作家でごはん!鍛練場
ぎゃわ

不死の棺桶

 
 山道はほこりぽかった。整備されていない山道は、落ち葉と小枝が層になっていて、柔らかく、滑りやすかった。
「これはひでえ。アクセルとても踏めねえなこれ」
「そうですねえ。こりゃたまりません」
 ハンドルを握る越智圭太は、口寂しいのか飴をなめながら軽口をたたいた。口を開いてはいるが、顔はこわばっている。やはりよほどひどい道なのか、軽口でも言わないとやっていられないのだろう。私も、飴をなめた。何回か舌をかんでしまっていたから口で口遊びができるものがあれば何でもよかった。
「しかし、あの嬢ちゃん。担いでんじゃねえだろうな。この先に何があるんだ。でかい家があるとは言ってたが」
「あるんじゃないですか。それこそ狸に化かされたような」
「にしてもひっでえ場所だ。不動産屋の連中を連れてきてやりたかったね。どんな豪邸でも、場所がここじゃ適度に買いたたくぜ」
「前見てください。怖いんだからもう」
 越智はへいへいとしぶしぶ前を向いた。黙って運転してほしいが、それもはばかられた。レンタカー屋をあの手この手で説得し借り受けた4WDには、気の利いたCDの一つもない。ラジオに至ると、この山道では使い物にならなかった。外の景色も、まるで変わらない緑色。そろそろ私は飽きが来ていた。
 この妙な道中は、ろくでもない。ここに来るまで、東京駅から半日はかかっている。新幹線とレンタカーでここに至るまでは、まあそれなりの快適な道中だったのだが、最寄りの集落から三時間以上この4WDに乗り続けている。最初こそ楽しかったが、もういい加減飽きた。
「最寄りの集落があれじゃ、目的地もたかが知れてるなこれは。お前の感も大した事ねえよな。相変わらず」
「いいんです、若いもの。若いころから感が利き、なんてのは世の奇才天才の人々にお任せすると致しますよ」
「ま、それもそうだな。で……不老不死の人間ね。憧れるね。死は怖いから」
「冗談でしょ。こんな仕事をしてて。長生きしたがりこそ、早く死ぬって言いますよ」
「健康な奴が早く死ぬかよ。俺を見ろ。年二回の健康診断もオールグリーン。虫歯の一つもありゃしない。日々の積み重ねの健康ってのは気持ちのいいもんだ」
 越智はそう言うものの、彼の若いころは飲む打つ買うの三拍子をすべてそろえた悪童だと聞いていた。案外箔をつける大ウソなのかもしれない。
「はいはい。先生の健康談義は東京のスターバックスでさんざん聞かされていますよ。それで、まだつかないんですか?」
「ん……ああ、もうすぐみたいだ。道が開けてきたようだぜ」
 確かに、切通のような山道は、もうすぐ終わるようだった。曇天ではあるが、木々の自然洞窟のような道が終わり、明るくなった。
「こいつは………えらいもんだぞ」
 切通を抜けた後、越智は、感心したようにそういった。私も、言葉には出さないが感動に近い気持ちを持っていた。そこは長い時間かけて開拓されたような土地だった。もともとは周りの森林と同じようだっただろうに、切り開いて整えたのだろう。広い土地の真ん中に、平屋の家が建っていた。それを囲むように田んぼと畑があった。
「いいところですね。休暇に来たいな」
「そうだな。で、駐車場はどこだい?」



 そもそも私、早乙女美佐子がここに来たのは、噂話がもともとだった。大学を卒業し、新聞社を経てフリーライターとなった私には、急ぎ実績を作る必要があったのだ。なにせフリーライターというのは最初期の頃はまるで信用がないのだ。
「ふーん?」
 噂話の出どころは、越智だった。新聞社にいたころ、とある事件のネタ元を提供し、それを一緒に調べたという縁で、交流が始まったのだ。交流とはいえ何年かに一度会ってあれこれ話をするだけの関係なのだが。いうなれば腐れ縁という奴だろう。
「で、面白い話だけど、それを私に話してくれたのはなぜです?」
 その日もそんな何年かに一度の日だった。越智の方から連絡があり、私は自宅の街だから池袋のドトールに足を運んだのだ。越智は短いひげを整え、細面の顔に刈りそろえた髪を丁寧にまとめていた。映画俳優にでもなれば、一稼ぎできたかもしれない。
「まあね。おれも、たまにはいい具合に親切したくなるもんさ。あんたには何回か稼がせてもらったからね」
 親切、この男とは最も遠い言葉だ。
 大体において、この世界で親切という言葉が価値を持たないことくらい誰もが知っている。各誌で抜きあいへし合いしている切った張ったの世界だ。一人に親切してもろくろく帰ってくることはない。私も意味のない親切をしたことがないわけではないが、対価にいいものが帰ってきたことは記憶にいない。
「本当のところは何なんです?あなたのネタは、裏取れないから怖いんですよ。いつでした?群馬県警の不正を暴いた時、私は生活安全課にひっぱられて危うく前科が付くところだったんですよ」
「そうだったな。俺なんて何日かぶち込まれた。いやいや、怖いこともあるもんだ。生安の刑事ってホントやくざみたいだよ。強面ぞろいだしな」
「某国の密入国者のネタは?」
「ああ、公安警察が来て、ひどい目にあった。もう二度とごめんだね」
「野球賭博の時は?」
「あれは中でもひどかったな。暴力団の事務所で何日か閉じ込められて、クソ行くときに逃げ出したんだっけ。電信柱にしがみつくってのはいいアイデアだったな」
「以上が一例ですよ。これ以上いやな目にはあいたくありません」
「でも大したネタだったろ?高く売れた。あんたは現代によみがえったタンタンだ。おれはハドック船長ってとこだな」
 気楽に笑うが、私はそれほど肝の据わった人間ではない。それから立ち直るのにしばらく時間がかかったし、儲けた金は確かに大きかったが、四分の一は治療費として消えた。自分なりに転職を模索したりもしたのだ。
 今でも時折、仕事をすべて打っちゃってどこかに消え入りたいと思うこともある。稼げる金が多ければ多いほど、私の精神はどんどんやられている気がする。荷を下ろして気楽にと行きたいところだが、そんな軽い性格でもない。
 たまに、胃が痛くなる。すべての不安、そうしたものから筵でもかぶって逃げ出したい。稼いだ金も、築いた人間関係もすべて投げ出したい。
「越智さん。それで?反省するうえで、この話をするっていうんですか」
「ま、積み重なった信頼がそうさせるのかねえ。警戒しないできいてちょうよ」
「話だけですよ。本当に」
 コーヒーをすする。うまいのかまずいのかわからない。貧乏舌の身には過ぎたものかもしれない。ナショナルチェーンのコーヒーは平均値だと聞くが。
「不老不死、って信じるかい?」
「懐かしいな、手塚治虫ですか。望むやつはろくでなしとありますけどね」
「世の中の大体はろくでなしだからよ。いいんじゃねえか。ああ、それでだ。信じるか?」
「うーん。一応、信じてはいますけどね」
 かぐや姫の残した薬が、不老不死の薬だったという話もあるし、始皇帝の部下だった徐福という人物が不老不死の神薬を蓬莱に探しに行ったという伝説もある。それだけではなく、世の中にはそうした似非とも本当ともつかない話が多くあるのは確かだ。
「実はな、不老不死の人間がいるらしいんだ、これが」
「へえ?それはまた。大したもんですね」
「だろ?それも眉唾なんだが、小さなころから覗いている爺様がいるらしくてな、昔から村の離れに住んで、まったく年を取らないそうなんだ。なんでも美人らしくてぜひ拝みたいってわけよ」
 ずいぶんと下種な繰り出しで始まった話だが、要するにこういうことだ。鳥取の、ひどい山奥のそのまた奥。そこに不老不死の人間がいるのだという。
「日本中にあふれかえっているような話じゃないですか。そのご老人だって探し求めてもいないんでしょ?」
「あほ。俺のネタ元をなめんじゃねえよ。これでもしっかりつかんでいるんだから」
「つまり」
「行く気になればすぐにでもご案内できるってわけ。経費はいるがね」
「うーん」
 行ってみたい、とは思う。そもそもがこういったフリーライターの仕事をしている私は、好奇心旺盛なことでは人後に落ちない。目の前の越智も似たようなものだ。しかしここは東京で、向こうは鳥取である。第一私は、鳥取が果たしてどこに、というかどちらにあるのかわからない。広島の上あたりとは思うが。
 このネタが金を生み出してくれるのかもわからない。実際、不老不死の人間なんて自称他称を含めれば、何人かいる気はする。
「経費、って言っても私のおごりでしょう。あなたの分は」
「まあ、そうだ。だめでも山陰のうらびれた村への小旅行のような塩梅になるぜ」
 うらびれた、という文句にどこか惹かれた。ごみごみとした多すぎる人たち、排気ガスと疲れた顔。そんなものとは、よほど遠いかもしれない。うらびれた山奥というなら、人などほとんどいないだろうし。昨今の田舎も機械化が進んでいて車などは東京よりよほど多いという話ではあるが、東京の大渋滞よりはずっとましな気がした。
「それも悪くないですね。涼しくなってきたことだし」
「よし、決まりだ。おい、直近の仕事は何個くらいある」
「一、二個でしょうか。ま、終われば連絡しますよ」
 それだけ言うと私は席を立った。会計は越智に任せてしまった。



「不老不死の人間ね。早乙女、頭は正常か?」
 でっぷりと太った満田は言った。怪奇系雑誌【パルプホラー】の編集長を務める四十路過ぎの男だ。零細出版社の常で、取材記事などを一山いくらのライターと自分に任せ、経理のアルバイトを二人雇うだけでギリギリ雑誌の形態を維持している。出版不況もだいぶ長い。昔は本社もあったようだが、現在の【八重波社】は小さな雑居ビルの三階に居を構えていた。
「何をいまさら、正常も正常に決まっているでしょう?」
「さあて、どうかねえ。【四国の狸を追え】だの、【潜入!八幡の藪入らず】だのひどい企画が多いような気もするが」
「過去は過去です。編集長。気にしてはいけないですよ」
「うるさい。こっちは仕事なんだよ。隔月誌なんだから今月はピンチだ。絶対売れるネタがいるんだ」
「ですからこの企画です。さっき挙げた企画も、内容の是非はまあともかく、売れたでしょう?」
 真実を探求するのは真面目な雑誌と、大手の新聞社に任せていればいい。天下国家を論じるまともな記者が正統派なら、こっちはこつこつ行く努力家だ。満田編集長は腕をくんでああでもないこうでもないと考えているようだった。編集長としての腕は確かだし、報道関係に身を置くものとして一種の尊敬を抱く程度には世話になっているのだが、いかんせん企画に関しては慎重居士だ。
 私はイライラし始めていた。うまくいくことばかりではないとはいえ、こんなところでまごまごしていたくない。残っている仕事がいくつかあるのだ。それも近日中に仕上げなくてはならない類のものが。
「それで、どうするんです?やるの、やらないの?」
 三白眼で、手入れはしているが決して艶のあるというわけではない長髪の私が詰め寄ると、百戦錬磨の満田も少し恐怖心が芽生えるのかもしれない。デスクに座り込んだままの満田は、結局首を縦に振った。
「結構、ではこれで。締め切りはちゃんと間に合わせますよ」
「締め切り……そこは信用するよ。追って連絡する」
 これで記事の買い取り先のめどはついたというわけだ。あとは安く買い取られないように注意して記事を作成するだけの話である。



 別天地のような場所である。鳥取の山奥と聞いていたが、神域といわれても一言で納得できるような山奥だとは思わなかった。新幹線で岡山まで行き、そこからレンタカーを借りて高速道路を使い、鳥取まで行ったのはよかったが、そこからが長い。住所を聞き、グーグルアースを使いながら来ていたが、ついに道がわからなくなるという始末。
「これは今日中につくかもわからんぞ」
「じ、自分で言っといてなんですかそのくだらない落ち」
「つけたくていったんじゃねえよ。にしてもそろそろつくはずなんだが」
 鳥取県桑原村大字上代、という住所であるのだが、そこまで相当の時間がかかった。私は助手席で、ひどい車酔いと戦っていた。のど飴と氷砂糖をなめていたが、いい加減口が拒否反応を示してしまいそうだ。
 一方の越智は、こうしたことになれっこであるようで、けろりとした顔であたりを見渡していた。先んじて桑原村の役場に行き、あれこれと聞いては見たのだが、これがまるでなしのつぶてだった。こうしたアタリをつぶして真相に、というかネタ元に近づくのは仕方ない作業であるのだが、やはり疲れる。付近の住民にきいてもやはり音沙汰なし。いよいよ手詰まりになってきた。
「来たばかりだからこんなもんよ。いつだってそうだろ?記者仕事なんて手詰まりになってからが本番みたいなもんだ。お互い様だろ、正攻法でいかないのは」
「そうですねえ。で、これからどうするんです」
「わかっているだろ、こういう時の解決法は」
「足で稼げ、ですか。あーあ」
 面倒だ。そもそもここいらにいる人間はだれもかれも言葉の訛りがひどい。神奈川生まれの私にはとても通じないような外国語のようだった。しかも外国人と違い、こちらの話は聞こえてしまうのだから厄介だ。
 それでも何とか大字上代までの道のりを聞くことはできたが、そこからがまた借り受けてきた4WDがやっと通れるような細い山道しかないものだから辟易してしまった。一車線しかなく、それだけがそこに行くための唯一の通行手段だとは言うが、それならそこに住んでいる住民はどうやって生活しているのだろう。桑原村でさえコンビニはおろか、生活雑貨を売る商店が一軒だけしかなく、住民の多くは自給自足に近い生活をしていたのだ。
「大字が付くところはどこも地の果てだな」
「聞こえたらどうすんですか越智さん」
「構うもんかよ。ここまでの旅費を考えたら韓国で豪遊できる。これをどう取り返したもんか、今考えてんだよ」
 4WDの運転席で、越智はそう愚痴る。私も、そのことを考えたら、満田編集長に、どういった金額交渉をするべきか考えてしまうのだった。
「猟銃でも持ってきたらよかった。土産ができるぜ、ほらあそこ」
 いわれた方向を見ると、雉が案山子のように突っ立っていた。どれだけ人里離れているのだろう。この分では、クマとの邂逅もそう遠いことではないように思えた。いっそ現代のもののけ姫を探せなんていうタイトルで、自然系雑誌に売り込みをかけたほうが手堅そうに思えてくるくらいだ。
 いわれた道を車で行くこと一時間、道が開け、集落が見えてくる。どの家も赤瓦で装飾され、昔にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。どういうわけだか、どの家も大きく、結構な分限者であることを思わせる。おそらくは誰もかれもが土地持ちの自作農で、それなりにやっていけているようだ。中には酒造らしき建物もあった。
「桑原村の住人より金持ちっぽいなこれ」
「うーん………」
 見るからに裕福、とまではいかないし、住民を一人も見ていないから、何とも言えないが、どの家にも魔よけの鬼瓦が付き、丁寧な平屋づくりである。土地持ちだからと言ってこうも金持ち風の家が立ち並ぶものだろうか。それなら私の代わりに税金でも納めてほしい。
「とりあえず探し回りましょう。それにもう日もだいぶ傾いてきましたし、出来れば民宿なんかもあればいいと思うんですがね」
「厳しいぞそれ。だってここ家が二十軒ばかりしかないんだぜ。そんな村ですらない集落に果たして泊めてくれるかね」
「最悪あの車の中で私は寝ます。越智さんは道端でどうぞ。襲われたくないので」
「金もらったってお断りだ、クソアマ」
 断られた。自分ではあまり身を入れた手入れなんてしていないが、素材は行けると自信を持っている。まあ、見る目のない男との道中は、退屈極まりないということがよく分かった。
「失礼なこと考えてんだろ。わかんだぞそういうの」
「はてな」
「うるさい。さっさと行け。交渉してこい」
 乱暴に送り出される。いじけるぞ私は。これでも年齢で言えばゆとり世代真っただ中だし、私自身会社を飛び出したのは、わがまますぎてもう手におえんとほっぽらかされたのがそもそもの根本なのだ。そうしたすべてが私の精神を丁寧に削ってくれる。削り過ぎた鉛筆のようにとがっていた時もあったのだ。
 ただし、越智のような、デリカシーの欠片もないような男が近くにいるとひどく安心するときがある。理由は言わずもがな、こちらが知らないうちに自然と引いている一線を苦もせず乗り越えて、触られては嫌なところをからかうように撫でまわす。そうした対応が、うれしい時だってあるのだ。
 二十軒ばかりしかない集落を巡り巡ると、どこか視線を感じる。異物を見るような、刺しはしないがチクリと来るような視線、針ではなく爪楊枝で刺されているような、そんなやさしくも気味の悪い感覚がする。
 ようやく一人、村人に会えたのは、集落の中心地、横射酒造の目の前だった。作業着姿で煙草を吸っている中年の男性はこちらを見て、いぶかしむような視線を向けていた。おそらく酒造の職員だ。
「こんにちは」
 なるたけ大き過ぎぬよう、聞こえやすいような声を出す。中年男性は胡乱な礼を返す。あまりよそ者は来ないらしい。一線どころか、下手すれば関所が挟まっているような対応だ。
「すみません。観光で来たのですが、この集落に民宿のような場所はないですか?」
「………ねえづら」
 口を開いたと思えば、ぶっきらぼうにそれだけを返し、煙草に戻る。ずいぶんマナーの悪いような対応だが、こっちもフリーライターとしてこうした態度にはとうに慣れっこだ。思い通りにいかないことを、横車を押して何とかしてきた自信がある。その分人は離れていったが。
「じゃあ、泊めてくれそうな家はありませんかね。これどうぞ」
 私は、もともと持っていたラッキーストライクを差し出す。喫煙者にはこうした煙草渡しがずいぶんと利く。私自身は吸わないのでよくわからないが、持っておいてとりあえず損はない。たかだか五百円ぽっちで面倒な交渉事を有利に運べるかもしれないなら、ぜひ使い捨て用具という見方で持っておくべきだ。
「………」
 中年男性は、まじまじと私を見て、手元のラッキーストライクを見る。受け取ってもいいのかそうではないのかを逡巡しているような顔だ。
「いいんですよ。教えていただければ嬉しいのですが」
「………あんた一人か?」
「いえ、二人です。駐車場もあれば」
「あつかましいなあんた」
 そう言いながら、煙草の封を切り、咥える。ジッポライターでつけてやるとうまそうにそれをふかした。副流煙のにおいが鼻につく。
「ここ、広いから、聞いてきてやる」
 口がそもそもきけないのか、ただ単に無口なのかわからないが、中年男性は全体的に覇気がなかった。酒造の仕事に鬱屈を抱いているのか、はた迷惑な観光客を目の前に戸惑っているのか、そこまではよくわからない。
 酒造職員の男性が帰ってくるまでそんなにかからなかった。
「良いそうだ。あんたら二人で一泊二食一万二千円。値切りはなしだそうだ。それでもいいなら」
「あら、ありがとうございます」
 一人頭六千円と考えれば、そこらのビジネスホテルのような値段設定だが、ありがたい話である。もとよりただで泊めろというような厚かましい考えは流石にない。

「客とは珍しい。そうもてなせもせんが、どうぞ」
 囲炉裏のある部屋の上座に陣取り、主は言った。
 酒造の主、横射留雄は枯れ枝のような細身に、禿げあがった頭、ロイド眼鏡をしていた。戦争映画で東条英機役としてオファーが来そうな外見であり、商売人らしい愛想のよさを持っていた。
「観光じゃげな、お二人さん」
「ええ、ふらふらと旅をしてます。ねえ、越智さん」
「そうですね。旅行好きで、ついついふらふらと」
 不自然極まりないやり取りだが、人が好いのか、横射は笑ってうなずくだけだった。夕餉になると、酒造で作られたという酒が付き、元来酒好きの私は、心躍ったものだ。
「ここいらは、コメがよう育つ。今年も山田錦は豊作じゃげな。一献受けたってつかあさい。ええと」
「あ、申し遅れました。私は早乙女といいます。こちらのおじさまは越智といいます」
「ええ、失礼をば」
「早乙女さんに越智さんか。しかし気まぐれな方々じゃのう。こげな田舎にきゃあせんでも、広島やら、それでなくても米子やらようさん行くところはありんさるというに」
「え、ええ」
 横射の言葉は、まだ聞き取れはしたが、この土地特有の訛りというようなものがあり、耳を澄まさなくては理解が困難だ。それでもまだましな方なのである。
「山陰は妖怪伝説などの民俗学の宝庫ですからね。山本五郎左エ門とか」
「ありゃ広島の、三次よ。ここいらに、なんかあったかのう」
 ううんと、考え込んでくれた横射に、思い切ってぶつけてみる。酒の勢いもあった。
「不老不死、ってどう思います」
「ううん、なんだって?」
「不老不死ですよ。老いもなく死もなく、永遠を生きるということです」
「馬鹿馬鹿しいのう、わしゃもう七十過ぎじゃが、世の中なんぞ儚んでとっとと三途に行きたいと思うことだってあるわな」
「それは、そうですが」
 老人の言葉についついうなずいてしまいそうになる。私だって、老人の三分の一ほどしか生きてはいないとはいえ、そう考えたことは一度か二度ある。囲炉裏を中心に、私たちは、そうした情報収集にいそしんだ。
「この酒造は、どのくらいの歴史があるんです?」
「そう古いもんでもなあよ。そうさなあ、わしの爺様の御父上、四代前くらいにここで酒造りを始めたそうじゃ。維新より少し前くらいじゃったかのう」
 老人が七十過ぎで、その四代前というと、維新前夜より少し前あたりだろう。
「もともとは但馬のほうで商人をしよったんじゃが、上手ぅいかんでな。こっちに逃げて来ちゃったんが、四代前。ほんで以降酒造りを生業にしとるんよ」
「ははぁ、それでも推定百年以上は酒造をされているんですね」
「老舗という奴だな」
「そんな大層なもんではなぁよ。せいぜいこんまい酒造じゃが」
 百年以上続く企業はそれなりに少ないはずだが、横射酒造など聞いたことなかった。もっとも米味噌醤油に酒たばこは老舗の小売商なら一回はやったことのあるものらしいが。
「はは、百年の老舗の酒ともなると旨いですな。どこぞに卸されておるんですか」
 私と並ぶ酒好きの越智は、にこやかに笑ってそう言った。
「桑原村に卸すのが精いっぱいじゃのう。言うんが、ここらにはトラック入れんのよ。自家用車で通れるのがやっとの道しかないけ」
「そうですか。惜しいな。土産にニ、三本もらえます?」
「ええぞ。お土産にしんさい」
 越智が何本分かの代金を払った。後でちょろまかしてしまおう。
「あと、昔話なら、代々ここに住んどる人がおる。大体はそうじゃが、村長のまねごとをしとる一家があるから明日にでもいきんさい」


 
 四代目横射に教えられた道を歩く。
「てっきり横射さんが村長かと思いましたよ」
「そういうもんでもないんだろう。羽振りのいい家や場所が必ずしも中心じゃないってのはままあることさ。シドニーがいい例だ」
 村長を務めるという、田辺新八氏の家は、集落からかなり外れたところにあった。本家は広島にあるのだが、変わり者の分家がここに住みついているという。それも四百年ばかりというのだから、ひょっとすれば、先祖は西軍に与していたのかもしれない。落人の住む村というのもそれはそれでネタになる。
「しかし、いい加減腰が痛くなるね」
「年寄り臭いこと、まあ」
 お前ね、と越智はこちらをじらりとみる。
「俺もいい加減厄年まで五年を切っているんだぜ。そろそろこういう仕事は上りにしたいんだがね」
「私と同じ理由で、一人プレイしてるんだから、我慢しなさいよ」
 越智も、もともとは、結構な大手マスコミにいたらしいのだが、あれこれ面倒ごとを嫌って独り立ちしたと聞いた。それを聞いた時、もっと忙しくなる選択肢を取るとは馬鹿なことをしたものだ、と素直に思ったものだ。
 山道は、曲がりくねって棚田の上につながっていく。そこの上に立つひときわ大きな家が田辺家だ。
「ああ、全くつかれるもんだ。それで、ここは話が通ってるんだろうな」
「横射さんが、前もって電話を入れてくれたようですがね」
 実際私の目の前で電話を入れてくれたから、間違いないはずだ。
「ふん。で、いるかな」
「さあ………田辺さん、ごめんください」
 何度か、同じ文句で問いかけるが、返事がない。畑に出ているようだ。日も高いし、農作業は朝が一番大変なのだと聞く。田辺新八氏がここにいなくても、不思議はない。
「出ているみたいです。待ちますか?」
「ああ、そうするか。一応の地理はわかるが、案外馬鹿にできない広さだぞ、この集落」
 それは私も感じていた。山裾に、あからさまに開拓されたような土地であるのに、不自然なまでに広い。ちっとやそっとの計画で立てられるような、そうした広さを凌駕していた。ただでさえ、森林を切り開いて人が住めるようになるには、現代の宅地開発を例に出すまでもなく大変な努力と苦心を強いられる。田辺家が四百年前に入植したとしても、たかだか百人くらいの人口に見合わない広い土地が切り開かれたことになる。
(過去には、代官クラスの人間がいたかもしれない。なのに、記録が不自然に抜けている)
 変に、隠され過ぎているような気がした。

 結局、日が中天を指すころ、田辺氏らしい老人が帰ってきた。日に焼け、しわがれた肌に、麦わら帽子が似合っている。その姿は、まさに百姓であった。暑いせいかステテコ姿に腹巻だ。
「カールおじさんのご帰宅だぜ」
「それの親父の方ですね」
「さて」
 家の前に張っている、妙な風体の二人組に、田辺氏はけげんな顔をしていた。
「誰ですかいのう」
「初めまして、越智と申します。民俗学の権威でして、この土地には研究に。こちらは助手の柊君です。柊君、あいさつしたまえ」
 越智はぺらぺらと回る舌で、ひどく流ちょうに、挨拶と私の紹介まで澄ましてしまった。柊というのは、色々な建前上使う、私のペンネームのようなものだ。偽名も愛着が出るまで使うと、自然に返事が出来てしまう。
「柊です。田辺新八さん、ですか?」
「そうじゃけど……ああ、横射さんの客人とはあんたらか。観光じゃと聞いとったけどの」
「ああ、それもあるんですが。たまたま来たここが、大変な歴史をお持ちと聞きまして、学者としての好奇心が堪えませんでしてな。ついつい、この土地一番の旧家とお聞きしたのでお尋ねした次第です」
 よくもまあ、心にもないことをぺらぺらしゃべれるものだ。越智の言葉など、政治家の清廉潔白アピールより信じがたい。信用第一の記者――いや、探偵としていかがなものか。いかがわしい商売なのは百も承知ではあるけれど。
 人の好さそうな、百姓田辺氏はそのまま越智の言葉を信用したらしい。これはこれはとしおらしい態度も取り、家の中に招いてくれた。
「これは、なかなか趣深い家ですね」
「世事はええよ。ここいらじゃ、どこもこんなもんじゃ」
「そうですなあ。皆様大きな家にお住まいで。ウナギの寝床住まいからすれば大変うらやましい限りです。皆分限者で?」
「ん。そうじゃのう。大概山に土地を持っとるが、貸し出そうにも借り手がおらんしの。家がでかいだけの、キュウキュウしとる農民よ」
 辛い評価を下すが、それも致し方ないのかもしれない。古い家で、よく手入れされているが、注意深く観察すると、ネズミがかじったのか、柱のほとんどは傷がついていた。
「田辺さんは一番の旧家と聞きましたが」
「うん。関ヶ原が終わった後に鳥取に入った池田氏の中間をしとったと聞くな」
 私の予想は半分アタリ、半分外れだった。池田氏は関ヶ原では東軍先鋒を務めた上に、徳川親藩の由緒ある家柄だが、私が望んでいた記事とは、方向性が違った。
「先祖が帰農して、ここに骨を埋めることになったわけじゃけど。うーん、歴史があると言われても、資料なんぞは本家に行っとるし、ここではそういったもてなしはできんかもしれんな」
「はは、帰農した武士ですか。そうとう地位の高い自作農だったようですね。肝煎でも?」
「うん。そうじゃなあ、そういうことになるんかな。上代ではあまりそういうかしこまった席もないからようわからんが」
 無駄足だった。そう思う。越智の顔からも、妙な呆れた雰囲気が立ち込めていた。要するに格の高い村人であることは間違いないが、この状況を打破するような、そういったものとは違ったということである。
「上代に詳しい資料なんか、ないですかねえ」
「うーん、うん」
 うなるばかりの時間が少し続いた後、田辺はポンと膝を打った。
「そうじゃった。年のせいか記憶も薄ぅなっとったが、神社の神主一家が、代々記録簿をつけとったわ。今もやっとるかわからんが、ここよりはよかろう。善は急げ。はよういこうか」
 カールおじさんのような恰好をした田辺氏は、すぐに支度をした。こういったフットワークで劣ってはならない気がするのだが、年甲斐もなく田辺氏の行動はシャキシャキとしていて、越智よりよほど頼りになる。
 神社は、田辺氏の家から数分ほどの場所にあった。これは幸運だったと言える。人口密度でいえば、日本の平均値を大きく越してしまっているようなこの集落だ。遠すぎる、などと言われれば、事と次第によれば、車で行かなくてはならなかっただろう。考えてみれば、レンタカー代が気になり始めた。
「ここや。ここの草薙とうち、それと木庭家が御三職じゃな」
「御三職?」
 聞きなれない単語に、思わずくちばしを突っ込む。
「ああ、御三職いうのは、ここの天児神社の神主草薙、村長田辺、それと波侘主の木庭で出来とってな。もともと戦国の頃にできたものらしい。資料を見たことないからよう言えんがね」
「カワタ、というとエタですか」
 歴史に興味のない人間でも、エタヒニンという言葉はよく聞く。今では言葉狩りというか、強烈な拒否反応を買う言葉でもある。
「昔のことよ。カワタいうのは平時だと鎧製造商いをしとった。ここいらでは一番の金持ちじゃったよ。今でもそうじゃ」
「今でも?」
「いまじゃ刀鍛冶じゃ。美術品として取り扱われるけえ、羽振りはええ。いつからだったか、そうなったようじゃがね」
 自然発展的にそうなったとはいえ、革侘主というのは、ひどい名前だ。もう少しひねりがいのあるもののような気もしなくもない。
「ここらでええかの。わしもそろそろ田に行かにゃならん」
 田辺はそわそわと言う。
「ええ。ありがとうございました」
「きいつけえよ。ようわからんが当主は引きこもりじゃというけん」
 そう言い残し、田辺は去った。
「だとさ。あとは頼むぜ。敏腕フリーライターさん」
「はいはい………」
 気に障ることを勝手に言う。敏腕ならこんな仕事のために大枚叩いて、鳥取くんだりまで来ないってんだ。石段を上り、石造りの鳥居をくぐって、お祈りをする。
「参拝か」
「こういうのも洒落ですよ。祈っといて損はありません」
「そうだな」
 フリーライターは科学者じゃない。それなりに運が絡んでくる場合も少なくないし、信心深い人間もおおい。
 神社の裏には、社務所と住居があった。古い建物、ではあるが手入れがよくなされている。持ち主の几帳面さがよくわかる。
「もしもしぃ」
 呼び鈴もないものだから、声をかけるしかない。中から足音がして引き戸が開いた。
「うん?どちら様?」
 小柄な老人だった。袴を着込み、人の好さそうな笑顔を浮かべている。
「やあ、おはようございます」
「もう日も高いがね」
「そう気にしないでください。民俗学者の越智と申します。こちらは助手の柊君」
「ふん。それは、それは。神主の草薙達夫です。ずいぶん山奥までいらしたものですね」
「それはもう。学者はフィールドワークが本分ですから。アラスカからアマゾンまで行きますよ」
「そうですか。で、何をお聞きに」
 こうも騙されやすくて、いいのだろうか。他人事ながら心配になる。
「古い歴史のある集落だとお聞きしましてね。話をお聞きに」
「はいはい。なるほど。ではおあがりなさい」
 社務所に通されると、茶菓子と緑茶を出される。喉が渇いていた。ちょうどいい。一息に飲み干すと、すぐにお代わりが出てきた。それを運んできたのは、私より二、三歳下の女性だった。
「孫の依乃です。身体が弱くて、ここで静養しているのです。ご挨拶」
 依乃と呼ばれた少女は、頭を下げ、すぐに下がった。
「無口な子でね。心配で仕方ない」
「仕方ありませんな。子供はかわいいものです。私にも娘がいますから気持ちはわかりますよ」
 これは本当だ。何回か、越智の娘と遊んだことがある。家を空けがちの馬鹿親父に似合わない、非常に気の利く中学生だ。越智自身は昔を懐かしむようなことを愚痴るが、それは年を取った証拠だろう。
 しばらく越智と草薙で、子供談義が続いた。ああでもないこうでもないと、私には至極どうでもいい話が続く。一人が大好きで、人を心底愛することが出来ない私には、どうにも現実味を欠く話だった。
「ええ、いいですかね。親ばか談義は」
「おお、おお、つい忘れていたよ柊君。かわいい娘や孫は、それこそ目に入れても痛くないほどだからね。独り身には居心地の悪い話だっただろうね」
「はいはい。それで草薙さん。単刀直入にいいますが、よろしいですか?」
 単刀直入というくせに、一回間をはさむあたり、私も、臆病だなと思う。草薙は、きょとんとした顔をしたものの、手を前に出して発言を許可した。
「不老不死、というものに、聞き覚えはないですか」
「ふむ。それは………概念ではなく、実際のことかね」
「概念?」
「古来、天孫である瓊瓊杵尊が人間の祖を作ったと言われている。こね回した泥人形が人間の祖先という神話もあるな」
「だがそれは神話でしょう?」
 これでも、その手の取材は重ねてきたが、ダーウィンの進化論より説得力のある神話を聞いたことがない。確かに、進化論には説明のつかない進化に対する説明が抜けているところがないとは言えないが、それでも猿と泥人形では差がある。
「瓊瓊杵尊は国を発展させる神を増やすために二人の嫁さんを取った。醜女だが長生きの象徴であるイワナガヒメと、美人じゃが桜の花のように儚さ、短命の象徴コノハナサクヤビメという二人の女神じゃ」
「うらやましいことですな。好みがわからないものだから二つ用意したというわけだ」
 下種な話はやめてほしい。自分のルーツである神様がブス専だとか面食いだとか、あまり考えたくないんだけど。
「ところが、瓊瓊杵尊は姉であるイワナガヒメを離縁してしまう。一応は日本初の離婚じゃな」
「面食いだったというわけですか」
「やめましょうよ。不敬な冗談は」
「それがあながち間違いでもないんじゃな」
 マジかい。どいつもこいつも神様にいたるまで顔顔顔。皮一枚がそんなに大事か。どうせくたびれて垂れ下がる皮膚一枚に誰もかれも固執しおって。
「二人は姉妹じゃったが、妹だけをめとられ、イワナガヒメはひどい嫉妬にかられ、父親に直談判した」
「そりゃそうです。当たり前ですよ」
「柊君、君はブスじゃないからそう目を吊り上げなさんな」
 余計なことを言わないでほしい。どうせそのあとに言わなかった言葉は、美人でもないが、とかに決まっている。十人並だが、そういう美醜であれこれ決められるのは嫌いだ。
「瓊瓊杵尊の義父。つまりは二柱の父は困惑したが、取り合わんでな。結局送り返したままになってしまった」
「それで、どうなるんです」
 二人とも、神話など聞く機会はない。この先が気になった。
「さっきも言ったじゃろ。二柱は対極なんじゃ」
「対極」
「見てくれは悪いが、千代に八千代に変わらぬのが、岩や石じゃ。それが本尊の神社は数え切れん」
「ふむ」
 越智がうなる。私も納得した。
「しかし、桜の花はいかに人の目を引こうとも、一瞬で舞い散ってしまう。見てくれこそ素晴らしく美しくてもな。後は毛虫の巣になり下がるだけじゃ」
「はあはあ」
「以降、天皇家と人間の寿命は、神に比べてひどく短くなってしもうた。信仰さえあれば存在できる神とは違い、人の身には有限の寿命が出来た、というわけじゃ」
「つまり、瓊瓊杵尊が面食いじゃなければ、人の寿命は悠久なものになったというわけですか」
 一柱のわがままで、こうも変わるのだから、瓊瓊杵尊はひどい選択をしたものだと思ってしまう。あくまで神話で、現実にあったかどうかはわからないが。
「しかし、それだからこそ、偉人や異才がもてはやされるようになったのじゃないかな。永延の命、悠久の生というのは苦しいぞ」
 そう言って、小柄な老人は立ち上がった。お茶菓子を持ってきてくれるらしい。
「どう思う?」
「何がです」
 越智は珍しく神妙な顔をしていた。結局不老不死については教えてくれなかった。変な、妙なはぐらかされ方をされた。しかし、越智はそれ以上に、今の話にのめりこんでいた。
「いや、実際不老不死について考えてみりゃあな、首かしげてしまうんだよ」
「それは」
 そうだ。目標のない人生など、漂流に等しい。誰しも、気力が充実せず死を望むことが一度くらいはあるだろう。しかし、救いに見えるような死が望めず、永遠に漂流する人生――それは絶望なのではないか?
 私たちが追い求めて、記事にしようとしている不老不死の人間はとっくに気が狂っているのかもしれない。その可能性に、初めて気づいた。
「やばかったらバックレよう。死なねえ人間に命の尊厳なんて馬耳東風だぜ」
「そうしますか、命あっての物種です」
 狂人という人間と何回もやりあったであろう越智の言葉は説得力があり、重い。
「お待たせしましたな。それで、なんでしたか?不老不死、なるほど、そうかはわかりませんが、年寄りの多い村ですから、年齢不適応な見かけをしたものなら二三心当たりがあります――が、そんなものが研究対象になるとは到底思えませんね」
 厳しいことをおっしゃる、全くその通りでぐうの音もでない。
 草薙は、温和な顔ながら、目つきを鋭くさせてこちらを覗いていた。胡坐をかき、将棋盤を見据えるベテラン棋士のようだ。長く、鉄火場に出入りしていたような、そういった雰囲気である。
「ええ、そうですな。そうしたことは民俗学ではなく、家庭科の先生が適当にやればいいことです。あなた方がどんな生活をし、何を食べているのかとかは、私の研究範囲ではありません」
 越智が返す。
「不老不死、ありえないことです。この地球上の誰しもが望んでも、かなえられた人は一人もいません」
「ふむ………それで、あなたは何が言いたいので?」
「ばかばかしい研究はさっさとあきらめろ、そういっているのです。わかりませんかな?」
 温和な顔、最初にそう思えた顔は今や消え去り、粛々と決まったことを伝える死刑執行人のような顔になっていた。感情というものがなく、あっても上っ面のものだけだとすぐにわかる。草薙達夫の印象は一変していた。
 むろん、越智もそれだけで諦める人間ではない。私も同じだ。経費が惜しいのも確かだし、この小柄な老人の思い通りに事を運ばれるのは癪だった。
「何か知っているんですか」
「違います。あなた方若い者のばか騒ぎを止めるのが老人の務めですからね」
 私の質問を即答で返した。おかしい、それなら茶飲み話といってこちらが辟易するほど長話をすればすむ話ではないか。それこそ老人の得意技だろうに。
 何かを隠している。間違いない。
 そう思ったとき、越智が切り出した。
「そうだ。少し聞きたいのですが――毛野口さんという方はいらっしゃいませんか?毛野口右衛門さん」
 越智のネタ元だ。なんでも遠縁の遠縁――本当かどうかは私も知らない。
「………ああ、右衛門の爺様ですか。それがこの前ぽっくり死んでしまいましてねえ。まったく老人ってのは怖いもんです。それでも九十七まで生きたのだから大往生だったんでしょうがね」
 うちで葬式を挙げましたよ。いやいや寺がないものだから冠婚葬祭は神社であげることになってまして――薄っぺらい言葉が簡単に羅列されていく。私はとてもではないが、その言葉を信じることが出来なかった。



 長いこといたような気がしたが、西日はまだまだ燦々としており、少し汗ばんだ。
「どうすっかな。あの爺様が死んだなんて初めて聞いた」
「遠縁なのに、何の知らせもなかったんですか?」
「特にな。葬式やったなんて聞いてないぜ。どうもきな臭い」
 越智の鼻は敏感だ。そのおこぼれを頂戴している身なのは私自身だが。
 草薙の態度は確かにおかしい。最初の温和な態度が、自分がありえないといった不老不死というキーワード一つで変わるものだろうか。
「ここはひとつ国家権力のまねごとと行くか?」
「いやです」
 この男の回りくどい説明を解読すると、要は張り込むぞということだ、冗談じゃない。何度も経験して張り込みが実に面倒くさく、成果がその労力に見合うことがほぼないということをよく知っているのだ。ここまで来て空手で帰るのも癪なのは確かであるが、それでも切り上げるべきところはある。パルプホラーには申し訳ないが、ふかし記事を作って謝罪すべきだろうか。あそこは軽いホラーがあればなんとかなる。
 それは冗談にしても、締め切り問題を考えると、ここに長くいるわけにもいかない。
 私がそんなことを考えていると、パシという音がした。
「?」
 あたりを見渡す。するともう一回、パシりと音がした。
「越智さん、何か当たってますよ」
「いや、それは気づいているけどよ。なんだろうと思ってな――あっちか」
 それは小石だった。気づくかどうかの境目のような大きさの小石が越智の足に当たっていたのだ。付近を見渡しても妖しい影もなかったが、越智はお構いなしに小石が降ってくる方向に歩き出す。
「………ん。あんたは」
 後ろからついていった私には、越智が誰と話し始めたのかわからない。しかし、越智の反応は、意外なものを見たという以上のものではなく、たいして驚いたようなリアクションもなかった。それもそのはずで、越智が話していたのは、先ほど茶を運んでいたあの少女だったからだ。依乃、とか言ったか。
「お嬢ちゃん、何の用かな?」
 越智はなるたけ紳士的に尋ねた。別に威圧的な外見をしているというわけではないが、それなりに背も高く、初対面の人間には怖がられることが多い損な人でもある。
「………」
 身振り手振りだ、口がきけないのか、おとなしすぎるのか、それはわからないが。
 人差し指で山道の入り口を指し示す。
「向こう、行け?」
「………」
 うなずく。はいだのうんだの言ってもばちは当たらない気もするが。見るだにあの神主の草薙にしゃべるなとでも言い含められているのかもしれない。
「オーケー。向こうに、なにかあるんだな」
「………」
「ああ、そうだ。おい、早乙女、ペン貸してくれ」
 いわれたとおりにすると、越智がそのまま渡し、メモも同じく渡す。なるほど筆談か。これなら喋る喋らないは関係ない。
「………」
 依乃はそこにすらすらと書いていく。硬筆の、ほっそりとした書体だった。
(この先に、神様がいます)
 それだけ書くと、依乃はお辞儀をし、踵を返して去っていった。
「どうするんです?」
「行くに決まってんだろ。車に戻るぞ。面白くなってきた」



 そして、現在――依乃曰く神様の住んでいる場所にいるわけだが。
「豪邸だな。驕奢というわけでもないが」
「そうですねえ。マヨヒガってこんな具合なんでしょうね。なにかちょろまかして帰りますか?」
 民俗信仰も信じてしまいそうなほど、場違いな家であると言いたい。
「そいつはあとにしようぜ。まずは話を聞いてこよう。襟を正しとけよ。神様にあうんだからな」
「お互い様ですよ。それは」
 私たちは、車を適当なところに止め、件の豪邸を目指す。門扉は重々しい樫の木でできていた。重たいが、押すと開いた。門扉を抜けると、庭があり、鶏が放し飼いになっていた。小屋もあった。
「こりゃいい加減くらくらしてくるよ。マジもんの良家の方々が住んでんじゃねえか?」
 越智が、時代不適格ともいえるこの家にイライラしているのが分かった。イライラというより不安視しているのかもしれない。山姥の棲家と言われたって信じてしまいそうな山奥なのだ。
 巨大な母屋の片隅に立つ煙突から、白い煙が立っているのが見えた。誰かいるのは間違いないようだ。
「………ここが入り口ですよ」
 越智は私の後ろから恐々とついてきていた。案外臆病な部分もあるのかもしれない。長いとは言えない付き合いだが、弱みを握って損はない。母屋の引き戸をたたく。
「………んん?」
 うめき声が聞こえた。引き戸を開ける。
「………………」
 目を丸くしている。そういう表現がぴったりくるような顔だった。長い銀髪を無造作に後ろ結びにした、長身の女性。袴を着込み、袖まくりの縄をくくっていて、刀を打っていたのか汗だくだった。
「………」
 お互い黙り込んで、何も言わない。目の前の大柄の女性は目を見開いたままで、立ち上がった。越智が震えるのがわかる。ゾンビを見たわけでもないのに大げさな。
「んー。んん」
「な、なんだよ……」
 越智が前に出てくる。蛮勇だ。臆病な人間ほどなんでこういう時に前に出たがるんだろう。
「主らぁ、誰な」
 案外、軽い声だ。175センチを超える、男性平均値の越智を頭一つ分超えている。古い文献の武芸者のような雰囲気すらある。
「探偵だ」
「たん、てい。ほお、ほお」
 人差し指を追ってあごを乗っける。何かを、考えている。異様なほど鋭い目つきを覗けば、普通なのだが。
「そちらの、娘は?」
「さ、早乙女、っていいます。物書きです」
「ふうーん。ふんふん。なるほどのお」
 手拭いで汗を拭く。
「左様か。ええぞ。話を聞いてやろう。ほれでも、ちいと待てえよ、あれ仕上げにゃならんのじゃ」
 見下ろして微笑む女性は、そういって仕事に戻った。
 一時間ほど待っただろうか。外で待っていると、汗をぬぐって大きな影が出てくる。
「そこで、待ちよったが。なかおりゃええのに」
「い、いえ。そうしたかった、んですけどね」
 威圧感がある。とりつくろわない怖さがある。自然体で恐ろしいのは、正直手が付けられない。
「………ああ、そうじゃげなあ。説明もせんかったけえ。ええど、こっちから入り」
 微笑みを崩さないが、私たちはおっかなびっくりついていった、気を抜けない雰囲気がプンプンするのだ。なんだか、血の風呂だとかに入ってそうな気すらする。ありえないはずなのだが、それを否定しきれない。
「大丈夫かよ、この人」
「しりませんて」
 こそこそしゃべるが、流し目で見られていることに気が付き、口をつぐむ。
 女性に通されたのは、大きな広間だった。上座には、どこかかしこまった床の間と掛け軸がかかっていた。
(これ、テレビドラマとかでよく見るやつだな)
 えらい殿様が床の間の前に座り、指示を飛ばすような光景である。残念ながら部下がおらず使者が二名、という寂しい評定であったが。
「ようこそ。といっても、どちらさんやったかのう、甚兵衛さんの子ならもうとうに村をおりとるし………名前を申せ」
 命令だ。これは命令だ。それだけの威圧感があった。隣の越智など、いつ泡を吹いて昏倒するのか、というほど慌てている。私はそれを見て、少しばかり落ち着いた。
「は、はじめまして」
「うん。そうだな、はじめまして」
「早乙女美佐子、と申します。文筆にて生計を立てています。こちらは探偵の越智、と申します」
「ふむ。越智に早乙女か。うむうむ、しかと覚えたぞ。では、今度はこちらの番だな」
 脇息に肘を置き、足が長いせいで胡坐をかくのに苦労していた女性は切れ長で黒目勝ちの目をこちらに向けて、言った。
「妾は藤原螢火と申す。客人方、山道を大変であっただろう。しばし休むか。それか風呂でも焚こうか」
「い、いえ、お構いなく」
 興味深々、というような顔で螢火は私たちを覗き込む。
「無理じゃなあ、客人は久々じゃ、興味に堪えん。そこもとは物書きに探偵か。新聞は持って居るが、だいぶ古いのお」
「へ、し、新聞来るんですか」
「そりゃ生きていかにゃならんからな、死にはせんが」
「そ、それはどういう」
「うむ。嘘かと思うじゃろうがね」
 ――妾は不老不死なのよ。
 まさか、こうも簡単に見つかるとは思っていなかった。越智も目を丸くして呆然としている。私も、ぽかんとしていた。
「うーむ。どうした?」
「い、いえ。いきなり、でしたから」
「そうじゃろうそうじゃろう。なにせそう見れるものではないぞ。自称不老不死はいくらでもおる。そこもとにもわからんだろうがな。なにせ、妾がいつから生きておるのか証明できるものはなにもないんじゃけ」
「………それも、そうですね」
「それに、妾もここにいっぱなし、というわけではないぞ。それなりに旅行もするし、これを売りに行くこともある。金は、要らないがあれば便利じゃからのう」
 重苦しい雰囲気で、ひょうひょうと言うものだから、本当なのかどうなのか迷う。しかし、もし本当でないとしてもこの殺気を自然と抑え、丁寧な言葉遣いをする白髪の女性など、私は見たことがない。
 それに、ぶっちゃけてしまえば、この不老不死という概念は、本当でなくても別にかまわない。螢火が言うように誰にも証明できないし、こんな東京から二日がかりかかるような山奥に来るやつはいない。当然上代などという具体的な地名も明かさない。【パルプホラー】は正直、こうしたいかがわしいくらいのいい加減なネタが一番ちょうどいい。
「で、そこもとらは、ここに何しに来たのかな?刀剣の類なら売りもするが……土産にでもするか?」
「そ、それは興味がありますよ!」
 泡吹く寸前の越智が食いつく。欲深だ。
(越智さん、銃刀法は)
(ばか、そんなの関係あるか。見ろあの幽紋)
 よく見ると、螢火の持つ刀は煌めいている。芸術品としても高名なものかもしれない。
(あらあ大した品だぜ。大体この仕事は経費ばっかり掛かるんだ。コスパ悪すぎんだよ)
(企画料奮発したつもりでしたが)
(あんなんうちの娘のランドセル代でしまいだ。俺自身の稼ぎがちっともないだろうが)
(で、あの刀を)
(そういうわけよ。屑鉄でも二束三文にならあ。うまくすりゃいっぺんに赤字解決だ)
 こそこそと話していると、人影が近くにあった。螢火が鼻息がかかるような近くまで来て、蹲踞の姿勢で、こちらを見ていた。
「こりゃ、ひそひそ話はよそでせえ。お前らがここで何話しても聞こえるんじゃけえ」
「……だそうですけど」
 越智はばつの悪い顔をした。欲深いというのはばれるとひどく恥ずかしいものなのだ。
「あのう、いいですかねえ」
「むろんよ。打ち立てのもんをやる。銘を掘ってやる。秋口だから、秋月とでもしようか」
 二つ返事でくれた上に、適当な名前まで掘ってくれる。なんだかサービスが過ぎて、驚く。
「まあ、軽く万はいくじゃろう。そういえば外では、銭と厘はもうないのじゃな。ここの古銭も使えたのに」
「外?」
「ああ、気づかんか、そうじゃろうのう」
 呆れた、というよりはものを知らない小僧に、何かを教えるのが楽しいというような表情で、螢火は笑う。
「ここは、異界よ。妾の住みやすいように、外とは時空を捻じ曲げとるのじゃ。ま、一人では生きていけん。不老不死とはいえ気が狂うわ。たまには人と話さんと死にとうなるしの」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った!」
 刀を珍し気に眺めていた越智が慌てて、話をさえぎる。私も、心の中では、ひどく慌てていた。そんな馬鹿な。
「い、い、異界だと?」
「ほうじゃわ」
「ほ、ほうじゃわじゃない!どういうわけだよ!」
 怒鳴るように声を張り上げる越智に対して、螢火は懐かしむように、目を細めた。実際懐かしいのかもしれない。人に怒鳴られるなど、結構久々なのだろう。
「おお、男の怒鳴りあげは、怖いもんじゃなあ。ま、そうかりかりすない。例えばのう………『雨よ、降れ』」
 両手を拝むようにくっつけた後、恭しい詠唱のような、響く声でそう言った。とたん、木々と瓦で作られた屋根から、パタパタという音が響く。
「………とま、こういうわけじゃなあ」
「どういうわけです」
 察しが悪い、とはよく言われる。しかし、私は、しかと取材対象から言葉を聞き出したい性質だ。それは我慢してもらうし、我慢できない人と当たれば、その時点で取材は終わる。
「知れたことよ。この場、因幡上代は妾の土地、天候、作物の出来不出来、時には縁結びから妖怪騒ぎまで妾の思うがままの、別天地じゃわ」
「ふざけるな!そんなの信じられるか!」
 越智が、混乱したように喚いた。落ち着いた場所にいたときの、紳士的な物腰はすでになりをひそめ、自分の常識にないことを受け入れたくない一人の大人の姿だった。越智だとて、常人にはあるまじき精神力と、探偵業につきもののダークな部分と渡り合ってきた人間である。それがここまで錯乱するというのは、よほどのことだ。
「でも、わざわざ見せてやったろうが。不思議なこともあるもんじゃからなあ。人間、長生きすれば」
「そ、そんな………おい、早乙女!来い」
 手を引かれる。大広間を出て、4WDのもとに急ぎ、キーを回してクラッチを操作しだした。ちゃっかりといえば聞こえもいいが、秋月と銘打たれた刀を腰だめに持ってきていた。
「な、何するんです!」
「逃げるに決まってんだろう!あいつはいかれ野郎だ!あんな奴にかかわっていたらろくなことになりやしねえ!」
「そ、それは……」
 間違いない、とは言えない。実際話してみれば、尊大な態度と時代がかったしゃべり方を除けば変な具合ではない。
「ま、お、落ち着きましょうよ。変なことにはなりませんて」
「馬鹿!あほ!お前がそんなんだからこっちもとばっちりが来る!もう知らん、おれは帰る!」
「ちょ、待って!私おいてくなって!」
 私の静止も簡単に振り切り、越智は車のエンジンをかけ、走り去っていった。
 おい、冗談じゃないぞ。こんな山奥に車もなく独りぼっちだなんてたまらん。
「ああ、ああ。いってしもうたか」
「螢火さん。どうにかしてくださいよ。車とかないんですか!」
「車なんて、馬も牛もとっくに死んでしもうたしの。それにあんな猛牛みたいな四駆に追いつけるようなもんはないわい」
「じゃ、どーするんです!私は置いてけぼりですか!」
「案ずるな。ここは異界じゃというたじゃろ」
 のんきにそう言って、奥に向かった。私はどうしようもなくそこに突っ立っていた。



 夕日が落ちる。越智は結局帰ってこない。案ずるなどころか、どう帰ればいいのか思案のしどころだ。電話は当然のように圏外。連絡手段は全くなし。そして最寄りの集落まで何キロあるかもわからない。
「おい、風呂たけたど。入っとけ」
「風呂?」
 自称上代の神様、藤原螢火は、銀髪を結い上げて、軽い和服姿でこちらに声をかけてきた。大広間で、何もすることがなく寝っ転がっていた私は腰をあげる。
「そうじゃ。風呂、風呂よ。もう逢魔が時じゃ。さっさと入ってしまえばええ。まあ、あの男もそうせんうちに帰って来るわ」
 そうは言うが、そのセリフはもう二時間前にも聞いた。自称ではあるが不老不死を名乗るだけあって気の長さには自信があるのだろう。私はそうではない。というより、このままではなし崩し的にここの住人になってしまう。
「帰ってくる、って」
「なんていうても、妾はここの神様よ。ようは、なんだってできるんじゃ」
「本当ですか」
「おうとも」
「じゃ、越智さんを呼んでくれます?車付きで」
「承知、ほい」
 腕を上げると、外からエンジンのうなる音がした。
「よう疲れとるじゃろうて。まあ、安気にしてつかあせ」
 私は外に出る。そこには4WDと疲れ切って座り込んだ越智がいた。何時間ほど走り回ったのか、こんにゃくのようになっている。何百キロ走ったのか、4WDのガソリンは、ほとんどなくなっていた。これで帰る足は、自前しかなくなった。何をしているんだ。頭に血が上りそうになるが、それを何とか抑えて車にもたれかかって体育座りをしている越智に声をかける。
「………何しているんですか」
 それでも怒りのあまり声は震える。越智は胡乱気な目で見上げてきた。
「もうだめだ。何キロ走ったと思う?」
「知りませんよ。なんで一人で逃げたんです」
 聞いても無駄なことを聞いた。逆の立場だとしてなら、理解できなくもない。仮に越智が、俺を置いて逃げろ、とでもいえば私は簡単においていくだろう。ビジネスライクな考えとしては理想的だと言える。
 しかし、こう置いてけぼりにされると腹立たしいのもまた事実なのだった。だからこそ怒りを抑えられない。
「………まあ、落ち着けよ。あの姉さんはまだいるか?」
「いますけど」
「すぐに話がしたい。中か?」
 聞きはしたが、返答は期待していないようで、そのまま中に入っていってしまった。私はぼおっとしたが、すぐに思い直し、母屋の中に入る。
 大広間ではなく、螢火の私室のような小部屋で越智と螢火は向き合っていた。私は下がろうとしたが、越智が何をするのかわからず、それを心配してすぐそばにいた。
「あんたの話が聞きたい」
「ほほ、異な男よの。どうぞ、話してやろうわい。で、なんじゃ?」
「ここは、異界という。俺も走り回ってくたくたになってよくわかった。全くの異界だ」
「そういうとるじゃろう。なにせ、妾じきじきの結解を張っておる。まあ、常人ではとてもとても無理じゃわい」
「じゃあ、あんたはそれを飛び越えられるのか?」
「うむ」
 螢火は狐のような切れ長な目を細めて首肯した。無礼な口調の越智のことも楽しむように見ている。見かけは越智よりよほど下にしか見えないのだが。
「当然じゃ。そのような欠陥品ではない。しかと妾の管轄下よ」
「ではどうする?どうやって飛び越える」
「なに。飛び越える必要などありゃあせん。主らにとっては鉄壁より通りづらい結解も妾にとってはただの御簾にすぎぬよ。妾もタツキの道があるからのう」
「タツキの道?なんですそれ」
 私は口をはさんだ。
「知れたこと。いかに思い通りになるとしても、無から有を作り出すことはできぬ」
 確かに、そんな真似ができたら刀鍛冶なぞする必要もない。そして起きている必要も、生きている意味すら見出しにくくなるだろう。
「月に一度ほど、山を下りて刀と包丁を売りに行くのよ。それなりの額になるのでな、それで種もみやらなんやらを買う。最近の用品は便利過ぎて肌に合わんので、ここにはないがの」
 なるほど、生活するのに金は必要なのだ。なんでも思い通りになるはずの神様でもこんな具合なのだから、なんだかむなしくなる。
「なるほど。あんたはここにいたくているのか?」
 そう聞いた時、螢火の顔がひどくゆがんだ。この手の顔を見慣れている私も、心臓がはね飛びそうになる、怖い顔。
「………いんやあ、居たくないぞ」
「は?」
 越智は、空気が変わったことを敏感に感じ取った。私を前に出す。やめろおい。
「長い話になる。手帳にでも書きなされ」
 先ほどまでの、どこか酔っぱらったような声ではなく、芯の通った強い声が聞こえる。
 どこからか、一升瓶を引っ張り出してきた。おそらく、越智を連れてきた要領で引っ張り出してきたのだろう。実にうらやましい能力だ。ものぐさどもにとって夢のような納涼である。
「まあ、飲みやれ。因幡の酒は雪国のええところ悪いところが出よる。ひとつひとつ、一人一人なら善人でも、固まれば始末が悪い」
「は、はあ。いただきます」
 あまり酒がいける口ではないが、場に合わせるというのは実に重要だ。特にこうした仕事をしていると。越智も、もともとが大の酒好きであるから、否応はない。
 因幡の酒、というが、なるほど、そういう意味か。なめているうちはやや辛口のこの酒もうまいが、一気にあおると悪酔いしそうになる。現に、横の越智はそうしたらしく、珍しくむせていた。
「はは、だから言うたじゃろうが」
 そう言って笑う螢火は、確かになめるようにして味わっていた。
「くつろぎやれ。そのまま聞きんさい」
 螢火は話し始めた。私は映画が始まる前の高揚感を思い出していた。



 妾がここに来たのは、さあ、いつどきじゃったろうのう。関ヶ原など考え及びもせん時じゃった。まだまだ足利の世じゃったし、都では足軽と妖怪が跳梁跋扈しておった。そんなときじゃな………疑いの目はもうええぞ。何度言うても主らは信じんのう。
 妾は都におった。さる高家の家に生まれて、土蔵もそれなりあるような、裕福な家で生まれたのじゃが、乱で焼け落ちての。どうにもならず、山名の殿様の本拠に落ち延びたのよ。母父にはそれ以来会っておらぬ。もう死んどるじゃろうがの。妾は不老不死になったのはそのころじゃ。かぐや姫は知っておるか?うむうむ、よろしい。物語はかぐやが月に戻りてさあ終いとなるのじゃが、あれには続きがあるでな。
 かぐや姫は月に戻る際、ある薬を帝に手渡した。それは不老不死の月の妙薬だったのよ。まあ、不届き者がおったものでな。手渡した薬は、月よりも眺められるよう富士の頂上で焼かれるものだったのよ。ただ、それを惜しんだ不心得者が妾の一族におったのじゃ。そのころには、そのような逸話を知るものも少のうなっておった。ただ、土蔵の奥まった場所に鎮座ましましておったのじゃ。妾はそれを、好奇心からついなめた。それが、このひどい人生の幕開けじゃとは、思いたくないけどの。
 どうじゃ、酒が足りぬか。一気に飲めば、あっという間に床に入らねばならぬが、なめなめやると長持ちするの、ほれほれ。
 そのような話は、ついぞ知らぬでな。知ったのは、こうなってからずいぶんと経ったときじゃのう。夜咄で泣くような子供に、やんごとなきお方の振られ話など理解できなんだ。妾も、いたずら心でそのような薬を飲んだと聞いた時にも泣いたがの。
 ええ、と、どこまで話したが?
 そうそう、ここに村をつくったことか。山名の殿様は妾のことなどついぞ知らぬが、情も沸いたのじゃろう。妾のようなちんまい娘にも、ちっぽけとはいえ荘園を用意してくれておった。それが、今の上代の元々よ。誰も知らぬし、書かれておらぬ。妾だけが知っとることじゃが、妾さえ知っておれば、永遠に残される記憶じゃろうな。
 そのまま、何十年か経つうちに、あいつはおかしいと言われ始めた。考えてみれば道理よの。背ばかり高い目立つ娘が、ちっとも老けんのだから。山名の殿様が亡くなり、何回か領主が変われども、妾は変わらぬ。ちっぽけとはいえ、結構な収支のある裕福な集落の顔役の顔は、能面のように白いままなのじゃから。
 とうとう、妾は気味悪がられて誰も近づかんようになった。池田の殿様の世になってから、ついにひどく重い腰をあげなさった。妾もそのころには世を儚むようなこともなく、日ごと世代ごとに裕福になる村を、わが息子のように見ておった。
 ある日。ある日じゃ、正確な月日はとうに忘れてしもうたが、その日のことは今でも覚えておる。
 陰陽師、というのをご存知かな。
 知っておるか、よく勉強しておるな。妾にはさっぱりわからぬ。高家には占いがつきものじゃが、それなら妾が不老不死の薬をなめた日は物忌みじゃったのじゃろうな。家におったからこそ、こうなったというに。
 よく脱線してすまぬ。
 陰陽師は、一度滅びたと聞いたが、どっこいあの手の連中は滅びやせん。なんせ人の心につきものの、不安という病を治せるはずの連中じゃからの。池田の殿様も影に日向に世話になっておったのだろうよ。陰陽師の連中は、何十人かで妾の家を取り囲んだ。月のない夜のこと。夜目が利く分、たいまつがまぶしかった。下知じゃという。妾にとっては知らぬ殿様の何代目かが、怖がって妾をいぶかしんだとしても知らぬ存ぜぬじゃ。
 ――下知により、封じさせていただく。
 何が下知じゃ、下知じゃと言えばだれもが従うというのは傲慢じゃ。たかが何年も生きておらぬ若造が、妾を封じる義理があるというじゃ。妾は抵抗した。剣術には自信があった。なにせ百年二百年の経験は馬鹿にならぬ。下知を申し付けた者を袈裟に断ち、奥におった何十名に立ち向かった。
 陰陽師の剣術など、道場剣のようなものよ。人など怨みはしても斬ったことなどない。どいつもこいつも腰砕け。おまけに松明持ちの下男は逃げ去って明かりもない。妾は自棄になっておった。狭い集落に封じられるように生きてきたではないか。縛り付けられていたというわけではないが、派手なことなどついぞやっておらぬ。息子を見守る老母のような心地よい気持ちで生きておったのに。
 ただの若造の気まぐれにて、すべてがふいにされそうになっておる。ひどくばかばかしかったのよ。
 三人、四人、五人――誰しも大した鍔競り合いもせんまま斬り殺されていった。喉突、袈裟斬り、唐竹。惨殺標本の見本市じゃ、誰も互いの場所がわからぬ。
 ………すまぬな。別に自慢をしたいと思っとるわけではないぞ。厠なら外にある。深呼吸でも致せ。
 一人じゃが、ええのか。あの女子が帰らんでも。――ええか。では続きじゃ。
 血臭に紛れて、妾は気づかぬ。いや、気づきたくもなかったのじゃろう。興奮することで、少しでも逃げ出そうと思っておった。どのような剣聖たれども、人を斬り殺したいものがおるだろうか。妾はそれほどの達人ではないが、そのときばかりは高揚感より、手に残った骨に阻まれる嫌な感触から逃れたかった。スキをついて逃げようとしたとき、先に斬り殺したはずの陰陽師がたっておった。わずかに急所をはずしたのじゃろう。そうでもなくては説明がつかぬ。何事か呪文を唱え、妾は頽れた。ああいうときは、なんというのじゃろうか。金縛りにあったような心地かのう。立とうとしても、膝に力が入らぬし、首は押さえつけられたように動かぬ。ちょうど、柔術の師範に押さえつけられた新米というところか。
 そこからはもう、先ほどの大立ち回りがうそのようよ。足蹴にされるわ、六尺棒でぶん殴られるわ、まあ、ひどい目にあった。顔は腫れ上がり、引き立てられた。
「よ、よくもまあ、やってくれたな………」
 壮年の陰陽師は、血が足りんのか顔が真っ青になっておった。唾でも吐いてやればよかったのじゃがな。まあ、あちらもご苦労様なことよ、上から命じられて妾を封じ込めに来たまではいいが、袈裟に切られて死にかけになるのだからな。
「貴様………ただですむと思うなよ。未来永劫この地に封じ込めてくれる」
「んだあ……そんなのごめんじゃ」
「なら、好都合だ。式を展開しろ。こやつを封じ込めるぞ、生き残りは何人だ」
 そこからは覚えてないのう。結局妾には陰陽師のことなどよう分からん。生き残りなど半分しかおらぬようだった。詳しい術式はわからんが、どうやら足りぬようだった。壮年の陰陽師は一番の使い手じゃったらしく、血が足りぬ中でも冷静に対応しておった。とはいえ、何人の人数で何々をしろという術式で、術者が足りぬならどうにもならぬ。冷静な陰陽師は、ついに昏倒した。する寸前に陰陽師は言った。
「わしが、こやつを封じ込める。このままではおけん。厄災じゃ」
 ご苦労よ。きれいに切れた刀傷じゃったので、素人刃傷よりはよほど楽じゃったのだろう。昏倒した後、妾はしばらくほおっておかれた。逃げようにも金縛りにあったのと、殴られけられの傷が痛くて一歩も動けぬ。陰陽師たちは村の旅籠にでも泊まっていて、そこまで戻ったのだろう。鉄臭い、血なまぐさい中に何時間かおかれた。
 そうしながら、妾は考えた。永く生き、領地をもらい、いくつかの飢饉もあった、人が死ぬところなど数え切れぬほど見た。誰にも指をさされぬ名宰相とはとても言えぬだろう。うまくやれたこともあっただろう。だが、この状況を生み出すほど暗愚なことをした覚えはない。永く生き、奇妙な術を覚え、使い、ついには神と同格に扱われるまでなった。領民の話に耳を傾け、地を肥やし、雨を恵み、多くの収入が出るまでになるほど力を使った。だというのに、領民は腫物、殿様は気味悪がり、魍魎の類のようだと言われるのなら。
 妾の今まではなんだったのだ。別段粉骨砕身努力したともいえぬ、いい暮らしをしてきた有閑な生活が妬みの対象だったのなら改めただろう。しかし、静かに暮らしたい、永遠の生き世を、平穏に暮らしたい。不老不死というのは、それすら許されぬのか。世の権力者が渇望してやまぬこの体は、実のところ輪廻転生には向かう大罪人だったのか。
 妾はとうとう馬鹿馬鹿しくなった。不老不死になってからというもの、次第に厭世になっていたが、もうこらえるのも面倒になってきた。空が白みはじめるころ、陰陽師の一行が帰ってきよった。応急処置といえば聞こえもよいが、まだまだ医療など素人商売じゃtったころのことだから、ひどく荒っぽい処置をされたのは疑いなかった。
「大罪人、藤原螢火。貴様を封じ込める。生涯、この村にとどまり、信仰を護りて、利をなせ」
 そこからはまた聞き覚えのない、呪文の合唱よ。聞き取れもせぬ。しかし、妾の身体は動かぬし、そのまま封じ込められた。壮年の陰陽師はそれ以来この村の守番となった。妾が何かしでかすと思ったのじゃろうな。あほくさい。それを伝えるのも面倒じゃから、口にはせんかったがな。
 どうじゃ、あほらしいじゃろう。あほらしいといえば、この家や畑は、妾が五〇年かけて丹精に拵えたのよ。やることもない。珍妙な術を披露すれど、ほめてくれるわけでなし。来るのは年始に恐々やってくる肝煎と、自分の使命を固く信じる陰陽師の家族。それだけじゃった。池田の殿様はとうになくなり、江戸が消え、東京と名を変えても、一族はとどまり続けた。廃刀令が出て、武士がつぶれ、暇を潰すためと生活の糧にするための刀鍛冶も廃業せねばならんと思いよったが、結局人斬り包丁など作らずとも、ただの包丁を作るだけでも食えた。
 明治、大正、昭和、平成――やんごとなき方が、お隠れあそばされても、陰陽師はまだおるのよ。ここまでくると、もう妾を封じ込めるためにおるのではないな、むしろあやつらがここに縛られておるのじゃろうな。信仰など、集めたところで、所詮田舎の金持ち以上にはなれんだろうにな。
 うむ、そうじゃな。草薙、という。神社を持っていて、年始盆には顔を出す。お互い、歓迎するわけでもなく、形式的な挨拶をするだけの関係ではあるがな。木庭、というのはその子分のような存在じゃ。妾の打つ日本刀やら包丁やらを仲介して商うのよ。あいつの懐にばかり金がたまるのは解せぬがな。
 田辺?知らぬな。流れて人望を得た、立派な家系であろ。それならば。
 さあ、どうだね。もう終いにしようか。女子の方も、そろそろ眠たいじゃろうしな。ついに最後まで帰ってこないところを見るに、寝床にくるまったようじゃの。
 越智よ、主も寝ませい。明日は草取りじゃ、男衆の手があるのは助かるのう。



 私は与えられた部屋で寝ころんでいた。
 私でも、考え込んでしまうことがある。それは大半どうでもいいような、泡沫のごとき思考ではある。あのスイーツがおいしいようだ。今度の飲み会はどこでやろうか、などなど。
 強烈な怪談話を聞いてしまったような後は、この先トイレに行けるかどうか、などとくだらないことを考える。越智はすでに布団にくるまっているころだろうか。大きな外観をした家ではあるが、そもそも住人は螢火ただ一人なので、部屋数はそれほど多くない。掃除が大変だろうと思いはするが、永遠の時間を生きる人間だ。それくらいはいい暇つぶしになるのだろう。
 ちょっと不老不死について考えてみる。
 少し考えただけでゲが出そうだった。永遠というのはすなわち終わらないということだ。終わらないというのは、地獄である。仕事が終わらない、休みが終わらない、運転が終わらない、つらいことが終わらない、幸福なことが終わらない。最後はまあともかくとして、大半のことに終わらないがつくと、大層辛辣なフレーズになる。
なにせこの仕事をしていると、とかく区切りだ締め切りだと、時間の制約がかかることが非常に多い。私もねじり鉢巻きをしてパソコンに一日中向かい原稿を書いたり、インタビューに励んだりする。
つらいのは確かだ。しかし、それを行えるのも、時間という制約条件があるからである。もしなかったら私は日がな一日、瀑布のそばの苔のように大したこともせずに漠然としているはずだ。
(かわいそう)
 傲慢な考えだが、純粋にそう思った。上代では何もかもできるようで、実のところ何もできないのだ。自由に村に出られるのは週に一度、それも封じ込められているから上代集落からは出ることが出来ない。
 ふいに思いつく。半分神様のような、螢火を特集記事にすれば――そこまで考えて、馬鹿な思い付きだと一蹴する。
 人間というのは、好奇心の塊であるとともに、自分の領域を乱されるものにはとたん強烈な拒否反応を示す。飛び杼、ミシン、種痘――今までの常識で生きてきた以上、その常識を崩されるのは誰だって嫌なものだ。不老不死に憧れる人はいくらでもいるが、それを素直にうなずき、受け入れてくれる人間になると片手で足りるだろう。
(越智ですらあのざまだ)
 私にとって、越智は何のかんのあっても、尊敬できる存在といえる。だらしないし、人付き合いがどことも良好というわけでもない。しかし、仕事はきちんとこなすし帳尻は合わす。肝も据わっているほうだ。しかし、そんな彼ですら、不老不死の人間と今までの常識を覆すような存在の前では、こうして取り乱す。私だってそうだ。開けてはならない箱を開けたパンドラのように、今は現状を解決する希望を探している。
(彼女を助けてみたい)
 徹頭徹尾これはエゴだ。自分勝手であるのは重々承知している。こんな性格、この先六〇年ばかり付き合うには少々難儀であるが、もう慣れた。どうせ自分の人生だ。やりたいことだけやってしまう時だってあっていいだろう。



 朝が早いのは老人の習性だというが、訂正しよう。やることがないと、人間は案外早く寝ることが出来るようだ。それほどこの屋敷には娯楽というものがなかった。せいぜい本ぐらいで、それも波侘主の木庭が土産に買ってくるものらしく、私の趣味に合わないものばかりだった。こんな調子であと六日も持つのだろうか。
「おう、早乙女。よう寝られたか。すまんが手伝うてくれ」
 鎌を片手に、昨日の講談師、藤原螢火が言った。鎌は朝露に濡れていて、よほど前から一仕事していたらしい。よく見れば、服も丈夫そうな着物に代わっていた。時代劇の村娘、という風情だ。
「ええ、はい。あのう、越智さんは?」
 起きてから寝ぼけ眼で越智を探していたが、見つからない。まだ寝ているのだろうか?
「越智なら、もう畑仕事を手伝うてもらっとる。流石男はぴしぴし働くの、と感心しとるよ。お前さんも手伝うてくれ。そろそろ収穫の季節じゃ、一年分のコメじゃからしっかりせんとな」
 昨日の暗さを感じられるような表情はみじんもない。長くここに住んでいる以上、適応しなくては生きていけなかったのだろう。
 とりあえず着替えることにした。甚平のような着物で、当然螢火が合わせて作っているので大きい。紐を結んでも一部ずれおちそうになる。なんとか着て、畑に出ると、越智がひいひい言いながら草取りをしていた。雑草というのは思いのほか粘り強く、かつ厄介だ。私が来たことに安心したのか、微笑みを見せた。アラフォーの男の笑顔は見ようによっては気持ち悪い。
「おはよう、遅いな」
「遅いって………」
 まだ朝6時半だ。生活リズムという言葉とは無縁の私からすれば、もはや深夜といっても差し支えない。実際この時間に寝付くことも間々あるのだ。
「何年ぶりくらいの早起きなんですがね」
 これは事実だ。規則正しい生活はある種の骨休みになるかも。
「そうかい。なってないな。この手の仕事を長続きさせたいなら、まずは規則正しい生活、青葉を送り出したり、弁当もらうためには早起きしなけりゃな。中学生ってのは忙しいらしいぜ」
 青葉、というのが越智の娘の名前だ。何回か仕事の関係で越智の住処に出向いたが、よく言えば大人っぽい。悪く言えば所帯臭い中学生だった。越智に似て、どこかスキのない目をしているものだから、その所作が不釣り合いだったので印象に残っている。
「そうですねえ。青葉ちゃん、お元気ですか」
「まあな。だんだんおじさんは疎まれていくのかねえ。そのうち、出てっちまうもの。そろそろあれこれ落ち着いたほうがいいんだろうけどな」
 越智は、草刈りを続けながらそういう。私も何となく、刈った草をひとまとめにしておいた。思い浮かぶ私にできることは、今のところこれくらいしかない。話を続ける。
「お互い老後は不安ですか」
「不安だね。というよりか、不安じゃない人間探すほうが難しいだろうな」
 フリーというのは気楽なものだが、一部の奇才天才を除けば仕事探しは難航を極める。何せ腕一本というのは、それがだめになればすべて終いということでもあるのだ。私のように、独り身をずっと続けてもまるで答えないというたぐいの変人ならまだいい。たが、越智のように金も手間もかかる家族を持つと大変の意味合いも、全く違ったものになる。
「嫁さんも死んじまったしな。青葉が頼れるのは俺と……あー、彼氏とかできたらそれかね」
 寂し気にそう言う。娘ねえ……私もそんな時期があったやらなかったやら。
「女の子はいつか家を出ていくものですからね」
「そのうえ、お前みたいになったらたまらん。さっさと落ち着くところに落ち着けばいいんだ。おれは自分の娘に、やれ公安警察から逃げるわヤクザ相手に大立ち回りだわ強面刑事に取調室でいじめられる人生を送ってほしくないんだよ」
「………あなたのせいでしょう。私は被害者ですよそれらの件は」
 実際、越智がいなければ、それなり平穏なライター生活もあったような気がするし、精神科の世話になることもそれほどない、はずだ。
「ま、ここの生活も悪くはない。その三つがないし、俺の仕事は草取りだけ。後は水汲みと火入れか。肉体系の仕事ばかりだな。デスクワークをくれ」
「そんな上等なものは上の人がやるでしょうよ」
 そう言いながら、螢火のやるデスクワークてなんだろうと考える。妖し気な紙に、妖しい呪文を記すというろくでもない想像が浮かんだ。あの人は今まで私の人生のなかであった奇人を煮詰めて十倍にしても、まだ足りないというような人間だ。いや、デミゴットだな、半分神様で半分人間といえば。現人神というには、ちょっとどころではなく品位が足りない。
 よくよく見ると、彼女の銀髪は髪の色素が抜けきったうえでああいう色になっている。つまり髪は髪としての寿命をすでに終えてしまっているわけで、つまるところそれだけの長生きをしたという証拠でもある。これが男性だったら、きれいさっぱり禿げあがってしまって証拠にならなかっただろう。よかったよかった……よかったのか?
「まあ、いいや。お前も何かしてこい。ここの仕事は俺に任せろ。一回言ってみたかったんだこのセリフ」
「じゃ、私も―――ちゃんと帰ってきてね」
 噴出した。失礼な人だ。私もたまには乙女乙女したい時くらいあるっての。
 母屋に戻ると、螢火が機織りをしていた。こっとんこっとんと、心地よい一定のリズムで織っている。あくびをしながらだが、手には乱れがない。
「ん?なんじゃね。暇になったかね」
「やることがなくてですね」
 こっとんこっとん。
「うーん。やることねえ。田畑は水いれたし、水車を踏むんは午後でもええし……そうじゃ、絹糸とってきてくれや。右奥の部屋にある」
「はあ、わかりました」
 絹糸、と言われても詳しい形状などはわからないが、とりあえず右奥の部屋にある糸らしきブツを持ってくればいいのだろう。蛇の寝床のような板張りの廊下はほとんど光源がないので足元に気を付けながら進む。右奥の部屋、らしいところにつき、がらりとふすまを開けた。
 絶句した。いや、心臓が止まりかけた。あまりに唐突で、衝撃的な光景が目の前に広がっていたからだ。大広間ほどの部屋の中に、大勢の人間が動いていたからだ。明かりがなく、長方形の大きなテーブルの周りに寄り集まって何かをいじくりまわしている以上のことはわからなかった。
「あ、あ、あのう」
 だれも返事はしない。ただ、ひとり一番手近にいた人影が、目の前まで来る。そこまでくれば顔もわかった。
 螢火だ。
 そんな馬鹿な、螢火は向こうにいて機織りをしている。だというのに、なぜここにまた螢火が。
「……………」
 黙って、絹糸を持ってきてくれた、そのまま仕事に戻る。私は怖くなってそこを逃げ出した。
 廊下を慌てて走り抜ける。なんだあれは。気味の悪い人形のような一団が、長方形のテーブルで何かをしている。肝がつぶれてしまいそうだ。
「けけ、螢火さん!」
「んおおっ?どうしたが?朝飯前に何事な」
 慌てて螢火のもとに転がり込んだが、どう説明していいかわからない。螢火の分身がいて、何事か怪しいことをしています。というのは何かが違う気がした。幸いにも、と言っては何だが、螢火は冷静に、私を解きほぐすように抱きかかえていた。
「落ち着きんさい。どうしたんじゃ。妖怪でも出たかいのう。今日は誰も招い取らんのだが」
 まるで日常的に、妖怪のお客様が来るような言い方だ。確かに来てもおかしくないような風情がある。私のもとにに日常的に来るのは集金屋くらいだが、それくらいの言い方だ。
「あ、ああ、あなたにそっくりな人が絹糸の部屋に」
「そっくり………ああ、式神か」
 式神、民俗学に詳しくない私でも知っている単語だ。
「初めて見たからびっくりしたんじゃろう。なんも害はないぞ。妾がしっかり手綱をひいとるからな」
「そ、それはどういう、あのその」
 口からちょうどいい言葉が出てこない。初めて見たから、という理由ではない。だいたい式神なんてものを日常的に使いこなしている人間などいない。やはりこの女性はただ者ではないのだ。
「つまりは、妾の家来よ。意思もあるし、言葉こそしゃべれんが手話や筆談で話すこともできる。陰陽師から奪った技術じゃな。一枚いるか?」
 メモ用紙じゃあるまいし、そんな軽々しく進められても困る。
「それで、絹糸は」
「こ、ここに」
 お使いにしては心的疲労が大きすぎる。そういう時は寝っ転がってあれやこれやと考え込むのが私なのだが、この生活はそんな暇すらなさそうだ。礼をいい、受け取った螢火はまた機織り機を動かし始めた。結構な時間続けているようで、それなりの長さの絹布が出来上がっていた。
「朝ごはん、まだですか?おなか減っちゃって」
「ああ、そうじゃの。妾はええがおぬしらは腹が減るよの。今用意しよう。水くみしててくれ。あと、あの男も呼んでやりなされ」
 水、水と言われてもどこにあるのやら。井戸はあるらしいのだが、別にポンプがついているのではなく、くみ上げるための歯車と桶があるだけだ。全く体力が簡単につきそうな生活であり、私たち現代人にはありがたいロハス具合。やせてしまいそうだ。ただでさえひょろいだのスレンダーだと言われるのに。
 越智は、とっくのむかしに草取りを終えたらしく、4WDのそばでなにごとか整備している。新聞社勤めをしていたくせに、こうしたメカニックにも精通しているらしい。変な話だ。
「お疲れ様です。いかがです?」
「腹が減って死にそうだ。ついでに、ぎりぎりお釈迦になってない。レンタカー屋には洗車代を請求されるかもしれないがな」
「ありゃりゃ」
 寒い懐が、いよいよ氷河期を迎えてしまうかもしれない。いや、氷河期なら終わるかもしれないが、南極のような状態になってしまったら目も当てられないことになる。パルプホラーの原稿料も期待できるものではないし、そろそろ住む場所を代えなくてはならないだろう。
 越智はそうした事情などつゆ知らず。経費だからと簡単な考えで、のんびりしているに違いない。腹立たしいが、怒鳴りつけるわけにもいかずそのまま話を続ける。
「まあ、いいです。ほんとなら死んでくれと言いたいところですが、ご飯だそうですよ」
「言ってるって。やめなさいよ本当に、そういう毒舌は」
「早く来てください」
 あれこれごねる越智などはほおっておき、私は母屋に急ぐ。鳥小屋の鶏に餌をやっていた螢火に、越智のことを伝えると、うなずいた。
「そうかえ。朝ごはんなら広間においてある。そう多くはないが、そろそろ新米の季節じゃ。ちと来るのが早かったのう」
 新米を楽しみにしているのか、螢火は鼻歌を歌いながら餌やりを続けていた。
 広間には朝ごはんの膳があった。一汁一菜。みそ汁とごはん。これだけとは寂しいが、螢火に世話になっているし、別に旅館に泊まっているわけではないので文句など出しようがない。みそ汁をすする、具は玉ねぎと大根だった。旨い。しっかりと育てられた味がする。ただ、私の味覚はそれほど鋭敏ではないし、貧乏暮らしが板についているので、何を食べても旨いと思う便利な貧乏舌の持ち主なのだ。
 越智は、私がみそ汁に舌鼓を打っているときにやってきた。手が油まみれである。4WDの整備、お疲れ様だが、せっかく美味しい料理をふるまってもらっているのだから、手くらい洗ってもばちは当たるまい。
「越智さん、手を洗ってきてくださいよ。汚いなあ」
「うるさい。こっちは朝から働き詰めなんだよ。ああ、腹が減った」
 空腹なのは確かなようで、越智は乱暴に膳の前に座ると、みそ汁をぐいっとすすった。
「うまいな。腹が減った時に食べるもんは何でも」
 外見は、それなり上等なのだが、初老の彼からすれば結構な重労働だったのかもしれない。
「で、どうするんです」
「どうするって、なんだよ」
 白米を掻っ込んでいる越智が、頬を膨らませながら私の方を向く。しゃべるのはもう少し後にしたほうがいいかもしれない。
「この後ですよ。記事を書くにしても、締め切りがありますし、外界とは全くの没交渉ですよ。どうしたもんでしょう。人気フリーライターの私からすると、この季節は仕事が目白押しなんですがね」
「よく言うよ。家賃払えずピーピーしてるって聞いてるぞ」
「そこはそれ。仕事ができなきゃ困ります。のんびりするのは悪くないとしてもね」
 実際夏から秋にかけては様々な仕事がたくさんあるのだ。高校野球の記事も書きたいし、食欲不満の奥様方に、どこぞのランチがおいしいだとか知らせる記事も書かなくてはならない。だらけたいからこそフリーライターになったというのに、とんだ見込み違いだ。
「俺だって困ってるよ。私立探偵なんて、仕事がなかったらバイトしなくちゃならん。青葉にも会いてえし、困ってるのはお互いさんだ。このままじゃ、ただ単なる山陰小旅行でしかない」
「で、越智さんの見解は」
「一つに決まってんだろ。あの女に強引にでも外に出してもらう」
「なるほど。で?」
「話すんだよ。言葉は最上のコミュニケーションだ」

不死の棺桶

執筆の狙い

作者 ぎゃわ
222.231.71.145

昔HJ文庫に投稿した作品の序文です
文章力がどれくらいあるのか測定したく、皆さまのお目に通すのも憚られる拙作ですが、感想を書いていただければ幸いと存じます。どんな感想でも参考にさせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。

コメント

四月は君の嘘
219.100.84.36

ざかざかざーーっと、画面スクロールして、ストーリー概要だけ把握しました。



打たれた刀剣が出て来た時に、「銘を掘る」ってー 誤記(で誤字)が二度繰り返されてたのが目についた。

刀剣、まったく詳しくないのですが、「銘」とは通常、“刀工の名前”(油絵で言ったら、タイトルではなく、画家のサイン)。



「不老不死、不老不死」と、えんえん説明が繰り広げられるのですが、
フィールドワークもしている民俗学者? が同行している設定の割には、説明が、ごちゃごちゃ〜っと&もたもた〜っとしていて、難。
こういう説明って、難しいんだよねー。。
(この原稿の場合も、その説明が、うんざりするほど長ったらしいわ、その割に突っ込みどころになってて、そこで おそろしくダレる。。)



舞台が「鳥取の山奥」なようなんですが〜、
そんで陰陽師とか出て来てるようなんですが〜、

その割に「不老不死関連ネタの核心」(基本設定?)が、「ニニギとイワナガとコノハナサクヤ」っつー、
「神話の時代」なんで、陰陽師との相性が悪いっつーか、「整合性がない」。
時代が古すぎ・漠然としすぎていて、「不老不死ネタのバックボーン? としては 弱っちくなりすぎる」。


オカルトホラー系の雑誌記者が、わざわざ取材にゆく村。
それが「日本海側」で、
しかも「平安時代」から続いている秘密が・・

つったら、
伝奇〜幻想小説系の読者が、「コレだ〜!!」って即座に挙げるのは、1つ。


もうはっきり明確に1つ。

そんで、それは、手塚治虫でもニニギ夫婦でもない!
「断固として違う」んですよ。。



だから〜、

この長さ、「半端ない労作」だとは思うんだけども〜、

ストーリーの根幹である、不老不死ネタからして、重大な選択ミスをしている。


伝記・幻想系の読者ほど、「その1点」で、この原稿にはついてゆけない。

君は社長僕は車掌
49.98.157.168

うるさいわね、学会員のおばさん。池田先生を愛してなさい

あらま
27.143.73.41

こいつに文章力ないのすぐ分かるだろ、と言いたいわけですね。

あらま
27.143.73.41

文章力ですが、わたしには十分あるようにしか思えません。
前半の文法の細かな間違いと、
感→勘 くらいしか見つけられず。

文章まともに整えるの苦手。

今晩屋
119.63.156.205

例えば。

無彩色の山肌を這う。

曲がりくねる観光道路の白くぼやき始める。昼すぎから、ちらつく小雪がそろそろ本降りになりそうだ。蝦夷松が次第に雪の霞に覆われ、墨絵のように滲む。

今晩屋
119.63.156.205

 ごめんよ、勘違いしてた。但し、作者様と、作品の返しだと思う。自身を投影する散文小説だよね。
 

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