作家でごはん!鍛練場
フランシス・ローレライ

エスの研究(サマリー)

1.問題提起

(1)1960年代から70年代にかけて、てんかん発作を抑えるため、左右の脳の離断手術が行われたが、左右の接続を失った脳は「分離脳」と呼ばれ、様々な不思議な現象が観察された。例えば言語表現の機能は、右脳にはなく、左脳だけに見られた。

 この様に左右の脳半球の機能について研究したのが米国の神経心理学者Roger Sperryであり、1981年にノーベル賞を受賞した。彼の薫陶を受けたMichael Gazzanigaは左右の大脳半球間の連絡及び側性化の研究を行い、分離脳の左右それぞれの脳半球には、相異なる意識が宿り得ることまで示した。   
 
 その後、てんかん発作を抑える薬の開発により、脳の離断手術は過去のものとなった。しかし脳の各部位の機能を外部から確認出来るfMRIが開発され、その結果、左右の脳半球の分業に加え、その連携プレー、あるいは男女の脳の使用方法の違いについても観察される様になった。

(2)精神医療は、20世紀後半から、効果的な向精神薬が開発された結果、劇的に発展した。しかしその反面、薬に依存する体質となり、その限界も取りざたされる様になった。患者が孤立して薬から離れ、事件に巻き込まれるケースも多い。

 21世紀に入り気候変動と天災の頻発、またグローバル化やIT化を背景として社会変化のスピードが速くなり、精神病を発症するケースが増加している。また無意識(エス)の暗躍がもたらすストレスにより、反社会的行為や犯罪に及ぶ事案も増えている。銃火器が充分管理されていない国では、凶悪犯罪やテロ事件に結び付くケースも多い模様である。   

(3)最近、脳科学は目覚ましい進歩を遂げている。V.S.Ramachandranは鏡を使い、存在しない手足から感じる痛みの緩和に成功している。Mark Solmsは、フロイトの精神分析学の考え方を適用しようとする「Neuro-psychoanalysis」(神経精神分析学)の先駆けとなっている。

 この様な発想の転換を参考に、向精神薬の有用性を認めつつもその限界を今一度認識し、自我とエスそれぞれにつき、左右何れかの脳半球に偏在する傾向から、Brain Chatterの発生する精神病の本質に迫り、エスをコントロールする別途のアプローチを探っては如何だろうか。

(4)フロイトが「夢解釈」を著したのは1900年であり、ウィーン大学で精神分析入門の講義を行ったのは1915~17年だった。100年以上経過した今日でも精神病は未だ十分に解明されておらず、社会を蝕む重大な保健・医療問題であり、治安の問題にも関連することを認めざるを得ない。ついてはフロイトの主唱したエスに関し、タブーや因習を乗り越え、そろそろ率直で赤裸々な議論が行われる必要があろう。


2.エスの研究(不自然な停滞)

今までエスの究明が思うように進まなかった理由は、次の通り。

(1)エス自身が露見を恐れてガードを固くし、強く隠蔽したから。特に精神分析は、患者と精神分析医との間に不適切な関係が発達し得るとされたが、これ自体、エスの為せる技だろう。

(2)効果的な向精神薬が開発されたから。

(3)例え患者の手で、精神分析的な手法が開発され、劇的な改善が得られた場合でも、その患者は世間体を気にし、全てを隠そうとするから。大きな見返りがない限り、新たに開発した手法も隠蔽しようとするので、なかなか世の中に流布せず、社会に還元されないのだろう。

(4)健常者に関して言えば、人間の精神構造について分析的に思考をめぐらし、研究を続けると、そのうち自分のエスが、その研究内容に関心を持ち、反応し、ついには悪戯を始め、精神に異常をきたす怖れがあると思うから。

(これは杞憂に過ぎないかも知れないが、何れにせよ筆者の様な、かつての患者が研究を進め、記録するのが適当かと思われる。因みに筆者は、自分の病気の本質を究明し、新たな対策を開発した結果、もはや薬を原則として飲まないで生活出来るまで回復したので、大いに成果が上がったとの評価)


3.神学の問題

この文脈で更に指摘すべきは、神学的な問題だろうか。

(1)人間の精神に関し、物理学的に分析し「自我とエスにより構成されている」と唱えてしまうと、キリスト教的世界観の支配してきた欧米では、神学・哲学的な観点から問題の生じる可能性があり、そのため精神分析学的アプローチは「政治的に正しくない」として主流からはずれていったのかも知れない。

 すなわちキリスト教世界では、伝統的に人間を精神と肉体による二元的なものとして捉え、精神について「魂」(soul)と結びつけて考える。そして死後、肉体は滅んでも「魂」は存続し、キリスト教の戒律に基づき審判が行われ、生前の行いの良しあし次第で、天国や地獄(あるい煉獄)に行くとの伝統的な思想があり、古い教会のステンドグラスや絵画は、イエス・キリストの一生と共に、天国や地獄の死後の世界の描写を主要なテーマとしている。

(2)「人間の精神は自我とエスとに分解可能であり、つきつめれば陽子と中性子により構成された原子核の様なものである」と唱えた場合、精神や魂について一元論的なキリスト教の教義に照らし、受け入れ困難と指摘される可能性があろう。

「それでは死後、自我とエスは夫々どうなるのか、神は自らに似せて人間をデザインしたのではないのか? エスとは結局、悪魔に違いない」等々、敬虔な信者は疑問を感じるかも知れず、フロイトやユングもこの点を警戒し、防衛線を張ったに違いない。

 そして「キリスト教の哲学や世界観と相いれない」として周囲から顰蹙を買う可能性があるので、生活防衛のため、自ら展開する議論を時代に合うように調整し、部分的に隠蔽さえしていた可能性があり、そのため必要以上に難解なのだろう。
 
 彼らの時代以後、欧米あるいは西洋医学の世界において、いつまでたってもエスの解明が進まないのも、同様の理由(隠蔽体質)からと見られる。そもそも自我とエスとが対話する気質が1000人中7人、また統合失調症が100人に一人しか発生しないのならば、そのために悩む必要はなかろう、との発想が見え隠れする。


4.21世紀の意識転換

(1)しかし21世紀に入り、地球温暖化と気候変動の被害が甚大となり、頻繁に大天災が起きる中で、エスに由来するメンタルヘルスの問題は大きな社会問題となりつつある。そこでエス自身も、そろそろ古典古代から続く隠蔽体質に終止符を打ち、カミングアウトしてエスの存在について良く理解してもらおうとの姿勢に転換しつつあるに違いない。

 これは革命的な発想だろうが、ある意味で必然性があり、地球規模の逆境の時代を乗り切るには、エスの存在を率直に理解した上、自我とエスとが再び良好な関係を結び、平和共存する事がことのほか重要なのだろう。そうでないとエスが原因となる精神病やいじめを含め、メンタルヘルスの問題に十分対処出来ないからである。

(2)最近の研究によれば「意識は、情報の集まる所に所在する」由である。そこで左右の目から入る視覚情報が、その後、右脳、左脳に伝達され、左右の耳から入る音声が、それぞれ右左、逆側の脳半球に送られる事など勘案すれば、「起きている時、特に病的な状態では、それぞれの脳半球に異なる意識が宿り得る」と主張しても、さほどおかしくないのかも知れない。

(3)時間と共に、キリスト教が根付いている欧米でも、かつての素粒子の理論の様に、精神2元論を受容する環境が整うだろうし、それに伴い、神学理論を発展させれば良いだけかも知れない。

 人は結局、それぞれの人生の結果責任を問われるのであり、魂が自我とエスに分かれているとしても、死後の審判により、自我とエス、共に同じ行き先に辿り着く、との結論が直感的に出そうである。しかし動物的なエスのお蔭で、酷い社会的迷惑を招いた場合、そこまで簡単に整理出来るのだろうか。


5.エスの反乱

(1)エスが言語化してBrain Chatterする場合、自我に対して悪口を言いながら動揺させ、甘言しつつ不利益になる事ばかり企む。そして中長期的に人間を破滅に追い込み、奈落に突き落とそうとする、敵対的な悪魔の様な存在と化する。

 するとエスは、人間の精神の一部を構成し、自我と「一心同体」の仲間であり、自我に対して協力的であるべきなのに、Brain Chatterする様になった途端に何故、こうも敵対的なのか、との基本問題に突き当たるだろう。

(2)人間は若い頃から、身体の運動や会話・思考を含め、周囲から察知可能な、社会的活動は、全て自我主導であり、エスは、生殖機能を司るものの、基本的に身体の恒常性や平衡感覚を保つ、地味な存在で「縁の下の力持ち」である。然るにエスは、これを自我・エスの「上下関係」あるいは「階級社会」と捉え、日頃から面白くないと思っているに違いない。しかもそれが10年、20年と続き、ストレスや鬱屈感が累積するのだろう。

(3)仮にBrain Chatterに成功した場合、エスは、一気にその感情を爆発させ、この時とばかり自我を攻め、苦悩に追い込もうとする。そして自我とエスとの「上下関係」を逆転させて覇権を確立し、長年不可能だった自己実現を図ろうとするに違いない。恐らく、これが統合失調症の引き金だろう。

  更にエスが、自我を「征服」し覇権確立に成功した場合、エス主導の行動パターンとなろうが、今度はエスが、人間社会の現実に晒される結果、世間がすっかり怖くなり、とにかく人間との関わりを避けるのだろう。これが陰性の症状だろうか。

(4)エスのBrain Chatter開始による精神症状に関し、複雑怪奇な話を出来るだけ平易に説明するため、素粒子の例えを用いよう。脳を原子核、エスを中性子、自我を陽子に置き換え、言語能力は、プラスの電荷に置き換える。

 Brain Chatter開始は、それまで原子核内に、プラス電荷の陽子と共に、電荷を帯びずに難なく収まっていた中性子が、突然、プラスの電荷を帯びる様になり、その結果、陽子と強く反発し合い、原子核内で「お家騒動」が始まる様なものかも知れない。

 実際、Brain Chatterを沈静化させる為には、マグネットによる電磁誘導現象等を用いながら、脳内を電気的に清掃する発想も必要と見られるので、そこまで根拠のない例えではなかろう。


6.向精神薬

(1)向精神薬の開発は、20世紀も特に第2次大戦後と見られるが、それまでBrain Chatter等の精神症状を抑える庶民的な特効薬は、酒だったに違いない。第2次大戦後は、車の運転を含め、飲酒が社会的に許容されない場面が増えたため、向精神薬の開発が急がれたものと推測される。

(2)エスの影響力を抑えてストレスを管理する効果があり、それで中長期的に安定すれば差し支えないはずである。従って処方されている場合、服用を前提とした学校や職場の生活があるので飲み続けるべきだろう。

 例えば、向精神薬を飲んでいる場合にはBrain Chatter及び(後述する)無声メガホンが沈静化するせいか、集団的エス(エス集団)の助けを求める必要を感じなくなる傾向があろう。

(3)但し向精神薬が効く場合、今度はエスが暗躍できなくなり、鬱屈感を晴らすため、違う手段で体に変調をもたらす場合があろう。これは「副作用」の一種と考えられる。

(4)処方薬に問題がある場合には、先ず主治医に相談すべきだろう。処方薬を自分の判断でやめる事は、全く奨められない。

(5)またBrain Chatterが止んだので薬を飲まなくなった場合、怖いのは本人に察知不能な「無声メガホン」だけ再発し、これがイジメを誘発する場合だろう。すると組織の一員として働き続けるのが、困難になろう。(しかもBrain Chatter再発に繋がり得る)

(6)なお薬に依存している場合、精神疾患を起こすエスの本質につき考察・研究し、真理に迫る機会は少ないと思われる。そこでBrain Chatterが何故起きるのか、そのメカニズムを良く理解し、ミステリーが早めに失われる方が、患者御本人や御家族、親戚等を含め、関係者として早めに誤解や偏見・差別を排除し、精神的な安ど感に至り、更にエスに対抗する上で必要な気概を持ち、士気を高揚させるのに役立つだろう。


7.老人医療との関係

 ここでライフサイクル的にエスの活動の波を捉えると、恐らく性欲のレベルと密接に関係しており、先ず声変わりを伴う10代の思春期が一つのピークとなろう。そして性生活、子づくりや子育てを伴う成年期を経て、40代の中年期になると、直接的には生殖活動と関係が薄くなるにも拘わらず、性欲過剰等、病的な形でエスが登場する。

 そして同時に精神・神経系でこの年代に特有の病気が起きる様になる。その中には自律神経失調症、ホルモンのバランス不調が含まれよう。その後、職場引退や閉経を伴う初老の頃から、一段とエスの存在感が増し、パーキンソン病や認知症等の精神・神経系の病気が起きるのだろう。


8.主な結論

(1)フロイトは、エス(無意識)の概念を提唱するに際し、「幼児期から抑圧された体験が累積した結果、大人になってから露わになり、マイナスに働きがちな記憶や感情」との抽象的イメージに留めた。

 しかしより正確に表現すれば、エスは、人間の身体に能動的に働く動物的存在であり、生殖本能を司り、また身体の恒常性を保つAIの様な存在だろう。然るにエスが言語化してしまう場合、「身体に宿り、言語を操る別の意識」と化するので、擬人化して描写するのが、最も理解を助けると思われる。

(2)夢は「エス」が睡眠中に行う「いたずら」であるが、夢は誰でも見るので、エスには普遍性があるものと理解できる。Brain Chatterや幻視は、エスの演出する「起きている時に見る夢」と位置付けられる。

(3) 精神統一は、自我が左右の脳半球を支配する事と関係が深い。他方、双方の脳半球を同時に支配するのは、時として困難であり、このため、まるで二重帝国をパトロールする国境警備隊の様に左右の間を頻繁に行き来しながら、常に支配領域として確認する必要がある。

(4)自我が片方の脳半球だけに沈潜していると、左右の脳半球間の連絡が次第に悪くなり、エスがそれを利用して悪戯を始める可能性がある。ついては日頃から左右の連絡を円滑に保つべし。

(左右の手足の筋肉運動を伴うスポーツ、あるいは音楽や絵画に携わる事。身体の表面への指圧、マッサージ等。特に下半身は、左右の脳半球の接触部分と繋がっているので、重点的に。出来れば鏡を見ながら)

(5)エスがBrain Chatterに興じる場合、エスは自我の不在時の左右の脳半球あるいは小脳を活用する。

 自我の所在地は、その時々に視覚情報の集まる脳半球と考えられる。目安は、視野に入る鼻筋の左右であり、これが自我の宿る脳半球の左右と一致する。エスは、反対側の脳半球を利用しようと試みるだろう。

(6)エスのBrain Chatterは、侵入した脳半球あるいは小脳の機能に制約され、その範囲内で行われる。具体的には、母国語の言語野が左脳に偏在する事等、左右の脳半球の言語機能の違いにより制約され、話の内容を規定されるだろう。この点は、自我への制約と全く同様である。

(7)人間の集まるところには、必ずエスの集団が存在する。その目的は、共同体としての人間社会の安定と安寧、また出産や養育を担う女性や子供を保護し、教育する事。エスの暗躍する精神疾患から早期に立ち直るためには、エス集団の力を借りる必要があろう。

(8)人間に備わる隠れた動物性として、可聴領域外の音波も、時としてコミュニケーションに使用可能であり、Brain Chatter発生の場合、この能力が増幅されよう。自我がこれを使う場合「以心伝心」と呼ばれ、エス同士ならば「無声メガホン」として捉えられる。この様な「声の聞こえぬ」コミュニケーションの結果、生まれるのが場の空気や群衆心理だろう。

(9)人間は、磁気に対する感受性を持つ事が窺われ、Brain Chatterのある場合、これが顕著となり得よう。この事を利用し、左右の脳に磁気を当てて脳内に電流を発生させ、Brain Chatterの沈静化と癒しを得る事が可能。

(10)Brain Chatterが突然始まる場合のストレスは尋常でないので、エスを元凶とする本質につき、若い頃から(例えば義務教育の保健体育の一環として)「エス教育」を行い「精神的な予防接種」を行う事が重要。

 すると不運にもBrain Chatterが発生した場合でも、心の準備が出来ているので、大きく混乱し、エスの言動に引きずられる度合いも低まるに違いなく、発生後の対応が楽になろう。(事後的に教育を試みても、落ち着くまで時間かかり、エスが邪魔しがちだろう)

エスの研究(サマリー)

執筆の狙い

作者 フランシス・ローレライ
61.24.169.236

何かとタブー領域と捉えられがちな無意識(エス)の問題に焦点を置き、光を当てようとしたたエッセイです。

コメント

大丘 忍
220.219.181.62

ここに記載された文章は小説でしょうか。小説ならフィクションがはいりますから、科学的根拠がなくても許されるでしょうが、それには小説であることを明らかにする必要があります。
小説でない精神医学的知見であれば、ここに投稿すべきではないと思います。しかるべき医学書、専門書に投稿すべきです。
無意識(エス)の解説文としては興味深く読みましたが、小説なのか医学的解説文なのか迷いました。
エッセイと表記してあるので作り話ではなかろうとは思いましたが。
なお、科学的知見であれば著者の立場を表明しておいた方が良いでしょうね。
〇〇精神医学研究所員とかね。

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

大丘忍様

拙稿を読んで頂き、誠に幸甚です。
さて小説/文芸作品か否か、との点では確かに形式上、エッセイなので「否」との答えが

出そうですが、当方、医学方面で学位や資格を取った訳ではなく、実は文科系出身。
また内容的に、現代の通説や常識から凡そかけ離れているとも思われ

このままでは、とても真面目に受け取って貰えないのでは
(ましてや医学書、専門書では論外か)との配慮これあり、

敢えてフィクションでも差し支えないこの場をお借りした次第です。
従って御指摘の形式上の問題もさることながら、内容が妥当か否か、に関しての

御意見や助言も拝聴したいところです。

月とコーヒー
106.171.80.37

タリーズで画面だけ見て・・


まあこれは、明確に【エッセイではない】です。

エッセイとゆーのは、自らの実体験(見聞きしたこと、経験したこと)と、その際の(それについての)「自らの想い」を綴るもので、

これには【想い】がない。
(本文をつぶさに読みまくれば、いくばくかは書かれてあるのかもだけども、ストレートに反映されてはない・・感じ)


で、「論文や専門雑誌記事の体裁で書く」んであれば、まずその体裁に則って(守って)書かないことには、ただ単にトンチキ。。
(ごめんよ…)



「論文や専門雑誌記事の体裁」ってのは、


1:表題。 
まず「記事内容の眼目」を表題に掲げ、
大方の場合、それにプラスして「特に訴求したい点を補足した、適切な副題」。


2:そんで、基本の書き方は普通、「序論 本論 結論」。

【序】(はじめに)は、「その考察(ないし研究)をすることに至った経緯……狙いや目的、思い」をコンパクトにまとめる。
そんで、「その考察(ないし研究)によって、期待されること」も、一旦ここに手短に書いとく・・ケースが多いかな。


↑ ってなこって、コレ、【タイトル】と【記載順】からして、ヘンテコ。

でもって、「本題に入る」箇所・・なんだろう・・「エスの研究 不自然な停滞」の、文量の少なさが、いかにもお粗末。



3:本論。
本論は・・それに見合うボリュームが、普通ある。

この状態だと、あんまり「ブツ切り記載」すぎて、「短すぎる」んで、、、すんげぇ貧相!
貧相でどうしようもない。

丸カッコ内のナンバリングが、いちいち無駄に多すぎる。
大学生の講義のレポートでも、こんなに「丸がっこナンバリング」多用はしない。

そんなんしてる奴は、「書くことなかったんで、無駄なナンバリングと改行で、ページ埋めしてんだな」ってのがあんまりあからさまなんで、、、B判定もらうのも、やばいだろう。。


A判定もらえるレポートはさ、「その紙面からすでにもう美しい」んですよ。(スタイルは大事)


本文で、(  )=丸括弧 内に「補足文章」入れ込んじゃう使用法が、おかしい、と思う。
学術論文形式だと、「それにふさわしいやり方」があるし、
書店で売ってる心理学関連書も、その方法を採用しているので・・

現状だと、「心理学関連書も読まない人が、適当に書いてんだな」としか見えない。
(ゆえに、スタイルは大事!! ← 大事なことなんで、二度繰り返しました)


4:結論。
結論は・・【序】(はじめに)に対応して、【おわりに】【結びに】【まとめ】ってな小見出しつけて章立てされる・・ことが多いような気がする〜。

そんで、この研究(考察)から分かったこと、明確になった事柄(問題点、今後の課題)を総括。

&「今後の展望」「これから期待されること」「一連の内容を通じての、筆者の想い」を綴って、〆るんです。



そんでさー、
この原稿のイカンところは、
・「あろう」「だろう」「なかろう」「すべきだろう」が、超〜頻発してんのと、
・「知れない」「違いない」ってー、憶測による押し切りも目立ち、
・そんでもって、「如何だろうか」と、押し付けがましい。。





タリーズで、暇だったもんで、えんえん打ち込んでしまったけど、

私的結論としては、


【エッセイならエッセイで、いさぎよく・敢然と、「等身大で」エッセイを書き切る】って姿勢が、
ここのサイト常連にはナイ。

とかく「粉飾」したがり、「賢ぶり」たがる。


その「賢ぶり」ほど、スベる。
そんで、「意味不明駄原稿」に成り下がる。

つまらない。



普通に原稿書け! って思うよ??

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

月とコーヒー様

拙稿に目を通して頂き、誠に幸甚です。
さて御指摘の点、良く分かる様な気がします。

少し欲張りすぎて、沢山のアイデアを一つのペーパーに纏めようとした結果
性格不明なものが出来上がったかも知れません。

純粋にエッセイにするなら、むしろ1~4で切ってしまい、
5.以降は、別稿にするのが良いのかも知れませんね。

特に最後の「主な結論」はこのままでは如何にも唐突な感じがするに違いありません。
なお個人の経験を一般化しようとする試みとして、憶測っぽい表現が多発してしまい、

それだけにサブスタンスのコメントも頂ければ幸いです。
実はこのペーパー全部「序」の様なもので、背景に経験的な蓄積がかなりあり、

「星空文庫」に全体像を掲載していますので、もし関心あらば一度御覧下さい。
その方が、サブスタンスについてコメントしやすいかも知れません。

なおタリーズは小生も良く使い、ローカルな「集団的無意識」に
自分を晒しながら、インスピレーションを得る縁にしています。

フランシス・ローレライ
126.200.10.179

追伸

気がついた事には、肝心な事申し遅れていました。

実はこの「エスの研究」に関しては、拙稿「フルートとヴァイオリン」に登場する論文、との設定でした。

(ウィーン在住でフロイトに傾倒するインド人精神科医の著作、とのフィクション)

お騒がせしたかも知れませんが、内容的にそこまで出鱈目ではないつもりです。

月とコーヒー
106.171.72.61

↑ レス頂戴してるようなんですが・・

「出先のタリーズで、チケット消費しながら眺める」程度なんで〜、

レスまでは読んでないことの方が多いですねー。


これも、「原稿そのものの内容に興味がまるでない」&

「くだらねぇ駄文」だとしか思ってなかったもんで、

内容までは見てないし「記憶に残らない」んで、、、


そんでレス読んで、レス返しすると「不毛」なんで、


言うべき事はすでに先に(月曜のタリーズで、結構な時間使って)

懇切丁寧に(※当社比)述べたので・・・



あとは、

この原稿を「読める」「共感できる」人とお話ししてくださるといいかと思う。

羅漢
126.224.138.129

エス=das ich=エゴ…?
つまり自我ってのがエスでは…

あとロボトミーは?前頭葉を切除するやつ… 

「トンデモ論文」とは否定しないですが(夢野久作「ドグラ・マグラ」もそんなものですし)
フロイト精神分析学と脳科学を共に論じるのはフィクションとは言え…

今の研究では、海馬が大脳皮質に記憶情報を送る際、視神経を刺激するので夢を見る、ってのが…

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

月とコーヒー様

承知しました。

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

羅漢様

貴重なコメント誠に有難うございます。


〇エス=エゴに関しては、無意識=意識と置き換える事も可能かと思いますが、
補足すれば、無意識(男性)=意識(女性)となり

「男性と女性の意識・無意識は逆転している」との主張とも読めます。
要するに女性の「意識」は、子を産み育てるとの役割から

生殖本能と深く関係し、神話的には「キューピッド」との位置づけですか。

(男性の場合、キューピッドの役割は(青春の一時期を除き)もう少し地味で
目立たぬ「無意識」なのでは?)


〇フロイト流の精神分析学と、脳科学の関係に関し、

スペリー等のノーベル賞脳科学者は、一昔前のてんかん発作対策で、
左右の脳半球を結ぶ「脳梁」の離断手術を受けた患者を対象に研究を進め、

言語野の左脳偏在等、左右の脳半球には機能の違いがある事を明らかにしました。
その際「離断した左右の脳半球には、別々の意識が宿り得る」事も発見しました。

するとこの場合、片方が「意識」で、もう片方が「無意識」なのだろうか、
との問題意識です。


〇夢には色々な説があり、短期メモリーを長期メモリーに転換する際に
起きる現象、との説明もある様です。但し夢には、筋書きがあったりするので

もう少し意図的であり、無意識の悪戯ではないかと思うのです。
(すると夢は誰でも見るので、無意識が普遍的に存在する事の証明になるのでしょうか)

海馬が視神経を刺激する際、映画監督をやってしまうのかも知れませんね。


なお「ドグラ・マグラ」は当方も読みました。骨相学等、当時の脳科学の実態を思えば
良く書けていますね。

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

ロボトミー(Lobotomy)は「精神異常者を白痴に変えてしまう」との批判から
廃止されましたが、てんかん発作を抑制する為、左右の脳半球をつなぐ

脳梁の離断手術(Corpus callosotomy)は、これとは別に、
1940年代に van Wagenenが始め、一定の効果が認められ、未だに禁止されていない由。

そして離断手術を受けた患者の研究から、通常使う言語野が左脳半球にある事が判明。
すると右利き・左言語野のコンビネーションには、論理的な結びつきがある事が

窺がわれるのです。

フランシス・ローレライ
61.24.169.236

 なお当方、Brain Chatterに遭遇し、大いに悩まされた次第です。原因を探るべく精神分析や脳神経科学の勉強を始め、これは無意識(エス)が左右の脳半球の言語野(あるいは小脳)に侵入し、外部に聞こえぬ声で語る悪戯との結論を得ました。そして投薬を補完する様な対策を研究。少し御紹介すると、

〇初歩的には(特に右耳に)耳栓。

〇「自己体罰」 : これは自分の手で、耳の周囲や頬っぺたを狙い、少し強めに平手打ち(ビンタ)する技。エスは右脳に宿りがちなので、頭や顔の特に右側を重点的にはたくのです。また小脳を狙い、首のすぐ上の後頭部も拳でポコポコ叩く。教養が邪魔しそうな技ですが、一瞬にしてエスが委縮するので効果的。(但し強く叩き、耳の鼓膜等を損傷しないよう、要注意!)

〇マグネットの技 : 左右の脳半球の連絡を改善するのです。家庭用マグネットを手で持ち、側頭部(左右の何れか。特に右側)に近づける。そして耳の周囲にかざし、髪の毛に櫛を入れる感覚で、何回か円運動を繰り返す。すると電磁誘導により脳内に電流が流れ、Brain Chatterが沈静化する模様です(但し効果が強烈なので、回数少なめ、ゆっくりめに施術する事)

詳しくは星空文庫で「エスの研究」御検索を。

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