作家でごはん!鍛練場
えんがわ

二つの椅子/昼さがり

◇二つの椅子


 ぼくの机には椅子が二つある。一つはこの秋、ネット通販で六千二百円で買ったやつだ。これは、ぼく用。
 伸びをするとケンコウコツの重みを背のクッションが吸い込み、骨がびきびき鳴って気持ちいい。半年が過ぎようとし、新品のよそ行きの匂いは消えて、すっかり馴染んでいる。
 もう一つの椅子は、アメショーのアメさん用。こちらの方が暖房に近く、温風を正面から受けている。
 五年くらい使っているぼくの椅子だった。これからも使っていこうと思っていた。

 それが去年の秋の終わり、要するに冬の準備期間に、アメさんはぼくの椅子をすっかり占拠して丸まってしまったのだ。
 もちろん、追い払った。
 その頃、ぼくは大長編の構想があって、大学のハズレ講義を休み、一週間、パソコンを睨みっぱなしでキーボードを叩き続けていた。この精魂込めたジュブナイルを、自身の代表作、といってもサークルの仲間内の数人で見せっこするだけだが、にしようと思っていた。細マユゲのイッシーは、靴の片っぽだけを集める幽霊の長編、なんと百五十ページもある、を夏休み一杯も使って書きあげ、僕を驚がくさせた。塩田もびっくりしていた。それに負けじと、塩田と僕の二人でそれぞれ代表作というものを、将来に小説家となった時に編集者になにげなく差し出して。「実はこんなの書いてたんだよねー、ぼくも若くてさ、勢いでさ、でも気に入ってるんだ、どうだった、えっ、いやそんな、ほめ殺しだよ、照れちゃうよぉ」。なんて敏腕編集長が目を丸くして駆けつけ、そのまま出版されるような、そんな傑作を創ろうとしたのだ。
 がりがり、がりがり、ウルサイ。その大長編を執筆しているさなか、アメさんがぼくの椅子の背もたれまで精一杯に伸びをして、爪でがじがじっている。
 僕の大長編は主人公とヒロインが街を見渡せる丘に一緒に座りながらうふふとふふふと、互いに手をほんのちょっと近づけて、ふれあうかふれあうまいか、いやまだはやいよ、やめとこう、そういえばゆうひがきれいだね、なんて所まで差しかかっていたのだが、その背中への圧に中断しなければならなかった。
「こらっ」
 と頭をポカンと叩こうとしたが、やっぱりなでなでに近いぽんぽんになってしまった。アメさんはふてくされた顔をして、茶の木目の床にうつ伏せている。ふてぶてしい。椅子の車輪でひかれたらどうなるかわかっているんだろうか。アメさんは両足をだらりと垂らしている。しっぽまでだらりとしている。そのくせ、妙に鋭い眼でこちらを見つめている。椅子の車輪でひきっこないことをアメさんは知っている。
「危ないよ、危ないよ」
 椅子から降りて、その椅子を遠ざけて、立ちながら中腰で足のつま先でちょちょいと突っついて、追い払おうとする。するとアメさんは素早く立ち上がって、こちらに向かって行き、ぼくの足を頭ですりすりして、そのままママならぬことにまた椅子に乗った。
 かくして椅子はアメさんのものとなり、僕の大長編はとん挫して、レポートを書く時間が減った為か、それともそれまでサボっていたのが響いたのか、その秋と冬の、後期の講義の単位をいくつか落とし、そして季節は過ぎていった。

 貧乏学生だよってユニクロを着ているが、バイトもせずに暮らしていけるのは、実家からの大学通いだからだろう。わが家も金持ちではないけれども、やっぱ庭付きってのは普通とは違うんだろう。電車で通学一時間に文句言いながら、甘えてしまっている。以前は離れることも考えていたが、アメさんが来てからそれはすっかり無くなってしまった。そんなぼくだから、新しくもう一つ椅子を買うのはためらわなかった。また代表作が遠のき、単位を落として留年するかも、と思えば、安い買い物だ。
 しかし秋から冬へ、涼になり寒になりかけた頃、アメさんが椅子の上に、よりにもよって新品の方に乗っかって来たのには、本当に本当に本当にイライラした。いらっとまでした。思わずきつく背中をワシワシしたが、アメさんは気持ちよく喉を鳴らしている。ゴロゴロゴロゴロ。ではなく。ゴゥゴゥゴゥゴゥ。
 なんだろう、市民革命だろうか、名誉革命だろうか、革命でも起こしたい気分になったが、そこはこらえた。そして現象と原因を分析した。丸三日レポートも手に付かず分析した。猫学を履修するような勢いで。その結果、どうも暖房があたるからアメさんはこの椅子にいるのだと気づき、本棚を動かしデスクを動かし、非常に疲れた、そして椅子を動かして空いたスペースに古株の椅子を配置。するとするする。さてさてアメさんはそこに落ち着いた。

 あれだけ熱のあった大長編も時機を逃すと随分とひんやりしたものになり、見返すと変な笑いが出てしまうような、テレビの芸人のお盆芸でアレがちらっと見えるような、そんな夢の終わりのものだった。それをすっかりと廃棄して、今は短編を幾つか書いている。五ページから六ページのもので、時に頑張ってようやく十を超えるのだけど。イッシーも美紀ちゃんも、良くなったよ、とか、らしいじゃん、とか言ってくれる。そりゃたまには、何これ、なんてのもあるけど。たまには。本当にたまに。三つに一つくらい。
 と何だか顔がひきひきして、それでキーボード叩きが止まってしまった。横を見る。腹這いに冬の猫らしく丸まっているアメさん。眠っていると思ったら、薄眼が開いている。こちらに気付くとそれがパチリとし、ゴゥゴゥ言う。
「わかったよ」
 背中を撫でる。アメリカンショートヘアだから毛は短いが、指をジュウタンみたいに柔らかく包んで、滑っていく。ゴゥゴゥ。声が大きくなる。するとその口で、左の親指と人差し指の間に噛みついてきた。あまがみなので、手を引くとさっと離れる。アメさんはプロレスのように寝ころびながら、前足をネコパンチしてきて、噛みつきが混じる。手をアメさんにひらひらすると、爪ががしりとセーターの手首の袖にひっかかる。こう、糸と糸の間に。シャキンと伸びた爪が。それが折れやしないか、そんなことないとわかっているけれど、もしもと、手の動きが鈍る。するとアメさんは小指の下の外側に、会心の一撃と、歯を当てる。興奮が高まって、あまがみは少し痛いものになる。噛むところがロックすると、それを軸にがしがしと猫キックまでしてくる。
「いたいよ、いたただよ」
 なんていつものように繰り返し。うん、もう原稿そっちのけでアメさんとたわむれることにする。



◇昼さがり


 穏やかな風が吹く。八千七百円で刈った毛が、ふわふわとする。午後を過ぎた柔らかな陽が、ゆらゆら流れていく。デスクの椅子は、クッションが効いている。指定席だ。
 初めは嫌がって、そこを占拠する度にご主人はひょいとベッドの方に持っていっていたが、やがて根負けしたようで、一回り大きな椅子を運んできた。
 おかげで、パソコン用のデスクには、二つの椅子が窮屈そうに並ぶことになった。一つはご主人用、もう一つはアメさん用。俗に言う、椅子ガ原の乱の結果、アメさんは自分の領地を手に入れたのだ。

 * * *

 整えられた芝が広がっている。足元には黄に赤の入ったタンポポが伸び、川沿いにはイエローの菜の花が並んでいる。遠くに双子の山がそびえ、背後には水色の空。風はゆるりと吹き続けている。
「あー」
 両手をそろえて、背中を沈め、おしりを上げて、伸びをする。口を大きく開け、あくびする。テントウムシが不思議そうに見つめていた。とろりと、うとうとするのを堪え、喉から声を張る。
「おーい」
 返事はない。けれどアメさんは彼女には聞こえていることを知っている。お皿に何時も水が満たされているように、それは当然のことなのだ。
 青草が揺れて、ちりんちりんと聞こえてきて、白い塊がわっと飛び出してきた。
「ばあっ」
「んー」
 こうやって何時もアメさんを驚かそうと襲ってくるのだが、野生から離れた体の運びと、茶色の首輪についた鈴のせいで、台無しになっている。
「ん? やっぱり、気づいてた。ほんと、賢しいねー」
 くりっとした瞳が、不思議そうに見つめる。あと二、三回したら、教えてやろう。
「おっ? 毛を切ったな」
 グレーに黒の縞模様がかかった毛並みを、なめしながら答える。
「春ですから」
 くんくんと匂いを嗅ぎ、そこにリンスの香りが残っていたように、うらめしそうな顔をし、ぶーたれ、
「オスなのにねー。なんででしょうねー」
 耳をかき、口髭をもぞもぞさせる。
「いいってもんじゃないよ。ほんと。ケージに一時間は閉じ込められるし、車はごとごとするし」
「いいわよー」
「おまけに、水は冷たいし。ドライヤーは、ぼーぼーだし」
「うーん、シャワーは嫌かも」
「嫌なもんさ」
「でも、羨ましいよぅ。オスなのにー」
 いたずらっぽく間がおかれる。次の台詞は容易に連想される。
「オカマなのにー」
「うっさい! 好きで取ったんじゃない!」
 男であることを失った時、ただただ痛くて、夕食をボイコットしたことを覚えている。もう恋が出来ないという痛みは、これからじわじわ味わっていくものなのだろう。
「だからウチ猫では当たり前なの!」
 そう先輩から教わった。と言っても、もうおじいちゃんの年なのだが。本棚に助走無しで飛び乗れる、俊敏な彼ももちろん、玉無しだ。
「あんたこそ、避妊手術を受けりゃいいんだ!」
「へーき。へーき。男なんて寄ってこないって。わたし、外に一度も出たことのない、箱入り娘なのよ」
「箱入り娘ですかい」
「箱入り娘なのよー」
 語尾がじとっとしている。
「オレもそうだよ」
「箱入り息子なのね」
「ああ」
「箱入りおかまか」
「あー」

 ふぅと息をつくと、合わせたかのように風の向きが変わった。そこに甘い匂いが加わる。
「来るな」
「来るね」
 雲は薄紅色を帯び、キャットフードのようなデフォルメされた魚の形をし、どんどんと大きく、近くなっていく。そして、それごと降ってきた。


 ばふん。

 アメさんの視界が雲に包まれる。かろうじて隣で上下するシルエットが浮かび、鈴の音が聞こえる。少し湿った感覚が皮膚を覆うが、毛はちっとも濡れていない。甘い、粉砂糖を溶いたスープのような。もしかすると、昔ペットショップで兄弟と競うように分け合った母のミルクの味かもしれない。柔らかな雲が舌をちりちりと掠め、喉を潤す。
 空気をゆらゆら小さなイワシの群れが漂い、ひょいと爪を招くと、ぽとりと落ちる。ぽとりぽとり。がつがつ。新雪のように柔らかく、肉とクッキーの中間の味がする。魚肉ソーセージに近いようで、どこか決定的に違う。
「今日のはちょっとカニっぽいね」
 カニカマしか知らないが、なんかそう言いたくなった。
「春だからねー」
「うん、春」
 とろとろと白に包まれ、まぶたも重くなっていく。
「また……」
 もぞもぞと口を動かす。一応、声にはなっていたようで
「またねぇ」
 とこちらも眠そうな声が返ってくる。
 暖かい。あたらしく暖かな。あらためて暖かな。あらかた暖かな。なーなー。なぁ。

二つの椅子/昼さがり

執筆の狙い

作者 えんがわ
165.100.179.26

よろしくお願いします。

コメント

幡 京
121.3.235.25

作品内世界は否定しません。書き手さまの世界ですから。

しかし「革命」。
「名誉革命」も市民革命ですよ。最初の英國革命はオリヴァー・クロムウェルが國王を処刑しましたが。
「クーデター」はいけませんね。軍事組織に属してはいないのですから。

でしたら「革命でも暴動でもテロでも」、と云うのが小生の考えです。

えんがわ
165.100.179.26

>幡 京さん

そうですか。
ちょっと、ひっかかって欲しくないところにひっかけてしまいました。
主人公のおサボり大学生が思い浮かべる比喩として、歴史の教科書の中でも代表的なものをピックアップしたのですが。
そういうところで引っ掛けてしまったのは、自分の文章の細部への気遣いの至らなさ故でしょう。

何よりも、「気軽に読んでね」って空気を作りたかったので。
うん、このような固い読みにしか導けなかったのは、とても力不足を痛感します。
いろいろなものが足りませんでした。
ありがとでした。

幡 京
121.3.235.25

こちらこそ申し訳ありません。
小生は固い読み方をしたのではありません。
ギャグ小説を書いている身ですから。

しかし、軽さを目指すなら、そこは手抜きが出来ないと思います。
革命でも、「フランス革命」なら王朝を滅ぼしたし・・・「キューバ革命」は英雄的行動だとか。
それぞれ大義名分がありますよ。

えんがわ
165.100.179.26

>幡 京さん
そうですか。革命という一タームに固執して、全体の印象や他の部分を書いていないので、そゆ読みをしたと誤解したようです。
時間があったら、歴史を洗いなおそうと思います。錆びつき過ぎてしまってました。それに気づかされました。

不用意に傷つけてしまう発言、失礼しました。ごめんなさい。

再訪、ありがとでした。

干し肉
126.24.182.89

 そつなくまとめられてはいます。
 終始ゆったりとしており、柔らかな春の日差しに照らされているような温もりも漂っています。
 牧歌的。
 たとえば、春の晴れた昼下がり、縁側でこの類の作品を読んでいたら、どうなるでしょうか。
 私なら眠くなる。
 そのまま眠ってしまうかもしれない。
 
 それは多角的な視点から捉えればこの作品のウィークポイントでもあると思う。

 焦燥や喧噪とは無縁の内容で起伏もあまりないから、飽きられやすい。
 これを読んだ時は、“終始ゆったりとしており、柔らかな春の日差しに照らされているような温もりも漂っています。”と言えるけれど、また次もこの作者の作品を読みたいと思わせるなにかがあるかと言えば、見当たらない。

 個性が弱い。
 
 別にそれが絶対的に悪いことではない。
 ただ、記憶に残るようなものではなく、どちらかと言えばインスタントに消費される類のものにカテゴライズされると思います。

 ふーん、平和だね、良かったねえ、っていうだけの読後感。

えんがわ
165.100.179.26

>干し肉さん

はい。
ありがとです。うれしいです。

雰囲気を感じていただいて、嬉しいです。温度が伝わって、嬉しいです。
昼寝してほしいです。眠って欲しいです。
幸せとは違うかもしれないけど、安らぎのような、今自分が求めているものの何かを、一番に伝えたかったので、その言葉はとても励みになりました。

干し肉さんの言う、「悪いことではない」
なんかぐっと来ます。
自分のは干し肉さんの求めるものとは違ったのだろうけど、それでもこれはこれでありじゃん的なと言うか、
なんかそういう風に見つめてくださって、ありがたいです。

そうですなー。インスタントなんですか。まんぷくなラーメンにならなくても、読んでいる最中に、心がほどけていただけたら、この文章はそれで役目を全うしたかなって。

文章に個性とか作者の味とか言いますけど、自分って本当に人間が出来てなくて、底辺で地味地味と悪い意味で凡庸に生きているので、そんな自分の個性が発揮されたところで、たかが知れている気がします。

それでも自分が書いた意味、というのは求め続けたいもので、だからこのような作風だけで書き続けないで、色んな風に書いていって、その中でこーゆー作もあるんだよ的なふーにしていきたいです。
アメさんらぶなので、これからもアメさんは書き続けそうですけど、たぶん、きっと無意識に避けているような重かったりじとっとした話にもふれられたら、その「ふーん」は消えるかなーって。「ふーん」を何とかできるようなように、歩いていきたいです。ふー。んー。

ポキ星人
106.73.96.160

 私はアメリカンショートヘアというのがペットの品種名なのは知っていましたしアメショーがその略語だろうと見当は付きましたが、それが犬か猫かは自力では思い出せませんでした。
 そのような無知だと却って気づくのですが、両作品に猫の行動の描写はありますが、猫の容姿の描写はほぼありません(たぶん、 >アメリカンショートヘアだから毛は短い >シャキンと伸びた爪 >グレーに黒の縞模様がかかった毛並み がバラバラに存在するだけですし、最後以外は「アメさん」という個体の個性にはあまり関係ない描写です)。
 ですから読了後の今も、私はこの猫の姿の十分なイメージが持てずにいます。

 ここで私は、猫が好きな人なら十分なイメージがあるけど知らない人もいるから描写しましょうね、とか言いたいわけではなくて、むしろそういう発想が覆い隠すものの方に関心があります。
 たとえばパンダを出すけどその姿をあまり描写しないというやり方がありえますけど、それはパンダというのは大体あんな姿をしていてそれはみんなの共通イメージだ、という発想によるものだと思います。同様にこの作品が、アメショーだと言ったきりその姿の描写を省略するのも、アメショーというのは大体こういうもの、という発想が根底にあるからではないかと私は疑っています。
 作者は作品の柱となるモチーフを、「未知のもの」としてではなくて、「既知のもの」として捉えていて、「未知のものを探求する」のではなくて「みんなが既知のものを確認する」ために書いているのではないでしょうか。作品の「ぬるさ」はストーリーの他愛なさのみならず、この「既知のものを確認する」ことの安穏さがもたらしたのだというのが私の見立てです。
 先ほどの言い方をもう一度引っ張り出して私の要望を言えば、猫を知らない人もいるから描写してください、ではなくて、猫を知っている(つもりの)人に挑むために未知のものとして描写してほしい、そうすればそもそも知らない私も置いてけぼりにはならないだろう、ということなのです(猫の姿の描写が薄いことは作者の発想を象徴しているのだろうということですから、たんに猫の姿に字数を費やせば解決するわけではないのでしょう。ただそれをすれば今よりは新規の発見が出やすそうには思います)。
 今回、以前投稿なさった競馬の話も読んでみましたが(私は競馬をまるで知りません)、意図的に説明をしている部分の文章はむしろお上手と言っていいように見えますが、例えば馬については「馬体の印影」みたいな用語でとまってしまっているように見えて、今回の「アメショー」の扱いに似ているように思います。用語に頼る度合いが強くて、その内実に文章で迫ろうという態度に乏しいのではないでしょうか。

 二作目の「昼下がり」の方は猫同士の会話が書かれているので、それは特別な視点で書いた新鮮なもの、なのかもしれませんが、私には「既知のものを確認する」という態度が一作目より強く出ているように見えました。毛を刈られている猫を見ながら人間が「こいつこう思ってるんだろうな」と思っていることをそのまま猫が「自発的に」話しているだけに感じられたからです。飼い主が思っていることは正しい、ということを猫の側が自発的に証言してくれるので、飼い主の思いやりが肯定されて心地よい、という手の込んだ自己肯定を書いたり読んだりということの意義が私にはよくわかりません。あなたが教師とか上司とかだったとして、生徒や部下に同じことをさせて満足していたら、それはあまり高級な趣味ではないはずですが、ペットを書きたがる人はその辺に鈍感な人が多いという偏見を私は持っています(私の特技は猫の鳴きまねをして隠れている野良猫を呼び寄せることで、実は猫が嫌いなわけではないし、なんか言うこと聞くのが可愛いと書きたくなる気持ちもわからなくはないんですが、この一節を読んで、こう書いている私がいやらしい感じがしないもんでしょうか)。
 先ほどの、外から見た容姿の描写とは違った方向になりますけど、毛を刈られたら毛の話をするのは当然であるとはいえ、例えばあの素足のまま歩く足の感触とか、低い視点がもたらす景色とか、飼い主があまり実感していない方向の描写を重ねていくことも必要なのではないかと思います。本当はそれ以上、もっと「未知の探究」になるような本質的で具体的な策が言えればいいんですが、それこそ私にとって未知の探究なのでご容赦ください。

えんがわ
165.100.179.26

>ポキ星人さん

あー、えーと。

なかなかポキさんの言葉が頭に入ってこなくて、それだけ普段、自分は考えていないということと頭が悪いからなんですけど。

猫がイメージに浮かばない、置いてけぼりに会う、ぬるい。
それは「未知のものを探求する」ではなくて、「既知のものを確認する」というスタンスにある。
用語に頼る度合いが強くて、その内実に文章で迫ろうという態度に乏しいのではないでしょうか。

グサッと来たところを、抜き出してみました。
これはしっかり覚えとかんというか自分の復習として、なんですけど。

はい。

まずは、描写っていう表面について何ですけど、自分は視覚描写が苦手なのと絵に頼って書いている環境もあって、なかなか難しいです。だから全体的にこういう感じなんだと思います。少しずつうまくなっていきたいです。

それで、こっちは根本なんですけど、自分は確かにモノを見る目が浅い、問題関心が薄いってのはあって。
そこらへんわかってはいたんですけど、やっぱりこうしてはっきりと根拠をもってご指摘いただくと、その脆弱さが身に染みます。そうですね。多分、「未知の探求」と言うほどに強いものは自分の中には無いです。
新しいものを伝えようという意思は自分には無くて、だから「既知の確認」っていうのは確かで、それはぬるい。
そう思われても、やはり、なんだろう、自分の手の届く範囲で、自分の言葉になっているのを、特にこの短編では使っていきたかったです。
なんだろう。
「既知のものを再確認する、再発見する」
というスタンスが自分の目指すところかなと思いました。
それは良く知られているものでも、自分だから見えるものを相手に指し示すスタンスだったり、
同じものだったとしてもこういう風に見えたりするじゃんと伝えるような。

いや、ここまで書いていてポキさんの記す、
>猫を知っている(つもりの)人に挑むために未知のものとして描写してほしい
と重なるようにも思うのですけれど。

なんというか、ポキさんのお言葉をいただいて、そこから自分なりに噛んで出て来た言葉がこうなんです。
そこにはやはり「未知の探求」は必要だと思うんですけれど。
自分は「既知の確認」も捨てられない。
だから「既知の再確認、再発見」がスタンスなんだろうと思います。

なんか回り道してあーだこーだ理想を書きましたが、現状の文章はここまで行っていない。確認止まり。


「昼下がり」

>飼い主が思っていることは正しい、ということを猫の側が自発的に証言してくれるので、飼い主の思いやりが肯定されて心地よい、という手の込んだ自己肯定

あっ、はい。そのままです。やっぱり他人様から読んで不快ですか。あははうふふの甘ったるくて腐った匂いがしますか。
タマタマの去勢を入れたのですけど、そのコミカルな扱いそのものが鼻についたのかなともご指摘を受けて思いました。

うーん。自分なりに描写は平板になり過ぎないようにやってみたんですけど、その態度そのものが小手先で、モノを見る姿勢そのものがまだまだなんだなって気づきます。でも、どうにかなるんだろうか。いや、こりゃ人生やり直して、冥王星教に改宗するくらいのものがないとムズイなって思うんです。けれど、そこまで気合が無いので、このお言葉が自分の中で効いて来る範囲で、生活を見つめなおせたと思います。


ただ、なんか引っかかったのがあって。
「安穏さ」ってそんなに悪いもんなんでしょか?
いや、そりゃ、物語としては詰まらないものかもしれないけれど。
安らぎや穏やかさは、この文章に込めたもので、それを否定されると辛いです。
いや、そもそも安穏って良いかもと思わせれなかった時点で、自分の文章や心はポキ星雲まで届かなかったのでしょう。
がんばらなくちゃ。

それと、馬の話まで目を通していただいて、嬉しかったです。ポキさんのような人に読んでいただいて嬉しい。

ありがとうございました。
もっと考えれば様々なモノが出てくるかもしれないけれど、今、書けるところはここまで。
まだポキさんの言葉は身体に取り入れきれてないので、もうちょっと読み込んで、思ったりしたいです。

ポキ星人
106.73.96.160

 お返事ありがとうございます。
 こういう文章の安穏さについては、あえて、はっきり良くないと言っておこうと思います。
 不穏さをもたらすようなものから目を背けた文章を書けばそりゃ安穏になるでしょうけど、それやっといて安穏が悪いんですか、とか言い出すのが嫌なのです。
 私だって安穏な精神状態そのものは肯定されるべきだとは思っています。だからこそ、こういう文章を肯定するより、現実に猫を撫でに行った方がよいと思います。

 御作が何から目を背けているかというと、おそらく、しょせん畜生である猫のことなど私たちはわからない、猫もこちらのことなど理解しない、という類の、断絶感とか不気味さとかから、だと思います。それをわざわざ飼い主の思っていることを猫の口から言わせて安心する、とかいうのは趣味が悪いように思うのですが、その辺をあまり気にしないタイプの人がペット好きの人には多いという感じがする…と、前回の繰り返しになっていきますので、やめます(私は犬猫はそんなに嫌いではないつもりですが、飼い主のことは率直に言ってあまり好きではないのだ、ということは認めます)。

 私はこのサイトで猫のことを書いた作品には結構きつめの感想をつけ続けてきたのですが、それは愛猫家のプロ作家が猫を描いた作品と、素人作家のそれとの間に(うまい下手の量的な違いではなくて)質的な違いがあると毎度強く感じるからです。
 プロ作家たちのそれは、猫のわからなさとか、猫に振り回される人間(飼い主)の愚かさが描かれていることが多いように思うのですが、素人作家のそれは、猫を愛しているというよりむしろ猫から愛されている飼い主がどんどん肯定されていって、それが安穏で心地よい、という例が圧倒的に多いです。
 もし猫のわからなさ飼い主の愚かさが描かれている(正面から描かなくてもそれを前提とした記述がなされている)上で安穏であれば、それは傑作であって私は認めると思いますよ、だって猫飼ってる幸せってそういうんじゃないんですか、知らんけど。

えんがわ
165.100.179.26

>ポキ星人

うーん。
そうですかー。
どうも自分の文章のスタンスが浅いのかな、どうなのかな、悪いのかな。
ようわかんなくなってきました。

いや、安穏ってそんなにだめなのね。
トレンドはクールでプロフェッショナルなのね。

不穏さから眼を背けるって。
だって目に映る今が、そこに流れる空気が、安穏だったんですよ。そこに敢えて冷たかったり重たかったりするの入れるの?

そうなんでしょうね。
そうなんですよね。
自分の猫を飼っている幸せって違うのか。
ずんとくるな。悲しくなるな。
あまり好きではない。なんだ、自分って人間が嫌いだってはっきり言われると、なんだ。

多分、ポキさんには自分のスタンスってとても未熟で幼いものに見えて、それこそ「事実が見えていない」んでしょうね。

んー、自分は浅い人間なんで、たぶん変わらんような気がするけれど、もうちょっと色んな視点から猫を見つめれるようにできたらと思います。

再訪、ありがとうございました。
前回のコメントで多分に誤解していた部分があって、それが晴れて、沈んだ部分もあったけど、すっきりしました。

なんだか暗いじめじめした返信でスイマセン。いや、ほんと、自分は暗いね。

阿南沙希
126.209.40.220

読ませていただきました。作者さんにしたら不本意だと思いますが、無意味にダラダラしている印象です。

一本目はダラダラの言い訳に猫を使っている話で、二本目はそれの猫視点版でしょうか。これは、自分だけで読み返して楽しむならいいですが、対外的に出すお話ではないのでは?
猫を犬に置き換えても成り立つので、内面的な猫らしさや人間とのせめぎあいのような描写も欲しかったです。猫は人の言うことなんか御構い無しの動物ですし。
例えばダラける言い訳に猫使おうとしたけど読もうとした小説にオシッコかけられていた…の方が、内容的にも猫っぽいかもしれません。それで主人公どうするか知りませんが。
また、猫を飼う去勢手術が出てきますが、人間の都合に一生を左右される現実について猫たちが何ら思いを巡らせることがないのもハテナでした。こんな目にあっても安全で良い暮らしができるから…等フォローがほしかった。

そして、私の個人的な考えかもですが、玉がなくたって何だって恋はできるよ、とも思いました。
病気で体の一部を失くしたり、生殖能力がなくなったりすることが今少しずつ広まってきていて、それでも生きることを選んで歩く人がいる。敬遠する人がいる一方で支える人もいる。そういったことも知られつつある現代、何かを失くしたらそれで終わりでしょうか。自分で選んだか、他人にそうさせられたか、という違いはありますが。
ちょっとした猫の話としながらも、発想として他の作品にも影響しそうな気がして引っかかりました。では、頑張ってくださいね。

えんがわ
165.100.179.26

>阿南沙希さん

はい、だらだら―は、書こうとしたんですけれど、それが無意味と感じられてしまったなら、失敗です。

>対外的に出すお話ではないのでは?

うう、凹んでしまうのですけど、もう、ぐっと立ち上がって、ぐぐっと受け止めたいです。
そのような印象を残しながら、それでもコメントを書いてくださり、ありがたい。

はい、犬に置き換えても同じ、というのはそれだけ書けていないってことで、いろいろと不足していました。
もっとワガママな感じを出せたような気がします。

はい。
去勢は踏み込み方が中途半端で、浅かったです。
「日はまた昇る」を読んでいて、身体と心と男女の繋がりに、ふと思うものがあったのですけど、それを十分に消化しきれず、また言語化もしきれずに、さっとふれただけに留まってしまいました。もうちょっとあれこれと思い悩んで、書くべきところでした。

はい。最近のニュースでは性同一性障害を追うのがやっとで、阿南さんの紹介された現代の流れは盲点でした。恥ずかしいことに、関心の枠外でした。ADAとかからの流れなのでしょうか。
ええ、阿南さんの言うことには共鳴するところが多く、なるほどって。

「何かを失くしたらそれで終わりでしょうか」

確かに猫に限らず、この目線は大事に大事にして、何か文章に反映させていきたいです。
宝物をありがとうございます。
自分の思慮の足りなさに、顔が熱くなります。

がんばります。

夜の雨
60.41.130.119

●二つの椅子

こちらの作品は全体を通して読むと「主人公が自分の時間を飼い猫のアメさんに振り回されている何ともゆかいな作品になっていると思います」が、推敲が出来ていないのか、読みにくくなっていて、損をしていると思います。
――――――――――――――――――――
導入部「もう一つの椅子は、アメショーのアメさん用」まず、ここですが、猫だということを読み手にわからすように書いておいた方がよいと思います。
それも猫の描写込みでやると、一石二鳥になりアメさんが猫でそれもどんな種類なのかがわかり、御作のその後も、イメージしやすい。

「それが去年の秋の終わり、要するに冬の準備期間に、」 ←まどろっこしい、冬に近い季節だということが伝わればよいと思います。このあたりも季節を描写すれば説明ではなくて小説らしくなるのでは。

「その背中への圧に中断しなければならなかった」 ←書いてある意味(伏線もあるので)は分かりますが、遠まわしに書く必要はないと思います。
伏線との間に「大長編の内容が書きこまれている」ので、遠まわしに書くと、若干伝わりにくいということです。

「こちらに向かって行き」 ←「こちらに向かってくる」ということですよね。

>その結果、どうも暖房があたるからアメさんはこの椅子にいるのだと気づき、本棚を動かしデスクを動かし、非常に疲れた、そして椅子を動かして空いたスペースに古株の椅子を配置。<

話の流れの一文に「非常に疲れた」という関係がない文が挿入されていて、途中で文章が中断しています。
「非常に疲れた」 ←この文は、「一文」が終わった後に、主人公が疲れたということで使うとよいと思います。できたら、疲れを描写したほうがよいですけれど。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

全体では主人公の猫愛が描かれていて、作者の「えんがわ」さんの人柄がわかるよい作品だと思います。
ラストがしっかり書き込まれています。
「えんがわ」さんの狙いはよいのですがね、それだけに、文章の推敲不足がもったいないです。




●昼さがり

導入部の「椅子ガ原の乱」の話はおもしろいしわかりよいのです。

そのあとの「整えられた芝が広がっている」からが、わかりにくい内容になっていますね。
たぶん「会話文」で話の内容が分散されているのだと思います。
地の文章で書いたほうが話は締まり、読み手に伝わりやすいですね。
会話文と地の文章の使い方は話の内容により、使い方を分けたほうがよいですね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


前作の「港町のカボチャ売りシリーズ(短編4つ)」について。

めちゃ、読みにくかったですね、

文体的には、ほかにもいろいろと引っかかりましたが、とりあえず、下記の内容で「読みにくさは伝わると思います」。
こちらの作品は「あまり文体を特殊なものにするよりも、あっさりとした素直な書き方にしたほうが、内容が伝わる」と思います。

===以下、「感想を書こうと思って、書かなかった中途半端な感想」が、下記です。===

どういう意図で、この手の作風にしたのかわかりませんが、読みにくくて、仕方がありません。
導入部を読んだだけで、先を読む気になりません。
再掲で推敲を重ねたとありますが、改稿前もこういった作風でしたか?

A>今は海風も一休みする、おやつどき。お天道様は今日も照っていて、窮屈に並べられた石造の家々も、びっしりと敷かれた石畳の道々も、あつあつにする。<

たとえばAですが、「おやつどき」とか「お天道様」とか「あつあつにする」等の、日本昔話のような書き方ですが、そういう方面を狙って書いているのですかね?
こういう書き方(文体)に特徴のある作風の場合は「執筆の狙い」で、「なぜ、こういった書き方にしたのかとかを、詳しく書いてくれないと」先を読めないですね。
要するに、題材をうまく消化するためには「この書き方が最善」というように作者は考えているということで、説得力があるかどうかです。

>さて、通りの右の、氷詰めの魚達と整列した靴の一群。<
「さて」←これ入りますか?

作品から距離をおいて書いたほうがよいと思いますけれど。
客観的に書くということです。
それの方が御作の世界が読み手にわかりやすく伝わると思います。
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えんがわさんの作品は世界感がよいのですけれどね、描き方でいろいろと損をしているように思います。

えんがわ
165.100.179.26

>夜の雨さん

ああ、ありがたいです。

読みにくい文で、難渋したと察しますが、それでも好感を記していただいて、とても嬉しいです。
この文章って、とってもいけないなって、凹んでいたので、とろとろとし、励みになります。
雨さんの助けとなるアドバイスもありがたいのですけど、一番はそこに癒しのようなやる気のようなものをくれるその気遣いと、それこそ雨さんの人柄にふれたような温かさにあると思います。癒されます。

文章はほんとうに難しいです。


二つの椅子について。

「アメショー」って言葉から「アメリカンショートヘア」→「ペットのねこ」って連想を繋げてくれるかなって思ったんですけど、猫マニアゆえの狭い見方だったようです。
いや、ここは猫を知らない人ほど「?」なんだろうから、ここはもっと一般にイメージを広げなきゃいかんです。
うう、アメショー。メジャーじゃないのじゃ。

昼下がりについて

あー、はい。まずいぞこれは。
見返してみると、会話で説明しようとしている感がありありです。
説明文だらけじゃ駄目だってのは気を付けているんですけど、会話文で小手先で誤魔化しただけじゃそれは解決しないと。むしろ地の文の良さって、もっと信じないかんと。
ここらへんは全体的な自分の傾向っぽいです。お言葉、肝にめいじます。

港町について。

狙いの所に書くべきか書かざるべきか、自分は断然書かないで、読み手が前知識を与えられないで自然に文章そのものからウケル印象というものを、書いてくだされば、それが一番うれしいのです。
だから夜の雨さんの感想は、このままでとても嬉しいのです。

狙いすらもわからなかった、というのが一番のクスリになる。

ただ、求められているのに自分の狙いを書かないのはフェアじゃないので、ここに書きます。
港町シリーズに関しては童話のようなふわふわとした空気を作りたかったのです。だから間接的な回り道をした表現や比喩を使ってみました。それは失敗したようです。

言い訳をすると、自分の文章の全ては、AA(アスキーアート)となったときに最善となるものを目指していて、それでなにかと偏りだったり齟齬が生まれているような気がします。

「二つの椅子」のAAはこれ。これだと猫だとわかるだろうか?
http://a0014028.html.xdomain.jp/futatunoisu.html

でも、AAは文章の言い訳に使いたくなくて、いや今さっき使いましたけど、理想としては文章だけであれこれ思って欲しいのです。でも夜の雨さんのような人にこれ以上隠し続けるのもいやんな気がして。いや、これも言い訳か。

もっと甘えない人になりたいです。

ありがとうございました、雨さん。隣の横になっている猫のアメさんもきっと。なんて思うとやっぱり動物に己の欲求を投影しすぎなんでしょう。とにかくすやすやぐっすりしてます。

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