キスをしたいと思った。
それは性的な意味ではなくて、何となくキスをしたくなった。唇と唇が軽く触れるフレンチキスでもいいし、舌が入ってくるのでもいいからキスがしたい。14歳の僕にとってキスは、未知のものであった。何冊か読んだ恋愛小説にキスについて書かれていたし、パソコンをクリックすればキスだけでなく、キス以上のものまで目には飛び込んでくる。だけどそれは結局、目で体験したものであり、口で体験したものではない。頭の中で思い描いてものであって、柔らかさを知ったものではない。
お気に入りの海外小説にはこう書かれている。
――唇を合わせると、まるで幼女が跳ねるベッドのような心地になる。白い素足が僕の唇で、君は柔らかいベッドの生地。
僕は中学3年であったけれど、学校へは行っておらず、家庭教師に勉強を見てもらっていた。学校へ行かない理由は、単に面倒くさいだけだった。親も大学へ入ってくれればいい、という条件を飲んでくれていて学校へ行かないことを認めてくれた。
家庭教師の男は31歳であり、顔は白鵬に似ている。体は相撲取りのように太ってはいないけれど、顔は丸くて、笑うと白鵬そっくりになる。東京都立大学(現:首都大学東京)を卒業して、東京大学の院に通っているらしいけれど、僕にとってはどうでも良かった。しかしキスのことを聞くにはヤフー知恵袋よりも、現実の男に聞いて見るほうがリアリティがあった。英語のinとintoの違いについて教わっている時に僕はキスについて聞いてみた。
「つまりin唇だとキスで、into唇だとディープキスってことですか?」
「どうしたの急に」
と家庭教師の男は言った。
「僕、キスしたいんですよね」
「それならアメリカに行くべきだね、日本の女はキスが下手だから」
「いったい何人の唇を知っているんですか?」
「桃色の唇は4人、赤色の唇は2人、そして青ざめた唇は1人……」
家庭教師の男は言った。
彼はどこか夢うつつになる癖を持っていて、時々こんなことを言う。いわゆるお笑いならばボケの方であり、突っ込みを入れてやる必要がある。また突っ込みを入れなければ永遠に桃色と赤色と青ざめた唇の意味は闇に葬られるだろう。
「そして」と僕が何も言わないでいると、男は続けた。「してみたいのは、中学三年生の男の子の唇」
「訴えますよ?」と僕は男に言った。
そうだ。この男は学部を卒業した後で、何年かをアメリカで過ごしたらしく、身についたのか身につかないのか、こうした冗談を必ず入れてくる。
「でも、キスをしたい! っていうのがいいんだよ。何人もキスをしてくると、キスをしたいって気持ちから、どんなキス、つまりhowになるわけ。そうなるとつまらないもんだよ」
男はそう言いながら遠い目をしていた。まるで昔に分かれた金髪の女を想うような顔で。白鵬のような顔で!
「そういうもんですか……でも、キスしたいなあ」
「聞いてくれるかな。僕も君ぐらいの年の頃に、性的なものに興味を抱くようになったんだけどね、君にだけは、そういうものにとらわれないでほしいと思う」
「どうしてですか?」
「だって性的なものってのは、そこらへんの犬や猫でもあるものだよ。そんなものに時間を割くよりも、もっとさ、もっと何かあるんじゃない? やることが。人間として生まれてきたんだから」
「例えば?」
「例えば、アメリカへ行く」
「それは山田さん(家庭教師の男の名前である)が実行したじゃないですか」
「僕には遅すぎたんだよ。だから君には、早く行ってほしい。明日にでも」
山田さんが言うことを僕は聞いていたけれど、何だかしっくりこない。でも、僕が中学へ行かなくなったのは、中学の人たちがあまりにつまらなかったからだ。それは小説と比べた場合であって、どこにもラスコーリニコフがいなかったし、ラクロスもいなかった。そこにいたのは「アメリカの学校で日本語を習う時に最初に出てくる例文」を言うような奴らだった。
・昨日、お前テレビ何見た?
・この給食まじぃ~(減点ですらある日本語)
「アメリカへ行ったら、何かが変わる?」
「ああ。俺みたいにウィットに富んだ会話が出来る」
僕は山田さんを見た。彼の唇は荒れていたし、唇の上には胃が悪いのかニキビまである。だけど、アメリカへ行く前に空港へ行くまでが面倒臭いと僕は思った。
「じゃあ僕、ちょっと虹を作ってくるよ」
「はいはいトイレですね」
と僕が言うと、山田さんはトイレへ行った。彼のいなくなった椅子の下に鞄が置いてある。そこのファイルが少し見えた。
・引きこもり少年を外へ出す研究論文 山田茂
僕はそれを見たまた思った。
「またまた、そんな手の込み入った演出まで。つまらないジョークはもういらないよ。それに31歳で学生って。普通ならもう、働いている年だろ」
『ウィットに富んだ家庭教師』©橘 清志
オチはきちんと伝わっているでしょうか?
感想があればお願いします。
橘 清志 (07/26 21:24)
橘 清志様
読ませて頂きました。
>オチはきちんと伝わっているでしょうか?
作者様が、何をオチと考えているか次第だと思います。
私としてはオチを感じました。二段、三段とオチていきました。
主人公と家庭教師がどこまで裏を読み合ったのか、が%E
07/27 00:06
橘 清志様
すみません。送信エラーとなりました。再度送ります。
読ませて頂きました。
>オチはきちんと伝わっているでしょうか?
作者様が、何をオチと考えているか次第だと思います。
私としてはオチを感じました。二段、三段とオチていきました。
主人公と家庭教師がどこまで裏を読み合ったのか、が気になるところです。
家庭教師の方が一枚も二枚も上に感じましたので、私はそこで着地しました。
>感想があれば
個人的には湿った笑いが好きなのですが、全体的に翻訳された笑いみたいで、面白かったです。
また主人公がすごくリアルで、上手いと思いました。
次回作を期待します。
07/27 00:08
水生様
読んでいただきありがとうございます。
オチはですね、引きこもりの主人公を救うということが本当の目的であるということです。二段三段!? それは作者が予期していないかもしれませんね。作者と読者の化学反応でしょうか。
そうです。家庭教師の方が上手です。相手のレベルに合わせたジョークと、短絡的に考えてしまう中学生の主人公。ウィットには道化することが必須だと作者は思っています。上手の人ほどへりくだる、という感じでしょうかね。
>全体的に翻訳された
するどいですねえ。
僕は読んでいる小説に影響を受けることが多いのですが、まさに今、海外文学を読み耽っているんですよ。すばらしい感性ですね水生様。相当の読書家なのでしょうかね。ふふふ
読んでいただきありがとうございます。誤字がありました、申し訳ありません。
07/27 05:57
読ませていただいたので感想書きます。
>オチはきちんと伝わっているでしょうか?
・引きこもり少年を外へ出す研究論文 山田茂
僕はそれを見たまた思った。
「またまた、そんな手の込み入った演出まで。つまらないジョークはもういらないよ。それに31歳で学生って。普通ならもう、働いている年だろ」
この最後の文章がオチですか?私にはよく分かりません。
「引きこもりの主人公を救うということが本当の目的」だとするのは話しの会話から言ってとても不自然に感じました。
07/27 13:17
雲桜マル様
読んでいただきありがとうございます。
なるほど。僕の仕掛けたオチが分からないとのことで。
でもそこでフルイにかけられるのかもしれないので、まあ分からなければ分からないでいいです。僕に技術がないだけでしょう。
「引きこもりの主人公を救うということが本当の目的」
これ自体がウィットなんですね。ですから論理的に書いてるのではなく、ある意味、のらくら感・適当感・軟派な感じが伝わればと思っております。
とにかく、時間を使い読んでいただき感謝いたします。
07/27 17:02
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