作家でごはん!鍛練場

『ヴィードロうさぎ』

kaiquu著

おかずにひと月ほど入学させていただいた卒業制作のつもりで投稿します。
介護老人と元ヘルス姫の物語、と話したら、即、「たて、立つんだ嬢!」とまぜっかえされそうな……、
そんなシーンもありますが、作者の想い抱く「介護」を描いたつもりでもあります。
腕試しに12月10日締め切りのD賞に応募しました。
感想・ご意見・ご批評、を寄せていただいた方には、丁寧な返信を心がけます。
特に、yahoo掲示板に出没している、50,60になって未だに作家でごはんの食べられない、
こんなはずではなかった、中折れてしまった、それでいてここの若い作家志望の人たちから尊攘のポーズで迎えられる、
おろそかな待遇では本人の自尊心が許さない、高給で契約するまでもない、村田修一のような者たちに、
半呆け老人から、大きなお世話のメッセージです。これは自分自身に対する自戒でもあります。

面白うてやがて悲しき……、原稿用紙113枚です。

ヴィードロうさぎ  113枚
    1
 窓の外は雪、けれども部屋の中はふんわり温か、そんな宣伝文句があったように記憶します。その反対に、外は暖かな日差しが射しているのに、内はひんやり寒々としている、ドアの向こう側とこちら側、見ていて悲しくなります。両者をさえぎる間の仕切り一枚を取り払うだけで、景色がフェードインするのに。
今、いつもの黄色い軽乗用車が停まると、ひとりの白衣の中年増(妾、のことです)が降り立ち、決意のまなざしでつかつかと歩いて行きました。その先に見える景色は……。

――妾(わたし)は、乾ケンゾウ様の主治介護至福士の奥宮通子と申します。
わたしという一人称は、普通に漢字で表記すると、私、となりますが、ここで、妾、というのには、やはりそれだけの理由があるのです。発音も古風に、妾(わらわ)とした方が、より実態に近い、(わたし)になるのかもしれません。
また、一般に介護福祉士とあるべきところを、フクシがシフクにひっくり返って、介護至福士となっているのも、それなりの理由があってのことです。妾は、福祉よりは至福、を目指しているからでございます。
妾、奥宮通子は、福祉の名のもとに、「おーい、○○さん」と声をかければ「なんまいだあ」と返事する、やがて人口の三分の一を占めようかという、独居老人の後生を味気ないものにするのに反対の立場です。
もちろん対外的には、介護福祉士奥宮通子、と紹介しています。
午前一〇時、介護ヘルパーである妾、奥宮通子が訪問して来る時間になると、乾ケンゾウ様はそわそわと落ち着きがなくなり、逸る気持ちを抑えるかのように、午前中の蠕動運動を終えて早々とひと汗かかれており、不自由なお体で庭に出られて、にこやかな顔で、妾、をお迎えて下さっているのでございます。
といっても、そのお姿は、妾にしか見えないのです。乾ケンゾウ様は、朝の目覚めが晴れ晴れとした日には、神様仏様ご先祖様のお加護をねがって、今日は善き事が起こりますようにと手を合わされ、その想いが有能な介護至福士である妾に伝わらぬはずがない、矢も楯もたまらず、不穏な汗をかいてお待ちになっているのでございます。
なぜ、汗をかかれて待っているのかと申しますと、それはもうもちろん、妾、が介護ヘルパーであるからでございます。妾、奥宮通子に寝間着を脱がされ身体を拭いてもらう、立派な理由ができたからでございます。
濡れた寝間着のまま捨て置かれて、体熱を奪われ、風邪を召されては、介護至福士である妾の大変な失態になります。真熱のために、悪寒、冷や汗をかかれるよりは、よっぽど健康的なお汗、姑息なたくらみだと思います。
妾のお客、乾ケンゾウ様は、建物の内、ほとんどベッドの周辺から動こうとされない、頑迷な独居老人なのです。介護ヘルパーのやって来る日は、首も手足も虚心も長くして待っているので、それが部屋から抜け出て、幽体のように庭先でにこやかにスキップしている、のが手に取るように妾にはわかる、というわけです。
そんな乾ケンゾウ様のお住まいは、車道から逸れて百メートルほどの坂道を登った、柴垣門を構える石段三個分を上がった高台にあります。坂道の上方にも下方にも他の家は建っておりませんので、やや奥まった場所の密やかな隠れ家のようにも見えます。百坪ほどの敷地に、かなりな築年数の経た茅葺屋根にひさし部分は瓦葺の平屋が、元は裏手の空き地に植えていた一幅の絵にするつもりであったのであろう、繁りに茂った真竹に、屋根を呑み込まれるようにして建っており、その間取りは四Kです。
隣家とは離れており、南側に小縁を設けて、方位的に日当たりはよいのですが、ひとり暮らしの五体不自由な老人のお部屋というものは、それはもう足の踏み場もない、思いの丈のし放題です。
前の日の訪問介護員が用意したのであろう、食べ散らかした煮カレイの骨や御膳箸、カップラーメンの容器や、ずるずるの鼻水を拭いたティッシュペーパーのかたまりが、ベッド脇の脚台から色褪せた畳の上に何箇所も落ちていて、そこに営々と働いてきたご褒美にしては無慙ともいえる、閉めきっているためにいっそう感じられる、いわゆる加齢臭が満ちているのでございます。
この加齢臭という言葉、妾は、大嫌いです。元々、人は臭いで、あの人この人と区別したものです。好きなあの方の臭いはこれ、嫌いなあいつの臭いはこれ、と目を閉じてもわかったものです。幼児には幼児の、少年少女には少年少女特有の、中臈には中臈の、老人には老人の積み重ねた歴史のある匂いがして当たり前です。無臭の人など、居るはずもありません。
なぜ、憤っているかというと、理由は後で出てきます。
靴脱ぎ場を上がり、フローリングの廊下の正面は台所です。左手とっつきに四畳客間があり、次の部屋がこの八畳居間兼ベッド室で、奥に横長の三畳の納戸と、壁で隔てた厠があります。厠に行くためには、部屋を出て、小縁廊下伝いに右回りに歩いて行くことになります。元来は外庭に降りて行って用を足したにちがいない、昔の造りですから、今風のトイレとは呼べない、上部だけを急ごしらえに備え付けた簡便式便所です。
玄関右手に書斎部屋があり、そこには「清掃不要・入室禁ず」の貼り紙がしてあります。気を惹かない、無機質なプリント文字です。広い台所の中央には大きなテーブルと揃いの椅子が置かれていて、最小限の鍋、フライパン、薬缶なども揃えられ、調理用のガスレンジはもちろん、銀色のシンク流し台、中型の冷蔵庫、なども置かれています。全体の造りの様子から、玄関・台所・書斎部屋とも、元は土間であったものを今風に床揚げ増築したものと思われます。境の敷居分の段差は残ったままで、台所はまた一段低くなります。お隣さんから、もらい湯をしなくてもいいように、お風呂場もありますが、これは凝った造りです。裏木戸をあけて母屋の外に出る、現代では珍しい、外湯なのです。
乾ケンゾウ様がこのようなお宅で独りお住まいとは、ついぞひと月ほど前まで、妾、の知らぬことでした。妾は、てっきり、乾ケンゾウ様はご家族に囲まれて、幸せな老後をおくっておられるのだとばかり思っていました。
庭には一本の梅の木が植えられていて、それは今、満開のさかりです。山水を象ったのでしょう、岩と松の築山があり、庭に雑草はまだ萌え騰がっていません。柴垣門から玄関につながる、飛び石のわきに、寝ぼけた蜥蜴が一匹、蹲っていました。
季節は早春、なのです。
そしてこの家で、妾、介護至福士奥宮通子と半呆けの乾ケンゾウ様の、割りない仲が牽き起こす、この世のなれの果て、の情景がフェードインすることになっていくのです。
ケンゾウ様宅の柴垣門の丸太柱には『四股院』、という表札が出ています。
古代の厩戸太子の四箇院(施薬院・療病院・悲田院・敬田院)から採った名前だそうですが、あまり見馴れない言葉ですので、お節介な人が尋ねて、それとわかったそうです。最初にこの家を訪ねた時の目印に、妾、は組合の方から、意味ありげな目配せされて説明されたものです。変な名前の変な人、現在のケンゾウ様は、まさにその施薬・療病・悲田・敬田を必要とされる、要介護注意人物なのです。
『四箇院』では現代にほとんど意味が通じない、まだしも『四股院』の方がなんとなく奥に人の気配が想像できて、「どおーれ」と大きな声が返って来そうでもあります。もちろん、不自由なお体になられてからの、『四股院』は、望めぬ彼方の憧憬のようでもあって、元の『四箇院』のままの方がまだよかったと思える、ひたすらに裏哀しさの漂うものでもあります。
表札の下に丸い桶台があり、その上に敷かれた毛氈に乗って、ノラの黒猫のフーがいつも置物のようにじっと動かずにいて、この家に来たる者を監視しています。妾、は歓迎される者ですから、門番のノラ猫のフーも素知らぬ顔をして、通してくれます。
怪しい者にはノラ猫のフーは容赦なく引っ掻いて、内には入れないのです。
それが雨の日にも雪の日にも濡れずに済む場所を提供してくれている、ケンゾウ様への恩返しなのです。風の日には風向きによって風よけになる、ミカン箱、ポリバケツ、などの四方にころがっている遮蔽物の中で、見たことはありませんが、たぶんうずくまっているのでしょう。先ほどの、飛び石のわきに蹲っていた蜥蜴も、たぶんノラ猫のフーに追いかけられて、帰る頃には、姿を消しているはずです。
 実を申しますと、妾、奥宮通子はこの家の主治介護ヘルパーとなる前から、ケンゾウ様とは昵懇の間柄です。ケンゾウ様がまだお元気であったころに、さる場所で知り合った、正直に申しますと、いわゆる殿方の遊ぶ風俗店で、ケンゾウ様にご贔屓いただいたというわけです。
妾、は風俗ヘルスに勤務するかたわら、いつまでもこの仕事ができるものではないと、将来のために介護福祉士の資格を取り、現在はアール介護組合に所属する、派遣の訪問介護ヘルパーなのです。
年齢はちょうど四十歳となります。
二十歳のときケンゾウ様と知り合いになり、五年間ほどご贔屓していただきましたが、ぷっつりと縁が切れていましたので、再会したときには十五年間ほどのブランクでございました。ケンゾウ様と疎遠になったあとも風俗ヘルスは続けていましたが、まったく潔いまでに、どんな消息も連絡も突然に途絶えてしまいましたので、こんな仕事をしていて言うのもおかしなものですが、人生のはかなさ無常さをひしと感じて、ヘルス業に身が入らなくなり、ついに三十歳になったのを区切りにきっぱりと辞めたのでございます。
ケンゾウ様はどこそこの社長様とか、さかんに吹いておられていまして、妾、のお店にやって来られた当時、誕生日が来るときりのよい五十路になる、と聞いたような気がします。それですから、今は七十歳になられているはずです。
介護福祉士の資格を取ってからも、すぐにその仕事に就けたわけではありません。妾、には何か、同性の面接者から見て、いろんな質問をされる度に応える口許がどうも奥歯にもののはさまったような物言いになっている、どうにも良からぬ予感がするらしく、いずれメディア沙汰になるような面倒を引き起こされて、経営を危うくされては叶わないとでも判断されたのか、なかなか事業所には採用されなかったのでございます。
そのために、妾、が一人きりの、奥宮通子訪問介護至福苑を立ち上げて、アール介護組合に所属して活動するようになったのは、やっと三年前からのことです。組合から紹介されて、ケンゾウ様のお宅に派遣されたのもついひと月前のことです。そこまでどなた様のお家とも、ほとんどが室内掃除・食事補助、のなどのデイサービスで、長くて二時間の、訪問契約を交わしていました。
入浴は一人で行うには難しいので、奥宮通子訪問介護至福苑の契約内容には含まれておりません。入浴介護を行うためには厳しい指導要綱があり、妾、はそういった肌の触れ合い事から離れたところに居たかったのです。
それでも素性は隠せないもので、事業所の面接官が感じた、妾の、どこかたぶんコケットリーな抱擁を想わせる雰囲気に、少し打ち解けてくると、訪問先の中には二人きりの時などに余裕で謎かけをしてくる、デリカシーのない、いやらしい老人介護者もなくはありませんが、妾はヘルスを卒業したので、どのように謎かけをされようとも、それに近い行為は決していたしません。
第一、  報酬が段違いです。
時給千二百円で、何を望まれるのですか。
一度許してしまうと、それが弱みになって退くに引けなくなってしまいます。妙な表現になりますが、経験上、妾は一八才の大学生から八〇歳のご老人までお相手した、この道に熟練した中年増の、介護処女なのです。
もうお金でヘルスをするのは嫌なのです。
とはいえ、時給十倍を約束していただけるなら、まったく話に乗らないと言い切る自信はありません。妾は、一念発心して、この道に飛び込んだのですが、ボランチアのつもりはなく、基本的には生活費を稼ぐためです。同じ一時間拘束されるのなら、千二百円よりは一万二千円の方がいいに決まっている、と根底に考えてしまう、いまだ悟りに至らぬ不心得者です。
乾ケンゾウ様と再会してから、その思いが強くなりました。
妾の、過去を知っている人の前で、何をもったいぶって、ことさらに行儀よくする必要がありましょうか。
「別に、溶けて流れる雪じゃなし……、溶けて流れりゃ皆同じ……」で超売れっ子だった、なんでもありの「初音ちゃん」、だったのです。
 ところが、十五年ぶりの再会は、勝手が違ったのです。
妾は、アール介護組合から派遣された旨の、初対面の挨拶をして顔をしげしげと見合ったとたんに、この家の御主人様が、昔、
「初音ちゃん。儂の愛人にならんか。愛人にしてやろうか」と何度も口説いてきた、当時店で名乗っていた「トウイチ」様、その人であることを瞬時に見破っていたのです。
トウイチとは戌亥、本名乾の、シャレのつもりだったのでしょう。
しかし、「トウイチ」様は昔の「トウイチ」様にあらず、年を経ていただけではなくて、男振りも滑舌ぶりも、まるで別人になっていた。
十五年前に最初の脳梗塞に襲われ、当時まだ壮年の五十五歳、懸命のリハビリをつづけて、ようやく言葉が話せるようになり、それでも身体の不自由さは隠しようもない。そうしているところに、二度目の襲来に遭い、さらなるリハビリに取り組まなければならなかった。時間をかければ自力で起ち上がれぬ体ではないが、仰向けになった老亀(妾の言葉ではありません。組合の方がそう陰口ついているのを耳にしたのです)が必死になって起き上がろうとする、その様が、我ながら情けない。自分に腹を立てても詮無いこととわかっているが、ついつい出無精になり、閉じこもりがちになる。床の間にテレビが置かれていますが、それが写っているのを見たことがありません。
風俗遊びにのめりこんだために妻子がいないのか、妻子がいないために風俗通いになったのか、病院、施設と渡り歩いて、要介護さえ認められればなんとか生存の目途はつく、すでに親も亡くなっていた、誰も待つ者の居ない我が家に帰り、デイサービスの手配をしてもらい、あとは命の続く限り飛んでいく、おぼろ月夜の雁の旅立ち(これは妾のやや残忍な気持ちの表白ぶりが言わしめています。雁、とはもちろん、男性のあそこの頭のことです)になっていた。
 乾ケンゾウ様、七十歳。現在四十歳の、妾を、かって愛人にしたがっていたお方。その人とこのような形で再会しようとは、もうなんでもありの人生に思えて、思わず天を仰いで涕したものです。
 ついでに申しますと、妾は、風俗ヘルスを辞めたあと、言い寄って来る男がなかったわけではありませんが、いまだに独り身です。あまりに多くの男たちに接したために、どこに赤心があるのか、人間不信になってしまったのです。過去を知らぬ男とは、もし万一知られた時の反動がこわいし、ヘルス姫であったことを知っている男は、それを理由にいつ修復不能な難癖をつけられるかわからない。
三十歳で風俗を辞めて四十歳の今日まで十年間、誰ひとりとして、妾の、腹の上に乗って来た者はいません。
妾は、男たちを腹の上に乗せて稼がなくても、もう十分な貯蓄があり、自己所有の2LDKマンションも持っており、時給千二百円で一日数時間働くだけで、あとは自由な時間を空想と妄想でいっぱいにする、少女時代は読書好きな静かな乙女だったのですから、文章力があれば十年間の風俗体験を小説に書いて出版社に売り込んでやろうと、そんな厚かましい楽しみをもって生きていくつもりなのです。
ところで、乾ケンゾウ様は、妾の新築マンションの12畳リビング分ぐらいの購入資金を貢いでくださった、大切なお客様です。妾の持っているエルメスのお気に入りのリュックカバンも、ケンゾウ様、当時のトウイチ様に少しだけ他のお客様より濃いサービスをして差し上げた、そのお礼に贈られたものです。
そのお方が今は不自由なお体で、ひとり暮らしを余儀なくされているのです。妾、黙って見ていられません。
「トウイチさまでしょ。わたしが分かりますか。わたしを覚えておられますか」
 二度目に訪問したときに、妾は、どうしても我慢ができずにそう声をかけていました。お客様のプライバシーには絶対に触れてはならないことになっていますが、そんな戒めも時と場合によりけりです。お互い様なのだから、構わないと思ったのです。
「やはり、初音ちゃんだったのか。そうではないかと思ったのだが、派遣のご婦人に失礼があってはならない、遠慮していた。で、初音ちゃんは今、何をしているんだい」
 話す言葉にたどたどしさがあって、全部すべて聴き取れるものではなかったが、そのように話しているのはわかる。訪問介護でやって来た妾に、「今は何をしているんだい」もないものだけど、名前を憶えていてくれたことはやはり嬉しかった。
突然に、どんな予兆も別れの挨拶もなく、店に現われず、携帯もつながらなくなった、消えた理由が脳梗塞のためであったのだと知れて、複雑な思いがしたが、初日一日、黙々と部屋の掃除や片づけ食事の支度などしているうちに、すべて恨みは水に流すことができた。
妾は、トウイチ様の本名も住所もどんな仕事をしているのかも知らなかったし、トウイチ様も妾の本名もどこに住んでいるのかも知らなかった。風俗店で素顔を見せるのは、蜃気楼の正体を知ったり教えたりするような、興ざめすることなのです。
知らぬが華、が重畳なのです。
一週間二週間、ひと月ふた月とまったく音信不通になっても、こちらから電話を掛けるようなことはしなかった。それが贔屓にして下さるお客様への、ヘルス姫の、礼儀と言うものだから。いつまでもあると思うな、親となんとか、ですわ。
しかしこの日明らかとなった、トウイチ様が乾ケンゾウ様、初音ちゃんが奥宮通子と分かってからは、もうふたりとも他人行儀の物言いはしないことにした。
どのくらい病状が回復しているのか、心配だったが、三度目に訪れたとき、ケンゾウ様は早くも口にした。
「初音ちゃん。どうだろうか。永らくご無沙汰しているんだ。前のように、初音ちゃんのネネちゃんを診て元気を出したいんだけど、儂のねがい、叶えてくれないか」
 ネネちゃん、と変な言葉だけは発音がはっきり聴き取れるので、たぶん、そんな風なことを言っているのだと理解できる。妾、はあきれて、でも再会して三度目にもなるので、すっかり気持ちがほぐれてしまっていた。
昔の隠語を即、思い出して、言い返してやった。
「あれっ、まだその気が残っているのですか。トウイチ様のサッちゃんは、もうぴくりともしなくなっているんじゃないんですか」
 トウイチさまは、理解された老人の、くしゃくしゃの笑みになって言った。
「だからな、初音ちゃんのネネちゃんを拝めば、昔を思い出して、元気になるんじゃないかと思うんじゃよ」
 ネネちゃん、サッちゃん、と知らぬ人が聞いたら童謡の中に出て来そうな、女の子の可愛い名前のようですけど、これは当時のトウイチ様が説明したところでは、
――田口洋美という民俗学者の著作の中に、江戸後期の旅行家菅江真澄の遊覧記という本に、里人には気づかれぬように仲間内で話していた、「さったてをほろにして、ねねつふをけあわせたい」という山の民の隠語のことが載ってある。「さったて」は男の性器、「ねねつふ」は女の性器、ほろは大きいことをいい、けあわせるは交接することだという。
こんなことを言うトウイチ様は、会社の社長と店では吹いているけど、たぶん大学の先生か民俗関係の仕事に携わっていて、それを覚られないための隠し弁なのだと、妾は、にらんでいた。歴史好き、旅行好きだといい、旅先の名物――あるとき二つのヴィードロ玉を持ってきて、その薀蓄を得々と話して、だんだん予想通りの方向に話のオチが進んで行くのがわかり、ついには上目で睨んでくすぐりながら、玉舐めしてやったことがある。
「だからのう。初音ちゃん。人の耳がすぐうしろにあるレストランなどでも、堂々とあれの話ができるのじゃよ。今日のネネちゃんはごきげんが良かった。サッちゃんの言うことになんでも応えてくれた。これをよく知られている、あの四文字と三文字、オ○○コチ○ポと言ってごらん。すぐにつまみ出されて、悪くすれば猥褻物陳列罪で、タイホされるかもしれん」
 妾、はいくらなんでもそんな卑猥話には乗らないけれど、口にするのも恥ずかしいあの呼称よりも、まだネネちゃんと言われる方がなんだかほんわかとする。
 ヘルスプレイに言葉責めというのがあり、あそこの呼称を無理やり口に出させて、楽しむのがある。
「どうだ、これはなんと言うのだ」
お客の逸物を口腔に含ませて、じりじりと虐めて、言わせようとして、さらに興奮して咽喉の奥まで突いて来る。
「言え! 言ってくれ!」
中には懇願して、泪を流して頼む人もいた。「んぽ、んぽ」としか発声できない。
「ここはなんと言うのだ」
妾の、ネネツフを弄りながら、どうしても「お○○こ」と言わせようとして、そんなときには心で可哀そうと思いながら、それでも声に出していた。「まんこ、まんこ、初音のまんこ!」
風俗ヘルスをやっていた十年間に、多くの男たちを知ったけど、みんな忘れるようにしてきた。ヘルスに来るお客の中には馴染みになると、普段できない変態プレイを要求する人が多い。言葉責めとはまた別の、オナニーを見物したがるし、放尿するところを見てその勢いに顔を背けている。プレイリストに載っているので、体調不良でできませんと断っても、どうしてもやれと承知しないお客様もいる。すべて、料金の上乗せ次第、でなんでもありになる。
「初音ちゃん。きょうはどうしたのかな。大変すごいことになっている。ネネちゃんにドジョウが棲みついているみたいだ。儂のサッちゃんにつんつん食いついてくるよ」
 妾、はカッと熱くなって顔をおおっていた。直前のお客に、どうしてもと懇願されて、放尿プレイをしてしまい、そんなことまでしているかと叱られそうで、その恥ずかしさが割りない仲のトウイチ様に縋るような気持ちになって、いつも以上に妾のネネツフは感応していたみたいだ。
 このときに限らず、トウイチ様はその日に何人も、妾、に他のお客がついていたことを知っている。前にいるときはそうでもなかったけど、すぐ後にいるときには、どこか寂しそうな顔をしていた。後のお客の分まで払ってくれて、身体を休めさせようと、そんな男気を見せてくれたこともある。二十歳すぎの初音と五十すぎのトウイチ様、すべてわかった上で抱きしめてくれる、親子のような関係だった。
「きょうは乱暴なお客に当たったみたいだな。内股にあざができている。初音命、のキスマークをつけられたのかもしれん。初音命、そこまで入れ込む男の気持ちもわからんでもないが、儂はそんな痕が残るような無粋なまねはしない。そのかわり、ネネちゃんをいつもの三倍、掬ってやろう」
 上手に、初音を、時間いっぱい、トウイチ様のサッタテをてかるほどに包ませたり、ネネツフの根性を叩き直してくれたりして、楽しませるように仕向けて来る。
トウイチ様は妾に沢山のお金を使ってくれただけでなく、話し好きな、やさしい眼差しをした、素敵なおじさまだったので、忘れようとしても忘れられぬ人になっていた。

   2
不思議なもので、初日に感じた、独居老人の加齢臭というものが、その後のケンゾウ様の周囲から消えました。微かな、甘葛のような芳しい匂い、になってきたのです。
たぶん、妾が、昔馴染みのヘルスの初音だというのがわかって、何か心境の変化が出て来たのでしょう。普通の訪問介護士では絶対に期待できないお手伝いが、もしかしたらあり得るかもしれない、その想いが、ケンゾウ様の体内ホルモンの新陳代謝を、活性化させて、微妙な影向のようなお体になってきたのではないかと勝手に思っています。
今日でちょうど、乾ケンゾウ様の訪問介護ひと月になります。その間、妾、はもちろん主治介護至福士の奥宮通子として接していますから、ケンゾウ様が以前の名前を思い出して妾を呼んできても、聴こえぬふりをして相手にすることはありません。
しかし、とうとう恐れていた、困った問題が起こってしまったのです。起居不自由なお客様の依頼をまったくムゲにすることはできませんから、できる範囲で扶助することになっているのですが、前回の訪問時の帰り際に、ケンゾウ様が、
「ああ、オッキュウさん。次に来られた時に、からだを拭いてもらいたいのだが、それは叶いますかねえ」
 オクミヤとは発音しづらいらしく、オッキュウになって聞こえるのです。ヘルスの初音がトウイチ様の頼みならなんでもオッケーしたのを覚えていて、わざとオッキュウと聞こえるように言っているのかもしれません。
 ケンゾウ様から、いわゆる老人加齢臭というものが消えてきた理由は、たぶんこの楽しみが生まれたからです。ここに居るのはお店の「初音ちゃん」ではない、と理解しているからさすがに遠慮気味に、かえって猫なで声になって「オッキュウさん。からだを拭いてもらえるかな」だって、どこからどこまで拭いてもらうつもりなのだか、なにしろなんでもありの「初音ちゃん」を知っている、お馴染みさんのトウイチ様の弁です。
十五年前のトウイチ様の、足の指先からあそこの毛の数まで、もちろんサッタテの視覚触覚すべてを知っている妾ですから、遠慮なく寝間衣の下着まで脱いで、ベッドに立ち座りさせるときにはからだを支えて起さなければならない、妾の身体にしがみついて、そのときかならず胸に手を差し入れて、乳を揉みに来るにちがいない、どうしたものかと考えていた。
相談する人はいない。
居ても、相談しない。
妾は、二十五歳の、世間知らずの初音ではない。この十年間、誰も男を腹の上に乗せなかった、四十歳の介護処女の奥宮通子だ。
でも、今の乾ケンゾウ様は、その男といえるのかしら。
妾は、考えた。トウイチ様の言葉には、裏意がある。それを察してあげて、十五年間のブランクがあるからといって、それをまったく袖に振れる、無慈悲な奥宮通子であってはならない。
時給千二百円のうちには、人によっては上半身を拭う介助は含まれなくもないが、下半身を露出させて拭う行為は厳然と禁止されています。介護する側、される側、双方に羞恥心が伴う行為だからです。お湯につけたタオルは絞ってあげるけど、それから先は介護者の目線のないところで自身が行うこと、になっている。
なによりこのような接触行為は、ふたりきりのときには絶対にしてはならない。週に一度は、他の介護所から複数の者がやって来て、塩ビ浴槽を持ち込んでお湯を溜め、身体を洗ってあげているはずです。そのときに下半身の露出は誰の目にも触れぬようにして、どうしても自身で洗えない者には布で隠してから、湯をかけ流しているはずです。
至福を目指しているけど、ヘルスであってはならないのです。しかし、この屋敷には、妾とケンゾウ様のふたりしか居ない。
襖も小縁のガラス障子も玄関のドアも開け放しておけば、さすがにケンゾウ様も無理強いはしないだろうと考えて、今はまだ寒い春先なので、風邪をひかれては困る、その方法はやめた。
ノラ猫のフーは、鼻を鳴らして妾を出迎えているし、ケンゾウ様はなにがなんでも元気な所を見せようとして、小縁廊下まで這い出てきて、外をキョロキョロのぞいて、妾の姿を発見すると嬉しそうに笑顔を投げかけてきている、そんな気がする。
仕方なく、妾も笑って、自分を納得させていた。御座敷に上がり、ケンゾウ様の顔を見たとたんに、もう迷いは捨てた。フェードイン、することに決めたのです。
ケンゾウ様は妾の手を握って、ほっと安心した顔をしている。もしかして、妾が、今日はやって来ないかもしれないと、やはり不安になっていたのだろう。
暖房は石油ストーブの火しかない。室温を上げるのを嫌がる昔人間だけど、天井に湯気立つほどに暖めなければならない。万一、他人の目にふれては、以後この仕事ができなくなる。今日はそのつもりで柴垣門に紐をかけて通せんぼするのを忘れなかったし、玄関の鍵をかけ、障子はもちろん、小縁のガラス戸のレースカーテンも閉じて、湯を沸かして委細万端ととのった。
そのとき、ケンゾウ様が言った。
「オッキュウさん。すまないけど、そこの手提げ金庫の内に財布があるはずだから、その中から二枚ほど抜き取ってくれないか。からだを拭いてもらうのは、特別な配慮なのだろう。お礼をしなければ罰が当たるよ。遠慮しなくていいから必要なだけ取ってくれたらいい。ひとりで風呂には入れないから、からだを拭いてもらうだけでとても気持ちが軽くなる。こんなお爺さんになってしまって、見たくも触れたくもないだろうが、少しの間だけの辛抱、辛抱、その代価だよ、遠慮なく受け取ってくれたらいい」
 ケンゾウ様の言っていることに、だんだん耳慣れてきていた。全部が聞き取れているわけではないが、たいていそんな意味のことを話しているのはわかる。
ケンゾウ様は、妾を奥宮通子として遇して、初音ちゃんとの逢瀬の記憶をまだ完全には取り戻せていないみたいです。かえって妾の方が、久しぶりのトウイチ様とのヘルス時代のことを思い出してしまって、そわそわしていました。
手提げ金庫の内の財布の中には、なんと万札ばかりが十枚以上も入っていました。二月の年金支給日に、長く世話になっている懇意な訪問介護員に銀行から引き出して来てもらっていた、もののようです。
「二枚ほど」の意味は、二千円だったのかしら、二万円のつもりなのかしら、と考えて、たぶんやはりまだ正常な感覚が戻っていないのだと推察して、財布の中身を見せて尋ねていた。
「乾さん。お札しかないけど、これを二枚、なの」
「おう、そうじゃよ。それぐらいが相場だろう」
「からだを拭くだけなのに、こんなにいただいていいの。千円札じゃないから、二枚は二万円なのよ」
「おう、そうじゃ。こんな体になってしまって、すまんことをお願いしている。オッキュウさんはええ人じゃ。優しい人じゃ。今までここに来てくれたお手伝いさんの誰もが、儂の言うことを笑うばかりで、まともには聞いてくれようとはしなかった。儂はただ若い女の人にちょこっとさすってもらえたら、少しは元気がでるかと思うてお願いしているだけなのに、色呆けた爺としか見てくれん。こんな体では何もできん。ただ拭いてもらいたいと思うているだけじゃ」
 妾は、とうとう言ってしまった。
だって、いじましい、のです。本当はからだを拭いて欲しいのではなく、あそこを念入りにおしぼりで洗い清めてもらい、できれば握ってさすって欲しいのです。そうすれば、今が、どんな状態なのか、意欲があるのかないのか、わかるからです。
妾は、ケンゾウ様に、今度の訪問介護人奥宮通子に二万円も渡したら、想いが通じて、期待していた以上の福引に当たる、それを分かってもらって、前向き人間になってもらおうと思います。お金を二万円も出したら、ぴちぴちの若い女の子が呼べるのに、もう四十歳になる中年増のオッキュウさんに、からだを拭いてもらうだけで同じ大金をくれようとしている。
「乾さん。わたし、お風呂沸かします。わたし、支えますから、思い切って一緒にお風呂に入りましょう。一緒に入って、溜まった垢を落としましょう。いいですか、乾さん、わたしの言っている意味、わかりますか」
乾ケンゾウ様は、ぽかんとしていた。
当然です。からだを拭いてもらうことさえ、遠慮しながらの申し出であるのに、お風呂に入れるなんて、まして一緒に入って、そうしたらどうしたってあそこも布で隠してではなく、直接お手で洗ってくれる。
「ほんとかの。一緒に風呂に入るとは、オッキュウさんも裸になってくれるということかの」
 たしかに、介護服の上からビニールカッパを着て、入浴補助する介護員もいる。普通なら、誰も、そうでなければならない。
しかし、妾はちがう。
妾は、ただの介護福祉員ではない。昔、取った杵の数々、ヘルスの初音です。
「はい。そうですよ。わたしも裸になってお風呂に一緒に入ります。以前の初音ちゃんとは少し体形変わっているかもしれませんけど、わたしの裸も、まだ捨てたものではありませんよ。ヘルスに呼ばれたのではないですけど、二万円ももらえるのですから、わたしのお乳に触って揉んでくれてもいいです。ネネちゃんもよくご覧になってくれていいです。そうやって、乾さんも、早く元気になってください」
 誰ひとりも、この十年間、腹の上に乗せなかったけど、いつかはやって来る善き日のために、エステ、フィットネス、と汗を流してシェイプアップを怠らなかった。バストの張りはほとんど崩れていないし、ウエストサイズも若いときのままを維持しているつもりだし、ヒップにいたってはトウイチ様がいつも誉め称えていた縄文土偶の豊かな丸みを増しているし、今すぐにでも指名されても決してがっかりさせない、自信があります。
「儂はまったくだめになってしまっているんじゃが」
「それはそうですよ。普通、誰だってそうなる御歳なんですから」
「そうかの。しかしやはり、悲しいの。せっかくこんな若いきれいな女人と一緒に風呂に入れるというのに、まったく役に立たないとはのう」
 あいかわらず、口は達者なのに安心した。
「大丈夫ですよ。そんなお上手が言えるのですから、すぐに、元気になれますよ。トウイチ様の福の神は、初音です。わたしが初音になる決心をしたのですから、もうそこまで元気はやって来ていますよ」
 せっかく湧かした洗面器のお湯をもどし、部屋の掃除、片づけなどしながら、前戯のような会話をしながら気持ちをほぐしていると、契約の二時間では終わりそうにないのに気づいた。
「乾さん。午後から誰か来ることになっていますか」
「ない。今日はオッキュウさんだけしか来ない」
「では延長しましょう。家事をして、入浴まですると、あと二時間は必要です」
 妾は、滞在時間の延長のつもりで言ったのだけど、ケンゾウ様は介護料金の加算と受け取ったようだった。
「そうじゃの。ではもう二枚、財布から抜いてくれ。それで足りんようだったら、まだ持って行ってくれて構わないよ」
 こんなのでいたら、悪い女にかかったら、いくらあってもむしり取られる。半呆けの老人の云うことと、曲がりなりにも介護資格を所持した者と、どちらの言に信用が置けるかわかったものではない。
金がいつの間にか失くなっている、食べ物が冷蔵庫から消えている、そんな疑いを介護者の身内の者からかけられて、騒動になることもあるのです。
 妾は、一緒にお風呂に入るのも、無料奉仕のつもりだった。マンション代の三分の一は貢いでくれたトウイチ様が、今現在、不自由なご老体で、後生の願いを託している。それに応えてあげなければ、恩知らず、血の通った人間ではない、と考えていた。
 もちろん、妾が、風俗ヘルスの経験のない、普通の介護福祉士であれば、こんな要求に応えるはずもないし、ケンゾウ様も言い出していなかったと思う。ここで出会ったのも多情の縁、ふたりは元の関係にもどるしかない、そんな気持ちにもなっていた。
「乾さん。お金はもういいです。乾さんが少しでも元気になってくれたらいいのです。わたしも男の人の裸に触れるのは久しぶりだから、どんな風にしたらいいかと考えて、なんだか楽しみになってきています。トウイチ様のサッちゃんと、初音のネネちゃんがまた出会うなんて、きっと神様のお導きです。いっぱい楽しいことができたらいいですね」
 しかし、風呂を沸かす段になって、妾は考え込んでしまった。お風呂場は母屋の外に、ふみ板を踏んで行く、離れ舎になっていたのです。外へ出るのに、床下分の地面まで下りなければなりません。四囲の太柱も屋根の梁も、むき出しの黒ずみで、ひなびた旅館の、古色蒼然とした広い野天風呂のようでもあって、元気なときには風情のある趣ですが、歩行の不自由な高齢者になって入浴するには、いささか不便な造りです。
 しばらくは利用されていなかったのであろう、四坪ほどの空間は、昼間であるにもかかわらず、迫った真竹の影の何本もが窓の外に写って、うす暗く冷え冷えとしていた。しかしそこにある浴槽は、全体の構造が古風な風情を醸成している中にあって、そこだけが今風のラブホテルにも似た広い楕円形のバスタブで、いつごろ改装したのか、ケンゾウ様は元気な頃には毎日ここに入って何を想っていたのかと、興味の湧くものでもありました。三枚組の浴槽の蓋、腰かけ台、湯桶、簀子とも、木作りのもので、すみにきれいに片づけられていて、いつ利用してもよいようになっていました。
蛇口をひねると、ボッとガスの点火する音が外から聞こえてきて、お湯はすぐ出て来たので、覚悟を決めて、ほこり落としの水洗いをして、お湯の温度と勢いを確かめて、母屋に戻り、入浴準備に取り掛かったのです。
 しかし、思っていた以上に、乾ケンゾウ様をお風呂に入れるのは大変でした。ヘルスをして楽しませるどころではなく、まずお風呂場に辿り着くまでが困難をきわめました。ケンゾウ様は飛びぬけて大柄な人ではなかったけれど、妾よりは背丈があるし、目方も見かけよりもずいぶんと重かった。
つかまり立ちをしないとまず歩くことができない。ベッドの端に腰かけさせるまでは身を起すだけだから、妾の介助で難なくできた。そこから八畳間を出て、客間を抜け、台所の裏手の風呂場まで、距離にして二十数歩ぐらいのはずなのに、一歩進んでは二歩目を出すのを怖がるので、なかなか目的地にたどり着けない。妾のからだにつかまらせると、思いきり体重をかけてくるので、落としては大変と、ぎゅっと抱きしめて、蟹歩きして進んだ。介護員に、腰を痛める人が沢山いるのも肯けます。足がもつれてふたりとも倒れそうになり、もう少しでケンゾウ様のからだを踏みつけるところだった。
「すまんのう、すまんのう」と幾度も言うので、
「大丈夫です。大丈夫です」と応えるしかない。
「下へおろしてくれ。這い這いしてなら、一人で行けるのじゃ」
 五体不自由なケンゾウ様に、赤子の四つん這いをさせてはならない、ことぐらいわかっています。けれども、万事この調子で進むと、今晩ここに泊まらなければ時間が足らなくなる。「からだを拭いてくれ」を深読みして、あそこの拭き清めから三段跳びして、「一緒にお風呂に入りましょう」と誘ったのは妾なのですから、途中でやめるわけにはいかないのです。
「いいです。そんな恰好させては、悪いです」
 台所の椅子に腰かけさせて、とにかく一服した。妾は、エクササイズの荷重鍛錬をしていたようなものだから、汗ばむほどにからだが温まっているが、ケンゾウさまはベッドから出たばかりで寒いかもしれない。ストーブを運んで来て、まわりを暖かくして、背からガウンをかけてあげた。
「オッキュウさんは優しい女じゃのう。儂が元気なら、愛人にしたいほどじゃ」
 まだそんなことを言っている。トウイチ様の愛人になるのは構わなかったけど、ケンゾウ様の愛人にと言われたら、しばらく考えさせてほしい、になってしまう。
 落ち着いたところで、あと少し、大変な大事が待っていた。裏口から離れ舎まで、ほんの数秒で駆けこめるのに、今のケンゾウ様を連れて歩むにはどれくらい時間がかかるのだろう。
ヒートショックの話をよく聞くので、先にシャワーで熱めの湯を床に撒いて、温もりが全体に行き届くようにした。脱衣かごが一つしかないのに気づき、お主人様の脱いだ衣類の上に妾の下着類を重ねる非礼はできない、お湯に濡れては困るし、暖かいストーブの傍で脱ぐことにした。ケンゾウ様は直前まで寝巻を着せておいた方がいい、妾が先に脱いでいった。
もしかしたら、こんな風に事が運ぶかもしれないと予感していたので、白い介護服の下には、肌着を剥ぐと、自身でも少し刺激的すぎるかなと躊躇した、薄紫色に統一した乳隠し(ブラジャー)に帷子(ガーターストッキング)、三角巾の股当て(パンティ)、を身に着けてきていた。乳隠し、帷子、股当て、などの古言葉はトウイチ様が面白がって話していたことで、清楚で可憐な藤色の透けすけのブラとパンティは、当時のトウイチ様からプレゼントされたものを思い出して、昨日、新たにデパートで購入したのです。
せっかくの十五年ぶりの邂逅なのです。ケンゾウ様が独居だということはわかっているし、妾も、独り身です。
何が起こっても、誰にも迷惑はかからないはずです。
男の人の視線の前で脱ぐのは慣れていたつもりですが、長い間そのようにしていなかったのと、当時と立場が違いますから、さすがに緊張していました。介護服と肌着とストッキングを脱ぐと、いよいよブラとパンティだけの、妖しい姿になります。素肌に、ストーブの火が刺すように熱くなったのを感じました。
「おう」という呻き声とともに、ケンゾウ様の目が輝いたように思いましたが、ケンゾウ様は妾の想いまでには気が回らないらしく、勇んで触りも吸い付きもしてきません。元気な頃なら、この辺で抱きしめて来て、ブラとパンティを剥ぎ取るのはトウイチ様の楽しみだったのです。
「どう、わたしのヌード、まだ見られたものでしょ」と、十年ぶりに舞台に立ったストリップ嬢のお客の反応をたしかめる照れ隠しのようでもあり、ケンゾウ様の手を取って、ブラの上から触らせてみた。掌の触覚がケンゾウ様の脳幹を刺激してくれて、股間の突端にまで火花が飛んでくれますようにと祈っていたが、厚手の寝間着に腰を折ったままだから、内部に変化があったのかどうかはわからない。
あまり時間を弄んでは、至福に導くつもりが、逆効果になる。
やはり、あそこに直接手を添えて、握って揉んでこすってあげるのが一番のクスリになるような気がする。
「乾さん。ここで下着を脱ぎましょう。わたしにぴったりくっついていれば温かいし、肩に寝間着を羽織れば寒くはないです。いそいでお風呂に入り、お湯につかって、のんびりくつろぎましょう」
 それでも何となくこの期に及んで、もじもじしているようなので、ブラを外し、パンティも落として、妾が先に素裸になって、もう後戻りできないようにして、腕を引き上げて椅子から立たせた。
腰を抱きかかえて、寝間着の紐を解き、前を開けて下穿きを脱がせた。もしやまさかの紙おむつをしていたらどうしようかと、昨晩は眠れなかった。それでも御歳なのだからそれもいた仕方がない、なおさら頑張って見せなければと、薄紫色の下着に統一してきたのです。
普通の縦縞のトランクスであったので、正直安心した。もっとも、若者のメンズビキニのようなものを穿いて、待ち構えていたら、たぶん退いていたと思う。
 微に入り細に入った描写するものではないが、心配していたよりは、ケンゾウ様はまったく萎れきってはいなかった。十五年前のトウイチ様がどうであったか、もう忘れてしまったが、ヘルスをしていたときにも、はじめてのお客は緊張して縮んで恥ずかしがっている人もいた。そんな人も触っていると、立派に起ちあがって奔り出してくるのが可笑しかった。
 少し感応しているようにも見えたので、寝間着をはだけてその場でからだを密着させ、妾のネネツフがケンゾウ様のサッタテと接触するように、つま先立ちをして腕を回して、軽く腰を揺り動かしていった。ネネツフに全神経を集中して窺っていると、まちがいなくケンゾウ様のサッタテに熱が籠ってきているのがわかった。
 あられもない乱行と思われるかもしれませんが、虚無尼僧がやって来るなり、出てきた施主の着物の裾をひらいて、おもむろに尺八を吹いて妙なる音色を奏でる、門付け芸のようなものです。お部屋に入ったとたんの、ヘルスプレイのひとつです。
 あとはふたりで協力して、肩を組んで、支え合って、とにかく一秒でも早く、離れ舎のお風呂場までかけっこするだけになったのです。

    3
 ところがふたりの白熱は、裏戸を開けたとたんに、きりもみに消えていってしまった。妾は、隠さなくてよい頭にヘアーキャップを装着し、隠さなければならないお乳と小股は生まれたままの姿で、冷たい外気にさらして、五秒後には卒倒してしまいそうになり、ケンゾウ様は一段下りるのに足がすくんで踏み板に足をとられ、転びそうになり、お天道様以外に他人眼がないとはいえ、戸外でもつれ合う裸の老人と中年増の、どうにも始末のつかない不様な姿となってしまった。
 ケンゾウ様は「ああ、うう」とあせって叫ぶばかりだし、妾は裸になって奮闘している意味を見いだせなくて、泣きたくなった。
「乾さま、早く、早く、こんなところを人に見られたら、もうここには住めませんよ」
「うう、そうじゃが、足が、動かぬ。エイ、離してくれ。儂は這うた方が早いのじゃ。早う風呂に入らねば、死んでしまう」
 静かに密かに行われるべき秘匿事が、大声で怒鳴り合う、他人眼をはばからぬドタバタ劇になってしまった。
 そのとき奇跡が起こったのでございます。
ケンゾウ様は妾の支える手を振りほどくと、萎えているはずの足で、よろけながらお風呂場に駆け込み、そのときには妾に引っ張られた上張りはうまい具合に脱げていて、横倒しにざんぶと楕円形の広いバスタブに跳び込んでいったのです。
妾も、何がどうなったのか考える間もなく、そのあとを追って、何も脱ぐものがない、手足を広げて蛙のように飛び込むと、ケンゾウ様を抱き起し、思わず知らず、首に抱きついていたのでございます。
あやしげな神社仏閣の縁起、霊験譚を、目の当たりにしたようなケンゾウ様の早変わり身に、盲いた者の目が突然見開いて光り輝く秘仏に眩んで随喜したとか、足の萎えた信心者を治療と称して突き倒し喝の一声で起き上がり小法師にしたとか、そんな笑咄を思い浮かべたものです。
湯の中で、ケンゾウ様の動きが活発になって行ったのは、そのような霊験のあらかたでありましたでしょうか、理科で勉強したアルキメデスのおかげ、のせいであったのでしょうか。しばらく湯に温まり、生き心地ついたケンゾウ様の手が、ようやくに意志を持って動くようになってきたのです。
ラブホテルでいつもそうであったように、広いバスタブにちょこんと並んで入り、介護役を忘れていない、妾の手を取り、股間に運んで行くと、
「どうじゃ、少し元気が出て来ておるじゃろう」
 やはり男はそこの活気が一番の源であるか、やっと往時のトウイチ様らしくなった、努力は報われたと、ひどい目に遭わされたことも忘れて、流し目でにらむと横座りになり、言われるほどにはそのようでもないサッタテに手を添え、揉みもみしてやり、そうしているとケンゾウ様はさらに手を伸ばして、ネネツフを探してきた。
 ふと、潜望鏡をして楽しんでいた頃のことを思い出して、ケンゾウ様の指が尾鰭をくねらす人魚のネネツフに届いたとたんに、掌中のサッタテがずんと体積を大きくした、ように思った。
「おう。これがネネちゃんじゃ。この感触、忘れておらんぞ。初音ちゃんのネネちゃんがぬめっておる。早う拝ませてくれ。初音ちゃんのネネちゃんを観たら、もっと元気になる。もっと元気が出る」
たしかに意力は俄然、出て来ている。ここまできたら、妾も、ヘルスの初音に戻ることに躊躇しない。そのつもりで、今日は朝から念入りに心の化粧もしてきた。
お湯の中なら、ケンゾウ様の負荷も軽いはず。温泉療法という、医学的に認められている蠕動運動もあります。
跨って乗ると、せり上がり、十年間誰にも触らせなかった自慢のお乳を差し出して舌で清めてもらい、次に、トウイチ様が好んで要求した、顔の前にネネツフを持って行って、煽ってやった。
ケンゾウ様は童子に帰った喜びようで、お乳にがんぶと吸い付き、枯れた老師の乾坤一擲、お湯に濡れそぼるネネツフをむさぼってきた。世の空しさを知って、生きる意義を見いだせぬままに、もっとも色香に満ちた十年間を、出家比丘尼のように貞淑にしてきた妾の女の性は、たまらず大きな嬌声をあげてましろきお尻を振り、牡馬の奔りをさらにと求めていったのだった。
もとより、ケンゾウ様が七十歳の御老体であることは隠しようもない。五十五歳のトウイチ様のように、軽々と御姫様抱っこして、ベッドに放り投げる、予定通りに運ばないのも、合点承知の介です。ケンゾウ様の意力は、やはり長く続かないのです。妾も、二十五歳の色娘の天然のなめらか肌から、ぼってり湯も弾かぬ中年増の宍肉になってしまっていることを、ケンゾウ様に申し訳なく思っています。
それでも妾は、諦めませんでした。一度体得した、ヘルスの感覚は健在なのです。完全に意欲を失ったら、男というものはすぐには立ち直れない、そのことを身に染みて知っています。ケンゾウ様はあと少し、もうちょびっとで、必ず立派な牡馬になれます。
「乾さま。おからだ洗いましょう」
妾は、介助して、ケンゾウ様をバスタブの外につれ出した。さいわい、バスタブの縁はアール形で、少しぐらいぶつけても怪我にも打身にもなりません。ケンゾウ様は背もたれがないと長く座っていられないから、妾が背もたれつきの肉布団になることを申し出て、了承してもらった。浴槽の縁近くに腰を下ろして足を投げ出し、下腿の間にすべり込ませると、ちょうど仰臥したケンゾウ様のサッタテは、妾の手を伸ばせば届く位置にある。妾の小股のお毛に、ケンゾウ様の尾骨があたって、妙な錯覚がしました。普通はその逆の、並びになるはずだからです。
妾は、ヘルス時代に何十何百というサッタテの形態を見て来ていますから、今、目の前にそれがあるからといって、特別な感慨をもつことはありません。ただ、他ならぬトウイチ様の十五年後のサッタテが、悲しい象形である、のだけは、やはり見たくない、老いる人間の宿命とはいえ、残念に思うのです。
それを妾は、至福に導いて行こう、としているのです。
苦しい体勢で、首から腋、胸、下腿と垢を落した石鹸の泡をシャワーで流すと、ケンゾウ様の歴を重ねた身体が、光輝を増したように思われました。うしろから抱えている、斜めからの眺めでは、昔自慢の腹筋のあとが残っているようで(たぶん痩せているため)、臍から下って子持ち昆布のような縮れ毛の先に、ふてぶてしいまでに身を投げ出している、サッタテの胴体が沈んでいるのが見えます。期待と、裏返しの虐めの気持ちで、その股間の虚仮脅しに、強弱をつけてシャワー圧をかけていると、
「あー」と声を上げてのたうつのですが、多少は感応して反り上がるものの、シャワーを止めるとまた、下を向いてしまいます。
それではと、次に、掌にたっぷりローションをつけて、サッタテを握り、摩り、していくと、ケンゾウ様はトウイチ様時代の記憶が甦ってくるのか、かなり手ごたえがでてきました。掌に、ずっしりとした質量感とそれなりの硬直度が増してきて、もう少しのところで叶う、ところまで来ました。ケンゾウ様も、ご自身のものが勢いづいているのを眼で確かめていますから、あと少し、という合図の、両手を妾の手に重ねて、蠕動を応援してきます。
しかし、妾、にはわかります。ケンゾウ様はこんなことでは逝かない。トウイチ様も、掌中で果てることはなかった。ましてゆるやかに鈍っていくという、御歳七十。
あと少し、何が足らないのか……。
ローションは妾が、持ち込んだものです。こうなることは分かっていましたから、入浴の準備をしたときに、そっと置いていたのです。お風呂場が離れ舎にあることを、最初は憎らしく思っていましたが、狭い内風呂ではない、この広さは、まさにヘルス向きにできていました。
掌の中で、体積と硬度を増やしていますが、たぶんまだ五合目ぐらい。さらに登るには、やはり跳躍のお手伝いをして差し上げなければならない。頂上には、妾の、ネネちゃんの祝福が待っているのですから。
画竜点睛を欠かないために、お口に太筆を咥えて、続けることにしました。それがヘルスと言うものの、原点なのです。でもケンゾウ様をうしろから抱えている体勢では、妾がロクロ首にならない限り、お口はサッちゃんには届きません。
ケンゾウ様の正面に向き合わない限り、このことは無理なのです。ただ、そうすると、今度はケンゾウ様のからだを支える、補助具が必要です。浴槽の縁に腰かけてくつろいでいてもらうか、仁王立ちになって鏡に写ったご自身に向き合ってもらうか、それが一般的な方法だけど、今のケンゾウ様にその体位は望めない。
やはり、横になってもらうしかない。
「乾さま。敷きマットがあると、やりやすいのですけど、床に直接横たわるのは、やはりきついでしょうし、気も散ります」
「マットなら、ベッドの下に敷いていたやつが、今、取り外して納戸にあるはずじゃ。三つ折りになる、あれじゃ」
「濡れてしまいますけど、いいですか」
「構わん。どうせボロになっておる。役に立つなら、マットも本望じゃ」
こうなっては、中途でやめる選択肢は、ふたりにありません。
ただ、外に出て、取って来なければならない。からだは火照っているから寒くはないですけど、どんな格好で外に出たらいいか、少し迷った。来るときは裸だったのだから、出るときも裸でいるのが当然、とバスタオルを胸に巻き付けて、いそいで風呂場から走り出て行った。
 台所を通り過ぎるときに、なにか人の気配のようなものが、さっと揺れ動いたような気がして、お乳は隠しているが小股の黒々とした叢は丸見えのままの姿であるのに、一瞬ドキリとした。この家にはケンゾウ様以外に誰も住んでいない、はずなのです。
 ノラ猫のフーがどこからか入って来たのかと思ったが、構っておられず、とにかくいそいで目的の納戸に行き、すぐに見つかった三つ折りのマットを抱えて、それで下半身を隠すようにして、離れ舎に戻った。
 ケンゾウ様は待つ間、浴槽の縁に抱きついて、身を休めていたようです。無理強いをしてヘルスをするのも、気が咎めますが、妾は、今日をかぎりにもうここにはやって来ないと決心しているので、最後まで見届けていてあげたいのです。ケンゾウ様もそれを御望みのはずです。
 マットを広げると、ちょうど堅い床の全部が埋まって、端の余りが船べりのようでもあり、きれいに洗って乗り込むと、十分なウオーターベッドに早変わりしました。これでもう心置きなく、ケンゾウ様にヘルスができます。ケンゾウ様が少しでも昔のトウイチ様に舞い戻ってくれたら、妾、も幸せになれます。ケンゾウ様はきっと、妾にも、色々な楽しい思いをさせてくれるはずだからです。
「乾さま。ドリンク持ってきました。のどをうるおして、もう一度、わたしも頑張りますから、乾さまも、がんばってくださいね」
朝、ここへ来る途中、薬局が開いていたので、思いきって栄養ドリンクを求めていたのです。このことがあってもなくても、ケンゾウ様に用意した、滋養強壮の、まむしドリンクです。
 身を横たえたケンゾウ様の、今は海鼠のようでもある、サッタテを手に取り、昔のトウイチ様のように骨のある男になってくれますようにと、先ほどのつづきで、胴体と袋を揉みもみしてやり、少し手ごたえの出て来たところで、お口にふくみました。
 このお風呂場は、古風な隠れ湯風を装っているために、照明は、裸電球がひとつ、梁から垂れ下がっています。外からの明かりだけでも十分なのですが、陽光が雲間に入ったりすると、急に透明なガラス球がいきいきと点灯してきたみたいで、明るくもなく、暗くもない、ヘルスに熱中するにはちょうどよい、明るさなのです。
 サッちゃんをお口にふくむ、そのことで、昔、トウイチ様はエロチックな怪談話をして、よく妾を楽しませてくれました。
「深夜に、ぴちゃぴちゃと何かを舐めている音がする。気になって、廊下に出て見ると、次の間の障子に妖しい影が映っている。障子の向こうで、髪をふり乱した化け猫が、燈芯の油を舐めているのだ。首を上げたり下ろしたりして、うずくまって、おいしそうに舐めている。しばらくすると、化け猫は舌なめずりして立ち上がり、燈芯をまたいで蹲踞に腰を落して、ゆっさゆっさと上体をゆり動かし始めたのだ」
 妾の、このときのヘルスの様子が、障子に映った化け猫がローソクの蝋を舐める影にそっくりだと、トウイチ様にからかわれて、大いにむくれたことがあるのを思い出します。トウイチ様はそう話して、娘のような初音を慮って、そんなに一生懸命にしなくていい、形だけでいい、そう言いたかったのでしょう。
今、妾は、いっそうの臈たけた中年増の化け猫になって、トウイチ様、現在御歳七十のケンゾウ様に誠心誠意で奉仕しています。もちろん、ここでいう、化け猫とは、美しい裸体の女を褒称していう、言葉です。
妾は、本気です。
妾は、三年間の介護至福士の経験と、十年間の風俗ヘルスの体験から、さまざまな男性客に接してみて、介護とヘルスは両立することを発見しました。妾は、その先陣を努めるつもりです。介護至福士とヘルスの両方を努めた、妾、にしか、言い得ない言葉です。
ケンゾウ様が楽な体勢になったために、お口のサービスが効いて、七合目ほどまでに登って来ているのを確認すると、
「乾さま。わたしにもしてください。わたし、逆さになって乗ってもいいですか」
と、ぐるりと体勢を変えて、同時にふたりがあそこを舐めあう、あの体位になった。どちらもが受け身であり攻め手でもあるので、嗜虐の興奮度が高まるのです。
妾の、当時初音と名乗っていたヘルス姫の、トウイチ様がもっとも気に入ってくれていた自慢のお尻が、ケンゾウ様の、酸欠の鯉のように大きく開いて待っているお口の前に、差し出されました。
不自由な中でも、まだ動きの利く両手で、ケンゾウ様は、丸い豊かな縄文のお尻を軽々と押し上げると、もう十分に潤ってしたたっている、妾の、ネネツフの入り口に長い舌を差し入れて、ぜんまい時計のように回していくのです。
妾は、甘えた声で、「あーん。そんなに強く回しちゃ、洩れますよ~」と腰をぐんぐん振ってはさみつけると、お口に咥えた太筆が「猛」という字を勝手に描いていきます。ケンゾウさまのサッタテが、いっそう充溢してきたのがわかります。
ヘルスは、ふたりで協力して行う共同作業なのです。お客様が儘にならないのを逆恨みして、姫をお金で買った肉便器だと、ひどい言葉で2チャンネルに中田氏を吹聴したり、その書き込みを見つけた姫がお客様の逸物を劣悪粗沈だと中傷合戦するようでは、ヘルス道もすたれます。
疑似恋愛にすぎない、かりそめの恋、にはちがいありませんが、時には、夫婦・恋人以上に激しく燃えて愛し合えるのが、ヘルスです。
最初に出会ったときの、五十歳と二十歳の年の差、三十は、たしかに大人と子供のようで、トウイチ様に初音が敵うものではありませんでした。しかし今、七十歳の乾ケンゾウ様と四十歳の奥宮通子、同じ年の差三十ですけど、親子ほどの違和感はなく、しっぽりと相合傘に入ることができます。
「あーん」は若い女の子の特権ですが、中年増の奥宮通子がふりかざして悪いという法はありません。ケンゾウ様もそれを御望みだと思います。思わず洩れてしまうそのときの声は、どんな強精媚薬よりも効果のある、男性が歓ぶ、満願全席、なのです。
ヘルス時代はたいていのお客様に、演技で出した場合がほとんどですが、今、妾は、本気で声を洩らしてしまいました。ケンゾウ様のお口の周りに、濡れて光るV液が、あふれ出ているのがわかって、嬉しさと気恥ずかしさで、いっそうネネツフを掬ってもらっています。
十年ぶりに、自分の手ではなくて人の手で、弄られているのです。ヘルスをしたがっていたのは、妾の、方であったのかもしれません。
「おう、おう、この眺め、絶景じゃ。よい香りじゃ。まだまだ可愛いオッキュウさんのネネちゃんが、ぱっくり口を開けて待っておる。儂のも、もっとずるずる言わせて、早う、鬼に金棒にさせてくれ」
お互いに性感を高めるために、普段は使わない、卑猥語を口にできるのもヘルスの楽しみです。一場の夢、なのですもの、どんなことを口走っても、どんな淫らに乱れても、神様は見逃してくれます。
ケンゾウ様は、妾のネネツフに鼻を押し付けて、臭いを嗅いで「よい香り」と、おっしゃって下さいました。これを2チャンネル言語で「マンシュウキムコ」と叫んで、姫子をこき下ろしている人たちがいます。この人たちは自分がどこから産まれ出たのか、知らないのでしょうか。コウノトリが運んで来たと思っているのでしょうか。こんな男たちが居るから、無菌無臭がさも良いことであるかのように、加齢臭がどうの、脇の臭いが小股の臭いがと、取りざたされるのです。
臭いのない生き物など、地上に一匹も居やしないのに。
ケンゾウ様が妾の上に乗って来て、鞭を奮う、ことはできません。「おう、おう」と足をバタバタさせて合図してきたので、いそいで口を離し、弄られすぎて「ぱっくり口を開けてもう待てない」状態の妾のネネちゃんにねじ込もうとしたのですが、残念なことに一回目は失敗しました。
あまり乱暴に動くと、ケンゾウ様のお体を傷めてしまいますから、そろりと回転している間に、サッちゃんが起力を喪ってしまったのです。ケンゾウ様が上位なら、ご自身の状態を確かめながらサッちゃんを入り口に先導できますけど、体重をかけてはならない妾が上位ですから、両方に気を遣い、狙いをつけている間に中折れてしまったのです。
二度目も同じことの繰り返しでした。お口で十分に偉大に堅牢にして、さっと離して、ネネちゃんとサッちゃんのお見合いをさせる、わずかの時間までも、ケンゾウ様は持続しないのです。
妾は、とうとう、言うしかありませんでした。
「乾さま。こうなっては仕方ありません。わたしのお口の中で、逝って下さい。わたしを憎いやつらの代参にして、思う様、貶めてやって下さい」
 しかし、牡馬の誇りを喪ってしまったと消沈しているケンゾウ様は、「すまんのう、相済まないのう」と言うばかりで、ついにはお口の中でも、海鼠どころか、蒟蒻になってしまったのです。妾も、十年ぶりに本物のサッタテを味わいたかったのですが、こればかりは妾のどうこうできる問題ではありません。
 お乳を吸わせても、はさんでパイ擦りしても、小股の毛でブラッシングしても、ねっとりお口でこねくっても、可能にならないなんて、やはり妾に原因があるのでしょうか。
まだ十分に張りを保っているはずのお椀形のバストも、剛毛に手入れをして柔毛に見せかけている黒鮑のようなネネちゃんも、後背位が好きだったトウイチ様のために苦労して弾力性を磨いてきたヒップも、女の武器のすべてを総動員してかかったのに、不能になってしまうなんて、なんという、神様はひどい仕打ちをするものなのでしょう。
妾は、がっかりしましたが、そんな顔をケンゾウ様に見せて追い詰めてはならない、のはもちろんわかっています。主役は乾ケンゾウ様であって、介護至福士の奥宮通子ではないのです。とにかく、手で触ればビクンと反応する、お口で包んであげれば海綿体も色めき立つ、のはわかった。あとは何かのきっかけがあれば、必ず隆々としたサッタテに生え変わる、はずです。
ケンゾウ様が何とも言えない、悲しそうなバツの悪い顔をしているので、妾は、言った。
「乾さま。これから少しずつ、リハビリに努めるようにして行きましょう。今だって、あんなにまで回復しているのですもの、間もなく、もう少しです。今日は突然にいろんなことを試したものだから、生理機能が追いつかなかったのです。大丈夫ですよ。わたしがついています。乾さまにはわたしがおります」
 そう言って元気づけたものの、次からはもうここにはやって来ない、そのつもりで始めた介護ヘルスです。次回も行うと、介護と呼べない、ただのヘルスになってしまう。だからどうしても、ケンゾウ様が「余は満足じゃ。もう思い残すことはない」とボナパルトになって、フィニッシュまで逝ってくだされなければならなかったのです。
 妾は、中吊りにされたまま、投げ出されても構わない。でも、やはりショックでした。あのトウイチ様が、会うたびに二度三度と必ず愛してくれた、あの絶倫の「愛人になれ」と言ってくれた御方が、今日、十五年ぶりの邂逅だというに、一度も妾のネネちゃんを愉しむことができないなんて、大ショックです。

    4
 とはいえ、いつまでもお風呂場でくすぶっていても始まりません。ケンゾウ様もめいっぱい頑張って、結果が不調に終わったので、二重に疲労困憊で、一刻も早く眠りたい、ご様子です。
 身体を拭くときに、間が悪そうに眼を閉じているのを見ると可哀そうにもなります。こんなときの妾の心は、介護とヘルスのどちらが勝っているのだろうと、ふと思って内省しています。マットを取りに行ったときに、新しい寝間着も用意してきていたのでそれを着せて、妾は、やはりバスタオル一枚をまとって、来るとき以上の三倍重く感じられる中をよろよろ歩き出したのです。
 そのとき奇跡が起こりました。悪い方の奇跡です。お風呂場のドアを開けたとたんに、踏み板の上に、人の影が立って居るのです。そんなところに立って何をしていたのか、出歯亀にきまっています。
ふたりの行為を、覗いていたにちがいありません。
「あーっ、何してるんですか、ドロボー!」と叫ぼうとして、それがアール介護組合の事務所の若い男だとわかって、困ったことになってしまいました。
「奥宮さん、これは何ですか。どうして乾さまを入浴させているのですか。奥宮さんには入浴介護の資格はないでしょう。組合からも依頼していないでしょう」
 反対に問い詰められてしまったのです。そうこうして間に、ケンゾウ様が震えてきました。妾も裸同然ですから、こんな男につきあっている暇はありません。
「そのことはあとから説明します。ちょうどよかった。あなたは男ですから力があるでしょう。乾さまを抱えて、ベッドまで連れて行ってください」
 ケンゾウ様をその男に押しつけ、先になって、ベッドのシーツやまくらカバーを取り替えて、無事に横たえると、ケンゾウ様は若者の顔を知っていたらしく不審がりもせず、こちらの事件には一切無頓着に目を閉じて、眠ってしまった。
 朝十時から二時間の約束で、乾ケンゾウ様宅に派遣された妾、奥宮通子が十二時半になっても終了の連絡が無い、一時になって携帯に電話をかけてもつながらない、心配になって様子を見に来た、と、さも迷惑そうに恩着せがましく言う。
 たしかに連絡しなかったのは、妾、の落ち度です。
 しかし何であれ、妾は、ケンゾウ様との十五年ぶりの情事が不燃焼に終わったことで、すべてに対して憤っていたので、女性の裸の姿を見ても目をそむけない、この若い事務所の男の不躾が許せなかった。
台所で気配を感じた、そのころから忍びこんで来ていて、離れ舎のお風呂場の方から遠慮のない嬌声が聞こえて来ている、女もののブラやパンティが無造作に椅子の上に脱ぎ捨てられている、それが今日の訪問介護員の、なんとなく常日頃から気になる、奥宮通子のものにちがいないとわかって、今までここに潜んでいたのは、妄想のあまりに、それを手に取って匂いを嗅いでいたからにちがいない。
妾はヘルスをしていた頃に、若いお客さまと一緒にお風呂に入り、股間を洗って先にお客様を送り出したあと、浴室から出ると、たしかに畳んで隅に置いていたはずのパンティが広げられていたのに気づき、ははあ、と勘づいたものです。お客さまは金を払ってヘルスにやって来ている。下着フェチで、脱いだばかりの女の子のパンティに鼻を押し当てられても怒るまでもない。
しかしこやつは、只で、妾のパンティに触ったのだ。
「わたしが悪かったのは反省します。でもどうしてここに隠れていたのです。わたしの下着に触れたでしょう。いやらしい。そこをどいてください。あなたが居たのでは着替えができないではありませんか」
「ぼくは何もしていませんよ。奥宮さんが心配で、ここの乾さまは介護に来た女性のお尻にさわると評判のお爺さんだから、もしや奥宮さんに何かあっては大変だと様子を見に来たのです」
「あらそう。それはどうもありがとう。でもね、乾さまはそんな失礼な人ではありませんよ。わたしには紳士的にふるまってくれます」
「だって一緒にお風呂に入っていたのでしょう。どこが紳士的なのです。それもひとりの時には絶対にしてはならない、衣服もつけずに、そんなはだかになって、よくもできましたね。絶対に禁止されている介護ですよ」
「あなた、わたしを怒らせると、事務所の人に言いつけますよ。女の下着の匂いを嗅ぐなんて、変態です。早くそこをどきなさい。いいかげんに、さっさと帰りなさい」
「ぼくの方こそ、奥宮さんのことを組合に報告します。組合が知ったら、奥宮さんはもうこの仕事はできなくなります」
「結構です。わたしも辞めようと考えていたところです」
「ああ、そんなことを言ってぼくを困らせようとしている。そんなことを言わないでください。ぼく、今日の事は何も知らなかったことにします。誰にも話しません。ですから、お願いします。ぼくにも同じことを、させてください」
 とうとう出歯亀であったことを白状して、開き直って来た。
何にしても、バスタオル一枚の半裸姿で対峙したのでは、若い男をどんどん刺激して、厚かましくさせていくのはまちがいない。早く衣服を身に着けたいのですが、この男が前に立って邪魔をしているので、そばをすり抜けなければそれができないから、弱ってしまった。
 それでもいつまでも、そんな格好でいるわけにはいかない。ケンゾウ様が起きてくれると、さすがにこの若者も馬鹿な真似はしないだろうと思うのですが、ケンゾウ様は疲れ切って、こちらの揉め事までには気が回らない。
「あなた、わたしに何を話しているのか、わかっているのですか。わたしは乾さまの入浴介護をしていたのではなくて、今日、乾ケンゾウさまからプロポーズされて、喜んで、承諾したのです。ふたりとも独身だから、結婚するのに障害はないのです。結婚するふたりが一緒にお風呂に入って、何か不都合なことでもあるのですか。どうしてわたしが、あなたの言うことをきかなければならないのですか。冗談ではない。とにかくそこをどけなさい。女の下着を奪って脅すのは、痴漢です。立派な、犯罪です。どかないと、警察を呼びますよ。わたしのこの姿を見たら、あなたは強姦魔で即、現行犯逮捕になります。それでいいのですか」
「うそだ。あんなお爺さんと、奥宮さんのような魅力的な美人が結婚するはずがない。結婚するんだったら、ぼくと結婚してください。ぼく、好きだったんです。前から奥宮さんのこと、好きなんです」
 とんでもないことを言いだす、若者だ。ひ弱い、もやし野郎だ。この裸体を見てしまったので、とにかくやりたくて仕方がないのだ。
事務所に顔を出したときに、なんとなく親切にしてくると思ったら、そんな風に妾を見ていたのか。まだ二十歳そこそこの子供の癖に、油断も隙もあったものではない。若い、少しばかり今風の美形で、まじめに働きそうな男から、縁遠くて独身のまま四十を迎えてしまった女に、「結婚してください」と迫ったら、女が疼いて、喜んで承知すると、安っぽく見ている。
 ただ、やりたいだけだ。
 こんな年上の女に甘える若者が多いのも、妾がヘルスを辞めようと考えた一因です。三十歳になると、この世界ではもうおばさんで、若い男から、指名されることが多くなったのです。
「お姉さんにしてもらいたい。お姉さんに初めての女になってもらいたい。優しく筆おろししてもらいたい」
 それが共に楽しめるのなら、まだいいです。母性本能をくすぐって、未熟を逆に売りにして、ヘルスの女は童貞食いが好きだと勝手に思い込んでいるから、始末に負えない。
ヘルスに本番は禁止されているのに、
「彼女に童貞だと知られるのがいやなんです。すぐ終わると彼女に笑われると聞いたことがあります。女の人のあそこがどんなものなのか、よく見ておきたいし、入れて感じを確かめたいんです。お願いします。させてください」
 真顔になって言うから、怒ることもできず、笑いたいのを我慢して、結局、基本プレイの素股の延長ということで許してしまうのです。ゴムをつけてからでないとだめだというのに、真実の性感がつかめないからと生で挿入してきて、入れたとたんに「ああっ」と声をあげたかと思うと、あわてて抜く間もなく、2チャンネル言語で、中田氏、されてしまったのです。
「ばかっ」と突き倒して離れたものの、内に入ってしまったものを取り出すことはできない。トウイチ様なら、「吸い出して」と困らせて楽しめたけど、こんな未熟な奴に、これ以上あそこを見つめられたくない。
幸い、心配する日でないことはわかっている。
「してはならない本番をさせて、中に出してしまった。お店に知れたら、あなた、ただでは済みませんよ。万一妊娠していたら、どう責任取ってくれるんですか。中絶するには大変なお金が必要なんですよ」
現在の、振り込め詐欺のような脅しまでして、帰りの電車賃を残して、有り金全部、置いていかせた。ヘルスの年上のお姉さんは甘くない、ことがわかっただろう。
ヘルスにやって来て、裸の女の子を見て、抑えきれなくなるのは当たり前です。乱暴にすると出入り禁止になりますが、女の子によっては、パンスト破りの強姦プレイも、なくはありません。
しかし、今ここで、この組合事務所の若者は、それをやりたがっている。妾にあくまで下着を渡さないばかりか、
「奥宮さん。本気なんです。もう我慢ができない。奥宮さんが悪いんです。ぼくの前で裸になるから、ぼくもしたくなるんです。いいでしょう。もうだめです。ぼく、警察に掴まってもいい。そのかわり、その前に、奥宮さんと姦ります」
 ついに立ち上がって、手を伸ばしてきた。片手で胸を押さえ、片手でその手を払ったのですけど、男の暴力には敵わない。一気にバスタオルをむしり取られて、逃げようとしてうしろから抱きすくめられてしまった。そこには豊満なお乳があるから、どうしたって掴んで揉んでくる。
 ケンゾウ様の部屋に駆け込めばいいのですけど、ケンゾウ様が居るのがわかって狼藉してくるのですから、ケンゾウ様は助けにならない、と踏んでいるのです。正気を失っている、女の扱いに慣れていないこんな若者は、突然にヒートアップして、自暴自棄になると何をするかわからない。ケンゾウ様まで巻き添えにして、暴虐を尽くすかもしれないと思うと、我が身の不運を嘆くしかなかった。
 勢い余って、首に腕を回して絞めて来たので、本気で殺される、と思い、つい逆らう力がゆるんでしまった。逃がすまいと、片腕で羽交い絞めにして、なにかごそごそ始め出した。ズボンのベルトをゆるめているのです。
妾が、徹底抗戦するのがわかっているから、唇を奪う、お乳を吸う、小股を愛撫する、などの前戯もなしに、とにかく挿入してしまえば諦めておとなしくなるだろうと、考えているのです。善良そうな、いい育ちの、お坊ちゃんのような顔をした好青年なのに、中身は根性の卑しい、下司野郎です。
姦っちまえば音無しくなる、強姦プレイ、などというあさましいのもあります。そのときばかりは、本気で恐怖を感じました。迫真の演技とはいえない、凶悪の本性丸出しで、襲い掛かってくるのです。それ用にお店で用意してあるとはいえ、着ている物はすべて破られます。
そして、丸裸にされたところで、姦られるのです。
妾は、こんな男はもっとも嫌いだ。
妾は、まったくの全裸です。最後の抵抗をして、お乳と小股を隠して、こんな奴の根棒など見たくもない、後ろ向きにうずくまって、目をつぶった。
ああ、姦られてしまう。十年間、一念発心して、大切に貞操を守って来たのに、こんな下司な男に踏みにじられてしまうかと思うと、涙が出て来た。ケンゾウ様とフィニッシュにまで逝けたのなら、ヘルスを辞めて介護至福士になった、その甲斐があったと言えるのに、それができなかったのが悔しい。
どうせなら、ケンゾウ様に、十年間の純潔を破って欲しかった。
若者が膝をついて、妾の腰を掴んで、お尻に根棒をあてがってきた。正面からの攻撃は諦めて、うしろから、ネネツフの入り口を探しているのです。
ああ、とうとう姦られる。
ケンゾウさまあ、トウイチさまあ、助けて~。
あなたの初音が、奥宮通子が、姦られてしまいますよ~。
その時です。神も仏も居ました。大きな声がしたのです。
「こらあ、儂の女に何をしてるんだあ。この若造が、この野郎、この野郎」
と、ケンゾウ様が杖を振りかざして、めちゃくちゃに、若者を叩いていったのです。もの騒ぐ音に目覚めて、絶体絶命の危機に、立ち上がってくれたのです。「ごめんなさい、ごめんなさい」さすがに狼藉者も、悲鳴を上げて退散しました。
妾は、転げるように、ケンゾウ様にすがりつくと、そのまま抱え込んでベッドに倒れ込みました。嬉しくて、嬉しくて、唇に唇を重ねて、長いキスの雨を降らしました。考えると、お風呂場ではサッタテのことばかり頭にあって、唇にキスをしていなかった、ように思います。
ケンゾウ様は全裸の妾を抱きしめて、背からお尻に、手を這わせて撫でさすっていました。声には出さなかったけど「よかった、よかった」と言ってくれている、慈父の優しさでした。
ふと、もしやと思わせる感覚が下腿にあり、股間に手を伸ばすと、ケンゾウ様のサッちゃんは、それこそ、天にも昇る勢いになっていたのです。
縄張りに侵入してきた若いオス猿に、妻とも思う若いメス猿を奪われそうになって、老いたボス猿が必死の戦いを挑んで、それに勝ったので、オスの本能が目覚めたのです。自分の胤を遺すためには、オスの器官は、直立しなければならないのです。
ひと寝入りしたのと、まむしドリンクが今頃になって効いてきたのかもしれません。お風呂場で新しい寝間着に着替えさせましたが、縦縞のトランクスは持って行ってなかったので、部屋にもどって穿き返させるつもりが、あの若者が現われて騒動が勃発したので、穿かせる間もなくそのまま寝てしまっていたのでしょう。
握っても、離しても、嬉しいことに、サッちゃんの勢いは緩みません。妾は、感激のあまり、またそこにキスをしていた。
「乾さま。今度こそ、大丈夫です。できますよ。しますよね。いいですよね」
 こくりとケンゾウ様も頷いた。活劇のあとで、まだ興奮冷めやらないのと、可能である喜びに、呼吸も荒く、妾を促した。前と同じ妾が上位だと、体重をかけてしまうので、ケンゾウ様に負担をかけてしまう。
「乾さま。わたし、うしろ向きに寝ますから、横寝で抱いてください。ちょうどいい位置にお尻が来るように丸まります。合図してくれたら、妾の方から動いて合わせます。こんなに立派になっているのですもの、横抱きで、十分に奥まで届きます」
 そうして妾は、今度こそ、ケンゾウ様と結ばれた。
数時間前に、海鼠だの蒟蒻だの悪しざまにののしってしまいましたけど、訂正します。ケンゾウ様のサッタテは、女殺しの妖刀正宗です。十五年前の、トウイチ様とまったく変わりなく、期待通りの切れ味で、妾を切り刻んでくれました。
 収まったのを確認すると、余裕が出てきて、左手を回して妾のお乳を揉んできます。妾は、そうされるのを今か今かと待っているので、乳首はすぐにピン立ち、指にはさまれて弄られると、鳥肌が立つほど総毛だってきて身震いし、その感動はそのままケンゾウ様のサッちゃんにも伝わって、さらに一段と膨張して、ここぞとばかりにぐいと奥まで圧迫してきたのです。
 このネネツフの空洞を隙間なく圧される、満腔感、これは子供を産んだことのない妾に言えることではありませんが、たぶん愛しい我が子が産道を通り抜ける、そのときの感動にも似ているのだと思います。妾は、うれし涙を流しています。こんな嬉しいことはありません。あの、下司男に姦られなくてよかった。神も仏も居た。よくもケンゾウ様は、蘇生してくれた。
うれし涙は頬から伝い落ちていますけど、もう一箇所、ネネちゃんの襞からも流れ出ています。シーツを濡らすほどいっぱい、いっぱいに。
ケンゾウ様に押されて、妾の下腿は左側にねじれて、脚を少し開いた恰好になっています。そこにケンゾウ様はうしろから密着して、ちょうど寝転がって、ふたりで窓の月を眺めながら行う、視線は前方の丸い月を、意識は後方の堅い杵を、愛でる、まことに典雅な体位なのです。ケンゾウ様が動くたびに、濡れた襞のこすれる音がします。
トウイチ様が寝物語に話した、中国の唐時代の艶笑譚の一節、岩波文庫・今村与志雄訳による、鞘の歌。
《おしつけるほど皮ゆるみ とぐほどにすべりよく そをいま抜いてしまいし空の鞘 あとはいかになりぬらん》
 ネネツフとサッタテは、鞘と刀の関係です。妾の鞘は、妖刀正宗を納めるためにのみ、ヘルス時代の五年間の抜き差しで鍛えられています。長い間、お蔵になっていましたが、手入れを良くしていたので、妾のネネツフもケンゾウ様のサッタテも、まったく苔むすも錆びつきもしていません。
ふたりは、ターボエンジンの、心地よいピストンとシリンダーの反復音を轟かせて、頂上めざして邁進して行っています。妾は、お客様の備えしパワーを、そのように形容するくせがあるのです。妾の備えしホールも、十年間の空閨をかこってきた、触れなば落ちん状態の、奔りごろ、ターボ並みと自負しています。妾の方が先に逝きそうになると、必死に耐えて、ケンゾウ様が並んで来るまで待ちます。
「オッキュウさん。待ってくれ。そんなに疾う走っては追いつけん。天女がひとりで空に昇ってはお手上げじゃ。儂は息が切れる。昔のように、もう儂は若うはないのじゃ。初音ちゃんもよかったが、今のオッキュウさんの方が一段とすごいことになっておる。儂のサッタテを数の子天井で攻めてくる。オッキュウさんは今が一番の熟れごろじゃ。この尻をもっとゆすってくれ。あと一息じゃ、それ逝くぞ」
たぶん、そんなことを言っているのだと思います。ケンゾウ様のお手が妾のお乳を離して、肩を掴んできました。いよいよ最後のひと踏ん張り、胸突き八丁に差し掛かって来たのです。肩を掴んだ反動で、跳躍するのです。妾は、指を咥えてその瞬間を待ちます。半身で、ぐいと、お尻の丸みがへこむほどにのしかかると、奔流のように一気に吐き出しました。溜まりにたまったものが噴出されたのです。
介護とヘルスが合一になった瞬間です。
もしこのまま、ケンゾウ様が昇天されたとしても、ケンゾウ様は妾の献身を感謝してくださるはずです。
妾も、堪能しました。妾のネネツフにはケンゾウ様のサッタテが一番具合いいのです。十年間ヘルスをしてきて、多くの蛮刀を見てきましたが、妖刀といえるのはトウイチ様のサッタテだけです。薙刀、長刀、脇差、曲鎌といろいろありましたが、どれも見かけ通りのそのままであって、意外性は少ないのです。薙刀が彼方では脇差になったり此方では曲鎌になったりしてくれないと、見たままでおやっと思わせないから、せっかくの鐘を鳴らした余韻が残らないのです。
トウイチ様のサッタテはネネツフの内で、生き物のように動き回ります。めっぽう色事に通じた、ニヒルな眠狂四郎の、円月殺法です。
眠狂四郎、などと昔の名前がすらすら出てはおかしいかもしれません、たしかに年代的に妾の知る剣豪小説ではありません、これはトウイチ様からの耳学問です。トウイチ様の話した、着流しを羽織った「シバレン」という、苦み走った作家の時代小説の主人公の名前です。眠狂四郎は、自分に関わる女たちはぜんぶ召しあがる、主義だそうです。不幸な境遇の女たちも、生意気な女将も、高貴なおひいさまも、ぜんぶ平然といただいて何事もなかったかのように去って行く。それでいて、女たちから慕われる、のです。
それがニヒリズムというものだ、とおっしゃったトウイチ様、よくよく考えればこれはご本人を語ったものだとわかって、次に会った時に少し焦らせて虐めてやった。
狂四郎は月の形を描くように、ネネちゃんの内襞をゆっくりなぞって切り込んでくるのです。直流から交流に切り替わって、激しくピストンします。交流ですから、妾のネネちゃんも雁に引っ掻かれて、連れて行かれます。
妾は、ヘルス姫であったという過去を持っているために、一般の女性たちよりは、たぶんこのことを、微に入り細に入る描写ができます。通常には連れ合いひとりであるべきはずの性体験を、比較対象できるほどに、多く所有しているからです。今の世は唯一から複数の経験を持つ女性たちも増えたらしいですけど、ヘルス姫ほど多くの体験を持つ者はいないでしょう。
ヘルスをして何がよかったかわかりませんが、男というものの心技体をよく観察できたことは、やはり裸を張って得た、最大の財産かもしれません。一般の女性は、子供とか家庭とか夫婦愛とかの絆を求めて、ひとりの男性と結婚するのです。一生の間、夫のサッタテしか経験しなくても当然です。その代りに安寧の人生が用意されているのです。数多くこなせばいいというものではありません、知らぬ方がいい、ことの方が世の中にはたくさんあります。
極論すると、男と女の間には、暗くて深い闇がある、だけです。
こんなことがありました。もう何十回となく、身体を重ねていた頃のことです。初音が上になり、頑張っていました。トウイチさまは眼を閉じていました。ネネちゃんにすっぽり包まれて、いい気持ちになって眠っているのではありません。なにか、別のことを考えているような気がして、腰の動きを止めると、軽く頬をつねってやりました。それぐらいの甘えができる仲になっていたのです。
「こんなときに、なにを考えているの?」
 トウイチさまは眼を開けると、驚いたように妾の顔を見つめていました。しばらく無言のままで、じっと妾を見つめると、両手を伸ばしてきました。
「ああ、すまない。初音ちゃんはとてもいい子だなと、うっとりしていた」
「うそばっかり。別の事を想っていたでしょ」
「はは、初音ちゃんに隠し事はできないな。別の事を考えていたような気もするが、なんであったか、儂にも思いだせない。さあ、行くぞ。初音殺しの円月殺法、儂のサッタテの切れ味を受けてみよ!」
暗くて深い闇だから、円月殺法などとごまかして、トウイチ様は暗示をかけて攻撃してくるのです。ネネツフの外廻りを撫でてくるのは誰でもすることですけど、内廻りをゆっくり撫でて楽しむなんて誰も言い出しません。そう言われるとそう感覚してしまうから、ネネちゃんの不思議なところです。もっともネネツフの内部はクリよりはるかに鈍感との説もありますから、これは妾だけのV感覚なのかもしれません。
トウイチ様はそのとき、漠然とした未来の不安に囚われていたのではなかろうかと、思います。五十歳も半ばになって、風俗ヘルスに通っている、その意味を想われていたのだろうと思います。
しかしそんなときでも、トウイチ様は決して、ご自分ひとりだけでは逝かなかった。かならず、初音を道連れにしました。十五年後のケンゾウ様も、今、そうしてくれました。こんな幸せは、ありません。道行を共にするのは、究極の愛、一期一会、心中の姿だと言われます。ふたりの想いは、ついに結実したのです。妾がケンゾウ様に病躯を圧してまでして、サッタテの挿入を焦がれたのは、これのためです。
意欲のある者に、哲学者の真似をさせては、身体に毒です。
ケンゾウ様を仰向けに寝かせて、額の汗と、下の処置をすると、妾は、いましばらく裸のまま、同じ布団の中にもぐりました。ケンゾウ様の二の腕あたりに顔を埋めて、丸まっていると、今日一日の疲れが出ていつしか眠ってしまいました。
ヘルスで出逢っていた頃、妾はよく、残った時間をトウイチ様の胸に顔を埋めて眠ったものです。たいていのヘルス店が「時間内、回数無制限」などと煽っていますから、若いムキムキマンなどがやって来ると、六十分三本勝負などと調子に乗って飛びかかり、元を取ろうとして、ひとときも休ませてくれません。たまにならそれも楽しいですが、そんな客が前に二三人もいると、トウイチ様には申し訳なく思いながら、し終えると「いつも凄いから、くたくたです。少し休んでいい?」と甘え声でささやいて、腕を首に巻いて、自然お乳を押し付けるようにして、眠るのです。
そんなときのトウイチ様は、一番満ち足りて、妾の背中を抱いていたような気がします。
妾は、そのとき何を考えていたのだろう。
夢を見ていました。
五十五歳のトウイチ様と二十五歳の妾が、トウイチ様のご両親と一緒に、庭の満開の梅の木の下で茣蓙を敷いて、花見をしていた。
「こんな若い別嬪さんにお嫁さんに来てもらうのだから、風呂を新しくしてやらんといけんな」
 そんな話をしていますから、その頃にお風呂のバスタブは新装なったのでしょう。いつごろまでケンゾウ様が、ご家族と一緒に暮らしていたのかわかりませんが、この離れ小島のような一軒家ですから、ひとり住まいとなってからさぞ寂しかっただろうと思います。ましてご不自由な身体になって、身の回りの世話を焼いてくれる親身な人は誰もいなかったのでしょうか。
 トウイチ様は本気で妾を愛人ではなく、お嫁さんにしたかったのかもしれない。いつもラブホテルで逢っていたのだから、こんな風呂がついているのなら、ここに呼んでくれたら妾は、喜んでやって来ていた。何度も来たら、通い妻のようなものだから、もうヘルスをやめて、最初は愛人でもいずれは正妻にしてもらおうと、努力したかもしれない。
 歳が親子ほども離れていたから、トウイチ様も「愛人にならんか」と冗談めかしてしか言えなかった。もし「結婚しよう」と言ってくれたら、歳の離れたことは気にしないようにと自分に言い聞かせていた。なんでも知っていて学がありそうだったし、ヘルスへ来る金があるのだから貧乏であるはずもなかったし、夫婦の閨の事も、七十歳になってもこんなに頑張れるのだから、五十五歳のときは毎晩でも求めてきて、妾のネネちゃんを堪能したにちがいない。
 二十歳で、ヘルスに勤めるようになったときから、普通の結婚は望めないと覚悟していた。どこの土地に行っても、必ずヘルスをしていたことは身の端々に浮いて出る。お客にはプライバシィはつきとめられないように注意していたが、店には本名住所など正しく報告しなければならない。その店の元ドライバーから、しつこくつきまとわれて困ったことがある。風俗店経営者も素行の悪さに手を焼いてクビにしたらしい、あまり詳しくは話せませんが、言うことに従わないとヘルスをしていることを家族友人近所周りにバラス、というような脅しです。弱味につけ込む、最低のストーカーです。
 妾は、ヘルスをしていたから身体が汚れているとか、穢れているとか考えたことはありません。ふしだらなことをしてお金を稼いでいると言われたら、たしかにその通りですから、不特定多数のサッちゃんに舌なめずりしたり、ネネちゃんを見せびらかしたりするのに、罪の意識を感じるようになってしまうので、そういう人からは離れます。
 電車でお店に通っていました。電車の中ではいつも、乗降ドアの側に立ち、外の流れて行く景色をじっと眺めていました。座席が空いていても、座りません。顔を見られるのが厭なのではありません。坐ってはならないような、そんな気持ちがあったのです。
 ヘルスの道に入ったのは、お金が必要だったからです。トウイチ様に聞かれたことがあります。出会って一年ほどたった頃のことです。
「どうしてこの道に入ったの?」
「お母さんが病気になって、入院して、治療費が必要になったから」
「いくらぐらい、要るの?」
「とりあえず、三十万ほど」
「そうか。次に会う時に用意してあげよう」
 嘘だとわかるように話したのに、本当に次に会ったときに、カバンの中から三十万円取り出してくれたのには驚いた。そこまではメールアドレスだけ交換していたが、そこからは携帯番号も教えた。
 何回も指名してくれるお馴染みさんになると、お店には内緒でメールで連絡し合い、お店を通さずに、直接ラブホテルに行った。危険は増すけど、その方がお店に撥ねられない分、報酬が丸取りになるからです。ただ、いつもそうしているとお店にバレるので、数度に一度はお店を通させるようにしています。しかし、相手を見誤ると、ひどい目に遭います。その日のヘルス代を払わずに、逆に直接お客と取引していることをお店にコクルと脅されて、結局、泣きを見ることになるからです。
 そんな男はその日のうちに、メール着信拒否、にします。電話番号は元々、用心して教えていません。
そういったお馴染みさんを何人持っているか、トウイチ様から聞かれたことがある。
 小さな声で、
「三人ほど……」
「そうか。十人ほどいるのか」
 そんな日のトウイチ様は、いつになく激しかったような気がします。しかし、トウイチ様はそんな嘘つきの初音から、離れて行きませんでした。妾、と巡り合うまでは他の姫にも目移りしていたようですが、妾とトウイチ様の、ネネちゃんとサッちゃんがお見合いしてからは、それはなくなったみたいです。
ふたりの相性は、性格の一致、ベリーグー、だったのです。
それが、突然に音信不通になり、どんな連絡もなくなったのにはショックでした。誰かいい姫を見つけて、初音は捨てられたのかと、毎日泣きました。あんなに協力して励んでやったのに、何でも要求どおりにして満足させてやったのに、四十八手すべてを枕絵を見ながら試させてやったのに、その挙句に、こんな仕打ちをするなんてひどい奴だと恨みました。
 三十歳になってその世界からきっぱりと足を洗って、一度でも男にからだを許したら、蜜の味を思い出してしまう、家族から離れてひとりで、修道女のような生活をしてきたのです。
そして、思いがけずも、妾のヘルス時代にもっとも心を許したおじさま、突然に音信不通になったために忘れられなくなっていたおじさま、電話番号も五年間は変えずに待っていた、トウイチ様に、はからずも出会うことができて、ひと月後の今日、ついに入浴介護の名を騙ったヘルスを行い、つい一時間ほど前に、めでたく婚交してしまったのです。
目覚めると、ケンゾウ様はまだ眠っています。戸外に明かりがあるので、夕暮れてはいません。そっと抜け出して、小縁側から庭を眺めました。梅の花が咲き、ノラ猫のフーが木の下で、うずくまってこちらを見ていました。腰袖は摺りガラスで上は透明ガラスの小縁廊下に、まだ全裸でいる妾は、ノラ猫のフーの眼にどのように見えているのでしょう。
台所で脱いだままになっていた衣服をまとい、小縁廊下に戻ると、フーの姿はもう消えていました。ふと気になって、今日まで一度も入ったことがない、「清掃不要・入室禁ず」の貼り紙の書斎に向かうと、書斎のドアが少し開いているのに気づきました。いつもきっちり閉まっていたのを覚えています。貼り紙の文字は、出入りの介護人から作ってもらったのでしょう、無味乾燥なゴシック体です。
かび臭い部屋の机の上に、手書き文字の書かれた、原稿用紙を見つけました。
――臥せる其の旅人あはれ……
 原稿用紙は日焼けて古色に褪せており、その文字はしかし、しっかりとした骨太の筆致で書かれていました。柴垣門の丸太柱に、四箇院から採った表札を掲げたケンゾウさまです。厩戸太子の言葉だとすぐにわかりました。
そこに続いて、一行の文章が書き加えられていました。最近に書かれたものだということは、文字が震えて殴っているのでわかります。ケンゾウ様の仕業に違いありません。ケンゾウ様はいつ、この文章を書かれたのでしょうか。はるか昔に、最初の一行を書いたあと、突然の病魔に襲われ、そのあと何も書き足すことができないでいたものを、昨夜、あるいは今朝、妾が来る前に、ケンゾウ様は不自由なお体で這いながら、机に向かわれたのでしょうか。
 ――こんどのかいご人は、うさぎの衣しょうで来てくれるだろうか。
 そう読めました。
もうここにはやって来ない、ラストヘルスのつもりでした。しかし、その文章を読み返しているうちに気持ちが変わりました。字義を韜晦して楽しみに耽るのは、トウイチ様の衒いです。介護至福士の仕事はこの先も続けるつもりでしたし、ケンゾウ様に対する、妾の、個人的な想いというものもありました。
書棚にはたくさんの書物が並んでいて、読書好きであった妾の目に、本の名前も蔵書の傾向もわかりましたが、一瞬の後には何ひとつ頭に入っていませんでした。それですからどんな本があったか思い出すことができません。ただ、青々とした草原に在りながら、枯れ野に思いを馳せる、そんな表題の本ばかりであったように思います。
――臥せる其の旅人あはれ……
――こんどのかいご人は、うさぎの衣しょうで来てくれるだろうか。
 ノラ猫のフーが、今朝早く書斎に入って、夜明けのスキャットを口遊みながら、ケンゾウ様に成り代わって紡いだ言葉なのではなかろうかと、一瞬、考えました。ノラ猫のフーの眼には、最近やって来て流し目で親しく声をかけて『四股院』に消えて行く、どことなく妖しい中臈の介護人をこの家の老主人が待ちわびているのが、不思議に思えて仕方なかったはずです。猫は猫又となって、怪異な能力を発揮するともいわれています。
トウイチ様との最初の出会いは、ヘルスの客と姫でした。そのときに名乗った「トウイチ」という名前を、変てこな偽名だと思ったために、その後ずっと気がかりになるお方でした。
 原稿用紙の裏に、妾の想いを託して、ケンゾウ様の胸にそっと乗せて、家をあとにしました。
ケンゾウ様は目を覚まして、そこに妾が居たことに驚いていたようですが、その書付に気づくと手に握りしめて、すぐに穏やかな表情で目を閉じて眠ってしまいました。
その寝顔の耳元に口を近づけて、小さく辞去の挨拶の声をかけている姿は、普段どおりの介護福祉士のものであり、ここで起こった出来事はすべて、妾の妄想、トーイチさまが旅の土産に話してくれた、ヴィードロうさぎ、の呟きであったような気もします。

 乾ケンゾウ様。
今日はありがとうございました。今日でお別れ、するつもりでしたが、考えが変わったのでまた来ます。組合に今日の出来事を知られてしまったので、今後組合から派遣されて来ることはありません。なにかと制約の多い公的介護から、わたしはもう、離れます。そのかわり、乾様専属のオンリーワン、押しかけ女房の真似ごとをやります。わたしのためにもリハビリに励んで、家の外に出て、庭の満開の梅の花をめでながら、願わくば花の下にて春死なん、としゃれてやりましょう。もちろんそのあとには、押しかけ女房の、わたしの介護ヘルスに心癒されることをお約束いたします。
追伸 本日の介護報酬は組合に請求できないと思いますので、先にお話のあった、財布の中から延長料金もふくめて四枚いただきました。欲深な女だと思われませぬよう、あしからずご了承くださいませ。ヘルスは介護保険の適用外ですので、どうしても利用者負担の割合が高くなるのです。次回からは、女房に、そのつど金を払って身体を拭ってもらう夫はいませんので、お財布のご用意は不要です。乾様のお気持ちが、それでは相済まぬようでしたら、ふたりで良い知恵を出し合って解決して行きましょう。ひとまずは、死ぬまで御側に置いて下さる、証のしるしに、庭の梅の木の花の一枝でも手折っていただけるなら、うれしく存じます。
わたしの乾ケンゾウ様、そしてトウイチ様、ご自愛をお祈りいたします。
訪問介護至福苑、奥宮通子。
そして、願は賭けるものですわ。わたしも機会を窺っていました。ケンゾウさまも希求されていました。
「うさぎは動物ではない、鳥の仲間だ」
ケンゾウ様の書付を見る前に、うさぎの衣しょうで来てしまった、わたしは、やはり、ヘルスの気持ちの勝った介護人だと思います。

――そしてこの直後に、いつもの澄まし顔に戻った、勤務を終えたひとりの白衣の中年増(妾、です)が、黄色い軽乗用車に乗り込もうとして、ふと、その日の仕事にやり残したことはなかろうかと、柴垣門の方向に視線を遣ったとき、景色は一瞬にフェードアウトした。白衣の中年増は、なにか思案ともいえぬ考え事に首をかしげる風でいたが、それが何であったと結論付ける前に、ドアはバタンと閉められ、エンジンキーは回されたので、介護日誌には、
《特に変わったことはありませんでした。食欲もあり、会話も十分に意思を伝えられるほどに回復しています。途中、一度だけ苦しげなご様子で声を上げられたので、何でしょうかと近寄ると、何でもない、何でもない、と私の手を握って微笑んでおられました。全体的に、間違いのない、安泰の一日でした》
と、報告されます。

               ― 了 ―

ヴィードロうさぎ ©kaiquu

執筆の狙い

おかずにひと月ほど入学させていただいた卒業制作のつもりで投稿します。
介護老人と元ヘルス姫の物語、と話したら、即、「たて、立つんだ嬢!」とまぜっかえされそうな……、
そんなシーンもありますが、作者の想い抱く「介護」を描いたつもりでもあります。
腕試しに12月10日締め切りのD賞に応募しました。
感想・ご意見・ご批評、を寄せていただいた方には、丁寧な返信を心がけます。
特に、yahoo掲示板に出没している、50,60になって未だに作家でごはんの食べられない、
こんなはずではなかった、中折れてしまった、それでいてここの若い作家志望の人たちから尊攘のポーズで迎えられる、
おろそかな待遇では本人の自尊心が許さない、高給で契約するまでもない、村田修一のような者たちに、
半呆け老人から、大きなお世話のメッセージです。これは自分自身に対する自戒でもあります。

面白うてやがて悲しき……、原稿用紙113枚です。

kaiquu

118.240.95.123

感想と意見

老婆心

今年の太宰治賞に投稿されたのなら、今作品はここにアップしない方がいいですよ
ネット上にアップされたことのある作品は、応募資格を失うおそれがあります
きちんと確認はしましたか?

2017-12-07 07:24

153.221.132.75

kaiquu

老婆心様
ありがとうございます。

募集要項に、
>未発表小説に限ります。
(ただし、2017年中に同人雑誌など商業出版でない形で発表された活字原稿は選考の対象とします)とあるので、おかずに発表するのは構わないと考えたのですが、勘違いしていたら、それはそれで構いません。
新人賞応募にこだわっているわけでもなく、上の執筆の狙いにあるように、
>yahoo掲示板に出没している、50,60になって未だに作家でごはんの食べられない、
こんなはずではなかった、中折れてしまった、人たちに、半呆け老人から大きなお世話のメッセージ、を送っているだけなのです。
まあ、読んで、感想・意見・批評してくれるかどうかわかりませんが・・

2017-12-07 16:19

118.240.95.123

麻生

拝読しました。
感想といえば、う~ん、というものでしょうか。
おそらく、小説としてこれを改稿なりして、どこかに応募されるようにも思えませんし、そういう公募先があるのかも知りませんが、簡単に感想のみを述べさせて頂きます。
小説って、知っていることを何でも書けばいいというものじゃないように思うのです。まあ、自分の拙い作は棚に置いていうのですが、書きすぎな気がします。虚無僧とかの後は、歴史的な知識がいっぱい出てきますが、それが老人からきいたということですが、これだけ出れば少し喋りすぎな気がします。せいぜい一つ、あるいは二つでいいと思います。もう少し隠すという部分があってもいいのではないでしょうか。
 この介護士の女性ですが、どうみても40歳には見えません。というか、今の人間には思えません。明治か大正にはいたかもしれませんが、平成も終わろうとする時期に「妾」というような女の存在は、よほどの描写がないと納得できないと思います。
 それと風呂場なりの場面が延々と続きますが、特に珍しい描写なりもなく、これは余分な気がします。上に書きましたように、書きすぎな気がします。今の小説として考えれば、きっと30枚に収まるのではないでしょうか。というか、収めるべきです。
 余韻というのが、あるいは隠して表すというのか、秘めることは小説の基本にあると私は思うのです。あくまで、一般的な小説の場合ですけど。それに従えば、風呂の場面はすべて消して、それと覗き見していた男も消して、最初と最後だけあれば妾のいじらしさも出るように思います。風呂の内容は、思い出したように、ちょこちょこっと書きこめばすむのじゃないでしょうか。それとも、風呂の中での印象的な場面を少し使うだけでいいのじゃないでしょうか。
 いずれにしても、時代的にあまりに古い印象がありますので、いっそ、訪問介護などの設定ではなく、昭和初期の設定に持って行けば、それはそれで二人の関係は生きる気がします。もちろんヘルスではなく、場末の遊郭(よくわからないのですが、そんな感じでしょうか)の出会いにすれば、古さは武器になると思います。
もっとも、そんなことはわかっているわい、ということだと思うのですが、いずれにしましても、私としては、あまり楽しめませんでした。申し訳ありません。
 なお、「50,60になって未だに作家でごはんの食べられない、こんなはずではなかった、中折れてしまった」人が、ここにはいるかもしれませんが、それはそれで、かまわないのじゃないかと思います。その人が作家でごはんを夢見ているのなら、の話しですが。そうじゃなく、ここを出会い系サイト風に考えてのんびりしている場合は、ちょっと残念ですけどね。
 雑駁な感想で、すみませんでした。それでは。

2017-12-07 21:47

219.104.55.40

kaiquu

麻生さま
早速読んでいただいてありがとうございます。
なかなか難しいものだなと思います。
作者が得意になって描いている(たぶん、それが書きすぎていると受け取られる箇所だと思います)のが、この小説の欠点になっているとしたら、もうどうしょうもありません。
妾、の一人称を使ったのも、お風呂のシーンが多いのも、元ヘルス姫と断ったための冗漫さです。
すべては、一般社会にある介護福祉ではない、介護至福を目指す、と最初に主張したために出てきた、自然の流れです。
古風な出典や衒学趣味が多々あるのは、作者の悪い癖、面白がりです。それはご指摘のように直すべきかもしれません。
そうすると、作者の個性が消えてしまう、と考えるのが、そもそもの出発点の相違であるような気がします。
この小説は、真面目な介護福祉ではない、不真面目な介護至福をねらったものであり、ネネちゃん、サッちゃんの呼称を連発させたように、それがこの小説の成立を促したのですから、この形でいい小説に出来上がっていなかったしても、それは仕方のないことです。

>自分の拙い作は棚に置いていうのですが、はまったく不要な言辞です。
>「50,60になって未だに作家でごはんの食べられない、こんなはずではなかった、中折れてしまった」、は言い過ぎているのが分かった上での、呼び口上です。ここまで言われて出てこないのは、口ほどにもないやつらだな、相手にしないことで格上だと思いたいのだな、と言いたいだけの話です。

麻生さまの目指す小説と、小生の目指す小説、純文学とエンタメ、の違いと一言で言えない、大きな隔たりがあるように思います。
しかし、まだまだ小生の熱い魂が枯れていなかったことがわかっただけでも、麻生さまに感謝します。
頑張って行きましょう。

2017-12-07 23:04

118.240.95.123

ちくわ

こんちわ、もうねスルーするのが上策だとは思ったんじゃけど、煽られたとこもあるし、このままではなかなか寝つきが悪いので感想書きます。

古色蒼然としてますわね。実に古臭い。
全部読みはしましたけど。
どこにこの作品のニーズがあるか、もう全然わかんない。
宇能 鴻一郎の時代ならまだしも。(宇野さんのはまだ主人公に可愛げなりありましたけどさ)
この作品に得るものがあるならば教えてほしいくらいじゃ。
一人称なのにキャラクターの造形を練りこまなくてどうしますか。なんすかこれ。

>眠狂四郎、などと昔の名前がすらすら出てはおかしいかもしれません、たしかに年代的に妾の知る剣豪小説ではありません、これはトウイチ様からの耳学問です。トウイチ様の話した、着流しを羽織った「シバレン」という、苦み走った作家の時代小説の主人公の名前です。眠狂四郎は、自分に関わる女たちはぜんぶ召しあがる、主義だそうです。不幸な境遇の女たちも、生意気な女将も、高貴なおひいさまも、ぜんぶ平然といただいて何事もなかったかのように去って行く。それでいて、女たちから慕われる、のです。
それがニヒリズムというものだ、とおっしゃったトウイチ様、よくよく考えればこれはご本人を語ったものだとわかって、次に会った時に少し焦らせて虐めてやった。

知らぬこと全部説明するつもりですか。
説明は物語の速度を落とします。
投げて放棄する読者の姿が見えるようじゃ。
あなたはミサトさんに関するシンジ君の想いとか書かれてじゃね、「おおそうだったのか!」って納得しますか?
知らんし、興味も無いわね。
そういうことじゃあるまいか。

>そんなシーンもありますが、作者の想い抱く「介護」を描いたつもりでもあります。

ほぼすべての賞に共通するんじゃけれど「妄想小説」って言われてるジャンルがあります。
いい歳した男性がじゃね、年下の女の子に懸想されて、こんなことありましたエヘヘって描く気色の悪いお話じゃな。
大まかに50→18みたいな感じなんじゃろうけれど、本作は70→40みたいな風でやね、題材こそ違えどまあ、まんまそのままじゃね。
しかもユーモアも新しい視点も無い。お話の裏側にある「なにか」すら無い。
これで大言壮語してるのはおめでたい。片腹痛い。
D賞の大賞作品をひとつでも読みましたか? それでいて吠えてますか? 「こちらあみ子」や「さようなら、オレンジ」「楽園」最近の作品読みましたか?

当てこすりも皮肉も良いが、ペーペーが粋がってるのはみじめなものじゃ。
ここにいる誰かは互いに闘っているわけではない。
形の上ではそうなるやもしれんが、「選ばれる」か「そうではない」かというのは、単に結果にしかすぎんのじゃ。
なので自らのスキルを上げる以外のことは正直無駄でしかないんじゃよ。
それが出来るから闘える。
まあ、公募にチャレンジする気概は買うけどじゃな。

この場をお薦めしたのは「急がば廻れ」ってことに尽きるのじゃが、大人はあまり人の話を聞くのが苦手のようじゃな。
ならば好きにするがよかろう。

この「おかずの間」じゃがD賞との関りは薄くはない。
大賞を射止めた御仁もここに投稿していた人物だし、最終まで行った方もおられる。ちくわの知らぬ人もおられるに違いない。
あなたがどこまで行けるのか確かめられるのもよかろうよ。
ただね、こんなので獲れる賞でないことは確かじゃ。

ちくわは人の好き嫌いはあんまり無いんじゃけど、どうもあなたのことは好きになれない。
「立つんだ嬢」の話はしました。
まあ、おもしろくは無かったかもしれんが、根に持つほどでは無かろうよ。
些細なことで悪意を持たれるのは不本意じゃ。
それとじゃな、ちくわの言いたいことをまっとうに述べてくれた麻生さんじゃけど、たぶんあなたが思ってる方ではありません。
競馬の話題こそ出ましたが、あなたが想像する人物とはまるで別人じゃ。
ネットの世界はそんなに狭くはない。

性急さや一六勝負に長けているものだけが成功者ではない。
できればゆっくり自分を見つめてみることも大事じゃないのじゃろうか。
若輩者ながらそこいらをひとこと言わせていただきたいと思います。

むきだしの悪意を書きました。
これを悔しいと思って書き出すなら望みはあるやもしれません、あなたには多くの知識が詰め込まれてるからじゃ。
しかし、それをひけらかすことで佳い作品は産まれますまい。それは麻生さんが言われたようにじゃ。
そこを氷山の下にすることにあまんずられれば、その先はあるかもしれない。
どうぞがんばってください。
そう思います。
時間が無いのならば一層、なお着実な道を選ばれよ。

2017-12-08 01:48

220.221.36.196

kaiquu

ちくわさま
いや~、グーの音も出ないとはこのことです。
ですからまったく丁寧な返信はできないのでご勘弁を。
これでおかずに載せた意味がありました。
煽りすぎると、大きなしっぺ返しがあるとは、このことです。

>これを悔しいと思って書き出すなら望みはあるやもしれません

悔しいとは思いませんが、原稿に向かう時間と元気があるかぎり、書いていきます。
ちくわさまもHNではなく、世間に知られるペンネームで一日も早く、顔が見えるような作家になって下さい。
顔が見えないと、掲示板に見る、鼻持ちならぬ仙人のような男にしか思えないので、つい悪ふざけした次第です。
麻生さまを最初ちくわさまの別名かと思い、それにコメントしていたのでひとり二役かと思ったり、あるいはKさんなのかと思ったりしましたが、馬鹿らしい詮索なのでやめます。

まあ、すっかり酷評されたので、幾分かはすっきりした目覚めになっています。
ひとつだけ、言いたいのは、麻生さまも言われていました、
文章、表現を、どんどん削って中身を凝縮したものにする、というのは正しい小説作法なのでしょうかね。
その逆に、描写をどんどん重ねていくので、30枚以下のものが100枚300枚になってしまうのでしょうかね。

>大賞を射止めた御仁もここに投稿していた人物だし、最終まで行った方もおられる。ちくわの知らぬ人もおられるに違いない

このような詭弁を弄されずとも、ちくわさまが大層な一家言ある人物だということはわかります。
たぶん、苦行であったであろう老生の小説を読んでいただき、感謝します。
老生も相当な大口叩きですが、それを懲らしめて下さったちくわさまが、小生の生きている間に有名な作家になっていただかないと、な~んだ口ほどにもないただのヘッポコかとあの世で笑われます。

2017-12-08 06:46

118.240.95.123

kaiquu

ちくわさま 再返信です。

作者は、何のために、書き出しを、
>窓の外は雪、けれども部屋の中はふんわり温か、そんな宣伝文句があったように記憶します。その反対に、外は暖かな日差しが射しているのに、内はひんやり寒々としている、ドアの向こう側とこちら側、見ていて悲しくなります。両者をさえぎる間の仕切り一枚を取り払うだけで、
と書いたのでしょうか。

その後に続く色々は、それを具象化するための、装飾です。
装飾がうまくいっていないのなら、ちくわさんのかゆいところに手の届く枝葉末節のご指摘も納得します。

チャンピオンが、格下の挑発に乗って、頭に血を上らせてしまっては、なんとも情けない姿を見てしまいました。
>ドアの向こう側とこちら側、両者をさえぎる間の仕切り一枚を取り払ってやるのが、作家なのではないでしょうかね。

2017-12-08 09:23

118.240.95.123

ようこ

こんちくわー。
冒頭から視点がめちゃくちゃで読めなかった。下読みさんも早々に投げ出すと思う。それでも113枚書き切ったのは大したものです。お疲れさま。
横やりしちゃうけど、他所の争いをここに持ち込んで醜態を晒すのは止めてほしいな。双方とも。見ているこっちの気分が悪くなる。

2017-12-08 13:15

211.7.139.226

kaiquu

ようこさま
仲裁の手、ありがとうございます。

>他所の争いをここに持ち込んで醜態を晒すのは止めてほしいな。双方とも。見ているこっちの気分が悪くなる。

そのとおりです。見苦しいところを見せてしまってすみません。

ちくわ師匠も、日馬富士の心境で今頃反省しているでしょう。
何を癇癪しているのか、自分でもわからなくなって、殴りだしたら止まらなくなったのでしょう。
たぶん、師匠の一番痛いところ、弟子を早く横綱にしてやろうとして親身になっているのに、お前たちの時代ではないよと反抗的な態度を取られたので、
この際、徹底的に痛めてやろうとしたのでしょう。そんな判りやすい図式です。
とにかく見苦しいところを見せてすみませんでした。
ようこさまのご感想・ご指摘、素直に受け止めておきます。

2017-12-08 16:10

118.240.95.123

ドリーマー

こんにちは。作品、拝読しました。

実は、某掲示板は前々から見ていまして。といっても、居心地が良さそうな所なので、うっかり書き込んだら長居して、肝心の執筆が疎かになりそうなので、もっぱら見ているだけなのですが。
そのため今回もどんな作品を投稿されるのか、関心がありました。
というのも、ちくわさんが仰っている「大賞を射止めた御仁」の受賞作は、祖父の戦争体験を孫(主人公)の目を通して描いた感動作でしたし、ここに作品を投稿されている大丘忍さんが(このかたは50,60どころか80代の大先輩ですが)、以前投稿された同賞の予選通過作も、ご自身の戦後体験を題材にした力作だったからです。
だから「介護老人と元ヘルス姫の物語」と聞いて、介護老人の性を真摯に描いた作品を想像したのです。

読後感は麻生さんと概ね同じです。
所々に挟まれる説明も、それがストーリー上で必要ならいいのですが、無くても支障がなく、作者さんが書きたいから書いているような気がしました。書くにしても、説明ではなく一つのエピソードとして描いた方がいいと思います。
文章も冒頭から視点の乱れがあり、全体を通して推敲が不足しているようでした。

御作は、題材はいいと思うのです。何年か前に障碍者専門のデリバリーヘルスが話題になったこともありますから、寝たきりだけど頭はしっかりしている老人に、性的サービスもする介護ヘルパーがいたら、という方向で書いたら介護福祉に一石を投じる作品になるかもしれません。現実には難しいですが、小説なら書けると思うのです。
例えば通子ではなくケンゾウ視点にして、老いても性的な好奇心を抑えることのできない苦悩を前半で描いてみてはどうでしょう。ケンゾウがそれなりの地位にあった人なら、プライドが邪魔してヘルパーに性的サービスなど頼めないかもしれません。あるいは一度だけ頼んだものの、ヘルパーの努力にもかかわらず、残念な結果に終わって恥ずかしい思いをしたとか。
そこへ通子が訪問介護士として現れたら。最初は規定の範囲内のサービスをしていたものの、徐々に元ヘルス嬢としてのプライドから通子の方がやる気になり、最後は男女として心が通じ合うようになる、という展開にしてもいいのではないでしょうか。
また「性的に不如意な老人と元ヘルス嬢の官能コメディ」ならいいのですが、ケンゾウが介護老人である以上、介護の現実(厳しさ)にも随所で触れた方がと思います。

題材が介護だと、どうしても話が暗くなりがちなので、御作は意図的に明るい方向に筆を進めているのかもしれません。でも、どうも失敗しているように思えます。
執筆の狙いには「作者の想い抱く「介護」を描いたつもりでもあります」とあります。でも現状だと、「訪問介護に性的サービスも含まれていて、それが美人ヘルパーなら嬉しいねえ」くらいしか伝わってこないんですね。
作者さんが最初からそのつもりで書かれたならいいのですが、もっと深いテーマがあったとしても、この書き方だと伝わらないと思うのです。
この題材なら、書き方次第でいくらでも化けると思います。それだけに勿体ないと思いました。

自分のことは棚に上げて勝手なことを書きましたが、少しでも参考になれば幸いです。
それでは、失礼しました。

2017-12-08 17:56

210.139.160.188

kaiquu

ドリーマーさま
ありがとうございました。
やっとまともなご意見・ご指摘を頂いて、ごはんに顔を出したための実に不愉快な気分が一掃されました。

自分の意に沿わない作品、自分の目指している小説観が異なるからと言って、こぶしを振り上げてそうでない作品を叩くのは、誰もが唯々諾々と拝聴するだろうと考えている、仲間内のお目出度い者の驕りです。
当のちくわ先生は、ここにはもう顔を出さないと思いますけど、小生の話す掲示板のほら話をまともに受けて、たぶん一番気に障ったのは太宰の作品はエンタメだと話したことが、自分たちの目指す太宰賞を貶されたと感じたのでしょう。
おかずに出した小説を、これでもかとケチョンケチョンに言うのは、ちくわ先生も口ほどにもない大人のくせに悟りの足らない御仁です。
まあ、ちくわさんは、年上の小生からちくわ先生と呼ばれることに腹を立てているのでしょうが。

麻生さまの「現代の40歳の女に思えない」と、ドリーマーさまの各ご指摘を肝に銘じて、今後の研鑽の材料とします。
古風な書き方も、妾も、すべて作者の承知の上で書いています。ちくわさんの、宇能浩一郎(字がちがう)が出てきたのには笑っちゃいました。
小生はちくわ一門も冒険しろと言いたかっただけ。
来春には敬愛する(真実にそう考えていたときもある)ちくわさんの顔が見られるでしょう。
どんな顔をしているのか、今から楽しみにしています。

ドリーマーさん、ありがとう。感謝します。

2017-12-08 20:30

118.240.95.123

そうげん

はじめまして。
作品を読みまして、思ったことを記載いたします。


年配の男性と、若い女性。
歳の差はそれほどではないまでも、


すでに昭和32年には
大江健三郎さんが短編「他人の足」を書いているのですよね。


姫鬼の金子光晴
眠れる美女の川端康成


谷崎のナオミでも、
夢野久作のモヨ子でも、
荒俣さんの辰宮由佳理でも、

「妾」わたしの字格にあるたたずまいがあったように思います。


もちろん、
沼さんのポーリーンでも、
かまわないのですが、

彼女たちが「妾」という一人称を用いるときの、
その文字から発する '香気' のようなものは
この作品からは感じられなかった。


たぶん、
自立(自律)したうえで生きている女性
あるいは
自立(自律)という側面をほとんど見出し得ない、他者に守られる女性

このどちらかの女性に使われることがおおいというのが
なんとなくのわたしのイメージです。

もちろん、わたしのイメージです。
そして、作中の女性は、どちらの要素も持ちうるために、
ある意味、作品としてはありふれた人物に見えてしまいました。

2017-12-08 23:32

119.229.63.228

kaiquu

そうげんさま
ありがとうございます。

何かの縁があって、たぶん相手は苦行を強いられながら読んでいる中で、そうげん様に読んで頂いたことに感謝します。
読んでいただいてわかるように、小生の文章は、軽い、のです。
考えていることは深く重く受け留めているのに、いざ文章に書くと、自分でも驚くすらすらと書いてしまうのです。
そういったところが、読者に感銘を与えないのだと、反省しています。

>「妾」わたしの字格にあるたたずまいがあったように思います。
彼女たちが「妾」という一人称を用いるときの、その文字から発する '香気' のようなものはこの作品からは感じられなかった。
自立(自律)したうえで生きている女性あるいは自立(自律)という側面をほとんど見出し得ない、他者に守られる女性、
このどちらかの女性に使われることがおおいというのがなんとなくのわたしのイメージです。

こういった指摘を受けると、おかずに出した意味があったと喜んでいます。
例に出された作家の小説は、どれも読んだことはありません。
もしかしたらそうげん様はちくわさんと知己かもしれないので次のことをkaiquuが申していたとお伝えください。
小生は、ちくわさんたちが書いている小説が未だに作家でごはんが食べられないのは、書きなれた文体、考え抜かれた表現、推敲を重ねた凝縮文、であるために窮屈な面白みのないものになって、小説を書こうと思った瞬間に本来その作者が持っているのびやかさが消えてしまうのではなかろうかと考えたまでです。
現実に、50,60になって作家でごはんが食べられていないのだから、いままでの小説作法を改めて冒険してみたらどうだと言いたかっただけです。
まあ、この文はそのまま小生に撥ね返って、楽しんで書くのはやめて苦しんで書け、と言うようなものですが。

歳を重ねてもいつも挑戦の気持ちを忘れていませんから、そうげん様や、ドリーマー様のようなお方のご意見を聞くとすがすがしくなります。
ありがとうございます。

2017-12-09 06:50

118.240.95.123

kaiquu

そうげん様 追記です。読書歴のことです。

大江健三郎は初期の作品は読んでいますが、それほど積極的に読んでいません。
大江さんと同年代の、慎太郎は肌が合わないのでまったく読んでいません。
金子光晴は「地の群れ」?
川端康成は臼井ヨシミの「事故の顛末」を読み、そこから「眠れる美女」を読んでいます。老年作家が秘密の旅館で処女を犯すわけでもなく抱き寄せて愉しむ話だったように記憶します。川端さんのことですから、ねちねちと眠れる処女の手を取り、股間に運ばせて楽しんだ、そんシーンがあったかどうか、あまり記憶しません。
谷崎も好色ものがありますが、谷崎に限らず志賀直哉も小生の若い頃は老大家になっていたので、それほど好きではなかった。
夢野久作は好きで、「ドグラマグラ」玄洋社に興味があった時期があり、そういえばちくわさんは福岡、雰囲気は夢久なのか。
荒俣さんは「帝都物語」だったかな?
その他、小生の若い頃に有名であった作家の中では野坂と五木をよく読んでいます。
野坂さんの女学校の校庭でブルマを穿いて走る生徒を見て、「すげーな、陰毛がたくさん落ちているな」は有名だったような気がします。
「火垂るの墓」は読んでいますが、学校の教科書、テレビ映画など茶の間に入るのを野坂が期待していたかどうかはわからない。
野坂さんは生きているのだろうか、もう死んでいるのかな。
五木さんは「モスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬」など、格好良かった。現在は親鸞に分け入っているのかな。
同じ年代の、井上ひさしの初期孤児院もの、「キリキリ人」など読んでいます。
そして同じころの作家である、太宰治は、ほとんど読んでいません。
太宰は青森の大地主の倅であったと思うので、そのような出自の作家はその後にどのような名作を書こうとも、坊ちゃんの戯れにしか思えないので読まなかった。よく知られている、バー黒猫のカウンター椅子に腰かけて、何とも言えない憂鬱な表情をしているのがたまらなく厭だった。
小生と同年代では中上健二が居ますが、興味を持って読みましたが、描かれている内容がよく判るだけに、世間の批評家たちがほめれば褒めるほど反発して読まなくなった。
その後の若い作家たちはほとんど知りません。
村上龍の「限りなく・・」ぐらいなものです。
これは小生が東京に出てきて同人誌活動をしていたころに、華々しく登場して、あまりに皆が騒いでいたのでよみました。
その後は、小説よりも多くは史書を読むようになった。
古代・中世、歴史家、網野善彦、黒田日出男、中沢新一、横井清、など、いっぱいいます。書棚には小説よりもそういった書物の方が多い。
宮本常一は非常に好きで、たくさん読んだ。
小生の読書歴は、そんなところです。
そんな小生が太宰治賞に応募するなど、片腹痛い、と思う人が多くいるような気がします。
ただ、今回の試練で、早くも立ち直って、いろんな構成、ストーリーを思いついています。

ふたたび、ありがとうございました。

2017-12-09 16:57

118.240.95.123

そうげん

kaiquuさま

わたしのつらつら書きだしました固有名詞過多のコメントから多くの得難き感懐、作品に対する思い、また、過去に遡っての読書遍歴について御示し下さりありがとうございます。

はじめに疑義を振り払っておきますと、ちくわ氏とはここではほとんどかかわりなく過ごしてきておりました。なのでちくわさんと個人的な連絡網は開設していませんので、そこはご了承ください。そして、ヤフー掲示板のことも、どの内容のことなのか、わたしはわかりませんでした。

前回のエントリーで列挙しました、男性主人公と、女性の関係性は、その作が発表された当時は、社会情勢にかんがみても、特に多くの人が意識しなかった関係ばかりというところにわたしの選択の意図がありました。

私自身、まだようやく40代になったばかりですが、とにかく、戦前戦中世代のなかの発言力が亡くなりつつある中で、戦後左翼陣営系の言論人たちがせいせいとした表情でいいたいほうだい、したいがままに振る舞いつつある傾向が濃くなる情勢に、むしろその下の世代として、喝を入れたくなるほどに義憤を抱いている、氷河期世代、メインストリームから早々にドロップアウトしているゾーンのわたしであります。

戦後、GHQの政策でウォーギルドインフォメーションキャンペーン、などで世論が変化し転向する人の多かったなか、小林秀雄は、賢い奴は戦後転向したけど、俺はバカだから、転向なんぞせん、そんな姿勢を貫いて、「本居宣長」まで書ききりました。またシェイクスピア翻訳などの福田恒存、戦前戦中から漢学の素養も豊かであり、戦後の体制を批判していた石川淳。

そのあたりの作家と、マルキシズムの渦中にあった文壇人などの意見とをそれぞれの目でとらえながら、できれば不偏不党でありたいとの希望は保持しています。

その時代にあって、誰でも筆なり、ペンなり、キーボードなりを手に取り、前にして、文字をうちこめばとにかくなんらかの書き物にはなると思います。

ただ、たとえば、いまの時代、90年代なかばの、高校生の援助交際、バブルが破綻して借金を抱えた多くの家庭が生活難に苦しみ、とにかく単純に、しかも対価としての報酬がすばらしくよい、風俗などの仕事へも、かつてのバブル期の、金を湯水のごとくつかって、遊び倒すのとは異なる、ごくすくない報酬で、おそらく考えつくあらゆる背徳的な行為や、淫靡な、不埒な、罪悪の底にすら自分のみじめな立場に陶然とするような倒錯すら可能にする社会に変じました。

ですから、この作に描かれたような場面は、おそらく望めば誰でも容易に達成できてしまう。であるからこそ、この時代にほとんどの人が見向きもしないような物事を描くことにこそ、書き手の人生の幾分かを費やして、精魂込めてオリジナルのモノを作り上げる甲斐があるものとわたしは思い定めています。

いまこのときだけ、自分の生きている間に、ある程度の読者があればいい、と思う書き手が大半かもしれません。ただ、こうしてネットのあげた時点で、国内だけに限らない、日本語に、しかもいまこのときにいきる日本人の書き物を、いまはわからなくとも、史料のために収集している人もあるえるのが、このウェブのハイパーテキストのシステムです。

わたし自身、1998年からネットをしてますが、むずかしいけど、これはと思ったものは、保存媒体をかえながら、ちゃんとバックアップしています。なので、いまこうして書いているものすら、下手したら、400年、500年後にすら、閲覧項目の材料のひとつにされている可能性すらあります。


作家でごはん、というと、商業媒体で、採用されて、そこに報酬が発生することと思われがちですけど、むしろ、いま書いているものすら、全世界にだれが見るかわからない、なにのまちがいでそれが人類の文明が終焉を迎えるあたりまで保存され続けるかわからない。その意識があればこそ、ただ短期的に収益があがるかどうかだけでない、表に出す以上はそこに自分なりのつよい意志、強いメッセージがあればいいよな、とそういう姿勢で、わたしはいます。

2017-12-10 06:31

112.70.248.23

そうげん

太宰賞にかぎらず、
年齢がいくつであっても、気持ち、その姿勢次第で、
10代、20代であっても、書き物の質で惹きつけることは可能だと思います。

若い世代にかぎらず、わたしのような40代にせよ、その上の世代の主張に対して表立って反発せずとも、なにかの受け売り、国が言っているから、有識者、専門家、ほかの国が主張するからという追随で、受け売りの情報ばかりを、教育課程のなかで伝えられてきました。

それでもよしとする人は決められたルートに乗ったでしょう。しかし、あまりにその社会のありように疑念を深く抱いた人の多くは、そんなルートに乗るのはまっぴらとドロップアウトしております。30代40代の物書きのいくぶんかは、わたしもふくめですけど、そういう立場にある人も少なからずあります。

ですから、むしろ、60代70代、できることなら、戦争を実地に体験してきて、戦中戦後の社会のありようについても、個人の責任でしっかりと考えを主張することのできる人の描かれる世界観こそ、わたしは接してみたい、深く味わってみたいと思ってます。

ですから、60年安保なり、学生運動なりに、心を動かされた、高橋和巳氏の書き物や、埴谷雄高氏、また、広島の被災で絶望の中にも美しいものを描いていた原民喜の文学など、むしろ、人生について、この社会のありようについて、自分の責任でものをかき、ものをいうひとの書き物にこそ、読む価値はあると見ています。

こんな主張をいまの時代におこなうわたしですらおそらく、ここでは異分子です。既存の、存命の物書きの大半の書き物は、どうでもいいと思っております。それでも、いまあらたに何かを書こうとする人の中に、これまでになかったものの生まれる機運はないものかと、その点では書き物にも、小説にも、文学にも希望は捨ててはおりません。

わたしも自分の人生を費やしながら、もっている時間を費やしながらでも、それを費やした分だけの甲斐のあるものを書くことができるように、取り組んでいきたいと思っております。

2017-12-10 06:32

112.70.248.23

kaiquu

そうげんさまが大変多くのことを考えられ、多くの書物を読まれて、自分というものを発見しようとされているのがよくわかります。
気づかなかったのですが、そうげんをクリックして、より広いそうげんがそこに展がっているのを発見しました。
近いうちに、そうげんさまの時代が来ると確信します。
小林秀雄は小生の青年時代の神様です。あの顔が好きだし、西行も小林秀雄から入ったものです。
石川淳も中島敦も、小生の好きな作家のひとりです。
そんな男が歳経て、「心なき身にもあはれ知られけり魔羅起つ旅のラブホの夕暮れ」 になるのが人生の面白さです。
ここしばらくは、本居宣長「古事記伝」を読む、の神野志隆光の本を、眠る前に少しずつ読んでいます。
老残の面妖さを描くのが、小生のこれからの課題になるでしょう。
そうげんさまの存在が、「面白くもないこの世を面白く生きて、三千世界のカラスを鳴かせてやる」になることを祈ります。

2017-12-10 09:39

118.240.95.123

ナトホ

読みました。

とてもよかったです、と言うには、何かが足らなくて、惜しいなー、と偉そうに思いました。
感想とは個人的に思うものですから、「あくまでもわたしの個人の感想です」と言う必要などまったくないはずですが、
感想を書くときはどうしても、「自分のことは棚にあげて個人的に思ったことを書かせていただきます」と言いたくなります。


さて、まずは自分のことを書きますと、わたしはエンタメ系新人賞を目指しつつ、純文新人賞にも応募してますが、
長いことどうにもなることができずにいます。けれどもしつこく応募しようと思ってます。

そして「純文とはどういうものか」というのがよくわかりません。
ただ、「わかりにくいけれど、何かを感じる作品」なのかな、という気がします。
もしくは「わからなーい」と挫折するような作品もある、とも思います。


「新しい文学」を追及していくのが「純文である」という話も聞きます。新人賞はこの「新しさ」がとても重要ですよね。
新しい文学を追及した作品は、文壇で評価されても、一般読者にすぎないわたしには「わからなーい」という感想になってしまうのかもしれません。

けれども過去の文学作品の前衛的なものは、「わからなーい」となるとは限らないです。
アンチロマンのシュールな作品も好きです。そんな作品を書けたらいいな、と憧れたりもします。
でも、現実的には書けてないですし、書いてもいないです。
実際に目指しているのは、エンタメ系です。


日本の文学作品でいうと、川端康成が好きです。だからといって、川端康成をとても読んでいるのかというとそうでもないのですが、
川端康成って、エロいなー、と思ってます。
『雪国』の冒頭の列車の中での女を思う描写などは、遠い昔に読んだときの記憶はまったく残っていなくて、
久しぶりに読んだときにこんなところがあったのか、と思ったと言いますか、
こんなにエロかったのかー、とびっくりしました。

それから話は変わりますが、阿部公房も好きです。とくに『砂の女』みたいな作品を書けたらいいなー、と憧れもしてます。


なぜ、このようなことをくどくど書いているのかと言いますと、
新人賞に応募するとき、
一応、エンタメなのか純文なのかは意識しようとはしているからです。
(結果的には、エンタメでも純文でも同じようなものになってしまってますが。)

そして、純文新人賞の場合の大きなポイントの一つとして「個性的な文体」というものがあるとも、思ってます。
kaiquuさんは、「個性的な文体」として、この文体を選んで書いたのですね。

それが成功しているのかどうか。
わたしの感想としましては、もしかして意欲は評価される可能性はあるかもしれないけれど、今ひとつなのではないか、です。

とくに「今ひとつ」として感じる部分の一つは、途中で現れる「常体」の文です。
意識して、そのようにしたのかもしれませんが、わたしとしては、文章全体の雰囲気にとってマイナスとして感じられました。

また、ところどころで使われる「若い風」の言葉です。
それは、年配の人が「若い人が使っている言葉」として使うけど、若い人にとっては「古い言葉」と思えるようなタイプの言葉だと感じられました。

主人公は四十歳です。
四十歳の女が、とても古めかしい言葉で語るのは、それはそれでいいとは思うのですが、ところどころにちらりと出てくる「若さみたいなもの」が、
逆にとても古く感じられます。そのように思いました。

それから文体から離れますが、四十の女の七十の男に対する想いですが、過去を踏まえていけばとても納得できるように書けそうな気もするのですが、
そこまで書ききれてないように思えました。


というわけで、「七十の男が四十の女にこんな風に思われたいいな」という話を四十女の視点で書いているのではないか、という気がしてしまいました。

もっとどうにかすれば、四十女の視点から七十男の魅力をぐっと感じられるようになるかもしれないとも思うのですが、
「普通に考えてパスだよなー」という気持ちから抜け出せないです。
こういう作品として、とても残念であります。


ところで、感想欄の中に、

「太宰の作品はエンタメだと話したことが、自分たちの目指す太宰賞を貶されたと感じたのでしょう」という文がありましたので、
そのことについて思うことを書きます。


わたしは、「太宰」はエンタメ的だと考えます。
そして、太宰賞は、他の純文の新人賞と比べて、「エンタメより」だと思ってます。
そして、太宰賞に応募しようとして受賞作などを読んでいる多くの人たちも、「太宰賞は他の純文新人賞よりエンタメよりだ」と感じているのではないか、とも思ってます。

「自分たちの目指す太宰賞が貶されたと感じたのでしょう」という問題に、わたしは関係ないとは思いますが、
わたしは太宰がエンタメだという話を聞いても、太宰賞がエンタメであるという話を聞いても、「貶された」とはまったく感じないです。
ついでに言うと、ちくわさんという人は、太宰賞を目指しているわけではない、と思います。
どちらかというと、本命はエンタメ系の新人賞で、太宰賞はちょっとエンタメぽいから出しちゃうかもー、という感じでありまして、
純文は目指してないです。

また、kaiquuさんにとっては、「エンタメである」ということが「貶されることになる」ことになるのだな、と思いました。



この作品は、太宰賞に応募されたのですね。
いい結果が出るといいですね。


長々と失礼しました。

2017-12-10 11:45

116.0.210.150

ナトホ

追伸です。

>わたしという一人称は、普通に漢字で表記すると、私、となりますが、ここで、妾、というのには、やはりそれだけの理由があるのです。発音も古風に、妾(わらわ)とした方が、より実態に近い、(わたし)になるのかもしれません。

という説明がありますが、「妾(わらわ)とした方が、より実態に近い、(わたし)になるのかも」しれない、現在という時代を生きる四十女を描き切ってほしかったな、と思いました。


では失礼します。

2017-12-10 12:22

116.0.210.150

kaiquu

ナトホさま
朝起きて、たいていは今の時期は6時前、昼家に居るときは食事したあと、夜は毎日晩酌して風呂に入ったらすぐ眠くなるので10時前に寝る前にここを開けています。
そして今、どこかで記憶のある、名前があるのに大変驚きました。
小生(この呼び方も古臭くエラそうに聞こえるかも知れないとどこかで断っています。自分のことを小生と名乗ることで、現実の日本国岡山県生まれの自分と区別するためにそう呼んでいるので了解してください)は非常にどうしたらいいのか困惑しています。
最悪の小説をみなに披露してしまったなと後悔しています。
ただ、救いは、最低のものを書いてしまった作者は、次は最高のものが書ける、振幅があると信じていることです。
この意味はナトホさんにはわかると思います。
皆さんのご指摘は的確に小生の心に届いていますので、必ずそれに応えた作品が書けると思います。
ちくわさんのことが出たので、少しだけ。
小生は決してちくわさんに悪い印象を抱いてはいません。
また、太宰はエンタメだと言ったことぐらいで彼の心証を害したとも思っていません。
ナトホさんも出ている掲示板で発信しているちくわさんは実に博学、実によく物事の深謀遠慮に気を配りながら、飽かせない話術の持ち主です。
そんな人がよくも113枚まで読んでくれたなと、不思議に思います。
一言で終わらせればそれで済むものを、そうしないで、感想・指摘・批評をして下さった。
それだけちくわさんは小生という人物を診て見たかったのでしょう。
診た結果があまりなものだったので、つい止まらなくなったのでしょう。
しかし、このことでもうあまり発言したくないので、やめます。
いま、家族が(妻)が、PCを代われとそばに来たので、ここでおしまい。
ノートパソコンに移ると、また最初からになるのでここでやめ・
また、書きます。

2017-12-10 13:40

118.240.95.123

kaiquu

つづき
小説は、作者があまり面白がって書いては読者に真意が伝わらないのだと感じ入っています。
小生は、一人暮らしで惨めったらしい独居老人(この設定も批判の的になるでしょう)に、一日だけのバラの花を届けて死出の旅路を飾ってやろうとして、あのように描いてしまった。
すでに世間の人間価値の範疇から外れてしまえば、非難されようが何されようが、男は若い女がそばに居てくれる、金目当てであろうと財産そっくり取られようとも、天国に召されて悔いはない、それを狙ってすり寄ってきた女を決して悪く思わないもの。
最初に温か部屋と寒い部屋の仕切りを取り払って景色をフェードインさせたのも、最後に庭の梅の木の枝を手折って下さいと書置きさせたのも、とどのつまりはこの屋敷は妾が貰い受けます、になると言ったつもり。
しかし、現実にそのような介護福祉士は居ないだろう、から、奥宮通子の見た、幻影であることにさせた。
麻生さまが指摘した、30枚以下につづめれば、皆から一言「いいね」と言われる佳品小説になるかもしれないけれど、それは作者の本意ではない、それでは作者の想いが表せない。
これでもかと言うほどに、ヘルスというももののあれやこれやを書き連ねて、はじめてラストの書斎の描写が生きると思った。
しかし、残念ながら、そういった古風な出典を引っ張り出したことが読者に祖語、違和感のみを与えて、この小説を一気に書かせた作者の腕不足で事至らず、思いがけない反響をうんでしまった。
といいながら、性懲りもなく、小生は、「ネネちゃん、サッちゃん」が今後の巷の隠語になればいいなと、それを連発した小説を書いてやろうと思っています。軽い気持ちで書いたから最悪になったのではなく、そこまで小生の技量が足らなかったので最悪になった、と考えています。
このつづきを書きながら、おや、この動機は悪くないぞ、書き直せばいい小説になるかもしれないな、と思っています。
多くの不評であった部分をそのまま生かして・・
最後に太宰賞はたまたま締切が近くにあったのと分量が適していた、それだけの理由です。
欲しいと思ったことは、一度もありません。誰かが言っていた、下読みの人がすぐ投げ出すだろう、が正しい意見だと思います。

今気づいたのですが、ナトホさんもそうげんさまもドリーマーさまも、たぶんまだ若い30,40代の方、老爺に見かねて手を差し伸べてくださったのに、真実に感謝しています。50,60代の方は、すぐやってくる切実な問題を茶化されたと、怒り心頭になったのでしょう。
作者の小説創作態度は、切実な問題は切実に描くものではない、少なくとも喜劇的要素がないと誰も救われない、救えないと考えるものです。
切実な問題は手記ドキュメンタリーものに小説はどうしたって叶わない、小説は別の要素から成り立っている。
ただ、それを見事に書ききれた者のみが、神の恩寵に恵まれて、目出度く受賞となるのでしょう。

いつも感じることですが、ひと月前まで、掲示板に顔を出して2か月ほど、まったく適当なことを言っていたのに、そこで話した人たちと、顔も名前も生い立ちも知らないのに、妙に、血のつながった兄弟親戚以上に親しみを感じるのはどうしたものなのでしょうか。
これが、小生の住む市の近くに起こった、若い人たちがふらふらと相手を信じて9人も殺害されてしまった事件の、真相の一端でもあるのでしょうね。
ナトホさんの前途を祝します。ちくわさんのことは、ジョニーに会ったら伝えてよ、なんとも思っていません。

2017-12-10 17:22

118.240.95.123

そうげん

いつも感じることですが、ひと月前まで、掲示板に顔を出して2か月ほど、まったく適当なことを言っていたのに、そこで話した人たちと、顔も名前も生い立ちも知らないのに、妙に、血のつながった兄弟親戚以上に親しみを感じるのはどうしたものなのでしょうか。
これが、小生の住む市の近くに起こった、若い人たちがふらふらと相手を信じて9人も殺害されてしまった事件の、真相の一端でもあるのでしょうね。



これはもちろん、社会にインターネットという新しいシステムが用意されたことで浮かび上がったことかだと思います。ただわたしもはじめはネットカフェですでに20年以上前にはじめて体験して、検索ワードを入力して、見たこともなかったたくさんの情報が画面に溢れたのを目の当たりにしまして、「なんじゃこりゃー(!?)」となりつつも、当時webサイトをつくっていて、ヤフー検索でカテゴリーのなかで出てくるサイトは、ヤフーがみとめた優良サイトだけでしたので、いまよりは質が高いものが多かったように思います。


数年後、webサイトをつくったり、掲示板に書き込み、メール、チャットなどしてましたら、ふだんの生活のなかでは聞いたことも、そんな思いを持つ人があるとすら思いもしなかったことごとを抱え込んで、とにかく周りにいえないことを吐きだすように書き綴っている人が多くて、それでわたし自身もあまりにうわっつらだけみて、あほらし、ばからし、とあきれ果てて、わざと横道にそれようとしてきた自分の来し方をおもい、

いまやスマホも普及し、生活インフラのひとつとしておおくの人が用いるインフラのひとつにう近くなりましたけど。たぶん、ここに書き込まれる内容。ふつう、日常生活であまり書かないだろう、まじめに文字と関わろうとしている人のあつまり、小説や、創作されたものについて、長年もってきた思いを形にして、切磋琢磨することのできる場として、小説投稿サイトは機能していると思います。

そのように、ふだんは見せない、本音にかなり近い部分を発揮できる場としての、ネットの空間を、どのように利用していくか。そこは利用者のモラルの問題でしょう。それを悪用すれば、いまだかつてない犯罪も可能になる。人の悪意をあつめてけしからんことすらできてしまう。でも、物には弊害もあれば、効能もあります。たぶん、多くの人はそうでしょうけど、的確にネットを用いていくなら、それこそ、瞬時に通信が可能ながら、時間の問題を抜きにすれば、何度も盛んに往復される文通に近いもので、だからこそ、長年書くことを大切にしてこられた方は、使いよい手法でこのような場所も使っていけるのではないかと思いもします。


「親しみを感じ」られたのは、もしかしたら、発した言葉に、他の人からも、真正面から、思うことを発してきてくれた、というその、うてば響く。その響きの心地よさかもしれないな、とわたしなんかは想像いたします。



つけたしのように書いてしまってますが――

kaiquuさまのサイト、
大菩薩峠、は長いと知りながらずいぶんまえに、電子書籍で購入しておいてあるのです。
いろんな地域の写真付きの、作品の舞台を辿るたび。とても羨ましい企画です。

サイトにあがってました作品も、kaiquuさまがここに初投稿されたときに
そちらのリンクへ移りましてしっかりローカルフォルダに保存させていただきまして、
時間のとれるときに読んでみたいと思ってました。



半村良さんの作品に、
「八十八夜物語」がありまして、大人になったときにはすでにバブルもはじけてました。
でも、この作品には、こどもの自分に、テレビやラジオや雑誌で見て、ほのかにあこがれていた、大人の世界というものが、すでに読んだ時には今世紀でしたけど、確実に込められてありました。
とてもあたたかい世界のようにも思えました。

さいきん、別の版で復刊までされていることに、半村ファンのわたしはよろこんでいます。


小林秀雄は、
何の関係か、青山二郎さんの眼の哲学や、白洲正子さんの本を手にして、ちょうどそのときにたまやま小林秀雄の全集が刊行されだして、気になったのがきっかけでした。あと、「近代絵画」も、どのように、なにを見ているのか、というところについての多くの示唆をいただきました。

小林秀雄も、まだまだ、読んでも読んでもわからないことは多く、だから、関連した他のものなど読んでます。でも、そういう取り組みもまた楽しく、kaiquuさまのように、長年書くことをつづけてこられた方たちはうらやましくもあり、そのようにありたいとおもう姿でもあります。

こちらの思うままの意見に、しっかり答えてくださり、ありがとうございました。

webサイトの更新も楽しみにしております。

2017-12-10 19:31

112.70.248.23

そうげん

訂正です==




>いつも感じることですが、ひと月前まで、掲示板に顔を出して2か月ほど、まったく適当なことを言っていたのに、そこで話した人たちと、顔も名前も生い立ちも知らないのに、妙に、血のつながった兄弟親戚以上に親しみを感じるのはどうしたものなのでしょうか。
これが、小生の住む市の近くに起こった、若い人たちがふらふらと相手を信じて9人も殺害されてしまった事件の、真相の一端でもあるのでしょうね。

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これはもちろん、社会にインターネットという新しいシステムが用意されたことで浮かび上がった事象だと思います。ただわたしも20年以上前にはじめてネットカフェでインターネットを体験して、検索ワードを入力して、見たこともなかったたくさんの情報が画面に溢れたのを見て、「なんじゃこりゃー(!?)」となりつつも、当時、ヤフー検索の個別カテゴリーに分類されていたサイトは、ヤフーがみとめた優良サイトだけでしたので、いまより情報の質も高いものが多かったようでした。


数年後、自分でもwebサイトをつくったり、掲示板に書き込み、メール、チャットなどしてましたら、ふだんの生活のなかでは聞いたことも、そんな思いを持つ人があるとすら思いもしなかったことごとを抱え込んで、とにかく周りにいえないことを吐きだすように書き綴っている人に多くでくわしました。それでわたし自身、あまりにうわっつらだけみて、あほらし、ばからし、とあきれ果てて、わざと横道にそれようとしてきた自分の子供時代からのことをおもい、こうしてなにかを書かねばならない人がいることを深く思いました。

いまやスマホも普及し、おおくの人が用いる生活必需のツールのひとつになりました。たぶん、ここに書き込まれる内容。ふつう、日常生活ではあまり書かないだろう、人には話さないであろうことごとも、小説や、創作されたものについて、長年もってきた思いを形にして、切磋琢磨することのできる場として、多くの人が集まる場所としてこのような小説投稿サイトは機能していると思います。

そのように、ふだんは見せない、本音にかなり近い部分を発揮できる場としての、ネットの空間を、どのように利用していくか。そこは利用者のモラルの問題でしょう。それを悪用すれば、いまだかつてない犯罪も可能になる。人の悪意をあつめてけしからんことすらできてしまう。でも、物には弊害もあれば、効用もあります。たぶん、多くの人はそうでしょうけど、的確にネットを用いていくならその利便性の恩恵を受けられるでしょう。それこそ、時間の問題を抜きにすれば、何度も盛んに往復される文通に近いもので、だからこそ、長年書くことを大切にしてこられた方は、使いよい手法でこのような場所も使っていけるのではないかと思いもします。


「親しみを感じ」られたのは、もしかしたら、発した言葉に対し、他の人からも真正面から思うことを「ぶつけてきてくれた」というその、「うてば響く」、その響きの心地よさによるのかもしれませんね、とわたしは想像いたします。



つけたしのように書いてしまってますが――

kaiquuさまのサイト、
大菩薩峠、は長いと知りながらずいぶんまえに、電子書籍で購入しておいてあるのです。
いろんな地域の写真付きの、作品の舞台を辿るたび。とても羨ましい企画です。

サイトにあがってましたページも、kaiquuさまがここに初投稿されたときに
そちらのリンクへ移りましてしっかりローカルフォルダに保存させていただきまして、
時間のとれるときに読んでみたいと思ってました。



半村良さんの作品に、
「八十八夜物語」がありまして、大人になったときにはすでにバブルもはじけてました。
でも、この作品には、こどもの自分にテレビやラジオや雑誌で見て、ほのかにあこがれていた、大人の世界というものがあるように思えました。はじめて読んだときには、すでに今世紀でしたけど、とてもあたたかい世界のようにも思えました。

さいきん、別の版で復刊までされていることに、半村ファンのわたしはよろこんでいます。


小林秀雄は、
何の関係か、青山二郎さんの眼の哲学や、白洲正子さんの本を手にして、ちょうどそのときにたまやま小林秀雄の全集が刊行されだして、気になったのがきっかけでした。あと、「近代絵画」も、それに携わる人たちは、なにを、どのように見ているのか、というところについての多くの示唆をいただきました。(もちろん、青山二郎氏の、小林の文章を読む奴は、あれを読んで、芸術はそういうもんだとおもっちまう、という感じの言葉も踏まえたうえでです。)

小林秀雄も、まだまだ、読んでも読んでもわからないことは多く、だから、関連した他のものなど読んでます。でも、そういう取り組みもまた楽しく、kaiquuさまのように、長年書くことをつづけてこられた方たちはうらやましくもあり、そのようにありたいとおもう姿でもあります。

こちらの思うままの意見に、しっかり答えてくださり、ありがとうございました。

webサイトの更新も楽しみにしております。

2017-12-10 19:46

112.70.248.23

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