作家でごはん!鍛練場
家流

悪しきサマリア人が贈る矮小なルサンチマン

彩香ちゃんは無口な子です。グループには属しているけれど、休み時間や給食の時間に快活な友達の話す昨日あった出来事なんかを、割り込むこともなく、時折くすくすと上品な笑みを溢したりしながら、うんうんと相槌を打っているようなそんな女の子です。
対照的に僕は常に騒がしくて、ノリで誰かをからかったり、調子に乗った発言をして道化になることが場を盛り上げることだと理解していました。でも、いつしかそれを繰り返すうちに仲の良いコミュニティを作る上で大切な、負の感情の掃き溜めになっていたんです。僕の言動や行動への不満や不平をコミュニティで共有して結束し、一緒に叩くこと。そうして絆は深まっていくんです。僕はその事に気付いていませんでした。
ある時、僕の友人が彩香ちゃんに言いました。
「彩香ってさ、オサムに似てるよな」
オサムは僕の事です。友人が僕と彼女のどこに共通点を感じたかは分かりません。しかしオサムに似ている。その一言が彩香ちゃんに突き刺さります。僕は言わずと知れたクラスの嫌われ者で、心無い発言でみんなを不快にさせる存在。
彩香ちゃんはその言葉を噛み締めて傷つき、口を結んでぽたぽたと涙を流し始めました。周りの女子が駆け寄ります。
「別にどこも似てなくない?適当な事言わないでよ。アヤちゃんかわいそう」
「いや、あー。そこまででもねぇーか。うんちょっとあれ」
友人はミスに気付いて慌てて弁解します。その光景を俯瞰的に眺めながら、その時僕は水飴を練ったような、粘り気のある感情に包まれていました。優しさとか思いやりとか、そういったものに心を陰湿にねぶられている気がしました。         
そこで僕が彩香ちゃんを慰めることも、謝るのも、かといって怒りだすのも、全部違うと思いました。この感情を表現できなくて本当にどうしようもなくなって僕は、オサム菌感染さすぞほれー、と言って笑いながら体を面白おかしくねじらせて彩香ちゃんに接近しました。周りの女子が、最低と言いました。彩香ちゃんの気持ち考えなよ、と言いました。僕は何もこたえてないような顔を演じて引きつった気色の悪い笑みを続けました。あの頃少しばかり魅力的に映っていた彩香ちゃんの佇まいや、華奢な体躯や、纏われた可憐さといった類のものは、今となっては黒々とした憂鬱によって掻き消されてしまい、それからは彼女が途方も無い悪女か、あるいは絶対的な聖女にしか映らなくなりました。
僕は憎い。正義感と保護欲を満たして気持ちよくなった女子達よりも、他人を貶めることで相対的な自己の評価を高めようとして失敗した友人よりも、傷ついて心を痛め涙を流すのは善人のためだけにある感情と行為なのだと漠然と勘違いしながら、身勝手であさましい感傷に浸る彩香という女の子が僕は誰よりも憎いのです。
周囲は僕が他者を傷つけて悦を覚える根っからの、本質的な悪人としか見ていません。その視線が刺さるたびに反射的に浮かぶのは、夕焼けに染まる町並みに黄昏た記憶や、母の慈愛を腕の中で感じた幼き頃の朧げな情景であるのです。 
僕の頭に手を伸ばすのをやめて下さい。憐れみをやめて下さい。その手を引っ込めたほうがいいでしょう。僕は孤独を帯びた自嘲に浸っていたいのです。いや、嘘です。やめないで下さい、優しく撫でて温もりを下さい、かりそめでも構いません。僕の行為が愚かだって軽蔑するのは、僕がもう少し大人になってからでもいいでしょ? 難しい言葉を使って自分を繕ってみても、クラスの道化になっても、悪者でも、オサム菌でも、所詮僕はただの小学生。心の弱いだけのちっぽけな小学生にすぎないんです。

悪しきサマリア人が贈る矮小なルサンチマン

執筆の狙い

作者 家流
124.100.127.19

実話が元です。実話が……元です。感想よろしくお願いします。

コメント

そうげん
58.190.242.78

家流さま、こんにちは!

「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」

好きという気持ちと嫌いという気持ちは心の衝動としては同じ力を持っているのかもしれません。表面にあらわれる行動や言動は、その背後にある(行動や言動の)発現理由の衝動の凄まじさとバランスをとるために、ベクトル(力と方向)が正反対に振れているのではないかと確信します。憎い相手にはおためごかしの言葉を口にする。気になる相手には、したくないのに石を投げてしまう。好きであるほどに嫌われようとしたり、嫌いな相手ほど気負いして相手の気に入る言動を口にする。

この小説の「僕」の行動も言動も、地の文における心理の描写も、ともに、行為者(生活者)の内実を描いていると感じました。わたしにも、その手の傾向があるのを知るからこそ、このように書いてくださった文章には、琴線に響くものがありました。

彩香ちゃんの、本心を出さない無口。主人公の、本心を出さないためのうわっつらの多弁。執っている態度は正反対だけど、自分の内面を表に出すことを怖れる気持ちでは共通なんだと思います。だからこそ、友人のこの発言――「彩香ってさ、オサムに似てるよな」が効いています。

冒頭の言葉に戻りますが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉は、自分を愛す方法をわからない人間は、隣の人をどのように愛せばいいのですか、と疑問に上書きされて、さらにむずかしくなります。とにかく、自分を愛するにはどうすればいいか。ですね。

実話――つまり、かつて感覚した感情をベースに組み上げられた作品ですね。読んでいて伝わってくるものがたくさんありました。シーンを描いてイメージの深まる部分もありました。とてもよかったです。ありがとうございました!

もふ
153.153.1.212

こんにちは。拝読しました。
まず、文体は好きです。
密度がありすぎてパソコンで読むには少し胸焼けしますが、
これが例えば縦書き文庫本ならさほどの違和感はないと思います。

彩香はどうして泣いたんでしょうか?
オサムが日ごろの報いを受けて、勝手に彩香に八つ当たりしている。
彩香はオサムのそんな感情を知らないどころか、
オサムの視点で語られる物語の範囲では、彩香が実際どう思っているのかもわからない。

オサムはどうしても彩香を悪者にしたい。だって本当に一番傷ついているのは自分だから。
でも、オサムの「自分かわいそう」という気持ちが先行しすぎて、それ以上の広がりがないんですよね。
読者的には、オサムにも「いやお前が悪いじゃん」という感情しか抱けず、
彩香のことも「主人公は彩香に対してねじれた感情があるんだな」しか分からず、
モブを含めたいずれのキャラにも感情移入しがたい作品です。
それを狙って書いたならすごいと言えるかもしれませんが…。
逆に言うと、「彩香から見たオサム」「彩香が今の地位を築いた理由」
といった解答編があったら、読んでみたいのではないかと。私個人の意見ですが。
長々と失礼いたしました。

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