作家でごはん!鍛練場
瀬尾りん

山と俺(原稿用紙9枚)

 森である。
「……」
 やわらかな木漏れ日が顔にあたり、視界がちかちかと眩しい。どこもかしこも木、草、葉っぱ……俺は尻が冷たくなっていくのを感じながら、うららかな初夏の山で滑落していた。
「……」
 頭上で鳥が飛び立ったらしく、風を含んだ羽ばたきの音が聞こえる。そしてさえずりも、小川の音も……のどかだ。この上なくのどかな風景だった。こんな状況でなければ、俺はその辺の大きめの石にでも腰かけて優雅にチョコパンでも食っていたに違いない。そっと足を動かそうとすると激痛が走り、とてもじゃないが立ち上がれそうになかった。滑り落ちた先は柔らかな腐葉土の上で、どこにも血の出るような怪我がないのは幸いだ。しかし歩けないのは非常に困る。何度か上に向かって叫んでみたが誰からも応答はなかった。
「どうすっかなぁ……」
 こんな事なら遺書でも書いてくるべきだったな、とやっと冷静になってきた頭で考える。崖に身を預けてしばらく呆けていると、放りっぱなしにしてきた履歴書のことをふいに思い出した。書き始めたはいいが働きたくない気持ちが強くなってきて、そのまま机の上に放置してきた履歴書だ。最後の方は自棄になって働きたくない! と鉛筆で志望動機の場所に書き殴ったんだった。これが死亡動機でよくね? と我ながら笑えないダジャレを思い付いて失笑が漏れる。
 俺は半年前から絶賛引きこもり中だった。理由はなんてことない、仕事場でうまくいかず辞めたら、次に向かう意欲がなくなってしまったのだ。だが働かざるもの食うべからずという常識に縛られた俺は、ごくつぶしになるには勇気も根性も足りなかった。何年もニートを出来る奴は精神的にどうかしているとしか思えない。半年で社会からの断絶に耐えられなくなった俺は部屋を出て、コンビニで履歴書を買ったのだ。その時目に入ったのが、雑誌売り場にあった『初めての登山』という小冊子だった。
 コンビニらしく安っぽい紙に印字されたそれは、なぜか俺の琴線に触れた。部屋に籠りすぎたせいでめちゃくちゃになった自律神経を、なんとか正常に戻そうとする無意識の行動だったのかもしれない。ともあれ俺はその小冊子を買い、電車で行ける距離の居丈山——現在俺が遭難している山だが、に登ってみることにしたのだ。
「はぁ~……」
 この山に来るのは初めてではない。勾配もゆるく標高もそんなに高くないこの山は、小学生の遠足で必ずこの地区の人間は登っているだろう。父親とカブトムシを取りに来たことだってあるし、母親と普通に登山しに来たことだってある。あの頃は自分の庭のように山を歩けたのに、今ではこんなに覚束ないのは一体どうしてなんだろうか。昔より地図だって読めるし無茶はしないし、きちんとペース配分だって出来るのに。山に登る、その為の大事な何かを俺はどこかに置いてきてしまったのか? それはとても、今でも重要な——
「あらぁ!? トモ君?」
 感傷にふけっていた俺は、いきなり横から飛んできたババアの声に横っ面をひっぱたかれた。
「あららあらら、どうしたんこんな所でー」
「や、山田のおばさん……?」
 うっそうと茂った森の中に、麦わら帽子と割烹着を装備した山田のババアがいた。山田は自宅の左隣の住人で、非常に声がでかく受験勉強の時にかなり集中力を削がれた要注意人物である。とにかく人の話を聞かないし、自分の話しかしないし俺は苦手だ。しかしなぜこんなところにいるのだ。薄暗い森の中に佇む恰幅のいい山田はまるでシシガミのようだった。いや、こんなおばはんを神扱いするなんて山神様に怒られる。山神は女神なのだから、きっと美少女に違いないのだ。
 俺が呆けていると山田はずかずかと歩み寄ってきた。
「怪我でもしたんか?」
「え、えっと滑落してしまって……」
 それは大変! と山田は遠慮もせず俺の足首をつかんできた。思わず叫び声を上げようとしたが、患部を掴まれたのに全然痛くない。混乱する俺をよそに山田のババアは何度か足首をもむようにした後、これで大丈夫! と根拠なき満面の笑みを向けてきた。俺はまた数秒呆気に取られて放心状態になっていたが、急に足が軽くなったような気がして立ち上がった。全然痛くなかった。意味が分からなかった。
「ちょっと筋痛めてたみたいやね。なあトモ君、ここで会ったのもなんかの縁よね。キノコ採り手伝ってくれんかね」
 それは滑落し、死にかけていた人間に使う適切な言葉なのだろうか。俺は首をひねったが、他でもない山田のババアは命の恩人である。足首の痛みもなぜか消え去ったわけだし、渋々頷いてババアの後をついて行った。薄暗い森の中をババアはまるで道を知っているように、ひょいひょい歩いていく。とんだ健脚ぶりだ。肩で息をする俺を振り返り、彼女は呆れた表情を見せた。
「あんた、運動不足じゃないね?そういえば最近姿見んかったね」
「はぁ、はぁ……はは、ちょっと今、休職中でして……」
 言いたくはなかったが、なぜかぽろりと言葉が漏れた。登っている斜面は急でふくらはぎが痛いし息も苦しいのだが、見上げると見渡す限りの緑で気持ちがいい。きらきら降り注ぐ太陽は地面に複雑な影を作っており、深呼吸すると一気に土の匂いが立ち上ってくる。ああ俺山にいるんだなって、ようやく気づいた。自分の存在を強く意識したんだろうと思う。自分の濃度が濃くなった結果、周りの認識も正確になってきたのかもしれない。
 俺がそんな事を考えているとは知らない山田は、背負っていたかごを下ろした。どうやらここでキノコを探すらしい。俺は地面に目を這わせキノコを探すが、大体食べれるキノコとそうでないキノコの見分けもつかないずぶの素人である。
「トモ君、これと同じもん探して」
 山田は倒木からマイタケそっくりのキノコをむしり取った。
「わかりました」
 俺は別の倒木に向かい、キノコをむしった。沢山生えていた。ここは随分穴場のようだった。無我夢中でキノコをむしっていたが、徐々に木の感触や踏みしめる土の柔らかさ、遠くで流れる渓流の音が体の中に響いてきた。なぜか無性に泣きたくなる。他人みたいな気配だったのに、振り向いたら古い友達だったような——そんな懐かしい親しみが湧いてくる。
 土で汚れた手で頬をぬぐった。このにおいを俺は知っている。なぜ今まで気づかなかったんだろう。新しい倒木からまた、キノコを採った。木の葉の擦れる音、虫が飛んでいく音……そうやって一つずつ、俺は感覚を取り戻していった。どこかに置いてきたんじゃない、ただ忘れてしまっていただけだった。自分の中に、確かにあったものばかりだった。
 そうやってずいぶん時間がたってしまったような気がしていたのに、山田に声をかけられた時も太陽はまだ少し傾いただけだった。
「一杯取れたねえ」
 かごの中はキノコで一杯になっていた。
「あんまり取りすぎるのもよくないから、これで終わりにしとこうかね」
 俺は頷いてかごを持った。さすがに山田もきついだろうと思ったのだ。そんな俺を見て彼女は何も言わず、またひょいひょいと歩き出した。遅れないようについていき、また肩でぜーぜー息をし始めたころ、見覚えのある道に出た。俺が滑落した手前の登山道だった。
「私はまだ用があるから、先に帰んなさい。手伝ってくれてありがとうね」
 山田は割烹着から薄い紙を取り出し、それに沢山きのこを包んで俺にくれた。
「ありがとうおばさん」
 紙だと思ったのに木の匂いがする。うつむいて匂いを嗅いでいたら上から声がした。
「またカブトでも取りにおいで」
 その言葉に勢いよく顔を上げたが、もうそこには誰もいない。
 ひんやりとした風が吹き抜けて木立が揺れた。



 俺は家に帰り、家族にキノコを渡して山田の家に行ったが留守だった。家族の話では県外の息子の家に行っているらしい。
 机の上に置きっぱなしだった履歴書を回収し、志望動機のところに消しゴムをかける。もはや山田の正体がなんだったのか、俺にはどうでもいいことだった。
 ひょっとしたら明日も、俺はひきこもりなのかもしれない。だけど体の中に、流れるものの中に、忘れてしまっていた鮮やかさも温度も確かにあったから。今日とも昨日とも違う視界で、スピードで、俺は明日も生きるだろう。
 企業エントリーのボタンを、俺はそっとタップした。

山と俺(原稿用紙9枚)

執筆の狙い

作者 瀬尾りん
110.54.112.89

最近うまく書けなくて苦しみながら書いた作品です。

コメント

大丘 忍
153.186.197.93

山田ばあさんは幻覚だったということ?

弥々丸朗
114.148.0.96

たは

久方
150.31.134.121

こんにちは。

『ババア』『彼女』『山田』。
三種類の使い分けがちょっぴり気になりましたが、それ以外は面白かったです。

ありがとうございました。

偏差値45
219.182.80.182

>森である。
「……」
 やわらかな木漏れ日が顔にあたり、視界がちかちかと眩しい。どこもかしこも木、草、葉っぱ……俺は尻が冷たくなっていくのを感じながら、うららかな初夏の山で滑落していた。

文末がなんかしっくりこない。それは結果を言っているから。
本当は現状を語るべきのような気がしますね。そうでなければ、最初の一行の
森である、という短い一文が活きて来ない気がしますね。
もっと分かりやすく言えば、文末は過去形なわけです。でも、文章の流れは現在形。
そこに違和感を覚えるのですよ。

>俺は半年前から絶賛引きこもり中だった。

コミカルな表現を狙ってのことかな。まあ、いいんですけど。
真面目に読むとおかしい。絶賛、、、賞賛、、、、たたえる、ほめる、
ということですよね。引きこもりは、良いことだととは考えないですからね。

>だが働かざるもの食うべからずという常識

主人公の語りだから良いのだけれど、それって常識ではないかな。
働かなくても、食べていける人って意外に多いからね。
大金持ち、生活保護受給者、障害者などです。

>呆けている

個人的にはこの動詞は聞いたことも、使用したこともない。
だから明確な意味がわからない。

>シシガミ

知らない。

>山神は女神なのだから、きっと美少女に違いないのだ。
磐長姫

   つづく。

偏差値45
219.182.80.182

>山田は割烹着から薄い紙を取り出し、それに沢山きのこを包んで俺にくれた。

この薄い紙、、、なんだろうね?

>「ありがとうおばさん」
 紙だと思ったのに木の匂いがする。うつむいて匂いを嗅いでいたら上から声がした。
「またカブトでも取りにおいで」

カブトをとる年齢でもないんでしょうけどね。

>その言葉に勢いよく顔を上げたが、もうそこには誰もいない。

山田は想像以上に素早かったのかな。

>俺は家に帰り、家族にキノコを渡して山田の家に行ったが留守だった。家族の話では県外の息子の家に行っているらしい。

作者さんとしたら、不思議なことにしたいのでしょうけど。
読者によっては、裏設定を作って整合性を持たせてしまうかもしれません。
例えば、山にキノコを採りに行って、その後に県外の息子の家に行った、
と解釈できますからね。

>ひょっとしたら明日も、俺はひきこもりなのかもしれない。だけど体の中に、流れるものの中に、忘れてしまっていた鮮やかさも温度も確かにあったから。今日とも昨日とも違う視界で、スピードで、俺は明日も生きるだろう。

よく分からないかな。

ストーリーはなんとなく分かるんだけど、
主人公が山の中でのトラブル、そして帰還で得たものはいったい何だったのか?
それはストーリーの核心部分になるわけで、そこがぼやけていると、
作品そのものがいったい何を伝えたいのか、分からないかな。

u
183.176.51.134

瀬尾りん様
いったい何のこっちゃ? セオリンらしくもない。まとめは王道の教養小説みたいですが、何を描きたかったのか? 
イミワカメ。イマハナキ人を真似て(笑)。

セオリンは今迄そこそこのものあげてきたのに、これはダメですね。
次作ガンバ。

ひなひな
60.113.193.76

「またカブトでも取りにおいで」私→なごむわぁ

瀬尾りん
110.54.112.89

皆さま感想をありがとうございます!まとめての返信になりますが、申し訳無いです……。
ご意見を読ませてもらって、やっぱりダメだったかー!!と思いました。小説は苦しんで書くもの、と誰か言っていたような気がするものの、私にはイカンかったようです。元々書き込みが足りない物を書いてしまいがちなんですが、さらに薄味になって意味がわかんなくなってしまいました(T_T)
誰かのために書きたい!と思って書いたものは悉く駄作になってしまうようで、悲しいです。
このような拙作を読んで頂いて感謝します。ありがとうございました。次回頑張ります。

偏差値45
219.182.80.182

再訪失礼します。

>ご意見を読ませてもらって、やっぱりダメだったかー!!と思いました。

駄作ではないですよ。完璧ではないだけです。
そもそも完璧な小説はプロでも書けるものではないと思いますね。
どこかしらミスをすると思いますよ。
自分の作品なんてミスだらけですからねw 次回期待しています。

弥々丸朗
221.22.130.5

本当に良くないです。
そんなこと言われなくてもわかってるはずなんですけど、でも勘違いしたらダメですよ?

あたしは、これでよかったはずだと勝手に思ってます。
ものすごくイヤな感じに聞こえてしまうかもしれないんですけど、あたしはこれこそが、あなたの実力だと思ってます。
この書きづらさから、目を背けたらここまでのことでしかないんだろな、とかな。
本当につまらなかろうと思うし、不甲斐ない気持ちがするでしょうけど、実に申し訳ないです、あたしは何となくというつもりではあるけど、これまでのあなたの筆のその軽さということを何となく知ってる気がしています。
それはとても楽しくて、何とも順調な感触をあなたにくれたでしょうけど、その甘い不快さに気付けるのかどうか、あたしは所詮そんなようなことを例えば"書きたい"なる欲求の誠実とか、裏切れなさのようなことと思わないでもないつもりでいるんです。
言いながら、とても口幅ったいんですけど。

書こうとして書くことなんて、所詮見通し悪いものです。
山田はただのお化け。それはあなたの責任です。
でも、そんなことはたぶん、大した意味を持たないものだと思うんですよ。
おハナシではなく、これはどうせあなた自身という問題だ。

あなたには甘えたいものがハッキリとあるけれど、あたしは個人的にそれを歓迎したい気がまったくありません。
あたしは、そういう世の中のことがキライだからです。
あたしはいつも、そういう頑丈つもりのようなことを考えたい気がしてるんですけど、あなたの文章はそれを、そのキッカケのようなものを与えてくれない気がしています。

あたしはあなたの文章は、むしろ世の中を欲しがる文章だって、ずっと思ってます。
あたしは個人的に、"小説"という動機にそういうことを求めるつもりはないので、やっぱりこれで良かったんじゃないのか、としか思えないです。

書きたいけど、その前にまず、あなたは読めない。
それが何よりの問題だとあたしはずっと思ってるんですけど、心当たりはありますか?

"感想を書け"って、あたしはずっと言ってるんです。
それはあなたのことだけではないつもりですから、あなたがあなたらしくあなたでこそのようなことを書きたいつもりなら尚更、"書く"っていうその意思の骨格のようなことをもっと正確に意識しないと、この度のヘタクソはただの苦手な記憶になるだけのような気がしてしまうんですよ。
もちろん言いながらあたし自身、他人事とは少しも思ってないんですけど。

あたしはこの有り様を、ちゃんと知るべき、受け止めるべきと思うんですよね。
書きたいなら、ということでしかないんですけど。

瀬尾りん
110.54.112.89

なんというのか、誰のために、何のために書くのかっていうのを見失ったんですよね。きっかけは、あってないようなものなのですけど。いや、やっぱりあるな、皆様に怒られそうな内容だから言えないんですけど。
私は批評家にはなれない。面白い、面白くないっていうのはわかる。文章が破綻してる、言葉の意味がおかしい、というのも大体わかる。でもここをこうしたらもっと良い、とかストーリーのこの部分が悪い、とか具体的な事はわからないんですよね……。作者の尊重されるべき文体、内容を損ねずに代替え案を出すなんて難しすぎます。行きすぎると人格攻撃にもなってしまいますし、私にはその塩梅がわからない。
おそらく私はニュータイプになってもそれほど変わらないのでしょう。だけど目的とするところが違う事で、何か変化があるかもしれない。
今まで自分が楽しいだけで書いてきたのに「誰かのため」という定義を乗せると途端に書く行為が、面白く無くなってしまうのは怖い事です。
昨日とある雑誌で「誰かのためには書けない。自分の中の客をどれだけ満足させられるかが肝心」とクリエイターの方が仰ってるのを見て、あーやっぱり私間違ってたんだなと思いました。
次作は剥き出しでいきます。皆様にどう映るかはわかりません。
私はいつでも全力なんです。この苦しみ抜いた一作が、今の私の実力で間違いありません。

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