作家でごはん!鍛練場
たる

夜散歩

 夜散歩 


 コンタクトレンズをはめずに外に出ました。

 見上げる空は濃い群青色。コの字型に建てられた神足荘の高い木造棟に切り取られて、夜空は絵具をこぼした不格好なキャンバスのようです。
 テレビの天気予報通り、今日は雲一つない満月。視力の悪いわたしの目に小さな星々は映りませんが、丸々肥えた黄色い月だけはスポットライトのようにぼんやりとわたしを照らしています。
 あんまり見続けていると目が回りそうになって、ゴッホのぐるぐる渦巻きの星月夜の絵を思い出しました。印象派はわたしの専門外だけれど、もしかしたら彼は耳だけじゃなくて、目も悪かったのかもしれません。
 左棟の2階にある私の部屋のカーテンに、ちらと影が映るのが見えました。おそらく七條君が起きたのでしょう。一応メモを書いて出てきたけれど、気づいてくれるかしら。
 神足荘を出て最初の四つ角を曲がりながらふと、七條君が口ずさんでいた歌の一説を思い出します。見えないものを見ようとした、のは誰の歌でしたっけ。わたしは流行りに疎いのです。だからいつも彼に馬鹿にされます。
 七條君には悪いけれど、同じフレーズを聞くたびに、わたしは「それはなんて傲慢だろう」と悲しく思ってしまいます。わたしにとって触れることができる世界は都合の良いことだけだから。臭い物に蓋、大いに結構。わざわざ藪をつついて蛇を出すのはごめんです。
 頭上では今日も、ゴッホの描いた、逃れることのできない渦に飲みこまれてしまった無数の星々が、弱弱しく自らを燃やし続けていることでしょう。でもそれはわたしには見えないし、見ようとも思わないのです。
 ぴゅうっと木枯らしが吹いてきました。12月の夜風はさすがに堪えます。わたしは首に巻いた厚手の赤いストールをきつく絞めなおしました。
 不自由な視力を携えて、わたしは今日も夜の街を歩きます。

 途中、コンビニに寄ったところで、海に行こう、と閃きました。今夜のようにきんと澄んだ寒空の下なら、凪いだ海にきれいに月が映ると思ったのです。幸い、もう少し歩けば小さな浜辺が見えてきます。
 コンビニを右に曲がり国道に出ると、まもなく左手に潮除けの松林が現れました。
 ふてぶてしく張り付いた月を背後に従えて、前後100メートル、誰も続かない沿道を、王様気分でひとり歩きます。この時間なら、この道を通る人も車もいません。わたしは次第に気分が良くなってらららと歌い始めました。すると潮風に揺れる松葉がそれにあわせてあははと笑います。みんながわたしを祝福してくれています。
 やがてそこにざぁっという水の寄せる緩やかなリズムが加わりだしたころ、急に視界が開けて、わたしは浜辺を見下ろす高台に到着しました。

 わたしの予想は的中しました。
 月明かりに照らされた砂浜は思った以上に明るく、大きなステージのようです。
 そして視線の先で静かに揺れる水面には、夜空を水平線で折り返したように、梔子色の月が優雅に揺蕩っていました。
 2つの月は天と地を結ぶ梯子のように。あの場所でなら、簡単に昇天できそうです。

 わたしは浜へとのびる階段を下りると、外灯の立つ四阿のベンチに腰を下ろしました。
 波の音が間近で聞こえます。
 上からは分からなかったけれど、砂浜には先人がいました。
 シルクハットをかぶったタキシード姿の男性が、わたしに背を向けて、波打ち際に膝を抱えて座っています。
「こんばんは」唐突に彼が振り返りました。
「あぁ、こんばんは。いい夜ですね」
「まったくです、いやになるくらいにね。お嬢さんは、おひとりでお散歩ですか」
「はい。……あなたも?」
 逆光になって顔は良く見えませんでしたが、聞こえる声は丁寧に磨かれたチューバのように、低く素敵なものでした。見た目通りの紳士然とした男性で、わたしはすこし安心しました。
「そうですね。……いや、僕は人を待っているんですよ」
「こんな時間にですか?」
「こんな時間だからですよ。もうすぐね、僕の娘があがってくるんです」
 そう言うと紳士はまた前を向いて黙り込んでしまいました。
 あがってくる、とはどういう意味でしょう?
 わたしは場違いな格好をした紳士の言葉が気になったので、月見がてら彼の娘とやらを一緒に待つことにしました。
 
 それからどのくらい経ったでしょうか。ちびちび飲んでいたビールも、七條君のお土産に買ったスティックスナックもいつの間にかなくなっています。帰りにまた買わなければいけません。七條君は買い置きのスナック菓子がなくなると途端に不機嫌になるのです。まったく困ったものです。
 月は中天に差し掛かっていました。

「あの」
 突然、紳士が独り言のように話し始めました。
「うん?」わたしは酔っていました。
「件っているでしょう。凶事を予言するとかいう半牛半人の妖怪」
「百閒ですか」夢うつつのままわたしも返します。
 いいえ。百閒の件は最後まで予言をしませんでした。あれは確か、件になってしまった男が知りもしない未来を求められる話。
「ええ、そう。僕の娘もね、どうもそれらしいんですよ。もっとも、娘にはちゃんと人間の腕と足がついていたので、どちらかといえば左京の方が近いですね」
「もしかして牛の首を?」それは大変なことです。
 紳士はうなだれて、ふるふると首を横に振りました。
「いえ、見た目は普通なんです」
「どういうことです?」どういうことでしょう?
 彼は続けます。
「爪がね、魚の鱗なんですよ」
「はあ」鱗。それも爪。
「両手両足のすべての爪に、深海魚のような柔らかくてぬめぬめした鱗がついてるんです。最初は付け爪かと思いました。でも引っ張っても取れないし、何より娘が痛がるんです。明らかにそれは娘の肉から生えていました」
 わたしは黙って先を促します。
「娘は、昔僕がヨーロッパの海沿いの町にいた時に現地の妻が産んだ子でした。妻は娘を産んですぐ死にました。難産だったんです。それに気づいたのは娘が5歳の誕生日を迎えて間もなくの頃だったはずです。僕は急に恐ろしくなりました。娘が、というより、異国の地で唯一信頼に足るはずの自分の半身が人外だという事実に。それから僕はすぐに日本に用事を作って、その地を離れました。すぐ帰るからと言って娘を近くの教会に預けてね。それきり向こうには戻っていません。」
 紳士はそこで大きく息を吐きました。
「そんな娘が別れ際に僕の耳元でこんなことを囁いたんです。何年後の何時、何処という場所でまた会えるから寂しくないと。それが今日この日、この海岸でした。あれから何十年も経っていますし、もちろん娘の戯言だとは思います。でも自分から手を離したという負い目もあって、どうしても気になってしまって」
 波音が静かな砂浜にこだましています。
「日本で予言をする異形といえば件でしょう?西欧世界ではそういう存在を何と呼ぶんでしょうね」ほとんど自問するような声でした。
「あぁ、それは多分――」
「あっ、」
わたしの答えは、彼の小さな叫び声にかき消されました。見ると彼は立ち上がって沖の方を見やっています。わたしも目を凝らしてみますが、小さな波頭しか見えません。
もっと近づいてよく見ようと思い、私も立ち上がろうとしましたが、思いのほか酔いが回ってしまっていたのか、足がふらついてうまくいきません。ゆっくりゆっくり、四阿の柱を支えにしてようやく立つことができました。

 紳士の前にはいつのまにか一人の少女が立っていました。
気品に溢れた彫りの深い顔立ちは、遠目に少女が日本人ではないことを示していました。
季節外れの袖なしワンピースはまるでついさっき海からあがって(!)きたかのように濡れそぼって、少女の起伏の少ない体にぴったりと張り付いてしまっています。
肩まで伸びる髪は真っ白で、透き通るような彼女の肌と合わせて、わたしは咄嗟にアンデルセン童話の雪の女王を思い浮かべました。冴え冴えと輝く月光を背に立つ少女は凛として、その姿は冷酷とさえ見えたのです。
「おかえり、私の――」
 紳士はよろよろと手を伸ばし、少女を抱きしめようとしました。
 しかし感動的な父娘の抱擁は叶いませんでした。
 手が触れようとしたその瞬間、彼の身体が突然瓦解して砂になり、さらさら風に乗って飛んで行ってしまったからです。唯一残ったシルクハットもそれを追いかけて高く舞い上がり、どこかに行ってしまいました。
 その間、少女はすこしも動きませんでした。
 変わり果てた父親を丁寧に踏みつけ、長いドレスを引きずりながら、少女はこちらに歩いてきます。

「ただいま」
 怖い、とは思いませんでした。
 なぜなら目の前の少女の真っ白な頬が仄かに赤らんでいたから。それはわたしと同じ、流れる血の温かさの証明でした。そこに、凍てつく氷の世界でひとり永遠を求める、残酷で寂しげな女王の面影は微塵も感じられません。
 わたしは見ず知らずの美しい少女に強い興味をおぼえました。
「あなたは誰?」
「忘れちゃったの?僕はヨナだよ」
 少女は変声期前の鈴のような澄んだ声で、男の子のようなしゃべり方で答えました。わたしの返答が気に食わなかったのか、可愛らしく鼻を膨らませています。そのちぐはぐな仕草がおかしくて、思わずわたしは噴き出してしまいました。
「しらないわ。あなたは件なんでしょう?」
「違うよ。ねえ、覚えていないの?」
「うそ。じゃあ、もしあなたがほんとうにヨナなんだとしたら、わたしは誰?」
 気持ちが良くなって、わたしは続けます。
 少女は明らかに戸惑っていました。わたしはそんな彼女の姿がいとおしくて、思わず抱き寄せてその頬にキスをしました。触れた頬のなんと冷たかったこと!
「あぁ……。本当に全部忘れちゃったんだね。君は一度眠った方がいい」
 そう言うと彼女は口を大きくあけました。限界をはるかに超えて開かれる彼女の口の中は黒々として、そこはまるで壺中天への入り口のように見えました。見つめているとすぐにでも吸い込まれてしまいそうです。
 続けて少女は濡れた両手をおもむろに高く掲げると、わたしの頭をつかみました。一緒に、彼女の着ているワンピースの裾が持ち上がります。
 あらわになった彼女の足先がきらりと光りました。やっぱり彼女の爪先からくるぶしには、翡翠色の魚の鱗がびっしりと張り付いていました。それは月の光を反射して、ぬらぬらと妖しい光を放ちながら一枚一枚が呼吸するように蠢いています。それはまるで万華鏡のよう。
 少女の口は少しずつ迫ってきます。
 さざ波の音がやけに大きく聞こえてきました。
 天上のライトは光量を増して、わたしたちを砂浜から切り取っていきます。
 2人はいつしか、水面に浮かぶ月の上に立っていました。
 頭がくらくらします。不安定な足場がわたしの脳を優しく揺らし続けているのです。
 わたしはこのまま眠ってしまいたいと思いました。

 ついにわたしの頭はすっぽりと少女の口に包みこまれてしまいました。
 ふと、靄がかかった頭の中に「胎内回帰」という単語がちかちかと点滅します。内田百閒よりも小松左京よりも、わたしは江戸川乱歩が好きなのです。
 胞衣はわたしの時間を逆行させます。身体は胎児に、精神だけが加速していきます。
 温かい子宮に包まれて、成長と退行を繰り返しながら、わたしの水晶体はある光をとらえました。うすぼんやりとしたその光は、眠りに落ちる前のふわふわした充足感の中で、ゆっくりとひとつの像を結び始めます。
 それは、彼女の喉の奥で緩やかに落ち続ける渦の中にすっぽり収まった、薄く光る男の生首でした。
「あなたは、誰?」
 今にも落ちてしまいそうな瞼を懸命にこらえながら、わたしはたずねます。
 すると彼ははにかみながら、
「おかえりなさい、わたしのユダ」
 それが間違いなく七條君の声だったので、わたしは安心して目を閉じました。
 
 どこからか梔子の甘い香りがしました。

夜散歩

執筆の狙い

作者 たる
14.12.51.66

小説という響きはくすぐったいので、雑文とします。
初めて書きました。
渦巻きをイメージしました。
ご意見いただけると幸いです。

コメント

三月は深き紅の淵を
219.100.84.36

「件」は、漫画『虚構推理』で見ました。

でも、予備知識のない人には、「百閒」や左京、乱歩・・では分からないと思うんで、
もうちょい丁寧に説明して欲しい。
(現状だと、二人がツーカーで即理解し合っちゃった下りが、あんまり唐突かつ取ってつけすぎて、違和感ありまくったんで…)


海外に置き去りにした娘が、ピンポイントでその海岸にあらわれる「理由」が薄弱で、納得できない。

そんで、「ヨナ」とか「ユダ」とか、なんか適当に「におわせ」で片付けたラストってかオチ? が、わけわかめ。

「男の生首」つったら、ヨハナーンしか思い浮かばなかった。
(そんでもって、ヨハナーンは絶対、この原稿の中年親父であってはイケナイんで、、、イメージ合わない)


結論: わけわかんなかったです。

たる
14.12.51.66

三月は深き紅の淵を様

ご意見ありがとうございます。
ご指摘ごもっともだと思います。

作品として雛型にしたのは夏目漱石の『夢十夜』の第4夜でした。あとは聖書が少し。
ヨナは旧約聖書に出てくる預言者の名前です。彼は大きな魚に食べられてその後復活しました。

不条理とご都合主義で書いたつもりだったんですが、結局自己陶酔の作品になってしまったと思ってます。
次はもう少し、論理的な話にします。

読んでくださってありがとうございました。

槙野俊
134.180.3.39

プロ作家の作品でこういう意味不明だけど詩的で寓意を含んだ作風のものを見かけることは割合多いように思うのですが、素人はこれをやってはいけない、というのが私の考えです。オーソドックスな小説の書き手として世間に認められ、ある程度地歩を固めた後であれば、実験的作品としてこういった掌編をものするのは良いかもしれませんが。

あと、こういった感性を前面に押し出した作風のものは自己陶酔の印象を与えやすいです。
これを防ぐためには、読者が納得するような感性のキレのようなものを作中で証明しなければなりません。ごく一部の限られた天才にしかできないことを試みるのは無謀だと思います。

夜の雨
60.41.130.119

この手の作品、結構好みです。

御作は、気持ちだけで書いていますね。
だから世界は見えるのですが、それ以上が見えてきません。
つまり、練り込み不足というところですね。
書いた後、作品をしばらく寝かして、第三者になって読み直しましたか。
それでは具体的にどこが問題なのかを書きたいと思います。

問題

>コンタクトレンズをはめずに外に出ました。<
どうしてコンタクトレンズをしないで外出をしたのか?
主人公の精神面に何があってコンタクトレンズをしないで外出したのかということです。
これが、御作のすべてです。
御作の世界は「見えない何かが見えている世界」です。
つまりコンタクトレンズをしていれば「見えていない世界」が、コンタクトレンズをしなかったので、主人公に「見えた世界」が、「御作に、書かれている」わけです。
だから、「コンタクトレンズをはめずに外に出ました」ということは、かなり重要で、書く必要があるわけですが、御作には、その理由が書かれていません。
――――――――――――――――
主人公は女性なので、普通は夜に一人で外出しません。それも寂しいところを歩きます。このあたり、主人公の性別や年齢、または状況(夜に一人で出歩かなければならない)を変えるなどして、「話に説得力を持たす」必要があると思います。
ただの散歩ではだめということです、主人公にとって、必要だから夜に散歩した。
―――――――――――――――
夜の浜辺で男がいます。かなり重要な役割をしていますが、その割に中途半端な描き方です。
ということで、男の設定ができていない。
また、男に絡んで、彼の娘の設定も甘くなっているし、産みの母と男の関係とかも練り込まれていません。
――――――――――――――――
このあたりから、あとは、かなりゆるゆるの設定になっています。
男が「突然瓦解して砂になり」も、意味不明だし、少女が主人公の女性と関係がある「七條君の声」を発声するのも、何のことかわかりません。
――――――――――――――――
ラストあたりは、イメージ先行しすぎて何のことやらわかりませんので、そこに至るまでに、話に説得力を持たしてください。
「設定の練り込み」が、必要です。

――――――――――――――――
以上が、御作の問題だと思いますね。
細かいところは、他にもあります。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
良いところ
かなり私の好みです。
どこが良いのかというと、世界観ですね、御作を読むと、イメージが広がります。
「ゴッホ」の世界などはよいですね、ゴッホのことが書かれてある本を読んだことがありますが、独特の精神世界の人物なので、御作に合っていると思います。
ただ、ゴッホを出してしまいますと、彼の影響力が半端ではないので、御作がゴッホに乗っ取られかねませんので、そのあたりは、考えものだと思います。
つまりゴッホという名前を出さないで、彼の精神世界を作者さんの文章力でイメージとして描けばよいのではないかということです。
御作には、文章上でも良いところがいくつかありました。


それでは、頑張ってください。

たる
14.12.51.66

槙野俊さま
ご意見ありがとうございます。
まずはオーソドックス、身に沁みます。
最終的に書きたいものはこういった作風なので、研鑽します。

たる
14.12.51.66

夜の雨さま
丁寧なアドバイス痛み入ります。
勢いで書いてしまった作品だったので、夜の雨様のご意見で、私の中でようやく客観的にみることができました。
ありがとうございます。

男と少女の設定、主人公の女のバックグラウンド、これらも最初書きこんでいたのですが、どうしても説明文章になってしまい、削ってしまいました。
明瞭簡潔な設定と物語の展開、今後意識します。

読んでくださってありがとうございました。

良いことろも上げてくださって、とてもうれしかったです。
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