作家でごはん!鍛練場

『なつのね【四百字詰原稿用紙10枚】』

水野著

◆前回と同様、こちらも別のところで開催されている企画モノにて発表予定のものです。

◆ずっとPCが使えない状態だったので、キャンパスノートでほとんどの作業を行ないました。
 そのため文章表現にいくらかの差異が見られます。

◆祖父に捧げます。

 ものごとの整理がつかなくなったときはそこの公園に行くようにしている。

 周辺では一軒家が密集して建ちならび、耳を澄まさずとも子どもたちのたけだけしい声がする。九十九里平野をそよと流れる夏の風を、いともたやすくうち砕いてしまう。そのかなきり声は、セミですら根をあげて逃げだすほどだ。あとを追うようにしていっせいに小鳥たちが羽ばたき、カラスは杉の木のてっぺんで、その行くすえをじっと見守っている。今、こっちを向いた。ちょうど、コンビニで買ってきたお茶とサンドイッチを、取りだしたところだから。
 七月の入道雲は、もう十五年以上も前になる、小学校でやった理科の授業と、それから少し背中の曲がった父親を思いださせる。運動会では、意外にも綱引きが得意だった。地域対抗では負けなしだった。当時はピンと張った背中がまぶしかった。細長いだけ、他の人よりきわだって見えた。
 退職してからは、テレビ観戦と料理しかしなくなった。コンプレックスからか、ごぼうと長ねぎは絶対に使わなかった。味つけは、どちらかといえば成功とは呼べないことの方が多かった。電子レンジに、溶いた生卵を入れたこともあった。いわく「フライパンでやるより簡単だろうから」だそう……。にんじんは、再び煮立たせてからでないと食べられなかった。母はそのうち何も言わなくなった。「本人が楽しんでいるのであれば」という考えに切りかえたようだ。
 お腹とお尻ばかり大きくなっていった父親の記憶は、いつのまにか私から遠ざかっていった。きっとあの入道雲に、まるごと吸いこまれていったのだ。

 午後の二時はいちばん暑い時間帯に違いない。コンビニに入ったときのひんやり感が、鎌倉時代あたりの遺物のようだ。ソフトクリームをぺろぺろなめる、幼稚園の年長さんくらいの女の子が、補助輪のついたちっちゃな自転車にまたがっていた。後ろでは八十代にさしかかるくらいのおばあさんが、腰を曲げ、顔を寄せて、なにかをささやいていた。その手には一枚の葉書。ポストにちょっと寄ろうとしたところ、知らぬまに随いてきてしまったものとみえる。
 中学校にあがって、「気をつかう」ことを覚えはじめるまでは、むしろ男の子と遊ぶことの方が多かった。川沿いをさかのぼって歩いてみたり、カードゲームもよくやった。いちばん仲の好かった子と、家族ぐるみで海にも行った。チャンバラなんかもやった、前に、ここで。技の名前はよくわからなかったから、自分でオリジナルの技を考案したりした。
 いくらがんばっても登れない木があった。成長のはやい何人かの男の子たちは、高い幹のあの枝分かれした部分に手が届いたけれど、私には無理な芸当だった。あそこに行きたくて行きたくてたまらず、みんなの見ていないところで必死に努力するほど打ちこんでいたわけでは決してないのだけれど、ただ眺めているしかできなかったあの悔しさが、どうしてかずっと残っている。

 私に必ず挨拶しに来てくれる男の子がいる。ちょうど、あの音が聴こえてきた。
 正式な名前は、調べてみると「ポゴスティック」というらしい。小さかったころは、もっぱら「ホッピング」の名で親しまれていた。バネでガシャンガシャンとび跳ねる、アレ。彼がその公園を愉快そうにとび廻っているのを見ていると、こっちの心まで浮きたつ感覚がある。
 服装は、いつも同じだった。「仮面龍騎士」のスニーカーに、七部丈のぶかぶかズボン、上は「ニケ」のロゴが胸にプリントされた黒シャツ。白のソックス。髪は角刈り。口もとに大きなほくろがあるのが特徴で、つり上がった目は、ただそのときどきの面白さにのみ注がれている。どちらかといえば肥っている方かもしれない。極端に、というほどでもない。よく食べ、よく動き、よく話す元気の好い男の子が、クラスに必ず一人はいるものだ。彼の場合、そのエネルギーはひたすら自己をめぐって周遊し、誰かが引き留めるまでもなく、一人でどんどん先に行ってしまいそうだけれど。
 はじめのうち、こちらに気づいていないふうを装っている。けれども視線だけは、嘘がつけない。たえずこちらを視界に収めてくるのがわかる。そのうちホッピングから降りて、うろうろとしだす。突然の凶報に茫然自失になり、何も手がつけられなくなった人のように。やがて、緑色の古ぼけたベンチと、その先客の方に目を留める。今度は迷いなく近づいてくる。名残りおしそうに、後ろを二度ほどふり返りながら。隣まで来てしまうと、意味ありげなため息を、わざとらしくついてから腰をおろす。距離はだいたい四、五十センチ。この隙間に立てかけるのかと思いきや、遠慮して地面に寝かせてしまう。もちろん、こちらから目を離さない。私も、たくなに逸らそうとしない。
 以前は黙ったままで、いつのまにか行方をくらましていたものだけれど、二ヶ月前から急激に仲好しになった。朝でも夕方でも、深夜の二時五十分であっても、「お早うございます」が第一声だった。こっちも釣られて同じような言葉を返すものの、時と場合に応じて、「今日は好い天気になりそうだね」だとか「カレーの匂い、おいしそうだね」だとか「さっきの車のライト、まぶしかったね」だとかを添えてやる。けれども頷くだけで、それ以上ふくらむことはない。できるだけにこやかにしていようということを心がけているけれど、ぎこちないものになっていなければいいのだけれど、ということをいつも考えている。今日はたぶん、うまくいったと思う。「お早うございます 」のあと、「お早う。見てあの入道雲。おっきくて、きれいだね」と言われた時の男の子の顔が、いつにもましてほころんでいたから。
「私ね、きみみたいな年ごろのときにね、夢見てたんだ。夏になるといつもあらわれる、ふかふかしたでっかい雲。あの上に自分だけの王国を建てて、自由に暮らしてみたいなあって。絵本かなにかで、そういうお話しがあったのかもしれない。きみよりもっとちっちゃかったころ、幼稚園の、年中さんくらいだったかな、みんなが外で遊んでいる隙に、電気のついていない、うす暗い部屋の片隅で、棚に並んでいるたくさんの本を、片っ端から読んでみたことがあるの。今はもう、ほとんど忘れちゃったけど、でもクジラがね、変な色をしたクジラが空を飛んでいる絵があって、それだけははっきりと憶えているの。それと関係あるのかもしれないけどね、私の夢と」
 「今は、違うの?」という声が聴こえてきた気がした。親戚の結婚式。どこでも動き廻る一歳年上の男の子に、がんばって随いていった時の記憶。
「今は、そうだね、懐かしいなあって気がするだけで、本当に望んでいるわけじゃないんだと思う。私もいつまでも、そうしていられるわけじゃないから。でも、誰かからそういう話しを聞くのは好き。夢の話しを聞くと、自分の全部をなげうってでも叶えてあげたくなっちゃう。実際に聞かなくても、たとえば道ばたでちっちゃな子を見かけた時、この子はどんな夢なんだろうって想像しては一人で楽しんでみたりもする。自分がお金持ちだったらなあって思う。もし私がそうだったら、みんなの夢をすぐ実現させてあげられるのにって思う。こういう考え方ってずるいのかもしれないね。偉い人の言葉じゃないけど、人にはできることとできないことがある。このことをきっちり わきまえたうえで、じゃあ自分には何ができるのかってことを見きわめて、その実現に向けて計画的な努力に励むべき。お金持ちになりたいっていう今の望みは、誰かの夢をじかに応援できてないってことのもどかしさだったり、自分がいまだに、そのための具体的な努力ができていないってことへの、自分自身に対する言いわけなのかもしれないね」
 「そんなことないよ」の声は、果たして彼のものなのかどうか。もしも彼が、今もそばにいて、私のずっと先を走り続けていてくれたら。そのときは私のところまで、わざわざ引き返してきてくれるのかどうか。彼ならきっと、そうしない。彼は前しか見据えない。後ろをどんどんつき離していって、しまいにはどこに向かったのかさえ私には認識できなくなっていただろう。今もなんとか随いていけているのは、彼がもう、これ以上前に進めなくなってしまったから。彼の脚はあのころのまま、一定のスピードを維持したままいつまでも変わることがないから。見えなくなってしまうくらい、遠くまで行ってくれた方が、どれほどの救いになっていたことだろう。

 サンドイッチの包装と空のぺットボトルを、屑かごに投げいれた。後ろではまた、あの音が鳴りはじめた。

なつのね【四百字詰原稿用紙10枚】 ©水野

執筆の狙い

◆前回と同様、こちらも別のところで開催されている企画モノにて発表予定のものです。

◆ずっとPCが使えない状態だったので、キャンパスノートでほとんどの作業を行ないました。
 そのため文章表現にいくらかの差異が見られます。

◆祖父に捧げます。

水野

218.44.116.196

感想と意見

ぷーでる

えっと、これは小説ではなくて、エッセイなのでしょうか?
それにしては、小説っぽい感じもあるし。

企画モノということなので、どんな企画なのでしょう?

2018-01-13 17:43

133.232.179.128

reon

なかなか良くまとまっていいと思います。
日常の悩みなどがもう少し距離を置いて書かれるとより読者が小説に入り込めるのかなと思いました。
失礼します!

2018-01-13 19:47

106.133.84.168

公園でのワンカットを切り取って書いている作品というのはわかりましたが、お父さんの話から、公園の男の子の話、さらに従兄弟の話と原稿用紙10枚の中で三転されるとさすがに分断されすぎてしまって、どこに焦点を当てたいのかがイマイチ分かりませんでした。

「なつのね」というタイトルなのに、蝉の音を子供たちの声が書き消してしまったままというのもなんだかもったいないです。

この話をタイトル通りにうまくまとめるなら

①主人公が真夏の2時頃の暑い公園の中にいる。
②いつも挨拶してくれる男の子のホッピングの音で、蝉の声が止まる。
③男の子との挨拶で入道雲を見上げる。
④父に対しての回想。
⑤男の子と「夢」について話す。
⑥「今は違うの?」の問いに対してリアクション(※ここは再度推敲いただいた方がいいです。「さあ、どうだろうね」とかで受け、クジラみたいな入道雲を再度見上げさせるとか、急に差し込んだ眩しい日差しに目を伏せるなど、一旦、いつも挨拶してくれてる男の子をフェイドアウトさせた方が一人語りしてる雰囲気が増すかと思います。)
⑦お金持になって誰かの夢を応援したい~の話
⑧蝉の声が鳴る。ぬるくなったお茶の周りに水が溜っている。ホッピングの跳ねる姿が小さく見えた。

と言った具合にした方がスッキリする気がしました。

2018-01-13 23:16

116.0.177.37

水野

ぷーでるさま、感想ありがとうございます。

最初のご質問に対して、答えるのはすごく難しいです。
作者自身の体験談、という意味でのエッセイではないことは、確かなのですが、かといってこれが小説かと言われたら、どうも……。
ですがひとまず、これは「小説」ですと明言しておきます。

企画については、「@narou_kohya」で検索していただいて、そこのツイッターでリツイートなどをして紹介しておりますので、興味のある方はどうぞ。

概要を説明すると、プロアマ関係なく、原稿用紙換算で10枚ほどの作品(小説に限らず)を持ち寄って、出来具合を競い合う、というものです。「文学フリマ」というイベントに合わせて開催され、上位の作品や、その他注目すべき作品は同人誌として纏められ、販売されます。今回で8度目の開催です。

この度はどうもありがとうございました。

2018-01-14 07:44

218.44.116.196

水野

reonさま、感想ありがとうございます。

当小説における語り手が、いったいどういうことについて「ものごとの整理がつかなくなった」のか、その辺を明確にするべきでしたね。
私自身、他人からそういう話を聞くことばかりが好きになってしまって、そのくせ自分のことは容易には明かしたがらない性格なもので、そこのところを当小説における語り手に投影してしまうという過ちを、知らず知らずのうちに犯してしまったのかもしれません。

この度はどうもありがとうございました。

2018-01-14 07:48

218.44.116.196

水野

奏さま、感想ありがとうございます。

公園という一つの場において、さまざまな語り手の記憶が断片的に浮かび上がってくるというのは、せっかく読んでくださっている方々をも混乱に巻き込んでしまうものと思われます。すみません。ですがこれこそやりたかったことなのです。

タイトルについては苦肉の策でした。
「夏の音」ではなく「なつのね」にしているのは、どうも話全体が、語り手の過去にその軸を据えているらしいこと、その中心部分に、彼女の幼年時代が潜んでいるらしいことから、ひらがな表記にしてみたわけですが、消極的な意味合いも含んでいます。つまり、話の舞台としては、一応7月ということにしてあるのですが、語り手はどうやら、公園に何度も足を運んでいるらしい。夏に限らずそこを訪れているらしい。そうした背景をタイトルにも反映させるとするならば、「夏」だけをそこに含ませることは明らかに不備です。このことをどうにかごまかそうとした結果、ひらがな表記になってしまったのです。
そこらへんは、タイトルを全面的に変更するか、もしくは舞台を、背景も併せて夏のみに限定するかすればいいのだと思います。

蝉の音が最後まで聞こえなくなってしまったのは、それが鳴り止んだのを皮切りに、当小説の語り手が、今いる公園とは別の公園に移動してしまったらしいこと(カラスがこのことを象徴していなくもないです)を表しています。無理やり解釈するとすればの話ですが。ですがそうすると、ラストのシーン、屑籠入れにゴミを捨て、いよいよ公園を立ち去ろうという時に、未だ男の子のホッピングの音が鳴っているのは不備に感じます。
そのあたりを無理やり解釈することもできなくはないですが、蝉の音を復活させる方が、前後の繋がりも明らかになりますし、「落ち」としてもうまく纏まりがつくと思います。貴重なご指摘、感謝いたします。(ラストにホッピングをどうするかについては再度検討いたします。⑥の要推敲の部分も、後でじっくり考えてみたいと思います)

この度はありがとうございました。

2018-01-14 08:13

218.44.116.196

サナポンタ

 ものごとの整理がつかなくなったときはそこの公園に行くようにしている

この出だしでやられちゃいました!
これは物が違う!

まだデビューしてないんですか?プロでしょう、これ。
凄いですね。
応募結果が楽しみですね。

短い文章じゃ批評の対象にならないと言い続けてましたが
これは密度が違うわ
短さを感じない
ああ、もっともっと読んでいたいと思わせる、え?もう終わっちゃうの?と寂しい気持ちになるような素敵な時間をありがとう!

2018-01-14 11:14

202.213.176.40

大丘 忍

>セミですら根をあげて  この場合、ネヲアゲルは、音を上げる ではなかったかしら。この場合の音は鳴き声ではありませんが。

2018-01-14 16:33

58.0.104.143

>ラストにホッピングをどうするかについては再度検討いたします。

との事ですが、私個人の感覚でいうなら要らないかなーと思いました。

男の子の登場シーンの部分で、その音が印象的なので。

また「なつのね」というタイトルについては、「夏の音」にする必要は感じないです。

「なつのね」のひらがなの持つ柔らかさはそのまま残しでいいと思います。

初見で見た際に子供時代を想起してひらがなにしてる&冒頭の

>ものごとの整理がつかなくなったときはそこの公園に行くようにしている

で、夏以外にも来てるのは充分伝わっていますよ。

ただ、

>当小説の語り手が、今いる公園とは別の公園に移動してしまった

というのは冒頭の一文のインパクトが強いだけに残念ながら伝わってきません。

そして、もし別の公園に移動してるのであれば、移動する合間の時間を描写する必要があるかと思います。

>さまざまな語り手の記憶が断片的に浮かび上がってくる

と言うのを狙ってるというのも、話の流れとしては分かるので、その部分の割愛もしなくていいと思います。

>午後の二時はいちばん暑い時間帯に違いない。コンビニに入ったときのひんやり感が、鎌倉時代あたりの遺物のようだ。ソフトクリームをぺろぺろなめる、幼稚園の年長さんくらいの女の子が、補助輪のついたちっちゃな自転車にまたがっていた。後ろでは八十代にさしかかるくらいのおばあさんが、腰を曲げ、顔を寄せて、なにかをささやいていた。その手には一枚の葉書。ポストにちょっと寄ろうとしたところ、知らぬまに随いてきてしまったものとみえる。

のあたりは筆も乗ってて雰囲気もあって、この作品にとっていい味を出してると思いますよ。

2018-01-14 16:34

116.0.177.37

水野

サナポンタ様 感想ありがとうございます。

お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします。励みになります。

小説の書き出しに関しては、だいぶ気を払ってしまうタチのようです。今回の場合でいえば、「物事」とすべきか「ものごと」とすべきか。「そこの公園」が好いのか「その公園」がいいのか。第一稿目の段階では、この作品の出だしは「落ち込んでいる時にはそこの公園に行くようにしている。」でした。この文章を書いた段階では、語り手がまさかああいった動きをしていくことなど予想もしていませんでした。ただ、自分にできることと言ったら、直観を頼りに一文一文を、彫りつけるようにしてキャンパスノートに刻むことだけでした。(普段はPCで作業をするのですが。今回は特別だったのです)

PCでは、頭に浮かんだ文章を即座に打ち込むことができますが、手書きの場合そうはいかず、何度も立ち止まりながら文を練り上げていきます。乱雑な字で素早く書いていくこともできますが、当小説の場合、非常にゆったりとしたペースで、大切な人に手紙をしたためるような気持ちで、書いていった覚えがあります。この作品がエッセイなのかどうかというご質問が上の方でありましたが、もしかするとそうした背景が関係しているのかもしれません。

この度はありがとうございました。

2018-01-14 19:25

218.44.116.196

水野

大丘 忍様

「根をあげて」は誤りでしたね。正しくは「音をあげて」です。申し訳ありませんでした。

2018-01-14 19:35

218.44.116.196

水野

奏様 再度お越しいただき感謝いたします。

◆ラストのホッピングについてですが、現段階では「後ろではまた、あの音が鳴りはじめた。」という風に処理されています。男の子の登場シーンで「ちょうど、あの音が聴こえてきた。」と書いたのですが、この「あの音」が私にとって何だか印象的に見えてしまったものでして、これはぜひ最後にもう一度使おうということを決めていました。当小説を書くにあたって使用したキャンパスノートには

・・・
あの音

という風に、わざわざ強調までなされています(残念ながら「作家でごはん」でこの強調表現は使えなかったわけなのですが)。ですがよくよく考えてみると、蝉の音で終わらせる方がすっきりする予感があります。いろいろと変えてみて、一番しっくりしたものを採用したいと思います。

◆「当小説の語り手が、今いる公園とは別の公園に移動してしまった」という表現は、誤解を招きかねないですね。私がこの文章で言いたかったことは、いわば閉ざされた世界におけるもう一つの「そこの公園」に、語り手が知らず知らずのうちに入り込んでしまっている、ということです。実際にA地点からB地点に移動している、というのではなく、A地点からA′地点に、というイメージです。そこでは男の子はいつも同じ服装でホッピングを使って遊んでいます。うまく説明できないのですが。

◆「午後の二時はいちばん暑い時間帯に違いない。」以下の文章は、自分でもほんの少しだけお気に入りのところです。女の子とおばあさん、それから葉書のイメージは、最近そういうシーンを実際に目撃したことがあって、それをちょっと使わせてもらいました。

この度はありがとうございました。

2018-01-14 19:58

218.44.116.196

サナポンタ

追伸です

この文章を書いた段階では、語り手がまさかああいった動きをしていくことなど予想もしていませんでした。ただ、自分にできることと言ったら、直観を頼りに一文一文を、彫りつけるようにしてキャンパスノートに刻むことだけでした。(普段はPCで作業をするのですが。今回は特別だったのです)

やはりそうですか
いわゆるライブ感みたいなもんが織り込まれていたって事ですね
そうでないと、こんなふうに読み手には伝わってきません

私の敬愛する保坂和志氏は、ワープロやpcで原稿を書くなとしつこいくらい繰り返しています
やはり、効果があるのですね
私も試してみます

2018-01-14 23:05

202.213.176.40

水野さん

三度失礼します(笑)

>◆「当小説の語り手が、今いる公園とは別の公園に移動してしまった」という表現は、誤解を招きかねないですね。私がこの文章で言いたかったことは、いわば閉ざされた世界におけるもう一つの「そこの公園」に、語り手が知らず知らずのうちに入り込んでしまっている、ということです。実際にA地点からB地点に移動している、というのではなく、A地点からA′地点に、というイメージです。そこでは男の子はいつも同じ服装でホッピングを使って遊んでいます。うまく説明できないのですが。

というのを読んで「ああ、初回読んだ時の読み方で良かったんだな」と安心しました(笑)。

個人的に一人語りしてる主人公の幼い頃の投影としての男の子なんだろうなと思いながら読んでいたので。

私も「あの音」を印象づけたいのは感じたのですが、そうなると現実に戻ってきて「夢は夢」と気付かされ、気だるさの残る昼下がりの感じが伝わりにくいなと思っての最初の投稿だと思って読んでいただけますと幸いです。

現実に戻ってきてしまったがため、耳に残る「あの音」が印象的にならないかなーと考えて、投稿しました☆。

こちらこそ、言葉足らずで申し訳ありませんでした。

2018-01-15 12:49

1.75.239.252

水野

サナポンタ様 返信が遅れてしまい申し訳ありません。

そうですね、現在は書いている最中のライヴ感も同時に楽しみ楽しませ、というものを書くことが多いのですが、一方で物語の構造をきっちり固めた小説というのも、興味があります。というのも、昨日ちょっと、ロラン・バルトという批評家の『物語の構造分析』を開いてみまして、小説というものがもはや手詰まりになっているということを改めて認識すると共に、では徹底的に物語というものを勉強し、書いてみようではないか、そうしてそれを乗り越えてみようではないか、実際にそうしようとしたバルトのように、という思いが湧き上がったのです。

もしこれを徹底的に実践するとなると、もはや手書きとかPC入力とかいう話ではなくなってくる予感がいたします。今回、『なつのね』を書いたことで何かを掴めたという思いがあるのですが、乗り越えるべき新たな課題がさっそくまた見つかり、今からどうなるのかと震えているところです。ですが「日本語を手書きで書く」ことの功徳も絶対にあるはずで、この辺もまだまだ研究し続けていきたく思っております。

この度はありがとうございました。

2018-01-16 19:35

218.44.123.68

水野

奏様 返信が遅れてしまい申し訳ありません。

「あの音」をどうにかしたいという思いはだいぶ強いです。奏様のアドバイスを参考に、最後の段落を、「あの音」なしで書き直してもみました。ですがどうもしっくりいかず、どうしたものかと悩みました。結局、

 サンドイッチの包装と空のぺットボトルを、屑かごに投げいれた。あの音がまた鳴りはじめ、蝉たちの声とひとつになった。

という情けない折衷案に落ち着くことになりました。(上の文章を書いたときはかなり自信があったのですが。こうして取り出してみると、曖昧で、あまりよろしくありませんね)他にもいじれる文章はありますし、全体をいっそ書き直した方が良いのではないかという疑いもなくはないのですが、これ以上いじると当初とはまったく別の作品になること間違いなしで、作者の立場としてもそれは嫌なので、もう少し作業をしたらこの作品を一応「完成」とみなそうと思います。

この度はありがとうございました。具体的なアドバイス、非常に参考になりました。

2018-01-16 19:46

218.44.123.68

ここまできたら、何となく


> サンドイッチの包装と空のぺットボトルを、屑かごに投げいれた。あの音がまた鳴りはじめ、蝉たちの声とひとつになった。

のところ、何とかしたいですね……。
(ライブ感があってその空気感を壊したくないのも、よく分かります。)

たとえば雰囲気を壊さないで両方織り交ぜるなら、

> サンドイッチの包装と空のぺットボトルを、屑かごに投げいれた。[あの音]の残滓は蝉の声に呑み込まれ、渾然として入道雲へ溶けていった。

とかはどうですか?

> お腹とお尻ばかり大きくなっていった父親の記憶は、いつのまにか私から遠ざかっていった。きっとあの入道雲に、まるごと吸いこまれていったのだ。

というのがとても印象的な響きだったので、それと呼応するような形で結べば、尻切れトンボ感が少し解消されるような気がしました。

2018-01-16 22:07

116.0.177.37

水野

奏様 何度も足を運んでいただき、感謝いたします。

先ほど湯舟に浸かりながら、最後の段落の文章について考えていたのですが、「蝉たちの声とひとつになった。」よりも、「蝉たちの声と溶けあった。」の方がよさげかも……みたいな思いを抱いていました。そうしてPCに戻ってくると、奏様の新たにご提案なさった文章の中に「溶けていった」の語がありましたので、やっぱりそちらの方が自然なのかと、半ば確信に至っているところです。

「入道雲」もたしかに使えそうではありますね。全体との兼ね合いで、最後の段落の文章に挿れるべきかどうか、奏様のご意見を参考に再度考え直してみたいと思います。

この度はありがとうございました。

2018-01-16 22:39

218.44.123.68

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です(テクニカルサポート)。

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3,000字以内