひらから思い出すのだ。
 僕は気がつけば、涙を流していた。止めようにも止まらなかった。蛍はいつまでも藪を照らし続けていた。二週間後には消えてしまう光。しかし、それらはこの手のひらに宿り、生き続ける。 

※無題

執筆の狙い

作者 とうま
126.3.15.42

※前回同様、コンクールに出す予定なので無題にさせていただきます

誤字脱字は見つけ次第報告していただけるとありがたいです。

受験生なのに勉強やる気がでません小説が書きてぇ
この話は出すつもりは無かったのですが、我慢できず投稿しました。
コンセプトは別れとか生死とかそのあたりでしょうか
僕はこれまで、あまりに場面転換がないものばっかを書いていることに気がつきまして、では場所やら時間やらを動かす練習をしてみようと思い、書きました。
後半にかけて、スピード感と迫力を出そうと思い、工夫をしたつもりです
あとは、主人公の内側だけを書くのではなく、登場人物のみんなの背景を意識しました。
心配なのはカヤちゃんが些か挙動不審じゃないかということです。作者目線だと自然に見えても、読者目線だとどうなのか。カヤちゃんは転校がかせになって人格が形成されているという設定がちゃんと描けたかどうかが気になります。

今は長編のプロットを書いています。大学で書くのだというモチベーションが生まれるといいなぁ……

コメント

ぷーでる
157.65.82.154

ざっとですが、拝読しました。
ここまで書けて、タイトルが「無題」じゃ、もったいないです。と、思ったら
~※前回同様、コンクールに出す予定なので無題にさせていただきます~という事か。
でも、タイトルは作品の顔だから、これがないと判断が難しい。

内容的には、切ない系かな?
あと、場面転換をする時は、1行空けるだけでなく、改行した方がいいかも。

とうま
126.35.23.26

ぷーでるさん

タイトルの件申し訳ございません。ただ、もし提出先がネット公開してはいけないみたいな条件があった場合、題名で足がつかないようにという考えでした。()
読者から題名から展開を予想するという楽しみを奪ってしまうという形になってしまったことを残念に思っています
『ここまで書けて』というのはお褒めの言葉と受け取りました。ありがたいです。
改行の件、僕は一行開けるというのは勝手にやっていいことなのか?という杞憂から行を詰めました。今度から試してみようと思います。
コメントありがとうございました!

月とコーヒー
106.171.80.37

「記載順」が、まずおかしい。


冒頭で「死んだ」記載の祖父が、次の段落で、もう当然のように「病床エピ」なんだ。
こういう書き方する人は多いし、それもアリなんだろうけど、
せめて「段落の前に、アキ行入れる」とか、「エピのつながりと時系列を意識した記載にする」ってー配慮が必要。

それなくして、当然のように、ブツ切りで「過去エピ」盛ってくるスタイルだと・・
損だと思う。

そのブツ切りエピが、「たぶんお決まり展開だろう」と察しつきまくるもんで、
じいちゃんとカヤちゃんのエピは、潔くすっとばして、
「ホタルシーン」に行った。
確認のために〜〜。。


ホタル、、、ここのサイトで、初夏になると必ず上がってくる、「お決まり・定番ネタ」なんですが、
ど〜〜も毎度、毎度、「作者、実物のホタル見たことない人でしょう??」って指摘&確認したくなる状態で。

確認すると、「子供の頃に見た事あります!」とキレられるんだけれども、

ホタルの出現状況の記載が、毎度ヘンテコ。

ホタル場面をメインに据えるんであれば、そこは「しっかり描いた方が得」なんで、毎度指摘するんだけれども。。


まあ、この原稿の後半、「ホタル場面」は、、、ツッコミが1個や2個・3個じゃない状態なんで、
丁寧〜に読み返し・自分で「その情景」をつぶさに脳内シミュレートしてみて、
「修正」した方が・・自分が得。

180.25.188.63

惜しいというか、もったいないというか。

まず、主人公の年齢。

~する、~した、するのだった、したのだった、をもう少し一文ではなく、文章として繋ぐ事。

冒頭のつかみにふさわしい言葉も本文中にしっかり登場しているのにさらっと流されてしまっていてやっぱりもったいない。

情報の再配置と日本語能力の底上げさえすれば内容をいじる必要ないんじゃない。


コンクールに出すモノを具体的直す訳にもイカンから改稿例文は無しで。 

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内