作家でごはん!鍛練場
ARAKI

赤い実はじけない

「青木、好きだ」
 突然の告白に驚いた。
 風が吹いて私はマフラーに顔を少しうずめる。長い黒髪が揺れていた。
 暦の上では春だと言うのに三月の風は冷たくて容赦がない。ダッフルコートの下からはみ出した膝上丈のスカートを引き延ばして脚全部を覆ってしまいたかった。どんな過酷な季節もこんなスカスカのスカートを履かなきゃいけない女子って大変だ。制服のスカートは短すぎても長すぎても目立つ。長くも短くもない膝上くらいの長さが一番平均的で誰も何も思わないので私はそうしている。
「俺と付き合って下さい」
 私服姿の高橋先輩はモコモコの黒いダウンを着て熊のような体を丸めている。
 えっーと、言葉が続かない。
 先輩は私の事を苗字の青木と呼ぶ。周りの友達や女子からは名前の優菜と呼ばれているんだけど、付き合ったら先輩も優菜と呼ぶのだろうか。返事ではなくそんなことを他人事のように考えていた。
 三月の初めの日、六限目の授業が終わって部活をサボって帰ろうとしていたら急にメールで高橋先輩に呼び出された。体育館の裏側から焼却炉へと続く道の途中、山の斜面と道の間にあるちょっとしたスペースに私たちは立っている。
 先輩はもう卒業式まで学校には来ないと思ってた。でも今、目の前で私に告白して返事を待っている。
 バレー部のムードメーカーである高橋先輩は珍しく真剣な表現をしている。声のボリュームが大きくて少し癖のある声はいつも放課後の体育館に響いていた。
 苦しい試合展開でもその声は発揮されていて、高身長から撃ち落とされるアタックで得点を決めた時、サービスエースを決めた時、チームが接戦のラリーを制した時、必ずその大声は響き確実に仲間を元気付けた。チームの勢いをのせる役割を何度も果たしていて実際の実力以上にチームに貢献していた事を高橋先輩は多分知らない。しかし、その声が私に向けて好意を伝えてくれるとは思わなかった。
 どうしたらいいのか本当に悩む。
 バレー部のマネージャー としてもうすぐ一年経つけど、私は高橋先輩とそれ程話した記憶はない。面白くて真面目なとこもあって親切な人だなとは思っていたが、高橋先輩の告白は意外過ぎて本当に驚いた。
 私は心の中で彼氏というタイトルの評価表をつけることにする。
 高橋先輩は190センチ近い高身長で、そこは評価できる。顔もスポーツマンらしい爽やかな雰囲気で、短髪にワックスを付けた自然な髪型はよく似合っている。
 考えながら間が持たないので、私は高橋先輩に微笑む。告白を受け入れるとも断るとも取れるような絶妙な笑顔だ。いちいち面倒くさいのだけど、こういうのを無意識にこなすスキルがないと女子高生なんていう多感な時期を乗り越えていけないのだ。
 マイナス面としては、思いつきで行動する節があって時々バカだなと思う。一緒にいて私までそう思われないか少しだけ心配だ。
 細身の筋肉が好きな私には、高橋先輩のゴツい胸筋と太い腕、それを支える丸太のような太ももは熊の体型を想像させてあまり好みではない。自分があの中に飛び込んでいくのを想像すると、悪い意味で少しぞくっとした。
 あとは頭のいい人がタイプなのも見逃せないのだか、高橋先輩はどちらかというと頭が悪い。テストではよく追試を受けていたし、単身赴任のことを参勤交代と勘違いして使っていたことを、もう一人のマネージャーである久美から聞いたときはほっこりした気持ちになったが、これが自分の彼氏になると思うとやっぱりやだ。
 ただ、優しくて根は真面目で真っ直ぐな性格の人だ。一緒にいておちょくったりするのは楽しいだろうな。へんな欲求が湧いてくる。
 卒業してもう会えなくなるのは、少しだけさみしいような気がする。高橋先輩が得点を決めたときのシャーという癖のある豪快な声が頭に浮かんだ。
 ただプラス要素よりマイナス要素を考えてる時間が圧倒的に長かった。評価表に則って返事をしようと思った。
 そういえばーー高橋先輩の癖のある太い声であることを思い出して、私は急速に先輩に興味を持った。
「先輩、この春から東京行くんですよね」
「あ、ああ」
 高橋先輩がなんだかぎこちない笑顔になる。
「それ今関係あるのか?」
 小さく鼻息を吐いて高橋先輩はまた真剣な顔に戻る。私の返事を待つ空気を作ったようにみえた。
「あります」高校を卒業したあとに私は東京に進学しようと思っていることを先輩に話した。
「もし私と付き合ったら先輩と東京でデートできますね」
「ああ」
 告白相手からの好意的な返事なのに先輩の返事はぎこちない。東京、というワードが出てから先輩の顔色が明らかに曇った。
「私たち付き合いますか?」
 先輩の反応が見たくて冗談半分で言ってみた。
「いいのか、でも条件があって」一瞬晴れた先輩の表情にまたモヤがかかり、すぐに口ごもる。
「条件?」
 セリフや反応から私はたぶん高橋先輩の考えていることがわかった。それでも気付かないフリをする。
「いや、なんでもない」
 足の指先が寒さでヒリヒリしている。こんなに寒いのに先輩の額からは汗がにじんできた。なんだか顔も少し赤い。
「先輩から告白してきたのに、付き合う条件があるっておかしいですよね」
「そうだな」
 典型的な困った人のように頭をかきはじめる。今まで熊に見えていた先輩が、頼りないクマの着ぐるみに見えてくる。情けない姿をみて私はどこか安心する。そのような相手の方が気を使わなくていいし、自分らしく振る舞えるからだ。
「私、先輩の彼女になります」そう言って先輩の手を両手で包み込む。大きな手は柔らかくてあったかいし、思ったりよりゴツゴツしていない。
「いや、違うんだ」
 固まった表情のまま高橋先輩が首を横に振る。ロボットみたいなカクカクの動きが面白い。 
 いきなり手を握られて照れているクマの着ぐるみが少しだけ可愛く映った。
 先輩がゆっくりと私の握っている両手から手を外す。大きな手から伝ってきた熱が逃げていき、私は寒い空気にさらされた手を慌ててダッフルコートのポケットにかくまった。
「なにが違うんですか」
 先輩を追い詰めるようにゆっくりと話しかける。
 体育館の床を一定のリズムでばんばん叩く足音が聞こえた。男子バレー部がランニングを始めたのだろう。
 幸いここに部員が来ることはない。
 いるとすれば人目につかない場所を探しているカップルくらいだが、こんな寒い日にここを選ぶことはないだろう。寒さで垂れそうになる鼻を私はポケットティッシュで拭った。
 よく考えたら、こんな時季に、こんな場所に女の子を呼び出す高橋先輩が非常識なのだ。しかも話の内容は終わりの見えないぐねぐね道みたいだ。それは高橋先輩の心理状況とリンクして、進んだと思ったらまたスタートに戻ってしまいそうなくらいフラフラ迷走している。
 私は暖かそうなモコモコのダウンで身を固めている先輩を不満そうに見た。
「実は、本当は東京なんて行きたくないんだ」
 やっと先輩の本音が聞けた気がする。やはり思った通りだ。
「どうしてですか」
「俺、声優を目指して東京に行くって言ったろ」
 高橋先輩の進路は、田舎で過疎が進むこの町から東京の専門学校に行って声優の勉強をすると聞いていた。
 子供の夢に理解のある両親で、高橋先輩が声優を目指すことを心から応援すると聞いていた。一体なにが不満なんだろう。
「俺、見ちゃったんだ」
 高橋先輩が素早くスマホを取り出した。
「声優で成功する人間は数万分の一人だとか、声優は資格じゃないから専門に行く意味ないとか……」
 先輩はスマホの内容を早口で読み上げる。
「専門卒業してプロダクションに入っても、講習料取られてエロアニメとか地方のPRとかクソみたいな仕事しか貰えないわりに、下手にキャリアを積んだらギャラが高くなって使って貰えなくなるらしいぞ」
 目当ての文章を探す為、先輩は小刻みに太い指を上下させる。
「そして気付いたら三十超えてて、声優の専門しか出てないから潰しがきかなくて、一生フリーターになるんだぞ」
 まとめサイトでも読み上げていたんだろうか。だらだらと長い文章を聞かされる身にもなって欲しい。そもそもそういうことは事前に調べてから進路って決めるもんじゃないの? 私の先輩に対する気持ちは体と同じくらい冷たくなった。
 寒いし帰りたいな。そして先輩はなんだか暑苦しい。
「じゃあ大学に行きながら声優目指したらいいんじゃないですか」
 私の正論に。
「今からだと一浪だろ? それにもう勉強はしたくないんだ」
 先輩は勉強を拒絶することに対して、自信に溢れた声で答える。
 高橋先輩に呼び出されて素直にここに来たことを後悔した。この人は何を言っているのだろう。
 思いつきで行動して、何か問題があれば困惑して立ち止まって楽な道を選ぼうとする。逃げて迂回した道の真ん中にたまたま私はいて、先輩というふわふわした考えの、体ばっかり大きな、中身のない巨大バルーンみたいな男にぶつかって巻き込まれてしまった。
「じゃあ先輩は、好きでもない私に告白したんですか?」
 思わず先輩を睨みつける。
「で、あわよくば私にこの町に残って欲しいって言わせて、東京には行けなくなったっていう理由を作ろうとしたんですね?」
 先輩が急に、背後から大声で脅かされたのではないかというくらい大きくビクついた。突然死角である背後から押されて慌てているクマの着ぐるみが思い浮かんだ。
 私が地面を蹴ると小石が跳ねて思いのほか遠くに飛んでいった。怒りをぶつけるにしては小さすぎる対象だ。
「それは違う。好きって言うのは本当で、あと東京にも行きたくないから、そのつい……」
 困った顔のクマの着ぐるをからかってやりたくなった。思わず相手を追い込むような言葉が溢れる。
「じゃあ、私と付き合って東京に行くっていう手もありますよ」
「いや、東京にはもう行きたくないんだ」
「でも、このままだと私とも付き合えないし、東京に行くしかないですよ?」
 高橋先輩は急に腕を組んで、わかりやすく考え始めるポーズをとる。
 先輩の頭の中は急ピッチで、今の自分と、これからについての問題に対する演算処理が行われているのだろう。
 雲の隙間から午後の日差しが刺して足元を照らした。小さくあくびをする。
 私は先輩のことが好きでも嫌いでもない。
 というか彼氏としては見れないし、今回の逃げ回る、はっきりしない態度を見てかなり呆れている。
 それでも付き合ってもいいかなとは思っている。部活で見ている限り先輩は本当に優しい性格だったし、私のようなめんどくさい性格の女の子を受け入れてくれるかもしれない。それに表情や態度などから先輩が私のことを好きだと言うのはたぶん本当だと思ったからだ。
 私は恋愛というものを面倒なことだと思っている。もう少し歳を重ねていけばこの考えは変わるかもしれないが、今はあまり興味を持てない。
 でも周りの友達はみんな恋愛に興味を持っていて、実際付き合ったりしている。
 久美は『優菜はモテるんだから誰か適当に見繕って気に入ったのと付き合っちゃえば』なんてスーパーで好きな鍋の具を適当に買ってくればみたいな言い方をしてくる。
 そんなの気にしなければいいんだけど、私も周りの目は気になる。最近十六歳になったばかりだけど、この歳でファーストキスも済ませてない女子は同性から異常者のように見られるか、自分とは違う世界の人間だという扱いを受けて距離を取られる場合がある。全員がそういう反応ではないし、中には私と同じ状態の子もいる。
 でもあっけらかんと、おやつやマンガなんかを楽しみに日々を過ごしている中で、ファーストキスも済ませてない私のことを、格下のように扱ってくる人間から、心無い言葉を受けて傷付いてしまうことだってある。そうなるくらいなら、別にそんなに好きじゃない相手でも、ロマンチックじゃなくてもいいからファーストキスなんて済ませてしまいたい。
 あと容姿について億劫なことがあった。
 私の外見は寂れた田舎町では浮いてしまうくらい華があった。胸まであるストレートでサラサラの黒髪にハッキリとした顔立ちは整っている。クリッとした目に少しボリュームのある唇はその顔に愛嬌をあたえていた。
 こんなこと自分でいうのはどうかしているのかもしれないが、私も最初からそう思っていたわけじゃない。
 普通だと思っていた自分の顔と比べると、周りの人間はどこか整っていなかったり、パーツの配置やバランスに歪さを感じることがあった。
 私はそのことを指摘することはなかったが、反対に周りから私の外見を褒められたり、羨ましいと言われることが歳を重ねるごとに増えてきた。最初は単純に喜んでいたが、そのような態度が鼻に付いたり嫉妬の対象になることがわかってからはちゃんと謙遜しているし、相手の良いところを違和感ない程度に誇張して褒めるようにはしている。
 だから私は、目立つ外見を隠して普通という個性の海に浸かってしまいたかった。
 東京にいけば私のような人間はいくらでもいる(たぶん)。田舎町のように外見で浮いてしまったり、特別視されることもなくなるだろう。
 長い黒髪は昔好きだったアイドルの影響で真似しているんだけど、艶のあるストレートの黒髪も私の見た目の個性としてよく褒められた。
 私はそれも消してしまいたかった。でも今この長髪を切ってしまうと、それだけでちょっとした注目を浴びそうだし、女の子が髪を切ったっていうだけで失恋だ傷心だと決めつけて声をかけてくる人間が湧いて来そうなので躊躇している。
 私は東京に行って髪を少し短くして、パーマをかけて、普通という個性の海にブクブクと沈んでしまいたい。
 だから高橋先輩と付き合って、東京に行かせてしまおう。そして東京に詳しくなった先輩から色々話を聞くというのは魅力的だった。
 私の趣味である、美味しいものの食べ歩きも先輩の情報でスムーズにいくかもしれない。
 でもなんとなく先輩はそんなに食に興味がなさそうだし、濃い味のタレのものをなんでもおいしい、おいしいと言って食べるようなイメージはある。だからそこから調教する必要はあるかもしれない。
「一応確認なんだが、東京に行けば青木とは付き合えるんだな?」
 色々考えていた私は、急に先輩に話しかけられて少しだけビクついてしまった。
 高橋先輩の問題に対する演算はどうやら終わったらしい。
「そうですね」
 答えて思わず赤面する。
 私は誰かと付き合った事などないのだ。高橋先輩と付き合ってもいい。簡単に考えていたが実際はそこまですんなりと割り切れる訳ではない。ダッフルコートのポケットに突っ込んでいた手を握りしめて覚悟を決めた。
 男らしい言葉を待っていたが高橋先輩は何も言ってこない。
 このまま先輩に強気に押し切られていたら、キスされそうになっても拒めなかっただろう。こんな寒い日なのに、想像して私の頬も熱を持つ。
 体育館からランニングの終わる合図である顧問の笛の音が聞こえた。次はストレッチの時間だ。久美は雑用を一人でこなしているのだろう。なんだか申し訳ない気分になった。少しだけ冷静になる。
「私が言うのもなんですけど、先輩東京行くのやめようと思ったらやめれるんじゃないですか?」
 確か高橋先輩の父親は自営業をやっていた。先輩がその気になれば声優の夢は諦めて、実家を継ぐこともできるのではないかと思った。
「うちの会社は弟のタカノブが継ぐことになったんだ。小さな商社だから従業員も募集してないしな」
 先輩の父親の会社は、少し離れた場所の大きい工場に出入りしている。そこでは定期的に商品の発注を受けており、細々ではあるが確実に収入があって安定しているらしい。
 そして去年の夏、高橋先輩は声優になりたいことを家族に告げた。家族会議を重ねた結果、弟が高校卒業後に会社を継いで、先輩は夢に向かって頑張るという話になった。
 声優の専門学校の入学金や毎月の月謝は年間で百万円程度かかるのだが、卒業するまでの二年間の費用は両親が負担してくれるというのだ。子供達の進路が決まった時の両親の嬉しそうな顔を思い出したら、やっぱり簡単にやめるとはどうしても言えなくなったらしい。
「そもそも先輩はなんで声優になりたいんですか?」
 ローファーの爪先で地面を蹴った。
「俺アニメとか好きだし、声優って声だけで体も動かさなくていいしなんか楽そうじゃん」あと、フィギュアとかいっぱい持ってるし、よくわからないことを付け加えて満面の笑みを浮かべる。やっぱり駄目だこの人。
「でもそれは間違ってた」
 高橋先輩は私をたしなめるように表情を険しくさせる。こんなに感情の起伏が激しい人だったのだろうか。
「声優はな、毎日発生練習をしたり、腹式呼吸を習得しないといけないし、音読やアニメのキャラに合わせてアフレコっていう練習なんかもしなくちゃいけないんだぞ」
 再び先輩はスマホを取り出して見ている。
「声優っていうのは声だけの仕事と思われがちだけど、役者みたいに演技力や芝居の能力も求められるんだ。要するに声だけで演技をする人なんだ、声優って職業は!」
 なぜか先輩はキレながらそう言った。
 まるで私が声優という仕事を舐めていたみたいだ。スマホを奪い取って全く同じ文章を先輩に大声で聞かせてやりたくなった。
「タカノブは家の仕事を継いで、俺は保険のない危険な橋を渡らなけれりゃいけないんだ」
 なんだか情けなくなってため息が出た。
「俺の安定な道は閉ざされた。夢に理解ある家庭内で、俺は家族ぐるみで夢に殺されるー」
 先輩は右手で自分の首を絞めて、大げさな声で苦しむ芝居をする。
 ふと気づいた事がある。
 あんまりどうでもいいんで先輩に言うつもりはない。高橋先輩のさっきの声、コナンに出てくる毛利小五郎の声にそっくりだ。それに体力も声量も人一倍あるし、もしかしたら本人も気づいていないだけで先輩は意外と声優に向いているのかもしれない。
 強い風が吹いた。少しでも風に当たる面積を減らしたくて体を縮こめた。もう一度マフラーに顔をうずめる。いつの間にか空は、また日差しを隠す雲に覆われている。
 寒いし帰りたいし、高橋先輩は女々しいし、なんだかイライラして来た。
「先輩、さっきから舐めてません?」
「え」
 何故か先輩は、気持ちを共有している仲間に裏切られたような顔で私を見る。
「普通やりたいことが見つかったらそれについて下調べをして、しっかり考えてから進路って決めるものじゃないですか?」
 私は将来をあやふやに決めようとした高橋先輩を、たしなめようと最もらしいことを言った。
「もっと将来とか自分の事とか大事にした方がいいですよ」
「なあ、青木」
 急に先輩が真顔になる。
 これから先輩の浅はかな行動を指摘しようとしていたので、急ブレーキを踏んだように出かかった言葉が喉にぶつかる。
 先輩の真剣な顔と熱量に圧倒された。
 バレー部のアタックが床にあたってボールの弾ける音が響いた。
 私はなにも言えなくなった。
 結局家に早く帰るのとは違う理由で部活はサボってしまった。
 今週はもう三回目だ。仕事の負担が増えるのでもう一人のマネージャーの久美に、町に一つしかないコンビニのスイーツをおごらされるかもしれない。

 ただいま、と言って家に帰った。
 二階にかけだしたくなる衝動を抑えて、脱ぎ捨てたローファーを揃えた。気持ちを落ち着かせてゆっくりと階段を上がると、鞄を持ったまま弟の大翔(ヒロト)の部屋の扉を開ける。
 暖房の効いた暖かい空気が体を包み込む。走って帰った体は熱を持ち、おでこや背中から薄っすらと汗をかいた。
「どうしたの?」
 部屋に戻らずにいきなりやってきた私に、大翔は僅かに肩をビクつかせて驚いていた。
 声変わりが終わっていない高い声は女子みたいだ。母親似で男の子にしては長い髪型は耳まで隠れていて、大翔の外見も女の子のように見せている。
 大翔は机の上に宿題を広げたままスマホを見ていた。宿題はあまり進んでいないが、大翔が握っているのは筆記用具ではなくスマートフォンだ。
「なんかいいことあった?」
 スマホから視線を固定したままの大翔は、半分以上意識は液晶に向かっているはずなのになんだか鋭い。
「別に」
 なるべく感情を出さないようにするが顔がにやけそうになってしまう。
「ちょっとびっくりしたことはあったかな」
「もしかして誰かに告白されたとか?」
 背筋がぞくっとしたのはずっと寒い場所で話していたからじゃない。驚いてなにも言えなくなった。黙っているのを大翔は肯定と捉えたようだ。
「どうせ断ったんでしょ? 姉ちゃん恋愛なんて興味ないもんね」
 大翔がようやくスマホの画面からこっちに視線を向けた。白い肌にいくつかアクセントのようにニキビが見える。
「さあ、どうかな」
 大翔をびっくりさせてやりたかったけど、直ぐに言うのは話したくてしょうがないみたいでなんだか嫌だった。お子様の中学生に、余裕のある女子高生の姉を演じる必要があると思った。
 大翔の人差し指が別の生き物のようにスマホの液晶の上を動き回っている。多分最近できた初めての彼女にメールを送っているのだろう。その子はイロハちゃんといって吹奏楽部でフルートを演奏しており、小柄でリスのように可愛いと大翔はゴキゲンな口調で言っていた。
「まさか、姉ちゃん彼氏できたの?」
 思った以上に大きな声に、私はしっーと言って険しい表情を作った。大翔が目を丸くさせる。声にならないごめん、という口の動きが見えた。今さら黙っても遅い。私は少しだけイラついて口を尖らせる。
 母親に聞こえたらどうすんだ。家族でこんなことを話せるのは、私になんでも話してくれる女の子の友達のような大翔だけだ。
 普段から恋愛なんて興味がないと言っている私は、両親に恋の話なんてしたことが無かったし恥ずかしくて無理だ。
 大翔も彼女が出来たことは恥ずかしいので両親に隠していたが、おしゃべりな彼は母親との会話中にうっかりと口を滑らせて彼女の存在を漏らしてしまったらしい。今では彼女のことを母親と普通に話していて「イロハちゃんってとても可愛い名前ね」と言われて嬉しそうにしていた。
 そんな大翔を見て裏切られた気分になる。私には無理なことを、小さな段差でも通るようにけろっとした顔で乗り越えてしまった大翔が羨ましい。
「彼氏は出来てないけど、なんだか気になってきた人ならいるかな」
 しゃべっている途中から顔が熱を持ち、しゃべり終わる頃には顔中が真っ赤になったのがわかった。耳たぶがジンジンと熱を放っている。家の中に穴なんて無いのに、少し俯いてどこか逃げ場を探してしまう。
「うそ?」大翔が喋り終わった口の形のままで動かなくなる。半開きの口で人形のように表情がかたまっている状態だ。
 私が異性に興味を持つなんて全く想像していなかったのだろう。しばらく沈黙が続いた。
 再起動でも終わったかのように、電源ランプの代わりに大翔の瞳に光が宿る。スマホをポケットにしまってこっちを向いた。面白いドラマでも始まったみたいに大翔の目がキラキラと輝いている。
「姉ちゃん顔真っ赤」
 大翔がニヤニヤして私の顔を見た。
「うるさい」
 私は弟の好奇な視線から逃れるように大翔のベッドに腰掛けた。
 大翔が少しだけ口を膨らませる。その事について何も言わないが、昼間に母親が干していたフカフカでボリュームのある布団が私のお尻に潰されたことが不満なのだろう。
 慌てて腰を浮かすと布団をめくって敷布団に腰を下ろす。
「相手は誰?」
「バレー部の先輩」
「ああ、二年生でエースのキリュウって人?」
 大翔は桐生先輩の事を言っているのだろう。確かに桐生先輩は清潔感もあって高橋先輩よりきっと頭もいいし、スタイルも良くてカッコイイ。おまけにバレー部のエースで明るい性格だから私の知っている限り、何度か替わっている恋人が途切れたのを見たことがない。
 そんな人から私が告白されるはずがないし、もし仮に告白されたとしても桐生先輩みたいな完璧な人間に素の自分など見せられる筈もない。私はきっとほんとの性格に蓋をして、冷たくあしらうだろう。相手が桐生先輩だったらこんなに悩んで苦しむことはなかっただろう。胸を刺されたような痛みと共に優しいクマの着ぐるみが思い浮かんだ。
 大翔には部活での出来事をよく話すから部員の名前はたぶん全員聞いたことがあるはずだ。ムードメーカーであった高橋先輩のことも、もちろん知っているだろう。ただし先輩の話題は真面目な話なんてなくて、ほとんど声が大きいとかバカなことをやっていた先輩がいるなんてエピソードばかりだ。
「そういえば、大翔の友達で声優に詳しい子いたよね」
「ああ、中山が詳しいけど」
「声優って大学行きながら目指したりできるの? 中山君から話聞いたことある?」
 行き当たりばったりの先輩の事が心配になった。この歳で少しだけ母性が芽生えた気がする。
「できると思うけど、俺の聞いた話だと、アニメの声優なんかは最近低年齢化が進んできて、18歳で主役としてデビューなんて人もいるし、若手ばかり集めている事務所とか年齢制限のあるオーディションもあるから二十代前半までにデビューしないと仕事が無くてマズイって聞いたよ」もちろん、本人の実力とか運も関係あると思うけど、と大翔は付け加える。
「そっかー」
 私は潰しが効くように声優の勉強をしながら大学に行けば無難だと思っていた。
 でも専門学校だけに18歳ですぐに行くメリットは、それだけに賭けているので真剣さが違うことや、逃げ道がないので必死で勉強すること、大学に行く暇があるならその間に練習した方が実力がつく、ということを大翔は教えてくれた。
 中山君という同級生の情報を、自分の知識であるように自信満々で話しているのを指摘したかったが思いとどまる。少しだけ大人になれた気がした。
 ふと、大翔の瞳孔が開いた。漫画なら頭の上に巨大な豆電球が出てきそうだ。
「もしかして姉ちゃんが好きになったのって、声優の専門に行くって言ってた高橋って人?」
 私の顔が再び熱を持つ。
 手の甲でおでこの汗を拭う動作を見て、大翔は私の返事を理解した。
「へー」
 ジンジンする右の耳たぶを親指と薬指で触った。思いつきで行動して、東京行きを後悔している情けない顔の高橋先輩顔が浮かんだ。
「へーそうなんだ!」
 今まで生きてきて三本の指に入るくらい恥ずかしいと思った。肩掛けカバンが引っかかってスカートがまくれあがったのにしばらく気付かなかったこと、大翔に送ったつもりで間違えて苦手な男子に送ってしまった変顔のスマホの写真、男同士が絡み合うエッチな動画を興味本位で見ているのを友達に見られた時。どれも恥ずかしかったけど、それ以上に今の状態は心臓がキュンと縮んだみたいで耐えられない。恋愛なんて本当に嫌いだ。
「なんか意外」
「うるさい、うるさい」
 私は全部吹き飛ばすつもりで叫んだ。
 身体中から出る汗と大翔の反応がうざったい。
「あ、でも高橋って人、東京の専門に行くって言ってなかった?」
「そうだよ」
 私は自分のことのように熱を持って高橋先輩のことについて答える。
「それじゃあ姉ちゃんも東京行くんだし、一緒に行って同棲でもしたら?」
 普段は可愛く見える大翔の顔が、イヤラシイ笑顔に変わって目が細くなる。
「ところで姉ちゃん、もうチューしたの?」
 とっさに何も言葉が出なかった。
 大翔の顔がさらにニヤついてくしゃくしゃのお札の顔みたいに見えた。
「俺は来週イロハちゃんとデートだから弟に先を越されるかもよ」
 今までにない暑さが顔中に広がって頭が真っ白になった。
「それでもいいのかなー?」
 大翔が顔中のパーツを動かして大げさな表情を作った。目を見開いて眉毛を上げると口をすぼめて唇を尖らせる。間の抜けた表情はただの悪ガキにしか見えない。
 時限爆弾が起爆する直前みたいに、心臓の鼓動が大きく、早くなって爆発してしまいそうだった。
「調子にのるなバカ!」
 近くにあった枕を大翔にぶつけて部屋を出た。
 イタ、大翔が何か文句を言っているのが聞こえたが無視して廊下を進む。
 急いで部屋に戻ってドアを閉める。自分だけの空間を作った。
 どく、どく、どく、と胸の音が止まらない。壁に背中を預けてしばらく自分の心臓の音を聞いていた。恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
 自分でもびっくりするくらい私の心の中で、恋愛というものが巨大な風船のように大きくなっていた。他のことが考えられるスペースなどほとんど残っていないくらいパンパンなのに、更に肥大化して心が破裂しそうになる。
 味わったことのない、地に足のつかないふわふわした感覚が続き、気づいたら空を飛んでいた。ただ飛び方もわからないのに飛んでいる感覚は、いつ落ちるかわからない恐怖と自由に飛べるかもしれないという期待が8対2くらいで混じっていて、僅かな期待と怖い気持ちのドキドキが止まらない。心が不安定な感情で埋め尽くされてパニックになった。
 大翔に八つ当たりしてしまったことを少しだけ後悔した。カバンを忘れて部屋に戻ったので、あとで取りに行くついでに大翔に謝りに行こう。やっはり気まずいな。
 壁に背中を当てたまましゃがみこんで俯いた。両腕で自分を抱きしめるようにして卵のように丸くなる。
 私はこれ以上胸が苦しくならないように自分を守ろうとした。
 でも無理だ。
 頭が熱い。
 恋愛なんてしたくない。
 高橋先輩なんていなくなってしまえばいい。
 私は自分の心が優位な場所でしか行動しなかった。周りの友達だって私が勝手気ままに行動しても許してくれる優しい子ばかりで固めていたし、傷つけて来るかもしれない人間には本性を隠して少し距離を取るようにしていた。
 バレー部のマネージャーだってちやほやされてるのが嬉しいだけでよくサボっているし、相手の喜びそうなことを効果的なタイミングで時々やってあげるだけで、『青木は凄く気がきくね』なんて褒められて心は満たされてた。そうやって誰も私の感情を脅かすことのない安心できる世界を作ってきたのに。
 でも今は、高橋先輩にあんなこと言われてどうしたらいいのかわからない。
 全部高橋先輩のせいだ。先輩なんて嫌いだ。そう考えるけど本当はよくわからない。優しい飼い主を待つ犬のように高橋先輩のことばかり考えてしまっている。
 これが好きっていう感情なのだろうか。
 心がモゾモゾしてくすぐったくて、苦しくて腹立たしいのに少しだけ気持ちいい。その鬱陶しさは手が届かない場所がかゆいのと似てる気がする。けどどうしたらいい。
 壁に後頭部をごんごんと二回ぶつけてみる。
 足をしばらくバタつかせて、あーーっと叫ぶ。
『お前こそ自分のこと大事にしろよ』
 高橋先輩の声が頭の中で勝手に再生される。
 高熱が出たみたいに額が急速に熱くなって汗が吹き出た。
 頭をかきむしる。
 私はどうしたいんだろう。
 落ち着くため天井を向いてゆっくりと息を吐いた。頭から離れないこの感情が煙みたいに全部、体から出ていけばいいのに。
 何も考えないでのそのそと歩いてベッドに倒れこんだ。
 歩いた向きのまま倒れたので、枕が足元にあるが気にしない。干されてフカフカになった布団に体が少しだけ埋まった気持ちいい。頭の中は高橋先輩のことでいっぱいのままだ。
 太陽の匂いを吸い込みながら私は思い出していた。

『もっと将来とか自分の事とか大事にした方がいいですよ』私の安っぽい忠告に先輩は反応した。
「なあ、青木。将来とか自分の事とか大事にした方がいいのはお前も一緒だぞ」
 私は先輩の言ったことがよくわからずに首をひねる。ただ先輩の熱さや真剣さから目が離せない。こういう雰囲気の人は自分の為ではなく相手の事を思って何かを伝えようとしているのだと直感的にわかる。私は先輩の言葉を待った。
「お前こそ自分のこと大事にしろよ」
 初めての感覚だった。
 胸が少しだけ熱くなる。心の中でジリジリと何かが燃え始めたように感じた。
「部活は同じだったけど、青木は俺とそんなに話したことなかったよな?」
 私はこくんと頷いた。先輩は怒っているわけではないのだけど、何も言えなくなった。私の軽い言葉は、先輩の熱気にかき消されて入る余地がなかったからだ。
「そんな奴に急に告白されたからって、付き合いますか? なんて簡単に言うなよ。お前まだ誰とも付き合ったことないんだろ」
「はい」
 じゃあ先輩はなんで告白したのだろう。
「こんなこと俺が言うのおかしいけど、すぐ決めるんじゃなくて、何度か二人で遊んだりしてお互いを知った上で付き合うかどうか決めて欲しい」
 心の中の火のついた箇所から煙がどんどん勢いを増していく。
「確かに俺だって青木と付き合えるなら嬉しいけど、もっと自分を大事にして欲しい」
 燃えた箇所が線香花火みたいにパチパチと光を放つ。化学反応が起こったみたいに光の玉が周りを巻き込んで、少しずつ少しずつ大きくなっていく。
「もし付き合うんだったらキスとかもすると思うし、そういうのも一生物だから真剣に考えたほうがいいぞ」
 私はキスという単語に卑猥さを感じ取り恥ずかしくなった。その言葉の続き、誰と誰がキスするかをリアルに想像したからだ。
 先輩のことをまっすぐ見れなくなった。胸が熱くて寒いのなんてすっかり忘れている。
 どうしていいかわからずに先輩のダウンのモコモコを見ていた。
「あと、本当に悪かった」
 長身の先輩が勢いよく頭を下げて小さくなった。
「俺、逃げてばかりで将来の事も青木の事もどっちも真剣に考えれてなかった」
 先輩は東京に行きたくないから何か理由を探そうとして、自分勝手に私に告白して、つらい現実から逃げようとしたことを謝った。だから私の事まで考える余裕がなかったらしい。
 先輩はもう一度、地面に着きそうなくらい頭を下げてすまん、と言った。その様は誠実で私は先輩に言おうと思っていた不満や指摘を全て忘れてしまった。
「こんな俺だけど、真剣に決めたことはやる自信あるんだ。声優のことだってビビってたけどやっと腹をくくってやる覚悟ができたんだ。ちゃんと逃げずに頑張るって青木に誓うよ」
 情けない表情の時と違いすぎる、強い意思を持った顔の高橋先輩先輩に見とれていた。
 状況はわかったのだけど、私の気持ちは先輩に振り回させたままだ。パチパチと弾けている心が痛くて苦しい。
「俺さ、そんなにバレー上手くないけどみんなの役に立ちたくて、一年生の時に密かに決めたことがあってさ」
 先輩は誰よりも大きな声を出してチームを盛り上げていく役目を三年間やり通したことを教えてくれた。
 あの大声にそんな意味があったなんて知らなかった。高橋先輩はただテンションが上がって大声を出していたのだと決めつけて何も思わなかった自分が恥ずかしい。 
「でも、こんないい加減な奴、嫌いになったよな?」
 先輩は体型に似合わない小さな声でそう言った。
 とっさに声が出なかった。私はミシミシいうくらい大げさに首を左右に振った。
 高橋先輩が照れながら笑顔になった。クシャッとなって目尻に浮かんだシワがなんだか少しだけカッコ良く見える。
「じゃあ、どっかに二人で遊びに行こう。四月までもう少しだけ時間あるから」
「わかりました」
 なんだかぼーっとしたまま答えたので、そう思っただけなのかちゃんと返事出来たかよくわからない。それくらい頭の中がふわふわしていた。
 火の付いた心の一部がパチパチと化学反応を起こしている。ずっと続いた心の反応に、私は少しだけ慣れてきた。痛みが薄れていく。冷静になれた気がした。
「あとこれは言おうかどうか迷ったんだけど……」
 先輩が自分だけの秘密を告白するように恥ずかしそうに喋る。急に頼りなくなって背中を丸めたクマの着ぐるみみたいな姿は、見ていてなんだかホッとする。
「俺、お前の食べてるとこ見るの好きなんだ。よく部活のあとマネージャー同士で甘い物とか食べてたよな。あの幸せそうな顔見るの好きだったんだ。それが小動物みたいで可愛いって思ってた」
 返事も出来ずに棒立ちになっていた。
 それじゃあ、高橋先輩は照れ臭そうに走って帰って行った。
 私は立ち尽くしている。
 外見を褒められるだけだったら慣れていたからそんなに驚かなかっただろう。でも予想外の方向から何か投げつけられたみたいに、高橋先輩の言葉が不意打ちで突き刺さって上手く動くことが出来ない。
 少し落ち着いてきた筈だった心の中のパチパチが、不意に激しくなって大きな火花が飛び散った。
 心が燃焼して爆発しそうだ。全体が真っ赤に溶けていき、私は胸が苦しくなってしゃがみこんだ。あんなに寒かったのに身体中が熱を持っていつまでも引かない。
 私は味わったことのない不思議な感覚にどうしたらいいのかわからなくなった。
 小学生の頃母親が、『赤い実がパチンとはじけて好きって感情が生まれるのよ』と言っていたのを思い出す。
 でも私のは違った。
 心が熱くなり、パチパチとはじけながら燃え広がって、急に燃焼して一気に爆発した。
 赤い実がパチンとはじけるなんて可愛い表現では全く足りない、激しい化学反応が確実に私の中で起こっていた。
 いつか話せる時が来たら母親に、聞いてたのとは全然違う!  と文句を言ってやる。
 私は見えなくなるまで高橋先輩の大きな後ろ姿を見つめていた。

 ベットから起き上がると大きく伸びをする。なんだか見慣れた自分の部屋の景色が変わった気がする。机や椅子、照明やファンヒーターやぬいぐるみ、漫画のギッシリ詰まった背の高い本棚。何も変わってないはずなのに違う世界が広がっている。
 私は高橋先輩に恋をしてしまった。ゴツい筋肉も、頭が悪いところも好きじゃないばすだったのに。
 昨日の自分にこのことを告げたらきっとイミフメイだろう。
 今の私ですらまだイミフメイだ。このことは当分理性では理解出来ずに消化不良を続けることだろう。
 激しい心の燃焼反応はおさまったがドキドキは今もまだ続いている。息苦しさと恥ずかしさは消えないけど、それと同時に誰かを愛おしいと思うフワフワの毛布みたいな気持ちが溢れてきて体の奥がくすぐったい。
 心が恋というものに慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。この感情は寝てもすぐにはおさまらないだろう。
 それを止めることができるのは、どこか頼りないクマの着ぐるみのような高橋先輩だけだ。
 本当は今すぐ連絡したいんだけど、今日はいろんな感情がマグマのように吹き出して心が追いつかない。焦らすのも恋愛の駆け引きにおいて有効な手段であると自分に言い聞かせることにした。
 大翔から聞いた声優の話も参考になるかもしれないので、話してあげようと思った。
 きっと私は大翔の同級生の情報を、自分の知識であるように自信満々で先輩に話すのだろう。
 スマホに今の気持ちを打ち込んでみる。
 一階からカレーの匂いがしてきた。食欲はなかったが刺激的な匂いになんたかやられそうだ。今日は部活のあとのデザートを食べていないし、私はお腹が空いていることに気づいた。
 ふと、メールに打ち込んだ文字を見て私は恥ずかしくなる。照れるのをごまかすのに、近くにあったクマのぬいぐるみに向かって「おい、コナン!」と似てない毛利小五郎の真似をした。 
 送るつもりのない文章を見て私の心音が激しくなる。
  
『二人で遊びに行かなくても、もう十分私は高橋先輩が好きですよ』
 
 打ち込んだメールの文字を丁寧に、一文字ずつバツボタンを押して消していった。

赤い実はじけない

執筆の狙い

作者 ARAKI
126.224.92.86

何か感想等あれば、よろしくお願いします。

コメント

大丘 忍
220.219.181.62

最近の若い人が書いた小説に「告白」という言葉が良く出てきます。昭和初期生まれの私には「告白」の意味が良くわからないのです。
好きだから付き合ってくださいという意味であろうとは思いますが、付き合うとはどの程度のことでしょうか。時々会って話をする程度から、肉体関係にいたるまでいろいろ段階があるのですが、「付き合ってください」という「告白」はどの程度のところなのか教えてください。
私が若い頃でも恋愛は当然ありましたが、「告白」と言われるような言葉はなかったと思いますね。

ARAKI
126.224.65.46

大丘 忍さん

感想ありがとうございます。

僕も以前、学生の頃、告白イコール愛の告白という風潮に疑問を持ったことがありました。
生い立ちや、秘密の告白等、告白にも色々あると思います。でも日常会話やテレビなどで耳にする告白は確定しもいいくらい愛の告白が多いです。
そんなことを思い出しました。
今はなんの違和感もなく大多数の人と同じ意味で告白という言葉を使っていました。
相手に好意を伝えるイコール告白と思っていいのではないでしょうか。そういう認識です。


>「付き合ってください」という「告白」はどの程度のところなのか教えてください。

とのことですが、この作品ではキスくらいまではやるだろうと考え、それ以上のことは想定していませんでした。
改めて考えてみると、自分が高校生時代付き合って肉体関係まで進展するということは結構あることでした。もちろん同意のあってのことなので一概には言えないですが。
告白して同意があれば付き合い、恋愛に発展していく、その後は二人次第というところだと思います。

えんがわ
165.100.179.26

読み応え、ありました。
なんとなく、エモーショナルな部分でモヤっとした部分が溜まってきたんで、面白い読書体験だったんだと思います。

個人的に、最初の告白シーンでの心情描写が好きです。
付き合おうとする動機が、相手の魅力じゃなくて、ほかの女の子や彼女の属する世間への見栄やふつうでありたいと思うところへと運んだのが面白く、そこがリアルに感じられる丁寧さで書かれていたと思います。

それだけに恋をした心変わりをする後半シーンが、それは恋の唐突な燃え上がりを表現したようにも思うのですけど、突然さに加えて違和感も感じたんです。人格というか、なんか作風みたいなものまで、変わってしまったような。

なんか作品にエッジを効かせようとして、それがどうも少女の持っていたリアリティさをドラマチックすぎる方向に減らしてしまった気がします。
前半の冷静な中にも少女的な夢見る部分をもうちょっと入れたり。流れがもうちょっとなにかが。よくわからん。

そういうの抜きにしても、二人の告白シーンから、弟との会話シーンへの移行はどうも緊張感や臨場感を減らしている気がします。中だるみ感があるというか、だるくするならそれなりの別の魅力が欲しいのですけど、なんか受けるものが少なかったです。
別のシチュエーションで他に浮かぶものは? って言われてもムズカシイのですけれど。

前半はとても共感する部分がありました。恋を打算的に友達へのファッション感覚で見ているのが、文脈から伝わってくるし。
その後半への心変わりが本作の肝だと思うのですけれど、そこはもう少し何か物足りなさがありました。
ただ、表現しようとしているものはなんとなくわかるし、このなんとなくなものがもっと心の芯に伝われば、自分にはとても響く作品になったんじゃないかなって。思います。

u
183.176.51.134

ARAKI様。読ませていただきました。
比較的上手く描けてるんじゃないかと思いました。
ただし、>私の外見は寂れた田舎町では浮いてしまうくらい華があった。胸まであるストレートでサラサラの黒髪にハッキリとした顔立ちは整っている。クリッとした目に少しボリュームのある唇はその顔に愛嬌をあたえていた。
ミタイナ、主人公の自画自賛! があるんで、ウーン? なんですよ。
高校生に限らず女子って(勿論男もですけど)、ここまで自信満々なのだろうか? マアそうゆう娘もいるのかもわからんけど。
こういったパートがあるので、作者さん♂か♀かわからないのですが、はっきり言って女心わかってかいてんのかなー?ミタイナ。(スイマセン。偉そうに)。
マア、本作の主人公しっかりしたJKやね(笑)。
良かったですよ。
 

ARAKI
126.233.107.98

えんがわさん

読んでいただきありがとうございます。
毎回アドバイスいただき参考にになります。

>個人的に、最初の告白シーンでの心情描写が好きです。
付き合おうとする動機が、相手の魅力じゃなくて、ほかの女の子や彼女の属する世間への見栄やふつうでありたいと思うところへと運んだのが面白く、そこがリアルに感じられる丁寧さで書かれていたと思います。

褒めて頂きありがとうございます。
実はプロットの段階では優菜は最初から最後まで最初のような対応を先輩に続けていました。そして少しだけ先輩を好きになってファーストキスをして、そのシーンを部員たちにも見せて、責任取ってよみたいな感じで無理やり東京に連れて行く、という展開だったのですが書いていくうちに今のような話になりました。
その方が良かったかもしれません。


>それだけに恋をした心変わりをする後半シーンが、それは恋の唐突な燃え上がりを表現したようにも思うのですけど、突然さに加えて違和感も感じたんです。人格というか、なんか作風みたいなものまで、変わってしまったような。

読み直したのですが、これはありますね。
前半と後半で一気に優菜の反応が変わってしまっています。もう少し徐々に心の動きを書いて対応が変わって行くという風にしたいと思います。
違和感なく読めるように直したいです。


>そういうの抜きにしても、二人の告白シーンから、弟との会話シーンへの移行はどうも緊張感や臨場感を減らしている気がします。中だるみ感があるというか、だるくするならそれなりの別の魅力が欲しいのですけど、なんか受けるものが少なかったです。
別のシチュエーションで他に浮かぶものは? って言われてもムズカシイのですけれど。

なるほど、家でのシーンは緊張感は薄れていますし、中だるみあると思います。もう少し短くするか、なにか引きを持たせる何かを入れたいと思います。(母親を登場させて秘密の話を聞きにくる、近くにいて二人の話をヒソヒソ話にする等)

前半は共感できる部分があるということだったので、違和感なく後半も受け入れられるように考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

ARAKI
126.233.107.98

uさん

読んでいただきありがとうございます。

主人公の自画自賛については心の声で、周りから言われ続けているのでそう思うようになった。というので書いたのですが、リアリティーがなかったですね。
もう少し違和感ない言い回しとかも出来たかもしれません。参考にさせて頂きます。
女心難しいですねー。
主人公の動きや思いを違和感なく書くのはこのシーンだけではなく全体的にも言えることなので女心をイメージして全体的に見直してみたいと思います。


>比較的上手く描けてるんじゃないかと思いました。

とも言っていただいているので、より良いものにしていけたらと思います。
ありがとうございました。

うりぱぱ
218.227.96.7

ARAKI様

拝読いたしました。

地の文がすごくお上手。あらたな発見でした。心理描写もお上手。見習いたいです。青木さんの話を中心に話が進みます。青春のやきもき感が良く出ていました。
ただ主人公の気持ち。その動きにリアリティがあまり感じられず。これほど180度感情が変わるならそのプロセスがもう少し欲しかったかなと。
そして、物語としてはもう一つ山場が欲しいかな? 桐生先輩と言う方が最後のほうに出てきます。せっかくそんな良さそうなキャラをだすのなら、この方を含めた三角関係みたいなものを作ったうえで高橋さんに『好きよ』って言ってあげれば物語としてはちょっと盛り上がるのでは?(本当の三角関係ではないですよ。青木さんが時間差で二人に告白されて、悩むというような感じとかね)

何と言うか。お話っていうのは予定調和を崩すことから始まると思うのです。いわゆる「こうなったらいやだな」と言う流れを作る。そしてその上で最後はハッピーエンドに持っていく。判りやすく言うと究極のパターンがハリウッド映画ですね。いわゆるこれでもかっていうほどのやりすぎです。逆に「こうなったらいやだな」のまま進むのがホラー作品ですよね。そういう風に考えると「こうなったらいや」「こうなってほしい」のパターンの組み合わせで物語っていくらでも作れると思うのです。ただ、問題はそんな小手先のテクニックだけでは物語は面白くならないのですけど。そこから先は本人の持つ『味』でしょう。
でもARAKI様。文章に個性が出ていました。見習いたいと思います。

                       取り急ぎ感想として

ARAKI
126.233.107.98

うりぱぱさん

読んでいただきありがとうございます。


>地の文がすごくお上手。あらたな発見でした。心理描写もお上手。見習いたいです。青木さんの話を中心に話が進みます。青春のやきもき感が良く出ていました。

お褒めの言葉ありがとうございます。
なれない若い女性の一人称でしたがそう言ってもらえて良かったです。


>ただ主人公の気持ち。その動きにリアリティがあまり感じられず。これほど180度感情が変わるならそのプロセスがもう少し欲しかったかなと。

そうですね。後半は急に主人公の性格が変わったようになってしまってますね。
自分では気付かなかったので、違和感ないように徐々に変わっていくようにしたいと思います。



>そして、物語としてはもう一つ山場が欲しいかな? 桐生先輩と言う方が最後のほうに出てきます。せっかくそんな良さそうなキャラをだすのなら、この方を含めた三角関係みたいなものを作ったうえで高橋さんに『好きよ』って言ってあげれば物語としてはちょっと盛り上がるのでは?


確かに言われて思ったのは、終盤たるみがあるのでもう少しコンパクトにするか、もう一つ山場を作ったらいいですね。
三角関係にすることで、予定調和を崩すというのにもつながりますね。
全く考えてなかったですし、面白い発想ですね。
このままだと二人が上手くいくのかなという展開は、みんな思うしありきたりかもしれません。

色々とアドバイスありがとうございました。参考にさせていただきます。

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