作家でごはん!鍛練場
緋色

さざなみ

自分は、醜い。

最近頭の中でこのようなことをずっと考えている。自分が何で生きているのか分からない。

神様は、何で僕のことをこの世の中に産み落としたのだろう、と心の中で呟いた。

生きていると楽しいことや辛いことが起こる。しかし僕に起こったのは、地獄のような辛いことだった。楽しいことなんて一度もない。

学生の頃は、中一から高二までずっといじめられていた。

歯向かう勇気もなくていじめてくるやつらの言いなりになるしかなかった。今思うと後悔でしかない。

勇気を出していれば人生変わったのかもしれないのに僕は、怯えたように過ごしていた。

高二の夏休みに父の転勤があって学校から転校したがそれでも僕の心には、深い傷が残った。

時々いじめられていた頃の記憶がフラッシュバックして僕を苦しめる。親は、二人とも仕事人だったので家では、ほとんど一人で過ごしていた。

父は医師、母は看護師なので夜中になっても帰ってこなかった。いつも帰って待っているのは、千円札と母の置き手紙それとお札が飛ばないようにするために小さい置物だけが置かれていた。

周りの家族を見ていると嫉妬を何度もした。

何故僕の家だけこんな家庭なのだろう。僕は、愛情が欲しかった。少しでも親の愛情を感じたかった。

しかしいつ願ってもその想いは、神様に届かなかった。

僕は、瞑っていた目を開けあくびをして目頭をこすった。動きたくなかったが喉が渇いたので重たい身体を立たせてリビングに向かった。

リビングに向かうと誰もいなかった。

両親は、夏休みの時期になると全く家に帰らないことがある。まるで僕のことを避けているかのように……

冷蔵庫から炭酸飲料を取り出し棚からコップを取った。炭酸を入れて飲み顔を歪ませてため息をついた。

一八歳になっても親からの愛情を感じたかった。褒めてほしい。笑ってほしい。しかしそれは叶わない願いだった。

僕の名前の彩斗(あやと)という名前は、父の龍斗、母の彩音という名前からそれぞれ一文字ずつ取って名付けられている。

小さい頃母に自分の名前の由来を訪ねたがその時「二人の名前を取ることによって愛情持って育てたいから」と言われたことを覚えている。

僕は、一瞬笑いかけたがまたため息をついた。

現実は全く違った。親は、家庭より仕事を優先して僕には、何も愛情を与えてくれなかった。いつも喧嘩していてその光景をずっと見ていた。

夏休みに入る前「ちょっと仕事休んで久しぶりにどこか行こうよ」と提案したが「忙しい」とか「時間がない」と言われて断られている。

しかもそのことが発端で親は、また無意味な喧嘩をした。僕のことを何も考えてくれなかった。そう考えると生きている意味が分からなかった。

友達もいない。彼女もいない。親も愛情をくれない。僕のことを必要としてくれる人間は周りにいなかった。

飲み干したコップを軽く洗って水切りかごに入れた。時計を見ると一七時になっていた。

あの場所にまた行こうかな、僕は、自室に戻り部屋着の服から黒のTシャツにジーンズを着て外出する準備をした。行く途中にコンビニで何か買おうと思い財布から千円を取りポケットに入れた。

家の電気を全て消して玄関に向かい靴棚からサンダルを取り履いて家を出た。

僕が住んでいる場所は、数百メートル先に海岸があるのでいつも辛いことや悲しいことがあると海を見て気持ちを和らげに行っている。

海を見ていると気持ちが浄化されて無になれるから好きだった。それにさざなみの音が一番好きだった。一定間隔で来るあの音はどんな最高なミュージシャンが奏でる音よりさざなみの音の方が勝っている。

海に向かって歩いていると段々潮風が身体全体に当たってきた。この潮風も大好きだった。

普通の風とは違って若干塩の匂いがあって海に近づいている感覚が僕に高揚感を与えた。そして目の前に広大な海が現れた。

この海には、海水浴に来る人はあまりおらずここから数キロ先の海岸でみんな泳ぎに来るのでこの海は、いつも静かで聞こえてくるのは、さざなみの音だけだった。

海岸も綺麗で数キロ先の海岸と比べると断然こっちの方が綺麗だったがあっちは、観光スポットがいくつも点在しているのであまりこちらに赴こうとする人がいなかった。

人もまばらでたまに女性と子供が海岸を歩いている場面を目撃するが一人で海岸に佇んでいる人を見ることは今までなかった。

しかしこの時はいた。

後ろ姿しか見えなかったがどこか守ってあげたくなる背中をしていた。髪は、黒のロングヘアーに体型も華奢だったので余計にそう見えた。

服装は白のワンピース一枚で靴は、白のサンダルを履いていた。全身白だったので僕は、この人が天使のように見えた。

潮風になびく彼女の髪は、乱れた。しかしこの瞬間僕は、我にかえって海の方に近づいた。

一人の方が静かに見られると思ったので残念だった。近くにも住宅があるのでこの海にも人は来るから仕方がない、と思いながら僕は、彼女から数百メートル離れて海を見つめた。

僕は、地面に座り何も考えず目をつぶって頭の中を無にした。しかしこの時やっぱり少し彼女のことを気にした。

潮風になびく黒いロングヘアーに華奢な体型で白いワンピースの彼女から頭が離れられなかった。顔はどんな顔をしているのだろう、と僕は気になった。

僕は首を左右に振って我にかえった。気にしても何も始まらないし関わるとややこしいことに巻き込まれると思い僕は、再び頭の中を無にした。今度は、完全に彼女のことを忘れかけられそうだった。

「ねえ、あなたここで目瞑って何してるの?」

僕は、驚き身体を後ろに引いた。

目の前にいたのは白いワンピースの彼女だった。顔は、小顔で肌は白く透き通っていて目元は、垂れ目なので男にモテる顔だと思った。顎のあたりに小さいほくろが一つあってそこも可愛かった。声も透き通るような声で周りの人たちを癒せるくらいの力は持っていた。

僕はその顔に見惚れていると彼女はムスッとした表情になった。

「ちょっと無視しないでよ」

彼女は、頬を膨らませた。

「ああ、ごめん。ここの海で声をかけられることがなかったから驚いちゃって」

僕は、軽く頭を掻き彼女から目線を逸らした。

「で、あなたはここで何してるの? 目瞑って座り込んで」

彼女は、手を後ろに組み僕を見ながらゆっくり周りを歩きだした。

「ここに来ると気持ちが少し楽になるからたまに潮風に当たりに来てるだけ」

辛いことがあった時に海岸に来ると言いかけたが初対面の人には、言いたくなかったのでそのことは伏せた。

「ふーん。そうなんだ」

彼女は、そう言いながら僕の周りを二周して前にしゃがみこんで顔を覗かせた。彼女の口元が少し緩んで微笑んだ。

「ねえあなた名前は?」

「えーと、鞘村 彩斗(さやむら あやと)」

僕は、彼女が覗き込んできたので身体を後ろに反らせて首を横に向け彼女から目線を逸らした。

「私は、狩谷 彩芽(かりや あやめ)よろしく」

彼女は、左手を出してきた。

僕は、女性と手を繋ぐことは初めてだったが心の中で気にするなこれはただの握手だと言い聞かせて左手を出して握手をした。

彼女の手は小さかった。指が短く小学生くらいの手だった。手の甲も綺麗で何色も染まってない人だと僕は思った。
成長すると人間は、欲望や嫉妬など色んな色に染まるが彼女は、何も染まっていなかった。ただ、白いという言葉が頭の中をよぎった。

その日から僕たちは度々海岸で会った。好きな物の話や最近のことなどをお互い話し合ったりした。ただ、僕は、過去の話だけは避けた。

もし、言ったとこで何かが変わるわけでもないし彼女に不快感を与えてしまう可能性があると思い話さなかった。

逆に僕も過去を聞くことはしなかった。聞いて狩谷さんの気分を悪くしてしまう可能性があるから聞かなかった。しかしその反面何故一人で海岸に来ていたのかどうしても気になった。

ある日僕は、無理を承知で彼女にそのことを聞いた。

「狩谷さんって何でこの海岸に一人で来てたの?」

僕は、隣に座っていた狩屋さんに目を合わさず海を眺めながら聞いた。

「彩芽」

「え?」

僕は、彼女を一瞬見て恥ずかしくなってまた海に視線を戻した。

「狩屋さんじゃなくて彩芽って呼んで。お互い仲良くなっているのにさん付けなんていらない」

僕は、緊張していた。顔には、出さないようにしていたが横目で狩屋さんを見ると真っ直ぐ僕を見つめていた。

「えーと、じゃあ彩芽……さん」

僕は、上を向いたり下を向いたりして名前もはっきり言えず弱々しく言った。

「だーかーら、さん付けいらないって。同い年でしょ?」

僕と狩屋さんは、同い年で高校も近くの女子校だった。

親近感は、もちろんあったがこんな綺麗な人の名前を呼び捨てで言うことなんて初めてだし女子校の生徒と仲良くすることなんて今までなかったから緊張した。

「じゃあ、彩芽」

僕は弱々しく言った。横目で彩芽を見ると笑顔になっていた。その笑顔を見るとさらに恥ずかしくなってまた彩芽から目を背けた。

「で、何で私がここに来てるかってことだけど」

「あ、全然嫌なら言わなくてもいいからこんな質問してごめん」

僕は、少し笑って誤魔化した。

「いいよ、全然気にしてないから」

彩芽は、数秒間黙った後に口を開いた。

「ここって唯一独りになれる空間だと思ってるの」

「それはどういう意味?」

「例えば独りになりたいからカラオケ行くとするでしょ? だけど間接的に考えれば同じ店の空間に他のお客さんがいるわけだから本当の独りではない。それに隣からの歌声とか注文するときに店員が来るからここも独りの要素がないし」

僕は、少し考えた。確かにここに来てから独りを感じる時間が増えた。そのお陰で心が落ち着くし無になれた。

「もちろん海水浴場とかそっちは論外だけど。でもここは、人があまり来ないし聞こえてくるのはさざなみの音だけだから妙に落ち着くんだ」

さざなみの音が聞こえた。一定間隔でくる音が僕たちを癒した。

「彩斗も独りになりたいからここに来たんでしょ?」

僕は、目を背けていたが横目で彩芽を見た。

体育座りして背中を丸めて頭を膝につけて前髪は、少し乱れていた。口元は、少し微笑んでいて変な感情に落とされそうだった。

僕は、心の中でその感情を忘れようと落ち着けと何回も唱えた。

「まあそうだね‥‥‥」

僕は、この時緊張していた。いや、彩芽と会うときはずっと緊張していた。

緊張していたが彩芽と会う時間は楽しかった。今までこんな体験してこなかった僕には、贅沢すぎる時間だった。

「来た理由も話したからそろそろ帰ろうかな」

彩芽が立ち上がった瞬間風が吹き彼女の髪を乱れさせた。彩芽の髪が乱れた瞬間僕は、あることを思い出して彼女の方を向いた。

「あ、彩芽‥‥‥さん」

僕は、呼び捨てで言ったが少し間を開けて小さい声でさん付けで呼んだ。

彩芽の方を向いていたが目線は、横を向いたり下を向いたりしていた。

「さん付けなので応答しません」

彩芽は、頬を膨らませた。その光景を見て僕は、可愛いと思って見惚れたが首を左右に振った。

「あ、あ、彩芽。えっと。その‥‥‥」

僕は、彩芽に目線を合わせて彩芽も僕に目線を合わした。

お互い見つめあって少しの沈黙が起こった。

その瞳をずっと見ていると吸い込まれそうだった。垂れ目で目も少し大きくて精神を支配されていく感覚だった。

僕の額から一滴の汗が流れた。心の中で僕は、出来ると何度も囁き口を開いた。

「あ、明日この近くで小さい祭りがあるんだけど一緒にいき‥‥‥ませんか?」

僕は、内心ため息が出そうだった。家で何回も練習したのに実戦になると下手だし何より最後の語尾が敬語になってしまった。

「あーごめんね。ちょっと用事があってさ」

彩芽は、両手を合わせて謝った。

「あ、いいよ。大丈夫」

僕は、断られて落ち込んだがその反面少し心が軽くなった。

もし、祭りに行くことになったら緊張しすぎてまともに話せないし何をして楽しめばいいのか分からない。それに彩芽は、他の男と遊ぶ約束くらい入れていると思った。

「だけどまさか彩斗の口からデートの誘いが出るなんて驚いた」

「いや、デートの誘いというかやっぱり彩芽と喋ってる時間楽しいしもっと話したいなーっと思って‥‥‥」

僕は、また恥ずかしくなり目線を逸らし横目で彩芽を見た。

彩芽は、少し下を向いて沈黙していたが口元が緩み満面の笑みでこう言った。

「私も彩斗と喋ってると楽しい。これからもよろしくね」

僕は、この時ある感情が湧き溢れた。これは恋だ。一瞬で引き込まれる満面の笑顔に心を打たれた。

心の中でこの笑顔を守りたいと誓った。この感情がいい結末、悪い結末になるのかは分からない。しかし今を楽しもうと思った。

僕は、彩芽と別れて帰路に着いた。帰っている間頭の中は、彩芽のことでいっぱいだった。

話した内容、表情全ての記憶が僕の中で鮮明に残っていた。一つ一つ思い出して僕は、少しニヤついた。

しかしいつもその記憶が書き換えられる出来事が起こる。

数分歩くと家の玄関に着いた。いつも僕たち家族を守ってくれた茶色の屋根と白い壁があって庭も小さいけど幼い頃両親と遊んでいた場所がある。

毎日帰るときは、それらを見て親との楽しかった思い出が蘇る。しかしそれと共に悲しさがいつも勝った。

親からの愛情を感じてない僕は、彩芽と会って楽しいと感じるが最後は、愛情がない現実に引き戻されてしまう。

家の玄関を開けて中に入った。下を見ると靴は、何もなく昔なら父と母の靴が置かれていたが今あるのは、僕の予備の靴だけだった。

靴を脱ぎ綺麗に揃えてから廊下を歩いてリビングに着いた。小さい頃家に帰ると両親の楽しい会話が聞こえてきて表情は笑顔だった。

しかし現在は、仕事詰でおらず時計の針が進む音しか聞こえてこない。両親がリビングにいたときは、人間の温もりに包まれていたが今では、孤独な寒さしかない。

テレビの横のボードに貼られている絵に注目した。僕は、その絵に近づいたとき涙が一滴落ちた。

僕が小一の頃に描いた絵で真ん中には、小さい僕が書かれていて右には、父、左には母が書かれていた。二人とも僕の手を握っている。

もしこの頃の僕が今の生活を体験すると絶望してしまうかもしれない。

僕は、絵が破れないように慎重に押しピンを外し自室に持っていった。

自室に入り僕は、机に絵を置いて前を向いて座った。引き出しから黒のペンを取り出した。

僕は、手を繋いでいる両親の箇所に黒く濃く塗りつぶした。

その黒さは僕の心情だった。誰も現れない。誰も助けてくれない。誰も愛情をくれない。黒い濃い世界にいた。

これから僕は、一生愛されずに生きていくんだと思った。

塗り終わると布団に仰向けになって倒れこみ考えた。

だけどもし光が現れるならそれは、誰が助けてくれるだろう。僕は、この時ある人しか浮かばなかった。

「彩芽‥‥‥」
僕は、小声で独り言を言うとそのまま眠りについた。



翌日僕は、祭りに行った。神社の境内で祭りが行われていて屋台が一直線に並んでいた。屋台の中には、若者からお年寄りの人がお客さんと話をしている。

家にいても暇だったので試しに行ってみようと思ったが祭りに来たことを後悔した。

境内は、温もりに包まれていた。愛情、友情などの暖かい気持ちがそこに溢れていた。まだ境内の中には、入っていなかったがそこは、明るく僕も足を踏み入れたくなった。しかし足を踏み入れても自分がそんな感情を知らないので辛くなることは目に見えていた。

僕は、ため息をつき家に帰ることにした。その時見たことある背中が祭りの中を歩いていた。

黒髪のロングヘアーに華奢な体型で服装は、いつもの白いワンピースではなかったが祭りにふさわしくないジーパンに白のオフショルトップスを着ていた。

彩芽の顔が一瞬頭に浮かんだが見間違いだと思った。しかし見間違うはずがない。彩芽の背中は、鮮明に覚えている。

夕日に照らされている海岸に一人女の子がいて黒髪のロングヘアーは、風の影響でなびいていて華奢な体型は守ってあげたくなる。その背中を間違えるはずがないと思った。

その背中は、まだ見えていたが段々境内の奥に入っていった。

僕は、後をつけることにした。心の中でこれは、ストーカーだから絶対ダメだ。と思ったがすぐに終わると言い聞かせて鳥居に近寄った。

境内に入ると左右から賑やかな音が耳を刺激した。早歩きで歩いているので暑くなって額から汗が少し流れた。

その背中は、一人で歩いていた。彼氏や友達と来ているなら前に祭りに誘った時断るのは、分かるが一人なら何故断ったのか疑問に思った。

後をつけていると本殿の近くまで来ていた。この階段を上がると本殿だがここは、急な勾配の階段なので嫌だった。そのせいで頭に一瞬頭痛が走った。

しかしその背中は、階段を上がって行った。この階段を登るのは、憂鬱だったが気になっている心は制御できなかった。

背中が遠くなると僕も階段を登った。見失いたくなかったので早く行きたかったが途中息切れしてしまい一歩一歩息を整えながら上がった。

階段を登り終わると辺りを見渡した。目の前には、朱い本殿があって少し錆びていて本殿の前には、賽銭箱があった。本殿の周りには、木のベンチが二つ並んでいてそれ以外なにもなかった。

ここは、屋台などもないので聞こえてくるのは、遠くで微かに聞こえる屋台の音と風になびく草の音が僕の耳に伝わってきた。

そしてベンチでは、顔を俯かせて誰かが座っていた。黒髪のロングヘアーに華奢な身体は、今にもここの祭りの男達が群がり守ってあげたいと思う人が続出するにちがいない。

見間違いじゃなかった。そこにいたのは、大好きな彩芽だった。

すすり泣く声が彩芽の方から聞こえた。何故彩芽が泣いているのか分からなかった。

手が緊張して震えていたがそれを抑えて彩芽に近寄った。彩芽の身体は、震えていた。初めて見る光景に僕は、どう声をかけたらいいのか分からなかった。

一歩一歩進みながら頭の中でかける言葉を探していたが僕の足元から音が聞こえた。

下を向くと小枝を踏んで折れていた。そしてゆっくり頭を上げると彩芽は、僕の方を涙目で見ていた。

頭の中で考えていた言葉が一瞬で真っ白になった。身体から冷や汗が出て動悸も激しく鳴っていた。

「あ、彩斗何でここに?」

彩芽は、手の平で目を拭った。

「ち、近くを通っていたら彩芽の背中が見えたから‥‥‥」

僕は、目線を横に向けたりして彩芽と目を合わさないようにした。今目を合わすと完全に頭が無になって話せなくなると思った。

「みっともないところ見られちゃった」

彩芽は、一瞬微笑んだがその笑顔は、我慢して出た表情だとすぐ分かった。

「そ、そんなことない。誰だって泣きたい時くらいあるし」
励ます言葉を探したがこんなセリフしか見つからなかった。

彩芽は、僕の顔を数秒見つめた後にまた俯いた。

お互い沈黙が始まった。この後の言葉を探したが何も思い浮かばなかった。

安易に言葉をかけて彩芽を傷つかせる可能性もあった。だから必死に考えたが思い浮かぶ言葉は、大丈夫とか安い言葉だけだった。

沈黙は続いた。聞こえてくる音は、風が少し吹いて草を揺らす音しか聞こえなかった。

「何で泣いていたのか聞かないの?」

彩芽は、沈黙を破った。

「聞いたところで僕は、無力だから何もできないと思って‥‥‥」

僕は、昔から無力な人間だ。何も力が無く勇気もない。逃げることしかできない自分が大嫌いだった。

「そんなことない。彩斗は、無力な人じゃない私が保証する」

その目は、偽りのない目だった。目線は、横に向くことなく信念を持った目で僕を真っすぐ凝視した。

「何で無力な人間じゃないって思うの?」

僕には、分からなかった。何でそんな優しい言葉が言えるのか不思議だった。

「だって彩斗と話している時楽しいし無力な人なら楽しませる力なんてない。それは、彩斗の力だと思う」

この時早くなっていた動悸は、落ち着き次第に汗も引いていた。

「あ、ありがとう……」

僕は、目線を合わすことなく左右に目線を泳がした。

この時くらい目線を合わして感謝を伝えたかったが合わせられない自分が情けないと思った。

「逆に私の方こそ無力だから少し彩斗が羨ましい」

彩芽の表情は曇っていた。

「そんなことない。あ、彩芽と話していると楽しいし無力な人だったらそんなことできないよ……」

「ありがとう彩斗」

彩芽は、笑顔を見せたが我慢して出した笑顔だと分かった。いつも海岸で見ている心の重荷が取れる暖かい笑顔ではなかった。

今の笑顔は。重たい鎖が巻かれているような寂しい笑顔だった。

僕は、その笑顔を見て何故泣いていたのか気になったが聞けなかった。僕に何ができるか考えたが何もできないと思った。

「じゃあ私そろそろ帰るね。」
彩芽はベンチから立ち上がった。

もう少し彩芽と一緒に居たかった。それに今日は、違和感があった。本当の笑顔を見せていない彩芽が気になった。

「良かったら途中まで、その……一緒に帰らない?」

「え?」

彩芽は、驚いた顔をした。

僕は、その顔を見て目線を外した。心の中で今の流れはまずかったかもしれないと不安に思った。

動悸がまた激しくなっていた。返答が怖くて目を瞑った。

「いいよ」

「え、いいの?」

目を開けて彩芽を見た。しかし彩芽の目は、合わせられなかったので鼻筋辺りを見た。

「うん。だって帰るだけだし」

「まあ確かにそれはそうだけど……」

心臓の鼓動は、激しさを増していた。抑えるために右手に胸を当てた。今まで体験したことないくらいの速さで心臓が鳴っていた。

「どうしたの? 顔赤いよ?」

「こ、これは階段上がったから身体が熱くなっているだけ」

僕は、必死の言い訳をした。

「私と一緒に帰れることが嬉しいの?」

彩芽は、言い訳を無視して話を続けた。

「だって彩芽ともう少し一緒にいたいし」

彩芽のいじわるな返答のせいで正直に話した。

横目で彩芽を見ると口角が少し上がったように見えた。そして目は、いつもの海岸で見る優しい暖かい目をしていた。

「じゃあ帰るよ」

彩芽は、先に階段の方へ向った。僕も後を追い彩芽の横に並んだ。しかし横に着いた瞬間恥ずかしくなったので若干後ろに下がって歩いた。

歩きながら今日の事を考えた。結局彩芽が何で泣いていたのか理由は、分からなかった。

だけど今日も笑顔を見られたので満足だった。それにあまり深く踏み入るのは駄目だと思った。僕と彩芽は、まだ出会って一カ月しか経っていないしお互い知らないことばかりだった。

風が吹いた瞬間僕は、横目で彩芽を見た。
いつもと変わらない優しい瞳をしていた。しかし目の底は、寂しさが漂っているようにも見えた。



後日地元のショッピングセンターにいた。

今朝起きた時から不安で心臓が締め付けられる程の痛みがあった。その痛みは、今でも続いていて僕をさらに不安にした。

あの祭りの後彩芽と別れる際に「今度買い物するから付き合って」と言われて現在に至る。

女の子と初めて買い物行くし上手く話せるか心配だった。それに周りを見ると僕の服装は、地味だった。

ジーパンに黒の半袖の上にチェックのシャツで周りと明らかに違っていた。靴も五百円くらいの商品なのでオシャレな物ではなかった。

ため息をついて早く家に帰りたいと思った。しかし今日は、チャンスだった。

もっと仲良くなれてもっと彩芽の事を知ることができるので頑張ろうと自分に言い聞かせた。

スマホをポケットから取り出し画面の反射を利用して軽く髪をセットした。

「彩斗何してるの?」

その声は、何回も聞いたことがあった。明るくて全て人間を癒せる綺麗な声だった。

しかしこの時幻聴であってほしいと願った。髪をセットしているところなんて見られたくなかった。

ゆっくり後ろを振り向いた。そこいたのは彩芽だった。

「あ、彩芽」

僕は、慌ててスマホをポケットに直し何もしていないことを装った。

「そんなに慌ててどうしたの?」

「いや、特に何もないよ」

僕は、悟られないように笑って誤魔化した。

彩芽の服装は、白のスカートにモノトーンのボーダートップスを着ていた。靴も綺麗でブランド物の雰囲気が出ていた。

「それより祭りの時は、あまり気にしていなかったけど改めて見ると彩斗の服装何か……個性的だね」

彩芽は、頭の中でダサいと言う文字が浮かんだにちがいない。しかし僕を傷つけないために個性的と言ったはずだと予感した。

「あ、ありがとう」

何も言う言葉が見つからなかったので彩芽の優しさに感謝した。

「それより今日は、一日開けてくれてありがとう」

彩芽の表情は、笑顔だった。その笑顔を見るたびに心が奪われた。僕は、この時恋の渦の中いた。

逃げることもできないほどの激しい渦の中にいた。

しかし逃げられなくても良かった。これからもこの笑顔をずっと見ていたいと思った。

「いいよ。全然予定とかなかったし」

「とりあえず今日は、服とか買うだけだから終わったらお礼にご飯くらい奢るね」

「いやいやいいよ。そこまでしなくても僕が代わりに奢るから」

そう言ったが彩芽は、頬を膨らませた。

「いいの! いつも話してくれるお礼だから。それにこの前祭りの時も彩斗と話せて楽しかったから今度は、私が彩斗を楽しませる番」

彩芽は、右手の人差し指で軽く僕の肩をつついた。

僕の肩に彩芽の指が触れたことで一層に胸の鼓動は、激しく鳴った。

「それじゃあそろそろ中に入ろ?」

彩芽は、先にショッピングセンターの入口に歩いていった。

僕は、その後を追いながら今日は、絶対に上手く彩芽と喋ると心に決めた。



しかしその数時間後ショッピングセンターの屋上にあるベンチに座って空を見上げて心気共にぐったりした。

二時間ほど買い物したが歩き疲れて一日分動いた気がした。それに買い物をしている間上手く話せなかった。

言葉の途中で噛んだり面白くもない話をして彩芽を困らせてしまい満足できる会話ができなかった。

僕は、無力だと思いながらため息を一つ吐いた。

「何、ため息ついてるの?」

僕の目の前に先ほどの青い空に雲の光景はなく彩芽がソフトクリームを二本持って見下ろしていた。

「あ、彩芽いやその今日は、歩き疲れたなと思って」

僕は、顔を下ろし体重を左に移動して彩芽の顔から逃げた。

「まだ二時間しか経ってないのに……でもお疲れ様。はいソフトクリーム」

彩芽は、前に回り込んで僕の横に座った。

「あ、ありがとう」

この時彩芽が座った位置が近かったため心臓が激しく動いていた。

落ち着かせるために僕は、アイスクリームを受け取り甘さで緊張から逃れるように舐めた。しかし緊張から逃げることはできず動悸は鳴りっぱなしだった。

その時彩芽から匂いがほのかにした。匂いの正体は、分からなかったがフローラルな匂いがしたためシャンプーの匂いだと思った。香水のように強烈な匂いではなかった。

僕は、彩芽に見惚れていた。

「ちょっと何こっちジーッと見つめてるの?」

彩芽は、頬を少し赤くした。

「あ、ごめん」

僕は、そう言い彩芽から目線を外した。

「今日彩斗いつも以上に緊張してない?」

「そ、そうかな? いつもと変わらないよ」

僕は、目を合わせられなかった。

何かの雑誌で女子と会話する時は、目を合わせて話すと書いていたが実行できなかった。

目を合わそうとしても身体が反射的に合わせないようにした。内心僕は、彩芽に謝った。

「まあ、彩斗と話していると楽しいから良いんだけどね。それに……」

彩芽は、突然黙った。

「それに?」

目を合わせることができなかった僕は、彩芽の鼻筋辺りを見た。

「ううん。やっぱり何もない。とりあえず楽しいってこと」

彩芽は、そう言いアイスクリームを舐めた。

僕達の間で長い沈黙が続いた。お互い目を合わすこと無く僕は、横目で彩芽を見たり逸らしたりを繰り返した。

お互いアイスクリームを食べ終えても沈黙は続いた。この時彩芽のことを知るチャンスだと思った。

知り合って数カ月経ち最初は、海岸だけで会っていたのに今では、一緒に買い物に行って連絡先も知る関係になった。そう思い祭りの時何故泣いていたのか聞こうと決心した。

「彩斗……」

僕が聞こうとした時彩芽が先に口を開いた。

「何?」

「彩斗って今楽しい?」

「え、うん。彩芽と買い物できて楽しいよ?」

「そうじゃなくて……」

彩芽は、何か言いたそうにしていた。僕は、言葉の意味を考えたが全く分からなかった。

「私が聞いているのは、今生きていることが楽しいかってこと」

「え、」

僕は、彩芽の口からこんな言葉を言われるとは、思わなかったので戸惑った。

彩芽の目は、いつもと違う真面目な瞳をしていた。その瞳から言葉の真意を確かめようとしたが分からなかった。

彩芽と初めて目があったがこの時緊張は、一切なかった。

「それは……」

僕は、言えなかった。

彩芽と会っている時は、楽しい。自分が生きている感覚があった。しかし彩芽と会っていない時は、生きている感覚がない。

それを言ったら彩芽が僕のことをどう思うのか分からなかった。重たいとか気持ち悪いと言われたら僕の人生は終わったようなものだ。

「それか楽しくない?」

彩芽は、近づいてきた。周りから見るとカップルと間違われそうな距離だった。密着しそうでフローラルな匂いが強く感じた。

彩芽の一つ一つが綺麗に整っていて目、鼻、口、眉毛全てが綺麗だった。

「あ、彩芽……」

僕は、その距離に戸惑った。引こうとしても彩芽はまた近づいてきた。

「彩芽、急にどうしたの?」

「やっぱり何もない、ごめん。変なこと聞いて」

彩芽は、頬笑みながら距離をとって立ちあがった。

「それじゃあそろそろ行こ? まだ見て周りたいし」

「う、うん」

僕は、商品袋を持って彩芽の横に並んで歩いた。

何で彩芽がこんなことを聞いてきたのか謎だった。しかしこれから不安だった。心が気持ち悪く感じた。嫌なことが僕たちの身に起こらないようにと心の中で祈った。



買い物が終わりショッピングセンターを出る頃には、夕方になっていた。

僕は、右手につけていた時計に視線を落とした。午後五時になっていた。

今日は、大変な一日だった。

この店に入ると決めても結局何も買わなかったり行こうと思っていなかった店に入り服を買ったりと散々歩き回った。

それに今日彩芽が言った言葉も僕の中で一つの謎になりずっと考えていたせいで今は、頭が回らない状態だった。

頭痛が激しくて早く家の布団にダイブして寝たかった。両手も買い物袋を持っていたので腕は、悲鳴をあげていた。

「今日は、付き合ってくれてありがとね。また買い物行く時は、誘っても大丈夫?」

「うん。全然大丈夫だよ」

あわよくば買い物だけは、勘弁してほしいと心の中で願った。

あの後いつもの明るい彩芽に戻り何事もなかった。ただ買い物中お互い沈黙が起こる際横目で彩芽を見ると何か考えている様子があった。

その光景を見ていると不安がまた襲った。頭の中で必死に思考を巡らせたが分からなかった。

今日は、彩芽と初めて買い物して楽しかったが心の中がモヤモヤする一日だった。

「あ、一つ聞いていい?」

さっきから思っていたことを口にした。

「どうしたの?」

「僕と彩芽の家逆なのにこの買い物袋どうしたらいいの?」

「そんなの彩斗が私の家まで来るしかないでしょ?」

「え、」

僕は、この時今日の疲れと今のパンチが強すぎる言葉で一瞬身体がよろけた。

「ちょっと彩斗大丈夫?」

「う、うん。平気」

内心全然大丈夫ではなかった。

女子の家には、一度も行ったことがないし彩芽の家に行くなんて予想していなかった。それに家に行くということは、彩芽の両親にも挨拶しなくてはいけない。

買い物だけと思っていたので不意を突かれた気分だった。

「あれ、彩芽?」

その時少し派手な女子が僕たちに近づいてきた。

髪は、金髪よりの茶髪で下は、スキニ―デニムを履いていて上は、黒の革ジャンを着ていた。

メイクも彩芽より少し派手で直感でこの人は、嫌いだと判断した。

「燐……」

横目で彩芽を見ると祭りの帰りで見たあの寂しい眼をしていた。その時嫌な予感がして身体に悪寒が走った。

「今日何してたの?」

「ちょっと買い物してただけ」

「ふーん。そうなんだ」

燐とかいう人は、僕に目線を向けた後に彩芽に目線を戻した。そして彩芽に近づき耳打ちで何か言った。

「それじゃあ私は帰るね。彩芽またね」

燐とかいう女子は、そう言うと前に歩いて行った。

横目で彩芽を見ると悲しそうな目をしていた。しかしこの時彩芽の奥底を見た。

悲しい瞳の中に怒りが見えた気がした。確信は、なかったが今まで見たことない眼をしていた。

彩芽は、何を隠しているのかという気持ちが強くなった。それと共に僕は、今の彩芽の眼に恐怖を覚えた。

「彩芽……」

「さあ、早く行こ?」

彩芽は、僕の応答に答えて微笑んだ。

「今の人誰だったの?」

「高校の友達」

「そっか……」

その後の言葉が見つからなかった。彩芽の顔は、その後も悲しそうな眼をしていた。

家に行くからさっきは、緊張していたが今は、一切なかったむしろ何を隠しているのかという疑問が強くなった。

数分沈黙が続きながら歩いていると彩芽は立ち止った。

「いちようここが私の家」

それは、想像していた家とは、大きくかけ離れていた。三階建ての雑居アパートで階段も鉄骨で作られていてサビが少しできていた。

階段付近には、自転車が三台置かれていたがどれもサビついていた。

「少し待ってて。軽く部屋の物とか片付けてくるから」

彩芽は、微笑んだ後に階段を上がって行った。

一軒家で玄関の扉には、オシャレな表札があって純白の白い壁から響いてくるピアノの音が伝わる家だと思っていた。

彩芽の家を過大評価していたので少し裏切られた気分だった。しかし家は、今はどうでも良かった。

心配だったのは、彩芽の親に挨拶する時何て挨拶すればいいのか。そのことだけ考えた。謙虚に挨拶したらいいのか、元気よく挨拶すればいいのか迷った。

彩芽は、数分くらいで戻ってきた。

「とりあえず上がって。お茶くらい入れるから」

「あ、ありがとう」

心臓が波うっていた。彩芽の後をついていき脆い階段を上った。一段上がる度に微かにギシッと怖い音が鳴った。

彩芽の家は、ニ階の奥端にあって表札には、手書きで「狩谷」と書かれていた。

その時玄関扉が妙に気になった。扉の至るところにテープを剥がした跡が残っていた。

「どうぞ」

扉のことが気になったが一先ず頭の隅に置いた。

「おじゃまします」

僕は、中に入りゆっくり小声で言った。

まず目に飛び込んできたのは、靴の多さだった。レディース物がほとんどだったので彩芽かお母さんの物だと推測した。

「あれ、ご両親は外出中?」

家の中から物音が一つも聞こえなかった。

「……誰もいないよ」

「え……」

「とにかく荷物ずっと持っていると疲れるでしょ? ほら早く上がって」

彩芽は、頬笑み自分の靴を脱ぎ綺麗に揃えて奥に向かった。

僕は、初めて彩芽の口から聞く言葉が多すぎて頭が混乱していた。

今日は、彩芽の一面を改めて見た気がした。しかしその一面は、パンドラの箱で開けたらいけないものだったのかもしれない、と直感で思った。

急にこの時身体全体に悪寒が走った。気持ち悪い気分になった。今日一日の疲れのせいで頭もクラクラしていた。

「彩芽……」

「うん?彩斗どうしたの?」

彩芽は、僕の方を振り向いた。

「家に上がるのも悪いしここに荷物置いて僕は、帰るよ。今日は、何か気分も悪いし」

僕は、玄関に荷物を置いて扉の方を向いた。

その時右肩に重みができた。見ると彩芽の手が置かれていた。

「もうちょっとゆっくりしていきなよ? それにここで休んでいけば問題ないし」

置かれていた手は、皮膚が白くて綺麗だったが力が入っていて少し肩が痛かった。

「本当にいい?」

「うん。ゆっくりして」

彩芽は、奥に向かい僕は、しゃがみ靴を脱ぎ綺麗に揃えてから奥に向かった。

廊下には、扉が左に二つ右に一つあった。彩芽が奥の扉を開けてリビングに着くと台所に行って冷蔵庫を開けた。僕は、扉を閉めてリビング全体を見た。

四人分くらいの白いテーブルが台所側に置かれていた。

黒い小さめのソファーも置いていてその目の前には、二人分くらいのブラウン色の小さいテーブルがあった。

以前テレビは、見ないと言っていたのでテレビは、置いていなかった。
代わりにブラウン色のテーブルの前に長い白い台にCDプレイヤーがあった。

CDプレイヤーの横には、CDが一枚置いていて近づいて見ると「クラシック全集」というタイトルのCDだった。

彩芽がクラシックを聞くことに安堵感を覚えた。想像していた彩芽像が一つ満たされたことでホッとした。

ソファーの左斜めには、低めの白い本棚もあった。二層に分かれていて綺麗に揃えられていて以前話していた本好きというのも本当だった。

「コーヒー入れようと思うんだけどコーヒーとか飲める?」

「あ、うん。ただブラックは、飲めないから少し甘めにしてほしいな」

「分かった。後座ってもらっていいよ。のんびりしていって」

彩芽は、コーヒーメーカを出し作りはじめた。

「うん。ありがと」

僕は、ソファーに座った。素材が柔らかくてお尻が吸いこまれそうな程だった。

ソファーにもたれて天井を仰いだ。今日一日歩き回ったせいで身体や精神は、疲労が溜っていた。

それに今日は、彩芽が少しおかしかった。初めて聞く言葉ばかりだった。しかもその時に限って彩芽の眼は、いつもの明るくて優しい眼ではなく悲しみといった負の感情があった。

そして燐とかいう謎の女は、誰なのか気になった。彩芽に聞こうと考えていたが燐と眼を合わせている時の彩芽の眼は、恐れていた。

聞いて嫌な気持ちにさせたくなかったので僕は、推測だけで考えた。

彩芽は、燐という女を怖がっている。何故怖がっているのか分からないが二人の間で何かが起こっていると推測した。

「コーヒーできたよ」

彩芽は、両手に白いマグカップを持ってソファーに近づいてきた。

「あ、ありがとう」

僕は、片方のマグカップを手に取った。口をつけて飲むと口の中でコーヒーの苦みなどがほとんどなかった。

「すごく美味しいよ。若干甘みもあるし」

「そう? ありがと」

彩芽は、僕の隣に座ってマグカップに口をつけて飲んだ。

ソファーが小さいので僕と彩芽の距離は、肩が当たるくらいの近さだった。

僕は、この時心鼓動が激しく波をうった。頭の中で落ち着けと何回も繰り返し言い続けた。

僕たちの間で沈黙が続いた。
横目で彩芽を見ると何か思いつめたように眼を伏せていた。

悲しい雰囲気が彩芽から漂っていた。いつもの彩芽は、明るくて話も振ってくれるのに今日は、沈黙が続くことが多々あった。

燐という女と会った時には、彩芽の眼から初めて怒りを感じた。目元は、一切笑っていなくて恐怖と怒りが混ざっていた。

それにさっき感じた悪寒は、何だったのか気になった。思い出すとまた気持ち悪くなってきた。

「ちょっとトイレ借りていい?」

「うん。出て左の手前にあるから」

「ありがと」

僕は、飲みかけのコーヒーを前のテーブルに置きソファーから立ちあがり背伸びをした後に廊下に向かった。

扉を開けて閉めてから廊下全体を見た。左の手前の部屋だったので開けてトイレに入った。

扉を閉めて僕は、壁にもたれてため息をついた。緊張で肩に力が入っていたため肩が凝っていた。

首も気持ち悪い程音が鳴った。

眼を瞑り数分前の彩芽を頭の隅から引っ張った。

いつもの彩芽ならもっと声は、明るく高めで言ってくれたのにあの時帰ろうとした時の彩芽は、声が低かった。

しかも守ってあげたくなる手からは、痛いほど力が入っていた。

考えたが分からなかった。ただ彩芽が少し分からなかった。

どんな人なのか? 僕が見ているのは、本当に彩芽なのか? 疑問が無数に頭の中に表れた。

そして僕が知らない彩芽が現れた時どんな感情が芽生えるのか。悲しみ、恐怖、焦燥感、そのどちらでもなかった。

僕が芽生える感情は、多分絶望しかないと思った。

彩芽は、憧れであり初めて好きになった人で初めて信頼できる人だ。それが崩れてしまうとこれからどう生きていけばいいのか分からなかった。

彩芽は、僕にとったら大切な糸だ。これが切られるとただ落ちるのみだと感じた。

死という言葉が頭を過った。

僕は、ため息をつき扉を開けて廊下に出た。考えても仕方がなかった。しかも考えるたびに頭痛が走るので考えるのを辞めた。

廊下に出ると目の前に扉があった。そこには、小さい掛け看板に彩芽と書かれていた。

この時心の中で小さい罪が湧き出てきた。

中に入って何をしようとしてると自分に問いかけた。

部屋を覗くなんて絶対したらダメだ。すぐそこに彩芽がいるから止めようと心に言い聞かせた。

しかし僕の中でゾクゾクと何かが忍び寄ってきた。

唾を飲み込み奥の扉を見た。来る気配はなく彩芽がコーヒーを飲んでゆったりしている姿が想像できた。

彩芽の部屋に目線を戻してドアノブに手をかけた。再度唾を飲み込んで奥の扉に目線をやった。

奥の扉が開く気配はなかった。数秒奥の扉を凝視して目線をドアノブに戻した。

心の中で彩芽に謝りながらドアノブを下げて音が立たないよう静かに開けた。

部屋の中は、物が散らかっていなくて綺麗だった。右側に机があって教科書や本も綺麗に整理されている。

奥のベッドに目線をやると薄いピンク色で布団も同じ色だった。綺麗に畳まれていて枕元には、人形が三つあった。

至って普通の部屋だった。女子っぽいピンク色のベッドに綺麗に整理されている机。特に何か変わったところはなかった。

彩芽のことをもっと知りたいと思って部屋を開けたがあまり知ることができなくて少し残念に思った。

リビングに戻ろうとしたがある一点の場所だけ気になった。

机の脇に置かれている小さい黒のゴミ箱に紙が大量に捨てられていた。

部屋は、綺麗なのに何故あそこだけゴミが溢れているのか謎に思った。僕は、気になり部屋に入って扉を閉めた。

廊下から足音は聞こえなかった。僕は、胸に手を当てて一回深呼吸してゴミ箱の方に向かった。

紙は、コピー用紙でぐしゃぐしゃにされていた。入りきれなかった紙もあってゴミ箱付近に放置されていて無造作に投げ込まれた跡だった。

この時また悪寒が走った。それと共に家に入った時の悪寒の正体が分かった。

このゴミ箱が原因だ。と確証した。

しゃがみこみ床に落ちていたくしゃくしゃの紙を拾った。唾を飲み込んで紙をゆっくり丁寧に広げた。

紙を広げた瞬間積み上げられた煉瓦が一つずつ崩れる感覚があった。この時込み上げてきた感情は、戸惑いだった。

そこには、こんな文字が書かれていた。

「クソ女」

何でこんな物が彩芽の部屋から出てきたのか分からなかった。しかも大きく荒々しい字だった。

他の紙にもいくつか手を伸ばして広げた。

「金返せ」といった内容から卑猥の言葉まで書かれていた。そしてある紙を見て恐怖を感じた。積み上げられていた煉瓦が完全に崩れた。
 
「人殺しの娘」

彩芽がどんな人間なのか分からなくなった。しかし僕が見ている彩芽は、偽りの姿だと確信した。

背後から何かが割れる音がした。僕は、反射的に立ちあがって後ろを振り向いた。

「彩斗……何してるの?」

そこには、彩芽がいた。足元には、割れたコーヒーカップが散乱していた。

その声は、燐という女と会った時のトーンになっていた。低くて少し恐怖を感じる声だった。

いつもの明るく元気で聞いていて癒される声の面影はなかった。

「あ、彩芽これはその……」

僕は、続きの言葉が出なかった。戸惑いと恐怖が入り混ざっていた。

「何で……私の部屋に入ってるの?」 

「ごめん……彩芽のことがもっと知りたかったから……」

「ふーん、そっか」

彩芽は、俯いたまま答えた。割れたコーヒーカップを避けて彩芽は、僕に近づいてきて止まった。

「彩斗……」

その時彩芽は、僕の身体を押した。そのままベッドに倒れこむと彩芽は、僕の身体をまたいで四つん這いになり真っすぐ目を見つめた。

「あ、彩芽」

頭が真っ白になった。疲労とメンタルが疲れきっていて何も考えられなかった。

「それでこの紙を見た後の私は、どんな人に見える? 怖い女? クソ女? 彩斗に色々隠していたから嘘つき女? それとも……人殺しの娘?」

彩芽の家に入った時少し怖かった。ゴミ箱の紙を見た時も彩芽のことを怖いと思った。

しかし今彩芽の目を見ていると別のことが頭に浮かんだ。

「確かに正直怖いと感じた。だけど今は別のことを思ってる」

「何?」

「助けたいという気持ち」

初めて真剣に彩芽の目を見つめた。心臓が鳴っていたが目を逸らすことなく真っすぐ見た。

「どういう意味?」

「僕は、彩芽のことを神格化してた。彩芽は、可愛くて綺麗で何でもできて素晴らしい家庭で育っているって勝手に考えてた……だけど紙に書かれている言葉を見て本当の彩芽は、過去に何かあって傷ついた人かもしれないって思った。それに……」

僕は、口を紡いだ。

「それに?」

「……僕と同じだ。過去に傷ついて辛い日々を送っている自分と似てる。辛く苦しくて誰にも助けを求められない自分と……だから助けたいと思った。大切な人が傷ついているのは見たくない」

沈黙が流れた。目を逸らすことなく彩芽を見つめた。

「……彩斗は、私のこと好き?」

彩芽は、右手を僕の胸に優しく置いた。

「きゅ、急にどうしたの?」

心臓が激しく鳴っていた。突然のことだったので頭が混乱した。

それに彩芽の小さい綺麗な手が僕の身体に触れていることで気がおかしくなりそうだった。

「私のことを助けてくれるならまず私と付き合って」

彩芽のことが好きだ。しかし将来のことが頭を過った。

彩芽と付き合ったら最高に楽しいだろうし嬉しい。だけど紙に書かれていることが本当ならこれから先どうなるのか不安があった。

僕たちの間に絶壁の壁が現れて邪魔するものが現れるかもしれない。それにあの燐という女も気がかりだった。

しかしここで答えを出さないと彩芽は、僕の元から消えるかもしれないと直感で感じた。それは嫌だった。

不安なことや試練が訪れるかもしれない。だけど僕は、絶対に彩芽のことを守るそして苦しみから解放したいと思った。

「彩芽のことが好きです。これからもずっと一緒に居たい」

敬語交じりの言葉で告白した。心臓が鳴っていた。痛いほど緊張していて締め付けられる感覚があった。

「本当に好き? 私のことを助けてくれる?」

彩芽の目は、妖艶さが漂っていた。いつもの目尻が下がっている可愛らしい目をしていたがこの時は、色気が出ていた。

口調もゆっくり語りかける感じで問いかけてきた。

無言で頷いた。
覚悟は、できていた。何が起ころうと彩芽を守ると誓った。

彩芽は、口角が上がって瞳からは、涙が出ていた。

「ありがとう。嬉しい」

人の嬉し泣きというものを初めて見た気がした。祭りの時に見た涙と違ってその涙は、美しかった。

「じゃあ一つだけお願い聞いてくれる?」

「うん。何?」

彩芽は、顔を僕の顔に近づけてきた。彩芽の息遣いが荒くなっていた。

数十分間彩芽がまたがっている態勢だったので僕の身体は、熱くなっていた。

彩芽も頬が若干赤く火照っていた。熱さで火照っているのか恥ずかしさで火照っているのか原因は、分からないが彩芽も普通の状態ではないことが分かった。

そして彩芽は、僕の耳元まで口を近づけた。

「私と一緒に……死んで?」

この時天空まで伸びる壁にぶち当たった。そしてパンドラの箱を完全に解放してしまったと心の中で嘆いた。



カーテンの間から差し込む光によって重たい瞼を開けた。サイドテーブルに置いてある時計に目をやると昼の十二時になっていた。

まだ頭がボーっとしていた。自宅に帰ってからは、疲労のせいでそのままベッドにうつ伏せで倒れこんだ。

服は、着替えてなく風呂も入ってないので嫌な目覚めだった。

シャワーを浴びたかったが動ける気力がなかった。むしろこのまま永遠に横になりたいと願った。

昨日のことを思い出した。彩芽からの願いそれは、一緒に死んでほしいというものだった。

僕は、何を言っているのか分からなかった。頭がおかしくなったのかと思った。

「どういう意味?」

彩芽は、耳元から離れて涙を手で拭い僕の目を再度見た。

「どういう意味ってそのままの意味だけど」

「彩芽のこと助けるって言っただろ? 彩芽とこれからもずっと一緒に居たい。辛いことがあったら僕が助けるし」

必死だった。声も荒げていたので喋る度に頭痛が走った。

「だから助けてほしいの。私を助ける方法があるとしたら私と死ぬことだけ。それに一緒に死ぬから一緒に居られるよ?」

彩芽は、首を傾げた。

「何で死ぬことが助けになるの。死んだら何も残らない」

「それでも死にたいの。もう何も考えたくないこの世界が怖い。傷つくのが怖い」

彩芽の涙は、完全に止まっていた。代わりに瞳からは、生きる気力が消えていた。

僕が見ていた彩芽は、完全に居なくなっていた。

「彩斗は、私のこと好きだよね?だったら私のこと助けてよ」

僕は、戸惑った。頭の中で整理がついていなかった。今思う感情は、悲しみだけだった。

「もちろん好きに決まってる。だけど何で死ぬと言うのか分からない」

声を荒げていたし必死に喋ったので口の中が渇いていた。舌もザラザラした感触があった。

数分前のコーヒーを飲んでいる幸せで暖かい時間に戻りたいと思った。

彩芽は、目を瞑って僕の身体から離れて壁を向き背を向けた。彩芽が離れた瞬間一気に身体の重みがなくなった。

僕は、上半身を持ち上げて彩芽の背中を見つめた。

「彩芽……」

何て声をかければいいのか分からなかった。

「明日の夕方五時に海岸に来て。そこで全て話す」

彩芽は、僕の方を振り返った。

「待ってるね!」

この時の彩芽は、瞳に光があっていつもの可愛い明るい笑顔があった。

僕は、ため息をつき仰向けになって上半身を持ち上げた。

昨日の頭痛がまだ少し残っていた。肩や首も凝っていて首からは、嫌な音が部屋全体に響いた。

立ちあがり背伸びをしても身体の至るところから嫌な音が鳴った。昨日は、それだけ疲れる日だったと身体が答えていた。

部屋を出てリビングに向かった。リビングの扉を開けると案の定誰もいなかった。

冷蔵庫にすぐ向かい中から二ℓの天然水を取りコップに半分入れて一気に飲んだ。口の中が潤っているのが分かった。

一息つき二ℓの天然水を冷蔵庫に直してソファーに向かい深く座って天井を見上げた。

時計の針の音しか聞こえなかった。
この辺りは、住宅街で海沿いの近くなので車が走る音もなかった。

静寂だった。しかし今の僕には、この静寂が悲しかった。

ずっと孤独な暮らをしていた。家に帰っても誰もいなくて友達もおらず信頼できる人がいなかった。そこに天使の様な女性彩芽が現れた。

彼女と出会えて僕は、初めて信頼できる人を見つけてそして恋に落ちた。これからも彩芽とずっと一緒に居たいそう思った。

この静寂も彩芽と出会えたことで全然悲しくなかった。

しかし昨日の彩芽の言葉を聞いてまたこの静寂が悲しく感じた。心の中で何でという言葉が羅列していた。悲しみの暗闇を彷徨っている感覚だった。

正面の壁に掛けられているアナログの時計に目をやった。

昼の一時に差し掛かりそうだった。

「後四時間か」

四時間後に全てが分かる。しかし不安だけしかなかった。

彩芽の全てを知ったら僕は、どんな反応をするのだろう。絶望? 悲壮感? 彩芽のことを嫌いになる? 頭を左右に振った。

どれも違った。答えが分からなかった。

考えていたがまた昨日と同じ頭痛が激しく頭に響いた。


空気を吸って落ち着こうと思い窓を開けて空を見上げた。

空は、曇っていた。太陽の光は、雲によって遮られていて昼間だが外は、若干暗かった。

この空を見て今の彩芽の気持ちも曇っていて暗いのかなと思った。僕は、何もせずにボッーとしながら空を見続けた。



玄関を出てポケットから鍵を出し鍵穴に差し込んで扉を閉めた。腕時計を見ると夕方の四時三〇分になっていた。

夏だというのに外は、涼しかった。昼間より雲は、なくなっていて夕日が見えていた。風が微かに吹き身体を優しく撫でている感覚があった。

僕は、その風を感じながら海岸に向かった。

過去に戻れるなら彩芽とのショッピングセンターでの買い物に戻りたいと思った。二人で笑って楽しく歩いている姿を想像するだけで胸が痛かった。

風がより強く身体に吹きつけた。もうじき海岸に着く。しかしまだ何も答えが出ていなかった。

頭の中で答えが出てもこれはダメだ。とまた一から考え直した。繰り返し考えたが結局答えが見つからないまま海岸に着いた。

広い海岸には、一つの背中が見えた。華奢な身体に黒髪のロングヘアーで守ってあげたくなる背中だった。

服装は、白のワンピースに白のサンダルで天使のような純潔さがあった。黒髪のロングヘアーが風の影響でなびいている。

さざなみの音が耳に入ってきた。この音を聞いていると少し心が楽になった気がした。

その背中にゆっくり近づいた。正直会うのが怖かった。

彩芽と会えるのは、最後じゃないかとか余計なことが頭を過った。だけど僕は、彩芽が大好きだ。だから彩芽のことを知らないとダメだと思った。

近づくにつれてさざなみの音も清々しく耳に入り込んできた。その背中の真横に止まった。

お互い沈黙だった。横目で彩芽を見ると真っすぐ海を眺めていてその瞳には、寂しさがあった。

僕は、海を眺めながら言葉を考えたが何も口に出せなかった。ただ海の向こうの地平線をぼんやり見つめた。

「最初彩斗と会った時もこんな感じで夕日が見えていたよね」

最初に沈黙を破ったのは彩芽だった。

「うん。あの時は、突然彩芽から声をかけてきたからびっくりした」

僕は、微笑んで答えた。あの時のことを思い出す度に彩芽と出会えて良かったとつくづく思う。

「あの時私も不思議だった。何で声をかけたのか自分でも分からない。だけど彩斗と出会えて良かった。だって楽しい思い出とかいっぱいできたし」

「……だからこれからもいっぱい思い出作りたい彩芽と」

僕は、彩芽の方を向いて想いを告げた。

しかし彩芽の顔は、悲しい表情になった。目を寂しそうに細めて何か思いつめている顔をして僕の方を向いた。

「それはできないかな……」

お互い沈黙になった。答えは、昨日と変わってないのだと悟った。

「何でそんなに死にこだわるの?」

「……私小中の頃いじめにあってさ。それも度がひどくて親とか先生とか。後警察も入ってきて」

彩芽がどんなことを話すのか今日家にいる時から考えていた。いじめにあっていたとは、驚きだった。

「だけどそのせいで中三の頃家族の間に亀裂が入った。お父さんは、お母さんの育て方が悪いとか。お母さんは、お父さんが甘やかしすぎとか言って毎晩喧嘩してた。そして中三の冬に両親は、離婚して私は、お母さんについて行った」

彩芽の過去を考えるだけで胸が締め付けられた。自分のせいで家庭が壊れるのは、痛いほど分かった。


「だけどその後お母さんは、変わった」

「どういう意味?」

彩芽は、口を開くがまた口を閉じた。言葉が喉まできているのに何かに邪魔されているように見えた。

「……お母さんは……その後私のことを見なくなった。夜も遊びに行ってずっと独りで過ごした。しまいには、あなたのせいで家庭がつぶれたと直接言われた」

「何でお母さんは、そんなことを」

「分からない。ただ……」

「ただ?」

「ただ、私が家庭を潰したのは事実。無力な私は、何もできなかった……そしてあの事件が起きた」

彩芽の目から涙が流れた。今すぐ抱きしめて大丈夫だよと励ましたかった。しかしそんな安っぽい言葉で彩芽が救えるはずがない。そんな自分が醜くて悔しかった。

「私のお母さんは、お父さんに教育費を貰う為に時々会ってたんだけどその時にまた喧嘩してそのはずみでお母さんは……お父さんを殺した」

彩芽の目は、充血していて初めて見る顔に僕は、困惑した。

「何でそんなことを」

「分からない。お母さんは、捕まってるけど黙秘してる。だけど多分お母さんは、辛かったんだと思う。この生活に……この人生に」

何も言えなかった。何も声をかけられない自分を呪った。

「そしてきっと私の顔も一生見たくないのかもしれない。面会行こうとしても断られるし……自分が大嫌い。こんなことになるなら生まれてこなければ良かったって思う。そしたらお父さんもお母さんも幸せな家庭を築けたかもしれないのに」

彩芽は、俯いて両腕を組んで身体は、震えていた。

僕は、気づくと立ちあがって彩芽の横から抱きついた。華奢な身体は、冷たく心拍数も激しく鳴っていた。

無我夢中だった。傍にいなければ彩芽が壊れてしまいそうで怖かった。

「大丈夫だから。僕がいるから」

「彩斗……」

彩芽は、しばらく腕の中にいた。しかし目を瞑って数秒経つと僕から距離をとった。

「でも私には、そんな資格ない」

「資格? 彩芽は、十分苦しんできたんでしょ?」

彩芽の言葉の意味が理解できなかった。

「確かにそう。私は、苦しんだ。でもどこかでその苦しみから逃げたかったのかもしれない」

彩芽は、手で涙を拭った。しかし拭っても涙目になっていた。

「お母さんには、借金があった。多分遊びすぎてできたお金だと思う。実際に明細書見るとホストとか行ってたし」

「それと彩芽は、何が関係あるの?」

僕は、声を荒げて口に出した。ここまでのことを考えると悪いのはお母さんだ。彩芽は、悪くない。

「私は、自分を憎んだ。何で生きているのか何でこの世界にいるのかずっと考えた。だけどもう辛いことを考えたくなかった。とにかく逃げたかった。それから学校も行かなくて中退して夜遊びばかりしてた。まるでお母さんみたいに……」

彩芽は、前に歩きだして浅瀬に両足の甲を入れた。

「つまり私もお母さんと同じことをしたの。逃げて辛くなって現実逃避するかのように目の前のことから逃げた。そしてその時に会ったのが燐だった。だけどそこから私は、堕落してしまった」

「堕落って……」

彩芽は、両手を握り締めて震えていた。それは、恐怖なのか後悔なのか怒りなのか。だけど僕には、悲しみの震えに写った。

「その時私お金とかなかったからいい仕事紹介するって燐が言ってくれた。だけどそれは……援助交際だった」

好きな人がそんなことをしていると知って悔しかった。

何で神様は、もっと僕達を早くに会わせなかったのか。僕は、この時神様を憎んだ。

もっと早く会っていれば彩芽のことを助けられたかもしれない。僕が無力だからか。神様教えてほしい。好きな人すら守れないのか。

「祭りで泣いていたのもそれが関係あるの?」

「うん。ちょっと客とトラブルがあって……これが本当の私。辛いことから逃げて怖くて欲のために身体を差し出す人なの。私なんか欲にまみれた最低な人だよ」

彩芽は、手で顔を覆って涙を流していた。僕は、その背中を見て浅瀬に走り背中に抱きついた。

彩芽の身体は震えていた。僕が守らないと。神様が救ってくれないのなら僕が救うそう誓った。

彩芽は、僕の方を向いて今度は、胸の中で泣き続けた。僕は、目を瞑って背中をさすった。

お互いどのくらい抱きついていたのか分からない。足元もひんやりしてきて少し寒かった。

彩芽は、少し落ち着いたのか僕を見上げた。

「彩斗と初めて会った日のこと覚えてる?」

「うん。忘れるはずがない」

「私は、あの時彩斗のことを見た瞬間私と同じ人だと思った」

「それは同じ辛い過去を背負っている人だと思ったの?」

彩芽は、僕の胸に横顔を当てて海を眺めた。

「確証はなかったけどね。だけど表情とか雰囲気で分かった」

「そっか」

われながらそんな雰囲気や表情をしていたことを悔やんだ。だから友達とかできなかったのかなと今更ながら思った。

「彩斗と出会えて楽しい思い出をいっぱい作れた。笑ってお互い買い物に行ったことも私にとったら大切な思い出。本当に彩斗と会えて良かった」

「僕も彩芽のことが大好きだしこれからもずっと一緒にいたい」

僕は、彩芽を離さないように強く抱きしめて彩芽の肩に顔をつけた。

「私……彩斗のこと好き」

彩芽の口から好きという言葉が聞けて嬉しかった。

ずっと頭の中で考えていたことが現実に起きた。

「だから……私と一緒に……死んでほしい」

僕は、彩芽の肩から顔を離して彩芽の目を見た。

「この世界が辛くて嫌だから死にたいの?」

「うん。確かに彩斗がいればこれから楽しい未来が待っていると思う。だけど私の醜い過去は、変わらない。それに醜い過去を背負ったまま私は、彩斗とこの世界で付き合いたくない」

ずっと一緒にいたいがその願いは、届かなかった。彩芽の気持ちは、揺るぎなかった。

「だけど……昨日改めて考えたけどもし彩斗が死にたくなかったら死ななくて大丈夫。私が一人で死ぬから」

「彩芽……」

僕は、昨日から考えていた。死んだらどうなるのか。このまま死んでしまっていいのか。

「よくよく考えたら一緒に死のとか無責任すぎるし……」

「彩芽、一つ聞いていい?」

「何?」

「彩芽は、死が怖くないの?」

「怖いよ。だけどこの世界でまた辛いことを体験する方がよっぽど怖い。例え彩斗と一緒にいても私には、過去がある。その過去からは逃げられない。彩斗は、死が怖いの?」

「それは……」

僕も過去辛いことがあったのは、事実だ。世界が怖くて時間が経つにつれて怯えていた。

またいじめにあったり親から愛情を受けられない生活が続いたりしたら僕は、どうなってしまうのか分からなかった。だけどやっぱり死は怖い。

僕の中で何かが湧き上がった。

「怖いよ。だって死んだら何も残らないし自分がどうなるのかも分からない……だけど彩芽がいなくなるのは、もっと怖い」

彩芽は、微笑んで僕の身体から離れてまた一歩海の方に進んだ。

「知ってた? 入水自殺って最初苦しいけどすぐ楽になれるんだって。この苦しみこそ私にとっての罰になるかもしれない。それでも彩斗は、この苦しみについてきてくれる?」

「うん」

彩芽は、僕の方を振り向き小さい可愛らしい左手を出した。

「行こ?」

僕は、前に歩き彩芽の手を握った。離さないように少し力を入れた。

海の地平線に向かって歩き誘うようにさざなみの音が耳に入ってきた。最後に聞く音がさざなみの音で良かった。

街中の音や賑やかな音だったらどんだけ苦しかっただろう。考えただけでも嫌だった。

足の甲まで浸かっていた海水は、もう肩辺りまできていた。

覚悟をしていたがやはり死を目前にすると怖くて僕は、身体を揺らして暴れた。それは、彩芽も同じだった。

彩芽も身体を揺らして必死に息を吸おうとしていた。しかし僕たちは、手を離すことはなかった。

手を離したら一生後悔すると思った。

「あ、彩斗」

その時彩芽は、涙を流しながら僕の口に接吻した。柔らかく彩芽の酸素が全て入ってくる感覚があった。

僕たちは、接吻しながら抱きついた。

「私本当に彩斗と出会えて良かった。私と話してくれてありがとう。私のことを救ってくれてありがとう」

彩芽は、声を荒げて必死に言葉を出した。

「僕も彩芽と出会えて良かった。今まで辛かった世界が楽しくなった。僕を見つけてくれてありがとう。本当に大好きだ」

僕たちは、さらに接吻した。何度も何度もお互いの口を交じらせた。しかし海水が口に入り込んだりして身体は、苦しかった。

景色が霞んで見えた。そして僕たちは、溺れた。

意識がなくなりそうだった。霞んでいて彩芽がぼやけて見えた。彩芽は、完全に目を瞑っていた。

彩芽は、まだ接吻しようと口を近づけた。それに答えるよう僕も彩芽の口に接吻した。

それを最後に僕達は、離れた。

何故離れるの。約束したのに一緒に行くって行ったのに何で……。

僕は、彩芽を追いかけようとしたが身体が言うことを聞かなかった。体力の消耗と意識がなくなりかけていた。

彩芽は、沈んで行った。意識が薄れる最後に見た光景は、彩芽の笑顔だった。



あの後の意識は、なく警察の話によると海岸で打ち上げられている僕を通行人が通報したらしい。

何故海岸に打ち上げられていたのかは、分からないが奇跡的に波の影響で海岸に押し戻されたかもしれないと警察の人は言っていた。

僕は、重要参考人として病室で刑事の方に事の顛末を話した。

内容は、何故自殺をはかったのか。何故一緒にいたのかなど事細かに聞かれた。

警察は、僕を疑っている様子で病室に何回も足を運んだ。しかし彩芽の死体が発見されてから病室には、一切来なくなった。

殺したという証拠が死体から出てこなかったから僕の疑いは、晴れたなのだと推測した。

両親は、泣きじゃくっていて父は、激怒していた。

それが原因で両親は、また喧嘩した。父は、母にお前がちゃんと見てないからこんなことなったんだ。とか言って母もそれに反論していた。

この時改めて二人が真剣に正面から見てないと思い高校を卒業したら家を出ると決心した。

そして現在彩芽と最後に話した海岸で僕は、海の地平線を眺めていた。

何故彩芽は、あの時笑顔だったのか分からなかった。

頭の中で彩芽の残像を作って何故一人で死んだと何回も言った。しかし答えが分かるはずもなく真っすぐ海の地平線を眺めた。

この時僕は、ある推測が頭を過った。しかしあまりにも残酷なものだった。

僕は、死ぬ寸前にどんな顔をしていた? と頭の中で作っている彩芽の残像に何回も問いかけた。

嘘だ。嘘だ。違う。違う。僕は殺してない。絶対に違う。

その場に崩れこむように座って顔を手で覆い下を向いた。

あの時彩芽に死ぬのが怖いと聞かれた時に湧き出たものは、生きたいと思っていたのか。だとしたら僕の顔は、どんな顔をしていたの。彩芽答えてくれよ。

これは、罪なのか。彩芽を救えなかった罪だとすると僕は、醜い。

その時耳に彩芽の声が聞こえた。顔を上げて立ちあがり声の方向に向かった。

必死に向かった。しかし進んでも彩芽の姿は、見えなかった。

いつしかその声は、一切聞こえなくなった。

最後に聞こえたのは、僕達を癒してくれたさざなみの音だけだった。

さざなみ

執筆の狙い

作者 緋色
106.154.59.18

この作品のジャンルは恋愛です。

ストーリーを書いた理由は、普通の恋愛は書きたくなかったからです。

後、太宰治が好きなので海での溺死を書いたのかもしれません。

率直な皆様の意見をお聞きしたいです。

よろしくお願いします。

(ちなみに推敲はしておりますが、誤字・不備等ありましたらそれは自分の確認不足です。ごめんなさい)

コメント

ポー
126.224.177.58

どこが純愛だよ!童貞のモンモン・ファンタジーじゃねえか!
だいたい下心がねえ愛なんざあるか!

根釜カツ江
60.34.120.58

冒頭はありがちなやつかなと思ったんですけど、
読んで行くに従い、文章の美しさというか、淡いきれいな映像みたいなのが浮かんで来て、惹きつけられました。
文章がきれいなんだと思いました。

ただ、冒頭部分で、ありがちなやつかなという印象を与えてしまうのはもったいないので、
何かもっと個性的でインパクトのある文章なり表現なりがあると、うまく中盤まで読者をぐいぐい引っ張っていけるんじゃないでしょうか?

緋色
106.154.40.189

ポー様

ありがとうございます。

緋色
106.154.40.189

根釜カツ江様

ご意見ありがとうございます!

ちなみにもし、可能であればもう一つ質問させてください。


こういうストーリーなら序盤はどういう風に書いた方がよさそうでしょうか?

お返事お待ちしております。

根釜カツ江様
60.34.120.58

主人公が自分のことを一方的に語るのではなくて、
いつ、どこで、誰が、何を、どのようにしたか、といった感じの書き方をすると、もっと説得力が出て来ると思います。

緋色
106.154.54.6

根釜カツ江様、ご意見ありがとうございます!

これからも意識してみようかと思います。

後もしよろしければ追加質問させてください。


この5W1Hは、章ごとに組み合わせたほうがいいですか?

それとも物語全体に組み合わせした方がいですか?


回答お待ちしています。

根釜カツ江
60.34.120.58

全ての場面で5W1Hが実践できていれば素敵ですよね。

ところで、ドストエフスキーの地下室の手記は好きですか?

冒頭の書き出しのところなどは、参考になるかもしれません。

冒頭から、主人公の「性格」とか「個性」が分かるような書き方をしていますし、ああいう書き方をすると、人物像が明確に浮き上がって来る感じがすると思います。

緋色
106.154.54.99

根釜カツ江様ご返事ありがとうございます!

ドストエフスキーは罪と罰は見ましたが、それは見てないです。

今日すぐに見てきます!

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