作家でごはん!鍛練場
緑苔ピカソ

飯だけ食って帰ります。

◆ ◇ 1 ◇ ◆

 あるマンションの一室。秦野瀧(はたのたき)は椅子に座り、テーブルに置いた自分の手を眺めていた。
 深い皺が刻まれた皮膚。太く頑丈な指。この手は一体、自分の人生の何を物語っているのだろうか。
 自分の人生とは何なんだろう。夢も無く、ただ時間を浪費するだけの人生――。
 そんな事を考えたって所詮無駄だ。秦野は首を振り、顔を上げた。
 彼は今、ある女の部屋にいる。彼女などではない。今日合コンで出会ったばかりの、名前と顔くらいしか知らない女だ。
 その女――杉本春海(すぎもとはるみ)は、自ら秦野に声を掛けてきた。隅の席に座り、会話に全く参加しなかった彼に。
 秦野は何度も合コンに参加しているが、必ずひとりはしつこく口説いてくる女がいる。恐らくは彼の容姿に惚れ込んだのだろう。それとも、大手企業に勤めているという肩書きのせいだろうか。
 兎も角、春海は合コンが終わったあと、彼を自分の家に誘った。彼は言われるがままについていった。
 そしてこの部屋に着いた時、彼は“お腹が空いた”と彼女に訴えた。初めての合コンで緊張して、料理に手が付けられなかった、と。
 だが先述した様に、彼が合コンに参加するのは初めてではない。しかし、彼が辻褄を合わせる為に食事を少量しか取らなかったのは事実だ。
 春海はそんな彼を思いやり、飯を作ってやる事にした。……それこそが、彼の本当の狙いだったのだ。
「ご飯出来たよー」
 春海がキッチンから出てきて、秦野の前に料理を運ぶ。大きな皿の上に乗ったオムライス。彼女の得意料理だと聞いた。
 ケチャップでハートを描いているところなんて、まさにこのふざけた女らしいな。彼は心の中で嘲笑した。
「はいどうぞ。……秦野さん?」
「ああ、ありがとうございます。……破れてますね、卵」
 秦野はいきなり、そのオムライスの問題点を指摘した。
「え? あっ、ほんとだ! 上手く出来たと思ったんだけどなー、ごめんね」
 春海は謝りつつ、彼の向かい側に腰を下ろす。
「いや、それくらい別に。では、いただきます」
「どうぞどうぞ」
 彼はスプーンで卵を破り、一口分をすくって口に運んだ。
「……どうかな?」
「駄目だな」
“美味しい”の一言を期待していたであろう春海に、秦野は厳しい言葉を投げる。
「え? ……は?」
 彼女は彼が何を言ったのか理解出来ないという風に、ぽかんと口を開けた。
 そんな彼女の様子など気にも留めず、彼は淡々と言葉を連ねる。
「運ばれてきた時から思ってたけど、やっぱりこの卵パッサパサだな。バターちゃんと引いてないだろ?」
「え、いやあの……」
「あとご飯べちゃべちゃ。それにケチャップの味しかしない。こんなのでよく得意料理とか言ったなあんた、舌おかしいんじゃねぇのか?」
「な……何でそんな……そんなに酷く言わなくても、いいじゃない!」
 春海の叫びを無視し、秦野はオムライスを食べ続けた。空気を読まない言動を繰り返す彼に、春海は掛ける言葉もなくなった様だった。
 そうしてこの一組の男女は、テーブルを挟んで向かい合ったまま沈黙の時を過ごした。ただ皿とスプーンが触れ合う音だけが、部屋の中に響く。
「……ごちそうさま。ご馳走じゃねぇけど、ごちそうさま」
 秦野の食事のスピードは、普通の人より何倍も速い。彼の行動の中で唯一それだけが、春海を余計にイラつかせないで済んだ点だった。
「じゃ、俺帰る」
 ハンガーに掛けられたコートを手に取り、彼は平坦な口調でそう言った。
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってよ! ほんとに?」
「こんな嘘吐いて何になるんだよ」
「待って待って、意味分かんない……何で?」
「何でって、飯食い終わったし」
 彼女は新種のゴキブリでも発見したかの様な表情で秦野を見上げた。
「……私のご飯が不味かったから? だから帰るの?」
「いや、いつもそうなんだよ。女の家に上げてもらって、飯だけ食って帰るんだ。それが趣味」
「あ、そう……それはそれは。とってもお上品な趣味ね」
 彼女は不快感を滲ませた目で秦野を睨む。彼は肩を竦めた。
「どうもありがとう。それでは」
 彼は玄関ドアを開けて一歩外へ出る。それから再び、彼女の方に向き直った。
「あと、これから年上にタメ語使うの止めとけ。うぜぇから」
 吐き捨てる様にそう言い残すと、彼はゆっくりとドアを閉めた。



 秦野は自宅に帰ったあとも、春海とのやり取りを思い浮かべては口の端を歪めた。
 独身の彼にとって、楽しみといえば自炊と飼い犬の世話と“飯だけ食って帰る”事くらいなのだ。しばらく喜びが長引くのも無理はない。
 彼はこの行為を何度も繰り返している。だが、とりわけ今日の女の反応は良かった。
 オムライスを一口食べて“駄目だな”と言った時の、あの呆けた表情。写真に撮っておきたかったくらいの間抜けさだった。
 彼は幸せな気持ちに浸りながら、足元でキャンキャン吠える愛犬を優しく撫でた。



 だが、数日後。
 連絡先を交換していた春海から届いたメールを見て、秦野は自分が間抜けな表情を浮かべる事になった。
“今週の土曜日、暇ならうちに来て下さい。今度はぜひ、ちゃんとした料理をお出ししたいので。”
 それは、彼にとって思いもよらぬ宣戦布告だった。



◆ ◇ 2 ◇ ◆

 春海が夕食を食べ終え、自分の食器を片付けていたその時。部屋のインターホンが鳴った。
 彼女はふと時計を見た。午後7時丁度、約束の時間ぴったりだ。彼女はインターホンで応答せず、そのまま玄関ドアを開けた。
 そこには思っていた通り、複雑そうな面持ちの秦野がいた。
「こんばんは。ちゃんと時間通り来て下さったんですね」
「時間を指定したのは俺なんだから、時間通りに来るのは当たり前だ」
「それもそうですね。料理はもう出来ているので、早速召し上がって下さい。ちゃんと手を洗ってからね」
「言われんでもそれくらいはする」



 春海はお盆の上に肉じゃがとご飯を乗せて、秦野に出した。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
 だが、秦野は黙ったまま手を動かそうとしない。仏頂面で出された物を眺めているその姿は、難しい数学の問題に出くわした予備校生の様にも見える。
「どうしました? 冷めないうちに食べて下さいよ」
「……いただきます」
 春海が再度促すと、彼はようやく箸を取った。
 まずはご飯を頬張る。
「……べちゃべちゃだな。お粥じゃねぇんだぞ」
「あ、はい。私柔らかい方が好きだから、つい」
 まさかご飯まで突っ込まれると思っていなかった春海は動揺した。だがそれを悟られるのは悔しいので、あくまで平然と言葉を返す。
 そんな彼女の反応に目もくれず、秦野は肉じゃがに箸を伸ばした。しっかりとそれを噛み砕き、飲み込む。
「……はぁ」
「いや、溜め息吐かれても……感想、お願いします」
「駄目だな。じゃがいもは煮崩れしてるし、味は濃すぎるし」
「そうですか……」
 がっくりと肩を落とす春海に、秦野はこう続けた。
「次からは火加減に注意しろ。あと、もしこれで味見してるってんなら舌が鈍ってるから、ちょっと薄いと思うくらいにしとけ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 的確なアドバイスをもらった春海は、思わず礼を言った。秦野は訝しげな目で彼女を見たが、すぐに視線を料理へ戻し、食事を再開した。
 そして前回と同じ様に、凄まじい速さで彼はそれを平らげた。そしてすました顔で呟く。
「ごちそうさま」
 それが誰に向けた言葉なのかは分からないが、こういうところは丁寧な人だ。春海は彼の事をこれ以上嫌いにならない様に、そう考えようとした。
「……変な奴だな、あんた」
 唐突に彼はそう言った。
「どうしてですか?」
「俺が飯だけ食って帰った相手の中で、また来てくれなんて連絡してきたのはあんただけだ」
「別に変な事じゃないです。私はあくまで花嫁修業の為に、あなたの評価が欲しかっただけですから。そもそも、女の子の家に上がって散々罵声を浴びせて帰るのが趣味なあなたの方がよっぽど変人ですよ。世間的に見ても」
「ふん。俺の事はどうでもいいさ」
 秦野は立ち上がり、コートを手に取った。
「あ、秦野さん。来週の土曜も、暇ならこの時間に来て下さい。来なかったら来なかったで私が2人分食べるだけですし」
 平然とそう言い放つ春海を、彼は虚をつかれたという風に見つめた。
 だが、やがてその顔には嘲る様な笑みが浮かぶ。
「見上げた根性だな。尊敬するよ」
 彼は部屋を出ていった。
 春海は彼の捨て台詞を心中で反すうし、やはりあの人の事は好きになれない、と結論付けた。



◆ ◇ 3 ◇ ◆

 秦野が春海の肉じゃがに辛い評価を付けてから、数ヶ月が経った。
 気付けば彼は、毎週当たり前の様に春海の家へ上がる様になっていた。恋人でもなく、幼馴染みでもなく、無論家族でもない女の家に通って飯を作ってもらう事が、彼の日常に組み込まれてしまったのだ。
 彼女の事が嫌いだったら、決してこうはならなかっただろう。時たま秦野はそう思う。
 親しみやすい性格と愛らしい顔立ち、綺麗にまとまったポニーテール――そのどれもが、彼の好みとマッチしていた。会えば会う程、彼女に惹かれていたのだ。
 だからといって今更恋仲にもなれないだろうと、秦野は悩みもした。きっと彼女は花嫁修業の一環として自分を利用したあと、もっと若くて優しい男と結ばれるのだろう。そうしてふたりの土曜夜の密会も終わる……。
 それが、一番想像しやすい結末だった。本当にその通りになってしまえばつらいだろうが、仕方のない事だろう。春海は、自分にはもったいないくらい良い女なのだから。料理の腕に目をつぶれば。
 そうオチを付けてとりとめのない考えを終わらせ、秦野は独りで苦笑するのだった。
 最も、春海の料理は次第にレベルが上がってきているのだが。



 冬も終わりに近付き、次第に暖かくなってきたある土曜日の夜。秦野は両手にレジ袋を提げて、春海の家へ向かっていた。
 袋の中に入っているのは、スーパーで買ってきた食材だ。普段は食べさせてもらう側の彼が、何故自ら食材を調達しているのか。それは先週の土曜日、春海が放った一言に起因する。
“いつも文句ばっかり言ってるけど、そもそも秦野さん料理出来るんですか? たまにはあなたが私に作って下さいよ”
 この言葉にカチンときた秦野は、来週はあんたに飯を作ってやると約束したのだ。
 そもそも自分からアドバイスを求めてきたくせに、“いつも文句ばっかり”とは酷い言い草だ。ここはひとつ、自分の一般人離れした腕前で彼女を感心させてやろう。彼はそう心に決めた。
 しかし、今日作るのはそれ程手の込んだ料理でもない。あまり気合を入れたメニューにするのも恥ずかしいし、むしろ誰でも作れる物だからこそ、自分の技が引き立つと考えたからだ。
 春海の部屋の前に到着した秦野は、右手に持っていたレジ袋を左手に移し、インターホンを押した。
 中から「はーい」と声がして、すぐにドアが開く。
「こんばんは! 良かったー、約束忘れてなかったんですね!」
「まだボケる様な歳じゃないからな」
 彼はずかずかと部屋に入り、キッチンにレジ袋を置いた。
「ご飯、炊いてあるよな?」
「ええ、先週秦野さんに言われた通り。私もまだボケる様な歳じゃありません」
 春海はおどけてそう言った。それを受けて、秦野は口の端をいびつな形に曲げる。彼なりの愛想笑いだ。
「それより、何作るんですか?」
「出来てからのお楽しみだ」
「えー、そうですか。期待していい物なんですかね? あ、私キノコとネギは食べられませんよ!」
「前に聞いたから分かってる。ちょっと黙ってろ、集中して作るから」
「はーい」
 こんな会話をしていると、まるで自分の娘みたいに思えてくる。秦野は7つしか歳の離れていない春海に対し、そう感じるのだった。



「待たせたな」
 相当腹を空かせているのか、げんなりした様子の春海に、秦野は料理を運んだ。
「あっ、オムライス!」
 そう、彼が作ったのは春海の得意料理であり、また彼女が一番好きな食べ物でもあると言っていたオムライスだ。
「やったぁ、いただきまーす!」
 彼女は勢いよくそれを崩し、自分の口へ放り込む。
「……んー! 美味しいー!」
「当たり前だろ」
 そう言いつつも、秦野は口元が緩むのを抑えきれなかった。久々に自分の料理を人に食べてもらい、しかも褒められたのだ。ここ数年は感じた事の無い喜びだった。
「めちゃくちゃ美味しいですね、これ! 秦野さんって色々アドバイスしてくれるから料理上手なんだろうなーって思ってたけど、まさかこれ程までとは」
「喋ってないでさっさと食えよ。美味いうちにな」
「はい!」
 彼女は素直に頷き、飯をかき込んだ。その豪快な食べっぷりに苦笑しつつも、幸せな気持ちに包まれる秦野。
 ――ふと彼は、春海になら本当の自分をさらけ出せるのではないかと考えた。今まで誰かに話したくても話せなかった、自分の過去を吐き出せるのではないか、と。
「……食べながら聞いてくれたらいいんだが、今から俺の昔話をする」
「え、昔話?」
「いいから。そのまま食べててくれ」
「あ、はい……」
 言われた通り、彼女はオムライスを食べ続ける。だが、視線は秦野に向けられていた。
 彼は気まずくなって目を逸らし、虚空を見ながら話す事にした。
「俺は小さい頃からイタリアンシェフを目指していた。それで、高校も調理師専門のところを出た。そしてその後は無事イタリア料理店の見習いになり、夢は叶ったんだと思ってた」
 春海は目を丸くしたが、空気を読んだのか何も言わなかった。
「ところが、見習いの仕事っていうのはかなりきつい。それもちゃんとした調理なんかさせてくれない。ほとんどは雑用だ」
 秦野に当時の感覚が蘇る。きちんと仕事がこなせず、こんな有様ではシェフになんかなれないと叱り飛ばされたあの日々。
「それでも、いつかは一流のシェフになってやるんだと思ったら俄然やる気が湧いた。だけど、その夢さえ俺は失ったんだ。
 当時、俺には同じ料理店で働く彼女がいた。ある休日、遊び半分で彼女と料理対決をしたんだ。判定するのは自分達自身。メニューは彼女が魚料理で、俺が肉料理だ。
 正直、彼女には絶対負けない自信があった。俺は調理師学校でもエリートだったし、自分には料理の才能があると信じていたから。
 だけど――蓋を開けてみたら、彼女の方が何倍も美味い料理を作っていたんだ」
 そこで彼は話を止め、長い溜め息を吐いた。
 そして、黙ってオムライスを食べながらも真剣に話を聴いている春海に、また語り掛け始める。
「俺はその事に絶望し、仕事を辞めた。彼女とも別れた。そして、親のコネで今の職に就いたんだ。
 それからの俺は屍だ。何の夢も希望も無く、ただ機械的に毎日を過ごしてきた。……なあ、杉本さん。こんな俺の事、どう思う?」
 彼女は既に食事を終えていた。スプーンを皿の中にそっと置き、彼女は秦野を見据える。
「私、今の話聞いて秦野さんの事見直しました」
「え?」
「子供の頃からずっと、その夢を追い続けて。それが叶わないと悟ったあとも、こうやって人の料理に難癖付けてくる、未練がましい方なんだなぁって」
「……お前、見直したっていう言葉の使い方間違ってるぞ」
「間違ってませんよ。だって、そんな人間味のある人だと思ってなかったから。だから見直したんです」
 人間味がある。自分が今までしてきた事を振り返って、人間味があるなんていう感想が浮かんだ事なんて一度も無い。
 この女は底抜けにポジティブなのか、物の捉え方が間違っているのか……しかし、秦野はその言葉を聞いて、少し傷が癒えた様に感じた。
「私には子供の頃からの夢なんてありませんでした。OLっていう仕事も、ただ何となく始めただけですし」
「ああ、何となくそんな感じがするよ」
「もう、酷い事言いますね」
 そう言いながらも、彼女は笑っていた。いつも通りの、ナチュラルで可愛らしい笑みだ。
「でも、秦野さんに会ってからは、料理の上達っていう目標が出来ました。それから生活に張りが出たっていうか、何て言うか……兎に角、秦野さんには感謝してます。いつもありがとうございます」
 春海はそう言って、丁寧に頭を下げた。
「変な奴だな、あんた」
 秦野は笑みを零した。そして立ち上がり、いつもの様に帰り支度を始める。
「あ、ごちそうさまでしたー」
「ああ。来週も宜しく」
「はい。頑張ります」
 彼女の笑顔を目に焼き付け、秦野は部屋を出ようとした。
 彼が内鍵を開けドアノブに手を掛けた、その時。
「――待って」
 もう片方の腕を、春海が掴んだ。
「やっぱり……やっぱり、今日は帰ってほしくない」
 彼女は秦野に顔を寄せる。無垢な輝きを放つ瞳が、彼に訴え掛ける。
「もっとあなたの事が知りたいの。だから……」
 秦野は鼓動が高まるのを感じた。何か言葉を発しようとも、声が出ない。息する事すらままならない。
 しばらく、ふたりは黙ったままお互いを見つめ合った。そんな気まずい沈黙を破ったのは、春海の方だった。
「……ごめんなさい。忘れて下さい、今の」
 春海はそっと秦野の腕を離し、一歩足を引いた。
「おやすみなさい」
「……え、ああ、おやすみ」
 彼はそそくさと部屋を出た。



 これでよかったのだろうか。
 帰り道、まだまだ冷たい夜風に吹かれながら、彼は自分に問い掛ける。
 あの時、何か言っていれば。あの子の期待に沿う様な事が言えたなら――。
 何を思っても、もう遅い。彼はコートのポケットに手を突っ込んで、足早に自宅へと帰っていった。



◆ ◇ 4 ◇ ◆

「――美味しい」
 その男は春海の作ったハンバーグを食べて、そう言った。
「……え?」
 春海が秦野に料理を振る舞う様になって、もう半年が経つ。季節は夏になろうとしていた。
 そんな今日、彼は初めて春海の料理を“美味しい”と評価したのだ。
「嘘! 今、美味しいって言ったんですか!?」
「そんなに信じられない事かよ。美味しい料理が出たら、俺だって素直にそう言うよ」
 そう言って微笑む彼の姿は、いつになく柔和な印象を春海に与えた。嫌味や妥協ではなく、心から美味いと思ってくれたのだろう。
「秦野さん……ありがとうございます」
 彼は頷くと、猛スピードで料理を食べ終えた。
「ごちそうさま。これでやっと、本当の意味でのごちそうさまになったな」
 春海は目頭が熱くなるのを感じた。半年間頑張ってきて、ようやく自分の料理が認められたのだ。
 彼女の脳裏に、初めて彼と会った日の思い出が浮かんだ。彼はあの日、春海のオムライスを食べ終えると“ご馳走じゃねぇけど、ごちそうさま”と言い放ったのだ。
 その彼が、今は自分の料理を食べて喜んでくれている。彼女は不思議な時の流れを感じた。
「……3月くらいにあんた、俺に感謝してるって言ってたよな。おかげで目標が出来たとか何とか」
 秦野は唐突にそう切り出した。口下手な男だから、話題を切り出す時はいつも突然だ。
「そういえば、そんな事も言いましたっけ」
「忘れたのかよ。まあ、それは別にいいんだけどさ……俺も、あんたには感謝してるよ」
 彼は照れくさそうに頬を掻いた。柄にもなく素直で可愛らしい彼に、春海はくすくすと笑う。
「どうしたんですか、急に」
「いや。だから、何の夢も目標も無く生きてたのは俺も同じだから。まあ俺はあんたの料理を批評してただけで、目標を持てたって訳でもないけど……」
 適切な言葉を探す様に、彼は視線を泳がせる。
「……でも、あんたのおかげで楽しかった。こんな俺に毎週飯作ってくれて、ありがとう」
「秦野さん……」
 彼の精悍な顔つきが、今日はより引き立っている様に春海には見える。
「これからも、毎週土曜日はうちに来て下さいね。約束ですよ」
「ああ。……あの、ひとついいか?」
「何でしょう?」
 秦野は何か言い難い事がある様で、顔を歪めて視線を逸らし、しばらく黙っていた。
 だが、やがて決心がついたのか、真剣な面持ちで再び春海を見つめ直した。
「今日は、帰らなくてもいいかな?」
 それは、春海がずっと待っていた一言だった。彼女はにっこりと、彼に笑い掛ける。
「いいですよ。――今夜はずっと、そばにいて下さいね」

飯だけ食って帰ります。

執筆の狙い

作者 緑苔ピカソ
121.86.248.2

 初投稿です。
 この小説は、“女の子が家に誘っても、泊まらないでご飯だけ食べて帰る偏屈な男”を描きたいというところから始めたものです。
 特殊な関係を築き上げていく男女を表現したいと思っていて、執筆上の挑戦もそこにあります。
 初心者なので、どんな事でもいいのでご感想やご指摘を頂きたいです。宜しくお願いします。

コメント

とちちゃん
36.11.225.143

はじめまして。どんなことでもいいのでということに甘えて失礼します。

読んで感じたのは、ストーリーの予定調和感です。作者は男性だと思うのですが、考えた通りに物語を繋ぎ合わせただけのように感じました。

執筆中、突然別の展開が浮かんできたりしませんでしたか?
キャラクターが勝手に動き出すような感覚に身を任せると物語が生き生きするのではと思います。

緑苔ピカソ
121.86.248.2

とちちゃん様、ご感想ありがとうございます。
ご指摘の通り、秦野や春海の気持ちよりも、最後は綺麗に結ばれるというところを重視しすぎていたと思います。
キャラクターが勝手に動き出すような感覚を掴むのは、自分には難しく感じますが、これからはもっとキャラクターの思考を掘り下げていこうと思います。ありがとうございました。

阿南沙希
126.209.33.229

読ませていただきました。変化を意識しているところは良いと思います。ですが、変化する対象…キャラクターがよくないので、結果的に変化が変化といえないものになっている気がします。

主人公爆上げじゃないですか? 現実にこんな男いたら好きになる要素ゼロですよ。似たキャラでいくと、海原雄山はあんな感じでも裸一貫から芸術を極めてきた誇りゆえ…という背景がありますが、この主人公は料理人の道も投げ出し親のコネにすがり人の親切には文句言う、かなりの最低男なんですが、そんな奴を大した試練も与えず持ち上げっぱなしにして何かメリットやメッセージがあるのでしょうか? 何となくこうなったなら、要改善です。
大抵こういうのは天の雷なり不慮の事故なりで地に落とすために最初は高く飛ばせておくキャラクターだと思うのですが…

ヒロインも主人公ありきで決められているのか、なんの反発もしない言動が不自然でした。

あと、料理の描写が不足しています。微妙な料理なら、どんなところがどう微妙か書かないと共感は得られにくいです。
私がこないだ食べたうまくないものだと、学食の豚汁がありますが、肉は紙のように薄く、保管しすぎた古い冷凍肉をそのまま汁に放り込んだのか黒ずんで日向臭い匂いがしました。また、里芋もごりごりした歯ざわりで飲み込むのが辛かったです。…こんな感じでポイントになる食事だけでもおさえて書き込んでおくと伝わりやすいと思います。香りや甘味、塩味、苦味など色々ありますよね。クックパッドとか見て食べたことない料理の味を空想するより、実際自分が食べた記憶を頼りにするといいですよ。
では、頑張ってください〜!

幡 京
121.3.235.25

ダイアログ=会話が「台本読んでいる感じ」ではなく、生き生きとしていると思いました。

緑苔ピカソ
121.86.248.2

阿南沙希様、ご感想ありがとうございます。
確かに秦野みたいなキャラクターが特に痛い目にも遭わず、ずっとふんぞり返っているのは違和感がありますね。自分では気付かなかった点でした。
料理の描写に関しては、自分が馬鹿舌なのでネットの情報頼りになってしまいましたが、やはりまずかったですね。リアルな描写に近付ける様、色んな物を食べて舌を肥やしておこうと思います(笑)。ありがとうございました。

緑苔ピカソ
121.86.248.2

幡 京様、ご感想ありがとうございます。
長台詞が続く場面もあったので、自然な会話になっているかどうか不安でしたが、そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございました。

ちくわ
125.201.179.87

拝読いたしました。
>この小説は、“女の子が家に誘っても、泊まらないでご飯だけ食べて帰る偏屈な男”を描きたいというところから始めたものです。
アイデアは面白いなって思いました。ありそうでないことを書くのって楽しいですしね。

本作は三人称で書かれていますが、視点が定まっているわけではないように思います。
もちろん、どんな書き方をしたってじゃね、読者に届いて混乱さえしなきゃ、別に構わないようなものじゃとは思うんじゃけどね。
でも、たとえば同じ三人称にしてもじゃな、単一視点であったほうが良かったんじゃないかしらと思いました。
この作品は「予定調和」で「落ちが読める」ように言われてるんだけど、たとえば主人公の秦野中心の視点ならばじゃね、杉本さんの気持ちは忖度する以外なくて、両者の心のありようが完全にそこに向かってることが、読者に容易く判る造りにはならなかったんじゃなかろうかね。
こういうのって漫画やラノベでは割と普通に使われる手法だけど、小説で使うには不向きのように思いました。
(「なんてこたえねえやつだ」「なんて強えやつだ、こんなやつ初めてだ」悟空とヤジロベーが対峙したとき、両者の思いが読者に現わされますね、つまりそういうことです。全部丸わかりにしてますよね。注;セリフはうろ覚えですけど)

あと、細かいとこなんじゃけどね。

>彼は幸せな気持ちに浸りながら、足元でキャンキャン吠える愛犬を優しく撫でた。

犬。 これは絶対に伏線的に仕込んであると思いました。犬にしか愛情を注がない偏屈な主人公、彼と犬の関係はなんだろう。どうしてそうなってるのだろう。
というか、これ仕込んでなきゃダメなんじゃないかな。

エピソードは自分語りよりは強い説得力を生みます。秦野がぺらぺら語るよりも、もっと分かり易い仕掛けとかを考えてください。本作の登場人物はふたりです、たったふたりしか出て来ないわけです。もっと愛情注いで手厚いエピソード構築してあげてください。
ずっといい感じになると思います。


初心者とあるので、えらい上から目線で書いてますね(笑)ごめんなさい。
がんばってくださいね。

緑苔ピカソ
121.86.248.2

ちくわ様、ご感想ありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。
視点に関してはどちらからの目線も捨てきれず、結局2人共の視点を採用する事にしましたが、逆効果だったかなと自分でも思います。秦野のみの視点で書いていれば、3章で春海が彼の腕を掴むシーンなどももっとドラマティックになったかも知れません。
秦野の飼い犬については、彼の優しい一面を表現したいと考え組み込みました。ですがちくわ様のおっしゃる通り、何かの伏線という訳でもないのに不自然な場面を作ってしまったと思っています。秦野という人物をもっと知る為の材料という意味でも、その後登場させてあげるべきだったんだという発見がありました。ありがとうございました。

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