作家でごはん!鍛練場

『未完成のマフラー』

大丘 忍著

私の実体験を基にしておりますが、これは小説ですからフィクションです。二十年前に小説を書き始めた頃の作品で、その後も何度も改稿をしておりますが一番愛着のある作品です。施設名などは実在です。時代は昭和の中期、心臓外科の黎明期です。

未完成のマフラー     47  枚

 のどかな田園風景が切れると列車があえぎ始めた。四国山脈の横断にかかったらしい。列車は右に左に大きく蛇行する。蒸気機関車から吐き出された黒煙が窓の外を流れる。トンネルを抜けるともはや人家は見あたらない。光と暗闇の縞模様の中を、細かい振動を伝えながら列車は進んで行く。トンネルの切れ目がしばらく続いた。窓に迫った山々は、黄や朱でまだらに彩られた初冬の衣装をまとって目を楽しませてくれる。眼下の谷間に巨岩が肌を剥き、清流は水しぶきを飛ばせる。遥か遠くに見える山頂は青黒く靄に霞んでおり、白い空の、水色の裂け目が山並の向こうをゆっくりと飛び去って行く。白く重層した巨岩に包まれた青い水。狭いせせらぎでは川底の岩に白い痕跡を残す。いよいよ大歩危の難所にさしかかったようである。列車はどこまでも登り続ける。
 腕時計を見た。午後三時頃であった。朝早く京都を発って、半日以上列車に乗っていることになる。谷山健介が医学部の四回生の時に学生結婚した妻はまだ大学の四回生、来年の春の卒業なので京都に残している。だから生まれて初めて見知らぬ土地への一人旅である。この分なら太平洋岸の高知市に着くのは夕暮れになるだろう。列車は着実に京都から遠ざかって行く。
 昭和三十五年十二月、大学病院で半年少々の基礎研修を終えた健介は、高知市の日赤病院に三年間の予定で内科医師として赴任した。医師の免許はあるものの、大学病院では指導医の庇護のもとに医療行為を行っていただけであるから、西も東もわからない、まだ半人前の医師に過ぎなかった。これからは、親鳥から巣立った雛鳥のように、全てを自分の責任において行なわなければならない。
 高知日赤病院はベッド数四百五十。各科を備えた県下で最大の基幹病院であった。この病院は、倉本院長を始め、各科医長のほとんどは京都大学医学部出身である。
 病院にはじめて出勤した朝、院長室に呼ばれた。三名の若い男が緊張した面もちで応接椅子に座っている。
「新しく来てもらった先生方を紹介する。皆も仲良くやって下さい」
 健介は、これから同僚として一緒に仕事をすることになる新米医師たちを、雌を奪い合う猛獣のような目で観察した。
 長身で日焼けした男が内科の大谷医師、ずんぐりした男が外科の町田医師、痩せた顔色の悪い男が産婦人科の川村医師。三人とも東京や大阪の私立医大出身であった。
 最後に倉本院長は健介を皆に紹介した。
「内科の谷山先生。京都大学出身。僕の後輩だ」
 院長の声は誇らしげだった。健介だけは京都大学の人事によって派遣された医師であり、他の三人は地元開業医の息子で現地採用された医師である。
 私立医大の出身と聞いて、健介の目は鋭さを緩める。自分より強い奴は居ないはずだ。しかし、それと同時に、彼らを羨望の眼差しで見た。彼らは経済的に優位なのだ。健介が抱き続けてきた、もっと裕福な家庭に生まれていたらという思いが、モヤモヤとした霧となって体を包み込む。そうであったら学生時代、過酷なアルバイトをしないでも済んだのに。
 高知日赤病院は、京都大学の関連病院であるに関わらず、京都大学から新任の医師が派遣されたのは三年ぶりのことだった。
 新任医師同志の紹介の後、健介だけが各科の医長のところに挨拶まわりをした。
「何年卒業?」
「三十四年です」
 殆どの医長は、十年から十五年ほど健介の先輩だ。懐かしそうに大学に残っている同級生の消息を聞く。中には健介の知っている講師や教官がいる。
 最後に産婦人科看護婦詰所にいた池坂医長に挨拶した。池坂医長は川村医師に小言を言っているところだった。
「ご苦労さん、京都から大変だったね」
 池坂医長のしかめ面が笑顔に変わった。
「吉住君、お茶」
 池坂医長の声に応じて、長身の看護婦がお茶を運んできた。
「病棟主任の吉住です」
 二重瞼の目が優しく笑った。健介は姉に対するような親しみを感じた。

 新任医師にも当直が回ってくることになった。その夜は内科の大谷医師の当直日であった。
 仕事が終わって、医局で医学雑誌を読んでいると救急車のサイレンが聞こえた。廊下を看護婦があわただしく走り抜ける。足音が医局で止まり、看護婦が顔を出した。
「重症患者です。ちょっと見てもらえませんか」
「当直がいるやろう」
「それが……」
 看護婦が口を濁した。
「大谷先生が呼んでいますので」
 健介は看護婦に続いて廊下を走った。新米医師の健介に不安がかすめる。救急車で運び込まれた患者を診た経験はない。どんな患者が来たのか。
 運び込まれたのは、三十前の若い主婦であった。蒼白なむくんだ顔で、少しでも多くの空気を取り込もうと魚のように大きく口を開ける。大谷医師は腕を組んでぼんやりと患者を眺めていた。
 家族がすがるような目つきで健介を見た。
「どんな具合や」
 健介は大谷医師に尋ねた。
「ようわからん」
 大谷医師は途方にくれていたらしい。そこで院内の医師を捜させたが健介しかいなかったという訳だ。
 何にも痛いところはない、息苦しいだけです、と患者は何度も息を継ぎながら言った。馬の駆ける足音に似たリズムが聴診器を伝わって耳に届く。患者が空気を吸い込む度に畳を引っかくような不吉な音が胸の底から響いて来る。
 これは重症である。健介の頭を、これまでに蓄積した乏しい経験の全てが駆けめぐった。大学病院にいる時にこれと同じ状態の患者を診たことがある。もっと高齢の老婆であった。心不全と診断した大学病院の指導医は、直ちにその患者に酸素を吸入させて、
「ジギタリスの急速飽和!」
 と叫んだ。
「ジギタリスを葡萄糖に混ぜて、三時間おきに三回静注しろ。それで呼吸困難は改善する筈や」
 健介は指導医の指示に従った。指導医の予言通り、三回目の注射が終わる頃、劇的に呼吸困難が改善した。健介は現代医学の威力に酔った。
 あの大学病院の時と同じ心不全である。酸素吸入とジギタリスの急速飽和だ。この患者もジギタリスで改善することを確信した。
 鼻腔ゾンデを酸素ボンベにつないで、
「大丈夫です。回復します」
 健介は自信をもって家族に断言した。
「大谷先生、ジギタリスの急速飽和や」
 大谷医師は健介の言葉に力無く目を伏せた。ジギタリスの急速飽和を知らないのか。
 健介は看護婦に命じて注射の準備をさせた。
 三回目の静脈注射が終わった。患者の呼吸は楽になる筈である。健介は祈るような気持ちで患者を見守った。
 患者の脈は段々よわくなり、呼吸が不規則になってきた。ジギタリスの飽和は終わった筈なのに、なぜ改善しないのか。血圧が下がってきた。 死に瀕した重症患者の処置は未経験のことだ。健介の頭の中が白くなった。足が震える。
 そうだ。血圧だ。血圧を維持するには……。
「ノルアドをひいてくれ」
「テラプチクだ」
「ビタカン!」
 健介の指示は悲鳴に変わる。
 それをあざ笑うように、まもなく患者の心臓はその動きを停止した。
 病室の窓から外を見た。夜明けの薄明かりが白さを増してきた。
 健介は腕時計を見た。
「ご臨終、六時三十二分です」
 力無く言って頭を下げた。人の死がこんなにあっけないなんて。
 取り囲んでいた患者の家族が遺体に取りすがって号泣する。健介は、患者の家族と大谷医師の非難の視線を感じて救急室から逃げるように立ち去った。
 廊下で吐き気を感じた。目に付いたトイレに飛び込む。洗面台に向かって思い切り胃袋を反芻させた。出るものはない。生唾と涙だけだ。嘔吐に伴う涙とわかっていても鏡に映っている健介の顔は泣いていた。
 なぜ助からなかったのだろう。大学病院での老婆は劇的に改善したのに。健介は、大谷医師に良いところを見せつけたくて余分な口出ししたことを悔やんだ。どうせ駄目なら、当直の大谷医師に任せておけば、こんな惨めな思いをしなくてすんだのだ。
 大学病院で経験した患者に比べれば、貧血が強くむくみも強い。しかし、呼吸困難の原因は心不全に間違いはない。図書室で内科学書を開いて心不全の治療法を調べる。手当り次第、病院にある医学書を漁った。心不全の治療は間違いなく行なわれているのに、なぜ患者は死んだのか。健介を支えた大地が音を立てて崩れ落ちる。健介が信じた現代医学は無力なのか。初めて処置した患者の死は、臨床医学という大海に乗り出したばかりの健介を大きな嵐の中に突き落とした。

 どんよりとした曇り空。健介はコートも着ずに街を歩いていた。太平洋の暖流に運ばれた高知市の風は、京都盆地の冷たさに馴れた健介に、師走であることを忘れさせる。
 健介は後ろを振り返ってみた。正蓮寺の山が灰色の雲に融けあってそびえている。あの山の向こうは四国山脈に連なり、京都は瀬戸内海を渡ってはるかな彼方にある。もはや京都大学の助けは得られないのだ。心細さが足をすくませる。妻の俊子と夏に生まれた息子の貴之はどうしているだろうか。早く高知に来て欲しい。しかし、俊子が卒業するのは来年の春だ。それまで健介は一人で過ごさなくてはならない。
 程なく料亭に着いた。この日は病院の忘年会であった。
 酒が飲めない健介は末席に座ろうとした。内科医長の谷村医師が健介を呼んだ。年末に赴任してきた新任医師たちは上座に座らされた。
「あの患者……」
 口を開きかけた健介を遮って、
「まあ、そんなこともあるやろ。気にするなよ」
 健介を慰めるつもりであろう。谷村医長は豪快に杯を重ねながら言った。大谷医師が白い目で健介を見たような気がした。健介を非難するならどうして自分で処置しなかったのだ。自分は何も出来なかったから健介を呼んだのではないのか。
 隣にいた産婦人科医長の池坂医師が事情を訊ねた。健介は自分の処置が間違っていなかったことを強調した。杯を空けるのも忘れて、健介の説明を聞いていた池坂医長が、
「そりゃあ、自惚れやな」
 とぽつりと言った。
「間違ってないとどうして言える? 臨床医学はな、三年や四年でマスター出来るほど簡単なものではないんやぞ。本当に心不全やったのか?」
「間違いありません」
「じゃあ原因は何や? 弁膜症か」
 健介はあっと声をあげた。弁膜症の雑音ではなかった。
 では何?
 あの異様な貧血は? あの畳をひっかくような雑音は? あのひどい浮腫は?
「腎不全による肺水腫!」
 健介は思わず叫んだ。腎不全による肺水腫であれば、ジギタリスのような強心剤が無効であっても不思議はない。
「それやったら、どうやっても助からんやろ。君の責任ではない」
 谷村内科医長が健介に杯を差し出しながら言った。
 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。大学病院での先入観に惑わされて、原因を考えることなく、心不全と診断したのだ。腎不全による肺水腫と診断しておれば、安請合いはしなかった筈だ。
「困ったときは、先輩医師の指示を仰ぐことやな。これからも色々のことがあるやろ。京都大学を出たって君はまだひよっこやからな。なにかあれば、いつでも相談に来いよ」
 健介の心を見透かしたような池坂医長の言葉だった。健介は恥じた。四人の新任医師の中で京都大学卒業は健介だけである。名門大学を意識していなかったといえば嘘になる。しかし、先輩医師でもこの患者を助けることは出来なかったという言葉が僅かに慰めになった。
 宴会が果てた深夜、病院の図書室で腎不全の治療法を読みふけった。
 年が明けると、思いがけなく俊子が息子の貴之を連れて高知に現れた。引越し荷物が同時に届いた。
「院長先生が下宿まで来てね。早く高知へ来るように言うのよ」
 院長が所要で京都まで帰ったのは知っていたが、そんなことをしたとは思わなかった。
 院長のせいにしているが、俊子もそれを渡りにとやってきたに違いない。卒業までに必要な単位は全部とってあるので、大学には出なくても良いそうだ。
 久しぶりに、狭い下宿に親子三人がくつろいだ。高知にいる間は、もっと広い家を借りなくてはと思った。
 内科病棟と同じフロアに産婦人科病棟がある。内科の看護婦詰所に行くには、産婦人科詰所の前を通らなければならない。産婦人科病棟主任の吉住看護婦は、健介が詰所の前を通る度に、端麗な顔をほころばせて黙礼をする。吉住看護婦の母親が糖尿病で入院しており健介がその主治医であった。
 ある日、詰所の中から池坂医長が健介を呼び止めた。
「ちょっと寄ってお茶を飲んでいけよ」
 健介は中を窺い詰所にはいった。吉住看護婦がお茶をもって来る。
 どうだね、少しは慣れてきたかね、と池坂医長は書き込んでいたノートを閉じて話しかけた。返事をしながらノートに目をやる。
「何のノートですか?」
 池坂医長はノートを開いて見せてくれた。患者の初診時からの診察所見、検査結果、最終的臨床診断、そして手術した場合は克明に手術所見が記載されており、術前診断の当否が文献を引用しながら考察されている。
「こんなノートがね。もう十冊も溜っているんだよ」
 健介は池坂医長の顔を見直した。小柄な体で、飄々と、冗談ばかり言っている池坂医長がこんなに勉強家だなんて。
「臨床医はね。医者になってからの三年間がいちばん大切なんだ。この三年間にどれだけ勉強したかで将来の実力が決まるんだ」
 先輩医師はいたずらっぽく、目をくりくり動かしてノートを閉じた。吉住看護婦が健介を見ながらうなずいた。医師になってからの三年間が勝負だ。池坂医長の助言は健介の心に沁みた。

 四国の太平洋側、高温多湿で日本で唯一二毛作が行なわれる。その日も蒸し暑く、外は雨であった。夜、手術を終えて外科の医師たちは医局でたむろしていた。当直の健介を加えて、医局の片隅で麻雀卓を囲む。
 救急車のサイレンが鳴った。まもなく看護婦が飛び込んで来て、アクーテ・アブドーメンらしいと叫んだ。外科医長が牌を投げ捨てて、手術の用意と怒鳴りながら立ち上がる。アクーテアブドーメンとは急性腹症。原因は何であれ、緊急開腹手術を要する状態のことである。
 二十才過ぎのその女は、放心したように無表情で、白すぎる額に油汗を浮かべていた。血圧低下! 看護婦の声が震える。健介は脈をみた。ほとんど触れない。外科医長が患者の腹部を触診する。患者の顔が歪む。耳元で質問をする。かすかに患者の唇が動く。外科医長は顔を上げた。
「エキストラや! 池坂先生を呼べ」
 健介はその後に演じられた感動的なドラマを忘れることはできない。
 脈は触知されず、血圧は測定できない。患者は呼んでももはや応答しない。一時の猶予も許されない。全身麻酔と輸血の準備が調うのを待ちきれず、池坂医長のメスが一閃した。患者の下腹部から鮮血が噴出する。血液の泉の中に手を突っ込み二度三度探る。手が何かを掴む。助手をしている外科医長が血液を吸引する。掴んだ場所が露になる。産婦人科医長の手は寸分の狂いもなく子宮外妊娠で破裂した卵管の出血個所を掴んでいた。その間、数秒、いや数十秒か? 医師の額に汗が流れる。
 やっと麻酔器が繋がれ、精力的に輸血が開始された。
 ゆっくりと出血部の縫合が終わり、池坂医長は健介に笑顔でうなずいて見せた。患者の脈拍は再開した。健介の目の前で、紛れもなく一人の女が生き返ったのだ。
 健介は練達した臨床医の神技を目の辺りに見た。

 健介は内科勤務と同時に呼吸器科の結核病棟の勤務も命じられた。呼吸器科には胸部外科医が居て結核の外科療法も行なっていたのだが胸部外科医が大学に帰り、欠員のまま内科的治療だけが行われていたからである。半年ほどして三重医科大学から胸部外科医が赴任してきたので、呼吸器科は外科的治療も復活することになった。
 高知日赤病院に心臓病センターができたのは、胸部外科の益元医長が主導したからである。昭和三十年台の半ば、心臓外科はその著についたばかりで、益元医長も結核外科の傍らに、大学病院で何例かの僧帽弁狭窄症の手術を手がけたことがあったそうだ。
 健介は肺結核病棟の受け持ちも兼ね、呼吸器科医員でもあったから、結核外科が再開されると、手術時には手術室に入って、胸部外科の助手を務めていた。
 結核外科はその円熟期を迎え、胸部外科医の関心は心臓外科に向かっていた時代である。心臓病センターはテレビの地方版のニュースで取り上げられ、健介が聴診している姿がニュースで報道されて、高知県下の心臓病患者が集まるようになった。ひところは、同じ高知市内の市民病院の内科では心臓病患者が姿を消したほどの盛況であった。
 昭和三十八年のはじめ頃に、若い女の患者が受診してきた。チアノーゼではれぼったく変形した紫色の唇、赤く充血した目、紫色の太鼓バチ指。聴診すると明らかな収縮期雑音が聴取される。 
 健介は直ちにファロー四徴症と診断した。ファロー四徴症はこれまで数人を診察したことがあったがいずれも小学校低学年までの小児であった。十八歳の患者を診た事はなかった。成人するまでに大抵は死亡しているからである。
ファロー四徴症とは重大な心奇形を有する先天性心疾患である。田津江というその少女は、この病気の特徴をすべて備えている。そして、生きられる期間もあと僅かであろう。この疾患で十八才まで生き延びたことすら稀有のことである。
田津江は入院し健介が受け持つことになった。
「先生、私の病気は治るんでしょうか」
「この病気をどのように聞いていましたか」
「生まれつきのひどい病気で、近くの医者では治らないといわれています」
 だから、日赤病院の心臓病センターなら何とかできると思ったに違いない。テレビでは、僧房弁狭窄症の手術に高知県で始めて成功したと報じられている。
 田津江はすがるような目で健介の言葉を待っている。ファロー四徴症は先天性の心臓の奇形であるから薬物療法で治る事はない。また、症状の悪化を食い止める方法も無い。
「ファロー四徴症は複雑な病気やからね。生まれつきの心臓の異常なんや」
 健介は紙に心臓の絵を書いてその異常を説明した。
「こっちが正常の心臓の図。こっちがファロー四徴症の図。一番問題になるのは、肺動脈へ行く出口が狭くなって、酸素と炭酸ガスを交換するための肺に行く血液が少なくなることや。だから心室のしきり、これを心室中隔と言うけど、ここに穴があって、体から戻ってきた血液がこの穴を通って肺で酸素を貰わないまま、また体を循環することになる。唇や指先の色が赤黒いやろ。チアノーゼと言って、これは酸素が足らんからや」
 田津江は自分の指先を眺めた。
「手術で直すことは出来ないんですか」
 健介は腕を組んで黙り込んだ。田津江がこの歳まで生きていたのは、奇跡的と言える。まだその程度が軽かったからかもしれない。普通ならもっと子供の頃に死んでいるはずだ。
「将来は、根治手術が出来るようになるかもしれないけど、今はまだ根治手術は確立されていないやろうね」
 先端的な一部の病院では、人工心肺を使って根本的手術が研究されていると思われるが、当時はまだ試行錯誤の時代であった。出来るのは狭くなって血流が減った肺動脈に、鎖骨下動脈を吻合する姑息的手術であるが、これを言うことは躊躇われた。高知日赤病院では未経験の手術であり、手術が上手くいかなければ田津江の寿命を縮めることになる。
「私にも手術が出来たらいいのに」
 田津江は力なく出していた手を引っ込めた。
「広島市民病院にアメリカで心臓の手術を勉強してきた先生がいる。そこに入院して手術が出来るかどうか調べてもらったらどうやろう」
「広島ですか」
 田津江は唇を噛んで下を向いた。
「広島まではとても行けない。ここに入院するだけでもやっとだったから」
 貧しい農家の娘では、広島の病院に入院して難しい手術を受ける経済的余裕は無いはずだ。
「この病院で出来ることをやっていただいたら良いんです」
 田津江は諦めたように健介を見た。
「ここで出来るだけのことをするよ」
 健介はそういって慰めるしかなかった。
 田津江は、病気で醜く変形した顔を少しでも隠そうとするようにうっすらと化粧をして健介の回診を待つ。先天奇形を持った体にしては発育がよく、体の外見だけは色白で、きめ細かい肌、それは当に乙女の体であった。
 健介は胸をはだけ、一人前に盛り上がった乳房の下に聴診器を当てる。柔らかい腹部に手を滑らせて触診する。田津江はその間、うっとりと健介を見つめている。
「どうやね。気分は?」
「はい、変わりありません」
 田津江は健介に全てを委ねたように微笑む。
 時々呼吸が苦しくなり、そのたびに酸素吸入が必要となる。最近、その頻度が増してきたようだ。
激しい呼吸困難が起きたとき、吸入マスクを押し戻して田津江が言った。
「先生、息苦しいの! こんなに苦しいのなら早く死にたい。もう酸素を止めて死なせて下さい」
「あほなことを言うたらあかん。田津江は生きているんや。もっと生きてなあかんで」
 健介は田津江の背中を撫でる。
 酸素マスクを付けて、やがて呼吸困難が治まると、田津江が恥ずかしそうに言った。
「こんな私でも生きている値打ちがあるの?」
「当たり前やんか。生きていてこそ人間なんや」
「そうやね。人間は生きているんやもんね。先生、困らせてごめんね」
 健介には田津江の気持ちはわかる。呼吸困難のときの苦しさも何度も見て知っている。何とか田津江に生きる希望を与えなければと思った。
 
「先生にマフラーを編もうと思うの」
 回診に回ったとき田津江が言った。
 毎日、田津江は古い木造の病棟の窓際に座る。外を眺めながら健介への贈り物であるマフラーを編む。呼吸困難がおきても死にたいと言って健介を困らせることはなくなった。
 ある日、田津江は編みかけのマフラーを放り出し、ベッドに突っ伏して泣いていた。
「どうしたの、気分でも悪いの?」
 田津江はそばに寄った健介に取り縋って泣いた。
「先生、わたし治りたい。治ってもっと生きていたい」
 どんな慰めの言葉があるのだろう。治らないことは患者自身が知っている。そして後しばらくしか生きられないことも。健介は無言で少女の肩を抱いた。

「ねえ、先生。やっとこれだけ出来たの」
 マフラーの伸びは遅々として進まないが、それでも編みかけのマフラーを回診の度に健介の首に当てて微笑む。おそらく、マフラーを編み終わったときが死ぬときだと思っているのだろう。
「ここに黄色の縞模様を入れたらどうかしら」
「そりゃあ良いね。出来るのが楽しみやな」
 健介はできるだけ多津江の気を引き立てるように笑顔を作る。
「先生、走ったことある?」
 もちろんある。健介は中学の時、陸上競技部にしばらく居たことがある。高校では卓球部の選手だった。
「私も一度で良いから走ってみたい」
 田津江のような重度の心疾患では、走ることはもちろん歩き続けることさえ出来ない。
「走れなくても、小説を読んだり、詩を書いたりすることは出来るやろう」
 田津江は目を輝かした。
「先生は詩を書くの?」
「僕は書かないけど、友達が書いた詩がある。今度持ってくるよ」
 健介は寄宿舎時代に心臓病患者の友人からもらった詩を思い出した。そこには壊れた心臓でも自分の心臓なんだと書かれている。
 何とかして田津江を励ましてやりたい。生きる希望を与えてやりたい。
 翌日、健介はノートの一ページに書かれたその詩を田津江に渡した。その詩の最後には、
「どんなに壊れていても、こいつはぼくの心臓なんだ。だから……、ぼくは こいつが好きなのさ……」と書かれている。
 田津江はその紙を手にとって何度も読み返し、紙を置いて健介の顔を見た。その目が潤んでいた。
「これはね。僕の友人の詩や。心臓が悪くて皆と一緒に卓球などは出来なかったけど、いつも明るく本を読んだり詩を書いていた」
「そうね。壊れていても、私の心臓だものね。私の為に動いてくれているんだからね」
 田津江の笑顔で健介の心が洗われたような気がした。
 しばらく話し込んで、次の患者の回診に回ろうとすると、幼児がおねだりするように健介の手を離さない。
「先生、もう少し居て。あまり早く行かないで」
 健介は苦笑しながら腰を落ち着ける。
 看護婦詰所に入ろうとして健介は足を止めた。看護婦の話し声が耳に入ったからである。
「あの子ね。回診の前にお化粧しているのよ。あんなお化けのような顔、お化粧しても仕方ないのにね」
「きっと、谷山先生が好きなんでしょ」
「マフラー編んでいるでしょ。谷山先生にあげるつもりよ」
「谷山先生があの子を好きになる訳はないのにね」
 あとの会話は看護婦たちの笑い声で打ち消された。
 怒りが込み上げてきた。看護婦ともあろうものが、病人を笑い者にしていいものか。田津江の純粋な気持ちがお前等にはわからないのか。怒鳴りたい気持ちを押さえて健介は詰所に入った。看護婦は笑い声を収めて健介の顔色を窺がう。

 僧帽弁狭窄症の手術はかなりの症例を重ねていた。手術といっても、人工心肺を用いた開心手術ではなく、左心房の一部に穴を開け、癒着して狭窄した僧帽弁口を指で拡げる手術である。
最初は三重医科大学から教授を呼んで手術を行っていたのだが、最近は呼ばなくても、胸部外科チームのスタッフだけで可能となっている。健介は心臓外科グループになくてはならない一員であった。益元医長はそれほど健介を信頼してくれていた。
「田津江にブラロックをやってみるか」
ある日、益元医長が言った。ブラロック・タウシッヒ手術とは、ファロー四徴症で、鎖骨下動脈と肺動脈を吻合し、肺循環の血液量を増加させる姑息的手段である。根治手術ではないが、成功すればチアノーゼは軽減し、運動能力も改善して延命効果は期待できる。
「三重医大から教授を呼ぶんですか」
「いや、うちのスタッフでやる」
「でも、初めてのことやし、うちでは僧帽弁狭窄症の手術だけで良いと思いますがね」
「しかし、このまま何もしなかったら田津江はどうなる。ジリ貧でもうすぐ死ぬで」
 それはその通りだ。何もしないで死ぬのを待つ。これは主治医としては耐えられないことだ。でも、手術が成功するという保障があるのか。
 田津江にこの手術を行なうかどうかが議論された。健介は手術に消極的だった。血管吻合という未知の技術に対する不安。そして、田津江がその手術に堪え得るかどうかの不安があった。高知日赤病院の心臓外科としては、僧帽弁狭窄症の手術だけで十分ではないか。
「ブラロックはやったことはないが、足の動脈吻合なら二例ほどやったことがある。原理的には同じ事だ」
 益元医長は、僧帽弁狭窄症の手術だけでは飽き足らなくなっていたのだろう。
「けど、危険性は大きいでしょう?」
「まあ、成功率は五分五分というところかな。吻合がうまくいかなければ途中で止めることもできるがね。術中の死亡率もかなり覚悟しなければならない」
 成功しなかったら途中で中止すればいい。うまく行けば田津江の生きられる期間を延長することができる。でも術中の死亡もある。
「とにかく、患者に言ってみてくれ」
 なぜ益元医長が心臓の手術にこだわるのか。胸部外科医なら高度の心臓外科に挑みたい気持ちはわかる。でも、それは経験を積み重ねた専門病院での話だ。
 健介には益元医長の気持ちがわかるような気がする。益元医長は三重医科大学の出身である。昭和三十年代、三重医科大学の教授のほとんどが京都大学出身であり、いわば三重医科大学は京都大学の傍系にあたる。京都大学出身の医長の多い高知日赤病院のなかにあって、益元医長は心臓外科を手がけることで京都大学出身医長を見返したいのかも知れない。姑息的手術とはいえ、ファロー四徴症のブラロック手術は難易度の高い手術である。これを旨く成し遂げれば、心臓外科医としての益元医長の評価は高まるだろう。
「血管を繋ぐ手術があるんやけどね」
 と健介が言うと田津江は目を輝かした。
「私にも手術はできるんですか?」
「手術といっても、根治手術ではないんやけどね」
 健介はブラロック手術のことを説明した。あくまでも姑息的手段で、根治手術ではないこと。田津江の場合は、手術に堪え得るかどうか心配であること。手術死の危険性があること。
「それが上手くいくともう少し長生きできるのですか」
「かなり症状は改善して長く生きられるようになるよ」
「手術で死ぬ危険性はどれくらいですか?」
「さあね」
 健介は言うのを躊躇した。
「どれくらい?」
 重ねて田津江が聞いた。
「はっきりと数字では言えないけど、かなりあると思うな」
「かなりとはどのくらい?」
 健介は暫く口を閉ざした。
「益元先生は五分五分くらいと言っていた」
 田津江は口の中で何か呟いた。田津江は毅然と顔をあげた。
「その手術、やっていただけますか?」
 健介はしばらく沈黙した。田津江にはそんな手術はやりたくないという思いがこみ上げてきた。益元医長の指示で言ってはみたが、健介はその手術死の高さを聞いて、てっきり田津江が拒否するものと思っていたのだ。
「いや、もっと危険性は高いかも知れない」
「かまいません」
 田津江は即座に言った。
「でも、上手くいけば、もう少しは生きられるんでしょ?」
「それはその通りや。でも上手くいけばの話やで」
「十に一つでも上手く行く可能性があるなら、手術をしてもう少し生きていたい。生きて先生のマフラーを完成させたい。マフラーが終わっても生きていたら……」
「マフラーが終わったらどうするの?」
 田津江ははにかみながら言った。
「先生のセーターを編んであげたい」
 健介はまじまじと田津江の顔を見た。健介に全幅の信頼をおき、命の全てを健介に委ねて彼女は微笑んでいる。健介は後悔した。そんな手術のことを言うべきではなかったのだ。しかし、このまま手術しなかったらどうなる? あと何週間だろうか。あるいは、長くても数ヶ月? 田津江はその残された命を犠牲にして、万に一つの可能性に賭けようとしている。田津江を少しでも長生きさせるにはそんな冒険も必要かも知れない。
 患者の家族を交えて、手術の説明が行なわれた。その危険性の大きさを聞いて、家族は後込みした。
「おまえ、手術で死ぬかも知れないんだよ」
 母親が何とか翻意させようとした。かまわない、と娘は親をにらむ。
「おまえ、手術で死んでもいいのかい?」
 田津江がうなずく。
「そんなに死にたいのか!」
 たまりかねて父親が叫ぶ。田津江はじっと父親の顔を見つめる。その目から涙がながれ落ちた。
「手術しなかったらもうすぐ私は死ぬ。もし手術が上手くいけばもう少し生きられる。私はもう少し生きていたいの」
 田津江の涙は両親には理解できないだろう。田津江が死にたいとい言って健介を困らせとことを、田津江がもっと生きたいと言って泣いて健介にすがったことを両親は知らない。健介はいたたまれずに席を外した。
 成功するかどうかわからない初めての手術の日が決定した。手術の当日に回診した時、田津江は一生懸命にマフラーを編んでいた。まだ八割しか完成していない。
「全部出来上がらなかったけど、ごめんね」
 田津江は未完成のマフラーを差しだした。
「手術が終わって、また続けたらいいよ」
「うん、そうする。でも……」
 と田津江は続けた。
「もしも出来なかったらごめんね」
「大丈夫や。きっとできるさ」
 なんとうつろな、空しい言葉だろう。健介の心は後悔で打ち拉がれていた。健介は医師として重大な間違いを犯したのではないのか? 益元医長の指示を、主治医として毅然と断るべきではなかったか。でも、手術が成功して、田津江が喜ぶ姿を見たい。田津江は十に一つでも可能性があれば手術を受けると言ったのだ。
「先生、手術で私が死んでも、先生は悔やむ必要はないよ。私が決めたことだから」
 何という言葉だ! 健介の顔は硬直した。思いきり田津江を抱きしめてやりたかった。無理やりに笑顔を作り、大丈夫だよ、と空しい言葉を繰り返した。
 部屋を出ようとした。先生、と田津江が呼びとめた。健介が振り返る。先生、大好きだよ。田津江がはにかみながら言った。じっと健介の顔を見る。僕も好きだよ。涙がこぼれないうちに、そそくさと部屋を出た。何としても助ける。死なせてなるものか。
 益元医長がメスをとる。左の脇下が大きく切り裂かれ、どす黒い血が流れ落ちる。目につき易い胸や背中に傷跡を残さない為の腋下開胸法で、これは京大胸部外科の開胸法である。肋間に開胸鈎を入れて手術野を確保する。鎖骨下動脈を遊離し、それを肺動脈に吻合するのだ。思いのほか、肺動脈が細い。これでは吻合が難しい。血管吻合。健介たちのチームでは初めての手技であった。
 手術は思うように進まなかった。時間は無情に経過して行く。予定の時間を大幅に超えていた。益元医長の目に焦りが浮かぶ。健介は神に祈った。頼む。頼むから繋がってくれ。やっと縫合に成功した。益元医長がほっとため息をついた。
 血圧が下がりました、と麻酔医の慌てた声。健介の心臓の鼓動が早くなった。酸素の量を増やせ。益元医長の声がうわずる。昇圧剤を投与し、大急ぎで閉胸した。
 血圧は回復しない。手術チームに憂慮の色が濃くなる。田津江は助からないのか? 急に部屋の空気が希薄になったような無力感。田津江の笑顔が脳裏を走る。田津江が死ぬ。そんな馬鹿な。健介は麻酔医に代わって、機械人間のように麻酔器のゴム袋を押し続けて酸素を送り込んだ。
「脈が止まりました」
 看護婦が乾いた声で告げた。益元医長がのしかかるようにして田津江の胸を圧迫する。心臓マッサージである。五分、十分。息詰まる時間が経過した。脈拍は戻らない。益元医長が離れて首を振った。そんな筈はない! 健介は大声で叫んで、田津江の胸に飛びついた。自分の全体重をかけてリズミカルに押える。田津江! 健介は叫んだ。二十分、三十分。健介は押し続けた。健介の涙が汗と混じって田津江の胸を濡らし、健介の手をすべらせる。
「もう諦めろ」
 益元医長は健介を引き離そうとした。その手を払いのけて、健介は押し続ける。もはや誰一人として健介を止めようとはしなかった。押し疲れて離れたのは一時間経ってからであった。
 いつの間に来たのか、池坂産婦人科医長がこの光景を見つめていた。
「手術は旨くいったのに」
 益元医長が呟いた。その言葉を健介は聞き逃さなかった。
 手術が旨くいったって、患者が死ねば何にもならない。大体、この手術は初めから無謀だったのだ。心臓外科医としての功名心が無かったと言えるのか? 
 健介は田津江を死なせた怒りを益元医長にぶっつけた。益元医長は苦渋の面もちで黙って健介の非難を聞いていた。
 こんな手術に手を貸した自分自身が悔しい。あれほど生きていたいと言っていた田津江が、まさしく健介たちの手によって、死の世界へ追いやられたのだ。
 言いたいだけ言って、健介は頭を抱えた。
 何の反論もしないで、家族に説明するために益元医長はその場を離れた。
「ちょっと来い。風呂に入るんだろう?」
 池坂医長が健介を招いた。二人で手術場の風呂に入る。
 湯船で向き合った池坂医長の顔は、これまで見せたことがない厳しいものだった。
「益元先生に何てことを言うんや。君もこの手術には賛成したんやろう。君に益元先生を非難する資格があるのか。益元先生に謝れ」
 声に怒りが溢れていた。健介は凝然として先輩医師の顔を見つめた。ふっと、池坂医長の表情が和らいだ。
「益元先生だって、患者を助けようとして精一杯の努力をしたんだよ」
 池坂医長は健介を諭すように言った。
 助からなかったのは結果論に過ぎない。益元先生は今ごろ家族の非難の矢面に立たされているだろう。助かれば神様のように言われ、助からなければ鬼のように罵倒される。これがメスを持つ身の宿命だ。同じメスを持つ仲間の君まで外科医を非難すれば、外科医の立つ瀬はないだろう。
「外科医はね。いつもこんなぎりぎりの瀬戸際に立っているんやで」
 そしていつもの剽軽な表情に戻った。
「わかったな。わかったら俺の背中を流せ」
 健介は丁寧に背中を流した。
「君は外科医になるには、気が優しすぎるかも知れないな」
 気持ちよさそうに健介に背中を任せて先輩医師は言った。
 幾多の修羅場をくぐり抜けた練達の臨床医の言葉であった。健介は自分の浅はかさを恥じた。そんな外科医の苦悩を知らずに、ただ外科手術の華やかさに憧れていただけではないのか。健介は外科医には向いていないのかも知れない。
 そして決心した。やはり古巣の京大第二内科へ帰ろう。経済的に許せば、内科学研究者としての道を歩もう。
 風呂から出て健介は益元医長に暴言を詫びた。
「わかってる。気にするなよ」
 益元医長は言葉少なに健介を慰めた。彼も又、修羅場をくぐり抜けた臨床医だった。少ない言葉にこそ、健介への彼の思いやりを感じた。

 赴任して三年目の年末が来た。大学に帰らねばならない。健介は高知市の町並みを歩いた。古い民家が雑然と続く。車が砂埃をたてて走り抜ける。振り返って病院の建物を見る。一際高く、白い壁を見せてひっそりと立っている。
 夢中で過ごした三年間であった。当直で初めて遭遇して亡くなった心不全の患者を思い出す。大学病院で見た心不全の患者と同じような症状だった。大学病院では指導医の指示で強心薬であるジギタリスの急速飽和を行い、見事に奏功して患者は回復した。そのときの経験を思い出し、安請け合いをしてジギタリスの急速飽和を行ったが患者は死亡した。この患者は腎不全による肺水腫だったのだ。肺水腫なら健介が逆立ちしたって助けることは出来ない。このときは安請け合いを悔いたものだった。
 当直の夜、急性腹症の若い女の患者が担ぎこまれた。手術を終えたばかりでまだ院内に居た外科医長が子宮外妊娠と診断し、池坂婦人科医長が呼ばれた。脈も触れないし、血圧も測れないショック状態の患者の下腹部に池坂医長のメスが一閃した。鮮血が噴水のように吹き上げる。その血液の泉の中に差し込まれた医長の手は何かを掴んでいた。血液が吸引されたとき池坂医長の手は寸分の狂いもなく、破裂した卵管の出血部位を掴んでいたのだ。池坂医長の手で患者は奇跡的に生還した。
 生きることを夢みて、手術に全てをかけて死んでいった田津江。最後に「先生好きだよ」と言った田津江のはにかんだ顔は一生忘れる事はできないだろう。
 健介の脳裏にこれまでの出来事が巡る。
 なんと自分はちっぽけな存在なんだろう。希望に燃えて、意気込みこんで赴任してきたこの病院でなし得たことにどれだけの価値があるのか。これから修練を積むことによって、自分にも池坂医長のように自信にあふれた診療が出来るようになるのだろうか。
 健介はもう一度白い建物を見上げた。健介の高知市での苦しみも喜びも、すべてこの白い建物の中に刻み込まれているのだ。
 妻は息子と高知で生まれた長女を連れて一足先に京都に帰っている。新しい下宿が見つかったと嬉しそうに電話で知らせてきた。
 翌日、健介は高知空港から飛行機に搭乗した。双発機の窓の下には、高知市の町がぼんやりと映っている。
 健介は未完成のマフラーを首に巻き直した。せめてこのマフラーだけは完成させてやりたかったのに。この続きは妻に編ませよう。
 双発機の振動とともに高知市は視界から消えていった。

未完成のマフラー ©大丘 忍

執筆の狙い

私の実体験を基にしておりますが、これは小説ですからフィクションです。二十年前に小説を書き始めた頃の作品で、その後も何度も改稿をしておりますが一番愛着のある作品です。施設名などは実在です。時代は昭和の中期、心臓外科の黎明期です。

大丘 忍

153.190.54.69

感想と意見

アトム

このような感動話しは少々陳腐ですが、あきないですね。
交わったひとらは、いつまでも田津江さんを忘れないでほしいーーそんな気持ちが湧いてきました。
それが生きていた証だから・・・。

読み応えがありました。

2018-02-10 11:23

126.169.40.129

絶望

泣きました。
よかったです。

だけだと、あれなので気になった点を二つほど。

・十に一つでものあとに、万が一という誇張表現に置き換えていたところ。

・最後の総まとめがまんまあらすじっぽ過ぎたように思います。
はしょったり、あとそれら3つにエピソードにそれぞれ、主人公にどのような気概を起こさせたかを書いてあっても良かったかなと。
あと、三年間の感想なら、本編以外のエピソードも匂わせたほうが自然ではないでしょうか。

・・・

ついでに、
良かった点

・医学用語を注釈などに頼らずしっかり説明してあったところ。

・全体的に面白かった。楽しめました。

以上、有難う御座いました。

2018-02-10 17:36

1.75.246.137

絶望

捕捉と訂正

接続詞間違えました。
エピソードに = ×
エピソードが =○

あと、ブラホック…おっと間違えました、ブラロック手術の説明が、前述の説明とかなり重複していた点も気になりました。
一文、前に説明しようと躊躇ったあのとか、そんな文句を足すか、もうちょっと他の表現に置き換えるか(特に姑息的手術というワード)して欲しかったです。
その話前にもしてたよね、みたいなつまらない茶々を頭のなかで思い起こしました(あくまで個人の見解ですが)。

2018-02-10 17:54

1.75.246.137

大丘 忍

アトム様

 読んで頂き感想をありがとうございます。

 田津江という患者は架空ですが、ファロー四徴症という心臓病は何例か診た経験があります。皆低学年の小児でした。もし、これが思春期まで生き延びたらと想像してこの小説を作りました。難病で悩む患者の悲哀を取り上げるなら、よほどうまく書かなければ陳腐になりますね。これは一つの試練です。そこをうまく描くのが実力でしょうが。

2018-02-10 18:00

58.0.104.143

大丘 忍

絶望様

 読んで頂き感想をありがとうございます。

 十に一つ、万に一つ。どちらも具体的な数字ではなく、単に可能性が低いという田津江や健介のイメージを表したものですが、くどすぎたようですか。
成功しなけれ死ぬという切迫感の表現で、主治医の健介の危惧を強調したつもりでした。
 ブラロック手術の説明は同じことを繰り返しておりますが、専門的なことになりますので、わかりやすくするためにあえて繰り返しました。やはり、くどい感じがしましたか。

>・最後の総まとめがまんまあらすじっぽ過ぎたように思います。

 これは随分迷った所です。これは原稿用紙30枚にまとめて、某地方文学賞に投稿しましたが、そのためには心臓の手術を中心にし、健介が高知を去るにあたって思い浮かべた、初めての患者の死、婦人科手術の感動は省略しました。本作ではそれを記述しておりますので、本当は不要、重複だと思いましたが、健介の思いを強調するためにあえて削らずに残しました。本当は削るべきかと思ったのですが。

 再訪して頂き有り難うございます。

2018-02-10 18:23

58.0.104.143

あでゅー

あでゅー

やはり実話に即した話は説得力がありますね。
世の中のお医者が皆大丘さんのような人だと思いたいです。

2018-02-10 18:41

106.154.108.106

加茂ミイル

こういうしっかりしたテーマ性のあるものが書けるというのはとても強みになると思います。

時々分からない言葉が出ても、それを分かりやすく説明してくださるし、そういうのを読むと、勉強にもなれて、こういう作品はとても好ましいです。

2018-02-10 19:19

223.217.27.149

ラピス

医師として生きてこられたことは、小説を書くにあたって大きな強みですね。
大丘様の作品は現実にあり得るから、読み応えあります。

醜い顔に化粧していた女心が泣かせます。病気でなければ、きっと美しい少女だったに違いありません。

私が気になったのは、医師らが患者を田津江と呼び捨てにしていたことでしょうか。
そして、もうひと押し何かがあれば、涙が流れたかもと思いました。

では、ご健筆を。

2018-02-10 19:57

49.106.203.66

大丘 忍

あでゅー様

 読んで頂き感想をありがとうございます。
 確かに、実体験を描くのは説得力があるしまた書きやすいですね。その点、私には書けないことも沢山あります。
 会社勤めをしたことがないので、上役のご機嫌取りなどや、得意先を回る営業などは全くわかりません。

2018-02-10 22:51

58.0.104.143

大丘 忍

加茂ミイル様

 確かにこのようなテーマがはっきりしたものは書きやすいですね。全く事実とは関係のない空想的なストーリーも書けるようになりたいですね。
 読んで頂き感想をありがとうございます。

2018-02-10 22:54

58.0.104.143

大丘 忍

ラピス様
 読んで頂き感想をありがとうございます。

>私が気になったのは、医師らが患者を田津江と呼び捨てにしていたことでしょうか。

 医者同士が患者について情報交換で話し合う時には普通は「さん」という敬称を付けることが多いですね。とくに年上の患者には。
 しかし、年少で親しみを持っている患者には、「さん」なしで呼ぶことがあります。親しい友達同士が名前を呼び捨てにする感覚
と同じですね。

2018-02-10 23:03

58.0.104.143

阿南沙希

 はじめまして、読ませていただきました。ファロー四徴症、ちょうど耳にしたばかりだったので、少し昔はこうだったのかと思いながら読ませていただきました。今は根治可能ですが何度も手術しなくてはいけないし、患者さんはいずれも小さな子なので、家族や本人の体力的・精神的な負担、その後のケアなど、複雑な気持ちになります。…って、話がそれました。

 より改良を重ねるために、という点で気になったことをいくつか挙げさせていただきます。

1:前半が長い
 大きな手術や患者の死など田津江さんに入るまでのエピソードがちょっと長いです。そのエピソードが田津江さんを診る時に下地としてどうしても必要かというと、そうでもないのでは。医師の判断ミス、場合によっては患者は死んでしまう等は田津江さんの展開からすると主人公の自己防衛のための滑走路的エピソードともとられかねないですし、田津江さんの展開に同じ教訓が詰め込まれているので同じことを二重に書かれている気がします。医療用語を駆使した描写なども含め、田津江さんのエピソードにいきなり入って、そこにすべて凝縮するほうがまとまりがいいと思います。

2:医師と患者が相互理解していない
 時代的に仕方ないのかもしれませんが、田津江さんの命を左右する決断が、彼女の心からの決断であったのか測りかねます。もし私が医師の立場であれば、手術してくれといってもそれが主治医への恋心ゆえにすべて任せるという類なら、もっと考えるよう諭すかもしれません。一時期診るだけの医師のためなんかではなく、自分の人生のためにどうするか考えて決断をしてほしいです。憎からず思っている患者ならなおのこと、後悔しないように生きてほしいので。
 こういったことは現在ではインフォームドコンセントが周知徹底されていますが、かつては医師それぞれの裁量で、患者の思いを汲み取った医療行為は存在していたのではないかと。見えない決断として、無言の医療行為として、行われていたのではないでしょうか。
 また、現代でも常に患者の心境を深くくみ取っているかどうかはまた別問題で(とにかく治療を急いで同意はとったけど内実ともなっていなかったために足並みがそろわず、術後の人間関係が破たんするケース等)、現代にも通じる箇所のように思います。このお話においてはその決断の描写が甘かったというか、田津江さんの真意をスルーしているようにみえ、さらに前後の展開も医師の権力闘争のあらわれのように書かれていて、田津江さんは恋心があったばかりにその踏み台になったような印象をもちました。ここはフィクションにしてでも改良の余地はあると思います。

3:主人公は逃げたのか
 最終的に主人公は外科ではなく内科の道を選びますが、そのくだりが消極的で、もっとポジティブな方向性にしたほうがいいと思います。外科は自分には無理だと思ったから内科…となると、立ちはだかる壁に向き合わずに逃げた感がすごくあります。実際、消去法で道を決める人もいますが(外来が嫌だから麻酔科とか)、この流れでお話として書くなら「この三年間をふまえてこういうところに注力する必要があって内科を目指す」のような形の方が、今後成長していく主人公がじょじょに方向性を定めて歩き出していくという流れになるのではないかと。


 あと、先に指摘がありましたが、私も田津江さんを呼び捨てというのは違和感がありました。十歳くらいまでの小さい子や男子、男同士であれば呼び捨てでもいけますが、主人公はいってて30そこそこ、田津江さんは18歳だと、年齢差やその後の恋心のくだりなどを総合して、呼び捨てするにはやはり彼女は大きすぎるし、まずは打ち解けるというより、怖がられそうな気がします。
 また、細かい点ですが、最後に編みかけのマフラーを奥さんに編ませる発想はやめておいたほうがいいと思います。田津江さんは主人公が結婚していること知らないですよね? 自分が命の限りまで一生懸命編んでいたマフラーを、のうのうと生きている奥さんがあっさり手にして続きを編んでいる姿…田津江さんの亡霊がそれを見たら、たぶん奥さんを呪い殺したくなるのでは。奥さんが田津江さんのエピソードを主人公から聞いて、その思いを受け継いで完成させる、というなら成立すると思いますが、ちょっと長いですし、たいていの人はそういうの気味悪がってやりたがらないですし。。。編みかけのまま大事にしている、で充分ではないかと思います。
 
 いろいろ書いてしまい、すみません。何か一つでも参考になればうれしいです。お互いにがんばりましょう。

2018-02-11 00:00

126.241.239.61

大丘さん

拝読いたしました。
今回は田津江さんの両親と田津江さんのやり取りにジーンとしてしまいました。

ただ、前回の『最後の絵葉書』に比べると、時系列で並べ、最後に主人公の回想シーンがあり、まとめがある……と言った感じで話の組み立て方は
スケール感がコンパクトな印象、主題についても主人公の成長を書きたいのか、田津江を通して生とは何かを書きたかったのかぶれているように思います。

タイトルの『未完成のマフラー』から推察するに田津江のことを書きたかったんだろうな……と思ったので、例えばですが……

内科医として町でも評判の良い開業医となった谷山。谷山には日課があり、院を開ける前に古ぼけた、しかも編みかけのマフラーを首に巻き、目を閉じて「もっと生きてなあかん」と呟くことで病院の事務員や看護師たちからも「真夏にもマフラーだなんて」と揶揄される……

と、『最後の絵葉書』で考えたようなストーリー展開で書いた方が面白いような気がしました。

内科医の名医が実は外科医の落ちこぼれだとか、ギャップも出るし、田津江のことを教訓に谷山が内科医として最善を尽くす事にして、最後の締めも

>最後に「先生好きだよ」と言った田津江のはにかんだ顔は一生忘れる事はできないだろう。

と書いていただいたところに帰着した方が読む方も主題がスッキリとして読めるように思いました。

また、個人的な好みでいえば奥さんに続きを作ってもらうのは、続きを編んでしまうのは看護師達が「回診の前にお化粧しているのよ。あんなお化けのような顔、お化粧しても仕方ないのにね」と同じように田津江の恋心を谷山自身が否定してるようでなんだか嫌です。奥さんや子供の登場は完全に蛇足かな……と感じました。

2018-02-11 01:37

116.0.177.37

大丘 忍

阿南沙希様

 ファロー四徴症は、現在では人工心肺による開心術の進歩で根治手術が可能になっておりますが、この小説の当時は人工心肺は一部の先進病院のみ可能で、ブラロックという姑息的手術が精一杯でした。しかし、現在でも大変な手術には変わりありませんね。

 前半が長いという印象は、主人公の健介医師が大学病院の研修から離れて、派遣先の病院での独り立ちをするときの不安感を表現したいためでした。私の実体験でも、自分の知らない病気の患者が来たらどうしようかと不安感に駆られながら外来診療をしたことを思い出します。慣れたらそんな不安は杞憂に過ぎなかったのですが。新米医師にとっては、先輩医師たちの練達した技量は脅威でした。自分もあんなになれるのかという不安を感じたことを思い出します。この気持ちはあとの経過に微妙な影響を与えているのですが。30枚制限の応募時にはこの部分はカットしております。

>2:医師と患者が相互理解していない
 この点については若干誤解があるかと思います。ファロー四徴症は予後不良、つまり命は短いという事があります。通常は何もしなければ小児の時に死亡します。18歳まで生きていたことが奇跡的ですが(小説ではあえてそのように設定しております)、何もしなければ間もなく死亡することは明らかです。でも姑息的手術であっても手術に成功すれば生存期間が延ばせる。しかしその手術死の危険性は大きい。さあどうするか。主治医の健介は主手術を躊躇しますが、患者の田津江はその延命手術の危険性を承知の上で希望する。そこにドラマが生じると考えました。
 主治医の健介は悩んだ末に患者の希望を受け入れます。それは患者の気持ちが理解できたからです。この辺りの描写が不十分であればこのような気持ちが読者に伝わりにくかったかもしれません。健介はなぜ医長がこのような手術をしようとしたのか、批判の心を抱いております。医長の功名心が無かったといえるか、ですね。その背景として、当時の医師にはびこっていた学閥意識を示しております。当時は、医師仲間の学閥意識は他の業種に比べればはるかに強烈でしたから。しかし、手術に失敗して、医長を咎める言葉を吐いたことを尊敬する婦人科医長から諭されます。この辺りの描写は本作の一番のキモだと思いますが、それが伝わっていなかったとすれば、もう少し表現を考えなければなりませんね。
 インフォームドコンセントに触れられておりますが、当時でもそれはありました。健介医師は主治医としてこの危険性は十分に説明しております。それでも患者は手術を希望するとなれば、主治医はそれに賭けるしかありません。手術しなければ間もなく死亡することは確かなのですから。
 ただ、患者が主治医である健介を愛していたからという事はありません。患者の田津江が回診の前に化粧をする、好きですと言葉に出したとしても、それは田津江のぎりぎりの気持ちであり、一般的な男女間の愛情とは別物です。いわば、普通の男女間の「好きです」ではなくて、好きなタレントに対するような気持ちだと思っております。主治医には妻がいることは知っているだろうし、そのような意味での「好きです」ではありませんね。私はそのように書いたつもりですが。

>3:主人公は逃げたのか

 健介は、大学の内科から派遣された内科医です。それが派遣先の病院で呼吸器科医員も兼ね、胸部外科手術場にも入るようになり、手術の緊迫感に惹かれて外科医になろうかと迷います。しかし、田津江の手術に失敗したことで医長を非難した言葉を尊敬する産婦人科医長に咎められます。そこで初めて自分は外科の華やかさにあこがれていただけだということに気が付きます。したがって、大学に帰るときは古巣の内科に帰ろうと決意したわけです。
 私自身の実体験として、ファロー四徴症の手術は別として、胸部外科の手術には助手として立ち会ったことは何度もあります。時には簡単な手術なら任せてもらったこともあります。赴任期間が終わって大学に帰るときに、大学の胸部外科が受け入れてくれる話までありましたが、熟慮の上古巣の内科に戻りました。今から考えて結果的にはそれで良かったと思っております。内科だからこそ、85歳の今、現役医師として患者さんに接することが出来るのですから。
 田津江の呼び捨てに関しては先の感想者への返事にも書きましたが、直接に呼び捨てている訳ではありません。医師同士が連絡の時に患者の名前を示す場合で、我々がたとえば「村上春樹の小説」と言うがごとき感覚です。
 未完成のマフラーを妻に編ませようというのは、未完成のままでは使えませんね。捨ててしまうのであれば構いませんが、田津江の意思を尊重して使おうと思えば完成させて使えるようにしなければなりません。妻がそれを嫉妬することはありません。

 丁寧に読んで頂き、多くの点を指摘して頂きました。これらのご意見は非常に参考になることで感謝しております。

2018-02-11 14:46

58.0.104.143

大丘 忍

秦様

>先生、大好きだよ。田津江がはにかみながら言った。じっと健介の顔を見る。僕も好きだよ。涙がこぼれないうちに、そそくさと部屋を出た。何としても助ける。死なせてなるものか。

 この大好きという言葉は、阿南沙希様への返信にも書いたように、普通の男女間の好きではないのですね。好きなタレントに対する「好き」のようなものであって、田津江の恋心というより、主治医としての健介への好意ですね。もし田津江がもう少し年上で、間もなく死ぬという不治の病気でなかったら、医師と患者の間に恋愛が成立する余地はありますが、本作では全く問題外になります。しかし、このエピソードを入れることにより、健介が田津江を助けたいと云気持ちが一層濃厚に表現できるのではないかと思いました。だから、普通の男女間の「好きです」とは違うように書いたつもりです。

 前作の「最後の絵葉書」は、医療現場の描写には実体験を入れた部分がありますが、多くはそれをもとにした創作でした。本作は、田津江という患者は架空ですが、それ以外はほとんどが実体験です。やはり、小説では実体験を描くのが書きやすくて作り物ではない迫力がありますね。

 読んで頂きいろいろな感想をありがとうございます。

2018-02-11 15:12

58.0.104.143

文緒

こんにちは
拝読しました。

編みかけのマフラーですが、奥様が嫉妬するしないではなく、田津江さんの思いを踏みにじっていると、私も思いました。
そのままそっとしておくのが、田津江さんへの供養ですし心配りでしょう。

呼び捨てもやはり違和感があります。
直接、田津江と呼んでいるシーンもあります。
たとえば、田津江さんが小児科からずっと入院していたなら、謙介先生が老齢な医師なら、まだわかりますが、
若々しい主治医から名前を呼ばれれば、純粋培養の中にいる田津江さんには、先生に恋しなさい、そう言っているようです。
ギリギリの恋慕、好きなタレントへの思いだと、本当にそうでしょうか。
私が同じ状況におかれたとして、その思いは正に命を賭けた、一途な愛だと思うのですが。
田津江さんが命の危機になければ、よく言われる、一時の憧れで済んだでしょう。
でも、明日をも知れないんですよね。
そこが物語の肝だとしても、田津江さんの一方的な一途さは別にして、不必要な優しさは、
医師の立場以上の優しさは、プロならあってはならないことだと考えます。
私情を挟まないのは難しい医師と患者、だからこそ健全な距離を保つべきでしょう。
田津江さんに儚い夢を見せて、結果命を失うことになった。
人を愛するという経験ができて幸せだったかもしれませんが、医師としては猛省するべき田津江さんへの態度だと思います。
実在の大学や病院を登場させるのにも違和感がありました。
所謂「白い巨塔」ばりの裏話は今でも変わりませんし、敢えて実名で暴露する必要性があったのか。


お医者さんでいらっしゃる大丘さんならではの御作でした。
医者と患者、いくつかの病を得て通院している身としては、その難解な関係性をあらためて考えさせられました。

拙い感想を書き連ねました。

ありがとうございました。

2018-02-11 15:54

126.212.165.153

黒井太三郎

世の中のお医者さん物は面白いですね
精神科ものも読んでみたい

2018-02-11 20:54

121.109.111.65

大丘 忍

文緒様

 やはり患者の名前を呼び捨てにすることには抵抗がありますか。とすれば考えなければなりませんね。外来患者と接するのは一人の患者については、多くても月に二、三回くらいですが、入院患者と接するのは毎日、それも外来患者の診察より長い時間接することになります。当然、医師と患者との信頼関係が生じます。20代後半の医師と10代の女性患者では、妹のような親近感が生まれます。田津江は架空の人物ですが、実体験として、肺結核で入院していた高校生には、やはり妹の様な親近感で励ました記憶があります。その時の経験からこのような表現になりました。
 医師が患者に接する心構えが昔と今と違っているのもあるかもしれません。今は、模擬試験の偏差値が高いから医学部を受けるということが有るそうですが、私の時代には、いったん理系の学部に入り2年間の教養課程を修了して改めて医学科を受験するという制度でした。大学で2年経つうちに本当に医師になりたいのかどうかを確認するという事でした。私は医師になるつもりではなく工学部に入りましたが、寄宿舎で多くの学部の学生と接するうちに医学部に行きたいと思い医学に転向しました。
 実在の大学や病院名を使ったのは、当時の状況は架空ではなく実際の事だったことを知ってもらいたいからです。存在しない架空の名前は単に私が想像ででっちあげた事ととられても仕方がありませんが、実在の名前を出せば説得力があると考えたからです。
 マフラーに関してはそのような意見が多いことに驚きました。私は単純に妻に完成させて使った方が田津江の意に沿うと考えたのですが、女性から見れば違うようで非常に参考になりました。
 田津江の心臓手術という劇的な出来事は創作であるにしても、その他の状況は私の実体験に基づいたことですが、まだその本意が伝わっていない点に問題がありますね。読者は作者が思った通りに受け取ってくれるとは限らないという貴重な教訓です。以後の作品にはこの点を注意したいと思います。

 読んで頂き貴重な感想をありがとうございます。

2018-02-11 21:34

58.0.104.143

大丘 忍

黒井太三郎様

 読んで頂き感想をありがとうございます。精神科領域は専門外になりますので、小説の話題としては書きにくいですね。

2018-02-11 21:36

58.0.104.143

大丘さん

再訪致します。

最初の投稿で「恋心」と書いたから語弊があったかも知れませんが、田津江のそれはもっと淡いものだというのは伝わってきています。

でもそれはタレントとかに向けられるものとは違うと思うのです。(ここはこの作品にとって肝心要なところだと思うので改めてご推敲ください。)

病気になって死を目の前にして、心細くなっている田津江にとって谷山の存在とは何か。

それは死の床にあっても自分をよく見せたいと思わせ、化粧をさせる原動力にも繋がっています。

今回の大丘さんの書いた「田津江」と「谷山」の関係を読んで、Mr.Childrenの「himawari」を思い起こしたのですが……。

cf.https://g.co/kgs/qfHrZZ

田津江にとって谷山は「希望」そのものだったのではないでしょうか?


「こんな私でも生きている値打ちがあるの?」
「当たり前やんか。生きていてこそ人間なんや」
「そうやね。人間は生きているんやもんね。先生、困らせてごめんね」

このあたりは会話文だけで端的に書いていますが、田津江の「こんな私でも生きている値打ちがあるの?」の裏にはもっと複雑な思いが隠れているように思います。

大丘さんは、この作品を通してどんな事を書きたかったのでしょう?

もう一度主題を絞ってみて、田津江の心情や、普段の谷山との関係性を書き込んでもいいかと思います。

2018-02-12 01:33

116.0.177.37

大丘さん

書き込み損ねていたので……

↑のはあくまで私が「田津江の話~益元先生のエピソードがこのお話の核なのかな?」と感じたことに対しての意見です。

もし、それ自体が見当はずれな事を言っているのだとしたら、申し訳ございません。

2018-02-12 08:21

116.0.177.37

大丘 忍

奏様

>大丘さんは、この作品を通してどんな事を書きたかったのでしょう?
 
 私はすでに85歳の医者でまだ現役からは退はしておません。昔の医者だけに時代の差で現在の方たちと考えが異なるかもしれません。したがって、私が若いころに感じたことが現在の読者に通じないことが有っても当然だと思います。

 的外れの感想になりますが、先の投稿作品「最後の絵葉書」にも書いておりますように、「医師は患者を練習台にしてもよいのか」という事を感じておりました。これは「患者を練習台にして初めて医師の実力は向上する」という事なんですね。極端にいえば、上手い医者ほど多くの患者を練習台にして技術を高めるという極端な言い方もできるかと思います。
 この小説で言いたかったことは二つあります。ファロー四徴症という絶対に助からない病気を持っている田津江という患者の絶望感と、それを必死で励まそうとする主治医の心を描くこと。もう一つが先に述べた「患者を練習台にすること」への問題提起です。未経験の手術に踏み切ろうとした胸部外科医長に対する不信感とともに、患者を延命させるにはこの手術をするしかない、たとえそれが医長の功名心によるとしても……、という主治医のジレンマですね。結果は裏目に出て患者は亡くなります。若い主治医の怒りは当然医長に向きます。しかし、医師の成功は死体の山の彼方にあるという有名な外科医のビルロートが言ったように、このジレンマは避けて通れないものなんですね。
 練達の婦人科医長の言葉で、若い医師は外科を辞めて古巣の内科へ帰ることを決心します。私も同様に胸部外科への転向を断念し内科に戻りました。

 この小説は、二十年ほど前に初めて小説を書き始めた時の作品で、その後何度も改稿して一番愛着のある作品です。多くの方から感想、ご意見を頂き非常に参考になっております。小説とは、いくら作者がこうなんだよと言っても、それが読者に伝わらなければ何にもなりません。今後もさらに改稿して読者に伝わる小説にしたいと思います。

 これからもよろしくお願いいたします。

2018-02-12 16:49

58.0.104.143

大丘さん

「医師は患者を練習台にしてもよいのか」という事への問題提起の作品だったのですね。

承知しました。出てくる登場人物が多く、主題がどこにあるのか分かりにくく感じたのですが、主題を教えて頂き納得しました。

なお、「医師は患者を練習台にしてもよいのか」
という点を前に出したいなら、もっと池崎医長や大谷医師、益元医師などの医療関係者の各々の立場の違いだったり、価値観の違いだったりに重きを置いた話を核にした方が良いように思います。

各々どういう生い立ちを辿り、どんな事を考えて医者になり、普段、どういう思いでメスを握るに至ったのか。

どう言った時に意見が衝突し、どう言った事であれば「暗黙の了解」になっているのか。

その辺の書き入れが欲しいです。

なお、「医師は患者を練習台にしてもよいのか」という事への問題提起との事ですが、内科でも胃カメラなど実験台的にやるケースってあると思うので、「なぜ谷山は臨床医自体を辞めないのか」というのが引っかかります。

ほかの仕事や研究医とかではなく、内科とはいえ臨床医を続けることを選んだのかの理由付けが必要に思います。

2018-02-13 11:44

116.0.177.37

大丘 忍

奏様

 色々の問題提起をして頂いております。

 先ず、なぜ医師の道を選んだのか。
 非常に模擬テストの偏差値が高いので医学部を勧められた。現在ではこれが多いので驚いております。
 医師によって病気が治ったのを見て医師に憧れる。そんな例もあるでしょう。
 医師は儲かる。実際には苦労の割には儲からないのですがね。
 就職難がない。これは私の場合はかなり強力な動機でしたね。私は工学部に入ったに関わらず、医学科を受験しましたので。普通はもっと入りやすい農学部、理学部などから受験するのが多かったのですが。(当時は理系に入って二年の教養課程を修了した時点で改めて医学部医学科を受験するという制度)
 以前の別の小説では、工学部から医学科に転向しようとする理由として、「工学部を出て会社に就職する。会社の命令でお前が今の兵器より十倍殺傷力の強い兵器を発明したとする。会社は儲かって喜ぶだろうが、お前はそれでいいのか。人類の幸せに貢献したといえるのか」という会話をさせております。これが工学部から医学部に転向しようとした理由ですね。
 ただ、医師になるまでは、「患者を練習台にする」というジレンマには私自身もあまり気がつきませんでした。
この問題については、前回投稿の「最後の絵はがき」では「癌の告知」とともに「医師は患者を練習台にしてよいのか」を取り上げておりますので、本作では胸部外科医長が難度の高い手術をしようとする批判として取り上げました。
 医師は患者を練習台にしなければ上達しないのは厳然たる事実ですから、これを容認しなければ誰も腕のいい医師にはなれません。とすれば、尊い練習台と考えて懸命に勉強することが必要です。私は産婦人科医長を通じて、「医者になってからの三年間、どれだけ勉強したかが医者の将来の実力を決める」と言わせておりますが、この言葉は私自身が先輩医師から言われた言葉です。

 先に投稿した「最後の絵はがき」も本作「未完成のマフラー」も、若い医師が成長していく過程で遭遇するこのような問題点を背景としてドラマを作り上げております。したがって、両作品ともこのことが主テーマではなく、小説のバックグランドとして存在するのだと考えていただけばよいと思います。
「最後の絵はがき」では谷山医師は胃カメラで悩みますが、それで医師を辞めるというなら初めから医師にはなっておりません。辞める代わりに猛勉強するというのが良心的な医師の姿でしょう。
 どんな仕事にも、その仕事に従事した人でなければわからない問題点があろうと思います。小説の上でも、その問題点を読者にわかってもらうことが必要だと痛感しております。

2018-02-13 13:21

153.190.54.69

大丘さん

>「医師は患者を練習台にしてもよいのか」という問題提起をする

作品を作りたいと思っての提案だったのですが

>両作品ともこのことが主テーマではなく、小説のバックグランドとして存在するのだと考えていただけばよいと思います。

と、矛盾が出てきたので再確認です……。

一番最初の投稿で示したとおりになりますが、私は今回の作品を「主人公の成長を書きたい」のか、「田津江を通して生とは何かを書きたい」のかぶれているように感じています。

主人公の健介が医師になり臨床通して葛藤し、自分なりの解を出すものを書きたいなら、それには「医師は患者を練習台にしてもよいのか」という思いも付きまとうと思うのです。

一方、「田津江」の事をメインにして「生」とは何か、医療とは何かを書くのであればこれも既に色々かきましたが、健介と田津江の関係性の描写が弱いなと思います。

前回の「最後の絵葉書」はその辺の強弱がハッキリしていて、「余命宣告しなければならない病気に対しての告知」のあり方を考えさせてくれるいい作品だっただけに、今回の「未完成のマフラー」は登場人物数や話の力点をどこに持っていくかなどを吟味し直して、もう少し練れる作品だと思いました。

思い入れのある作品だと伺っておりますし、たしかにエピソードのパーツごとに見れば、治療シーンなども緊迫感があって今作も面白いお話だとは思っています。

ただ、言いたいことがあり過ぎて、まとまり切ってない感じがするので、あとはエピソードを取捨選択して「分けて複数の作品を作る」とするのか、一本の中に収めるのであれば「分けない代わりに全体が馴染むように加筆する」とするのかのいずれかな気がします。

また、作家の心情とその作品は必ずしも同義ではありません。作家自身がAという出来事を味わっていたとして、その作家がAを作品に盛り込んだとしても、読み手からすれば作家自身の思うAと作品の中のAは別物でA´とすべきものに変質します。

また、多くの文豪の作品がそうであるように、時代が変遷して変わる価値観もあるでしょうが、多くは変わらない価値観を伝えているからこそ、長く作品として愛されているように思います。

実際に明治時代の状態にいるわけでなくても、現代の読み手は作品を楽しんで読んでいますよね?

大丘さん自身の見てきた「医療」と、作品の中で書かれる「医療」は同じようでいて同じでないものであり、かつ、作品の中の「医療」は同時に後世に読まれてもその内容が伝わるようにパッケージ化する必要があります。

今と昔で価値観が違うのは当たり前だし、場所が違えば価値観が違うのは当たり前です。

でも、その当たり前を超えて、多くの人に伝わるように今回のお話をまとめられたら、とても良い作品になるのではないかと感じています。

色々書きましたが頑張ってくださいね!

2018-02-13 21:19

116.0.177.37

大丘 忍

奏様

 多くの点を指摘して頂き有り難うございます。確かにご指摘のように、この「未完成のマフラー」では、前半と後半では主軸(テーマ)が違って見えると思います。強いて言えば、主軸は後半の田津江の手術に置きたいところで、30枚にまとめて応募した時には前半をカットしておりました。本来なら、前半は前半のテーマとし、後半は田津江の手術をテーマとした二つの小説にするのがよかったと思いますが、つい欲が出て一緒にした感がありますね。書いている最中ではそれで良いと思っておりましたが、客観的な読者からみればやはりテーマの分裂と受けとられたようです。作者が思った通りには読者は読んでくれないという小説書きの宿命でしょうか。これをクリアしない限り一人前の作家、特にプロにはなれませんね。私は年齢的にも能力的にもプロになれる可能性はありませんが、書くなら読者の皆さんに納得してもらえる小説を書きたいと思っております。その意味で、次に投稿しようと思っている作品に目通しをしております。
 非常に参考になる感想をありがとうございます。

2018-02-13 21:56

58.0.104.143

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