作家でごはん!鍛練場
ふく

『五月の雪(十枚)』

「なんじゃこれっていう感嘆が語源らしい」 
 振り返りもしないまま大きな声で話しかけてきた玉置に対し、数メートル離れたベンに腰掛けていた私は、つい目を伏せ黙り込んでしまう。それは昔からのクセのようなものだった。どうしても周囲の目が気になるのだ。学生の頃ならまだしも、現在ではもういい年齢をした男が二人連れたっているのだから尚更である。
 しかし玉置はそういったことを気にしたことはない。私は少しの不安と期待を交えながらもうつむいた視線を戻してみると、玉置の指先はもどかしく宙を掻いていた。なにやら大きい図体をさらに伸ばし木を被う白い花に触れようとしているようだった。体躯の分、そうした仕草は幼く滑稽に映る。実際には三十代半ばに差し掛かり中年の肉付きが始まった背中ではある。
 なんじゃもんじゃの木、正式名称ヒトツバタゴ――木犀科の単葉樹。五月の陽気のいい時期、おびただしいほど白い花を付ける。あたかも新緑に雪が積もったかのよう。
「まあ知ってるよな。釈迦に説法だな」
 玉置は浮かせていた踵を地面に戻し、伸びたわき腹の筋を撫でながら振り返り、そう軽口を叩いてみせた。今朝久しぶりに会った際に「独立したんだ」と手渡した名刺の〈ガーデンプランナー〉という横文字を、玉置は太い指先で何度もなぞっていた。高校卒業後、別々の大学へ進学してからも、他愛もないメールなどで連絡は取り合っていたのだが、お互い就職が決まるとそれはほとんどなくなり、さらに三年前玉置が家庭を持って以降は、少なくとも私から連絡することはなくなった。そんな中の思いがけない急な誘いだった。松本清張『塔の波』の舞台にもなっている深大寺は縁結び、恋愛成就で有名な古刹である。参拝客も若い男女の組み合わせが多い。本来ならば玉置も夫婦水入らずでこの読んだばかりの小説の舞台へ訪れるはずだったのだろうが、あいにく奥さんは身重により里帰り中。そこで懐かしい友人に白羽の矢を立てたのだろう。私は職業柄、教師をしている玉置のように暦通りの休みではないのだが、気がつくと携帯電話を肩へ挟んだまま慌ててスケジュール帳を開いていた。様々な調整の面倒もかえりみず「併設の植物園へ寄るなら」と、ついそう答えてしまっていた。しかし都心から深大寺までのバスの道中で、さっそく自分のその軽率さを心の中で悔いていた。というのもお互いの仕事についての近況を語る何気ない会話の中、夏目漱石の『こころ』が話題になったのだが、授業で扱った際女子生徒の一部から「これはBLですか」という質問が出たというのだ。「世も末だよ」混みあうバスの中何気なくそう笑う玉置を横目で盗み見しながら、つり革を握る手のひらが汗で滲んだ。そんな些細な会話でも、やはり玉置相手だとどうしても動揺してしまう。小説の中で「海に投げ入れてやろうか」と主人公に冗談を言われた登場人物が「その方が、いっそ楽だ」と返すシーンがあるが、私もまさしくそんな心境だった――
「いつまで変な木、眺めてるんだよ」
 玉置の声がして、バスの中の記憶から呼び戻される。
「本堂参拝しようぜ」
 大きな図体で小銭入れを窮屈そうに覗きこみながら、二枚の五円玉をつまみ上げ、それを見せつけるようこちらへ向けてきた。
「ここで待ってる」
 私は自分の足元を指さしながらそう言った。玉置は不思議そうな表情を浮かべた後、さらにふざけて二枚の硬貨の穴からこちらを覗いてきた。笑いながらしっしと手首を振ってそれを追い払うと、大きな図体を少しだけ寂しそうに縮ませながら大人しく一人本堂の列へ並びに向かった。そして賽銭箱の前で頭を垂れる玉置のその後ろ姿を、私は、とうに冬は過ぎたというのに雪の残ったような妙な木の陰のベンチから、あの頃と同じく、ただ眺めているだけなのだった。
 初めて会った高校一年の時から玉置はすでに百八十センチ近い身長で、それはどうしたって目につく存在だった。あらゆる運動部からも誘いを受けたようだが、それらをすべて蹴ってやってきたのは図書室だった。私と玉置は図書委員の活動で親しくなった。しかしその頃から読書好きだった玉置とは違い、私は静かな場所を求めた結果、なんとなく漂着したというだけだった。ただそこは二人だけの無人島だったわけでもない。玉置が返却作業でカウンターから出ていくと、いつもどこかしらから女子生徒が現れる。そして一定間隔を開けながら思いつめた表情で玉置のあとをつけるのだ。私は一定の間隔を開けて移動する二人の様をカウンターから眺めながらいつも心の中だけで「だるまさんが転んだ」と唱えていた。
 
「痛ってぇ」
 しゃがみこんだ玉置はこちらを振り返り、立てた親指の腹をこちらへ向けた。丸く膨らんだ血液が今にも零れそうになっている。
 隣接する植物園は、若い男女の二人連れが多かった深大寺と比べ、家族連れが目立った。とはいえ、楽しみにしていたバラ園の、敷き詰められた花弁たちがまだまばらにしか開いておらず、閑散とした雰囲気が漂っていた。そもそも男二人にバラという組み合わせでは、それこそ少女向けBL漫画の代名詞ではないか。心の中で自嘲しながらも、半ば開き直った気持ちで園の中に踏み入ると、一人の幼い男の子がなにやら花壇の前を這いまわっているのがすぐ目についた。次の瞬間にはもうその隣へ玉置がしゃがみ込んでいて、一緒に地面へ落ちた蕾を拾い集める遊びに加勢していたのだった。そして案の定、刺で指を切ったというわけである。
「バラの蕾って、有名な小説だか映画だかの題材であったんだよな」
 なんだったかなあ、と切った親指を振りながら玉置はぶつぶつ言ってこちらへ歩み寄ってきた。
「やめろよ、血が飛ぶだろ」
 私は財布から絆創膏を取り出し、親指にあてがってやった。しかしその最中にもまだ「バラの蕾」という言葉をぶつぶつと念仏のように繰り返しては首を左右へ捻っていた。
 バラの花言葉は【情熱的な愛】で有名だが、蕾にも違った意味がある。バラの蕾、花言葉は【愛の告白】
 私は慌てて頭の中でめくっていた職場の花言葉辞典を閉じ、絆創膏を貼り終えた指を離す。すると待っていたかのように顔をこちらへ傾け覗きこみながら
「お前知らない?」
 玉置は再度そう訊ねてきたのだった。
「しつこいよ」
 首を振るようにして顔を背けた私に玉置は
「なんだかお前ウチの嫁さんそっくりだな。何がそんなに気に入らないんだ?」
 笑いながら無邪気に、そして残酷にそう問いかけてきた。
 私は玉置に対し怒ってなどいないし、怒る権利もない。しつこいのはむしろ私で、そのしつこさにもう一人の自分が呆れ苛立っているのだった。いい加減忘れたい。先ほど深大寺本堂に小銭を投げ入れ、いっそそう願えばよかったのかもしれない。胸中に冷たいものが落ちる――その瞬間だった。二人の隙間を一陣の風が通りすぎ、同時に私たちのちょうど目の前を白色が舞った。白いバラの花びらだった。先ほど玉置と一緒だった男の子が、幼児特有の甲高い声をあげながら、集めていた花びらをまき散らし駆けていったのだ。それは踏切前で通り過ぎる列車と対峙した時の感覚に似ていた。圧倒された余韻が棒立ちの私の視界に白くゆっくりと舞う。
「僕の恋は罪悪なんだ」
 ふいにそう口をついて出た。つんのめり、自然と半歩足が動くのに似た感覚だった。
「精神的向上心のないものは馬鹿だ」
 私のその台詞が『こころ』のなかの一節だとすぐに気づいた玉置は、それに便乗し、いかにも教師面して頷きながらそう返してきた。
「そうさ、僕はずっと馬鹿なんだ」
 誰もいない貸出カウンターから、いつもこっそり眺めていた。頬を紅潮させた女子にお願いされ上段に腕を伸ばす玉置の、詰襟制服の上着が浮き、時折覗く中の白いシャツの脇腹がまぶしかった。私もたぶん面倒な女子生徒たちと同罪だった。
 そして今度も結局私から大袈裟に噴き出して見せ、うやむやにする。互いに馬鹿馬鹿と繰り返しただけの会話。しかしそれがいま私に出来る限界だった。
 先ほど脇を駆けていった少年は、少し離れた場所で母親のスカートにしがみついていた。恍惚とした様子で何か話かけているようだ。ややしてから、しがみついたままの後頭部を少しこづかれているのが見えた。遠目だったので母親から、蕾を蔦から直接むしりとったと勘違いされたのかもしれない。こっそり玉置の表情を盗み見すると、やはりその光景へぼんやり目を向けていた。予定ではあと一か月ほどで、子供が生まれる。
「市民ケーン」
 私も親子の方へ視線を戻しながら、そう横から囁いた。バラの蕾がモチーフとして使用された映画。第十四回アカデミー賞受賞作品。
「そうそう、それ。オーソン・ウェルズ」
 玉置は大きな手のひらで私の背中を叩いた。
「知ってんなら早く言えよ」
 私は咳き込みながら
「そりゃ知ってるさ」
 そう言って笑う。
 知ってるさ、君の好きなものなら小説だって映画だって。目の内に白い残像が舞う中、胸の奥でもう一度、精一杯の告白をした。

 <了>

『五月の雪(十枚)』

執筆の狙い

作者 ふく
180.199.129.128

約一年ぶりに投稿、鍛練させていただきます。

今作品は「深大寺とその周辺を舞台に」「恋愛を題材に」「十枚以内」という三条件のもと書きました。
何かの制約の中で作品を作るのは、自分が思っていてよりも楽しい作業ではありましたが、十枚という枷には大変苦労しました。
「この部分を削るとスッキリしたのでは?」等のご意見ご指摘をいただけるとありがたいです。
そうでなくてもただ読んでいただき、一声でも掛けていただければ励みになります。
また、未熟な作品ゆえ、途中で読むのをやめてしまった方も、どこでやめたのか堅苦しい挨拶なしでも一行書き残していっていただけると勉強になります。

よろしくお願いします。

コメント

岡田寄良
106.130.5.164

拝読しました。
描写が気持ち悪いなあと思っていたらホモでしたか。
なんというか、ホモ作品って独特の違和感ありますよね。
アニメとか見ていてもなんか距離感が変だから感覚的に気持ち悪ってなってしまう。
いや、すみません。ホモの人もホモの作品も差別したり、馬鹿にするわけじゃないんですけどね。
ホモの人ってのは無論、同性を好きになるのでしょうけど、この主人公は性格が妙に乙女チック過ぎるような気がしますね。
男で財布に絆創膏が入ってる人なんてほぼいません。
なんというか雰囲気が少女漫画丸出しな感じで。
実際のホモの人もこんなに乙女チックなんでしょうかねえ。
よくわかりませんが。
そうでないとしたらリアリティがないということになりますね。
あとこの主人公は片想いを隠したまま友達関係を続けているのでしょうか。
だとするとちょっと怖いですね。
腐女子の人から見たら秘めた愛とかで評価するのでしょうけど、男からするといや、待てよ。勘弁してくれよって感じですね。それも結構真剣な感じで。
全然差別する気とかは無いんですけどね。
あと文章は文学っぽく書かれているように見えますが、その実は全然文学じゃないですね。
漫画やアニメやライトノベルみたいな萌え目線が文章の中から浮かび上がってしまっています。
夏目漱石のこころをホモ作品扱いするのも、そういう説があることは知っていますが、文学ファンからは不評でしょうね。
実際、お嬢さんを取り合っているわけですからね。
それと最後に冒頭でベンチがベンになってますね。
大体そんな感じです。

ひみつ☆
49.104.22.248

はじめまして。拝読しました。

全て読ませて頂きました。
一読目、すらっと入らない部分が何ヵ所ありましたが、おおむね読ませて頂けました。
ただ、台詞や行為がどちらの方のものかわかりづらかったです。
二読目、一読目では気付けなかった情報が色々と判別しました。
ただ、やはり台詞と行為がどちらの方のものかはよくわかりませんでした。

私の読解力が低いせいかもしれません。
最後に、一番読み飛ばしてしまった場面を。
なぜか、最初の奥様の存在を語られる場面がすっぽりと抜け落ちていました。
二読目で覚えていないことにびっくりしました。

もう一度書きますが、私の読解力が低いせいかもしれません
つたない感想になってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。

もう一読してみます。

ひみつ☆
49.104.22.248

再訪です。

『あらゆる運動部からも誘いを受けたようだが、……玉置が返却作業でカウンターから出ていくと、』

この部分がきちんと意識できていませんでした。続きの部分からは読めていました。

後、

『一人の幼い男の子がなにやら花壇の前を這いまわっているのがすぐ目についた。』

這いまわる?

『頬を紅潮させた女子にお願いされ上段に腕を伸ばす玉置の、』

上段?
本棚の?

この二ヵ所に違和感がありました。

ありがとうございました。

ひみつ☆
49.104.22.248

何度もすみません。
「這いまわる」の意味がわかりました。
続きにちゃんと書かれていました。
読み落としをなくしたいですが、なかなかです。
失礼いたしました。

ポキ星人
106.73.96.160

 規定分量を越えた文章を縮めた文体が内容にそぐわないだけでなく、縮め方にも問題を感じます(というような論理は合っているけど読みづらい文章が多い)。
 >私は職業柄、教師をしている玉置のように暦通りの休みではないのだが、気がつくと携帯電話を肩へ挟んだまま慌ててスケジュール帳を開いていた。 を例にとると、読者は、私が教師をしているかと一瞬思って次に玉置が教師をしているという新情報だと気づいて頭を整理しなおす、という語順が良くないです(すでに「私」の職業を明かしているから誤解する読者が悪いという理屈に依拠しているかに見えること自体、あまり印象が良くない)。それから「のだが」というから逆説かと思うと内容的には順接で、むしろ「ので」であるべきですが、すると「気がつくと」の収まりが悪いです(ここはおそらく、暦通りの休みではない「ので」スケジュール帳を開く、という理路ではなくて、暦通りの休みではない「ので」断るのが普通な「のだが」彼の誘いなら行きたい気持ちがある「ので」「気がつくと」…という流れを不用意に省略したものだと思われる)。
 こういうのを見ると、少なくとも掌編においては、実用文の書き方の作法がもっと重視されるべきように感じます(私が頼りにしているのは野内良三の著書)。ただ、小説の文章ということで考えると、例えば「玉置が『塔の波』を読んだ」ということが明快に語られずに、>松本清張『塔の波』の舞台にもなっている深大寺は ~ 玉置も夫婦水入らずでこの読んだばかりの小説の舞台へ という類の書き方が目立つのはどうかと思います(「夫婦水入らずで」の位置も不適切)。情報量を落とさずに文を縮めてなおかつ読みやすく、というのも大事ですが、書く事柄自体をもっと削って大事なところはきちんと書く方が効果がありそうです。例えば私見では冒頭、>なんじゃもんじゃの木~ より前の記述はほぼ要らないです。最初の3行くらいでなんの話かわかっちゃうし(そういえば>玉置相手だとどうしても動揺してしまう ということが最初から最後まで出づっぱりなんですけど、山場で初めてそれが語られるような書き方も検討すべきかと思います)。

 タイトルがなんじゃもんじゃの木のことなら、最後もその木で閉めてほしいですし、その木の特徴(なり「五月の雪」のような何か)が主人公か玉置の過去や現在とか性格とかに関わるようにしないと作品内的にも公募作としてもあまり意味がないです。そこに重点をあまり置かないで市民ケーンだとか漱石だとか言ってるのは単にディレッタントな感じで、玉置は高校教師だからこれくらいのことは言うんだ、とかいう次元の問題ではないように思います。

 このディレッタントな感じ、について、二人が大人になったこととどう関わるのでしょうか。大人になったらこんなこと言わなくなった、とするなり、大人になっても相変わらずこんなこと言ってる、とするなり、どちらの道もありでしょうけど、ともかく大人になったこと、が二人の現在に反映していないのがつらい感じがします。
 仮に大人になってもあいかわらず文学青年っぽい、という路線であっても、なにかほかのことは変化していないと仕方ないんですが、加齢と結婚と中年太り以外の内面的な変化とか価値観の変化が見出しがたく、どうも平板な印象があります。

 主人公の過去の思い出は、厳密には主人公の「過去の思いの思い出」であって「玉置についての思い出」とはいいがたく、輪郭がはっきりしないです。恋愛感情はあったにせよ、思い出自体は男同士でバカなことをやった思い出、とかの方がよく、作者が恋愛小説らしさに引きずられ過ぎているのではないかと感じました。

 主人公が高校時代好きだった人を今も好きだがそれを言えないこと、で動揺しているのか、自分がかつて同性愛者であり、今もそうあり続けていることに動揺しているのかも読み取ることが難しいです。同性愛当たり前路線で前者に純化するか、後者にはっきり踏み込むか、いずれかであってほしかったように思います。

 それらを踏まえて、神社に行った主人公はなにを祈ったのでしょうか。なんなら玉置の妻を呪った、くらい書かれてもいいし、それでも何かの幸福を祈ったのならそれでもいいと思います。ここがないと公募の条件を満たすために名所を借りただけ、となるのは避けられないでしょうし、これがあれば作品の言いたいことももっとはっきりすると思います。

 最後にこれは作者の書いたこととは別なことの提案なのですが、主人公自身も今は女性と恋愛して結婚している、という書き方もありだと思いました。思春期の一時期だけに主人公に同性愛的な傾向が現れてその思いの相手が玉置である、今愛している女性はいるけれども、あのころのあの感情自体は忘れがたい、という書き方(戦前のドイツの小説とか昔のギムナジウムものの少女漫画とかにあるようなやつ)です。現行も含めてどう描いても淡い恋愛にしかなりづらいのだったら、青春の思い出と恋愛感情とが重なるように強化していけるという意味でも検討の価値があると私は思いました。

カルネ
133.232.243.157

私も冒頭でいきなり「ベン」って、見直しする意思がないのかしら? と思ってしまいましたが、でも、まあ、目を瞑ることにしました(笑)。なぜなら、作品はそこそこ「良い感じ」と思ったから(笑)。

まず
>現在ではもういい年齢をした男が二人連れたっているのだから尚更である。

ここで、ひょっとしておっさんずラブ? と思いました。
TVドラマは思いの外、視聴率を取れてたようで。オビじゃないのに。テレ朝、嬉しいだろうなあってちょっと思ってしまった(笑)。ごめんなさいね、ふくさんにはどうでもいいことでしょう。私もドラマの方、見ていないので。ただ、そういうのが視聴率を取ってくるという事はそれだけこのテの作品に対する世間のハードルも下がってきているのかもしれないな、と。そういう風潮を踏まえて、狙ってきました、という戦略の元にこの作品を書かれたのかな? とも思ったので。

>今作品は「深大寺とその周辺を舞台に」「恋愛を題材に」「十枚以内」という三条件
私なら一番のポイントとして重要視してしまうのは「深大寺」でしょうか。
深大寺でなければ成立しないストーリーかどうか。そこを考えてみる必要はありませんか?
舞台を他に移しても成り立つ話になってませんか?
どうでしょう。

十枚以内。何かに投稿予定?
もしそうでなければ、一度、枚数は考えずにきちんと作品を形にすることを考えてみてはどうでしょう。
今の内容だと、枚数のために尻切れみたいな終わりになりました、と受け取れなくもないです。
実際は、ここから主人公、さあ、どうするって感じですよね?

あとは、そうですねー。徹頭徹尾、主人公は安全地帯です。
できれば主人公に恥の一つもかかせてほしいかな、と思います。
ぜひ惨めな目に遭わせてあげてください。
つまりここでは玉置は徹底的にゲイ嫌いに仕立てて欲しいです。それを主人公が悟ってしまうシーンを入れてほしいかな。
「世も末だよな」って全然、弱いです。
玉置は何気なく振舞ったことでも、それを見ていた主人公にとってはその行為は心臓をえぐられるような痛みを覚えさせるものだった。これがクライマックスに来ると良いかな、と思います。
心がちぎれるような思いの中で、なお、それでも、君の好きなものなら何でも知ってる、と来させる。
そういう見せ方を考えてほしいような。
告白は余計かな。だって告白してませんから。胸の内で「好きだ」と百万回言おうと、それは「告白」ではないです。だってその告白によって何かを失うわけではないから。

主人公は愛する彼の親友のポジションを手放してませんよね?
それではだめです。
何かを得て何かを失う。
綺麗に描くことは否定しませんが。
初めと終わりと、主人公の変化を描くこと。
そういうことを心にとめてみてはどうでしょうか。
そんなふうに思いました。

因みに「こころ」BL説。確かにね(笑)。そもそも男は観念の生き物だからね(笑)。性愛は男女だけど、精神的な愛は同性に捧げる傾向ってあるよね。でもそれはもうプラトンの頃からそうなんでしょって気もするから。「女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう」名言よね(笑)。

ふく
126.233.25.8

岡田寄良さん

読んでいただきありがとうございました。
しかも嫌悪感を与えてしまったのに、感想までいただいて。励みになります。

まずは大前提として、作者である私は同性愛者ではありません。
別に特段断ることではないのですが、岡田さんのように「差別はしませんが」などといちいち挟まなくてはならない配慮や、言葉を選ばなければならないなど、感想を書かれる方の負担をなくすために、一応。勘違いされることを嫌がったわけではありませんので、あしからず。


さて、現在同性愛者に対する理解や風当たりは変化し、面と向かって「気持ち悪い」などと口に出来る人はわりと少ないかもしれませんが、やはり岡田さんが内心覚えた生理的嫌悪というものは批判や否定できるものではないと思います。
なので、おそらくこの作品の主人公は、いつもそういった他人の視線に怯えていると思います。また、なにより好きな人に実害を与えずとも、ただ想いを寄せるだけでそう思われてしまうかもしれないということが、ほとんど人生最大の恐怖とも言えるのではないでしょうか。
やはり岡田さんが書いてくださったような同性愛者への印象を、直接的に描かなかったのが作品がぼやけている一つの要因なのかもしれませんね。

文学やいわゆるラノベ等のジャンルを意識して書くような器用な真似はまだ出来ませが、自身の文章が古臭くて、軽やかさがないことは自覚しています。内容との相性で、相乗効果で嫌悪感を生じさせてしまったということなのかなと自己分析させていただきました。

またベンチの書き損じについて。
冒頭からこんな単純なミスが見つけられないなんて、怠惰な証拠ですね。すいません。また指摘してくれてありがとうございました。

ふく
126.233.25.8

ひみつ☆さん

はじめまして。
読んでくださってありがとうございます。
今作は、とても枚数制限で苦しみまして、あっちこっちと削ったり移動させたりしているうちに、読者の存在を疎かにしてしまったようです。
ひみつ☆さんの読解能力はなんら関係なく、ただこの作品と作者が不親切だっただけのことだと思います。申し訳ありません。
ただ、そうして一読ではわからなかったという、素直でもっともな意見を聞けて自作を客観視することが出来ました。ありがとうございます。

上段についても、まさしくそうで。書き直していくうちに知らず知らず本棚という描写がなくなってしまっていました。初稿段階ではもちろんあったのですが、あっちこっちに切り貼りし、書いては消し、としていたらこんなことに。

何度にもわけての書き込みありがとうございました。参考にさせていただきます。

ポキ星人
106.73.96.160

 前回のコメントで「神社」と書きましたが、深大寺ですから「寺」です。申し訳ありませんでした。訂正します。
 それから、作中の>松本清張『塔の波』 は、正しくは『波の塔』だと思います(青木ヶ原樹海が「自殺の名所」になるきっかけをつくったともいわれる作品だそうですね)。

弥々丸朗
106.161.220.160

一人称で”十枚”という条件に投げるの中で、空行が用いられている時点であたしは書き手の筆力そのものに疑いを持ちます。
時制を前後させようが人物入り乱れようが、たかが十枚の世界なんて一気に書き切れと普通に思います。
シチュエーションも人間関係も何も変化ないじゃないですか? このおハナシ。
回想と現在が入り乱れたからって、書き様はいくらでもあると思うんですよ。
単純に、筆力ないんだと思います。

松本清張、夏目漱石、オーソン・ウェルズ、必要ですか?
そう言いながらあたしも只今通常炎上中の自作でゴイステのBABY BABYなんて入れ込んでますけど、それってただ欲しがりなだけの彼女、彼女が聴きたい、欲しい世界としてまったく適当で端的だと思ったからなんですけど。
象徴してくれる、みたいな。つまりアイコンとか、そんなんでもいい。
上記三人、必要ですか? 三人って、かさ張りすぎじゃないですか? 不器用すぎませんか? もはや読者の集中力すら奪ってませんか?
だから、”深大寺”がボヤけるんじゃないですか? なんて言われても仕方なくないですか?

>なんだかお前ウチの嫁さんそっくりだな

作為が挫けた瞬間として一番わかりやすい、そんな瞬間のように個人的には感じました。
主人公が思いを寄せる対象が鈍感であり続けることは、書き手の甘えのようなものだと思うんです。個人的には。
しかも、一人称。ぶつぶつと、何とでも言える。対象が鈍感だってことは。
つまり、あたしは”想う人”の緊張のようなものを申し訳ないんだけどあまり感じなかったです。
語り手の自嘲、あるいは自重ならぬ”暗さ”ばかりが際立って、あたしはまったく個人的なものとしてさえ”恋”が描かれていた印象を受けていません。
魅力的な”想い”として受け止められなかった。


まったく個人な印象で言うんですけど。

キャラクターやらおハナシそのものとかそんなこと以前に、書き手の作為が言い訳臭すぎないですか?
”BL”とか、あえて言葉にして持ち出す必要ありますか?
個人的には作に対する書き手自らの弱気とか用心としか受け止められないです。
読者に”BL”という予感を与えることに、書き手自らが誰より先に及び腰になってる、だから言い訳臭いし松本清張やら夏目やらって余計なことで紙幅を割いて”苦労しました”なんてことになる。
自覚がないだけだと、個人的には感じているんですけど、どうなんですか? 
勝手にムカついてもらってかまいません。


どんなふうに自作を、あるいは文章を眺めますか?

抽象的なことで申し訳ないです。
勝手に思いつくだけの印象なんですけど、おハナシは何だかおっとりとして冷静なように書きつらってるつもりなのかもしれないんですけど、何だろ、所詮ものすごくがちゃがちゃしてるんですよ。
必要ないことばっか言い訳ったらしく無駄遣いしてないですか? 花言葉とか、いりますか? むしろ古臭くないですか?
十枚、っていう制約わかってやってるんですよね?
”わかってやってる”を前提として、ヘタクソだなとは、やっぱり思ってしまう。


個人的な意見でしか、印象のハナシでしかないんですけど、多分作者さんは誰よりもこの作を、世界を、アイデアを、どこか信用していないんですよ多分。
だから、余計なことばっか書かずにはいられない。
書こうとして書くばっかだから、信じられない。

アイデアは必要かもしれないんですけど、”書く”っていうことは結局のところはノウハウとかそんなものでどうにか出来るようなものじゃないと思うんですよ、個人的には。
そういった主観にそぐわない退屈のようなものばっかが詰まってる。
そんな印象です。一個人として。

”BL”なんて、字面としてどうですか? ”深大寺として”なんてくだらなさでも別にいいです。
作品としての筆の色とか、意識出来てますか?
どうしてBLなんですか。
BLなんて不適切だ、なんて言ってるんじゃないです。
BLっていうアイデアを選択したならその理由を、ちゃんと文面に逞しく叩き込んだんですか? そのつもりでいるんですか? ってことを個人的にはお聞きしたい気がする。
っていうか、疑わしく思ってるというだけのことなんですけど。
そういうニブさを感じる、ってことなんですけど。

単純に、”十枚”っていう制約に負けただけのものとは、受け止めたくない気がしています。
制約に対する単純な認識と、何より筆力が及んでいないだけとしか思えない。


”面白くない”って、そういうことで全然いいと思うんですよ、個人的には。
公募条件に踊らされたように面白がるのも結構なんですけど、書きたいことをちゃんと思い募って書いたつもりなのかどうか、そういうことも挑む中では自分ばっかでもちゃんと、もっと意識されたものであるべきとはやっぱ思うんですよ。個人的には。


語り手にも、書き手にも、単純に身勝手でもいい”強さ”みたいなものを感じません。
むしろ見栄臭いばっかとか。
”小説らしく”書きたがったばっかみたいな、何かうっとりした退屈な感じばっかが先走ってる気がするんですよ。
突き通ったもの、所詮自分ばっかでもいいから、それをちゃんとわかってやり切るつもりとか、そんな意識とか、個人的には見過ごせたものではないとはやっぱ思うんですよ。

ペンニードル
36.11.225.0

『五月の雪(十枚)』 読みました。

前半は説明文的で後半はポエム?みたいな印象を持ちました。作者さんがどのような読後感を狙ったのかわかりませんが、感情としては”気持ちわる! 怖!”でした。

男同士云々は置いといて、恋に恋する中年て、うわっ、ってなりますよね。

10枚で一人称としたとき、逐一”私は”ってやるくらいなら三人称の方がいい気がしました。

扱うセリフって、多分、かなり熟考するべきだと感じるのですが、キャラクターの人柄を全く示さないただのセリフが安易にいくつも出てきて、まるで”10枚が埋まらないからセリフで稼いじゃえ”みたいな思惑を感じました。

説明文、セリフ、セリフに付随する説明文。
結局今、何が起きていたのか、こうして感想を打ちながらもう覚えていなかったりします。
モノローグって事象を語っているわけではなくて、あくまでも”自分語り”なので読者は他人の自分語りにあまり興味ないって感じると思います。

読者にとってのキャラクターを他人から知人、私に似てる、私とは違う個人、とかに認識させて初めてモノローグって有効に作用するとなんとなく思っていますが、それを10枚でやるのは余程の筆致がないと難しいのかと思いました。

ふく
126.74.77.18

ポキ星人さん

読んでいただきありがとうございました。しかもこんなにしっかりと長文で。
語彙が少ないので、同じだけの分量で 返信出来そうにないのが申し訳ないくらいです。

一番最初に指摘していただいた規定分量を超えているという部分が、やはり作者をがんがらめにしているのだと痛感しています。取捨選択が出来ず、全体を圧縮してしまい、結果どれも死んだような描写となってしまっている。十枚なら切り取ってこないといけないのに。
ご指摘通り、この作品は情報として確かに書いてはあるけど、それは読書の読者の楽しみを前提とされていない。

タイトルとなんじゃもんじゃの木についてですが、最初の着想が、五月の暖かい日であっても溶けない雪をいつまでもなくならない想いというものに重ねて描く、というものでした。
しかし、もう現状ではそれも霞んで何も伝わらず、霧散している状態なのでしょうね。自分の弱さや優柔不断みたいな覚悟のなさが情け無いです。

神社に行った主人公、とありますが主人公は本堂参拝していません。ここも分かりにくいですね。玉置に誘われたとき、一緒に行って(玉置のことを)「忘れたい」と祈ればよかった、と書いたつもりでした。
祈りでさえ「想いが実りますように」ではない、そんなネガティブなことになってしまうと書きたかったのです。
なんだか下手な作者が言い訳しているようですが、鍛練ということで意図を開示しておかなければ意味がない気がしたので。客観的に見て、明らかにそう読めるように書かれていない。またそこまで読もうと思わせるほどの魅力も読者への配慮もないので、当然の結果です。

動揺についても、どちらかと言えば前者を狙って書いたつもりなのですが、確かに後者を予測しながらも読めますし、ポキ星人さんのアイデアも面白そうですね。女性と結婚していて、というもの。

波の塔については、恥ずかしい限りです。ちなみに、その作品は読んでいません。ネットで調べただけでした。
こんな怠惰で厚顔な作者の書いたものをこちらに投稿してしまい、いまとても後悔しています。反省します。

ふく
126.74.77.18

感想をくださった方々、ありがとうごさいました。
予想していたよりも、たくさんいただけて嬉しい悲鳴なのですが、皆さん御意見を眺めていくにつれ、やっと作品の客観視が出来てきて、嬉しさよりも、後悔と猛省。
感想の中にはムカつかせたかもしれません、と書かれたものもありましたが、一切そんなことはありません。皆さんから真剣さ真摯さを感じ、ごはんってやっぱりいいなぁと被虐的な悦びすら覚えているところです。
ですが、現在この感情をスマホからポチポチと文章に変換しているところで、本来慣れたキーボードで行いたいのですが、そうもいかない状態です。
返信は明日以降させていただきます。勝手を言ってすいませんがよろしくお願いします。

N
188.240.76.34

ふくさん

おはようございます。
拝読しました。


 基本的に言葉づかいが巧くて、読んでいて心地よかったです。
 その心地よさの原因は、美しさに向かうようにできている、そういう指向性が文章に埋め込まれているからかな、と思いました。確かに、意味をとるという意味で流れにくい文章は時折あるのですけど、美しさという点では、うらはら、とても滑らかなもので不思議でした。どうしても耽美的になりうる題材でもありますし、それも僕はそんなふうに感じた大きな要素かもですが、美の様式というか、そういうものを意識してしまうそんな文章だったように思えます。
 あとは、どういう描写をどういう風に配置するのかが、非常に制御されているなと感じました。分かりやすいところでは、母親が子供の頭をこづく描写とか、ですかね。こういった、心理的な距離をつめる、あるいは、離す、そういった効果をもった描写を、必然の流れの中に埋め込んでいるものだから、一文中での読みにくさはさておき、全体としては自然な流れになっているような気がします。例えば、「こころ」や薔薇の花言葉を引用している場面、引用そのものの寓意がストーリに意味をもたせると同時に、引用するという行為をはさむことで、主人公の(実のところ全うに)あけすけな恋心をうまいこと包み隠すことに一役買っています。

 ここまでであげた作品を特徴づける要素は、逆に言えば、そのまま、この作品の作為のあり方そのものの体現でもあります。作為を埋め込むというやり方は、作者と作品との距離感、切り込む強度、作品や描写が生み出す力学に、つよく影響するように個人的には思います。主人公の葛藤がどういう形で顕在化させればいいのか? にはいろいろなやり方があっていいとは思いますが、今作の方向性でいくならば、僕はいつも、例えば次のようなことを考えてしまいます。この話は、とても単純な話をただ小難しくめんどくさく書いたものなのか? 小難しくめんどくさい表現でいない描き得ない話なのか?。これはもちろん極論であって今作に対する問いというわけでもないのですが、少なくともこうして抱いた問いに対する答えを僕は持ちません。境界を分けるのは、作為埋め込み問題に伴う印象の平滑化、技術でねじふせるか、さらに深層にいる作為でもって対処するのか? という使いものにならない一般論へと帰着するのみです。脱線しまくりですね。すみません。

最後に、僕にとって個人的に一番好きなところは
>そして賽銭箱の前で頭を垂れる玉置のその後ろ姿を、私は、とうに冬は過ぎたというの
>に雪の残ったような妙な木の陰のベンチから、あの頃と同じく、ただ眺めているだけな
>のだった。
でした。

 いろいろ書きましたが、発見があって面白かったです。ではでは。

ふく
126.33.66.223

カルネさん

読んでいただきありがとうございました。
小説以外にもいろいろ詳しい方なのでしょうか。端々からそう感じました。
おっさんずラブは不勉強で見ていません。でも面白そうだし調べてみますね。
ただ戦略かどうかという点においては、あまり狙ったものではありませんでした。元々設定として好きでして。例えば映画であれば『ブロークバックマウンテン』『モンスター』小説は松浦英理子さんに中山可穂さん、漫画も萩尾望都さんに、よしながふみさんと、好きな作家、作品はたくさんあります。ただ同性愛モノならなんでもいいという嗜好ではないので、近年のハードルが下がったことにより多数出てきた作品たちまでは手が及ばず、狙って便乗するほどの市場戦略は現在出来そうもありません。確かに、ごはんを食べるための商品を提供するためには現在の読者を想定しなければならないし、それを怠るのは小説というジャンルを勘違いしたまま胡座をかいている恥ずかしいだけの書き手に堕してしまいますね。気をつけます。

制約三条件について。深大寺は、おっしゃる通り、まあ現状ここでなくてはならないほどの舞台設定ではないですね。なんじゃもんじゃの木がある箇所ならどこでも成立してしまう。
ちなみ、これはすでに公募に出して落選した原稿です。その後自分なりに同条件のまま手直しはしましたけども。
こちょこちょと直してるうちに、やはりエピソードが増えてしまい、取捨選択出来ぬままご指摘の通り十枚の書き方ではないものになってしまったようです。
ご提案通り、一度枚数設定を取っ払って好きに描いてみて、自分の中でスッキリしてみようと考えています。

作品の動きについて。変化がないとのこと。他の方もそう指摘されていました。
告白については、確かに直接的な、第三者が聞いてもそれとわかるようなものではありませんが、小心なこの主人公ですので、これくらいでご勘弁を。玉置にしても、それに本当に気づいていないかどうかだけは解釈に委ねる部分にしておきたかったのですが、そこも力不足で上手く出来なかったようです。

『こころ』については、実は教科書に抜粋してあった部分の、Kが襖を開けこちらを見ていたというシーン、当時学生だった自分は、最高に切ないBLシーンであると読みました。もちろん教科的には誤読なのでしょうが、いまでもその解釈が読者にとっては一番得な楽しみ方だと密かに思っています。

カルネ
133.232.243.157

ああ、公募視野だったんですね。
それだとまず公募先が求めているものに合致していたかどうか、という部分も大きいでしょうね。

深大寺。そうですね、私の言い方もよくなかったかもしれません。
ただこの先、場所を指定しているような募集要項の場合は、読み終えたとき、そこに描かれている場所に行ってみたいぞ~っと読者に思わせるような作品になっている方が良いと思いますよ。

同性愛もの。すみません、私の方が知らないと思います。ジャン・ジュネぐらい?
ただふくさんがあげてくださった映画はどちらも観ています。私は「モンスター」良かったなって思ってます。某監督はなんであそこでレズになるかなと仰ってましたが、娼婦で男にあれだけ裏切り続けられたらそりゃ後は信じる相手は男以外になるだろうって思ったのでね(笑)。
あとは映画「ボーイズ・ドント・クライ」が好きです。これは性同一障害の女性の実話を元に作成されたものです。

告白について。ふくさんのこの作品において、別に主人公に告白させる必要はないと思います。
まずこの作品で大事にしたいのは「せつなさ」なんでしょう。
萩尾望都とあげているところから察するに「トーマの心臓」とかでしょうか。
あれも切ないですが、何よりトーマが自分の命と言う自己犠牲を払ってますからね。
そこから話がスタートしてるので、後はどう展開していこうともトーマの死と言う悲しみが常に読者の中に通底するという旨味がありますよね。

突然ですが。実は私、リアルでは中学の同級生の男子が性転換してまして。いや、本当です。
何を突然、そんなこと書くかな、と言えばふと彼のことを思い出して。
在学中、彼は相当過酷にいじめられていたようです。とはいえ、当時、私は別グループだったので、いじめの事は知りませんでした。まあ、いじめる方も周知の事実になるようないじめ方しないよね。バカじゃないんだから。ばれないようにやるわよね。
そんな彼の事で覚えていることと言えばおっそろしく寡黙だったことぐらい。存在感も無かったと思う。

それが十年以上経った同窓会に来たんですよ、女性の姿で。
ええ、とっても可愛らしくなってました。
そして私は基本、美人が大好きです(笑)。なのですぐ話しかけました。受付なので(笑)。
プレート渡すのに「卒業年度とお名前を」って(笑)。
で、「ええ!!」とびっくりしましたけど、それで、ああ、だからいじめられていたのか、だから一言も喋んなかったのか、と納得したんですよ。
「だって、喋ったらバレちゃうって思ったんだもーん」とくねくねしながら言う彼女(彼)に、いや、黙っていてもバレていたから、あんた苛められてたんじゃないの?って思ったけど、口には出しませんでした。
そのあと、色々話す中で、学校ではクラスの男子からは苛められていたこと、父親は最近亡くなったけど、父親だけは知らないまま死んだので、それは親孝行したのだと自分としては思っていること、母と妹は知ってること、などを教えてもらいました。
そして今は普通のスナックで働いていること。「普通」というところをとても強調していたのが印象的でした。
まあ、そうよね。スナックと言っても新宿2丁目じゃないところで働きたいよね。だって女子になったんだからさ。
これからの女子人生に幸あれ、ですよね。

で、まあ、ふくさんのBLはそういうのとはまた違うんでしょうけど、でもみんな誰でもいろいろ抱えてますよね?
そういうのが複雑に絡み合っている中で人格って作られてゆきますよね?
ドラマでも映画でも小説でもマンガでもそうですよね?
綺麗で美しく見せるので良いと思いますが、しかし心の中には情念があると思うんですよ。
その片鱗、一瞬の残酷さ、そういう毒をちょっと混ぜるだけでも随分、違ってくると思うのですが、どうでしょうか。

ふく
180.199.129.128

弥々丸朗さん

読んでくださってありがとうございます。
また読んでいてひしひしと伝わってくる書くことへの熱量。勢い。
心地いいし、また背筋が伸びる思いでもありました。
沢山のクエスチョンにはすべて答える必要はありません。おっしゃる通りですから。そもそも「筆力」なんて大層な言葉を持ち出せるほどの位置には自分はおらず、ヘタクソであることも間違いありません。
ただ執筆の狙いには、制約に負けたとは書いていませんし、自分もまったくそのつもりはありません。しかし、読み手にそう思わせてしまう、想像させてしまう自作の迂闊さがそもそもの原因なのでしょう。また無自覚さや無神経さが、時に苛立ちさえ覚えさせてしまうのかもしれません。BLを見下してる、いかにも文学ズラした無神経でヘタクソさに無自覚な書いた小説なんて誰も読みたいと思うわけがないですよね。

自分は今作をBLと差別化したかったという思いはありません。松本清張も夏目漱石もキャラクター付けですし、そもそも作者である自分には読書の趣味とその知識しかないので、怠惰な自分はその世界でやりくりしようとし必然的にそれらを使うことになるだけということ。ただ嵩張り枚数を割いているのは確かなので、10枚という制約の中ならもっとスマートなやり方があったかもしれませんね。

ガチャガチャしているというのは、おっしゃる通りで、これは今作だけに関わらず以前からの悪癖で、書く際には注意しているのですが、どうも。
そもそも書きながら、また直しながら浮かんでくるアイデアを全部離したくないのだから始末に負えないですよね。自作に近視的になりすぎ、過保護な親みたいに。十枚なんて一気に書ききれ、という意見が最も腑に落ちました。

弥々丸朗さんのくださった熱のある文章の返信に、特に言い返すこともなく、もしかしたら物足りなく感じられるかもしれませんね。それよりも、作品同様、訳知り顔の見栄っ張りないけ好かないものになっているかもしれませんが、おっしゃる通りだと思うので仕方がない。
客観的な視点を得ることが出来ました。ありがとうございました。

ふく
180.199.129.128

ペンニードルさん

読んでくださってありがとうございます。
ただ、気味悪い思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。単純につまらないと感じさせるよりもタチが悪いですね。
恋に恋する中年に、うわっ、となる人が世の中にはたくさんいるという想定を対策し書いてないのが、うわっとさせてしまう原因の一つで、それは書き手として怠惰です。しかしまあ最大の原因は根本的に出来が悪いことになるのでしょうけれど。
一人称とモノローグをごっちゃにして考えることはないですが、読者は他人の自分語りに興味ないというご意見は、面白くない自分語りにという意味でまったくの賛同をします。
あまり良い読書体験を提供出来なかったのに、わざわざ書き込みありがとうございました。参考にさせていただきます。

ふく
180.199.129.128

Nさん

こんばんは。
読んでいただきありがとうございました。

作為の埋め込み方ということに関してとても興味深く読ませていただきました。
普段あまり意識して書いたり、思考を巡らせたりはしないのですが、今回自分なりに少し考えてみたところ、やはり他人から与えられるものよりも、自分で発見したもののほうが愛着が大きいという単純な答えに行きつきました。もちろんフィクションはどこまでも作為から脱却できそうにないので正確には、発見するように差し向けられた、ヤラセじみたものではあるのかもしれないけれど。でも、その先にある読者の発展はいつもまさしくその人の達成であると思います。
単純さと小難しい表現についてのジレンマについては、今作品においては悪い意味で前者に堕しているような気がします。

ちなみに母親が子供の頭を小突いている遠景は、自分としてもわりと気に入っている部分なので、挙げてもらって嬉しいです。また一番好きとおっしゃってくださった箇所も、タイトルと内容を象徴するような文章ですね。褒めてもらった部分に対する返信なんてカッコ悪いですが、聡明なNさんと上手く会話を嚙合わせられるようなところがなくて……
自作について思考を巡らせるきっかけをいただきました。参考にも励みにもなりました。ありがとうございました。

香川
27.95.81.7

読ませていただきました。

全体に落ち着いた筆致で淡々と描かれていますが、その淡々とした中に語り手の心情を滲ませることができているように感じられました。
同性愛に対する不寛容さがセリフや語りの節々に感じられるけれど、一方ではそれと真逆の不穏な雰囲気も持っていて、語り手がその狭間のジレンマに苛まれていることが伝わってきました。
ホモフォビア、というと言い過ぎでしょうが、そういう社会に属していながら同性に惹かれてしまっている、という自身への戸惑いや背徳感が滲み出ているというか。
はっきり書かずにそういうことを表現できるのは手練ている方だからだろうなと思います。
 
ただ、上記に書いたことは読む前から同性愛モノだということを私が知った状態だったからかもしれません。

それは置いておいて。
よく練られた作品であることも分かりました。
さり気なく紹介される語り手の職業も、『こころ』BL説とそれに対する玉置の反応も、高校生の頃の図書館でのことも、全てきちんと物語の中で機能していたと思います。
正直、10枚という分量でここまでしっかり練った作品を作るのは自分には無理だろうなと思いました。
 
気になった点は主人公の語りによる解説的な部分から動作や現在の状況へ切り替わる時の不自然さ、でしょうか。
分かりにくい書き方になってしまってすみません。
具体的に言うと、特に2ヶ所、読みにくいなと思ったところがありました。
 
1つ目は「高校卒業後、別々の大学へ進学してからも〜」から始まる、その後の2人の関係と、一緒に深大寺へ来ることになった経緯の部分(これをこの短い文章の中で伝えられるのはすごいなと思います)。
そこまでは回想というよりも語り手による解説という雰囲気で時間軸自体は現在の深大寺に置かれているように感じられていたのですが、
急に「気がつくと携帯電話を肩へ挟んだまま〜」と過去の語り手の動作が入ってきてしまうので、時間軸が動いてしまったような違和感がありました。
そこからは回想っぽい書き方になっているような気がするので、ここの「解説」→「回想」の転換の部分を少し見直されるといいのかなと思いました。
 
あとは植物園に移ったところ。
ここもちょっと分かりにくかったです。
やはり同じようなことなんですが、薔薇の棘が刺さったところから始まるこのシーンの時間軸は、この棘が刺さった場面に置かれているはずですよね。
それで、そのシーンに至るまでの説明がなされているわけなんですが、その説明が終わって現時点へ戻ってくるのがどの部分なのか、初見ではなかなか判別しずらいというか。
ですから、私はまた解説的な書き方の後、男の子を見にしたという動作を示す文が出てきた時点で、現在へ戻ってきているのかと思ってしまい、少し混乱したんです。
読み進めればすぐにどういうことか分かるのですが、やはり読みながら自然と理解できるように工夫された方がいいのかなと。
 
上手く伝わったか分からないのですが、ざっくり言うと、解説的な書き方と回想的な書き方がまぜこぜになっているので読みにくい、という印象だったんですよね。
たぶん、お上手なだけに修正も難しいように思うのですが…。
 
あとはすごく抽象的な表現になってしまって申し訳ないのですが、文章全体が、少し低体温というかそんな印象を受けました。
恐らく、諦めが先に立ってしまっている状態での語りなのでこういう感じになっているようにも思うのですが、
個人的な好みで言うと、もう少しエモーショナルに書いてあった方が読んでいて心地良いです。
それと関連することですが、玉置の人柄ももう少し伺えた方が良いように思いました。
 
色々書きましたが、とてもお上手な方だと思います。
 
ありがとうございました。

ふく
180.199.129.128

カルネさん

確かに、運営が求めているものをという意識は少なかったと思います。
公募で狙っていくなら大前提として、まずそれを念頭に置く、そういった視点も確かに必要ですね。反省します。

同級生さんのお話、興味深く読ませていただきました。幸あれ!

ふく
180.199.129.128

香川さん

読んでいただきありがとうございました。
落ち着いていて、低体温。この二つで地味なのだとしっかり伝わりました。嫌味や皮肉ではなく、自覚あります。
また、努力して読めばわかるのだけれど、ところどころでつっかえてしまったという読感だったと思うのですが、それは企んだものではなく、単に下手なだけでして。鍛練所という場所柄、勉強のため、なんとか読み進めてはくれますが、一般の人の、趣味としての読書なら、そこまでして読んではくれません。文章の不親切さに関しては申し訳ない気持ちでいます。

それらに関して具体的な箇所を挙げてくださったのは、大変参考になりました。
特に「気がつくと携帯電話を肩へ挟んだまま〜」と過去の語り手の動作が入ってきてしまう、という部分に関しては、とても分かりやすく解説してくださったので、さっそく手を加えることが出来そうです。

語り手から諦観を感じるというのは、よく皆さんから指摘されることです。時には意識して書いてみないといけないとは思っていますが、それが持ち味とおっしゃられる方もあるので、手探りではありますがいろいろ挑戦してみようと思います。
ただ、香川さんが最後に指摘された通り、今作の玉置のような位置の人物の内外が、読者にもっと印象的でわかりやすく書かれるべきだったのかもしれません。
率直でいて、温かみのあるご感想ありがとうございました。参考にさせていただきます。

二月の丘(←今月分のHN)
219.100.84.36

内容についてゆけなくて、中身までは見れなかったんです。。

冒頭っから、なんだかもう猛烈に「詰め込みすぎ」で、、、
自らも「詰め込み限界値で、蘊蓄満載世界で窮屈」を自覚しているワタシがそう思って脱落するぐらいだから、
これは「相当」です。。(ごめんね…)


『深大寺』は・・
ワタシも以前、土地勘も予備知識もまるでないまま、テキトー極まりない原稿を送っちゃって、赤っ恥かいたんですけども、
「まるでない」自覚があったんで、「齟齬が生じないよう、ピンポイントに絞る」作戦に出て、場所を「植物園の池の端のベンチ」に限定した。
どこの植物園にもまあ池とベンチはある・・だろうから。。



この原稿の場合、目を引くのは、冒頭の「なんじゃもんじゃの白い花」。
しかし、「深大寺に隣接する植物園」ってなってしまう。
その植物園は・・「神代植物公園」だと思うんだけども、
深大寺に隣接してはいない。
そんで、「都心から深大寺に向かうバス」ってあるんでしょうか??
(三鷹からバスが出てるんですが、三鷹は・・地下鉄東西線の端っこ)


自作アホ原稿書いた後に、現地行く羽目になって、ちょっと見て来たんですけども、
深大寺の裏庭?が「歩きたくなる道」で、実に自然豊かな探索路なんで、境内で参拝するんなら、植物園には行かないで、深大寺周辺をそぞろ歩いた方が、展開としては自然なんだと思います。
(って、自分じゃあ植物園ネタで書いてて言うのもナンですが〜)

二月の丘
219.100.84.36

リトライはしてみたんだけども・・ダメだった。
個人的に、興味持った対象である筈の「花」が、まったく見えない。

なんじゃもんじゃの様子(描写)が皆無であるし、
植物園と五月のバラが、なんかもう、致命的におかしい。


>楽しみにしていたバラ園の、敷き詰められた花弁たちがまだまばらにしか開いておらず、

>一人の幼い男の子がなにやら花壇の前を這いまわっているのがすぐ目についた。次の瞬間にはもうその隣へ玉置がしゃがみ込んでいて、一緒に地面へ落ちた蕾を拾い集める遊びに加勢していたのだった。そして案の定、刺で指を切ったというわけである。

>バラの花言葉は【情熱的な愛】で有名だが、蕾にも違った意味がある。バラの蕾、花言葉は【愛の告白】

>白いバラの花びらだった。先ほど玉置と一緒だった男の子が、幼児特有の甲高い声をあげながら、集めていた花びらをまき散らし駆けていったのだ。


↑ 全部、ありえなくない??
猛烈にありえない。
バラ好きほどその違和感に白け、どんびく書きようになっちゃってるから・・
「いい加減なこと」は、ばっさりカットした方が、はるかにマシ。


植物園の、春のバラつったら、どこでも「見物は断然アレ!」なんで・・
どこのバラ園でもイングリッシュガーデンでも、ホームセンターのバラ苗売り場でもいいから、いっぺん実際見てみれば、
「分かる」と思う。。

二月の丘
219.100.84.36

三度目の正直で、時間おいてトライしてみたんですが・・


これ、「投稿原稿そのままじゃなく、適当に加筆と改行したカタチ」なんでしょうか??

鉤括弧で括られている(わざわざ切り出されている)台詞が、
ほぼ「要らない」状態で、
しかも、「一々そこで改行されてる」から・・


その無駄台詞(失礼…)をほぼカットして行詰めて、
それによって出る紙幅で、
「学生時代の恋のエピ」をありありと描写するべきなんじゃないのかなー。



ってか、もうどうせ失礼発言三昧のダンゴレスなんで、ぶっちゃけて言っちゃうと、
「井上荒野先生による、公募にあたっての心得」を、
作者さん、「真剣に熟読してはいない」よね??

あれを3回ぐらい熟読して書いてる人は、
「無駄台詞と、それに伴う無用改行は徹底排除してる筈」だから。。



ぶっちゃけて、そこはごめん。

ふく
180.199.129.128

二月の丘さん

返信遅くなってしまって申し訳ありませんでした。しかも三度も挑戦していただいたとのこと、いろいろ不快な思いをさせてしまったかもしれません。すいませんでした。
執筆の狙いに書いたのですが、読むのをやめてしまった方については、その部分を教えてくださるだけで十分参考になるのに、読んでいないのにも関わらず、こんなにも沢山のご指摘、ご指導、ありがとうございました。
また世の中、小説を順に読んでいく人ばかりではないということも思い出すことも出来ました。
物語はすべて結末をチェックし、ハッピーエンドであることを確認してから観たり、読んだりするのだという人もいました。

深大寺については、実際には行かずに書きました。植物園はグーグルマップで確認し、隣接と表現しました。バスについても同様、インターネットで調べて書きました。
台詞やその改行については、仰る通り、投稿後の原稿から手を加えました。ネット応募の原稿フォーマットでは、四百字詰めの十枚ではオーバーしてしまいます。なので応募原稿は九枚と少し。そこへ自分なりに、このページでの読みやすさなどを配慮して改稿しました。なので応募したものは、おそらくこの原稿よりもぎゅうぎゅう詰めという恐ろしいことに。
台詞の内容について、無駄であるとほとんど読まなくてもそう感じさせてしまう、読む気を起こさせない派手さのないものばかりですね。退屈させてしまい、申し訳ありませんでした。

なんじゃもんじゃの描写については、本作内、ゼロを意味する「皆無」ではないのですが、興味をない読み手にとっては同じこと。魅力の感じない作品の文章にわざわざ想像力を使ってまで読みませんしね。そもそもの「掴み」ということに関して見直してみようと思います。
また薔薇についても勉強して、いろいろ分かるようになりたいと思います。ありがとうございました。

「井上荒野先生による、公募にあたっての心得」については、応募に向けて書く前にも、推敲途中にも再三再読しました。
当たり前のことしか書いていらっしゃらない。読んでいるときはそう思っていたのに、いざ書いてみるとそういかないものなのですね。謙虚に精進したと思います。

三度も挑戦させてしまって申し訳ありませんでした。おそらくちゃんと読んでも二月の丘さんには得るものはないでしょうし、またそれについて書き込みをさせてしまうのも同様だと思います。
いろいろ参考にさせてもらうことが出来ました。ありがとうございました。

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