作家でごはん!鍛練場
えんがわ

福寿草特別 C2

 ポテトフライを食べる。心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。コロッケはすり潰したジャガイモを揚げたものだが、こちらはゴツゴツとしたジャガイモがほくほくとした食感となっている。上品ではなく、荒々しい。かけられたソースは安物で物足りない量だけど、それがしみじみと浸みる。
 食べた後の発泡スチロールの四角い皿をゴミ箱に入れようとしたら、離す寸前に寒風にさらわれ、露店の集まりの方まで持っていかれてしまった。盛況とは言えないが、程々の密度の往来はみな、それを気に留めない。おでんやモツ煮をつついたり、新聞とにらめっこしている。このままでもいい、誰にも文句を言われない、とわかっていながら、半ばヤケな気持ちで風に飛ばされたゴミを追う。

 浦和競馬場は南浦和駅から徒歩十五分、送迎バスならばその三分の一のところにある。インターネットによる馬券購入などで、地方競馬は再び収支は増加傾向にある。嘗ての地方の場末での、寂れて廃れていくイメージとは遠くなった。しかし、必ずしも地元の町興しとして歓迎されてはいないように思う。駅から出て、まず見えるのが東京には及ばないものの地方都市としてまずまずのビル街、駅横の大きめのタコヤキ屋。焼きの甘いせいか、皮がぐしゅぐしゅしているそれを突つきながら、駅前の商店街を行けば、街頭に取り付けられているのは「浦和レッズ」の赤いエンブレムの旗。定期でやって来る浦和競馬場直通のバスの案内は、小さな板切れ一枚のため見過ごしてしまい、道を迷った。
 しかし頻繁にやって来る無料バスの乗客は多く、古い内装のバスにこれまた使い古されたような服の中年男が一杯に詰まり、椅子は全て埋まり、立たなければならないほどだ。今日は平日。一月九日水曜。第62回ニューイヤーカップが行われる日だ。そのレースは地方重賞に当たるSⅢで浦和競馬にしては大きめのレースだ。

 バスは目的地に到着し、おじさんらは無言でそぞろ歩きする。立ち読みしていた「名馬を読む」をバッグにしまい、その流れに混じる。バスを出ると競馬場がある。東京の府中のように入場チケットをどこで買おうか迷っていると、みな購入する素振りもなくゲートを通っていく。良く見ると、百円玉をチャリンと入れると、そのまま駅の改札のようなゲートを通れるらしい。それに倣う。

 競馬場に入ると直ぐに馬にお目にかかることになった。パドックだ。レース前の馬たちがお披露目される小さなトラックのような円形コースだ。馬の状態を直前で見て、賭け主が馬券を購入する判断材料となる。馬が厩務員に引かれてパカパカ歩く。ときどき馬糞を落とす。それを直ちに掃除する係員は、中央競馬とは違ってそこにはいない。馬糞を厩務員はひょいと避けてコースを回るが、馬たちは構わずにその上を悠然と歩いていく。客との距離も中央の競馬場よりも近く、集まっている人の数も少なく、最前列に立って間近で馬たちを見ることが出来る。寒空に手をこすりあわせながら、地面を踏みしめ続ける馬を見る。どれも良く見える。改めて眼の前に来ると「大きいなっ」て思う。馬鹿みたいだけどそう思う。四百キロを超えるサラブレッドには、生命のパワーのようなものの詰まり方が人とは違うように思う。どの馬も本に出てくる名馬のように見える。テレビ中継では解説者がしたり顔で、「この馬は歩様が」とか「イレコミが」とか言っていて、それを聞いていると自分も同じように競馬を分かったような気がする。しかしここで、馬と一対一で面してみると、自分の見る目の無さを実感する。この中に何十億と稼ぐオグリキャップが混じっていても、名前が示されなければ自分にはわからないだろう。いや、馬どころか人も見る目もない。なんというか、物事を見る目も、場所を見る目もない。その目は曇っている。輝いていれば、新年早々、こんなところには居ないはずだ。
 ポテトフライを買いに、露店の集まりに向かう。二百円ちょっとだった。


 競馬場の建物内には、馬券売り場とちょっとした売店と観覧席がある。中央競馬の府中などはとても綺麗で清潔感があって、それこそデートだったり子供との家族サービスに使われそうな雰囲気があるが、どうも浦和競馬のそれは加齢臭がする。年季の入った地方都市の駅のホームのような、決して汚くはないが、拭えない庶民臭さが満ちている。ただ、それが心地よい。地味な、妻に買ってもらったようなそういう値引きされた感じのジャンパーやズボンを普段着で着こなしているおっさんらと調和して一つの空気を作っていて、「ああ、自分もその一員になってしまったんだなあ」と思ってしまう。それだけ、その安っぽさが心地良いのだ。場内を見て回ったのは、それもあるだろう、また外の寒さ、今日は特に風が強く芯に来る、を避けたい気持ちも手伝ったのだろう。思ったよりも長くなり、レース発走が近くなってしまった。投票締め切り四分前のアナウンスがあり、走れば外のゴール前で観れる、のだが怠惰が勝ってしまった。もう何時の間にか興奮に急かされ走る年でもなくなっていた。建物内の三階から、コースに面した全面のガラス張りの窓を通してレースを見る。アナウンサーが実況をするが、どうも音響が悪いのか、妙にかすれて遠くから聞こえている。コース全体を見下ろしていると、熱は冷め、子供の運動会の徒競走を見つめている気分になる。秋の日の当たる小学校で、赤白帽に短パンで、走る背の低い我が子。運動神経の鈍さは遺伝しなかったらしく、八人中の二番目でゴールした。二着の旗の前での笑顔に、なにか自分自身のあの頃がピカピカに磨かれて帰って来たような。微笑ましく、誇らしい気持ちになった。その子と会うことは、もう無い。
 誇らしい気持ちは無いけれど、妙ににこにこしてしまうような真剣な遊戯を見ているような楽しいレースだったような気がする。もちろん見ている自分だけだろうけど。場内は静かで、窓で隔たれているせいか、野次も応援も飛ばずに、むしろ平常よりも静かに終わった。レース直後に「当たった当たった」と誰も聞いていないのに、繰り返しながら払い戻しに向かうおっさんがいた。濃紺のジャンパーを着た、なんだか呑気そうな背中だった。

 イベントとして用意されたトークショーがあった。メインレースであるニューイヤーカップの予想だ。おっさんらに囲まれた女優は、少し美人な肌の白い何処にでもいそうな、でもアイドルとしては年をとり過ぎた顔だった。予想をクイズ番組に良くある紙に書こうとして風にあおられ「すいません」と言いながら、でも周りは迷惑そうにも、さりとて楽しそうでもなく、まるで観葉植物のようだった。

 焼き鳥を買う。レバー百二十円。ボンジリ百二十円。注文してから網で焼く。たとえ二度焼きだろうが、目の前で肉が煙をたてるのが嬉しい。レバーは臭いがきつかったが、ボンジリのかりかりとした葉応えある食感は、なかなかだった。


 メインレースの二走前。福寿草特別のパドックを見つめる。一番レインボーシャトル。二番エリノブリザード。眼の前に映るそれは凛々しく賢そうで、それこそ観客一杯の中央競馬の芝の上を駆け巡る馬らと変わらないように思える。冬だから毛は艶の良さはないが、年季のこもった歴戦のツワモノって感じがする。どの馬も良く見える。それなのに、ふとしたことか、どうしたことか。

 黒毛の馬に、心を掴まれた。

 正面から見た時に前脚の、首へと至る胸にある筋肉が隆々として力強かった。黒い姿が、陰影をよりはっきりさせたのか、他の馬よりも明らかに厚みのある立体的な姿をしていた。首を大きく動かすこともなく、歩様も穏やかなほどにゆっくりで、しかしはっきりした目は前を見据えている。特別に大きな体ではなく標準的で、しかし如何にも筋肉が締まっている印象を持った。柔らかな背のライン。七番の馬だった。
 電光掲示板を見る。三連単、レースの一着、二着、三着を順番通りに当てる投票方法。その三連単の人気上位のオッズが並んでいるが、その中に七の数字はない。上から眺めたが、最後までない。パドックの奥の巨大な電光掲示板と、離れて奥へと向かう七番の馬を交互に見つめる。掲示板の表示が切り替わった。7番、ミスターソウルマン、場体重マイナス8。オッズは単勝94倍ほど。百円で一万円が帰って来るオッズ。万馬券にも近い大穴だった。
 それを知った時、この黒い馬は単なる凡馬になると思った。人気薄の穴馬。色あせると思った。そしてその馬を確かめると、しかし存在感はより増し、ただ走りそうだった。それはどんどんと大きくなっていく。投票の締め切りは近くなっていく。ずっと七番を見つめていた。

 本当はメインレースまで馬券は買わないはずだった。買ったにしても肩慣らし程度にするはずだった。だが、この気持ちを裏切っては嘘になる。この時を逃したら、ここに来ている意味がない。出会いに意味があるとしたら、この出会いにはきっと。

 無我夢中で馬券売り場へと早足で向かい、一万円の七番の単勝を買った。七番がトップでゴールすれば、百倍の百万円。景色がドンドンと過ぎ、頭は一点に集中し、記憶をとどめず、ただ機械的に動いた。そのまま駆け足で再びパドックに向かい、号令がかかるまで七番を見つめ、騎手が向かうと、その青一面に黄の横縞が走ったレース服を頭に焼き付けた。そして馬がコースに向かうと、直ぐにゴール前に陣取るように立った。

 興奮して寒さを忘れる、とよく言われる。しかし実際はそんなことはなく、ただ寒かった。冷たかった。手はかじかんでジャンパーのポケットに入れながら、手袋はすべきだった、無くても軍手でもと、ちりちりとした。耳や顔も寒気が刺さり、特に風が吹くと上半身全体に寒さが服を透けるように浸みた。風は吹きっ晒しの遮蔽物のないここでは容赦なかった。投票締め切り二分前のアナウンスから一分前のそれまでの時間が、ひたすら長かった。馬券が当たったら、百万円を手に入れたら、何をしようか。考えていた。百万円で何を買うかよりも、それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。そんなことを。だけど、とにかく寒さが厳しく、早く終わらないか。そう、思考は沈んでいった。

 ターフビジョン、ゴール板の後ろにある大型モニターに、チェスのナイトが映り、虹色のデジタルな線が突っ切り、プロモーションビデオのようなものが映った。それから少し。画面にスタートのゲートが映され、いよいよレースが始まろうとしていた。スタートは遠く、肉眼ではどれがどの馬だか良く分からない。まずスタートして、ゴール前のここを通り、コースを一周して、最後にここゴールを目指す。短い旅が始まる。集まった十数人たちと一緒に、ただ始まりと行く末を見守る。

 レースが始まった。スタートした。ゲートが開いた。七番の馬は明らかな動きをした。
 スタートが鈍い。その後の加速も鈍い。どん尻につけた。馬が車のように突っ切る中、最後に青の服が通った。向こう正面、はるか遠くに、レースの中盤になっても七番は後ろだった。「勝てない」。レースの山場前にわかってしまう。燃え立つこともないまま、挽回することもないまま、レースは進行していく。この寒空の空気を真っ向に受けて騎手は己の背よりも高く、高速で揺れ動く視界を見つめる。汗でびっしょりと背中を濡らしながら、鞭を振りかざす。そのような熱気あるシーンも、車が通り過ぎるのを遠くから見守るように、ただ滑らかに穏やかにゴール前の自分の目を駆けて行った。勝てなかった。虚しさや悔しさよりも、ただ「当然そうなるよな」という思いが一杯だった。風が冷たかった。

 メインレースのニューイヤーカップになると、ゴール前には妙に頭が出っ張った本格的なカメラを携えたファンが、十人ほど陣取った。レースの第三コーナーを過ぎると、競馬記者専用のコースとゴール前の観客の間の、排水溝があるスペースに、ずらりと報道陣が並びシャッターを切っていた。予想は随分と気軽なものになっていて、金額も五百円だったが、やはり当たらなかった。結局はどこでどう賭けても同じだったのだろう。つっつるてんだ。レース後に、随分と若い二人連れが、「盛り上がらないなー」と言った。確かに、興奮と野次の飛び交うあのお馴染みの競馬シーンとは遠いものなのだろう。出汁の薄い塩ラーメンをふうふうして、競馬場を後にした。

 賭けには応えられなかったが、まだ七番の素晴らしい筋肉の固まりだと思った、前脚から首にかけてのあの盛り上がり、馬体のライン全体の美しさを忘れられない。レース結果を見て、それこそ見た目だけだったと思う筈なのに、頭に浮かぶのはその筋肉が躍動しトップでゴールを目指す姿なのだ。それは恐らく最下位に終わったこと。最後に印象的に砂を蹴散らすのでもなく、淡々と、でも確かにゴール前を通り過ぎた姿を見たからかもしれない。
 浦和競馬の常連になることはないだろう。だけど、これからの人生の節々も、様々なものを賭けるだろうし、それは決して日の当たらないもので、賭けがはまって当たることも少ないだろう。でも、今の何処かすがすがしく、何かを失い、何かが満ちた思いは、きっと嘘をつくことはないだろう。肌に染み入る残念感。敗者の道を寒いけれど、ゆっくりと駅のホームへと歩いていく。

福寿草特別 C2

執筆の狙い

作者 えんがわ
165.100.179.26

よろしくお願いします。

コメント

偏差値45
219.182.80.182

内容のわりに長いかな、という気がしました。
この半分でもいいかな。物語には適正サイズがあると思うからです。
あまりストーリー性はないですね。日常の内容だから。
ちなみに私は競馬を知らないし、賭け事もしないです。
だから競馬そのものには興味はないけれど、競馬文化には興味はありますね。
しかしながら、そういうものは、実際に経験しないと実感できない。
活字化された内容では満足できるものではない。
たとえて言えば、浮世絵が素晴らしいと力説した記事を読むよりも
実際、美術館で観た方が良いという理屈が成立します。
しかしながら、なかなかそこまで行く勇気もなければ行動力もない。
あえて言えば、この種の創作物は、競馬場に行ったことがない人が
行きたくなるような読み物になっていれば成功かな、とは思いますね。
それに付随して、フライドポテトやたこ焼きというエッセンスを盛り込んだり、
嘘でも良いので、そこで楽しんでいる人々の姿を描けたら面白いものになるのではないか、
そんな気がしましたね。

> ポテトフライを食べる。心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。コロッケはすり潰したジャガイモを揚げたものだが、こちらはゴツゴツとしたジャガイモがほくほくとした食感となっている。上品ではなく、荒々しい。かけられたソースは安物で物足りない量だけど、それがしみじみと浸みる。

冒頭、よく分からないかな。ポテトフライとフライドポテトの違いはなんだろうか?
同じなのか。そこから疑問がありますからね。その後、串に揚げ物が刺さっている?
揚げ物に串が刺さっている、ならば分かるのですが……。日本語は難しいですね。
さらにソース、、、、よく分からない。そのような食べ物は食べ事がないです。
フライドポテトならばケチャップか塩ですからね。またはマヨネーズかな。

加茂ミイル
223.218.110.173

> ポテトフライを食べる。心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。コロッケはすり潰したジャガイモを揚げたものだが、こちらはゴツゴツとしたジャガイモがほくほくとした食感となっている。上品ではなく、荒々しい。かけられたソースは安物で物足りない量だけど、それがしみじみと浸みる。

この冒頭、とてもいいと思いました。
情景がありありと浮かぶようで。
熱を芸術的にとらえた一コマだと思います。
直感で書かれたのか、それとも計算して書かれたのかは分かりませんが、
多くある名文の中でも、一際優れた名文の態をなしているように思えます。

弥々丸朗
106.161.224.87

そもそも上手な書き手さんという印象は個人的には持っていないんですけど、それにしてもこんなにヘタクソだったとは、という驚きがすごいです。

お正月に酔っ払いながら書いたらしいことを前提に手加減して眺めておくんですけど、それにしても助詞の選択とか何しろめちゃくちゃで気持ちが悪いし、一文を構成する言葉の配置こそめちゃくちゃだからほら、偏差値にすらつっ込まれる始末でしょ? 格好悪い。
何しろ編集がタイトじゃないし、比喩表現のハマりが悪いとかそういう以前に何言いたいんだかわかんないところ多過ぎだと思うんですよ。
それって、失敗とかそういう範疇にも収まれないただの”ヘタクソ”とか”センスない”ってことだと単純に思うんですよね、個人的には。
書き出しから頓珍漢だから、全編疑いの目で読まされることになるんですよ。つまり、このおハナシは最初の一文ですでに終わってる。期待を持って読み進める対象としては、ってこと。

書けない人が、”小説っぽく”書きたがるとこうなる、の典型だと思うんです。
とにかくダサい。

わからないなりにも、何書きたいんだか全然わかんないで書いてるでしょ? それって、おハナシ全体を眺めてのことではなくて、一文一文それぞれに区切ってのハナシなんで、勘違いしたらダメですよ?
誰だって、思うことを如何に的確に言語化できるのか、最適な言葉を探し出せるのか、常に闘いながら書いてるはずなんですよ。それって、まったく当たり前のことなんですけど。
だからこそわかることって当たり前みたいにあると思うんですよ。

欲求が鈍いです。
書きたいと思ったことに対して、あてがってやれる言葉を探す精度も熱意も絶望的に低いとしか思えない。
低い以前に、目標をそもそも知らないのかと思えるくらいの拙さってことでもいいです。
書きたがる人、とくくるにはあまりにもミジメな表現の連続。ほとんど情けない。


黒いウマ、何なんですか?
おハナシの中で示したいものの、何か象徴のようなものにちゃんと置き換えられてますか?
あたしはそんな雰囲気に書き手が何となく仕立て上げたつもりになりたがっただけのずっこけた文章にしか読めなかったです。


口悪いついでにせっかくだからおハナシにはめっちゃ関係ないけどあなたにはまったく大切なこと指摘してあげるよ。


>黒い姿が、陰影をよりはっきりさせたのか、


言いたいことはわかるけど、わかるっていうのは”ヘタクソ”ってことだから勘違いしたらダメです。
黒いのに陰影ってなんなの?
陽射しに反射する毛艶が生み出すコントラスト、そういう立体感のこと言いたかったんでしょ?

あたしが何言いたいのかわかりますか?

あなたは、あなたが書きたがっているはずの文章っていうそれに肝心なツボのようなものに対して鈍感すぎるんですよ。
違うな、やっぱり欲求が低すぎると思うんですよ。

あなたは違うと思っても、これはあたしが思うことなので絶対と言う意味で言っておきます。
”コントラスト”っていう対して珍しくも何ともないワードを思いつけるかつけないか、その差は単純すぎるくらい大きいと思っているんです。
あなたは文章以上に言葉一つが引き締めてくれる景色っていうものを知らなすぎなんですよ多分。
”コントラスト”っていう当たり前みたいな単語が引き締めてくれる文章の価値のようなものを、あなたは恐らく知らない。
意識しようとしていない。
”編集がタイトじゃない”って先にいったのは、文章の長短とかそんな単純な意味ではなく、あたしは”効果”とかそっち向きの意味に余程近いもののことを言っているつもりですし、そういう意味だと勝手に思って実践してます。


”小説っぽく”ってことも先に言いましたけど、つまりそれもまったく同じことです。

あなたは下手のクセに、”小説っぽい”と思うらしい言葉を探し回るばかりで、自分が書きたいはず、書かなければ意味がないはずの言葉にはまったく目を向けようとしていない、気を配ろうとしていないように見えて仕方がないです。


そうして、おハナシそのものも鈍くなる。


何だか俯き加減のようなことをさも殊勝なようにまとめたらしく終わらせたみたいなんですけど、ちゃんと自分で読みましたか?
客観的にですよ? 
自分突き放してですよ?



あなたは文章以前に言葉をちゃんと意識したほうがいいと思う。
まずはそれをしなければ、その後に生まれてくるはずの文章を大切に思い遣ってあげられないです多分。
言ってることわかんなくてもいいです。

でもあたしは知ってるつもりだから言っておくんですけど、書き進める中で、強烈に主張してくれる言葉、ドンと座ってくれる言葉っていうのは絶対にあるんです。
それを見つけられると、絶対にその価値を、自分ばっかりのものだって全然構わないその価値を絶対に裏切れなくなる。裏切りたくなくなる。
その言葉に最適と思える自分なりの文章の中に、それをちゃんと据えてあげたくなる、っていうかそうしなければ気が済まなくなる。
それが出来ないときに、筆は止まるんですよ。情けなくて。


おハナシなんてどうでもいいです。
まずはそれを書きたがる言葉そのものに、あなたがヒラヒラと書き潰すだけの言葉そのものに熱を感じないです。
何なら俯き加減の言い訳がましさをまるでわきまえらしく勘違いしたような自惚れ、意気地なしみたいな覇気のなさばかりが伝わってくる。


ぽいぽいと中途半端なことばっか書いてないで、ちゃんと大切なこと書いたほうがいいんじゃないですか。
思いついたのなら、もっと腰を据えて言葉をちゃんと眺めたほうがいいんじゃないですか。

えんがわ
165.100.179.26

偏差値45さん

あっ、はい、ありがとうございます。

>この半分でもいいかな。物語には適正サイズがあると思うからです。

自分にとって意外なコメントで、驚きました。
もうちょっと描き込んだり、説明を加えないといかんかなと思ってたんで。
半分はキツインデスケド、視点を絞って、重りを減らせば、また味が出るんでしょうなー。うーん。ムズイ。

>あまりストーリー性はないですね。日常の内容だから。
日常という言葉を引き出せたのは、嬉しいんです。正月明けの平日の競馬場を書きたかったから。
ただ、日常とストーリーは両立するはずで、そういう本は沢山あって、この域にまで行けなかったのは力不足です。
余り派手にしたくは無かったんですけど、流れみたいなのを感じられる文章に出来たらな。


>競馬場に行ったことがない人が
>行きたくなるような読み物になっていれば成功かな

うん。自分も競馬場に行ったのは漫画がきっかけだったし、創作物の理想ですよね。
今回はそこは目指していなく、うん、実際に感じたのがうらぶれた平日という感じだったので、地味に呼吸を感じるような。だから多くの嘘やフィクションは混ぜたのですけど、競馬場を楽しんでとか行きたいみたいな陽な方向ではなく、陰な方向へと向かいました。街が歓迎していない、一万円すったを初め、ギャンブルやりたくないなって思わせる嘘だと思います。それは偏差値さんの言葉を受けて、決して万人に認められないエンタメとして拙いものなんでしょうけど、後悔はないです。行きたいなって思わせる嘘は、JRAのCMとかやってますよん。木村カエラの歌、チェロスを持つカップル、馬に対して拍手をする若人など。まー、素晴らしく凄いんですけど、素晴らしすぎて自分は眼を向けれません。


>ポテトフライ
刺さる。日本語出来てません。すっと書いてしまった。

ポテトフライって超ローカルフードで、でも名物として押し出せるほどに魅力がない。
感じとしては一口サイズのコロッケが近いと思うんですけど、名前からなるほど、フライドポテトの方を連想しましたか。
ここらへん読者への想像が下手です。
競馬場アイテムでちょっと面白そうなのと、体験として全体を表してそうかなって冒頭に抜擢したんですけど、それを使いこなせるだけの力と配慮が欠けてました。
浦和競馬場にはフライドポテトも売ってました。確かに。


競馬は奥が深いです。スポーツとしても国際交流としてもギャンブルとしても娯楽としても、もちろん文化としても。
その神髄にまで、そのくるぶしまでも自分は至ってません。
もやもやしたものが燻っていて、それを書こうとしたのですけど、表現しきれなかった。DEATH。無念。

えんがわ
165.100.179.26

>加茂ミイルさん

ほめ過ぎです。ほめられ過ぎてしまって、なんだか詐欺にあっているようにびくびくしています。
冒頭は下手で、つまずくことが多いのです。
このようなリアクションは自分には珍しく、半信半疑なんですけど、半分だけでも心から嬉しがらないとって最近思えるようになりました。
やったー。ウレシー。ありがとです。

えんがわ
165.100.179.26

>弥々丸朗さん

そうですか。

弥々丸朗
180.48.35.213

うわあ。
大丈夫?

あたしが言うのも何だけど、印象って大事だからねえ。

キミのプライドより、あたしの読みの方が芯食ってるって、もしここ見てる人が口にしなくても思ってしまっていたなら、あなたはかなり損しちゃった感じなのかもね。


一生足踏みしてたらいいよ?




ヘタクソ

弥々丸朗
180.48.35.213

言い忘れたー。



加茂クソゴミクズは、読んでない、読めないから、書き出しつかまえて薄っぺらい屁理屈貼ってるだけだって、あたしが伝言板に書いたことに逆らってみたけどまんまと撃沈しただけってこと、ネタに使われただけってこと、気付いてないのキミだけだからさー?

大丈夫?


だからこそ、そんなキミへのコレっ!


>そもそも上手な書き手さんという印象は個人的には持っていないんですけど、それにしてもこんなにヘタクソだったとは、という驚きがすごいです。

お正月に酔っ払いながら書いたらしいことを前提に手加減して眺めておくんですけど、それにしても助詞の選択とか何しろめちゃくちゃで気持ちが悪いし、一文を構成する言葉の配置こそめちゃくちゃだからほら、偏差値にすらつっ込まれる始末でしょ? 格好悪い。
何しろ編集がタイトじゃないし、比喩表現のハマりが悪いとかそういう以前に何言いたいんだかわかんないところ多過ぎだと思うんですよ。
それって、失敗とかそういう範疇にも収まれないただの”ヘタクソ”とか”センスない”ってことだと単純に思うんですよね、個人的には。
書き出しから頓珍漢だから、全編疑いの目で読まされることになるんですよ。つまり、このおハナシは最初の一文ですでに終わってる。期待を持って読み進める対象としては、ってこと。

書けない人が、”小説っぽく”書きたがるとこうなる、の典型だと思うんです。
とにかくダサい。

わからないなりにも、何書きたいんだか全然わかんないで書いてるでしょ? それって、おハナシ全体を眺めてのことではなくて、一文一文それぞれに区切ってのハナシなんで、勘違いしたらダメですよ?
誰だって、思うことを如何に的確に言語化できるのか、最適な言葉を探し出せるのか、常に闘いながら書いてるはずなんですよ。それって、まったく当たり前のことなんですけど。
だからこそわかることって当たり前みたいにあると思うんですよ。

欲求が鈍いです。
書きたいと思ったことに対して、あてがってやれる言葉を探す精度も熱意も絶望的に低いとしか思えない。
低い以前に、目標をそもそも知らないのかと思えるくらいの拙さってことでもいいです。
書きたがる人、とくくるにはあまりにもミジメな表現の連続。ほとんど情けない。


黒いウマ、何なんですか?
おハナシの中で示したいものの、何か象徴のようなものにちゃんと置き換えられてますか?
あたしはそんな雰囲気に書き手が何となく仕立て上げたつもりになりたがっただけのずっこけた文章にしか読めなかったです。


口悪いついでにせっかくだからおハナシにはめっちゃ関係ないけどあなたにはまったく大切なこと指摘してあげるよ。


>黒い姿が、陰影をよりはっきりさせたのか、


言いたいことはわかるけど、わかるっていうのは”ヘタクソ”ってことだから勘違いしたらダメです。
黒いのに陰影ってなんなの?
陽射しに反射する毛艶が生み出すコントラスト、そういう立体感のこと言いたかったんでしょ?

あたしが何言いたいのかわかりますか?

あなたは、あなたが書きたがっているはずの文章っていうそれに肝心なツボのようなものに対して鈍感すぎるんですよ。
違うな、やっぱり欲求が低すぎると思うんですよ。

あなたは違うと思っても、これはあたしが思うことなので絶対と言う意味で言っておきます。
”コントラスト”っていう大して珍しくも何ともないワードを思いつけるかつけないか、その差は単純すぎるくらい大きいと思っているんです。
あなたは文章以上に言葉一つが引き締めてくれる景色っていうものを知らなすぎなんですよ多分。
”コントラスト”っていう当たり前みたいな単語が引き締めてくれる文章の価値のようなものを、あなたは恐らく知らない。
意識しようとしていない。
”編集がタイトじゃない”って先にいったのは、文章の長短とかそんな単純な意味ではなく、あたしは”効果”とかそっち向きの意味に余程近いもののことを言っているつもりですし、そういう意味だと勝手に思って実践してます。


”小説っぽく”ってことも先に言いましたけど、つまりそれもまったく同じことです。

あなたは下手のクセに、”小説っぽい”と思うらしい言葉を探し回るばかりで、自分が書きたいはず、書かなければ意味がないはずの言葉にはまったく目を向けようとしていない、気を配ろうとしていないように見えて仕方がないです。


そうして、おハナシそのものも鈍くなる。


何だか俯き加減のようなことをさも殊勝なようにまとめたらしく終わらせたみたいなんですけど、ちゃんと自分で読みましたか?
客観的にですよ? 
自分突き放してですよ?



あなたは文章以前に言葉をちゃんと意識したほうがいいと思う。
まずはそれをしなければ、その後に生まれてくるはずの文章を大切に思い遣ってあげられないです多分。
言ってることわかんなくてもいいです。

でもあたしは知ってるつもりだから言っておくんですけど、書き進める中で、強烈に主張してくれる言葉、ドンと座ってくれる言葉っていうのは絶対にあるんです。
それを見つけられると、絶対にその価値を、自分ばっかりのものだって全然構わないその価値を絶対に裏切れなくなる。裏切りたくなくなる。
その言葉に最適と思える自分なりの文章の中に、それをちゃんと据えてあげたくなる、っていうかそうしなければ気が済まなくなる。
それが出来ないときに、筆は止まるんですよ。情けなくて。


おハナシなんてどうでもいいです。
まずはそれを書きたがる言葉そのものに、あなたがヒラヒラと書き潰すだけの言葉そのものに熱を感じないです。
何なら俯き加減の言い訳がましさをまるでわきまえらしく勘違いしたような自惚れ、意気地なしみたいな覇気のなさばかりが伝わってくる。


ぽいぽいと中途半端なことばっか書いてないで、ちゃんと大切なこと書いたほうがいいんじゃないですか。
思いついたのなら、もっと腰を据えて言葉をちゃんと眺めたほうがいいんじゃないですか。


↑せっかくの再掲でした(思いやり)

えんがわ
165.100.179.26

>弥々丸朗さん

はあ、そうですか。

弥々丸朗(親切)
106.161.235.102

ダサいなあ。

はあ、そうですか。じゃないんですよ? 
馬鹿なんですか? みっともない。

ちゃんと自分の感受性を疑って嘆いてくださいよ、みすぼらしい。
だから、ヘタクソなんだってこと、いつまでも自覚できないままでいるんですよ?
新しい一年、始まっちゃってるんですよ?


いいですか?
こんな場所において、あたしが書いたあなたへの感想、ちゃんと見てくださいよ。
読まなくたって、その文量だけでも見て、感じてみてくださいよ?
キラワレまくって居られなくなったかもゴミクズんとこなんて、何をわざわざお礼参りに行ってるんですか? わざとらしくさあ?

って、そんな魂胆くらいあたしはお見通しなんですよ。
そういう性根張って”小説”なんて不向きに憧れるから、怪我するんですよ?
感受性クソなら、何書いたって、クソ。
アンテナも出力も馬鹿なんだからさ? 当たり前だよね?


ただの嫌がらせのつもりで、あんな手間掛けると思いますか?
あなた、人間性大丈夫ですか?
何よりてめえのプライド優先させたいようなケチ臭さで馬鹿に擦り寄るとか、感性無事ですか?



まあいいや、ヘタの理由晒すにはもってこいみたいな状況ではあるんだからさ?
あなたはつまり、生贄みたいなもんなのかなー。

読めない、感じられない、てめえばっか、なんてクソ見栄生やしてるやつに、上手なんているわけないんです。

それが、あなたってことなんですよ? 標本おつかれ。




そんなクソ見栄ばっか可愛いなら、ブログでやってなよヘタクソ

えんがわ
165.100.179.26

>弥々丸朗(親切)

あっ、はい、そうですか。
その通りじゃないんですか。良く分からないけど。
最初の一文から悪いのでしょうね。


ちなみに競馬では馬体を評すときに陰影があるという言葉を使います。
「馬体 陰影」で検索すれば、幾つかヒットします。
コントラストは確かに一般的な単語なのですけれど、こちらを自然と用いました。
それをご存知の上で、敢えてセンスを問う為に指摘したのでしょうが、確かに他者を意識しない部分があったのでしょう。
勘弁してね。
うん、下手ですね。

弥々丸朗
180.48.35.213

はいはい
口惜しい思いさせちゃってすまんすまん

もうじゅうぶんだよ地雷

夜の雨
180.63.84.137

(その1)

題材(テーマ)は、「人生」ですが、主人公の消極的な現在の人生を描いていますね。
ただ消極的と言っても、「何かに期待している」主人公であり、年齢的には普通かもしれません、守りに入りますので。
その「何かに期待」は、こちらの作品で登場する「黒い馬」になります。
主人公はメインレースの賭け金をそれ以前の黒い馬が登場するレースで、1万円使いました。

下記「● A」が、主人公が「黒い馬」に、「心を掴まれる」ところから単勝馬券を購入して、ゴール前に陣取るまでです。

「● B」「● C」が、主人公と彼の子供との関係を表しています。
作品の描き方からすると主人公は齢を重ねていて、それなりの年齢のようです。
現在の子供はもちろん大人になっていて、普段は音信不通という感じに描かれています。
ただ、主人公が「黒い馬」のレースで1万円を100万円にすることが出来たなら、「それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。」と、夢想しているあたりからすると、子供との縁が切れているという感じではありません。

「● D」に主人公の人生観が出ています。
「黒い馬」がレースで最下位に終わったにも関わらす、惚れこんでいるような描き方をしています。
そして主人公は「浦和競馬の常連になることはないだろう。」と書いているわけですが、これは何を言い表しているかと言うと、「自分を見失っていない」ということを、書いているわけです。
つまり「競馬におぼれない」ということになります。
主人公は自分の人生をしっかりと見据えているようで、決して踏み外すようなことはないという終わり方になっています。

―――――――――――――――――――――――

ちなみにこちらの作品「A、B、C、D」以外の文章で何が描いてあるのかというと、「A、B、C、D」が、効果的に描かれるように食べ物のこととか、競馬場に来ているおじさんたちのこととか、浦和競馬場の周辺のこととか描いています。
これらは「A、B、C、D」が、効果的に描かれるように、伏線になっています。

ちなみに「黒毛の馬」は主人公にとって何かというと「希望」だと思います。
主人公でも子供でもなくて「希望」ですね、だから勝負(レース)が終わっても淡々と出来るのだと思います。

――――――――――――――――――――――
● A

 メインレースの二走前。福寿草特別のパドックを見つめる。一番レインボーシャトル。二番エリノブリザード。眼の前に映るそれは凛々しく賢そうで、それこそ観客一杯の中央競馬の芝の上を駆け巡る馬らと変わらないように思える。冬だから毛は艶の良さはないが、年季のこもった歴戦のツワモノって感じがする。どの馬も良く見える。それなのに、ふとしたことか、どうしたことか。

 黒毛の馬に、心を掴まれた。

 正面から見た時に前脚の、首へと至る胸にある筋肉が隆々として力強かった。黒い姿が、陰影をよりはっきりさせたのか、他の馬よりも明らかに厚みのある立体的な姿をしていた。首を大きく動かすこともなく、歩様も穏やかなほどにゆっくりで、しかしはっきりした目は前を見据えている。特別に大きな体ではなく標準的で、しかし如何にも筋肉が締まっている印象を持った。柔らかな背のライン。七番の馬だった。
 電光掲示板を見る。三連単、レースの一着、二着、三着を順番通りに当てる投票方法。その三連単の人気上位のオッズが並んでいるが、その中に七の数字はない。上から眺めたが、最後までない。パドックの奥の巨大な電光掲示板と、離れて奥へと向かう七番の馬を交互に見つめる。掲示板の表示が切り替わった。7番、ミスターソウルマン、場体重マイナス8。オッズは単勝94倍ほど。百円で一万円が帰って来るオッズ。万馬券にも近い大穴だった。
 それを知った時、この黒い馬は単なる凡馬になると思った。人気薄の穴馬。色あせると思った。そしてその馬を確かめると、しかし存在感はより増し、ただ走りそうだった。それはどんどんと大きくなっていく。投票の締め切りは近くなっていく。ずっと七番を見つめていた。

 本当はメインレースまで馬券は買わないはずだった。買ったにしても肩慣らし程度にするはずだった。だが、この気持ちを裏切っては嘘になる。この時を逃したら、ここに来ている意味がない。出会いに意味があるとしたら、この出会いにはきっと。

 無我夢中で馬券売り場へと早足で向かい、一万円の七番の単勝を買った。七番がトップでゴールすれば、百倍の百万円。景色がドンドンと過ぎ、頭は一点に集中し、記憶をとどめず、ただ機械的に動いた。そのまま駆け足で再びパドックに向かい、号令がかかるまで七番を見つめ、騎手が向かうと、その青一面に黄の横縞が走ったレース服を頭に焼き付けた。そして馬がコースに向かうと、直ぐにゴール前に陣取るように立った。
―――――――――――――――――――――――
● B
コース全体を見下ろしていると、熱は冷め、子供の運動会の徒競走を見つめている気分になる。秋の日の当たる小学校で、赤白帽に短パンで、走る背の低い我が子。運動神経の鈍さは遺伝しなかったらしく、八人中の二番目でゴールした。二着の旗の前での笑顔に、なにか自分自身のあの頃がピカピカに磨かれて帰って来たような。微笑ましく、誇らしい気持ちになった。その子と会うことは、もう無い。

● C
馬券が当たったら、百万円を手に入れたら、何をしようか。考えていた。百万円で何を買うかよりも、それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。そんなことを。だけど、とにかく寒さが厳しく、早く終わらないか。そう、思考は沈んでいった。

● D
 賭けには応えられなかったが、まだ七番の素晴らしい筋肉の固まりだと思った、前脚から首にかけてのあの盛り上がり、馬体のライン全体の美しさを忘れられない。レース結果を見て、それこそ見た目だけだったと思う筈なのに、頭に浮かぶのはその筋肉が躍動しトップでゴールを目指す姿なのだ。それは恐らく最下位に終わったこと。最後に印象的に砂を蹴散らすのでもなく、淡々と、でも確かにゴール前を通り過ぎた姿を見たからかもしれない。
 浦和競馬の常連になることはないだろう。だけど、これからの人生の節々も、様々なものを賭けるだろうし、それは決して日の当たらないもので、賭けがはまって当たることも少ないだろう。でも、今の何処かすがすがしく、何かを失い、何かが満ちた思いは、きっと嘘をつくことはないだろう。肌に染み入る残念感。敗者の道を寒いけれど、ゆっくりと駅のホームへと歩いていく。

夜の雨
180.63.84.137

=その2=

下記は導入部あたりで、気が付いた事を書きました。
導入部を過ぎてからも気が付いたところはありましたが、時間がかかるので書いておりません。
「● E」は、主人公のキャラクター。
「● F」「● G」文章上の問題点。

――――――――――――――――――――――――――――――
 ポテトフライを食べる。心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。コロッケはすり潰したジャガイモを揚げたものだが、こちらはゴツゴツとしたジャガイモがほくほくとした食感となっている。上品ではなく、荒々しい。かけられたソースは安物で物足りない量だけど、それがしみじみと浸みる。
 食べた後の発泡スチロールの四角い皿をゴミ箱に入れようとしたら、離す寸前に寒風にさらわれ、露店の集まりの方まで持っていかれてしまった。盛況とは言えないが、程々の密度の往来はみな、それを気に留めない。おでんやモツ煮をつついたり、新聞とにらめっこしている。このままでもいい、誰にも文句を言われない、とわかっていながら、半ばヤケな気持ちで風に飛ばされたゴミを追う。

―――――――――――――――――――――――――
● E
主人公の人物像が状況の中に描かれている。
この主人公は金持ちとかではなくて庶民的な人物であり、飛んでしまったゴミを拾いに行っているところからも人の良さが表現されています。
映像として浮かびます。

「心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。」この表現は、問題があるようには思えません。

――――――――――――――――――――――――――――
 浦和競馬場は南浦和駅から徒歩十五分、送迎バスならばその三分の一のところにある。インターネットによる馬券購入などで、地方競馬は再び収支は増加傾向にある。嘗ての地方の場末での、寂れて廃れていくイメージとは遠くなった。しかし、必ずしも地元の町興しとして歓迎されてはいないように思う。駅から出て、まず見えるのが東京には及ばないものの地方都市としてまずまずのビル街、駅横の大きめのタコヤキ屋。焼きの甘いせいか、皮がぐしゅぐしゅしているそれを突つきながら、駅前の商店街を行けば、街頭に取り付けられているのは「浦和レッズ」の赤いエンブレムの旗。定期でやって来る浦和競馬場直通のバスの案内は、小さな板切れ一枚のため見過ごしてしまい、道を迷った。
 しかし頻繁にやって来る無料バスの乗客は多く、古い内装のバスにこれまた使い古されたような服の中年男が一杯に詰まり、椅子は全て埋まり、立たなければならないほどだ。今日は平日。一月九日水曜。第62回ニューイヤーカップが行われる日だ。そのレースは地方重賞に当たるSⅢで浦和競馬にしては大きめのレースだ。

――――――――――――――――――――――――――――
● F
全体的に文章が甘い。
「嘗て」(かって)と、漢字ではなくて、ひらがなにした方がよいと思いますが。

「駅横の大きめのタコヤキ屋。」が、その前の「地方都市としてまずまずのビル街、」に続いて書かれているので、「たこ焼きが、大きいのか」「店が大きいのか」が「わかりにくい」。
普通に読むと「店が大きい」と誤読します。

「浦和競馬場は南浦和駅から徒歩十五分、送迎バスならばその三分の一のところにある。」この文章もわかりにくいです。
「送迎バスならばその三分の一のところにある。」 ←この意味がわかりにくいということです。
たぶん「徒歩十五分」で「送迎バスなら」「その三分の一」で「五分」で到着するという意味だと思います。
――――――――――――――――――――――――――

 バスは目的地に到着し、おじさんらは無言でそぞろ歩きする。立ち読みしていた「名馬を読む」をバッグにしまい、その流れに混じる。バスを出ると競馬場がある。東京の府中のように入場チケットをどこで買おうか迷っていると、みな購入する素振りもなくゲートを通っていく。良く見ると、百円玉をチャリンと入れると、そのまま駅の改札のようなゲートを通れるらしい。それに倣う。

―――――――――――――――――――――――――
● G
「そぞろ歩き」の使い方を間違っています。

「そぞろ歩き」の意味。
「はっきりとした目的なく歩く漫歩き ・ 漫ろ歩き ・ 散歩 ・ ほっつき歩く ・ 漫歩 ・ 彷徨う ・ ぶらぶらする ・ 徘徊 ・ 散策 ・ 遊歩 ・ 漫歩く ・ ぶらつく ...」

「バスから降りたおじさんたちは目的をもって歩いています。」ので、「そぞろ歩き」では、ありません。

――――――――――――――――――――――――――

以上です。

香川
27.95.81.7

読ませていただきました。
 
良かったです。
随筆というか日記的な文章だなと思いながら読んでいたら、途中で語り手を表す主語が全部省略されていることに気がつきました。
この雰囲気はそのためだったのだなと思うと同時に、全体に漂う孤独感がこの日記的な作風にとてもよく合っていて、感心しました。
 
少ししつこいくらいに、淡々と目の前の状況を描写するように描かれていますが、そういう文章からそこに直接書かれていないことも滲んでいるように思います。
例えば、上に書いた孤独感というのもその一つで、冒頭からずっと「なぜ語り手は慣れない土地の競馬場などに一人で来ているのだろう?」という疑問がつきまとって来ました。
たぶん、何か語り手にとって辛い出来事があったのだろう、と感じられる悲しい気配があって、
そこへ、さらりと出てくる「百万円で何を買うかよりも、それを話のタネに子供とまた会えるのではないか」という一文で、それまでの孤独感の正体がはっきりと形を成したように感じました。
 
その前の、運動会で子どもが二着になったという誇らしさを「なにか自分自身のあの頃がピカピカに磨かれて帰って来たような」と表現するこの感覚もとても良く、体に満ちた幸福感が伝わってきましたし、
すでにその子供とはなかなか会えない状態になってしまっているということで、さらに感じ入るものが強くなっていると思います。
 
自分の満たされない人生を負け馬に重ねるのは、少しありがちな感じはしますが、それでも立派な体躯を誇る馬の堂々とした様子が印象的で、気持ちよく読めました。
 
気になったのは、他の方と少し被るのかもしれませんが、助詞について。
一文の中で助詞の重複が多いかもしれないなと思いましたし、ちょっと一般的な使い方とのズレがある気がして読みにくい箇所がありました。
特に「地方競馬は再び収支は増加傾向にある」という箇所の「は」の重複。
リズムとしても読みにくい気がしたし、意味もやや掴みにくくなっている気がします。
というか、たぶんえんがわさんの使う、こういう「地方競馬は」みたいな主語の使い方が私には合わなくて、重複していなくても読みにくかったと思います。
もう1箇所、同じような「は」の使い方があった気がしたんですが、どこか分からなくなってしまいました…。
 
一般的な使い方とのズレは、ある程度意図的なのかもしれないなと思うのですが(そういう違和から文章の雰囲気が匂いたってくる面もあると思うんです)読みにくさが強く出てしまっている箇所がチラホラある気がしました。
こういうのは塩梅がとても難しいのかなと思いますが、少し調整されるといいのかもしれません。
 
あと、焼き鳥を食べる場面で「歯応え」が「葉応え」になっていました。
お気づきでなかったら直された方が良いかなと思います。
 
あとは、語りの口調が一貫されていない気がしました。
この作品は普段のえんがわさんの作品に比べると落ち着いた筆致だと思いますが、ちょこちょこ普段の書きぶりが出てきてしまっているというか。
何か狙いがあってのことで、それが効果を出しているのなら問題ないと思いますが、私には特に狙いがあるようには読めませんでした。
 
ありがとうございました。

inose
140.227.203.176

その馬は勝てないけれど、存在に足る。しかしあくまでも競走馬。
勝ち負けじゃない部分の価値、それを負け味の中に見出していかねばならない悲哀みたいなものを感じました。
負け犬の遠吠えでも、逆に、安易な自己肯定でもない、なかなかに微妙な心理があらわされていて、その目線は鋭いなと思いました。

しかし、文章がかなりいいかげんだと思います。この作風だと、ある程度ゆるい文章でも味になるとは思うんですが、それ以前の箇所が多いです。とにかく推敲してください。

しかし、描写の着眼点まではすごくいいと思います。最初に書いたようにテーマへの着眼がよくて、更に描写の着眼もいい、という、あえてやや言いすぎな言葉を使いますが「文学の申し子」みたいな資質傾向があるのに、もっとも基本的な文章技術のさきっちょの部分だけがひどいです。
見た目がよくて踊りが上手くて指先だけはずっとグー、みたいな。
指先で表現できることも結構多いと思うので、そこ鍛えるべきです。つまり推敲です。
「推敲」って文章の仕上げじゃなくて、ほぼ始まりです。

夜の雨
180.63.84.137

再訪

補足しておきます。

―――――――――――――――
「● B」「● C」が、主人公と彼の子供との関係を表しています。
作品の描き方からすると主人公は齢を重ねていて、それなりの年齢のようです。
現在の子供はもちろん大人になっていて、普段は音信不通という感じに描かれています。
ただ、主人公が「黒い馬」のレースで1万円を100万円にすることが出来たなら、「それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。」と、夢想しているあたりからすると、子供との縁が切れているという感じではありません。
―――――――――――――――

>子供との縁が切れているという感じではありません。<
と、書きましたが、「● B」には、「その子と会うことは、もう無い。」と書いてあります。
これがかなり微妙な描き方で、「当時の子供と逢うことはもうないのか」それとも「育って大人になった子供と逢うことはないのか」などが、考えられます。
私(夜の雨)は、御作のこの部分では「単に疎遠になっているだけで、逢おうと思えば会える関係だと解釈していたのですが」、もしかしたらかなり遠い関係になっているのかもしれません。
例えば「主人公は妻と離婚していて子供は妻が引き取っていた」とか。
それ以来、子供と逢っていないとなると、「実質上、子供と逢うことは不可能になります」。
また、そこまでの距離ではなくても、子供が成人して以来逢っていない、10年とか20年、または30年とかになってきますと、これまた、「逢うことがほとんど不可能」になってきます。
このあたりの主人公と子供の距離を御作では書いていないので「読み手が想像するしかありません」。
おそらく作者さんは「主人公と子供の距離をわざと書いていないのでしょうね」。
■「主人公と子供の距離が描いてあると、御作はかなりわかりやすくなります」。■

「● C」では、「百万円で何を買うかよりも、それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。」この文章だと、子供と主人公の距離はあるが、決して会えない距離ではないという意味に描かれています。
「だけど、とにかく寒さが厳しく、早く終わらないか。そう、思考は沈んでいった。」この文章が、御作ではかなり重要な位置を占めています。
つまり「子供と逢うことを考えることよりも」「寒さが厳しく、早く終わらないか。そう、思考は沈んでいった。」になり「子供と逢うことから主人公は逃げているわけです」。
逃げるというよりも、子供と主人公は距離がありすぎて現実的には逢うことは無理なので、「寒さが厳しく」で、ごまかして「思考は沈んでいった。」になっている可能性があります。
このあたりに「哀愁があるのかもしれません」。
作者さんがどうして「主人公と子供の距離を詳しく書かなかったのかはわかりませんが」わかるように書いていても同じく「哀愁は出ていたと思います」。
親子の離れていることが、地方競馬の黒い馬の話に関連して書いてあるので。

ちなみに作者さんが、自分のことをそのまま作品に書いていたとしたら「主人公と子供の距離を詳しく書かなかった」のは、自分の問題だから、書きにくかったということになります。

>>「駅横の大きめのタコヤキ屋。」が、その前の「地方都市としてまずまずのビル街、」に続いて書かれているので、「たこ焼きが、大きいのか」「店が大きいのか」が「わかりにくい」。
普通に読むと「店が大きい」と誤読します。<<

これはたぶん私が御作を誤読していると思います。
「駅横の大きめのタコヤキ屋。」というのは、そのまま、「タコヤキ屋の店舗が大きいという意味でしょう」。
どうして誤読したのかというと、「駅横の大きめのタコヤキ屋。」のあとに「焼きの甘いせいか、皮がぐしゅぐしゅしているそれを突つきながら、」と、ありましたので、「大きめのタコヤキ」が「焼きの甘いせいか、皮がぐしゅぐしゅしている」と、つながってしまいました。
単に私が、「駅横の大きめのタコヤキ屋。」を「大きめのタコヤキ」と、脳内補完したにすぎません。
「駅横の大きめのタコヤキ屋。」 ←これをもう少し丁重に描いてくれていると、脳内補完する余地がなかったのですが。

「推敲不足」について。
これは書きあがって、すぐに投稿したからだと思います。
書いてある内容と投稿日から推察すると、作品を寝かさないで投稿していますね。


お疲れさまでした。

えんがわ
165.100.179.26

>夜の雨さん
うわー、流れを分析されてらっしゃる。解体されちゃって照れてしまいます。
コメントを読んでいて思ったんですけど、本流と支流がはっきり分かれすぎちゃったのかなって。
もうちょっと、ごっちゃにして、こう、分けられないくらいに全体が波うつような。
いや、そうするとますます分かりにくくなっちゃうのかな。
(えと、気にしないでください。独り言のような。もやもやと考えが浮かんできて)


>ちなみに「黒毛の馬」は主人公にとって何かというと「希望」だと思います。
そう取っていただき、ありがたいです。
ギャンブルだからお金は外せないだろうと、一万円や百万円を立たせるためにコロッケや焼き鳥は値段付きで書いたんですけど、お金以上のものを伝えたいのが、やっぱりほんとうのところにあったので。
「希望」というほどに大きいものじゃないかもしれないけれど、突然射したうっすらとした遠くの光のような、やっぱ希望かな。


>全体的に文章が甘い。
自覚はしてました。しかし、ご指摘を受けて、冒頭辺りからずらずらっと続きに続き、全部列挙したら余りの分量になりそうなそれに、我が身に泣けてしまいましたよ。はい。
かつて。あー、そっか、無自覚に使ってたな。三分の一、無駄にわかりにくくしてるな。そぞろ歩きはぞろぞろ歩いてることを言いたかったんでしょう。多分。ほんと自分、日本語が終わってます。

あっ、はい。追記の方も纏めて返事しちゃいますね。

>「推敲不足」について。
>これは書きあがって、すぐに投稿したからだと思います。
>書いてある内容と投稿日から推察すると、作品を寝かさないで投稿していますね。

そういう甘さは、確かに推敲不足にあるんです。推敲はしたはいいけど、短時間でどばどばっと繰り返したんで、数は元より時が足らず客観視は出来とらんですよね。やっぱり。寝かせは重要でした。

ニューイヤーカップが1/9日、投稿が01-11 01:53だから、超短時間勝負です。
言い訳するとこれはなんか、時事ネタに近いかなって思って、それでニュース特集記事に近い感覚で取り組もうと思ったんです。
そのスピード感がネットでやるメリットだし、浦和競馬が開催している間にって。

あの正月明けの平日が始まろうとしている競馬場の空気を肌で感じられる賞味期限と、何よりも自分の中の熱と体験が生きている間に完成度を落としても形にしたかったのもあります。
ただ、うーん、今となってはあと4、5日は唸っても良かったなって反省。
慌ててました。ただニュース性のある小説みたいな、そういうのに挑めたのは少し面白い体験だったかな。

>主人公と彼の子供との関係
ここは書きませんでした。
離婚という単語が浮かんだんですけど、直前に書き直して、消しました。
自分は子供がおらず、おっさんですけど、夜の雨さんが想像するよりも一回り若い30代後半から40代前半の主人公あたりを想定していました。
それでも夜の雨さんが渋めの主人公像を想像なされた(?)のは、マニアックな素材に意外と長い射程があったようで、嬉しいです。
書くのが鍛錬になるのでしょう。でも今は書かないで出るものを信じたいです。

>「哀愁があるのかもしれません」
なるほど。
微妙でした。
哀愁はほんのちょっと、浪花節やらおっさん賛歌にならない程度の、臭みの出ない加減でとか。
この加減が難しく、その言葉のニュアンスから、あともうちょっと出しても良かったのかな。
でもこれ以上は自分だと臭みが出てしまいそうなんですわなー。離婚エピソードを入れると、そこが実体験と浮き過ぎて、うまく行かなそう。


はい。寝かせ不足とのご指摘から、夜の雨さんが思うように、スピードの方を重視しすぎてしまい、決して丁寧さに自信があるとは言えない文章でした。なのに夜の雨さんは丁寧に読んでくださり(おそらく一読二読だけではないでしょう)、申し訳なくも、このような素敵な読み手に恵まれたのは、ただただ感謝。夜の雨さんに読んでくださるとどこかで思う(無理して感想を要求するわけじゃないです。脳内の読者像イメージの一員に夜の雨さんのコメントからのものを加えようって自分の空想で決めたことです)ことで、文章への客観視と言うか丁寧さみたいなものがこれから出てくれれば。

えんがわ
165.100.179.26

>香川さん
はい。孤独感はなー、自分は孤独な人だから、そうゆーの出さなきゃねー。
最初は一人称「僕」で書き始めたんですけど、やがて「自分」となり、それも消えていった。
なんかあったんでしょうね。自覚しきれない何かが自分の中で。

>少ししつこいくらいに、淡々と目の前の状況を描写する
ちょっとくどかったですか。それとも別の引き出しが必要なのだろか。
描写の過不足はどこらへんが良いのかわからず、今回は自分にしては濃い口だったんですけど、そこらへん良い味の出る加減がまだまだ掴めてません。この文体だと、オーバー気味なのかな。もうちょっと時間を置いて読み直さないと、今はちょっと整理しきれず。ここはもっともっと長い時間をかけて悩んでいきそーです。そーです。

>運動会で子どもが二着になったという誇らしさを「なにか自分自身のあの頃がピカピカに磨かれて帰って来たような」と表現する
ここは比喩から金メダルを連想しそうで、一着の方が似合っているんでしょうけど。二着にしたんです。銀メダルのちょっとしたテカリが自分にはしっくりして、だからピックアップしてもらって嬉しいです。心が跳ねました。

>少しありがちな感じはしますが
そうですねぇ。
負け組の哀惜とか、うらぶれたおっさんと地方競馬とか、確かにありがちな感じなんですよね。
ただ、確かにそういうのを競馬場で肌で感じたので、そこは嘘をついてもいかんよなーって走りました。
もっと観察眼が自分にあればね。なにかしらユニークだったろうに。こればっかりは。

>読みにくさが強く出てしまっている箇所がチラホラある気がしました。
あっ。ご指摘を受けて気づいたんですけど、推敲のメソッドで抜けてた部分があって。
全文をぼそぼそっとささやく程度に口にして読んでいくってのが。
いや、怪しい人ですよね。でも、自分の中では凄く重要視している過程なんで、あらと失念しちゃったのが、やっぱいかんよなー。これによって変わるかどうかはわからないですけど、忘れないように書いときました。
ただ、元から日本語が下手なところがあって、助詞とかの問題って簡単に解決するのかなー。当分の間、ネックとしてあり続けるだろうけど、問題意識や書く時の意識を高めていきます。ます!

>「葉応え」
ご指摘、ありがとです。誤変換かな。不十分な推敲ですけど、それをした際に紛れ込んだんだと思います。観葉植物が主犯でしょう。恐らく。
でも、「葉応え」って素敵な言葉だと思いません。佇まいと言うかニュアンスがしゃれていて。
植木鉢に水をやり続けたら応えてくれたような、雨をはじく葉のような。(←危ない奴)


>あとは、語りの口調が一貫されていない気がしました。
うんうん、考えました。うーん。
まず第一に、このような書き方に慣れていないのとそれを制御する胆力がないこと。
それ以外にもう一つ。
余りに渋々と続くので、ちょっと感じを軽くしようかって崩した箇所がありました。

ただその方法はアカンと悟りました。
軽重つけようとして、文をちょいといじるって、正に小手先じゃないですか。
そういうのはピンポイントでやるならともかく、それに頼り過ぎてしまってます。
何も今回だけじゃなく、(今回だから浮き彫りになったんでしょうが)、自分が書く文章の全体の傾向として「取り合えず流れがよどんだら、言い回しや言葉遊びを使って、回避しようとする」。この悪癖がありました。今さっき、気づきました。
そうしたいなら、何かしらのモチーフや中身、視点やら、本当に色んな工夫があって、生かしていく。
そうしたいです。
言葉遊びというか駄洒落は止めれないと思うんですけど、それでも尊敬する北村薫の作と比べて決定的に違うのは、そうした意識にあるのかな、って。

自分の文章は何か足りないなって常々なにかが付き纏うのですけど、その一つが見れた気がします。
香川さんのコメントの意図とは離れたかもですけれど、これからなんでしょうけど、これから心がけれるようになりたいです。
ありがたい発見でした。

ありがとですー。

えんがわ
165.100.179.26

>inoseさん

>負け犬の遠吠えでも、逆に、安易な自己肯定でもない、なかなかに微妙な心理

嬉しいです。
微妙な、それこそ簡単に言葉では言い切れないものを浮かべていきたいもんです。

広く一般に知られたステレオタイプなのイメージとは近いんですけど、そこをなぞっただけにならないように出来たかな。出来てたらいいな。

>しかし、文章がかなりいいかげんだと思います。
はい、頑張ります。
国語力がとても不足しています。
推敲を重ね、前述したのですけど特に寝かしを入れて、そこをカバーしないとあかんです。
踊るのは下手です。腹踊りばっかりで、むしろ腹ばっか膨らまそうとしています。
でも、手を滑るように動かして踊りたいです。踊りたい。

>「推敲」って文章の仕上げじゃなくて、ほぼ始まりです。
肝に銘じます。


言い過ぎとのことですけど、いただいた言葉が自分には余りにも大きすぎて身の丈に合っていなくて、ちょっとしたおかしみを感じました。「寄生した便所蟲」と言う言葉の方が自分にはしっくりきます。はは。

ありがとでした。

瀬尾りん
124.159.82.253

こんばんわー、競馬には一回しか行ったことないわたしです。
私にはこれ、えんがわさんがいつもとは違う書き方にチャレンジしたように思えるんですがねー。
というのも、以前感想寄せさせて貰った作品とは全く毛色が違うんだもの。なんか、考えてちゃんと書きました!って感じがするんだもの。
なんていうか、文章が強張ってる感じがするんですよ。ちゃんとパースとって人間描いたらロボットになっちゃった!と似たような感じというか。
この作品、結構力入れて書いたんじゃないかなって私は思います。間違ってたらすいません。
ポテトフライ、私もフライドポテトかと思いました笑 難しいですよね、新しい書いたこともない物を描写すること。
私もいろいろチャレンジしてみよう、という気分になりました!今年もよろしくお願いします〜!

えんがわ
165.100.179.26

>瀬尾りんさん

わー。あー。ギクリ。ロボットかー。
ある程度感情を抑えた感じに書いていて、それは出たと思うんですけど、「ロボットになっちゃった!」では明らかに失敗ですよねー。
書いている内にむずむずってコワゴワってなった部分があって、その固さみたいなもの?
それがもっと滑らかにこなさないとねー。

「力入れて書いた」ってご指摘。
労力マシマシというよりも、「肩に無駄な力が入った」ってニュアンスなら、その通りです。



あの、自分は登場人物になり切って、その人のパーソナル、経験、状態、感情とかをこう憑依する感じにして、そこから文体と言うか書き方を導き出そうと思ってます。

今回は主人公像的に、前に書いたいーかげんなのはちょっと厳しいかなって。

もっと前には、これよりも、すっごく固いのもあったと思います。
ニート中年が母親の葬式をエリート兄貴にコンプレックスを抱きながら見送るって。
どよーんと暗くなる。

「この作風で書こう」と思うよりも「この感情を書こう、この物語を書こう、この人物を書こう」ってところから始めて、それに見合った文体を必然のものとして使えるようになりたいですー。

その意味でこれも苦い経験になってくれればなーって。
なんか語っちゃいました。新年の決意、誰も聞いてねーのに独り言ぶつぶつって感じ。


ポテトフライ、粗挽き気味のコロッケが一口サイズで3個ほど串に刺さっている。串焼きのような。
たぶん、味はご想像通りって感じでー。地味ーな感じ。
こういうのしっかり伝えられてたら。
少しは知名度あるかなって思ってたんですけど、超ローカル埼玉フードだったんですなん。うー。

夏端月
220.208.27.39

読ませていただきました。今まで読んだえんがわさんの作とはチョット違ったテイストでした。ほんで、良かった!
あたし競馬は経験ないので、中央だろうが地方だろうがマッタク分らんのやけど、ムードはわかった。ほんで、競馬場の雰囲気とか、レースとか、食べ物とかに文字数を費やしている。本作ではこの構成が秀逸だと思いました。
主人公と子供との過去形の話。字数にすれば数十文字でしょうけれど、多くを語らずに機能していることが良かったと思います。
あと変換ミスが1か所(笑。

えんがわ
165.100.179.26

>夏端月さん

ありがとですー。
雰囲気が伝わったようで、嬉しいです。

子供との話は、そうです、ほんとうはしっかり正面から描いて読者を共感させるような力があればと思うのですけど、
今回のこの形を受け止めてくれて、ありがたいです。
語らないで出る味のようなものをもう少し追求したい。

変換ミスはやっちまいました。葉歯ハハハハハ。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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