作家でごはん!鍛練場
金川明

パラレヌ・ワールド(後編)

 四章 「五光年先の遊園地」

           1

「――――カズマさんっ!!」
 翌日の昼休み。弁当を食べ終えたタイミングで、魚々(ぎょぎょ)乃女(のめ)さんが現れた。出入り口の戸を開け放って、古都さんの正面に座る目の前の僕に呼びかけてくる。教室中の男子の視線が背中に突き刺さっていたい。
「魚々乃女さん。……なんか、お久しぶりですね」
「お久しぶりですね、じゃありませんわ!」
 波打つ青い長髪を振り乱し、魚々乃女さんはものすごい剣幕で迫ってくる。走ってきたのか、息が乱れていた。
「どったの?」
 弁当をしまう手を止め、きょとんとした顔になるトモカさん。
「どうしたもこうしたもありません、私(わたくし)のお友達の件はどうなったんですの!?」
「……あぁ、アレね」
「そんなことも、ありましたね」
 二人して目をそらし、机の下から上履きで僕の足をつんつんつついてくる。
 ……僕に相手をしろと?
「忘れたわけじゃ、ありませんわよね?」
 一番近くにいるということもあってか、前かがみになってのぞきこんでくる、というか睨みつけてくる魚々乃女さん。髪から漂う海の香りで、心臓の鼓動(こどう)が早まる。
「まっ、まさか。ほら、僕たちがいるじゃないですか……」
「ギョギョッ!?」
 苦しい言いわけかと思いきや、魚々乃女さんは意表を突かれたように目を見開き、顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
「……そ、それも、そうですわね。私(わたくし)としたことが……」
 恥ずかしそうに膝をすり合わせ、もじもじする魚々乃女さん。
「いった!」
 首をかしげていると、二人からすねを蹴られた。
「なんですかっ」
「ナンでもない」
「なんでもありません」
 古都さんもトモカさんも、なぜか不機嫌そうだった。
「…………なんなんだよいったい」
「それはそうと、当たったんですの!」
「ナニが?」
「遊園地っ! ――――せっかくですので、今度の三連休、皆さんで行きましょう!!」
 そう言って、魚々乃女さんは二人組ペアチケット計三枚を、机に叩きつけた。

           *

「遊園地? まぁ、三連休はテスト明けだし、あたしは別に構わないけど。お前らテスト勉強は大丈夫なのかよ」
 授業が終わり、僕らは通りの花屋『木犀(もくせい)花(か)』を訪れていた。
 花屋というと、優しい色合いの綺麗な花々がはかなげに咲き誇っている様を思い浮かべるかもしれないけど、名前の通り木星の花を扱うここでは、強烈な香りを放つ鮮やかで攻撃的な花がほとんどだ。
「あ、そういやソウだね。どうしようか?」
 ぴょんと跳ねて僕の前に立つトモカさん。さらっと丸投げにしてきた。
「僕に聞かれても……」
「テスト勉強と遊園地、なんとか両立できませんの……?」
 頬に手を当てて思い悩む魚々乃女さん。なぜか、流し眼でこちらを見つめてくる。
「だから僕に聞かないで下さいよ」
 なんたってこの人たちは、自分で考えようとしないのだろう。というか僕にばかり振らないで欲しい。
「あっ、お久しぶりですー」
 店の奥で痛んだ葉を切り落とそうとしていた万美さんが、こちらに気づいて振り返る。その手には、小型のチェーンソーが握られていた。手元に咲く赤い花は、盆栽か何かのように逞(たくま)しい枝葉を伸ばしていた。
 チェーンソー片手に終始笑顔で裁断する万美さんの姿を思い浮かべてもらえば、この店の惨状も少しは伝わるだろうか。……木星人には好評らしいけど。
「いや、昨日も会ったじゃないですか」
「じゃあ昨日ぶりですねー」
 見た目より大雑把(おおざっぱ)な人なのかもしれない。
「心配なら勉強会でもやるか?」
 樹理さんの鶴の一声に、魚々乃女さんはわかりやすく反応した。
「――――勉強会、ですの? そこまで言うなら仕方がないですわね、やりましょう、皆さんで。なんでしたら泊まりでも構いませんわ。いえ泊まりましょう!! ちょうど両親が出張中で空いていますのっ! 布団もありあまっていますしっ!!」
 目的が見え見えだった。たじろく樹理さんに、魚々乃女さんはさらにたたみかける。
「お夕食もありあまっていますしっ!!」
「……いや、夕飯は、ありあまってねぇだろ、普通」
 そんなこんなで、僕らは魚々乃女さん宅におじゃますることになった。

           2

「――――見えてきました、アレです、アレ!」
 交通量の多い住宅街の一角で、魚々乃女さんは横断歩道の向こうを指さしてはしゃいでいる。どうしてか、さっきからやたらとテンションが高く、ずっとこんな調子だ。
「大貫(おおぬき)ぃーーー! 友達を連れてきましたわよぉーーー!!」
 歩道の向かいに立つ初老の男性に、やっぱりハイテンションで手を振る魚々乃女さん。黒いスーツに紺の蝶ネクタイをした白髪の男性は、にっこりと笑ってそれに答える。黒ぶちの丸いメガネが優しげな印象を放っていた。
「ひょっとして執事かナニカ?」
「まっ、まさか。あれは、…………そう、ご近所の、大貫さんですわ」
 苦しい言いわけだった。
「ホントかよ」
「えへへっ、いいですね、いいですねっ!」
 万美さんは今日もご機嫌だ。

           *

「改めまして。執じ――――オッホン!! ……ご近所の、大貫(おおぬき)と申します。この度は、ご足労(そくろう)いただき、ありがとうございます」
 口調が完全に執事だった。
「イマ執事って言おうとしなかった?」
「気のせいかと。それより、ささ、中へお入りください」
「あぁ、どうも……」
 恐縮しながらも、まっさきに入っていく樹理さん。トモカさんはまだ納得のいかない顔で唸りながらも玄関に上がった。万美さんもその後に続く。
「それにしても――――」
「いかがなさいましたか?」
「いえ、なんというか。普通の家だなぁーって」
 そう。意外なことに、魚々乃女さんの家はごくごく普通の一軒家だった。
 あの喋り方や普段の態度からして、完全に上流階級のお嬢様が住む大豪邸を想像していたので、どうにも違和感があった。トモカさんが腑に落ちない様子だったのも同じような理由かもしれない。
 横向きにすれば車がとめられる庭に、横に広い二階建ての一軒家。二世帯住宅と言われれば、十分納得できる広さだった。
「はい。真九理(みくり)お嬢様からの強い要望がありましたので、この別荘は庶民的なつくりに……」
「別荘?」
 思わず聞き返すと、斜め後ろから魚々乃女さんの無言の圧力が伝わってきた。
「――――オッホン!! いえ、失礼、なんでもございません。ささ、どうぞ中へ」
「は、はぁ……」
 なんとなく、種がわかった。多分ここは、魚々乃女さん専用のお屋敷なんだろう。いつかできた友達を家に呼ぶときに、庶民感を取りつくろうための。
「――――大貫、五人分のベッドとディナーを大至急用意してくださいまし」
「かしこまりました」
 背後で飛び交う会話は聞かなかったことにして、僕は玄関に上がり靴を脱いだ。
 扉の少ない一本道の廊下は、まっすぐリビングへと続いていた。
「カズマさん、大貫はお隣さん、ですからね?」
「……そうですか」
 追いついてきた魚々乃女さんに念を押されつつ、僕はリビングへとつながるすりガラスの扉まで歩いた。さっきに行ったはずのトモカさんたちも、なぜかそこで待機していた。
「どうしたんです?」
「いや、ナントナク入りずらくて」
「中にどなたかいらっしゃるみたいなんですよ」
 確かに、ニュース番組特有の冷淡なナレーションが聞こえてくる。誰かが見ているのかもしれない。
「大貫がテレビなんて、珍しいですわね」
 一向に誰も入ろうとしないので、見かねた魚々乃女さんが先頭に立ち、率先してドアノブを回した。すると目の前のソファに、青いストレートの髪に、水色の瞳をした男の子がふんぞりかえっていた。
「あれ? 姉(ねえ)ちゃん……」
 口調がどこか上の空だ。僕らを見て驚いているようだった。
「ギョギョッ! まっ、マサキ、今日は家で大人しくしていなさいって言ったでしょう!?」
「えー、家だと母さんがうるさいし」
「ならゲームセンターでもなんでも行けばいいじゃありませんか!」
「金ないし」
「……くっ、今回だけですよ?」
「やったー!!」
 交渉の末、魚々乃女さんの財布から一万円札を二枚抜き取ると、弟さんはうれしそうに走り去って行った。
「とほほ、今月のお小遣いが……」
「二万も渡しちゃったんですか?」
「へ? だって、ゲームセンターは何をやるにも最低千円はいるのでしょう?」
 魚々乃女さんは、至極(しごく)大真面目な顔をしていた。
「へぇー!? そっ、そんなにするんですか!?」
 同じく本気で驚いているらしい万美さん。
「…………いえ、高くても、一回五百円くらいかと」
「え?」
 魚々乃女さんの顔が凍りつく。
「まぁ、普通そんくらいだよな」
「……それは、本当ですの?」
「ソじゃない? ワタシもたまに行くけど」
 固まったまま、青ざめる魚々乃女さん。
「ゲームセンターとか、行ったことないんですか?」
「はい……」
 怒る気力もないらしく、魚々乃女さんは口から魂が抜けたかのように、膝から崩れ落ちた。
「はは、ははは…… 私(わたくし)は、今の今まで、弟に騙されていたんですの?」

 ――――なんというか、哀(あわ)れだった。








           「Ⅳ」

 父上の言った言葉を、昨日のことのように思い出す。
『探せ――――』
 私は、あの窮屈な宇宙艇(ロケット)の中にいた。ノイズの酷い無線機の向こうで、父上の声に耳を澄ませて。
『――――宇宙を統(す)べる、緑の……を!!』
 この話を聞くのは、もう何度目か。戦況が悪化するにつれ、父上は、根も葉もない伝承に取り憑かれていった。だがそれも、今日で最後だ。
『……はや、一刻の――――もない。お前が、最後…望みだ』
「はい」
『〝緑の力〟で星を操(あやつ)り、……を、すべてを、我々の色で――――るのだっ!!』
 〝緑の力〟――――自然を意のままに操れるという、理(ことわり)を超えた最強の力。
 ――――父上の盲信する、神々の力。
「では、行って参りいます」
 父上は、いつからか母星を見捨て、神々を崇(あが)め始めた。挙句の果てに、この私に〝神の力〟を手にしろという。
『――――あぁ、だが、忘れるな。お前が、……を手にし、再び……に降り立った時、宇宙は――――のものだ』
 そんなものはいらない。そんなものになど、はなから興味はない。
 だが、この愛しき母星が、美しく有り続けられるというのなら、父の言葉を信じよう。
 銀河の果てにあろうと、世界の外にあろうと、私は探し出す。
「母星に、緑あれ」
 赤く彩(いろど)られた発射ボタンを押しこむと、激しい震動とともに、途方もない浮遊感に襲われる。じきに軌道に乗ると、モニターが、警報音とともにカウントダウンを始めた。
 そして、数字がゼロになった時、私は、銀河の外へとワープした。



 ――――王妃アヌイが殺されたのは、その、翌日のことだ。




           3

「――――じゃあ、あたしらはそろそろ……」
「そろそろおいとましますね」
 魚々乃女さんの部屋で丸テーブルを囲み、二時間ほどたったところで、樹理さんと万美さんが立ち上がった。ついさっき大貫さんが注いでくれた紅茶を飲みつつ、首をかしげる一同。
「まだ五時前ですわよ。何か用事でもありまして?」
 魚々乃女さんは、ちょっと焦ったような顔で引きとめようとする。
「悪いな、水やりの時間なんだ。三つ子山の花も気になるし」
「午後から天気が崩れるそうなので、外のお花を引っ込めないといけないんです」
「……そうでしたの。それなら、仕方ないですわね」
 心の底から申し訳なさそうな顔をする万美さんに、魚々乃女さんも喰い下がることはなかった。急ぎ足で出て行った樹理さんに続き、甘いお菓子のような香りを残して万美さんが出ていく。

 二時間ぶっ通しでテスト勉強していたとはいえ、なんだかんだ続いていた会話が途切れ、部屋は水を打ったように静かになった。
「まぁ、メアドも交換できましたし、良かったじゃないですか。もう、すっかり友達ですよ」
「そうですわね……」
 魚々乃女さんは、どうにも浮かない顔だ。
「……でも、なんだか実感がわきませんわ」
「そんなモンじゃない?」
「距離を縮めるためにも、やはり遊園地は不可欠ですわねっ」
「それなんですけど、今度の三連休はダメかもしれませんよ?」
 おずおずと告げると、魚々乃女さんが紅茶を飲む手を止めた。
「どうしてですの?」
「さっき万美さんも言ってましたけど、今日、天気が崩れるじゃないですか。予報だと、台風のせいでこのまましばらく雨が続いて、大荒れになるって」
「……それは、確かなんですの?」
「あぁ、ソいえばニュースで言ってたね。そんなようなこと」
「はい。テスト期間中は大丈夫なんですけど、その後の一週間は暴風警報が出て、遊園地どころじゃなくなるかもしれません」
「そんなっ!!」
 釣り上げられた魚のように口をパクパクとさせる魚々乃女さん。今にも泡を吹きそうな勢いだった。
「で、でも! 今朝の予報では――――」
 魚々乃女さんはすがるようにテレビの横のリモコンに飛びつき、電源ボタンを連打した。高そうな大型の薄型テレビに一瞬線が走り、すぐに画面がついた。
『――――北陸、関東平野部では晴れ間が広がるものの、それ以外の方面では午後から大荒れが予想されます。外出の際は細心の注意を払い、十分気をつけてください』
 泡を吹き、意気消沈する魚々乃女さん。力なく崩れ落ち、机におでこをぶつけたまま動かなくなった。数秒後、天気予報が中断され、鋭いチャイムが耳に飛び込んできた。
『速報です。今日未明、三つ子山のふもとで、〝星の力〟が武力行使された形跡が発見され、警察は、たった今、付近の住民の目撃証言をもとに、火遊びをしていた二人組の男の身柄を拘束したと発表しました。現場からは使用済みの花火などが見つかっており……』
「トモカさん、これって!」
「ン、どったの?」
 眠たげな眼をこすり、ぼんやりとした様子で画面を見るトモカさん。すぐに、その藍色の瞳が見開かれる。
『……うち一人は重傷で、男たちは、大柄な黒髪の男と口論になったと話しているということです。現在、警察は行方を追っています。近隣住民の皆さんは、戸締りなどに十分警戒し、警戒がとけるまで、三つ子山へは絶対に近づかないでください。繰り返します――――』
 緊迫した表情で原稿を読み上げる男性アナウンサー。その下では、目を引く赤い太枠の中に、『〝星の力〟を武力行使か?』と映し出されている。
 呆気(あっけ)にとられているうちに、画面が三つ子山の映像に切り替わった。
 ヘリで上空から撮影しているらしく、不気味な縄文杉モドキの根が周囲の木々をなだれのようになぎ倒してふもとを埋め尽くしている様子が画面いっぱいに映し出される。暗くてよく見えなかった昨日とは違い、被害の甚大さがはっきりとわかった。
『――――〝星の力〟の攻撃目的での使用は、太陽系特別不戦条約で固く禁じられており、太陽系連合は、場合によっては銀河規模の問題にも発展しかねないとの見方を示しています』
「緑を操る〝力〟なんて、珍しいですわね。緑神(りょくしん)でもあるまいし……」
「緑神(りょくしん)? 魚々乃女さん、何か知ってるんですか?」
「へ? えぇ、まぁ、水星に古くから伝わる、伝説程度のものですが……」
「聞かせてっ!」
 僕らの剣幕に圧倒されたのか、魚々乃女さんはきょとんとしたまま語り出す。
「――――その昔、自然を操る神様がいたとかなんとか…… なんでも、大地のごとき褐色(かっしょく)の肌に太陽のごとき黄金の瞳を宿して、頭からはツタやツルでできた緑色の髪を生やしていたと」
「その星人の〝星の力〟で、緑を操れたってことですか?」
「え、えぇ…… 星人というか、巨人というか。水星人でないのは間違いありませんわ」
「巨人? そんなデカいの?」
「……天に届くほどの身の丈で、腕を振って嵐を起こし、足で耕(たがや)して森を創ったとか。伝説ですので、本当かどうか。ただ、祀(まつ)られているのは確かですわ」
 部屋の扉が上品にノックされ、大貫さんの声がする。
『お嬢様。古都冥王という方がいらしています』
「学校のお友達です。通してくださいまし」
『かしこまりました』
 静かな足音が玄関の方へ向かって行き、二人分になって戻ってきた。
「お嬢様、失礼いたします。どうぞ、こちらです」
 控え目なノックの後、大貫さんは脇に立ったまま扉を開いて古都さんを中へ促(うなが)すと、深々と頭を下げてすぐに扉を閉めた。
 その間、魚々乃女さんはまったくの無反応だった。偶然居合わせた近所の人設定はもういいのだろうか。
「……すみません、遅くなりました」
「何かあったんですの?」
 聞かれると、古都さんはいたずらを誤魔化す小学生のような顔で視線をそらした。
「――――その、ちょっとだけ、……ケンカになっちゃいました」
「ケンカ?」
「はい。取り上げられた占いセットをこっそり奪い返そうとしたら、あとちょっとのところでお母さんに見つかっちゃいまして……」
「で、口論になったと?」
「いえ、お尻をペンペンされちゃいました」
 恥ずかしそうに赤くなりながらお尻をさする古都さん。……ちょっと想像してしまった。頭の中で危ない妄想が流れ出す前に、半ば強引に話題を変える。
「……そういえば、遊園地の方は行けそうですか?」
 今日の勉強会で集まったのが六人なのも、遊園地の予定をじっくり考えることが理由だった。
「はい。テスト後なら許してもらえそうです。あとは、天候さえ味方してくれれば。カズマ様はどうですか?」
 紫の瞳で上目づかいに見つめられ、耐性のない僕の心臓は簡単に跳ね上がる。最近はとくに多い気がした。
「あぁ、うん。僕も、テスト後の三連休なら大丈夫そう、かな?」
 どうしてか、背中に魚々乃女さんたちの視線を感じる。
「お二人はどうです?」
「ワタシも多分そんな感じ」
「同じく、ですわ」
 気のせいか、少し棘(とげ)のある言い方だった。
「なら、日曜日なんてどうでしょう?」
 しかし、古都さんの提案に不満の声は上がらなかった。

           4

「じゃあ、僕は、そろそろ……」
 立ち上がろうとする僕の腕に、必死の形相で魚々乃女さんが飛びつく。
「なんですか」
「泊っていって下さいまし」
「泊まれ」
「夜から大荒れだそうですし、泊りましょう、カズマ様」
 約一名、家主でもないのに命令形だった。
「……いえ、男女比一対三で寝泊まりとか、正直ハードル高いんで」
 本音だった。僕はラノベの主人公ではない。強いて言うならその友達ポジションだ。そして主人公にヒロインを奪われる。
「というか、なんでそんな全力で引きとめるんですか。樹里さんたちは普通に帰したのに」
 うっ、と言葉につまる一同。しかし即座に食い下がる。
「せ、せめてお風呂だけでも、お風呂でだけでもいかがです?」
「そ、そうですね、お風呂だけでも入った方が、いいと思いますよ?」
「ソーダソーダ、入れ」
 魚々乃女さんを含め六人分用意されているはずの夕食ならまだしも、頑(かたく)なに入浴をすすめられた。特に後半の二人は目が泳ぎっぱなしで落ち着きがない。トモカさんに至ってはなぜか鼻息を荒げていた。……怪しい。
「……お風呂に、何かあるんですか?」
「ナニもないよ」
「なんでトモカさんが答えるんですか」
「うっ」
「みっ、見えます! 間違いなく、何もありません」
「なんで古都さんが断言するんですか」
「はうっ」
 水晶代わりにふでばこの上で手を回していた。……球体でさえない。そんなもので何が見えるというんだろう。
「コイツ、強い!」
 苦しそうな顔で右肩を押さえるトモカさん。古都さんはなぜかファイティングポーズだ。
「う、うちのお風呂は、なんというかその、じっ、自慢ですの! 大きさとか、材質とか……」
「はぁ。……わかりましたよ、別に入らない理由もありませんし」
 結局渋々(しぶしぶ)承諾し、僕は魚々乃女さんに促されるまま脱衣所へ向かった。

 ――――扉を閉める寸前、三人が手を取り合ってなにやらニヤついているのが見えたが、きっと気のせいだろう。と、思うことにした。

           *

 数分後。脱衣所の固く閉ざされた扉の前に、三人の健全な女子高生たちが結集していた。
「――――のぞきましょう」
「「異議なし!!」」

           5

 中から水音がするのを確かめてから、ドアノブにそっと手を添え、魚々乃女は、必要最小限の力でドアを開けた。
「――――入りますわよ?」
 応じるように、背後の二人がごくりと唾を呑む。
 扉を開ききると、案の定、脱衣所にカズマの姿はなかった。代わりに、左奥のすりガラスの扉の向こうに明かりが灯っている。ほっと息を漏らし、魚々乃女は少し疲れたような顔で振り返った。
「それでは、一度外に出て、回り込んで窓から――――あら?」
 が、すでにそこに、二人の姿はなかった。
「おぉー」
「これは、これはっ!」
 嫌な予感がして、正面に向き直ると、トモカと古都が、すりガラスの扉の前で何やら騒いでいる。足元には綺麗に折りたたまれたカズマの衣服があった。
 魚々乃女が口元を引きつらせつつ覗き込むと、トモカの手には、チェックのトランクスが握られていた。
「……アイツ、トランクス派か」
「てっきりボクサーブリーフだと思ってました」
「ソレな」
 これ以上ないくらい真剣な面持ちで話し合う二人。あろうことかそこには、謎の緊張感さえ流れ出している。
「…………何をしているんですの?」
 びくりと肩を振るわせた二人だったが、すぐに声の主が魚々乃女であることに気づき、向き直った。
「見てください。これ、カズマ様の下着です」
 息を荒げる古都の瞳には、危ない光が宿っていた。
 しばらく言葉を失っていた魚々乃女だったが、このままではマズイとすぐに我に返った。
「気づかれるに戻しておいてくださいましっ!」
「えー」
 不満げなトモカからトランクスを奪い取ると、魚々乃女は丁寧に折りたたんでから足元の衣服の隙間に挟み込んだ。
「あら? これは……」
 その時、一番上に置かれた金のペンダントが目にとまる。手に取ると、ぶらさがるハート型のアクセサリはずっしりと重く、わずかに黒ずんでいた。裏返すと、丸みを帯びた表面からそちらが表らしいことがわかった。中心についた大きな鍵穴を覗き込むと、くすんだ宝石が見えた気がした。
「ン、どったの?」
「いえ、少し気になりまして……」
「あら? カズマ様、アクセサリーなんてつけてましたっけ?」
「さぁ……そういや初めてみたかも」
「――――何してんですか」
「「「――――きゃあぁあぁぁーーーーーーーーーーっっ!!」」」
 突然顔を出したカズマの裸を目撃し、脱衣所は黄色い声に包まれた。
「かっ、かかかかカズマっ、カズマ、いや、その、ごっ、ご無沙汰(ぶさた)してます!」
 腰にバスタオルを巻いているとはいえ、ほとんど全裸に近いカズマに目を回すトモカ。軽いパニック状態だ。
「カズマ様、そんなっ、大胆(だいたん)……」
 隣の古都は、カズマの体を無遠慮に見つめ、赤らめた頬に手を当ててうっとりとしている。
「……」
 真正面の魚々乃女は、冷凍されたマグロの如(ごと)く、凍りついたまま身じろぎもしない。
「……」
 三者三様の反応を受け、返す言葉が見つからないカズマ。しかし、魚々乃女の手に握られた金のペンダントに気がつくと、慌てた様子で奪い取った。
「もう、勝手に触らないで下さいよ」
 口調とは裏腹に、その手つきはかなり乱暴なものだった。
「……ご、ごめんなさい」
 カズマの逆鱗に触れたらしいと察した魚々乃女は、素直に謝ってから、恐る恐る、と言った風に尋ねた。
「……それは、そんなに大切なものなんですの?」
「――――これは、形見というか、なんというか。まぁ、お守りみたいなものです」

『――――こんな〝力〟なんか、いらないっ!!』

 手に取ると、あの日の記憶が脳裏を過ぎり、カズマは、振り切るようにすりガラスの扉を閉めた。




 五章 「失われた色彩」

           1

 ――――小さいころのことだ。
 僕は、みんなより早く〝星の力〟を宿した。
 けれど。
 世界最強の力なんて、僕には過ぎた代物だったんだろう。
 気づけば〝力〟を暴走させ、僕は母さんの体に消えない傷を残してしまった。
 もともと病弱で、入院することも多かった母さんは、二週間寝たきりの状態が続いた後、かろうじて目を覚ました。そのとき、病室で、僕は母さんに言った。
『こんな力なんかいらないっ! 母さんもろくに守れないような、こんな力なんか!!』
 泣きじゃくる僕に、母さんは言った。
『……ごめんね、カズマ。あなたの〝力〟は、そういうものじゃ、ないの』
 言い終えると、母さんは僕に、やせ細った手のひらでペンダントを渡した。ペンダントは、表面が少しこげていて、ザラついていたのを覚えている。
『カズマ。それを、私だと思って、肌身離さず持っていて。それで、もしも、いつか大切な人ができたら、あなたの〝力〟は、その人のために、使ってあげて……』
『母さん!?』
『――――カズマ。あなたの〝力〟は、私の〝誇(ほこ)り〟よ。それを、忘れないで』

 母さんが息を引き取ったのは、その翌日の朝のことだった。
 以来、髪や瞳は元に戻り、僕は、宿したはずの〝星の力〟を失ってしまった。
 それは、僕が母さんを傷つけたからだと、今でも、そう思っている。

           *

 やむことを知らないどしゃぶりが、飛ばされてきた空き缶やビニール袋の類を道路上から川のように洗い流していく。二車線の道路を隔(へだ)てるヤシの木は、風にあおられて根元から曲がり、今にもポッキリ折れてしまいそうだ。
「……遊園地は、無理そうですね」
 ガタガタ音を立てる自動ドアのガラス越しに外を眺めながら、僕は自販機の横のベンチでうなだれる魚々乃女さんを見た。
「てゆうか、門閉まってて入れないじゃん。来る前からわかってたケド」
 トモカさんの言葉は、魚々乃女さんの胸に深く突き刺さったようだった。……今はそっとしておこう。
「でもまぁ、無駄足にならなくて良かったじゃないですか。どのみち、ここへは来る予定だったんですし」
「ソウだけど……おなかすいた」
 トモカさんはまだ不満げだ。遊園地の屋台によほど期待していたらしい。
「奥に売店くらいはあったと思いますよ?」
「ホウ、ならば良し!」
 親指を立てるトモカさん。それだけで気分が良くなったらしく、子供のようにはしゃぎながら一人で駆けて行った。対して魚々乃女さんは、未だ背中を丸めてうつむいている。
「ほら、魚々乃女さん、せっかく来たんですから、見学していきましょうよ。どうせ宿題なんですし」
「……えぇ、そうですわね」
 弱々しく顔を上げた魚々乃女さんは、酸欠の魚のようにげっそりしている。それでもなんとか立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩き出す。
 入場者をカウントしているらしい改札口に似たゲートを通るついでに、パンフレットを一枚取った。
「太陽系戦争資料館…… 三つ子山のすぐ近くなんですね」
「そうですわね。……はぁ」

 四日間にわたるテストと金曜の通常授業を終えた三連休二日目の日曜日。予報通りの大荒れで、暴風警報と大雨洪水警報、さらには竜巻注意報まで発令される中、僕ら三人は遊園地に現地集合した。そして、案の定やっていなかったので、今はとなりの資料館に避難しているというわけだ。
 ちなみに、『木犀花』の二人は三つ子山の花畑の見張りでそれどころではないらしく、朝の段階で来ないことが決まっていた。古都さんもその手伝いに駆り出されている。なんでも、古都さんの〝星の力〟が必要なのだという。

「古都さんの〝星の力〟って、〝冥王の審判〟ですよね? あの、未来を予測する――――」
「えぇ。ですが、私(わたくし)の〝魚人化〟だって、ただ魚人になるだけではありませんわ。水を操れますし、怪力でそれを打ち出したり、水面の上を歩くこともできます。冥王(みお)さんの未来予知も、〝力〟の一部にすぎないのでしょう……」
 口は饒舌でも、顔つきはまだ憂鬱(ゆううつ)そうだ。貧血かなにかのように顔をしかめている。
「そんなもんなんですか」
「そうですわ、恐らく。はぁ……」
 それにしても、二十秒おきにため息をつくの、やめていただきたい。だんだん、聞いているこっちまで気が重くなってきた。
 どう考えてもやっていない遊園地にわざわざ現地集合したのは、一応、道徳の時間三連休の宿題として出た太陽系戦争についてのレポートをまとめるためというのももちろんある。
 けれど、そんなものは別に今日じゃなくたっていい。というか、近場の図書館で軽く本を読み漁るだけで良い。なんならネットでそっぽいものを写せばいい。
 僕ら二人が魚々乃女さんの誘いを断り切れず現地集合したのは、二時間以上早く現地で待っていたらしい魚々乃女さんに、電話越しに死んだ魚のような声で懇願(こんがん)されたからだ。
 その後、トモカさんとのメールでの作戦会議の結果、断ると憔悴(しょうすい)した魚々乃女さんが氾濫した川に流される可能性があるという点で意見が一致し、やむなく自転車でかけつけた、という次第だ。
「はぁ……」
 もう何度目かわからないため息を聞きながら、ベージュのリノリウムの床を進んでいくと、右側に曲がり角が現れた。
 さて、このまま直進するべきか、それとも右へ曲がるべきか。
 なんていうゲームのダンジョン的システムのはずもなく、直進方向に向かって大きな赤い矢印が床に張られていた。パンフレットの地図によると、どうやらあちこちで大きく蛇行しつつ、時計回りにぐるりと回って右側の曲がり角からここへ戻ってくるルートになっているようだ。曲がり角の先の部屋は休憩所や案内所になっていて、講和のための大きな講堂へとつながっているらしい。
 進路を無視して曲がれるようになっているのもそのためだろう。
「……というコトは、売店はアッチか!」
「トモカさん!?」
 足元の矢印を見るや、迷わず右へ曲がる藍色の髪を追いかけ、僕らも渋々右へ曲がった。
「こうゆうのって、たいてい最後がまとめになってて、先に見ちゃうといろいろ台無しなんだよなぁ……」
 ぼやきつつ、食いしん坊の背中を追いかける。この嵐のせいか、並べられた休憩用のベンチはどれももぬけの空だった。案内所らしきカウンターさえ無人だ。
「――――ったく、こうゆうときだけ行動早いんだから。売店なんかないのに、どこ行ったんだ?」
「……ひょっとして、あれじゃありません?」
 魚々乃女さんの指す方――――いつか、人を指さすのは失礼だとか何とか言っていた気がする――――には、確かに藍色の髪の人影がある。壁際のパイプ椅子に座る黒い短髪の女性に何やら話しかけているようだ。
「ココって、売店とかマ○ドとか、アリマセンカ!?」
 間違いなくトモカさんだった。黒髪の女性は、美術館や彫像展なんかにもいるガイドさんだろうか。あまりに想定外すぎる質問にとまどっている。……そりゃそうか。
「ちょっとトモカさん! デパートじゃないんですから、あるわけないじゃないですか」
「えーあるかもしんないじゃん」
「あるわけないでしょう!?」
 急いで駆け寄り、ガイドさんに謝り倒しながら二人がかりで羽交い締めにして引き離すと、トモカさんは不満げに口を尖らせる。
「……おなかすいたんだもん」
「あとでどっかで食べればいいじゃないですか。……すいません、ホントに」
「いえそんな、私も退屈していましたので。どうぞ気軽に話しかけてください。ガイドの、地球(ちたま)綾乃(あやの)と申します」
「伊瀬(いせ)カズマです」
「魚々(ぎょぎょ)乃女(のめ)真九理(みくり)です」
「……米津(よねづ)トモカ、です」
 二十代前半に見える若い方だったものの、そこは大人の対応だった。依然(いぜん)むくれたままのトモカさんが余計に子供っぽく見える。
「……あら? これって、まさか本物ですの?」
 と、気を利かせたのか、魚々乃女さんがすぐ横のガラスケースをのぞきながら早速尋ねる。横に長い大きなガラスケースには、横書きの巻物のらしきものが展示されていた。相当歴史があるのか、全体が土気色に変色していた。
「はい、もちろん本物ですよ。といっても、大元のものを複製して作られたものなので、ある意味ではレプリカなんですが……」
「どういうことですか?」
「最初に作られたものは、すぐに焼かれてしまったんです。だから、それは当時の方が新しく用意した複製品なんですが、公布の際にもその巻物が使われたので、一応本物ということになっているんです」
 聞いているのかいないのか、トモカさんはガラスケースにべたっと張り付ついて巻物を凝視している。
「へー。……でも読めないや。なんて書いてあるの?」
「そこの壁に書いてあるじゃないですか」
「へ? あぁ……」
 ガラスケースから身を起こすと、トモカさんは正面の壁のパネルに書かれた文章を読み始めた。
「――――太陽系特別不戦条約、前文。本条約は、太陽系第三惑星、地球の〝星の帝王〟の同意を得ることが不可能と判断された場合、施行するものとする。施行後新たに就任した地球の〝星の帝王〟が本条約を拒否した場合、本条約は無効となり……つまりどういうコト?」
 前文の冒頭を読み上げたところで、トモカさんは根を上げたようだ。条約が書かれたパネルは二メートル四方のものが計六枚にも渡っていて、とても読み上げようという気にはなれない。巻物状になっているのも納得だった。
「この巻物、地球語で書かれてるんですか?」
「はい。正確には地球古語と呼ばれる当時主流だった地球語が用いられています。ですから、今この言葉を読んで訳せる人は、太陽系を探し回っても、数えるほどでしょうね」
「……前から気になってたんですけど、この条約、誰が地球古語に訳したんですか?」
 尋ねると、地球さんは照れ臭そうに首の裏をかいてから、誇らしげに言った。
「――――私の、祖先なんです」
「えっ、じゃ、じゃあ……」
「……はい。実は私、父は普通の海王星人なんですが、母が、土星人と地球人の混血で、私もほんの少しだけ地球人の血を引いているんです」
「それで髪の毛が黒いの?」
「トモカさん、失礼ですよ」
「あぁ、気にしないで下さい。そうなんです、私の場合、母星が一つに決まっていないので、〝星の力〟がとても弱くて。でも、私はそれを〝誇り〟に思っています。わずかですが、地球人の血を引く身として、代々地球古語も学んできました」
「「「地球古語を?」」」
 思わず聞き返した僕ら三人に、地球さんはにこやかに笑う。
「はい。入口の地球古語は父のアイデアなんですよ? 私は、まだ軽く話せる程度ですが」
「スゲェ……」
 これにはトモカさんも驚きを隠せないようだ。
「でも、どうしてそこまで?」
 失礼かな、と思いつつ聞くと、地球さんは、優しげに笑った。
「――――もしも、母星(ぼせい)に帰ってきたときに、自分と同じ言葉を、誰も話せなかったら、それって、とっても、寂(さび)しいことだと思いませんか?」

 どうしてか、地球さんの言葉が、痛いほどに胸に染みた。

           「Ⅴ」

 吹きすさぶ嵐の中、全身に打ちつける恵みの雨を受けながら、男は、三つ子山へと向かっていた。しかし、目もくれずに通り過ぎた遊園地の先の建物で、男は足を止めた。
 入口の門に刻まれた文字に、異星の言語に混じって、紛れもない母星の言語を見たからだ。

『太陽系戦争資料館』

 そこには、そう刻まれていた。男は導かれるように建物の中へ足を踏み入れると、促されるままゲートを通り、リノリウムの通路に躍(おど)り出た。床に伸びる赤い矢印には目もくれず、引き寄せられるように右へ曲がると、その先に、待ち受けるように一人の女性がいた。
 こちらに気づき振り向いたその瞳は、暗い銀色の光沢を帯びている。しかし、短く切りそろえられた黒髪だけは、疑いようもない。目鼻立ちを、髪を、容姿を見て、男は、ほんのわずかな期待を胸に、重い唇を開いた。
『――――お前は、地球人、なのか……?』
 その言葉に、女性は震える瞳を皿のように見開き、絶句した。
 いや、正確には、その言葉に、ではない。男の用いた、一切の淀(よど)みの無い言語に、だ。
 女性は、音が立つのも構わず立ち上がると、男の背中越しに無人の案内所を一瞥(いちべつ)し、血相を変えて駆け出した。
 カウンターの端の固定電話に飛びつくと、何度も間違えながらダイヤルを打ちこみ、やっととの思いでどこかへつなぐ。
「――――地球(ちたま)です!! 今すぐっ、今すぐ来てくださいっ!!」
 異星の金切り声を聞き、気を落とすとともに警戒が広がる。
 すぐにでもここを離れるべきだろう。
 しかし、元来た方へ向き直ろうとする最中(さなか)、男は、信じがたいものを目にした。

           *

「え?」
 地球(ちたま)綾乃(あやの)が受話器を置き、再び振り返った時、既(すで)に男の姿はなかった。
 人気が失せた館内は、外が嵐だとは思えないほど不気味な静寂に包まれている。
 しかし、地球の脳裏には、今もあの男の異様な風貌と、その口から発せられた言葉が焼きついている。
「……地球人、なのか?」
 うわ言のように呟き、地球(ちたま)は自分のパイプ椅子の前まで戻った。床は、一時間ほど前に来た四人の来館者たちの足跡で湿っている。その中に、五人目の足跡を見とめることは不可能に等しかった。
 あきらめかけた時、地球は、すぐそばのガラスケースが、水滴で濡れていることに気づいた。よほどずぶ濡れだったのか、垂れた水滴が集まり、そこかしこに小さな水たまりができていた。ケースの中には、特別不戦条約の巻物がある。
「っ!?」
 拭き取ろうとしたその時、地球は、持っていた布を取り落とした。

 ――――そこには、無数の水たまりを跨(また)ぐようにして、一つの、大きな手形があった。

           2

 最後を見てから最初に戻るというのは憚(はばか)られたので、その場の空気も味方して、なんとなく、いっそ矢印に逆らって回ろうという流れになった。……言い出したのは、主にトモカさんである。
 とはいえ、フタを開けてみれば特に時間軸に沿って展示されているというわけでもなく、なんら問題なく楽しむことができた。
 戦争の歴史を見て楽しいというのは不謹慎かもしれないが、気分が盛り上がったとか、そういう意味で使ったんじゃないんだとわかって欲しい。関心とか、感傷とか、そういうものに浸ることができて、戦争の悲惨さを改めて知ることができた。と、心の底からそう思う。
 けれど。
 かつての地球の歴史に触れ、悪化する戦況を知り、その顛末を学んだことで、同時に、込み上げてくるものがあった。あえて言葉にするならば。

 ――――それは、〝似ている〟という感覚だった。

 〝何に〟かも、〝なぜか〟かもわからない。
 ただ、この、地球の酷く排他的な思想を、つい最近、この目で見たような気がする。

 地球は宇宙の中心で、人間は、地球人だけ。
 それ以外はすべて〝宇宙人〟。自分以下の存在。
 自分たちだってそうなのに、動物を、人間と切り離して考えたように。
 自分たちだってそうなのに、地球人は、異星人を〝エイリアン〟と呼んで忌(い)み嫌い貶(けな)した。
 そうして、和解のために訪れた、冥王星の王妃(おうひ)アヌイを殺した。
 地球人は、自分たち以外の存在を、否定したのだ。

 宇宙を否定した地球人。いつしか、そう呼ばれるようになった。
 地球人の、その罪は重い。

「……ン? あれ、地球(ちたま)さんじゃない?」
 一通り回り終えて、本来一番最初に見るはずだった、太陽系戦争開幕から現在に至るまでの年表を見上げていた僕らだったが、いい加減飽きてきたらしいトモカさんがそんな声を上げた。
「え? まさか……」
 言いかけて、つまる。ゲート側からではなく、僕らの回ってきた右側から、地球さんが、肩で息をして駆けてきたのだ。案内所から走って来たらしく、おでこや首筋に、玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。
「皆さんっ!!」
「ど、どうしたんですの?」
 息切れのあまりせき込む地球さんの背中をさすりながら、魚々乃女さんが尋ねる。
 しばらくするとようやく落ち着いたようで、口元を袖で拭いながら、ぶつ切りに話し始めた。
「……す、すみません。取り乱してしまって。他に、誰もいらっしゃらなかったので」
「何かあったんですか?」
「――――黒い髪の、大柄な男性を、見ませんでしたか?」
「え? ソノ人がなんかしたの?」
「そうゆうわけでは、ないんですが。……とにかく! 髪は、肩の下まであったと思います。それで、多分、全身ずぶ濡れ、だと、思います。見かけませんでしたか!?」
 地球さんの剣幕に押され、トモカさんはすっかり黙り込んでしまった。どのみち、とても冗談を言う空気ではない。
「いえ、僕ら以外、誰も」
「そう、ですか……」
 そう告げると、地球さんは肩の力が抜けたのか、僕の両肩にもたれかかるようにしてしゃがみこんでしまった。
「大丈夫ですか?」
 慌ててしゃがみこみ、近くにあった滑り止めマットの上に寝かせると、地球さんは、憔悴(しょうすい)した様子で、必死に口を開いた。
「――――あぁ、やっと会えたと、思ったのに」
「あんまり、話さない方が……」
 駆け寄る僕ら三人に向けて、地球さんはしかし首を振る。
「……私は、大丈夫です。それよりも、――――聞いて下さい。あれは、あの方は……」
 一呼吸置いてから、地球さんは、最後の力を振り絞るかのように言う。


「――――最後の、地球人です」

           「Ⅵ」

 モニターは、照準に似た黄緑の円を映し出したまま沈黙していた。
『――――クソッ!!』
 打ちつけられた拳に、悲鳴を上げる船内。等間隔に電子音を発していたスピーカーはひしゃげ、モニターの画面が砕け散って床に転がる。
 さかさまになった外面とは違い、船内は常に水平を保っていた。冷凍睡眠装置などの精密機器は不時着の衝撃でおおむね破損したが、水平安定装置(スタビライザ)だけは生きていた。
『なぜだ! なぜ繋がらない!? ……あれは、なんなんだ? ――――父上が、あんなものを許すはずがない!!』
 特別不戦条約。その名の意味はすぐに分かった。……間違いなく、敗者の背負う不平等条約だ。

 宇宙人たちが闊歩(かっぽ)する街。
 住み着いた黒髪の異星人。
 戦争を、他人事のように見世物にする資料館。
 そして、特別不戦条約。

 壊れたスピーカーは、未だ健気(けなげ)に電子音を発してた。
 しかしもはや、くぐもったノイズでしかない。
 ひび割れ、むき出しになったモニターは、依然何の反応も示さなかった。

 ――――脳裏を過(よぎ)るのは、〝絶望〟という、最悪のシナリオ。

 男は、とうに気づいていた。本当は、わかっていた。
 変わり果てた木々を、草花を見たとき。出くわした、黒い異星人を見たとき。意図せず、母星を呼び出したとき。沸き起こる、未知の〝力〟を知ったとき。
 男は、既に予感していた。

 自分が、最後の一人かもしれないと。

 ただ、男は信じたかった。
 何一つ変わらない、頭上の星空を。緑溢れる、ただ一つの母星を。

 ――――突如鳴り出したけたたましい警告音に、意識が現実に引き戻される。
『……なんだ!?』
 沈黙を破り、赤々と点滅するモニター。スピーカーのノイズが、判然としない何かを告げる。何度も繰り返されるそれは、男が発信した救難信号に何者かが気づいたに違いなかったが、好ましい反応でないことは明らかだった。苦渋の決断で乗せた位置情報を、敵軍が察知したのかも知れない。
 背後で扉(ハッチ)がひとりでに閉まったかと思うと、船内を、ボゥという不気味な効果音が包んだ。

 ――――次の瞬間、嵐を裂いて飛来した光線(レーザー)が、宇宙艇(ロケット)を貫いて炸裂(さくれつ)した。

           3

「――――なんだ? 今の」
 荒れ狂う嵐の中、二人の木星人と一人の冥王星人は、三つ子山の頂上にて、生き残った花々にブルーシートをかぶせて回っていた。吹きつける風と豪雨のせいで、昼前にもかかわらず視界が悪かった。
「もう、樹理さん。手伝ってください」
 作業の手を止めた樹理に、重りのつけもの石を抱えた万美が口を尖らせる。
「あぁ、悪い。……なぁ、今さっき、なんか聞こえなかったか?」 
「へ? 気のせいじゃないですか?」
「――――いえ、気のせいじゃありません!」
 二人の会話に割って入ったのは、一人しゃがみ込む古都だった。足元に転がるつけもの石を水晶に見立て、何やら占い師のように手のひらをまわしている。
「…………お前さっきからなにやってんだ?」
「占いです」
「仕事しろ」
 真顔で答える古都冥王に、樹理は即答する。
「見えます、見えます! ……押し寄せる、UFOの群れが! ――――はうっ!?」
 樹理に丸めたブルシートの筒ではたかれ、姿勢を崩してひっくり返る古都。
「仕事しろっつの。……ったく、何のために呼んだんだか――――」

 ――――振り返った樹理の目の前に、レーザービームが飛来した。

「うわっ!!」
「樹理さん!?」
「危険です!」
 古都は足をすべらせた樹理を咄嗟(とっさ)に抱きとめると、即座に茂(しげ)みの中へ引き込む。レーザーの着弾点は、クレーターのようにえぐれていた。
「きゃっ!?」
 数秒後、花畑めがけて再び数発のレーザービームが飛来する。それらは万美を取り囲むように弾けると、小爆発によって地面を吹き飛ばした。
「万美! 〝星の力〟だっ!!」
「はいっ!!」
 叫ぶ樹理に、万美は土煙りの中で答える。
 数秒後、吹きすさぶ風を無視するように、晴れた土煙りを噴き出した白煙が塗り替える。白煙は嵐をも意に返さずあっという間に周囲一帯に広がると、意志を持つように塊のまま浮き上がり、山の頂上を屋根のように漂い始めた。それこそが、万美の〝星の力〟だった。
 やがて白煙の中心から、息を切らした万美が現れる。嵐に弄(もてあそ)ばれた長髪が、真後ろに向けてはためく中、決然(けつぜん)と見開かれた瞳には、木星が映し出されていた。


「――――私たちはここに残ります! 冥王(みお)さんは逃げてくださいっ!!」


           *

 地球(ちたま)さんを三人がかりで休憩室まで運び込んでから、十五分ほどたった時だった。僕ら以外誰もいない休憩室に、マナーモードのバイブレーションが鳴り出した。
「あ……」
 鳴っていたのは僕のスマホだった。見れば古都さんからだ。
「……出てあげてください」
 出ていいものなのかと迷っていると、だいぶ調子を取り戻してきたらしい地球さんがか細い声で呟(つぶや)く。頷(うなず)いてから、聞こえるようハンドフリーモードに切り替える。
『――――今すぐっ、三つ子山に来てください!!』
 流れ出したのは、始めて聞く古都さんの叫び声だった。山の中を駆け下りているかのように、背後で激しい風切り音が響いている。打ちつける雨音も酷く、聞き取れるのが不思議なくらいだ。
『見えたんです、つけもの石に!』
「つけもの石?」
『UFOの大群が、頂上に押し寄せて、二人の、〝黒い異星人〟が――――!!』
「――――二人? どういうことですの!?」
『わかりません、でも見えたんです!! 〝緑の力〟で山が崩れて、〝赤い力〟が、森を焼き尽くして……空には、二つの異星が浮かんでました! とにかく来てください、万美さんたちが、大変なんですっ!!』
「……二つの、異星?」
 呆然(ぼうぜん)と聞き入るしかない僕らの耳に、ちゃりんと軽快な金属音が届いた。
 気がつくと、ベンチで横になっていたはずの地球さんが、案内所のカウンターにもたれかかるようにして立っていた。

「――――急ぎましょう」

 ……今さらだけど、思い出したことがある。地球の〝星の力〟は、〝緑〟だったはずだ。



           4

 徐々に夕方が迫る中、三つ子山の上の厚い雲は不気味な七色に光り輝いていた。空から降る色とりどりのスポットライトが、嵐の中頂上を照らしているのだ。 
 地球(ちたま)さんは僕らを降ろして停める場所を探しに行った。
 だから今この場にいるのは、僕とトモカさんと魚々(ぎょぎょ)乃女(のめ)さん、そして合流した古都さんの四人だけだ。
 古都さんの話では、樹理さんと万美さんがまだ頂上付近にいるらしい。
 もう少し待てば地球さんも協力してくれるだろうが、巻き込む気にはなれなかった。
 吹きつける強風にあおられ、山の木々が今にも吹き飛んでしまいそうな中、僕は先頭に立った。
「行きましょう」
 そう口にした矢先、山の枝葉をかき分け、飛来する銀の円盤が突っ込んできた。

           *

「――――下がってくださいっ!」
 飛び出した古都さんの両手の中に、発光する紫の球が見えた。数秒後それは古都さんをすり抜けて一気に膨れ上がり、突っ込んできた円盤が激突して爆散した。激しい轟音とともに煙が上がり、衝撃が風となって広がる。
 しかし煙が晴れた時、古都さんは傷一つなくそこに立っていた。
「カズマ様……?」
 息を呑(の)み、言葉を失う僕に、古都さんが不安げに振り返る。その瞳には、紫色に輝く冥王星が浮かび上がっていた。
「――――それが、古都さんの〝星の力〟なんですか?」
 輝きが消え、元に戻った紫の目で、古都さんは少し困ったような顔になる。
「……だって、いつもは!」
「カズマ? 急にドしたの。……あんなの、〝力〟のほんの一部じゃん」
 あたりまえのように言ってのけるトモカさんの言葉に、誰も、何も言わなかった。
 ツッコミも、訂正も、笑い飛ばすことも、首をひねることも。
「あんなのじゃ、――――誰も守れないよ」
 その一言が、容赦なく胸の奥底を抉(えぐ)る。
 しまい込んだはずのトラウマを、思い出さずにはいられない。

 ……守れなかった、救えなかった。僕はあの日、母さんを傷つけてしまった。
 満足に操れない〝力〟なんて、暴走するような〝力〟なんて、最初から無い方が良かった。

 僕は今まで、毎回のように失敗する古都さんの姿に、甘えていたのかもしれない。
 僕だけじゃない、なんて言い聞かせて。
「……皆さん、お話なら後でいくらでもできますわ。今は急ぎましょう!」
 先行して走り出す魚々乃女さん。気づいた二人は立ち止まったままその場で身構える。
 その理由はすぐに分かった。
「来ますっ!!」
 かけ声とともに再度半透明の球を展開させる古都さん。それはバリアのように半円状に広がり、僕ら三人の前で盾のごとく立ちふさがる。実際、そういう役割なんだろう。
 金属のコップに入れたビー玉を掻き回すかのような、くぐもった金属音が空気を震わせる。豪雨でかすんだ山道の向こうから、ぼんやりと光を放つツリガネ型のUFOが現れた。
 さきほどよりも速度が遅いものの、どっしりとした青銅色の装甲は見るからに丈夫そうだ。上部の小窓から飛び出した砲塔(キャノン)が火を吹く前に、魚々乃女さんが動いた。
 走りながら魚人化してウロコに覆われた右腕をぐんと下げ、脇に転がる大ぶりの石を水かきで掬(すく)い上げると、直後にバッと飛躍してUFOの砲塔(キャノン)に拾い上げた石を正面からぶつける。
 電撃をまとった爆炎が広がり、見る影もなく砕け散るUFO。飛び散る破片を紫の盾が受け止めた。
「すごい……!」
 声を上げたのは僕だけだった。
「また来るよっ」
 トモカさんが言い終えるよりも先に、スズメバチに似た不穏な羽音が走る。
 暗い黄金(こがね)色に身を包んだくの字のブーメラン型UFOが、一瞬のうちに魚々乃女さんの頭上を抜け僕らへと迫る。機体下部が発光したかと思うと、黄色のエネルギー弾が撃ち込まれた。
「下がってくださいっ!」
 古都さんの、悲鳴に近い金切り声。押し寄せる轟音と衝撃波に鼓膜がビリビリと震える。
 迸(ほとばし)る閃光が、咄嗟に閉じたまぶたの隙間から押し寄せてきた。
 うろたえるしかない僕の横で、トモカさんは吐き出したキャンディストローを口元で構える。息が吹き込まれると同時に、生まれた無数のシャボン玉が弾丸のごとく放たれる。
 それらはブーメラン型UFOの側面に当たっていくつもの風穴を開けた。
 制御を失ったUFOは大きく左にそれて墜落すると、爆発をともなって粉々に砕け散った。
 嵐の吹き荒れる薄闇の中で、トモカさんの横顔が燃え盛るUFOに照らし出される。誇らしげでもなんでもなく、そこには、いつも通りの眠たげな顔があった。

           *

 山の中腹を過ぎたころ、辺り一帯は地獄絵図と化していた。絶え間なく飛び交うレーザーによって地面がえぐれ、弾丸のように降る豪雨が淀んだ水たまりをつくっている。あれほど生い茂っていた木々や草木もほとんどが焼け焦げるか倒れるかしていて、かろうじて立っている木も半分以上が炎上していた。
 樹里さんと万美さんを見つけたのは、その十数分後のことだった。

 木々に囲まれた岩のそばのくぼみに、二人はいた。
「――――樹里さん、樹里さん! しっかりしてください!!」
 聞こえてきたのは、そんな悲痛な声だった。
 涙目になって必死に呼びかける万美さんの膝の上で、樹里さんはあおむけになったまま微動だにしない。
「樹里さんっ!!」
 飛び交うレーザーの存在も忘れ、僕らは走り寄った。気づいた万美さんは少しだけホッとしたような顔になったものの、泣きはらした目からぽろぽろとこぼれ落ちる涙が止まらない。
「カズマさん、私、私……」
 鼻をすすり、しゃくりあげながら言葉をつむぐ万美さん。目だけでなく、顔全体が赤く腫れ上がっていた。
「何があったんですか!?」
「私が、私がいけないんです……私が逃げ遅れたせいで、樹里さんが爆発に巻き込まれて……」
 大粒の涙を流して、万美さんはわんわんと泣き出してしまう。その両手には、たくさんの植木鉢を抱え込んでいた。
 どれも頂上に植えられていた花なのだろう、店に並んでいるものよりもかなり成長していた。中には黒コゲになって根元からつぶれてしまっているものもある。
 大方察しはついた。
 植物を家族同然に愛する木星人の二人にとって、花畑を見捨てるという選択肢などありはしないのだ。
 それでも、逃げ出すしかなかったのだろう。
 土ごと移した植木鉢を、両手いっぱいに抱え込んで。

           「Ⅶ」

 頭部の痛みをぼんやりと意識しながら、男は目を覚ました。泥沼のようにまとわりつく疲労感を振り切り、必死にかすんだ目を凝らす。視界のあちこちに、ちかちかと明滅する光が見える。
 しだいに焦点があっていく中で、男は、はっと目を見開き、息を呑んだ。
『なんだ、これは……!!』
 男は、自分が地面に投げ出され、うつぶせに横たわっていることに気づいた。

 ――――ちりちりと燃える茂みの中で。

 身を起こすと、茂みの隙間から、開けたむき出しの地面が見えた。草原があったはずのその場所は、今は焼け焦げ、見る影もない。見れば、そこらじゅうがクレーターのように窪(くぼ)み、不自然にえぐれている。
 その理由は直後に判明した。
『――――っ!?』
 焼け野原の向こうに見えた一本の若木が、閃光によって真っ二つに裂け、一瞬で燃え上がった。
 そして数秒後、三度の閃光を伴(ともな)って現れたレーザーが、倒れ伏す若木を粉々に砕く。
 見回せば、逃げ遅れた鳥たちが、黒焦げになって地面に転がっていた。
 花々も草木も、吹き荒れる風に揺れ動き、追い回すようにレーザーが飛び、貫かれては火ダルマと化していった。
 降り止まない豪雨のおかげか火の海でこそなかったが、立ち込める匂いは、〝死〟だ。
 無慈悲にも奪われた生命の怨嗟(えんさ)が、男には聞こえた。
 言葉となって、叫びとなって、否応なく反響し渦巻く。
 焼け落ちる草木に、転がる鳥たちの死骸に、見覚えなどなかった。
 男が、世界の果てから戻った時、この星はとうに、変わり果てていた。
 それでも。
 男は、悲しみに震えていた。
『……私は、』
 すり向けた血だらけの頬を、一筋の涙が伝う。
『……私は、』
 爪が食い込むほど握りしめた拳を、根元まで焦げた異星の木の根に振り下ろした。
『――――何のために!?』

 地位を捨て、家族を捨て、母星を離れ、男は、緑の帝王(グリーン・エンペラー)を探す旅に出た。
 冷却装置の中で眠りにつき、来るべきその日まで、恐ろしく長い年月を過ごした。
 だがある日、装置の寿命が限界を迎えた。
 帰還を余儀なくされた男は、敵軍の無人UFO(ドローン)の攻撃をかいくぐりながらワープを繰り返し、ついに母星への生還を果たしたのだ。
 しかし母星は、異星人たちに支配されていた。
 自然さえ、異星の草木が生い茂り、記憶の中の母星の姿は、もはや残されていなかった。
 そして今、それさえもが失われようとしている。

 ――――男は、どこまでも無力だった。

が、
『…………嫌だ。――――嫌だ!!』
 男は、諦めなかった。


『――――地球は、我々の母星だ』


 そのとき、脈打つ生命の鼓動が、全身を駆け巡った。


           5


「――――雨が……」
 唐突に雨が止んだ。気がつけば、絶え間なく飛び交っていたはずのレーザービームも今は止んでいる。訪れた静寂に、寒気がした。
「うっ……」
「樹理さん! ……よかった、よかったです」
 泣きじゃくる万美さんに抱きしめられる樹理さんの瞳が、不意にすぼまった。
「……空が、燃えてる?」
「え?」
 糸で引かれるように上を向いた僕らの目に飛び込んできたものは、空を埋め尽くす火球だった。
「UFO、なのか? あれが、全部!?」
「雨、止んでないヨ?」
 トモカさんの言う通りだった。豆粒大に見える僕らの街は、海底のごとき深い暗色に沈んでいる。薄暗闇の中で、外灯だけがぼんやりと光っていた。
「じゃあ、これは、一体……?」
 見上げれば、夕焼けに染まる赤い空。敷き詰められた厚い雲に、ぽっかりと丸い穴が開いていた。僕らの頭上だけが、雲をしりぞけて晴れ渡っているのだ。そして、制御を失ったらしい無数のUFO(ドローン)が、火の玉となって降ってくる。
「なんであれ、逃げますわよっ!!」
 魚々乃女さんが立ち上がった矢先、聞き覚えのある発射音が響き渡り、巨大な光の柱がUFO群を吹き飛ばした。
「逃げて」
「莉(り)尾(お)さん!? どうしてここに?」
「テレパシー」
 ビビビと口ずさみながら現れた莉尾さんは、樹理さんの方を指さす。
「……は? あたしが?」
 当の本人は、まったく自覚がないようだった。
「とにかく、逃げて。お父さんが言ってた。――――〝嵐が来る〟って」

           *

 さざめきが聞こえた。きぬずれにも、雨音にも似たそれは、怒号のように膨れ上がり、やがて地面を揺さぶり始めた。
「あれは……?」
 青々とした緑色のなだれが、頂上からなだれ込んで来る。目を凝らせばそれは、木の枝やツルが絡み合った植物のなだれだった。
「ナニアレ!?」
「にっ、逃げましょう!」
 慌てる二人を尻目に、僕は驚くほど冷静だった。そうして、逃げきれないと悟った。
 トモカさんのシャボン弾でも、魚々乃女さんの魚人化でも、樹理さんたちのガスやバリアでもダメだ。
 あの奔流の前では、数秒ともたないだろう。莉尾さんのビームももう使ってしまった。

 ――――なら、あれを止められるのは誰だ?
 集結した七人の異星人の中で、あの〝力〟に対抗できるのは、――――僕以外いない。

「カズマ様……」
 呼びかけられたと気づいたとき、僕以外の全員は、みんな逃げ出し始めていた。
 そして、僕だけがここに残り、押し寄せる緑を見据えていたのだ。
「やっぱり、行ってしまわれるんですね?」
 占ったのか、察したのか。古都さんが悲しげに問いかけてくる。全員の視線を肌で感じながら、僕は決然と答えた。
「――――僕は、アイツを止めに行きます」

           *

 暴れ蠢く緑の嵐を掻き分けて、僕は山道を駆け上った。
 目に映るのは、元あった草木を呑み、大地を犯す緑。ツルやツタ、枝葉が生き物のようにうねって濁流のごとく押し寄せてくるのだ。そこに、もはや生命としての美しさはなかった。
 残酷で横暴で醜い。荒々しくも美しさを残していたあの縄文杉モドキのほうがましだ。
 草木が覆う夕焼けの向こうに、浮かび上がる黒い惑星が見えた。
 沈みゆく太陽に照らされ、今は青く輝く海に緑を茂らせている。
 ――――それは、紛れもなく〝地球〟だった。
 〝星の力〟で呼び出される星は、理想をかたどった分身のようなものなのだ。
 唐突に視界が晴れ、頂上に着いたと気づいた瞬間、僕は叫んだ。
「――――やめろ、黒い異星人!!」
 いいや。目の前に立ちはだかるそれは、もはや〝黒〟くも〝異星人〟でもなかった。
 大地のごとく赤くひび割れた褐色(かっしょく)の肌に、眩むような黄金の瞳。そして、髪の毛に当たる位置からは、ツタやツルなどの緑が生い茂り、岩山のような肩の下まで垂れ下がっている。
 五メートルを超える長身の巨人は、途方もない神々しさを湛(たた)え、はるか先から僕を見降ろしていた。
『――――それは、お前の方だろう!?』
 はっきりと、そう聞こえた。言語の壁を越えて、頭に直接響き渡る。
 法則を凌駕(りょうが)する力。それこそが、〝星の帝王〟の〝力〟だ。
「お前が望んだのは、こんなことだったのか!?」
 それでも、力の限り叫んだ。例え相手が、宇宙を統(す)べる存在だろうとも。
『……私は、ただ、――――愛したものを、守りたかっただけだっ!!』
「そんなの、誰だって同じだ!」
『……ならば止めてみろ。――――この、〝生命の嵐〟を!!』
「ぐっ!!」
 塊(かたまり)のような突風が吹いて、僕は数メートル先に吹き飛ばされた。幹に背中を強打して、肺の空気が押し出されてからっぽになる。
 あっという間に血の気が失せて、みるみる意識が遠のいていく。
 そんなとき、あの時の母さんの言葉が、走馬灯のようによみがえった。

『――――カズマ、もしもあなたに、大切な人ができたら。
 あなたの〝力〟は、その人のために、使ってあげて……』

「――――母さんっ、母さん!! ……僕に、力を、くださいっ!!」
 そのとき。首から下げたペンダントが、赤く光ってドロリと溶けた。
 湧き上がる力が、マグマのように熱い血液となって全身を駆け巡る。
 視界の端で揺れる前髪が、芯まで赤く染まった。
 僕の目にはきっと、虹彩いっぱいに母星が映し出されていることだろう。

 ――――赤々と光る、火星が。

『……なぜだ、なぜ抗う? 母星を取り返すことの、何が悪いというのだ!?』

 みんな違ってみんな良いと言えば、それは嘘になる。
 違いで傷つく人だって、違いで悲しむ人だって、この広い宇宙にはきっといる。
 けれど。
「――――みんな違って、みんな特別で! それが普通なんだっ!!」
 だから。


「――――〝違い〟を、否定することを、僕は許さない」


 次の瞬間、爆炎が空を吹き飛ばして、円状に燃え広がる炎の渦が、すべてを焼き尽くした。






 エピローグ 「Ⅷ」

 ――――駆けつけた彼らは、平然と答えた。途方もない、未来の年号を。太陽系戦争終結から、すでに一世紀以上が経過しているらしい。
 はるか未来、地球は、原色の異星人たちによって支配されていた。
 だから私は、母星を取り返そうとした。母星に、地球の緑を蘇(よみがえ)らせるために。
 しかし、私の計画は一人の〝赤い火星人〟によってあえなく破られ、私は、駆けつけた太陽系連合に保護されることとなった。
 彼らからすべてを聞かされたとき、私は、悪役などどこにもいなかったのだと悟った。
 同時に、私が最後の一人だということも。

 もしも、あの日に戻れた時のため、私はこの手記を残すことにする。
 これは、並行世界の話などではない。この星の、いつかの未来の話だ。

パラレヌ・ワールド(後編)

執筆の狙い

作者 金川明
131.129.183.145

お久しぶりです金川です。随分と間が開いてしまいましたが、後編です。一応前編のURLを張っておきます。作者名からどうぞ。
ざっくり言うとこんな話です↓


「……は? …………宇宙人? そんなの、――――そこらじゅうにいるじゃん」

太陽系戦争に敗北した地球は、太陽系共有の植民地となり、姿も形も一見区別のつかない人型エイリアンたちで溢れ返っていた――――

〝黒い〟地球人にして高校生の主人公、カズマは人口流星群の降る日、親友にして月星人のゲンタから、〝星の力〟を持たない〝黒い異星人〟の噂を耳にし、その異星人が現れるという三つ子山にて、彗星人のトモカと出会う。それをきっかけに学内でも友達を増やしていくカズマ。
気づけば美少女異星人たちとのハーレム生活が始まっていて――――!?

「――――探せ。宇宙を統べる、緑の帝王を」
 宇宙を否定した地球人と、すべてを肯定した異星人たちの物語。
 七人の異星人たちが集う時、誰も予想だにしなかった真実が明かされる――――

学園宇宙SFハーレム、ここに開幕!!

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