作家でごはん!鍛練場
大弥次郎

死神

え~、噺家なんてぇのは、いつもヘラヘラ笑って気楽な商売に見えますが、これでも個人事業主ですからいろいろ大変なんでございます。確定申告はあるは、国民年金、健康保険料その他、嫉妬や足の引張り合いもある。特にあたくしのように、若くて才能があってイケメンなんていうのは大変でございます。
ま、あたくしの身に何かありましたら線香の半分も供えてやっておくんなさい。できれば香典はたっぷり、と言いたいんですがあの世にお銭(あし)は持っていけないんだそうで、ご祝儀でけっこうですから、今ください。
ま、噺家ってぇのは言ってみれば「落語」ってぇ化け物に身も心も食われちまった死にぞこないです。そうじゃない奴はだいたい噺がつまらない。あの人とか、あの人とか、何とか町の師匠なんとか・・・。

・・・

「あ~ぁ、いやんなちまうな。何をやってもうまくいかないし、金はねぇし、どこへいっても金は貸してくれないし、酒屋もとうとう貸し売りしなくなったし・・・ま、そうだよな。ここんとこ毎日ぶらぶらして酒ばっかり飲んでたから三年分つけが溜まっちまった。俺だってそんな客は断りたいわな。ま、いっそ死んでしまおうかな。そしたら誰か酒の一本も供えてくれないかしら?」
「死ぬったって初めてだからなぁ。苦しいのは嫌だし寒いのもいやだし。どうしよう?」

『教えてやろうか?』

ふと見ると、柳の影から現れたのは、薄汚れて鼠色になった着物を着て、肋骨(あばら)も浮いた痩せこけた老人。
藁草履を履き、竹の杖を突いています。

「お前さんは誰でぇ、汚え爺ィだな。」
『馬鹿野郎、誰のせいでこんな姿になったと思ってるんだ。』
『おめぇが馬鹿なことや阿漕なまねばっかりしやがるから、とうとう死神だ。』
「えっ?死神…気色悪りぃな、あっち行ってくれよ」
『いいが、おれがあっちぃ行ったらおめぇさん、この場で死ぬよ。もともとおれはおめぇの守り神だったんだから。』
『福の神、疫病神、貧乏神、死神なんてぇのはみんな元はそいつの守り神だ。憑(とりつ)いた奴が悪行を積むたんびにどんどん格が落ちて最後が死神だ。おれもこのまんまおめぇが死んだら、次は神じゃねぇかもしれない。ここんとこおめぇみたいなのに立て続け憑いちまったからな。へたすりゃ次は人間だ。いくらなんでもそこまでは落ちたくねぇ。おめぇは次は畜生だ。一回畜生に落ちると人間に戻ってくるのは大変だぞ。』

『いいか、普通に生きてりゃ俺たちは守り神のままだ。何事もなく一生を送れるんだ。ほとんどのやつはそうなる。』
「いや、俺はたいして悪い事ぁしちゃいねぇよ。人を殺めてなんかいねぇし、盗みだってやっちゃいねぇ。それなのになんで・・・」
『教えてやるよ。お上の仕置きはお上がやる。そのためにご定法があって、奉行だっているんだ。世間のことは世間が決める。俺たちの担当はもっと別だ。』
「じゃ・・・一体?」
『人としてやっちゃぁいけないことだよ。人を裏切ったり、妬んだり、罪のない人を憎んだり、悪い奴に佞(へつ)らったり、仕事もしねぇで酒ばっかりかっ食らっていたり…。たとえば俺たちはそいつがケチくさい料簡だと貧乏神になる。慈悲深ければ福の神になるんだ。いわば因果応報ってやつだよ。』
『俺たちの担当は人としての振る舞いだ。困っている人や病気の人ががいれば助けてやる。年寄りを敬う。死にそうな人は慰めてやる。悪い奴は憎む。おめぇはそれが足りねぇんだ。一回の悪事より、毎日の小さな嘘や不正が積み重なった方が数十倍も怖いんだ。命が汚れるんだよ。こいつは生きててもしょうがないとみんなが思っているから俺が死神になって寿命を縮めてやったんだ。残りは後七日だよ。』

「え、そんなの嫌だよ。死にたくねぇぇl」
『たった今死のうとか言ってたじゃねぇか、ま、人間なんてそんなもんだ。』
『じゃ、まずそこにいる猫を看病してやりな。その猫が助かったらお前ぇさんの寿命を一年延ばしてやる。その間に少しでもいいことをしな、じゃねぇと七日の間、飢え寒さと病気のあげく、誰にも看取られず野垂れ死だ。』



「夢か・・・」と、目が覚めると、足元に病気の猫がいる。
もしかしたら正夢かもしれない、とその鼻水と眼やにと、ダニや蚤、疥癬だらけの猫を一所懸命看病する。
猫もだんだん元気になり体をなめたりするのでだんだんきれいになり懐いてくる。
そうなるとこの猫が可愛くなって、このままじゃいけねぇってんでちゃんと働くようになる。

当時の江戸は、長屋を借りても権利金、敷金、礼金もなければ保証人だっていらない。1か月の家賃が一日分の手間代だっていうんですからとにかく安い。当然ながら月末払いです。また損料屋なんてのがありまして、今でいうところのレンタル屋。これが鍋釜の類から夜具布団、果ては蚊帳、炬燵、火鉢まで貸してくれるので、家財道具は一切いらない。だいたい長屋ってところは押し入れなんかありゃしませんから、道具類があったって入れる場所がない。また火事も多いですから下手に物なんか持ったら、火事で焼けちまう。要はまじめに働いてさえいれば誰だって健康で文化的な最低限度の暮らしができるようにできていました。今とはずいぶん違うもんですな。ま、庶民の暮らしなんてぇのは、憲法なんかで決まるもんじゃありません。あの人たちにも憲法なんかより、庶民の暮らしを大事にしていただきたいもんだと思います。

閑話休題(それはさておき)このことがすっかり江戸中の噂になりました。
あのぐうたらの飲んだくれで嫌われ者がすっかりまじめになって、酒も飲まず働いおります。
一体どうして・・・?
現状-過去のぐうたら=猫 という訳で、この猫が福猫で神通力を使ってどうしようもない屑男をたち直らせたに違いない。
誰が言い始めたか、「神様、仏様、お猫様」なんていう、そんな噂がどこからとなく湧いてきまして…人というのは理解できないことがあると、わかったような説明を求めるものでございまして、悪徳新興宗教なんかはそのあたりから出るんでしょうなぁ。
ま、いずれにしても誤解なんでしょうが・・・。

そうこうしているうちに遠くのほうからこの「お猫様」を拝みに来る。世の中には道楽息子が大勢いるもんですな。今でもニートだ、ヒッキーだなんぇ方もいらっしゃいますが、いえ、そういう方は寄席なんかにいらっしゃらないでしょうから、別に敬語なんか使うこたない。ニートだ、ヒッキーだなんてぇ馬鹿野郎もおりますが…。
「おいおい婆ぁさん、どうしたんだよ?おめぇんとこの倅は別にグれてもいないし、ちゃんと身代継いでんじゃねぇか。何だって猫なんか拝んでるんだよ。」
「いえね、お爺さんの倅もしゃんとしてもらいたくってね。」
「いやだね、顔なんか赤くしやがって薄気味の悪い婆ぁだな。」
などと大変な人出でございます。そのうち、掏摸(すり)は出るは、巾着切りは出るは、あっちのほうでは蝦蟇の油なんかやってるは、屋台は出るは…狭い長屋の路地が大騒ぎでございます。
猫にしてみればいい迷惑で、屋根の上で昼寝なんかしていたいが、そうもいかない。

話変わって近くの質屋の大蔵屋。遠くの親類より近くの質屋、なんてぇことを申します。
例にもれず、ここの倅が飲む、打つ、買うの三拍子。説教すると「親父が人の道を外れた阿漕な商売であぶく銭ィ稼いでいやがるから、おれがすっぱりきれいに使ってやって、親父の業を消してやってるんだ。親孝行なんだよ。」などと屁理屈をこねて、暫くの間家に寄り付かない。本当は遊びたいだけなんですが…。
三日もすると、あちこちから三両だ、五両だと掛け取りがやってくる。

「あぁ、こんなんじゃ大蔵屋の身代も私限りで終わりか・・・。おい番頭、どうした。」
『旦那さま、実はこれこれこうで、道楽息子によく効くという猫がいるともっぱらの噂でございます。』
「こら、主人の息子を捕まえて道楽息子とは何だ?ちょっと元気が良すぎるだけじゃないか。」
・・・道楽するわけでございます。

「そうか、早速拝んでこよう。」
『旦那さま、いっそその猫をお買いになってはいかがです。他の貧乏人に功徳が行っても何ですし。やはり本人が拝まないと功徳もないんじゃ。』
「貧乏人の息子は道楽なんかしないが・・・言われてみれば確かにそうだ。」

というわけで大蔵屋さん、猫を買いに出かけました。

質屋という商売は人を見る商売でございます。今のように再販価格がどうのこうのではなく、人を見て貸す。つまり品物の値打ちにではなく人の値打ちに貸す。
確実に返してくれると見れば、多少の無理をしてでも貸す。大工が商売道具なんてものを持ってこようものなら、「商売道具質に入れてどうやって返すつもりなんだい?いいから証文だけ書いておくれ。」などといって一分でも二分でも貸しちまう。こういう人は金ができれば元利ともども必ず返しに来るから損がない。逆に道楽息子が親父の品物なんかくすねて持ってきても、十両で売れるとみても、一両か二両しか貸さない。そんな奴は大概、請出しになんかこないから、期限が過ぎればさっさと売っちまう。儲かるわけです。

「ごめんなさいよ」大蔵屋さん、番頭を連れて男のところにやってきました。
「へい、何か御用で?」
大蔵屋さん男の顔を見るなり「・・・ああ、これはいけない。まじめそうなのは上っ面だけだ。」と見抜いてしまいました。死ぬ思いをしたって本性の変わらない奴はいるもんでございます。この男の場合、死ぬ手前です、いわば臨死体験ですからやっぱり死ななきゃ治らないんでしょう。

当時のお金と云えば庶民レベルですと小粒銀に一文銭。ちょっと大きな金額だと一分銀を百枚紙に包んで、封印した包み金、通称切餅なんてのが使われていました。
大蔵屋さん、一応この切餅を四つ、ひとつ二十五両で百両分用意してきたのですが、それではもったいない。
ま、ひとつで十分だろうと、「番頭や、あれを一つお出し」
番頭「へい」てぇんで、切餅が出されました。

初めのうちこそ「いえ、この猫は命の恩人なんで、とても売るなんてこたぁできません」などと言っていましたが、
目の前に二十五両という見たこともない大金が積まれますと、この男、本性がむくむくと出てきまして、「まぁ、猫も助かったし、あと1年は寿命があるんだ。これで面白可笑しく暮らせばいいや。後はなんとなるだろう。」
一応、「猫、可愛がってやっておくんなさいよ」などと言ってはみるものの、目は切餅に釘付けでございます。

死神との約束を忘れて遊び歩きまして、一月もたたないうちに二十五両の金を使い果たしてしまいました。

「あ~ぁ、いやんなちまうな。何をやってもうまくいかないし、金はねぇし、どこへいっても金は貸してくれないし、…。そうだよな、ここんとこ毎日ぶらぶらして酒ばっかり飲んでたんだからな、あーぁいっそ死んじまおうかな。そしたら誰か酒の一本も供えてくれないかしら?…ん?どっかで聞いたような話だな…。」


『馬鹿野郎、つまらねぇ色気だしゃぁがって。元の黙阿弥じゃねぇか…』
「あ、死神さん、しーさん、しばらくっ」
『なれなれしく呼ぶんじゃねぇ、この死に損いが!』
『可哀そうだがお前の命は今日で終わりだ。」
「え?まだ一年には間がありますよ。そうだ、その辺に猫、落っこっていませんか?」
『馬鹿、命はやり直しなんかきかないんだよ。おめぇ、あの二十五両で何をした?遊んでただけじゃねぇか。その気になりゃあの金で大勢の人を救えたものを。』
「あれ、よくご存じで…。」
『これでも神の端くれだからな。大金を持っていいことの一つもしないのは、人としてやるべきことじゃない。一年の命、俺が縮めさせてもらった。遠慮はいらねぇ、さあ、とっとと死ね。』
「いえ、とんでもない。え、遠慮・し・と・き・・ま…………………………………………

諸行無常 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

死神

執筆の狙い

作者 大弥次郎
153.203.103.215

この作品はフィクションです。
古典落語の「死神」をベースにしていますが、死神の設定など大幅に変えています。とりあえず、読んでいただければ幸いです。

コメント

夏目 吉春
114.159.221.17

大弥次郎さんこんばんは
 『死神』拝読させていただきました。

 落語がもとなら話は面白くなくちゃいけないですよね。ええ、十分おもしろかったです。ところで、死にたがり屋の主人公と死神の性格(話し方)が似てるところが気になりました。そこで私は粋な大工の源さん(主人公)と長屋の御隠居さん(死神)みたいな関係に想像しました。

 もし私が推敲するならと思い例をあげてみますと

>枕の部分に『イケメンなんていうのは大変なんです。(命がいくつあっても足りません。)ま!あたくしの身に--』
こんなつなぎ方はいかがでしょうか。

>『あの世にお銭(あし)は持っていけないんだそうで、』これの続きに⇒(なんてえたってえ幽霊に足が無いのが証拠です。)
ごめん、こういうの考えるの好きなんです。

>『(棺桶を貸すなんざいい商売かと思ったんだが、)あ~ぁ、いやんなっちまうな--』
こんなナンセンスな商売に失敗したとか入れると面白いかもね。

>『いえ、とんでもない。え、遠慮・し・と・き・・ま…………………………………………』
 『(--え!これはどうしたことか。)鼻水と眼やにと、ダニや蚤、疥癬だらけの俺(猫)を一生懸命看病してくれるじゃねえか。(悪くはねえ、--おい、死神! なんでもっと早く迎えに来てくれなかったんだい)』

楽しく想像しながら読ませていただきました。ありがとうございます。

夜の雨
60.42.120.4

話は充分に面白いですね。
原稿用紙15枚でしたが、構成のバランスがよく、エピソードの展開に違和感はありませんでした。
文章は落語調にしてあり味はありますが、小説的な文章で書いてもよかったかなと思います。
落語を文章で読むのと寄席や映像で観るのとでは違います。
寄席や映像で観ると、演者の息遣いが伝わってきます。
落語を文章で読むのでは、その演者の息遣いまで伝わらないのですよね、そのあたり、御作は損をしているなぁと思います。


「死神」が以前は主人公の「守り神」だったというアイデアは面白いです、へまするとだんだんと格下げになるとは。

猫はもう少し活躍させてもよいかなぁと思います。
御作の猫は出番が少ないですね、一応主人公の救世主だし、また落とす役目もあるので、猫をもっと描いてもよいかと。

落語の話だとこの長さぐらいかどうかわかりませんが、御作を読む側からすると、もっと厚くしてもよいかなと思います。


―――――――――
できれば香典はたっぷり、と言いたいんですがあの世にお銭(あし)は持っていけないんだそうで、ご祝儀でけっこうですから、今ください。


「ご祝儀でけっこうですから、今ください。」 ←落語の枕で書くのなら、もう少し自然体のほうが良いのではないかと思います。
「ご祝儀でけっこうですから、今いただけると、ありがたいのですが。」とか。

>猫もだんだん元気になり体をなめたりするのでだんだんきれいになり懐いてくる。

一文に「だんだん」が二つのあるので、文章があまいかと思います。

ほか
NHKで「昭和元禄 落語心中」というドラマを現在していますね。
第一回目だけ観て、あとは録画はしてあるのですが、観ておりません。
この一回目で「死神」の落語していました。
一部だけだったと思いますが、すごみがありましたね。


――――――――――――――――――

現在2面にある「上松 煌 」さんの「魍魎記(もうりょうき・本当は怖い自然の逆襲)」は日曜日までに感想を書いておきます。

九七式中戦車・改
119.104.112.49

大弥次郎さん、おばんです。
実はあたしも落語好きでしてね、楽しく読ませていただきました。

高校一年の暑い夏の夜、集まった親戚たちを前に「もう半分」を披露したのを思い出しましたよ。まあ、あの話はコワ面白い怪談系だったもんですから、オチを話したところで場が「しーん」としちまったんでさあね。あら、受けなかったかい、と思ってもう一本つづけたんです。「親子酒」ですよ。頭が三つもあるヤツにゃあ、家を継がすわけにはいかねえ、ってやつ。それでなんとか盛り上げる事ができましたねえ。
酒の席で怪談噺なんざ外すの目に見えてるんですけど、若いってのは怖いもん知らずだ。やっちまったわけでさあ。
今じゃあいい思い出ですよ。

高校生のくせに落語なんざ年寄りくせえ野郎だ、なんて友人には言われたりしましたがね、十代で落語に出逢えたのは幸運じゃないですかね。テープ聞いて本読んで、面白い話ってえのはどういうもんか、ってのを頭と心と身体に沁み込ますことができたんじゃねえか、なんて思ったりしてるんです。
ご存知とは思いますが、「らくだ」と「皿屋敷」なんてもう、最高に面白い話だ。あれにゃあ面白い話の真髄が詰まってると思うんですがね……。
おっといけねえ、落語談義じゃねえんだ、ここは。感想書かなきゃなんねえ場所だ。

御作「死神」ですがね。筋書きとしてはおもしれえ。特に出だしの死神設定にゃあ参ったね。そうきたか。あたしゃあ膝を打ちましたよ。
ただね……。

いや、ちょっと辛口かな? とも思いますが、あえて言わせてもらいますよ。気を悪くしないでおくんなましね?
御作には、その、……落語で一番大事な「人情」の描写が少ねえんです。

主役の男が猫を看る時とか、大蔵屋の旦那とやり取りする時とか、なんかこう、あと一歩、人情が欲しかったなあ、なんて思うんですよ。小説なんて云うかたっ苦しいヤツだと心理描写なんて大層な言い回ししてますがね、それが足りないなあ。
それとね、死神さん、出だしでちょっとしゃべり過ぎでさあね。いや、言いたい事は判るんだ。だけどなんか、ここはさくっと進めてほしかったなあ、なんて感じましたね。
でね。
お? まだあるんかコイツ、って今思ってますね? ええ、ええ、判りますとも。お気持ち。だけど言わせておくんなせえ。オチですよ。

オチで主役の男が死ぬのは聞き手の側は判ってる。だからこそ、そこをアッといわせるモンにしてほしかったな。
例えば、男がどうなるか仲間の死神(あるいは仏)と「賭けていた」とかね。

いや、でも十分、楽しい噺でございました。あたしもなんか、創作落語に挑戦してみたくなりましたね。
どうもありがとうございました。

大弥次郎
153.203.103.215

えー、毎度バカバカしい話で皆様のお時間を頂戴しております。作者大弥次郎の脳内噺家、三楽亭楽市と申します。三楽と申しますと教養のおありになる方は「孟子」なんぞを思い出したりもするんでしょうが、あたくしの場合は「三楽オーシャン」のほうでございまして、単に酒が好き、という話でございます。
どうぞ皆様ご贔屓にお願い申し上げます。夏目 吉春さま、夜の雨さま、チハ車、じゃなかった九七式中戦車・改さま、このたびはご閲覧いただきましてまことにありがとうございます。まさに欣喜雀躍、狂喜乱舞の思いでございます。しかも、皆様自分ならこうする、創作落語に挑戦したいなどと身に余るお言葉、人生の知己と言いますか、戦友を一度に得た心持でございます。まことにありがたく御礼を申し上げる次第。
夏目 吉春さま
>『(棺桶を貸すなんざいい商売かと思ったんだが、)あ~ぁ、いやんなっちまうな--』
こんなナンセンスな商売に失敗したとか入れると面白いかもね。
  当時は土葬なんで、どうやって回収するんでしょうか…?ナンセンスはある程度の真実がないとナンセンスにならないのではないか、などと大弥次郎が生意気にもほざいておりました。いえ、けしからん話だと思います。
夜の雨さま
>落語を文章で読むのでは、その演者の息遣いまで伝わらないのですよね、そのあたり、御作は損をしているなぁと思います。
  その辺は、大弥次郎が文章を書きなれていないせいなんでしょうな。いわば筆力のなさです。あたくしから良く言っておきます。
「昭和元禄落語心中」、あたくしも楽しんでおります。元はと言えば漫画作品で、その後第1期13回、第2期12回のアニメ作品になり、今回の実写ドラマになったのですが、特筆すべきは、落語の監修をしている柳家喬太郎の力です。八雲演じるあの「死神」は喬太郎の「死神」そのまんまです。大弥次郎がこの作品を描く一つの動機になったんではないか、とあたくしは思っております。
九七式中戦車・改さま
  大弥次郎も、東急文化寄席のあった渋谷から延びる私鉄沿線に住んでいて花屋の花が変わるのを何度も眺めていたようですが。
なにしろ大弥次郎の育った時代は第二次落語ブームでテレビやラジオに頻繁に取り上げられる。放送枠の関係で10分から15分で一席申し上げるという時代でした。圓生師匠のように1時間でも2時間でも噺の都合で話せる時代ではございませんで、「お後がよろしいようで」なんてぇ言葉が別の意味になってしまいました。おっと、落語談議なんぞしている場合じゃございませんね。
上松も大変皆様方にはお世話になっておりますようで、大弥次郎になり替わり御礼申し上げます。よろしく申し伝えます。
では、皆様。お後がよろしいようで…。

うずるやたかしぃ
49.104.16.250

こんにちは。
落語好きです。江戸のことはよくわかりませんが、読むのも好きです。
面白かったです。また書いて下さいね。

大弥次郎
153.203.103.215

うずるやたかしぃ 様
コメントありがとうございます。
>面白かったです。
このお言葉が何よりの励みになります。
また書きます。ありがとうございました。

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