- 加茂ミイル
2020/10/04 20:20
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宗教と文学の関係について 聖書のことばは愛に満ちている
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- 加茂ミイル
2020/10/05 08:14
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宗教と文学の関係について イエス様はたくさんの人々に、少ない食糧をたくさんに増やしてお与えになって、 みんなお腹いっぱい食べて、食べ残りが生じるくらいっていうシーンがありましたが、 どうやってそんなことが出来るのって最初思ったんですが、 歴史的なスケールで見ると、 実際に先進国では有り余るほどの飽食の時代になったわけで、 歴史的スケールで読むと、聖書に書かれてあることって真実であるように思えるんですね。 食べ物が有り余ったという描写も、民衆が食うにも困っていた昔の時代に、いずれ飽食の時代が来るっていうことまで予言していたのだったらすごいとしか言いようがないですね。 だって、その時代は、そんな兆候どこにもなかったと思いますから。 人間にそんなこと出来ないよねって視線で読むと混乱するけど、 神様の御業だから、歴史的スケールでそういうことが出来るって考えると、つじつまが合ってくると思うんです。 聖書の読み方は、科学的につじつまが合うかどうかっていう風に人間的な視点で読むんじゃなくて、神視点で語られているんだっていう気持ちで読めば、いろいろと理解出来て来るような気がします。
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- 加茂ミイル
2020/10/05 19:51
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宗教と文学の関係について そもそもキリスト教は自分だけが救われればいいという宗教ではないのだと思います。 人類全体が救われるための宗教なのだと思います。 そして、そのために自分に何が出来るのか、何をすべきかを考え、実行するための宗教なのだと思います。 その指針を聖書は教えてくれているような気がします。 世界の平和のための宗教ですから、自分の都合で、明日自分が救われることを期待しても、必ずしも思い通りにはなるわけではないのだと思います。 ただ、世界の平和のために行動することで、自分の中の何かが変わる可能性はあります。 自分のためだけに生きたとしてもきっと誰もそれを責めたりはしないと思うのですが、そこから一歩進んで他人のため、世界のために行動するということにどんな意味があるのかが、聖書の中に書かれているのかもしれません。 今でこそ、キリスト教的な愛の考えが世界に浸透していますが、紀元1世紀の頃はもっと弱肉強食で、民衆の心は荒んでいたかもしれません。宗教も形式的で権威主義的なものになっていて、人々に対して冷たいものになっていたのかもしれません。そして誰もそれを疑問に思わなかったそんな時代に、愛の教えを率先して説くのは、とても偉大なことだったのだと思います。 私はまだ聖書の内容を全て読んだわけではありませんから、分かったようなことは言えないのですが。
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