作家でごはん!鍛練場
偏差値45

時が過ぎて切なくて

キミを最初に見たのは、湘南の熱いビーチだった。
小麦色に焼けた肌、慎ましくふくらむ胸、キミの笑顔。
砂浜で遊ぶキミが大好きだった。
今でもありありと思い浮かべることができる。

キミは言った。しあわせにしてくれるの? って。
キミの父は検察官、母は歯科医。驚いたね。
住まいは白金台。ボクは地方都市の世間知らず。不釣り合いも承知の上だった。
だからキミをしあわにしたかったんだ。

時が過ぎて子供が生まれた。孫が生まれた。
すべて順調だった。幸福だった。
でも、ボクらは老いてしまった。
もちろん、今でもキミを愛している。

さらに時は流れた。キミはボケてしまった。病気だった。
何度、同じことを言っても分かってくれない。
だから、ボクは思わず、キミにとても酷いことを言ってしまったんだ。
ごめんなさい。

今、キミはこの世にはいない。
出来ることならば、もう一度、謝りたい。
キミは許してくれるだろうか。とても心配だ。
たとえ許してくれなくても、僕は今でも愛しているんだ。また会いたいな。

(おわり)

既視感あり過ぎだかなw
曖昧な表現はせず、ストレート勝負です。
このネタのヒントは、こちらです。

『沈黙は金成り』

 大学の卒業間近のことだった。僕らは卒業パーティーのようなものを頻繁にしていた。
 だって卒業してしまったら、皆地方出身者ばかりだから、簡単に会えるものではない。
 その時に僕はとんでもないことを言ってしまった。
「こんなレベルの低い大学で卒業できなかったらバカだ」とね。
 ところが、後で分かったことだけれども、そのパーティーの中で卒論を提出できずに、留年した友人がいた。
 なるほど、と思った。彼だけ妙にトゲトゲしかったからだ。
 それで僕はもの凄く反省したんだ。心から悪いな、と思った。でも、気がついたのは卒業した後だったから、謝罪の言葉を言えなかった。
 もちろん、電話やメール、手紙でもいいかもしれない。だけどね。こういうのは、実際会って謝罪しないと意味がないと思う。気持ちが伝わらない。いつか謝りたいな、と思っていた。
 就職した会社の仕事も覚えて、数年が経った頃。
 ゴールデンウィークを利用して友人の実家にアポなしで伺った。謝りたかったから。
 友人の実家は新潟の田舎のお寺さんだった。彼は以前と変わらない風貌で心地よく僕を出迎えてくれた。いろいろと美味しいものをご馳走してくれた。
 そしてイザ、僕が今までの経緯を友人に伝えたところ、
「全然、覚えていないよ。気にしなくてもいいんじゃない? それに一年遅れたけど、俺、卒業できたんだから問題ないよ」だって。
 たぶん、それは僕を気遣って言ってくれたのかもしれないし、実際、忘れてしまっていたのかもしれない。それは分からないけれど、僕は長年の罪が許された気がした。なんだか安心したんだ。
 しかし、それは僕が罪に気付いたからだ。もし気付かねば、ずっと罪を放置していたことになる。  
 人は知らずに誰かを傷つけたり、知らずに罪を作っているのかもしれない。
 とはいえ、人はあらゆるものを忘れるものだ。人は悪い記憶は忘れて、良い思い出だけが残る。
 さてはて、本当のところはどうなのだろうか。僕は未熟過ぎて分からない。

(おわり)

時が過ぎて切なくて

執筆の狙い

作者 偏差値45
219.182.80.182

で、今回は詩のようなものにチャレンジしてみました。
そして小説のようなものをオマケに書きました。
全然違う内容なのだけれども、個人的には同質ですね。
忌憚(きたん)のない感想をお願いします。

ちなみに投稿しようと思った小説があったけど、
もう少し考えてからにしょうと思ったんだね。まぁ、時間を掛けてもいい作品になるとは限らないし、むしろ悪くなることもある。そのへんは実に難しいね。書くのは好きなんだけど、推敲は好きじゃないんだね。

そんなことを書くとでしょ氏から叱られそうですね。はいw

コメント

山根
106.133.139.121

全然詩ではないです。ただのハショリと言いますかね。要約みたいなもんでした。

偏差値45
219.182.80.182

山根様、感想を有り難う御座います。

詩の定義としては、そのようになると思います。

瀬尾辰治
49.96.23.129

偏差値45さん、
…おお、ってなりますね。
こういった書き方、自分は好みですよ。

「歌詞に例える」と、ちょっとだけ前サビ風ですね。

小麦色に焼けた肌……。
それから始まると、さらに前サビ風ですね。
そんな感じを、ある程度字数を整えて2フレーズ。もしくは1フレーズ書いて──。
前サビ、序章、本編、…エンディング。
そんなふうに書かれていたら、おおおぉ、ってなったでしょうね。

小説も書かれているから。
これは自分もそうなんですが。立場の違いでここは改行、ここは改行しなくていい。と、書く当人は分かりづらいことです。
読んでいると、あれ?ってなっている箇所が幾つかありました。

あと、たぶんですが。
人の記憶って、理不尽なことや、悪いことなどは覚えていて。過去の楽しかったことなどは忘れてしまうことが多いかな。と、心理的には思います。
ただ、男性と女性には少しだけ違いがあるようです。しかしそれは、書く好みかな。と思いました。
そんな感想でした。

夜の雨
180.63.231.105

最初の作品の方がいいですね。
どうしてかというと「切なさ」があるからです。
どうして切ないかというと、僕(ボク)という主人公はキミにひどいことを言っていて、謝りたいと思ったときには、「キミがすでに亡くなっていて謝れない」という話なので、これは切ないです。
心残り……ですからね。

キミとの家柄の違いとかの伏線が効いています。
一番効果を発揮している伏線は「キミがボケたときにひどいことを言った」ということです。

年月の流れもうまく表現しています。
この短さなのに、違和感がありません。


あとの作品は小説としてしっかりと書かれていると思います。
終わり方もこれでよいと思います。
しかし「切なさはありません」。
どうしてかというと、「相手に直接会って謝っている」からです。
これで心の重荷が下りたはずなので、「切なさは残りません」。
心の重荷が下りて、充足感が残りました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

2作品ともよかったですが、インパクトは最初の作品ですね。
文章では後の作品です。


お疲れさまです。

大丘 忍
221.242.58.46

おそらく想像で書いたのでしょうね。実体験として書いたのならもっと迫力があったはず。

アトム
126.59.248.4

読ませていただきました。

山根 氏と同意見です。詩にも小説にもなっていませんね。
>『時が過ぎて切なくて』
これが詩というなら形式は散文詩ですが、説明だけで描写がないのでスカスカなものになっています。(大好きだった・驚いたね・幸福だった・愛している・とても心配だ)こんな文言を百紡いでも詩から得られる余情も余韻も感じることはありません。
大好きだった。愛しているなどと、説明で心情を語るのでなく目に見えた事象や小道具をつかい表現(描写)すれば余情も余韻も生まれると思います。感情に響くような文節は一つもありません。詩であるなら、隠喩・倒置・反復などの作法を取り入れるなど、思索の痕跡が窺えるものを読ませてほしいものです。

>『沈黙は金成り』

大雑把に書いたシノプスですね。これも小説未満です。
浅すぎる軽すぎる・・・あらすじにしても読者の目を止めるところがなければいけないのではーー文章にも内容にもそれがありませんね。

二作とも、バックボーンは過去への慕情?

下の作は、回想につきまとう悔悟に苦しみ、その苦しみから逃れたいための謝罪であって、真に相手の心情を慮ったものではないようです。謝罪して楽になりたいという、自分のための謝罪と読めますね。
この謝罪に読者は共感しないだろうし、心を響かすこともないでしょう。この辺にも視点を向けないと深い話しは書けないでしょう。

ぷーでる
124.154.136.148

詩でも、小説でもないというコメの方見かけますけど……
こういう書き方があってもいいと思います。
主人公の感情を読み取りやすいので。

夜の雨
180.63.231.105

再訪。それではこの二つの作品がどういうものなのか、もう少し詳しく書きます。


二つの作品とも流れている時間が長いです。
上の作品は、若かりし頃の出会いから結婚して二人が老人になり妻が亡くなるまでのことを書いておられます。
下の作品は、大学の卒業間近から社会人になり友人に謝罪するまでの期間です。

この二つの作品は短いです。
421字と805字になります。

>「こういった短文で」原稿用紙30枚とか80枚、または中長編にいたる200枚やら700枚の時間の流れを描いています。<

当然、細部は書けません。
大まかな流れになります。
わかりやすく言うとイメージトレーニングの世界です。

私はこの二作品を読んで、そこからイメージで世界を広げました。

小説を書く企画のようなものです。
本格的な小説を書くにはここから世界を広げながら構成を練り細部を書く必要があります。

「421字と805字」の短文が、原稿用紙30枚とか80枚、または中長編にいたる200枚やら700枚の時間の流れと、同等になるわけではありません。

本来なら「421字と805字」の短文で描く作品(世界)は、「1シーンで感じるものを書く」と「万人受けする」と思います。

俳句とか短歌とか川柳とかを広げた世界になるかな。
これらの文学の中には恒久の時間の流れを詠んだものもあると思いますが。

鍛練場は文章を鍛練するところ、したがって上の二作品はイメージを広げることが出来るので、これでよいと思いますが。もちろん、書き手次第でここから原稿用紙30枚とか80枚、または中長編にいたる200枚やら700枚の時間の流れにすることは可能だと思います。


こちらの二作品で出来が悪いとか書いちゃうと、ショートショートで時間の流れがある作品は否定しなければならなくなると思います。
細部が描けていないよとショートショートに言ってもなぁ。

偏差値45
219.182.80.182

瀬尾辰治様 感想ありがとう御座います。


>小麦色に焼けた肌……。
>それから始まると、さらに前サビ風ですね。
>そんな感じを、ある程度字数を整えて2フレーズ。もしくは1フレーズ書いて──。
>前サビ、序章、本編、…エンディング。
>そんなふうに書かれていたら、おおおぉ、ってなったでしょうね。

実際のところ、あまり考えなく書いた作品でして、
綺麗にまとまっているから、いいかな、という感じです。
歌詞ということであるならば、作ったことはあります。もちろん、曲も作りました。
それはそれで面白いのですが、発表する場所がないという欠点がありますね。
案外、簡単にできるものです。それから思えば長編小説の方がかなり難易度は高いですね。

>これは自分もそうなんですが。立場の違いでここは改行、ここは改行しなくていい。と、書>く当人は分かりづらいことです。
>読んでいると、あれ?ってなっている箇所が幾つかありました。

そのあたりはザルですね。いい加減だと思います。理屈ではなく感覚でやっている感じですので、精緻に作るならばその点も考慮すべきだったと思います。

>人の記憶って、理不尽なことや、悪いことなどは覚えていて。過去の楽しかったことなどは>忘れてしまうことが多いかな。と、心理的には思います。

記憶につては、私はこう考えました。
パチンコで多くの人が負けていると思います。しかし、大勝してしまった時の快楽を忘れらず、続けてしまうものだと思います。つまり、そこで損をしてしまった記憶が薄くなっているのです。
また、釣も同様です。一度、魚を釣り上げた時の快感が忘れられない。たとえ釣れない日があったとしても、その人は釣をやめることはないでしょうからね。
そして女性の出産です。本当に痛くて苦しい思いをしながら、我が子の出会いの感動があるからこそ、二度三度と産めるものだと思います。
それに『喉元過ぎれば熱さを忘れる』という、ことわざにありますからね。
もちろん、トラウマ級の嫌な記憶を払拭するのは難しいかもしれませんが、
それでも時が過ぎれば、次第に薄らいでいくものだと思います。

偏差値45
219.182.80.182

夜の雨様、感想ありがとう御座います。

>最初の作品の方がいいですね。
>どうしてかというと「切なさ」があるからです。

『時が過ぎて切なくて』『沈黙は金成り』の比較ということで。
「切なさ」があるか、ないか。
実際のところ、そこまで考えて作ったわけではないですが、
流石、夜の雨様だな、とは思いました。作り手よりも読み手の方が作品に詳しい、
という摩訶不思議な感じです。
文章の分析に関しては、脱帽するしかないです。
なんだかパンツの中まで覗かれた気分です。恥ずかしいですね。

>2作品ともよかったですが、インパクトは最初の作品ですね。
>文章では後の作品です。

褒めていただき有難う御座います。とても励みになりました。


再訪有り難う御座います。
>二つの作品とも流れている時間が長いです。
>上の作品は、若かりし頃の出会いから結婚して二人が老人になり妻が亡くなるまでのことを>書いておられます。
>下の作品は、大学の卒業間近から社会人になり友人に謝罪するまでの期間です。

>この二つの作品は短いです。
>421字と805字になります。

物語と文字数は関係あると思います。
文字数を出来るだけカットする。贅肉をカットする。
そこに読者の負担を減らすことを第一に書いてます。
もちろん、肉付けをしてカタチを作って行けば、それなりの作品も出来ると思いますが、
すごく欲張りな人間なので、他にたくさん物語が書きたいものですから、
コンパクトにしている感じですね。
だらだらと拷問のような長編なんて読む人も辛いでしょうし、
作り手としても不甲斐ないですからね。

簡単に言えば、いかに文章を軽くするか、
ライトノベルではなく、スーパーライトノベルがあってもいいのかな、とは思いました。
まるでタバコみたいですねw

>俳句とか短歌とか川柳とかを広げた世界になるかな。

なかなか気づきにくい点ですが、実は私も同じような感覚はありますね。
構成する文章の長さが違うだけで「伝える」という点では同じなのです。
ただ短距離走と長距離走の違いのようなものであり、使っている筋肉は違うかもしれませんが、走ることにはおいては同じですからね。

いろいろとご指摘していただき勉強になりました。有り難う御座いました。

偏差値45
219.182.80.182

大丘 忍 様 感想ありがとう御座います。
>おそらく想像で書いたのでしょうね。実体験として書いたのならもっと迫力があったはず。

『沈黙は金成り』は、実体験を基にした作品です。
その骨子をそのままにして再構築したものが『時が過ぎて切なくて』になります。
迫力に関しては、おそらく生々しい描写が足りなかったり、具体的なエピソードが欠如していた為かなとは思いますね。ただ、そういうものを埋め合わせても、自分の表現力では、満足できる作品を完成させるには、少々ハードルが高いかもしれませんね。

偏差値45
219.182.80.182

アトム様、感想ありがとう御座います。

>大好きだった。愛しているなどと、説明で心情を語るのでなく目に見えた事象や小道具をつ>かい表現(描写)すれば余情も余韻も生まれると思います。感情に響くような文節は一つも>ありません。詩であるなら、隠喩・倒置・反復などの作法を取り入れるなど、思索の痕跡が>窺えるものを読ませてほしいものです。
実際のところ、そのようなテクは考えてませんでした。
従って詩のようなもの、小説のようなもの、と特筆で記しているわけです。
しかし、そのようなカテゴリーを気にすることもないのかな、とは思いますね。
ただ、読んだまま、感じるまま、あるがままで充分だと考えています。
後は面白か、詰まらないか、は読者の判断になります。

>二作とも、バックボーンは過去への慕情?
ここでの共通項のキーワードで言えば「後悔」ですね。
そして「罪」です。法律上の罪ではありません。神に対しての罪でもありません。
人に対しての罪です。

>謝罪して楽になりたいという、自分のための謝罪と読めますね。
心からの謝罪とは元来そういうものだと思います。謝罪せずにはいられないわけです。
「罪」の意識がなければ、謝罪する必要性を感じるわけがないですからね。

>この謝罪に読者は共感しないだろうし、心を響かすこともないでしょう。この辺にも視点を向けないと深い話しは書けないでしょう。
そうかもしれないですね。
ただこれは体験に基いているので、そこまで深く考えていなかったですね。
どうすれば、感動させられるのか? それは今後の課題にしたいと思います。

小説のおいては、三段階ありまして、
①内容を伝える②面白い③感動、一番難易度が高いわけです。
少々、シンドイですねw

偏差値45
219.182.80.182

ぷーでる様、感想ありがとう御座います。

>詩でも、小説でもないというコメの方見かけますけど……
>こういう書き方があってもいいと思います。
>主人公の感情を読み取りやすいので。

そう言っていただける嬉しいです。
ただ直接的な表現の方が分かりやすいのですが、
そこに「洗練さ」がないのも事実なのでしょう。
要するに稚拙に見えてしまうのかもしれません。
「この稚拙な文章力でどこまで書けるか?」
ということが、私の挑戦なのです。

弥言
153.222.185.164

小説にも詩にも「こうじゃなきゃいけない」というのはないのではないかと思ってはいます。
なので、わたしも普通にありだと思いました。

ただ、なにゆえ「詩」と言わずに「詩のようなもの」にしたのか? もしくは、なったのか? その辺が疑問としてあります。

レストランでバイトしてたら店長から「シチューのようなもの」を出されて「どうだ?」と訊かれた感じですかね。飛び切り美味しければ、動機や経緯なんてなんでもいいですが。率直な感想とすれば、悪くはないけれど、とびきり美味しいというわけでもなかったので。
 シチューの良さを残したままさらに違うおいしさを加えようとした新メニューの試作品なのか? 本当はシチューをつくろうとしていたのだけれど、何かがうまくいかなくて、もったいないから食わせてみたのか? これからシチューにするのだけれど、その前に一口飲ませてくれたのか? その辺り、どう読めばいいのか気になりました(;・∀・)

 とりあえずは、「詩」ということで読んだ感想です。
 書こうとしているテーマというか、気持ちは、よいものだと思いました。
 文章も悪いということはない気がしますが、個人的にはちょっと物足りないです。少し気になったのは「曖昧な表現はせず、ストレート勝負」と書いてあって「詩=曖昧な表現」という捉え方をされているのかなぁと。
 わたしの考えも正しいかどうか保証はありませんが。詩は一般に文字数が少ないです。なので単語一つに季節感や状況、当人の気持ちなど、複数の意味を詰め込んだり。詳細に文章で感覚を説明しなくても「レモン」とか、反射的に酸っぱい感覚になったり、自然とイメージのわく言葉を選んだりすると思います。あと、気持ちを言葉ではなく、文章のリズムで、憂う気持ちをダラダラと、うれしい気持ちを前のめりな短いリズムで表現したり。そういう工夫をして文字数減っても情報が減らないようにするものではないかと思っています。

 読んだ印象だと、最初の「湘南」とか「小麦色」「慎ましくふくらむ胸」など、イメージの膨らむ言葉が多用されていて光景が目に浮かびました。言葉が少なくても、こういう単語を目にすると、読者は自分の体験から足りない分を補填するので目に浮かぶ映像の情報量はまったく減りません。ですがそれ以降は、そういう単語がほとんどなく、何があったのかを説明している言葉ばかりで、言葉が減ることに比例して、目に浮かぶ情報がしっかり減っている感じです。
 彼女の表情とか、感情がうかがえる言葉を入れたり、孫ができてにぎやかになった生活音とか、空ではためく鯉のぼりとか。亡くなって呼びかけても動かない死に化粧の微笑みとか、感覚にうったえるようにしないと、概要説明する粗筋になってしまうのではないかなと思いました。

まぁ、手紙のつもりだったのかもしれませんが。そういうのもあるのかもしれないですね(;・∀・)

偏差値45
219.182.80.182

弥言様、感想ありがとう御座います。

>ただ、なにゆえ「詩」と言わずに「詩のようなもの」にしたのか? もしくは、なったのか? その辺が疑問としてあります。
それは「詩ではない」「小説でもない」と言う人物が登場することを
予想していたからです。それが見事に命中してしまった。
ただそれだけで、深い意味なんてないのです。

英国のことわざに「プディングの味は食べてみなければ分からない」というのがあります。
私は図書館で毎週、五冊ほど借りて来ます。しかし、最後まで読まないで返却することが多いです。それは途中まで読んでつまらなかったからです。
 たぶん神様が「おまえはこの本を読むべきではない」そう言っているのです。
 それに素直に従えば良いと思いますね。

>「詩=曖昧な表現」という捉え方をされているのかなぁと。

曖昧とは、使い方次第だと思っています。
それは薬にもなるが、毒にもなる。そんな感じですね。
一番、大切なことは「伝える」ことなのです。
それが阻害されてしまったら何の意味もありません。

作家はこの程度の内容ならば、理解してくれるだろう。分かるだろう。
ところが、読者はまったく違った解釈をしている。
そんなケースが「ごはんの作品」には多いですね。
プロになると、それが全くないのです。たとえあったとしても、余韻を残す為であったり、
その方が物語として面白くしているから良いのです。またミステリーならば謎はあって、しかるべきなのですが、物語そのものが謎であっては本末転倒なのです。
しかし、それでも面白ければ、まだ救われます。
最悪なのは長文で、つまらなくて、得るものがない。
私の時間を返して欲しいと言いたくなりますね。

そんな小説に『拝読しました。面白かったです』
なんて感想があるからコントでしかありません。
とはいえ、読む人によって感じ方も違う。
そこが人間の不思議なところであります。

とはいえ、「詩のようなもの」「小説のようなもの」という表現も曖昧ですね。
これが良かったか、悪かったか、それは分からないかな。


>読んだ印象だと、最初の「湘南」とか「小麦色」「慎ましくふくらむ胸」など、イメージの膨らむ言葉が多用されていて光景が目に浮かびました。言葉が少なくても、こういう単語を目にすると、読者は自分の体験から足りない分を補填するので目に浮かぶ映像の情報量はまったく減りません。ですがそれ以降は、そういう単語がほとんどなく、何があったのかを説明している言葉ばかりで、言葉が減ることに比例して、目に浮かぶ情報がしっかり減っている感じです。

そう言われてみると、おっしゃる通りだと思います。
その点は意識していなかったですね。
視覚的、あるいは聴覚的なもの。つまり臨場感ですね。
なるほど、と改めて思いました。分かっていても、なかなか身に付くものではないですね。
それは詩や物語の世界に作家自身が溶け込んでいない為かもしれませんね。

>まぁ、手紙のつもりだったのかもしれませんが。そういうのもあるのかもしれないですね(;・∀・)
解釈は人それぞれなので、、、。今となっては自分でもよく分かりません。

いろいろとご指摘していただき、有り難う御座いました。

 

えんがわ
114.178.23.31

>時が過ぎて切なくて

が、好きです。
タイトルの言おうとしていることは伝わってきます。
本当はタイトルはテーマそのままって印象で、もうちょい悩んだ跡みたいなのがあると好きです。


表現は具体的な視覚描写が冒頭にあって、イメージが広がったのですが、
それ以後はなりを潜め、ちょっと固くなった感じがします。

ストレートとのことですが、ストレートに感覚に訴える描写を続けた方が、こっちの感性に伝わったかな。
文章が途中から思考的に偏っていて、なんだか考えて咀嚼する間みたいなのが出来て、
自分にとっては真っすぐと言うより、ちょっと感覚の時間差が生まれた気がします。

考えて感動、と言うより、感覚で感動、の方が個人的には好みなのです。あくまでも自分の好みなのですが。

偏差値45
219.182.80.182

えんがわ様、感想ありがとう御座います。

>本当はタイトルはテーマそのままって印象で、
もうちょい悩んだ跡みたいなのがあると好きです。
アイデアを思いついた時に、忘れないようにとっとと書いてしまったものですから、
実はあまり考えていなかったですね。すいません。

>表現は具体的な視覚描写が冒頭にあって、イメージが広がったのですが、
>それ以後はなりを潜め、ちょっと固くなった感じがします。
感覚で書いているので、そういう視点は気がつかなったですね。
次回の作品に活かしていきたいと思います。

>ストレートとのことですが、ストレートに感覚に訴える描写を続けた方が、こっちの感性に伝わったかな。
>文章が途中から思考的に偏っていて、なんだか考えて咀嚼する間みたいなのが出来て、
>自分にとっては真っすぐと言うより、ちょっと感覚の時間差が生まれた気がします。
>考えて感動、と言うより、感覚で感動、の方が個人的には好みなのです。あくまでも自分の好みなのですが。

ハードル、高いですねぇ^^;
自分自身は感動する本というのをあまり読んでないので、
読書量が足りないのかもしれないですね。
たぶん、ある種のテクが必要になってくると思いますね。

ご指摘、感謝します。

われに五月を
219.100.86.89

まずは真面目に普通に【原稿用紙10枚 は書き切って見せる】ことだよねー。

「〜のようなもの」とかゆー、明らかな「逃げ」じゃなく、

きっぱりと、シンプルに10枚。


10枚がキチンと過不足なく書けるんなら、

30枚、50枚、80枚ぐらいまでは、

「同じ要領でするっと書ける」から。

偏差値45
219.182.80.182

われに五月様、ご意見、ありがとう御座います。

>まずは真面目に普通に【原稿用紙10枚 は書き切って見せる】ことだよねー。

物語には適正サイズというものがあると思います。
長ければ良いわけでもなく、短ければ良いわけでもないのです。
それに従っている感じですね。

とはいえ、ある程度長い小説を作っても、このサイトでは投稿しないかな。

ゼロカロリーの豆
49.104.14.217

拝読しました

短くて読み易いのでペロリと読める感じでした。

記憶の話でしたが、記憶って、なかなか面白い。アスペルガーの話になると直ぐにサヴァンと連結して考えてしまいがちになるけどその辺を考え出したら今回僕も少しだけ出したけど手続き記憶とかそんな風な記憶を上手く使えたら常人のままのサヴァンとかもあり得る筈で、楽しみ。
少し逸れるけど、学生は記憶するためにノートをとるのに対して、大人は忘れる為にノートをとる。目的が違うのに行動は同じで、でもだからこそ学生は記憶するため以外のノートを開く回数が殆ど無くて大人は無意味に何度もノートを開く。
何だか脱線したけど、自分達が書く物語は覚える為に書くのか忘れる為に書くのか……

ありがとうございました

かろ
218.221.94.74

 読みました。
二作目については、けっこうそうなのかもしれません。
これは、わかりませんね。意外と、みんなあなたのことを見てるからね、と言う人いたり、自信過剰なるんじゃないよ、誰もお前なんか気にしてねーよ、とか。
こちらも気にして関係なかったり、気にしないとゴタゴタなったり。で、相手が今作のように、本当におぼえてないのか、気をつかってるのかどうなのか。主人公も、素直に受け取るか、疑うか。これは人によると思います。
 共通して謝罪あって、もしかすると一作目には理解、感謝が入ってくるのかもですが、僕はそこはわかりません。

偏差値45
219.182.80.182

ゼロカロリーの豆様 感想ありがとう御座います。

>アスペルガー、サヴァン
大なり小なり、そういう性質は誰にでもあるかもしれないですね。
情報の受け取り方、伝え方の違いはあっても基本的には同じ人間。
ある意味それは個性に結びつきますね。

心の明暗は、明るい情報を持っているか、暗い情報を持っているか、の違いだけです。
例えば、預金通帳に十億円ある人と借金のある人では、幸福度は違っています。
しかし、それは預金通帳の数字であって本当は大した意味がないのです。
なぜなら、もしかしたら、私たちは明日死んでしまうかもしれないですからね。
つまり、楽しい思い出、成功した記憶だけ所持していれば良いのです。

>何だか脱線したけど、自分達が書く物語は覚える為に書くのか忘れる為に書くのか……
個人的には「伝える為」に書いているかな。
問題は何を伝えるか? 思想信条か、娯楽か、単に暇つぶしか、そんなところでしょうか。

偏差値45
219.182.80.182

かろ様、感想ありがとう御座います。

>共通して謝罪あって、もしかすると一作目には理解、感謝が入ってくるのかもですが、僕はそこはわかりません。
失言⇒罪⇒反省⇒謝罪ですね。

最初の作品の方では、もしかしたら、ボケてしまっていたので、彼女も言葉の意味を認識していなかったかもしれません。(具体的な内容は記していません)
であるならば、問題ないわけです。
しかし、次の作品は、あきらかに本人は認識しているのです。

いずにせいよ、言葉は癒しにも暴力にもなるので、『沈黙は金成り』となるわけです。
意味するところは、話すべきこと、話すべきではないこと。その判断が大切ですね。
と主張しているわけです。

>これは、わかりませんね。意外と、みんなあなたのことを見てるからね、と言う人いたり、自信過剰なるんじゃないよ、誰もお前なんか気にしてねーよ、とか。
こちらも気にして関係なかったり、気にしないとゴタゴタなったり。で、相手が今作のように、本当におぼえてないのか、気をつかってるのかどうなのか。主人公も、素直に受け取るか、疑うか。これは人によると思います。

その点の情報のやり取りは、実に複雑ですね。
言葉ではイエスでも、心の中ではノーということも、日常の人間社会には、
よくあることです。人間は嘘を言います。そして疑うこともありますね。
最終的には、その人を信じられるか、どうかにあるわけです。
それをテーマにした物語と言えば、『走れメロス』ですね。

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