作家でごはん!鍛練場
加茂ミイル

香麗シュウの華麗なる性転換と増大するエントロピー

1、宛先不明の手紙

 その日は土曜日だったが、中学のサッカー部に所属していた俺は、他校との交流試合に出場していた。
 負け試合だったが、俺のシュートが決まったおかげで1点入っていたので、個人的には人には言えない満足感があった。
 試合終了後、反省ミーティングをして、帰宅したのは日が沈みかけた頃だった。
 俺は、その日、いつになく感傷的な気分で周囲の風景を眺めていた。セピア色に染まる住宅街。交差点を流れて行く車の影。たったそれだけのことだったが、突然、今という時間が二度と戻らないという事実を切実に感じた。それでいてそのかけがえのない一秒一秒が、あまりにも平凡であることに驚いた。人生というものが、こんな風に、均等に、大量生産されたフィルムのように、一定のスピードで回転していくだけだなんて。
 だが、俺はその事実がもたらす無常に気付かないふりを装って、何か「楽しいこと」を心に思い描こうとした。今夜のテレビ番組、好きなアーティストが今月リリースを予定している新曲、友人たちと行くカラオケで鳴り響くタンバリンのリズム……それらが自分の日常の限界であり、自分がそれ以上の何者にもなれないことを俺は知っていた。そして、そこに留まることを俺は拒もうとはしなかった。受け容れさえすれば、それらの全てがキラキラ輝き出した。誰かに自慢したくなるほどに。フォトジェニックなまでに。そして、そんなささやかな幸福を受け入れられないような人間は、傲慢であると思った。そして、その傲慢さがなければ、日常の限界を超えられないことも俺は知っていた。
 自宅の車庫に自転車を停めた後、玄関の郵便BOXを覗くと、一通の封筒が入っていた。俺はそれをひょいと取り出して、無造作に手につかんだまま家の中に入った。
 台所では母が夕食の下ごしらえをしていた。リビングでは、妹がテレビにくぎ付けになって、既に3人の女性を殺害していると思われる連続殺人鬼が新聞社に謎の暗号文を送ったという報道に聞き入っていた。
 それは次のような暗号文だった。
『mikanokotowobakanisuruyatuwajigokuniotiro』
妹は世界で一番先にこの暗号文を解くのは自分だとばかりに、スマホでその暗号文を検索し、暗号文を紙に書き写して、文字と文字の間にシャーペンでスラッシュを挿し込んだりしながら懸命に解読を試みていた。
 父は妹と向かい合う位置でソファに座って何か文庫本を読んでいたが、ブックカバーに覆われてタイトルは分からなかった。
「手紙が届いてるよ」
 と俺は台所に立つ母の背中に向かって言った。
「誰から?」
 母はトムヤンクンスープの味見をしながら尋ねた。
 その母の質問に答えようとした時、俺は初めてその手紙の異様さに気付いた。表面に宛先が書いていないのである。ひっくり返して裏面を見ると、その右下に小さな文字で、差出人の名前が書かれてあった。
「美香って書いてる」
「誰宛て?」
「さあ。宛先が書いてないんだよ」
「どういうこと?」
「誰かが直接郵便受けに入れたってことじゃない?」
「気持ち悪いわね。ちょっと開けて中のもの読んでみてよ」
 俺は言われた通りに封筒を開封し、中の手紙を読んだ。
 だが、その手紙に書かれてある文章がとうてい口に出して読める内容ではないことは、最初の2、3行にざっと目を通しただだけでも明らかだった。
 その手紙には以下のような内容の文がしたためられてあった。

「美香と付き合う男たちは決まってこう言うの。
『君だけを愛している』
 でも、こんなの嘘。
 確かに彼らは美香が欲しいものは何でも買ってくれる。
 でも、それは美香のためなんかじゃない。
 全部、自分のため。
 目的を果たすために、物々交換しようとしているだけなの。
 美香の体に触れたくて、味わいたくて、そのために取引しようとしている。
 でも、そんな浅はかな手段で美香の心まで手に入れられると思ったら、大間違い。
 美香は全てお見通し。
 あいつらの野獣の本性をね。

 私のように賢い女は一回きりのセックスに興味なんかないの。
 大切なのは、美香とこれから生まれて来る美香子供をずっと、長く守り続けてくれるかどうかなの。
 でも、男たちは一回きりのセックスのために、熱にうかされて、後先考えず、その一瞬のエクスタシーのために何もかもを犠牲にしようとする。
 本当に男たちってバカだなって思う」
 
 俺はその手紙をまず母に読ませた。
 それから、母は妹には読ませないようにこっそり戸棚の中に隠し、夕方、妹が入浴している間に父にそっと読ませた。
「誰かのいたずらだろう」
 と父は結論を下した。最初母は、この美香が父の知り合いなのではないかという疑念を抱いていたようだったが、手紙の内容があまりにも常軌を逸したものであるので、やはりいたずらに違いないという結論に達した。
 俺も半ばそれに同意した。
 だが、心のどこかに判然としない思いがくすぶっていた。
 本当にこれはただのいたずらなのか?
 この手紙の文章全体には、何か、俺としては無視することの出来ない、メッセージ性のようなものが漂っていたからだ。
 そして、その予感は、決して根拠のないものではなかった。
 俺は、この手紙が投函された本当の意味を、それから程なくして知ることになる。



2、秩序の崩壊

 翌朝、目覚めると、胸の辺りに尋常ならざる掻痒感を覚えた。
「毛虫が這っているような」とも喩えられたし、何かその部分に行き場のないエネルギーが凝集していて、何らかの方法でそれを発散させなければ収まらないといった感じでもあった。
 さりげなく右手を上着の懐に入れて、左の胸に人差し指と中指で触れてみると、大きな障害物に触れた。いつも胸がある位置よりも高い場所にそれはあった。高い場所とは言っても宙に浮いているわけではなく、なだらかな曲線を描きながら胸元とつながっていた。試しに五本の指を広げて、掌で胸のその部分をすっぽり覆うと、ちょうどお椀大のふくらみの柔らかい物体がそこに固定されていた。
 いつもと違う状況で、つじつまが合わないと思った。だが、心のどこかで、「ああ、なるほど、これは夢なのか」と自分に言い聞かせて、物事を合理的に解釈しようとする余裕もあった。
 よそよそしい「物体」に触れているという感覚はあったが、その物体は同時に自分の肉体の一部であることもはっきりと認識していた。自分の肉体を物体として認識することは日ごろあまりない。だが、自分が掴んでいる物は疑う余地もないほどソリッドな現実世界の物体であり、同時にそれは自分の肉体の一部ではあるが、まだ自分の意識の側にになじみがないもの、という感じだった。
 自分は普段自分の肉体を感覚としてとらえているのであって、物体としてとらえているとはいいがたい。当然科学的な立場からとらえれば物体ということになるだろうが、そのように一言で物体と言ってしまうと、何だか自分から切り離された存在のように思えて来る。だが、確かに、自分の手で、自分の体の一部を物体として触っているという感覚がそこにあった。つまり、それらを綜合すると、こういうことであった。「それは、主体と一定の距離を置いて主体に対峙する一つの客体であるが、同時に、それに触れると、逆に主体が触れられているような感覚を得る」
 だから何だと言うのだと思い、俺はイラついた。こんな場面で哲学的考察など何の役にも立たない。
 それは、これまで感じたことのない感覚だった。が、確かにそれは、自分が自分の肉体の一部に触れていると同時になじみのない他者的な何かに触れていて、さらに同時に自分が受け身的に他者の手で触れられているという感覚であった。
 今度は左手で右胸を触る。やはり同じような大きさのふくらみがある。
 どういうことだ?
 俺は次に、両手で同時に胸の二つの半球形の突起をまさぐってみる。そして、揉んでみる。
 俺は生まれて初めて味わうその得も言われぬ喜悦にしばしの間浸りきった。
 そして、はっと我に返り、今そんな思いに浸っている場合か、と自分をきつく戒めた。
 上体をむっくりと起こし、それからパジャマの前部分をはだけて、素肌をさらす。
 俺は目を疑った。
 自分の胸に、ボーリング玉大の豊満なおっぱいが生えていたのである。 
 俺は自分の目を疑った。
 こんな馬鹿なことってあるかよ。
 胸がもっこりしている朝なんて。
 俺、男なのに。
 14歳。中学二年生の男だった。昨日まで、確かに男だった。いや、今でも男のはずだ。何故なら、俺は……女ではないし、おかまでもない、とすれば男以外にないではないか。
 朝起きたら、おっぱいが二個ついてるなんて。
 そうか、夢を見ているのか。
 と思い、もう一度眠りにつこうとした。
 少しうとうとしかけてから、もう一度目をさました。意識は冴えている。これは、もう現実だ。夢じゃない。
 さあ、もう一度、胸を見る。
 そこには、やはり、同型の盛り上がりがあった。自分の体のラインから左右にはみ出るほどに巨大な乳房と、その先端に乗っかっているピンク色の乳首。
 俺、女になったんだ。
 という確信が生まれた。
 実は、以前からクラスメートから時々おかまっぽくなる時があると注意されていたことはあった。あれはこの日の予兆だったのかもしれない。
 俺は起き上がって、ベッドの傍らに立ち、そうして、ズボンとトランクスのゴムを広げ、そこに出来た隙間から中を覗き込む。
「無い」 
 無いのだ。
 そこに、あるべきはずの象徴が無い。
 代わってそこにあったのは、品行方正な14歳の少年にはまだミステリアスなベールの向こう側にある溝だった。
 ということは……、と俺は鏡の前に走る。
 机の上に置いていあるその鏡に映っていたのは……
 何と、こちらは女ではなく、中年男性の顔だった。
 頬から顎にかけて真っ黒な髭で覆われている。
 男というよりは、ゴリラだった。
 何だこれは?
 体は女、顔はゴリラだって?
 
 とりま、普段通り学校に登校した。
 校門の前で、
「おはよう。シュウ。あれ、どうしたんだその顔。お前、そんなに髭濃かったっけ? それにすごく老けたんじゃないか?」
 とクラスメートからからかわれた。
 実は今朝、おやじの電気シェーバーで髭を剃っては来たのだが、あまりの剛毛に剃り残しがすごかったのである。
 廊下ですれ違ったり合流する他のクラスメートたちも、俺の顔を見て不思議そうな顔をしたり、何あれ、コスプレで登校しているの? と笑ったりする。
 俺はあまりの緊張で、尿意を催した。
「と、トイレ~!」
 と俺は廊下をトイレに向かって駆け出した。
 いったん、いつもの癖で男子トイレに足を踏み入れかけたが、今朝から自分の体が女に豹変していることを思い出した。
 それで俺は女子トイレに駆け込んだ。
 すると、
「キャーッ! 変態!」
 と女子たちが叫ぶ。
「シュウ、あんた男でしょ! 女子トイレに入って来ないでよ!」
「いや、俺……あ、アタシは、今日から女になったんだよ! なったの!」
「何言ってんのよ!」
「こ、これが証拠だよ!」
 と言って、俺はズボンをずり下げる。そして、あられもなく局部をさらけ出した。
 それを目の当たりにした女子たちは、恐怖のあまり次々に失神し、その場にバタバタと倒れ込んだ。
「おい! 香麗! お前女子トイレで何してるんだ!」
 体育教師の菅原が異変を察知して女子トイレに乗り込んで来た。
「菅原先生、これは誤解です!」
 と言いながら、俺は菅原にも変わり果てた自分の陰部を見せた。
「ちょ、オイ……どうなってるんだ。貴様、そんな過激ないたずらをしてただで済むと思っているのか」
「これは、本物なんです」
 俺はパニックで泣きそうになっていた。
「どうせそこにガムテープか何か貼ってるんだろう!」
 と菅原は俺の局部をぎゅっとつまんでから、爪の先でガムテープとの境目を擦ろうとしていた。だが、当然そこには境目などあるはずがなかった。これはテープではなくて本物の女の性器なのだから。
「あれ? おかしい」
 と菅原は訝った。彼はそれでもまだ諦めず、スクラッチを擦れば当たりでも出て来ると期待しているみたいに、必死になって俺の陰部をつま先で擦り続けている。
「テープはどこだ? どの辺に……あれ? ないぞ。どういうことだ? それに、やけにツルツルしてるな」
「先生。これはドッキリなんかじゃないです」
 その時になって、ようやく菅原は俺の肉体に自然の摂理に反する異常事態が生じていることに初めて気づいたらしい。
「おい、香麗。これは……お前、まさか、本当に……」
「はい。朝起きたら、僕の体は女になっていました」
「じゃあ、お前……その……念の為だが、こっちはどうなってる……」
 と言いながら、菅原は俺の胸をまさぐった。
「おい、マジか……香麗……どうしてこんなことに」
 そう言いながら、先生は俺のおっぱいを揉み続けていた。
「先生……」
 俺は、急に何もかも悲しくなって、菅原先生に抱きついた。
「とりあえず、保健室行こう。な……」
 と先生は優しい手つきで俺の頭を掻き撫でた。

 俺は全裸になり、保健室のベッドの上で仰向けになった。
 菅原はその傍らに立ち、俺の全身をじっと眺めている。
「お前、どうしてこんなことに? 何があったんだ」
「分かりません。朝起きたら、突然、自分の体が女になっていて」
 菅原は右手をそっと俺の左の乳首に押し当て、それからその手を滑らせ、ゆっくりと腹部をなぞり、それから下腹部まで這わせた。
「あっ、先生、そこは……」
 俺の全身に電流が走る。
「あ、すまない」
 と菅原は顔を赤らめながら手を引っ込めた。
 
放課後、俺は自分の部屋に戻り、全身鏡と向かい合った。
 そして、服を脱いだ。
 美しい女体の上に、ゴリラのマスクを載せたような姿だった。
「首から上がおっさんで、下が若い女体だなんて。せめてどっちかに統一してほしい。それなら、とりあえず、どっちか一方で通せるのに。そういう話であれば行政もそれなりに対応出来るだろうに、こんなのでは収集つかないもんなあ」
 俺はそうひとりごちて深い溜息をついた。
 そんな風にして悩ましい黄昏時を過ごしていると、ぶるぶるっと音がしてスマホに着信があった。
 見ると、菅原先生からメールが届いている。
「今夜、二人きりで会いたい。レストラン・檜で」
 俺は、胸騒ぎを覚えた。
 そう言えば、クリスマスの時期が近づいていた。 
 窓の外には、粉雪がちらついていた。

 待ち合わせの場所は和風の高級レストランだった。
 俺が指定された時間通りに中に入ると、店員が俺の到着を待ち構えていたかのように笑顔で「香麗様ですね。こちらにどうぞ」と案内した。
 奥の方の個室に通された。そこには、いつもよりも身なりに気を使ったプライベートの菅原先生の姿あった。
 座敷席で、掘りごたつ式のテーブルだった。
 俺はそこで先生と向い合せに座った。
 料理は国産豚のしゃぶしゃぶだった。
 俺は家庭で普段こんな高級なものは口にしない。普段は、目玉焼きとか、108円で4パックの納豆とか、そういう安くて栄養価の高いものしか食べないから、こういう小奇麗なレストランで豪勢な料理を箸でつまむというのは夢見心地であった。
 そのせいだろうか、何となく体全体が上気したような感じになって、先生が俺をじっと見て笑顔を浮かべるたびに、不思議と幸せな気分になった。
 ただ、その反応については首から下部分の生理だった。先生が媚びるような目で見ると、俺の首から下の女体の部分が変に熱く反応する。だが、首から上のおっさんの部分は時々げっぷを連発するし、何か頭から加齢臭のようなものが漂っているのが自分でも分かるくらいだ。
「シュウ、お前、きれいになったな」
 と先生は突然、目を細めてそんなことを言った。
 それは、俺の首から下部分について言っているのだろう。この毛むくじゃらの顔についてそんなことを言っているなら、先生は狂ってしまったとしか言いようがない。
「こんな僕のどこがきれいだっていうんですか?」
 と俺は反発したような言い方をする。
「今日、保健室で……」
 と先生は回想する。やはり、先生はベッドに仰向けになった俺の肉体のことを回想しているのだ。記憶とじゃれ合っているのだ。
 もちろん、この世界には覆面プレイというものもある。顔は気にしない、本当に体だけの関係だ。菅原はそういうのがいいのかもしれない。
「実は俺、体は女の体は好きなんだが、顔は……男の方がいいと思っていたんだ。おかしいか?」
「いえ、そういうのがあってもいいと思います。それは個人の自由ですから」
「その方が、何て言うのかな、純粋に、も、ももももも、萌えるんだ」
 
 俺と菅原は事の成り行きでホテルに入った。
 二人は白いシーツに包まれて一つになって、互いのことを語り合っていた。
「先生は昔、俳優だったんでしょ」
 と俺は以前から関心を抱いていたことを尋ねてみた。
 クラスメートたちがそんな噂をしていたのを耳にしたことがあるのだ。だが、俳優とは言っても、テレビに出るようなタレントではなく、小規模の劇団に所属して、地方の興行などに出演していただけということだったので、あまり生徒の間でも話が盛り上がらなかった。
「ああ。門脇大輔っていう芸名でね。だいたいは悪役だった。実はこれでもデビューしたての頃は、業界人から期待されていたんだ。テレビドラマに出たことあった」
「え、本当ですか? それは知りませんでした」
 菅原は遠いまなざしで、セピア色の思い出を噛みしめていた。そこには喜びと、やりきれない思いが同居しているようだった。
「『白薔薇の騎士団』っていうドラマ知ってる?」
 と菅原が尋ねた。
「聞いたことがあります。でも、それは僕が生まれる前のドラマだったような」
「だいぶ昔だな。俺がまだ19歳の頃だったから。そのドラマの悪役を演じたんだ。平均視聴率も20%を超えていたんだ」
「え、そんなに? それってすごい数字ですよね」
「当時でもなかなかいい数字だった。国民的人気アニメのアワビさんが25%だったからね」
「先生はそんな人気ドラマに出ていたんですか?」
「もらった役もそれなりに目立つ役でね。でも、後にも先にもその1回きりだった。その時の俺の役はまさに命がけだった。スタントさながらの危険行為もやった。体中傷だらけでボロボロになっても、自分の俳優生命を賭けて、いや、人生全てを賭けて悪人を演じ切ろうとしたんだ。監督や業界の人たちからは絶賛されたよ。たぐいまれな怪演ってね。ところが、視聴者の受けが良くなかった。あまりにも悪役にハマりすぎていて、門脇大輔っていう役者そのものが恐がられ、憎まれてしまったんだよ」
「そうなんですか」
「どんなに演技をしっかりこなしても、この仕事は悪いイメージがついたら終わりなんだよ。ファンの反応を気にして、スポンサーも及び腰になるからね。そうすると、製作者側も俺を登用したがらなくなる。それで、俺は俳優業は諦めざるを得なくなった。そこで腐りかけてた俺に、救いの手を差し伸べたのは日本のとある小島で私立学校を経営しているヤンキー校長だった。俺は、彼が数多くの落ちこぼれを更生させた実績を知り、感動した。何度でも人間はやり直せる。俺は人生の方針を改めて、地元にある大学の教育学部に入りなおして、教師を目指した。子供が好きだったからね」
「そのおかげで、僕たちは今、こうして教師と生徒として出会えたんですね」
「全ての試練がこの日のために」
「はい」
 菅原は目にあふれんばかりの涙を浮かべ、俺に近寄り、そっと口づけをした。
 その時、ふと、彼の体が震えているのに気付いた。
 彼は男泣きしていたのである。
 彼はまだ俳優への未練を捨てきれていなかったのだ。
 俺はそんな彼を精一杯の愛をこめて抱きしめた。

 いつの間にか、俺の心の中は菅原のことだけで一杯になっていた。
 寝ても冷めても、俺は菅原のことばかりを想っている。
 俺は知ってしまった。菅原は今の人生に満足していないことを。
 彼はまだ俳優になる夢を追いかけている。
 だが、門脇大輔として大きなミスを犯してしまった彼は、断崖絶壁の高い崖をもう一度這い上がる術を知らなかった。
 彼が芸能界から遠ざかっている間に、世の中はめまぐるしく変化した。彼の錆びついた演技はもう通用しなくなっているかもしれないと彼自身怯えているところがあった。
 若い時なら情熱で乗り切れたハードルも、彼も今や33歳。そして、現在の安定した日々に満足しているようなところもあった。彼自身、自分の中にまだ俳優業にチャレンジするパワーが残っているかどうか不安であった。平凡な日々に満足している自分と、満足できない自分が同時に存在していて、それが彼にはジレンマでもあった。
 そんなある日、皮肉にもこの俺の方にスカウトの声がかかった。
 とある芸能事務所から電話がかかって来たのである。
「私たちは、あなたのようなエキセントリックな個性を世界に羽ばたかせたいと思っています」
 と、俺の肉体が雌雄混合体であることに目をつけた阿漕な事務所社長から直々のオファーだった。世界という言葉まで出た。ハリウッドを視野に入れているな、と俺は直感した。
 ちょうど彼らが今請け負っているドラマの内容の中に、雌雄混合体のキャラクターが登場する。
 それを、最初は2丁目のオカマを使う予定だったが、俺のような本物の雌雄混合体がいるという話を聞きつけ、そうして俺の居場所を突き止めたという流れらしい。
 俺は最初断るつもりでいた。これ以上この醜い容姿が世間の好奇の目にさらされ、彼らの笑いものになるなんて耐えられない。
 だが、菅原のことがふと頭に思い浮かんだ。
 自分が大手芸能プロダクションと契約を結ぶことで、自分が彼と芸能界とを結ぶパイプの役目を果たせるのではないかと期待したのだ。
 それで、俺はその事務所と契約を結んだ。株式会社ブーイングという一部上場の大企業だった。
 俺はたちまちのうちに、10本のCM出演と8本のレギュラー番組、それから単発ドラマについては数えきれないほどの契約を獲得した。
 この雌雄混合体がよっぽど珍しがられ、あらゆることに飽きてしまった人々の興味を俄かに集めているらしいのだ。
 大成功と言えば大成功である。
 俺は稼いだ金で、菅原と二人だけで住む豪邸を辻堂に建てた。そして、毎週、菅原と手をつないで江の島の散策コースを散歩したり、鎌倉でお洒落なランチを楽しんだ。逗子のハーバーからヨットに乗り込んで相模湾を巡り、葉山の別荘を借りてそこで新緑に包まれながら二人で脚本を書いたりした。
 そんな幸福な生活だったが、俺は菅原がふと寂しげな横顔を見せるのを見逃さなかった。
 彼は時々こんなことを言った。
「まるで、俺はヒモだな」
 俺はそれに返す言葉を見つけられなかった。
 そうじゃない、あなたがいてくれるだけでいいの、と言っても、彼自身がそう思ってしまうなら、やはりそう思ってしまうのだろう。
 純粋に愛しているはずなのに、消えないコンプレックスが二人の間に障害となって立ちはだかり、互いの感情を複雑にしてしまった。
 
 俺は芸能界で同じレギュラー番組に出演している、オカマの霊媒師に相談した。三島千鶴子という名前だった。
「最近、僕の連れの様子がおかしいんです」
「あら、どんな風におかしいの?」
「ちょっと鬱っぽいっていうか……。実は彼は、若い頃、俳優を目指していたんです、実力はあったんです。批評家も彼を推していたんです。でも、与えられた悪役のイメージが最悪で、演技が真に迫っていたものだから、世間一般の人々は、本当の彼もそういう嫌な人間なんだろうと思い込んでしまって」
「よくあることよ。それで、どんな顔しているの?」
 俺はスマホに保管していた菅原の顔写真を彼女に見せた。
「あら、かわいいわね、何歳?」
「33歳です」
「あなたたち、付き合ってるのね」
「はい」
「この人は……ただならぬカルマを背負っている」
「カルマ?」
「ええ。きっと前世で、人として許されざる過ちを犯しているわ」
「それはどんな」
「それについては、今ここではすぐに正確な判断は下せないけど」
「そうですか」
「でも、そうね、写真を見て、心に浮かんだぼんやりとしたイメージから察するに、きっとこの人、前世で大きな権力を握っていたと思うの。そして、多数の国民を抑圧して恨みを買ったんだわ。現世に生まれ変わっても、多くの人々の注目を浴びたいという彼の性質は前世から受け継がれた。それで俳優を目指したのだけれども、世の中の多くの人たちは、前世で彼からされたひどい仕打ちを忘れていないのよ。横暴な独裁者だったのか、あるいはその周辺の人物だったか……とにかく、その結果として現世に生まれ変わっても、やはり野心家である彼は平和な世の中でも俳優という形で人々の賞賛を浴びようとしたんだけれど、世間の人々はそうは問屋が卸さないとばかりに露骨な憎悪を示し、前世から受け継いだ復讐心を燃やして彼を芸能界から引きずり下ろしたんだわ」
「そんな巡り合わせがあったんですか……」
 俺はこの話を信じた。三島さんは本当にすごい霊能力の持主なのだ。若い頃から数々の苦難を乗り越えて来たお方で、人生経験が実に豊富だし、一人の人間としても心から尊敬している。戦争中は満州の最前線で陸軍兵として命がけの戦闘に参加し、体に何発もの銃弾を受けながらも無事生還し、今日まで長命を保っている。彼女が霊視を身に着けたのは、満州の戦闘で肺を撃ち抜かれて瀕死の状態に陥り、臨死体験をした時だったという。テレビの向こう側の視聴者は半信半疑だったり、やらせだと思っている人も多いが、一緒にバラエティ番組に出演し、すぐそばで直に彼女の術を目にしている俺から言わせれば、彼女の能力は本物だ。
 だが、俺は、この霊視の内容を菅原本人に伝えるべきかどうかは迷った。やはり、伝えない方がいいような気がした。そんな風に、前世の報いで運命が定められているなら、どんなに努力したって報われるはずがないのだから。そんなことを知ってしまったら、彼はきっと今度こそ本当に絶望してしまうに違いない。
「ただいま」
 俺は辻堂の愛の巣に帰り、大きな玄関ドアを開け、そこから真っすぐに伸びる廊下の突き当りに位置するキッチンで、心のこもった愛妻料理の下ごしらえをしているであろ彼の耳に届くくらいの声で言った。
 返事がない。いつもなら、エプロン姿の彼が俺に会いたい一心で、ちらりとでもお茶目な笑顔を見せてくれるのだが。
 トイレにでも入っているのかな、と思いながら俺は靴をぬぎ、スリッパに履き替え、長い廊下を進んだ。
 キッチンには誰もいなかった。テーブルの上に一枚の手紙が広げられてあった。
 何だろうと思い、俺はそれを手にとって内容を読んでみた。
 それにはこう書かれてあった。
『今までこんな僕を支えてくれて本当にありがとう。君と共に過ごした一年間、心から愛し合えた日々を宝物に思います。でも、やっぱり僕はダメなんです。ずっと心の奥底に、果てしの無い闇を抱えて生きて来ました。一生懸命の笑顔の裏で、自分のそんな醜くて情けない部分を君に気付かれないか、いつもびくびくしていました。君を引っ張って行ける強い男になりたかった。でも、もう無理です。もうこんな自分を君に押し付けるのは限界なんです。どうか、新しい人を見つけて、新しい人生を送ってください。愛しています』
 俺はまだ家の中に彼がいるような気がした。それで俺は廊下に出て、広い家の中を一つ一つドアを開けて彼の姿を探した。
 浴室のドアの隙間から光が漏れていた。俺はドアを開け、浴室を覗いた。
 そこには、真っ赤な血の海の中に体を沈めている菅原の姿があった。
「何してるんだよ!」
 俺は彼を浴槽から引き揚げ、手首の傷をタオルで抑えた。それから電話で救急車を呼んだ。彼の顔は青白かったが、まだ生きていた。脈はあり、心臓は確かに鼓動していた。彼は朦朧とした意識の中で、時々俺の名を呼んだ。
 俺が自分の生命を彼に流し込もうと彼の唇に自分の唇を重ねると、効果があったのだろうか、彼はうっすらと目を開けた。
「死ぬんじゃないぞ!」
 と俺は彼を励ました。
 彼は俺の顔を見て、少し安心したような表情を浮かべた。
 彼も本当は死ぬのが恐かったのだろう。
 やがて救急隊員が駆け付け、彼を担架に乗せて救急車で病院に運んだ。
 俺もそばに付き添っていたが、手術室の中までは入れず、その手前にあった長椅子に座って待機した。
 真夜中になっても、俺はずっと仮眠もとらず、待ち続けていた。心配と不安で眠れるはずもなかった。
 早朝になって、手術中のランプが消え、ドクターが一命は取り留めたことを俺に報告した。俺はホッと胸を撫でおろした。すぐにでも彼の手を握りしめたいと思ったが、数日の間は面会謝絶ということだったので、とりあえず後のことは医者たちに任せ、タクシーで自宅に戻って眠りについた。

 毎週木曜夜10時に放送される『みんなが知るべき超常現象の世界』の収録の打ち合わせの席で、俺は三島さんと隣り合った。
 その時、三島さんが怪訝な顔つき俺に話しかけて来た。
「あの後、彼氏とは大丈夫だった?」
「それが、実は、大変でした」
 俺は事情を説明した。
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「実は私、あの夜、夢を見たのよ。その夢に、あなたの彼氏、菅原さん? その人が全身血まみれの姿で現れたの」
「ええっ!」
 何で何も話していないのに、その時の状況にぴったりと合致するような姿で三島さんの夢に菅原が現れているんだ? 
 あの夜、確かに菅原はリストカットをして血の海の中に身を浸していたのだ。
 俺は、周りの出演者やスタッフの存在を忘れて、大声を出してしまった。
 三島さんはその俺の失態をフォローするように、周りの人たちに笑顔を送って、それからもう一度俺に向き直った。
「あなたの彼氏、とりつかれているわ」
「ええっ、何に?」
「とんでもない邪悪な悪霊よ。とても手ごわいわ」
 俺はそれを聞いてぶるぶる震えが来た。
 どうやったらその悪霊から菅原を守れるのか、俺は途方にくれるばかりだった。
「三島さん、僕はどうしたらいいのでしょう?」
「ねえ、あなた、この収録が終わった後、スケジュール、空いてる?」
「はい」
「なら、私の城に来なさい。そこでこの件について話し合いましょう」
「城?」
「私の家のことよ」
「ああ。はい、ありがとうございます」

 テレビ局の地下駐車場に、三島さんと俺は周りから身をひそめるようにエレベーターを使って降りた。
 シルバーの高級車の運転席に三島さんが乗り込み、俺は助手席に乗った。
「念の為にシートベルトは締めた方がいいわよ。何が起こるか分からないから」
 と三島さんが忠告したので、俺は素直にシートベルトを締めた。
 彼女は車のエンジンをかけ、ハンドルを握り、アクセルを踏んで、車を発進させた。車の内部はまるで部屋の中で過ごしているみたいにわずかな揺れも衝撃もなく、駐車場のアスファルトの上を滑って行った。
 それから俺は窓の外を流れて行く都会の夜景を眺めながら、ふと、「何が起こるか分からない」という三島さんの言葉の意味を考えたが、その意味するところはよく分からなかった。それ以上考えると怖くなりそうだったので、三島さんを信じようと思った。
 交差点で赤信号に遭い、三島さんは車を停車させた。
「どこかで何か食べて行く?」
 と彼女は尋ねた。
「僕はどちらでも構いません」
「じゃあ、私が腕によりをかけた料理をごちそうするわ」 
「本当ですか? それは、楽しみです」
 信号が青になり、車が発進した。
「実は、最近、私、お料理教室に通い始めたの。講師がすっごいイケメンなの」
 と三島さんは話し続けていた。ずっと、俺の顔を見ながら話をしている。メーターを見ると、車は80キロくらいのスピードを出している。
 俺は違和感と同時に本能的な恐怖を抱いた。助手席の方を見ながら運転をするのは危険であることに気付いたからだ。俺は急に怖くなった。
 三島さんは、それからもずっと喋り続け、その間、全く前方を見ていなかった。一体、どうやって運転しているのだろう。
 その時、「何が起こるか分からない」という先ほどの彼女の言葉がフラッシュバックした。あれは、これから起こる事故を予知した言葉だったのではないか?
 さらに、俺の恐怖をあおるように車はどんどんスピードを上げて行く。
「あの、前を見た方が」
 と俺はわりと真剣に大声で注意した。
「ああ、そうよね」
 と彼女は納得して、ちらっと前を見た。しかし、すぐにまたこちらを見て話を始めた。
「そこに一緒に通ってる奥様方がね……」
 そんな話はどうでもいい。
 俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 何をやってるんだこの人は?
 前も見ないでどうやって運転しているのだろう。
 三島さんはずっとこちらを見て、笑いながら会話をしている。その笑いが悪魔の笑いに見える。ああ、この人は!
 俺は恐怖と焦りで、彼女が何の話をしているのかなんて全く頭に入って来ない。
「三島さん、前! 前!」
 と俺はパニックになっていた。
 車は今のところ車線の範囲内を真っすぐに走っているが、こんなことではいつなんどき対向車線に突っ込むか分からない。
 さらに、ふとハンドルの方をに視線をやると、そこに想像を絶するとんでもない光景が繰り広げられていた。
 何と、三島さんはハンドルを握っていないのである。彼女の両手が、彼女の膝の上に置かれているではないか。
「おい三島! 前見ろって! ハンドルはどうした!」
 と俺は野球部員のように怒鳴った。ため口どころか、大御所の三島さんを呼び捨てにし、命令口調になっていることすら気付かずに。
「あ? ああ……」
 三島さんは曖昧な返事をして、ハンドルの方にぼんやりと目を向けたが、それを握ろうとする気配は露とも見せない。
「俺を殺す気か!」
「大丈夫だって。ちゃんと安全に運転してるから。あたしのことそんなに信用できない?」
 しばし、唖然としながら俺は本気で怖くなった。
 だが、今のところ、車は不思議なくらいコースを外れず、直進できているし、微妙なカーブにも確実に対応出来ている。一体、どうしてそんなことが可能なのかと思いつつも、やはり、それは偶然そうなっているだけで、このままではいずれ大事故につながりかねないとしか判断できなかった。
 このままでは俺の命が危ない。三島さんがどうなろうと俺の知ったこっちゃないが、俺は自分の命が惜しい。
 俺はとうとう耐えきれなくなって、失礼を承知の上で、運転席の方に身を乗り出してハンドルをつかんだ。
「な、何をするのよ?」
「ちゃんと、運転してくださいよ!」
「してるってば」
「してないじゃないですか!」
「この車は、現在、自動運転モードで走行しているのよ」
「え?」
 俺はその言葉を聞いて、半信半疑ながらもハンドルから恐る恐る手を離した。
 俺の心配をよそに、車はスマートに、赤信号手前の停止線の所でぴったりと停止した。
 俺はホッと胸をなでおろした。
「そうですか。自動運転でしたか。すみません。俺、そんなSFみたいな世界全然知らなかったから」
 冷や汗が自分のこめかみを伝って行く感触に気付けるほどに、俺はようやく冷静さを取り戻せた。
 全く俺は世間知らずの小心者だなあと情けなくなりながらも、とんでもない人と知り合いになってしまったものだと思った。
「私を見くびっちゃダメよ。私は世間に認められた霊能者なの」
 と三島さんは言った。
「そうですよね」
 と俺は適当に同意した。

 品川の高級住宅街に三島さんの超豪邸はあった。
 白亜の西洋建築で、正面から見たデザインがホワイトハウスそっくりだった。
 前庭にライトアップされた噴水の水が勢いよく上空に向かって飛び跳ねる。
 車は車庫入れまでを自動で完璧ににやり遂げた。ガレージの中には他にも10台ほどの高級車が並んであった。このガレージだけでも公共の体育館ほどの広さがある。
 俺は三島さんの後について、彼女の邸宅へと案内された。
 リビングは全体が白亜に輝いていて、古代ローマの宮殿みたいに太い柱で支えられており、暖炉の火は赤々と燃えていた。
 俺はソファに腰掛けた。俺の体のラインに合わせてクッションが変形し、体の半分くらいがその中に深く沈み込んだ。
「それで、問題のあなたの彼氏のことだけど」
 と三島さんはさっそく本題に入った。
「霊視をしながらその話をしましょう」
「分かりました」
「こっちにおいで」
 と言って、向かいのソファに腰掛けている三島さんは俺を手招きした。
 俺はそちらに歩いて行った。 
「さ、ここに頭をのせて」
 と三島さんは自分の膝を叩いた。
「三島さんの膝の上にですか?」
「そうよ」
 俺は三島さんの隣にまず腰掛け、それから上半身を横たえて三島さんの膝の上に自分の頭を乗せた。
 三島さんは右手で俺の頭を抑え、左手で俺の頬を撫でさすった。
「見える……あなたと、彼の交差する前世が……」
 俺はじっとその言葉に耳を傾けていた。
 俺のうなじの辺りに当たっている三島さんの股間がむくむくと起き上がり、硬くなって行く気配を感じながら。


3、幹矢の場合

 俺の名前は幹也。いや、幹也だった、というべきか。
 実は俺、先週、改名したばかりなのだ。
 教祖から授けられた俺の新しい名前はフランシスコ。いい名前だ。
 フランシスコは、教祖の夢に出て来た聖人らしい。全てが新しく生まれ変われたような気分になれた。俺は哀しみと後悔に染まった過去を捨てて、未来に向かって歩み出したかったから。だからこそ、この教団に入信したのだ。
 ある夏の暑さの激しい、それでいていつもと変わらないように思えた土曜日のことだった。たまたまそばを通りかかった中学校のグラウンドではサッカーの練習試合が行われていた。
 トレーニングウェア姿の2、3人の女子学生たちが、校庭で何かの器材を運んでいた。陸上で使うハードルのようだった。そこに、どこからともなく肌の浅黒い細身の女子が、ゴールに到達しようとするマラソン選手のように両手を広げながら全力で走って来て、
「美香、根釜高校の香麗シュウ、試合に出てるよ」
「香麗が? 嘘でしょ?」
「この目で見たんだよ。早く来て。超かっこいいから」
「美香も見る!」
 その美香という生徒は器材をそこにほっぽり出して、先ほどの女子と一緒に先を争って走って行った。
 そこは俺が10年前に卒業した中学校だった。校舎の前を通ったのは数年ぶりだったが、俺はそれほどの懐かしさも関心も示さずに、暑さのためにしたたり落ちるこめかみの汗をハンカチで拭いながら足早にそこを通り過ぎた。
 いつの時代も、中学生がやってることは同じだな、と俺は思った。それから教祖が口にした「永劫回帰」という言葉が真実だと思った。それは、ある哲学者の言葉らしいのだが、簡単に噛み砕けば、人間というものはただ同じことを延々と繰り返しているだけなのであるそうだが、確かに生まれてからずっと、大人になるまで、俺の人生もそんな感じで、むなしかった。だが、教祖はその考えを否定した。いつか、信者たちはその繰り返しを乗り越えて、人生の目的の地点に達することが出来るとのことだった。俺にはそれは素晴らしい思想のように聞こえた。人生には目的がある、たどり着くべきゴールがある。そのために、功徳を積む。そのために、俺は毎週土曜日、こうやって、教団の教えを広める活動に身を捧げているのだ。
 この宣教は、二人で行うことになっている。それは、互いに互いの行動を監視するためだ。もし片方が怠けていたりすれば、すぐさま教祖に密告する制度になっている。最初、俺は少し怖いなと思ったが、考えてみれば、当然の仕組みである。人間の心というものは、ちょっとした隙間から悪魔が忍び込みやすい。悪魔の知恵は強大だし、人をそそのかす術に関してはありとあらゆることを心得ているし、実際、その「汚染」はあまりにも巧妙なやり方で実行されるので、侵入されても自分では気づかないものだ。だから二人一組で行動して、悪魔が相方をそそのかしたら、教祖に報告して、教祖の手で除霊していただく。よく考えられたシステムである。
 除霊の過程で体中あざだらけになり瀕死に至る信者もいたが、悪魔に心を支配されることに較べれば全然マシだ。
 だが、時々、「俺が一人でやってた方がはかどるのにな」「村田が俺の足を引っ張ってるな」と思うことがある。だが、それは邪悪な考えであると気付く。そういう風に、人を冷淡にあしらってはいけないのである。二人三脚でやってる仕事なのだ。うまくいかないことがあっても、一方に過失を押し付けるのは間違っている。過ちがあれば、それは連帯責任だ。そう、教祖は教えてくれた。
 俺は努めて、村田を温かい目で見つめるようにした。だが、見れば見るほど、「汚らわしいほどにぶさいくな奴だ」とか、「本当に手際悪い奴だな」と思ってしまう。そういう時、俺の心は悪魔に蝕まれている。俺はその精神の泥沼から身を引き上げ、思いを清めなければならない。
 その時、ふと気づいたことがあった。
 それは、村田が何だか、「オカマ臭い」ということだった。ああ、これは悪魔の声であろうか。だが、俺は何か強い魔力に誘導されるように、村田のオカマ疑惑をさらに展開させた。
 このオカマ臭いというのは、たとえば、人間臭いとか、あいつの行動何か臭うぞ、というように、「怪しい」「~の気配がある」という意味での臭いではなかった。
 普通の意味での臭い、つまり、村田から発せられる何らかの化学物質が俺の鼻腔の粘膜に付着し、嗅覚神経を刺激した結果として識別された臭いなのである。
 だから、それは、「ツンとした臭い」とか「爽やかな臭い」とか「フローラルの臭い」とかという臭いと同じで、そこには科学的に説明できる因果関係が存在していたのである。
 彼がオカマだと言う話を聞いたことがなかったし、仕草や話の内容から、基本的に彼は女を好きなものだと思っていた。喋り方も歩き方も普通の男性一般に見られるものだ。
 では、村田から発せられる「オカマの臭い」とはどういう臭いなのか、という話になると、俺はそれについてはなかなかうまく答えられない。
 中年男性からはいわゆる加齢臭というものが臭って来ることがあるが、それは化学的にこういう物質が原因となってという風に説明がつくものである。
 村田はまだ23歳だし、加齢臭を発する年頃ではないし、それにこの臭いは加齢臭の臭いではない。もっと奥深い、謎めいた臭いだ。
 村田から漂って来るオカマの臭いはどのような化学記号で説明され得るのだろうか。
 オカマになったとたんに、オカマ特有の臭いが体から発せられるということは考えられないし、香水をかけているとしても、オカマ専用の香水というものもないはずだ。
 オカマゆえに、男性ホルモンと女性ホルモンがまじりあったような化学物質が汗腺から発せられているのかとも考えたが、俺が実際に接したことのある数人のオカマたちというのは、むしろ男性ホルモンが強烈そうな人たちが多かった。村田も毛深くて、骨ばっていて彫りが深く、あまり女性ホルモンを連想させるような容姿ではなかった。彼が出す臭いなら、男性系の臭いであるはずだ。
 村田のこの臭いは一体何なんだろう。
 村田のオカマ臭の原因が一体何なのか、この日はそのことで頭がいっぱいになっていた。
 日差しは強く、二人とも汗だくだった。
 一軒一軒、教祖の教えを説くつもりで訪問しても、宗教の話だと気付くと激しい勢いでドアを閉められることも多い。この仕事を続けるにはタフさが必要だし、続けているうちにだんだんタフになっている自分がいた。
 公園のベンチに腰掛け、コンビニで買ったサンドイッチと缶コーヒーで昼食をとった。
 噴水のそばで子供たちがはしゃぎながら走っている。
「げっ、今日の気温38度だって」
 村田がスマホを見ながら言った。
「とんでもない暑さだな」
 と俺は答えた。
 その間も、村田からオカマの臭気は持続的に漂って来ていた。
「なあ、村田」
「何」
「お前、香水つけてるか?」
「俺? つけてないよ」
「制汗スプレーとかかけた?」
「かけてない。何で? 俺から何か臭う?」
「いや、別に」
「臭うなら、はっきりそう言ってくれよ。気になるじゃないか」
「ううん。俺の気のせい」
 そう言って俺はごまかした。村田はあっそう、と不機嫌そうにサンドイッチをほおばった。
 その時だった、さっきまであれほどまでに快晴だった空に、真っ黒な雲が四方から押し寄せて来て、しまいには大粒の雨になった。
「折り畳み傘持ってるか?」
 と俺は村田に聞いた。
「持ってねえよ」
 と彼は少し怒ったように答える。確かにさっきまでの猛暑の中では傘なんて用意する気にもならなかっただろう。だが、日ごろから用意していればこういう時に役に立ったのにとも思った。用意の悪い奴だな、とも思った。しかしその不手際を村田にだけ押し付けるのはおかしいかもしれない。俺自身が、こんな日に折り畳み傘をカバンの中に入れておくほど気の利く人間でなかったからだ。
 俺たちはとりあえずその場からダッシュして、雨宿り出来る場所を探した。
 一番近くにあったカフェに俺たちは駆け込んだ。
 看板には「Cafe 美香」と書かれてあった。
 そう言えば先ほどの中学生も美香って呼ばれていたな、と俺はふと思ったが、どうでもいいことだったので、すぐに忘れた。
店内に入ると、四方の壁が黒いカーテンで覆われていた。
「いらっしゃい」
 たらこ唇の太ったオカマが、レジで何か仕事をしている最中だったが、我々を見て、机に手をついて、もう片方の手を腰に当てて、半ば挑戦的とさえ言える態度で我々を迎えた。
「2名ですけど」
 と私が言うと、
「好きなとこに座ればいいじゃない」
 とぞんざいな返事をした。
 何かに苛々しているのだろうか。それにしても客に対してこの態度はないだろう。
 我々はとりあえず窓際のテーブルを選んだ。
 しばらくすると、お冷が運ばれて来た。先ほどのオカマだ。
「はい、ランチメニューよ」
 とオカマはメニューを差し出した。
 俺はそれを受け取ってランチの品目を眺めた。
A、ハンバーグ定食
B、唐揚げ定食
C、美形パスタ
 最初Cが気になったが、名前の奇抜さで惹こうとしている感じがして俺は避けた。俺はAを選び、村田はCを選んだ。
「美形パスタって何だろう」と俺は村田に聞いた。
「さあ、でも、面白そうじゃね?」と村田は笑って言った。
 だが、それが店側の罠だった。
 突然反対側の壁のカーテンが左右に開いた。
 そこに表れたのは巨大な檻だった。鉄柵で囲まれている檻だった。
 そして、中には10人ほどの裸の少年たちが住んでいた。そう、住んでいるという雰囲気だった。
 ねそべったり、あおむけになったり、しゃがんで漫画を読んでいる子もいた。服はおろか、下着さえ来ておらず、正真正銘、素っ裸だった。
 一体何事かと、俺と村田は唖然としていた。
「ランチタイムにはサービスで好きな少年がついてくるんだよお?」
 とオカマは目をおっきく広げて、こちらを覗き込むように言った。
 我々は一体何を言われているのか全く理解できないでいた。
 オカマはぱんと手を合わせた。
「さあ、お前たち、パスタのご注文だよ。お前たちは麺になって、絡み合うんだよ」
 とオカマが命じると、美少年たちは、むくっと立ち上がり、コンクリートの床に大きな円が描かれたエリアに集合し、互いのしなやかな四肢をからめてあたかも皿の上に盛りつけられたパスタのように積み重なるのであった。
「何、これ……」
 と俺は唖然とした。
「キャバレーなんじゃね?」
 と村田は答えた。半ば、興奮気味に。
「帰ろうか?」
 と俺は提案した。
「いや、もう少し見てみようよ」
 と村田は驚くべき返答をした。
 俺はその返答に愕然とした。
「いや、帰るぞ」
 と促した。
「帰りたければ一人で帰ればいい」
「何言ってるんだ。布教活動の最中だろ。ノルマをこなすまで二人一組だ」
「俺はここにいる」
「おい、村田……お前、どうしちゃったんだよ」
 ふと、俺は店の天井を見上げた。天井には、ある紋章が大きく描かれてあった。それは、何かの本で読んだことのある、悪魔教の紋章だった。その紋章には電気が通っているのだろうか、ネオンのように、ピンク色に光ったり、紫色に光ったりして、部屋を妖艶にライトアップしている。それを見続けていると、頭がぼんやりして、酒に酔うみたいにくらくらといい気分になって行った。ある種の催眠術をかけられていたのだろう。
 村田は顔を紅潮させ、つり上がった目を普段よりおおきく見開かせ、唇にはいやらしい笑みを浮かべて鼻息を荒くしている。
「ふひ、ふひひひひ」
 村田が笑ってる。卑猥な笑い声を漏らしている。
 俺はそれを見てすぐに悟った。
 この男は悪魔に魂を売り渡した!
 何ということだ。村田は、この悪魔教の誘惑にすっかりからめとられてしまったのだ。
 もう遅い。村田はオカマの術中に落ちた。
 俺は千円札をレジに置いて、その場から逃げるように走り去った。
 それから、スマホで教祖のもとに電話をかけた。
「村田が……大変なことに……」
 俺は教祖に事情を全て話した。
 教祖は私にすぐに教団施設に戻るようにと指示した。俺はその通りにした。
 教団施設は山深いところにあった。
 宮殿のように大きな建築物だった。
 正門には守衛がいた。
 俺は信者のIDカードを見せて中に通された。
 敷地内はセキュリティシステムが完備されていて、信者は館内の一つ一つのドアを開けるたびにドアの脇のセンサーにこのIDカードをかざす。
 厳重なセキュリティのかかったドアを6つほど通過して、ようやく教祖の部屋にたどり着いた。
 そこは教祖の仕事部屋であると同時に、彼が3人の妻と寝食を共にする豪華なスイートルームにつながっていた。
 教祖は俺を応接室に招き入れ、ソファに座らせた。
 俺は午前中に村田を彼のアパートに迎えに行ったところから時系列で今日起こったことを説明した。
 教祖は顎を手でさすりながら何か考え込んでいる。
 教祖は白人のように色白で、骨格がしっかりしていた。
 全体的に恰幅も良く、威厳のあるオーラを醸し出している。
 その教祖が何か考え込む姿は、圧巻と言っていいくらいだった。
 教祖は自分の前世を征夷大将軍であったとプロフィールに書いているが、本当にそうだったと信じられるような強大なオーラを発している。
 教祖はおもむろに口を開いた。
「村田を消せ」
 その言葉は、俺を混乱させるには十分すぎる一言だった。
「え?」
 俺は何かの聞き間違いではないかと、自分の耳を疑った。
「村田は悪魔側のスパイだ」
 と教祖は言った。俺の混乱はさらに輪をかけて、頭の中でいくつもの波紋を広げて行った。
 それから、教祖は立ち上がり、俺のそばに立ち、俺の頭に掌を置いた。
「もし成功したら、お前を幹部に昇格させよう」
 俺は夢を見ているのだろうかと疑った。それで、頬をつねってみた。
 それを見て教祖は苦笑した。俺は恥ずかしくなり、
「夢じゃ、ないかと、思いまして」
 と消え入りそうな声で説明した。漫画などで登場人物が頬をつねる光景は定番だが、この俺の行動はほとんど本能的なものだった。漫画に影響されていたからそうしたわけではなかった。人間は、やはり、これは夢なのだろうかと思った時には、とっさに頬をつねるものらしい。それは原始時代からそうだったのかもしれない。たぶん、より鮮明な感覚を得られるかどうかで夢かうつつかを判別しようとするのだと思う。それは何も頬でなくてもいいのかもしれない。手の甲でもいいだろうし、腿でもいい。だが、手っ取り早いのはやはり頬だった。その部分は肌が露出している部分でもっとも手が届きやすい範囲で肉厚だからだ。それに感じやすい部分でもあった。
 噂で聞いたことがある。この教団の幹部になれば、年収は一千万をくらだらないという。
 現在、俺は実家住まいでコンビニのバイトで月収8万円。年収にして100万も行かない。れっきとしたワーキングプアだ。それでも、実家に住んでいるから十分に暮らして行けている。
 それでも、同じ学校を卒業した知り合いと比べてしまう。公務員になった知り合いは大企業なみの給料をもらい、重大な犯罪でも犯さない限り一生安泰。IT企業に勤めている知り合いは何と20代で年収800万だと言う。それに比べて俺の体たらくは……。
 俺は自分をフリーターとは呼ばなかった。呼びたくなかった。詩人と呼んでいた。それは、それは職業ではない。詩の出版で一銭も稼いでいないからだ。それは道楽と分類してしかるべきだろう。それでも、俺は心に詩を思い浮かべて、今日一日の屈辱を耐えて、翌日の太陽の光を浴びるまで生き延びようとしていた。それは、俺の生きざまだった。詩人とは、俺の生きざまであり、それは職業以上に自分の使命と言うべきものだった。だから、俺は自分を詩人と思っていたし、そう誇ることが出来た。
 それでも、月収8万円で家に2万入れて養われているパラサイト生活をいつまで続けられるのかと考えると不安で仕方がなかった。
 そんな俺にいきなり、年収千万以上の教団幹部就任の話が舞い込んで来た。
 そのためには、村田を消さなければならない。だが、それについてはそれほどの高いハードルにも感じなかった。教祖の指示と命令に従って行動さえすれば、全てが巧く行くことが分かっていたからだ。教祖は崇高なお方で、政権にも、警察にも顔が利く。それに、全ての困難を打破する強大な霊能力がある。教祖を信じて、彼が大丈夫だと言っている言葉を信じて、彼のおことばに従って使命に従事してさえいれば、何もかも大丈夫なのだ。
 村田が消えることで、俺は幸福になり、故に俺という人間の存在の密度が増す。その増えた分の密度は、村田が俺の人生に吸収されたことによるものだ。つまり、村田の冴えない人生も俺と同化することでより良いものに変わると思えばいい。そうすることで、村田がより良いものになって俺の人生の中で生き続ける。
 そう考えると、少し気持ちが楽になった。

香麗シュウの華麗なる性転換と増大するエントロピー

執筆の狙い

作者 加茂ミイル
220.108.121.244

ごく普通の14歳の少年がある日を境に女性へと変化していく様を描写したいと思いました。

コメント

加茂ミイル
220.108.121.244

量が多いので前編と後編に分けようと思ったのですが、後編の量が少ないので、あえて次回作品として投稿するまでもないと思い、ここに追加させていただきます。
後編は以下のようになっております。

4、書き換えられた過去

 三島さんの城のリビングで、俺の体が柔らかいソファに深く沈んだ……そこまでは覚えている。
 だが、そこから先が一向に思い出せない。
 あの後、何が起きたのだろう?
 疑問に思いながらも、高級ワインでとてもいい気分に酔っていた俺はあまり深刻にこの状況と向かい合わなかった。きっと、夢のように楽しい時間を過ごして、それで気分がハイになって記憶が一部失われているに違いない、と楽観的に状況を判断した。
 俺は三島さんの家で彼女が用意したディナーに舌鼓を打った後、タクシーを呼んでもらい、夜遅く辻堂の自宅に戻った。
 家のリビングに灯りがついていた。
 あれ? 誰だろう?
 俺は不審者が侵入しているのかもしれないと最初疑ったが、そうであればセキュリティシステムが作動するはずだ。しかし、そんな様子もない。
 それに、何よりも、恐怖心といったものが全く俺の心の中に生じていなかった。誰がいるにしろ、そんなに危険な人物ではないはずだ、という不思議な安心感に包まれていた。 
 俺は玄関のドアを開け、靴を脱ぎ、中に入った。
 リビングに入ると、知らない人がいた。その男は、笑顔を見せて、俺に抱きついて来た。
「心配かけたな。シュウ。お前には感謝してもしきれない」
 と男は言った。
 どこかで聞いたことのある声のような気がした。
 だが、誰なのか思い出せなかった。
「あの……」
 と俺は彼の体を両手で押しのけながら聞いた。
「どなた様でしょうか?」
「俺だよ。菅原だよ。SU・GA・WA・RA! こんな時に冗談はやめてくれよ。久しぶりに再会できたっていうのに」
「菅原さん?」
 俺は必死で菅原という名の知り合いを思い出そうとした。だが、どうしても思い出せなかった。
「菅原……さん?」
 俺は彼の顔をじっと見つめた。胸が苦しい。この苦しさの正体が何なのか、分からずに俺は悶えた。
「すみません。ここは僕の家ですので……他の誰かと勘違いされているのではないでしょうか?」
 と俺は言った。
「嘘だよ? どうしてそんな悪ふざけするんだよ? 俺の命を助けてくれたお前が」
「命? 何のことです?」
 彼の目に哀しみの涙が浮かんだ。
「そうか、そういうことなんだな。俺が生死の境をさまよっている間に、お前の心は……俺から離れてしまったんだ。しょうがないよな。俺のこんな体たらくじゃ、愛想つかすよな」
「は? 何のことですか?」
「もう変な芝居はよせ!」
 と彼は怒鳴った。俺は怒鳴られる筋合いもないのに、と思った。
「分かったよ。出て行けばいいんだろう。そうするよ」
 と彼は荷物を旅行鞄にまとめて、玄関に出た。
「すみません。あなたは誰なんですか? どうしてここに?」
 と俺は重ねて尋ねた。彼は泣いていた。
「悪かった。お前を怒れる立場じゃなかったな。それに、俺たちは教師と生徒の関係だ。本来はそうだったんだ。それを、一線を踏み越えてしまったのがいけなかった。全てが過ちだったんだ。気付くのが遅すぎたけれど」
 そう言い残して、彼は憤慨した様子で玄関のドアを開け、外に出て、ドアを閉めた。
 俺は何が起こったのか分からず茫然としていた。
 それから、はっと気づいて電話の受話器を取って耳に当てた。
「あの、家に不審な人が侵入していて……いえ、特に被害は受けなかったんですが……たった今荷物をまとめて出て行きました……え? 同居人ではありません。全く知らない人なんです……はい。とにかく、また戻って来たら怖いですから、警察の方に来ていただきたいんです」
 俺は恐怖で心臓の鼓動が高鳴っていた。
 それと同時に、何かもやもやした思いに胸がかき乱されて、意味も分からず涙が滝のように頬を伝って行くことに戸惑いを覚えていた。
 パニックに陥りながら、俺は玄関の鍵をかけて、それからリビングの照明を消し、カーテンのわずかな隙間からそっと庭を監視した。
 そこにはもう誰もいなかった。先ほどの男はもう正門から出て行ったらしい。
 この家の敷地全体が、いつになく寂寞とした空気に包まれていた。
 夜空には三日月が今にも消えてしまいそうに闇の間に滲んでいた。
 サイレンを鳴らしてパトカーが近づいていた。

それから数週間後のことだった。
 俺が東京駅の前で、その男と三島さんが腕を組んで歩いているのを見たのは。
 二人とも、とても楽しそうにしていた。
 男の方はぱっとしない感じの中年男性といった感じだったが、高級ブランドの買い物袋をいくつも手に提げていた。きっと、三島さんが買い与えたのだろう。
 だが、あの男はどうして俺の家に侵入していたのだろう。そして、あの時、俺はそのことをさほど驚かなかったのは何故なんだろう。
 全てが謎だった。

 俺はサッカー部に所属して、青春をボールと共に過ごしていた。
 音楽を愛し、カラオケで憂さを晴らした。
 そんな毎日がキラキラして、フォトジェニックだった。
 誇れる何かが、そんな日々の中にあった。
 誇れる何かを、そんな日々の中に抱きしめていた。

だみちゃん
126.193.177.29

相変わらず飛躍すごい。
https://youtu.be/bpwEqjoE8ZA
小説諦めて曲作ったじょおお
だみちゃんも曲さらぢなよ

だみちゃん
126.193.177.29

間違い。かもちゃんも曲 さらぢなよ

加茂ミイル
223.218.114.27

MIDIで作った感じでしょうか?

写真が個性的でインパクトありました。

音楽は、これはどういうジャンルなのでしょうか?
何となく神秘的な感じで、聴いているうちに、心が統一されるような感じでした。

これにもう少しベースとか、ストリングスとか入れると、もっとスケールの大きな曲になるそうだなと思いました。

だみちゃん
27.120.134.1

Midiで適当作った。かもちゃんも曲聞かせてよ

加茂ミイル
223.218.114.27

本当に適当なの?

すげえ感動したよ。

半音を巧みに使ってるところとか、すごくしびれた。

だみちゃん
126.179.124.146

周りやつは酷評さ

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