作家でごはん!鍛練場
りょうすけ

エクスペリエンス・ウォー(地下篇・100枚)

 戦争が始まる。
 義之がそういったのは、有名ロックシンガーが首を吊って死んだ日の朝だった。春にしてはひどく暑い日で、制服下のカッターシャツは不快なほど湿った。
「すべてが覆るんだ。法律や倫理(モラル)、価値観さえも」
 声をききながら首筋を拭う。さびれた文房具屋の前を通り、近道のため駐輪場を横切った。かわり映えしない、いつもの道。義之が放つ言葉だけ、やけに異質だ。
「鯨が空を飛び、鳥は地中に潜る。教えられた常識が、ぜんぶ嘘だと気づくんだ」
 まっすぐ、前だけをみる彼を横目で一瞥した。長いまつげが白い肌に映え、毎回女みたいだと思う。
「想像しただけで血が沸き立つ。目の前が赤く染まり、指先はぶるぶるとふるえる。でも、頭は馬鹿みたいに冷静なんだ」
 小説が好きな義之のことだから妄想だと思い、真剣にはきいていなかった。駅に着き、自動改札機をぬけて一番線のベンチに座った。
「冗談だと思うか?」
 スマートフォンのメッセージを確認していると声がふってきた。つめたい、しずかな声だ。
「鵜呑みにするほどガキじゃないさ」
 僕らはもうすぐ十八になる。選挙権も得られるし、来年は受験だ。母子家庭だから浪人するわけにもいかない。
「受験、か」
 返事をしようとして、おかしなことに気づいた。僕は思考を口にしていない。視線をあげると、義之がやさしく微笑んだ。
「死ぬときは感覚が鋭くなるんだ」
「死なないだろ」
「みんな死ぬさ。子どもも老人も、金持ちも貧乏人もわけへだてなく死ぬ。ある者は排便中に死んで、ある者はセックスの最中に死ぬ。どちらも排泄だが、これは抗うことのできない事象なんだ」
 前にいる男は僕が知る義之なのだろうか。ペットのうさぎが死んで泣いていた、あの義之なのだろうか。スマートフォンをにぎったまま、彼の目をみつめた。
「誠の魂はとても心地いいな。適温の湯船につかっているみたいだ」
「それって褒めてるのかよ」
「最高の褒め言葉さ」
「さっきの話、マジなのか?」
「誠はまだ死にたくないようだね」
「当然だろ」
「もうすぐ当たり前が当たり前じゃなくなる。こうして電車を待ち、おしゃべりしていることが奇跡的なことなんだと気づかされる。もし好きな子がいるなら、いまのうちに告白しておいたほうがいい」
 つよく吹いた風が桜の香りを運んでくる。遠くからだれかの笑い声がきこえた。こんなにも穏やかなのに、戦争なんて始まるのだろうか。
「誠は運命って信じるかい?」
「恋愛以外ならね」
 答えると、義之は口許だけで笑んだ。子どものころからの癖だ。
「人間はみえない檻の中で生活している。教師は教師役を演じ、生徒(おれたち)は生徒役を演じている。警察官が警察官でいられるのはなぜだと思う? それは檻という名のルールがあるからさ」
「朝からそういう話は感心しないな。頭が痛くなる」
「不自由の中の自由さ。制約があるからこそ、命は燦くんだ」
「落ち着けよ」
「逆さ。心は静謐に満ちている」
 みじかい沈黙がふたりのあいだに墜ちた。小さな痛みが頭の芯を蝕んでいる。いまにも非日常があらわれて僕をどこかへ連れ去っていく、そんな気がした。
「選択肢は単純(シンプル)なほうがいい。生きるか死ぬか、必要なのはそのシンプルさだ」
 ホームに電車がすべりこんできた。スマートフォンをしまい、立ちあがる。
 義之は架線の向こうをみつめ、きょうは死ぬにはいい日だと笑った。

†††

 〝戦争が始まる〟
 その言葉の意味を理解したのは放課後のことだった。下校していると突然、前をいくサラリーマンの頭が吹っ飛んだ。
 最初、何が起きたのかわからなかった。人間の頭部が消失する、そんなことは通常ありえないからだ。
 頭を失ったサラリーマンの体は右に傾いだあと引力に敗北し、どさりと地面にたおれた。見たこともない量の血が足元まで流れてくる。濃厚な血のにおいに思わず口許を塞いだ。──これは、夢だろうか。劈くような悲鳴の中、義之が僕の腕をつかんだ。
「建物の陰にかくれよう。ここからじゃ狙撃手(あいつら)に丸みえだ」
 考える間もなく、コンビニ横の路地に逃げこんだ。
「なんだよ、これッ」
 心臓が早鐘を打っている。視界がゆれていまにも吐きそうだ。義之は僕を一瞥したあと、様子をうかがうように路地先をにらんだ。
「何だ、なんて考えなくていい。とにかく生き残ることだけに集中するんだ。日の出まで逃げ切ることができれば、とりあえずきょうは安心だ」
 そういって、スマートフォンの画面をタップし始めた。
「きっかり十二時間、タイマーをかけておく。誠もセットしておいてくれ。音量は最大で、だ」
 呆然としていると、鋭い声が飛んできた。「早くッ」
 急いで同じようにセットする。指先がふるえて二回やり直した。
「オーケイ。あとは頭をぶちぬかれないように脱出する。たおそうなんて思わないことだ、あいつらは素手でどうにかなるほど甘くない」
 義之はもういちど路地先をみた。飛びだすタイミングを計っているのか、時折腕時計に視線をおくる。
「つぎの発砲音を合図に路地から飛びだす。向かいに薬局がみえるだろ? 店内に入って、カウンター奥のドアから裏口にでる。地下へつづく通路があるからそのまま全力で走るんだ。そうすれば教会にたどりつく」
「教会? そんなところいってどうするんだよッ」
「同志がいる」
 銃声が響いた。義之が僕の手をとって走りだす。頭を低くし、路上にころがる死体を躱して向かいの薬局に飛びこんだ。
 季節はずれの冷房の中、カウンターを抜け、従業員専用のドアをあけた。途端、埃の臭気が鼻をつく。通路は二股に別れていてどっちに進めばいいのかわからない。
「ついてきて」
 いわれるがまま彼の背中を追った。うす昏い通路を走りながら、いったい何が起きたのだろうと考えた。
 戦争? テロ? 悪夢? 
 もしかしたらドッキリかもしれない。もうすぐ誕生日の僕に、義之やほかのクラスメートが計画したサプライズ。走りぬけたこの先に豪華なバースデーケーキが用意されていて、扉をあけると盛大な拍手で迎えられる。笑顔笑顔花束笑顔。僕も笑って、片思いの聡美から誕生日プレゼントのキスが贈られるのだ。
「それはない」
 義之が憐れむような目をして呟いた。
「また他人(ひと)の心を読んだのかよ」
「残念だが、これはリアルだ。現実逃避はもっとも簡単で安いリセット方法だが、今回ばかりは見極めないと――」
 義之の足が止まり、つめたい眼差しが僕に向けられた。「死ぬことになる」

 しばらく走ると灰色の壁が行方をさえぎった。左右をみたがほかに道はない。
「下だ。昏いから気をつけて」
 義之はしゃがみこむと床下の一角にスマートフォンをかざした。電子音が鳴って床がスライドする。肩ごしに階段がみえた。
「この先に同志が待っている。組織に加わるには試験(テスト)があるが、誠なら大丈夫だろう」
「試験?」
「とにかく教会へ急ごう。そろそろ第二部隊がうごき始める頃だ」
 僕の質問を無視して、義之は階段をおりていく。
「ちょ、待てよッ」 
 小さくなっていく彼を追った。ひどく息が切れている。普段の運動不足が祟ったのか、それとも緊張による疲労なのか足に力が入らない。額の汗をぬぐい、慎重に階段をおりた。
 かなり長い距離だ。いったいどこまでつづくのだろう。うんざりし始めたとき、義之がいった。
「覚悟はあるか」
「なんだって?」
「人を殺す覚悟だ」
 何をいっているのかわからない。ついさっきまで昨日をコピーしたような、ありふれた一日だった。家族で夕食を囲み、テレビをみて、掲示板で有名人の悪口を書いて盛りあがる。そんな一日で終わるはずだったのに。
 目の前で人の頭が吹っ飛んで、生き残るために逃げまくって、こんどは人殺しの覚悟だって? ふざけるなよ、僕を馬鹿にしているのか。
「ふざけてはいない。きみのためにいっている」
 ふり返った義之の双眸(め)は別人のようにさめていた。まるで機械(ロボット)だ。
「人間(ひと)はいつか死ぬ。出家しようがセックスに明け暮れようが最期は焼かれ、灰になる」
「だったら逃げても無意味だろ」
「本当にそう思うか?」
「どういうことだ」
「勝つ者と負ける者さ。どちらも最期に死が訪れるが過程(プロセス)は比ぶべくもない。敗者は尊厳まで踏みにじられ、勝者はすべての快楽を手に入れる。生きながらにして天国を味わうんだ。誠はどっちになりたい?」
「――それでも人を殺すなんて、僕にはできそうもない」
「誠はやさしいね。だけど、そのやさしさが他人を殺すことになる」
「やさしさが人を殺す? どうしたらそうなるんだよ」
「おれも初めは信じなかった。でも、やっぱりそれが真実だった」
 階段が終わり、平坦な場所にでた。先ほどとはちがい、こんどは一本道だ。
「もう、遠慮するのはやめたんだ」
 どういう意味? 義之は答えるかわりに走りだした。一気に加速し、あっという間に距離ができた。
 野生動物みたいな身のこなし、彼の走る姿はとても美しかった。
 危機的状況の中、僕はある光景を思いだしていた。それは義之が転校してきた小学四年の夏のことで、僕に本当の友達ができた夏のことだった。裕福で容姿端麗、そして勉強もできた義之は学校で一番ケンカが強かった波羅唯我に目をつけられた。
 唯我はとにかく凶暴なやつで、九歳なのに左拳に根性焼きが三つも入っていた。おまけに前歯が溶けていて(アンパンの影響らしい)、呂律が回っていなかった。父親がヤクザだったこともあり、唯我に逆らうやつはクラスにひとりもいなかった。
「あいつ、生意気じゃね?」
 それが唯我の口癖で、その言葉をきくたび(生意気はお前だよ)と心の中で吐き捨てた。
 義之は本当に賢かった。わずか九歳にして処世術というものを知っていたのだ。どんなにからまれても彼は抵抗しなかった。教科書を破かれても、ペンケースを捨てられても、上履きに犬の糞を入れられても抵抗しなかった。手洗い場で上履きを洗っている義之の後ろ姿はとてもかわいそうで、僕は泣きそうになるのを必死にこらえた。
 そんなある日、とうとう唯我が切れた。まったく抵抗しない義之に馬鹿にされていると感じたのだろう。
 唯我は知恵をふりしぼった。単細胞なりに出した結論は、義之の大切にしているペットを殺すという恐ろしいものだった。
「マサムネ、殺されちゃうよ」
 学校帰り、僕は義之に告げた。マサムネとは当時彼が飼っていたうさぎのことで、先天性の病気で片目が見えていないらしく、歴史上の人物になぞらえてその名前がついた。義之は口許に笑みを湛えたまま、大丈夫とだけいった。
 しばらくして唯我の計画が実行される日がやってきた。公園に呼び出された僕たちはブランコに座る唯我を半円の形で囲んだ。
 計画はこうだった。毎週日曜日にピアノのレッスンを受けている義之がでかけたあと、僕が貸しているゲームソフトを返してもらうため家にあがりこむ。持参したかばんにうさぎをつめて何食わぬ顔で家をでる、というものだ。
 義之の家には何度も遊びにいっているから居場所は知っていたし、餌やりもしたからなついている。一通り話し終えると、唯我は汚らしい前歯をのぞかせた。
「自分の負担がでかすぎると思ってんやろ?」
 唯我の考えは透けてみえていた。未だに義之と仲良くしている僕への懲罰も兼ねているのだ。親友の大切にしているペットを誘拐して殺させる。これ以上の罰はない。
 唯我の悪意に背中をおされ、僕は義之の家に向かった。足を踏み出すたび親友を裏切っているような感覚に陥る。やけに喉が渇いた。背後では悪魔がいやらしい笑みをうかべて僕の行動を監視している。まさに地獄だ。このまま逃げてしまおうかと考えたが僕はそれほど足が速くないし、何よりそのあとの報復が怖かった。
 呼び鈴をおすと、すぐにおばさんの声がした。事情を説明して家にあがる。義之の部屋は二階の角部屋でちょうど死角になっている。バッグを床におき、マサムネを抱きかかえた。動物は鋭い。いつもとちがう雰囲気を感じとって抵抗されるかもしれない。一瞬身を固くしたがマサムネは大人しくバッグに収まり、ほっと胸をなでおろした。
 おばさんに礼をいい、玄関をでた。良心の呵責に吐きそうになる。涙がにじんだ先に唯我の黒い笑みがあった。
 根性焼きの手が僕に向けられた。このままわたしてしまっていいのか? 良心の残滓が問いかけてくる。
「なにしてんやよ、早くよこせッ」
 業を煮やしたのか、唯我がバッグをひったくろうとする。
「やっぱりだめだッ、マサムネはわたさない!」
「てめえ!」
 唯我の拳が飛んできた。額に勢いよくぶつかって目がくらんだ。それでもバッグを奪われないよう必死で抵抗した。そのうち、唯我はマサムネを奪うより僕を殴るほうに躍起になった。バッグを護るため腹ばいになるとこんどは背中に打撃を受けた。背骨のところを殴られると息ができないほど痛い。これはきっと罰なのだ。唯我のいう懲罰ではなく、親友を裏切ったことに対する罰なのだ。だから耐えなければいけない。マサムネを護る。それが僕の使命だった。
「こいつ、マジでふざけてんな」
「ユッちゃん、もうやめようよ――。まこちゃん死んじゃうよ」
「うるへえ! おれに命令すんのかよ!」
 唯我が仲間のほうをみた。いまだ。残った力をふりしぼり、反対方向へ走った。このまま逃げ切る。逃げ切ってやる。すぐに怒号が飛んできた。唯我のおそろしい顔が脳裏をよぎったが、かまわず足をうごかした。止まるわけにはいかない。
 計画をきいた公園までもどってきた。ブランコの前を通って砂場を越え、公衆トイレに駆けこもうと考えた。あいつがあきらめるまで閉じこもってやる。もうすこしでトイレだというところで僕はころんだ。極度の緊張と疲れ、そして昨夜の雨で地面がぬかるんでいた。痛みに顔を歪めていると足音が近づいてくる。もうだめだ。観念して目をつむった。
「大丈夫」
 聞き覚えのある声が暗闇で咲いた。目をあけると義之の笑顔があった。
「よっちゃんごめん! 本当にごめんよ!」
 義之はなにもいわなかった。泣いて謝る僕を、ただ笑ってみつめていた。
「いたぞ!」
 公園に唯我の声が轟いた。視線の先、鬼のような形相で近づいてくる。
「いこう」
 僕たちは走った。ぬかるみを躱し、水たまりを飛びこえ、併設された駐車場におどりでた。靴裏が硬いアスファルトを跳ねかえし、鋭くふった腕に連動して腿が高くあがる。推進力を得た体は世界をよどみなく突き進んだ。
 僕たちは正しさの中にいる。それが山咲誠、茂莉義之ふたりのアイデンティティだった。

†††

 教会は閑散としていた。義之の話だと同志なるものが待機しているはずなのに。教室ほどの空間は水を打ったようにしずまりかえっている。
「ほかのメンバーは?」
 僕の問いに、彼は人差し指を口にあてた。
「これからいくつか質問する。簡単な試験さ、簡潔に答えてくれ」
 義之がまっすぐ僕をみた。今朝ホームで感じた、別のだれかのようだ。
「人を殺した経験はあるか?」
「ふざけてるのかよ」
「いたって真剣だ。答えてくれ」
「あるわけないだろ」
「殺してみたいと思ったことは?」
「僕は殺人鬼なんかじゃない」
「では、最後の質問だ。だれかを護るために人を殺せるかい?」
「だれかを護るため――」
「ああ、命を賭して護るんだ。そうしなければ大切な人が死ぬ。さっきのサラリーマンみたいに」
 脳裏に先ほどの場面(シーン)が再生された。どこからかきこえた銃声。吹き飛ばされた頭部。尖った悲鳴。血の匂い。大切な人が狙撃される、想像しただけで体がふるえた。
「誠(きみ)が引鉄を引くんだ、だれかを護るために。それができるか?」
 言葉が出てこない。大切な人は護りたいけれど、そのかわりに人を殺すなんて考えたこともなかった。
 殺人? 虫を殺したときだって後味が悪いのに、そんなことが僕にできるのだろうか。わからない。わかりたくもない。
 義之はじっと僕の目をみつめている。内臓まで見透かされそうだ。沈黙が体を叩いた。
「合格だ」
「は?」
「やっぱり誠の魂は心地いいな。文句なしに合格だ」
 彼は微笑み、「みんなでてきてくれ。新しい同志だ」と叫んだ。呼応するように物陰から人が現れた。
「ずいぶん早いね、もうおわったのかい?」
「その子が以前話してくれたマコトくんね」
「リーダー腹減ったよ、なんか食べるものないのォ」
「なんだ、女じゃねえのかよ」
 同年代くらいの男女だった。男が三人、女がひとり。リーダーとは義之のことだろうか。わけがわからず彼をみると、義之は無言で肯いた。
「新メンバーの山咲誠だ。年齢は十七歳でおれと同じ高校に通っている。わからないことがあると思うから、その都度教えてやってくれ」
 義之が僕の肩に手をおいた。四人の視線が無遠慮に飛んでくる。動物園のパンダにでもなったみたいだ。
「そういえば自己紹介がまだだったね。ひとりずつ順番にしてくれるか」
 そういうと紅一点、制服姿の女子が手をあげた。
「あたし虹華(ななか)、仁紫山虹華ね。桜凛高校の三年生だよ」
「桜凛高校?」
「あれ知らない? 隣県では超がつくほどのお嬢様学校なんだけどな」
 彼女が悪戯な笑みをうかべる。恥ずかしくて目をそらした。
「おれは矢間元直貴だ。年は十九でフリーターやってる。先にいっとくけど、虹華はおれの女だから手ェだしたらぶっ殺すぞ」
 矢間元と名乗った男が僕をにらむ。一重の鋭い眼、狂犬みたいなやつだ。
「ちょっとォ、あたしたち付き合ってないじゃん」
「この前デートしただろ」
「あれはぜんぜんちがうでしょ」
 痴話喧嘩に発展しそうな勢いに心の中で溜息をついた。勝手にやってくれ。
「誠くんこんにちは。ぼくは四維名勇気、年はメンバー最年長の二三歳でしがないサラリーマンやってる。君のことはリーダーからいろいろきいてるよ、よろしくね」
 四維名さんは人懐っこい猿みたいな笑顔でそういった。感じのいい人だ。
「じゃあ最後におれだな。おれは伊知河高浩、年は二十歳で東応大の三年生だ。親父は国会議員の伊知河高雄、高校生でも名前くらいきいたことあるだろ? まあ、いわゆるエリートってやつだな」
 伊知河と名乗った男は恥ずかしげもなくそういった。相撲取りみたいに体格がいい。腕力ではとてもかないそうにない。
「ここではファーストネームで呼び合うのがルールだ。年齢は関係ないし、敬称もいらない。一応おれがリーダーだが、それは形式上で気にする必要もない」
 義之がまた僕の肩に手をおいた。
「で、誠(きみ)は何ができるのさ」
 高浩が値踏みするように僕をみた。口端が笑っている。相当な自信家のようだ。返答に困っていると、かわりに義之が口をひらいた。
「いまはまだ突出した能力(スキル)はない。だけど可能性は秘めている。それはこの戦争を勝利へと導く可能性だ。おれの勘がそういっている」
「チッ、あんたの勘は当たるからなァ。まあいいや、よろしくね」
 高浩がこちらに手を差しだした。節がごつごつしていて分厚い。大人の手だ。
「さあ自己紹介は終わりだ。敵(エネミ)がここを嗅ぎつける前に、誠にはひと通り銃火器のとり扱いを覚えてもらう」
「エネミ?」
「我々が戦う敵のことさ。エネミは突如現れた。正体はわからない。テロ国家の殺戮部隊なのか、未知の生物なのかまるで不明。でも、ひとつだけ確かなことがある。やつらは人類を皆殺しにするつもりだ」
 高浩が早口でそういった。興奮しているのか、顔が紅潮している。
「不透明な存在ってことね」
 虹華がうんざりという顔をする。お嬢様だけあって黒髪がとてもよく似合う、と場違いなことを思った。
「めんどくせえからよォ、さっさと片づけちまおうぜ。そうすりゃおれたち英雄(ヒーロー)だろ」
 直貴が掌に拳を打ちつけた。見かけ通り好戦的な性格のようだ。
「できるなら、僕は平和的解決をのぞむよ」
 勇気さんが溜息をつきながらいった。
「平和的解決だって? 笑わせやがる」
「ケンカ上等の直貴にはわからないさ。きみは暴力ですべて解決すると思っているのか?」
「あ? ケンカ売ってんのかよ、糞リーマン」
「だったら買うか?」
「てめえ――」
 教会内に一触即発の空気が流れた。これは小さな戦争だ。とどのつまり人間の本質は争いなのだろうか。馬鹿みたいだ。
「同志での争いは禁止だ。まさか忘れたわけじゃないだろう?」
 義之がにらむと、直貴は舌打ちをして勇気さんからはなれた。
「悪いけど、もうすこし詳しくきかせてくれないか? あまりにも突然のことで話についていけない」
 僕を一瞥して、義之はゆっくり話しだした。
「エネミの存在に気づいたのは三年前、クリスマスの夜だった。母が作った料理と父が買ってきたケーキを家族で囲み、絵に描いたような団欒だった。日常が崩れたのはそのあとだ。午前二時、インターホンが鳴った」
 義之の真剣な表情(かお)につばを飲みこんだ。みぞおちがきりきりと痛む。自分でいいだしたくせに先をきくのが怖い。
「だれかが応対すると思ったが、インターホンは鳴りつづけた。しかたなく玄関に歩いた。声をかけたが反応がない。妙な胸騒ぎだけがあった」
 はじめは警告だった。義之の言葉をさえぎるように高浩が呟いた。
「同時刻におれたちの前にも現れたんだ。最初は悪い夢かと思ったぜ」
「エネミっていったい」
「禍(わざわい)だ」
 義之の眼が鋭さを増した。
「それもとびきり黒い、この世の負を凝縮した漆黒だ」
 義之の迫力に体の中心がゆれる。すぐに直貴の笑い声が飛んできた。
「なんだ、まだ使者(あれ)をみてないのかよ。とんだ期待はずれだな」
 直貴がやれやれという感じで首をふる。
「どういう意味だよ」
「おれたちは選ばれし者だ」
「選ばれし者?」
「そうさ。ここにいる者はすべて〝彼〟に認められた人間なんだよ」
 直貴がしたり顔でそういった。ますます意味がわからない。
「饒舌すぎるぞ直貴、だれがそこまで話していいと許可した?」
 辺りに緊張が走った。直貴が舌打ちをして視線をはずす。義之がみじかく息を吐いた。
「すべてを説明している時間はない。エネミがここを嗅ぎつける前に銃の扱いを覚えてくれ」
 義之が虹華をみた。彼女は返事をして僕を手招きする。
「二時間だ。それまでに一通り武器を使えるようになってくれ」
「ちょっと待ってくれ。まだ戦うなんて一言も」
 僕の言葉を無視するように、義之は奥に歩いていった。直貴と高浩の顔に嘲笑がうかんでいる。目まぐるしく変わる状況に頭がパニックになりそうだ。
 わけがわからないまま、武器庫と呼ばれる部屋に連れていかれた。広さは三畳ほどで壁には格子状にワイヤーが張りめぐらされている。左にマシンガンのような大きな銃、右には拳銃が何丁もかけられていて足がふるえた。やはり戦争なのだ。
「どれがいいかなァ」
 虹華はショーケースに並んだケーキでも選ぶみたいに手をうごかすと、これなんか似合いそうといって銃を一丁とりあげた。
「サブマシンガンっていうの。みかけほど威力はないけど連射が効くし、扱いやすい銃だよ」
 サブマシンガン。きいたことがある。昔読んだ小説(中学生同士が殺し合うデスゲームノベルだ)によく登場していた銃だ。悪役の彼は器用に使いこなしていたけれど、はたして僕に扱えるのだろうか。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。あたしでも使える代物だし、これに慣れたらアサルトライフルも扱ってもらうんだから」
「アサルトライフル?」
 虹華は奥に立てかけてある銃を手にとった。素早くかまえ、僕をみすえる。
「この銃よ。現代の戦場では一番バランスがいいとされてる。防弾チョッキも貫通するし、射程距離もある。もちろん連射機能もね」
「つまり、人を殺すのに最も適した銃ということか」
 そういうと、虹華はうすく笑んだ。
「殺さなければ殺される。どちらかを選べといわれたら、あたしは真っ先に殺すほうを選択する」
「まるで義之みたいなことをいうね」
「彼は立派なリーダーよ。頭がいいし、決断力もある。何より迷いなく引鉄を引ける冷徹さがすばらしいわ」
「虹華は人を殺したことがあるのか?」
 いった途端、しまったと思った。あまりにもデリカシーを欠いた質問だ。おそるおそる彼女の顔をみた。照準器越しに虹華の視線が飛んでくる。
「もちろんあるよ。詳しくききたい?」
 虹華は口許だけで笑んだ。きれいな八重歯が妖しく光った。
「怖くなかったのか?」
「さっきもいったでしょ。殺さなければ自分が死ぬのよ。ためらってる暇はない」
 殺さなければ殺される──。当然のようにいう彼女をみじかい時間みつめた。
「いつまでやってんだよ」
 直貴がおもしろくなさそうに入ってきた。拳銃を何丁かつかむと、無造作にベルトへ差しこんだ。
「実践はおれが教えてやるよ。先にいっとくが、おれはリーダーのように甘くねえぞ」
 僕をにらむと射撃場で待つといって武器庫をでていった。これから何が始まるのだろう。正直、かなり不安だ。
「がんばって」
 虹華が微笑み、かまえを解くとサブマシンガンを僕に差しだした。
「大切なだれかを護るために戦うの。誠ならきっとできるわ」
「でも」
「好きな子いるんでしょ? きみが護らないでだれが護るの」
 聡美――。彼女は無事だろうか。いや、聡美だけじゃない。クラスメートや家族は無事でいるのだろうか。
「外界のことは心配いらないわ。高浩のお父さんが自衛隊の幕僚長に連絡して優先的に警備してくれてるから」
「あの人の父親ってそんなにすごい人なのか」
「賢そうにみえて意外と無知なのね。伊知河高雄。日本自由党のナンバーツーであり、我が国の防衛大臣よ」
「現防衛大臣って、戦争に関する憲法を変えるきっかけになったあの事件の?」
「なんだ、知ってるじゃない。三年前に起きた、国会襲撃事件の生還者よ」
「本当に戦争が始まったんだ」
 虹華が不思議そうな顔をした。「いまごろ?」
「いまいち実感がなくて」
「あきれた。銃声や死体もみたんでしょ?」
 脳裏にサラリーマンたちの死体がうかんだ。悲鳴と血の匂いが鼓膜と鼻腔で再生される。虹華がつよく僕をみた。
「戦うの。そして勝利する。戦争は勝たなければ意味がない」
 虹華が僕の手をとってサブマシンガンを握らせる。思いのほか軽い。重いはずの命、それを奪う道具は虚構(フィクション)のように現実味がなかった。
「ここを右に歩けば射撃場にでる。彼、気がみじかいから早くね」
 虹華にうながされ、武器庫をでた。両手をふさいでいる銃がひどくわずらわしく思える。だれかを護るための道具。しかし、だれかを殺すための道具でもあるのだ。

 射撃場は圧迫感があった。天井が低いせいだろう。五つのブースがあり、その奥、十メートルほど先に人型の的がある。集中しやすくさせるためなのか、立つところと的に照明があたっていた。
「おせえぞ。さっさと装填してかまえろ」
 耳あてとゴーグルをした直貴が僕を急かす。どうすればいいのかわからずにいると、舌打ちが飛んできた。
「貸せッ」
 直貴は銃をひったくると、手前にある弾倉を器用にとりはずした。
「ヘッケラー&コッホ社製、MP五サブマシンガン。精度はそこそこだが初心者にも扱いやすい。使用弾薬は九ミリ×十九パラベラム弾、日本警察も採用している代物だ」
 手際の良さと知識に感心した。ただ凶暴なやつじゃない。妙に好戦的なのは持って生まれたセンスとたしかな知識に裏打ちされたものだったのだ。
「よっしゃ、これで撃てる。ていうかお前さ、サブマシンガン(これ)がどういう銃かわかってるのか?」
 僕は首をふった。「触ったのも初めてだよ」
「ふるえてたもんな。お前、女の手すらにぎったことないだろ」
「そんなこと、いまは関係ないだろ」
「やっぱり童貞野郎か」
「うるさい」
「女の柔肌も知らずに死んでいくんだな、かわいそうなやつだぜ」
「僕は死ぬわけにはいかない」
「いや、間違いなく死ぬね、おれが保証する。お前はこの戦争で死ぬ」
「死ぬわけにはいかないんだ」
「へえ。人を殺す度胸もねえのにか? 己が生きるということはだれかを殺すってことだぞ」
「直貴は覚悟があるのか?」
「当たり前だろ。意外と簡単だぜ? 何も考えずに引鉄を引けばいいんだ」
 僕はまた首をふる。直貴の顔に疑問符がうかんだ。
「そうじゃなくて〝殺される覚悟〟だよ」
「そんなものは必要ない。おれは必ず勝つ。勝って勝って勝ちまくって、この戦争を終結させる。止まるわけにはいかねえんだよ」
 直貴はサブマシンガンを僕に投げるとブースに入り、無駄のない動きで拳銃をかまえた。
「エネミをぶっ殺すのは、このおれだ」
 刹那、銃声が響いた。室内のせいかひどく反響する。鼓膜が痛い。本物の圧力に足がふるえた。
「おい、お前も撃てよ。みてるだけじゃ上手くならねえぞ」
「どうやるんだよ」
「チッ、しょうがねえやつだなァ」
 直貴は棚からゴーグルと耳あてを持ってくると僕に投げてよこした。
「それつけてかまえろ。センスがあるかどうか、おれがみてやるよ」
 いわれるがまま装着した。なぜやる気になったのかはわからない。直貴の迫力に押されたからだろうか。それとも人間が本来持っている狩猟本能が目覚めたのだろうか。
「足を肩幅くらいひらけ。腰をキメて、腕を地面と水平にして脇をしめろ」
 僕はかまえた。緊張しているのか鼓動が激しい。
「面積のでかい部分を狙うのが定石だ。サブマシンガンは連射が効くし、範囲も広い」
「胴体を狙えばいいのか?」
「とにかくためらうな。何も考えずに引鉄を引くんだ。お前ゲームやるか? あんな感じでやりゃあいいんだよ」
 的をみつめた。黒い人型がやけに遠く感じる。もしあれが本当の人間でも、僕は引鉄を引くことができるだろうか。
「おいおいビビってんのかよ、ただの的だぜ?」 
「考えるな、考えるな、考えるな。考えたら――、敗けだッ」
 呟いて一気に引鉄をしぼった。銃身から弾丸が吐きだされ、反動で体がゆれる。
「ぜんぶ撃ちつくせッ!」
 引鉄をしぼりつづけた。眼前であがる火花、火薬の爆ぜる音、腕をつたう衝撃、硝煙の匂い。人型の的が粉々になって弾け飛ぶ。すべてが現実(リアル)だった。
「オーケイ、その調子だ。意外と簡単だろ?」
 興奮からか息が切れている。僕は肩をふるわせながら直貴をみつめた。
「なんだよその顔は。蛇に喰われる寸前のゴキブリみてえだな」
「サブマシンガンって、こんなにすごい銃なのか」
「あ? 寝ぼけたこといってんじゃねえよ。こんなのまだまだ序の口だ」
「とてもじゃないけど人に向かって撃てそうもないよ」
「だろうな。童貞のお前にサブマシンガンはもったいねえ」
「だったら、あんたはどんな銃を使うんだよ」
 直貴は笑み、腰のうしろにさしてある拳銃を引きぬいた。
「ピエトロベレッタ社製のベレッタ九二。アメリカ軍が正式に採用している拳銃だ。むきだしになった銃身(バレル)が最高にイカしてるだろ? 世界一美しい銃だ」
 直貴は楽しそうに拳銃をかざした。いったい何が楽しいのだろう。
「おれみたいなモテ男に相応しい銃だぜ」
「いくつか質問していいか」
「なんだよ、手短に話せ」
「直貴もエネミをみたのか?」
 そう訊くと、直貴は僕から視線をはずした。みじかい沈黙のあと、ゆっくりと話し始めた。
「その日は夜勤明けで、眠気覚ましにコーヒーを買った。橋まで歩いて朝日に目をほそめながら口をつけた、そのときだった。川面にどす黒い十字架が佇立してやがった」
「それは──、何なんだよ」
「あれは恐怖だ」
「恐怖?」
「お前、怖いものあるか?」
 直貴が上着のポケットから煙草をとりだして火をつけた。
「たくさんあるよ」
「例えば?」
「冷やし中華とか」
「冷やし中華ァ? お前ふざけてんのかよ」
「小二の夏に腹を壊したんだ。食中毒。一週間入院もした」
「ダセエやつだな。童貞で脆弱とかもう終わってんな」
「食中毒にダサイも何もないだろ」
「じゃあ、お前の前に現れるエネミは冷やし中華だな。くっそウケる」
 意味がわからずにいると直貴はつづけた。
「エネミは対象者の最も恐れるものに変化する」
 遠くを見つめ、紫煙を吐きだした。
「はじめは冗談かと思ったぜ。十字架がみるみるうちに変形していった」
「直貴の怖いものってなんだよ」
 訊いたが直貴は答えず、空き缶に吸殻を捨てると射撃を再開した。
 何かにおびえている。的をにらみながら引鉄をしぼる彼は、闇を怖がる子どものようだった。

†††

 二時間が経った。訓練を終えた僕たちは教会にもどった。
「おつかれさまァ」
 虹華が缶コーヒーを僕に投げてよこした。キャッチする寸前、直貴に奪われた。
「サンキュ」
「もう、直貴にじゃないィ」
「リーダーは?」
「奥で仮眠してる。すこし頭が痛いんだって」
 虹華が袋からコーヒーをとりだして僕に手わたした。つめたくて気持ちいい。礼をいって蓋をあけた。
「どうだった?」
 虹華が僕の顔をのぞきこむ。
「射撃。人を殺せそう?」
「まだわからないよ。訓練と本番はちがうだろうし」
 そう返してコーヒーを口に含んだ。いつもより苦い気がする。
「そいつ、案外センスあるぜ。一発目から銃口がまっすぐ標的に向いてた。ふつうはぶるっちまってさがるんだ」
「へえ、すごいじゃん」
「おれの足元にも及ばねえけどな。おれは初っ端からブルズアイを的確に撃ち抜いたぜ」
「直貴はもともと拳銃マニアでしょ。彼はふつうの高校生よ」
 直貴は舌打ちをして、飲み終わった缶をゴミ箱にほうった。
「そこそこ戦力にはなるってこと?」
 出入口から高浩が顔をだした。やけにさっぱりしている。シャワーでも浴びてきたのだろうか。
「おかえりィ。外、どうだった?」 
「相変わらず。第一部隊は退いたみたいだけど、いつ第二部隊がくるかわからないからピリピリしてるよ。わかる? この感じ。ヒゲ剃ったあとみたいな」
「つまらねえ譬えはいいから、リーダーが起きたら状況報告してこいよ」
「また寝てるの?」
「いろいろ疲れてるんだろ」
「斥候やってるおれのほうが疲れてるよ。汗かいたからシャワー浴びたし」
「痩せろデブ」
「うるせえぞハゲ」
「ハゲてねえし。他人よりすこしデコが広いだけだし」
「おれもデブじゃねえし。他人よりすこし骨格がいいだけだし」
「漫才はいいから各自で銃の手入れしといてよね。あとで怒られるのあたしなんだから」
 放課後のような軽い空気におどろいた。嘘みたいに緊張感がない。外界は死体が散乱して、軍の緊急配備がしかれているのに。
「誠はどっちが好き?」
「え?」
「きいてなかったのォ? 犬と猫、どっちが好き?」
「ペットの話?」
「そうだよォ、飼うならどっちがいい?」 
「――犬、かな?」
 そう答えると、直貴が大きな声をだした。
「ほらな、やっぱり男は犬が好きなんだよ。猫なんて何考えてるかわかんねえやつ飼ってもおもしろくもなんともねえ」
「そこがいいんじゃない。媚びずに生きてる感じでかっこいい」
「そんなことよりポテチ持ってきたから食わね? ジャーマンポテト風ほっこり味。関東限定発売らしい」
「なんだよほっこり味って。なめてんのか」
「どんな味だか食べてみたくなるゥ」
「虹華ちゃん、炭酸だしてくれ。ポテチには炭酸が必要なんだよ」
 高浩が手を合わせて懇願する。虹華が溜息をついて立ちあがった。
「いつもこうなの?」
「あ?」
「雰囲気。このあとカラオケでもいこうぜって感じなんだけど」
「戦争だからって、年がら年中緊迫してるわけじゃねえよ。もしそうなら身がもたないだろ」
 直貴がポテトチップスを咀嚼しながらいった。香ばしい匂いがして腹が鳴りそうになる。
「お前だって冷やし中華のことを一日中考えてるわけじゃねえだろ。ふとしたときに思いだすくらいでさ。それとおなじだよ」
「なあに? 冷やし中華って」
「こいつ、冷やし中華が怖いんだってさ。笑っちまうだろ?」 
 虹華と高浩が僕の顔をみて笑いだした。秘密を暴露した直貴までいっしょに笑っている。クソ、直貴め。あとでぶっ飛ばしてやる。
「ごめんね。だってすごく可愛らしいんだもん」
「お前、ぜったいウケ狙っただろ? 冷やし中華が怖いとかありえないっしょ」
 先ほど直貴にいったことをもう一度話した。虹華は納得し、高浩は首をかしげた。
「そういえば勇気さんは?」
 彼の姿がみえないことに気づいた。一番穏健な彼が僕に最も近い存在のような気がする。
「勇気は仕事にいったよ」
「サラリーマンだっけ。こんなときでも真面目に出勤するんだ」
 そういうと、三人が眉をよせた。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「何がだよ」
「この状況でどこに出勤すると思ってんだよ」
「だってサラリーマンなんだろ?」
「人殺しのことだ」
 高浩が炭酸をあけながらいった。
「勇気は人を殺しにいったんだよ」 
 何をいっているのかわからなかった。あんな穏やかな人が殺人なんてするわけがない。いや、きっとできないはずだ。殺人はこの世で一番の悪で、たとえどんな理由があろうとも絶対侵してはならない領域、禁忌というやつだ。
「勇気はねェ、直貴に比肩する腕前なんだよ」
「信じられない。あんなにいい人が人を殺しにいったなんて」
「あいつは銃をもつと人格が変わるんだ。ハンドルにぎると豹変するヤツいるだろ? あんな感じでスイッチが入っちまう。自覚がないから尚更タチが悪い」
「あの人の変わりようはすごいよな。この前なんか、笑いながらおっさんの目玉を」
「やめてくれッ、そんな話ききたくない」
 僕の剣幕に、直貴と高浩が舌打ちをして席を立った。空気の読めないやつだとふたりの背中がいっている。虹華はだまってテーブルの上を片づけ始めた。
「コーヒーごちそうさま」
 沈黙に耐えかねて教会をあとにした。僕が間違っているのだろうか。生存が免罪符になり、人を殺しても赦されるというのだろうか。
 武器庫の前を通りすぎた辺りで名前を呼ばれた。ふり返ると、義之が立っていた。
「初めて銃を撃った感想は?」
「かなりしんどいよ。肉体的にというよりも精神的に」
「じきになれるさ。おれも初めはそうだった」
 義之は口許だけで笑んだ。すこし顔色が悪いような気がする。
「それよりも大丈夫なのか? 頭痛」
「心配無用だ。だけど、エネミが現れてから症状はひどくなった」
「何か関係してるのか」
「エネミが放つ負のオーラが神経を蝕むんだ。悪意が常におれをとりかこんでいる」
「殺すしかないのか?」
「殺すしかないんだ」
「自衛隊に任せることはできないのかよ」
「彼らではエネミはたおせない」
「軍隊でも無理なのに、僕たちがたおせるわけないだろ」
「そうでもないんだ。世の中は意外とシンプルにできている」
 義之はみじかく息を吐き、そろそろ話しておくべきかと呟いた。
「おれの部屋にきてくれ。大事な話がある」

 義之の部屋は何もなかった。打放しコンクリートの壁に寄り添うようにシングルベッドがおかれている。それだけだった。
「がらんどうで驚いただろう。これは拘禁反応に抗うために行っている。一種の訓練(トレーニング)なんだ」
「拘禁反応?」
「収容所などで監禁されたときに起こる精神障害さ。神経症や気分の変調、妄想や幻覚。さまざまな症状が現れる」
「捕虜になったときのためか」
「誠は察しがいいね。そのとおりだよ」
 義之ほどの人間が捕虜になる姿は想像できなかった。頭の回転が速く知識もあり、運動神経も並外れている。スポーツに打ちこめばプロにだってなれるはずだ。
「本来なら捕虜はありえないんだ。その瞬間、自害する手筈になっているからね」
「自害って――、拳銃で頭を撃ち抜くのかよ」
「奥歯に毒が仕込んである。リシンというトウゴマの種子から抽出されたタンパク質だ。人体における最低致死量は体重一キロあたり〇.〇三ミリグラム。毒作用は服用の十時間後だが、それくらいならどんな拷問にあっても沈黙していられるだろう」
 義之の目の奥に昏い色が垣間みえた気がした。つめたいのに脈打っている、ひどく複雑な色彩(いろ)だ。
「毒が仕込んであるなら訓練はいらないだろ」
「万が一ということがある。物事はすべて計算通りにはいかないものなんだ」
 そういって、義之はベッドに腰かけた。スプリングの軋む音がせまい室内に響いた。
「大事な話ってそのことか?」
「ああ。どうしても伝えなければならなかった」
 義之がめずらしくいい淀んだ。こんな彼をみるのは初めてかもしれない。何かが引っかかった。
「──僕にも毒を仕込んでほしいってことだろ?」
 義之の眉が幾分うごいた。室内に沈黙が広がり、すこし遅れて彼がいった。
「誠にはかなわないな。そのとおりだ」
「みんな仕込んでるんだろ? だれが捕虜になるかわからないし」
 義之はしずかに首をふった。
「おれだけだ。ほかの同志(メンバー)は奥歯に毒を仕込んでいることさえ知らない」
「そのことをなぜ僕にだけ告白する? 君が捕虜を拒むのは理解できる。リーダーだし、敵に渡してはいけない情報を知っていそうだ。だけど、僕はちがう。僕はただの高校生だ。運動だってふつうだし、成績は中の上。一般家庭に生まれた、ごくごく平凡な男だ」
「それは誠が特別な人間だからだよ」
「僕が特別だって?」
「きみはおれと同じ、救世主(メシア)の血を引く者だ」
「メシア?」
「ヘブライ語で聖油を注がれた者という意味だ。聖別された者は日常から区別され、神に仕えるために奉献される」
 神に仕える? 何をいっているのかわからない。心情を察したのか、義之がつづけた。
「論より証拠、か」
 義之は立ちあがるとカッターシャツを脱いだ。引きしまった肉体、その胸部に十字架のような痣があった。
「メシアの血胤だ。エネミが現れてからどんどんと濃くなっている。そのうち、誠の体にもうかんでくるはずだ」
「その痣がなんだっていうんだ? とてもじゃないがそんな話、信じられない」
 義之は無言のまま壁際まで歩き、左の掌を壁に向けた。
「これでも信じられないか?」
 義之は目をつむった。しばらくすると足元がライトグリーンに光りだした。光はつよさを増しながら徐々に掌へと移行していく。まるで小型の太陽だ。眩しくて目をほそめた。
「これは聖なる光だ」
 義之が目をみひらいた瞬間、光が部屋を覆った。掌からエネルギー波が排出され、轟音とともに壁に亀裂が入った。すさまじい破壊力、生身の人間なら砕け散ってしまうだろう。
「なんだよ、これ」
「能力の一部さ。奉献された者だけが許される、メシアの力だよ」
「僕らは、ふつうの人間じゃないのか?」
 声がふるえた。認めるのが怖い。マジョリティからの離脱はやがて差別となり、そしてたやすく排斥される。居場所を失ったら、どこへいけばいいのだろう?
「そうだ。おれたちは救世主だ」

†††

 救世主(メシア)。超人間的な英知と能力をもってイスラエルを治める王。イスラエルとはヘブライ語で神が支配するという意味で、つまり神々の王ということだ。混沌なる世界を救う者。それが僕と義之なのだろうか。
「読書中?」
 会衆席に座り、旧約聖書をめくっていると虹華が声をかけてきた。
「すこし退屈してたんだ」
「わかるゥ、ここ何にもないもんね」
 虹華はあくびをしたあと、猫みたいに伸びをした。
「不謹慎かな?」
 その様子をみていた僕に虹華がいった。
「あくび。外界ではたくさんの人が死んでるのに」
「悪いのはエネミさ。きみのせいじゃない」
 そういうと、虹華はどこかうれしそうに微笑んだ。
「そうだ、悪いのはあいつらだ。僕じゃない」
 出入り口から勇気さんが姿を現した。ひどく青ざめた顔、いまにもたおれてしまいそうだ。
「大丈夫? かなり体調悪そうだけど」
「すこし水をくれないか」
「なにその声、がらがらだよ」
 虹華が給水所へ歩いていく。気まずい沈黙が僕の前にふってきた。
「射撃訓練は、もうすんだのかい?」
「直貴が教えてくれました。彼、みかけによらずすごいですね。銃の知識も豊富だし」
「アイツは殺しを楽しんでる。精神がどこか崩壊しているんだ、ぼくには真似できないよ」
 彼の口端が歪んだ。冗談だろうと思い、僕も笑おうとしたとき、
「おれの話か?」
 直貴がベレッタを腰にさしたままやってきた。
「殺し屋様の登場だな」
「どっちがだよ。関係ねえガキまで殺しやがって」
「何をいってるのかわからないな。僕が子どもを殺したって? いいがかりも大概にしてくれ」
「また覚えてねえのかよ」
「生憎、君ほど記憶力がよくないんでね」勇気さんが馬鹿にしたように笑んだ。
「てめえ、ぶっ殺されてえのか?」
 直貴がベレッタをぬいてかまえた。目が血走っている。呼応するように勇気さんも身がまえた。
「暴力はきらいだ。だが、自衛のための暴力を暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ」
「あ? なんだそりゃ」
「マルコム・Xの言葉さ。彼はゆるぎない信念で黒人たちを解放に導いた」
 直貴が舌打ちをして拳銃をしまった。拳を作り、膝を折ってファイティングポーズをとる。
「先に鼻血が出たほうが負けでいいよな」
「ああ、それでかまわない」
 二人の間にある殺気が一段と濃くなった。先に仕掛けたのは直貴だった。稲妻のようなうごきで間合いをつめていく。みじかくたたんだ左を右脇腹に放つと、勇気さんが小さく呻いた。体をひねり、つづけざまに右フックを放つ。ぶち当たると思った瞬間、勇気さんがヘッドスリップをして躱した。無駄のないうごき、直貴が「くそ」と呟いてバックステップする。
「仕留めたと思ったのによ。さすがにいい反応してるな」
「たまたまだよ。つぎに躱せる保証はない」
「チッ、謙虚ぶりやがって」
 直貴がまたかまえた。鋭い目つきで距離をつめていく。勇気さんもその動きに合わせて肩をリズミカルにゆらした。みじかい膠着、ふいに勇気さんの唇がなにか呟いた。
 直後、直貴の体が電撃にでも打たれたように止まった。すぐに高速の左ジャブが顔面を捉えた。直貴は呻いて床に膝をついた。
「てめえ――」
 顔を押さえる手から血がしたたるのがみえた。鼻血がでたのだ。
「勝負アリ、だな」
 勇気さんがいやらしく破顔した。いままでの彼じゃない。胸の内側が不安で波打った。
「なにしてるのよッ!」
 水をもってきた虹華が大声をあげた。
「同志たちの争いは禁止されてるじゃない!」
「もう終わった。それより彼を手当してやってくれないか? 僕はまた仕事にいってくる」
 水を受けとると、勇気さんは教会をでていった。
「あの野郎」
 直貴が出入口をにらんで吐き捨てた。その目は憎悪に満ちている。虹華がポケットからハンカチをとりだした。
「馬鹿ね。〝仕事明け〟の彼に喧嘩を仕掛けるなんて」
「うるせえ。先に売ってきたのはあいつのほうじゃねえか。クソッ、痛え」
「すこし冷やしたほうがいいかもしれない。氷あるなら持ってこようか?」
「お願い。給水所の保冷庫にあるから」
 給水所まで歩き、保冷庫から氷をとりだしてビニル袋につめた。指先に広がるつめたさが勇気さんの冷酷さとリンクする。あれが人間の本性なのかもしれないと思うと、ひどく哀しくなった。
 給水所をでたところで突然、虹華の悲鳴が聞こえた。急いでもどると、ふたりの前に高浩が立っていた。
「どうしたの? いま悲鳴が聞こえた気が」
 疑問に思いながらも足を一歩踏みだした。すると、直貴が叫んだ。
「馬鹿野郎ッ〝それ〟に近づくな!」
 目の前にいた高浩が突如、大声をあげながら僕に襲いかかってきた。
「逃げて!」
 氷が入った袋を投げつけて距離をとった。高浩の双眸(め)は赤く染まり、獰猛なクマを想起させる。直貴がベレッタを抜いてかまえた。
「こっちへこい! 早くッ」
 僕は全力で祭壇の奥に回った。
「あいつ、どうしちまったんだよッ」
「あのデブ、持ってかえってきやがった」
「なんだよそれ」
「シャドウ」
 虹華が小さくいった。
「シャドウ?」
「エネミの第二部隊だ。まるで影のようにつきまとうからそう呼んでる。やつらは心の隙間に憑依しやがる。あの馬鹿、隙なんかみせやがって」
 銃口を向けながら、直貴がつよく舌打ちする。
「正気にもどせないのか?」
「あるにはある。だけど、ひどく危険な賭けだ」
「どうするんだよ」
「殺すの」
 虹華がさめた声でいった。
「殺すだって?」
「正確にはいちど心肺を停止させるんだ。エネミは宿主の血液から酸素をとり入れてる。心肺が止まればエネミも窒息で死ぬ」
「エネミって生物なのか」
「あ? 寝ぼけたこといってんじゃねえぞ。だから殺せるんだろ」
 直貴が慎重に間合いをとる。ひりつくような空気。いままで感じたことのない緊迫感だ。
 高浩が獣のように咆吼した。鼓膜がびりびりとふるえ、いますぐにでも逃げだしたい衝動に駆られる。起爆寸前の爆薬を抱えているような不安。唾液を飲みこむとふいに、血の味がした。
「くるぞッ」
 咆吼が止み、高浩が突進してきた。巨体とは思えない速度(スピード)、あっという間に視界にあふれた。
「躱せッ」
 無我夢中で横に飛んだ。ダンプカーみたいな圧力、高浩の体はそのままの勢いで祭壇に衝突した。衝撃で祭壇が粉々に砕け散った。
「マジかよッ」
「かなり厄介だな。脳まで寄生されてやがる」
「脳?」
「みただろ、あの破壊力。人間業じゃねえ、エネミの能力(ちから)だ」
 高浩がゆっくりと立ちあがった。あれだけの衝撃にもかかわらず、かすり傷ひとつ負っていない。直貴が素早くベレッタの引鉄をしぼった。発砲音と同時に高浩の頭が後方にゆれる。正確に眉間をぶち抜いた、かに思えた。しかし、弾丸は額の表面で停止していた。鉛の弾は床に落ち、硬い音が室内に響いた。
「化物め」
 直貴が呻いた。
「こんなの、どうすることもできないじゃないかッ」
「落ち着けよ。うるせえぞ」
 直貴はふたたび銃口を高浩に向ける。
「お前、心肺機能に自信あるか?」
「なんだって?」
「息だよ。何分止められる?」 
「ちゃんと計ったことないけど――、二分半はいけると思う」
 直貴がうすく笑んだ。「じゅうぶんだ」
「もっとわかるようにいってくれッ」
「シャドウは人間の吐きだす二酸化炭素に反応して襲いかかる。つまり、息を止めてさえいればヤツにおれたちを感知することは不可能だ」
 直貴が虹華をみた。何かを察したのか、虹華がしずかに肯いた。
「おれがヤツを引きつける。お前らはそのあいだに会衆場(ここ)を出るんだ。無論、息を止めてな」
「ひとりでどうにかなる相手じゃない。殺されるぞッ」
 僕は叫んだ。もうだれの死もみたくない。なんの変哲もない、ありきたりの日常を僕は欲していた。
「心配するな、おれは死なねえよ。死ぬわけにはいかねえんだ。麗美の仇(かたき)を討つまでは」
 高浩(シャドウ)が咆吼し、長椅子をもちあげた。
「早くいけッ!」
 息を止めて虹華といっしょに出入り口に走った。投げつけられた椅子が直貴の肩を掠め、壁に衝突する。直貴が顔を歪めてしゃがみこんだ。やはり助けなければいけない。救出に向かおうとしたとき、虹華が僕の腕をつかんだ。唇を引きむすんだ真剣な顔、その眼差しですべてを理解した。僕たちは会衆場をでると義之の部屋へ急いだ。彼ならシャドウ化した高浩を救ってくれるはずだ。せまい廊下を走り、給水所を通りすぎた。
「誠」
 武器庫の前に義之が立っていた。髪をオールバックにし、ひどく精悍な顔つきだ。左拳から前腕部にかけて黒い包帯を巻いている。
「直貴が大変なんだッ」
「いわなくてもいい。すべて〝わかっている〟」
「あれを始める気ね?」
 義之はちいさく顎を引いた。「頃合だ」
「何をする気なんだ」
「エネミを生け捕りにする。シャドウを利用して人間(こちら)の戦闘力を向上させる」
「戦闘力の向上?」
「きみもみただろ、エネミの破壊力を。この戦争に勝利するにはあの力が必要なんだ」
「知っていて、見逃したのか」
「高浩のことか」
「仲間を危険に晒したんだぞ」
「その仲間がいま、危険な状態に陥っている。無駄話をしている暇はない」
「詭弁はやめてくれ」
「ただの事実さ」
 僕たちはみじかい時間にらみ合った。
「勝てるのか?」
「勝つしかないんだ」
 義之はそう吐き捨てて、武器庫からサブマシンガンをもってきた。
「おれたちで元凶を断つ。これ以上やつらの好きにはさせない」
 彼の双眸が光った気がした。救世主。先ほどの光景が頭をよぎる。
「これから戦闘を始める。高浩を仮死状態にしてシャドウを確保する」
 僕はサブマシンガンを受けとった。以前より重く感じる。しかし、その重さになぜか安心感をおぼえた。
「いこう」
 僕たちは会衆場へ向かった。

 二度、鋭い銃声がきこえた。駆けこむと額から血を流している直貴がみえた。
「直貴ッ!」
 僕は叫んだ。直貴は息を切らしながらベレッタをかまえている。鮮血が頬をつたい、あご先からしたたり落ちた。
「馬鹿野郎、なんでもどってきたんだよ」
 直貴が舌打ちをした。緊張感が漂い、不穏な空気を切り裂くようにシャドウが長椅子を蹴り飛ばす。轟音とともに射出され、祭壇の上にあるステンドグラスにぶち当たった。グラスは粉々に砕け、カラフルな雨となって壇上にふりそそぐ。
 義之が拳銃の引鉄をしぼった。三発の弾丸は的確にシャドウの胸部を捉えた。だが、シャドウは平然としている。
「すばらしい」
 義之が感嘆の声をもらした。僕と虹華は目標に照準を合わせながら直貴の横にすべりこむ。
「大丈夫かッ」
「チッ、ひよっこに心配されるようじゃおれも終わりだな」
「へらず口叩いてる場合かよ」
 直貴が義之を一瞥した。
「みんなで助けにきたんだ。ひとり足りないけど」
「勇気(あいつ)がいたら高浩を殺しちまう」
「生け捕りにするらしい」
「生け捕り?」
「シャドウを利用して僕たちの力を向上させるんだ」
「ちょっと待て、それは――」
 動揺したのか、直貴の唇がふるえた。
「うごいたぞッ」
 義之の声が会衆場に木霊した。視線をふりもどす。シャドウが眼前まで迫っていた。
「くそったれッ!」
 直貴がベレッタを撃った。一発、二発。それでもシャドウはとまらない。
「誠ッ撃て!」
 義之の怒号にも似た声が飛んできた。急いで銃口を標的に向けた。しかし、緊張からか指がうごかない。
「馬鹿野郎ッ」
 代わりに直貴と虹華が引鉄をしぼった。弾幕の嵐。ぶち当たった弾丸は跳ね返り、足元の床に突き刺さる。弾切れなのか直貴はベレッタを捨ててかまえた。闘牛士よろしく、突っこんできたシャドウをすんでのところで躱した。
「リーダー! 生け捕りにするって本当かッ」
「この戦争に勝利するためだ」
 直貴の顔が歪んだ。床に唾を吐いた。
「また仲間を殺す気かよッ」
「麗美は運が悪かったんだ」
「ふざけるなッ」
 直貴がシャドウの腹に飛び蹴りを放った。そのまま懐に潜りこむと、襟首をつかんで気合とともに背負い投げた。
「エネミの力なんか必要ねえ! おれがすべてぶっ殺してやるよッ」
 義之をにらみながら直貴はそう叫んだ。
「どういうことだよ」
 僕は虹華に耳打ちした。彼女はすこしためらったあと、口をひらいた。
「妹よ、直貴の。三年前、シャドウにとり憑かれて死んだ」
「とり憑かれたって、いまの高浩みたいにかよ」
「あのときもエネミの能力を利用しようとして――」
 虹華が直貴を一瞥する。 
「勝手にべらべらしゃべるんじゃねえよ」
「だって」
 直貴が床につばを吐いた。
「計画が無茶だったんだよッ。決して救えない事態じゃなかった。力に執着した結果が――、麗美(あいつ)の死だ」
 直貴が義之をにらんだ。双眸の奥で黒い何かが蠢いた。
「戦争に犠牲はつきものだ。それはお前もわかっているだろう?」
 義之がつめたくいい放った。直貴がくそと呟いて長椅子を蹴る。どうしようもない哀しみに僕は泣きそうになった。
 シャドウがゆっくりと立ちあがった。その顔に表情はない。刃物のような視線が僕に向けられた。途端、背筋を寒気が駆けた。
「かまえろ!」
 義之の叫びよりも速くシャドウがうごいた。一瞬で目の前までくると硬い拳が腹に捩じこまれた。熱した鉄の棒でも突っこまれたような感覚、痛みで意識が飛びそうになる。
「誠くんッ!」
 虹華が叫んだ。かけよろうとしたところをシャドウのなぎ払った腕がぶち当たる。みじかい悲鳴のあと、勢いよく後方へ吹っ飛んだ。シャドウが咆吼し、虹華に近づいていく。助けなければ――。足を踏みだした瞬間、胃から何かがこみあげた。あわてて押さえた口許から血がしたたり落ちる。冗談のように紅い。僕たちはここで死ぬのだろうか?
 直貴が割って入った。気合とともに胴体へ蹴りを放ったがシャドウはびくともしない。そのままつかまれ、体ごと床に叩きつけられた。敗戦濃厚。その言葉が脳裏をよぎったとき、義之が呟いた。
「やはり、いまのままでは勝てないか」
 水のようなうごきでシャドウの前に立つとしずかにかまえた。唸り狂うシャドウを微笑みながらみつめている。
「誠、よくみておいてくれ。これがメシアの血を引く者の戦い方だ」
 義之の全身が光りだした。さきほどの光量をはるかに上回る高エネルギー、あっという間にグリーンに染まった。シャドウが間合いに侵入した刹那、義之の体がゆらいだ。素早く背後に回ると掌を標的の延髄に当てた。稲妻のように発光し、その光がシャドウの体内に入っていく。掌の光が消えるのと同時にシャドウが明滅し始めた。どんどんと感覚がせばまり、何かのサインみたいに激しくなるとシャドウが苦しみだした。目はみひらかれ、喉をかきむしり、口から泡が吹きでる。断末魔のような咆吼が響き、高浩の体から黒い物体が飛びでてきた。義之はすぐさま拳の包帯をほどく。刹那、真っ白な光が左拳からあふれた。光は剣のように中空に伸び、意思を持った生き物みたいに黒い物体に突き刺さった。 
「完了だ」
 義之が口端で笑んだ。一瞬のことで何が起きたのかわからない。腹の痛みが思いだしたように再開した。耐えかねて膝をつくと、義之がゆっくりと近づいてきた。
「あの攻撃をうけて尚、意識があるのはたいしたものだな」
 返事をしようとしたが声がでない。口の中は鉄の味であふれている。目がかすんできた。死にたくない。死ぬわけにはいかないんだ。
「大丈夫だ。きみは死なない」
「ま、た――、ここ、ろ――を」
 義之は肯いて僕の腹に右手をかざした。ほんのり温かい。
「すぐに良くなる。しばらくの辛抱だ」
 日向の中にいるような錯覚、ひどく心地いい。このまま眠ってしまいそうだ。久しぶりの安堵に口端がゆるんだ。
「さすが誠だ。もう傷口がふさがった」
 ふいに痛みが消えた。かすんでいた世界が生まれ変わったようにクリアになる。これは奇跡だろうか。
「もう立てるはずだ。それともまだ寝ていたいか?」
 僕は立ちあがった。義之がうれしそうに笑んだ。
「これからシャドウを転送する」
 義之が両手をかざすとシャドウが空中にうかんだ。床と天井の中間まであがり、高速で回転し始める。そのうち空間が歪みだした。黒いオーロラのようなものが発生して、その闇から巨大な手が現れてシャドウをつかんだ。
「なんだよ――、あれ」
「デリバさ。シャドウを彼のもとに届けるんだ」
 彼。以前、直貴がいっていた人物のことだろうか。天井からふってきた巨手が暗闇にもどっていく。非現実的な出来事に脳内の処理が追いつかない。呆然としている僕に、義之がいった。
「三人を医務室に運ぶ。手伝ってくれ」

 観音開きの扉を開けた途端、消毒液の匂いが流れてきた。地下奥に造られた医務室はすべて真っ白で、どこか他人じみたつめたさがある。四つならんだベッドに三人を寝かせた。
「このままで大丈夫なのかよ」 
「心配無用だ。治療は既にすんでいる」
 よくみると、三人の体はうすい光に包まれていた。近づくと微かに熱を帯びている。適温の湯船のようだ。いつか義之がいった言葉を思いだした。 
「初めての戦闘を終えた気分はどうだ?」
 義之は傍らの丸椅子に座り、僕をみた。獣化した高浩、響く銃声、腹部の痛み。まぎれもない現実(リアル)。その現実が、いまはひどく憎らしい。
「よくわからない。まるで悪い夢でもみているようだ」
「戦争は悪夢そのものさ。寝ても覚めても血の味しかしない」
 ベッドに眠る、三人をみつめた。皆、穏やかな顔をしている。
「命に別状はない。シャドウとの戦闘を経験したんだ、目覚めたら以前よりも強靭な戦士になっている」
 義之はまた微笑んだ。
「シャドウはどこへ消えたんだ?」
 訊きたいことがたくさんあった。エネミのことや彼の存在、直貴の妹のこと。そして、やさしさが人を殺すということ。
「本部に送ったんだ。司令塔である彼がいる場所さ」
「いったい何者なんだよ」
 義之の口端から笑みが消えた。みじかく息を吐くと僕をみつめた。
「この世で最高の頭脳をもった存在さ。アインシュタインやハイゼンベルクなど足元にも及ばない。同志は彼がみつけたんだ」
「エネミを分析して弱点でもみつけるのかよ」
 義之は肯いた。太腿のうえで手を組み、遠くをみつめた。
「敵のウィークポイントをみつけることは即ち、こちら側の強化につながる。すべては戦争に勝利するためだ」
「仲間を犠牲にしてもか?」
「麗美のことをいっているのか」
「あの発言は看過できない。いつもの義之(きみ)ならあんなことはいわないはずだ」
 そういうと義之は笑った。白い歯が唇の隙間からのぞく。
「なにがおかしい」 
 語尾をつよめると、義之は立ちあがった。
「誠(きみ)はなにもわかっていない。戦争の悲惨さも、当事者の哀しみも」
「当然だろ。僕は平和な時代に生まれたんだ、それは義之だって同じだろ」
 そういうと、義之はしずかに首をふった。
「三年前、おれはすべてを悟った」
「三年前?」
「あれは、地獄だ」
 地獄。周囲に死体が散乱し、泣き声とも呻き声ともつかない音が木霊する。いまごろ地上は地獄と化しているかもしれない。想像して鳥肌が立った。
「彼はいった。おれたちが希望なのだ、と。地獄をもたらす戦争を終結させられるのは、メシアの血胤だけだ」
「直貴の妹すら救えないのに、救世主なのかよ」
 僕は軽蔑した。なにが救世主だ。女の子ひとり救えないじゃないか。ケンカになってもかまわない、そのくらいの気持だった。しかし、義之は当然のように肯いた。
「そうだ。おれたちは救世主だ」
 溜息をつき、ベッドに横になった。何もかも白い空間、ひどくきれいだ。戦争が終わったらこの世界も真っ白になれるのだろうか。
「マサムネを覚えているか」
「──義之が飼っていたうさぎのことだろ」
 結局、マサムネはあの騒動から五年後に死んだ。享年十二歳。うさぎの平均寿命が八年ほどだから大往生だ。そのとき、僕は初めて義之の涙をみた。
「マサムネが、どうしたんだよ」
 すこし鼓動が速くなった。あの出来事をいまさら蒸し返すつもりなのかと、体が硬直した。
「とても賢いうさぎだった。マサムネは死というものを理解していたんだ」
 義之は過去をみるような遠い目をした。
「人は、なぜ争うと思う?」
 みじかい時間考えた。僕たちはどうして戦うのだろう。敵が襲ってくるから? それとも自尊心を満たすため? 疲れ果てた脳みそではうまく答えがみつからない。
「わからない。もしかしたら、その答えを知るために戦っているのかもしれない」
「弱さのせいさ。本当は皆怖いんだ。そして、それを認める勇気すらない」
 恐怖。心の中で呟いた。エネミは対象者の最も恐れるものに変化する──。直貴のいった言葉が頭蓋でリフレインした。
「弱さは恐怖を産み、恐怖は希望を奪い去る。生物最大の恐れは死だ。マサムネは死を恐れていなかった」
「エネミも死を恐れているのかよ」
 義之は首を横にふった。
「それはわからない。やつらに感情があるのかさえ不明だ。だが、試してみる価値はある」
「僕は役に立ちそうもないな」
「そんなことはないさ。先ほどの戦闘で意識を保っていられたのは誠だけだ」
 天井の照明をぼんやりとみつめた。結局、僕は引鉄を引けなかった。もし義之がいなければ、全員いともたやすく死んでいただろう。
「たしかに義之(きみ)は救世主かもしれない。少なくともあの場面で四人の命を救った。――でも、僕はどうだ? 敵の存在に恐怖し、立ち尽くしていただけだ」
「己を不必要に卑下することはない。始めはうまくいかないこともある。その恐怖心に打ち勝つための戦闘だ」
 成長するための戦い。そう呟くと、義之はうれしそうに口端を歪めた。
「これからどうするつもりなんだよ」
「三人の回復を待って地上にでる。状況を見極めて、彼のもとへいく」
 義之はそういって懐から何かをとりだした。黒い四角形が天井から降る光をはじく。タブレットのようだった。
「それは?」
「彼からの贈物(ギフト)さ。エネミの生体波を感知して、正確な居場所を把握できる」
 電源をオンにすると、義之は器用に指をうごかした。
「第一ゲートはエネミに占領されたようだ。しかたない、もうひとつのゲートで地上を目指すことにする」
「また、戦闘になるのか」
「こんどは引鉄を引いてもらう。おれのためじゃなく、きみのためにだ」
 ベッドに立てかけてあるサブマシンガンを僕に差し向けた。――やるしかない。もう弱い自分はみたくなかった。
「お前もそう思うだろ?」
 義之がベッドに視線をおくると、直貴がゆっくりと起きあがった。額の傷はすっかり良くなっている。何かを決意したような、つよい眼差しが僕たちに向けられた。
「怪我の具合はどうだ」
 その問いに直貴は答えなかった。鋭い舌打ちだけがきこえた。
「大丈夫のようだな」
「できるなら、あんたを殺してやりたいよ」
 直貴がつめたくいい放った。義之はうすく笑んだ。
「ずいぶん気が立ってるな」
「あんたは同じ過ちを犯そうとしている」
「それほど、戦争は甘くないということだ」
 ふたりがにらみ合う。シャドウとの対峙とはちがう緊迫感、どうすればいいのかわからない。
「麗美はやさしいやつだったよ。おれとはちがう、助かるべきはあいつだったんだ」
 直貴はベッドからおりるとベレッタを無造作に差しこみ、ドアノブに手をかけた。
「おれはでていく。あんたのやり方には、もう賛同できない」
 こちらをみることもなく、直貴は扉の向こうへ消えた。
「直貴ッ!」
「ほうっておけ。いまは何をいってもききはしないだろう」
「でも」
 義之はしずかに首をふった。
「同志(おれたち)は一蓮托生。あいつもいずれもどってくる。そういう運命なんだ」
 そういって、彼は笑った。
「エネミって、いったい何なんだよ」
 怖さよりも知らなければいけないという使命感が僕を突きうごかした。義之は僕を一瞥してから口をひらいた。
「四凶(しきょう)をしっているか」
「シキョウ?」
「ある神話に登場する、四柱の悪神だ。大きな犬の姿をした渾沌(こんとん)、羊身人面で目がわきの下にある饕餮(とうてつ)、翼の生えた虎、窮奇(きゅうき)、人面虎足で猪の牙を持つ檮杌(とうこつ)。当時の支配者である舜帝によって、中原の四方に流された」
「その悪神がエネミなのかよ」
「エネミは四凶の子飼いだ。総数はわからない。こうしている間にも確実に増えているだろう」
「高浩は敵の存在は不明だっていってたじゃないか」
 そういうと、義之は息を吐いて天井をみつめた。
「やつらの存在は人智を超えている。知らないほうがいい場合もある」
「そんなにヤバい相手なのかよ」
「正しくいえば、四凶獣の血胤だ」
「四凶獣の血胤――」
 その言葉に体がふるえた。なにかとてつもないことが起こる。そんな予感がした。
「やつらは暴虐のかぎりを尽くした。民を殺し、街を破壊し、大地は闇に包まれた」
 義之は中空をにらみ、そういった。こんな厳しい顔をみるのは久しぶりだ。
「封印されたはずだった。しかし、やつらは現れた。人間の心の隙間に憑依し、血の味を求めている。世界で起きた殺人事件の半分はエネミの仕業だ」
「なぜ諸外国はうごかないんだよ」
「既にうごいているさ。だが、やつらをたおす術がない。銃火器では食い止めるのが関の山だ」
 各国の軍隊でも殺せない化物。正直、実感がわかない。しかし、胸の奥にいい知れぬ不安がある。これはいったいなんだろう。
「獣と対峙してみるか」
「なんだって?」
「対四凶獣用の訓練だ。メシアの血胤だけが受けることができる。シャドウとの戦闘を終えた誠なら、きっと大丈夫なはずだ」
 義之は僕をみて肯いた。やけに気になるいいかただ。
「ふたりが目覚めるまで、もうすこしかかりそうだ。おれについてきてくれ」
 眠っているふたりをみつめたあと、僕たちは医務室をあとにした。

 訓練場は教会や医務室があった場所よりも、さらに地下深くにあった。ひどく蒸し暑く、じっとしていても額に汗がうかんでくる。地下とは思えないほどの広さがあり、床や壁はみたこともない素材でできていた。
「四凶獣は高温多湿を好む。理由はわからない。おれたちの国でやつらが蔓延るのはそういうわけだ」
 義之は壁際まで歩いた。窪みに右の掌を当てると、しずかに壁がひらいた。
「想像できうる限りの残酷を思いうかべろ。すこしでも不足すると、飲みこまれる」
 義之の言葉と呼応するように、暗闇の向こうから何かがゆっくりと這いでてきた。
 大きさは二メートルほど。黒くて長い体毛、犬の胴体(ボディ)に熊のような太い足。ふたつの目は白濁していて見えているのかさえわからない。いくつかのぞく牙の間から、コールタールみたいな唾液がしたたり落ちた。
「なんだよッあの化物!」
「混沌だ」
「悪神のおでましかよッ」
「四凶獣のコピーさ。以前入手した情報をもとに造らせたんだ。効率よく訓練できるように、少々アレンジを加えている」
「武器は?! 素手でたおせるわけないだろッ」
「たおしてもらうさ。それがメシアの宿命だ」
 義之が左腕をあげ、獣に向かってふりおろした。グリーンのエネルギー弾が化物の胴体に直撃した。
「九十秒以内にたおせ。誠ならできるはずだ」
 混沌が咆吼した。次元を分断するような金切り声。頬に痛みが走り、思わず押さえた。みると指先に血が付着している。
「混沌は負のオーラをまき散らす。それは刃物のように鋭い。対抗するには正のオーラで体を覆うんだ」
 当然のようにいう義之をにらんだ。正のオーラ? そんなこと、できるわけがない。
「できなければ――死ぬだけだ」 
 混沌が唾液を垂らしながら突進してくる。「くそッ!」
 横に飛びながら見様見真似で腕をふった。勿論、何も起こらない。
「意識を一点に集中させるんだ。左掌(そこ)に命を宿すつもりでやれ」
 無茶な要求に憤りを覚えたが、混沌をたおすためにはやるしかない。じゅうぶんな距離をとって、僕はかまえた。
 右手で左手首をつかみ、掌をひらいて混沌に向けた。標的をにらみながら掌に意識を集中させる。
「そのまま敵をにらみつづけろ。すぐにメシアの血がうごきだす」
 義之の言葉に反応して掌の中心が熱くなり始めた。足元がざわめきだし、体全体に力がみなぎる。
「引鉄は心だ。すべてを解放するつもりで撃ってみろ」
 掌がぼんやり光った。発射しようとしたとき、混沌が僕に向かって何かを吐きだした。唾液だろうか? いやな予感がして左に躱した。どす黒い液体が地面に落ちた瞬間、強烈な閃光と爆風が発生して壁際まで吹き飛ばされた。
「いってえ──、なんだよこれッ」
「負のエネルギーを体内で圧縮して飛ばしたんだ。正のオーラでガードしないと四肢がなくなるぞ」
「怖いこというなよッ」
「かまえろ、くるぞ」
 視線をふりもどした。混沌が咆吼して液体を射出する。こんどはふたつだ。必死にしゃがみこむとエネルギー弾は頭の上を通過した。すぐに爆風が吹いて体が傾いだ。
「ちくしょうッ」
 前をにらんだ。しかし、混沌の姿がない。がらんどうの空間が双眸に広がった。
「上だ!」
 中空の混沌から黒い波動のようなものが排出された。みるみるうちに頭上一面を覆い尽くし、一気に真っ暗になった。まるで闇だ。不吉な黒に足がふるえた。
「気をつけろ。油断すると引きずりこまれる」
 闇が空間の半分を染めた。低い唸り声のあと、混沌の両眼が光った。くる──、そう思った。素早く左手を混沌に向けた。先手必勝。すべてのエネルギーを掌に集中させ、心の中で叫んだ。くらえッ!
 掌から熱を纏った光弾が発射された。予想以上の速度で標的に被弾する。混沌が呻いた。効いている。僕は叫びながら光弾を連射した。混沌が血とも毒ともつかない液体を噴出し、地面に落下した。
「さすが誠だ。この短時間で聖なる光を使いこなせるようになるとはな」
 僕は掌をみつめた。無我夢中で放った光弾、自分がやったことなのに夢みたいに実感がない。いちど握り、ゆっくりとひらいた。痺れに似た感覚、まるで他人の手のようだ。
「シャドウの洗礼が能力(ちから)の覚醒を早めたんだ。やはり、仮説は間違いではなかった」
 混沌は苦しそうに息をもらしている。死にかけているのは明らかだ。僕たちをにらみ、立ち上がろうとしたがすぐに崩れた。
「とどめを刺せ」
 義之の冷酷な声が響いた。ぞっとして、彼を凝視した。
「もうじゅうぶんだろッ、訓練は終わりだッ」
 僕は叫んだ。虫の息の混沌がひどく可哀想に思えた。
 義之は混沌に近寄り、口端を歪ませると絶命寸前の標的に左手を向けた。
「終わらないさ。――そう、これからが始まりだ」
 刹那、掌が光った。目がくらむほどの閃光、まるで核爆発でもしたかのようだ。思わず視線をそらした。
 しばらくして視界が正常になった。白い壁に白い天井、戦闘前と変わらない風景。しかし、混沌の姿はどこにもなかった。
「いこう、そろそろふたりが目覚める頃だ」
 義之はそういい、屈託なく笑った。

エクスペリエンス・ウォー(地下篇・100枚)

執筆の狙い

作者 りょうすけ
126.117.173.120

久しぶりの投稿です。
100枚と長めですが、忌憚のないご意見ご感想をよろしくお願い致します。

コメント

夏端月
220.208.27.39

拝読。
忌憚のない意見をということなんで。
100枚とのことですが最後まで読めました。マア、全体の序章ということなのですがよくかけているとは思いました。あたしこういった分野は皆目読まないのですが、このサイトにあがったものは過去に何作かは読ませていただきました。でも本作がどういったジャンルのものかは全く知識がないばかりか、本作のこういった設定(世界観っていうの? この言葉は嫌いですけど)が斬新なものかどうかは分からん。
でも、何ヵ所か若干わかりにくいというか、本作のテンポにしては文章的に流れを止めるところ(文章表現的に)がありましたけど、りょうすけさんの腕は感じました。
この流れであれば500~1000枚ぐらいのボリュウムだろうとは思うのですが、本作はお話が「急」→「急」になっています。冒頭少しだけ「緩」あり。
あたしとしては「緩・急」をりょうすけさんがどのように描くか、どのように構成するかが興味のあるところです。

偏差値45
219.182.80.182

冒頭だけ読みました。そして挫折しました。
誰がなにを言っているのか、分かりにくい。
物語の方向性がつかめない。

りょうすけ
126.117.173.120

夏端月さん、ご感想ありがとうございます。
最後まで読めたとおっしゃっていただけて嬉しいです。
自分的に世界観は新しいものだとは思っていなくて、ただ公募で宗教的なものはNGというのをどこかで見て、
だったら逆に取り入れてやろうと思いました。天邪鬼なのかもしれませんが。

>何ヵ所か若干わかりにくいというか、本作のテンポにしては文章的に流れを止めるところ

回想シーンのところでしょうか?


>本作はお話が「急」→「急」になっています。冒頭少しだけ「緩」あり。

たしかにそうですね。とにかくページをめくってもらえるように意識した結果だと思います。
もう少しゆるい場面も取り入れたいと思います。

ありがとうございました!

りょうすけ
126.117.173.120

偏差値45さん、ご感想ありがとうございます。

>誰がなにを言っているのか、分かりにくい。

最初は主人公のセリフもあったのですが、あえてカットしました。
義之の非日常的なセリフを際立たせるためです。
わかりにくくなってしまったのは申し訳ないです。

ありがとうございました!

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