作家でごはん!鍛練場
ラピス

ルリダの沼

 その沼は雪深い森のなかにあった。
「おまえたち、沼へ行ってはいけないといわれるのには、わけがある」
 ちらちらと雪が降る町で、木彫りの人形売りは、路傍に集まる子供たちに話しはじめた。目もとまで覆った首巻で顔が隠れ、男のものの声がしわがれている。得体の知れぬその人形売りの話に、子供たちは聞き入った。

  *   *   *

 ルリダは、ひとりぼっち。ひとりぼっちで沼の底に潜んでいた。いつからかわからない。
言い伝えでは、ルリダは人として生きているあいだ、誰も愛さなかった娘だという。周囲の者たちを自分のための道具として扱い、彼らを損ない、自分をも損ない、家に閉じこもって、自分のなかに囚われていた。
目的もなく生き、他の者の気持ちを知ろうともせず、ルリダは自分さえも愛さなかった。だから罰を受けたと聞いている。
草花が芽吹く暖かなころ、ときおり森の動物たちが訪れて沼の水を飲むのを、ルリダは沼底で水面の鏡からのぞいていた。
森のなかにあって、澄んだ沼だった。風が藻を散らし、どこからか湧き出る水にかき回され、沼は鏡のような水面を保っていた。水面の鏡は不思議な力を持ち、映すものを明らかにする。ルリダは沼に訪れるものすべての心を知った。
 ある日、水鏡はひとりの若者を映した。若者は恋人に去られ森に踏み込み、さまよううちに沼にたどり着いた。その名をアズルといい、森のむこうの村から来ていた。
アズルは陽が昇りきらぬ朝に現れ、沼に引き寄せられ、ずぶずぶと沈んでいく。手足で水を掻こうともせず、水に身をまかせている。ゆるやかな死への歩みだった。
 奥へ、奥へ。ルリダのいる最奥へとアズルは沈んでいった。ルリダはアズルを捕まえた。そして、おのれの世界へと引き入れた。アズルは驚きながらもルリダを受け入れた。
 ルリダは自分のもとへ訪れた人間、アズルに心を奪われた。さびしい心に落ちてきた命。自分自身と似た魂に惹かれたのかもしれない。ルリダは、身も心もアズルとつながりたいと願った。
アズルは若者らしいのびやかな肢体をさらし、ルリダそのものの沼と一体となり、重なり、離れ、ルリダを欲しいままにした。
 そうしてアズルの絶望が癒えたころ、ルリダは永遠を求めた。ずっと共にいようとアズルにせがんだ。アズルはルリダに応えなかった。「沼の取り柄は水面の鏡と水浴びだけ」だといって。ルリダは悲しみ、沼の水はざわめき、風が水草を蹴散らす。
 初めて愛を知り、失ったルリダから、ふたつの心が生まれた。可憐な春の花のように健気な心と、獣たちに踏み荒らされた雪の跡のように醜く汚れた心。ふたつはせめぎ合い、ルリダを悩ませた。
悩んだ末に、ルリダは去りゆくアズルに贈り物をした。それは宝石で飾られたうつくしい宝箱だった。ルリダはいった。「宝箱は、そのものに価値があります。決して開けてはいけない」と。
宝箱には鍵穴があるのに、鍵がない。「鍵は?」とアズルが聞くと「鍵は、あなたの心」だとルリダは答えた。
 村へもどったアズルは、かつての恋人のもとへと急いだ。恋人は、なにもない自分を捨てて他の男と結ばれたが、アズルは会いたかった。
ところが恋人の家はなかった。アズルは、あちこちの家を訪ね歩いて消息を知る。ある家の前へ来たとき、幼い女の子が庭先で遊んでいた。女の子は恋人にそっくりだった。もしや、その子の母親が恋人ではと思ったが、そうじゃなかった。恋人の名前を言えば、すでに死んだと聞く。
 しおしおとアズルが自分の家に帰ると、家はすっかり寂れて空き家になっていた。どこにも知りあいはおらず、やっとの思いで探しあてた友だちは白いひげの老人になっていた。アズルは沼にいるあいだに、ずいぶん時が経っていたことに気がついた。
身よりがなくなったアズルは、開けてはならないといわれた宝箱を開けてしまった。なかには一枚の鏡が入っている。宝箱の鏡は沼の一部だった。
見る者の心を映しだすその鏡は、年老いてしまったアズルのなかの暗き心をも暴いた。人をうらやむ心、なまける心、うぬぼれが強く高ぶる心……そして、さびしさ。ルリダと同じ、ひとりぼっちのアズル。とても恐ろしいことだった。

    *  *  *

「なんでアズルは、恐がったの?」
 無邪気に聞く少年に、木彫りの人形売りは答えた。
「自分を知ることは恐いことなんだよ」
「へえ、よくわからないや。ぼくだって宝箱を開ける。だって、すごい宝物があるかもしれないもの」
「でも、ルリダは開けるなっていっただろう?」
「そんなの、ルリダのいじわるだよ」
「ルリダは迷っていたのね」
 子供たちのなかで一番、年長の少女が考え深げにいった。
「迷っていたって、なにをさ?」
「ほんとうのことを教えるかどうか、よ。それで選びきれずに、アズルの心にまかせた」
 少女は問いかけるようにつぶやく。
「アズルは沼やルリダが恋しくならなかったのかしら」
「――いや」と木彫りの人形売りは虚ろな目をしていった。「沼へ近づいてはいけない。ルリダに囚われるから」
 苦しげな声だった。
「愛とは相手の幸せを願うことだ。アズルの不幸を願ったルリダは、やはり誰をも愛せなかったのだ」
「あら」と少女は声をあげた。「そうかしら? ルリダはアズルの幸せを願ったのだと思うわ」
「どうして、そう思う?」
「アズルに開けろとはいわなかったから。もし不幸を願ったなら、まどろっこしいことをせずにその場で鏡を突きつけたはずよ」
「そうだろうか」
「宝箱を売ればお金になるわ。アズルのその後を考えて、贈り物をしたんだわ」
「だったら黙って宝箱をあげれば良かったじゃないか。そうしたら、アズルも開けようと思わなかった」
 少年が割り込んだ。
「鍵のかかった宝箱を開けないでいられたかしら。あなたなら、好奇心に勝てた?」
「うーん」と少年が考え込む。
「ほんとうに愛がなかったのは、アズルのほうよ。ルリダの優しさにつけ込んでおいて、ルリダを捨てた。ルリダの助言にも耳をかさず、宝箱を開けた愚かな人だわ」
 木彫りの人形売りは、それを聞いて泣きだした。
雪雲が流れ、雪がやみ、空に太陽がかがやく。太陽は子供たちの町を、森のそばの村を、沼を隠す森を照らした。「晴れた」と子供たちが喜び、雪の玉をつくって投げて遊ぶ。
木彫りの人形売りは、よろめきながら立ち上がった。荷物をまとめ、森に近い村へと急ぐ。もう誰も知り合いがいない村の空き家に住んでいたのだ。
庭に埋めた鏡を取りだす。鏡は割ってしまっていた。鏡の入っていた箱は売って金に換えていた。首巻をといて、割れた鏡をつつむ。
 首巻のない顔は皺くちゃで、痩せた体は心もち曲がっている。雪の降り積もった森でなんども滑り、転び、起きては転びながら、木彫りの人形売りは沼へとたどり着いた。
「ルリダ」と、凍りついた沼にむかって呼びかける。
「アズル」とルリダは応えた。
「よく応えてくれた」と木彫りの人形売りだったアズルは首巻から割れた鏡をとりだし、「壊れた」といった。
「壊したのでしょう? 壊しても、あなたの心は変わりません」
「そうか。ルリダ。おまえは、わたしのために鏡をくれたのだね。わたしが真実を見いだすように」
「そんなうつくしい気持ちではありませんでした」
「では、わたしを恨む気持ちでくれたのか」
「アズル。わたしにはふたつの心がありました。あなたを恨む心と愛おしむ心。ふたつは同じくらいの力を持って、どちらにも寄らなかった。わたしは、そのふたつの間をずっとさまよっていました」
「わたしは、おまえを疎む気持ちでいっぱいだった」
「アズル。とり残されたわたしは考えたのです。わたしに残されたものはなかったのかと」
「なかっただろう?」
 アズルは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「いいえ。アズル、あなたが来てくれたおかげで、わたしのなかに今も愛があることを感じとれました。凍てつく冬にも、あなたのいた春を想えば耐えられる。あなたは春を教えてくれた。わたしには愛することの喜びが残っています」
地面を覆う雪がきらきらと光る。光につつまれてルリダが森の沼から浮かびあがり、天に召されていく。「お別れのようです。さようなら、アズル」とルリダはいった。
アズルは、自分を愛してくれる者を失ったことを悟った。そして白い世界で、ルリダの消えた空をいつまでも仰いでいた。 (了)

ルリダの沼

執筆の狙い

作者 ラピス
1.74.36.252

ゆきのまち文学賞の落選作です。かなり前に、ごはんにアップした作品を八割くらい加筆修正したものです。
三人称神視点に挑戦しました。そこで自分なりに思ったのは、単一視点より距離をとらなければいけない事です。
台詞に頼った話で終わっています。愛とは何かとか、ちょっと赤面ものですね。汗。

軽めの感想から忌憚ない意見まで、お待ちしてます。

コメント

藤光
182.251.189.67

読ませていただきました。

色々と問題をはらんだ小説に読めました。

人形売りの話の箇所。
浦島太郎――ですね。超メジャーなおとぎ話なので、これに構造が似ているのは読み手にとって興ざめです。

ルリダやアズルがどういった過去を背負っているのか書かれていないので、読んでいても入り込めません。

また、

>アズルは若者らしいのびやかな肢体をさらし、ルリダそのものの沼と一体となり、重なり、離れ、ルリダを欲しいままにした。

の部分が具体的でないのが、余計にルリダとアズルをイメージさせにくくしています。

後半、子供達との会話部分は正直いって退屈です。この部分は非常に残念。もっと人形売りとしての話を描いても良かったのでは?

最後の部分、ルリダが昇天していくところですが、これにはどういう意味が? 魂の解放とか救済というような意味でしょうか。ここまでは宗教臭を感じなかったのに違和感がありました。

そして「雪」は、その効果を発揮していないように思います。「ゆきのまち」でなくてよかったのでは? もっとじっくり書くべき小説だったと感じました。

かろ
210.139.191.207

読みました。
愛とは? に挑んだ作品で、深いだけにしっくり内容を読み取れなかったです。僕がとても好きなドラマで、『世紀末の詩』という野島伸司の作品があって。愛とは? のドラマです。

きっとラピスさんの自問自答を子供たちに語らせたのかなと思いました。そして、子供だからこその素直な考えで議論していくというのがよかったです。が、枚数のバランス的にアズルとルリダの内容がもっと見たかったです。
深い話だけに、お話が大まかになったのかなとも。僕も、もっとじっくり書くお話なのかなと思いました。
加筆修正前の状態を読んでみたいなとも思いました。

ラピスさんのように僕も公募がんばっていこうと思います。ラピスさんの作品は繊細さと面白さ合体した印象で(今作は面白さ少なかったけど)、僕自身そんな作品書きたいので勉強なります。そして色々挑戦してるし。

ラピス
49.104.47.118

藤光さま
もともと浦島太郎を基軸とした話ですので、タイトルも裏浦島とでもつければ良かったかなと思いました。
アズルやルリダが何者か描いておらず、10枚には向いてない話だったかも知れません。
ルリダは自分の生き方の為に沼に囚われていました。愛を知って開放されるというストーリーです。
私の中では表現したつもりだったのですが、伝わっていないので、色々と不足していたようです。
短い枚数で人間を描くのは難しいですね。
ご意見、ありがとうこざいました!

ラピス
49.104.47.118

かろさま
難しい題材だったかなと思います。二人が何者か抽象的に描いたのですが、良くなかったようです。
掌編の書き方ってあると思うので、研究しなくちゃいけませんね。
私の自問自答を子供たちに語らせたのは正解です。さらにルリダとアズルの会話もそうです。
個人的にあった事を話にこめました。ので、書きながら冷静ではなかったかも知れません。
公募はあと一つ、ライトノベルに投稿してます。全員に批評が貰えるところです。何次まで通るかで今後を考えます。私はプロになりたくてではなく、趣味の延長でやっています。が、上達したいので。

かろさんは情景描写が上手いので、それが生きる話を書いたら、と思います。
「世紀末の詩」探してみますね。

ご意見ありがとうこざいました!

ペンニードル
36.11.225.125

ルリダの沼 読みました。
二人がだれなのかわからない状態での冒頭の説明文は効果が薄いと思いました。

雪の町の傾向なのかよくわかりませんが、幻想小説って抽象的的に書く。ボカす。曖昧に記す。漠然とさせる。ってことではない気がします。
このサイトで雪の町賞の存在を知り、落石作品をあげて下さる方が多く、目にするのですが、何だか”漠然としてれば幻想的でしょ?”感を感じてしまいます。

宮沢賢治は常によく知る故郷をモチーフに幻想的な描写に一定の現実味を担保させようとしているように思うし、江戸川乱歩が書く性的趣向に傾向しきって倒れてしまった人たちも、それ自体は現実に存在する趣向として嗜む人がいるものだったりして、寺山修司も書を捨て外に出ろってくらいには社会性や時代性に基づきながらもそこにありえない描写を描きます。だから読者も絶対ありえないはずの描写のどこかに親近感を持つのだと勝手に思っています。

浦島太郎はそれ自体が寓話かつ些か教訓めいたお話のため、それをモチーフに更に幻想的にーってやってもごちゃごちゃしてしまい、難しいと感じました。

後半は別に前半のお話いらなくないですか?
ただ、浦島太郎の教訓の解釈と解説を作者さんが会話形式で書いたものに感じました。
こういう映画レビューサイトありますよね。
両サイドにキャラクターの絵があって吹き出しな中に映画をよく知る人物とあまり知らない人物を設定して会話形式で作品を深掘りするやつ。

ラピスさんがこの作品でやりたかった事が私にはうまく伝わりませんでした。

ラピス
49.104.47.118

ペンニードルさま
どうも私は手を出しちゃいけないものに手を出してしまったのかも知れません。掌編で雪縛り、読者を納得させる内容はとても難しかったです。
幻想についても、昔読んだハヤカワのファンタジーの雰囲気くらいしか知らず、失敗しました。
ご意見ありがとうこざいました!

幡 京
218.221.116.235

ラピスさま

小生には理解できませんでしたが(ご免なさい)、ダイアログが非常に良いと思いました。
ペンニドールさまのご意見で思い出したのが、小生が何十回も観た寺山修司の『田園に死す』。

「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」
「私の過去は私の嘘である(正確ではありませんが)」

今書いておる駄小説のため、土日不眠不休でとある地方の言葉をノートに書きまくったので、チト錯乱してるのやもしれません。

個人的な話で申し訳ありませんでした。

九丸(ひさまる)
126.193.129.143

拝読しました。

人間の想いの都合良さを感じました。
断ち切れない想い人が帰ってきてくれたら嬉しい。例え憎悪する気持ちもあったとしても。
ただ愛があったことに気づいて昇天エンドは、個人的には好きではないのです。どうせなら、揺らいでいたもう一つの憎悪の感情も吐き出させてあげたら良かったのにと。
拙い感想ご容赦ください。

ラピス
49.104.47.118

幡京さま
ダイアログとは対話ですか。取り柄があって良かったです。汗。
自分には理解できる話が読者には理解できない、つまり、独りよがりという事ですね。
この作品は自分の為に書いてしまったのかも知れません。過去にも介護した母の話をアップしましたが、評判悪かったし、作者の体験を基にしてはいけないのでしょう。
この物語は全部、現実の暗喩です。ルリダは自分の殻にこもる女だし、アズルはヤリ捨てする不実な男。

ご意見ありがとうこざいました!執筆、頑張りましょうね。

ラピス
49.104.47.118

九丸さま
この拙い話を読みとって下さったようで、驚きと共に感謝します。
憎悪の表現もなく昇天エンドは、欠落してますよね。やはり物語の構造がなってないのだと反省しきりです。

ご意見ありがとうこざいました!

幡 京
126.209.5.84

ラピスさま

そうネガチブになっては行けませんよ。
小生が良い、と思ったのは、仮定ですが山梨あたりにハイキングに行ったとします。
そして拓けた場所があったのでしと休み。だがカップルの先約がいました。
彼らは会話しており、小生は盗み聞きを最後までしとりました。

って云うライブ感。<台本棒読み>とはし較にならない自然さです。それが作品の魅力なのでした。

昼野陽平
60.71.236.169

なかなか良く出来てるとは思いますが、正直あまり面白くなかったかなと。
体裁は整っているので、あとはガツガツと面白みを追求されると良いのではないかなと思います

ラピス
49.104.47.118

幡 京さま
長所を見出して頂き、ありがとうこざいます!お言葉を励みに頑張ります。
感想欄、長く書かないと上に反映されないので、目に止まるといいのですが。

ラピス
49.104.47.118

昼野陽平さま
体裁は整っているとのこと、安心しました。
面白味を追求=読者の目線になるということですね。肝に命じます。ガツガツいきます。
ご意見ありがとうこざいました!

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