作家でごはん!鍛練場
ぐびぐび軟体無糖人間

【 加圧式 【二人乗りの憂鬱と嘘 ④⑤⑥】】

【 続き 】

④龍と矢印

「ぁ……」
鹿の角に駱駝の頭、鋭く刺すような鬼の眼、些細な音も聞き逃さない牛の耳、柔軟な蛇の胴体に緑色の鯉の鱗、蜃気楼を生み出すとされる蜃の腹に三本の鷹の爪、その手に宝玉を握り締めた勇猛な龍が、白い肌の中を天を目指して昇っている。任侠映画等でしか観たことの無かった二次元の筈のそれは、白い肌の中で怖いほどの躍動感を見るものに与えていて、僕は恵美さんの背中に住み着いたその昇り龍の迫力にたじろぎ、呻きに似た声を漏らしていた。
「ねっ、単純にヒクでしょ? 」
言いながら下着を着け直す恵美さん。ラブホテルの下品な照明に照らされた白い肌の上を、するすると捲し上げられる衣服の下に隠されていく龍が、僕と恵美さんの間に確かに存在していた大切なものを奪い去ったような喪失感や、僕が勝手に描いていた恵美さんというキャンパスを過去の真実が赤黒く塗り潰してしまった虚無感みたいな。そんな、僕自身が初めて見付けた感情を刺激する。
「けどっ! 恵美さんは……恵美さんで……何も変わらない」
驚愕に閉じた喉が妨害して声が上手く出せない。僕は恵美さんの背中を見詰めて絞り出すように声を発した。
流しっぱなしになっているUSENの軽薄な流行曲。レースのカーテン越しに瞬く安いネオン。そんな意図的に選ばれた演出が、恵美さん自身が自分を安く見積もっていることを表していた。
「恵美さんは、何も変わらない」
拳を握りしめて、もう一度繰り返す。
「やっぱ、優しいな君は」
言って振り返ろうとする恵美さんを、後ろから抱き締める。
狭い部屋に置かれた不釣り合いなダブルベッドが僕たちを部屋の脇に押しやっている。
通路のようなその場所で僕は恵美さんをきつく抱き締める。
「なんだかな……こんなのに、凄く弱いよね……オバサンだからだな……どうしたら…」
「好きです」
僕は恵美さんの言葉を遮って更に強く抱き締める。
「好きです」
もう一度言って優しく抱き締め続ける。

僕を創る細胞全てが溶け出して恵美さんの細胞に染み込めば良いと思う。恵美さんの背中に染み込んだ龍のように恵美さんの中に僕の全てが染み込めば良いと願う。


『「何しに来たのよ」そう言った瞬間にお腹を殴られてた。そしたら、やっぱり昔の記憶? 恐怖みたいなのが、私のスイッチを入れちゃって、私、その場に踞ってしまって……後は、背中をぼっこぼこに蹴られたの。笑えるでしょ?』
三十分程の遠回りをしながら辿り着いた話のオチを、恵美さんは笑いながら言った。
僕はその間ずっと話しを遮ることなく頷くだけで聞き続けていた。
居酒屋の奥から聞こえる学生の喧騒。カチャカチャと気安くぶつかり合う食器類の音。あくせくと動き回りオーダーを通すバイト達の声。目の前にある現実は何も変わらない。変わらない筈なのに僕の胸の辺りが酷く切なく軋む。切り傷や擦り傷みたいにヒリヒリしたりズキズキしたりする痛みとは全く異なる切ない痛み。激しく苦しくて切ない痛み。
『笑える筈ないでしょ……』
僕は、その痛みを誤魔化す為に握り締めていたビールを飲み干した。空調は室温を一定にしている筈なのに飲み干したビールが手のひらに滲んでくるような感覚に襲われる。
そんな僕を見詰めて恵美さんは何事も無いような顔で続ける。
『どうして居場所が今頃になってバレたのかは分かんないけど、アイツが私の目の前に表れたのは事実で健太が帰って来なかったら、私は犯されて殺されてたかもね』
さらりと言う恵美さんの目は笑っていない。身体に染み付いた恐怖は決して消えない。笑い飛ばしてしまう事など出来ない。人の古い記憶の殆どは、自分自身に寄って捏造されたものだと誰かが言っていた。人は自らを正当化するために負の記憶を都合良く塗り替える。そうしなければ記憶に押し潰される。そう言っていた。それでも、遠い記憶ではなく身近にある現実が望んだ通りになることなんて少ない。
『僕が……守ります』
呟いた僕を恵美さんが真っ直ぐに見詰める。いや、見詰めると言うより睨み付ける。
『無理だよ』
言い切った恵美さんを、今度は僕が睨み返す。
『無理じゃない』
その言葉に根拠なんてものは何も無かった。チンピラだか、ヤクザだか、分からないが僕は目の前で不器用に微笑む恵美さんを守りたいと思った。そこに緻密な根拠なんてものがある筈もないし、そんなものはなんの役にも立たない。
暫く、恵美さんは僕をぼんやりと見詰めてから「じゃぁ、確かめてあげる」そう言って席を立った。
慌てて僕もそれに続く。
居酒屋があった繁華街から抜けて、怪しいネオンが瞬く裏通りを歩く。
『ここじゃないな~』
恵美さんは、いかにも場末のホテルって感じの寂れたラブホテルを選んでいるように思えた。
『この雰囲気良いね。外観からは想像出来ないエロチックな内装だったりして。質素な感じでも逆にエロくない? 値段も安いし。いや、安いに限るよね。私が誘ったから私が出すんだし。んでも、この名前。なんて読むの? なんて意味?』
ホテル街の中でも一際古びた後数年で取り壊されるような四角いホテルの前で、跳び跳ねるようにはしゃいでやけに高いテンション。その、わざとらしい振る舞いに僕は恵美さんの中に強烈な躊躇いがあるのだと感じた。
『アローです。意味は矢印。でも、急にどうしたんですか……僕はずっと待ってたんだし、無理して急に関係を持たなくても……』
『怖いんだよね。 秘密を抱えたままだと……だから……』
言った恵美さんを、薄汚れたラブホテルのネオンが照らし出していた。



⑤無理

薬指に巻いた絆創膏。自分の強い意思を示した筈の印を晒して生きる勇気なんて無い自分にムカついて、同時に何事もないふりして友達と話せる自分にも安心していたりもする。
結局、感傷的な勢いに負けて自分自身を傷付けても獲るものなんて殆ど無い。
でも、そんなの分かっていても若気のいたり? そんなことってある筈だし若いから許されるなんて考えてる訳じゃないけど気にし出したらキリがない。
それでも、神様なんてものが本当にいるなら消してくれないかなぁとも思う。絆創膏をぺりぺり剥がしたら藍色のリングなんて消えていないかな? なんて思うけど、そもそも神様なんて信じていないから多分それも無理。
彼は消せると言い張ったけど無理。
キチンとした病院に行って、キチンと治療すれば傷は消えると言ったけど無理。
お金は出すからと言い張ったけど無理。
無理なものは無理。
身近にある現実が望んだ通りになることなんて無い。

だって私は、彼が、私の藍色のリングを傷だと言い張ったことにムカついてるし、それを消せと言い張ったことにもムカついてる。
だから消してしまいたいと思いながら、彼が苦しむなら消してしまいたくもない。



⑥ニキビデブ

目覚めてから眠るまで、MAXFACTORのヘビーローテーション。
ひび割れた音色のギターを操り、しゃがれた声で怒鳴る作詞作曲も手掛けるボーカルのムズは兄の亮二と同じ歳だ。
生まれた月も同じ。
でも、暇さえあれば参考書を開いているような亮二がギターを抱えて何万人も入るでっかいホールで演奏している姿なんて想像出来ない。
一ミリも想像出来ない。

曲が変わってデビュー曲の『raindog』が流れる。
静かなイントロ。
俺はベッドに俯せにゆっくり倒れ込んで枕を握り締めた。そして口元にそれを押し付けて時を待つ。

待つと言えば、夕方に亮二の友人二人が新村の話をしていたのを聞いた。
今時、こんなニキビ面のデブなんて存在してるのかと改めて思う程、時代に逆らうようなセンスのないシャツをだらしなく着こなした二人は、楽しそうに駅前のバス停で話込んでた。
俺は、同じクラスの村上拓実に空気を抜かれた自転車を押しながらムカついていた。拓実に言わせれば、最近になって突然に言葉使いや態度が変わった俺にムカついてるらしいが、俺がどんなタイミングで、どんな風に変わろうと俺の勝手だ。拓実には一切関係無い。
それでも、拓実は俺の行動が一々気に入らない様子でイライラしてた。
そして今日。
俺が帰ろうと思って自転車置き場に行くと、拓実とその他数人がそこから出てきた。拓実は『気を付けて帰れよな』と言って俺の肩を軽く叩いた。その他の奴等が笑い転げる。
俺は、嫌な感じがして自分の自転車が置かれた場所へ急いだ。案の定、倒された自転車は前後輪の空気が抜かれていて前カゴは踏まれたのか奇妙な形に変わっていた。
だから俺は、一人自転車置き場で前カゴを引き伸ばさなければならなかったし、タイヤの修理が出来るところまで自転車を押さなければならなかった。
学校を出てからずっと、自転車はカラカラと何事も無かったかのように乾いた音を立てて進んでいるようでもあり、ボボボッとタイヤが路面に張り付くような音を出しているような気もした。
とにかく、俺は気分が滅入っていた。
途中から降り出した雨もその気持ちを加速させてた。

「そう言えば、三つ下の新村って女が誰にでもヤらせるらしいよ」
雨宿りのつもりでバス停の屋根下に入った俺は黄色のネルシャツをだらしなく着こなしているデブの声に意識が向いた。
「嘘? 本当に? ヤリマンだったんだ、あの娘。そう言われたら、そんな気もする。する。僕もお願いしようかな?」
赤と青のネルシャツデブが反応する。
艶々とまるで車のワックスでも顔面に塗りたくっているような光沢が赤青デブの頬の辺りで歪む。
「新村って僕たちのクラスでも人気あっただろ? あのデカいパーツが色々と色々な部分を刺激するよね」
俺は何の確証もないのにデブ達の話しに割り込んだ。新村が俺の想う新村である確率はどのくらいなのかなんて考えてもみなかったし、違っていても新村と同じ名前の女の子を詰られるのはムカついた。
「相手にされる筈ないだろ?」
俺の言葉に、ギョッとした表情で振り返る二人。関わりのない人間に突然何かを指摘されれば当然かも知れない。それでもその時の俺にはデブ二人のその表情ですらムカついて仕方無かった。
「だから、お前らみたいなゴミを新村が相手してくれる筈ないだろ? って、言ってんの」
俺の言葉に更に萎縮した様子で赤青デブが目線を反らす。使い慣れている筈のバスの時刻を確認してる振りをする。
俺は妙に腹が立って続けた。
「あんたらデブ二人して、童貞だろ? ヤリマンがどうだとか言う前に風俗でも何でも行ってとりあえずは男にしてもらえよ」
俺も童貞だけど関係ない。必要なのはデブ二人が童貞だって真実だけだ。
「お前、長岡亮二の弟だろ」
黄色のデブが絞り出すように小さな声で言った。
「そうだよ。だから何?」
俺は黄色のデブを睨み付けた。黄色のデブは数秒間、俺の視線を受け止めたけど。結局、視線を反らして聞き取れないような声でなにかを呟いていた。
勉強ばかりの亮二の弟。糞真面目な三兄弟。その認識は今日で変わった筈だ。
「あっ、バスが来た」
赤青デブが嬉々として大きなボリュームで呟く。
「やっとか」
黄色のデブも便乗して呟く。
俺は黙ったまま二人を睨み続けた。
バスが着いて、扉が開いても俺は二人を睨み続けていた。
デブ二人は座席に着いて自転車を押してバスには乗り込めない俺を確認してから窓越しに『馬鹿』と連呼した。デブ二人の声は扉が閉まって密閉された車内から漏れ聞こえては来なかったけど確かに『馬鹿』と連呼してた。
タイミングだ。世の中、タイミングが重要だ。走り去るバスの中から罵声を浴びせても、その相手は追い掛けては来れない。帰宅前に自転車が壊されていても肝心な瞬間を目撃していなければ誰がヤったのかは断定出来ない。通りを恋人と歩いていただけなのに噂が好きな野郎に目撃されればヤリマンだと流布される。
タイミングが悪ければ、身近にある現実が望んだ通りになることなんて少ない。

イントロが終わってムズがしゃがれた声で叫び出す。
俺は、ムズのタイミングに合わせて枕の中にムカつく思いを吐き出した。




【続く】

【 加圧式 【二人乗りの憂鬱と嘘 ④⑤⑥】】

執筆の狙い

作者 ぐびぐび軟体無糖人間
49.104.12.106

次第に不穏な空気が出せればと

コメント

夜の雨
180.63.231.105

御作は構成でいうところの「起、承1、承2、承3、承4、承5、承6、承7、承8、転、転、結」このうちの「承4、承5、承6」このあたりを書いているわけです。
今まで投稿した、「起、承1、承2、承3」ここまでを、御作のあとにでも添付してくれないと、内容がわかりません。

本来なら完成品を投稿しなければ、感想や批評は書けません。
作品の一部だとイメージの感想とか批評しか書けないのですよね。

おまけに今回の御作の導入部の刺青に描かれている龍ですが、「鹿の角に駱駝の頭、鋭く刺すような鬼の眼、些細な音も聞き逃さない牛の耳、柔軟な蛇の胴体に緑色の鯉の鱗、」これは部分、部分の描写から入っています、イメージしにくいです。
素直に女性の背中の肌に龍の刺青をわかりやすく迫力を伴って描いたほうがよいと思います。


お疲れさまです。

ぐびぐび軟体無糖人間
49.104.10.89

雨の夜さん

ありがとうございます

言い分けとかじゃなくて、いや、言い分けになるのか

今回、指摘の部分。
非常に悩みました。

先ずは、前回のやつを張り付けて出すか?そして、刺青の説明。

前回のやつを張り付けての件は、今回、恵美と僕が既にラブホテルに入った後のやり取りから書き始めたのですが、その後、居酒屋の回想に流れるので、前回のやり取りがないと非常に飲み込み辛いだろうな。とは思ったのですが『えーい!』と出してしまいました。
多分、冒頭のホテルの部分を居酒屋から出てきた後に素直に着けた方がいい。出してみて、感想を貰って、改めて確信しました。ありがとうございます。

刺青の件は仕事柄、普段から良く目にするのですが、言葉で説明するのが非常に難しくあの独特の質感を表現するのに完全に失敗していると反省です。

見えているものの描写。
下手くそだなーと改めて自覚。
もっともっと加圧努力しなければいけない無いなと改めて反省しました。

いつもありがとうございます。

挫けず続けちゃリます。

再度、ありがとうございました

かろ
118.237.85.191

読みました。
恵美さんのお話気になります。性格すきかもです。ま、あまり関係ない話かもですが。
少年のほうも気になるし、四人?がなんかしらのつながりあるようで、ストーリーはすごいおもしろいし、さらにおもしろくなりそうで。
 僕を創る細胞全て~とか、その、わざとらしい振る舞いに~の箇所とか好きです。
 飲み干したビールが手のひらに滲んでくるような感覚はわかりませんでした。
 ぐびぐびさんの書く表現、恥ずかしさとかでおもいきり書いてないのでは? と思いました。
 先、気になります。

ぐびぐび軟体無糖人間
49.106.207.178

かろさん
ありがとうございます

恵美は、知人のキャラをそのまま活かしたくて余り脚色せずに彼女から得るイメージを書いています。
僕自身、サバサバした女性が好きなので今からドンドン貶めてヤりたいなとも考えてます。

ストーリー、面白がってもらえて嬉しいです。
明るい若年男性の語り口でドロッとした物語を書けたらな~とも考えてます

しかし、伝言板でのやり取りを眺めていて思い出したように1Q84を読み返してますが恐ろしく美しい文章ですよね。くそくそと唸りながらも次を読まずにはいられない。才能があるものにしか書けない文章。読めば読むほど、眺めれば眺めるほどに出来もしないのに真似たくなりますよね。

でも、糞下手くそには不可抗力だわ。

なので、これからもめげずに自分に出来る事をコツコツ積み上げます。

最後に、照れてる。との指摘。

正解


ありがとうございました

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