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聖書研究
2020/11/24 08:12
加茂ミイル

聖書を研究するスレッド
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加茂ミイル
 2020/11/27 22:38

聖書研究
自分のペースで、こつこつ研究して行きます

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太郎仏
 2020/11/27 22:49

聖書研究
いーんじゃない。
聖書のスレとして活用したい
ぶっちゃけ旧約聖書の読破も新訳聖書の読破も難儀中www
ちなみに広い意味でそれも共産主義研究でもあるんだけどね。

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聖カモマイル
 2020/11/28 13:54

聖書研究
楽園で暮らしていたアダムとイブは働いていなかったんじゃないですかね?

共産主義は、働くから、やっぱり楽園のようで楽園じゃないのかもしれないですね。

やっぱりこの地上は罪人の住むところで、一種の牢獄なのだから、
強制労働の苦しみを味わわなければならないのですかね。

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聖カモマイル
 2020/11/28 21:27

聖書研究
イエス様が病気を癒したというのは、人間の霊的な部分だったのではないかと思います。

私自身、霊的に癒された時、ちょうど病人が病から立ち直った時のような状況に似ていたからです。

ですから、イエス様が医学を学んだ医師だったかどうかという説は別にしても、霊的な部分について病んでいる人を治療したということは言えるのではないかと思います。

たとえば、目が見えるようになったというは、「目の中の丸太」を取り除いたという解釈も出来るのかどうかということを考察しています。

そういったことについては、これからも聖書を学んで、じっくり考えて行きたいと思っています。

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聖カモマイル
 2020/11/28 21:43

聖書研究
私も出来る限り、自分の課題に取り組み、努力したいと思います。
太郎仏さんもお元気で。

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聖カモマイル
 2020/11/28 23:29

聖書研究
私は自分の中の強すぎるパッションに飲み込まれそうになって、
精神的に不安定になっているのかもしれません。

まずはその点が安定するようになってから、
もう一度、自分が小説を書ける状態なのかどうなのかを、見定めたいと思います。

どうもありがとうございました。

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聖カモマイル
 2020/11/29 10:50

聖書研究
人を上から見下すのはよくないこととされています。

その理由を聖書の中にみつけました。

マタイ4章3節で、悪魔がイエス様を高い山に連れていき、世界すべてを与えようと誘惑した時に、イエス様は「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と言って反駁しました。

つまり、高いところから他人を見下ろすのは、それ以上に高い場所にいる偉大なる神の存在を忘れてしまったことになるからなのだと思います。

だから、世界を見下して自分が高い場所にいるような気分になるのは、自分のいる場所が低いのに、高いと勘違いしてしまう愚かな行為だから、いけないのだと思います。
悪魔はそれを餌にして人をそそのかそうとしますが、イエス様は高き場所にいる主の存在を忘れなかったので、その誘惑にそそのかされませんでした。

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十字架のヨハネ
 2020/12/04 02:20

聖書研究
研究までしようとは思わないが
旧約聖書なら詩篇
新約聖書ならヨハネの福音書:ラザロの家でマリアが香油を注ぐお話がわりと好きですね

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カモマイル
 2020/12/05 13:33

聖書研究
旧約聖書の「伝道」のところも何かすごくいいです。

この世で成功しても成功しなくても、結局はむなしいみたいな。

聖書って、文学的ですね。

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カモマイル
 2020/12/05 20:52

聖書研究
>ラザロの家でマリアが香油を注ぐお話がわりと好きですね

香油をお金に換えれば貧しい人が救われるというところを否定したのは、結局、香油をお金に換えてお金の力で人を救うのではなく、香油でイエス様を祝福して、イエス様への信仰を確かにすることによってその信仰の力で救われるべきだということなのでしょうか?

確かに少しでもお金に換えればそれでパンとか買って貧しい人に分け与えられるかもしれませんが、それはすぐになくなってしまうものだし、それよりも、イエス様を祝福した方が、信仰の力でパン以上のものを得られるということなのでしょうか?

いろいろな説はあるみたいです。

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十字架のヨハネ
 2020/12/06 01:31

聖書研究
カモマイルさん、初めまして。よろしくお願いします。伝道の書という言葉が返ってくるとは思いもしませんでした。
『伝道の書』もいいですね。人生においていっさいは空であることを何章にもわたって具体例をたくさん挙げて書かれている。ただ最後の第十二章で結論が出ていてそこで何となくがっくりしてしまうんですよ。

香油のエピソードは、その場面内で、イスカリオテのユダが、ムダ遣いだと非難していますね。私もあまり詳しくはなくて、諸説あるのですか、存じませんでした。このシーンは、場所はどこか、どういう人たちが登場するのか、に加えて、受難の前日に起こったできごとである、という状況を考慮すると意味あいが変わってきます。事ここに至るまでの流れというか限定された状況設定のなかでの一場面ですね。

おっしゃるとおり文学的ですね。文学のみならず音楽や絵画のモチーフにもなっていますし。
カモマイルさんも聖書から題材をとって、換骨奪胎というんですかね、そういう方法で小説を書いてみてはいかがですか。構えず気楽に。

あ、伝道の書の一節に良きものがありました。

『4 あなたは神に誓いをなすとき、それを果すことを延ばしてはならない。神は愚かな者を喜ばれないからである。あなたの誓ったことを必ず果せ。
5 あなたが誓いをして、それを果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。』
(伝道の書:第五章・第四節-第五節)

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カモマイル
 2020/12/06 16:38

聖書研究
>ただ最後の第十二章で結論が出ていてそこで何となくがっくりしてしまうんですよ。

やがて全てのことがむなしいと悟る日が来るけれど、そういう時の心構えをして、聖書の教えにしたがいなさいということなのではないでしょうか。
どっちにしろ結局人間は人生がむなしいことにいずれ気づくのだから、そういう時こそ聖書にすがるしかないということを言っているのかなと思いました。

>あなたが誓いをして、それを果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。

身につまされます。

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カモマイル
 2020/12/06 18:39

聖書研究
詩編には身につまされることがいろいろありますね。

4章4節 言いたいことは寝床で心の中で言い、黙っていよ。

5章6節 あなた(神)はうそをつく人たちを滅ぼす。

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カモマイル
 2020/12/12 21:01

聖書研究
私はこれまで、自分の外側に敵なる存在を見つけて、
それを打ち負かすことに一生懸命になってしまうところがあったのだと思います。
そういうタイプの人も世の中には大勢いると思うのですが、私の性には本来合わない動機づけでした。

時々、世の中が敵だらけに感じる時がありますが、それは、
自分でも気づかぬうちに、そういう風に自分で思おうとしていたのでは?
つまり、敵が最初から存在していたのではなく、
私が能動的に誰かを仮想的として心の中で作り上げるところがあったのではないかという気がします。

でも、それは仮想敵の存在に逆に振り回されて、
中身のないむなしい人生になってしまうことに気づきました。
それは敵に依存しているのだと気づきました。
自分がなくなっていて、ある種の感情だけが仮想敵を追って肥大化していたのだと思います。

天才とか才能のある人というは、きっと、
外側に仮想敵を作ってそれと競うよりも、
自分のなすべきことに集中できる人たちなんだろうな。
なすべきことが自分の中にあるんだろうな。

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カモマイル
 2020/12/13 07:44

聖書研究
それで、いつも周りとの関係に振り回されて、
自分が本当になすべきことをいつも見失っていましたが、
聖書の中に、自分のなすべきことが書かれてあるのではないかと思い、読むようになりました。

具体的に、細かく、何をすべきかということを、
私の状況にぴったり合った言葉でアドバイスするわけではないでしょうが、
大きなスケールで見た時に、やや漠然とではあれ、
何かしら方向性を指し示すような、そういうことばが見つかる可能性はあると思いますし、自分の人生に役立つことばはたくさん見つかりました。

他人の目のおがくずを取らせる前に自分の目の中の丸太を取り除くという教えは、とても文学的で美しい表現だと思いました。
あと、着飾らない草花の美しさとか、求めなくても恵みを受けている鳥たちとか、美しい詩のような思想だと思いました。

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カモマイル
 2020/12/13 10:42

聖書研究
聖書マルコ10章21節で、富を貧しい人に分け与えることを勧めているのは、富を軽んじているのではなく、富に執着すると、もっと大事な精神的なものを失う可能性があるからでしょうか。

おそらく聖書の中ではミニマリズム的な生活を理想としていると思うので、必要以上の富を持つ必要はないと考えているということなのでしょうか。

むしろ、それ以上持つと、人は物質的なものに執着、依存してしまう傾向があるから、むしろ富は人間の精神にとって悪い作用を及ぼすと考えているのでしょうか。

お金があると、自分を磨かずに、高価な所有物で自分の醜さをごまかすということに走りやすいのかもしれません。
お金があると、それを使っていろいろと必要のないものまで買ったりして、実は意味のないことで時間や空間を費やすことになるのかもしれません。

私も羽振りのいい時はちょっと高価な物を買ったりグルメを楽しんだりしましたが、後から考えると、必要最低限のものではないのに、世間に踊らされて欲しがっただけだったような気がします。

聖書的には、人間は必要最低限を満たしている状態が一番よいのであって、それ以上は過剰な毒になり、避けるべきと考えているのでしょうか。
いくら豊かとは言え、暴飲暴食するのはよくないのは分かります。
何事もそれと同じことが言えるのかもしれません。

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カモマイル
 2020/12/13 11:01

聖書研究
富を天に積むというのは、今ある富を善行に使うという意味なのかもしれません。

物質に依存するのは、その物質に心が支配されることになるのかもしれません。
また、サービスから得られる便利さに慣れると、やはりそのサービスに依存してしまうようになるかもしれません。

過剰な物質やサービスに依存するということは、ある意味、堕落とも呼べるのかもしれません。

お金をそういうところにつぎ込んで、むなしい栄華にひたるよりは、困っている人のために使って、困っている人を救えたならば、その方が、たとえば自分が過剰な娯楽などで個人的な満足を得るよりも、自分の中でもっと重要な精神的な満足感を得られるということなのでしょうか?
それは他者を愛していることが前提なのでしょうか。
それとも、人間にはもともとそういう他者を愛する心が備わっているのでしょうか?
あるいは、気づかずとも愛で結ばれているから、他人を救うという行為は人間にとって自然なことなのでしょうか。

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カモマイル
 2020/12/16 19:22

聖書研究
聖書って、一流の哲学を詩的に表現したものなのかなって思った。

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