作家でごはん!鍛練場

『友情と演劇と青春と』

むむむ著

お読み頂きありがとうございます。

先日、三島由紀夫の小説を読んであんな文章が書けるようになりたいと思い、とりあえず一文を長くしてみようと思いました。
また、三人称視点を書くのが苦手だと感じていたので、苦手意識を克服したいと思い、挑戦しました。

読みにくいところが多々あるかと思うのですが、
ご感想・アドバイスを頂ければ幸いです。

「えー、次。主人公に助けを求めに来るおじいさんの役、眞壁太一」
 太一は自分の名前を呼ばれた瞬間、血がどくどくと身体を駆け巡るのを感じた。
 腰のあたりで組んでいた手に、今まで以上に力がこもる。自分がどんな結末を望んで手を握りしめていたのか、太一にはもうわからなくなっていた。
 隣に立つ親友の表情を窺いたかったがどうしてもそうするわけにはいかず、ただじっと前を見て、続きの発表を聞いていた。
「最後、街に転がっている死体の役。里中涼真、池川智樹、真島裕」
 後輩たちと同列に呼ばれた友の名に、太一は動揺を禁じえなかった。
 ――なんで吉田はこんなひどいことができるんだろう。街に転がっている死体の役は、涼真一人で十分じゃないか。
 太一はそう思いながらじっと部長の顔を睨み付けたが、教卓の上に立つ吉田悟には、それは目上のものの次の言葉を期待する、熱い注視にしか映らなかった。
「……以上だ、何かあるか?」
 吉田は俺の決定に文句がある奴など絶対にいないだろうという権力を持った若者特有の、自信たっぷりにそう言うと、あたりを見回した。
 太一は咄嗟に、手を上げようかと悩んだ。これが、最後のチャンスだと、なんとなくわかっていたからだ。
 けれど結局、太一は手を上げることができなかった。それは決して吉田に対して信頼や尊敬、恐怖などと言った感情を抱いていたからではない。ただの同級生に過ぎない吉田の仰々しい振る舞いを滑稽だと感じることはあっても、絶対に従わなければならないものだと思ったことは一度も無かった。ただ太一は、万が一にも親友のプライドを傷つけるようなことがあってはならないと思ったのである。
 吉田は無言でいる部員たちを見て満足そうに頷くと、その黒縁眼鏡を指で持ち上げ掛け直した。
「ないようだな。では、明日から練習を始める。各々、きっちりセリフを頭に入れてくるように。以上、解散」
 吉田には「各々」や「以上」「解散」といった熟語を使いたがる傾向があった。それは彼にとっては自分の威厳を高めるためのものであったが、部員たちからは「二字熟語パイセン」というあだ名で陰でこっそりと揶揄される原因にもなっていた。
 帰り支度を済ませて足早に教室を出る者と、ダラダラと隅の方で話している者が混然一体となった空間で、太一と涼真だけが以前、整列したときのままでいた。
 先に動いたのは太一の方だった。それは、涼真が何か言葉を掛けてくるのを待っているからそこに棒立ちになっているのだと思ったからである。勝者の弁は敗者にとって、すべてが嫌味であり皮肉と同価値のものとなる。太一もそれはわかっていたが、自分たちが依然変わらずに友人でいることを証明したかったのだ。
「涼真、その、俺から吉田に言って……」
「何を言うっていうんだよっ」
 涼真の怒鳴り声が、教室に響き渡った。机と椅子が端に片づけられているからか、普段授業を受けている教室よりも、この選択教室4の方が声がよく通るようだった。
『吉田のやつも、見る目ないよなぁ。俺自信ないからさ、代わってもらえないかって頼んでみるよ』
 そう言うことは太一にとって簡単だった。でもそれは真っ赤な嘘だった。誰が見ても、太一の方が上手いことはたしかだったし、涼真の目には変な計算が見えた。それは長い付き合いの太一だけがわかる一瞬の淀みなどではなく、誰の目にも明らかな確かな違和感だった。
『涼真は顔がおじさんぽくないからさ、俺が選ばれたんだよ』
 これならどうだろうか、と太一は思った。だがすぐにその浅い考えをドブに捨て去った。太一は誰が見ても童顔で、ニキビのない白い肌をしていたのだ。涼真は色黒で男らしくごつごつとした顔つきをしていて、どちらかというと涼真のほうが年寄りを演じるのは向いている。太一はそれからもいくつかの代案を考えたが、どれもこれも涼真の浮かない顔を変えるだけの力は持っていないように思われた。
 口を瞑った太一を残し、涼真は苛立ちを隠すこともなく、どすどすと足音を立てて教室を後にした。

 夏休みに入って一週間が経つという頃、太一たちが所属する高校の演劇部では部内オーディションが行われた。夏休み明けにある文化祭で演劇部は毎年、一つの劇を披露しており、その舞台を最後に三年生は部活を引退する。今回のオーディションはその最後の舞台の配役を決めるために行われたものだった。三年生七人に対し、台詞のある役は六つ。こんな神様のいたずらかと思われる非情な仕打ちは、他でもなく、吉田の仕業だった。彼はその気の強さから部長になった途端、次々と活動内容の抜本的な改革を行った。その様々な悪行の一部が、オリジナル脚本と部内オーディションであった。
 これまでは有名な作品をカットして一部分を演じたり、パロディとして少し原作をいじったものを演じたりしていた。しかし、吉田は彼の圧倒的な感性、といってもそれは思春期の男にありがちな全能感や万能感で描かれた痛々しいものに過ぎないが、それらを総動員して一から生み出された脚本を演じることを決めたのだ。
 高校の演劇部という中途半端な主体性を持った根暗集団が彼のカリスマ性に毒されてしまったとしても仕方のないことである。
 こうして独裁体制を敷くことに成功した吉田は顧問、部長、副部長の三人が演技を見て配役を決めるという部内オーディションなるものの開催を夏休み初日、高らかに宣言した。
 演劇部で太一と涼真はあまりやる気がなく、端の方にいる二人だったので、きっと台詞のある役をもらえないのは太一か涼真で決まりだろうという暗黙の空気がなんとなく流れていた。
 基本的にいざこざを避けたい太一は自分からオーディションを辞退し、裏方を希望したが、吉田はそのような行いは敵前逃亡に等しく、自分の知らない一面が見つかるかもしれないからとりあえず挑んでみろ、というそれらしい理由で太一の平和的な申し出を無下に断った。
 そして、しぶしぶ「主人公を導く長老」の役のオーディションを太一は受けた。万が一にも涼真の役を奪ってしまうことが無いように、最も台詞が少なく涼真が受けることになっていた「主人公に助けを求めるおじさん」の役はやめておいたのだ。
 しかし、吉田の一言によって悲劇は引き起こされた。
「主人公を導く長老」の役を演じる太一を見て何を思ったのか、吉田が「ちょっと、『主人公に助けを求めるおじさん』の役もやってもらっていいか?」と言った。太一は監督のような言葉を言って見たかっただけなんだろうと腹の底では毒づきながらも、抗うことも面倒で、おずおずと言われた通りにした。
 而して太一が「主人公に助けを求めるおじさん」の役を射止めてしまった夏休み一週目の今日、太一と涼真の友情は完全に破綻してしまった。

 翌日から、練習は始まった。
 若さの怠惰を許容するかのように冗長な夏休みをフルに使った吉田の練習日程や小道具製作日程に太一は初日からウンザリしていた。自分でさえそうなのだからと、練習初日に顔を出さなかった涼真をどうしても責める気にはなれなかった。
 その次の日も、そのまた次の日も、涼真の姿はなかった。
 太一は何だか部活に行くのが憂鬱になっていくのを感じていた。まるで、あの日から一日一日と時間が経つごとに、一歩一歩間違った方向へと歩いて行ってしまっているような、そんな取り返しのつかないことをしてしまっているような気がしたのだ。
 いくぶんかの勇気を振り絞って涼真に連絡してみたが、返事はなかった。
 わざと下手に演じればよかったのだろうか? そんな後悔が絶えず太一の頭をよぎった。けれどそんな思いはまやかしに過ぎないとも、同時に思っていた。後悔することで自分が良い人間だと自分に信じ込ませようとする、そんな人間らしい弱さが太一にはあった。
 本当のことを言えば、涼真との友情が壊れてしまう可能性も踏まえた上で自分のできる最高の演技をしたのである。むしろ、その程度で壊れてしまうような脆い友情ではないということを証明したかったという思いもあった。だからこそ、太一には後悔をする資格も、後悔する理由もないはずだった。けれど心の奥底で燻り続ける黒い炎を太一はどうしても消すことができなかった。
 一人で部活に精を出しても、虚しいだけだった。練習はそれほどハードではないが、同じところを何度も何度も確認する吉田の粘着質な性格のために退屈を極めていた。心を持て余す練習時間を何とかやり過ごし、部活後は愚痴を吐きながらアイスを食べるためには、涼真の存在が必要不可欠だった。まるで、監獄に一人だけ取り残されたようなそんな寂しさが太一を優しく包み込み、後悔と焦燥はふわりふわりとその体積を増やしていった。
 練習が始まって一週間が経つというころ、太一は台詞のある役を一つ増やしてもらえないかと直訴しようかと本格的に考え始めていた。そうすることでしか現状を変えることはできず、そうすることでしかあの日変わってしまった何かを取り戻すことはできないと思ったのだ。

「里中が最近部活に来ていないんだけど、それは文化祭の役が台詞のない役になったからだって思うんだ。三年生にとっては最後の舞台だから、ひどく落ち込んでいるみたいで。それで、台詞のある役を一つ増やしてもらうことってできないかな」
 家で何度も練習した言葉だった。わざわざルーズリーフに書き出して、おかしなところはないか推敲して、何度も唱えて頭に入れた台詞は、太一の口からするすると紡がれていった。
 しかし吉田はその入念な準備さえもあざ笑うかのように短く矢継ぎ早に言葉を繋いだ。
「なんで眞壁がそんなこと頼むんだ? 気ぃ遣ってんのかよ? そんなことされても吉田は喜ばねえだろ。眞壁が勝ち取ったんだから自信持てよ。だいたい俺が試験勉強も受験勉強もそっちのけで書いた脚本を、そんな理由で変えられるかよ」
軽蔑と憐れみをたっぷりと込めた声だった。
 太一は黙ってしまった。というのも、断られたときのことは考えていなかったのである。それは友を想う真摯な気持ちを吉田も無下に断ることはないと期待していたからというのもあったし、自分にとって良くない可能性を考えたくないという太一の弱さからでもあった。吉田は自分のつくった物語に強い執着があり、監督としての尊厳を傷つけられたように感じるからか、他人に口を出されることをひどく嫌う傾向にあったので、拒絶される可能性は十二分に考えられたのである。
 もちろん私設の劇団ではないのだからそういうやり方をするのはどうかという意見も少なからずあるが、完成した彼の独裁体制はびくともしない。演劇部はたった一年間とはいえ、完全に吉田のものとなっているのである。だから、彼がこの世の正義がすべて我が手にあると信じているかのように、居丈高に振る舞うのも仕方のないことではあった。
「でも、最後だし、仲良く終わりたいじゃんか」
「いーや、それは仲良しごっこだね。ほんとに仲が良いわけじゃないだろ。部活に来てもいないやつに媚びてわざわざ台詞を考えるなんて死んでも御免だね。そもそも……」
 太一は吉田の言うことがおかしいとは思ってはいなかった。彼が口にすることは論理的で、筋が通っていて、どう考えてもおかしいことを口走っているのはこちらだと、重々わかっていた。それを承知で、恥を忍んで頭を下げたつもりだった。だが、先ほど深々と下げた頭の上に喉を少し震わせただけの笑いが降りかかってきたときから、そしてそのあと厳しく無礼な口調で次々と正論を浴びせかけられてから、どうしても自分が間違っているとは思えなくなっていた。太一の頭には一つの選択肢が浮かんできていた。
 流暢に言葉を垂れ流すその口を黙らせるべく、彼の腑抜けた笑顔を悲痛に歪めるべく、太一は力いっぱい拳を振り抜いた。
 目の下の骨と指の付け根の骨がぶつかり合い、関節が無理な力をかけられてパキパキと音を立てる。糸の切れた人形のように崩れ落ち、吉田は床に転がった。それは太一にとって望ましい結果のはずだったのに、少しも気分は晴れず、むしろ怒りは増すばかりだった。
 暴力は太一が最も軽蔑する行為の一つだった。なぜそんな愚かなことをしてしまったのか、自分でもよくわからなかった。ただ、目の前でヘラヘラと笑う吉田の顔を痛みに悶える醜い顔へと変えてやらねばならないという使命感だけが身体を突き動かしたのだ。

 太一の思いは誰にも届くことがないまま、夏休みは終わってしまった。
 唯一の救いは、太一が吉田を殴った事件は特に尾を引かずに済んだということだった。彼の一抹の良心が痛んだのか、はたまた太一に殴られたことが露呈するのを恐れてか、吉田は教師に告げ口などはせず、大ごとになることがなかったからだ。
 夏休み中、何度か連絡を取ろうとしたが、結局涼真からの返事はなかった。そのうち部活は涼真がいないことが当然となり、彼は名実ともに幽霊部員となった。
 もう誰も、涼真が部活に戻ってくることを期待してはおらず、それは太一も同じだった。だが、どうしても太一は最後に一言、涼真に言いたいことがあって、彼のクラスへと足を運んだ。それは他の誰でもなく、自分自身のためだった。

 夏の強い日差しが残る教室で涼真の髪は、サバンナで沈みゆく太陽に向かうライオンのたてがみのように輝いていた。久しぶりに会った涼真は髪の毛を金色に染めていた。親友の変わり果てた姿に太一はひどく驚いたものの、わかりやすいグレ方をするということは構ってほしいと思っているのだと自分に言い聞かせた。
 久しぶり、と喉の奥からできるだけ明るい声を絞り出すと、涼真はつまらなそうに太一のほうを向いた。そして、馬鹿にしたように冷たく笑った。その笑い方は、どこか吉田に似ていて、太一はひどく悲しい気分になった。
「もう、無理に部活に来いとは言わないからさ。本番だけ、見に来てくれないかな。俺、全力でやるから。絶対、見に来て」
 太一は目に涙を溜めながらそれだけを伝えると、足早に教室を去った。
 太一には、涼真が見に来てくれるかもしれない、という微かな望みを繋いでおかなければ最後まで部活をやり切る自信がなかったのだ。たとえ頼りない、望みであっても、それがなければあと二週間の練習を乗り切る自信が無かったのだ。

 涼真は結局、文化祭を見に行くことにした。中学時代の友人とつるみ、髪の毛を黄金色に染めたりタバコと酒を嗜んだりと、ありきたりな非行に走ったのは彼の根が真面目だった証だろう。涼真には短気で感情をコントロールできないところがあったが、それは彼の一側面であり、裏を返せば気分屋だったというだけのことである。
 高校最後の文化祭前だというのに何の予定もなく、何もすることがないことに涼真は後悔と不満を募らせていた。
 夏休みは仲間とバカ騒ぎして、二日酔いの気持ち悪さやたばこの煙に五感を紛らわせておけば、心の隙間を埋められたのだ。
 ――吉田が王様ごっこをする世界なんか飛び出して、俺は一つ大人になったんだ。太一があんなところでくだらない時間を過ごしているあいだ、俺は世界を知ったんだ。
 そう思い込むことでしか、涼真は自分の自尊心を守ることができなかった。
 しかし、それはあくまで涼真の真面目な性分には合わない、外付けの現実逃避でしかなく、通常通り学校が始まってしまえば彼の心は揺れた。勉学に励み、進学の準備をする者。真剣に部活に取り組んで推薦や就職を狙う者。高校最後の思い出を作ろうと友人と遊ぶ者。夏休みが明け、未来に向かって生きているクラスメイト達に、涼真は置いてけぼりをくらったような心地がした。臆病で現実的な彼の精神は、非行とは単に若気の至りであり、足踏みでしかないことに気が付いたのである。
 だから、初めは何も変わっていない太一に対して憐れみと侮蔑を感じたものの、次第に太一の誘いは元の道へと引き返すための片道切符のように思われてきた。一緒に騒ぐためだけにいた、付け焼刃の友人ではなく、本当に自身のことを思っていてくれる存在。その手を掴むことは、涼真にとってとても自然なことだった。

 すでに劇は始まっていた。太一の出番までは、あと十五分ほどだった。着替えを済ませ舞台袖に待機していた太一はペットボトルから水をちまりと飲み、ぎゅっと目をつぶった。
 高校生活最後の演劇の舞台で、たとえどんな端役だったとしても、台詞のある役をやることができる至上の喜び。自分の演技がついに人から認められたということに対する誇り。モノクロな高校生活でできた、たった一人の親友を失ったという後悔。
 太一はすべてをゴミに捨てた。これまでのすべてを贄にして、塵芥と同様に扱って、忘却の彼方へと吹き飛ばした。
『極限まで、余計な感情を削り落とせ。心を無にしろ。そして塗り替えろ。なりきるんじゃない。そのものになれ。弱く醜い哀れな老人を、大切な街を襲われ家族や友人が危機に瀕した老人を、藁をも掴む思いで道行く若者に助けを請う老人を、この身体に降ろせ』
 両手で顔を覆い、太一は暗闇の中に身をうずめた。チープな白髪の鬘を、自分の髪の毛のように指に巻き付け、本物の皺が刻まれんばかりに眉間にしわを寄せた。
『俺は要らない。身体を重くするだけの感情なんていらない。惨めさと、弱さと、恐怖と。それだけあればいいんだ』
 いよいよ出番だった。
 老人はよろめきながら舞台に現れた。
「た、たすけてくだせぇ。街が、街が怪物に襲われてるんだぁ」

 太一の演技を目にした瞬間、数え切れないほどの感情の濁流が涼真を襲った。
 台詞の最初の、掠れた感じ。単に同じ単語を繰り返すのではなく、動揺ばかりが先に立つ一つ目と、なんとしても相手に伝えなければと勇気を振り絞る二つ目。語尾の微かな震え。それらすべてがオーディションの時よりも洗練されていたことが、涼真にはわかった。
 たった一言の台詞を何度も何度も繰り返し口にして、研究したのだろう。
 太一の演じたおじいさんの一言が、この後の深刻な戦いを予感させる。これまでにない、強大な敵との戦いがこの先に待ち構えていることを、彼の張りつめた悲痛な叫びが伝えるのだ。主人公の吉田の、自分に酔うばかりの下手くそな演技も、その一言で本物へと変わる。チープな小道具も、緊張感のない音楽も、張りぼても、芸のない照明も、すべてが色めき立つのだ。
 涼真にはわかっていた。長い時間を共に過ごし、太一の演技に対する熱意や、独特の感性を知っていた涼真にだけは、太一の演技の背景が見えた。
 太一は昔から、一つの作品としての完成度と、一人一人の役者の演技は別だという主張を持っていた。
 たとえどんなに優れた役者であっても、その人が脇役を演じるなら、全力で脇役を演じ、主役を引き立たせなければならない。何があっても、役者は役の枠からはみ出してはならない。そもそも人間一人一人にはどんなに下手な大根役者であろうと人間としての有り余る存在感と個性があり、自分の好きなように演技をすると、「少しでも目立ちたい」「この役を機に有名になりたい」などという低俗な欲によって演劇は現実へと引き戻され、偽物へと貶められる。自身の役の意味を全体の流れの中で俯瞰することによって、はじめて演技は本物へと変わり、物語の主軸が浮かび上がる。それが太一の持論だった。
 格下か、少なくとも対等だと思っていた太一が、熱の籠った口調で演技の話をするときだけは、涼真は劣等感を抱かずにはいられなかった。
オーディションのときも、その安いプライドが邪魔になってあまり練習をしなかったのが仇になった。どうせ太一にだけは負けることがないと高をくくり、練習をせず部内オーディションに臨んだのだ。
 でもそれは、太一の演技を見るまでの話だった。ずっと格下だと心の底で、時にはその自尊心を満たすために心の表層において、見下していた親友の演技が、想像の何倍も素晴らしかったのだ。
 太一にどんな変化があったのか? 涼真は自分の膨らみ始めた不安の蕾を手折るべく、そんなことを必死に考えていたが、気がつくと自分のオーディションは終わっていた。
 一縷の望みに期待をかけ、祈るような気持ちで吉田の結果発表を待った。
 そして自分の敗北が知らされた瞬間、涼真は自身の魂が絶望の淵へと追いやられていくのをありありと感じた。
 だが、彼を絶望に追い込んだのが太一であるのならば、彼をそこから救うことができるのもまた、太一だけだったのだ。
 ――俺なんかが、勝てるはずなかったんだな。
 劣等感を通りこした爽快なまでの敗北感に涼真はその身を委ねた。

 一度起きてから二度寝するまでのあいだの、多好感と一抹の罪悪感が溶け合ったようなまどろみを太一は感じていた。
 一度下がった幕が上がる。エンドロールが始まった。
 拍手は、それほど大きなものではなかったのかもしれない。体育館にいる人数はたかが知れていたし、長い劇に疲れ退屈に思っていた人も少なくなかっただろう。まばらで、無愛想な拍手だったのかもしれない。
 けれど、拍手の波をたしかに太一は感じていた。
 高々と手を上げて、精いっぱい手を叩いている金色の頭をした親友を、その目に捉えたからだ。
 幕が閉まる。もう袖にはけなければならない。一秒でも長く、この瞬間が続いてほしいと思わずにはいられなかった。
「みんなありがとう、良い演技だった」
 そう言って、吉田が泣いていた。遮光カーテンの隙間から西日が差し込む舞台袖では、舞い散る埃さえも風花のように輝いて見えた。
 太一は駆け出した。
「殴ってごめん」
 ぼそりと一言だけ、すれ違いざまに吉田に言って、外に出た。
 太一は真っ直ぐに涼真の元へむかった。
『た、たすけてくだせぇ。街が、街が怪物に襲われてるんだぁ』
 それだけの台詞に友情を賭けたことを、ひどくくだらないことのように思っていた。
 でもそれは間違いではなかったのだと、太一はたった今、涼真の涙を見て確信した。
 小学生の頃のプールの授業のあとのような、心地よい倦怠感が太一を包み込んだ。
 くだらない夏休みの集大成。取るに足らない高校生活の結晶。
 それが、たった一つの台詞だった。

                    
                        おわり

友情と演劇と青春と ©むむむ

執筆の狙い

お読み頂きありがとうございます。

先日、三島由紀夫の小説を読んであんな文章が書けるようになりたいと思い、とりあえず一文を長くしてみようと思いました。
また、三人称視点を書くのが苦手だと感じていたので、苦手意識を克服したいと思い、挑戦しました。

読みにくいところが多々あるかと思うのですが、
ご感想・アドバイスを頂ければ幸いです。

むむむ

124.87.202.225

感想と意見

絶望

拝読しました。
むむむさんはコンスタントに若者向けに質のいいお話を書いていらっしゃると思います。

今回は話の筋よりも文章に力を入れた感じでしょうか。
とても読みやすいように思います。
しかし、このお話の筋ならば文章はもっとエキセントリックな感じのほうが良かったのではないかと個人的に思います。

理由は物語が有りがちだからです。

この物語は演劇部が舞台の青春群像劇である。二人の少年の友情は如何に!?みたいな話で、起承転結があり、結末に向かうにあたって登場人物の成長(心情の変化)がみられます。

よくまとまっていますが、新鮮さも衝撃もありません。

大筋や舞台装置や登場人物がベターなのは、べつに問題ではないと思います。

しかし、そのどれか(もしくは組み合わせ)に真新しさや意外性が欲しいです。

また、二人が乗り越える問題が読者からすると小さいです。
無理やり地の文で問題のスケールを大きく見せたり、一つ二つ平行して難点を作るとかそう言った工夫でもしていれば印象が違っていたかもしれません。

なにか、物語に特別な付加価値をつける要素を!

かわいいヒロインとか、かわいいヒロインとか、かわいいヒロインとか。

ミステリーやSF要素とか、異世界転生要素とか。あとは、かわいいヒロインとか。

執筆お疲れ様でした。ごちそうさまです。

話の筋としては、なんというか無難な印象を受けました。

2018-02-12 22:06

1.75.246.137

絶望

再訪
最後のは嫌味じゃなくて消し忘れです。
かわいいヒロインをお待ちしています。
それでは。

2018-02-12 22:09

1.75.246.137

むむむ

絶望様

お読み頂きありがとうございます。
また、温かい言葉を頂きとても励みになります、ありがとうございます。

ご指摘頂いた点はまったくその通りでして、
色々なことが見透かされてしまっているような恥ずかしさもある反面、
丁寧にお読み頂いていることを感じ、とても嬉しく思っています。
文章自体の面白さをもっと追求しないと成長できないのではないかという焦りがあり、
物語をあえて使い古されたようなものにしたのですが、
ご指摘を頂き、自分の未熟さを痛感しています。

「オタサーの姫」みたいなポジションにいる女の子をめぐって
根暗な男二人が取り合いをする、という話も考えたのですが、
最近の小説って可愛い女の子が出過ぎじゃないか? という思いがあって、
いっそ男子校みたいに男しかいない環境なら話は変わってくるのではないか?
というつもりで書きました。
しかしご指摘を頂きました通り、やはりこのままでは物語としての訴求力が足りないのかとも感じ始めています。
可愛いヒロインにはそれだけで続きを読みたいと思わせる力がありますものね……(笑)

もっと文章だけで魅力を持たせられたらいいのかとも思うのですが、
とりあえず作品そのもののクオリティを上げるためにも、お読み頂く方に楽しんでもらうためにも、
ともかく出し惜しみをせず何か真新しさを加えてゆきたいと思います。

丁寧にお読み頂きとても感謝しております。
大変参考になりました、ありがとうございます。

2018-02-12 23:25

60.39.106.59

黒とかげ

拝読させていただきました。
自分を棚に上げ厳しいことを書かせていただきます。

・文章について
  二行目の

  >太一は自分の名前を呼ばれた瞬間、血がどくどくと身体を駆け巡るのを感じた。

  の部分なのですが、これでは主人公がどのような感情を抱いだのかわかりません。「悔しさ」なんか「嬉しさ」なのか、ただ単に「緊張が解けた」だけなのか
  これがこの先の展開で感情移入しずらくなっているので修正した方がいいと思います。
  後全体的に文章の取捨選択がうまくない気がした(クライマックスや盛り上がる部分は多く、説明は最小限に)のでそこを意識してもう一度推敲した方がいいです。
  特に主人公が吉田を殴る場面は、あまりにも唐突で、その部分に説得力を持たせるために大量の文章量が必要だと思います。

・物語について
  正直な所、吉田というキャラがあまりにも傲慢すぎると感じました。
  主人公はこの男のどこに友情を感じるのでしょうか? 自分ならこんな奴と友達になるのは御免です。
  他にも涼真というキャラは本当に必要だったのか疑問を持ってしまいました‥‥。
  涼真の関する文章を全部削除しても物語の根幹は揺るがないですよね。
  作者様がこの物語で伝えたい「テーマ」は何だったのでしょうか?
  そこがはっきりしないため物語自体もふらふらしている印象を思ってしまいました。
  逆に言えば、そこを直せれば見間違えるほど面白くなると思います。

以上です。お互い文章書きとしてがんばりましょう。
  

2018-02-13 19:14

180.39.29.199

むむむ

黒とかげ様
お読み頂きありがとうございます。

血がどくどく駆け巡ったのは、
太一が涼真に勝ってしまうという予感があり、
もしかしたら涼真の役を奪ってしまうのではないかという緊張状態にあったところで、
オーディションの結果が判明し、緊張がほどけ、今度は友情が壊れてしまうのではないか? 
といった不安など別の感情が動き出す、というつもりでした。
もっとわかりやすく書き直そうと思います、ありがとうございます。

勢いのままに書いていたのでご指摘を頂いた通り、
強弱の付け方というか、取捨選択がうまくいっていないのだと私も感じております。

吉田は悪役であり、最後にちょっとだけ可愛いところを見せて、
何とかお茶を濁すだけの存在だったつもりなのですが、
ご指摘を受けて、涼真のキャラクターが弱いことや
テーマの無さを改めて考えるきっかけを頂き、とても参考になりました。

今回、私にとって最も大切だった、
「今まで自分が挑戦していないことに挑戦する」ということに注意を向けすぎてしまい、
物語自体に対してあまり注意を払っていなかったのだと思います。
実際、私が最も伝えたいことが何だったのかよくわからくなってしまいました。

ぱっと今、考えてみたところでは、
涼真との友情を大切にする太一。
一見、血も涙もないように見えて、太一を高く買っている吉田。
でも太一は吉田のことは苦手、吉田は涼真を軽蔑している。
というような、友情の三角関係を描いてみたいと思っています。

時間をかけてよくよく考えなおして書き直してみようと思います。
たくさんのアドバイスを頂き、誠にありがとうございました。

2018-02-14 01:44

60.39.106.59

阿南沙希

 こんばんは、今更ですがコメントさせていただきます。二日前くらいに読んでいるのですが、読後感がなぜかモヤモヤして理由がうまく言葉にならず、ほかの方への返信を読んでナルホドと合点がいった次第です。

 三人称についてはもともとの文章力がかなり高いのであまり問題ありません。一文を長くということですが、私にはわりと普通の長さにみえました。←ちょうどいいという意味です。
 気になったのは、ほかの方も指摘があるように内容のほうです。ただ、上がっている指摘とは少し違います。

「太一のスタンスがわからない」です。

 序盤で太一が涼真の意向を知りつつもオーディションを受けますが、その動機があいまいでした。
 吉田に従って受けたくないけど受けた・・・本当に涼真との関係を重要視するなら、名簿から名前を消されるのを覚悟でオーディションを受けないという選択肢もあったと思います。
 でも、太一はオーディションを受け、最後には熱演までしている。友情を重視するならサボるという選択肢は依然としてあるのにそれはしない。そして後半の地の文では最初から役者を熱望しているかのような太一の信条が描かれていますが、それほど演じることに対して熱心だったら、オーディションの時点で涼真にガチンコ勝負を宣言していてもよさそうです。むしろ、そうしないと太一の行動は全編にわたってかなりあざとくなります。

 そのあざとさを自覚しながら進めても問題ないですし、むしろ太一も自分の欲があった・腹黒かったのだ、というほうが面白いですが、それを涼真に吐露することなく本番の演技だけで関係修復を狙おうとするなら、ちょっと太一に寄りすぎて飛躍しています。涼真にしてみたら、太一が熱演すればするほど、もう取り返せない距離感を感じて、二人の関係は終わるのではないかと。

 なので、「太一が演じることそのものに対してどう考えているか」「涼真と思いを伝え合う」この二点を入れるとだいぶ厚みが出てくるのではないかと。

 太一のとれるスタンスとしては2つあります。

1:ひたすら善人(涼真の視点のみで展開したほうがいいです)
 吉田の策略で涼真を奮起させるためにあえて太一を抜擢した。涼真は自暴自棄になってみせるけど、太一は涼真を批判せず、淡々と練習に打ち込む。その一方で吉田から提案され、太一が役の話を涼真にもってくるが、涼真は突っぱねる。太一の愚直に頑張る姿を認められない涼真だったけど、最終的に太一の熱演を見て彼の思いを知る。涼真が自分から言い出す形で本番までに太一とチェンジすると思っていた吉田はあてが外れた格好になる。

2:どっちも適度に黒い
 涼真は太一を見下していたが、太一も口には出さねど涼真は自分とそう実力は変わらないと思っており、役をもらえないか機をうかがっていた。役をもらえた太一は嬉しいが、涼真が思いのほかショックを受けていて割り切ることができず、役を増やせないか吉田に提案する。これを利用して二人をぶつからせようともくろんだ吉田から、太一の提案を聞いた涼真は太一に激怒するが、太一もまた怒りにまかせて本音をぶちまける。互いの光ばかり見ていて闇をみていなかったことをそれぞれ内省し、本番の演技で、太一も涼真も言葉はなくともあの日の勝敗を本当の意味で受け入れる。


 ・・・このほかにも展開できそうな気がしますが、思いつくのはこの2つでした。今回チャレンジしたような書き込む文体であれば、「誰それが好き」のようなありふれた展開でも、メイン二人のみ掘り下げる格好でもそんなに単純にはならないと思います。人の心の複雑さを書き込むのに適した形式ですし。

 あまり参考にならなかったらすみません。これからも楽しみにしていますね~。

2018-02-15 00:20

126.241.250.168

むむむ

阿南沙希様

お読み頂きありがとうございます。
また、拙作を心に留めてくださり誠にありがとうございます。

文の長さはこれまでがもしかしたら短すぎたのかもしれません、
新しい発見でした。

太一のスタンスについてのご丁寧なご指摘を頂き、ありがとうございます。
何度も読み返しています、特に「最後の解決が飛躍している」というご指摘は、
自分の中にあった違和感を言語化して頂いたように思いとてもしっくりきました。

ご指摘を受けて考えたところでは、

・ずっと涼真の前で良い友人のフリをしていた太一は
 自分の演劇への情熱が邪魔をして、良い友人で居続けることができなくなり、
 オーディションで吉田を悪者に見せかけることで、涼真の役を奪う。
 しかし、罪悪感が募る。

・「太一が演じることそのものに対してどう考えているか」:
 複雑な思いが絡み合う現実とは違い、
 理路整然とした美しい世界で役割を与えられた美しい人形になれる

・「涼真と思いを伝え合う」:
 夏休み明けに教室で、太一は自分が本当は役がもらえて嬉しかったと、
 自分の狡さを涼真に吐露することで、上辺だけの友情が終わる。

・涼真と吉田が腹黒いのかと思いきや、実は太一が最も腹黒い

というのを今は考えております。
もっとゆっくり練ろうとは思うのですが、ともかく太一にスポットライトをあてたいという気持ちが湧いてきました。

大変参考になりました、ありがとうございます。

2018-02-15 01:42

124.87.202.225

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です(テクニカルサポート)。

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3,000字以内