作家でごはん!鍛練場
なるみ

石の花

 明治維新のせいで名字が必要になったぼくの先祖は、おそらく特に深く考えることもなく適当な漢字をふたつ選んだ。おかげで五代下のぼくまでもこうして平凡なくせに画数だけが多い不便な名前を名乗らされている。
 田舎の長男ということもあって、先祖の話は父親から事あるごとに聞かされてきた。地元への愛着が薄く、じぶんの代になれば早々に土地など整理してしまいたいと考えているのだが、墓参りくらいは親の目が黒いうちは行くことにしている。

 先祖の朔太郎は男ばかりの8人兄弟の長男として生まれた。朔太郎は58年の人生を故郷の山村を出ることなく過ごし、寿命のうちに桜を一度もその瞳に映したことがなかったという。この村では春になれば山々に野桜が点々と咲いたのだが江戸の終わりになんの前触れもなく、まるで村が桜を忘れてしまったかのように春の彩りが失われてしまった。
 かれらの親たちは春が訪れるたびに桜の話をしたものだが、朔太郎らの世代は風流を解さなかった。粋であることより現実的であることを重視したかれらを、年寄りたちは皮肉を込めて「無彩の季節」と呼んだ。色彩を知らない子どもたちはよく働いた。住処から見渡せる山々を次々と切り開き、新たな土地を得て、財をなした。山の頂上に墓を築き、朔太郎らはそこに眠った。家紋もなく、適当に拾った大きな石に名字を彫っただけの質素な墓だった。

 朔太郎の孫でぼくの曽祖父である良一が生まれたとき、村は合併を繰り返して町となっていた。町の山々はさらに切り開かれ、列強諸国への対抗心を燃やした日本軍の工廠も建てられた。
 酒も遊びも知らぬままに育った良一は生きることを働くことと同義とした思想を育み、町の者たちの多くは初夏から秋にかけて農耕をし、冬から春は工場で油にまみれた。いよいよ戦争が本格化すると疎開先として都市部から人が続々とやってきたが、そのせいでかえって町は新興都市の様相を帯び、数機の戦闘機の気まぐれによって焼け野原にされてしまった。祖母とおさない妹を亡くした。日本脳炎の初期症状のため戦線を外されていた良一は福知山の航空基地で終戦を迎えた。
 帰郷した良一が焼け野原のままの町を見下ろせる墓地へと上ると、そこには無骨な石が大量に並べられていた。おなじく墓参りに来ていた老婆がそれは引き取り手のない疎開者たちの墓だといった。墓地の隅には一本の木が申し訳程度の桃色の花を不恰好につけていた。良一はそれをじっと見つめていた。
 そんくらいしか添える花がのうてな、と老婆がいった。桜か、と良一が尋ねると老婆は、知らん、とこたえてこう続けた。しかしこの花を見て、わしは生まれてはじめて酒を飲みたくなった。そうか、と良一がこたえたときには老婆の姿がなかった。すこしでも仏に添える花を、と帰郷した日本兵たちは家紋に桜の花びらを選んで墓石に彫った。

 立ち去ろうとすると、一本の枯れ木がぼくの影をつかんだ。そしてその瞬間、町にひそんでいたなにかの気配がたちまち重い頭をもたげ、視界のすべてが一変する。日が陰る。墓場に咲き乱れたその石の花のこの世ならざるその色彩が、どうやら生まれる前から網膜に焼き付いていた。

石の花

執筆の狙い

作者 なるみ
121.84.231.70

短いお話を書く練習をしました。よろしくお願いします。

コメント

偏差値45
219.182.80.182

>数機の戦闘機
爆撃機ではないかな。

朔太郎⇒良一⇒ぼく、となるわけですが、
軸となるものが弱い気がしましたね。
そのため、ストーリーとしてはボヤけていると思います。

なるみ
121.84.231.70

偏差値45さん

ありがとうございました。
軸となるものが弱い、とのことですが、偏差値45さんは何を軸として読まれたのか、参考までにおしえてくださるとたいへん助かります。

エア
202.127.89.187

拝読しました。登場人物の心理描写が少ない気がしました。作者は、何をテーマにしているのでしょうか?恐らくお墓をテーマにしたと思うのですが、どうでしょうか?題材は良かったと思います。

なるみ
121.84.231.70

エアさん

ありがとうございます。
心情描写は意図的に避けています。また、テーマといいますか、一貫して書いているのは「故郷が嫌い」という感情です。諦観的で、乾いた手触りの150年ほどの時間を1000字程度の掌編にしたいと考え、こうした心理描写を排した書き方を採用しました。

夏端月
220.208.27.39

拝読。
>短いお話を書く練習をしました。 とのことですが、(短い話)としては消化不良。最後の(意味深)な3行だけが残り、それまでの明治から現在に至る所謂先祖の歴史が全く生かしきれてない。掌編としての感動もカタルシスも無い。
辛口でゴメンナサイ。

なるみ
121.84.231.70

夏端月さん

ありがとうございます。ご指摘、参考にさせていただきます。

夜の雨
60.42.120.4

短いですね、内容はよいです。

主人公の「ぼく」から始まり、「先祖の朔太郎」へと展開して「朔太郎の孫でぼくの曽祖父である良一」の話とその時代を書き、タイトルになっている「石の花」の「題材(テーマ)」が描かれはじめ、主人公の「ぼく」に話が戻って、「石の花」が「桜」の色彩になり、それは「生まれる前から網膜に焼き付いていた」ということで、「朔太郎らの世代は風流を解さなかった。粋であることより現実的であることを重視した」このあたりと『「石の花」と「桜」の色彩』が、絡んで、「完」になる。

●つまり主人公の「ぼく」と「先祖の朔太郎」、「朔太郎の孫でぼくの曽祖父である良一」の三代(五代)にわたる「風流と現実」、それに「過酷であった時代(戦争)」が「石の花」(桜)で結ばれたということになります。

これだけのイメージを作者さんは持っておられるのですから、原稿用紙30枚あたりまでは書き込んでみてはいかがですか、立派な文学作品になると思います。
現時点では掘り下げ方が足らないと思います。

なるみ
121.84.231.70

夜の雨さん

ありがとうございます。お話の流れといいますか構成といいますか、想定していたことはほぼご説明いただいた内容の通りです。
おっしゃるとおり、これは30枚くらいで書いたらそれなりに収まりのよい小説になるのですが、少し訳あって「1000字程度」という尺で小説を書く練習が必要になったため、投稿した次第です。掌編は短編とはちがい、随分と要領がちがうなと感じました。

時間を見つけて10000字程度のものも書いてみたいと思います。

夜の雨
60.42.120.4

御作は膨らますといくらでも面白くなります。
例えばこんな具合です。

主人公の「ぼく」が実家に彼女を連れて帰ってきた。
いずれ彼女とは結婚するつもりでいるので「あいさつ代わり」というような感じである。

彼女には「この土地がうざいから、ぼくの時代になれば整理しようと思っている」という。
彼女は「いいところじゃないの、私は好きよ、ここが」とか言っている。

その夜のことである。家族や地元の友人などと、食事をして遅くなり二人して離れの座敷で眠っていると、何やらざわざわと外で人の動く気配がする。
何だろうかと起きてみると様子がおかしい。
それもそのはず、風景が変わっている。
「先祖の朔太郎」の時代になっていた。

「朔太郎、何をしているのだ!」と主人公(ぼく)は起こされる。
「長男がいつまで寝ているのだ! 朝だぞ」主人公の「ぼく」は、現代から朔太郎の時代に、いや、朔太郎になってしまった。
そして朔太郎の時代で彼女に遭い、「朔太郎らの世代は風流を解さなかった。粋であることより現実的であることを重視した」このあたりを実感する生活を幾日か経験する。
主人公が朔太郎の人生を体感したところで、夜寝て朝起きると「良一」の時代(戦前から戦中、戦後)になり、またしても良一の人生を体感する。
とんでもない体験をした、人生観が変わるよと言うような感じの後で、現代に戻る。
彼女に起こされて、「うなされていたわよ、どうしたの」とか言われて、さすがに説明しにくいところを説明すると、額に手を当てられて「熱はないわね」というあんばいです。
朝食の後、墓参りに行き、「石の花」を見ると、「石の花のこの世ならざるその色彩が」で「完」になります。

つまり主人公の「ぼく」は、故郷がうざいと思っていたわけですが、そこで図らずも「先祖の朔太郎と良一を体験して、人生と時代の重みを体感するという、お話でした。


以上ですが、こういった創り方もできるということです、御作なら。
それだけ、御作はイメージを膨らませることが出来る情報が含まれています。

作者さんは掌編として創ったのかもしれませんが、御作は掌編ではありません。
情報密度の高いプロットのようなものです。

ちなみに、こういった内容で書くと、原稿用紙70枚から100枚近くになると思います。


お疲れさまでした。

なるみ
121.84.231.70

夜の雨さん

うーん、そうですね…。あんまり日本文学っぽいものが好きじゃないので、描写とかそういうもので味わい深い感じに仕上げるより、わたしとしてはラテンアメリカ的なノリの荒唐無稽な伝記物にしたいなあと思います。
ある程度の着地点は想定しておくにしても、整った話よりもとっ散らかった話のほうが好きなので…。とはいえ、これは単に好みの問題かもしれません。

いろいろとありがとうございました。

夜の雨
60.42.120.4

再訪

>わたしとしてはラテンアメリカ的なノリの荒唐無稽な伝記物にしたいなあと思います。<

なるほど、そういった発想はしていなかったですが、私の書いた物だと展開が読めそうで、すでにありそうなのですが、作者さんのおっしゃる「ラテンアメリカ的なノリの荒唐無稽な伝記物」これはよいですね。
アレンジすると、いくらでも世界が広がります。

展開が読めないので、かなり良いと思いますよ、勉強になりました。

それでは、これで書き込みを終了します。


ありがとうございました。

槙野俊
110.165.181.233

小説というよりあらすじという印象です。
人物が動いていないです。
説明を読みたい人はわざわざ物語を読まないと思いますので、書き手が物語という形式を選んでいる以上、それにのっとった書き方をしなければ読者的には「???」となるのは当然のことです。書き手として執筆前の意図が明確にあるのでしょうが、それを表現する時に無味乾燥な大学のレポートみたいになるのは駄目だと思います。
時間を加工できるのが小説という形式の強みですが、御作は過去の異なる時代を描いているものの事実の列挙という感じで要素間の有機的連結の気持ち良さみたいなものがなく残念な感じになっています。
読者としては能動的な読解の喜びみたいなものを得にくいです。
小説はわかりづらさとわかりやすさのバランスが大事です。
御作はあらすじなのでわかりやすすぎて食い足りない。そして結末は曖昧で何が言いたいのかわからない。すごくストレスがたまります。逆にすべきです。序盤、中盤は適度に謎を残して読者の先を知りたいという気持ちをかき立て、最後にわかりやすく説明して読後感をすっきりさせる。
御作はあべこべになっています。
言い方が悪いですが、最後のパラグラフがちょっと寒いというか滑っていると感じました。
作者の作劇手法に対する理解の程度に疑念がある時にこの気取ったパラグラフだとやはり滑っている感じがどうしてもしてしまうのです。

通りがかり
210.2.205.18

こういのは自分も書くんすけど難しいっすね。
先様も言っている通り、この文章は100枚くらい使って書くべき小説のプロットだと思うっす。要は書くべき内容の範囲の問題だとは思うんすけど、この町個別の事情を強調しないっていうのは定石外れな気がするっすね……まぁ、何が言いたいかっていうと、1000文字程度の短編としては仕上がっていないって事を言いたいんすけど。

どうなんすかね。
明治に入った途端に桜がなくなった=「無彩の季節」というのは結局、この小さな町を描き出すのに向いた設定じゃなくないすか? 本格的な近代化の進展を「無彩」と象徴するのであれば、それって日本全国どこでも当てはまる話っすからね。近代化の発展=「無彩」の感覚がどこまで普遍的なものかって話なんすけど、個人的にはそこまで同意できないってのが感想っす。
大風呂敷広げて近代日本人すべてが色盲だった、みたいな話にしないのであれば、舞台となるこの小さな町の個別の事情を強調する方がスマートに思えるんすよね。後、「故郷が嫌い」っていうのは正直読めなかったっすね。

手法としては御作の「ぼく」なり、メルキアデスなり、ナラティブを強調するっていうのは手といえば手なんすけど、現代に生きる「ぼく」がそこまで信用できる語りっていうのが、内容的にも形式的にもどんだけあんのかってのは問題だと思うっす。まぁ、そこの不信感を狙って現代を舞台にしているとかなのであれば、やっぱりもっと紙幅を増やしてほしかったすね。


ラテンアメリカ文学のノリが好みということですでにご存知かもしれないんすけど、ちょっと前に河出書房で文庫になった『ボルヘス怪奇譚集』の中に汽車に乗った男が死んで家に帰るまでの掌編があって、これが凄いんすよ。題名は忘れてしまったんすけど、相当に省略が効いているのに、ある種の人生の本質を全て描き出したような感覚になれるんす。他の小説にはちょっとない感覚で驚きましたね。
良い短編にはよくあることで、この掌編の説明が上手くできないのが歯がゆいんですが、この掌編の省略の仕方が凄い破格で、読み終わるとこういう方法もあるって納得はするんすけど、読まないとまず思いつかない感じなんすよ。御作もあえて1000文字にまとめる必要があるとすれば、そうした普通の短編を書く以上の省略の技法が必要だと思うっす。もしまだ未読なのであれば、短いんで立ち読みでもしてみるとちょっと面白いかもしれないっすね。

なるみ
121.84.231.70

槙野俊さん

ありがとうございます。
わたしとしては「そんなにわかりやすいあらすじを書いた覚えはなく、そこまでわかりにくい結末を書いたつもりもない」という認識でしたので、根本的な誤りがあったのだと考えています。
ただ「人が動いていない」や「説明的すぎる」といったご指摘については、わたし自身がそういうものを好んで読んでいることもあり「うーん…」と感じているのが本音です。Wikipediaが好きなら小説なんか読まずにWikipediaを読んでなさい!なんて言われそうなんですけれど。

なるみ
121.84.231.70

通りすがりさん

ありがとうございます。
「無彩」についてはやはり扱いが雑だったのもあり、わたしの意図としては「桜が咲かない」ということと、粋の感覚が損なわれたことを指していました。ローカルな町を舞台にしたのも、「突然桜が咲かなくなる」という虚構性が強いお話をある程度地に足つけた形で書くための選択でした。
内容と長さについて、足らないと言われるのはまず100%同意できることです。他の方のお返事にも書いたのですが、1000字程度で書かなければならない事情がありました。しかし、あまり尺のせいにしてしまうと幅も狭くなるだけなので、技術的になにか書く方法があったのではないかと思います。

ご指摘されたボルヘスの掌編ですが、たぶん「汽車」ではないでしょうか?
ある少年が母のおつかいで出かけ、投身自殺して肉体が弾け飛ぶまでの人生を描いた掌編だと記憶しています。この掌編は汽車の直線的な動きに男の人生を圧縮させるような構成をしていて、ライフイベントがちょっとした停車駅にすりかわったかのような感覚に陥る作品でした。
あまり作家の名前をだすのも気が引けるのですが、たしかクッツェーが「物語とはこちら側からあちら側へと連れて行くものだ」といっていました。ボルヘスの「汽車」は時間や場所、そして生と死など、あらゆる意味で「こちら側からあちら側」へ運んでくれたのに対して、(そもそもボルヘスと比較すること自体が畏れ多くてしんどいですが苦笑)わたしの小説はそのための仕掛けがなかったかな…と思いました。

重要な示唆をいただき、感謝しています。

なるみ
121.84.231.70

すみません、
「通りすがり」さんではなく、「通りがかり」さんでした。
お名前を間違え、大変失礼しました。

小山内
119.25.80.49

拝読しました。
ここで読ませてもらえる作品としてはたいへん上手だと思います。
鍛錬場と銘打っている場所なので、コメントの経緯を含めて感想を書きます。

コメントのなかで「故郷が嫌い」というイメージ、または感情を持って書かれたということですが
それは感じられなかったです。一読して感じられたのは風流を解さなかった村人が、戦争をつうじて
桜の季節をなにがしかの感情を持って迎えるきっかけをつかんだ、というある種の感動です。
そのように感じられたので、最後の3行「ぼく」の所在は確かに唐突でした。

「ぼく」が村の花見の由来か起源を、お寺か古老の聞き取りかで調べ、素朴な石の墓が並んだ場所を
訪れる、その以前になにか感情を持って、その場所まで来ている、という序章がないと、収まりが悪い感じです。

なるみ
121.84.231.70

ありがとうございます。
全体的に乾いた嫌悪感のようなものを、直接ではなく気配として忍び込ませたいと考えていました。それが「故郷が嫌い」という語り手の感情になるわけですが、ただの「いい話」になってしまっていると本末転倒かなと思いました。ここはきちんと練り直します。
最後の唐突さですが、序章を導入すると作り物臭さが悪い方向に強調されてしまいそうな気がするので、あくまでシチュエーションのなかで歴史の断片が浮き上がる…というスタンスの方がいいかもしれません。このあたり、最後の良一と老婆の会話で、さりげなく良一を「ぼく」にすり替えるなどがベタではありますが、解決策の一つかな…と思いました。

収まりの悪さについてのご指摘、たいへん参考になりました。感謝しています。

弥々丸
106.161.216.178

クッツェーもボルヘスも知らない現代日本作家しか読めない偏った人間が言うことなので所詮馬鹿げてるんですけど、下の方でプロの人が村上春樹さんの模倣をしてるらしいんですけど、これもつまりそういうことなんですか?

読みやすいしおハナシもわかったんですけど、締めの三行と書き手さんが言われてるテーマらしきはあたしも全然わかってません。日本人の苗字の由来とか、もっと理に適ったような面白い説はあちこちで見聞きするので、”適当な漢字を二つ選んだ”というのはむしろ言われがちなどんな説にも加われないような偏狭の山村感盛られるみたいでこの世界に入りやすかったです。


まあ、それはそれとしてなんですけど。

読書って、基本面倒だし、つまんないじゃないですか?
いちいち読んでもいい程度には興味持てなきゃやってらんないです。個人的には。

これ、何で書きたかったんですか?
面白いですか?
こういうの面白い人って、こういうの書きたい人ばっか、嫌われがちな読書好きな人ばっかでしかない気がするんですよ。
一万字くらいで、とかありましたけど、あたしは嫌だな。めんどうくさいです。


小説もドラマなんかもそうなんですけど、近頃って医療モノとか警察、裁判モノとか、下町とかも全然そうだと思うんですけど、要するに”エンタメ”といわれるジャンルばっか人気あるのって、重宝されるのって、何でだと思います?

これ、その真逆行ってると思うんですよ。
絶対流行らない方の興味、好みばっかってこと。

ディスってるんじゃないですよ?
どっちかったらあたしもこっち側のニンゲンなのでムカつくのとかやめてください今そっちのエンジンわりとすぐ動く感じでいるので。


みんな、面倒臭いんですよ。考えるのとか。
パッと見、専門性高そうなのとかハナシ早そうなのとかをわかりやすく手っ取り早く見せてもらってわかった風に面白かった風に思わせて欲しい。
わかってなくても、何かおもしろかったような気がしたらそれでいい。

感想は、オモシロかった。つまんなかった。どっちか。


ある意味手厳しいとも言えるかもなんですけど、所詮馬鹿っぽいじゃないですか?
でも、そんな馬鹿っぽさ全盛の世界にあって、自分たちばっかがわかっていて面白がりたいことを大層大仰に、見栄らしく、排他的に、見透かしたように、所詮、腹割らないみたいな性悪な感じで、出来不出来のハナシとかお行儀よさげにあっちこちとか、馬鹿っぽいの一周廻ってどっちかわかんなくなっちゃったらしく似た感じ、しないでもないじゃないですか?

好きこそものの何とかかんとかもけっこうなんですけど、それだけで満足って言うなら近所のシャッターとかに落書きぶちまけて物議かもしたほうがまだメッセージなんじゃないの、なんて暴論おもったりしないでもないんですよね、正論なんかでは全然なくということですけど。


上手に書きたいだけならいいんですけど、他人に見せるに当たっては圧倒的につまんないですよ。
こういうの見るたびに思うことって、いつも一緒なんですよ。

読者想定できてますか? 

平成も近く終わるらしいんですよ。
音楽も、楽器なんか無くても鳴るんですよ。

その道の上等を時代に化かすのはもったいないこととは思うんですけど、それ履き違えて盲目に甘えるのはただのマヌケだと思うんですよ。


ジャンルなんてカンケイないですよね。
つまんないは、罪だと思うんです。

これにお金出して読みたいなんて思う人なんて、時代遅れのヘンタイと年寄りくらいのものだと思うんですよ。


昔の話であることはわかるけど、ノスタルジーの意識はないでしょ?
あたしこれ、意識はあっても目的はブレてると思う。
いろんな意味で。


千枚がどうとか、そんなことはこっちには関係ないんですし。


おハナシ以前に、書く動機が陰気臭くないですか。
だから読書って、嫌われるんですよ。
その片棒担いでますよ、これ。

なるみ
121.84.231.70

弥々丸さん

お読みいただきありがとうございます。
わたしは読書が基本面倒だともつまらないとも思っていないです。それはもちろんわたし個人の都合なので、特に他の誰かに同調してもらおうとは思っていません。弥々丸さんの都合はわたしにはよくわからないですし、勝手に巻き込まないでもらいたいです。
小説の精神論のようなものについてそれが不要だとは思いませんが、少なくともわたしはそれをこの場においては望んでいないので、そういうお話をご希望でしたら、他の方にお願いしてみていただければ幸いです。

弥々丸
106.161.228.97

ほら、やっぱつまんない。

あなたが望まないなんて話は、あなたの幸いなんてこと知るかってあたしと全然かわんないんですよ。
そういうこと理解しようとしない図々しさ透けてるよ、ってハナシをしてんです。

あなた、面倒じゃなくてもつまんなくなくても、いいこと思いつけてないですよ。
性格悪いんですよ。

好きなつもりなら、それをヒトに伝えてあげたらいいじゃないですか。
てめえの満足ばっかなんか知るか、ってこと言ってんです。

精神論とかごたくも、あたしじゃなくて、あなたの都合が言ってるってことくらいわかるんですよ、そういう暗さが滲んでんですよ、ここの感想の書き方とか、舐めてると嫌われるよ。
褒めてほしいだけのやつってすぐバレるし、褒める奴も馬鹿ばっか。


このハナシの魅力のなさは、あなたの性格からきてる。
断言してやる。

加茂かも
66.133.76.7

なるみさん、やや丸はこのサイトで有名な荒らしなのであまり相手しないように。
毎回わけわからない日本語で煽り立てて、作品と作者の人格を絡めて傷つけ、それに釣られた人の人格を執拗にdisりたいだけの暇人なので相手するの損ですよー。
変に相手すると粘着されて投稿するたびにわいてきます。ご注意。

九七式中戦車・改
119.104.102.16

「石の花」拝読しました。

狙ってるのかどうかわかりませんが、文章として不可解に感じました。
ちょうど四分割されてますので、順に説明します。

第一節は「ぼく」視点での語りです。父親から先祖の話を聞いたとか、地元の愛着が薄いなんてことを独白して、ストーリーの前振り的な事を告げてます。まあ、ここは問題無かったです。

第二節は先祖の朔太郎の話です。私の疑問はここから始まります。
「ぼく」が先祖の話を父から聞いたという事は、父もまたその上の世代から聞いたのでしょう。文書で残されているのなら父は「ぼく」に文書を渡せばいいだけです。御作のこの状況は、代々口伝えで先祖のストーリーが継承されたと想像できます。

>かれらの親たちは春が訪れるたびに桜の話をしたものだが、朔太郎らの世代は風流を解さなかった。粋であることより現実的であることを重視したかれらを、年寄りたちは皮肉を込めて「無彩の季節」と呼んだ。色彩を知らない子どもたちはよく働いた。

すると、ここ↑の下りが「ちょっと変じゃね?」となるのです。
朔太郎とその親世代との間に対立がありますよね? これを客観的に後世へ伝えられるのは朔太郎の子の世代でないか? となるのですが、朔太郎の子の世代も当然「桜を知らない」はずなんです。そうなると朔太郎の子の世代が、「朔太郎らの世代は風流を解さなかった」とか「年寄りたちは皮肉を込めて『無彩の季節』と呼んだ」なんて事を後世に伝えますかね? 朔太郎の子の世代が先々代の価値観へ回帰してないと、こんな事伝えないと思うのです。でも時代の流れ的にも作中描写でもそんな雰囲気がありません。
つまり私が言いたいのは、この文章、世代を経ての視点ではなく、無味乾燥な神視点ではないか? という事です。

第三節です。
「酒も遊びも知らぬままに育った良一」なんて表現は良一氏の下の世代の付加情報だと思います(下の世代視点)。ところが「帰郷した良一が~」からは良一視点でのストーリー展開になっています。いわゆる視点のブレが発生しているのでは? と感じました。
さらに言うと、やたらディティール細かい老婆とのやり取り、これ、良一氏が下の世代に伝えたんですかね? 
偏差値さんも言及しましたが、たった数機で新興都市を焼野原にするチート戦闘機が登場したりもします。
視点のブレ、良一視点のディティール、チート戦闘機、これらから、「先祖から聞いた」という前提について「嘘くせー。なーんか、噓くせー……」と感じました。

最終節
夢オチを匂わせるような不可解な文章です。
イタチの最後っ屁というか、忍者の煙幕弾というか、SATのスタングレネードというか、なんかそんなのを食らわされた気分になりました。

要するに、「父から聞いた先祖の話です」と前振りしているくせに「作ったお話感」がビンビンに感じられるんですね。
もちろん「作った話」でいいんですけど、作者として自分で拵えた設定には縛られて欲しいな、と思いました。

なるみ
121.84.231.70

九七式中戦車・改 さん

ありがとうございます。
まず、視点ブレについては最初に言っておくと意図的にやっています。
これは趣味みたいなもので、こうした「なんでそんなこと知ってるの?」という違和感や荒唐無稽さ、記述量のあきらかなムラ、おっしゃられる神視点を所持した一人称というものをわたし自身が好きだからやっているという感じです。狙いがないこともないのですが、こればかりはほんとに好きだからとしか、こういうものが言いようがないです。

もちろんこれが好きじゃない人も多いのですが、最近はこうした書き方の事例も増えてきたしいいかな…みたいな甘えがあるのは事実ですので、厳しくご指摘いただけて感謝しています。
特に良一周辺の話について、これは口伝みたいな感じで余計な情報をいろんな時代のいろんなひとが付け加えているみたいな感触は念頭に置いていました。しかしそれを示すものがそもそも本文中にないので、やるならちゃんとやらなくてはいけませんでした。
そのうえでも風流の感覚の知ってる/知っていないは、ご指摘頂いた点を踏まえて整理し直し、事実や認識のずらしかたや「嘘の付き方」を根本的に調整しなければならないと感じています。

具体的なご指摘、ありがとうございました。

加茂ミイル
60.47.117.139

私は「起承転結」という作品を一面にアップしているのですが、
文章を書く上でなるみさんの参考になることがあればと思い、紹介させていただきました。

弥々丸
106.161.228.94

加茂が思うツボすぎてスゴい

水野
121.115.143.249

『石の花』読みました。

不思議な感覚をもたらす作品でした。昔をただ懐かしむようなものではなく、何か別のことを語っているようでもある、異なる目的に沿って書かれているようでもある。感想欄が多少ヒントにはなりましたが、改めて読んでみて、不思議な感覚はなおさら増すようでした。

ですが少し考えてみると、本作の目的/テーマの一つに、「対称を際立たせること」があるように思えてきます。一方には「現実的」「無彩の季節」「石(墓石)」「墓(墓地)」「工廠」「焼け野原」「枯れ木」「影」「陰る」などの語群があり、もう一方に「桜」「彩り」(風流)(粋)「桃色」などの語群が控えています。モノクロとカラーを突き合わせて物語を織り成すことにより、一種独特の空間が作中で演出されている、という印象が濃くなってきます。(風流と粋に関しては、必ずしも対称の片方を成しているとは言い切れませんが)

そうしてこの対称は、最終的には一つに合わさることになります。墓石に添えられた桜の花、あるいは家紋として採用された桜の花びらがそれを具体的に示し、墓参りをする主人公の目が、それを象徴的に捉えます。最後のシークエンスは、おそらく季節外れの桜の木が、そこに込められた人々のこれまでの記憶を手掛かりに、主人公の目を借りて幻想的な開花を果たした、とても美しい場面だと思うのですが、ここにきて、主人公の本当に見たかった景色が顕れることになります。現実として目の前に広がるような枯れた土地ではなく、先祖代々、人々の心の中で確かに受け継がれてきた、密やかで温かなその色彩を、彼は希求していたわけになります。「陰と陽の合一」みたいなのが、本作の二つめの目的/テーマに数えられそうではあります。

なにせ短いので、手慰みとしての解釈を試みる以外に何ら言うことがなくなるのですが、指摘できる箇所があるとすれば、冒頭部分ですね。雰囲気作りや導入の役割は充分に果たしていると思うのですが、名字の件はそこまで必要とは思えませんでした。文体や用語の選択いかんで、作者がどういう時代・雰囲気のものを書きたいかは読者のほうである程度予測できますし、作者の方でもそういう効果を意図的に演出することは可能だからです。(名字の話が本作の隠れたテーマを指示するものであったとしたら、私にはそこまで読み取ることはできませんでした)
また、短い間に現在⇒過去⇒現在と行ったり来たりする必要があるので、過去⇒現在と一直線に進んで頂いた方が読みやすくなるとは思います。その際、この作品が一人称であることを示すために「ぼくの先祖は朔太郎という男で、彼は8人兄弟の長男として生まれた」みたいにするのが妥当な線かと思います。

百日百夜
111.89.19.167

なるみさま

 初めまして。拝読しました。
 
 一読しまして、わたしも梗概のように感じました。いろいろな伏線だったりメタファーのようなものが回収されていない、というか、だから何? と感じました。
 
 複雑な苗字、桜(無彩の季節)、戦争、そして墓石。意味ありげなものを置きっ放しな印象です。ただ私が読み取れてないだけかもしれませんけど。
 でも読者に伝わらなければ、作者としては悲しくありませんか? 私も最近書評を頂いたのですが、全然意図が伝わっていなくて勉強不足を痛感しました。

 短くても、起承転結とか序破急って必要だと思うんですよね。なんかそれが感じられなかった。上で水野様が仰っているように、コントラストで見せるのは賛成です。でもそれが作者さまの意図したことかは分かりませんけど。

 視点ブレに関しては、お好みであるようですけど私も一点にしたほうがいいかと。まあでもご自分を曲げてまでやることではないのでしょうね。ただ、一度一視点でやってみて比較するというのも面白いですよ。キャラがぶれると私はよくやります。

 では失礼致しました。

なるみ
121.84.231.70

みなさま

すいません。体調を崩しており、お返事に時間がかかります。
せっかくお読みいただき、ご感想くださったのにお待たせすることになり大変心苦しく申し訳ないのですが、ご容赦ください。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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