・段落の取り方

刹那

ちょっと段落の取り方が分からなくて困っています。
普通は場面に何か変化が起こったときに段落を変えるのでしょうが、最近の小説を見てると、ある一定の長さになったら、段落が変わっています。
また場面変化は、途中に間に1行か2行開けて書いてある小説も多いです。
投稿の時の小説は、このような書き方をしてもいいんでしょうか?
それとも場面変化の時など以外は、段落を変えず、1行開けたりするのなんかしてはいけないんでしょうか?


黒猫

 段落は、表記方法としてはひとつの文章の文頭で一字分の字下げを行うことを言います。また、その表記が行われた場合の意図は、その段落内の文章が特定の意味脈絡のまとまりであることを示すことです。
 特定の場面というのも意味脈絡のまとまりであることに違いはないので、その場面が変化したタイミングで段落が変わるというのは、その通りだと思います。ですが場面というのは、たいがいにおいて、ひとつの段落だけで表記できるほど短いものではないことが多いのではないでしょうか。複数の段落がまとまって、ひとつの場面を記述していることが多いはずです。もちろん、そのとき描きたい場面が極めて短い文章で表記できるものである場合には、ひとつの段落でそれを書ききってしまうこともあるでしょう。ですが少なくとも私が知っている限りだと、それは少数派になると思います。ですから、一般的には場面が変わる所が段落の変わり目である、とは考えず、もっと広い範囲を見た方が良いだろうと思います。
 さて、場面が変わる場所以外の、実際に段落が変わる例ですが。
 たとえば、二人の登場人物がいて、その二人の様子を描くとき、一行ごとに互い違いに描くと展開がごちゃついて読みにくくなることが想像できます。そこで、一人目の様子についてある程度まとめて描写してから、続いてもう二人目の様子を描写する、というような形をとるとき、一人目の描写で段落ひとつ使い、二人目の描写で段落を変える、といった形が効果的ではないでしょうか。段落が変わることで、読者にはそこで文脈が変わっていることが伝わりやすくなり、二人目の描写に移った瞬間を自然に読み取りやすくなるでしょう。
 また一人の登場人物の思考を描写を描くとき、ある勝負事について考えていて、勝つ場合のパターンを思索し、それに続いて負ける場合のパターンを思索する、といった描き方をするなら、先の例とは違い一人の人間を描いているのではあるのですが、意味脈絡が変化したことは確かなので、ここで段落を変えるという表記方法をとると読者に意味が伝わりやすくなることが考えられます。
 こうして考えてみると、読者に思考の切り替えを要求したいタイミングで段落を変える、というような使い方が効果的かもしれません。余談ですが、海外小説の翻訳されたものを読むと、かなり段落の長いものがあることに気づいたことがあります。

 と、長くなってしまいましたが。
 これらも、段落の使い方の例として何かの参考になれば幸い。なので、ちょっと意味のつらなりやまとまりについて分析してみます。
 最初の段落は、この発言の中で段落をどういうものと考えるか、ということを仮に定義づけています。他の解釈や使い方もあるでしょうし、意味脈絡にこだわらず段落を短く切ることで、読書速度が速くなり気持ちよく読める、というような文章表記技法と言うより視覚効果を狙った利用法も
最近は多いようなので、これはこれで。
 二番目の段落では、刹那さんがおっしゃっている段落の使い方の考え方について少し疑問を抱いたので、少し長く段落をとってそのことについて考えてみました。揚げ足を取るつもりでもないのですが(^^;、このあたりの前提条件が混乱すると「段落」の使い方や考え方もずいぶん違ってしまうので、細かいところ申し訳ないのですが私の考えを述べさせていただきました。
 三番目の段落が極端に短いことに注目してみてください。もしもここで上げる実例がひとつだけなら、段落を切る必要性を感じませんでした。二人の人間を描写する、という例を、この三番目の段落につなげて書いていたことでしょう。ですが実際には、実例を二つ上げています。そこで、ひとつの例をひとつの意味脈絡のまとまりと考え、例が二つあるので二つの段落にしてみました。実例を述べている段落とは違う最初の一文だけを、この三番目の段落として独立させてみました。
 四番目の段落は、一つ目の実例でまとめてあります。あと五番目の段落で記述している二番目の実例では、6行に渡る長さがありますが、実はひとつの文だけで構成されています。意味脈絡ということでは、どちらも実例を述べた部分に当たる、と解釈して、三番目、四番目、五番目の段落は段落を変えずひとつの段落にしてしまっても、決して間違いではないと思います。ですが、実例が変わるところで段落を分けたほうが、読者が読むときに文脈を追いやすいだろうと思い、三つの段落に分けてみました。
 そして最後、6番目の段落は、考察とまとめになります。
 おそらく、これで文章としておかしいということは、ないと思います。このように、段落の長さが一定である必要はありませんし、段落がどれぐらいの長さが良いかということは、そこに記述される内容により決定されるだけなんです。むちゃくちゃ長くても「あっ」とかそういう一瞬一行でも、段落は段落です。長さや内容、文章を構成する文の数や長さについて、そこそこバリエーションを用意してみたつもりです。

 一行開けは、よほど大きな章や場面の変化がない限り、そうそうやるもんじゃないと思います。ここのようなトピック発言では、明らかに内容の異なる複数の情報が混在することがあるので、段落を変えるのよりもさらに大きく意味脈絡が変わったことを示すために一行開けをすると読みやすくなる、といった効果はあるでしょうけど、これは文章技法と言うよりネット界で生まれた工夫に近いんじゃないかな、とか思っています。

 まあ、実際のところ(^^;発言でこんなに長い段落を使う人も、滅多にいないんですよね(^^;。
 段落が短いと読みやすい、というのは、アリだと思います。が、小説でも同じかというと、個人的にはどーも、段落の短い小説って意味脈絡の変化をとらえにくくて、読みにくいと感じます。段落という表記手段の使い方を間違ってるよなぁ、とか感じてしまうのが正直なところ。

 重ね重ね、長々とすいません。


確かに最近は、段落に限らず本来の使い方を無視して使う傾向が増えていますよね。
かといって、本来の文法上定められた「正しい使い方」が一番だとは思えません。
個人的には基本に忠実、且つ、読者の読みやすさを優先した使い方が妥当だと思います。

でも、小説は大抵、一行の文字数が限られているので、文字が途中で切れたりして多少ゴチャゴチャしてしまうのは仕方の無い事ですよね。
ですが、出来る限り読者が淀み無く読めて、より話に入り込める様に文章を整える事も、作家にとっては必要な気配りだと思えます。

要するに段落は基本的には本来ある使い方でいいと思いますが、著者がこの方が読み進める上で適切だと思えるなら、型に縛られる必要は無いんじゃないかな?という事ですね。
行空け等も規定ではどうなっているか解りませんが、著者によって独自のルールを作って使用すればそれがその人の「文体」ともなり、個性として成り立つんではないでしょうか?

選考も「読みやすさ」は当然基準に入れるでしょうし、よっぽど酷い使い方をしない限りはOKだと思いますよ。


古流たつみ

私も最近段落についてよく考えます。と、いうのも最近読んだ小説は段落がとても多く、とても読みやすかったのです(^^*)

私の段落への考え方は映画でいう「カメラアングルが変わる場面」という感じです(少しおおげさですね/汗)
これは読んだ小説の書き方が上手かったからかもしれませんが、段落が多いとテンポよくすらすらと読めました。
(ちなみにディーン・クンツ著「何者も恐れるな」を読みました)

段落を上手く使って流れるような文章を作っている人もいますよね。
そういう点では、やは作者の個性やこだわりが出るのかな、と思いました。
では、おそまつながら参考になると嬉しいです!
私も段落をきちんと理解した上で、上手い使い方をしていきたいですね♪

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