作家でごはん!鍛練場
しまりす

husband and wife(29枚)

       一


 第七子となる末っ子を出産後二年ほど経ったころ、一〇〇パーセント絶対確実な避妊方法を夫に提案した。以来これを実行し、小学生になった現在も末っ子は末っ子のままである。
 当初は夫も毎晩のように――いや『ように』ではなく文字通りに毎晩――「絶対だいじょうぶだから」とベッドの上で力説し、夫婦の営みを再開しようと訴えてきた。そのたびにそばのベビーベッドで眠る可愛らしい寝顔を示し「あのとおりだいじょうぶではなかった実績がしっかりとありますゆえ、そなたの言い分はまったく信用できぬ」ということを伝える。すると夫も実在する結果を目の前にして言葉では説得できないと自覚してしまうのか、あきらめて毛布を被って眠りにつく。
 ちなみにお断りするさいには「永久にではない。月のものが終了すればいつでもオーケー」とも伝えている。生理がなくなればやはり絶対に確実なのだからその日までは我慢しましょうお互いにという意味だ。
 時が経つにつれて毎晩の攻防はしだいに減っていき、月に数回勃発するだけの、しかも必ず夫が引きさがるという結果も決まりきったイベントと化していった。
 ところが先月のある日、めずらしくかれは引かなかった。かなり焦れているようで、困惑した表情を浮かべながら私のベッドに忍んできたまま、もどろうとしない。
「それっていつだよ、いつまで待たせるんだよ。まだまだ先だろう。もしおれが犯罪を起こしたらどうするんだよ」
 そこで私は理由として「子供たちに聞こえるとまずいから」ということを加えた。じっさい避妊云々は別としても現実的な問題が立ちはだかっているのだ。これまでなんとなく口にできずにいたがずっと気にかかっていたことでもあった。だから根拠となる理由の補強材料として持ちだしたものの、この点もじつはとてもとても重要なことなのだということを強調して伝えた。
 心なしか夫の顔があかるくなっている。おそらく『なんだそんなことか』と考えているのだろう。その表情を見ていると不安が湧いてくる。かれはそれがどれほど子供たちには良くないことであるのか分かっていないのだ。夫は甘い。あとのことはなんとかなると目先の快楽のみにとらわれている。ここで負けてしまっては元も子もない。
 居住面積の狭いマンション住まいのわが家では、子が成長するにしたがって物理的にも夫婦の営みは不可能となってきている。壁一枚隔てた隣室に上の子たちが、同じ部屋には私たちとベッドをならべて下の子が寝ている。子供たちには気取られたくない。ましてや見られたらということなど想像したくもない。
「だけど子供たちが巣立った暁にはいつでもいくらでも――」と話していると夫が手を握ってきた。こちらを見おろす目が輝いている。
「だったらホテルにいこうよ」
「は?」とんでもないことを言いだした夫に私は恐れおののき「そのような時間もお金もない」ことをきっぱりと述べた。
「あるある。あるよ。だからこんどホテルにいこう。それで解決だよ」
「だから無理。万が一があってこれ以上増えたらどうするの。私たち経済的に終わっちゃう」
 考える顔になって夫は黙る。子供を一人産んで育てることにどれほどの時間とお金と体力や労力が費やされることか。私は言葉をのみこみ、夫が自分のベッドへともどっていくのを何もいわずに見ていた。
 それぞれの毛布に包まれて私たちは眠りについた。すぐには私は寝入ることができなかった。手には夫の指の温かみがまだ残っている。夫婦なのにできないなんて切なすぎるとおもった。




       二


 夜の攻防は減っていきほぼ起こらなくなったのだが、現在は形を変えてこれが朝のやり取りへと移行している。出勤する夫を玄関で見送るさいの会話が毎朝だいたい同じなのである。
「いってくるよ」
「いってらっしゃい」
 手を振っていると、いったん行きかけた夫がふり向き、近づいてくる。
「きょう? きょうはいいよね? きょうこそだよね?」
 なぜかささやき声である。毎朝のことなので私にはなんの感興もわかない。
「ないない、ないです。お客さまがお帰りになるまでは無理です」
 お客さまというのは二人の間のいわば隠語でお月さまのことだ。
「そんなのむりに決まってるだろ。はいと言いなさい。はいと。イエスと言うんだ。さあさあ。イエスと。あ、いまうなずいたな。よし。きょうだ。きょうに決まり。いま約束したからな」
 うなずいてなどいないのにそんなことを言う夫にあきれてしまう。
「なにいってんの。とにかくお客さんが帰るまでは我慢我慢」にっこりと笑ってみせる。「いってらっしゃい」
「ちっ……。いってくる」
 どうも隙あらばというかとにかくどうにかして何とかしたいというふうで、夫のほうは未だに諦めていないようなのだ。


 ところで避妊方法として他の家庭にはあってわが夫婦には取ることのできない選択肢がある。
 まだ攻防の激しかったころのある日、パッケージの未開封な長方形の箱を得意げに見せて「これがあればだいじょうぶだから」と夫がさそってきたことがあった。しかし過去に同じ経緯で愛しいわが子を授かった実績があるのだからまったく説得力がない。「前はそう言うあなたの言葉に騙されたこともあるが今ではそれは信用ならないと知っている」ということを淡々と語るだけで済んだ。かれは絶句してそれからはこのことについては触れてこなくなった。
 それでも夫は、もう自分たちの年も年だから年齢的に確率は低いだの、お客さんの訪問前だから安全な時期だの、今でもいろいろと言ってくる。もちろんそんな不確定な言葉に私がのることはもはやない。絶対に確実でなければだめなのだ。
 他にも方法はあるだろう。だがどれも一〇〇パーセントというわけではない。ピルを服用することは現在もっとも確率の高い避妊方法といわれているが、育児で忙しい毎日を送る私が、というよりそもそも性格的に抜けたところがあり忘れっぽい自分が『薬の服用を忘れる』ことが一日たりともないということがあるだろうか。絶対に忘れないということはないのだ。ネットで検索して表示された確率の表にもゼロパーセントとは載っていない。
 しかしそうはいっても理性だけで生きているわけでもなく生身を抱えた人間だから負けてしまいそうになることもある。
 じっさい私にとってもこれほど長期にわたる禁欲期間というのは、大昔に初めて彼氏ができてからの恋人たちのことをつらつらとふり返ってみても、一度もなかった。一週間も間隔の空いたことがはたしてあったかどうかというくらいのものであったから、さすがにこれほどの長いあいだとなると影響は甚大だ。
 最近はとくに深刻なことになっていて、今月に入ってからは夫がいい男に見えてしかたがないというおかしな現象が起こっている。とにかくびっくりするくらいにかれのことが魅力的に感じられてしまうのだ。ありえない事態である。
 なぜだろう――と首をかしげ、あ、ホルモンのせいなのだとうなずく。
 おそらくすべてはホルモンのせいだろうと理性ではわかっている。それ以外に理由はない。というよりそれしか考えられない。そのようなことで夫婦の営みを再開することはもちろんできない。理性で踏みとどまっていなければ後悔することになるだろうと考えてしまう。
 このような悩みを夫に相談するわけにもいかず、私は解決の糸口すら見つけることができずにいた。
 ところが夫がいい男に見えてしまう現象というか症状がさらに進行するに至って、これはかなりやばいなという、放置していてはまずいのではないかということを考えるようになった。進行というのは症状が身体的なところにまで及んで重症化してしまったということだ。
 つまりこれはホルモンが原因なのだから、お月さまさえお引き取り願えればホルモンも減少する、よって症状も治まるのだろうとそんなふうに考えた。そうなれば問題は解決するだろう。すべて解決できる。お月さまさえなくなれば――と切実に思いつめるようになっていたときのことだった。
 ――ふと私はおもいだした。
 そういえば末っ子を出産しての入院中に何かそういうようなことを医師と向きあって話した気がする――と。
 だれにも相談できないとおもいこんでいたが、産婦人科の医師になら相談できるのかもしれない――。
 とはいえ診察代もばかにならない。そのようなことにお金を使うのは浪費だろう。いや万が一を考えればむしろそれは必要経費なのではないか。




       三


 自らの症状が重くなってからおもったのは、一〇〇パーセント確実な避妊方法をとっていることは、夫にはずいぶんつらいことだったのだろうということだった。
 もちろん男性の生理がどういうものなのかは最初から認識はしている。こういった避妊方法をとることによって夫が生理的な問題を外で解決するという可能性は充分あるわけで、もしもそういうことが起こったとしてもそれは仕方がないことだとおもう。そしてそれが長期間に及ぶことで身体のみならず感情をともなう関係が生じたとしても、それも仕方のないことだと考えている。
 というように男性の生理的な仕組みは把握していたのだが、今回のことでそういう理屈だけではなくてなんとなく実感としてわかってしまったのだった。実感といってもきっとほんのわずかな部分だろう。しかし部分的にでもわかったことで過去には理解できなかった出来事がちがうものに見えてくることもある。
 半年ほど前のことだった。私が勝手に名づけていることなのだが全裸事件というものがあった。そのとき私はとても怖くて不気味なおもいをさせられた。正直にいうと夫のことを気持ちわるいとか理解不能というふうに感じた。だがいまは少しだけわかるような気がしている。
 その全裸事件というのは一度だけではない。二、三度くらいはあったとおもう。
 下の子は幼稚園の年長組になったころから自分も上の子たちの部屋で寝たいと言いだすことが増えてきた。もともとそこには下の子の眠るスペースはない。だからいつもいっしょに寝ることはできないけれども、たまにはということで許可すると、下の子は窮屈な格好になりながらも上の子たちといっしょに眠ることになる。
 そういう夜は夫婦の寝室に夫婦二人きりしかいないという状況が生まれてしまうので私は警戒してしまう。キッチンでいろいろと用事をしたり遅い時間までPC作業に集中したりして、そうして夫が完全に眠ってしまってから寝室へいくように努める。ということで夜のひとときを過ごして、午前二時とか三時とかに寝室へむかう。そのときの私の心境としては、あとは寝室へ入ってベッドに横になって眠る――そのことしか考えていないしそれ以外のことが起こるなんてことは想定していない。
 そんなときにいきなりこちらのベッドへ夫が入ってきたのだった。体には何も身につけていなかった。私はとてつもなくびっくりしてしまった。警戒していたはずなのだけれども、なぜかそんなことはないだろうと考えていたみたいで、とにかくこんな時間にベッドへ忍んできた夫におどろいた。なにひとつ身につけていないその姿に「ぎょっ」とさせられた。夫と私とではいわば意識のモードが違っていたせいだろう。血の気がさあああと引いていくようないったい何をしているんだろういう醒めた気持ちにさせられてしまう。自分にはまったくそういう気はないからかなしいことに嫌悪感が先に立ってしまう。
「だめ、だめだよ」私は夫を押しもどすようにその体に毛布を押しつけて目をそらす。「だめって。となりに子供たちがいるんだから。声が聞こえたら困るでしょ」
「声を出さなかったらいいんだよ」
「そういうことじゃなくて気配が聞こえるからだめなの」
 なおもこちらへ寄ってこようとする夫をもういちど押しもどす。毛布を被った格好の夫は私に押されてずりずりと元のベッドの位置へと移っていく。昔とちがって断固として拒む私に、夫はそれ以上迫ってくる気は失せたようだった。
 そういうことが二、三回あった。
 ふりかえって考えると、どうにも抑えきれない熱いものに突き動かされて夫もああいう行動に出てしまったのだろうということはわかる。わかるけれども突飛すぎるというかその前になにかあってもよかったのではないかという気もする。
そしてやはりどう考えても、私のほうも、あのときはそうするしかなかったとしかいえない。




       四


 そう。お月さまが問題なのである。私がおもいだしたのは、末っ子を出産した個人医院にて退院日前日の最後の診察のときの、医師との会話だった。
「順調ですね。切開したところは溶ける糸で縫合していますので、糸は自然に消えます」
 診察がおわり、椅子にすわって向きあうと、医師はそういってにこやかな笑顔を向けてきた。
「退院、おめでとうございます」
 柔和なその顔を見ていると、第一子の妊娠時からお世話になってきたことがしみじみと思い起こされて、感慨もひとしおだった。
「ありがとうございます。先生にはほんとうにいろいろとお世話になりました」
「母乳はむりせずに、疲れているときはミルクでもいいからね。ご家族の方と協力してね。まあ育児に関してはベテランでしょうから全部おわかりだろうけどね」
「そんなことはないんですけど、もう可愛いばかりで」
「そうでしょうねえ」
 医師が目を細めている。その表情に私の心は綻んだ。
「あとはもう生理のおわるのを待つだけです。それもすぐですよね。楽しみです」
 そうですねと医師がうなずくことを予想しながら軽い気持ちで私はいった。すっかり役目は終了したのだからすぐにでもお客さまは帰っていくだろうとなぜか思いこんでいた。堅く信じていたといってもいいだろう。
 ところが医師は笑っている。
「それは逆ですよ」
「え――?」
 耳を疑った。医師の顔を見直す。にこやかな顔をしている。
「今回出産したことで子宮は若返ってますからね。勢いがもどりますね」
 卒倒しかけた――という感じで私は丸椅子から落ちないように体全体で踏んばってから医師を見つめなおした。
「どういうことですか。いえあの。役目は終わってあとは間遠になっていくだろうと」
「どうですかね。出産前はどうでした」
「それはまあ毎月来てはいましたが」
「でしょうねえ。しばらくはつづくとおもいますよ。すぐに上がることはないね」
 医師は断言した。
 しばらく私はなにも言葉を返すことができなかった。数秒してようやく「そうなんですか……」とつぶやいた。それから急にあることが気がかりになってきて、ためらいながらもおもいきって「あのう。ちょっと聞きにくいことなんですけど」と訊いてみた。
「避妊とかそのへんはどうすればいいんでしょうか。その。一般的な避妊方法がどうもうまくいかなくて」
 夫が協力的ではないとはさすがにいえない。夫は私からお願いしないと着けてくれない人だった。
 今おもえば自分が弱かったせいだと分かる。情けないことである。
 若いころの私は夫に遠慮してその最中にそのようなことはとても言いだすことができなかった。子供を出産後にようやく「できれば……」という感じでお願いできるようになったものの夫は私から言わなければ決して着けようとはしなかった。とてもかなしかった。五人目を出産したあとくらいにやっと「着けていないとだめ」と拒否することができるようになった。その都度必ずそう言うことにした。それでも夫は私が言わないと着けようとしなかった。このころには殺意が湧くような感じでどうして着けてくれないのだろうとおもうようになっていた。
 殺意といえば他にも一度だけあった。初めての年子、〇歳児と一歳児を育てていた時分、やっと眠れるとベッドに入りこんだときにとなりから手が伸びてきたのがつらくて、しかしそのころの自分は断ることができなかったから眠いとおもいながらもずっと天井をながめて早く終わらないかなと感じていた、あのときにもやはり殺意に近い感情が湧いたのではなかったか。
 だいぶあとになってからやっと、遅すぎたのだろうけれどもほんとうにやっと私は、雰囲気を壊すとか夫が不快な思いをするとか夫の気分を損なうとか、そのようなことはすべて心から追いだして一ミリの罪悪感も抱かずに「着けて」と平気でいうことができるようになった。手がのびてきたときに「いまは危ないからだめ」とはっきり断ることもできるようになった。
 だから出産後二年経ってはいたけれども、絶対確実な方法を提案できるようになったことは、大きな進歩といえるものだったのかもしれない。
 というような経緯はとうぜんながら医師には話していない。
 ただ私の短い問い一つだけで医師は察してくれたようだった。
「そういうことでしたらリングを入れるのがいいとおもいますよ」
 子宮内避妊器具、通称リングなるものについて医師は図解で説明してくれた。一度挿入すれば五年間ほど避妊効果があるそうだ。装着状態の確認のための定期的な受診が必要になるという。
「出産後の生理が再開してからの利用となりますね」
 私は気になる確率を訊いてみた。ピルの服用による避妊効果よりは低いとのことだった。そこまでの避妊効果はないらしい。
 帰宅後ネットで調べてみるとけっこう失敗談が載っている。この時点で私のなかでは避妊リングをつけるという気持ちはなくなった。そのためこのときの医師との会話は記憶の底に沈んでしまってすっかり忘れ去られてしまっていた。




       五


 医師の予想どおりに出産後半年も経たないうちにお月さまはやってきてそれからは毎月律儀に訪問してくるようになった。しかも出産前には量も期間もかなり減っていたのが、ああそういえば高校生のころこんな感じだったかなというくらいにいろいろと変化していた。
 末っ子が小学生になった現在に至ってもまだお月さまの来訪は途切れることなくつづいている。一回の訪問時における滞在時間は短くなっているようだが、二日目三日目の量は多く、鎮痛剤が必要になるくらいの生理痛は毎回ある。
 例のホルモンによる症状が重症化したことで私はふたたびネットで検索してみたのだが、どうやら産婦人科で検査してもらえば、あとどのくらいで閉経するのかということが分かるらしい。体に負担の掛かるような検査ではなく血液検査である。血中のホルモン値を測定し、その数値からホルモンの状態を判断することができるという。
 これはいいのではないかと私はおもった。同じ我慢をするにも期間がわかっていれば耐えやすいだろう。こういう検査を受けてみたほうがいいのだろうか。
 さっそく私は産婦人科クリニックへ足を運んだ。受付で事務員さんにホルモン検査をしたいという要望を伝えたのだが、なぜか怪訝な表情をしている。
 受付票で年齢や妊娠回数などを確認した事務員さんは顔をあげて私を見ると「ええと月経期間の調整をされたいということでしょうか」といった。
「いえそうではなくて。……閉経関係といいますか」
「ああ、それでは」
 事務員さんはカウンタ越しに顔を寄せてきた。
「妊娠しているかどうかの検査ですね。妊娠しているのか閉経なのかをお調べになりたいのですね」
「いえいえ。ええとですね」
 妊娠妊娠と怖ろしいキーワードを連呼されて少々うろたえる。まるで妊娠判定検査薬で陽性の結果を目視したうえで最終的な確認のためにクリニックを訪れたかのような、そんな気分になってしまうではないか。どうしてそうも平気な顔をして人を妊娠していると決めつけるのか。
 ――決めつけてはいないのか……。
 ともあれ気を取りなおして私も事務員さんに体を寄せて声をひそめる。
「妊娠はしていません。そのう。いつ閉経するかということを調べてほしいのですが」
「そういったことは……うちではやっていないというか……」
 事務員さんは首をかしげて言葉を濁している。
 血液を調べればホルモン値を測定できると記載してあったのは不妊治療専門サイトだった。いま私が来ている病院はごく一般的な産婦人科で背後の待合い室コーナーのふかふかのソファには妊婦さんが何人かすわっている。もしかして専門の病院でないとホルモン検査はできないのだろうか。
「血液検査でホルモンの状態がわかると知って来ました」
「ああ、そういう……」事務員さんは初めて合点がいったという顔になった。
「こちらではそういった検査はされていないということでしょうか」
「できないことはないかもしれないんですけど、これまで当院ではそういった検査をした例がなくてですね」
 とするともう少し足をのばして専門病院へ行くしかないのだろうか。
「こちらで検査できないということでしたら――」
「いいえ、検査自体はできるとおもうんですけど。先生に確認してきますのでお待ちいただけますか」
 奥の診察室へ姿を消した事務員さんは、四、五分でもどってきた。
「検査、できます。ただこの検査ではいつ閉経するかということは、はっきりとはわからないそうですよ」
「いつとピンポイントではなくて、大体いつぐらいというのならわかります?」
「それも難しいでしょうねえ。個人個人でちがいますから。周期的に何日目に採血したかという検査時期にもよるんですけど、現時点でのホルモンの状態がわかるということで、それ以上のことはわからないですね」
「この状態だと妊娠はもう無理ですねとか閉経近いですねとかはわかるのかしら。どうなんでしょう」
「そのときの状態はわかりますけど、いつ閉経するかということはいえないんですね。いまあなたは生理があるということなので、生理がある限りは妊娠の可能性はありますし」
 事務員さんの『生理のある限りは』というフレーズが頭のなかでリフレインする。生理のある限りは。生理のある限りは。生理の。ある。限り。は。限りは――。
 なんだかクリニックに来て杞憂が確信に変わっただけのような気がしてくる。
「やっぱりそうなんですね……。いま生理が順調だったらどうしたって『妊娠しない』ということは言えないと」
「はい。生理が来ているということはホルモンがしっかり働いているということなので」
 なんだかもう聞いているだけで脱力してしまう感じである。私はうなだれて「そうですか……」とつぶやいた。
「あ、でもその生理がですね、ほんとうに排卵されているのかどうかとか、そういうことにはよりますね。無排卵ということもありますから、無排卵だとすれば妊娠はできないですからね」
「無排卵ですか」
 とてもそんな感じではないなあとお月さまの状況を思いだしながら事務員さんの言葉をくりかえす。しかし「無排卵」という言葉の意味をもういちど頭のなかで考えて、はっとする。無排卵だったら妊娠しない。とうぜんだ。卵子がないのだから一〇〇パーセント妊娠はしない。というか妊娠できない。つまり妊娠の心配がなくなるということだろうか。
「年齢的にそういう可能性も高くなっているということなんですね」
「まあ一般的には。でも検査をしなければそうであるかどうかはわかりません」
 そのあと事務員さんと相談してホルモン検査のほかにエコー検査もお願いすることになり、診察に呼ばれるまで順番を待つことになった。
 待合室のソファは弾力があって心地よかった。となりのソファにすわった妊婦さんが乳幼児を連れていてその親子の様子を見るともなくながめる。懐かしい光景だとおもった。
 夫にどう報告しようかと考える。病院へ行ってきた。子供たちを産んだあのクリニックだよ――そんな感じでさりげなく話してみようかなとおもう。
 ――もうすぐお客さんは帰るからそろそろ解禁ね。再開しようか。もういいよね。
 目を閉じる。なにか違う。まだ心のどこかでなにかを怖れている。とても怖い。
                          了

husband and wife(29枚)

執筆の狙い

作者 しまりす
36.11.224.220

100%確実な避妊方法とは――? 決して解決しない問題を抱えたある夫婦のお話。ちょっと極端なケースを想定しています。
*公募向けの原稿を推敲する合間に気分転換で書きました。暇つぶしに読んでいただけましたら、とてもうれしくおもいます。

コメント

偏差値45
219.182.80.182

個人的には関心がないまま、読み終えてしまった感じですね。
だから文章としては分かりやすいと思います。
面白いか、と言えば、「いいえ」かな。好みの問題なので、これは是非もない。
たぶん、これは贅沢な悩みの類なので、「ふーん」という感じで終わってしまいますね。
妊娠できない人の方が深刻です。また当初望まれずに誕生した子供が真実を知ったらショックだろうな、とは思いましたね。
とはいえ、現実としてもあるのでしょうね。
それから、ラストのまとめ方がイケてないかな。なにかオチのようなものを期待していたのですが、ちょっと残念な感じですね。

アフリカ
49.104.47.173

拝読しました

焦らされると俄然やる気が出るけど、そこはやっぱり最終的には、いやよいやよもなんたら的な感覚があってこそのもので、この場合は断固としてデモ活動を駆使して、或いはテロに限りなく近いクーデター等も常に視野に入れながら直談判を繰り返すだろうな~

ってか、御作

あぁ、小説を読んでるな~と思える書き方でとても心地よく読み進めさせられまして、とても上手いな~と感じたのですが、公募はどのようなタイプを狙っていらっしゃるのですか?

もう一度出すのですが心地よく読んでしまいました。

ありがとうございました。

カルネ
133.232.243.157

それでも律儀に奥様にのみ要求する夫というのも凄いですね(笑)。離婚は持ち出さずそこまで我慢してくれているのなら妻への愛は消えていないんでしょうから、いっそパイプカットしてもらう提案もシーンとして入れて欲しかったかな。勿論、夫は青ざめて拒否するんでしょうけど。あとは卵管結紮とかでしょうか。って、出産も含めて女性だけが己の身体を犠牲にしてますよね…。なんか私も夫に殺意(笑)。
にしても7人かあ。恐ろしいなあ。

大丘 忍
180.27.222.101

荻野式で危険日にはゴムを使うと言う方法でしたが、それでも彼女が学生のときに第一子を出産しました。荻野式が怪しかったのか、彼女がごまかしたのかは定かではありません。その後も危険日だけゴムを使う方法でせっせと励んでおりましたが、終に第4子まで出来てしまいました。そのうち彼女のお月様が帰られた様でその後は安心してせっせと行っておりました。
ゴムが嫌ならピルでしょうか。かなり確実性があるので試してみる価値があります。それでも7人も生まれたとしたら、それは諦めるしかありません。彼女との営みを諦めるよりはましでしょう。
ということで、私の経験に照らして面白く拝読しました。

迫太郎
49.98.54.101

自分たちの意思ではないところで7人もできるなんてあるのだろうか…下手くそか意思の弱さのどちらかだろうなんて思いながら読んでいましたが
所々、夫や妻の言い分にあーわかるーと思うところがあってリアルで良かったと思います。
そしてオチは考えどころですが、妊娠しない方法として私が一番に思いつくのは卵管結紮です。卵管を糸で縛って受精しないようにするというもの。
もう産まないと決めた人は結構この手術をしています。

弥々丸
106.161.217.227

”気分転換”とか言われたら読むほうもそれ相応の色眼鏡ってことになろうものなんですけど、こういうジャンルってもろにセンス一発ばっかだと思うんですよ。

肝心なトコで編集がタイトじゃない、っていうことはつまり語彙の選択にセンスがないっていうことなんですけど、流れから差し出したい気配を言葉が潰してるみたいなんですよ、期待の上を行かない言葉、表現、単純に文字数とか。


キレがないです。


気分転換ですもんね、ウザいイチャモンつけられてもねえ。



またシカトでしょうか?

おつかれさまです

しまりす
36.11.225.141

偏差値45さま
 さっそくのコメントをありがとうございます。
 たぶん非常に偏った内容なので読んでいただけただけでもとってもうれしいです。

>これは贅沢な悩みの類
>妊娠できない人の方が深刻です。
 そうなんですよね……。そこを迷ったんですけどなかなか難しいです。とりあえずだーっと書いてしまった感じです。いまになって配慮が足りなかったかなというかこういう場所に載せるには内容的にどうだったのだろうかとか考えさせられました。
 でも率直な感想を書いてくださって本当にありがたいです。

>ラストのまとめ方がイケてないかな。なにかオチのようなものを期待していたのですが、ちょっと残念な感じですね。
 オチ、何もないですね。最後の場面はもっと変えて夫を登場させたほうがよかったのかもしれません。どのように書くか迷った箇所です。きちんとオチをつけたほうが確かにいいですね。
 しばらくこのことを頭の隅に残して考えてみます。ご指摘ありがとうございます。

 おもしろくないというのは良くないこととおもうので、どうにかそのあたりを変えていきたいですね。
 頂いたご意見を参考にまた新たな作品に取り組みます。
 コメントをありがとうございました。
 

しまりす
36.11.225.141

アフリカさま
>公募はどのようなタイプを狙っていらっしゃるのですか?
 こちらに投稿した作品とはまったくジャンルがちがっていて主にエンタメ系ですね。いま推敲中の作品の応募先は推理系です。うまいなんてことは全然ないんですよ。全くだめだめで下手だなーと読み返すといつもおもいます。あたりまえなんですがまだまだだなと凹むことばかりです。

>心地よく読んでしまいました。
 ありがとうございます。お読みくださった上に心地よかったとのことで作者としてとてもうれしいです。
 コメントをありがとうございました。

しまりす
36.11.225.141

カルネさま
>いっそパイプカットしてもらう提案
>あとは卵管結紮とか
 パイプカットについては入れたほうがいいのか迷って結局除いたのですが、やはりそういうシーンもあったほうが説得力は増したのかもしれません。
 卵管結紮のことすっかり抜けていました。これについてはお医者さまとの会話のなかにあったほうが自然な感じがしますね。助言をありがとうございます。


>なんか私も夫に殺意(笑)。
 あ、なんだかうれしいです笑。
 女にとっては、出産前には予想もしていなかったこと、というのがとても多い分野だなとおもいます。
 
>にしても7人かあ。恐ろしいなあ。
 現実にはそこまでなることは非常に稀でしょうけどほんと想像すると恐ろしいです。
 興味深いコメントをありがとうございました。

しまりす
36.11.225.141

大丘さま
>私の経験に照らして面白く拝読しました。
 おもしろく感じていただけたとのことで意外におもいましたが、でもとてもうれしいものですね。
 経験談をありがとうございます。こういうことって実際にあるものなのですねえ。

>彼女との営みを諦めるよりはましでしょう。
 それはすごいなとおもいます。そういうものなのですね。愛情表現の一つですね。

>ゴムが嫌ならピルでしょうか。かなり確実性があるので試してみる価値があります。
 やはりピルが確実なのでしょうね。
 お読みいただきコメントまでありがとうございました。

しまりす
36.11.225.141

迫太郎さま
>所々、夫や妻の言い分にあーわかるーと思うところがあって
 どちらの言い分にもそう思っていただけたことはとてもうれしくて書いてよかったと思わされました。
 ありがとうございます。

>妊娠しない方法として私が一番に思いつくのは卵管結紮です。卵管を糸で縛って受精しないようにするというもの。
もう産まないと決めた人は結構この手術をしています。
 卵管結紮についてもっと調べておけば……と反省しました。これなら受精しないから確実ですね。
 帝王切開で出産された方が開腹したときに行うことが多いそうですね。わりと普及している手術なのでしょうか。自然出産の場合はすこしハードルは高くなるのかもしれませんね。
 コメントいただけてよかったです。ありがとうございました。

弥々丸
126.3.30.4

いいよもう。
こんな才能ないやつら相手にできねー。

もう寝る。酒飲んでるから、これ書いてることもたぶん忘れてるけど、よろしく。

弥々丸
153.140.203.115

↑ チェケラぁ(嗤

朱漣
210.170.105.157

 しまりす様

 拝読しました。

 男性目線だと、旦那さんが可愛そうかな^^
 でも、これ以上は子供を増やせない現実的(経済的)な問題と、旦那様の失敗実績(物的証拠)があるので……、ってところでの葛藤を楽しめば良いのでしょうか、この作品は?
 そう考えると、これまでのコメントでも複数の方が書いてらっしゃるように「卵管結紮」という確実な方法がある、ということが、この作品の根底を覆すことにならないのかな、と思いました。
 奥さんが「卵管結紮」しちゃえば、この作品で語られている苦労はしなくてもいい、というか……。
 ですので、設定の中に「卵管結紮」が出来ない何らかの必然性を設けて、それを読者に開示していただく必要は絶対にあると思います。
 じゃないと作品が成立しなくなっちゃいませんか^^;

 あと、時間軸をもう少しはっきりさせた方が良いと思いました。
 なんとなく読み取れないことぱないのですけど。
 例えば、僕がこういう作品(構想)を思いついたとしたら、時系列で旦那さんと奥さんの営みに対する心の有り様とそれに起因する行動とかを並べて書いてみたりすると思うんですね。そういう作業が大好きなもので^^
 そうすると作品(家族)にもっと一体感が出てくると思うのです。作品全体の雰囲気は何となく一体感が醸し出されているにも拘わらず、ストーリーは個が強調されてる、みたいな感じになるともっと奥深い作品に仕上がるのではないかと思いました。
 読んでいて、奥さんと旦那さんが別々の駒として動かされているように感じてしまいました。
 それが作者さんの狙いなのかもしれませんが^^;

 ありがとうございました。 

しまりす
36.11.225.122

朱漣さま
>男性目線だと、旦那さんが可愛そうかな^^
 ですよね……。投稿前はそういうご意見のほうが多いかなとおもっていました。男性からみるとキツいでしょうね。

>葛藤を楽しめば良いのでしょうか、この作品は?
 すみません。楽しめるものではないかもしれないです。そこは怪しいのですが……作者的にはそういう葛藤を描くつもりでこのお話を書き始めたというのはあります。

>「卵管結紮」という確実な方法がある
 これについてはほんと調べ方が足りなかったです。
 ここをどうにかしなくては成り立たないというのは間違いないです。ご指摘ありがとうございます。

>時間軸をもう少しはっきりさせた方が良い
 かなりごちゃごちゃしています。自分でも結構わかっていながらあまりそういうのを構わずに書いてしまいました。
 時系列を整理して構成を変えるとか何かしら手を入れればもう少し読みやすくなったのかも。不出来なものを読ませてしまいもうしわけないというか恐縮です。助言をありがとうございます。

>奥さんと旦那さんが別々の駒として動かされているように感じてしまいました。
>それが作者さんの狙いなのかもしれませんが^^;
 いえいえ、狙いでも何でもなくほとんど意識していなかった点ではないかなとおもいます。
 別々の駒のよう……たしかに妻側の視点のみで書いているせいか夫側についての色々を深く考えずに終わってしまっています。
 おっしゃって頂いたようにいつか奥深い作品を書くことができるようになりたいものです。
 コメントをありがとうございました。
 

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