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サルトルの嘔吐を読んでいる
2020/12/06 18:43


評価は後ほど
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カモマイル
 2020/12/06 19:25

サルトルの嘔吐を読んでいる
前から思ってたんですけど、
飲み会で、嘔吐するまで飲んだことを自慢げに語る人って、
嘔吐することの何が自慢なんでしょうか?

加茂ミイル
 2021/09/17 22:57

サルトルの嘔吐を読んでいる
うーん

カモマイル
 2020/12/08 22:48

サルトルの嘔吐を読んでいる
>真様

そう言われると確かにそうだと思いました。
飲み会を盛り下げてしまう自分の話術の下手さなどあります。
飲み会を盛り上げることの出来る人のノリの良さに憧れていました。
そういった自分の人間力の無さが、
飲み会を楽しめる人に対する劣等感となっていたんだと思います。
人とわいわい騒げる人がうらやましいんです。

加茂ミイル
 2020/12/18 18:31

サルトルの嘔吐を読んでいる
図書館から借りて読んでみたよ

途中飛ばして、前半と後半だけ読んでみた。

文章は読みやすかったけど、内容が難しく感じた。

マロニエの根は何を意味しているの?

主人公の吐き気は止まったのだろうか?

 2020/12/18 20:37

サルトルの嘔吐を読んでいる
実存の偶然性は絶対的なものであり、無償なものである。そして、すべてが無気力であいまいで陰気な<余計なもの>である。この事実に到達すると誰しも<吐き気>を催さずにはいられない。そしてこれが<吐き気>の正体である。
世界は偶然の寄せ集めであり、意味のない不条理な世界である。この世界はもともと意味のない実存のうごめく世界である。

作中、吐き気がとまる瞬間がある。バーに入り、店内に流れるジャズに耳をすませたときだ。音楽には人々を癒す力があることを主人公は悟る。

加茂ミイル
 2020/12/18 22:07

サルトルの嘔吐を読んでいる
何でジャズで吐き気が止まるんだろう?

 2020/12/18 22:28

サルトルの嘔吐を読んでいる
それは一番難しいところです。

なぜ音楽なのか?
なぜジャズなのか?

専門家でも意見が分かれてます。

加茂ミイル
 2020/12/18 22:48

サルトルの嘔吐を読んでいる
この作品は、自由の刑という思想と関係あります?

加茂ミイル
 2020/12/18 23:50

サルトルの嘔吐を読んでいる
その存在と、その性質との関係はどのようなものなのかなって思った。

加茂ミイル
 2020/12/18 23:51

サルトルの嘔吐を読んでいる
存在物には固定された意味はないということ?

 2020/12/19 14:22

サルトルの嘔吐を読んでいる
ごめんなさい自由の刑は知りません。

存在物に固定された意味はないです。
人間も一緒。

加茂ミイル
 2020/12/19 17:39

サルトルの嘔吐を読んでいる
何となく、主人公は存在の価値に背を向けようとしながらも、結局は存在の価値に依存しているような、中途半端に存在の価値と無価値の間を行ったり来たりしているような気がしたんだけど、どうなんでしょう?

加茂ミイル
 2020/12/19 15:58

サルトルの嘔吐を読んでいる
難しくて、やっぱり、ちゃんと自分が内容を理解できているか自信がない。

加茂ミイル
 2020/12/19 16:36

サルトルの嘔吐を読んでいる
やっぱり、最初から最後までちゃんと読んでから感想書いた方がいいでよすね。

 2020/12/20 03:54

サルトルの嘔吐を読んでいる
>何となく、主人公は存在の価値に背を向けようとしながらも、結局は存在の価値に依存しているような、中途半端に存在の価値と無価値の間を行ったり来たりしているような気がしたんだけど、どうなんでしょう?

とてもいい考察だと思います。
やはり加茂氏は全文読んでみるべきです。

加茂ミイル
 2020/12/20 07:17

サルトルの嘔吐を読んでいる
必要以上に食べ過ぎると、吐き気を感じるように、
精神的な面でも、あまりに多くの余計な存在を認識してしまうと、吐き気を感じるっていうことなんでしょうか?

加茂ミイル
 2020/12/20 18:47

サルトルの嘔吐を読んでいる
そういえば私は人込みの中にいる時、吐き気を感じることが多かった。

それは他者の存在に対して感じた吐き気なのか。
パニック障害かと思っていたけど。

一人になると吐き気がおさまった。

この本にその症状の原因が書かれてあるのだろうか。

加茂ミイル
 2020/12/21 16:05

サルトルの嘔吐を読んでいる
>存在物に固定された意味はないです。
>人間も一緒。

存在Aとその性質は全く別ということでしょうか。
Aが善人であるという場合、
それはAという何でもない存在に、たまたま善という観念がくっついただけのことで、Aそのものに常に善という性質が属しているわけではないということでしょうか。
Aそのものは善でも悪でもなく、ただそこにある余計なものに過ぎず、それを飾り立てるように、いろいろな観念が結びつくけれど、それはそもそも別のものなんだっていうことですかね。

加茂ミイル
 2020/12/21 20:01

サルトルの嘔吐を読んでいる
全ての存在はたまたまそこにあって、互いに偶然に関わり合っているだけなんでしょうね。
でも、それに、何か特別な意味をつけたがる人がいるってことなんでしょうね。
存在が現にそこにそうしてあるのは、何か意味があるからなんだという風に。
でも、主人公は、そうでないことに気づいた。

加茂ミイル
 2020/12/21 20:27

サルトルの嘔吐を読んでいる
海は緑色である。
白い点はカモメである。
という言う時、それぞれの存在に付与されている性質について述べているのであって、存在しているということを述べているのではないということでしょうか。
つまり、性質を見ているけれども、存在を見ているのではなかったということでしょうか。
そして、人間は、たいてい、何かを認識している時、そういう風に認識しているのでしょうか。
性質を見ているだけで、存在そのものを見てはいないということでしょうか。
その存在そのものは、何なんでしょうね。
本の中では、余計なものと繰り返し述べられていますね。
それは、理由もなくただ存在しているだけだから、余計なものとして感じられるということですかね。
ただ偶然にそこにあるだけだから、余計なものとしか言えないということですかね。
不条理と言う言葉が出てきますが、その存在の何とも捉えがたいありようについて言っているのでしょうか。

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