作家でごはん!鍛練場

『蝶は人の夢をみる』

伊藤 悠太郎著

あらゆる因果関係、前提というものが消失したとしても、存在する関係性について書いた。それは運命的なものではなく、もっとやわらかく、さらりとしたものとして存在しうるのではないか。AとBの二人の女性の回想と現在が交互に語られるが、その間を時制を超えて関連づけているのはAにとっての元恋人であり、Bにとっての「学生時代の若い講師」である。

「蝶はひとの夢をみる。」


たとえば北極で氷山が崩れる音、遠い星で河が流れる音。
誰も聞く人のいない場所で、なり続ける音。

A
そんなものがあるのかしら、と思いながら彼女はノートを取っている。
そんなものはあるのだ。ただ遠すぎる、というだけで。長机が並んだ明るい教室は、そこそこの学生たちで埋まっていて、スクリーンの前では白髪の女の教授が熱心に話している。遠すぎる。と彼女はまた思った。遠すぎる音。
哲学なのか、物理なのか。もはやこれが何の講義なのかわからなくなっていた。いや、講義ではないのかもしれない。私は学生ですらないのかもしれない。彼女は、ルーズリーフにシャーペンを走らせながらぼんやりと記憶の中に沈んでいく。

B
講義はもう佳境に入っていた。若い講師は早口にたどたどしく話し続けていた。他の多くの講師に比べて彼は珍しく情熱的なタイプだった。かといって人気があるわけでもなく、少し浮いているように見えることもある。たぶん、学生に敬遠される要因は、彼が専門にしている哲学という分野自体のややこしさと、喋る時に唾を飛ばし過ぎる癖にあるのだろう。それでも私は彼の講義が好きだった。別に話の内容に関心があるわけではなく、むしろその、彼自身に興味があった。単に好きだとか、惹かれるというのとは違う。ただどこかで会ったことがあるような気がする。どんな食べ物が好きでどんな人が嫌いなのか、すぐにわかるような気がする。

A
私はふと目を覚ました。一人暮らしの天井が見えた。今日は土曜日だった。もう昼になりかかっていた。家事を片付けようと思って、寝ていたのだ。私は大人になっていた。眠りの中では、確かに学生だったのに。午後から友達と映画観に行くんだった。洗濯物だけ、干していかなくちゃ。彼女はとりとめなく考えながら、バタバタと走り回った。洗濯物を干しながら、私はさっきの夢のことを考えていた。遠い音。と自分が口にしたときの感触を、私はまだ覚えていた。それは不思議なことに懐かしかった。ただの空想なのか、それとも大学時代の思い出なのか。


物語はねじれ、展開し、やがてもとの場所に戻ってくる。「私」はあなたになり、「彼女」は私になる。私はーー作者である私は、ラーメン屋で文章を書きながら、この物語をいつか終わらせることを考えている。そして私はあなたになり、あなたは私になる。


A
改札がこんなにいくつもあると思わなかった、と彼女はまくしたてるように言った。地下鉄の轟々という音が、声の半分をかき消していく。私は大学時代の友人と、電車に乗っていた。映画を観に行くのだ。休日の地下鉄はそこそこに混んでいて、私はさっき見た夢のことをおもいだしていた。この辺りもずいぶん変わったよね。と彼女が言う。私たちは改札前で待ち合わせる予定だったのだ。夢の中で講義を受けていた教室も、この電車と同じくらいの混み具合だった、と私はぼんやり思った。私たちが学生の頃はさ、と彼女がまた言う。結局、私たちは改札前では会えなかった。駅の構内は複雑化していて、自分が「どの」改札の前にいるのかすら分からなかったからだ。私はまだ昼寝から目覚めたばかりでぼんやりしている。明るい教室の、スクリーンの前で訥々と話し続けていた白髪の女性教授。頭がズキズキする。学生の頃といえばさ、と彼女が言う。あの女の教授、覚えてる?あの白髪の。なんて名前だったっけ?

B
休日の電車はそこそこに混んでいた。午後の光の中で、彼女はうつむいていた。彼女は時々、一人で電車に乗って、映画を見に行ったり、美術館に行ったりする。そういうときに誰かと一緒だったら、一人で行くときとは違う何かを得られるのではないか、と彼女はいつも思う。そしてうつむきながら、ぼんやりと自分の恋愛のことを考える。でも、考えてみても、思い出すことは何もないので、中吊り広告を眺めている。ハイボールの広告を見ながら彼女は、自分があの若い講師のことを考えていることに気づいた。もし今、自分の隣にいるのが彼だったとしたら、私たちはどういうことになるんだろうか。そういえば春だった。

A
私たちは改札前では出会えなかった。ホームで会った。そして、コーヒーをかけられた。
正確に言うと、私が寝坊したせいで、待ち合わせの場所が改札の前から駅のホームに変更になり、それから水族館に行って、帰りに喫茶店に入って、そこで頭から熱いコーヒーをかけられたのだ。駅のホームでいきなりコーヒーをかけられることはない。コーヒーが私たちの目の前に出てくるまでのすべてには因果関係というものがある。でもそのあとは?彼は別に私の寝坊におこっているわけではなかった。コーヒーを飲みながら、別のことでちょっとした口論があったのかもしれないけれど、私はそれがなんだったのか覚えていない。その程度のことで、それはもはやなかったのと同じことだ。ほとんどなかった、といっていいだろう!と彼女はなぜか少し憤りながら反芻する。とにかく、ほとんど理由もなく熱いコーヒーは彼女の頭にかけられ、1組の男女は別れることになった。そして彼女はそのことをまだ怒っている。

B
私たちが出会うことに理由はない。という字幕がスクリーンに映されて、映画は終わった。古い映画のリバイバル上映だったが、ストーリーがほとんどない といえばほとんどないし、綿密に作り込まれていた といえばそういふうになるだろう。よくわからない映画だった。これが成功作なのか失敗作なのか、作った当人たちもわかってないんじゃないか、と彼女は思った。理由がない、というその字幕の文字は映画そのものの言い訳のようにも見える。スクリーンの上には、因果関係というものが全くなかった。映画の帰りに、喫茶店でコーヒーを飲みながら、彼女はたまたま会った友人と話している。はっきり言って退屈な話だ。彼女はその友人がいきなり発狂して、熱いコーヒーを頭からかけてくるところを想像する。でも、現実にそんなことは起こらない。因果関係、というものは現実ではちゃんと作用している。

物語は少しずつ、あるいは急激に現在に戻ってくる。ある人は青春を急いで通り越して老熟していくし、ある人はゆっくりと青春の中に戻ってくる。読者である私たちも、元の場所に戻ってくる。ただし、それぞれの現在は違っている。文章を書いている私とそれを読んでいるあなたにとっての現在が違うように、彼女たちの現在もそれぞれに異なっている。だからもちろん、この物語の「現在」は分裂しているし、ある意味、あらゆる次元に存在している、ともいえる。

B
「次元とは、」と彼女は話し出す。目の前には数十人の学生たちが座っている。講義室の窓から、夕日が差している。彼女の髪はいつのまにか白髪になっている。そんなことはもちろんないのだが、数十秒前まで、本当に学生だったような気がする。こんな日もあるんだな、と思いながら彼女は訥々と話し続ける。彼女はわりと真面目な講義をするタイプだった。学生たちからはあまり好かれていないものの、そのことをあまり気にしたことはない。彼女はコーヒーを飲む時、学生時代のあの若い講師のことをたまに思い出す。

A
彼女はいつのまにか学生に戻っていて、あの教室の中で、白髪の教授の話を聞いている。斜陽の中で、彼女は訥々と話し続けていた。彼女は半分は寝ていて、4割は自分が所属するサークルの今後のことを考えていた。幹事としてややこしい立場に立たされているのだ。問題はかなりねじれていたし、彼女は彼女なりに真剣に考えていた。でもいくら考えても、答えらしきものは出てこない。人間関係、というものが目に見えない網のように彼女のまわりに広がっているような気がした。
いきなり、頭の中に言葉が飛び込んできた。「北極で氷山が崩れる音。遠い星で河が流れる音。」それはまるで詩の一節のようにうつくしくてさわやかで、ナイフのような危うさを孕んでいると思った。白髪の教授の声は、いつのまにか消えていた。

B
講義はもう佳境に入っていた。彼女はなぜか、ある学生のことを思い出しながら話し続けている。数年前に同じ教室で授業を受けていた、黒髪の女学生だった。特に印象に残る学生だったわけではなく、直接話したこともなかった。頭のどこかでうっすらと彼女のことを考えながら、「たとえば、」と私はまた話しはじめる。北極で氷山が崩れる音。遠い星で河が流れる音。誰も聞く人のいない場所で、なり続ける音。

話しながら、彼女は自分が立っている場所が音をたてて崩れていくところを想像している。途方もないイメージのなかで、あの若い講師や女学生の顔がうっすらと浮かんでくる。自分自身の思い出と現在と、目に見えない因果関係のすべてが、瓦礫の中に巻き込まれていくような感覚に陥りながら、それでも彼女は言葉を紡ぎつづける。
もしもいつか、すべての前提が崩れてあなたがあなたではなくなったとしても、あなたはあなたで、私で、私は私だ。

蝶は人の夢をみる ©伊藤 悠太郎

執筆の狙い

あらゆる因果関係、前提というものが消失したとしても、存在する関係性について書いた。それは運命的なものではなく、もっとやわらかく、さらりとしたものとして存在しうるのではないか。AとBの二人の女性の回想と現在が交互に語られるが、その間を時制を超えて関連づけているのはAにとっての元恋人であり、Bにとっての「学生時代の若い講師」である。

伊藤 悠太郎

116.70.170.44

感想と意見

伊藤 悠太郎

追記
登場人物の名前など全体に抽象的な設定にしていたり、「彼女」と「私」など人称(や時制)が混合しているのは、物語が登場人物だけのものではなく作者や読者にとってのものでもあることを喚起させる狙いです。
アイディアは少し前から考えていたのですが、ノリで投稿してしまったため、コーヒーをかけられる件など、説明不足だったなと反省しております。

2018-02-07 00:39

116.70.170.44

ダミアンマシコセ

正直微妙です。実験的すぎかなあ。。

2018-02-07 05:56

27.120.134.1

伊藤 悠太郎

ダミアンマシコセ様

ありがとうございます。
次は平易に書きたいと思います。

2018-02-07 19:42

116.70.170.44

二月の丘

 >たとえば北極で氷山が崩れる音、遠い星で河が流れる音。
 >誰も聞く人のいない場所で、なり続ける音。

をはじめ、フレーズをリフレインしてゆく感じが、ちょっと昔の村上春樹チック??


文章はきれいで、無駄もソツもない感じするのに、
話の構造はまるでわからなかった(ついてゆけなかった)んで・・

全体に「もったいない」感じ。。


標題が・・「『胡蝶の夢』的なイメージ + バタフライ効果」なのかなー?? と思いつつも、
個人的には「いまいち意味不明」だった。
(私がバカなのかもしれない……)


紙幅を倍ぐらいにして、「個々のエピソードを丹念に描写する」と、
物語がもつ「不思議な感覚〜雰囲気」が活きてくるのではないかなー??
(現状だとあんまり短かすぎで、ショートショートや掌編としては成立していない「半端な感じ」がするんで……)

2018-02-08 20:46

219.100.86.89

黒井太三郎

実験的だけどもっと実験して引き付けたほうが良い
二人の自意識なので。もっとしかけがあるときっとひきこまれた。

2018-02-11 21:29

121.109.111.65

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