作家でごはん!鍛練場
夏子

三日分のエッセイ

二月十九日
二月十九日の屋上は冬の長雨に見舞われていた。張り詰めて皮膚がひっつくような寒さの中では風情も何も感じられないのが残念でならない。私は四棟に付属した機械倉庫の雨水の薄く張った頭にぽつぽつと生まれては消えを繰り返す幾つもの二重丸の紋様を、心臓の辺りで渦を巻く疑心を押し殺しながら見詰めていた。軟式野球部が打ったホームランボールが四つ、茶色になって転がっている。
明日は学期末試験一日目になる。二学年最後の、今後の方針を左右するような試験の前日。まだ手付かずのページがあるなかで、私はこの文を打ち込んでいる。そうしなければ、自分ばかりが立派になってガードの柔らかい思春期の心は今を捉えることが出来ないのだ。今日を回想して、彼女の言動に思い当たっては勝手に傷付いている。そう、勝手に。
ただ中空を行き過ぐだけになった彼女の残滓は不平不満で腐った臭いがした。ここ数日意図的に彼女を遠ざけていたから、その思いが強い。表現的にも間違いはない筈だ。
屋上に班の子達と数人で立って、輪になる。「掃除無理じゃね?」「先生来ないし」様々な声が飛び交うなかに、私はいる。こんなに沢山人がいるのに、どうして彼女と深い仲を持ってしまったのか、もっと落ち着いた人とつるめなかったのか、最近はこればっかりを思っている。そのせいで試験勉強もまるで捗らない。彼女は、自分が強すぎるのだ。それが周囲に悪影響を及ぼしている。具体的には、自分に対する評価が思い通りにならなければ機嫌が悪いし、呟きの某SNSでは近しい人達の悪口ばかりを書き込む。他人事だと関係を切ることは簡単なようで、案外難しい。そうしてもし私が何かを指摘しようものなら、多様な方法で私を悪党に仕立てようとする。苦しいから部活辞める、だとか、約八十人フォローのアカウント棄てるとか、そういったこと。小さなことかも知れないけれど、私達にとっては(少なくとも私には)非常に大きな問題だ。
そう、彼女の悪心は理科室の硫化水素の臭いがしたんだ。私はそれを胸一杯に吸い込んで、自分の悪心に変換した上で種子にする。そうしてこれを書いている。
明日は学期末試験一日目。やんぬるかな。勉強に励まねばなるまい。

二月二十日
玄関から濃霧の奥に一歩踏み出す足取りが重い。友人を待たせているから私に躊躇う時間など無いのだけれど、どうしても胸の辺り、心臓ではなくてみぞおちの少し上の方が掴まれたようになる。私や私の恐れはまとまって脳を忙しなく往来している筈なのに、そこに感触を覚えるとは。考えてみれば不思議なものだと思う。(今思い付いた仮説になるが、脳を徘徊する不安が血管を膨張させたり収縮させたり、どちらかは分からないがそんな処置を施して、深呼吸をさせようとしているような気がする。)過呼吸の一歩手前を思わせる症状だ。(もしかすると、肺の方に問題があったのかも。)二つ大きく、目前の霧をぐうっと吸い込んだ。肩を回して、掌をかち合わせる。小気味の良い音がした。これで少しは気分が楽になるだろう。経験上の、というやつ。
私はとうとう学校へ行かねばならなくなって、そんな時間になって、友人を待たせていたことをふと思い出した。一寸先しか見えない霧中に突き落とされた気分になる。体は重いのに足だけはぐんぐん進む。八方から取り囲む霧を肩で裂いて進んだのは初めての経験だ。エレベーターを待つ間に、もう見慣れた町の仄かな変化を気遣う。学期末試験一日目ということもあって普段より家を出る時間は早い。朝練がある日には景色なんてものは見えない。朝を得意としない私はぐったりして朝御飯を食べることすらままならず、身だしなみの確認もそこそこにして家を飛び出す。ただただ時間との闘いだ。それに比べたらば試験期間は非常に良い生活リズムがとれていると思う。霧の奥にうっすらと、白みがかった小学校が見える。私が六年通い、今と比べれば無知で、皆が温かく相手を労り、悩むことの小さな頃が懐かしい。ほんの二年前のことなのに。卒業の時は特に感極まったりという訳でもなかったのに(卒業式の日は飛来した花粉によって鼻水が止まらず、その頃の友人らから「大丈夫だよ、中学一緒だしこれからも会えるじゃん」と言われ、また鼻水と相まって目元も痒くて擦っていると泣いているのだと誤解され、誤解されたままの涙が彼女らにも伝染し袴の袖を存分に濡らした私達の輪は周囲の人目を引いていた。)そう思うのはきっと今に悩んでいるせいだ。今日はまだいい。いいが、問題は金曜日だ。部活動が始まってしまう。彼女と顔を合わせなくてはならない。このいびつな関係を持ったまま、上手く喋れる気がしないし喋ってもらえないかもしれない。冷たくあしらわれたらどうしようか。しかし私も、軽蔑の目を向けてしまうかもしれない。二週間に渡る私と彼女の破局はぼんやりとした輪郭だけをもって、徐々に明確になりつつある。互いに互いを気にしているが、私は、彼女が恐ろしくてならない。傷付きたくはない。が、今後のことを思えば行動に出ねばなるまい。土曜日は一日練がある。私と彼女と、もう一人の友人は毎回弁当を一緒にしている。そういう習慣だった。明明後日はどうだろう。一体、何が正解だと言えるのだろうか。
エレベーターのほんの僅かな加速度から解放されて、友人と目が合う。今日は大丈夫。会わなくたって良い。明日も。問題は、明後日と明明後日。何事もなかったように笑うか、だんまりに徹するか。
「おはよう」私は濃霧の中で思考を振り払う。友人の姿がはっきり映る。もう当分彼女とは……。と思うが、話したい思いも確かにある。格好ばかりはつけられない。
「おはよう、英単語確認しよ」
友人が差し出した紙はほんのり湿っていた。青ペンの字画が少しだけ滲んでいる。

二月二十一日
学期末試験二日目を終え、とうとう勝負の三日目を迎えようとしている。彼女のことは、もう考えないようにしよう。一人で悩んでも私は彼女ではないし、彼女の返答なんて浮かばない。あまり反りが合わない同士だったというだけ。
学期末試験の日程は受験者の立場からするとやり易く、自然と余裕も顔を覗かせる、……筈だったのだけど。なにせ、
一日目:国語・技家・英語
二日目:理科・音楽
三日目:社会・保体・数学
という具合に二日目の内容が薄く、その対策にも然程時間は要さないだろうから二日目の教科に加えて三日目のことも見越して勉強に励みなさいという魂胆がありありと見えた。勿論その通りにすれば自信をもって三日目に挑むことができただろう。しかし私は崩れた。二日目の対策なんて楽勝だった。吹奏楽部の音感と立派な授業態度を持ってすれば討ち取れない教科ではない。そう考えついて、理科の対策を怠っていた。分子やら原子やら、化学反応式を駆使して物質の深層を見極めようという難易度だけが抜群に高い問題を問題用紙を透かした拍子に見た瞬間とにかく血の気が引く思いだった。こんなに長い化学式がこの世にあるものなのか、とチャイムの音を高く唸る雷鳴と錯覚してしまうくらいに私は混乱していた。自分を酷く過信した報いだろう。もうこのようなことは繰り返せない。
帰宅後は噛みつくような集中力で勉強机の上を教科書で埋めつくしペンを走らせた。ただただ狂気じみたやる気に満ち溢れていたのだ。成果としては傷病者に対する応急処置の方法がほんの少し脳に定着しただけで、あまり効果はない。アドレナリンが一時の間に大量分泌された副作用なのだろうか、突如として眠気が私を抱き込んだ。両脇から温みを感じて徐々に意識の粒子が吸いとられていくようなおおよそ監禁じみた策法で私は眠りへと誘われる。目が覚めたのは二時間ほどしてからだ。母親が買い物から帰っていた。
外は晴れやかな中で吹き過ぎる風に自由の印象を受けた朝方と比較してどんよりと重たかった。鳥が一羽パラパラアニメを思わせるぎこちなさで窓の端から対角線上に消えていく。雲が西の方角に流れていた。高速道路を行くトラックの荷台がふらふらと不安定で、積まれた木材が転がり落ちてくる気がして特別目が向く。バイクのエンジン音が遠くに行くまでの臨場感をこの家では味わうことができる。言って、ただの騒音には違いない。こうしているうちにも刻一刻と時間は過ぎる。眠気覚ましに珈琲を飲もうと思い立ってキッチンへ向かう。正月佐賀県へ帰郷した際に宿泊したホテルで見つけたインスタント珈琲が一袋あったのでそれを開けた。よく炒った豆の匂いがする。少し濃いくらいだ。コップに砂糖に牛乳、横一列に並べると火にかけた薬缶が湯気を吹いた。ピューピュー、音を発して可愛いげがあるので給湯器に比べれば利便性に欠けるがお茶を入れるときなんかはよく薬缶を使う。煎れる過程に雰囲気を感じられるからだろうか。
乱暴に置かれた教科書類を重ねて隅へ避ける。液体の表面に息を吹き掛けて熱を冷ます時、ふと息圧で波が生じてそこに出来た穴が生物の舌のように見えてきた。喋り出すかな。とそんなはずはないのだけれど、試験勉強と人間関係にあくせくする思春期には少しばかり恐ろしいものが見えてしまうことだってある。閉めた想像の引き出しにしまってあるからだ。普段は気に留めないような些細なことも考え込めばどうとでもなる。考え込めさえすれば。つまり何事も考え様によるということなのだろう。まずは嗅覚で肺に通すと、焦がしキャラメルの匂いが飛び込んできた。まさかと思って口に運ぶと珈琲という概念にキャラメルがまとわりついて後味がねばっこい。なにせ濃すぎるのがいけない。しかし牛乳を入れようにも珈琲の風味が消えてしまうしキャラメル風味を消す方法がさっぱり思い当たらない。何度か口で転がすとなれてきて、私は試験勉強に取り掛かる。
そういえば、この珈琲の味は何処かで知っている。キャラメル風味の強い、一口目には顔をしかめたくなるような味を私は以前にも感情を殺して飲んだ覚えがある。
黒と白。鯨。ヒノキの匂い。とっても断片的。「あの幕は鯨というのだ」と私は衝撃でならなかった。私の中で鯨というのは神秘的な幻獣のようなものだったから。それは水彩で描かれている。世を統べるもの。神の使徒。美しい幻像。しかし私の前で横たわっていたのは、薄化粧をしていたのは、あんなに軽かった体がずんと重たくなってそこにあったのは、紛れもなくひいばばだった。私は彼女と面識があった。彼女の腕に抱かれた。彼女の力無い姿を見て泣く祖母と母の背中を見ていた。私は彼女を支えたことがあって、その時を思い返せば軽く感じたのだった。今よりも。曾孫に迷惑はかけまいとして気を張っていたのかもしれない。鯨幕を背景に箱におさまる彼女がやけに小さく見えた。見えたが、心には大きな、彼女の為に割かれたスペースがあった。どうしたものか。従兄弟をうかがった。彼は名前を遼悟といって、私よりも二つ下の小憎たらしい少年だった。ただ、その頃が私も小学生の時分で遼悟も幼くあったために、彼は人目を憚らずに涙を流す周囲を見て酷く混乱していた。母に、祖母に、伯母に、私。それぞれがそれぞれに涙を流した。そんな光景が不思議でならない。もしや自分も泣かなければならないのだろうかと気遣うような目をしていた。
その後の彼はずっと畳の上でダッシュして、それから親戚のお兄さんに抱きついた。ひいくんというらしい。話したことは無いけれど、祖母の弟の子供にあたる人なのだそうだ。机上に折り紙と、色紙と、珈琲が並べられた時には遼悟はもうくたびれて眠ってしまっていた。なんて自由な。しかし彼はひいばばとは特に面識が無いらしかった。珈琲は順当に私の前にも配置された。
「夏ちゃん珈琲飲めるの?」と仄かな香水の漂わせるおばちゃんが私に聞いたけれど、当時恥ずかしがりだった私はもじもじとしてから「……うん」と言ったらしかった。本当は珈琲なんて飲めたもんじゃなかった。苦いうえに豆臭い。しかし頷いた手前で飲まないわけにはいかない。既におばちゃんはミルクと砂糖を注いで、カップを私に差し出していた。飲むしかないのだ。私にはそういう、人の目を気にする嫌いが昔からあって、ここで同級生のひまりちゃんという女の子なら「やっぱひま珈琲無理でした!」なんて快活に笑って言ってのけるだろうが、私はせいぜい夏子なのである。
「夏ちゃんお砂糖とか入れて良かったのよね?」
「はい。ありがとうございます」おばちゃんは頷くと、そそくさと祖母の珈琲にミルクと砂糖を入れながら、
「夏子ちゃん礼儀正しいわねえ、もう中学生に見えるわよ」
「いやねえ、まだあの子、小学三年生なんだから」
なんて話をこそこそとするのだ。こういったことは頻繁にあって、いつまでも私は年相応ではいられなかったのである。ぐっと息を止めて、飲み込む。眉がよってしまわないように気をつかって飲み込んだあとにはほうっと息を吐いてみせた。風味が私の食道を汚す。この濃さは一体なんだ。腐ったキャラメルみたいな味だった。そうまさしくテスト勉強中に飲むこの珈琲の味と合致する。
私は珈琲を飲めるようになって、勉強もある程度こなせるし、心の中のひいばばにあてられた穴は色々な悩みや想像で少しずつ小さくなってきている。こうして人は人を忘れていく。私はいつか現実に必死になってひいばばのことなんて文字でしか思い出せなくなっているだろう。年を取れば、誰の顔も。そろそろ覚悟を決めておかねばならない。不謹慎なことこのうえないが、今を疎かにしないために、悔いの残らないように、日頃から両親や、祖父母や、友人に対する態度には気を遣わなければと思う。(彼女にしても同じように優しくしろといわれても、まだ難しいとは思うが。)テスト期間中にはどんどん想像が豊かになって、こんなことまで思うようになったりする。部屋中に漂う珈琲のキャラメル風味が、ひいばばの顔を、私の根底にある過去を、想起させてはまた煙に巻いている。

三日分のエッセイ

執筆の狙い

作者 夏子
58.158.78.120

エッセイのようなもの。最初は彼女について書こうと思ったのですけれど、だいぶずれてしまいました。このサイトに投稿できるような説得力もなにもありませんが、漠然と悪いところがあるんだろうなと思うだけで一体どこが悪くてどうしたら直るのかというのがわかりません。他のサイトでは誤字くらいの指摘しかありませんし、私は学生の分際なので教員には年頃だから難しいことが書きたいんだろうとさらさら義務教育だけしてろといわれては私は恥をかいて真っ赤になるのです。

コメント

hir
210.133.219.57

 寒空の下で雨に打たれながら、なにをしているのかがさっぱりわかりません。
 どこが、じゃなくて全部です。
 書き手は読み手より賢くなければならない。教員の言ったことが答えのような気がします。
 しゃべれるようになったばかりの幼い子を相手していると思って書いてみてください。

瀬尾りん
115.124.197.78

こんばんわ!読んだので感想書き残して行きます〜
これはエッセイというより自分語りですね。うわっ、私もこういうの高校時代に書いてたなぁって思いながら読みました。難しい言葉を使いたいのは分かるし、比喩もかっこいいから多用したいのはわかります。でもそのせいで文章が破綻してて非常に読みにくいです。何が言いたいのかわからなくなっています。
夏子さんは小説を書く上で何か芯のようなものはありますか?それをまず作ってみるといいと思います。

夏子
58.158.78.120

hirさん、ありがとうございます。寒空の下で雨に打たれたのは私達というより屋上の方だったのですが、表現があわなかったのかもしれません。「掃除無理じゃね?」と書いていたので時間帯とかその時間帯の行動については書いた気になっていましたが、そうですね。幼い子に話すなら、それじゃ分かりにくいし、私は本人だから分かるけどちゃんと文にしなくちゃいけませんでした。賢くないといけない、というのは、どうやって賢さを身に付けると良いのでしょうか。読書をしたりすれば客観性が身に付きますか? 賢さとは客観的に見て、正確にうつしだすことだと受け取りましたが、この解釈で正しいですかね。反映するのは時間がかかる気がしますが、努力します。ありがとうございました。よろしければ、次も見ていただけませんか。

夏子
58.158.78.120

瀬尾りんさん、ありがとうございます。やっぱりこういうのが突発的に書きたくなるのは思春期特有の、書くことでしか毒が抜けないとか、格好よくしないと見てもらえないから比喩乱用するみたいな、痛い感じなんですよね。芯、といわれると、確かに無いかもしれません。自分が楽になりたいだけだったからというのが私の今までの(一年弱の)動機ではあったので。芯は、どういうものですか? どういう時にふと見付かって、書けるようになれますか? 書きたいことが芯になって、比喩を中心にして書くと内容がぶれるから、つまり、設計をしっかりしないといけないということですかね。でも"小説を書く上での芯"となると、動機でしょうか。強い動機がなければ人並みの文章は書けないと……。芯っていうのは難題です。例えば、例えばですが。病気で長くない友人がいてその子を救えるような話が書きたいんだ、という感じなのか、書かないと生きていけないぞ、という感じなのか。それとも色んな人に分かってもらいたいという思いが芯になりうるのか、どういうものを芯といっても良いのですかね。ありがとうございます。何日か考え込もうと思います。助言をいただけると大変嬉しいです。私一人で迷うと帰ってこられないので。

二月の丘
219.100.84.36

文章が硬くて、古くさい。終始無理してて、「硬直・萎縮してる」もんで、
見てて心地よくない。
から、「うっちゃる読者の方が多い」・・だろうと思う。


こういう調子の文体、ここのサイトの「スランプで悶々としている60代男作家」に良く似ている。
そんでもって、筆者の年期が浅い分、
日本語的に違和感ある箇所が、多い。

ex. >どうして彼女と深い仲を持ってしまったのか、

とかゆー、迂闊な濫用?。


年齢相応の「瑞々しい文章」で書いた方が、どうしたって好感度は高いのに、
それをせずして、あえてのコレ! なのは、

おそらく、「素直に綴ることに不慣れで、内心恐れて忌避しているから」じゃないのかなー??


“素直にさらっと読みやすく綴れる人”は、“余計な事は考えず、自然体でそうしている年頃”だから。。(経験則)
そんで、こと「文章の世界」では、そういう人の方が読者ついてくるし、評価される。
「読みやすく、面白いから」です。



現状のコレ、誰でも一度は通ってきた道だし、(澁澤龍彦とか中井英夫とかにハマっちゃう年代…)
作者がそういう年代まっただ中なんで、どうしようもないんだけど・・


【結局、シンプルイズベストなのだ】ってのは 確かなことなんで、
そこを忘れちゃうと、

ただのイタイ人で終わる。

二月の丘
219.100.84.36

お尋ねは、「どうしたら直るか」だったなー。


まあ、「大学入れば、自然と直る」よ。。

“一般教養で、レポート書きまくる”からなー。


文化人類学、論理学、生物、地理、政治学、法学、西洋史・・ のレポートに、

「耽美調・ゴテゴテ文章を貫けるKYな猛者」なんざ、いくらなんでも“いない”でしょう。

書いてて自分で恥ずかしいし、徒労の割に「評価付いて来ない」から。。



なので、

今のそれは、所詮一過性の「はしか」です。

えんがわ
165.100.179.26

書き続けていくと、あなたにとって最初の関心ごとだった「彼女」のことが、わざわざ詳細に書くまでもなかったことがわかる。
試験勉強というものを、みんながやっているからしていたことを確認する。義務教育に疑問を覚える。

あなたは何か、書きたいことは、思い出に連なる今のあなたなのかもしれない。

今、書くことはきっとあなたに気付きをもたらすと思います。


「夏ちゃんお砂糖とか入れて良かったのよね?」

あなた自身、本格的な大人の珈琲のようなものに憧れつつも、身体は柔らかく甘いコーヒー牛乳を求めているのかもしれない。

他者の眼差しを気にしながらも、あなたがあなたを見つめるために、書き続けてほしいです。


この体験を記憶に持っていてくださると嬉しいです。熟せば、小説の1エピソードとして、とても生きるものになる気がします。

(卒業式の日は飛来した花粉によって鼻水が止まらず、その頃の友人らから「大丈夫だよ、中学一緒だしこれからも会えるじゃん」と言われ、また鼻水と相まって目元も痒くて擦っていると泣いているのだと誤解され、誤解されたままの涙が彼女らにも伝染し袴の袖を存分に濡らした私達の輪は周囲の人目を引いていた。)

大丘 忍
180.45.166.96

冒頭というか、はじめの段階で登場人物の輪郭が読者に伝わらなければならない。
男か女か、何歳ぐらいか、どんな容貌、人物なのか。

一読して、話者の「私」は男か女かわからなかった。読み進めているうちに女らしいと想像しただけで、はっきりしなかった。
年齢も学生であることはわかるが中学生か高校生かはわからなかった。大学生ではなさそうだとはわかったが。

私の読み方が浅いといわれればそれまでだが、何度も読み返さなくてはわからないとすれば書き方が悪いと思う。

小説に於いては、初期設定が大切で、冒頭にて読者に明瞭に示しておくことが必要である。

これは凝った文章よりも大切なことだと思う。

カルネ
133.232.243.157

私が母親なら小3の娘にコーヒーを出す親戚に「子供にコーヒー出すなんて常識が無い!」と怒り出すと思う。少なくとも放置はしないな。

ところで。
エッセイは短編小説のように、短編小説はエッセイのように書くと良い。と言われるのです。

今回は日記のように思えます。

文章が古臭い、と書いている方がいますが私もそう思います。
古色蒼然とした感じでいきたいのであれば「掃除無理じゃね?」など今どきの中学生の物言いは諦めてもう古き良き時代の中学生に徹してしまえばいいのでは? と思います。

後は書きたいことを絞ると良いのかな、と。
「彼女」との人間関係に絞るか、ひいばばの思い出に絞るのか、どちらかの方が良いでしょうね。

私としては「ひいばば」の方に興味が持てました。というのは“生徒白書”的なテーマはもうありふれ過ぎていて読みたい気にさせられないからです。まあ、これは好みの問題よね。
ただ、夏子さんがこれから書いてゆこうとするとき、読者は誰なのか、をちょっと考えてみると良いのかな、と思います。

あとは友達に読んでもらうこともお勧めします。
その時、読んでいる友達の顔をちゃんと見てくださいね。
その表情が楽しそうか、どうか、なんです。
普通にまともな頭があれば人間関係を重視して、大概は「良かった」と言うに決まっていますし、イマイチなときもそれなりに気を使った感想を返すでしょう。
だから感想がどういうものか、ではなく、読んでいるときの表情を見るのです。
そして読み終えてから、「どうだった?」と感想を求めないことです。
なぜなら本当に面白かった場合は、あなたが感想を求めなくとも、勝手に友達の方から、色々な感想を弾む声で語ってくれるからだし、また読みたい、と言うからです。

そして出来れば本好きの友達を持つことです。
実際、書店で手に取って、この本買おうかな、という読者とは特別な人間ではなく、普通の人達で、あなたの周りにいる人達ですから。そういう人達が面白いって思ってくれるかどうか、そういう気持ちを大切にしてくださいね。

ペンニードル
36.11.224.23

三日分のエッセイ 読みました。

校長先生の話がなんでつまらないかっていうと、”自分のしたい話をしているから”らしいです。
お笑い芸人のトークがなんで面白いかっていうと、”みんなが聞きたい話をしているから”らしいですよ。

人は他人の自慢話には興味ない。(不幸自慢含む)
一方、自虐はそれだけで”自虐ネタ”なんてジャンルがあって、みんなこぞって聞き入り大爆笑したりする。

たぶん、そのあたりなんだと感じました。

夏子
58.158.78.120

二月の丘さん、ありがとうございます。素直に綴ることに不慣れで内心恐れている、というのはその通りだと思いました。本当に書いてしまっていいか、とか面白くないかもなとか、やっぱり余計なこと考えてるんですね。だから途中で疲れるのかも。澁澤龍彦さんや中井英夫さんらのは読んだことないのでちょっと興味持って調べそうになりましたが、今はこらえるようにします。素直になれるように、というか変な言い回しを覚えないように……。瑞瑞しい文章というと、等身大に思うことを書けばいいのでしょうか。それだけだと、一人よがりになってしまいそうで正直怖いです。今でもだいぶそうでしょうが。少しずつ頑張ろうと思います。
大学生ってそんなに大変なんですね。なってみたら失望するかもしれませんけど、今は楽しみにしておこうかな。ありがとうございました。大切にしたいなと思うお言葉ばかりで、いきなり全部とはいきませんので少しずつ。"はしか"の方は安心して、落ち着くのを待つことにします。

夏子
58.158.78.120

えんがわさん、ありがとうございます。彼女については、なんていうか、書こうと思い立った時にすごい苛々していて、許せないなと思っていたんですが書いてみると気力が持たなかったです。気付くことがあるのは本当です。書いているとなにも出てこなかったり続かなかったり、そういう内容は本当に大事なことじゃないんだなと思いました。それでぐちゃぐちゃな頭の整理もつきますし、今なにをすべきかも見えてくるんですね。珈琲を求めてもコーヒー牛乳が飲みたい。やっぱり自分は自分でそのままでというのが重要なんでしょうね。変に飾り立てたりはしないようにします。
誰かに読んでもらえて教えていただけで、自分でも考えて気付くことができたので記憶にはしっかりと刻まれました。忘れるつもりはありませんし、忘れられないと思います。ありがとうございました。あたたかいですね。

弥々丸朗
106.161.227.207

あれま。
けっこう不評っていうか、よそ者に偏見まる出しの村人の集いみたいになってるんですね。
マルチとか宗教の勧誘みたい、とかでも別にいいんですけど。

そんなに古臭いとか堅苦しいとか背負った言葉選びだとかって個人的には印象なかったんですし、こんな感じの文章なんてどっかのアーティスト(ロックとかポップの人で十分な)のブログでも眺めたらあちこちに普通にあると思うし、わざわざ狙ってやるくらいのポップキャラくらいの印象で個人的にはいるので、何でなんだろ? って。
むしろ何だか大人たち、おまえら了見せめえな、っていうかまんまと凝り固まってんじゃないのちゃんとアップデート出来てんのかよ人様指図する前に古臭いのあんたたちの方なんじゃないの大丈夫なの? なんて普通に思っていたりするんですけど個人的には。


語り手が男なのか女のなのかわかりづらいのは書き手の落ち度のようなこと言ってるポンコツクレーマーいますけど、軟式野球部、二学年、学期末試験、思春期って、まあまあ想像つかせる親切ワード撒かれた上での人称”私”ときて、なんでわかんないとか言いたがるのかなあ。
背景はわかってるっていうなら、それありきの”私”なんて人称こそ、それが男だってことならそんなことこそかぶれた書き様ってものじゃないんですか? って個人的には。
そうじゃないことわざわざケチつけたがるようなクソ屁理屈とか何か文盲臭くて恥ずかしくないですか? って文盲以前って気もしないでもないんですけど、どうなんですか。 馬鹿なんじゃないのかと。



>私は四棟に付属した機械倉庫の雨水の薄く張った頭にぽつぽつと生まれては消えを繰り返す幾つもの二重丸の紋様を、


まだ書き出しの一文だから仕方ないかもなんですけど、書き出しってやっぱ自覚薄いから気をつけたほうがいいと思うんです。
編集ダサいです。

”無理じゃね?”は全然平気ですよ、とあたしは。
ロックは四角形だって許容できるし、文体にトゲも時代も輪郭として許されなきゃあたしたちはずっと文豪にアタマ上がんないのかよと。
違和だのセオリーだのって、そんなに窮屈かよと。

”深い仲”は、むしろ書き手の落ち度じゃないですか、軒並みの批判に晒されるならむしろ思う壺みたいな選び方なんじゃないですか。
あくまで友人としてを語っているつもりなら、むしろ古臭さにおもねって感じられるんですけどどうなんでしょうか。

”SNS”と書かないのは劣化速度として正しい気がするし、”無理じゃね?”は気に食わなくてもこれはつっ込まれないシアワセ感じてみてください。

”やんぬるかな自殺” おとなたちに謝って下さい。思う壺でした、みたいに。

>考えてみれば不思議なものだと思う。(今思い付いた仮説になるが、脳を徘徊する不安が血管を膨張させたり収縮させたり、どちらかは分からないがそんな処置を施して、深呼吸をさせようとしているような気がする。)過呼吸の一歩手前を思わせる症状だ。(もしかすると、肺の方に問題があったのかも。)

括弧書きなしは考えなかったですか? 悪いとかじゃなくて、それを一文に落とせるのかどうかはちゃんと筆力の問題とは思うんですよ。
だから、”日記”とか言われちゃうんですよ多分。
キミの甘えがチラリ、なんですよ何だか。

”花粉”のハナシ、縁側のクソ馬鹿がキモいこと何か言ってますけどそんなことはどうでもいいと個人的には思っていて、むしろその筆致を自分で客観視して、あなたには分断したように存在する作為を操る術が二つ、ちゃんと存在していることを自覚することの方が先決だと思うんですよ。
学生さんらしいので、これってサービス。憶えていられるなら忘れないで。

二月二十一日は時制がめちゃくちゃ。
このサイトによくいるような無自覚な誰とも比較にならないくらい慎重にそれを意識されていることはちゃんとわかるから、もっと慎重にすれば問題のないことです。
立派な意識だと思います。

”化学式と雷鳴”まったく素敵。

珈琲やらひいばばのエピソードはまったくいいことだし上手だと思うけど、そもそも書き手の集中は”眠気”のあたりから明らかに落ちてきてるみたいだから、あなたはそんなつもりではなかったかもしれないけど、全然悪くないエピソードをちゃんと書き進めながらもその作為はすでに暴れ出していて、ちっとも悪くはないけどばたばたと散漫な印象を個人的は受けました。
だからって、それつかまえて”自分語り”なんて言われてしまったら、一人称としてエピソードなんて語れなくなってしまうと思うんですよ。

おハナシの帰結としては、どうなんですか。
彼女のこと、ずれちゃったのだそうで。

あたしは悪くないと思ってます。


>瑞瑞しい文章というと、等身大に思うことを書けばいいのでしょうか。それだけだと、一人よがりになってしまいそうで正直怖いです。

とのこと。
本音かどうかは置いといて、なんて。
すでに”自分語り”だの”読者慮れ”みたいなこと言われてますけどそのへんどうなんですか。
あたしにはあなたが言ってること、ねじくれたような謙遜にしか聞こえないです。
本当はもっと人のことナメてるでしょ。
でなければこんなこと、わざわざしたがらないでしょ普通。

素直に受取らないだろうし気にも食わないでしょうけど、手加減嫌いなのでサービスしときます。

誤解はあなた自身が一番知ることでしょう。
全てが本当のつもりなら、他人のことは今はまだ塵みたいなものなんですよね多分。

夏子
58.158.78.120

大丘 忍さん、ありがとうございます。人物や世界が分かりにくいというのは書き方が悪いです。性別とか性格とか、学年も書かずに、というより書いていないことに気付かずにどんどん先先に進んでしまった自覚というか、私ならやりかねないなというのはあります。最初にどこの誰か明らかにしておく。意識します。ありがとうございました。今後のためになりました。

夏子
58.158.78.120

カルネさん、ありがとうございます。書きたいことを絞るのはやっていかないといけないと思いました。いつもなにも考えずに進んで結局最初はなにを書いていたかわからなくなってしまうので……。友達には一度だけ読んでもらったことがあります。「どうだった?」と聞くためにです。やっぱり気にしてくれて、こうした方が、というのは言ってくれませんでしたが、正直になんて言えませんよね。ありがとうございました。

ちくわ
125.201.179.87

拝読しました。

なんだか寧ろ後半部が素敵で、そのせいなのか前半の堂々巡りが活きないような、そんな感じを持ってしまいました。

主人公が思い至らないほど性悪な女性とじゃな、深い仲になっちまってやね、のっぴきならない状況に陥って、しかも内省的な柔らかい心を持った彼が人知れず苦悩するわけなんだけれど、そこいらの悩み自体が具体を欠いていてじゃな、どれほどのことをしでかしてしまったものやら伏せてあるしじゃね、更に言えばなにがあったか分からないものの、勝手に想像してしまう悩みの小ささに、悪く言えば呆れてしまって共感できない感じがするのじゃったよ。
たとえば万引きしたのがバレてるとかならば、もっとよく分かるんだけどな、みたいな。(ちくわ万引きしたことはないけどね)
けれど、中学生とかだと、こんな感じかもしれないよなあ、などと思い返してみたりもしました。

もうちょっと、こう、サービスしてもらってやね、たとえば硫化水素の片鱗とかでも臭わせてくれないかな。そしたら共感力も上がる気がしますね。

ただ、最初に書きましたようにひいばばを巡る回想はすごく良かったよ。

エッセイのようなもの、とあるように、これが創作ではなくてじゃね、作者自身の想いをベースに書かれているのだとすれば、具体例を伏せてあるのも、やんぬるかなとか思うのでじゃね、上はまったく余計なお世話かもしれない。
それだったらごめんなさい。
書くことは楽しいす。いろいろと言われたりするかもしんないけどじゃね、たくさん書いてみたらいいよ。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内